ボギー大熊物語
鈴樹 瑞穂
「ボギ〜〜〜〜〜〜〜イィィ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!」
 Aチームの朝は、マードックの絶叫で始まる。
「あん? 何? どーしたっていうの?」
 フェイスマンがよたよたとベッドから這い出し、窓から外を覗く。
「決まってらあな、モンキーのバカだぜ。」
 コングが吐き捨てるように言って、毛布を耳の上まで引っ張り上げる。
「ふん……ご名答。」
 コテージの庭先で膝をつき、『プラトーン』のポスターそっくりの格好で両手を天に差し伸ばすマードックを見て、フェイスマンは皮肉な口調にならざるを得なかった。
 その途端、再びマードックが空に向かってわめき出す。
「ボギ〜〜〜〜〜イ〜〜〜〜〜〜カムブワァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ック!」
「だあーっ、うるさくて寝てられねえ。」
 コングはベッドの上で、むっくりと起き上がった。
「どーしてもあのアホに言ってやらなきゃ気が済まねえっ。」
 すごい勢いで靴を履くと、呆気に取られて見送るフェイスマンを尻目に、コングはだかだかと部屋を駆け出ていった。



「で、湖に投げ込まれたわけね。」
 フェイスマンの言葉にマードックは頷いた。シャワーを浴びた後、まだ髪は乾いていないのだが、紺のエアフォースベースボールキャップをしっかり被って朝食のテーブルに着いている。
「だけどよ、ボギーは帰ってきたがってるんだよ。でも俺の居場所、あいつに知らせてないしさ、こっちから呼んでやらないと、迷子になっちゃうかもしんないだろ。」
 そう言いながらも、マードックはフォークで一心不乱にスコッチエッグを攻め立てている。そちらをちらっと見てから、フェイスマンはハンニバルの方に顔を寄せた。
「今までモンキーが、その……同じ妄想に繰り返して囚われたことってあったっけ?」
「さあねえ。ボギーって、いつかのクマだろ。縫いぐるみの。」
「多分ね。かなり前に、銃撃戦の巻き添え食ってズタズタになったヤツ。」
「そうそう“ボギーが殺されちまった”って、モンキーひどく嘆いたっけ。でもすぐに新しい妄想に囚われたじゃないか。」
「そう。だけど今になってそんな話を蒸し返すなんて……。モンキーの奴、ボギーが“殺された”コト、忘れちまったのかも。」
 まるでそれが不吉なことであるかのように、フェイスマンは眉を顰めた。
「理由は簡単。」
 ハンニバルはニヤリと笑うと、コップに半分ほど残っていた牛乳を飲み干した。フェイスマンが物問いたげに身を乗り出してくる間合いを計って、口を開く。
「この先の広場に移動遊園地が来てるだろ。その宣伝のチラシを配ってるのがクマの縫いぐるみなんだよ。昨日、ジェインが来て話してった。」
 ジェインというのは、コテージの管理人の娘の名前だ。
「なるほど。それで思い出したってわけ。」
 納得したように口を動かし始めたフェイスマンの隣で、コングがウインナーにフォークをぶっ立てた。
「くだらねえ。そんなことだと思ったぜ。」
 それからハッとしたようにハンニバルの顔を見て言った。
「まさかハンニバル、これからそこへ行こうなんて言うんじゃねえだろうな。」
「お前さんも、だんだん勘がよくなってきましたな。ジェインとも約束したことだし。」
「……。」
 子供好きのコングは、ジェインをひどく可愛がっていたので反論できなかった。
「ま、せっかくの休暇なんだから、遊園地もいいでしょう。」
 そう言って、ハンニバルは食後の一服に火を点けた。



「コォング、次はあれっ! あれに乗ろうよ。」
 ジェインは大はしゃぎで、コングの手を引っ張って飛び跳ねた。
「う……。」
 いささかくたびれた感じのコングは、ジェインの指差したものを見るなり、さあっと青ざめる。大きく2回転するダブルループコースター。この遊園地一番の呼び物だった。
「あ、あれはダメだ。危ねえからな。あっちにしよう。」
「平気よォ、コングと一緒だもん。コーヒーカップなんてもう3度も乗ったじゃない。」
「じ、じゃあモンキーが乗せてくれるよ。」
「あら、もちろんモンキーも一緒よ。ね、いいでしょ?」
 ジェインは無邪気な笑顔でハンニバルを振り返った。
「ああ、行っといで。俺たちはここで見てるから。」
 ハンニバルはにこにこと手を振った。
「じゃ、行こうぜ。」
 マードックがやけに嬉しそうに、コングの空いている方の手を取った。
「飛行機だけじゃなくて、高い所へ行く乗り物、みーんなダメなわけね。」
 フェイスマンは、ジェインとマードックに半ば引きずられるようにして、コースター乗り場の方へ去っていくコングの後ろ姿に十字を切った。
「ご愁傷さまー。」
 数分後、コングの絶叫が広場中に響き渡った。安全装置で固定されてはいるものの、両手をバタバタと動かしているのが遠目にもわかる。
「見て見て。あの人、乗ってるゥ。」
「コースターアクションってわけかあ。」
 すぐ隣のカップルの会話を聞いたフェイスマンとハンニバルは、顔を見合わせ、次の瞬間、大爆笑した。



「あーっ、楽しかった!」
 帰り道、ジェインはコングの腕にぶら下がるようにして、上機嫌だった。
「いやあ、よかったねえ。コングは優しいもんなア。」
 フェイスマンが笑いの余韻に悩まされながら、猫撫で声を出した。コングは、フェイスマンを睨みつける気力もない。ハンニバルは、葉巻を銜えてニヤニヤしている。
「おっ? おっ、おっ、おっ?」
 いきなりマードックが素っ頓狂な声を上げて、手を額に翳した。目を細めて、人波の向こうを見つめている。
「……ボギー……。」
 溜息のような呟きが、マードックの唇から洩れた。ハンニバルとフェイスマンが、その視線を追う。コングだけは、知らん振りを決め込んでいる。
 そして、人だかりの中心に、灰色のクマが風船を配っている姿が見えた。
「いや、いや、これは……。」
 ハンニバルが葉巻を銜えたまま、顔を横に振った。
 確かにそのクマの縫いぐるみは、“死んだ”ボギーにそっくりだった。ただし、大きさを除いては。色、つや、手足の長さのバランス……そっくりそのまま、ボギーを大きくしたように思えた。しかも動いている。もちろん中に人間が入っているのだが。マードックには、そんなことは何の関係もないことだった。
「ボギー……大きくなって……。」
 生き別れの子供に再会した母親のようなこの台詞に、ハンニバルの口から葉巻が落ちた。
「ウソだろ……。」
 引きつった笑いを浮かべてフェイスマンが呟いた時にはもう、マードックは“ボギー”に向かって駆け出していた。両手を一杯に広げて。嬉しさのあまり、時々上下方向への振動、俗に言うジャンプステップが入っている。
「ひゃっほーい!」
 帽子を被って、くたびれた皮ジャンパーの下にはピンクのTシャツを着た中年男が、両手を一杯に広げ、奇声を発してジャンプしながら駆け寄ってくる姿は、ちょっと怖い。“ボギー”つまり“クマの縫いぐるみを着た人間”が逃げ出したのは、ごく自然な反応と言えよう。しかしクマの縫いぐるみという物が運動に適さない服装であるという事実も、動かし難い。“ボギー”は、こけた。
「ボギーッ!」
 マードックが“ボギー”を抱き起こそうとする。次の瞬間。
「なっ、なっ、何するのよおっ!」
 悲鳴に近い金切り声と共に、マードックの顔面は分厚いクマの手で、正面から張られていた。
「あーら、ら。」
 フェイスマンがそう言って、現場に歩み寄った。縫いぐるみの中の人物が女性だと判明した以上、フェイスマンの行動は迅速だった。
「怪我はない? えーっと……。」
「ケイトよ。」
 “ボギー”はそう名乗って、縫いぐるみの頭部を脱いだ。現れたのは、豊かな金髪と緑色の瞳である。
「いい名前だ。」
 フェイスマンはケイトの肩にさり気なく手を置いて、爽やかに微笑みかける。大抵の女はこの手で上手く行くのだが、ケイトはフェイスマンの手を払い退け、胡散臭そうにマードックを見た。
「僕はテンプルトン・ペック。彼は僕の友人で、マードック。いや、悪い奴じゃないんだけど、少々変わっていてね。困っちゃうんだ。ハハッ。」
「それで?」
 フェイスマンの言葉をあっさり受け流すと、ケイトは髪を掻き上げた。その表情には、穏やかならぬものが浮かんでいる。
「それでって……その……。」
 珍しくフェイスマンが言葉に詰まった。コングとハンニバルが顔を見合わせる。
「用がないなら失礼するわ。」
 言うが早いかケイトは身を翻し、クマの縫いぐるみを着ている限り最も速いと思われる足取りで歩み去っていった。
「恐いお姉ちゃん……。」
 コングの後ろに隠れていたジェインが顔を出して、消え入りそうな声で呟いた。



 コテージに戻った彼らを迎えたのは、庭先にうつ伏せに倒れた管理人だった。
「パパ?」
 ジェインが駆け寄って、背中を揺さぶる。ハンニバルがそれを制して、管理人をひっくり返した。口の脇に一筋、血の跡がついている。管理人は低く唸って、目を開いた。素早く傷の様子を調べたハンニバルが言った。
「骨折と打撲――一体どうしたんだ、ミラーさん?」
「……アンダーソンだ。……この山を売れと……しつこくてな……。」
 管理人のミラー氏は、山のオーナーでもあった。ミラー氏の話によれば、アンダーソンはこの辺一帯を最近買い占め出した不動産業者で、再三の勧告にもよらず山を手放さないミラー氏に対して、暴力で脅しをかけ出したのだ。



「あー、ちょっと調べたら、ひーどいもんだ。」
 フェイスマンが書類の束をテーブルの上に投げ出した。
「何が目的か知らないけど、この辺の土地はぜーんぶアンダーソンに買われてる。それもここ半年の間にね。見てよ、これ。」
 フェイスマンはテーブルに広げた地図を、人差し指でつついて見せた。
「なるほどねえ。残るはこの山だけってわけだ。」
 ハンニバルが葉巻を銜えたまま頷いた。
「そ。隣の山もね、随分頑張ってたらしいけど、1週間前に陥落。オーナーは病院送りで一人娘は行方不明。バカみたいな安値でアンダーソンに買い叩かれてる。」
「それでこの山が次のターゲットなのか。」
 コングはそう言いながら、マードックが何やら一生懸命書いている紙を横からさっと取り上げた。
「ボギーちゃんへ。俺は怒ってないから帰っておいで。マードック。……なーんでい、こりゃあ?」
「返してくれよ。これを窓の外に貼っとくだろ。すると入ってきたくても入れないボギーが読んで、帰ってくるんだ。」
「けっ。バカバカしい。縫いぐるみが帰ってくるわけねえんだよ。」
 コングはじたばたするマードックの頭を押さえつけたまま、紙を丸めて窓の外へ投げ捨てた。マードックは慌てて窓に駆け寄った。
「ボギー?」
 マードックの素っ頓狂な声に、ハンニバル、フェイスマン、コングの視線が窓の方に集まる。窓の外から中の様子を窺っていたらしい灰色のクマは、文字通り飛び上がった。4挺の銃が、正確に自分を狙っていたからだ。



 椅子に座った“ボギー”を、ハンニバル、フェイスマン、マードックが取り囲んでいる。コングは銃を構えたまま、窓から外を見張っていた。
 フェイスマンが縫いぐるみの頭部を脱がせた。
「レディに対して失礼じゃないっ!」
 ケイトが勢いよく抗議する。フェイスマンは苦笑しながら口を開いた。
「これは失礼。で、お嬢さんは何しに来たのかな?」
「何を……ですって? 自分の胸に手を当てて考えてみたらどう?」
 緑色の瞳がキッ、とフェイスマンを睨みつける。ハンニバル、マードック、コングからも白い目で見られて、フェイスマンは慌てて手を振った。
「やだなあ、みんな、誤解だってば。このコとはここで初めて会ったの。俺が一度声かけたコ、忘れるはずないでしょ。」
「そうだろうが、何分お前さんは量をこなしてるからねえ。捨てた女の1人や2人、忘れてても不思議じゃないですよ。」
「ハンニバル〜。信じてよ。」
「いーや、信じられねえ。」
「まあたコングまで……。仲間が信じられなくなったらおしまいだよ? モンキーは信じてくれるよなっ?」
「ボギーは嘘はつかないぜ。いい奴なんだ、クマにしとくのはもったいないくらいのハンサムでさ。その上……。」
 滔々と喋り続けるマードックを遮ったのは、当の“ボギー”ことケイトである。
「みんなして、しらばっくれたってごまかされないわよ。あんたたちの悪事はちゃんと知ってるんだから。」
「あんた“たち”……?」
 複数形で言われて、ハンニバルとコングは顔を見合わせ、フェイスマンは胸を撫で下ろした。ケイトの糾弾はなおも続く。
「ミラーさんを病院送りにして、コテージを乗っ取ったくせにっ。大方アンダーソンに雇われたんでしょうけど。この山の権利書を探し出して、買収するつもりなんでしょ。あんたたちの手口はお見通しよ、うちの父の時と同じだわ!」
「ちょっ、ちょっと待った。」
 単語のシャワーに辟易として、フェイスマンがケイトの口を塞いだ。
「う゛ーっ、う゛ーっ。」
 じたばたするケイトに向かって、ハンニバルが優しく言う。
「君は、隣の山のオーナーの娘だね?」
「行方不明のケイトリン・ランドル!」
 フェイスマンが、ハンニバルとケイトの顔を交互に見ながら叫んだ。ハンニバルは葉巻を銜えたまま、片目を瞑って見せた。
 フェイスマンの弁舌をもってしても、ケイトに事情を納得させるには、たっぷり2時間かかった。しかし、途中でやって来たアンダーソンの手先をコングとハンニバルが叩きのめさなかったら、2時間が5時間でも無駄に終わったかもしれない。
「後悔するなよ。」
「権利書を持って、早いとこ謝りに来るのが身のためだぜ。」
 セリフだけは威勢がいいのだが、いささか迫力に欠ける口調で叫びながら、アンダーソンの子分たちは引き上げていった。3人の中の1人は、仲間に引きずられての退場である。
「伺いますよ。近隣の方々の分も含めて、お礼をしにね。」
 ハンニバルはそう言って、オートライフルを子分たちの足元に撃ち込んだ。
「帰ってボスに伝えるんだな。買収した土地の権利書を受け取りに行くから、首を洗って待っていろ、とな。」
 一変して高圧的にぴしゃりと言ってのけるハンニバルを、ケイトは呆れたように見ていた。
「本当に、アンダーソンとは関係ないのね。」
「信じてくれる気になった?」
 そう言って、フェイスマンは得意気に笑った。



 一旦、警戒心を解くと、ケイトの口は軽かった。ハンニバルの推理通り、彼女は隣の山のオーナー(今となっては、元オーナーとなってしまったが)の一人娘だった。アンダーソンが暴力を用いて父親の持ち山を買収した際、身の危険を感じた彼女は姿を隠した。以来、移動遊園地でアルバイトをしながら、アンダーソンの様子を探っていたのである。
「ボギーの奴、脱皮したらしいんだ。」
 ケイトが脱ぎ捨てたクマの縫いぐるみを摘み上げて、マードックが言った。
「きっと一回りでかくなってるな。でもさ、クマって脱皮するっけ?」
「ボギーだかバギーだか知らねえが、このバカに関わってるモンなら、イルカが脱皮したって驚かねえよ。」
 コングは冷たく言い捨て、ケイトの方に向き直った。
「何でアンダーソンはこの辺の土地を欲しがるんだ?」
 ケイトは一瞬の躊躇の後、溜息と共に呟いた。
――金(きん)よ。」
「金?」
「この山には、金の鉱脈があるかもしれないの。」
 フェイスマンが咳払いをした。
「ちょっと待ってよ。じゃ、ないかもしれないってことかな?」
 ケイトは頷き、先ほどフェイスマンがテーブルの上に広げ、そのままになっていた地図を指差した。
「これがこの山――ミラーさんの持ち山でしょ。で、これが父の持ってた山だわ。ここも、ここも、アンダーソンに買収されてる。」
 ケイトの白い指が地図上を滑らかに移動し、一点で止まった。
「そしてここが全ての発端なの。この山はね、アンダーソンが借金のカタに手に入れたもので、それは全くの偶然。ただ、ここにはささやかな鉱脈があったのよ。」
「なかなか興味深い話だな。」
 ハンニバルが銜えていた葉巻を左手に移し、煙を吐いた。
「つまりこの辺の山を探せば、金がオネンネしてるかもしれないってわけだ。」
「そんなあやふやな話で、強引な買収を進めてるのか?」
 コングは呆れ顔で、ソファに身を投げ出した。
「山師、それこそ男のロマン。ローマンはいーいなーぁあー。」
 でたらめな歌を突拍子もないメロディで歌って、マードックはコングに睨まれた。しかし、マードックがそれくらいのことでひるむはずもなく、彼は“ボギーの皮”とダンスを踊り始める。
「ずんたったー、ずんたったー、ハイここでターン。」
 コングが無言で立ち上がり、マードックの手から“ボギーの皮”を引ったくった。



 1つ、買収された土地の権利書を取り戻すこと。2つ、アンダーソンが今後この辺りの土地に干渉しないようにすること。それにはこの土地から出て行ってもらうのが一番であろう。
 ハンニバルはケイトにもよくわかるように、作戦を説明した。ケイトは緑の瞳を見開いて、ハンニバルを見つめた。その視線は、フェイスマン、コング、マードックと移っていき、再びハンニバルに戻って止まった。
「できるの、そんなこと?」
「Aチームの辞書に不可能の文字はない。」
 ハンニバルが片目を瞑って見せた。
「でも……私にはあなたたちを雇うお金なんてないのよ。父は入院してるし、自分1人の身もままならないんだから。」
「そのことなら、心配ご無用。」
 胸を張って言い切るハンニバルに、フェイスマンがうんざりした声を出した。
「ハンニバル〜。」
 ケイトの手前、はっきりとは言わないものの、フェイスマンの顔にはくっきりと“タダ働きはしてらんないのよ”という文字が浮かび上がっている。
「ケイトが山を取り戻しゃ、金の鉱脈があるでしょうが。」
「なかったらどうすんだよ。」
「フェイス。これは賭なの。ミラーさんには世話になったことだし、上手くすりゃ金が手に入る。休暇の余興としちゃ、結構な話じゃないか。」
「スミスさん……ありがとう。」
 ケイトは潤んだ瞳で、ハンニバルを見上げた。
「お礼はすべて片づいた時に言ってもらいましょう。」
 にっかり笑って決めたハンニバルを横目で見て、フェイスマンは肩を竦めた。



 Aチームの4人は、アンダーソンが本拠地にしているコテージの庭に潜んでいる。もっとも山の中にぽつんと建っているコテージのこと、どこまでが庭かと言われると、ハンニバルにも自信がない。とりあえず様子を探って、まずは警告。ハンニバルの作戦は破天荒だが、ここいらが紳士的である。しかし、あわよくば権利書を返してもらうくらいのことは同時に済ませてもいいだろうと、フェイスマンは考えている。もしかしたら、というよりはかなりの確率で、タダ働きになりそうなのだ。だとしたら、抜けるだけ手を抜くのが得策というものであろう。が、抜きすぎても身が危ないし、そこら辺の加減が肝心だね。と、この道ン年のプロ(もちろんフェイスマンのことだ)は語る。
「何が見える?」
 ハンニバルは、コングの肩の上に乗って窓の中を覗いているマードックに聞いた。
「ああ、ちょっと待ってくれよ。――いるいる、7分ハゲのオッサンを囲む恐怖のGジャン軍団。数はと……えーと、オッサン入れて7人だな。何やらよからぬ相談している雰囲気だぜ。」
「そのハゲがアンダーソンだな。中の会話は聞き取れないか?」
「聞き取れると思う?」
「聞いてみただけ。じゃ俺とフェイスは裏に回ってみるから、しばらくここで見張っててくれ。」
「あいよ。」
 マードックが振り返りもせずに、短く答えた。コングは遠ざかるハンニバルの背中に向かって呟いた。
「気をつけてな。」



 ガサガサガサ。ガサガサガサ。ハンニバルとフェイスマンは、植え込みを掻き分け掻き分け進んでいった。
「ハンニバル、もっとマシな道ないの? これじゃ顔に引っ掻き傷がつくよ。それにこんなに音立ててたら、すぐに見つかっちまう。」
「仕様がないだろ。塀の上を歩いたら、もっと危険だ。それとも他にやりようがあるっていうのか?」
「あそこの窓から邸内に忍び込むってのは?」
「なるほどねえ。中で何に会うかわからないがな。」
「これ以上、顔に傷がつくよりゃましよ。」
 そこで2人は窓枠に飛びつき、ガラスカッターを使用して窓を開け、中に侵入した。
 その部屋は寝室だった。ダブルサイズのベッドが真ん中に置いてあり、サイドテーブルと衣装棚の他、家具らしい家具はない。壁にルノアールの裸婦像がかけてあるのが、何ともそぐわない取り合わせである。
「山小屋風の内装にルノアール。ミスマッチを超えたミスマッチだね。ハハッ。」
 フェイスマンが絵の前で腕組みをしながら、半ば独り言のように言った。
「他人のインテリアにケチつけてる場合じゃないでしょ。行くぞ。」
 ハンニバルはさっさとドアの方へ歩きかけている。
「こーゆーの、美意識が許さないんだよねえ。」
 フェイスマンは新手のいたずらを考えついた子供の表情で、にやっと笑った。
「フフン。外しちゃおーっと。」
 言うが早いか、もう額に手をかけている。絵を取り去ると、下から金庫の扉が現れた。
「アンダーソンとやら、スパイ映画ファンだな。」
 戻って来たハンニバルが、ニヤニヤしながら呟いた。
「泣かせるねえ。」
 フェイスマンは懐から7ツ道具を取り出して、金庫を開きにかかった。



 一方、こちらはコングとマードック。
 コングは心の中でハンニバルの悪口を並べ立てていた。いくらコングが力持ちだと言っても、マードックを肩に乗せているのは重労働なのだ。だんだん筋肉が突っ張ってくるのがわかる。その上、マードックの実況中継がお経のように続くものだから、今やコングは催眠状態にあった。
 そういうわけで、“それ”が後ろに立っても、コングは全く気がつかなかった。マードックは観察と解説に夢中で、それどころではない。
 “それ”は、マードックの肩をちょいちょいとつついた。
「あらー、ボギーちゃんじゃないの。」
 マードックの声に我に返り、コングは体ごと振り向いた。
 目の前に、灰色のクマが立っていた。コングの肩に乗ったマードックと、顔の高さが同じくらいである。そしてそれは、本物のクマだった。
「!」
 コングは死ぬほどびっくりした。ジェットコースターに乗った時の比ではない。しかも今度のは不意打ちだ。
 一瞬のうちに、コングの脳裏を様々な対策が駆け抜けていった。そこでコングはまず、マードックを肩から降ろした。
 マードックの友好的な反応に不意を突かれてクマはきょとんとしていたが、気を取り直して攻撃の体勢に入った。
 コングはマードックを引っ抱えて、窓に身を躍らせた。



 部屋の中では、7分ハゲのオッサンことアンダーソンと、彼を囲むGジャン軍団が窓の外の不穏な気配に気がついたところだった。
 Gジャンの一人が、様子を見るために窓の方に歩み寄る。
 ――と、コングとマードックが勢いよく降ってきた。
 派手な音を立ててガラスが飛び散り、歩み寄っていたGジャンは、コングとマードックの下敷きになって伸びてしまった。
「なっ、何だ、てめえら?」
 アンダーソンは形式的にそう言ったが、返事を聞くことはできなかった。部下が窓を指差して叫んだからだ。
「クッ、クマだあっ!」
 Gジャン軍団は、慌てて懐に手を入れた。中の1人は、壁にかけてあるライフルに飛びついた。窓枠に前脚をかけて部屋の中を覗き込んでいたクマは、それを見ると顔を引っ込め、回れ右をして悠々と森へ帰っていった。
「何なんだ、あのクマは。」
 アンダーソンが毒気を抜かれたように言った。それからコングとマードックが起き上がったのに気づいて、部下たちに合図する。
 が、Gジャン軍団が2人に狙いをつける前に、ドアが勢いよく開いた。
「コング! モンキー! 無事か?」
 ハンニバルが叫びながら飛び込んできた。フェイスマンが後に続く。
「動くなっ。こいつらがどうなってもいいのか?」
 アンダーソンがコングに銃を突きつけながら喚いた。
「そんなことしていいのかなあ。これ、なーんだ?」
 フェイスマンが見せびらかすように、権利書を高く掲げた。アンダーソンの隠し金庫から失敬してきたものだ。アンダーソンは、訝しそうな顔をした。
「金庫にするなら、ルノアールよりピカソがいいと思うよ。ね、ハンニバル。」
「いやいや。権利書は金庫以外のとこに隠すのが一番さね。」
「枕の下とか?」
 人をおちょくっている会話だが、アンダーソンに事態を覚らせるには十分だった。サッとアンダーソンの顔色が変わる。その拍子に銃口がわずかに逸れた。
 それを見て、コングが行動を起こした。アンダーソンを殴りつける。この場合、コングの肩の筋肉が突っ張っていたのは、彼にとって幸運だった。アンダーソンは吹っ飛んで、壁にぶつかった。それが乱闘の幕開けとなった。
 一旦乱闘になってしまうと、銃類は役に立たない。Aチームの面々は善戦した。
「ボギーちゃん、カムブワーック!」
 叫びながら、マードックが体当たりする。フェイスマンが権利書を抱えて、行ったり来たりする。ハンニバルがGジャン軍団で一番体格のいい、縮れっ毛の男と取っ組み合う。コングは明日、腕が上がらないのではないかという不安に駆られながらも、突っ張った筋肉を酷使していた。
 ばきっ。ぐえっ。どびゅーん。びしっ。ばぐっ。ぱっかーん。
 呆気なくカタがついたことは、言うまでもない。



 権利書は取り戻したし、アンダーソン一派は叩きのめしたし、作戦は完璧なまでに終了したのだった。
「本当にどうもありがとう。父ももうすぐ退院するし、2人で静かに暮らすつもりよ。金が見つかったら、全部持っていらしてね。」
 ケイトは、お茶と手作りのアップルパイで、Aチームの面々の労をねぎらっている。
「ああ、そのことならもういいんだ。いつか困った時に探させてもらうから。」
 ハンニバルが葉巻の煙を吐きながら、上機嫌で言った。フェイスマンがケイトにウィンクして見せる。コングとマードックも、笑顔で頷いた。
「でも、それじゃ……。」
「その代わりと言っちゃ何だが、あの縫いぐるみを譲ってもらえないか?」
 マードックの抱えている“ボギーの皮”を指差してハンニバルが言うと、ケイトは目を見開いた。
「あんなのでよければ差し上げますけど……何に使うの?」
「これを持ってりゃね、ボギーが匂いを辿って俺のとこまで来られるってわけ。いよいよ再会の日も近いなあ……。」
「そうそう、それさえありゃボギーは追ってこられるから、ここを発っても大丈夫。もう休暇も終わりだからね。僕個人としては、いつまでもここにいたいけど。」
 フェイスマンがケイトに微笑みかけた。
「まあ……。」
 見つめ合うフェイスマンとケイトを尻目に、ハンニバルは立ち上がった。
「さあ、そろそろ行くぞ。休暇は終わりだ。」
 マードックがそれに続き、コングがフェイスマンを引きずりながら後を追った。
 ケイトは家の前で、遠ざかる紺色のバンをいつまでも見送っていた。
【おしまい】
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