私の苦悩は誰も知らない
伊達 梶乃
 ストックウェルを通して政府が依頼――いや、命令する仕事を引き受けるようになってからも、Aチームの面々は相変わらずロサンゼルスの街に出没していた。



*1*

 そぼ降る雨にも負けず、表通りは人で賑わっている。青年は時計の窓についた雨の雫を指で拭い、時間を見た。午後8時5分前。彼は角を折れ、ネオンの灯で時刻さえもわからぬ表通りを離れた。
 1本奥まっただけで通りから人の足は絶える。その通りをしばらく歩いていくと、彼の目に、所々電球の切れたネオンの見すぼらしい看板が映った。クリーング店だ。店の外に蒸気が吹き出している。
 安物のビニール傘を畳み、青年は店のドアを押した。カウンターに背を向けプレス機を操作している老人1人しか店にはいなかった。
「今晩は。リーさんって方にお会いしたいんですが。」
「わしがリーじゃが、おたくはどちらさんで?」
「あ、始めまして、僕はシドニー・ジャンセンと言います。Aチームに仕事を……。」
 老人が人差し指を立てて口に当てた。“シー”の合図に他ならない。
「Aチームの名は禁句じゃ。口に出してはならんぞ。もし、その言葉をどうしても使いたいのなら、代わりに“ピー”と言うがいい。」
「はい、“ピー”ですね。……ピーに仕事を依頼したくて、アイダホから来たんです。友人から、リーさん、あなたに頼めば、ピーに連絡が取れると聞きまして……。」
「ピーに仕事を頼むには金が必要。いかほどお持ちかな?」
「5000ドルあります、キャッシュで。足りないでしょうか?」
「まあええじゃろう。ここの角を曲がって表通りに出たすぐの所にあるカクテル・ラウンジ“キューバ・リバー”、そこのカウンターの一番奥の席で、ピンムス・ナンバーワン・カップのキュウリ抜きを注文してみなされ。運よくピーに気に入ってもらえれば、会うこともできるんでないかい?」
 そう言うと、リー老人は再びプレス機に向き直り、皺の入ったスラックスをプレスし始めた。
「わしに言えることはそれだけじゃ。気をつけて行きんしゃい。」
「どうもありがとうございました。」
 礼儀正しく感謝の意を述べると、青年――シドニーは、ドアを開けて、生暖かい雨の街へと戻っていった。
 彼が出ていくのを見届けたリー老人は、棺桶に片足を突っ込んだような風体のじいさまとは思えぬ素早さで店を閉めると、傘も差さずに雨の中に走り出た。



*2*

 “キューバ・リバー”という名にそぐわず、店の中にはマントヴァーニの曲が静かに、しかし豪奢に流れている。客もまばらな一枚板の長いカウンターに沿って歩きながら、彼はストリングスの響きに耳を傾けた。古い思い出が頭の中を過る。
“アンジェラのピアノに合わせて、よくバイオリンを弾いたっけ。”
 だが今はその思い出を頭の中に浮かべる時ではない。彼は目線を上げ、クリーニング屋の老人が指定した一番奥のスツールに手をかけた。
「お客さん、そこ指定席なんだけどね。」
 座ろうとした途端、カウンターの向こうで色の浅黒いバーテンダーがそう諭した。それに対しシドニーは、自分がリー老人に教えられてこの店にやって来たのだと告げる。
「リーさんの紹介ならいいんだ、さあ座った。で、ご注文は?」
 先ほどとは打って変わった調子で言うバーテンダーは、スツールに腰かけた客人の前に、つまみのナッツを1皿置いた。
「ピンムス・ナンバーワン・カップのキュウリ抜きを。」
「ねえ、お客さん、ピンムス・ナンバーワン・カップはキュウリが入ってるからピンムス・ナンバーワン・カップって言うんで、キュウリを抜いちまったら、ジン・バックやジン・リッキーと大差ねえぜ。」
「それでもいいんです。キュウリを抜いたピンムス・ナンバーワン・カップをお願いします。」
 淡い水色の瞳が一途にバーテンダーを見つめる。引くことを知らない眼だ。根負けしたバーテンダーは、軽く頷くとタンブラーを手に取った。
 それを見ながら、シドニーは何気なくジャケットの内ポケットに手を差し入れ、5000ドルの存在を確認した。この5000ドルは、彼が大学在学中にアルバイトをして貯めたものである。
「はいよ、お待ち遠さま。」
 と出されたグラスの下の、コースター代わりの紙ナプキンに、何やら走り書きの文字がのたくっている。
《ナッツの敷紙の裏を見ようね。》
 不思議に思いながらも、シドニーは敷紙を引き出し、その裏を見た。そこにも文字が。シドニーは嬉しさのあまり、声を出して読まずにはいられなかったが、それを理性で押し止め、声を出さずに口を動かすだけにしておいた。
《Aチームに会いたきゃ、調理場へおいで。》



*3*

 調理場は雑然としていた。大きなフライパンを手にナッツを炒っている体格のよい黒人と、独り言を言いながらグラスを洗っているヒョロッとした男、その2人の周りと言ったら、洗ったのか洗っていないのか定かでない食器類や、後々はサラダか何かになるであろう野菜たちや、ガーリックとバターを塗っておきながらまだトーストしていないガーリック・トーストや、塩や胡椒や砂糖や、卵や缶詰や壜詰やらでごちゃごちゃしている。床には、空になった酒壜が何の規則性もなく立てられている。
 シドニーが呆然と戸口のところに立っていると、彼の真っ正面にある裏口の扉が勢いよく開いた。
「あ、まだ始めてない? どうやら間に合ったようだな。」
 そう言いながら肩で息をして飛び込んできたのは、先刻別れたばかりの、クリーニング屋のリー老人だった。
「おい、モンキー、コング! お客さんだぞ。」
 調理場にずかずかと入り、リー老人は2人の男の手を止めさせた。それから大声で、
「フランキー! こっちへ来い!」
 と叫ぶと、懐から葉巻を取り出し、雨で湿っていないのを確かめる。そして、葉巻に火を点けた。
 まだまだ呆然としているシドニーの後ろからバーテンダーがやって来て、彼を押し退け調理場に入る。
「店に誰もいないってのは、まずいんじゃないの?」
 バーテンダーがリー老人に言う。
「おや、フェイスはいないの?」
「奴さん、また例の病気が出ちまってさ……。」
「ま、いいでしょ。これで全員集まったってわけね。」
 リー老人がずいっと一歩、シドニーの方へ歩み出た。
「Aチーム、只今参上!」
「今更、只今参上もねえよな。」
 リー老人の後ろで、フライパンを持ったまま黒人が言う。だが、リー老人の耳には入っていないようだ。
「クリーニング屋のリーとは世を忍ぶ仮の姿、俺がAチームのリーダー、ジョン・ハンニバル・スミスだ。で、このバーテンダーがフランキー、フライパン持ってんのがコング、そんでもってグラスとお話してるのがモンキー。もう1人、フェイスってのがいるけど、女の尻追っかけてて行方不明なんで今回はお休み。さて、シドニー君、ご用件をお聞きしましょうか?」
 この台詞の間に、リー老人は変装道具の中国人カツラと中国人ヒゲを取って、アメリカ人(かどうかは外見ではわからないが、少なくとも東洋人ではない)のハンニバルになっていた。
 シドニーも、この台詞の間に呆然自失の状態から脱していた。



*4*

「僕はアイダホから来たシドニー・ジャンセンと言います。率直に依頼内容を言うと――監禁されている恋人を奪ってきてほしいんです!」
「そらまた簡単な仕事で。監禁されてる場所にもよるけどさ。とにかく俺、店に戻らないとヤバいよ。モンキー、話、よっく聞いといてな。」
 バーテンダーのフランキーは、いそいそと調理場を後にした。
「それで、率直じゃなく言うと?」
 と、ハンニバル。
「今までの粗筋ってヤツ聞かせてよ。俺の可愛いリキュールグラスのファニタちゃんも聞きたいって言ってるぜ。」
 モンキーことマードックの言葉に反応して、コングの眉間に皺が寄る。賢明なシドニーは、この第2センテンスを無意識的に無視した。
「では、少々長くなりますが……。」
 シドニーが、頭の中の思い出を呼び起こすように、じっと天井を見つめる。モルタルが何とも頼りない天井である。もし、これがミュージカルなら、ピアノの伴奏でバラード調ワルツの、シドニーのソロが始まるところだろう。
「彼女の名はアンジェラ・ピーターソン。僕の幼馴染みにして、フィアンセです。……フィアンセと言っても、僕たちの間だけで決めたことで、親は許してはくれませんでしたが……。彼女は僕より1つ年下で、物心ついた頃から一緒に遊んでいました。彼女の家と僕の家は隣り合っていて……隣り合うと言っても、ジャガイモ畑に邪魔されて自転車で30分以上、そう1時間近くかかりました。ハイスクールまでは、僕たち2人とも幸せだったんです。僕も彼女も母を亡くし、それでも僕には彼女が、彼女には僕がいれば、それで十分に幸せだったんです。ハイスクールを卒業した僕は、カリフォルニアの大学に行くことになりました。町を出るその日、彼女と僕は結婚の約束を交わしました。彼女の流した涙は嬉しさのためか、別れる悲しさのためか、わかりませんでしたが。……だけど――。」
「だけど?」
 今までゆったりとしていたシドニーの口調が、一転して早口になる。ミュージカルなら、エイトビートのロックでズズチャカやっているシーンになるはずだが、残念ながら小説ではそこまで表現できない。各自、好みのBGMを聞きながら読むようお勧めする。
「だけど、僕が大学を出て家へ帰った日、僕は父さんと彼女の父親に、きっぱりと“アンジェラと結婚したいんだ”と告げました。その時から、僕は彼女に会うことを禁じられました。結婚はおろか、つき合うことまでできなくなってしまったんです。僕には、父さんと彼女の父親がどうしてこんな仕打ちをしたのか、理由はわかっているんです。僕たちとは全く無関係に、2人の仲が悪いからです。それを僕たちにまで押しつけるなんて横暴すぎます。それから僕は、親の妨害にも負けず、彼女に会いに行きました。何度も、何度も。けれど彼女は父親に監禁されている上、彼女の父親の異常なまでの攻撃、それは並大抵のものではありませんでした。時には彼女の父親自身、僕に銃を向けることさえもありました。時には人手を使って、僕に殴る蹴るの暴行を加えることもありました。歯を数本折られ、各所に打撲傷を負わされましたが、僕は断念せずに、彼女に会いたい一心でトライし続けました。し続けて、し続けて、半年が経ちましたが、僕は彼女に会うどころか、言葉を聞くこともできません。彼女とは、もう5年近くも会っていません。5年経って、彼女がどんなに綺麗になったことか……どんなに大人っぽくなったことか……僕には確かめる術もありません。僕は就職もせずに、父の畑仕事を手伝いながら、夜になると彼女の家を訪ねて行っているのに……。どうかAチームの皆さん、アンジェラを僕の許に救い出して下さい!」
「わかった。」
 シドニーの長い話が終わるや否や、ハンニバルが短く言った。
「報酬は1人1000ドルずつ、フェイスが抜けてるから合計4000ドルで引き受けよう。Aチームの相場としちゃ安すぎるが、坊やの根性に免じて割引料金だ。」
 ハンニバルの言葉に、コングが頷く。人情家のコングは、無料でも引き受ける気でいたのだ。マードックは、シドニーの話に涙していた。リキュールグラスのファニタちゃんだけでなく、ブランデーグラスのアルフレッド君と、ゴブレットの助清どんまで抱き締めて泣いている。
「どうもありがとうございます。」
 シドニーは3人に駆け寄ると、その手を握った。
「今すぐ車でアイダホへ向かえば、明日の昼には着くな、車で。」
 コングが、車で、を強調した。ハンニバルが葉巻の煙を吐いた後、2人に命令する。
「コングはバンを裏に回せ。モンキーとフランキーは店を閉めろ。」
「その間、あんたはどうすんだ?」
 コングの問いに、ハンニバルはニッカリと笑った。
「1杯飲みながら、作戦を練るとしますか。」



*5*

 紺色のバンは西海岸沿いに北上していた。かなりスピードが出ているが、夜の間は交通量が少ないので事故の心配はない、だろう。警察に見つかったら州境までブッちぎりだ、という輩であるから、速いの何の、アイダホには朝のうちに到着できそうだった。
 交代で運転し、交代で眠ること約半日、Aチーム一行はアイダホの高地に着いた。
 ロサンゼルスに比べると、高地であり北部であるアイダホは肌寒い。見渡す限り、ジャガイモ畑。所々に家がある。さすが、ポテトチップスの産地アイダホ。〔お断りしておくが、作者はアイダホがどのような所か全然知らない。風景描写は全て想像であり、フィクションであるため、多大な誤解があってもお許し願いたい。〕
「この道を真っ直ぐ30キロほど行くと、南に折れる道があります。そこを曲がって、20キロくらい行った所です。」
「もうすぐだな。どういう作戦でやるんだ、ハンニバル?」
「コング、運転を代わってくれ。――作戦はだな、まず奇襲攻撃だ。相手は素人衆、銃は使わん。監禁されている場所は彼女の部屋、だな、坊や? 家の見取図は描けたか?」
「はい、これがそうです。」
 と、シドニーが手帳の1ページを破いて、ハンニバルに渡した。それを見てマードックが言う。
「何なの、このホテルみたいな間取りは? 部屋数も馬鹿になんねーし、4階建て? そんでもって、アンジェラちゃんは入口から一番遠い、4階の一番端にいるってわけ?」
「そうです。1つ1つの部屋は彼女の父親が雇っている労働者のものです。1人でジャガイモ畑をやっていくわけには行きませんからね。」
「その労働者は何人くらいいるんだ?」
「数えたことはありませんが、少ない時で20人くらいでしょうか……。ジャガイモの収穫期には、もっともっと大勢います。」
「人海戦術かよ……。」
 フランキーが、欠伸をしながら毒づいた。
「中から行くより、4階の彼女の部屋に直接行った方がいいな。」
 見取図をじっくり見ながら、ハンニバルが提案する。
「4階くらいなら登れるだろう、モンキー?」
「ロープがありゃあ楽々だけどよ……ロープ持ってこなかったぜ。」
 マードックがバンの後部、銃が積んである辺りを指差した。そうそうロープや鉤爪など持って歩くものではない、普通は。
「雨樋か何か、壁についてないか?」
 ハンニバルがシドニーに聞いたが、彼は首を横に振った。
「残念ながら……先月までは彼女の部屋の外壁にあったんですが、僕が登ったら壊れてしまいました。」
「それじゃあシドニー、この辺にロープを売ってる雑貨屋はねえか?」
 運転席のコングが尋ねる。
「そう言えば、あったような気がします。昔、一度行った覚えが……。」
「あんまし当てになんねえな。……お前ん家にロープはねえのか?」
「フランキーさん、駄目ですよ。僕が戻ったことが父さんに知れたら、アンジェラの父親にもそれが伝わってしまいます。そうしたら奇襲攻撃になりません。」
「坊やの言う通りだな。雑貨屋に行ってみよう。」
 彼の記憶を頼りに、コングは車を走らせた。


「確かに、ここが雑貨屋だったんですが……。」
 シドニーが指し示した場所、それは十分に古びた空き家だった。
「場所は間違っちゃいないようだな。」
 車から降りたハンニバルが、空き家に近づいた。ドアに鍵はかかっていない。ミシミシと軋む木の床を、注意深く、踏み抜かないように進み、空き家の中を一通り見渡す。
「何かあったかい、ハンニバル?」
「いや、何も。ロープどころか、空き缶すらもない。……こりゃ、敵陣に乗り込むしか手はないね。」
「乗り込む……って?」
 シドニーが心配そうな顔をして尋ねる。
「玄関から入ってく、って意味よ、坊や。」
 ハンニバル以外の4人は、苦虫を噛み締めている最中としか言いようのない表情で、この楽しそうなリーダーを見つめていた。



*6*

 ハンニバルの無鉄砲にして無謀な作戦――だーっと押し入って、アンジェラをかっさらって、だーっと逃げる――を実行しようとした彼らは、玄関口に行き着く前に、アンジェラの父親、ジョセフ・ピーターソンとその使用人20余名に旧式ライフルを向けられ、呆気なく納屋に閉じ込められた。
 納屋とは言え、アイダホの納屋、それはそれはだだっ広く、薄暗いために、向こうの壁が見えない。倉庫と言った方が、絶対正しい。
「奇襲作戦は失敗した。次の手を考えよう。……コング、お前は何か作って、奴らと対等に戦えるようにするんだ。」
「けどよ、こう暗くっちゃ……。」
 コングが言い終わる前に、シドニーが電気を点けた。アイダホにだって文明の利器は存在するのだ。
 先ほど壁が見えなかったのも無理のないことで、彼らの周りは、とにかくジャガイモの山だった。呆気に取られるAチーム。シドニーは見慣れているのか、驚いた様子はない。
 ――そして数分後。
「ねえ大佐、バンの中に銃あるんじゃねえの? それがありゃ、コングの妙な機械を使わなくっても……。」
「実のところな、モンキー、銃はないんだ。バンに積んであったヤツは全部、ストックウェルに押収された。用心深い男だ。」
「はい、僕に案があります。」
 シドニーが手を挙げた。どんな案かと、全員が耳を澄ます。
「ジャガイモを投げつけてやりましょう。」
 Aチームの4人は、目を瞑り、下を向いて黙祷してしまった。
「馬鹿にしているようですけど、ジャガイモが当たると、かなり痛いんですよ。」
「その意見は保留にしておこう。納屋の中を隈なく調べて、何か使えそうな物があったら、そっちを使う。探しても何も見つからなかったら、坊やのジャガイモ作戦で行こう。」
 天晴れ、ハンニバルの大岡裁き。シドニーの考えも取り入れ、公平な処分であった……とは言い難い。
 ともかく、Aチームと坊や1人は、ジャガイモ以外の物を探し始めた。段ボール箱に入ったジャガイモ、裸のままのジャガイモ、芽の出たジャガイモ……何が何でもジャガイモしか出てこない。今のところ。
「あれ? このビニール、何だろう?」
 フランキーの声に、全員が彼の周りに集まった。黒い不透明のビニール袋。透明でなく黒い、という辺りが怪しい。
 ハンニバルは、何か隠してるな、と感づいた。思いの外、袋は重い。そして、袋は大きい。マードックは、父親がアンジェラを殺してしまい、その死体を袋に詰めてジャガイモの山の中に隠したのでは? とか、サスペンス劇場みたいなことを考えていた。もし、そうだったら、怖い。コングは思った……臭い、と。
「げげっ!」
 袋の口を開けたフランキーは、思わず顔を背けた。コングの思いは当たっていた。袋の中は、腐ったジャガイモで一杯だったのである。そのジャガイモは完璧に芽が出ており、イモも芽も十分に腐敗し切っていて臭い。固いはずのジャガイモが、腐れてブヨブヨになっている。これは、誰が見ても、腐っている! と言い切れる状態だった。
 フランキーは顔を背けたまま袋の口を閉じ、元あった場所に戻した。
 そして彼らは再び、黙々と何かジャガイモでない物を探し始めた。


「たーいさーあ! いいモノめっけたー!」
 ジャガイモの山の中から、マードックが叫んだ。疲れ切った声だ。それもそのはず、2時間経った今でさえ、イモ山の薄皮1枚を突破しただけなのだ。ヤケになってイモのトンネルを掘ったマードックの処置は賢明だったと言えよう。
 さて、マードックの見つけた“いいモノ”とは何であろうか? 1.ジャガイモ、2.サツマイモ、3.トロロイモ、4.サトイモ、5.タロイモ、6.コンニャクイモ、7.ゴリライモ。
 ハンニバルその他3人は、その“いいモノ”が何であるかを見定めるために、マードックの方へ向かおうとした。とは言え、4人が各々ジャガイモの隙間に入り込んでいるため、マードックの位置どころか、自分が納屋のどの辺りに位置しているかわかったものではない。上を見ても、右を見ても、左を見ても、前後を見ても、見えるのはイモ。さすがに下は床であるが。ただしフランキーの場合、斜め上方に進んだため、下もイモであった。
「モンキー、何か目印になる物はないか?」
 ハンニバルは聞いたが、そんな物あるはずがない。発煙筒でもあればいいのだが、あればとっくに使っている。
 機転を利かすことと狂ってみせることには多少自信のあるマードック、彼は突然、歌を歌い始めた。そう、音を辿って進んでいけば、マードックに会えるという寸法である。
「♪ダウナーラックリマースルヴィーゾー、オカピートーモルテーコーゼー……。」
 この曲はカンツォーネである。カンツォーネと言うからには、もちろんイタリア語。やるね、咄嗟に『ほほにかかる涙』なんか歌っちゃうところ、インテリ。伊達に士官学校へ行ってたわけじゃないね。
「…………。」
 こらこら、シドニー、聞き惚れてないで進みたまえ。
 マードックがサビを歌い、2番を歌い、『ほほにかかる涙』が終わっても、4人はじりじりと彼の方へ進撃の途中であった。まるで第二次世界大戦でドイツ軍が連合軍に攻め入る時のように、少しずつ、だが確実に、標的に向かって進む。本当に少しずつ。
「今日の1曲目は、サンレモ音楽祭優勝曲、ボビー・ソロの『ほほにかかる涙』でした。続いて2曲目、ザ・プラターズの『トワイライト・タイム』。……♪チャーリラーリティーラトゥーラ、ヘヴンリーシェーゾブナイターフォーリン、イッツトワイライターィム……。」
 こんな調子で、マードックは声を限りに歌い続けた。計10曲を歌い終わった時、やっと最後のシドニーが“いいモノ”の前に姿を現した。
 曲の選択を誤り、音域の広い歌ばかり、声を張り上げて10曲も歌ったマードックは、遂にゲロゲロのカエル声になっていたのだった。



*7*

「何だって、こんなモンがあるんでい?」
 “いいモノ”の前に集まった5人は、あまりの感激・感動・感謝のため、いつもと変わった様子はない。
 “いいモノ”とは、何を隠そう、ヘリコプターだったのであーる。よく隠してあったもんだ。
「これは、農薬散布用のヘリコプターですね。」
 シドニーが現地人の強みで説明した。どのような農薬を、なぜ、どうやって撒くのかを農学部農芸化学科卒の彼は詳しく説明してくれたが、この内容は物語に関係がなく、また長くなるので略すことにする。
「ヘリか……燃料はどうする、コング?」
 ハンニバルはコングに尋ねたのに、フランキーが答えた。
「俺、TVで見たぜ、ジャガイモから作ったアルコールで戦車を動かすんだ。確かあれは……。」
「ギャリソン・ゴリラ。」
 と、マードック。
「材料は、ジャガイモとイースト菌と砂糖。蒸留器は、ドラム缶とパイプ、だろ?」
 さすがマードック、ゲロゲロ声でも頭は冴えてる。トリビアル・パスートをやらせたら、まずピンクのコマ(芸能問題)からクリアするタイプだな。
「ジャガイモはあっても、砂糖やイースト菌、ましてやドラム缶やパイプなんぞ、この納屋のどこにもありゃせんわな。」
 がっくりくるようなことを元気よく言うハンニバル。
 その時、シドニーが大発見!
「このヘリコプター、燃料満タンですよ。」
 今まで何のために頭を働かせたのか、Aチーム。何ゆえ燃料満タンのヘリコプターがある納屋に彼らを閉じ込めたのか、ジョセフ・ピーターソン。これはピーターソン氏の落ち度以外の何物でもなかろう。


「となれば、話は簡単。」
 ヘリコプターがマードックと対になっていれば、鬼に金棒、いや、金棒に鬼。
「モンキーがヘリを操縦して、坊やをアンジェラの部屋まで運ぶ。坊やはアンジェラを連れて、ヘリに跳び移る。万事解決。」
 多少なりとも手抜きの感はあるが、偉大なるハンニバルの作戦である。下々の者は従わざるを得ない。……まあ、手を抜いても仕方ないよね、今回、報酬が桁外れに安いんだから。
 早速、作戦実行。
 マードックとシドニーを乗せたヘリコプターは、納屋の壁をぶち抜き、ジャガイモを散乱させ、すぐそこのピーターソン家の4階の横に空中停止した。わらわらと出てきた使用人どもも、自分たちのところのヘリコプターを壊すに忍びなく、銃を向けても発砲はできずにいる。
 一方、ヘリコプターが開けた穴から納屋の外に出たハンニバル、コング、フランキーの3人は、ジャガイモを投げながら、着々と家の中に乗り込んでいったのであった。ジャガイモ強し。
 ガッシャーン!
 シドニーは、アンジェラの部屋の窓ガラスを割り、窓枠を壊し、あたかも007、ジェームズ・ボンドのように格好よく、部屋の内部に侵入することに成功した。ただ、シドニーとジェームズ・ボンドの違いは、運動神経と反射神経の発達の度合いによって明らかにされた。実践経験の数も問題となるだろう。つまり、部屋の中に転がったシドニーは、ガラス破片による裂傷数多くと、着地時に手首と足首の捻挫を負っており、全治2週間という姿だったのである。
 しかし、アンジェラは助け起こしてはくれなかった。いや、助け起こしてくれるアンジェラはいなかった。シドニーを助け起こそうが起こすまいが、アンジェラはいなかった。部屋は裳抜けの空だったのだ。虚しすぎるぜ、シドニー・ジャンセン。お前は何のために、その血を流したのか。



*8*

 バタウン! とドアを開けて入ってきたハンニバル率いる部下2名は、ジョセフ・ピーターソンを連れていた。このジョセフ・ピーターソンという男、クラーク・ゲーブルの厭らしさと、ゲーリー・クーパーの男らしさと、レックス・ハリソンの渋さと優しさを兼ね備えた、途轍もなくイイ男だ。フェイスマンなど足下にも及ばない。こんな色男をコングが後ろ手に捻り上げているなんて、悲しい。どっちが悪役だか。
「アンジェラをどこにやったんです?」
 シドニーがピーターソン氏に掴みかかる。いくら坊やでも、血をダラダラ流しながら凄むと、なかなかの迫力がある。
「アンジェラは……いない。」
 ピーターソン氏がポツリと言った。顔とぴったりのその声、まさにアテるとしたら中村正。
「3年前、あいつは家を出ていった。女優になると言ってな。私も反対はしなかった。」
「では、何で僕に一言教えてくれなかったんですか? そればかりか僕がアンジェラに近づこうとすると邪魔ばかりして……。僕とアンジェラの結婚に賛成してくれないのは、あなたが僕の父さんに恨みを持っているからでしょう? 死んだ僕の母と結婚するはずだったのは、本当はあなただったんでしょう?」
「いや、そのことはもう水に流した。シドニー、お前が大学に行っている間に全ては変わったんだ。お前の母、ヘザーと私が結婚できなかったのは私が悪かったのだし、彼女が過労で倒れ、何の治療も受けられぬままあの世に召されたのも、お前の父、ユージーンの責任ではない。異常気象でお前の家のジャガイモ畑が全滅してしまったからだ。ヘザーの死は天命だったのだ……。」
「それでは、なぜ僕の邪魔を……?」
「お前とアンジェラを結婚させる気ではいたのだ、私も、ユージーンもな。だがシドニー、お前は根っから生真面目な男だ。アンジェラが本当はジャジャ馬娘で、家を飛び出していったような奴だとお前が知ったら……きっとアンジェラを疎むことだろう。私とユージーンは、そうなることを恐れた。どうしても2人に結婚してほしかったのだ。だから私はユージーンの協力を得て、アンジェラがこの家に帰ってきて私の説得を聞き入れるまで、お前をアンジェラの部屋に、いや、この家に近づけることを妨害し続けてきたのだ。手荒なことをして済まなかった……。アンジェラの本性を知ってしまったお前に頼む……アンジェラと結婚してやってくれ!」
「お父さん……。」
 シドニーはピーターソン氏の肩に手をかけた。このシーンでは手を握り合うのが妥当だろうが、ピーターソン氏の手は彼の背中側でコングに掴まれているので、それはできなかった。
「お父さん、きっとアンジェラを幸せにしてみせます。」
「おお、シドニー!」
 涙を流し合う2人。感動的である。


 誤解も解けて一件落着……ではない。まだアンジェラに会えたわけではないのだから。
「ちょっと済みませんが。」
 ハンニバルが2人の間に口を挟んだ。コングがピーターソン氏から手を放す。
「アンジェラさんの行き先を教えてはもらえないでしょうかねえ。シドニー君が彼女と結婚しようにも、新婦がいなけりゃ式は挙げられませんし。」
「……詳しくはわからないんだが、ロスに行くとだけは置き手紙にあった。」
「灯台もと暗しってヤツだな。」
 コングが呟いた。
「それじゃ、善は急げ。ロスに戻りましょ。」
「……途中で外科に寄って下さい……。」
 踵を返したハンニバルたちの背に、シドニーが弱々しく言った。



*9*

 道中省略、ロサンゼルスに帰り着いたAチームと、包帯と絆創膏だらけのシドニーは、“女を捜すにゃフェイスに聞け”ということで、フェイスマンの借りているマンションに車を向けた。
 運よくフェイスマンは在宅中であったが、部屋には女性が訪ねてきているそうで、廊下での立ち話を余儀なくされた。
「みーんなあ、どこ行ってたの、捜しちゃったじゃない。」
 白々しく言うフェイスマンを、4人の目がジロリと睨んだ。そしてハンニバルが口火を切る。
「ちょいと仕事でアイダホまでね。ところで、この女性、知らない?」
 ぴらっとアンジェラの写真を見せる。高校時代の写真、シドニー所有の物だ。
「昔の写真だから今は顔形が多少違うかもしれん。女は化粧で変わると言うしな。名前はアンジェラ・ピーターソン。アイダホ出身で、3年前に女優を目指してロスにやって来た。この坊やのフィアンセだ。」
 そうハンニバルが言う間、フェイスマンは溜息を連発していた。
「その溜息……知ってるな?」
「どこにいるんでいっ、早く言わねえか!」
 コングが1歩前進した。フランキーの影は、やはり思った通り薄い。
「どうせ振られたんだろ、早く言っちまいなよ。」
 マードックが相変わらずのカエル声で促す。フェイスマンは横に首を振った。
「失礼な、まだ振られちゃいませんよ。……でも、彼女が婚約してたとはね。」
「で、彼女はどこ?」
 そうハンニバルが言うと、フェイスマンは諦めたように白状した。
「彼女……アンジェラなら、ここにいるよ。」
 と、ドアの向こうを指差す。何たる偶然。
 シドニーがフェイスマンを突き飛ばし、ドアを開け、びっこを引きながら部屋の中に駆け込んだ。
「アンジェラ!」
「あら、シドニー。どうしたの、こんな所に……。それにその格好ったら……。」
 ソファに座って、もとい、寝そべって、くつろぎまくっているアンジェラ。彼女は、シドニーの思い出の中のアンジェラとは全くの別人のようだった。どう見ても水商売の女。無情にも、シドニーの包帯姿を見て彼女は笑った。
「君を……君を捜していたんだ。」
「私を? 何でよ?」
 そう言って、彼女はシャンパンの入ったグラスを一気に干した。
「君と結婚するためだ。君のお父さんにも承諾を取った。さあ、僕と一緒に故郷に帰ろう。」
「嫌。」
「どうしてだい? 僕と結婚の約束をしてくれたじゃないか。」
 アンジェラは、再びけたたましく笑った。
「私はもう子供じゃないわ。あの頃とは違うのよ。あんたみたいな万年坊やと結婚するなんてゴメンだわ!」
 手に持った空のグラスを、シドニーに投げつける。彼はそれを避けることができなかった。全治2週間でも、避けようとすればそれくらいできただろうが、そうする気も起こらなかったのだ。グラスよりも、それと一緒に投げつけられたアンジェラの叫ぶような言葉の方が、彼に大きな痛みを与えた。
「もう、あんたの顔なんて見たくもないわ。帰ってよ!」
 俯きながら、彼はドアに向かった。
「また来るよ。考え直しておくれ、アンジェラ……。」
 シドニーが背中で呟く。
「バカ言わないでよ。今度、私の前に現れたら、あんたのその金髪を毟り取ってやるから、覚悟しときなさい!」
 ドアを開けたシドニーと入れ代わるように、フェイスマンが部屋に入ってきた。
「テンプルト〜ン、早くこっちに来てえ〜ん。」
「はあ〜い、アンジェラ〜。今、行きますよ〜。」
 シドニーは後ろ手にドアを閉めた。
「首尾はどうだった?」
 ハンニバルが聞く。シドニーは、口の端を少しだけ上げて笑って見せながら、頭を振った。
「……僕は故郷に帰って、アンジェラが戻ってくるのを待ちますよ。……時間が解決してくれるのを待つしかないですからね。」
 寂しそうなシドニーの背を、4人の手が励ますように叩いた。
 そして5人の男たちは、肩を並べて廊下を歩いていった。


 ハンニバルたちの苦労をフェイスマンは知らない。
 シドニーの苦労をアンジェラは知らない。
 私(作者)の(この話を書くに当たっての)苦悩は誰も知らない。
【おしまい】
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