年末大掃除作戦
鈴樹 瑞穂
 1993年冬、不況のあおりを受けて、世間の風は冷たかった。
 残業バブルが弾けた上、ボーナスも減った会社員が苦しいのはもちろんだが、半フリーター状態のAチームは大変厳しい冬を迎えていた。
 仕事が来ないのである。たまに来ても超小口、しかも分割低金利。不況のおかげでみんな貧乏になり、絞り取る金も利権も、あまりにも心許ないとでもいうのか、小悪党たちの動きもおとなしい。
 貧乏ゆえに、Aチームは今、フェイスマンが借りていたゴージャスなマンションを追い出され、オフィス街の一角にある某ウィークリーマンションを拠点としている。
「やってらんねえ。」
 冷蔵庫の扉をバタンと閉めて、コングが大きな溜息をついた。本日の昼食当番である。と言っても、今日は全員が朝寝坊をしたので食事時間がずれ込み、もうとっくに正午を回って夕方に近い時間であった。
「お腹空いたよ〜。メシまだなの?」
 既にテーブルに着いているマードックが喚く。ナプキンのつもりか、彼は大きな黄色いバンダナを首からぶら下げて、両手にはナイフとフォークを握り締め、もうすっかり食事の体勢になっている。
「何も作れねえ。材料がねえからな。」
「え? 冷蔵庫の中、何もないの?」
「ない。」
 フェイスマンがきっぱりと言った。彼はマードックの向かい側に座って、ペンを片手に新聞を広げ、それまで熱心に覗き込んでいたのだ。ショックを受ける2人に、さらに畳みかけるように言葉を続ける。
「朝食に出したパンと卵で終わり。」
「ないったって、フェイス。時間が来りゃ腹は減るでしょうが。」
 腕組みをしたハンニバルが、横から偉そうに言った。その言葉にフェイスマンがキッと顔を上げる。
「みんな簡単に言うけどね、現状をしっかり把握してくれよ。仕事もない、お金もない、冷蔵庫の中にも何もない。」
 切々と訴えるフェイスマンに思わずたじろぐコングとマードック。しかし、ハンニバルは動じない。
「そこを何とかするのが、お前さんの才覚ってもんですよ。」
「どうしろってのさ? シルクハットからハムの塊を出せとでも?」
 ヒステリックに叫ぶフェイスマン。コングがぼそりと呟いた。
「そりゃいいや。できるもんなら、やってもらいてえ。」
 フェイスマンはコングを睨んだが、無駄だった。彼の目はうっとりと空を見つめ、大好きなハムステーキを思い描いている。空腹状態は、人間のデリカシーを奪うものなのである。フェイスマンは溜息をついて、がっくりと肩を落とした。
「ううむ。」
 ハンニバルはリーダーらしく、何か考えているという風に、不況にもめげず豊かな顎の下の肉を撫でさすっている。それから彼は、おもむろに口を開いた。
「仕事を探してこい、フェイス。」
「探してるよ。」
 今の今まで新聞の求人欄をチェックしていたフェイスマンの反応は冷たい。
「もっと真剣に探すんだ。この際、何でもいい。我々が干乾しになる前に、金になる仕事を取ってこい。外に出て、その足で探すんだ。」
「えっ? 今から……?」
 フェイスマンは恐る恐る窓の外を見た。早くも冬の日は暮れかけ、そろそろ暗くなってきた戸外は急に冷え込みを増し、ビル街に木枯らしが吹いている。
「明日じゃ駄目?」
 顔面にこわばった笑みを貼りつけるフェイスマンに、追い打ちをかけるようにマードックが喚いた。
「ひもじいぃいぃい! このままじゃ飢え死にしちまうよぉおぉお!」
 ヤカンから水をがぶ飲みするというパフォーマンスを織り混ぜながらの熱演である。
「凍え死んじゃうよ! 俺のコート、穴開いてるんだ!」
「今すぐだ。特別にマフラーを貸してやろう。」
 ハンニバル・スマイルで言い切られてしまっては、フェイスマンにはもう選択の余地はなかった。
「行ってきな。骨は拾ってやるぜ。」
 少しもありがたくないコングの激励を受けて、フェイスマンはとぼとぼと夕方の街に出かけていった。



 2時間後。空腹を紛らわせるため、それぞれ水、薄めた牛乳、葉巻を大量摂取しているマードック、コング、ハンニバルの元に、フェイスマンが戻ってきた。
「……ただいま。」
「おう、ご苦労さん。」
「で、どうだったの?」
 コングとマードックが声をかけると、フェイスマンは能面のような表情で言った。
「仕事が見つかったよ。」
「よくやった。で、どんな仕事だ?」
 フェイスマンの表情に一抹の不安を覚えつつ、ハンニバルが尋ねる。
「それが……。」
「飛行機に乗らなきゃ、何でもやってやるぜ。」
 コングが重ねて言う。
「……大掃除。」
 フェイスマンは誰とも視線を合わさないように、天井を見ながら言った。
「大掃除だと!?」
「大掃除とはこりゃまた……。」
「大掃除かぁ(ハート)。」
 三者三様の反応を示した後、ハンニバルが妙ににこやかに聞いた。
「で、どうしてそういうことになったんだ、フェイス?」
「だって……つてを辿って依頼人に会ったのはいいんだけど、どーもAチームに対する認識がズレてるらしくって……ただの便利屋と間違えてるみたいなんだ。」
 今度はひたすら窓の外を見ながら、フェイスマンが言う。
「俺も一応説明はしたんだけど、やたら口の上手いばあさんで……。」
「言いくるめられてしまったわけか。」
「面目ない。」
 フェイスマンが小さくなる。ハンニバルが葉巻を揉み消し、すっくと立ち上がった。
「よろしい。あたしが直接、話をつけてきましょう。フェイス、あちらさんの連絡先は?」
 すかさずメモを手渡すフェイスマン。拍手で見送るAチームの面々。



 が、1時間後。帰ってくるなり、ハンニバルがきっぱりと言った。
「……負けた。」
 一同の間を、言葉もなく驚愕の嵐が吹き荒れる。
「あんなに口の回るご婦人には初めて会ったぞ。」
「……そんな……。ハンニバルを言い負かす人間がいるなんて……。」
 呆然と呟くフェイスマン。彼が太刀打ちできなかったのも当然ということだろうか。
「潔く負けを認めて、掃除をしよう。」
 ハンニバルの言葉に、頷くしかないAチームの面々である。
「契約は明日1日。朝6時に来てくれということだ。」
「6時!」
 マードックがヤカンを抱き締めて身震いする。彼らがそんなに早起きしたことがあっただろうか。
「そういうわけだから、明日に備えて、今夜はもう寝るぞ。明日の起床は5時20分だ。各自しっかり目覚しをかけておくように。」
 ハンニバルの号令一下、一同はわらわらと寝る仕度に取りかかる。壁の時計は、午後7時30分を示していた。



 翌日。眠い目をこすりながら、やっとのことで指定されたお屋敷に向かったAチームを迎えたのは、1人の小柄な老婦人だった。白髪をシニヨンに引っ詰めて、紺色の長いスカートに白い前かけをしている。
「あなた方が、お願いした便利屋さんですね。」
 低い鼻の上の銀縁眼鏡を上げながら、彼女は値踏みするような視線で一同を見た。
「随分と個性的な方々ですこと。まあいいでしょう。お支払いする報酬の分だけは、きちんと働いていただきますからね。失礼、申し遅れましたが、私(わたくし)はミス・メイプル。今はここの家庭教師ですけれども、昨年までは聖マーガレット学院の教師をしておりました。」
「聖マーガレット学院?」
「ご存知ありません? 全寮制の名門女子校でしてよ。生徒は皆“清く正しく美しく”をモットーとしております。」
「あの〜。」
 マードックが口を開くと、ミス・メイプルはキッと顔を向けた。
「ミス・メイプルと仰い。そういった話しかけ方はお行儀の悪いことですよ。」
「ほんじゃ、ミス・メイプル。学校じゃ何を教えてたのか、聞いてもいいかい?」
「行儀作法です。あなたにも少しばかり教育が必要なようですね。」
「そうかなあ。俺、教養は足りてっと思うけど、ほら、ちょっとクレイジーだからさ。精神病院出たり入ったりで、結構それもまた楽しいんだけどさ。エヘヘヘ……。」
 心の中で頭を抱え込むフェイスマンの心境も知らず、マードックは楽しそうだ。
「とにかく、今日中にお屋敷の大掃除をしなければなりません。明日には旦那様方が旅行から帰っていらっしゃいます。もしもそれまでに年末の大掃除ができていなかったとしたら、それはもう大変なことですからね。年末はどこの便利屋さんも忙しくていらっしゃって、なかなか飛び込みの仕事は受けて下さらないんですよ。ようやく見つけることのできたあなた方ですから、しっかり働いていただきます!」
 両の拳を握り締め、きっぱりと言い切るミス・メイプル。その迫力は、コングやハンニバルの比ではない。
「制服は、支給して差し上げます。」
 4人はおとなしく、渡された三角巾と割烹着を身に着けた。
“トホホ……色男が台なし……。”
 フェイスマンは思ったが、口には出さなかった。例え雇い主でなくても、ミス・メイプルに逆らうことなど、とてもできない相談だった。



 予想通りと言うべきか、ミス・メイプルの言いつけは、容赦なく厳しいものであった。
「掃除機ですって? とんでもない! 箒でチリを掃いてこそ、清く正しく美しい年末大掃除の心意気というものです。」
「ほらほら、だらだらしない! シャキッと動きなさい。」
「床は雑巾がけの後、ワックスをかけて、丹念に乾拭きすること。」
「サッシのレールの汚れは、割箸にボロ布を巻きつけて拭くのが常識でしょう!」
「そこが終わったら、書斎にハタキをかけて。本を傷めないように、丁寧にするんですよ。」
「ガラス拭きの仕上げは、新聞紙で擦るんですよ。そうすれば印刷インクの油分が膜の役目をして、曇りにくくなりますからね。」
「この際だから、庭の草毟りもお願いしようかしら。」
「温室のガラス磨きとプール掃除を失念しておりました。」
 その度、声にならない悲鳴を上げながら、コマネズミのように働くAチームであった。



 戦い済んで日が暮れて。どこかでカラスが鳴いている。
 とっぷりと暗くなった街に、家路を辿る一同の姿があった。服はよれよれ、せっかくのセットも台なしで、疲労のあまり、みんな虚脱状態である。
「疲れたぜ……。」
 コングがぽつりと呟き、一同は深く頷いた。
「悪者を伸してる方が、よっぽど楽。」
 マードックが言い、ハンニバルが葉巻に火を点けながら答える。
「うむ。人間、向き不向きがあるってことが、よくわかった1日だったな。我々も、まだまだ青いねえ。」
「でも、ちゃんと報酬は貰ったから。」
 フェイスマンが懐から取り出した封筒を、ひらひらと振って見せた。
「それ、キャッシュ? いくら入ってんの?」
 マードックの言葉に、フェイスマンは封筒を開けてみた。
 出てきたのは数枚の100ドル札とコイン。約束の半分程度の金額だ。
「何だよ、これ。約束が違うよ。」
 慌てるフェイスマンに、ハンニバルが手を伸ばした。
「まあ、待て。まだ何か封筒に入ってるぞ。」
 ハンニバルは葉巻を銜えたまま、その紙を開いて、書かれた文字を読み上げる。
「何々……請求書。窓ガラス2枚200ドル、箒1本5ドル、チューリップの球根3個10ドル、お皿3枚150ドル……。」
 リストは延々と続いている。みんな、大掃除の最中に壊してしまったものばかりだ。
「最後に、行儀作法のレッスン料20ドル。以上、お給料から天引きさせていただきます。ミス・メイプル。」
 ハンニバルはフェイスマンにリストを渡すと、深い溜息と共に葉巻の煙を吐き出した。
「あのばあさん、とんだ食わせ者だぜ。」
 リストを覗き込んで、コングが言った。
「抗議しに行く?」
 フェイスマンが聞くと、ハンニバルは苦笑しながら首を横に振った。
「いや、やめておこう。これだけ貰えただけでも、奇跡のようだ。」
「そうだね。これだけあれば、数日間は食べていけるし。何とか年も越せそう。」
「とりあえず、今日はその金でビールを買って帰るぞ。我々の血と汗と涙の結晶だ。」
「ハムと牛乳もな。」
 ハンニバルの号令一下、一同は華やかな商店街へと方向転換する。
「やっぱり、悪党を相手にしてる方がずっと楽だよなあ。」
 呟いたマードックの言葉に、深く深く頷くAチームであった。
【おしまい】
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