友よ、糧を分けよう
鈴樹 瑞穂
*1* ビバリーヒルズ

「私(わたくし)の名前はパトリシア・ラングレイ。父はロスでも有数の資産家で、宝石商をやっておりますの。私は母を早くに亡くして、ビバリーヒルズの邸宅に父と使用人たちと共に暮らしているんですの。ま、いわゆる深窓の令嬢ですわね。そんな私が今、一番心を奪われているのは、テニス・クラブで知り合ったあの方――テンプルトン・ぺック様なのですわ……。」
「お嬢様、一体どなたに向かって話しておいでですの?」
 パトリシアは振り返って、声をかけたメイドを叱りつけた。
「うるさいわね、読者に向かってよ!」



*2* フェイスマンズ・ルーム

 は、は、は、という異様な物音にマードックは顔を上げた。
「フェイス、何、変な笑い方してんの?」
「……はっくしゅんっ。」
「くしゃみ、したかったのね。」
「ああ、風邪引いたのかなあ。それとも誰かが噂してんのか。うん、そっちの方があり得るセンだね。モテる男は辛いねえ。」
 勝手にしてくれ、と思いながら、マードックは捲っていた雑誌を閉じた。
 ここはフェイスマンの借りているマンションの一室。要するに、Aチームの溜まり場であった。
 マードックは鼻をかんでいるフェイスマンに言った。
「ねえフェイス、あの話どうなった?」
 一頻り盛大に鼻をかんでから、フェイスマンが答える。
「どの話?」
「あれだよ、ほら、友達を紹介してくれるって言っただろ。テニス・クラブの。」
「ああ、あれね。大丈夫、ちゃんと紹介してやるから、心配すんなって。」
「頼むよ。俺、一度でいいからお嬢様ってのとお話してみたかったんだ。」
「まっかせなさーい。」
 フェイスマンは真剣な面持ちのマードックにスマイルして、その肩をぽん、と叩いた。



*3* テニス・クラブ

 フィラのウェア、ラコステのリスト・バンド、プリンスのラケットという多国籍な出で立ちで、フェイスマンはコートに下りた。続くマードックは彼なりのポリシーに基づいて、全てラコステで統一している。とは言え、全てフェイスマンに買ってもらったものである。
「ぺック様ぁ。」
 フェイスマンを認めて、パトリシアが駆け寄ってくる。エレッセのピンクのウェアに均整の取れた身体を包んで。胸元でダイヤとサファイアのネックレスが揺れる。
 パトリシアの後ろにはラケット係、タオル係、飲み物係のメイドが足並み揃えて従っている。
 フェイスマンは素早くマードックにラケットを押しつけると、女ったらし用の笑みを浮かべた。
「やあ、パトリシア、ご機嫌いかが?」
「まっ、パトリシアだなんて、嫌ですわ、ぺック様ったら。パティ、ってお呼びになって。」
 言ってから、慌ててパトリシアは目を伏せる。フェイスマンの口の端がいよいよ上がっていく。
 マードックがフェイスマンの背中をつつくと、フェイスマンは後ろ手に、黙っていろという合図をした。
「パティ。一試合、お相手してくれるかい?」
「ええ、喜んで。」
 フェイスマンとパトリシアは、仲睦まじく並んで歩き出した。マードックが慌てて後に続きながら、フェイスマンに話しかけようとする。そのまた後ろにパトリシアのメイドたち。ぞろぞろ。
「わかったよ。」
 フェイスマンはマードックに小声で呟き、怪訝な顔をしているパトリシアに、にっこりと笑いかけた。
「彼はマードック。僕の――その、友人だ。」
「あら、使用人を友人扱いするなんて……ぺック様ってお優しいんですわね。」
 無邪気に言い放つパトリシアに、フェイスマンは否定しようとはしなかった。
 そういうわけで、可哀相なマードックは、ぺック様とパトリシアお嬢様が優雅にテニスを楽しまれる間中、お嬢様のメイドたちと並んで、タオルと飲み物を捧げ持つ役に甘んじたのだった。



*4* フェイスマンズ・ルーム

「そこでそのお嬢様が言うんだ、“ぺック様ってお優しいのね”って。」
 マードックは身振りを交えて、ハンニバルに今日の出来事を説明している。ハンニバルは葉巻を銜えて、面白そうにそれに聞き入っている。コングは知らん振りでプラモデルを組み立てているが、マードックの話を一応は耳に入れていた。フェイスマンはお茶を入れると称してキッチンに去っていった。
 マードックの話が一段落ついたところを見計らって、フェイスマンがコーヒーを運んでくる。
「さあみんな、お茶が入ったよ。はい、ハンニバル。」
「いや、こりゃどうもありがとさん。気が利くねえ。」
「ふふん。はい、コング。」
「いやにサービスがいいじゃねえか。」
「ま、ね。はい、モンキーの分。」
 フェイスマンは一番なみなみと注がれたカップをマードックの前に置いた。
「ありがと。でもさ、フェイス、今日のはちょっとひどいよ。俺ばっか損な役させてさ。」
「モンキー。」
 フェイスマンは、がしっ、とマードックの肩を掴んだ。
「彼女、美人だろ。」
「まあね。」
「近来稀に見るヒットなんだ。はっきり言って、俺はこの恋に賭けているっ!」
 がびーん。
 マードックは驚き、コングとハンニバルは驚いた振りをした。フェイスマンのこの台詞を聞くのは、今年に入って3度目である。
「俺、協力するぜ!」
「ありがとうモンキー、我が友よ。彼女の友達、紹介してあげるからね。」
 がっしり抱き合った2人を前にして、コングとハンニバルは無言でコーヒーを啜った。



*5* オン・ザ・ストリート

 小さな友達が野球の試合でサヨナラ・ホームランを決めたので、コングは上機嫌だった。
「いや、あのホームランはスゴかったぜ。一時はどうなることかと思ったけどよ。」
 グローブを引っかけたバットを肩に担いだ少年は、コングの賛辞に嬉しそうに笑った。
「コングが特訓してくれたか……。」
 少年は最後まで言うことができなかった。辺り一帯に絹を裂くような悲鳴が響き渡ったからである。
「キャーッ、キャーッ、どなたかーっ、助けて下さいませ!」
 コングと少年は顔を見合わせた。
「ここにいるんだ、いいな?」
 コングは少年にそう言うと、走り出した。


「キャーッ、それ以上近寄ってはいけません! 大声を出しますわよ。おやめになってっ。キャーッ。」
 路地裏で、人相の悪い男3人を前にして悲鳴を振り撒いていたのは、パトリシアだった。
「やめて下さいませっ。いくら私がお金持ちで少し美しいからって、あんまりですわ!」
 パトリシアが絶え間なく高音を立て続けるので、3人組はかえって当惑していた。彼女が息継ぎをする瞬間を狙って、中の1人がやっと口を挟むことに成功した。
「いい加減にしろ、このアマ!」
「キャーッ。この私を怒鳴りつけるとは、何て野蛮なんでしょう! キャーッ。」
 パトリシアに負けまいとして、男も声を張り上げる。
「俺たちはその宝石が欲しいだけなんだよっ。」
「キャーッ。あなた方はもしや、強盗ですの? どうしましょう、恐いわっ。キャーッ。」
「畜生、一体俺たちが何をしたってんだ?!」
 男はヤケになって叫んだ。
「何してるんでい。」
 駆けつけたコングの台詞が聞こえるのは、彼の姿を認めたパトリシアが、悲鳴を一時的に止めたからである。
「わっ、まずい。」
 コングの体格に動揺する男たち。人相は悪くても、状況判断はそれなりに的確であった。
「助けて下さいませっ!」
 パトリシアがコングに縋りつく。男たちはそのチャンスを見逃さなかった。
「ずらかれ!」
 彼らはコングの脇をすり抜け、脱兎のごとく逃げていった。しがみついているパトリシアを振り放すわけにも行かず、コングは追跡することができない。
「大丈夫か?」
「ええ、ありがとうございます。私、パトリシア・ラングレイと言いますの。」
「B.A.バラカスだ。」
 思わず名乗り合う2人であった。
「……で、そろそろ離してくれねえか。」
「あ、そうですわね。」
 パトリシアは、握っていたコングのTシャツを離した。そこだけ一握り分、伸びてしまったTシャツが物哀しい。2人は無言でそれを見つめ、それからパトリシアは気を取り直して笑顔を作った。
「あの……もしよろしければ、お礼がしたいのですけど、屋敷に来ていただけませんこと?」
「いやあ、それには及ばねえよ。」
「でも、それではあんまり……。」
 一瞬の沈黙。どうやら根本的にこの2人は噛み合わないらしい。
 気まずい沈黙は、近づいてくる足音によって破られた。
「コング! こーんなとこにいたんだ。捜しちゃったよ。」
 少年に連れられてやって来たのは、フェイスマンである。
「ハンニバルがさあ、すぐにお前を捜してこいって言うんだ。全く気軽に言ってくれちゃって、もぉ、実行する身の苦労なんてこれっぽっちも……あれ?」
 コングの後ろから、パトリシアがぴょこっ、と顔を出す。
「ぺック様!」
「パトリシア!」
「何でい、フェイスの知り合いか。」
 コングが、明らかにほっとした声で言った。



*6* ティー・ルーム

 アメリカン、ホットミルク、カプチーノを運んできたウェイトレスは、好奇心を剥き出しにした視線を、この奇妙な3人連れに投げかけて去っていった。くたびれた色男、モヒカンのレスラー風黒人、ブランド物で身を固めた令嬢という取り合わせで、人目を引かない方がどうかしている。主にミスマッチなのは、後の2人であったが。
 コングの小さな友達と別れてから、パトリシアのたっての希望で、3人はお茶を飲むことになったのである。
「ぺック様は弁護士でいらっしゃいましたわね。」
 パトリシアが、優雅な仕草でカプチーノのカップをソーサーに戻しながら言った。コングがじろりとフェイスマンを見る。フェイスマンはパトリシアの凝視を受けて、笑みを張りつけたまま、糸の切れた操り人形のように頷いた。
「バラカス様とは、どういうお友達ですの?」
「あ、あのね……そう、仕事仲間って言ったらいいかなあ。」
「じゃあ、バラカス様も弁護士でいらっしゃるのかしら?」
「いや。Aチームって言ってな、厄介事を片づけるのが専門だ。」
 コングが答えると、フェイスマンも肯定した。
「そうそう。僕も副業でそっちの方の仕事を少し、ね。」
「もしかして、私立探偵ですの?」
「まあ……似てないと言って言えなくはないね。」
「ちょうどよかったわ。」
 パトリシアは目を輝かせた。
「バラカス様、私に雇われていただけません?」
「雇われてって、パティ、何か困ったことでも?」
 コングが止める間もなく、フェイスマンは身を乗り出す。
「ええ……私、もう恐くって、どうしたらいいかわからないんですの。」
「初めから話してみてくれる?」
 フェイスマンが真面目な面持ちで言った。パトリシアは頷いて話し出す。
「……2日ほど前から、変なことばかり起こりますの。引っ手繰りに遭ったり……。昨夜は屋敷に泥棒が入りましたのよ。幸い、被害は何もありませんでしたけれど。そして、今日は今日であんなことが……。」
「そいつぁ妙だな。」
 コングは腕を組み、考え込んだ。
「ラングレイ家では、毎年この時期に使用人全員に休暇をやるんですの。今年は、今日から3日間ですわ。お父様は商用でロンドンに行っていらっしゃるし、こんな時に3日間も1人でいるなんて、私、心細くて……。」
 パトリシアは溜息をついた。
「それで、依頼というのは他でもありませんわ。3日間、私のボディーガードをしていただきたいんです。」
「ボディーガード?」
 フェイスマンが当惑した声を出した。相手がはっきりしていれば、行ってやっつけてくれば済むことであるが、ボディーガードというのは今までにないパターンである。
「ええ……どうしようかと考えていたのですけれど、バラカス様に頼めばぺック様と一緒にいられて心強いですし……。」
 パトリシアは頬を染めて俯いた。フェイスマンの口元がだらしなく緩みかける。
「わかったぜ。引き受けよう。」
 いきなりコングがそう言った。フェイスマンは我に返って、慌てて囁く。
「ちょっとコング、そりゃあ引き受けたいのはヤマヤマだけど、今回はマズいよ。彼女は俺の正体知らないんだしさ、第一ハンニバルがどう言うか……。」
「俺ぁ、もう決めたんでい。どうせ3日間だ、ハンニバルも納得するに違ぇねぇや。」
「コングぅ……またそんな……。」
 フェイスマンは実に嬉しそうに、コングに押し切られたのであった。



*7* フェイスマンズ・ルーム

「で、連れてきちゃったわけ?」
 マードックが、洗面所に続くドアの方をちらりと見て言った。パトリシアは今、シャワーを使っている。
「ま、それはよしとしましょ。」
 ハンニバルが葉巻を持ち替えながらそう言ったので、フェイスマンは胸を撫で下ろした。
「じゃ、この仕事、受けていいんだね?」
 ハンニバルは鷹揚に頷いて見せた。
「どうせ3日間だけだろ。それに、何か引っかかることがあるんでしょ、コング。」
「ああ。俺ぁ、どうも今日の奴らが気にかかるんでい。」
「どういう風に?」
 マードックが聞く。
「あいつら宝石を狙ってやがった。普通のチンピラなら、まず現金を狙うもんだ。こりゃあ俺の勘だがな、ハンニバル、あの宝石にゃ何かあるぜ。」
「宝石って、お嬢さんの胸元のあれか?」
 ハンニバルは、フェイスマンの方を見て聞いた。
「ダイヤとサファイアだよ。ダイヤだけでも3カラットはあるだろうね。十分狙う価値はあると思うけど?」
 フェイスマンは肩を竦めた。
 ドアが開いて、パトリシアが出てきた。4人の視線が集中する。彼女の胸元には、くだんのネックレスが輝いている。
「シャワー、使わせていただきましたわ。」
 一同を代表して、フェイスマンが聞いた。
「パティ、そのネックレス、特別な物なのかい?」
「これですの? お父様の店のオリジナル・デザインで2つしかありませんのよ。確かもう1つは、S国の大使夫人が持っていらっしゃるはずですけど……。これがどうかしまして?」
「ちょっと見せてくれねえか。」
 パトリシアはネックレスを外して、コングに手渡した。
 その時、チャイムが鳴った。マードックが立ち上がって、ドアを開けに行く。
「どちらさま?」
 ドアを開けた途端、マードックは立ち竦んだ。3人の男が、あまり友好的ではない表情で、拳銃を手にして立っていたからだ。
「女がいるだろう。」
 白いスーツの中に赤いシャツを着込んだ男が、マードックの頬に銃口を押しつけて言った。思わずマードックが呟く。
「あんた……趣味悪い服。」
「何だとォ?」
 スーツの男はマードックを部屋の中へと突き飛ばした。
「女を出せ!」
「目的はこれだろ?」
 コングがネックレスを掲げて見せると、男の顔色が変わった。
「そいつを寄越せ。これが目に入らないのか?」
 部下の1人がネックレスを取りに進み出る。
「……け、拳銃……。」
 パトリシアが呆然と呟いた。そして、次の瞬間、叫び出した。
「キャーッ、銃ですわっ! 本物の銃ですわ。殺されてしまうのかしら! キャーッ。」
 その騒ぎに、スーツの男と部下2人の注意が逸れる。それを見て、コングが近寄っていた部下の手首を掴んで引きずり倒した。マードックはもう1人の部下に体当たりする。動揺するスーツ男をハンニバルが殴り倒し、フェイスマンはパトリシアの口を塞いだ。
「どうする、これ?」
 伸びてしまった3人を見下ろして、マードックが聞いた。
「そうねえ……ベランダから捨てちゃうってのは? ベランダの下、プールだし。」
 コングが無言でハンニバルの案を実行に移した。



*8* ドライブ

 紺色のバンは、混み合ったロスの道路を、それでも割と順調に進んでいた。
「あの……1つ聞いてもよろしいかしら?」
 後部座席にちょこん、と納まったパトリシアが、フェイスマンに言った。
「何?」
 フェイスマンはパトリシアに微笑みかける。
「これからどこへ行くんですの?」
「それは、あいつらに聞いてもらうしかないね。」
「あいつらって言いますと……?」
 全くわけがわからないといった様子のパトリシアに、運転席のコングが答えた。
「奴らのシガレットケースの中に、発信機を仕込んどいたんでい。」
「まあ、そんなことがお出来になるのね。すごいですわ。」
 パトリシアは心底感嘆していた。コングはちょっと得意そうである。
「さて、どこへ案内してくれますか……。」
 ハンニバルが楽しそうに呟く。モニターを見つめていたマードックが、ハンニバルの方を振り返って言う。
「このまま行くと、S国の大使館に入っちゃうけど?」
「それもいいでしょ。」
 ハンニバルは、天下無敵のハンニバル・スマイルと共に言い放った。


 S国大使館裏の路上に、何気なく1台の紺色のバンが停車している。
「これからどうするんでい、ハンニバル。」
 一番真面目に物事を考えているコングが、リーダーを振り返って尋ねた。
「まあ、あいつらの行き先はわかったんだから、そう急ぐことはあるまい。ここらで1つ、ネックレスの謎を解明しておくのも悪くはないだろ。」
 ハンニバルの言葉に、コングはポケットから預かっていたネックレスを取り出した。
「どうした、コング。」
 一同の視線が、コングの手元に集まる。助手席に座っていたマードックがネックレスを覗き込み、顔を顰めた。
「あ〜あ、コングちゃん、せっかくのネックレスに傷つけちゃって、悪いんだ。」
「バカ野郎、ダイヤに傷がつくか!」
「え、じゃ、これ……?」
「イミテーションだ。」
 コングがそう言うと、パトリシアが身を乗り出した。
「そんな……。そんなこと、あるはずがございませんわ! 見せて下さいませ。」
 コングがパトリシアにネックレスを渡す。
「あらー、見事な傷……。」
 フェイスマンが呟いた。
「こりゃ、思いっ切りイミテーションだねえ。」
 ハンニバルも、そう言う他なかった。
 パトリシアの身体から、力が抜けていく。
「パ、パティ!」
 慌てて支えかけたフェイスマンの腕の中で、パトリシアはあっさり気を失った。古今東西、失神はお嬢様の嗜みの1つである。
「どうしよう、ねえ、ハンニバル、どうしよう?」
「どうしようったって、フェイス、放っときゃそのうち気がつくでしょ。」
 ハンニバルはネックレスをいじくり回すのに忙しい。
「この石、外せるぞ。中に何か……マイクロフィルムが入ってる。」
 というわけで、Aチームご一行様は、このマイクロフィルムを現像するため、フェイスマンのマンションに引き返すことにしたのだった。



*9* フェイスマンズ・ルーム

 シャワー・ルームを使ってコングがマイクロフィルムを現像する間、とりあえずAチームの面々はお茶を飲んでいた。意識を取り戻したパトリシアも、ちゃっかりお茶の時間に参加している。
「できたぜ、ハンニバル。」
 コングが出てきて言った。
「こりゃあ、暗号の解読表だぜ。」
「暗号? で、どこのかわかったのか?」
 コングは無言で手にした紙をハンニバルに渡す。
「ほお。ふん、ふん、なるほどね。」
 ハンニバルはそれに目を通していくうち、おかしくて堪らないという表情になっていった。
「ハンニバル、何なの、それ?」
 フェイスマンが聞くと、ハンニバルは片手で葉巻を弄びながら答えた。
「USアーミーの暗号解読表だ。S国の方々が苦労して手に入れたもんだろうねえ。」
「ハンニバル! それ、大変なもんなんじゃない?」
 フェイスマンはちょっと焦り出した。
「そんなもん、俺たちが持ってたらヤバいんじゃないの。」
「そんなに大変な物なんですの?」
 と、パトリシアはおっとりしたものである。
「そんなにって、パティ、君ね……大体君はどうしてこんな大それた物、持ってるわけ?」
 動転のあまり、すっかりいつもの口調に戻ってしまっているフェイスマン。
「そんなこと、私が聞きたいですわ。」
「パトリシア、あのネックレスはS国の大使夫人と同じ物だって言ってたね。」
 ハンニバルが優しく聞いた。
「ええ。元々、大使夫人が父の店に特別注文した物で、それを見た私が気に入って、そっくり同じ物を後から作らせたのですわ。」
「じゃ、大使夫人と同じ席で2人共それを着けていたことは?」
「確か……3日前のパーティで大使夫人とご一緒した時に着けていましたわ。私、知らない方とぶつかってネックレスを落としてしまって、拾っていただいたから覚えているんですの。夫人もこのネックレスをしていたと思いますわ。」
「その時、入れ替わったってわけだ!」
 マードックが叫んで、指を鳴らした。
「夫人はイミテーションのネックレスを用意して、それに情報を仕込んで受け取ろうとしていたんだ。それまでは、これ見よがしに本物の方を着けていれば、誰も疑わないもんな。」
「なるほど。そこに思わぬハプニングが起きたってことか。」
 と、コングも頷いた。
「そうとわかれば、早速乗り込みましょ。」
 葉巻の煙を吐き出して、ハンニバルが言った。
「ちょっと、ねえ、ハンニバル、まさか、大使館に乗り込むって言うんじゃあ……。」
 フェイスマンは、ハンニバルの上着の裾に取り縋らんばかりであった。
「何言ってんの、やだね、お前さんは。それ以外に、どこに乗り込むっての?」
 ハンニバルにあっさり肯定されて、フェイスマンは思わず額に手を当てた。
「私もご一緒してもよろしいんですの?」
 やっぱり事態をよく理解していないパトリシアが、嬉しそうに言った。



*10* 大使館

 S国大使館の一室では、大使夫人がスーツ男と2人の部下を叱りつけているところだった。
 この大使夫人、実はS国情報部の人間である。スーツ男を始めとする3人は、夫人の直属の部下なのであった。
「全くもう、あんたたちと来たら、揃いも揃って本当に役立たずなんだから! 何のためにただのヤクザを装ってそんな格好で行かせたと思うの? それを、そのままここに入ってきちゃ何にもならないでしょっ。その上、ネックレスも取り返せなかった、ですって? あんな小娘1人に何を手間取ってんのっ!」
「でも、マダム、妙な4人組が娘にくっついてて、こいつらが滅法強いんですよー。」
「そうなんです。中の1人は黒人の雲を突くような大男で……。」
「大体、相手を間違って情報を渡すなんて、向こうもどうかしてますよ。」
 夫人に睨まれて、3人は慌てて口を閉ざす。
 その時――
 どっかーん! めりめり……。
 という音と共に、壁を突き破って、部屋に紺色のバンが突っ込んできた。
「な、何事?!」
 夫人は転びそうになるのを何とか踏み堪えて叫んだ。
 バンの扉が開いて、Aチーム+パトリシアが降り立った。
「奴らだーっ!」
「お黙りっ!」
 狼狽する部下を一喝して、夫人は尋ねた。
「あんたたち、何者なの? ここが大使館だと知っての行い?」
 銜えていた葉巻を手に持って、ハンニバルが答える。
「名乗るほどの者でもないがね、あたしらはAチーム。このお嬢さんに頼まれてね、あんたらがこれ以上ちょっかい出さないよう、直談判に来たってわけ。」
「そう……あなたたちがあのAチームなの。じゃ、もう気がついているんでしょ。」
「ネックレスのことかい。」
「今更、隠しっこはなしにしましょう。あなたたちも軍には恨みがあるんでしょ? どう、この際、手を組まない?」
「生憎だが年増は苦手でねえ。」
 一方、このハンニバルと大使夫人の舌戦の間に、パトリシアはマードックに囁きかけた。
「……ねえ、マードック様。私ずっと考えていたのですけれども、もしかして、今度のことは、私と大使夫人をお間違えになった方がいらして、間違えてネックレスをすり替えてしまったから起こったんですの?」
「ん? ああ、そうだよ。」
 マードックの返事を聞くや否や、パトリシアはスーツ男たちの方につかつかと歩み寄っていった。
「私と大使夫人をお間違えになったのは、あなたですの?」
 パトリシアは厳しい表情でスーツ男に詰め寄る。
「ちっ、違……。」
 男は否定しようとしたが、パトリシアは聞いていなかった。お嬢様の意外な行動に、ハンニバルと夫人も思わず会話を忘れて、ことの成り行きを見守っている。
「あなたですのね?」
 パトリシアの口調は、確認のそれであった。実際、間違えた張本人はとっくにS国に引き上げてしまっているのだが、迫力に押されてスーツ男はつい頷いてしまった。
「あなたの目は節穴ですの? よくご覧になって。私は19で、ウエストは58センチですのよ! 夫人は30過ぎで、うっすら脂肪がついてきていますわ! どうして、どうして、この私を夫人と間違えるんですの? 侮辱ですわ! そんな役に立たない目は、私が取って差し上げます!」
 そこまで言うと、やおらパトリシアはスーツ男の目に指を突っ込んで、抉り出そうとする。逃げ惑うスーツ男。追うパトリシア。
 一同は呆気に取られてその光景を見ていた。
 それから、我に返ってパトリシアを止めようとする。フェイスマンがパトリシアの腕を掴んだ。
「ぺック様、止めないで下さいませっ。」
「パトリシア、それはちょっと、あのね、まずいんじゃないかな。ね、いい子だから。」
「どうしてもいけませんの?」
「そう。そうだよ。」
「では、ぺック様に免じて、今回は許して差し上げます。これから気をつけるのですよ。」
 パトリシアは壁にへばりついているスーツ男に、女王然として言った。ガクガクと頷くスーツ男。2人の部下は、両脇で貰い泣きしていた。
「……何なのよ、その子はっ?」
 背後から怒りを抑えた声がして、Aチームの面々は恐る恐る振り返る。
 そこには怒りに青ざめた大使夫人が、震えながら立っていた。
「うっすら脂肪がついてるですって? 間違えられたのが侮辱ですって? ……言ってくれるじゃないっ、小便臭い小娘が!」
「まずい!」
 ハンニバルは咄嗟に部下たちを振り返って頷いた。
 フェイスマンが、壁際のスーツ男の手にマイクロフィルムを押しつける。
「あの、これ、返すよ。それじゃ、お邪魔さん。」
 Aチーム一行は大急ぎでバンに乗り込み、逃げ出した。夫人が大爆発する音を背にして、一目散に逃げ出したのである。



*11* フェイスマンズ・ルーム

 こうして、一応、敵が奪い返そうとしていた物は返したし、夫人は怒っているかもしれないが、夫人の部下たちはすっかりパトリシアに恐れをなしてしまったので、パトリシアのボディーガードというAチームの仕事は終了したのであった。
 しかし、パトリシアに恐れをなしたという点では、フェイスマンも同様だった。あれから毎日、パトリシアはフェイスマンのマンションを訪ねてくる。
「フェイス〜、お迎えが来たぜ。」
 窓からマンションの入口を覗いていたマードックが言った。
「俺はいない、いないからね、モンキー。」
 フェイスマンはクロゼットに隠れようとしている。
「いいじゃねえか、一途におめえのことを慕ってるんだ。」
 コングは人事なので、何とでも言える。
「色男は辛いねえ。」
 ハンニバルがニヤニヤしながら呟く。
「頼むよ、モンキー。パトリシアはお前に譲るからさ。友よ、女を分けよう。」
 そう言い置いて、フェイスマンはクロゼットの中に姿を消した。
「……それを言うなら、友よ、糧を分けよう、でしょ。」
 マードックは肩を竦めて、入ってきたパトリシアにクロゼットの扉を指し示した。
【おしまい】
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