The love of money is the root of all evil.
伊達 梶乃
――プールサイドに降り注ぐ陽差しの中で、俺は白いデッキチェアに寝転んでいた。こうして日々重なる仕事の疲れを癒すのが、休日の習慣だった。ハードボイルド小説に飽き飽きした俺の手には、アルベール・カミュの『異邦人』。暑い夏には、カミュの小説がよく似合う。甘味抜きのギムレットは、爽やかで……そして、熱い。俺の心のように。
「私にも同じもの、いただけるかしら?」
 不意に女の声が耳に飛び込む。彼女の笑顔は太陽よりも眩しい。その輝きに耐える術のない俺は、サングラスに手を伸ばした。これほどの美しさ……それは罪以外の何物でもない。
「この酒は、君には強すぎる。別の軽い酒を……。」
「私はあなたと同じものが飲みたいの。」
「では、カンパリソーダを2つ運ばせよう。いいかい?」
 頷く彼女の唇は、カンパリの色、深い紅。……やはり、その味も甘く、微かに苦いのだろうか。――
「フェイス、何書いてんの? 恋愛小説?」
 タイプライターを叩いているフェイスマンの後ろから、エンジェルが覗き込んだ。
「歯の浮くような言葉なら、お得意よね。」
「エンジェル〜、それはないでしょ。これのどこが恋愛小説なわけ? 俺はね、自伝を書いてんの。ノンフィクションの自伝をね。」
「ふーん。自伝。ノンフィクション。……嘘つき。」
 ちらりと冷たい目で見る。
「いいの。俺は歯の浮く台詞の次に嘘が得意なんだから。」
 そう言うと、フェイスマンは再びタイプライターを打ち始めた。
「まあ、せいぜい頑張ってね。」
 フェイスマンに背を向けたエンジェルは、ベランダでダンベルを上げ下ろししているコングと、その横のディレクターチェアに座って葉巻を燻らせながら『リターン・オブ・アクアドラゴン』の台本を読んでいるハンニバルと、東南アジア風の妙な踊りに興じているマードックの方に歩み寄った。
「随分と暇そうね。仕事とか依頼とか事件とか、ないの?」
「ないこともない。」
 ハンニバルは深緑色の台本から目を上げた。
「仕事の依頼はあったが、断った。サウジアラビアの油田を奇襲し破壊せよ、ってね。依頼主は、イラクのお偉いさん。」
「飛行機に乗んなきゃなんねえってーから断った。」
 とコング。
「砂漠にはラクダがいるから断った。」
 とマードック。
「2人はこう言うし、フェイスはアラブ系の女は好きじゃないそうだし、俺には大切なアクアドラゴンの撮影があるから断った。」
 とハンニバルも前に倣って断った理由を述べた。
「……コングの理由はわかるわ。ハンニバルのも。フェイスのも、何とかね。でも、モンキー……ラクダっていうのは何? なぜ、ラクダがいるっていう理由だけで、依頼を断るのよ?」
 エンジェルの声は裏返っている。理性ここにあらず。
「エンジェルはラクダ恐くないの?」
 マードックの声は非常に冷静だった。
「あんな奇々怪々な動物、同じ哺乳類として許せないの、俺としては。だってさ、足はガンモドキみたいだし、コブはあるし、何たって鼻の穴が自由開閉なんだぜ。そのくせ、睫毛が異様に長いじゃん。ラクダなんかが存在してっから、俺、『アラビアのロレンス』見られないんだかんね。」
「はあ、左様で。」
 理性を取り戻したエンジェルは、マードックに対して今度は呆れて見せた。
「左様です。」
 マードックには、呆れ顔も通用しない。
「それじゃあ話は変わるけど、ハンニバル?」
 エンジェルは立ち直りが早かった。
「日々の糧はどうする気なの? 正規の手続きでこの家を借りて、キャッシュで家具なんかも買って、もう貯金はないんでしょ? 仕事もないし。」
 と、Aチームの面々を見渡した。
「というところで、新聞社でアルバイトしない? 今、人手不足なのよねー……。」
「その話をするために来たわけね。」
 ハンニバルは、エンジェルの作り笑いに、ニッカリ笑いをお返しした。
「折角だけど、真っ当に生きる決意をした俺たちには、もう真っ当な仕事がある。俺はもちろん、役者。モンキーは病院に戻る、これも一つの仕事。コングは働き者だからして、昼は修理工、夜はトレーニングジムのインストラクター。フェイスは小説家になりたいそうだ。エンジェルんとこの新聞に載っけてやってよ。Aチームのメンバーが書いた小説なんて、ウケるんじゃない?」
「内容はどうであれ、ウケることは確実ね。そうよ、あれを自伝だと思って読むからいけないんだわ。恋愛小説だと思って読めば、フェイスの文章もなかなかのものよね。日曜版に載せれば、連載も週に1本だから大変じゃないし。面白そうなプラン! 早速、文化面あたりの編集長に話してみるわ。じゃあね。話が決まったら、また来るわ。」
 仕事の鬼のエンジェルは、飛ぶように帰っていった。
 そして、Aチームの4人は各々、元通り、台本読みに、トレーニングに、タイプライター打ちに、踊りに、専念し始めた。



 しばらくすると、テンプルトン・ペック=フェイスマンの名は売れっ子の恋愛小説作家として、世間に轟くことになった。
 週に1本の連載は、日に1本の連載となり、多くのファンの支持によって早々とハードカバーの本を出し、書き下ろしのペーパーバックスも出版され、裕福な生活が予想されるところだが……。
「いいか、フェイス。今度、眠いとか、肩が凝ったとか、手が疲れたとかグチを零したら、ただじゃ置かないぞ。」
 タイプライターの前に座りっ放しのフェイスマンに向かって、ソファに寝そべったハンニバルが冷たく言った。
「頭が重い〜。言葉が浮かばない〜。」
 書き下ろし恋愛小説の次回作『山で出逢った女たち』を執筆中のフェイスマンは、ここ数日、ろくに眠っていなかった。
「ハンニバル、少し横になっていい?」
「お前はすぐに寝るからダメだ。」
「でも、お尻が痛い〜。自慢のお尻が平べったくなっちゃったら、ハンニバル、責任取ってよね。」
「前回の『海で出逢った女たち』を上回る小説が書き上がらない限り、寝ちゃダメだ。」
「せめて、タイトルを『都会で出逢った女たち』に変更したいんだけど……。」
「ダ・メ。」
「も〜、ハンニバル〜。ちょっとは妥協してよ〜。」
「稼いで稼いで稼ぎまくる。儲けて儲けて儲けまくる。真っ当に生きるんなら、これしか楽しみがないでしょ。あ、フェイス、それが終わったら、映画の原作、書いてよ。主役は俺ね。」
「ハンニバル……俺、小説家やめる。真っ当に生きるのもやめる。金の亡者みたいなハンニバルを見てるの、俺、もう嫌だ。」
「そんなこと言ったって、フェイス、沢山のファンを泣かせるのは忍びないでしょ。……さてと、アクアドラゴンの撮影にでも行ってきましょうかね。」
 ハンニバルはソファから起き上がって、上着を持つと、家を出た。
 ハンニバルの乗った車が遠ざかっていくのを窓から見ながら、フェイスマンは受話器を手に取った。
「もしもし、警察? 僕、Aチームが今、住んでる家を知ってるんだけど。(略)MPのデッカーさんにも教えてあげてね。」



「あんなに上手く行ってたのに、何であの家がバレちゃったのかしらね。私の所にもMPが来て、危うく連行されるところだったわ。」
 コングの勤めるトレーニングジムの男性用更衣室で、人目を気にしながら、エンジェルが言った。
「撮影所にも来ましたよ。アクアドラゴンの湖に車がはまり込んで、撮影延期になっちゃってねえ。」
 ハンニバルは、ご機嫌ナナメ。
「近所の人のタレコミかなあ……。あの家には愛着があったのに、帰れないなんて残念。真っ当な生き方もおしまいか。」
 フェイスマンも、不機嫌な振りをする。
「また、根なし草の生活に戻るってわけか。」
 コングは、ほんの少しだけ嬉しそうだ。
「悪党と戦うのも、悪かあねえよな。」
「小説家で売れてるフェイスには気の毒だけど、この方がAチームらしくっていいわよ。腰を据えて、普通に暮らしているのって、ご隠居さんみたいじゃない?」
 エンジェルが、沈んだ場を盛り上げようと試みる。
「そうだな。金より正義。」
 ハンニバルの気持ちが浮上した。
「それに、俺たちゃ、お尋ね者だしな。」
 コングが鼻を鳴らす。
「それに、女の子とも遊びたいしね。」
 ぽろりとフェイスマンの本音が溢れた。
 男子更衣室での大団円。情けないほど、サマにならないったらありゃしない。
【おしまい】
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