猿の剥製
伊達 梶乃
 マードックは、通りをただひたすら歩いていた。
 知らされたAチームの集合場所が間違っていたらしい。病院を抜け出して行ったものの、その場所には誰もいなかった。
 病室の窓から投げ込まれた手紙には、フェイスマンの字でしっかりと《今日午後3時》と書かれていたが、集合場所は暗号で記されていたのだ。いかにも、ハンニバルのやりそうなことだ。
 ひょっとしたら、暗号の解読が間違っていたのかもしれない。“5文字ごとに拾ってアナグラム”方式だと思っていたのだが、“7文字ごとに拾って逆さ読み”方式だったのかもしれない。
 ともかく、彼は通りを歩いていた。手紙を焼いてしまった以上、何もすることがなかったのだ。



 ふとマードックは、ある店の前で足を止めた。ショーウィンドウを通して見える店の奥に、心惹かれる物があったのだ。
 彼は店の中に入っていった。そして目標の物体――ニホンザルの剥製を手に取り、頬ずりする。
「お客さん、売り物に触らないで下さい!」
 店員が叫んだ。それでも、マードックは剥製を抱き締める。
“ああ、この手触りだ……。”
「お客さん、やめて下さい!」
 店員の声を聞きつけて店に出てきた店長は、マードックの傍まで来ると、彼に声をかけた。
「お客さまは、それが大層お気に召されたようですね。」
「もちろんだよ。こいつ、俺が前に飼ってたサルそっくりなんだよ、アッフェにさ。」
「アッフェ……可愛らしい名前ですね、どういう意味ですか?」
「ドイツ語でサルって意味だよ。でもホントにそっくりだあ。」
「飼ってた……って、ご他界なされたのですね……。」
「いや、取り上げられちまっただけ。だから、もう会えない。別の所に行っちゃった。」
「なるほど……。」
 とは言ったものの、店長はわかっていなかった。
「では、別のサルをお飼いになればよかったものを……。」
「俺、本物は飼えないの、自由には。病院暮らしだから。」
「どこかお悪いんで?」
「そう、頭ん中が。」
 店長は今度こそ納得して、サルの剥製をいとおしそうに抱き締めて頬ずりするマードックを見つめた。



 とその時、ウィンドウのガラスが割れる音がし、マードックは反射的に身を伏せた。誰かが、この店に向かってオートライフルを乱射しているようだ。突っ立っている店長のズボンの裾を引いて、マードックが叫ぶ。
「あんた、死にたいの?」
 店長はマードックに倣って、床に伏せた。運よく、彼は弾に当たっていない。依然として銃声が続く。棚の上の剥製が、穴だらけになって彼らの上に落ちてくる。
「何なんです、これは?」
「俺が知るわきゃねえよ。あんた何か悪いことでもやったの? こんなバリバリ撃たれるようなさあ。」
「私は何もやっていませんよ。ただ剥製を売っているだけなんですから。」
「そんじゃ、動物愛護協会に狙われてるってことね。」
「私たち人間だって動物ですよ!」
 店長がそう叫んだ時、やっと銃声がやみ、車が猛スピードで走り去る音がした。
「もう立ってもいいんじゃない。」
 2人は立ち上がって、服についた動物の毛を払った。
「あーあ、この店もおしまいだ。」
 店長が辺りを見回して言う。割れたウィンドウ、隅から隅まで穴の開いた壁、床に散乱する動物の死体……。
「畜生、せっかくここまでやって来たってえのに……。」
「ねえ、さっきまでと口調が違わない?」
「いいんだよ、もう店長じゃないんだから。」
「店長さん、あれ……。」
「店長じゃないって言って……。」
 マードックの指差す先を見た彼は、言葉を途切らせた。
「テーラー!」
 粉々になったカウンターの下に、店員が倒れている。その姿はどう見ても死体だった。
「テーラー……こんなに穴だらけじゃ剥製にもできない……。」
「その発言、危ないよ、店長さん。」
「店長じゃなくて、フランクリン・シャフナー。フランクでいいよ。」
 死体の傍に屈み込んで、彼は言った。
「じゃフランク、早いとこ警察に言っといた方がいいんじゃないの?」
「そ、だね。」
 すっくと立ち上がったフランクは、テーラーを跨いで外に出た。
「なかなか冷たいお方。」
「たかが店員。俺の知ったことじゃない。」
「……確かに触らない方が賢明かもね。」



 その後、2人は警察に行って、全てを話した。しかし話したところで、フランクには何の嫌疑もかかりはしなかった。ただマードックが病院に送り戻されただけだった。
「何であんたまでついて来るわけ?」
 病院の庭でマードックはフランクに聞いた。
「何で、って……あんたがうちの店の商品を持ってるからさ。」
 そう言われて、マードックはジャンパーの合わせから顔を覗かせているサルの剥製をしっかりと抱き締めた。
「こいつはね、あの銃弾の雨の中、俺に救われたんだぜ。命の恩人についてきて、何が悪いんだよ。」
「金を払わないのが悪いんだ。大負けに負けて300ドルにしてやっからさ。払うか、そいつを俺に返すか、2つに1つだぜ。」
「……分割払いじゃダメ? 今、10ドルしかないから、10ドルの30回払い。」
「31回だ。分割払いは高くなるのが相場だろ?」
「……いいよ、31回払いで。」
「商談成立だな。よし、10ドル払ってくれ。」
 マードックはポケットから10ドル出して、フランクに渡した。
「俺の電話番号書いとくから、払えるようになったら連絡してくれ。1カ月経って連絡がなかったら、俺がこっちに出向いて来るからな。」
 フランクは手帳に電話番号を書いて、それを千切った。
「じゃあな、大事に扱ってくれよ。」



 その夜、マードックの病室にフェイスマンが訪ねてきた。と言っても、面会時間外なので窓からだ。
「モンキー、いたのか。約束の場所に来ないから、てっきりどこかに隔離されたかと思っちゃったよ。」
「暗号解読できなかったんよ。で、今回はどんなお仕事?」
「もー、仕事どころじゃないよ。」
 フェイスマンはベッドに腰かけ、溜息をついた。
「みんなで集まってから依頼人のところに行こうとしたら、モンキーは来ないし、いざ行ってみると依頼人はあの世のお人だし。あー、もう少し早く行ってたら、死なせなかったのにさ。」
「依頼人が死んじまったわけ?」
「そう。仲間を裏切ったから殺される、守ってくれ、って言ってきたからさあ……行ってみたんだけど遅かったんだよね。何でも、日本から盗んだ情報を、あ、これマイクロフィルムだけどね、彼の働いている店の商品に隠して売るっていうか、渡すのが仕事だったんだって、店長に秘密で。でも、その仕事が恐くなったんで“お客さん”に別の物を売っちまったんだって。その情報ってのが、日本で極秘に研究してるヤツで、あらゆる波長のエネルギーを吸収しちまう物質の構造式と製法。」
「そりゃあ恐くなるわなー。赤外線探知器もレーダーも使えなくなっちゃ、戦争もおしまいだもんなあ。1発で勝ちだぜ。」
「それだけじゃなくて、吸収したエネルギーを集めて使うこともできるんだってさ。」
「殺生沙汰になるのも頷けちゃう。」
「日本からマイクロフィルムを隠して輸入したニホンザルの剥製じゃなくて、国産のチンパンジーの剥製を売ったってんだから、もう。」
 フェイスマンのその言葉に、昼間の事件がオーバーラップした。
「店は蜂の巣、依頼人は死んじゃったもんで、店の中の剥製をゴミ屋に化けて持ち出して、1つ残らず調べたけど、マイクロフィルムは見つかんなかったんだよね。人に売ったって記録もないし……。」
「……もしかして、シャフナー剥製店? 依頼人の名前はテーラーとか言わない?」
「な……何で知ってんの?」
「ひょっとすると、こいつ、ニホンザル?」
 とマードックはベッドに寝かせてあったサルの剥製を抱き上げた。



 マードックのサルの剥製から出てきたマイクロフィルムは、翌朝ハンニバルの手によって焼き捨てられた。
 事件の通報が早かったため、通行人に目撃された車のナンバーと銃弾のマークから、店を襲ったテーラーの仲間は警察に逮捕され、その他の仲間や“お客さん”もズルズルと芋ヅル式に捕まり、Aチームの力を借りずとも事件は解決された。



 脇腹に手術の跡があるサルの剥製の支払いが、あと30回も残っていること――それが、マードックのただ1つの気がかりだった。彼は手帳の切れ端を開いて、病院内の公衆電話のダイヤルを回した。
「もしもし、フランク? この間、サルの剥製を買ったマードックだけど、1週間以内だったら剥製の返品利くだろ?」
『バカ言うなよ、こっちだって、店閉めちまって金に困ってんだ。来月から30ドルの10回払いにしてくれよな。』
 電話が切れた。
 マードックはサルの剥製を抱いて、さめざめと泣くしかなかった。
【おしまい】
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