ブウの視点


TOKYO1週間登場記念特別記事

第壱話 ブウ*の評価の信憑性

「味」という主観的な切り口でラーメンを評価する、ということにはいくつかの問題がある。その「味を評価する」ことの問題点について考えてみる。

第一に、提供する側の問題点。

例えば、スープは様々な材料からだしをとって作り上げるわけで、当然出来、不出来がある。この要因は材料の質の変化、店主のやり方、店の混雑具合など、様々なファクターが原因となりうる。また、麺も、茹で加減や湯の切り方、麺そのものの出来などによって変化する。チャーシューも同じ肉塊から切り出しても場所によって味が異なる。例えば、製造業においては商品の内容にばらつきは本来ないのが当たり前だが、飲食業ではこうした変化はある程度避けられないものである。

次に提供される側の問題点。

最大の問題点は「個人によってその嗜好は千差万別である」ということである。したがって、一人の人間が「美味しい」と評価したところで、それは真理として万人に適用することは不可能である。料理の鉄人が「旨い」と評したからといって、誰が食べても旨いか、というと決してそうではない。これは、鉄人がおかしいのでも、「旨くない」と判断した人がおかしいのでもない。また、同一個人に限ってみてもその体調等によって、全く同じ物でも全く別の評価になりうる。例えばお腹が空いているときとお腹が一杯のとき、健康なときと病気のとき、同一人物が同一の物を食べてもその食事から受ける印象は異なるのが普通である。

つまり、味を評価する、ということは様々な要因により影響を受け、少なからずばらつきが生じる物だということになる。厳密な評価をするためには一つの店に何度も通って、味のバラ付きを含めてテイスティングする必要がある。

もし、十分なテイスティングを実施せずにその味を評価するとしたら、それ相応のリスクを背負うことになる。「ブウ*のラーメンデータベース」は、その半分以上がたった一度のテイスティングによって評価されており、その意味で厳密性に欠けると言わざるをえない。「旨い」と感じた店は大抵の場合何度もリピートしているし、麺の墓場送りにするときなどは特に慎重にくり返し調査してはいるものの、本データベースのランキングがこうした構造的問題点を内包していることは理解しておいていただきたい。

97.11.27

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第弐話 食べ物の「評価」は何故存在する?

食べ物の評価の構造上の問題点についてパート1で論じたが、この他に、「評価する人間」が実は非常に大きな問題である。例えば個人の嗜好という物は必ず存在するはずであり、この嗜好によって味の評価もなされるわけである。「なんでもかんでも、口に入れられる物は全て美味しい」という人では、味の評価は不可能である。逆に、特異な嗜好を持っている人や、好ききらいが激しい人、つまり味覚が優れていたとしても「辛い物は苦手」とか、「肉は食べられない」という人であれば、すべての種類の料理を適切に評価することは難しい。例えば、ワインの評価に関しては非常に優秀なソムリエでも、もし辛い物が苦手だとしたら、その人にタイ料理やキムチの評価をしろ、というのは全くもって無理な話である。

したがって、様々な種類の料理を公平かつ適正に評価するためには、「ほぼ万人の平均的な嗜好を持ち、ほぼ全ての物を好ききらいなく食べることが出来る」ということが要求される。ただし、この「万人の平均」というのがまた曲者で、世の中に「万人の平均」という人がいるかどうか疑問だし、いたとしてもかなり少数なはずである。その少数の人間だけが「万人の平均」の評価の恩恵を享受できる、というのであれば、それはそれで妙なことである。ある人にとって最も適切な評価とは自分と全く同じ嗜好を持った人の評価となるから、「絶対的に適切な評価」というのは存在しない。

こうして考えてくると、「料理の評価というものは信憑性が低いし、そもそも価値がないものである」という結論に達してしまう気がする。ところが、世の中にはミシュランを筆頭に、食べ物を評価する団体、書物は後を絶たない。この「評価無用論」と現実との間には大きな溝があるのだが、僕自身はこの溝を埋められるような適切な理論を持っていない。そこで、僕の個人的な感覚だけで述べてみるが、この溝を橋渡しするものは「権威に頼りたい人間の弱さ」になるのではないかと考えている。その道の権威が「あそこは旨い」と評価してくれたとき、人はそれを参考にし、実際に試し、自分の感覚に安心したり、自分の感覚を修正したり、場合によってはそのずれを楽しんだりしているのではないだろうか。その、自分の感覚を真理に近いものとして信用しきれない弱さが、本来価値がないはずの「評価のニーズ」を生み出していると考えるのである。

97.11.27

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第参話 特務機関ブウ*

本ウェブページの最大の特徴はあくまでも「評価」である。沢山の店を網羅的に食べ歩いてデータベースを構築しているわけでもないし、口コミ情報を収集、発信しているわけでもない。そういった特性が皆無であるとはいわないが、そうした視点からは非常に優れたウェブページが他に幾つか存在しており(例:とらさんジャンボのラーメンのページ等)、今更同工のウェブページが必要だとは思えない。となると、評価3題パート1パート2の文章はこのウェブページの唯一にして最大のレーゾンデートルを否定するものになる。

そこで、この曖昧な「ラーメンの味」について、少しでもスタンダードを提示し、その理想像の提案を行うことにより、多少なりとも評価を価値のあるものにしたいと考える。以下に、僕の提案する「ラーメンの理想像」を提示したいと思う(ここではトンコツが良い、トリガラが良い、といった個別各論ではなく、一般的な特性についての提示である)。勿論、本データベースの評価はこの基準にのっとった形で行われている。

柔らかすぎない

固すぎない

粘り強さがあり、しかも簡単に噛み切れる

スープが絡み、麺とスープの一体感が味わえる

食べ始めと食べ終わりで食感の変化が少ない

かんすいなど味以外の目的で添加された物が味を乱していない

スープ

ダシの味が楽しめる

過剰に調味料(塩、醤油、味噌、化学調味料等)に頼っていない

麺に絡む

熱い

保存剤など味以外の目的で添加された物が味を乱していない

具(注文の時点で丼に入ってくるもの)

スープの味を乱さない

スープの味に調和している

保存剤など味以外の目的で添加された物が味を乱していない

さて、以上のラーメンの理想像をあなたが是とした場合(この仮定が重要)、僕の評価はあなたにとってかなりの信憑性を持つと考えている。つまり、僕の評価が高ければ、その店はあなたにとっても美味しいラーメン屋である「可能性」が高い。ここであえて「可能性」としているのは、パート1パート2で述べた評価の不確実性による。それでもなお、世の中に山ほどあるラーメンガイド、ラーメン評論の中でも屈指の信憑性を持つ「可能性」を提示しているはずである。

なお、個人的に、評価にあたっては特殊な場合(地方のご当地ラーメンを食べる、とか雑誌の取材等)を除いて以下の点に注意し、より適切な評価が出来るように配慮している。

調味料を最初からは使わない

食べるのに無駄に時間をかけない

お腹がすいている状態で食べる

似たようなラーメンを短期間に食べない

短期間に沢山のラーメンを食べない

さらに日頃から、以下の点にも留意している。

ラーメン以外の「美味しいもの」を色々と食べる

ランニング等により体調を整える

好き嫌いをなくす(現在嫌いな物はセロリのみ)

これらの制約があるために、食べ歩きをはじめてから10年以上、データベースが現在の形になってから5年以上経過しているにもかかわらず、登録件数は300余軒である。また、今後も爆発的な登録件数の増加は望めないであろう。また、自分個人の中でもこの10年の間に好みも変わっただろうし、評価基準も変わってきていると思う。しかしながら、一人の人間が作成したラーメンのランキングとしてその価値を認めてもらえるならば、時々このページをチェックしてもらいたいと考えている。

97.11.27

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