SLIDING BEAUTY 〜滑り込み姫〜
ふるかわ しま
「間に合ったわ!」
 女は叫んだ。
「間に合っただと! このコンコンチキ!」
 男は叫んだ。ちなみにこの男、コング。
「お嬢さん、約束の時間を3時間15分もオーバーして“間に合ったわ!”はないんじゃない? 俺たち、そろそろ引き上げるところだったんだよ。」
 情ないハの字眉の男が言った。その男、フェイスマン。
「“引き上げるところ”であって、引き上げたわけじゃないでしょ。それにあなたたち、まだ上着も着てないし、そっちの人なんてパジャマのままだわ。こういうのを私の言葉では“余裕で間に合った”って言うのよ。」
 遅刻女はそう言い放つと、パジャマ姿にマスクをし、頭にアイスノンを括りつけた男の隣(ソファ)に腰を下ろした。
「オイラの傍に来ると、風邪移っちゃうよ、お嬢さん。何てったって、今年大流行の香港A型ってえ最新モードだ。」
 キリンさんが踊っているパジャマ(もちろん、表もこの格好で歩いてきた)にマフラーといったステキな出で立ちのマードック、今日は衣装じゃなくて、マジに風邪引いてるのだ。
「安心して。私、他人から風邪移されたことないの。引く時はいつも一番乗りだから。」
 横柄に言い放つ女は、推定年齢18歳。一目でミッソーニとわかるド派手なニットドレスに、靴はフェラガモ。そこはかとなく小金持ちの匂いが漂う。
「はじめまして。リンダ・マツモトですね?」
 葉巻(かなりチビてる)を銜えたハンニバルが、にこやかに言った。
「ジョン・スミスね。祖父から噂は聞いてるわ。」
「祖父?」
「米国陸軍第3師団第2中隊のマツモト中佐。確かベトナムで会ってたわよね?」
「……覚えてるぞ。あの、いつもいつもプッチーニのオペラを歌ってたじいさんか! いや、懐かしいな。彼はあれからどうしてる?」
「死んだわ。先週。」
「それは残念だったな。で、死因は何だ? 咽頭癌か? それとも、下手なカラオケのせいで殺されたのか?」
「……全然、残念そうじゃないよ、ハンニバル。」
「だって迷惑したんだぞ。彼の中隊は主に偵察をやってたんだが、5分と黙ってられずに朗々とオペラを歌い出す隊長とコーラスを入れる隊員とで、偵察の役目を一向に果たさなかった! 半径2km以内に近づくと即バレる偵察隊が、よく生きて帰れたもんだと、いつも感心してもいたんだよ。」
 遠い目をして思い出に耽るご老体であった。
「運の強さだけが祖父の取り柄だったわ。死んだのも老衰だったし。」
「それで、その中佐の孫娘が、俺たちに何の用でい?」
 午後も7時を回り(約束は4時)お腹スキスキのコングは、今、不機嫌。
「実は、祖父のことで1つ困ったことがあるの。」
「困ったこと? 墓石からオペラが聞こえてきて、うるさくて仕方ないとかいったことかい?」
「近いわ。近いけどハズレ。」
 近いって何だよ、リンダ。
「実は私、オペラ歌手を目指しているの。カエルの子はカエルってわけで、私、すごく才能があるの。……っていうのは真っ赤なウソで。オペラ歌手にならないと、じいちゃんの遺産が入らないのよ。」
「ほほう?」
「じいちゃんが遺言状に余計なこと書いてくれたおかげで、私が音大の声楽科に受からなかった場合、遺産は全て全米素人オペラ協会に寄付されてしまうのよ!!」
「初志貫徹ってやつだな。しかし、いくら俺たち無敵のAチームでも、裏口入学の手伝いまではできないぜ?」
「それはいいのよ。私、滑り込みは得意だから。問題はその後。」
(一同、声を揃えて)「その後?!」
「そう、私が音大に受かるとね、祖父の遺産100万ダラーが私のものになり、そして……。」
「そして?」
「その結果として、強請られることになってるのよ、私。」



 彼の名は、ポンチョ。いつもポンチョを着ているから、ポンチョ。彼の本名を知る者はいくらでもいたが、それでも彼は誰からもポンチョとしか呼ばれないのであった。
「おい、ポンチョ。」
「何だい、トラウザーズ。」
 彼の友人、トラウザーズ。いつもズボンを穿いているから、トラウザーズ。彼の本名はビリー・エイセスだが、ポンチョは自分との対比を考えて、彼をトラウザーズと呼んだ。ズボンなんて、みんな穿いてるっていうのに。トラウは少し不満なのであった。
「お前、本当にあのアマを強請るつもりなのか?」
 ある昼下がり、トラウがポンチョに聞いた。
「もちろんだとも。恨みがあるんでね。」
 街角のカフェでメロンソーダを飲む2人の職業は……高校生。
「俺はこれまでの17年間の人生で、何度もあの女のせいで、味あわなくてもいい挫折を味わってきたんだ。」
「例えば?」
「例えば、あれは高校受験の時だった。俺は補欠の112番で、リンダは111番。」
「ほほう。で、合格辞退者の数は?」
「111人。」
「ああ、それでリンダとお前は別の学校だったわけね。」
「それだけじゃないぞ、トラウ。」
 ポンチョはメロンソーダの紙コップ(中身入り)を豪快に握り潰すと、テーブルを叩いて立ち上がった。
「ほほう。」
 膝にかかったグリーンの砂糖水を紙ナプキンで拭いつつ、トラウが言う。
「あれは昨日、俺がキャッシュ・ディスペンサー(CD)で金を下ろそうとした時だ。時間は午後6時55分。CDの前には列ができていた。CDが閉まるのが7時ジャスト。それでも俺は、礼儀正しく一番後ろに並んだんだ。そして、あと1分って時に俺の番が来た! そしたら……そしたら、またあの女が横入りしやがって、こともあろうに操作ミスでCDを止めやがったんだ!」
「……それは彼女の運がいいというより、お前の運が悪かっただけだろ。それに、CDが止まったんなら、彼女も金を下ろせなかったろうし。」
「ふっ、それがなトラウ。奴はちゃんと金を下ろしてやがったのよ。金を下ろして、帰りがけにバッグでキーボードをぶん殴ってCDを止めやがったんだ!! 畜生、そのせいで俺はこの週末、一文なしで暮らすことになっちまったんだ! ……あ、そうそう、だからここ、お前のおごりね。」
 いい性格だこと、ポンチョ君。
「何だか逆恨みっぽい気もするんだけどなー。」
「それだけじゃねえぜ。そんなことが、中学の時も、小学校でも、キンダーガーデンでさえも! 俺はいつも、リンダの滑り込みラッキーの犠牲になってきたんだ。中学の頃についた奴のあだ名、知ってるか?」
「何?」
「スライディング・ビューティ。」
「……滑り込み姫か。」
「……ああ。奴は何にでも、滑り込みでセーフする。俺は大抵、滑り込むがアウトだ。時には骨折したりもする。」
「……係わらない方がいいんじゃないか、その女と。何か、厄病神っぽい感じがするんだけど。」
 正論だな、トラウザーズ。
「そういうわけにはいかないんだ、トラウ。」
「何で?」
「俺とリンダは、志望大学が一緒なんだ。」
「彼女もオペラ歌手志望か!」
「そう。そして今までの例から言って、受かるのは彼女だ。俺じゃない。……でも、それって不公平じゃないか? だから俺は、音大を諦める代わりに、奴の金をいただくことにしたのさ!! もう、脅迫状も送付しておいた。明日の合格発表の日に、俺は大金持ちになるのさ!(オペラ歌手にはなれないけど。)はーっはっはっは!!」
 高笑いするポンチョと、言葉もなく彼を見つめるトラウ。ちょっと友達やめたくなってるトラウであった。



「まず、脅迫状の送り主を特定しなければならない。」
 リーダーらしく言い放つハンニバル。
「リンダ、何か心当たりは?」
 女に甘いフェイスマン。
「ないわ。私、奉仕の心をモットーにしているから。」
「奉仕の心があるなら、何で3時間も遅刻するんでい。」
「ダイエットにいいでしょ?」
 リンダ・マツモト、恐いもの知らずの女である。ハラヘリなB.A.バラカスに対して大きな口を叩けるのは、マードックくらいなものであるのに。そのマードックは既にソファで熟睡状態なので、この会話には不参加ね。
「とりあえず、脅迫状を読んでみてくれないか、フェイス。」
「はいはい。えーと、何々……“親愛なるリンダ・マツモト様”。……名前は知ってるようだね。……“もしあなたがLA音楽大学声楽科に合格した場合、100万ドル寄越しなさい。落ちたら結構です。”……何だこりゃ。」
 拍子抜けな文面の脅迫状である。
「手紙の差出人は……滑り込みアウトマン。」
「リンダとは正反対だな。」
「知らないわよ、そんな人。」
「普通知らねーぜ、滑り込みアウトマン。」
 その通りだ、コング。
「何だか逆恨みの匂いがするな。リンダ、LA音大声楽科の合格発表は?」
「明日よ。明日の10時。」
「発表方法は? 地元の新聞に載ったりするの?」
「いいえ。校内の掲示板に受験番号が貼り出されるだけ。」
「ってことは、犯人も必ず掲示板を見に来るっていうことだね?」
「鋭いじゃないかフェイス。よし、明日は朝からLA音大で張り込みだ!」



 翌朝9時、LA音楽大学構内。
 子供の合格発表を見に来た老夫婦を演じるハンニバルとフェイスマン。ハンニバルはダークスーツでまあいいとして、フェイスマンのシャネルスーツ姿には無理を通り越して哀愁すら感じる。本人はいたくお気に入りの様子で旦那(ハンニバル)の腕にぶら下がっているのだが。コングは用務員ルック(しかし派手)で箒を持って、正門の脇で待機。万が一、犯人が逃げ出した時に正門でキャッチする係。マードックはパジャマ姿のまま、バンの運転席で前の道路からじっと校内を見つめている。膝には膝かけ、片手には卵酒のカップ。立派な病人仕様だが、それで運転したら飲酒運転じゃないか?
「滑り込み姫のご登場だよ。」
 マードックがトランシーバーでハンニバルに言った。リンダ・マツモト登場。時刻は9時59分。約束は9時30分であった。
「おはよう。早かったわね、ハンニバル・スミス。」
「……お父さんと言ってみちゃくれないか。せっかく変装してるんだし。」
「そうだったわね。おはよう、お父さん。で、そちらのゴツイ女は?」
「お母さん。」
 ムッとした表情でフェイスマンが言う。
「……お母さんね。まあいいわ、どうせ今日限りだし。」
 校内がざわつき始めた。発表の時間だ。白い巻き紙を持った大学の職員が掲示板に向かう。人波が掲示板に押し寄せた。
「さあ、発表だ。」
「リンダ、君の受験番号は?」
「217番。」
 固唾を飲んで、貼られていく巻き紙を見守る3人であった。



「おい、発表、もう始まってるぜ!」
 校内に駆け込んでくる少年2人。ポンチョとトラウザーズ。
「ポンチョ、お前の受験番号は?」
「218番! 受験申し込みの時、あいつに横入りされたんだ!」
「ってことは、彼女は217番だな?!」
「ああ!」
「よし! 見に行くぞ!」
「……ちょっと待て!」
 走っていたポンチョが、いきなり立ち止まった。
「どうした、ポンチョ?」
「畜生、半ば諦めているとは言え、やっぱり緊張するぜ。トラウ、お前、見てきてくれないか?」
「何言ってるんだよ。脅迫なんて大それた犯罪を企むお前が、合格発表さえ見られないのか?」
「うーん、そうは言ってもなあ。俺、フツーの高校生だし。」
 普通だろうか。100万ドル強奪を企んでおいて。
「やっぱり、お前、見てきてくれよ。」
「やだよ。お前、自分で行けよ。」
 低レベルな争いを繰り広げる2人であった。



「あら? あれ、ポンチョじゃない。」
 声楽科の発表を待つリンダが言った。
「え? 誰だって?」
 と、ハンニバル。
「ポンチョ。幼馴染みなの。要領の悪い奴で、見てるとイライラするんだけど。……そう言えば、彼もオペラ歌手志望だったわね。」
「友達か。ポンチョって、本名?」
「なわけないでしょう。アンドリュー・グラント・フォーランザム。通称ポンチョ。」
「確かにポンチョを着ているな。隣の少年は?」
「トラウザーズ。ポンチョの友人。」
「確かにズボンを穿いてるね。最近の高校生のニックネームのセンスは、そんなものなの?」
 フェイスマンが呆れたように言った。
「あいつらだけよ。おーい、ポンチョー!」
「げっ、リンダ!」
 驚いたのは、ポンチョとトラウ。
「久し振りね、ポンチョ。あなたも確か声楽科が志望よね。一緒に発表を見ましょうよ。」
「あ、ああ、あはは、そうだね、リンダ……。」
 既に顔面蒼白なポンチョ。無表情になってしまっているトラウ。
「はじめまして、ポンチョにトラウ。」
 ハンニバルは普通に言ったつもりだったが、妙に威圧感がある初老の男と、その横で微笑む謎の女に、ポンチョとトラウはますます舞い上がってしまった。
「は、はじめまして。リンダ、こちらは?」
「両親。」
 いい根性した娘である。
「両……親…………。」
 ばったーん。
 ポンチョは倒れた。緊張のあまり、貧血を起こしたのだ。決して、フェイスマンの女装のせいではない……かもしれない。
「ポンチョっ!」
 駆け寄るトラウザーズ。
「さあ、発表よっ。」
 そんなポンチョを全く無視して、リンダは掲示板へと身を翻した。
 掲示板には、今まさに声楽科の合格者が貼り出されようとしている――



 声楽科の合格者の受験番号が掲示板に貼り出された。合格者51名。リンダの番号はあるのだろうか!? そしてポンチョの運命やいかに……?
「1、2、3……12、17……。リンダ、君、何番だって言ったっけ?」
「217番。」
「197番……200……201、205、216……218。」
 ない。
「217……は、ないぞ……。」
 ハンニバルが呟く。
「ホントだ……。見事に1つ飛んでる。」
 フェイスマンも言った。
「ないですって!? そんなはずないでしょ。もう1回見てよっ!」
 リンダが声を張り上げた。
「201、205、216、飛んで、218。」
「218だって!?」
 トラウが叫んだ。
「確かにないな。リンダ、君、落ちたよ。」
 冷静に言い放つハンニバル。
「そんな……落ちたなんて……。私の将来と100万ドルはどうなるの?」
「残念だが、両方ともパーだね。」
 フェイスマンが追い打ちをかける。
「ポンチョ、起きろっ!! 218だ。お前、合格してるぞ! おいっ!」
 まだ倒れたままのポンチョを、トラウザーズがガクガクと揺り起こした。
「うーん……。何だよトラウ、もう少し寝かせて……。」
 緊張のあまり寝不足でもあったようだ。
「合格だよ、お前! 受かったのはリンダじゃなくて、お前の方だよ!」
「……合……格? えー、俺、合格したのかよ!?」
 本当である。リンダ、217。ポンチョ、218。ポンチョの勝ち。
「何ですって、トラウ! ポンチョが合格!?」
 涙に暮れていたはずのリンダが顔を上げ、叫んだ。
「218……本当だわ。あなた、確か私の後ろに並んでいたんだから、218よね!?」
 後ろに並んでいたんじゃない。リンダが横入りしただけ。
「どうして!? ……どうしてあんたなんかが合格して、この私が不合格なのよ!! そんな道理の通らない話ってある!?」
「あると思うぞ、たまには。」
 ハンニバルが言った。
「あのー、100万ドルがパーってことは、俺たちの報酬はぁ?」
 フェイスマンが恐る恐る尋ねる。
「出せるわけないでしょっ! 報酬が欲しかったら、あなた、私を合格にしてよっ!」
「そんなあ……。」
 ハの字眉が11字眉に近づいていくぞ、フェイスマン。
「そんなあ……本当に落ちてるのォ、リンダは……?」
 悔しげに掲示板を眺め続けるフェイスマン。
「……ねえ、ハンニバル。リンダお嬢さんの番号、あるよ。」
 フェイスマンが呟くように言った。
「何!?」
 一斉にフェイスマンを注目する一同。
「……ほら、あの補欠合格者欄に。」
「何だって!?」
 そのまま視線を補欠掲示に移す一同。
「……あったわ、217番。……一番最初に書いてあるじゃない。」
 リンダが呟く。
「……でも駄目だわ。声楽科に合格して入学辞退した例は、過去一度もないもの……。」
 がっくりと肩を落とすリンダ。と、ハンニバルと、フェイスマン。それとは対照的に、喜びを隠せないポンチョ。
「わーい、わーい、合格だー♪」
 既に発声が腹式になっている。
「悔しいわ。じいちゃんの夢を叶えてあげられなかったなんて……。」
 手で涙を拭うリンダ。
「リンダ……。」
 そっと肩に手を置くフェイスマン。女なら誰でもいい奴とは、こやつのことではないだろうか。しかし女装。
「そうだっ、いい考えがあるわっ!」
 パッと顔を上げて、リンダが叫んだ。
「いい考え!?」
 注目する一同。
「……って何?」
「ポンチョ! 私たち、友達よね?」
「……違うぞ。幼馴染みではあるが、友達だったことなんて、ただの一度もなかった! けど、今日、俺、珍しく寛容な気分だから、なってやってもいいぞ、友達。」
 既に余裕のよっちゃんのポンチョ。
「じゃあ、ポンチョ、友人としてお願いがあるの。」
「何?」
「(一息吸って)あなた、入学辞退しなさい。」
 ……友達に言う言葉か、それ?
「はあー……?」
 絶句するポンチョ。
「合格したあなたの実力は認めるわ。偉かったわね、おめでとう。」
 拍手するリンダ。思わず釣られて拍手する一同。照れ臭そうに頭を下げるポンチョ。
「でも! オペラ歌手には私の方が相応しいのよ!」
「何だよ、それ?! やだぞ、絶対、俺、入学辞退なんかしないからなっ!!」
「うるさいわねっ! 私には100万ドルもかかってるのよっ!」
「黙れっ! どっち道、その100万ドルは俺のものになるはずだったんだからなっ!!」
 失言その1。水を打ったように静まり返る一同。
「……ポンチョ君、今、何て?」
 優しく問うフェイスマン。
「何でもないっ!」
 すごい勢いで否定するポンチョ。
「ポンチョ、脅迫状の送り主は、あなただったのね!?」
「違うっ! 俺ぁ、あんたのじいさんの遺産なんか狙ってないぞっ!!」
 墓穴を掘って、掘った穴の中に自分から入るようなタイプだな。
「……君が、滑り込みアウトマンか。そう言われてみれば、そんな感じがするな。」
 感心している場合か、ハンニバル?
「……畜生、バレちまったら仕方ねーや。」
 いきなり開き直るポンチョ。
「ポンチョ……。」
 トラウザーズが、本当に心配そうに彼を見つめている。
「確かに俺は、リンダにあの脅迫状を送りつけた! でも、今となっては、それが何だって言うんだ! 合格したのは俺の方で、あんたじゃない! あんたが不合格になった時点で、あの脅迫状は無効になったはずだ! 俺は絶対に、入学辞退なんてしないぞ! 音大に入って、立派なオペラ歌手になってみせるんだ!!」
「それはどうかな、ポンチョ君。」
 と、ハンニバル。
「君はリンダお嬢さんに脅迫状を送付した。たとえ未遂に終わったとしても、この脅迫状がこの世に存在する限り、君の罪は消えないよ。」
「そうよ、その通りだわ。」
 と、リンダ。
「そっ、そんなあ……。」
 弱気になるポンチョ。
「取引をしよう、ポンチョ君。この取引に応じてくれれば、我々はあの脅迫状を焼却してもいい。」
「取引?」
「そうだ。君は、入学を辞退する。我々は、あの脅迫状を処分する。これで五分と五分じゃないかね?」
 でもそれって、リンダ丸儲け。さすが年寄り、計算高い。
「それじゃリンダは丸儲けじゃないか!」
「だが君は、ブタ箱行きを免れる。」
「そんなあ……(と、涙するポンチョ)。オペラ歌手になって、プッチーニの主役を務めるという僕の夢はどうなるんです?」
「海の藻屑と消えるのさ。」
「ちょっと待って!」
 リンダが叫んだ。
「何だい、リンダ?」
「ポンチョ、あなた、プッチーニが好きなの?」
「ああ、三度のメシより好きだ。」
 リンダの表情が和らいだ。
「……死んだじいちゃんもね……プッチーニが大好きだったの……。プッチーニが好きな人を不幸にするなんて、私、できない……。」
「リンダ……。」
 突然のリンダのしおらしい発言に、一同は黙り込んだ。本当はいい奴?
「じゃあ、僕は辞退しなくていいんだね?」
 恐る恐る聞くポンチョ。
「(一呼吸置いて)ダメ。入学は辞退しなさい。」
 コケる一同。
「でも、その代わりと言ったら何だけど、来年あなたがもう一度このLA音大を受験するまでにかかる費用は、全部、私が出すわ。それでいい? ポンチョ。」
「名案だな。ポンチョ、それで妥協しなさい。」
 と、ハンニバル。
 しばし考えるポンチョ。――10分後。
「わかった。僕は入学を辞退する。脅迫して悪かったね、リンダ。僕の分まで頑張ってくれ。」
 右手を差し出すポンチョ。目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「ありがとう、ポンチョ。今日から私たち、友達ね。」
 握り返すリンダ。一同、拍手。
「……その代わり、本当に1年分の生活費と受験費を出してくれるんだろうね?」
“遊んでやる……。1年間豪遊して、100万ドル全部、1ドル残さず使ってやる……。”
 ポンチョは暗いことを考えていた。
「ええ、もちろんよ、ポンチョ。あ、レシート溜めといてね。よく吟味してから払ったげるわ。」
“……この女、タダ者じゃない。”
 と、フェイスマンは思った。
“この件についてのお代は払ってもらえるんだろうか……。貸衣装屋のレシート貰ってなかったし……。ああ、いつもこんなんばっかし……。”
「いや、めでたい。今夜はパーっと祝杯と行こう。な、フェイス?」
 豪快に言い放つリーダーであった。
【おしまい】
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