ウスターソースの謎
伊達 梶乃
*1*

 スーパーマーケットでフェイスマンは腕組みして考え込んでいた。今日の特売は牛フィレ肉とキャベツ、そして食パン。
“いくら特売とは言え、牛フィレは高いしなあ。でも、通常価格の半額だし……。”
 財布の中身が乏しければ悩まずに済むのだが、今日のフェイスマンの懐は珍しく温かかった。
“えーい、買っちゃえっ!”
 カゴに肉を放り込む。フィレの塊、丸々2本。ついでにキャベツ1個と食パン3斤を掴む。パンは潰れないように、一番上に乗せる。
“ブロッコリーとスパゲッティと卵も、特売じゃないけど結構安いじゃん。あ、それからコングに牛乳ね。2ガロンで足りるかな?”
 勢いづくと早いもので、あっと言う間にカートに乗せたカゴ2つが一杯になった。
“そうそう、サラダオイルが切れてんだよね。”
 カゴに入りきらないので、油の缶を小脇に抱える。
 そして、家に帰るのが大変だということに気づいたのは、レジを通った後のことだった。
“……今日は歩いて来たんだっけ……。”


 ヘトヘトになって帰りついたフェイスマンだったが、休む間もなく荷物をそれぞれ所定の場所に収納する作業に没頭せざるを得なかった。
 ようやく一仕事終えたAチームの主夫は、インスタントコーヒーを片手に、リビングのソファにへたばり込んだ。
「おい、フェイス。夕飯のメニューは何だ?」
 ハンニバルがじっとTVを見つめたまま尋ねた。画面には、わけのわからない前衛的な芝居が映っている。
「まだ決まってないよ。」
 コーヒーを啜って、フェイスマンが答える。湯気のせいで鼻水が垂れそうになったので、カップに口をつけたまま鼻を啜ったが、鼻からコーヒーを啜り込んで噎せた。鼻の穴と口の端からコーヒーを垂らしつつ咳き込み、その振動でカップからさらにコーヒーが零れる。焦茶色の液体はフェイスマンの服のみならず、ソファとカーペットにまで染み込んだ。
「何を買ってきたんだ?」
 この惨事に一瞥もくれず、夕飯に心を傾けるハンニバル。
「牛フィレ買ってきたんだけど、ステーキにしようか?」
 咳も治まり、ハンケチで顔からセーター等にかけて拭きまくるフェイスマンの意見に、なぜかハンニバルは一言も答えなかった。
 ソファやカーペットの染みも落ち、服にも異常なしで安心したフェイスマンがコーヒーのお代わりを持って戻ってきた時、ハンニバルがTVのスイッチを切って立ち上がった。
「カツ。」
「え?」
 マグカップに顔を埋めたフェイスマンは、上目使いに唐突なリーダーを見た。
「カツだ!」


 というわけで、夕飯は牛フィレの一口カツとなるに至った。
“コングは8時に仕事から帰ってくるから、とりあえず夕飯は3人分作っといて、コングの分はラップでもかけとくか。”
 台所のフェイスマンは、パンを削ってパン粉にした後、キャベツを刻み、ブロッコリーを茹でた。そして、肉を切って塩コショウし、小麦粉をまぶしつけ、溶き卵をくぐらせ、先のパン粉をつける。時刻は6時45分。スパゲッティを茹でて、肉を揚げて、ちょうど7時に夕飯ができ上がる。さあ、肉を揚げ油の中に滑り込ませるぞ、という瞬間、彼は大変なことを思い出した。
「ソースがない……!」
 不燃ゴミのゴミ箱からにょっきり頭を出しているボトルこそ、昨日使い終わってしまったソース。彼の最後の仕事は、シチューに隠し味をつけることだった。
「ハンニバル、お使い行ってきてー。」
 リビングで『拷問刑罰史』を読んでいたハンニバルは、何だって俺がお使いなんかに行かなきゃいけないんだ、といった表情で台所にやって来た。
「ソース買ってきて。制限時間は15分。」
「何だ、その制限時間ってのは?」
「……焦げたカツと冷めたカツ、どっちがいい?」
「わかった、行ってくる。」
 全てを察知したハンニバルは、上着を引っ掴んで走り出ていった。


“コングの奴、今日に限って車に乗ってくこたぁないだろ。”
 老体に鞭打ち、ひた走るハンニバル。あたかもセリヌンティウスのために走るメロスのように、彼は今、夕食のカツのために走っている。
“いつも行ってるスーパーは遠すぎる。どこか近くにソースを売ってる店は……。”
 刻々と期限が迫ってくる。それなのに、ソースを売っていそうな店どころか、店の明かりさえ見えない。しかし、彼は諦めずに走った。ソースのないカツに比べれば、横腹の痛みや心臓のオーバーワークなど大したことはない。ハンニバルは、彼らしくもなく天に祈った。
“神よ、我にソースを!”
 祈りが通じたのか、薄暗い通りの向こうにネオンが見えた――『デイリーストア パウリの店』。
「ソースはあるか?!」
 息を切らせて駆け込んできたハンニバルに店員は一瞬臆したが、すぐに気を取り直して、客を調味料の棚に導いた。
「当店は、このメーカーのウスターソースしか置いていませんが。」
「それでいい。貰ってくぞ!」
 店員からソースを引ったくり、その手に金を押しつける。
「只今、お釣をお持ちします。」
「釣は取っとけ。」
 腕時計に目をやると、6時55分。ヤバいかもしれない。
「ありがとうございました。」
 店員の声は、もうハンニバルには聞こえなかった。なぜならば、右手にソースのボトルを掴んだ彼は、既に1ブロックほど向こうに走り去ってしまっていたからである。


 ハンニバルがドアを開けた時、フェイスマンは盛りつけをしているところだった。
「……間に合った……。」
 息も絶え絶えに、ハンニバルは食卓に着き、テーブルの上にソースを置いた。
「ご苦労さま。もうすぐだからね。」
 てんこ盛りの大皿1枚にラップをゆるくかけてテーブルの端に置くと、フェイスマンはナイフとフォークをセッティングした。そして一旦、台所に引っ込み、大皿2枚を両手に戻ってきた。
 熱々のカツが山ほど、線切りキャベツの上に横たわり、その横にはペペロンチーノがとぐろを巻いている。そこかしこに見え隠れしているのは、緑色も鮮やかなブロッコリー。
 ハンニバルは湯水のように湧いてくる唾液を懸命に抑えた。
「さ、冷めないうちにいただきましょ。」
 エプロンを外したフェイスマンが席に着くと、食前の祈りも省略してハンニバルはソースに手を伸ばし、思う存分、カツとキャベツにかけた。さすがウスターソース、流れが速い。
「いただきまーす。」
 あんぐりと口を開けて、まだジュウジュウと音を立てている一口カツを頬張る。サクッとした衣の中には、火の通り具合が何とも言えないグレイビィ一杯の牛フィレ肉。ソースの香ばしい匂いが口中に拡がる。ハフハフしながら充分に味と香り、歯応えを楽しみ、ハンニバルは遂に1個目のカツを飲み込んだ。
「どう?」
 ブロッコリーをかじりながら、フェイスマンが聞いた。
「ん。美味い。」
 しみじみとハンニバルが頷く。それを聞いて、フェイスマンはにっこりと笑った。
「やっぱり空腹と食前の運動は最高のスパイスだね。」
「いや、それだけじゃないぞ。」
 ビールで喉を潤し、ハンニバルは口を拭った。
「この世で一番のスパイスは愛だ。お前の料理には愛がある。」
「……そりゃ、どうも。」
 それ以上のことは言えないフェイスマンであった。



*2*

 精神病院の個室で、マードックはベッドにうつ伏し、読書に勤しんでいた。夕食後、消灯前の短い憩いの一時。
 ドゴン。
 裏庭に面した窓から、奇妙な音がする。
 ドゴン。
 彼は読んでいた『ぼくを探しに』を枕元に置いて、窓に歩み寄った。
 ドゴン。
 不燃布でできた象牙色のカーテンを開ける。強化ガラスの向こうに鉄格子が見える。闇の彼方に街の灯が見える。さて音の原因は……?
 ドゴン。
 音と共に彼は理解した。その音の主は、鉄格子に当たって跳ね返るボールだった。窓を開け、彼はそれを受け取るべく、鉄格子の隙間から手を伸ばした。
 ドゴン。――失敗。
 パシ。――成功。
 そのボールをよく見ると、テグスが巻きつけてあり、糸は窓の外に繋がっている。糸を手繰っていくと、次第に手に重みを感じ、ロープが現れた。テグスとロープの繋ぎ目に荷札がついている。
「何々……“もっと手繰れ”?」
 荷札に書かれている通り、彼はロープを手繰った。重かった。重いのもそのはず、鉄格子の間から姿を見せたのは、デイパック。
「これは……何?」
 鉄格子に寄って窓の下を見ようとしたが、ここは4階、下の方は頭がつかえて見えなかった。仕方なくデイパックを開くと“超軽量小型ジャッキ・女性にもラクラク簡単”と紙片が1枚入っていた。紙片を手にし、そこに書かれた乱雑な字を読む。
『親愛なるヘッポコ野郎へ。』
 宛名を読み、瞬時にコングからだとわかった。
『ジャッキで鉄格子を曲げろ。曲げたら、ジャッキを背負って下りてこい。ロープは回収すること。』
 マードックはその通りにした。ジャッキを横に持ち、鉄格子を肩幅の広さに曲げ、ジャッキをデイパックにしまうと、窓際までベッドを引きずってきてパイプにロープを回し、そしてテグスつきボールを下に落とした。下でコングがテグスを手繰っているらしく、ロープがずるずると動いている。
 デイパックを背負い窓枠に足をかけたマードックは、ふと思いついたように部屋の中央に戻り、内ポケットから油性ペンを出すと床にメッセージを残した。
『ちょっと出かけてきます。毎日、連絡を入れます。心配しないで下さい。H.M.マードック。』
 文面に納得して頷くと、マードックはペンのフタをきちんと締めてポケットにしまい、窓から姿を消した。


 裏庭の植え込みの中にしゃがみ込んでいたコングは、マードックが下りてくるや否や、ロープの一端を超高速で引き始めた。見る見るうちに、4階までの高さ1往復分のロープの束ができる。
「今日はフェイスじゃないの?」
 フェイスが迎えにくる時は楽なのにな、と思いながら、小声でマードックが尋ねた。
「話は後だ。」
 ロープを肩にかけ、コングは先に立って歩き出した。慌ててその後ろを追うマードック。
 鉄条網を張った高い塀から、縄梯子が垂れていた。トゲトゲとした部分には、硬質ゴムシートがかかっている。2人は難なく塀に登り、脇に停めたコングのバンの屋根に乗った。バンから飛び降りたマードックが足にジ〜ンと痺れを感じている間に、コングはゴムシートや縄梯子を取り外し、全ての荷物を片手で持ち、スマートにルーフから下りてきた。
「ちょっくらマズいことになってよ。」
 車を走らせながら、運転席のコングは助手席のマードックに言った。後部座席にはロープが鎮座ましまし、その後ろの席ではゴムシートがぐったりしている。縄梯子は床に横たわり、誰かの足を引っかけようとしている。
「マズいことって?」
「行きゃわかるって。」


 コングとマードックが車から降りたのは、フェイスマンがマトモに家賃を払って借りているマンションの前だった。エレベーターに乗って、長い廊下を歩いて、コングは部屋の鍵を開けた。
「大佐! フェイス!」
 リビングの端に、ハンニバルとフェイスマンが猿轡を噛まされ、ロープでぐるぐる巻きにされて転がっていた。
「一体、誰がこんなこと……。」
「俺だ。いいか、ロープも猿轡も外すんじゃねえぞ。」
 2人の前に跪いて戒めを解こうとしていたマードックに、コングが凄んだ。マードックは手を引っ込めたが、怪訝な表情は崩さなかった。
「でも何で、こんなことを?」
「俺ァ8時ちょいに仕事から帰ってきたんだが、そうしたらフェイスの奴がトールランプを口説いてた。」
「ほえ?」
 マードックはフェイスマンとトールランプを見比べた。
「ハンニバルはハンニバルで“俺は正義の味方だ。悪党は成敗してやる”とか何とか言いながら、俺に殴りかかってきやがった。そんだけならまだいいが、最後に“さらばだ”っつって、窓から飛び降りようとしてよ。」
「……2人共、根本はいつも通りじゃん。些細な逸脱があるだけで。」
「些細で済む問題か?」
「それは置いといて、もう元に戻ってんじゃない? おとなしいし。」
 身動き1つしないハンニバルとフェイスマンを熟視するコングおよびマードック。しかし、こうして見つめていても埒が開かない。
「猿轡……外してみていい?」
 マードックがわくわくとした顔をする。自分並みにクレイジーな2人の姿を見てみたくて堪らないといった様子。
「……まあ、試しにやってみな。」
 コングが頷く。眉間の皺が、もうどうでもいいやと語っている。
「じゃ、ハンニバルから……。」
 ハンニバルの猿轡を解く。どんよりとした目が、眼前に跪いているマードックに向けられ、ゆっくりと口が動く。
「俺は……俺は……。」
「あ、大丈夫そう。…………ダメかな?」
「俺はジョン・ハンニバル・スミス。地球を守るため、アルファ・ケンタウリからやって来た正義の使者。地球上の高等生命体に似せて改造された仲間Aチームと共に、三角座M33から攻めてくるトライアングロサクソンの魔の手を……!」
 再び猿轡の世話になるハンニバル。
「ダメだったね。……フェイスはどうかな?」
「やめとけって。」
 コングの静止を無視し、マードックはフェイスマンの猿轡を外した。
「………………君………………。」
「何だ?」
 マードックとコングは首を30度傾げた。
「………………君って………………。」
 傾斜角度、45度。
「………………君って、子鹿のようにキュートな眼をしてるね。その桑茶色の瞳に僕だけを映してくれないかい?」
 どうやら、この言葉はマードックに向けられているらしい。
「君の理知的な額が、白熱灯の光を浴びて太陽のように輝いている。眩しさに目を細める僕を許しておくれ。」
「はい、猿轡ね。」
 フェイスマンの口に猿轡を噛ませようとするマードックの手を、コングが止めた。
「もーちっと聞いてみたいって思わねえか?」
「誰が思うか、バカタレ!」
 コングの手を振り切って、マードックは類稀なる賛辞を打ち切った。
「ふう。……こりゃー、薬を飲まされたか、打たれたか、至近距離で嗅がされたかだね。」
 冷汗を拭い、マードックは立ち上がった。
「コング、お前が帰ってきた時、侵入者があった気配は?」
「いーや、全くなかったぜ。」
「鍵は?」
「1人1つずつ。合鍵は作れねえ。」
「何で? 合鍵屋に持ってけば、すぐじゃん。」
「ここの鍵ァ特殊な電磁キーで、ドイツにある本社に持ってかねーと、合鍵は作れねえんだ。」
「あっそう。……窓から入ってきたってことはない?」
「すぐバレるぜ。それに抵抗した形跡もねえ。」
「食事中だったから、とか?」
 マードックはダイニングテーブルに目をやった。そして、ハッと思いついたように呟く。
「……皿が片づけられてない。」
 テーブルの上には、缶ビール2本、皿3枚、フォークとナイフと調味料。皿の上には、何も残っていない。
「それがどうした?」
「食事が終わったんなら、すぐにフェイスが片づけるだろ、潔癖症であるかのごとく。」
「それもそうだな。俺が帰ってきた時、あの状態だった。」
「皿が3枚ってことは……誰か来客があったのかな?」
「いや。ハンニバルとフェイスと、俺の分だ。帰ってきて、あいつらをふん縛って、お前んとこ行く前に食った。」
「じゃあ、これがコングちゃんの皿?」
 マードックが、1枚だけ離れて置かれた皿を指差す。
「そうだ。」
「……夕飯、何だったの?」
「カツ。」
「いいなあ〜。俺なんか、夕飯、プレーン・リゾットとジャパニーズ・ウェルダン・ピクルスだぜー。」
 それは白粥と古漬。皿に物欲しげな視線を投げかけるマードックだった。



*3*

「ともあれ、これらの皿の違いは何ぞや?」
 と聞かれても、コングには何のことやらわからない。
「コングの皿は、白い。大佐とフェイスの皿は、茶色い。」
「おう、そのことか。俺ァ昔っから、揚げ物には塩って決めてんだ。」
「塩。なるほど。では、あの茶色い液体は、ソイソース。」
 ゴン。
「殴ったな〜。」
「何がソイソースだ! 誰が見たって、ありゃあウスターソースだろが。」
「そういう風にも見えるね。…………違う違う、コングちゃんの言う通り、ウスターソースにしか見えない!」
 頭をかばいつつコングの鉄拳から逃げるマードック。
「……ん? ウスターソース?」
 逃げ惑いながらも、ウスターソースのボトルに目を向ける。
「ホアビン印のウスターソースなんて、あったっけ?」
「んなこと、知るか。」
 ボトルを手に、ためつすがめつ観察し、彼は1つの考察を述べた。
「このソース、すっげー怪しい。」
「ソースのどこが怪しいってんだ!?」
 興奮状態から覚めないコングに、マードックはボトルに貼りつけられたラベルを見せた。
「ほら、ここ。製造元と発売元と原材料のとこ。」
「どれ。……………………何だとォ?!」
『製造元・内緒。販売元・秘密。原材料・極秘。』
「ふざけやがって、こん畜生が!」
「原因はこれね。決まり。」


 とりあえず落ち着いたコングとマードックは、次にどうするかを考えた。
「俺様の頭を悩ませているものは、4つ。」
「4つだと?」
 真面目な顔をしているマードックに、コングが聞いた。
「まず1つ目は、あの2人をどうやって元に戻すか。2つ目は、あのソースが本当に害のある物なのか。3つ目は、ソースを買った店。どこなのか、他に被害はないのか。4つ目は、ソースを売った奴。誰なのか、何が目的なのか。そして、どうして2人が……あるいは2人のうちのどちらかが、こんなソースを買ったのか。」
 4つでなく、7つだと思うが。
「確かにな。」
 コングは、この数え間違いに気づかなかった。だから話は先に進む。
「1つ目と2つ目の解決方法はある。」
 マードックは、フェイスマンの部屋へ入って、アドレス帳を持ってきた。
「個人精神病院の先生で、前にフェイスとつきあってた人がいるんだけど……。えーっと、これだ、ドクター・ベラ・ジャグラー。この人んとこで2人を預かってもらえば、少なくともここに放っとくよりゃいいでしょ。で、ついでにソースも分析してもらう、と。」
「……モンキー、お前、ソース飲んだんじゃねえのか? 言ってることがマトモだぞ。」
「そう思いたければ思うがよい。……さて、俺っちはドクターに電話しよーっと。コングちゃんはレシート探して。」
「レシート?」
「フェイスは買い物をすると、必ずレシートを貰う。じゃないと、家計簿つけらんないからね。だから、ソースのレシートを探せば、どこの店でこれを買ったかわかるでしょ。」
「まさに、その通りだな。」
 コングはフェイスマンのポケットというポケット、部屋中の引き出しという引き出し、それからフェイスマンの財布を調べまくった。その間に電話口で交渉するマードック。
「こっちはOK。事情を話したら、すぐに連れてきてってさ。ソースの分析もしてくれるって。」
「そりゃよかった。しかしよぉ、ソースのレシート見つかんねえぞ。今日の日付が入ったのはあるが、ソースとは一っ言も書いてねえ。」
「どれ、見せてみ?」
 レシートの左側、品名の欄には、ソースのソの字もなかった。正確には、Worcestershire SauceのWの字もなかった。
「他のは? 昨日とか一昨日とか一昨昨日とか。」
「1カ月分ぐらい見たが、見つかんなかったぜ。」
「とすると……コングちゃん、ソースを買った覚えは?」
 首を横に振るコング。
「今まではリー&ペリンズ社製のを使ってたよね。」
 リー&ペリンズのウスターソースと言えば、本家本元、元祖ウスターソース。台所を覗いたマードックは、ゴミ箱の中にその由緒正しいボトルを見つけた。
「燃えないゴミの日は?」
「昨日。朝、俺がゴミ出ししたからな。それがどうした?」
「昨日の夕飯は?」
「シチュー。」
 レシートを睨みながら、しばしの間マードックは考えていた。


「……わかったような気がする。」
「何が?」
「ソースの買い置きがなかったとしよう。昨日の夜、シチューを作るのにソースを使い、使い切ってボトルを捨てた。その証拠に、今、ゴミ箱にボトルが捨ててある。今日、フェイスは買い物に行った。しかし、その時点では、夕飯をカツにするとは決めてなかった。だから、ソースは買わなかった。忘れていただけかもしれない。ところが、どういう経緯なのかはわからないけれど、夕飯はカツになった。カツにはソースが必要だ……コングちゃん以外は。そこでフェイスは、ハンニバルにソースを買ってくるように頼んだ。きっと、料理中で手が離せなかったんだろう。そして、ハンニバルが切羽詰まってこのわけのわからないソースを買ってきた。……ま、これは飽くまでも推測だけどね。でも、こう考えると、レシートがないという事実と正体不明のソースがここにあるという現実が結びつく。さらに、この考えを発展させると、フェイスが料理中だったなら、ハンニバルはそう遠くまでは買い物に行けない。食事時間までには帰ってこなくちゃいけないっていうタイムリミットがあるからね。……車は?」
「俺が乗ってた。」
「それじゃ、なおさら。フェイスがカツを作っている最中で、ハンニバルに買い物に行ってもらうとなると、早いうちなら自分で行けるから……そう、歩いて……走ってかな……15分から20分で往復できるような場所でソースを買ったということになる。つまり、ここから走って10分程度で行ける店を探せばいいわけだ。で、そこにホアビン印のウスターソースがあれば、当たり。」
「よーし。そんじゃ、ハンニバルとフェイスを病院に運んだ後、店を探すとすっか。」
 Aチームとは思えない長い台詞。まるで推理小説のよう。



*4*

 電話で教わった通りの道を行くと、ジャグラー精神科クリニックはわけなく見つかった。住宅地の中央で一際目立つ大きな建物は、マンションとは思えど個人病院には到底見えない。
 玄関付近の明かりは既に消されており、窓から漏れる光を頼りに、マードックとコングはそれぞれの肩にフェイスマンとハンニバルを担いで車から降りた。
 エントランスホール脇の急患用インターホンに対峙したマードックが、その赤いボタンを押す。しばらくして、用件を尋ねる女性の声が聞こえた。
「マードックです。テンプルトン・ペック他1名を連れてきました。」
 玄関に電灯が燈り、白衣姿が現れた。
「お待ちしていました、ベラ・ジャグラーです。」
 30代半ばくらいだろうか、アッシュブロンドの髪をシニヨンにまとめたドクターは、美貌と引き換えに聡明さを際立たせる銀縁の眼鏡を、指先でつっと押さえた。
「夜遅くに済んません、マードックです。こっちはB.A.バラカス。」
 コングは挨拶代わりに、ほんの少し微笑んだ。
「立ち話をしている場合じゃないわね。中へどうぞ。」
 ドクター・ジャグラーは、重荷を担いだ2人を病院の中へと導いた。


 診療室の丸椅子に、マードックとコングは座った。ドクターはデスクに向かい、ハンニバルとフェイスマンは診療台の上に並べて放置されている。
「こんなに大きい病院だとは思いませんでしたよ。」
 マードックが、退役軍人病院より綺麗じゃん、と思いつつ言った。
「アルコールや薬物依存症も扱っているんで、国から援助金が出ているの。それに、代々続いてきた病院だから、私は父と祖父の跡を継いだだけよ。」
 カルテを2枚用意しながら、ドクターは淡々と語った。コングは所在なさそうに、部屋の中を眺めている。
「カルテを作らなきゃいけないんだけれど……。」
「あ、名前は……!」
「住所は……!」
 コングとマードックが、ガタンと椅子から立ち上がる。カルテに本名や現住所を書かれたら、近々MPにバレてしまう。慌てふためく2人に、ドクターはにっこりと微笑みかけた。
「心配しなくてもわかってるわ。どんな偽名がいいかしら?」
「……ドクター、俺たちのこと知ってんの?」
 きょとんとした顔でドクターを見るマードック。コングは幾分、警戒している。
「テンプルトンには黙っていたけど、そりゃあ好きな人のことだもの、いろいろと調べさせてもらったわ。」
「MPにチクったりしねえだろーな、先生よ?」
「まさか、どうして私が? 彼を不幸にさせたくなんてないもの。医者である以前に、私は……女だから……。」
 ドクターは、ちらりとフェイスマンの方に目を向けた。猿轡+ロープぐるぐる巻きでラリラリは、不幸じゃないのだろうか。
「そこまで私、信用ない?」
 サファイアの瞳が、じっとマードックとコングを見つめた。
「……OK、信用するよ。な、コング?」
 マードックがコングに向き直ると、彼は低く唸って頷いた。


 カルテに出鱈目な氏名、住所、年齢、生年月日等々を書き込んだ後、ドクターはハンニバルとフェイスマンを診断した。
「明らかに薬物によるものね。いつ頃から?」
「多分、8時前から。詳しい時間は不明。」
「そうすると、もう3、4時間経つわね。……彼ら、薬物は常用しているの?」
「いんや、そりゃ絶対にあり得ねえ。」
 コングが、首も千切れんばかりに否定する。
「それならいいわ。急性なら治りも早いはずだから。」
 ドクターはカルテに何か書き込んだ。
「……それで、さっき電話で話したように、十中八九、このソースが原因だと思うんだけど。」
 マードックがポケットから出したものは、例のソース。それを受け取ったドクターは、匂いを嗅いだりした後、内線電話に手を伸ばした。
「薬理室? ベラです。至急、分析してもらいたい物があるの。サンプル壜を10本くらい、診療室に持ってきて。」
 受話器を置くと、ドクターはカルテとは別の紙に、マードックとコングにはわからない難しい言葉を走り書いた。
「お昼には結果が出ると思うわ。」
「じゃあ、また昼頃に来ます。」
 と帰ろうとしたマードックとコングを、ドクターが止めた。
「待って。2人の症状を伺わないと。」


 ハンニバルとフェイスマンの症状を、マードックとコングは知る限り話した。そうこうするうちに注文のサンプル壜が届き、ソースはその中に均等に注ぎ入れられた。
「はい、ボトルはお返ししますね。この後、必要でしょう?」
 ドクターは何でも知っている。
「2人が正常に戻ったら、帰してもいいの?」
 ポケットにボトルを押し込んでいるマードックを不安そうに見ながら、ドクターが聞く。コングは既に、ドアの前に立っている。
「どうしようかな。……昼に俺たちが来るまで、ここにいるように言って下さい。その後については、また昼に考えるってことで。」
「わかったわ。」
「そんじゃ、2人のこと、よろしく。」
 マードックがドアの隙間から顔を出して手を振ると、ドクターもそれに応えて手を振った。



*5*

 マンションに戻り、マードックとコングはこの一帯の縮尺地図と、距離も何も嘘八百の商店街マップ(新聞に挟まっていた物)を広げた。
「多く見積もって20分で往復ってことは、片道10分か。」
 小学生にでもできる算数を、マードックはさも偉そうに言った。釣られてコングが、感心したようにフムフムと頷く。
「ハンニバルが走って10分っていうと……コング、どのくらい?」
「そーさなァ、こんなもんか、多く見積もって。」
 と、コングは地図上にフリーハンドで円を描いた。半径は、ハンニバルが10分間に走ることのできる距離。
「そうするってーと、この円の中にある店は……。」
 商店街マップと比較しながら、地図の上に店を書き込んでいく。しかし、円の中に入る店はほとんどない。あったとしても、美容院だったり、ブティックだったり、クリーニング屋だったり、ソースとは縁の薄い店ばかり。
「これ、何の店?」
「どれだ?」
 マードックが指差す先は、商店街マップに書かれた一言――『パウリ』。
「怪しいな。」
「怪しいよねー。」
 というわけで、真夜中、マードックとコングの2人は問題の“パウリ”に行ってみることにした。


 走って10分の距離でも、車で行けばすぐそこ。路肩にバンを停め、2人はフロントガラス越しに目を凝らした。
「閉まってる。」
「そりゃそうだろ、今、何時だと思ってんだ?」
 コングに言われ、マードックは左手首に目をやる。
「時計、持ってない。」
「夜中の1時だ。そんくらい、わかれ。」
 結構、無理を言うコング。
「ネオンは消えてっけど“デイリーストア”って形に見えない?」
「おう、そう見えるぜ。デイリーストアなら、ソース置いてんじゃねえか?」
「シャッター下りてるけど、行ってみる? それとも開くまで待つ?」
「……2階は何だ?」
 ネオンの上に窓がある。
「事務所とかじゃないかな?」
 車から降りて店に近づくと、店舗脇の小路に階段があり、2階に上がれるようになっているのがわかった。忍び足で階段を昇り、ドアの横に貼りつけられた粗末な表札を月明かりで読む――『パウリ』。
「店長のパウリさん家だったわけね。」
 マードックがしみじみ頷く。
「店長かどうかはわからねえが、乗り込んで聞いてみる価値ァあるな。」
「悪党のアジトだったらどうする?」
「叩きのめす!」
 コングは拳を掌に叩きつけた。


 車に戻って銃を携えた2人は、再度パウリ家前に立ちはだかった。
「行くぜ。」
「どーぞ。」
 バムッ! とコングがドアを蹴破る。木製のドアの破片が飛び散る中、2人は突入した。が、銃を構えたコングとマードックを迎えたのは、異常なまでの静寂だった。雑然とした部屋の中を進む2人。
 そして、極度に緊張した2人が見たものは、部屋の一番奥にあるベッドの上で音もなく安らかに眠っている、アイマスクとイヤーウィスパーをつけたパウリ氏だった。むっとしたコングが、パウリ氏の装備をかなぐり捨てる。
「う……うーん……。」
 パウリが目を覚ました。
「だっ、誰だ!?」
 いきなり覚醒できるシチュエーションに置かれた彼は、既にホールドアップの姿勢に入っている。こんな夜中に見知らぬ男に銃を突きつけられたら、無防備な市民はこうするしか術がない。
「俺たちゃ怪しいもんじゃねえ。ちょっくら、あんたに聞きてえことがあってな。」
「な、な、何でも知ってることなら話しますから、う、撃たないで下さいよぉ……。」
 コングとは初対面の男である、この反応は仕方ない。
「あんた、下の店の店長なんだろ?」
「ええ、ええ、そうです、そうですとも。正真正銘、パウリの店の店長のパウリです。」
「ソース、置いてるか?」
「ソース?」
「ウスターソースだ。置いてんのかって聞いてんだ。」
「はい、置いてますぅ。1種類しかないですけどぉ。」
 パウリは恐怖に震え、落涙している。こいつは悪いことのできる奴じゃない、とマードックとコングは確信した。
「もしかして、このソース?」
 マードックがホアビン印ウスターソースのボトルを掲げた。
「そうです、そのソースだけです。」
「お客さんから苦情とかなかった?」
「ありません。」
「今までに何本売った?」
「1本だけです。昨日、1本売れました。」
 その1本が、ここにある。この近辺では他に被害者はいないだろう、と2人は安堵の息を漏らした。
「でも、何で1本しか売れてないの?」
 ふと気になったマードックは、パウリに尋ねた。あまりにも客の来ない店だったら、悪いこと聞いちゃうな、と思いながら。
「……あの、そのブランドのソースは、つい先日扱い始めたばかりなんで……。そりゃあ今まではリー&ペリンズ社のちゃんとしたソースを置いてたんですけど、品切れしてからここ1カ月ほど入荷されなくって……。きっと、小さい店だからって馬鹿にされてるんです。」
「そりゃあ……大変ですねえ。」
 マードックが中途半端な同情をする。
「だからって、何でこんなソースを置いてんだ?」
 コングはそう言って、銃を下ろし、背中に担いだ。
「数日前ですか、そこの会社の営業の人が店に来て、ソースを置いてくれと言ってきたんです。ちょうど品切れだし値段も安いから、試しに置いてみたんですけど……何かいけなかったんですか?」
「いけないも何も……。」
 と、2人は今までの出来事をパウリに話して聞かせた。
「そういうことだったんですか。わかりました、店にあるソースは全部処分しましょう。それとも、保健所を通して警察に訴えた方がいいんでしょうかね?」
「……どうする、コング?」
「この手で悪党を退治しちまいてえな。下手に警察に連絡されてMPにバレちゃ、元も子もねえぜ。」
「そうだよね。……じゃ、こうしよう。パウリさんは明後日になったら、お客さんから“変な味がする”とソースの苦情が来たってことで、保健所と警察に行く。もちろん、俺たちのことは秘密でね。それまでに俺たちはできるだけのことをする。コングちゃん、それでいい?」
「ああ。……しかし、相手がどこの誰だかわかんねえんじゃ、この先、手も足も出ねえ。」
「あ、私、ホアビン社の電話番号を控えてありますよ。」
 パウリが仕入れ先リストのファイルを持ってきた。
「本当に、ホアビン社に通じんのかなあ……。」
 電話番号のメモをパウリから受け取り、マードックは首を捻った。
「朝になったら、かけてみようぜ。」
 2人は銃を肩に、パウリ家の玄関に向かった。
「どーもお騒がせしました。驚かせてゴメンちゃいね。」
「ドア壊しちまって、済まねえな。」
 闖入者を見送りがてらドアを見たパウリは、今まで気づかなかった惨状にがっくりと項垂れ、ただ、階段を降りていく足音を聞いていた。



*6*

 念のため近所の道という道を低速で走り、他にソースを売っているような店がないことを確認したマードックとコングは、マンションに戻り、特にすることもないので、普段はハンニバルとフェイスマンが寝ているキングサイズのふかふかのベッドで眠った。
 そして朝になった。腕時計のアラームで目を覚ましたコングは、隣で寝ているマードックを揺り動かした。
「おい、朝だぜ。」
「むう……むふふーん……。」
 変な声を出すマードック。
「……今、何時……?」
「7時だ。」
「もーちょっと寝かせて……。」
 毛布を引き上げて寝返りを打つマードックの背にコングは溜息1つついて、ベッドから下りた。
 次に惰眠男が起こされたのは、7時30分だった。
「起きろ、モンキー。メシできたぞ。」
「……ゴハンー? 起きるー。」
 目をこすりながらベッドルームから姿を現したマードックは、食卓に並んだ思いもよらない朝食に驚愕した。
 カゴに盛られたトースト、ボウル一杯のグリーンサラダ、某K社の朝食シリアル各種、搾り立てのオレンジジュースと新鮮な冷たい牛乳、ガラスの器に数々のフルーツが盛りつけられ、そして皿のにはカリカリのベーコンと目玉焼き。白内障の目玉は3つ。
「どうしたの、この朝ゴハン?」
「俺が作ったんだが?」
「フェイスが作るのより豪華じゃん。」
「朝はしっかり食べなきゃな。」
 今までの朝食に、コングは不服だったらしい。
「ビネガーある?」
「酢なんてどうすんだ、サラダにかけんのか?」
「目玉焼きにかけんの。」
「やめろ。」
 という具合に和気藹々と朝食シーンが続いた。


 午前九時。食後のコーヒーならぬカフェオレでもなくコーヒー牛乳で一息ついていた2人は、鳩時計の鳩が9回鳴いたのを聞き、行動を開始した。
 パウリ氏から教えてもらった電話番号をダイヤルする。
『はい、ホアビン社です。』
 電話番号に間違いはなかったらしい。それほどソースを売りたいか、ホアビン社。
「パウリさんの友人のボーアと申します、はじめまして。私ども、近々食品店を開く予定なんですが、そちらのソースを扱いたいと思いまして……。」
『そういうことでしたら、すぐにお伺いいたします。畏れ入りますが、ボーア様のご住所は?』
 ピザのデリバリーみたいだな、とマードックは思いつつ、このマンションの住所とルームナンバーを教える。
『では、10時に、ということでよろしいでしょうか?』
 10時なら、余裕で準備ができる。
「10時ですね、結構です。それでは、詳しい話は後ほど。」
 マードックは電話を切って、冷めたコーヒー牛乳を一口飲んだ。


 ドアチャイムの音に、フェイスマンのスーツを着たマードックが、銃を持ったコングに目配せする。コングは、ソファの後ろに隠れた。
 ドアを開けると、明らかにアジア系の男が立っていた。
「私、ホアビン社営業部のディエムと申します。」
「ボーアです。ご足労かけて済みません。どうぞ、中へ。」
「失礼いたします。」
 日当たりのいいリビングで商談が始まった。コングはソファと窓の間で、ひしゃげた肉マンのようになっている。
「ところで、ソースの品質についてなんですが……。」
 適当なところでマードックが切り出す。
「その点はご心配なく。清潔な工場で、厳重な管理の下、製造されております。お味の方も、ここだけの話ですが、リー&ペリンズ社のソースを参考にしておりますので。しかも、無駄な工程は一切カット、原材料から我が社の権利を発生させ全て自社内で作っておりますから余計なマージンも入らず、値段はリー&ペリンズ社の約半額に抑えてあります。」
「それはいい。一度、工場を見学させてもらえませんでしょうかね?」
「ええ、いつでもどうぞ。受付で私の名を仰って下さい。場所は、こちらになります。」
 ディエムと名乗る男が差し出したのは、本社と工場に到る手書きの地図。
「どうもありがとう。じっくりと検討させてもらいますよ。」
 マードックは立ち上がり、右手を差し出した。これで商談は終わりという態度だ。コングの姿勢にも限界が近づいてきている。
「いいえ、こちらこそありがとうございます。今後とも、ホアビン社をよろしくお願いいたします。」
 握手が交わされ、ディエムは愛想よく帰っていった。


「どうして逃がしちまったんだ?」
 ソファの後ろからコングが這い出てきた。ディエムを捕まえて案内させればよかったのに、とでも言いたそうな表情をしている。
「ホアビン社の本社と工場の場所はわかったし、もう昼だから病院に行かないと。……病院!?」
 慌てて退役軍人病院に連絡を入れるマードック。
「マードックです。場所は言えないけど、元気です。頭の調子は良好、いつになく冴えてます。明日中には戻りますんで、ええ、はい。もちろん、周りに迷惑なんてかけてませんよ。それじゃまた。」
 それを聞きながら大きく伸びをして、コングは地図を手に取った。
「本社は車で行って15分ってとこか。工場の方は1時間かかるな。」
「だろ、だから病院が先。」
 寝室に着替えに向かおうとしたマードックは、そう言って上着を脱ぎ、足を止めた。
「今のディエムって奴、どう見てもベトナム人だったよね。」
「俺は見てねえからわかんねーが、そうだったのか?」
 ソファの後ろから見えるはずがない。
「ほんの少し訛ってたのは?」
「それはわかった。……言われてみりゃ、ありゃあベトナム訛りだな。」
「ディエムって名前からしてベトナム人だし。……ホアビンって、ベトナム語で平和っていう意味だ……。」
 ベトナム戦争を思い出し、2人は口を閉じた。重い沈黙だった。



*7*

「こんちはー。マードックだけど、院長先生いる?」
 受付でコンピュータをいじっていた看護婦は、きつい視線をマードックに投げかけ、内線電話の受話器を取った。
「受付です。院長先生、マードック様がお出でですが。……はい、わかりました。」
 受話器を置き、看護婦はキーボードの上に手を戻した。
「院長室にいらっしゃいます。」
「サンキュー。……でも、院長室ってどこ?」
「この廊下の突き当たりです。」
「どもども。……君、もっとにっこりした方がいいよ。せっかくの可愛い顔が台なしだ。」
 マードックの言葉に驚き、看護婦は頬を赤らめた。
「何言ってんだ、お前。」
「フェイスの真似。」
 勘違いした看護婦は、先刻とは打って変わった熱い視線を、去って行くマードックの背に向けていた。


 院長室のドクター・ベラ・ジャグラーは疲れた表情をしていた。髪も乱れ、白衣にも無数の皺がついている。
「どうしたの、ドクター?」
 マードックが、彼女を一目見るなり尋ねた。
「……今朝から、ひどい禁断症状なのよ、あの2人。今のところは治まっているみたいだけれど、周期的に発作が出るから、しばらく目が離せないわ。」
 ドクターの小さな溜息が、2人にも聞こえた。
「今は、長年、薬物依存症を担当してきた人に任せてあるんだけれど……私、もう気が気じゃなくって……。」
 一晩中、2人につきっ切りだったようだ。特に、フェイスマンの様子にショックを受けているらしい。
「それでドクター、ソースの分析の方は?」
「ああ、ごめんなさい。分析は終わっていると言えば終わっているんだけど……。」
 彼女は言葉を濁した。
「どういうこと?」
「はっきりとした正体は、まだわからないの。でも、モルヒネでもコカアルカロイドでもリゼルグ酸ジエチルアミドでもアンフェタミンでもメタンフェタミンでもカンナビノイドでもないことは確か。」
「はあ?」
 マードックが聞き返す。
「阿片でもコカインでもLSDでも覚醒剤でも大麻でもねえってこった。」
 コングがマードックに翻訳してやる。
「ラットへの経口投与で、即時に麻酔・陶酔・感覚の混乱・イドの解放が見られた、という報告が来ているわ。」
「ってことは、ソースのせいで2人がああなったってのは証明されたわけだ。」
 コングの発言に、残る2人は大きく頷いた。
「引き続き薬理室では分析を行っているけれど……例え化学組成や構造式がわかったとしても、あの2人を治す手段につながるとは思えないわ。」
「自力で禁断症状を抜け出すしかない、か……。」
 マードックが眉を顰めた。
「そういうことね。」
「その間に、俺たちゃ悪党の始末をしてくるぜ。」
 ホアビン社がターゲットだということが確実になったため、コングは意気込んでいる。
「ねえドクター、話はがらっと変わるけど、入院費と治療費、払わなきゃダメ? 俺たち、あんまり金ないんだよね。保険も利かないし。」
「別にお金なんていいわよ。」
「本当?」
 その瞬間、2人はドクターがマリア様か観音菩薩のように見えた。
「その代わり、悪者退治の時に問題の薬物を見つけたら、私のところへ一握りほど持ってきて、後は全部燃やしてしまうこと。」
「お安いご用ですとも。」
 心が軽くなったマードックとコングは、ドクターに暇乞いを告げ、車に戻った。


「それにしても、ホアビン社、何考えてやがるんだ?」
「わかんね。」
 助手席のマードックが、首を横に振って言葉を続けた。
「2人しかいないってーのも、作戦上、辛いね。どうやって本社と工場の両方を攻撃するかが問題だよな。」
「工場をぶっ潰してから、本社に乗り込みゃいい。」
「一番悪い奴が逃げちゃうかも。」
「本社を先に潰して、後で工場を、ってのは?」
「工場に例の薬があるんだろ、きっと。下っ端がそれを持って逃げたらどうする?」
「そう言われればそうだな。……やっぱ一遍にやんねえとダメか。」
「ダメだねえ。」
 ハンドルを握るコングは、前方を見つめたまま、黙って考えている。そして、考えてもいいアイデアが浮かばないことがわかると、仕方なさそうに言った。
「……深く考えねえで、時限爆弾を使うってのは?」
 マードックもマードックで、アイデアが浮かび上がらないでいた。
「……野暮ったいけど、時限爆弾でいいか。」
 一体、時限爆弾のどこが野暮ったいのか。
「となれば、材料を調達しなきゃな。」
 ホアビン社の工場に向けて車を走らせていたコングは、急遽、方向転換した。
「どこで? どうやって?」
 調達係のフェイスマンがいないというのは、作戦実行上、深刻な問題だ。
「ダイナマイトさえ手に入りゃ、後は何とかなるからな。」
「で、そのダイナマイトはどうすんの?」
「この先にダイナマイト製造工場があんだ。そこ行って、ちょろまかしてくりゃいい。」
 そんなに簡単にことが進むのだろうか。


 昼日中、見事にダイナマイトをくすね取ったコングとマードックは、不燃ゴミを漁って材料を揃えた後、車一杯の時限爆弾を拵えた。
 そして、ホアビン社工場を望む丘の上。
「難しいな。」
 双眼鏡を覗いて、コングが呟いた。
「どしたん?」
 脇でマードックが尋ねる。
「見たとこ、みーんなアジア系の奴だ。仕掛けに潜り込んでも、すぐバレちまわあ。夜まで待たねえか?」
「……ねえコングちゃん、ただ夜を待つのもつまんないから、ボーア氏として下調べしてきていい?」
「おう、頼むわ。下手なことすんなよ。」
 一旦、マンションに戻るのかと思いきや、バンの中で持参のスーツに着替えたマードックは、ものの5分足らずでボーア氏に変身した。
「行ってきまーす。」
 てくてくと歩いて敵地に乗り込む、ボーアことマードック。それを双眼鏡で追うコングだった。


 視察を終えたマードックが、てれてれと戻ってきた。
「どんな具合だった?」
「思ったよりも、ちゃんとした工場だった。表玄関みたいなとこから入ると、普通の受付があって、受付嬢はやっぱりベトナムの女の子で20歳くらいかな、目がくりくりっとしててね、可愛くて優しかった。ボーア氏は、結構その子のことが気に入ったみたい。」
「んなこたァいいから。」
「あちこち見せてもらったけど、1部屋だけ、極秘って感じの部屋があって、そこは立入禁止になってた。」
「ブツはそこだな。」
「多分。」
 車の中で普段着に着替えたマードックは、工場の間取りをこと細かに描き出した。それを見て、コングが爆弾を仕掛ける位置を決める。
 既に一帯が夕闇に包まれる時刻。
「そろそろ行くか。従業員たちも帰っちまったようだし。」
「ゴー!」
 車をもう少し工場の近くに停め、2人は大きな袋を肩に、工場に潜り込んだ。袋の中には、無数の時限爆弾。
 場所を確認し、隠すように爆弾を仕掛ける。3時間ほどかかって、2人は全ての爆弾をセットし終わった。
「例の物を一握り取ってこなきゃ。ドクターとの約束だもんね。」
「早いとこ済ませちまおうぜ。」
 コングは立入禁止の札がかかったドアを思い切り、渾身の力を込めて蹴った。しかし、金属製のドアはびくともしない。ただ、コングの足首に鈍い音がしただけだった。
「……痛え……。」
「大丈夫、コングちゃん?」
 しゃがみ込むコング。足首骨折の模様。
「畜生、何て硬えドアなんだ。」
「やっぱり鍵、取ってこなきゃダメかあ。」
「鍵があんのか?」
「受付デスクの引き出しの中に鍵が全部入ってるって、受付の子が言ってた。」
「そんならそうと、早く言え!」
 受付に走り、工場内全部の鍵を持ったマードックは、ついでに給湯室へ行って、マグカップ1個とラップと布巾を持って戻ってきた。
「お待たせ。」
 ご丁寧にも『立入禁止の部屋』と書かれた鍵を鍵穴に差し込んで回したマードックは、布巾で鼻と口を覆い、そっとドアを開けた。
「ほーら、あった。」
 一見セメント袋が積まれているように見えるが、紙の袋を破いてみると、湿り気を帯びた白く細かい結晶が零れ落ちる。マードックがそれをマグカップに取り、ラップで密封する。
「さ、帰ろ。コングちゃん、立てる?」
「む、何とかな。」
 マードックは片手にマグカップを持ったまま、コングに肩を貸した。
 車に戻った2人は、ジャグラー精神病院に向かうことにした。ハンニバルとフェイスマンの様子を聞きに行かなくてはならないし、外科ではないけれど骨折の応急処置くらいしてくれるだろう。かなりコングがごねたが、運転手はマードック。



*8*

「まだ禁断症状が続いているの。」
 2人が治っていれば、と期待を抱いて病院を訪れたコングとマードックに、ドクターは絶望的な台詞を聞かせてくれた。
「これ、約束の薬。」
 マグカップ一杯の白い粉を院長室のデスクに置き、マードックは言葉を続けた。
「それから、こいつの足、見てやってくれる?」
 顎で指し示されたコングは、青黒い顔色をしている。
「一体、何をやったの?」
 靴紐を完全に解き、そっとスニーカーを脱がせてドクターが聞く。
「金属のドアを蹴ったんでい。いっつもやってることなのによ……。」
 コングの足首はひどく腫れていた。
「ここにはレントゲンの設備がないからよくわからないけれど、捻挫か骨折かのどちらかね。整形外科の友達を紹介しましょうか?」
「ぜひ、お願いします。」
 マードックは、整形外科の場所が書かれたメモをドクターから受け取った。
「私からも電話しておくわ。何も聞かずに無料で治療してくれるように、って。……お大事に。」
「何から何までありがとう。まだしばらく2人を頼んます。」
 ドクターとマードックは、疲れた目と目を見合わせ、別れた。


 整形外科で、コングは踵骨と距骨、足根骨の骨折と診断された。腓骨と脛骨に損傷がなかったのは幸いだ、と医師に言われ、ギプスをはめられたコングは今、病院のベッドにいた。
「コングちゃんまで偽名で入院するとは思わなかったよ。」
 個室を与えられ、この状況ではリンゴを剥くしかないと悟ったマードックは、どこからかリンゴを探し出し、ペティナイフでウサギさんを作っている。
「これからどうすんだ? 時限爆弾は朝11時にセットしたんだぞ。」
「俺1人でやるっきゃないっしょ。」
 コングはそれ以上何も言わず、マードックの作ったウサギさんを口の中に放り込んだ。


 翌朝10時45分。ボーア氏ことマードックはホアビン社社長室にいた。
 思った通りベトナム人のゴアヌ社長は、にこやかにボーア氏を歓迎した。超弱小ソース会社のホアビン社は、取引先が増えることに非常に喜びを感じているらしい。何せ、一介の小売業者のボーア氏を、社長と2人きりにさせるくらいなのだから。
 さんざん会社の自慢話を聞かされた後で、マードックは隠し持っていた小銃をゴアヌ社長に突きつけた。
「もうあんまり時間がないんでね、社長さん、本当のこと喋ってよ。」
 助けを呼ぼうと大きく息を吸い込んだゴアヌを見て、彼の脂ぎった額に銃を押し当てるマードック。
「おっと、大声は出さないでちょうだい。」
「お前は何者なんだ?」
 言われた通り、社長は小声で尋ねた。
「俺? 俺は、おたくのソースの被害者の友人。」
「何が欲しいんだ? 金か? 薬か?」
 この社長の発言は、自分の行った悪事を認めたに等しい。
「金も薬もいらないけど……金は欲しいかな……、とにかく、まず、あんたの目的が知りたい。何でソースに変な薬なんか入れたの? 金かかったでしょ?」
 ゴアヌは口を固く閉ざした。
「仕様がないなあ。俺、銃って苦手なんだよね、専門はヘリのパイロットだから。えーと、ここが安全レバーで……。」
 こういう輩が銃を持つと一番恐い。撃つ気がなくても、誤って撃ってしまう可能性がある。
「わかった、話す。話すから銃は下ろしてくれ。」
「やだ。話してくれたら下ろす。」
 マードックは小さい子供が駄々を捏ねるように言った。
「よし、話そう。私はベトナム人だ。」
「それはわかってる。」
「ベトナム戦争で、私の家族は無抵抗だったのに、アメリカ軍人に殺された。両親は射殺され、妻と娘は暴行された上にナイフで八つ裂きにされた。だから私は、同じような境遇の仲間たちと共に、アメリカ人に復讐しようと思った。」
「無差別に薬漬けにするのが復讐?」
「そうだ。無差別に殺された復讐だ。そのために私は国を出て、今まで死ぬ気で働き、巨万の富を得た。その全財産をはたいて、祖国から門外不出の薬を大量に買った。無味無臭で依存性が強く、禁断症状の激しい薬だ。それをソースに混ぜれば、口にしただけで中毒になる。中毒になった者はソースを手放せなくなり、ソースは売れる。私たちの収入は増え、同時に復讐も行われて、一石二鳥だ。」
 その時、時計が11時を告げた。
「巨万の富をはたいて買った薬も、せっかく建てた工場も、ここまでお膳立てした復讐劇も、もうお終い。」
「何!?」
 タイミングよく、社長室に部下が飛び込んできた。
「大変です、社長。工場が爆発し、炎上しているそうです!」
「ほーらね。」
 マードックが満面の笑みを湛えて頷いた。
「お前の仕業か?」
 ゴアヌの口調は、とてつもなく悔しそうだった。
「まあ、そんなとこ。ほらほら、下々の者は出ていかないと、社長さんを撃つよ。」
 部下を社長室の外に出し、マードックは社長に聞いた。
「あの薬、禁断症状が治まれば、中毒は完治するの?」
「5日ほど禁断症状が続くが、完治はする。」
「5日ぁ〜? 他に手立てはないの?」
「ない。」
 きっぱりと言い切ったゴアヌ。
「それは仕方ないとして、これで復讐を諦める気になった?」
「諦めるわけがない! 私が、いや我々が生きている限り、復讐は続くのだ!」
「じゃあトリガー引いちゃおうかな〜。」
 ゴアヌはぎゅっと瞼を閉じた。
「なーんて嘘。戦争の時に関係ない人たちを巻き添えにしちゃったのは、俺も悪いと思ってるもん。特に俺なんて、ヘリに乗ってナパーム弾で森を焼き払ったりしてたから、その時に大勢の人の命を奪っていたと思うと、夜、夢でうなされちゃうんだ。ベトナムの老人や女の人や子供が出てきてね。……でも、俺の友達も沢山ベトコンに殺られたし、神経が参って暴行や惨殺を繰り返してた一部の奴らもベトコンが恐ろしかったから……と言うよりもベトナムという場所自体が彼らにとって脅威だったからなんだ。」
 マードックは、一瞬、言葉を止めた。
「何だかんだ言っても、やっぱ俺たちアメリカ人の方が悪いんだよね。自分の国の問題じゃないのに、足突っ込んじゃって。ごめん……って謝って済むもんじゃないけど、ごめん。」
「謝るんじゃない。」
 ゴアヌが聞き取れないほど小さな声で呟く。
「え? 何?」
「謝るんじゃない、アメリカ人。謝ったら……謝られたら、許さなきゃならないだろう!」
 堰を切ったようにゴアヌ社長は号泣し始めた。家族のことを思い、祖国のことを思い、そして復讐の失敗を思い、数々の思いが交錯する中を、止めどもなく涙が溢れていく。
 応接テーブルの上で泣き伏すゴアヌに別れも告げず、マードックは社長室を出た。社長室の外には、先刻の部下が安っぽい銃を構えて立っていた。
「社長は?」
 銃を突きつけられ、マードックは自分の銃を手渡した。
「中で泣いてる。そっとしといてやんな。」
 社長思いの部下に背を向け、肩越しに軽く手を振って挨拶すると、工場の爆発であたふたしている社員たちを横目に、マードックは悠然とホアビン社を後にした。



*9*

 それから何日かが過ぎ、禁断症状から脱したハンニバルとフェイスマンが久々にマンションに戻り、リビングでくつろいでいると、足にギプスをはめ、松葉杖をついたコングが帰ってきた。
「よう、久し振りだな、コング。その足、どうした?」
 ハンニバルが葉巻を吹かして、元気に聞く。
「骨折っちまって、今まで入院させられてたんだ。」
 コングがどっかりとソファに座り、テーブルに足を乗せる。
「あ、ニュース見ていい? モンキーから留守電が入ってたんだよね、できる限りニュースを見とくようにって。」
 フェイスマンがTVのスイッチをオンにする。
『……続いて次のニュースです。一昨日、食品製造販売会社ホアビン社のソースに覚醒剤に類似した新種の薬物が混入されていたという保健所の報告により、捜査が開始された事件ですが、警察は本日未明、ホアビン社社長ティット・ゴアヌ他社員20余名を、麻薬および向精神薬取締法違反等の疑いで逮捕しました。なお、この事件には未だに謎めいた部分が多く、捜査は続行される模様です。』
「パウリの奴、しっかり報告してくれたんだ……。」
 そう言ってコングは、ドアを直しに行くことを決心した。
「今回はコングとモンキーが大活躍だったようだな。よくやった、軍曹。」
 ハンニバルの褒め言葉に、コングが照れたように頭を振る。
「ほっとんどモンキーのおかげだぜ。最後はあいつ1人でやったんだしよ。ま、そん時に何があったかは謎だけどな。」
「ベラとデートできるのも、モンキーのおかげ。」
 フェイスマンの言葉に、残り2人は歪んだ笑いを浮かべた。


 3人がマードックの話をしているその頃、話題の彼は脱走癖を咎められ、退役軍人病院の中で最も牢獄に近い、窓もなく、あるのは扉のみという部屋に移されて、1人寂しく口笛で『ドナドナ』を吹いていた。
【おしまい】
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