Breath of Fire
鈴樹 瑞穂
 1994年、夏。ロスの町は記録的な猛暑に突入しようとしていた。
「おう。なーんーて暑ィんだ。」
 勢いよくドアを開けて入ってくるなり、B.A.バラカスが唸る。部屋の中は、外に輪をかけてムッとする熱気がわだかまっていたのである。
「クーラー壊れてんのか?」
 眉間に縦皺を寄せて聞く。黒い額には大粒の汗が浮いている。いつもならほどよく空調が効いているフェイスマンのマンション。ここに来れば涼を取れると思ったコングだが、今日は少しばかり勝手が違った。
「壊れてるわけじゃないよ。電力制限されてて、使えないんだ。」
 奥から出てきたフェイスマン、暑さに洒落者のプライドを売り渡したのか、ショッキングピンクのランニングシャツに黄色いジョギングパンツという格好をしている。手には“マハラジャの扇子”(ガールフレンドから貰った日本旅行土産)を装備している。
「何だとォ?」
 声のボリュームを上げるコング。暑さに気が短くなっている模様。
「電力会社、何やってやがる。」
 お説ごもっとも。しかし、時刻は午後2時30分、1日のうちで最も気温の上がる時間帯である。各家庭およびオフィスのクーラーによる電力需要が上がり、その結果、電力会社の最大電力供給量を上回ったとしても無理はない。
「まァまァ、コングちゃん、怒ると余計暑くなるぜ。」
 ペタペタと裸足でフローリングの床の上を歩きながら、マードック登場。フェイスマンに倣って、エメラルドグリーンのランニングシャツに深紅のジョギングパンツという出で立ちだが、それ以外に特に変わった点は見当たらない。芝居染みた衣装も言動も、変な縫いぐるみも小物も、ない。暑さでマトモになったとでもいうのだろうか。
 いや。クレイジー・モンキー健在なり。両手を後ろに組むや、アヒルのように口をカパーと開き、マードックは朗々と歌った。
「あ〜つ〜い〜♪」
 呆気に取られるコングの鼻先で、もう一度。
「あ〜つ〜い〜♪」
 ちなみに音階はド・ミ・ソだ。コングの額にゆっ……くりと交差点マークが浮かび上がる。
「さあ、ご一緒に。あ〜つ〜……。」
 今度は最後まで歌うことはできなかった。その前に、黒い拳が彼の顔面を見舞ったからである。一応、手加減はされていた……らしい。
「ブッ……なーにすんだよう。」
「暑さを助長するようなマネすんじゃねえっ!」
 コングは、ガッキとマードックの首に腕を回し、締め上げた。マードックは足をジタバタさせて暴れる。その横では、フェイスマンがのほほんとランニングの胸を摘み上げて、内部を“マハラジャの扇子”で扇いでいる。
「ちょっと待った!」
 救いは思わぬ所からやって来た。振り返った3人が見たものは、ソファに片足を乗せているハンニバルの姿だった。右手には山盛りの氷の器、左手にはスプーンと、『イチゴ』と書かれたシロップの壜。
「暑さを紛らす運動も結構だがねえ、このままだとせっかく用意したカキ氷が水に戻ってしまうんでね。そうなる前に全部アクアドラゴンが食っちまってもいいって言うんなら話は別だが。」
「カキ氷だと!?」
 コングが瞬時にして、マードックを放り出した。だかだかとキッチンに向かう。マードックとフェイスマンがそれに続き、最後に満足気に頷きながら、ハンニバルが居間を後にした。



「で、そろそろ説明してくれんだろうな。非常招集かけた理由をよ。」
 氷イチゴを2杯平らげたB.A.バラカスが、キーンと痛むこめかみの辺りを押さえながら聞いた。隣ではマードックが、半分溶けかけた氷イチゴの上からさらにカルピスをかけるという暴挙に出ている。
「うむ。実に重大な問題が発生したのだ。」
 腕を組み、難しい表情で呟くハンニバル。が、その前に置かれているのがピンクの色水が溜まった器なものだから、アンバランスなことこの上ない。
「Aチーム宛に仕事の依頼が来たんだよ。」
 代わってフェイスマンが説明する。コングが不思議そうに尋ねた。
「貧乏なのか?」
「いや。謝礼を払える程度には金持ち。」
「じゃ、とんでもない辺鄙な田舎に住んでる?」
「このロスだよ。」
「手を貸したくないような嫌な奴か?」
「いいや。どっちかって言うと、善人の部類に入ると思う。」
「そいじゃ何でえ、その渋い表情は?」
「実はね……依頼主はこのマンションの管理人なんだ。」
「何だ、そんなことか………………何だと!?」
 コングは、椅子の上で飛び上がった。そして、恐る恐る確認する。
「管理人は……俺たちがAチームだってこと、知ってんのか?」
 フェイスマンが慌てて首を振る。
「まさか! それはないと思うよ。依頼だって、リーの店を経由して来たもんだし。」
「にしたってよ、俺たちが出かけてってAチーム名乗るわけにもいかねえし……。この依頼、断んだろ、ハンニバル?」
 コングの言葉に、ハンニバルが重々しく言った。
「Aチームとしちゃあ、困っている者を見過ごすわけにはいくまい。」
「この場合、困ってる者っていう中に、俺たち自身も含まれるしね。」
 と、フェイスマン。
「どういうことでい。そもそも、依頼の内容ってのは何なんだ?」
「これだよ。」
 ハンニバルが指差したのは、沈黙を守るクーラー。
「このマンションは自家発電施設を備えていて、それで電力を賄っているんだ。」
「ほう。そいつぁ知らなかったぜ。」
 さすがハイソなマンションだ、とコングは妙に感心している。
「ところが、悪い奴ってのはどこにでもいるもんでねえ。」
「そ、1匹いれば30匹。」
 スプーンを振り上げたマードックが同調する。
「向かいのゲームセンターを経営してる、ヘッジホッグって奴。」
 フェイスマンが忌ま忌ましそうに言った。
「ゲーセンって、電気来なかったらおしまいだろ。なのに、この夏は電力制限が厳しいもんだから、このマンションの自家発電に目をつけたんだよ。」
「どうして止めなかったんだ!?」
 この部屋の暑さの原因が電力会社のせいではなかったと知って、コングの糾弾は厳しい。
「そりゃあ知ってたら止めたさ! でも、俺だって先週はバカンスに行ってて……帰ってきたら、もうこの有様だったんだ!」
「とにかく。」
 ハンニバルがリーダーの威厳で、その場をまとめる。
「ここは現在の我々の拠点だ。顔が割れるのはまずいが、悪者をのさばらせておくわけにもいかん。よって!」
 ハンニバルはゆっくりと一同の顔を見渡して、にかっと笑った。
「顔がバレないよう、自家発電施設を取り戻す。いいな?」
 リーダーの言葉に、Aチームの面々は力強く頷いた。



 午後5時。その日、ゲームセンター“ヘッジホッグ”では、流行のレーシングゲームの大会が開催されていた。
「さあ、この回に限って飛び入り参加自由です! 事前にエントリーされていない方でも、ご自由に参加して下さい!」
 アナウンサーの声に応じて、1人の男が進み出た。
「俺っち出るぜ! 何せスピード大好きだからさ、操縦なら任しとけって。」
 エアフォースルックに身を固め、フルフェイスのヘルメットを被ったマードックである。
「おおっ、謎の覆面レーサーの登場です! 何やらパイロットのよーな格好ですが……これは飛行機ではなくF1ですよ、大丈夫ですか?」
「似たようなもんさ、大丈夫、大丈夫。」
 マードックは、余裕たっぷりでシートに着いた。横に並んだ8台のゲーム機に通信機能が搭載されていて、8人同時にレースに参加できる趣向だ。この日の課題は、初級コース。楕円状の何の変哲もないコースを、ただぐるぐると回るだけ。簡単だが他車との接触は避けられない、気の許せないコースである。
「GO!」
 アナウンサーの合図と共に、8台の車が一斉にスタートを切る。
「これは大変な事態になりました!」
 アナウンサーがマイクを握り締めて叫んでいる。謎の覆面レーサーの車は、何と、楕円コースを真横に突っ切ってゴールを目指すという暴挙に出たのだ。
「ひゃっほーい!」
 マードックはゴキゲンだった。彼はヘリコプター・パイロットの本能に従って、最短距離を取ったのだ。そして、コースの反対側に着くや、車をバウンドさせ、元来た方へ取って返す。画面の右下には赤々と《逆走》の文字。
 あまりの仕打ちにアナウンサー氏は言葉もなく、他のドライバーは見とれているうち次々と壁や車に激突してリタイア。いつの間にやら、レーシングゲームコーナーの一角には人だかりができている。
「ひゃーっ、もー最高ーっ!」
 マードックの車がゴールを潜ると同時に、いきなりゲームセンターは停電となった。別動部隊――コングとフェイスマンが発電装置を制圧し、電流をマンション側に切り換えたのである。
「キャーッ!」
「何が起こったんだ!?」
「嫌だ、怖いわ……。」
 氾濫していた音と光がふっつりと途絶えて、ゲームセンター内の人々はパニック状態に陥りかけている。クーラーも止まってしまったおかげで、人の密集している店内の温度はたちまち上がってきた。
「落ち着いて! 大丈夫です、自家発電装置の点検による一時的な停電です。すぐに元に戻ります!」
 ガードマンを引き連れて飛んできたヘッジホッグが叫んでいる。
「さあて、それはどうかな?」
 余裕しゃくしゃくの声に振り向くと――
 そこには、3人のフルフェイス・ヘルメットマンがいた。いや、レーシングゲームの台から飛び出してきた謎の覆面レーサーも合わせて、4人のフルフェイス・ヘルメットマン。怪しい。
「大佐ァ、俺っちのドライビング・テク、ちゃんと見てくれたかい?」
「ああ、見事なものだったぞ。実に立派に陽動の役を果たしたな。」
「ヘッヘー、じゃあ今度は俺にバンの運転、任せてくれよ。」
「調子に乗るな、このスットコドッコイ!」
 何のために登場したのか、Aチーム。すっかり仲間うちで和んでしまっている。
「何だ、てめえらは!?」
 当然、お決まりの台詞を吐かねばならぬ、哀れなヘッジホッグ氏。これも悪役の宿命か。それを受けたハンニバル、意気揚々と名乗りを上げる。
「Aチーム参上! 向かいのマンションから自家発電装置を横取りした悪ーい奴らを懲らしめるよう頼まれてね。アハ、アハハ。」
「何だと!? ふざけた格好しやがって。言いがかりをつけての営業妨害、そっちこそいい加減にしてもらおうか。」
 こうして、乱闘の幕が上がった。ヘッジホッグとガードマン軍団 vs. フルフェイス・ヘルメットAチーム。
 結果は言うまでもない。Aチームの面々は暑さにイラついていた鬱憤を思う存分晴らしたのだった。これで仕事料を貰う方がサギである。



 今日もロスは快晴、朝からうだるような暑さだった。しかし、マンションの中は快適である。クーラーから心地好い風が吹いており、部屋を快適温度に保っているためだ。
「ああ、やっぱり夏はこうでなくっちゃ。」
 クーラーの風がちょうど吹き下ろす位置のソファに深々と身を埋めて、フェイスマンが言った。麻とは言え、キチンとスーツに身を包み、熱いコーヒーなんぞ啜っている。
「全くでい。」
 と、コング。心なしか、その表情も穏やかである。
「これで仕事料まで貰っちゃうなんて、悪いみたいだねえ。」
 のんびりとフェイスマンが呟くと、キッチンから出てきたハンニバルが言った。
「そうでもないぞ。」
 その右手には、何やら書類が握られている。
「何、それ?」
「“管理費値上げのお知らせ”だ。名目はAチーム報酬となってるぞ。」
「何だって!?」
 ソファから身を乗り出したフェイスマンは、ハンニバルから受け取った通知書に目を通すと、それを投げ捨て、グッタリと沈み込んだ。
「チャッカリしてる……。」
「まあ、妥当だろう。」
 と、ハンニバル。彼の手には、いつの間にか氷イチゴの器が乗っている。暑いからというより、単に“好き”だったらしい。
「妥当? 自分で自分への報酬を払うことのどこが?」
「仕方なかろう。報酬を受け取るのはAチーム。この部屋を借りているのはテンプルトン・ペックだからな。」
 ハンニバルはにこやかに言った。
「ま、正体がバレなかっただけでも、よしとしましょ。部屋もこうして涼しくなったわけだし。ところで、モンキーはどうした?」
「“ヘッジホッグ”に入り浸ってるぜ。例のレーシングゲームにハマってるらしい。」
 コングがニヤリと親指を立てる。
「静かでいいだろ。」
「ホンット! もう、最高の夏休み!」
 フェイスマンはヤケ気味で手を伸ばし、ハンニバルから受け取った氷イチゴを流し込むのだった。
【おしまい】
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