チープシック・正月作戦
鈴樹 瑞穂
「う゛ーむ。」
 ハンニバルは、手にしていた葉巻を口に銜えると、腕を組んだ。
「う゛ーん。」
 その前では、フェイスマンがしみじみと唸って、口の端をひくひくとさせていた。
「本当に、これだけか?」
 問うハンニバル。
「これだけ。俺は1ドルだって着服してないからね。」
「どうしてこんなことになったんだ?」
「それはあいつらに聞いてよ。」
 フェイスマンは器用に眉を寄せると、ぴっと親指を立てて、全開のドアの向こうを指し示した。
 隣には煌々と明かりが点き、ヒーターはガンガンで、TVは賑やかなバスケットボールの試合を中継していて、ソファにそっくり返ったマードックと、拳を固めて身を乗り出しているコングは、あくまで脳天気だった。
 それに比べて、こちらの部屋は心なしか薄暗く、冷え冷えとしていて、向かい合って座る2人の表情も固い。
 2人の間のテーブルの上には、皺くちゃになったお札と、いくつかのコイン――しめて12ドル25セント。
 これが現在のAチームの全財産なのだった。
「クリスマスに派手に使いすぎたんだ。」
「銀行に預金があるだろう。」
「ダメだ。全部、定期にしちゃったよ。」
「フェーイースー、定期を解約してこい、今すぐだ!」
「それくらい、俺だって考えたさ。でも、明日は12月31日で、シスコ銀行は窓口業務、受けつけてくれないんだよね。ATMは動いてるんだけど……。」
「ああ。いかにも明日は12月31日だ。1992年の最後の日だな。そして――。」
 ハンニバルは重々しく頷き、顔を上げた。思わず身を引いてしまうフェイスマン。
「明後日はNew Year's Dayだ。それ相応のお祝いをせねばなるまい。」
「12ドル25セントで……?」
 引き攣った笑みを漏らすフェイスマンだった。
「たとえ12ドル25セントしかなくても! 絶対に!! 例年に引けを取らないお祝いをやってやろうじゃないか。」
「そんなこと言ったって、12ドルぽっちじゃ酒代にもなりゃしないよ。」
「そこを何とかするんだ。ここを使ってな。」
 とんとん、と人差し指で頭を指して、ハンニバルがニカッと笑った。



「節電!」
 フェイスマンが宣告して、TVのスイッチをぶっつり切った。
「何だよ、今いいとこじゃねえか。」
 コングの抗議に負けまいとフェイスマンは足を肩幅に開き、両手を腰に当てる。
「TV見てる場合じゃないんだよ。」
「おや、それじゃ、バスケの試合中継を3度のメシより楽しみにしてるダビダ・ダビッドソンの立場はどうなるっての?」
 すっくと立ち上がり、やおら口を突っ込むマードック。彼の両手には、やたら胴の長い、グレーのウサギの縫いぐるみが、だらんと垂れ下がっている。
「ダビダ――何だって?」
 フェイスマンが振り返って聞き返す。
「ダビダ・ダビッドソン。今朝、3丁目のゴミ捨て場で出会って、すっかり意気投合しちまったんだ、俺たち。」
「ゴミ捨て場!? キレイか、それ。」
 ダビッドソン氏を指すフェイスマンの人差し指は、わなわなと震えている。その瞬間、彼は確信した。ダビッドソンはグレーのウサギではない。薄汚れた、元・白ウサギであるということを。
「大丈夫。だいじょーぶ。連れ帰ってから一緒にシャワー浴びたし、彼、清潔そのものだぜ。ノミなんていないって。」
「そーゆー問題じゃないだろ。」
 すっかりマードックのペースに乗せられているフェイスマンに、コングが冷めた態度で言った。
「おう、そのハゲちょろけたウサギのことは抜いといてな、俺ぁ試合の続きが見てえんだ。TVを点けさせてもらうぜ。」
「ちょーおっと待ったーっ。」
 くるりと向き直るフェイスマン。
「2人とも、今日が何日かわかってんの?」
「12月31日。」
「カレンダーじゃ、そうなってるぜ。」
 コングが親指を立てて示したのは、フェイスマンが律儀に1枚ずつむしっている日めくりカレンダーである。
「だろ? 明日はもう大晦日だよ? TVなんて見てないで、ニューイヤーズデイの準備をすべきなんじゃないのかい。」
「準備ィ? いっつもレストランに料理を注文して、シャンペン買い込んで終わりだろ。明日の朝からやったって、十分間に合うんじゃねえの? なァ、ダビダもそう思うだろ?」
 ダビッドソン氏に同意を求めるマードック。しかし、ダビッドソン氏は、あくまでも無口だ。
 と、そこへ、にこやかに両手を広げて、ジョン・スミス大佐登場。
「今年のニューイヤーズデイは一味違うぞ。」
「ハンニバル!」
 救いの神に、思わず手を合わせて拝むフェイスマン。
 ハンニバルはゆっくりと葉巻をくゆらし、マードックの腕にぶら下がるダビッドソン氏の頭を、ぽんとはたいて言った。
「安心しろ、モンキー。ダビッドソン氏は、バスケの試合がそれほど好きなワケじゃない。なぜなら、彼は3度のメシを食わないからだ!」
「そいつぁ道理だ。」
 後ろで、さも愉快そうにコングが腹を抱えている。
「さて、と。納得したところで作戦を説明するぞ。名づけて“チープシック・ジャパネスク・ショーガツはめでたいな”作戦だ!」
(ここでCMが入る。)



 12月31日。
 寒風吹きすさぶ中、フェイスマンの部屋があるハイソなマンションの屋上では、奇妙な光景が展開していた。
 新聞紙の上に、でーんと鎮座ましましているのは、白木の香りも懐かしい『臼』である。世田谷のボロ市ででも購入してきたのであろうか。
 臼の横には、お湯を張った金だらいが置かれ、『杵』を軽々と片手に持ったコングがスタンバイしている。
 返し役はマードックなのだが、その格好はいつにも増して奇妙キテレツだった。両手を空けるためか、ダビダ・ダビッドソン氏を背負っている。固定に使われているのは、もちろん、おぶいひもである。そして、渋カジもどきの少年のように頭にバンダナを巻いているのは、衛生のためだろうか(単に被りたかっただけとか、ハゲ隠しとか、いろいろ考えられる)。
「餅米が蒸し上がったよ。」
 エプロン姿のフェイスマンが、両手にミトンをはめて、大きなせいろを抱えてやって来た。
「よーし、じゃ、そろそろ始めるか。」
 と言いつつも、悠々と立ったまま動こうとしない司令官、ハンニバル。
「ほいじゃ、俺が拍子取っからさ、ちゃあんと合わせてくれよな。」
「おう、任せとけ。」
 担当者2人の打ち合わせも済んだようだ。
「予算の方はどうなってるんだ?」
 思い出したように、ハンニバルがフェイスマンに確認する。
「大丈夫だよ。臼と杵は、日本の商社マンから借りてきたからロハだったし、餅米とアンコ、黄粉、納豆は日本食料品店でツケが利いたし。お酒は親切なお姉さんがプレゼントしてくれたし、経費も合わせて、しめて5ドルしかかからなかったんだ。」
「よくやった、フェイス。全く、我々に残されていたのは、お前の口先とコングの馬鹿力だけだったからな。」
 ちっとも自慢にならないようなことを、胸を張ってイバってしまうのが、ハンニバルのハンニバルたるところである。
 マードックが思いきり息を吸い込んで、拍子を取り始めた。
「ウーサーギー(ぺったん)餅つーくー(ぺったん)コーンーグー(ぺったん)餅つーくー(ぺったん)……。」
 基本的にはラップ調と言って言えなくはないが、それはあくまで朗々と調子っ外れであった。
 そして腕力に任せて杵を振り下ろすコングの勢いにより、建物全体が地震のごとく揺れていた。
「ああ、何でもないんですよ。ちょっとニューイヤーズデイの準備をね。ええ、すぐに終わります。ご迷惑なんておかけしませんとも。」
 何事かと様子を見にやって来たマンションの住人を、詐欺師フェイスマンが丸め込んで、階段に通じる鉄の扉をバッタンと閉めてしまった。
 一方、コングとマードックは、いよいよノってきて、餅つきは今やラップのコンサートかプロレスかという白熱ぶりだ。
「ウーサーギ〜オーイエー(ぺったん)もぉちぃつうくうぅぅベイベー(バッキン)コーンーグ〜オーイエー(ぺったん)もぉちぃつうくうぅぅベイベー(バッキン)……。」
「……ねえ、大佐。」
 恐る恐るフェイスマンが口を開いた。
「何だ、フェイス。」
「あの、さ。先刻から思っていたんだけど、どうして時々『ぺったん』に『バッキン』が混じるのかな……ハハッ。」
「あれか。あれはな、勢い余って餅ではなく臼のへりをついてしまった時の音だ。」
 あくまで落ち着いているハンニバル。その余裕はどこから来るのだろうか。
「そう……やっぱり、そうなんだね……ハハッ。」
 しかし、青褪めるフェイスマンをよそに、餅つきは続く。
「ウーサーギーハァヨイヤサー(ぺったん)餅つうくうードッコイ(バッキン)コーンーグーハァヨイヤサー(ぺったん)餅つうくうードッコイ(バッキン)……センキュー。」
 餅つきが終わった時、臼のふちはだいぶ厚さが薄くなっていたという。



「まあ、一応この作戦は成功だったと言えるだろうね。とりあえず三箇日の間、食べるものには困らなかったし。」
 フェイスマンが皿に乗せた黄粉餅を切ろうと、ナイフとフォークで苦労しながら言った。
「まあな。やはりジャパネスク・ショーガツ作戦はチープシックだったな。」
 大根おろし餅で一杯やるハンニバルはご機嫌だ。
「……チープっていう点ではね。」
 妙に口を歪ませたフェイスマンが、もごもごと口の中から木クズを取り出す。
「モチってゆーのも、いろいろ食べ方が工夫できて、結構飽きないもんだな。」
 そう言うコングは、餅の上にチーズを乗せて、ピザ風にしたものを手掴みで食べている。
「よーし、今度はピーナッツバターに挑戦だ。お前も食うかい、ダビダ。」
 マードックはテーブル中にジャムやバターやレバーペーストのビンを並べて、アナーキーな餅の食べ方を研究するのに余念がない。その横には、背の高い椅子にちょこんと座ったダビダ・ダビッドソン氏の姿がある。
「ああ……。」
 誰へともなく深い溜息をついて、フェイスマンが呟いた。
「とにかく、それなりにいい正月だよ……ペッ。」
 そう言って、口の中からもう1つ木クズを吐き出すフェイスマンであった。 
【おしまい】
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