ブウの視点


ネット内グルメ情報の曲がり角

今日、料理の鉄人の最終回を見た。これを見ていてちょっと思い出したのが、料理の鉄人に出てくるような有名シェフの店で食べて「あんまり大したことがなかった」という意見を時々耳にすること。まぁ、口に合わないこともあるだろうし、実際、マスコミでちやほやされているだけで、全然実力がない店っていうのも時にはあるだろう。しかし、あそこの鉄人クラスになると、やっぱり「大したことがない」と感じるのは、食べた側に問題があると思う。食の嗜好というのは非常に難しい。何でも好き嫌いなく食べられる人でなくては料理の評価ができないような気もするし、何でも好き嫌いなく食べることができるのであれば、旨いものとまずいものの区別もつかない気もする。

どういった人の意見は参考になり、どういった人の意見は参考にならないのか、その取捨選択は非常に困難だ。

最近は素人でもHPを使っていっぱしの意見を言える時代になっちゃった(もちろん、僕もその一人だけど(^^;)。素人が5人も集まって、「あそこは大したことがない」とやれば、あっというまに悪評が立つ。もちろん、正当な手段によって悪評が立つのであればそれはそれで仕方がない面もあるが、インターネットの匿名性を利用すれば一人で大量の匿名投稿を繰り返すことによって「マス」になりえる。

情報を発信している人間が本当に価値のある情報を発信しているのか、それを見極めるのは非常に難しい。食べる側にとっても、作る側にとっても、すごく複雑な時代になってきた。

2000.3


蘊蓄系ラーメンの隆盛に見る、ラーメン文化の浅薄さ。

蘊蓄系ラーメンとは、店の中に「当店は●●の昆布を使っております」「当店のスープは△△の煮干しからダシを取っています」「当店は化学調味料を一切利用していません」などと、そのラーメンを作るにあたって利用した素材や、手間暇をアピールしている店のことである。

この手の店、実際にそういう素材を使ったり、化学調味料を使っていなかったりするのかは検証のしようがないのだが、はっきり言えることは、「アピールしなければ客にわかってもらえないことが多い」ということだろう。本当に良い素材を使っていて、誰もがそれを美味しいと感じ、多くの人間がその素材の由来を言い当てることが出来るのであれば、別に店内でアピールする必要なんてないのである。化学調味料だって、多くの人が「これは無化調である」と断言できるのであれば、別に「使ってません」と宣伝するほどのものでもない。

昨今、ラーメン文化人達は「徳島の次は塩が来ます」「今年は牛骨が来ます」などとまくし立てているが、実は、徳島なんていうブームはどこにもなく、今あるブームはまさにこの「蘊蓄系」であると思う。

なぜ、この蘊蓄系が流行っているのか。それは、巷に大勢いるラーメンマニア諸氏が、論評しやすいということによるのではないか。「この店の昆布は利尻なんだ」「こっちの店のダシは名古屋コーチンだ」などと、店の言う宣伝文句をそのまま吹聴することによって、「俺はラーメンの造詣が深い」とアピールしやすいわけだ。しかし、その実、その手の内容は、喋っている人のほとんどが「言われなくてはわからない」もので、聞いている人のほとんども「言われてもわからない」のではないか。

今形成されつつあるラーメン文化とは、非常に大きな部分でインターネットの影響を受けている。そして、ネットの中にはこの手の蘊蓄をありがたがって情報発信する人達が山ほどいる。結果として、「素材にさえこだわれば、化学調味料さえ使わなければ、そこそこに評価され、有名になれる」という図式ができあがりつつあると思う。ラーメンの文化は、今、ただのファッションになりつつある。

2000.3


ラーメンブームのインパクト

ラーメンブームの終焉を感じる。

もちろん、ラーメン関連の情報が少なくなったわけではない。逆に、ラーメン本は山ほど出版されているし、テレビ番組でもラーメンを取り上げるケースは非常に多くなっている。そして、行列店と言われる店も少なからず存在している。

では、なぜ終焉を感じるのか。それはメディアの扱いが、「終わりつつあるブームを少しでも長く続かせようとしている」ように感じるからである。誤解がないように述べておくが、ブームが去ることを決してネガティブには捉えていない。栄枯盛衰。Jリーグだって、あんなに盛り上がって、そしてブームは終焉したではないか。ブームが去ることは悪いことではない。要は、「ブームが何をもたらしたか」である。Jリーグのブームは、浦和や鹿島にサッカー文化を根付かせた。ワールドカップの招致も成功した。では、ラーメンブームは何をもたらしたのか。そろそろこういったことを考えてもいい時期に来たと感じるのである。それらを今の時点(2000年3月)で簡単に考察してみたい。

まず、ラーメンブームによって、ラーメン店は旨い店、まずい店の二極化が進んだ。これは不味いラーメン屋が増加した、ということではない。こだわりを持ったプロが本当に美味しいラーメンを食べさせる、そういう店が増えたのである。これは良いインパクトの代表である。

次に、「強烈な個性の店」が少なくなった。ブームの当初、その牽引者は九州とんこつ系と、横浜ラーメン家系だったと思う。これらの豚骨ベースの強烈なスープが発展し、旭川、和歌山などのブームを創出した。しかし、強烈な個性は飽きられるのも早い。ラーメンの主流は徐々に飽きの来ない、東京西部系(魚ダシの強い東京ラーメン)、無化調蘊蓄系にシフトしてきている。今後も、「パンチのある店」よりも、「あっさりしている中に旨味のある店」が増加していくだろう。この、没個性化、ポジティブにもネガティブにも捉えられるが、現時点では評価がつけづらい。もしこれをポジティブに捉えるのが多数派であれば、今後もこの傾向は続くだろう。そして、ネガティブに捉える人が潜在するのであれば、いつかまた個性派が復興してくるに違いない。

次にあげられるのが、ネットによる文化の形成である。ネットを通じた文化形成の事例は他にも存在するが、ラーメン文化が顕著な例の一つとしてあげられることは間違いない。大量のHPや電子掲示板によって様々なラーメン情報が流通し、文化を醸成した。昨今、そこで取り扱われる情報は平板化し、その価値観は均質化へと向かったが、それでも今後もネット情報はラーメン文化に大きな影響を与えていくだろう。

さて、ラーメンブームのインパクトをまとめたのだから、ついでに今後の、個人的な希望を書いておこうと思う。

まず、一番にあげられるのがら博による文化の掘り起こしである。ラーメン文化にネット情報が大きな影響を与えたのは間違いないし、今後もその影響は多大だろう。しかし、私見では、ラーメン文化を平板なものにしてしまったのもやはりネット情報だったと思う。衆愚政治の言葉もあるように、大衆が主導することが常に正しいとは限らない。そして、大衆によって流れるがままに流れていく文化にはどうしても限界がある。それを悪いとは言わないが、個人的にはつまらないと思う。大衆とは別の、カリスマによる文化誘導もあって良いのではないか。そして、それが出来るのは、それを職業としてやっているら博の武内氏、北島氏、そして、石神氏の3人だけである。ただ、石神氏は、まだ社会的に力不足であることが否定できない。結果として、期待が寄せられるのは、当面、ら博ということになる。今後の活動には、継続して注目していきたいと思っている。

次にあげられるのが、地域HPの充実である。もう、首都圏のラーメン情報は十分である。今はニッチとなっている、地方のラーメン文化をアピールするようなページ、それもただラーメンの感想などを述べるようなページではなく、そのラーメンがそこに存在することの必然性までを掘り下げるような、骨太の情報発信が欲しい。

00.3.7

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