正しい夏の過ごし方
鈴樹 瑞穂
「これは何だ?」
 ハンニバルが、皿の上の細く白い物体をフォークで掬い上げながら聞いた。パスタのようだが、スパゲッティやラーメンよりずっと細い。まるで糸のようだ。昼食に供されたそれは、ハンニバルが初めて見るヌードルだった。
「ソウメン。」
 エプロン姿のフェイスマンが、ちょっと自信なさそうに答える。
「隣の日本人が持ってきた“オチュウゲン”だよ。日本の代表的な夏の昼食で、ソイソースのタレにつけて食べるんだってさ。」
「ふむ、これか。」
 確かにソウメンの皿の横には、黒い液体の入ったカフェオレ・ボウルが用意されている。ハンニバルはフォークで掬ったソウメンをボウルに落とし、もう一度掬い上げておもむろに口に運んだ。
「……。」
 ものすごく、しょっぱかった。どう説明したのか、隣の日本人。フェイスマンが用意したツユは、ソイソースそのものであった。おまけに、ソウメンは茹ですぎだった。
「どう?」
 にこやかに聞くフェイスマンに、ハンニバルは思わず上がってしまった眉をくいっと下げて頷いた。
「あまり美味いもんじゃないな。……食えんことはないが。」
「うん。さっき、ちょーっと食べてみたけど。」
 フェイスマンも大きく頷き、2人は口を揃えて言った。
「日本人の味覚ってわからない。」
 その時、ドアがバタンと開いて、外の熱気と共にコングとマードックが入ってきた。
「ふー暑かったぁ。ここはクーラー効いてて、極楽だあ。」
 マードックが黄色いリボンのついた麦藁帽子を脱いで、パタパタと扇ぐ。
「お疲れさま。」
 キッチンに引っ込んだフェイスマンが麦茶のグラスをお盆に乗せてきたのを受け取って、コングが一気に飲み干した。
「で、依頼人とはコンタクト取れたか?」
 これ幸いとソウメンを脇に押しやって、ハンニバルが2人に向き直る。
「いんや。」
 コングがマードックの分のグラスまで奪い取って一口飲んで、首を横に振った。代わりに説明したのはマードックだった。
「俺ら、約束の時間に7分26秒遅れちまってよ。でも、依頼人のナントカってじーさん、まだ来てなくて、んで、1時間3分待っても来なかったから、帰ってきちまった。」
「妙だな。」
 ハンニバルが腕を組んで首を傾げる。
「パウエルは昔から時間には正確な奴なんだが。」
 今回の依頼人は、実はハンニバルの幼馴染みの友人なのである。
「どうも変だぞ。行ってみよう。」
 ハンニバルはすっくと立ち上がって、壁にかけた帽子を手に取った。



 ハンニバルの幼馴染みという壮絶な過去を持つパウエル氏は、サンノゼ郊外で農場をやっていた。ロスでの約束場所に現れなかった彼を案じて、Aチームの面々は農場まで出向いた。
「よお、スミス! 約束の場所に行けなくて済まんかったな。」
 パウエルはハンニバルの顔を見ると、ベッドの中から陽気に手を振って身を起こそうとしたが、その途端、アイテテと顔を顰めた。額に包帯が巻いてある。
「おじいちゃん! 無理しちゃダメよ。」
 ブロンドの若い娘がパウエルを寝かしつける。孫娘のリリーだ。少し若すぎる気もするが、依頼人がジジイだと渋っていたフェイスマンのやる気を起こさせるのには十分お釣りが来るくらい可愛かった。
「どうした、パウエル。その怪我は?」
「ライナーの若造にやられたんじゃ。わしとしたことが不覚を取ったわ。」
「ライナー?」
「この辺りで一番大きな土地を持ってる有力者のドラ息子なんじゃが、札つきの乱暴者でのう。ありとあらゆる悪さをしおる。だが、一粒種の跡取り息子なんで、親にしてみれば可愛いんじゃろう、やめさせるどころか、金の力で何でも揉み消してしまう。」
「この付近の人たちは、ボブ・ライナーに乱暴されても、交通事故に遭ったと思って諦めてしまうんです。でも、おじいちゃんはそうじゃないから……。だから、向こうも意地になって、うちの牛を盗みに来るんです。」
「牛泥棒たあ、許せねえな。」
 コングがぐっと拳を固める。
「ええ、でも、お金に困っているわけじゃなくて、ただ面白がってやっているだけなの。毎晩、1頭ずつ盗んでいくんです。昨夜は、それを止めようとしたおじいちゃんを蹴ったり殴ったり。」
 うるうると瞳を潤ませて訴えるリリーには、フェイスマンならずとも、心を動かされるものがあった。
「それはひどい。でも、Aチームが来たからには、もうそんなことはさせないから、安心して。」
 フェイスマンはさりげなくリリーの肩に手を回そうとしたが、パウエル氏の絶妙な咳払いによって阻止された。
「この分じゃ、今夜もまた、その若造はやって来るな。」
「ああ、恐らく。」
 ハンニバルが言うと、パウエルは頷いた。
「じゃ、精々頑張って来ていただきましょう。お灸を据えられに、な。」
 ハンニバルは、にかっと笑って、葉巻に火を点けた。



 暑さは日が暮れても収まらず、今夜も熱帯夜になりそうだった。
 準備万端整えたAチームと無理して起きたパウエルは、ベランダにテーブルを出し、ビールと枝豆なぞ並べている。マードックが提灯を下げてビアガーデン風にしたいと主張したのだが、さすがに待ち伏せに明かりは目立つという理由で却下された。
「いや〜、あの時のスミスのいたずらときたら……。」
「いやいや、パウエルの逃げ足もすごかった。」
 幼少のみぎりの武勇伝をコングとマードックに聞かせるハンニバル、パウエル。その横ではフェイスマンが枝豆を手に、リリーを口説いて(?)いる。
「この枝豆の新鮮かつ芳醇な味わい、適度な茹で加減から来る爽快な歯応え、さらにこの色、艶! 全く枝豆の逸品と言えるね。こんな風に枝豆を茹でられる女性は少ないよ。」
 しかし、フェイスマンの手管は相手に通じていない。
「ありがとう。美味しいでしょ、この枝豆。うちの畑で採れたのよ。牛の糞を肥料にして、たっぷり使っているのが美味しさの秘密なの。」
 にっこりと微笑むリリーに、思わずフェイスマンが口の中の枝豆を吐き出そうとした時。
 ガチャーン!
 ガラスの割れる音が響き、フェイスマンはごっくんと枝豆を飲み込んでしまった。(まだ、よく噛んでなかったのに!)
「来たな。」
 ハンニバルの合図で、Aチームは素早く持ち場についた。
 ボブ・ライナーと仲間たちは、コングが夕方入れ直したばかりの牛小屋の窓ガラスを派手に割って、ドアを叩き破った。
 牛小屋に入ろうとした時、サッと眩しい光が投げかけられた。強烈に明るいライトで、おまけに熱い。
「そこまでだ! おいたが過ぎるぞ、坊や。」
 牛小屋の屋根から、颯爽とジョン・スミス大佐登場。
 同時に、牛の囲いの1つから、張り子の牛のような奇妙な物体が出てきた。コング作、牛型簡易投射機“モウモウ・ファイアー”である。後ろから押しているのは、操作員のH.M.マードック。
 呆気に取られるライナーたちに向かって、マードックは叫んだ。
「ファイアー!」
 マードックが張り子の牛の尻尾を引くと、口が開いて何かがすごい勢いで飛び、1人の顔面にヒットした。
「ぐわっ!」
 モロに食らった男は、蛙が潰れたような声を上げて倒れた。
「な、何だ!?」
 隣にいた男が落ちた物を拾うと、それは野球のボールだった。ご丁寧にも、所々牛模様に黒く塗ってある。たかがボールと言っても、スピードがついているため威力は侮れず、ヒットした男は失神していた。その顔面を伝っているのは鼻血だ。
 さらに恐ろしいことに、“モウモウ・ファイアー”は特殊な充填方法により、連続発射可能なのであった!
「ファイアー! ファイアー! ファイアー!」
 浮足立つ一団に、マードックは容赦なく牛模様のボールをぶつける。
 ボールがなくなるや否や、コングとフェイスマン、そしてハンニバルが切り込んでいって、辛うじてボールを避けた奴らを殴り倒した。
 最後に、腰を抜かしているライナーの襟首をハンニバルが掴んだ時、牛小屋の屋根から声がかかった。
「スミス! そいつから離れろ!」
 何と、パウエルが立っていた。彼の足下には、ボールを入れた籠があった。彼は逃げ回るライナーに、ボールがなくなるまでぶつけ続けた。



 Aチームは、伸びているボブ・ライナーとその仲間を縛ってライナー邸に届けた。無理してハッスルしたため、パウエル氏は腰痛を起こしてしまったのだった。
 慌てたライナー氏に、息子の行状を厳重に監督するようにと約束を取りつけ、盗まれた牛と、牛小屋の修理代を取り戻して、一行は農場に帰った。
「いや〜、わし1人でも何とかなるかと思ったが、やっぱりスミスは頼りになるのう。」
 ベッドの中のパウエルに、ハンニバルはにやにやしながら言う。
「いやいや、それほどでもありませんよ。しかしパウエル、お前さんもあれくらいで腰痛とは、焼きが回ったな。年寄りの冷水ってやつかい。」
「何を言うか、それほど年も違わんくせに。」
 その横では、フェイスマンがリリーから大きな包みを渡されて、顔を緩めている。
「どうもありがとう。おかげで助かりました。これ、大した物ではありませんけど、お礼です。」
 マードックは“モウモウ・ファイアー”がすっかり気に入ってしまったらしく、張り子の頭の部分を取り外して帽子の代わりにすることに決めて、ご機嫌だった。コングも牛の平和が守れて満足そうだった。



「うっひょ〜。」
 帰り道の途中、バンの中にフェイスマンの奇妙な声が響き渡った。
「どうした、フェイス。」
 ハンニバルが助手席から振り返ると、フェイスマンは無言で小さな紙片を手渡した。リリーから貰った包みの中に添えられていたものだ。
『おじいちゃんの好きな日本のヌードルと、うちの畑で採れた枝豆です。皆さんで召し上がって下さいね。』
 フェイスマンの膝の上では、大量のソウメンと枝豆とが、静かに存在を主張していた。
【おしまい】
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