KONG OF DESTROYER
鈴樹 瑞穂
 右手に3枚に皮を剥いたバナナ、左手にミルクのグラス、TVの画面ではフットボールの試合。この上もなく優雅な(と彼は思っている)時間をコングが過ごしていた時のことである。
「いやあ、コング、ここにいたのか。探しちゃったよ。」
 揉み手をしながらにこやかに近づいてきたのはフェイスマンである。後ろにマードックを従えている。
「何でい。」
「ちょっと頼みたいことがあるんだけどなあ。」
「後にしろい。今いいとこなんでい。」
 コングが再び視線をTVの方に戻した時、画面の前にはいつの間に回り込んだのか、マードックが立ちはだかっていた。
「コング。いけねえなあ。仲間じゃないか。水臭いこと言いっこなしだぜ。」
「……。」
 コングがむっとしたのを見て取って、フェイスマンは慌てて上着のポケットに手を突っ込んだ。
「まあまあコング、これ見て。」
 フェイスマンが取り出したのは、2枚の穴あきコイン――5円玉と50円玉である。
「これは日本のコイン。催眠術の時に使うんだ。頼みっていうのは、つまり、その――催眠術の被験体になってほしいんだ。」
「何い。俺は実験体になんかならねえぞ。」
 早くも拳を固め出したコングに、フェイスマンは両手で落ち着けという合図をする。
「大丈夫。ちゃんと教わったんだから、危険はないよ。」
「誰に教わったんでいっ。」
 コングは胸倉を掴みかからんばかりの勢いで、フェイスマンに詰め寄った。
「いけねえなぁ、すぐ暴力に訴えるその態度。」
 後ろからマードックが話に割り込む。
「てめぇは黙ってな。」
 コングが振り返ってマードックを怒鳴りつけている間に、フェイスマンは素早くコングとの間に距離を取った。そして先手を取って口を開くことに成功した。
「大学教授だよ、ハーバードの。」
「女だろ、その教授とかいうのは。」
「ふふん。ま、ね。だから大丈夫だって。コング、もし被験体になってくれたら、このコイン1枚あげるから。何せ円高真っ盛りの日本のコインだからねえ。ちょっと他のところじゃ……そうそう手に入らないと思うよ。」
 ここで余裕のスマイル。4割方は、はったりの笑みだったが。
「う〜む。」
 コングは腕組みをして考え込んだ。フェイスマンとコインを十分に見比べた後、コングはおもむろに言った。
「一度だけだからな。」
「OK。じゃ、金色と銀色、どっちがいい?」
 フェイスマンの予想通り、コングは金色の5円玉の方を選んだ。もちろんフェイスマンが額面の数字を見比べさせないよう、細心の注意を払ったことは言うまでもない。



 糸に吊るされた5円玉が、ゆっくりと左右に揺れる。
「ほーら、あなたはだんだん眠くなる〜。」
 フェイスマンが浪曲風に繰り返している。マードックが後ろから、少しでも覗き込もうとぴょこぴょこ飛び跳ねるのを後ろ手に制しながら。
 見つめるコングの瞼が、だんだん落ちてきて……遂には閉じた。
「かかった? ねえ、かかったの?」
「静かにしてろって。これから暗示を与えるんだからさ。」
 フェイスマンはなぜか口の周りを舐めて、コングの方に向き直った。
「聞こえますか? 気を楽〜に持って……。これから言うことをよく聞いてください。飛行機など怖くありません。飛行機は安全な乗り物です。」
 コングの眉間にシワが寄り、唸り声が漏れる。
「苦しんでるみたいだぜ。」
 マードックが言った。
「いいんだよ。コングだってねえ、ずーっと一生飛行機嫌いってわけにはいかないんだから。」
「だけどさあ、これ、ホントに効くの?」
 疑わしげなマードックに向かって、フェイスマンはキッと顔を上げた。
「あぁ、もう。ホントに、もう。モンキーったら、少し黙ってろ。」
「いいじゃんかよ! 俺だって、やってみたいのっ。」
「素人は引っ込んでろって。今、大事なとこなんだから……。えーっと、次には……。」
 フェイスマンはおもむろに上着の内ポケットからメモを取り出し、目を通す。
「何々、苦しんでいる時には、バニラエッセンスを嗅がせて鎮静剤の代わりにする、か。バニラエッセンスなんてあったっけ?」
「台所にあるんじゃないの。」
「探してくる。いいかモンキー、勝手なことするんじゃないぞ。」
 いかにも忙しそうな足取りで、フェイスマンがキッチンに消える。その背中を見送って、マードックはにっこりと笑った。
「いなくなっちゃえば、こっちのもんだぜ。ふふふん。」
 相変わらず眉間にシワを寄せているコングの方に向き直り、暗示を与え始める。
「いいか、コング。お前は図体はでかいし、馬鹿力でキングコングの再来と言われた男だぜ。飛行機なんか怖いわけないよなっ。」
 一応最初はまともな線を行っていたが、喋っているうちに段々エキサイトしてきて自分でも何を言っているんだかわかんなくなってきてしまうところが、マードックが精神病院に入っている所以である。
「何しろコングは強くてよ、通った後にはペンペン草1本たりとも残らないって専らの評判じゃねえか。俺も全くそう思うぜ。ま、言うならば破壊の帝王だな。コナンも真っ青! 一旦暴れ始めたら留まるところを知らず、並みいる悪者を千切っては投げ、千切っては投げ……あれ、何か違うな。」
 気づいた時にはもう遅い。すっかり別種の暗示がかかってしまったコングは、のそりと立ち上がり……。
 ガチャーン!
 どすどすっ!
 ばきっ!
 異様な物音に驚いたフェイスマンが飛び込んできた時には、マードックの言葉通り、部屋中のものを破壊しつつ暴れまくるコングの姿があった。
「モンキー! 何だよ、これはっ?」
「フェイスぅ、何とかしてくれよ。」
「何とかったって……何とかって、どうすりゃ……!」
 めり……。
 フェイスマンの額を、つうっと汗が伝う。
 2人の隠れているソファの背凭れに、指輪だらけのコングの拳が食い込んだ。
「うわっ、コング、俺たちだよ、わかんないのかっ。」
 ほとんど悲鳴に近い叫びをフェイスマンが上げる。
「あーらら、白目剥いちゃって、こりゃわかんないわ。」
 妙な余裕を見せているマードック。
「そんなコト言ってる場合かよっ。」
 そう、そんなことを言っている場合ではなかった。白目を剥いたコングは鼻息も荒く、フェイスマンの襟首を掴み上げた。
「わーっ、顔だけは勘弁して。」
 ばぐっ!
 次の瞬間、殴り倒されていた。――コングが、後ろから来たハンニバルによって。



 背凭れ部分からスプリングのはみ出したソファに座って、フェイスマンが溜息をつく。
「なぁーんも覚えていないわけ? 全く? 何にも?」
「ああ、本当に俺がこいつをやったのか?」
 嵐の過ぎ去った後のような部屋の惨状を親指で差して、コングが聞く。
「他に誰がこれだけのパワーで物を壊せるんだよ。」
 部屋の主であるフェイスマンは、既に悲しいのを通り越して、やけくその域に入ったらしい。
「ああ、お取り込み中のところ済まんがね、仕事が入ったのよ。3時の飛行機で出発するぞ。」
 ハンニバルの言葉に、一瞬顔を見合わせ、期待に満ちた表情でコングを見守るフェイスマンとマードック。
 が、次の瞬間、コングは叫んだ。
「俺ぁ、ゼッタイに飛行機なんて乗らねえぞ!」
【おしまい】
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