大炎上! 薔薇って書ける?
伊達 梶乃
「だから、さっきも言ったろ。病院の建て直しをするとかで追ん出されちまったんだよ。」
「だからって、わざわざここに来るこたねえだろ。」
「だって俺、ここ以外に行き場がないんだもん。」
 物語はいきなりB.A.バラカスとH.M.マードックの口喧嘩から始まるのであった。幸いなことに、まだコングの手は出ていない。
「別の病院とか駅のホームとかドヤ街とか、いろいろあるだろうが。」
「俺はここにいたいんだよ。……ね、お願い。見えない動物の話なんてしないからさ、ここにいていいだろ。ほんの1カ月なんだし、ね?」
 とは言え、ここはコングの家ではない。コングに了承を取ってどうする、マードック。
「いーや、ダメだ。どうしてもお前がここにいたいってんなら、俺が出ていく。お前なんかと一緒に生活してたら、バカが移っちまわあ。」
 自分の家でもないのに、勝手に判断してもいいのだろうか。態度でかいぞ、コング。
「掃除もするし、洗濯もするし、風呂も洗うし、食事もちゃんと作るから。お願いだよ。……俺、コングちゃんと一緒にいたいんだよ。」
 爆弾発言である。目をうるうるさせたマードックに、この台詞。もうコングは、口を半開きにして硬直するしかなかった。
「ねっ、一緒に暮らそうよ、いいだろ?」
「……。」
 返事はない。
 とその時、本当の家の主、フェイスマンが姿を現した。
「ただいまーっ。おや、相変わらず仲がいいね、お2人さん。ヒューヒューって感じかな?」
 こいつも相変わらず、存在の耐えられない軽さ。
「お帰り。葉巻、買ってきてくれたか?」
 フェイスマンの声を聞いて、隣室からハンニバルが顔を覗かせた。
「もっちろん。ああ、そう言えば、これ。」
 とフェイスマンが内ポケットから取り出したのは、1通の手紙。しかも、エアメイル。
「郵便局のAチームの私書箱に来てたけど……誰からだろ?」
 Aチームの私書箱なんか、誰が手紙を出すんだ? それよりも、誰がそのアドレスを知っているのか。さらに、MPに私書箱の存在を知られてはいないのだろうか。――以上の疑問など毛頭感じないハンニバルが、それを受け取ってリターン・アドレスを読んだ。
「ブルガリアからだ。ルシカ・ヴァプツァロヴァ……誰だこりゃ? フェイス、お前の知り合いじゃないのか?」
 フェイスマンの方をちらりと睨むハンニバル。
「やだなあ、ハンニバル。女っていうと、全部俺を疑うわけなの? ルシカなんて名前、聞いたこともないよ……多分。」
 文末の“多分”が、非常にフェイスマンらしい。
「お前のことだ。名前を知らずとも、関係がないとは言い切れん。」
 さすがハンニバル、よくわかっている。
「でも俺、ブルガリア語なんてわかんないし……。」
「言葉と名前の不在が一夜の愛の障害になるとは思えん。特にお前の場合はな。」
 もしかしたら、名台詞。
「もうハンニバル、俺はそんなコ知らないったら。そうだ、モンキーやコング関係の女かもしれな……。」
「却下。」
 フェイスマンの提案は、3秒で闇へと葬り去られた。
「……とにかく、封を切ってみたらどう、ハンニバル?」
 気を取り直して、フェイスマンが言った。
「それはいい意見だな。しかし、ブルガリア語なんて、誰が読める?」
「え……ハンニバル、読めるんじゃなかったの? さっき読んでたみたいだったけど……。」
「アルファベットはわかるから、固有名詞は読める。だが、文法と単語はわからん。」
 沈黙、襲来。
「……じゃ、この手紙、読めないわけ?」
「ルシカ・ヴァプツァロヴァというブルガリア女が、英語か仏語か独語かベトナム語で手紙を書いていない限りはな。」
 沈黙、再襲来。ブルガリアの外国語教育実状など、Aチームにだってわかりはしない。
「コング、何とか言ってくれよ。そんな鯉みたいに口を開けっ放しにして、宙を見つめられても、俺、困るんだからさ。」
 実は、マードックの話は延々と続いていたのだが、今は何の関係もないので、以後オフレコとする。
「とりあえず封を……。」
「そうだな。」
 恐る恐る取り出した便箋、そこに書かれている文字がキリル文字ではなかったので、2人は一安心した。
「……読むぞ。“親愛なるAチーム”――英語だ。」
 ほっと胸を撫で下ろし、ハンニバルが続きを読む。
「何々……“私はブルガリア人であるところのルシカ・ヴァプツァロヴァです。田舎でバラを育てています。私の父の名はボリス・ヴァプツァロフです。彼もまたバラを育てています。一方、姉と兄たちは街で働き続けています。あなた方は、かつてブルガリアを訪れたことがありますか? 私はかつて一度もアメリカを訪れたことがありません。私は英語を上手に書くことができません。しかし私は、私の父よりも多くの英語を理解することが可能です。私たちはブルガリア語とロシア語を上手に話して書くことができます。あなた方はブルガリア語あるいはロシア語を話すことができますか?”要領を得ない手紙だな。」
 ルシカ・ヴァプツァロヴァの英語のレベルは、日本の中学生くらいだろうか。
「続けよう。“私たちは大変な困難を持っているところです。私たちの畑が荒らされたのでした。今もなお私たちの畑は荒らされ続けているところです、ゲオルギ・ゴロローモフと彼の弟のザハーリによって。彼らもまた私たちと同様にバラを育てています。香水になって、そして高価なバラであるところの私たちのバラは、ほとんど壊れているところです。もしもバラがOKならば、私たちは大きな金を持つことができるでしょう。なぜならば、私たちはそのバラを香水にすることができるからです。私たちはあなた方にその大きな金を払えるでしょうと、私は思います。姉と兄たちも金を持っているつもりです。私たちを助けて下さい。急いでここに来て下さい。さようなら。”これで終わりか……ふう。」
 とハンニバルが息をついた。彼女の文章は、人を言語障害に陥れるのに十分なものだった。
「ルシカと父親が、香水になれば大金を得られるバラを作っているんだけど、商売仇に邪魔されて困っているってわけだね。」
 まあ簡単に言えば、その通りだよ、フェイスマン。
「だがブルガリアとは、また遠いな。いくら貰えるかもわからん。さらにこの手紙の調子じゃ、向こうでロクに話も通じないんじゃないか?」
「そんなの通訳雇えばいいじゃない。ブルガリアまではデッカーも来ないだろうし、この前の仕事でお金はたっぷりあるし。」
「妙に乗り気じゃないか、フェイス。どうしたんだ?」
「美しいバラを壊す奴を許しちゃおけないんだよね、俺。」
 バラを壊すというのは、正しい言葉とは思えないが。
「……確かに俺もそれには同意できるが、フェイス、今ポケットにしまった物は何だ? 見せてみろ。」
 目敏いハンニバルは、フェイスマンが尻ポケットにそっと収めたばかりの物を、強引に奪った。
「何だ、この可愛らしいお嬢さんの写真は?」
「さ、さっき、封筒から落ちたんだけど、汚すといけないと思って……。」
「裏に何か書いてあるぞ。“これは私の写真です。あなた方が私たちを捜す時、これが使われるでしょう。ルシカより愛を込めて。”……そういうことか。」
「別にいいじゃんか、依頼人を顔で選んでも。ハンニバルだって、依頼人が超ブスだったら、いくら大金積まれても仕事したくないだろ?」
 開き直ってフェイスマンが言うと、ハンニバルは静かにこっくりと頷いた。
「この写真からすると、彼女は20歳以下だ。」
「うん、そうみたいだけど……それがどうかしたの?」
「俺は、も少し年行った女性の方が好みだな。」
「……手紙に確か、お姉さんがいるとか書いてあったけど? ヨーグルトのおかげでブルガリア女性には美人が多いって話だよ。」
 ハンニバルがニヤリと笑って、葉巻に火を点けた。
「よし、ブルガリアへ行こう!」
 そうと決まればAチームの行動は早い。かねてから放心状態のコングに、何の気兼ねもなくゆっくりと睡眠薬を注射する。残りの3人は旅行(仕事というより、東欧女性をナンパしに行くつもりでいる)の準備をする。フェイスマンがあちこちに電話して、通訳や飛行機等の手配をする。CMが終わると、舞台はもうブルガリアだった。



「ロスから飛行機でロンドンまで行って、次の便の待ち合わせに6時間、それでモスクワに着いたものの、ブルガリア行きの便が整備不良で欠航続き、2日経ってソフィアに着いたと思ったら、約束の通訳には会えず、さらに車に乗って5時間……疲れたよー。」
 多少説明調のセリフを漏らすフェイスマンは、行きの道中ですっかり疲れ果てていた。それもそのはず、画面では3分も経っていないが、実際にはロスを発って既に5日が過ぎようとしていた。ところで、ソフィアはブルガリア人民共和国の首都である。覚えておいて損はない。
「運が悪いとしか思えん。通訳もなしだなんてな。」
 少々立腹気味のハンニバル。
「大佐、運が悪かっただけじゃないよ。通訳に会えなかったのは、俺たちが遅れることを全然連絡しなかったフェイスのミスだぜ。」
 これはマードック。眠っているコングを括りつけた台車を引いている。そのコングは、この5日間、睡眠薬の連続投与で眠りっ放し。
 さて、ここはルシカの住む村に最も近いとされている街。ロス在住の彼らにとって、この街を“街”と呼ぶのには抵抗があった。彼らにしてみれば、あくまでもここは山の中の“集落”でしかない。しかし、ルシカ親子のバラ園はもっと山の奥に入った所だというのだから困ったものである。
 ハンニバルは片手にブルガリア語会話練習帳を、もう片手にはソフィアで買ったブルガリアの地図を持ち、神妙な面持ちのまま言った。
「ここでぼんやりしてても仕方ない。ロドーピ山脈の奥地へ行こう。」
「うおーい。」
 力なく答えるマードックは、脇に停めてある4輪駆動のレンタル車にコングを積み込んだ。
「俺、帰りたい……。」
 泣き事を言うフェイスマン。
「フェイス、最初にこの仕事をやろうと言ったのは誰だ?」
 にこりともせずハンニバルがフェイスマンをたしなめる。
「……俺だよ。ごめん。」
「ベトナムを思い出してみろ。少なくともあそこよりは涼しいし景色もいい。だが……。」
 ハンニバルは言葉を一旦切った。
「ベトナムとどっこいなくらい、美人がいないじゃないか。ブルガリア女性に美人が多いってのは、ガセネタなんじゃないか?」
「きっと、沢山の美人が俺たちのいない所に固まっていて、俺たちの行く先々には少数派のブスがいるんだよ。うん。そうに違いない。」
「大佐、フェイス、行くんなら早く行こうよ!」
 運転席からマードックがイライラしながら叫んだ。エンジン音がやけにうるさい4輪駆動であった。



 英語で書かれている古びた観光パンフレットと、地図と、ブルガリア語会話練習帳を駆使して、何とか目的地に辿り着いたAチーム。
 見渡す限り一帯が桃色だった。何とも芳しい香りが押し寄せてくる。
「うわーっ、すごいバラ。」
 先刻の態度はどこへ行ったやら、フェイスマンが車の窓から乗り出して、一面のバラ園に目を凝らした。
「すげー匂い。俺、吐きそう。フローラル系の匂いって苦手なんだよ。やっぱ香水はフルーティかシトラスだよな。」
 マードックがハンドルを握りながら、ぶつぶつ言った。
「……あっちの方のバラが枯れてる。あそこがルシカ親子のバラ園じゃないか?」
 目を細めて遠くを見つめるハンニバルが、前方を指差した。
 確かにその見すぼらしい一帯が、ルシカ親子のバラ園だった。枯れたバラと虫に喰われたバラが大半の畑で黙々とバラの手入れをしていた女性、それがルシカだった。
「ドブロ・ウートロ(こんにちは)。ルシカ・ヴァプツァロヴァ?」
「ダ(はい)。イズヴィネテ(失礼ですが)、コイ・ステ・ヴィエ(どなたですか)?」
「お待たせしました。Aチーム、只今参上。」
 いきなり英語というのは、ルシカにはきつい。
「どうか、ゆっくり話して下さい。」
「俺たちは、Aチーム、です。遅くなって、済みません。」
「あなた方は本当にAチームですか? 私は信じられません。私はあたかも夢の中にいるようです。」
「本当に、我々はAチームです。」
 悲惨な会話である。Aチーム、只今惨状。



 所変わって、バラ園から少し歩いた所にあるルシカ親子の家。父親のボリス・ヴァプツァロフが会話に加わったものの、余計に会話が難行している。
「早朝に、私が今にも咲こうとしているものであるところのバラの蕾を取って、父が向こうの機械を用いて蒸留します。バラはエッセンス・オイルになります。これはフランスに運ばれます。そこでこれは香水になります。シャヌルやイボ・サン・ローリンやゲロンが私たちからエッセンス・オイルを買います。従って、私たちのエッセンス・オイルはとてもハイ・クオリティでエクスペンシヴです。彼らは彼らのバラのエッセンス・オイルをシャヌルやイボ・サン・ローリンやゲロンに買ってほしいと思っています。私たちのバラを壊す、そうすると彼らのバラは私たちのそれと同様です。」
 “バラの蕾”と言えば『市民ケーン』。ルシカの会話はやはりキツイ。
「彼らってのは、手紙にあった……えーと、ゲオルギ・ゴロローモフとザハーリ・ゴロローモフの兄弟だな?」
 ハンニバルが、ゆっくりと尋ねた。
「はい、彼らです。」
「お姉さんとお母さんはどこにいるの?」
 いきなり話の腰を折るフェイスマン。
「私の姉と兄たちと母はソフィアに住んでいます。そして彼らはソフィアで働いています。私の母は非常に大きな会社の社長です。私の姉と兄たちは、母と一緒に働いています。それはブルガリアで大体5番目に大きい会社です。」
 それを聞いて、Aチームの面々はルシカ親子のバラが大手香水メーカーに取り引きされるその事実に納得が行った。
「お姉さんとお母さんの写真、ある?」
 余計なことまで尋ねるフェイスマンであった。
「それは、そのチェストの上に置いてあります。」
 一斉に目を向けるハンニバル、フェイスマン、マードック。コングは、まだ寝ている。
 その写真を見て、3人は目を疑った。こんなに美形の家族がいてもいいのだろうか。ルシカはもちろん可愛い、姉は清楚な美人、母は女優のような威厳に満ちた美人。ただ気がかりなのは、2人の兄もイイ男、そして父ボリスもAチームがシオシオノパー状態になってしまうほどの美男であること。ハンニバルは帰りにソフィアに寄ることを心に決めた。さらに、この一家、金持ちっぽい。
「よし、ゲオルギとザハーリに会いに行こう。コングを起こせ。」
 マードックがコングに気つけ薬を嗅がせる。
「うーむ……ここはどこだ? どこなんだ、畜生!」
「ブルガリア。山の中。周りはバラ。あちらの女性はルシカ、向こうの男性はボリス、彼らは親子。俺はモンキー。あとハンニバルとフェイスはわかるね。これから俺たちは悪党退治に行く。他にご質問は?」
「ブルガリア? また飛行機に乗せやがったのか?」
「ロスを出てから5日も経ってんだよ。コングちゃんのことを思って船と車で来たっていうのに、ずっと放心状態なんて、もったいないよな。飛行機なら、どんなに遅くても3日で来られたのにさ。」
「むう、そうか。悪かったな。」
 よくやった、マードック。よくコングを丸め込んだものだ。伊達に15年つき合ってない。



 ルシカに地図を描いてもらって、ここはゴロローモフ兄弟の家。もう夜だから、兄弟は畑から帰って、この家の中にいるはずだ。きっと。
 グオオオオーン……ドガムッ、ベギョバギョッ!
 例の4輪駆動の車で玄関のドアをぶち破る。
「ゴロローモフ兄弟だな?」
 ハンニバルは車から降り、仁王立ちした。眼前には、鳩が豆鉄砲を食らったような表情の男が2人。1人は、コングが小さく見えるほどの、故アンドレ・ザ・ジャイアント風の大男。もう1人は、マードックより細く、フェイスマンよりトホホな雰囲気を漂わす、インテリ臭い顔立ちの男。とても兄弟には見えないが、どうも兄弟らしい。事実は小説より奇なり。片親が違うってこともあるし。
「ちょっと、ハンニバル、言葉通じるの?」
 車の後ろの窓から顔を出して、フェイスマンが心配そうに言う。
「……そうだった。君たち、英語わかる?」
「ああ、わかる。」
 そう答えたのは大男の方。人は見かけによらない。
「いかにも俺たちはゴロローモフ兄弟だが、玄関に車で乗り込んでくるという非常識なお前たちは一体誰なんだ?」
 しかも、心外なことに流暢なクィーンズ・イングリッシュ。世の中はわからない。
「俺たちはAチーム。ヴァプツァロフ親子から苦情を受けて、お前たちを退治しに来た。メンバーを紹介しよう。俺はジョン・ハンニバル・スミス。Aチームのリーダーだ。で、あっちのほにゃけた男がフェイスマンことテンプルトン・ペック。黒いのがコングことB.A.バラカス。B.A.が何の略だったかは忘れた。そして、いつもは変だが今回はコングの気に入られようと至ってマトモなのが、モンキーことハウリング・マッド・マードック。どこまでが本当の名前なんだかわからないんだがね。以上4名。貴殿の命、貰い受ける!」
 最後の一言、番組が違うぞ。
「では、こちらも紹介しようか? 俺はゲオルギ・ゴロローモフ。力仕事と通訳が専門だ。ブルガリア語と英語以外では仏語、独語、露語、伊語、西語、ポルトガル語、マケドニア語、スロベニア語、セルビア・クロアチア語、オランダ語、ハンガリー語、ポーランド語、デンマーク語、スロバキア語他約20カ国語を自在に操る。こっちは弟のザハーリ。こいつも少しは英語を喋ることができる。専門は園芸、化学、生物学、電気工学、地質学、それと経営。加えてズルい手、嫌がらせ、各種トラップだ。」
「トラップ?」
 ハンニバルが首を捻った。
「そう。こんなこともあろうかと、用意してたんだ。」
 ザハーリがにっこりと微笑んで、リモコンのスイッチをピッと押した。その途端、ガッコンという音と共に玄関の床が開いた。
「うひゃーっ!」
「ぬおーっ!」
「ひょめーっ!」
 妙ちきりんな悲鳴を上げて、車内にいた3人と車は地下約4メートルの地点に落下した。
 穴の横で仁王立ちしたまま、ハンニバルは微動だにせず、自信満々の表情で兄弟に言い放った。
「ロープがあったら、貸してほしい。」



 親切なゴロローモフ兄弟のおかげで、Aチーム4人は再び地上に顔を揃わせ、ちょっとひしゃげた車で帰途に就くことができた。もう“♪One way or another...”なんて脳天気に歌う元気もない。〔この歌の曲名とアーティストを教えてくれ。『湖畔の死闘 ギャング対MP』のオープニングとエンディングでかかっていた曲だ。頼むぞ、エブリバディ!〕【この問題は既に解決しました。ご協力ありがとうございました。】
「言葉が通じて楽勝かと思ったんだが、なかなかに手強い相手だな。」
 硬くて狭い後部シートで腕組みをして、ハンニバルが言った。
「あのトラップ専門のザハーリとかいう奴が厄介だぜ。」
 コングが半壊したハンドルを握りながら呟く。
「よし、手分けしよう。まずフェイスは香水メーカーに電話して、ゴロローモフ兄弟のエッセンス・オイルが出荷できなくなったと連絡しろ。その後、出荷するトラックを押さえてヴァプツァロフ親子の物とするんだ。その前に……コングはザハーリを攫ってきて、監禁しておけ。モンキーはヘリを借りて農薬を散布するなりして、ヴァプツァロフ親子のバラを何とかする。俺はゴロローモフ兄弟の蒸留装置を爆破する。これだけやれば、兄弟だって復帰できまい。そうなれば、奴らのバラ園もヴァプツァロフ家所有のものにできる。フェイス、そういう関係の書類も用意しておけ。」
 誰もミスしなければ、完璧な作戦である。兄弟2人に対し、Aチームは4人。人数では勝っている。何とかなるだろう。



 夜明け前、手際よくザハーリを麻袋に入れて掻っ攫ってきたコング。大きな袋を肩にかけ、大黒様のごときお姿。
 太陽が昇り、しばらくするとゲオルギが血相を変えてヴァプツァロフ家に乗り込んできた。
「弟をどこへやった!?」
「ここ。」
 ハンニバルの足下では、麻袋がもぞもぞ動いている。
「取り引きしようじゃない。ま、座って。」
 にこやかにハンニバルが椅子を勧めた。ゲオルギが大人しく椅子に座ると、フェイスマンがヨーグルトドリンク(現地の言葉ではアイリャン)を持ってきた。
「これでも飲んで、落ち着いて。」
「ああ。」
 とゲオルギは、ヨーグルトドリンクを一気に飲み干した。他人を疑わないピュアなお人柄。
「では、弟さんをどうするかだが、今後ヴァプツァロフ家のバラ園に一切手出ししないという誓約書を書いてくれるんなら、麻袋ごと中身をプレゼントしちゃおうって、こっちは思っているんだが、どう?」
「そんな……こと……誰がするか…………。」
 ドッタンと床に倒れ伏すゲオルギ。その大きな体を、マードックがワイヤーで縛る。
「睡眠薬入りヨーグルトドリンクは、効き目が遅いね。」
「うむ。牛乳の方がさらりとしているだけあって、効き目は早いな。」
 ハンニバルの言葉を聞いて、コングがフェイスマンの方を睨んだ。
「いつもこうやって俺を眠らせるんだろ?!」
「コング、静かにしろ。……さて、思いがけず2人とも押さえることができた。こうなったら思う存分やってしまおうじゃない。」
 リーダーの微笑みに、他3人は頷いた。



「香水メーカーに連絡してきたよ。次はゴロローモフ畑産のローズ・エッセンスをヴァプツァロフ名義で売ってくるんだよね。航空便でいいかな?」
 リビング・ルームで読書中のハンニバルに、フェイスマンが尋ねた。
「方法はルシカに聞けばいい。街に行ったら、ついでに火薬を少し貰ってきてくれ。あと、土地所有権譲渡の書類も忘れずにな。どうせ、こいつらはサインしてくれそうもないから、何とか偽造しとけよ。」
「もう、何で俺ばっかり仕事多いの?」
「コングとモンキーだって畑仕事してるじゃないか。お前、畑で土と虫にまみれるのは嫌だろ? この俺の思いやりある役割分担に文句つける気?」
「……じゃハンニバルは何してるんだよ? ソファにふんぞり返って、優雅に読書?」
「俺はゴロローモフ兄弟の見張りをしつつ、ブルガリア語会話の勉強だ。実に建設的な行動じゃないか。それに、お前が火薬を持ってきたら、爆破の準備をしに行くしな。だから、早く行ってこい。」
「わかったよ。」
 渋々とオンボロ車に向かうフェイスマン。忘れているかもしれないが、その車はレンタカーなんだぞ。
 そして数時間後。もう夜。
「ローズ・エッセンス・オイルを送って、偽造した書類を役所に提出して、火薬貰ってきたよ。」
 へとへとになって帰ってきたフェイスマンが見たものは、質素だが和気藹々とした夕食の風景だった。
「俺が苦労して駆けずり回ってたってのに、何みんなして一家団欒してんだよ! 俺だって腹減ってんだからね。ハンニバル、火薬仕掛けに行くんじゃないの?!」
「ああ、食事が終わったらな。ちゃんとお前の分、残してあるから焦らなくても大丈夫だぞ。」
「ホント? サンキュー……ってそういう問題じゃないでしょ。コングとモンキーは、畑の方、もういいの?」
「夜に畑仕事するバカがどこにいるってんだ。」
「いいねー、この家庭的雰囲気。俺、こういうの、好きなんだよ。誰かと一緒に暮らすって、素晴らしいことじゃない。コングちゃん、どう? 俺と一緒に暮らすっていうの。」
「てめえは1晩中、畑にいろ。」
「いいじゃんかよ。コングがこのブルガリア料理、気に入ったってんなら、俺、ルシカに作り方習うからさあ。」
「そりゃあ、この料理は美味いが、てめえが作ったモンなんか、俺ァ食わねえぞ。」
「俺の特製オムレツ特大ヴァージョン、なかなかイケるって食べてたじゃんかよ。」
「ありゃあ寝惚けてたんでいっ。思い出すだけで気分が悪くならあ。」
 話が横道に逸れようとしているので、無理矢理にでも戻そうと思う。
「さて、ごちそうさまして、爆破しに行きますか。フェイスも来る?」
 ハンニバルが席を立って、火薬を手に取った。
「俺、今食べ始めたとこなんだからね。誰が行くもんか。」
 料理を口に頬張りながら、フェイスマンがツンとした。
「そう。そいじゃ、1人で行ってくる。」
 少し寂しそうに、ハンニバルはゴロローモフ家裏の精油工場に向かうのであった。



「では、花火見物の時間となりました。皆さん準備はよろしいかな?」
 全員、ブルガリア製ビール片手に家の外に集合した。花火見物につきものの、ビールと枝豆、それとブタの形の蚊やりに入った蚊取線香。キンチョーの夏、ブルガリアの夏。でも、花火にはちょいと涼しい。
 目が覚めたゲオルギと、麻袋から出されて兄と共にワイヤーで縛られたザハーリも、猿轡を噛まされて、その場に集合させられていた。
 爆破スイッチ(コング特製)を片手に、ハンニバルがゴロローモフ兄弟に話しかけた。
「これからお前たちの工場を爆破する。多分、その余波で家もオシャカになることだろう。それから、お前たちの畑は、ヴァプツァロフ家の所有になった。さらに、出荷しようとしていたエッセンス・オイルは、ヴァプツァロフ名義でフランスに送っておいた。加えて、有名どころの大手香水メーカーには、ゴロローモフ兄弟がバラから手を引いたと連絡してある。まだあるぞ。フェイスが気を利かせて、銀行のお前たちの口座に入っていた金を、全部Aチームの口座に移しておいてくれた。つまり、お前たちは一文なしになろうとしているわけだ。金もない、土地もない、家もない、何にもない。これに懲りたら、もうヴァプツァロフ親子のバラ園には手出ししないことだな。」
「グフグフ、ググアガゴハ、ガハフッ!」
「ガァ……。」
 最初のが兄ゲオルギで、後のが弟ザハーリ。何を言っているのやら。多分、ゲオルギは怒り、ザハーリは落胆しているのだと思われる。
「じゃ、やるぞ。……ピッとな。」
 ボボーン!!
「おー、よく燃えるわ。」
 精油工場から炎が吹き上がり、暗闇の中、赤々と燃え続けた。
「さ、もうお前たちに用はねえ。」
 コングがゴロローモフ兄弟のワイヤーを、ワイヤーカッターで切った。猿轡を外してゲオルギが言う。
「これから俺たち、どうすればいいんだ?」
「あの素晴らしい車を献上しよう。言っておくが、お前たちが昨晩、巨大な落とし穴に落とさなければ、もっとちゃんとした車だったはずだ。自業自得ってヤツだな。」
「ハンニバルったら、太っ腹だね。」
 マードックの褒め言葉に、全員がハンニバルの腹部に注目する。
「いや、俺、そんなつもりで言ったわけじゃ……。」
「わかってるって、モンキー。……これにて一件落着。」
 ハンニバルは、ボロ車に乗ってすごすごと逃げていくゴロローモフ兄弟に一瞥をくれると、葉巻に火を点け、満足そうに笑った。



「私たちは本当にあなた方に感謝しているところです。」
 全く上達しない英語でルシカが言った。
「サンク・ユー。」
 無口だったボリスが、たどたどしい英語を発し、にっこりと笑った。
「モリャ(いいえ)、ニャーマ・ザシト(どういたしまして)。」
 簡単な会話はすっかりマスターしたハンニバルが微笑み返す。
「私の母と姉と兄たちがこれを送りました。あなた方にこれを贈ります。」
 ルシカから紙切れを受け取って、ハンニバルは思わずそれをフェイスマンに見せた。
「……10万ドルの小切手だ。」
「ゴロローモフ兄弟の貯蓄だけでも、この仕事の報酬には十分だったのに……。」
“やっぱり、ルシカの家ってすごい金持ちなんじゃん……。”
 フェイスマンの脳裏に“逆タマ”という言葉が浮かんだ。
「俺、バラ園の具合が気になるから、もう少しこっちにいるよ。ハンニバル、ブルガリア語会話練習帳貸して。」
「それは非常に親切で紳士的ないい考えだ。バラの世話はやりかけた仕事だしな。よし、ブルガリア語会話練習帳は謹呈しよう。……じゃあ俺は、ソフィアのお母様たちの所に、お礼を言いに行くとするか。」
「俺たちはー?」
 マードックとコングが、じっとりした視線でそのやり取りを見つめていた。その視線にも負けず、ハンニバルがリーダーとして発言する。
「そうねえ……ここで解散ということにしちゃって、フェイスはここに残る、と。俺はソフィアに向かって、そこでしばらく滞在する、と。で、お前たち2人は勝手にロスに帰る、ということでいいかな。はい、それじゃ解散。」
 有無をも言わせぬ決断である。
「飛行機で帰るつもりじゃねえだろうな?」
 コングがマードックの胸倉を掴んで凄味を効かせる。
「何言ってんの、俺がそんなことするはずないじゃん。コングが飛行機嫌いだから、ブルガスかヴァルナ辺りの港町まで電車で行って、そこから船でゆっくりと帰ろうかなって考えてたとこなんだからね。」
「う……そうか。」
 コングはマードックから手を離し、決まり悪そうに後頭部を掻いた。乱れた服を直しながら、マードックが続ける。
「黒海からボスポラス海峡を通ってエーゲ海に入って、地中海を横切って、ジブラルタル海峡を抜けてニューヨークまで行って……いや、ニューヨークには行かないで、ジブラルタル海峡を抜けた後はパナマ運河を越えて、ロスまでずっと船の旅って方がいいよね、コング?」
「ルートはお前に任せる。とにかく空を飛ばなきゃ何だっていい。」
「ロマンチックなエーゲ海に地中海、トロピカルなカリブ海、いい旅になりそう……。キャンドル・ライトの仄かな灯りに照らされて豪華なディナーとか、潮風に吹かれながら2人でデッキから景色を眺めたり……。一緒のキャビンで仲睦まじく……あたかもハニームーンのごとく……。」
「キャビンも食事も行動も別々だ。何がハニームーンだってんだ、この腐れ脳下垂体が。」
 顔面にコングのキツイ一撃を受け、マードックは床に沈んだ。しかし、その表情は、見るからに心から幸せそうだったのであった。
【おしまい】
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