MY A-FAIR LADY
伊達 梶乃
*1*

 ドラッグストアのドアが開き、ドアベルがカランと鳴って来客を告げた。コングは真っ直ぐ菓子の棚の方へ行き、両手に抱えきれないほどのキャンディやチョコレートを持って、キャッシャーの方へと戻った。
「いらっしゃいませ。」
 黒人の女子店員がお定まりの文句を言った後、菓子の山とコングを交互に見ながら、がしゃがしゃと音を立てる古いレジスターを打った。
「ちょうど50ドルです。」
 コングは店員に10ドル札5枚を渡して、彼女が菓子を袋に詰めるのを黙って見ていた。すると、店員が尋ねた。
「育児センターの買い出し係か何か?」
 コングは首を横に振った。
「それじゃ無類のお菓子好きで、これ全部1人で平らげちゃうとか?」
「いいや。」
「じゃ、パーティーでもあるの?」
「ねえよ。」
「……それなら、こんなに沢山の50ドルものお菓子をどうするの? まさか、お金持ちのちょっとした気まぐれじゃないでしょうね?」
「俺は金持ちじゃねえ。」
「としたら、この小高い山の説明はどうなさるおつもり?」
「あんたの知ったことじゃねえ。」
 と言ったコングも、店員のムッとした顔を見て続けた。
「けど教えてまずいってことはねえからな……ガキどもにやるんだ。」
「あら、ご兄弟が多いの? それとも息子さん?」
 その台詞にコングが笑う。
「息子なわきゃねえだろ、そこまで俺が年寄りに見えんのか? ただの遊び友達だ。あいつら、両親の稼ぎが悪くて、万引した菓子しか食ったことがねえってんだ。」
 彼女はくすくすと笑った。今度はコングの方がムッとする。
「……笑ってごめんなさい。見かけによらず優しいのね、と思って。」
「人を外見で判断しちゃいけねえぜ。ところでよ……こんなに喋ってて、仕事の方はいいのか?」
「あなたのお荷物は袋にまとめました。店長は奥でデスクワーク。あとの店員はみんな私と同じパートタイマーだけど、ちゃんとやってるわ。私だって最低限の職務は果たしているつもりよ。」
「せいぜいクビになんねえようにな。そんじゃ……。」
「また会えるかしら?」
「さあな。ここに住んでるわけじゃねえしよ。休暇でロスから来たんだ。」
「ロスの人なの。行ってみたいわ、いい街なんですってね。」
「ああ、いい街だ。ちっとばかし治安が悪ィが。」
 ドアのところまで来た時、彼女が言った。
「私、アネッサ・モリヤマ。」
「変な名前だ。」
「仕方ないでしょ、日系なんだから。……で、あなたの名前は?」
「B.A.バラカス。」
「すごく変な名前ね。」
 片方の口の端をやや上げながらコングがドアの向こうに消え、ドラッグストアの中にはカランという音だけが残った。



*2*

「大佐、コングの様子、おかしいと思わないかい?」
 路地裏に停めたバンに寄りかかってマードックが言った。
「2、3日前、そう、ちょうどこっち(オークランド)に来てから妙に無口で、何か考え事してるみたいで、とにかくおかしいんだよ。普段から無口な男がますます無口、死んだ貝みたいに口を閉ざしてさあ。」
「いつものことじゃない。」
 フェイスマンは平然としている。
「だってよ、俺が何を言っても、ちょっかい出しても、黙ったままだぜ。気味悪いくらい、静かなんよ。」
「しかし、そこまで口を利かないとなると、コングの考え事も重症だな。よし、力になってやろう。」
 ハンニバルは“この先、面白くなりそうだ”という風に言った。


「なあ、コング。」
 ハンニバルが運転席のコングに話しかける。
「最近お前どうしたんだ、元気がないぞ。何か心配事でもあるのか?」
 口調は心配そうでも、ハンニバルの顔は笑っている。しかし、溜息1つついて、ドラッグストアの紙袋を愛しそうに撫で始めたコングを見て、ハンニバルはその場を離れざるを得なかった。コングの指定席とも言えるその運転席の周りは、キャンディ等の包みで一杯だった。


「恋煩いだ。」
 ハンニバルがきっぱりと言う。
「恋煩い?」
 素っ頓狂な声を上げたマードックとフェイスマン。
「そう、間違いなく、恋煩い。」
 葉巻の煙を吐きながら、ニヤッと笑う。
「相手は? コングの想っている女性ってのは誰?」
 腹を抱えて笑うマードックを押し退けて、フェイスマンが聞く。
「いい質問だ。」
 ウンウンと頷くハンニバル。
「コングの片想いの女性ってのは……。」
 もったいぶって、フェイスマンに耳打ちする。
「まだわからん。」



*3*

 休暇としてやって来たオークランドで“コングの想い人捜査”が始まった。何てことはない、交代でコングの尾行をするのだ。
 朝、安ホテルで目覚め、外で朝食を摂るまでは同室のハンニバルが、その後、昼食まではマードックが尾行、夜食まではフェイスマンが尾行、そしてそれ以降は再びハンニバル、と一日の計画を立てた。
 コングの日課として、午後3時から6時は子供たちと遊んでいる。朝食は9時、昼食は1時、夜食は8時。遊びの時間を考えに入れなければ、マードックとフェイスマンの尾行時間は同じ。ハンニバルは、ただ何気なく一緒にいればいい。簡単で面白い仕事だ。3人ともワクワクして自分の時間を待った。
 問題の時がやって来た。午後2時30分、フェイスマンが尾行をしていた時だ。朝から子供としか会っていなかったコングが、ドラッグストアに入った。フェイスマンはガラス窓から中を窺う。
 コングは笑いながら女店員と喋っている。それも妙齢の美人だ。フェイスマンは唇を噛んだ。
“あんな美人となら、俺でも恋煩いになっちゃうぜ。”
 10分後、紙袋を抱えてコングは空地に向かった。フェイスマンは残る2人に急いで連絡を取り、さらに5分後、3人は店の前に揃った。
「彼女か、コングの想い人ってのは。」
 ハンニバルが指差す。
「この道のエキスパートの俺が言うんだから間違いなしよ。絶対、彼女。」
「へー、コングちゃんもいい趣味してんの。」
「うん、そう言えば、この店の紙袋を抱き締めて頬擦りしてたな。」
「で、ハンニバル。彼女どうするの?」
「コングとくっつけるに決まってるじゃないの。」
 再びマードックは笑い転げていた。数秒後にはフェイスマンも加わって笑い転げ、さらに数秒後には笑いの連鎖反応でハンニバルも笑い転げていた。ドラッグストアの前で、大の男3人が座り込んで爆笑。



*4*

 翌日、ヨボヨボの老人に変装したハンニバルが、例のドラッグストアの前で倒れた。
 時刻は午後2時30分、昨日コングが現れた時間だ。几帳面なコングのこと、毎日同じ時間に店に行く、と彼らは読んだ。
 まさにその通り、ちょうどいいタイミングでコングがやって来た。
“よーし、根の優しいコングは俺を介抱するため店の中に入れる。そしたら彼女に向かって、近頃珍しい優しいお人じゃ、とか何とか言う。彼女はコングに惚れ込んで、めでたしめでたし、ってな作戦開始。”
 ハンニバルは苦しそうな息をし、胸を押さえた。口をパクパクとさせ、足を痙攣させる。好都合なことに、道にはコングの姿しかない。
 コングが近づいてきて、変装したハンニバルの顔を覗き込む。そして、眉を顰めた。
“引っかかったな。”
 とハンニバルは心の中で微笑んだ。
「た……助けて下さい……。」
 最後の一押しの台詞を言う。まるで喉から絞り出したような声で。
 ――コングは表情を変えずに言った。
「ハンニバル、パフォーマンスはもっと人のいる所でやんな。」
 そしてコングは、ハンニバルを跨いで店の中に入っていった。


 そのまた翌日、フェイスマンが午後2時30分少し前にドラッグストアに入っていった。この店は、アメリカの片田舎によくある店そのもので、ちょっとしたものを飲めるようにカウンターがついている。
 フェイスマンは、古くて危なっかしいスツールに腰をかけた。彼女に飛び切りの笑顔を作って微笑みかける。
「やあ、暑いね。アイスコーヒーをくれないかい?」
“愛の炎は障害があればさらに燃え上がる。俺がその障害となれば、コングだってぐずぐずしちゃいられないだろ。”
「はい、アイスコーヒーですね。」
 そう言って彼女は、深く煎ったコーヒー豆を細かく挽き、ドラッグストアには不釣合いなサイフォンでいい香りのコーヒーを淹れ、アイスピックで大まかに割った氷を詰めたグラスにそれを注いだ。鮮やかな手さばきだった。
「お待ち遠さま。ガムシロップとクリームは?」
「いや、ブラックで。……いつもこうやってコーヒーを淹れるの?」
「ええ。何かお気に障ることでも?」
「とんでもない。喫茶店も顔負けだね。」
「私の趣味なの。美味しいものが好きだから。パイも焼くのよ、美味しいって評判なの。」
「へえ、僕も食べてみたいな。」
 彼女はカウンターの裏から、ケースに入ったパイを出した。
「当店自慢のパイ。今日はピーチパイ。コーヒーとセットで5ドル。」
「そう言われると、食べるしかないな。」
 ポケットから5ドル取り出し、彼女に渡す。
「全く商売上手だね。僕はてっきり……その、個人的にパイを食べさせてくれるのかと……。」
「個人的に? いいわよ。でも気をつけてね、私のパイを個人的に食べたいっていうライバルが大勢いるから。私は1日にパイを1つしか焼けないから、6人から8人までしか受けつけられないし……それより多いと、切る時にパイが崩れちゃうもの。」
 他の来客のためにキャッシャーの方へ移る彼女の姿を目で追いながら、フェイスマンは彼女特製のピーチパイを一口食べた。中に入っている桃は、そのままコンポートとして食べてもいいほど、洋酒が効いている。大人向けのパイだ。
“コーヒーもパイも美味いなあ。……コングにゃもったいない。”
 パイを食べ終わってしまってもコングは来なかった。仕方なく、フェイスマンは店を出た。



*5*

 その夜、マードックとフェイスマンの部屋で談義が行われた。
「何で今日は午後2時30分にコングが来なかったんだよ?」
 フェイスマンが少しばかり立腹して言った。
「コングだって人間だ。時間通りに必ず来るとは限らない。」
 ハンニバルが元気なく呟いた。変装が簡単にバレてしまったのがショックだったのだろう。
「ひょっとしてよ、コングは子供たちと遊ぶ直前にあの店にキャンディを買いに行くんじゃないか? だったら学校の終わる時間を考えてみなよ。今日は土曜日、午前中で終わるんじゃない?」
「なるほど。フェイスが行く前に、既にコングは来ていた、と。」
「じゃあ俺は何のために行ったんだよ。パイを食べに行ったんじゃないんだぜ。」
「パイあるの、あの店?」
 マードックが尋ねる。
「日替わりパイが1日に6切れから8切れだけ。今日はピーチパイ。」
「味の方は?」
「……最高。」
 それを聞いて、マードックは満足そうに言った。
「ふふん、明日食べに行っちゃお。」
「おいおい、明日食べに行くなんて呑気なこと言うなよ。明日、誰の番かわかってんだろうね。」
「俺、でしょ。忘れちゃいないってば。このマードック様に任しといて。」
「そんじゃ、お願いするよ。おやすみ。」
 早々にハンニバルがベッドに潜り込む。
「そう、君こそ我らが頼り。おやすみ。」
 フェイスマンも腹立ちまぎれに眠ってしまった。
「おやすみ。……って、ここは俺とフェイスの部屋だぜ、ハンニバル。俺にコングの隣で寝ろっての? 俺はよくってもコングが許しちゃくんねえよ。明日の計画がパーになってもいいのかよ。トマトみたいに潰れた俺の死体が窓の外の道路に落ちてもいいってんだな。そんなことするとリンチとデッカーを呼ぶぜ。俺は病院に帰っちまうぞーっ!」
 寝入ってしまった2人に怒鳴っても無駄なこと。
「仕様がないなあ。フェイスの方が少しは細いかな。」
 マードックは帽子をテレビの室内アンテナにかけると、電気を消して、フェイスマンの眠るベッドに入った。
 数十分後、フェイスマンがベッドからずり落ち、ハンニバルのベッドへと退避。マードックは狭いベッドで大の字になって眠っていた。



*6*

 日曜日。ドラッグストアも日曜は休みだ。子供たちを束縛する学校も休み。コングと彼女がどういう行動を取るか、全く予想もつかない。しかし、今日の担当はマードック。うまくやれるかもしれない。
 コングが黙って外出したことを、夜の間に自分の部屋に戻ったハンニバルから聞かされたマードックは、自信に満ち溢れた顔をして、その上Vサインまで残してホテルを出ていった。
 マードックの計画はこうだった――簡単なこと、彼女に直接伝えればいい。しかし一体彼女はどこにいるのだろうか? 彼は考えた。ドラッグストアの店長に聞けばいい――でも店長はどこに? 彼は店の前に立った。ドアに鍵がかかり、ブラインドが下りて、『CLOSED』の札がかかっている。店の看板を読む――『ドラッグストア』。視線を横に走らせ、端の小さな字を読む。責任者の名前が書いてある――『H.トマソン』。その名前を頭に叩き込み、電話ボックスに飛び込む。電話帳から、先刻頭に入れた名前を探す。
「えーっと、トマソン・H、トマソン……。」
 その中からオークランドに住む者を探す。幸いなことに1人しかいない。
「ラッキー。」
 マードックは公衆電話の受話器を取った。片田舎のドラッグストアの責任者は、大概店の裏か、その近辺に住んでいるものだ、と彼の頭は言っている。電話が通じた。回線の向こう側は、ベルの音で起こされたらしく不機嫌である。マードックは早口でまくし立てた。
「ドラッグストアの責任者の方ですね? 私、オークランドの保健局の者ですが、そちらのパイが原因で食中毒が起きました。詳しいことは、いまだに不明です。調査を行いたいと思いますので、パイを作られた方の住所と氏名を、済みませんが……。」
「何だって、うちのパイで食中毒か? 本当にうちのなんだろうな?」
「その点は間違いありません。病院に隔離された中毒患者全員が口を揃えて、昨日そちらのドラッグストアでピーチパイを食べた、と。」
「わかりましたよ。でも保健局の方……。」
「何でしょう?」
「従業員の住所を公表するのは、個人の秘密に関することなんでね。」
「今となっては個人の秘密も何もありません。パイを作った方が保菌者でしたら、早急にその方も隔離しなくてはならないんです。」
「しかし……。」
「これ以上、食中毒患者が出てもいいって言うんですか?」
「いや、そんな……。」
「それでは、お願いします。」
 マードックはポケットからメモ用紙を出して、住所を書き留めた。
「1人だけですか?」
「そ、そうです。彼女が作って売っているんですから。」
「どうも済みません、お手数をかけました。そうそう、あなたも保健局に出頭してもらうかもしれませんから、今日は外出しないように。」
「はい。あの、営業停止にはならないんでしょうか?」
「営業停止は免れそうです。ご安心下さい。」
 彼はそそくさと電話を切った。フェイスマンのフォローなしで、あまり長い間嘘をつき通すのには自信がなかった。
 メモを見る。彼女、アネッサ・モリヤマの住居は、この近くのアパートだと記されていた。



*7*

 彼女の家に向かう前に電話をしてみることにした。もし彼女が家にいないのなら、行くだけ時間の損になる。再び、電話帳を手に取った。モリヤマという日系の名前は、すぐに見つかった。
「あーもしもし、モリヤマさん? 保健局の者ですが、食中毒です。」
「は?」
「いや、失礼。食中毒が発生しているものでね。ドラッグストアのパイについてお話を伺いに上がりたいのですけれど、お暇は?」
「今、ですか?」
「ええ、今すぐにでも。……私も何かと多忙なものでしてね。」
「……それじゃ、仕方ありませんね。」
「では、後ほど。」
 マードックは電話ボックスを出て、ホテルに戻った。フェイスマンに保健局の制服を揃えてもらうために。


 マードックは、彼女の家の扉の前に立った。保健局の白衣で身を包み、そのポケットには小型マイクを入れている。適当な書類を挟んだファイルを脇に抱え、扉をノックした。
 ドアの隙間から覗いた顔は、確かに彼女だった。
「アネッサ・モリヤマさん?」
「ええ。」
「先ほどお電話した保健局の者です。」
 とマードックは偽造証明書を見せる。納得した彼女はドアのチェーンを外し、マードックは部屋の中に足を踏み入れた。
「申し訳ありませんが、今、来客中ですので……。」
 彼女がそう言った時、既にマードックの視野にはソファの背から覗くコングの後頭部があった。――見紛うはずなきコングの頭。
 ヤバイと思った瞬間、もう遅く、マードックとコングの目がばっちり合った。
「てめェ……何でここに?」
「あ、あの、えーっと……。」
 コングは立ち上がり、ドアに向かってじりじりと歩を進める。マードックはそれから逃げるように後ずさりしたが、鍵のかかったドアに行く手を阻まれた。
「何でてめェがここにいるのかって聞いてんだ!」
「だから、その……大佐ァ、たーすけてええぇっっ!」
 マイクを握り締めてマードックが叫ぶや否や、コングのパンチが炸裂した。



*8*

 アネッサ・モリヤマの部屋には、Aチーム全員が勢揃いしていた。
「ごめんなさい、私がコングに無理なお願いをしたばっかりに……。」
「いんや、あんたが悪いんじゃねえ。気にするこたァねえよ。いけねえのはあいつだ。」
 とコングは指差した。指の先のマードックは、顔に濡れたタオルを被ってソファにひっくり返り、何やらブツブツ文句を言っている。
「無理なお願いって?」
 フェイスマンがマードックに構わず、話を始めた。
「あのドラッグストアのことなんです。実はあの店、大変な経営難で、ストアのあるビルのオーナーは快く思っていないんです。売り上げでは、この先のストアの方がずっとよくって……。オーナーは、ドラッグストアを潰して、レストランにでもするって言うんです。」
「で、俺は少しでも売り上げを伸ばしてやろうと思って、キャンディやら何やら買ってたんだが、それじゃあとてもじゃねえが追っつかねえ。ハンニバルたちの力を借りたかったが、何せ俺も彼女も仕事を依頼するだけの金がなくってよ……。」
「お金は結構。」
 またかよ、というように嫌な顔をしたフェイスマンの横で、ハンニバルは歯を出して笑いながら言う。
「コングの頼みとあらば聞いてしんぜよう。要するに、売り上げをアップさせりゃいいんでござんしょ?」
「そう簡単に言うけどさ、ハンニバル、どうすんのよ?」
「まずは敵の商売具合を偵察よ。」
 乗り気のハンニバルに、フェイスマンが言った。
「今回は敵ってほどの敵じゃないでしょ。向こうだってカタギのドラッグストアだよ。」
「気にしなさんなって。」
 何も言い返せないフェイスマンだった。


「別に何の変哲もないドラッグストアだったけど、どーして売り上げがいいんだろね。品揃えがいいってほどじゃないし、物の値段もこっちとどっこいだったぜ。客も少なかったし。」
 マードックが偵察を終えて、報告した。
「少なくとも、コーヒーとパイはこっちの方が美味ェぜ。」
 コングはそう言いながら、ガラにもなく照れる。アネッサの“ありがとう”が、それに追い討ちをかけた。
「フェイスはまだか?」
 ハンニバルが言った時、ドアが開き、フェイスマンが帰ってきた。
「遅くなりまして。」
 その顔はニタニタと緩んででいる。美人を見た時とは少々違う、いい情報を掴んだ時の顔だ。
「敵さん、カタギじゃなかったの。覚醒剤の密売人っていう悪ーい奴。ほら、ドラッグストアなんだから、薬あるじゃない。で、店長と薬剤師がグルになってて、痛み止め、咳止め系統の薬を覚醒剤として売ってたわけ。勝手に処方箋書いてさ。これは証拠。」
 とフェイスマンは机の上に帳簿を出した。
「しっかり書き留めてあるんだもんね。律儀なお方。」
「そんじゃま、計画変更。売り上げアップは置いといて、あちらさんの店、潰しちゃいましょ。」
 ハンニバル・スマイルを見せて言う。
「新聞社と警察に匿名で報告。帳簿は小包にして警察に送る。あとは待つだけ。ドラッグストアが1軒だけになっちゃ、オーナーも文句は言えないからねえ。それに敵さんが潰れちまえば、売り上げも増えるだろうし。」
 ハンニバルは葉巻を一服し、甘い匂いを漂わせた。


 マスコミの速さと言ったら驚くに値する。この町の翌日の新聞には、第1面にこの事件の記事がでかでかと載っていた。そして、マスコミの強さも、速さと同様。翌々日には、世間に顔向けのできなくなった敵方ドラッグストアが閉店し、その場所にはレストランが新設されることになった。
 一方、警察の動きはナマケモノに勝るとも劣らじといったところで、裁判沙汰になったのは、レストランの開店サービス・メニューが終わり、客足が減り出した頃だった。



*9*

 Aチームの休暇は“長期”休暇となり、そろそろロスに戻らなくてはならなくなっていた。
「なあ、コング。お前、彼女のことが好きなんだろう?」
 ハンニバルがコングに聞いた。
「突然、何言うんでェ……俺が、そんなこと、そんな……。」
 と言いながらも、結局は頷くコング。
「そんだったら、早いとこ告白しないことにゃあなあ。まあ、ロスとここなら、そう遠いこともないから会うことには支障ないし……。」
 しかしコングは暗い表情をしている。
「彼女だって、お前のことを悪くは思ってないんだろう? 悪く思ってたら、普通、相談なんて持ちかけないぞ。それにお前は恩人だ。さ、軍曹、突撃用意。」
「わかったぜ、ハンニバル。」
 立ち上がったコングに、フェイスマンがアドバイスする。
「ちゃんとした服でビシッと決めてさ、花でも持っ……!」
 言い終える前に張り倒され、フェイスマンはソファに着地した。
「うるせえ。俺には俺のやり方ってモンがあるんだ。」


 などと言った割には、リリカルにカスミソウだけの花束なんぞ抱えて、コングはドラッグストアのドアを開いた。ドアベルがカランと鳴る。まるであの、最初の日のように。キャッシャーのところに、彼女が立っていた。
「あら、コング。」
「よお。今日は、ちっと話があってな……。」
「私もよ。2つあるの。1つは“助けてくれてありがとう”。もう1つは……ハリー!」
 アネッサは店の奥に向かって叫んだ。男が『オフィス』と書かれたドアを開けて出てきた。黒人で、背が高く、がっちりとした体形。顔は……黒人にしては上等すぎる。
「コング、彼はこの店の店長、ハリー・トマソン。ハリー、こちらがB.A.バラカス、コングよ。」
「始めまして。」
 握手する2人。そのコングにアネッサがさらりと言う。
「私、ハリーと婚約したの。これがもう1つのお話。……それでコングのは?」
 彼はカウンター越しに花束を渡した。
「俺たち、ロスに帰るんだ。元気でな。」
 踵を返すコングの背に向かって放たれたアネッサの言葉が、彼に冷たく突き刺さる。
「さよなら……。結婚式には来てちょうだいね。」
 もうコングの耳には、ドアベルの音さえも聞こえなかった。


 コングは、こんなことで泣く男ではなかった。ただ帰り道、車のスピードが多少違反しているだけのことだった。



*10*

 後日、アネッサとハリーの結婚式が行われた。
 沢山送られてきた花束のほとんどが薔薇かカトレアだったが、中にただ1つ、カスミソウだけの大きな花束が目立っている。差出人不明のその花束に添えられたメッセージカードを読んで、アネッサは黒い瞳を涙で潤ませた。
 大きく『おめでとう、幸せにな』とある脇に、小さな文字が書かれていた――『愛していた』と。


 ――その頃、コングは南米でゲリラを相手にドンパチの真っ最中だった。インディオの娘に命を懸けて……。
【おしまい】
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