英雄緑色
ふるかわ しま
*1*

 見渡す限りのワニだった。当たり前だ、ここはワニ園なのだから。レヴィはこのワニ園――ワニ研究所附属ワニ園――の園長の一人息子で、B.A.バラカスの友人だった。そして今朝、彼は息を切らせて友人を捜していた。
「コーング!」
 手摺から身を乗り出して、彼は叫んだ。コングは今、眼下のワニ園でワニにエサをやっているはずだ。
 白い朝靄の中、ワニたちが眠たそうに目を開けた。
「コーング!」
 静かなワニ園に少年の声が響く。
「何でーい!」
 返事があった。姿は見えない。
「コーング! どこにいるんだよーお!」
「ここでーい!」
 声のした方に目をやると……いた。ワニの中で、ゆっくりと立ち上がる。その姿は、きらきらしく朝日の中で映えていた。
「コーング、大変なんだ! 早く来て!」
「今行くぜ!」
 レヴィは、ほっと溜息をついた。


 しばらくして、コングが研究所の休憩室へと戻ってきた。
「コング! 大変なんだよ。」
「どうした坊主、またワニ泥棒か?」
 コングはからかうような調子で言った。このワニ園では、よくワニ皮目当てのワニ泥棒が現れるのだ。ただ、うんとこさワニがいるのと、狙われる“品物”自体が強力な防犯装置であることにより、毎度被害は大したことはない。ただ時折、人間の“指”や中身の詰まった“靴”が転がっている場合があり、研究所では処理に困っていたのだが。
“ワニは獰猛な生物だよ。でも、愛情を持って接する者に、決して悪さはしないはずさ。”
 というレヴィの父親――研究所長のクラックの言葉の“はず”を聞き落としたコングは、毎朝、短パンとTシャツとネックレスと指輪と……という軽装で、ワニにエサをやるバイトをしていた。
「そうなんだよ。でも……でも……。」
 レヴィ少年はしゃくり上げて言った。
「盗まれたのは、ラコスティなんだ……。」
「何だって?」



*2*

「おい、フェイス。」
「んっ?」
 呼ばれて振り返ると、どでかい緑色のカメが直立していた。テンプルトン・ペックは一瞬言葉を失った。そのカメは身長2メートル。大きな甲羅、太い手足……そして鋭い牙の間から、白い煙を吐いていた。……煙?
「……ハンニバル……?」
「やっとわかったか。」
 カメが口をあーんぐりと開けた。カメの中には、葉巻を銜えたジョン・スミスの顔があった。
「どうだい、強そうだろ。フライング・タートルと言ってな、正月映画の主役なんだ。」
「飛ぶの?」
「飛ぶぞ。俺も決死の覚悟だ。」
「じゃ、飛ぶ前にちょっと時間くれる? 仕事なんだ。」
「仕事?」
「そうさ。何のために、俺がこんな三流映画のスタジオまで来たと思ってんの。」
「フライング・タートルの勇姿を一目見に、だろ?」
「急いでよ。コングたちが待ってるんだ。」
「このままでいいか?」
「……ダメ。着替えて。」



*3*

「♪ワ〜ニ〜はー恐いーな、獰猛ォだあ〜、エ〜サ〜も食べるーしー、人もー喰ーう〜♪」
「いい加減にしねえと、ぶっ飛ばすぞ。」
 全長40センチほどの子ワニ5匹と戯れているマードックを、B.A.バラカスが怒鳴りつけた。
「レヴィ、泣いてないで最初っから話してごらん? つまりその、ラコスティってのは、ワニ、なんだろ?」
 ハンニバルが優しく問う。
「うん……ひっく、ラコスティはまだ子供なんだ……ひっく、そのラコスティを盗むなんて……。ねえコング! ラコスティを取り返してよ! 早くしないと鞄にされちゃうよー。」
「落ち着くんだレヴィ。盗まれたのはラコスティだけかい?」
「ううん、他の子ワニも何匹か一緒だよ。」
「ワニ泥棒ってのは、子ワニも盗むのか?」
 と、コング。
「あまり小さいワニは皮として価値はないが、ラコスティくらいの大きさなら皮が柔らかいので、かえって珍重されているみたいだ。」
 と、これはレヴィの父親、ワニ研究所所長兼生物学者のクラック博士。
「それに成長したワニと違って、無抵抗なので盗みやすいんだろう。いずれにせよ、可愛いワニたちを鞄にするなんて、もっての外だ。」
「博士、このワニ園にはラコスティくらいの子ワニがまだいますか?」
 フェイスマンが尋ねた。
「ええ、あと50頭ほど。子ワニ用の柵に入れてあります。」
「コング、フェイス、モンキー。」
 と、ハンニバルが言う。
「今夜から、みんなで子ワニの番だ。」



*4*

 子ワニのラコスティは、彼の仲間たちと共に小さな檻の中に入れられていた。薄暗い部屋だった。ラコスティを捕えた男たちは、彼と彼の仲間たちに、水と鶏肉の塊(つまり羽を毟ったニワトリ)を与えた。彼らは素直にそれを食べ、長い1日を過ごしていた。ラコスティは、自分がラコスティだと認識する頭は持ち合わせていなかったけれども、食事の内容と、それを与えてくれる人が普段と違うことくらいは理解していた。だからと言って、そのことに対して何の感情も持ちはしなかったが。
 薄暗い部屋に明かりが灯った。男たちが入ってきたのだ。男は3人、みんな黒い服を着ている。
「メーカーの方と話はついたのか?」
「ええ。でも、出所のわからない皮なんで、安く買い叩かれそうです。」
「ちゃんと、アフリカ産養殖ワニ皮のシールは貼ったんだろうな?」
「貼りましたけど、アフリカに養殖ワニはねえそうで。」
「……方針を改める必要があるな。ま、いい。さあ、今夜も仕事だ。あの研究所には、皮の美しい若いワニがまだ沢山いたからな。」



*5*

 ワニ、ワニ、ワニ、の間にコング。ワニ、ワニ、ワニ、の間に……マードック。ワニ、ワニ、ワニ――そしてカメ。
「ねえ、ハンニバル!」
 フェイスマンが手摺から乗り出して叫んだ。カメがこっちを向いた。
「目立つよ、その真緑のカメ。」
「フライング・タートルと言ってくれ。」
「それ脱いだ方がいいんじゃない? 身動きも不自由そうだしさ。」
「……放っといてくれ。これで敵の目を欺こうなんて、考えちゃいないよ。単に趣味だ。」
「ふう。」
 と、フェイスマンは溜息をついた。只今、午前2時。もう5時間も、3人はワニの柵の中、フェイスマンとレヴィ、そしてクラック博士は夜回りを続けている。
「疲れたなあ、もう……。」
 と、レヴィ。
「今夜は、奴ら、現れないかもしれないな。」
 クラック博士も言った。
「じゃあ、今夜はこのくらいにしようか。」
 ということで、みんなは研究所へと戻ることにした。


「どぎゃあああああっ!」
 闇をつん裂く男の悲鳴。
「ワニ園からだ!」
 フライング・タートルのままの姿で休憩室のソファに腰を下ろしたばかりのハンニバルが立ち上がった。コング、マードック、フェイスマンも立ち上がり、4人は部屋を飛び出していった。
「コングゥ! 頑張って!」
 4人の背中に向かって、レヴィが叫んだ。


 ワニ園は闇に包まれており、無数のワニの目だけがホタルのように光っていた。バシャバシャとワニの暴れる音がする。
「ワニ泥棒か!」
「もう喰われてるかもね。」
 コングが叫び、マードックが言った。
 4人は、音のする方へと急いだ。ワニの他に、確かに人影がある。
「た、助けてくれー!」
 人影がそう叫んだ。
「男だ!」
 4人は駆け寄った。と、そこには、左足をすっぽりとワニの口中に納めて、男が1人転がっていた。
「こいつ、さっきから甘噛みしたまま放さねえんだ! 助けてくれ!」
 見ると、確かにワニは歯を立てていない。と言うより、立てるべき歯が損失しているのだ。
「てめえ、運がよかったな、メリー婆さんに噛まれるなんて。」
「メリー婆さん?」
 マードックがコングに問う。
「おうよ、このワニはメリーと言ってな、ここのワニ園の長老よ! 執念深さじゃこのワニ園一だが、年のせいで決め手に欠けるんだ。」
「何でもいいから助けてくれ。」
「答えたら助けてやる。」
 と、ハンニバル。
「お前はワニ泥棒だな?」
「違う。」
「他のワニに喰われたいか?」
「そうだ。俺がワニ泥棒だ。」
「お前1人か?」
「違う。あと2人、仲間がいる。」
「よし、お前たちのアジトへ案内しろ。」
「わ、わかった。わかったから、俺の足を出してくれ。」
「よし、コング、出してやれ。」
「それがなあ、ハンニバル。」
 と、コングは溜息をついた。
「メリー婆さんは一度喰いついたら、雷が鳴るまで離れねえんだ。」



*6*

 お馴染みの紺のバンが、ワニ泥棒のアジトへと向かっていた。フライング・タートルを脱いだハンニバル、フェイスマン、レヴィ、後ろの席にはコングとマードック、そしてワニ泥棒とメリー婆さんが乗っている。
「着いたぞ! あそこだ。」
 場所は、町外れの小さな倉庫である。
「よし、降りろ。」
「命令なら、メリー婆さんにしてくれ。」
「……メリー婆さん、降りますよ。」
 メリー婆さんは男を銜えたまま、のっそりと車から降りた。
「コング! 僕も行きたい。」
「レヴィ、ここから先は危険だ。きっとラコスティを取り戻してくるから、君は車で待ってて。」
 フェイスマンが優しく言う。
「嫌だよう、僕も行く。」
「だだをこねるんじゃねえ、坊主。ここでモンキーと待っててくれ。」
「何? 俺様も置いてけぼりィ?」
 マードックが口を尖らせる。
「おめえは生き物が絡むと理性が吹っ飛ぶからな。ま、元々あってもねえような理性だが。」
「行くぞ、コング。」
 ハンニバル、フェイスマン、コングの3人は、銃を手に、ワニ泥棒とメリー婆さんを引きずりつつ、倉庫のドアに向かった。


 ばこーん!
 ドアを蹴り開けるコング。
「何だ、てめえら!」
 2人の男が叫んだ。
「アレックス! 何だその格好は!」
 2人のうち、黒髪のごっつい男が叫んだ。
「兄貴ィ、ワニに喰われた。」
「おとなしくしてもらおう。」
 ハンニバルが楽しげな口調で言った。
「別にあんたたちに害を加えるつもりはない。ただ、クラック博士のワニ園から盗んだワニたちを返してもらおうと思ってね。」
「何ィ?」
 と、鳶色の髪(だが薄い)の年長らしい男が、不敵に言い放った。
「てめえら、ここで銃なんてぶっ放せるのかい、え?」
「何だって?」
「俺たちが背にしているものが何か、見えねえのか?」
 ハンニバルたちは、ふっと彼らの背後に目をやった。――そこには子ワニの沢山入った檻が、でーんと置かれていた。一瞬、3人の顔が曇る。
「ここでぶっ放して、もし俺たちがよけたとしたら、死ぬのは可愛い子ワニちゃんたちだぜ。」
 ひるむハンニバル。焦るフェイスマン。困るコング。
「さあ、銃をこっちへ渡してもらおうか。」
 銃を渡した3人は、あっさり捕えられてしまった。
 ピカッ!
 空が光った。稲妻である。
 ゴロゴロゴロ……。
 雷が鳴り始めた。その途端、メリー婆さんはぱっくりと大きく口を開け――ワニ泥棒アレックスの足は、再び彼のものとなった。
 さあ、Aチーム、ピーンチ!



*7*

「遅いなあ、コングたち……。」
 雨が降り始めていた。レヴィ少年は、先程から閉じられたままの倉庫の扉を見つめながら呟いた。窓の中は、暗くてよく見えない。
「ねえモンキー、遅いと思わないかい? ねえモン……何してるのっ、こんな時に!」
「こんな時こそ、リラックスしなくっちゃ。」
 フライング・タートルがマードックの声で言った。
「あっ見て、ドアが開いたよ。誰か出てくるんじゃないかい?」
「何?」
 倉庫のドアが、微かに開いた。そして――出てきたのは、メリー婆さんだった。
「メリー婆さんが出てきたってことは、あの男が自由の身になったってことで……でも、みんなが出てこないってことは……レヴィ……。」
「モンキー……。」
「……ヤバイかもしれない……。」
 2人は顔を見合わせた。
「どうしよう、モンキー?」
「大丈夫、俺様に任せて。」
「何かいい案があるの?」
「あるさ。」
「どんなの?」
「だって、このフライング・タートルは無敵だぜ。」



*8*

 ハンニバル、フェイスマン、コングの3人は、子ワニの檻の横に括りつけられていた。
「コング、どれがラコスティだかわかるか?」
「いんや、ちっともわからねえ。」
 男たちは、そんな3人を横目で見て笑っている。
「おい、お前たち。」
 と、ハンニバル。
「一体、こんなに沢山の子ワニを、どうするつもりなんだ?」
「売るのさ。このサイズのワニからは、いいハンドバッグができるんだ。それにしても、お前たちはヘマをやったもんだな。ワニなんかのために命を失うハメになるとは。」
 3人のワニ泥棒は、手に手に拳銃を持っている。
「どうかな、まだ勝負は決まったわけじゃない。」
「てめえ、そんな口を利いていられるのも今のうちだけだぞ。」
「なんのなんの。」


「ジョージ!」
 アレックスが叫んだ。
「何だ?」
「窓の外を見ろ! カメが……飛んでる!」
「何だとぉっ?!」
 全員が一斉に窓の外を見た。確かに飛んでいる。どでかい真緑色のカメが、表を悠々と飛び回っている。
「おお、愛しのフライング・タートル!」
 ハンニバルが言った。
「あのバカ……。」
 コングが忌ま忌ましそうに言う。
「なかなかイカした趣向だね。」
 と、フェイスマン。
 フライング・タートルがこちらを向いた。一瞬、目が合う。そして全速力でこちらに向かってくる!
 ガッシャーン!
 窓を突き抜けたフライング・タートルは、そのままワニ泥棒3人の真上に落ちた。その時、視覚に気を取られて聴覚を疎かにしていた各々の耳に、バラバラバラというヘリコプターの音が聞こえてきた。
 失神しているワニ泥棒たちの上で、フライング・タートルはあくまで無表情だった。そして、その無表情な頭が前方にポロリと抜け……出てきたのはレヴィ少年だった。
「ラコスティ!」
 フライング・タートルから這い出すや否や、レヴィは叫んだ。“クーウ”という小さいレスポンスがワニの檻から返ってきた。レヴィ少年は檻に駆け寄るとフタを開け、全く同じに見える子ワニたちの中から、即座に可愛い“ラコスティ”を見つけ出したのであった。



*9*

「しかし坊主、おめえよくラコスティを見分けられるな。」
 と、コング。めでたく帰還した、研究所の休憩室である。
「俺様だって見分けられるぜ。こいつがラコスティだろ、で、そいつがジェイク、ヘドバとダビデ。」
「おい、名前のついてるワニはラコスティだけじゃなかったのか?」
「そう、さっきまではね。あと全部、俺がつけてやった。」
 マードックは得意気である。
「それでね、名前をつけてくれたお礼にね、モンキーに1匹あげるって約束したんだ。」
「そ。もうどれにするか決めてあるんだぜ。」
「メリー婆さんか?」
「違ーう、この子。」
 と言って、マードックは1匹の子ワニを抱き上げた。
「で、名前は?」
 ハンニバルが聞いた。
「フライング・クロコ。」
 マードックは、自慢げに答えた。
【おしまい】
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