大失敗! 顰蹙って書ける?
鈴樹 瑞穂
 飛行機が水平飛行に入り、シートベルト着用のサインが消えた。大きく息をついて、B.A.バラカスはぎこちない動作でベルトを外す。緊張のし続けで、すっかり肩が凝ってしまった。しかし、彼にはどうしても、この空を飛ぶ鉄の箱の安全性が信用できない。
 金髪のスチュワーデスが、ワゴンを押してやって来た。
「お飲み物は?」
 可愛い顔に少し引きつった業務用スマイルを張りつけて彼女は聞いた。3人がけのシートを1.5人分占領しているのが黒人レスラーで、しかもあからさまに不機嫌な表情で青筋立てているとなったら、無理のない話だ。その上、通路側の席には、どこか目つきのフツーじゃないご機嫌なにーちゃんが座っている。2人の間にわずかに空いた半人分のシートには、アンティークのビスクドールがちょこんと座っていた。アブナイにーちゃんは何やらぶつぶつとその人形に向かって話しかけているのだ。仕事とは言え、スチュワーデス嬢の腰は引けていた。
「何だって!?」
 コングが聞き返すと、スチュワーデスは青ざめて繰り返す。
「あの……お客様、お飲み物は何になさいますか?」
「おう、オレンジジュースを貰おうか。」
「オレンジジュースですね。」
 スチュワーデスはワゴンから、プラスチックのコップとオレンジジュースの紙パックを取り上げた。色鮮やかなオレンジの絵が印刷されている紙パックだ。その上に書かれた文字は“トロピカーメ”。
「待った。スコット・ブランドのオレンジジュースじゃねえのか。」
 コングがぐいっと身を乗り出したので、若いスチュワーデスは泣き出しそうな表情で答える。
「済みません、お客様。トロピカーメしかございません。」
「何ぃ、フロリダ行きの便にスコット・ブランドのオレンジジュースがないってえのか。……仕方ねえな、トロピカーメを貰おうか。」
「はいっ。」
「それから、偉いヤツに言っとけ。スコット・ブランド以外のオレンジジュースなんてガキの炭酸飲料以下だってな。」
「かしこまりました。」
 思わず直立不動の姿勢を取ってしまうスチュワーデス嬢。彼女は震える手でカップにトロピカーメを注ぎ、コングに渡すと、そそくさとワゴンを押して立ち去ろうとした。
「あ、ちょっとちょっと、お姉さん。」
 そのエプロンを掴んで、ご機嫌なマードックが引き止める。
「ジュリエッタにもトロピカーメを1杯おくれよ。」
 ビスクドールを親指で示して、マードックが言った。
「で、俺にはコークね。」



 スコット・ブランド――それは知る人ぞ知るフロリダ産のオレンジジュースである。作られているのがあまりに少量であるため、知らない人は全く知らない。スコットさん家の裏の畑で採れた良質のオレンジを小さな工場でプレスするだけという、正真正銘の100パーセント無添加ジュースだ。一家3人で営む小さな工場のこと、強力な販売ルートもなく、知人のつてを頼ってレストラン等に少しずつ卸している。言わば幻の名品だった。
 コングは半年ほど前に、行きつけのレストランでスコット・ブランドのオレンジジュースに巡り合った。たまたまその日はミルクが売り切れていたためである。砂糖を一切加えていないというそれは、爽やかに甘酸っぱく――コングは一目で恋に落ちた……もとい、一度でファンになってしまった。スコット・ブランドに比べれば、トロピカーメなんて色水に砂糖と香料を入れたようなものだった。
 コングはレストランの主人から、そのオレンジジュースの販売元を聞き出した。そして早速、通販を申し込み(払い込み等の手続きは難しいのでフェイスマンにやってもらった)、以来、月に一度、2パックずつ工場からオレンジジュースを送ってもらっている。生産量が少ないため、それ以上は受けつけてもらえないのだった。
 が、毎月、月初めに届くはずのジュースが、今月は遅れていた。
 そうこうするうち、そのスコットさんからAチームに依頼が来た。工場を乗っ取られかけていて、現在、生産中止状態に陥っているのだと言う。まさにスコット・ブランドのオレンジジュース存続の危機。
 コングは愛するオレンジジュースのため、自ら飛行機でフロリダまで行くと言い出し、一同を驚かせた。食べ物の恨みは恐い。



 というわけで、空路フロリダに向かったAチーム。
 彼らは今、スコットの工場にいた。
「ホンットーに小さな工場だねえ。ハハッ。」
 工場と呼ぶのもおこがましいプレハブの大部屋を見回して、フェイスマンが呟いた。“仕事料、ちゃんと貰えるんだろうか”――フェイスマンの不安は、その1点に尽きる。
 スコット氏は40代半ば、いかにも実直そうな痩せ気味のおじさんであった。
「ご覧の通り、うちは零細ですから、そんなに大金は払えませんが、できる限りのお礼はします。それに、ベントリーを追い払ってもらえたら、毎週、新鮮なオレンジジュースをお届けします。」
「毎週だと!?」
 これは、コングにとっては殺し文句に等しかった。
「スコットさん、後は安心して任せてくれ。」
 隣で頷いているのはマードック。彼の人形のジュリエッタも、オレンジジュースが大好きなのだそうだ。後ろでハンニバルまでもが鷹揚に頷いているのだから、もう決まったようなものである。フェイスマンはまだ渋い表情をしていたが、奥からスコット氏の1人娘、アンが出てくるに至って、180度考えを変えた。
「ああ、わかったよ。その代わり、なるべく安上がりな計画から実行に移してほしいな。今、Aチームの財政は赤貧なんだからさ。」
 できる限り重々しい口調でフェイスマンが言うと、ハンニバルがにっかり笑って葉巻を持ち替えた。
「よし、フェイスの希望を取り入れて、飛び切り安上がりで効果的な作戦を開始するとしよう。」
 そんなに力入れなくても、相手は田舎の小悪党である。
 スコット工場を乗っ取ろうとしているのは、ベントリーという男である。血気盛んな若者たちを何人も抱えて、この辺り一帯を我が物顔で取り仕切っている。商店や小さな工場に、用心棒をすると申し入れては、見返りに金品を巻き上げている。ベントリーは、その申し入れを断ったスコット工場の配達車を壊し、修理費7000ドルを半強制的に貸しつけた。そして法外な利子を要求し、今や5万ドル以上にもなった借金を、毎日午後3時になると取り立てにやって来るのだと言う。



 スコット工場、門からプレハブに至る1メートルの道。午後1時30分、コングとマードックは大きなツルハシとシャベルを手に立っていた。空には雲1つなく、1日のうちで一番暑くなる時間帯であった。
「始めるか。」
 コングがツルハシを振り回しながら言う。
「あいよ。ちょいとそこで待っててくれよ、ジュリエッタ。」
 マードックがすぐ脇にあるオレンジの木の枝にビスクドールを座らせて言い聞かせた。そして2人は、カンカン照りの陽差しの下、道の真ん中に大きな穴を掘る作業を開始したのであった。
 ハンニバルの考案した安上がりで素敵な作戦、それは“落とし穴”であった。ゲリラ戦においてはかなり有効な作戦だが、果たしてベントリーに通用するだろうか。



 2時55分。スコット工場の前に数台の黒塗りベンツが停まった。降り立ったのはベントリー一家、総勢9名。揃いのアロハシャツに黒い麻のズボン、お決まりのサングラス――これがベントリー一家のユニフォーム(夏服)である。ちなみにアロハはケソゾーの花柄、色違いで偉くなるに連れて赤→黄→青となる。さらにちなみにベントリー一家では長髪、パーマは禁止されており、どんな髪質の者でもポマードを使ってオールバックに撫でつけなくてはならない(ムース、ジェルも禁止)。中で1人だけ、やはりケソゾーのスーツを着ているのがボスのベントリーだ。ユニフォームの一件から見てもわかる通り、几帳面で病的に神経質な男である。彼はいつも3時にスコット工場に借金の取り立てに来る。ドアを開けるのは、毎朝合わせる彼の腕時計で3時きっかりでなければならず、5秒でも早かったり遅れたりしてはいけなかった。そのためにベントリーは、いつも5分前にはスコット工場の門前に車で乗りつけて待機しているのであった。ベントリーはいつものごとく、門の前に子分たちを整列させ、点呼を取り始めた。
 一方、そんなベントリーの性格など知る由もないAチーム。彼らはスコット工場のドアの内側で息を潜めて待機していた。苦労して掘った特大落とし穴にベントリーが落ちたのを見計らってドアを開け放ち、笑ってやる計画なのである。門からドアまで歩いても1分とはかからない。車の着いた音がしてから、もうかなり経つというのに、ベントリーが落とし穴にはまった気配は全くなかった。
「どうなってんだろ。……気づかれたかな?」
 フェイスマンが小声で囁き、ハンニバルを振り返った。
「そんなハズねえ。落とし穴作りはベトナムで随分鍛えたからな。あの落とし穴を見破るなんて、できっこねえ。」
 コングが額に縦皺を寄せて言うと、マードックが首を傾げた。
「それとも、奴さん、地上から5センチ浮いて歩いてくるとか?」
「てめえは黙ってろ!」
 抑えた声としては目一杯の音量で、コングが怒鳴りつける。
「どう思う、ハンニバル?」
 指示を仰ぐようにフェイスマンが見ると、ハンニバルは腕を組んで唸った。
「う〜む。確かにこの間は妙だな。……よし、様子を見てみよう。」
 バッターン。
 勢いよくドアを開けて飛び出したAチームが見たものは――今まさに2列縦隊で門をくぐろうとしているベントリー一家の姿であった。



 気を取り直してハンニバルが口を開くのに、たっぷり30秒はかかった。
「ベントリーだな。」
「何だ、てめえらは!?」
 先頭にいた赤いアロハの若者が叫んだ。と、間髪を置かず、そのオールバック頭にピコピコハンマーが振り下ろされる。
「トーマス、減点1。」
 ピコピコハンマーを握っていたのはベントリーだった。
「口の利き方には注意しなさいと、いつも言っているでしょう。……ええ、さて。」
 ベントリーは咳払いを1つすると、Aチームに向き直って言った。
「いかにも私(わたくし)がベントリーですが、あなた方はどなたですか?」
 思わず毒気を抜かれて立ち尽くすAチーム。ハンニバルがやはり咳払いを1つして言った。
「こりゃどうもご丁寧に。あたしらはこのスコット工場に新しく雇われたガードマンでしてね。ベントリーさん、あんたが嫌がらせしてるおかげで、工場は営業中止に追い込まれてるっていう話だが。」
「なるほど、そういう見解もあるわけですね。でも大丈夫。あなた方をさっさとクビにして、私共をガードマンにしていただければ、工場はすぐにでも営業を再開できますよ。ねえ、スコットさん。」
 ベントリー、その実態はチンピラにしてインテリぶった厭味な男である。そして、それはコングの最も嫌いなタイプであった。
「こら、ベントリー! ガタガタ抜かしてねえで、スコット工場から手を引きやがれ。じゃねえと、ブッ飛ばすぞ!!」
 コングが叫ぶと、ベントリーは大仰に肩を竦めた。
「おやおや、暴力に訴えるんですか。見かけ通り野蛮ですねえ。恐竜並みの脳ミソしかないのと違いますか?」
「何だと、この野郎!」
 食い物の恨みも手伝って、コングの理性はプッツリ切れた。ハンニバルたちが止める間もなく、コングはぶんぶんと拳を振り回しながら、ベントリーを殴るべく駆け出した。
「コング! 下!」
 フェイスマンが慌てて叫んだ時、コングの姿は一同の視界からフッと消えた。
「野郎! ブッ殺す!」
 地の下、落とし穴の中から、怒り狂ったコングの雄叫びが響く。
「自分で掘った落とし穴じゃないか。」
 マードックがやれやれという風に呟いて、コング救出に向かう。ハンニバルとフェイスマンは穴を迂回し、呆然としているベントリー一家に、もう殴りかかっている。こうして乱闘の幕は切って落とされた。
 ハンニバルは健闘し、フェイスマンもそれなりに頑張ったが、何と言っても2対9では分が悪い。2人が苦戦していると、マードックの得意気な声が上がった。
「最終兵器、怒りのコングちゃん、登場!」
 ようやく落とし穴から這い上がったコングは、怒りのあまり頭から湯気が出ている状態だった。
「いやあ、心強いねえ。」
 ハンニバルが、もう自分のノルマは果たしたとでもいうように、葉巻を取り出し始める。
「ハハッ……全く。」
 赤いアロハの若者に襟首を掴まれ、持ち上げられていたフェイスマンが呟いた。コングが手始めにその若者を殴り倒したので、フェイスマンは素早く洋服の乱れを直しにかかった。
 それからはもう、コングの1人舞台だった。彼は次から次へとベントリー一家の乱暴者を殴り倒し、マードックが後始末を引き受けた。つまり、倒れているアロハシャツを引きずって、どんどん落とし穴に落としていったのである。最後にベントリーが投げ込まれると、ハンニバルが短くなった葉巻をぽいと上から投げ捨てた。
 ベントリーは半泣きで、フェイスマンの差し出した書類にサインし、ようやく落とし穴から出してもらうことができたのだった。



「本当に何もかも皆さんのおかげです。どうもありがとう。」
 スコット氏はでき立てのオレンジジュースを振る舞いながら、Aチームにお礼を言った。
「いやいや、今回はあまりスマートに解決できませんでしたがね。」
 ハンニバルが苦笑すると、コングが横からきっぱりと言った。
「いいじゃねえか。終わりよければ全てよし、ってな。さあ、オレンジジュースで乾杯だ!」
【おしまい】
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