手錠のママの脱走
ふるかわ しま
*1*《Who's Nana? --- She's just a "Mama".》

 ナナは普通の主婦だった。こうして田舎のバスに揺られて、シティに晩のおかずを買いに行くのが彼女の日課だった。窓の外の風景は、左右どちらにも果てしなく広がる草原。南部のからりとした空気が、開け放たれた窓から窓へと通り過ぎていく。
 バスがスーパー“ハバナ”の前を通り過ぎた。“ハバナ”はナナの家から一番近い所にあるスーパーだ。しかしナナは、決してこのスーパーを利用しようとはしなかった。それというのも、一昨年の1月、ここで買った生食用のオイスターにあたって、彼女の夫、ハリー・バトルが4週間の入院を強いられたのだ。いくら生食用とは言え、2週間も冷蔵庫で寝かせておけば、あたるなって方が無理な話だが、とにかくナナはそのことを根に持ち、決して“ハバナ”では買物をしまいと心に決めたのだった。そういうわけで、ナナの買物はいつも、バスで40分揺られた先のシティにある大手スーパー、その名も“バハマ”であった。
 バスはひたすら走った。そして遂に、1本道の先にシティが姿を現した。
 時間は午後0時40分。暑い昼下がりだった。



*2*《What's the A-team? Oh, it's just the A-team.》

 どっかーん!
 どでかい爆発音がマンションの一室に響き渡った。シティの東側にある、スペシャルゴージャス・マンションである。
 ソファに腰かけて変装論にウンチクを傾けていたジョン・ハンニバル・スミス、キッチンで紅茶を煎れながら彼に反論しようと振り返ったテンプルトン・フェイスマン・ペック、ベランダで妙な“踊り”に興じていたモンキーことマードック、それをやめさせようとベランダに一歩足を踏み入れたコング=B.A.バラカス――は、一瞬のうちに煙と埃に包まれて見えなくなってしまった。
 煙が晴れた時、先ほどと全く同じポーズのまま固まっている4人の姿があった。
「何……だって?」
 やっとのことでフェイスマンが口を開いた。
「変装の失敗しにくい方法は、身長をごまかすことだ、と言ったんだ……ところで、みんな無事か。」
「ああ、何とかな。」
 B.A.バラカスが部屋の中に戻ってきた。しかし彼は部屋の中央、ちょうどハンニバルが座っているソファの真ん前で……消えてしまった。
「コングッ。」
 3人は驚いて駆け寄った。何のことはない。さっきの爆発で、部屋中央部の床に直径1メートルほどの穴が開いていたのだ。どうやら爆発が起こったのは下の階らしい。
「おーいコングちゃん、大丈夫?」
 マードックが穴に身を乗り出して叫んだ。
「ああ、俺ぁ大丈夫だ。しかし運の悪いことに、このにーちゃんが俺の真下にいやがった。」
 コングがぐったりとした、明らかに気を失っていると見える貧弱そうな男を抱え上げた。


「気がついたかい?」
 ハンニバルが言った。10分ほど気を失っていたその若い男は、ゆっくりと目を開け、そして頷いた。
「あなたたちは……僕を助けてくれたんですか……。」
「助けた、って言っても、気絶させちまったのはこの俺だからな。」
 タオルを絞りながらコングが言った。
「……あいつらは……そうだ書類は……!?」
 男はいきなりソファから起き上がると、一歩足を踏み出した。
「ちょっと、そこにはまだ穴が……。」
 次の瞬間、男は1階下、つまり自分の元いた部屋へと最短の方法で移動し――またもや気絶していた。


 再び気がついたその男の話によると、彼は弁護士で、爆発が起きた階下の部屋は彼のオフィスだった。男の名はチャーリー・ケアマン、32歳。170センチそこそこの身長と、50キロにも満たないように見えるその体は、いかにも貧弱に見えた。
「僕はある事件の弁護を頼まれていまして、昨日その依頼主……被告ですが、の無実を証明する決定的な証拠を手に入れたんです。被告は、シティ一帯を取り仕切るギャングの一味に罪を被せられていたんです。明日の法廷でその証拠を持ち出して勝訴するはずだったのに……。」
「そのギャングの一味が、あんたが証拠を手に入れたことを知って、それを取り返しに来た、と。」
「はい、彼らはいきなり部屋に踏み込むと、僕をバスルームに縛り上げ、証拠を奪った挙げ句に部屋を爆破していったのです……。そしてやっとの思いで縛めを解いて部屋に入ってみると、何もかもが爆破された後……。そうして途方に暮れている僕の上に、あなたが落ちてきたんです。」
「済まねえことをしたな。」
 コングが本当に済まなそうに言った。
「いいんです、もう……僕の弁護士生命は終わったんです……先月なったばかりだというのに……ううう……。」
 情けなく泣くチャーリーの肩を抱いて、ハンニバルが言った。
「やりましょう、お詫びの印に、な、コング。」
 午後0時15分。



*3*《What's she anxious about?》

 “バハマ”のよい点はその品揃えにある、と、ナナは思っている。値段は少々高めだが、その分品質はいい。少なくとも腹に変調を起こさせるようなものは売っていないはずだ。
 ナナは、少しばかり弾んだ気持ちでカートを押していた。今晩のメニューは挽肉とチーズの重ね焼きを中心に、コーン・スープ、パン、ホウレンソウとベーコンのサラダ……と、いかにも何も考えない“アメリカの家庭”的なものである。これらはナナの得意料理だった。けれど決して“これしかできない”というわけではない。それではあまりにアメリカの主婦をバカにしている。その他に何と、彼女はベーコン・エッグが作れるのだ!
 さて、全ての買物を終え、レジも済ませたナナの脳裏に、ある大変なことが閃いた。彼女はスーパーの紙袋を両手に引っ抱えると、脇目も振らずにスーパーの外へと駆け出していった。
 数分後、電話ボックスから出てきた彼女は、そっと時計を見た。
 時刻は、午後1時30分。



*4*《Boys(?) meet a girl(?).》

 ばっこーん!
 扉が音を立てて壊れた。そこには陽(この場合は電灯)を背にしたコングのシルエットが黒々と浮かび上がっている。
「な、何だてめえはっ。」
 ここは某所2階の悪の組織の事務所である。某所と言っても、マクドナルドのことではない、念のため。シティのメイン・ストリートにあるビル、因みに1階と地下はスーパー“バハマ”になっている。そこの2階。
「てめえはっ、じゃなくて、てめえらはっ、にしてね、複数だからね、僕たち。」
 フェイスマンが言った。事務所の中には強面の男が、しかし5人。
“こりゃ、軽いな……。”
 フェイスマンは思った。
「てめえら、誰の許しで事務所のドアぶっ壊してぬけぬけと入ってきやがった。」
 スキンヘッドの身長2メートルはあろうかと思う大男がつかつかとフェイスマンに歩み寄る。
「おうさ、ここをどこだか知らねえのかい。てめえら、ここで不作法しやがったら生きてシティを出られねえと思いな。」
 これは頬に傷持つ男のセリフ。
「いやー、まー、抑えて抑えて。」
 ハンニバルがズズイと前に進み出た。
「別にあんた方の邪魔しようなんて気はない。ただ、ミスター・ケアマンのとこからあんた方が無断で持ってった物を返してほしいんだ。」
「何だとっ?!」
「そこであんた方と話してる暇はないの。偉い人出してくれる?」
「貴様……!」
 言いかけた男が言葉を飲んだ。ハンニバルの手にあるピストルを見たからだ。
「わかったよ……案内しよう。」


 Aチームの4人、それにチャーリー・ケアマンは、奥の部屋へと通された。茶色系のペルシア絨毯、壁にはイギリス風のパッチワークが張り詰められ、天井からはでかいシャンデリアが下がっている。真正面にはガレのキノコのスタンドのレプリカが乗った大理石の机、そして机の向こうには――何とも形容し難い老人が1人座っていた。一言で言えば“裸の王様がラクダのシャツを着ている”といった風姿のでっぷり肥えた血色のいい老人である。
「どうぞどうぞ、ま、ま、遠慮せずに、そこのソファにかけて下され……ケアマンさんとか言ったね……その他の方は……見ない顔じゃな。」
「ジョン・スミス。ここにいる3人は部下……ってとこかな。」
「スミスさんか。私はガドフリー・エルバートと言ってな、この辺りの商業が円滑に行われる手伝いをしておる。」
「円滑に行うのは結構だけど、罪のない一市民の商売道具を奪った挙げ句、オフィスを爆破するってのはちょっとひどいんじゃない?」
 と、今までセリフの少なかったマードック。
「下の方のやることまで目が届きませんでな。……私としては、これでも社会には多大なる貢献をしているつもりじゃから……多少のことには目を瞑っていただきたい。」
「た、多少のことじゃありません、ぼぼ僕には死活問題なんです。」
「ケアマンさん、まあ怒りなさんな……。書類ならここに沢山あるぞ、どれがあんたのお望みかな……?」
 エルバート老人は机の引き出しから封筒の束を取り出した。
「その緑の封筒ですっ!」
「これ? これか……ふむ……。」
 老人はライターを取り出し、火をゆっくりと封筒に近づけた。
「ひゃあっやめろっ!」
 チャーリー・ケアマンが老人に飛びかかった。と、同時にエルバートの部下がケアマンに飛びかかった。と、同時にハンニバルたちが部下に飛びかかった。そして、どこから湧いたか大勢のエルバートの部下がハンニバルたちに飛びかかり……そして乱闘となった。
 ばきっ、ごきっ、殴る、蹴る、殴り返す、蹴り返す。右から左へと空を飛ぶザコ(部下)。左から右へと投げ飛ばされるフェイスマン。左から右へ自分で飛んでくマードック。
「ハンニバルっ、どうして撃たねえんだいっ!」
 部下を3人まとめて投げ飛ばしながらコングが叫んだ。
「済まん、弾入ってない。」
 ケアマンを小脇に抱え、ザコを1人蹴り飛ばしつつハンニバルが答える。
「何だってえっ?!」
 ばこっ、とドアごと手前の部屋へと殴り飛ばされつつ、フェイスマンが叫んだ。
 かくして乱闘は徐々に場所を移動し、エルバートの事務所を飛び出し、廊下、階段、そして遂に下の通りへと転がり出た。
「きゃあっ!」
 スーパー“バハマ”の客たちが逃げ惑う。
 Aチーム、善戦。しかし多勢に無勢。その上、機関銃を持ったエルバートの部下たちが向こうから走ってくる。
「コング! ひとまず退散だっ!」
 ハンニバルが叫んだ。
「よし、チャーリー、逃げるぞっ!」
 フェイスマンが振り向きもせずにチャーリーの男にしてはか細すぎる腕を掴んで駆け出そうとした。
「俺もトンズラだもんねっ。」
 マードックも叩き売りのバナナを引っ掴んで駆け出そうとした。が、時既に遅く、5人は機関銃を持った男たちに包囲されていた。
「手を挙げろ!」
 部下の1人が叫んだ。5人は渋々、手を挙げた。
「チャーリー、ごめん……。」
 フェイスマンはチャーリーの方を振り返り……そして、目を点に、口をOにして固まってしまった。
「何がごめんよっ! ごめんで済んだら電気椅子会社は倒産よっ!」
 そこにチャーリーの姿はなく、1人の痩せぎすの金髪そばかす年増女が憤っていた。さっき夢中で掴んだのはチャーリー・ケアマンではなく、女――ナナ・バトルの腕だったのだ!
“いくらチャーリーが細いからって、道理で細すぎると思った……。”
 力ない笑顔を無理矢理に作り、ナナにうっすら笑いかけると、そのまま首を180度回転させて、ハンニバル、コング、マードックの方を見た。3人の明らかな非難の目が痛かった。
 午後1時36分。



*5*《What a mistake! What a lady!》

 どこまで続くかわからない道を、1台のワゴン車がひた走っていた。運転席には黒服の男が2人、後方には手錠で繋がれた男4人と女1人。黒服の男=エルバート老人の部下、と、男4女1=Aチーム+ナナ・バトルは、鉄の壁で区切られていた。
「(前略)全くどうして私がこんな目に遭わなければいけないの私はただ愛するハリーに美味しいものを食べさせてあげたい一心で(中略)50ドル以上も買ったのに全てムダになってしまったわ前世で私が政治家でもしてたっていうのこんな仕打ちを受けるなんてああよりにもよって私だけがどうしてこんな目に悪魔の仕業に違いないわきっとそうだわこんなことなら“ハバナ”にしておけばよかったそうよいいのよハリーがカキにあたったのは彼が卑しかったからよハバナに落ち度はないんだわ今頃になって気づくなんてああ私って何て不幸な女なの(後略)。」
 ワゴンの中で口を利いているのはナナだけだった。別にAチームがしょげ返っているとかそういうことではなく、ただひっきりなしに泣きながら喋り続けるナナのモノローグに口を挟むきっかけが掴めないだけである。
「(前略)私はこれからどうなるのかしらこのまま石を抱かされて海の底いやコンクリ詰めで土の中どっちにしろ私にもう未来はないのねあああああ悲しいわあーんあーん。」
 今度は両手で顔を覆って泣き出した。ナナの左手は手錠でフェイスマンの右手に、ナナの右手はマードックの左手に、それぞれ手錠で繋がれていた。そしてフェイスマンの左手はコングの右手に、マードックの右手はハンニバルの左手に手錠で繋がれており、ハンニバルの右手とコングの左手は……繋がれていなかった。
「あのー、奥さんっ!」
 フェイスマンが叫んだ。ナナはまだ泣き続けている。
「奥さんっ、聞いてよ、ねえ、あのー、奥さんっ!」
「泣きやまねえのかこのアマっ!」
 コングが痺れを切らせて叫んだ。ナナは泣きやまない。
「まだ死ぬと決まったわけじゃないでしょ……。」
 マードックが呟いた。と、ナナの嗚咽がピタリと止まる。
「ほーんと〜?」
 手で顔を覆ったままナナが低い声で言った。
「ああ本当だ。」
 ハンニバルが頷く。
「ほーんと〜?」
 1オクターブ声を上げてナナは言い、ゆっくりと顔を上げた。その泣き腫れた顔に目だけがギラギラと光っている。フェイスマンは思わず寒気を感じた。
「本当さ。」
 ハンニバルが明るい声で言った。
「もちろんさ。」
 とマードック。
「いくらエルバートだって、いきなり俺たちを殺したりするもんか。この先いくらだってチャンスはあるんだから。試しに、ちょっと聞いてみようか?」
 ガンガンと運転席に向かう鉄板を叩くマードック。
「もしもしぃ、おにーさんっ、ちょっと教えてくれないかなあっ。俺たち、一体どこまで連れて行かれるの?」
『コンクリ詰めで土の下まで。』
 “あちゃー”というようなAチームの4人の表情と、一瞬の沈黙の後、ワゴンは再びナナ・バトルの泣き声に包まれた。


 ハンニバルの右手とコングの左手、そしてフェイスマンのネクタイの協力により、ナナ・バトルは今、静かだった。何のことはない、猿轡を噛ませたのだ。
「どうする、ハンニバル。早く戻らないとチャーリーが危険だ。」
「エルバートの奴がチャーリーを捕まえて始末しちまわねえとも限らねえぜ。」
「奴のこったから、もう捕まってオダブツかもしれない。」
「うごががごがが……。」
 これはナナの声。
「とにかく戻ってチャーリーを助けることが先だ。ここから脱出しなけりゃならん。」
「うごがが、ががぎがんぎがげげ……。」
「少し静かにしてくれよ、奥さん。」
 フェイスマンが、もううんざりだ……という風に言った。
「がぎがげげ……。」
「ちょっと待て、彼女何か主張してるぞ。コング、猿轡外してやれ。」
「ああ。」
 コングが猿轡を外した。
「ちょっと待ってよっ、そのチャーリーってのが誰か、あんたたちが何者かも私知らないけど、今日私は死んでも4時までには家に帰らなきゃいけないの。どうしてもよ。そうしないと大変なことになるの。私はあんたたちと何の関係もないのよ、関係のない人間を巻き込んだんですから、とにかく責任を取れとまでは言わないけど、どうしても4時までには家に帰してほしいの。そうするのが役目だと思うのよ、あなたたちの。」
「でもチャーリーが……。」
「チャーリーはどうでもいいの。」
 言いかけたマードックをナナがピシャリとやり込める。
「4時までに帰しなさい、私を。そうしないと警察に訴えてやるわよ、誘拐で……うがが……。」
 再びナナに猿轡。猫に小判。ブタに真珠。障子にメアリー。
 相談するAチーム。15分経過。
「よし、レイディ。そんなに大切な用があるなら、まず君を家まで送ってやろう。」
「そうするしかないみたいね……。」
 フェイスマンが呟いた。とにかくチャーリー救助の際、この女が全身これ足手まといと化すことは間違いないだろう。
“さすれば、まず厄介払いから。”
 4人は、一瞬、同じ思考をしていた。
 午後3時15分。



*6*《Wanna be Superman.》

 チャーリー・ケアマンは、4人の心配をよそに、何とか逃げ延びていた。メイン・ストリートから少し入った小道のゴミ箱の陰にうずくまって、じっと追っ手から身を潜めている。
“どうしてこんなことになったんだろう。僕にはやっぱり弁護士は向いてなかったんじゃないだろうか……。ああ、心臓がドキドキしてる。こんなんじゃ、法廷で被告を弁護して検事とやり合うなんてとてもできないじゃないか……情けない……くすん、やっぱり弁護士辞めよう。辞めて、事務か、コンピュータか、何かもっと安全な仕事に……。”
 チャーリーの考えは、しかしそこで中断された。足音が聞こえてきたのだ。
 カツカツカツ……。
“……だんだん近づいてくる、2人だ。何か話してる……。”
「いたか。」
「いや、いねえ。一体あのヒョロヒョロ弁護士の野郎、どこ行きやがったんだ。ところで、あの4人はどうしたぃ?」
「今頃はコンクリ詰めで土ん中よ。」
「そうかい、じゃあ早えとこ弁護士さん見つけ出して、遅ればせながらと土ん中にお送りしなきゃな……。」
「ああ、そしたら俺たちも晴れて美味え酒が飲めるってもんだ……。」
 チャーリーは、ゴミ箱の陰で息を殺して2人をやり過ごした。
“あの人たちが……死んだ? そんな……そんなことってあるだろうか? 僕を助けてくれたのに……あんなに勇敢に戦ったのに……。”
 涙が込み上げてくる。チャーリーは銀縁眼鏡を外すと、シャツの袖で涙を拭った。
“あんなに勇敢に戦ったのに……死んでしまったなんて……。それに比べてこの僕ときたら……戦いもせずに逃げ出して……こうして生きてるなんて……こんなことがあっていいのだろうか……。みんな僕のことなのに……僕がやらなきゃいけないことなのに……。”
 ぽろぽろと涙を零しながら、チャーリーは考え続けた。
“死ななければならないのに生きてる僕。死んでしまったあの人たち……何も悪いことしてないのに……悪いのは奴らなのに……僕は何のために弁護士になったんだろう……弱い人を助けて、悪人をこらしめるためじゃなかったのか……法を犯す本当に悪い人をやっつけるのが僕の仕事だ……頑張れチャーリー、ケンカしてもいつも最後には相手に謝らせてたじゃないか……あの人たちの仇を取るんだ! ……でも、でも、ちょっと恐いけど……僕はスーパーマンに……いや、スーパー弁護士になるんだ! そうしなきゃいけないんだ!”
 チャーリーは涙を拭いて立ち上がり、最後の勇気を奮い立たせるようにゴミ箱のフタを2つ、がしっと両手に持つと、ゆっくりと歩き始めた。スーパーマンのBGMを口ずさみながら、彼を待つ“悪”に向かって……!
 午後3時5分。



*7*《Run run run away with handcuffs.》

「逃げるとなりゃ話が早い。」
 と、ハンニバル。
「何? もう作戦考えてるの?」
 フェイスマンが聞く。
「ここにほれ。」
 と、ハンニバルがポケットから小さな機械を取り出した。
「小型爆弾が1つある。」
「けどよハンニバル、その大きさじゃ、とてもじゃねえけどこの鉄の扉ぶっ壊すなんてできねえぜ。」
 コングが不満気に言った。
「扉全部壊す必要なーし。そんなことすればこっちまでコナゴナだ。鍵だけ壊せばいいの。」
「なーる、さっすがハンニバル、冴えてるぅ。」
 と、マードック。
「けど扉が開いたからって、このスピードだよ。飛び降りるなんてとてもじゃないけど……。」
「フェイスの言うとーり。」
 と、これまたマードック。
「どーすんだよ、ハンニバル。」
 ハンニバルはニヤリと笑って、ゆっくりと葉巻を取り出し、火を点けた。
「ががごご……。」
 ナナ・バトルが何か言いたげである。
「何か言ってるよ、外す?」
「どうせ嫌煙権を主張してるんだろ、放っておけ。何だっけ……そうそう、だから車を停めればいいわけ。」
「どうするんでい。」
 コングはまだ不満そうだ。
「こうするの。」
 ガンガンガン。鉄の壁を叩いて運転席を呼ぶ。
『うるせえなっ、何だっ?!』
「あのー、後ろのですねー、扉が開いちゃいましてねえ、落ちそうなんで……やっぱ落っことしたらあの爺さんに怒鳴られるんじゃない? 逃がしたのか、とか言って……。」
『何? ちょっと待ってろ。』
 キキィッ。急ブレーキで車が停まった。ハンニバルがニヤリと笑う。
「コーング、爆・破。」
「よし。」
 パン、という小さな音と共に、鍵が壊れた。運転席から2人が降りてくる音がした。
「おい、どこも開いてねえじゃねえか……。」
「1、2、3、それっ!」
「わあっ!」
 ばんっとドアを蹴破って、5人は一斉に外に飛び降りた。開くドアにぶつかって倒れている2人の部下を思い切り足蹴にしてから、運転席へと急ぐ。が、何しろ5人1列に繋がっているので、なかなか乗るのが大変だ。フェイスマンを運転席に座らせ、ナナとマードックが助手席、ハンニバルとコングが半身を車からはみ出させたままの格好で、車は発進した。
「君の家は、どっちだい?」
 猿轡を外してやりながらハンニバルが尋ねた。
「あっちよ。車は私の家の方に走ってたんだもの。1時間以上も走ってるから、かなり行き過ぎてるはずよ。」
「飛ばしてたからな。よし、フェイス、Uターンだ。」
「OK。」
 Uターンすると、車は今来た道を全速力で戻り始めた。
 午後3時31分。



*8*《He has superhuman strength at....》

「何だてめえ、のこのこと帰ってきやがって……。げっ。」
 スキンヘッドの大男がドサリと倒れた。チャーリー・ケアマンのゴミ箱のフタで殴り倒されたのである。
 エルバート老の事務所の入口での出来事。チャーリーの目は今や炎と化していた。炎の弁護士、チャーリー。
「貴様ぁ、つけ上がりやがって!」
 頬に傷のある男がナイフを取り出し、チャーリーに向かってきた。しかし、ナイフは盾代わりのゴミ箱のフタで歯が立たない。
「どきなさい、ザコに用はないのです……。」
 チャーリーの頭には、最早“正義”以外のどの言葉も響き渡ってはいなかった。
「この野郎っ。」
 束になってかかってくる男たちを、チャーリーはゴミ箱のフタ2つでバッタバッタとなぎ倒し、ずんずんと奥の間へと進んでいった。
「ガドフリー・エルバート、観念しなさいっ!」
 チャーリーはエルバート老の部屋に駆け入った。
「エルバートっ、君の悪事はもう暴露されてい……ありゃ?」
 エルバート老人は、机の上に突っ伏していた。恐る恐る近づいて首に触る。……脈が弱い。
「おいっ、救急車だっ!」
 チャーリーは叫んだ。


 エルバート老人は心筋梗塞で倒れたのだったが、病院で何とか一命を取り留めた。どさくさでチャーリーは、書類を取り返すことができた。めでたい。
 午後3時53分。



*9*《What will happen at 4:00 p.m.?》

 車はひた走っていた。5人の男女が横1列に並んで運転席に座っているというのは、傍から見ると奇妙な光景に違いない。が、今はそんなことに構っている暇はない。とにかく午後4時までにナナ・バトル宅に着かないと、大変なことが起きるのだ!
「何してるのっ、もっと飛ばしてよ……ああもう3時54分だわ、間に合わないじゃないっ!」
 ナナが助手席で叫ぶ。
「わかってるから、そんなに右手を引っ張らないでくれよ。ハンドルが操作できないじゃないか……。」
 フェイスマンが呟く。
「あーっ!」
 ナナが大声を上げた。
「どうしたっ?」
「見えてきたわ、あれよあれっ!」
「どれっ?」
「あの青い屋根の家……。」
「あれかっ、よーし!」
 フェイスマンがアクセルを力一杯踏み込んだ。


「着いたぞっ!」
 5人はぞろぞろと横歩きで車から降りた。
「あと2分しかない、早く来てっ!」
 ナナに引きずられるままに玄関を入り、居間を通り抜け……ベランダに出た。
「取ってっ!」
「は?」
「洗濯物! 早く、早く採り込んでよっ!」
「あ? ああ。」
 手の空いているハンニバルとコングが、あたふたと数えきれないほどはためく洗濯物を取り込んでいく。手一杯に洗濯物を抱え――フェイスマンはブラジャーを一つ口に銜えて――家の中に入り、庭のガラス戸をピシャリと閉めたその途端に――雨が降り出し、瞬く間にそれは豪雨に変わった。
「よかったあー、やっぱり降った。」
 ナナが心の底から安心したように言った。
「何? もしかして、洗濯物を取り込むために急いで帰らせたのォ?」
 フェイスマンが素っ頓狂な声を上げた。
「そうよ。4時以降の降水確率100パーセント、さっき電話で予報確かめたんだから、間違いないわ。でもよかったー、洗濯物濡れなくて。ありがとね、みんな。1週間分洗い直さずに済んだわ。」
 ……4人は、もう、言葉も出なかった。彼女は、腹の底から“主婦”なのだ。家庭のためなら人命さえも犠牲にしかねないナナ・バトルこそ、アメリカン・グレート・マザーとも言うべき人だったのだ!
「チャーリー……。」
 と、マードックがぽつんと呟いた。
「生きてるかなあ……。」
 午後4時3分。



*10*《At the last....》

 5人がシティに戻った時(まだ手錠は外れていない)、チャーリー・ケアマンはシティのヒーローと化していた。あのガドフリー・エルバートとその一味を1人で退治したという噂が一瞬のうちに広がったのだ。
 エルバートの事務所へ行き、手錠を外し、バスで帰っていくナナを見送ってから、4人は溜息をついた。嬉しいような、何かバカバカしいような、Aチームの4人にとっては珍しい、そんな1日であった。
 午後5時0分。
【おしまい】
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