ウスターソースの謎
ふるかわ しま
 薄ら寒い冬の早朝。午前4時50分。特攻野郎の面々は、朝食の食卓に着いていた。
 テーブルの上には20個の目玉焼き、4リットルの牛乳、山と積まれた薄焼きトースト、ストロベリージャムのお徳用大瓶、淹れ立てのコーヒー。
 今回の任務の報酬が、鶏卵食べ放題、期限本日中だということをフェイスマンが言い出せないのは当然としても、徹夜の任務で疲れ切った男世帯が作ったにしては上等の朝飯だ。
「働いた後の目玉焼きは美味いねえ。」
 ハンニバルが卵に荒挽き白胡椒を振りかけながら、至福の表情で呻く。
「ダメだよ、ハンニバル。卵には粉末白胡椒じゃなくちゃ。」
 フェイスマンが言う。
「ケチャップ取ってくれ。」
 1リットルの牛乳を一気飲みして、B.A.バラカスが請う。
「コング、胡椒は?」
「そんなものはいらねえぜ。」
 目玉焼きの世界は深いな。
「ダメだね、コング。目玉焼きに塩、胡椒は必需品。」
 珍しくマトモなことを言うマードック氏。
「そして仕上げにストロベリージャムっと。」
 やはりそうか、マードック氏。
「ねえ、誰かウスターソースかける人いない?」
 フェイスマンが問う。
「1人くらいいるかと思って、わざわざ買っておいたんだけど。」
「目玉焼きにウスターソースは邪道だぜ。」
「えっ、でも日本じゃ目玉焼きにソースは常識だって、この本(『30日間丸分かり武士道』)に書いてあったんだよ?」
 何を読んでる、フェイスマン。
「それはウスターじゃなくて、ソイソースだ。日本人は、ライスに生卵とソイソースをかけて毎日曜日に家族揃って正座して食する習慣があるほどの卵好きだと、この本(『日本〜戦後保障の問題と急なおもてなし〜』フランソワーズ・モレシャン著)に書いてある。」
 ハンニバルとフェイスマンは、最近日本文化にかぶれてるらしい。
「何言ってやがんでい、卵にソースかけるのはイギリス人と相場が決まってるぜ。」
「そう、目玉焼きにはウスターソース。しかしその場合は、ストロベリーよりむしろアプリコットの領域だね……。」
 リリリリ……。電話が鳴った。
「よし、誰だか知らんが電話の人にも意見を聞いてみよう!」
 いそいそと受話器を取るハンニバル。注目する3人。
「はい、スミスです。」
『ウスターうっ……ソー……ス……。』
 ガチャン。電話は切れた。ハンニバルは受話器を置いた。
「どうだった!?」
「……ウスターソースだそうだ。」
「ほーらね、やっぱりウスターソースをかける人もいるんだよ。」
 得意気なテンプルトン、可愛い奴。
「で、誰から?」
「イギリス人じゃねえのか?」
「わからん。……ウスターソース、と一言言って切れた。」
「切った、んじゃなくて?」
「切れたんだ。名乗りもしなかったぞ。」
「用件は何だったんでい。」
「わからん。」
 わかるわけがない、その状況では。
「わからんが、多分お隣のゴードンじいさんじゃないかと思う。」
「どうして?」
「早起きだからだ。考えてもみろ、午前5時に人の家に電話をかけてくるなんて、70歳未満の人間のすることじゃない。」
「なるほど。」



 午後4時30分。
「ぎゃあ〜っ!」
 静かな住宅街に響く女の悲鳴。お昼のメニューがまたしても卵料理(キノコのオムレツ、フライドエッグ・トリュフ添え、冬野菜のココット、焼きプリン)だったことには何の疑問も抱かずに惰眠を貪っていたAチームを楽しい夢から引きずり出すくらいの悲鳴であった。
 すわ、ご近所の一大事、とばかりに召集をかけるハンニバル。ご老体ゆえに眠りが浅かったらしい。
「どうしたの、ハンニバル?」
 眠い目をこすりこすり集まったのは、パジャマ姿も愛らしいフェイスマン、キリンの着ぐるみ(キリンの首のつけ根辺りから顔が出る。寝間着には不向き)も誇らしいマードック、消火器を抱えて勘違い甚だしいB.A.バラカスの3名であった。Aチームって……。
「今、確かに悲鳴が聞こえた。それも、ゴードンさん家からだ。」
「ああ、俺も聞いたぜ。ネコが踏んづけられたような悲鳴だった。」
「行ってみよう。」
「よし。」



 ピンポーン。ドアチャイムを鳴らす。
「ゴードンさん?」
 返事はない。
「ゴードンさん、お留守ですかあ?」
 フェイスマンがドアをガンガン叩く。横でキリンの頭も、無言で同じことをしている。
「留守みたいだよ、ハンニバル?」
「そんなはずねえぜ。ゴードンさんは去年から足腰立たなくなって車椅子の生活だし、奥さんのキャロリンはボケが進んでて徘徊癖があるから目が離せねえ。身の回りのことだって、ご近所の主婦が交代で見てるんだぜ。」
 地域の事情にやけに詳しいのは、ボランティア歴30年、B.A.バラカス軍曹である。
 ピンポーン。
「ゴードンさん? ……あれ、ハンニバル、開いてるよ。」
 フェイスマンの指摘通り、ドアは施錠されていなかった。
「よし、入ってみよう!」
 音も立てずにドアの内側に滑り込むAチーム。
 ガツン! 鈍い音と共に、マードックが派手に引っ繰り返った。キリンの頭が玄関につっかえたらしい。
「ゴードンさぁん? ゴードンさん、いませんかあ?」
 白く長い廊下を1部屋ずつ確かめながら進む。キリンさんの首は天井に阻まれ、苦しそうに反り返っている。
「首の骨が折れるー。」
「ゴードンさーん……いねえぜ。」
「……ハンニバル……。」
 フェイスマンがハンニバルの袖口を掴んだ。
「どうした、フェイス?」
「……泣き声が聞こえる……それも女性の……。」
「何?」
 耳を澄ますハンニバル。
「聞こえんぞ。」
「確かに泣いてるぜ、ハンニバル。俺様のこのジラフイヤーがキャッチした!」
 作り物だろーが、ジラフイヤー。
「奥の方からだ!」
「よし、行こう!」



 駆けつけた居間の光景は、目を覆いたくなるような惨劇の余韻だった。部屋中に飛び散った鮮血。割れたガラスの破片。血溜まりの中に座り込み泣き続けるのは、ご近所の主婦、マロリー・キャシーさんだ。
 問題のゴードンじいさんは……倒れていた。電話台の下でうつ伏せに。車椅子は主人不在のまま、傍らに佇んでいる。
 そして何より、この光景をシュールなものにしているのは……ピクリとも動かないゴードン氏の手に握られた、空のウスターソースの壜であった。
「奥さん、大丈夫ですかっ?」
 女と見ると反射的に駆け寄るフェイスマン。
「うう……、ゴードンさんが……ゴードンさんが……。」
「何があったんです?!」
「……いつものように夕食の仕度をしようと思い、来てみたらゴードンさんが……ゴードンさんがぁぁぁ!」
 泣きじゃくるマロリー・キャシーの肩を、フェイスマンがそっと抱いた。
「ひでえことしやがるぜ……。」
「強盗かな? ジラフアイで指紋を探してみようか?」
「いや、いい。多分、物取りと鉢合わせて乱闘になったんだろう。可哀相に、こんなに出血して、苦しかったろうな。」
 ハンニバルがしみじみ呟く。
「1人分の血にしては量が多すぎるぜ、ハンニバル。きっと、ばあさんの方も殺されてるんじゃないか?」
「ああ。いずれにせよ、殺人事件はAチームの管轄外だ。さっさとポリスを呼んで、おいとましましょう。」
 くるりと踵を返すハンニバル・スミス大佐。それに従うB.A.バラカスとフェイスマン。
 その時である。
「ちょっと待って、皆の者!」
 マードックが叫んだ。奉行か、お前。
「これ、血じゃないよ!」
 マードックは、指で壁についた血飛沫を拭うと、それを舐めた。いくらハウリング・マッドったって、死んだ人の血を舐めるほど、悪趣味ではないはずだ。吸血鬼に凝っていたのは、2週間前までだったし。
「これ、トマトピューレだよ。」
「何だって!!」



「うう……う……ん。」
 死体が呻いた。
「ゴードンさんっ!?」
「う……うう……。」
 死んだはずの老人が、体を起こした。
「ゴードンさん、生きてたんですか。」
 駆け寄る4人。
「あ……あんたは?」
「隣のスミスです。」
「おお、スミスさん……ウスターソースは持ってきてくれましたか……?」
「やっぱり今朝の電話はあなただったんですね。一体、何があったんですか?」
 ゴードン老はズリズリと車椅子に這い上がり、着席した。その周りに、体育館座りで集まるAチームとマロリー。
「……あれは、今朝……午前3時頃のことじゃった。警察からの電話で起きたわしは、キャロリンを警察署まで迎えに行った。」
“キャロリン……本物のボケ老人なんだな……。”
 何となく了解する4人組。
「4時過ぎに戻ったわしは、キャロリンに朝食を食べさせてやろうと思い、目玉焼きを作った。」
「どこの家でも、朝のメニューは同じだな。」
 妙なところで感心するハンニバル。
「……ところがどうだ。わしとしたことが、ウスターソースの買い置きを忘れていたのじゃ。キャロリンはウスターソースがないと、卵が食べられんからのう。」
「奥さんはイギリス人かい?」
 自説の裏づけを取るべく質問するコング。
「……いや、タイ系スウェーデン人だ。」
 何のサンプルにもならん奴だな、それ。
「案の定、ウスターソースを切らしていることがわかると、キャロリンは暴れ出してな。いや、彼女の暴力には慣れっこだから構わんのじゃが、そこでスミスさんにお借りしようと電話をかけている時、キャロリンに花瓶で頭を殴られた。」
 そう言いつつ後頭部を撫でたゴードン老の手には、明らかにピューレとは違う赤黒いものがべっとりと付着していた。
「わしは振り返ってキャロリンに注意しようとしたんじゃ。花瓶はよしなさい、高いから……、そう言った次の瞬間、目の前が真っ暗になり……気がついたら、このザマじゃ。」
 凄絶な夫婦愛(?)に言葉もないフェイスマン。
“結婚なんて、するもんじゃないのかも……。”
「それで、キャロリンさんは、今どこに……?」
「何!? また出て行っちまったのか、あいつ……。ふう。」
 老人はがっくりと肩を落とした。
「……捜しに行きたいのは山々なんじゃが、この体ではどうにもままならん。それに、1日に2回も警察に捕まったりしたら、奴ら、キャロリンを施設に入れろと脅しをかけてくるに決まっとる……。」
 ゴードン老は頭を抱えた。
「……ゴードンさん、もっと前向きに考えられませんか? 捕まる=保護される、脅しをかける=親切にも勧めてくれる、って読み換えると、かなり人生楽になるんじゃないかと思うんだけれど。」
 フェイスマンが珍しく建設的な意見を述べる。
「そうそう、それに精神病院って、なかなかグーよ。朝晩、注射はしてくれるし、ボンデージスーツは着せてくれるし……。」
 ああ、もう台なしだ、マードック。
「それだけは、絶対に駄目じゃ。……わしには……わしにはキャロリンが必要なんじゃ……(涙)。お願いだ、スミスさん、キャロリンを捜して下さい……。美人だし、グラマーだし……あんな無防備なキャロリンが街を歩き回って、変な男に引っかかりでもしたら……あああ……。」
“キャロリン、美人だったのか……。”
 認識を改める4人であった。
「よろしい、乗りかかった船だ。引き受けましょう、ゴードンさん。」
 胸を張るハンニバル。
「……ちょっと、ハンニバル……これ、どう考えても無償だよ!」
 フェイスマンが恐る恐る尋ねる。
「いいじゃないか、フェイス。どうせ今朝までの分の報酬が入ったんだし。1日くらい、ボランティアしたって。」
「う……。」
 報酬の件は、ますます言い出せなくなるフェイスマンである。
「いいじゃねえか、フェイス。お上の暴利に苦しんでいる庶民の力になるのがAチーム……。」
「と、スーパージラフ!」
 ちょっと違うんではないかという気もする。そしてキリンさんは、みんなが知らないうちにスーパー化していたらしい。
「お任せ下さい、ゴードンさん。必ずやキャロリンさんを連れ戻してみせましょう。」
「ありがとうございます……。」
 深々と頭を下げるゴードン老人であった。
「……ところで、ゴードンさんも、目玉焼きにはソースを?」
「わしか? そりゃ、マヨネーズに決まっとろーが。」
 目玉焼きの世界の深遠さと言ったら、もう凡人には語り尽くせないほどに深い。
「で、キャロリンさんの特徴は?」
「美人で、気立てが優しい……時には優しいし、暴れると少し恐い。」
 何の手掛かりもない意見をありがとう。
「それに、目玉焼きが大好物じゃ! 機嫌を悪くしている時でも、目玉焼きにウスターソースをかけて食卓に置いておくと、機嫌を治してくれる。」
「それだ!」
 ハンニバルが叫んだ。
「キャロリンさんの立ち寄りそうな場所に、大量の目玉焼きを設置して張り込む! 匂いに釣られて現れたところを生け捕りだ!」
「おー。」
 拍手する一同。
「それに、なぜか知らんが、家の台所には、今、卵が溢れ返っている。そうだな、フェイス?」
“ギクリ。バレてる……かも……。”
「あ、ああ、あれは、今回の依頼主の養鶏場のご主人がくれたんだ。」
「報酬のオマケとしてだな?」
「う、うん、その……報酬の……一部……っていうか、その……。」
「とにかく卵があんだろ。それを使って、とっととばあさんを捕まえちまおうぜ!」
 コングが叫んだ。
「そうだね、コング。そ、そっちが先、だよね。」
「……フェイス、後で話がある。終わったら部屋に来い。」
“完璧にバレてる……。”



 どんよりとしたフェイスマンの思いとは裏腹に、作戦は大成功だった。
 キャロリンばあさんは、作戦開始後2分で釣れた。
 そしてゴードン氏からAチームへ、素晴らしいお礼“ウスターソース大壜”が贈呈され、フェイスマンの隠し事は、その後ハンニバルのきつい追及により周知徹底された。
 その日、フェイスマンが用意した夕食は、スパゲッティ・カルボナーラと目玉焼きであったが、他の3人は外食に出たので、お味のほどは定かでない。
【おしまい】
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