海月の集団
鈴樹 瑞穂
 ボーッ。汽笛が鳴った。
 オレンジ色の夕陽が、海と波止場を物哀しく染め上げる黄昏。
 投げかけられる色とりどりの紙テープ。美しいその束縛を断ち切って、ゆっくりと岸を離れる白い客船。優美な船体には海の青色の飾り文字――《正・露・丸・2・世・号》。
傷心の窓子(まどこ)は独りデッキに佇んでいた。
“薔薇和(ばらかず)さん……。私の想いは、まだあなたの許にあるのに。”
 薔薇和の冷たい台詞が甦る。
 ――所詮、俺たちは結ばれない運命だったんだ……。
 ふと見上げると、カモメが2羽、寄り添うように飛んでいた。
「薔薇和さん……!」
 窓子は思わず顔を伏せ、白いレースのハンケチを取り出した。そして、そのハンケチでそっと両の目の涙を拭い、それからおもむろにハナをかんだ。ビィーム!
「ふう……スッキリした。」
 窓子はデッキの手すりから身を乗り出すようにして、使用済みレースのハンケチを海に落とした。
 レースが風にひらめき、ハンケチはふわりと水面に広がった。
「……。」
 それを目で追った窓子は、鼻の頭に皺を寄せて、水面を睨みつけた。
 水の上に白い花のように広がるハンケチ。その回りをびっしりと埋めていたのは、葛切のように半透明な――海月の集団だった。
「さようなら、薔薇和さん……。」
窓子はデッキから身を翻し、キャビンの中へと消えていった。
 海上を夕焼けの最後の光が照らしていた。無数に浮かぶ海月の中に、1つだけ黒い海月が混じっていたことに窓子は気づかなかった。
 それは、やはり気が変わって窓子を追いかけ、海に飛び込んだ薔薇和の後頭部だった。



 一方、その光景をデッキの上から見守っていた2人組がいた。
「埴春(はにはる)さん、あの2人のことをどう思って?」
 豪華な毛皮のコートに身を包んだ屁子(ぺこ)が、クローシュを風に飛ばされないように押さえながら尋ねた。埴春は、銜えていた葉巻を持ち替えて、面白そうに肩を竦める。
「いや、なかなか面白いモノを見せてもらったよ。麗しい物語じゃないかね。」
 そして彼らもまた潮風から逃れるべく、窓子を追うかのごとく、キャビンの中へと姿を消していったのであった。



 客船とつかず離れずの距離を保ちながら、黒い海月はあくまでも静かに、波の間に間に揺れていた。

*      *      *


 ある暑い夏の1日、Aチーム様ご一行は日帰りで海水浴に来ていた。
 白く輝く陽差しに、鮮やかなパラソル。ビーチは人でごった返していた。
 その間をひょいひょいとぬって、両手にダブルのアイスクリームを持ったマードックがやって来る。赤、白、緑の一際派手なパラソルの前まで来ると、彼はその下で寝そべっているフェイスマンにアイスクリームを差し出した。
「ほらよ、お待っとーさん。」
「俺? 頼んでないよ、アイスなんて。」
 サングラスをかけたフェイスマンが、顔を上げて横に振る。
「コングだろ。」
 ヤシ模様の水着が異様に似合っているフェイスマンはそう言うと、また頭を下ろしてしまった。
「じゃあ、そのコングは? どこ行っちゃったの?」
「さあ? さっきまでそこで寝てたけど。」
 フェイスマンが指差した先には、日焼け用のホイルシートがお日様に焼かれているばかり。その向こうではハンニバルが寝っ転がって背中を焼いている。
「おっかしいなあ。あんなにでっかいモン、見逃すわけねえよ。」
 溶けかけてきたアイスクリームを舐め舐め、マードックはきょろきょろと辺りを見回した。



 と、遠くからすごい勢いで砂煙が近づいてきた。
「てえへんだ! スイカが流された!」
 勢い余ってパラソルを3つほど通り越してしまったコングが叫んだ。
「何だって!?」
 思わず顔を上げる3人。
 一行がビーチに着いてまずしたことは、沖のブイまで一泳ぎしてスイカを吊るしてくることだった。午後、ほどよく冷えたスイカを食べるのを、みんな、それは楽しみにしていたのだ。そういう楽しみが控えているからこそ、日光浴にも精が出ようってなもんである。
 その大切なスイカが流されるなんて!
 お百姓さんが一生懸命に育てたスイカが、丸ごと海の藻屑と消えるなんて!
「我々のスイカを救出に行くぞ!」
 ハンニバルの号令一下、立ち上がるAチームの面々。
「マードックとコングはすぐに泳いでスイカを追え。足が攣らないように準備体操するのを忘れるなよ。フェイス、お前はボートを調達してこい。」
 チャンチャチャチャ〜チャララ。(←Aチームのテーマ音楽って確かこうだよね?)〔いいや違う。チャーンチャラッチャーン、チャラッ・ラ〜、だ。〕
 コングは、だかだかと波を蹴立てて泳いだ。後ろからマードックが“のし”で続く。なぜかバタフライのコングとそうスピードは変わらない。
「あそこだ!」
 ほどなく、彼らは少し離れた波間にプカプカと揺れる、緑と黒の球体を発見することができた。
 が、その時、水を掻くコングの手に何かぐにゃりとしたものが飛び込んできた。
「?」
 コングは立ち泳ぎに切り替え、手の中のものを見た。
「!」
 その頃、マードックは大腿に“チクリ”という感覚を受けて、反射的に手を伸ばしていた。
クラゲだ!
 2人は同時に叫んだ。
 ふと気がつくと、辺り一面びっしりとクラゲの集団に取り囲まれていた。
「何てこったい!」
「うわ〜クラゲだクラゲだ俺ぁクラゲだけはダメなんだよう何たってチクッと刺すんだぜチクッとよ〜!」
 二者二様、それぞれに取り乱しているAチーム×1/2。
 彼らはなす術もなく、クラゲの集団にスイカが運び去られて行くのを見ていることしかできなかった。
 しかし、救いの手は差し伸べられた。大きな網がスッと伸びてきて、スイカをすくい上げたのである。
 もちろんそれは、ボートを調達してきたハンニバル&フェイスマン組であった。
「ほっほーお。大漁大漁。まだまだ俺の釣りの腕前も捨てたもんじゃないねえ。」
 のんびりと葉巻をふかしながら、スイカをボートに上げるハンニバル。
「やあ、お2人さん。なかなか苦労してるみたいだねえ。」
 どこから調達してきたものか、麦藁帽子など被ってタオルを首にかけ、すっかり漁民のようなフェイスマン。
「能書きはいいんだよ、早く上げねえか、この、ペッ、大馬鹿野郎!」
 クラゲの集団の上に、コングの雄叫びが響き渡った。



 結局ボートに救出してもらい、無事ビーチに戻ったコングとマードックであったが、彼らの手足は無数のクラゲ刺されに彩られていた。
 当然の権利として、スイカを3分の1ずつ貰った2人ではあったが、その後、この事件がかなり長く尾を引いたことは言うまでもない
【おしまい】
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