1枚の写真から
フル川 四万
*1*

 追手はそこまで迫っていて、ハンニバルは走っていた。
“熱帯のジャングルだ、隠れる所はいくらでもある。大丈夫、逃げ切れるはずだ、いや逃げ切ってみせる……。”
 一昼夜走り続けているような気がしたが、不思議と疲れは感じなくなっていた。体はすこぶる軽く、内臓に蓄えていた栄養を使い果たした体が、腹の周りの脂肪を燃焼しに入っている感じだ。
“うまく逃げおおせれば、フェイスの奴に締まった胴周りを自慢できるぞ……。”
 と、彼は思った。
 走り続けたら、突然視界が開けた。眩しい草原だ。ヘリコプターの音が近づいてくる。
“モンキーだ! 俺は逃げ切ったんだ……。”
「おーい、ここだ!」
 太陽に向かって手を振る。深緑色のヘリのシルエットが、ゆっくりとそれを覆い隠した。
 背後で銃声が響いた。振り返るハンニバル。するとなぜだろう、そこにあったはずのジャングルは消えていた。いや、あまりにも大勢のベトコンが銃を乱射しながら走ってくるのに隠れて見えない……。
「早く、梯子だ!」
 叫ぶ彼の声は銃声に掻き消され、彼は胸に衝撃を受けて地面に倒れた。ベトコンたちが倒れた彼を覗き込んでいる。
 いや、兵隊ではない。それは美しいアオザイを着た若い少女で……。
「あなたの写真、まだ持ってるわ。」
 少女が悲しげに囁きかける。
「……忘れてなんかいないわよね。……早く来ないとね、ジョン。」
 彼女は手を額に当てて太陽を仰ぎ、そして言った。
「早く来ないと、デッカーにあなたのこと……。」
「おかしいな、この頃にデッカーはいないのに……。」
 薄れゆく意識の中で、ハンニバルは呟いていた。



*2*

 翌日の寝覚めは最低だった。あの頃の夢を見た朝は、大抵“最低”の範疇に入れて差し支えないのだが。今朝は特に、逃げ回った夢を見たおかげでじっとりと寝汗をかき、心なしか胴周りが細くなっている気もして。
「おはよう、ハンニバル。今朝は朝粥(コンギー)だよ。」
 カーテンを引いて朝の陽を部屋に招き入れながら、フェイスマンが微笑む。
「うむ。」
 ベッドに半身を起こして彼の同居人を見やる。
 フェイスマンがいる、フェイスマンがいない――ハンニバルにとって、あの頃と今とを分ける大事な手掛かりだ。
「何ボーッとしてるのさ。今日の依頼人はエグゼクティブだかんね、早起きして身なり整えなきゃ。ビジネス・チャンスはステキなスーツからって言うし。」
 布団を剥ぎにかかるフェイスマンの腕を、ハンニバルが捕らえた。
「ちょっと、何だよ朝っぱらからぁ。コーヒー、零れるじゃない。」
 何が朝っぱらからなのか、フェイスマンの思考回路を鑑みると目頭が熱くなる御大であったが、気を取り直して彼の顔を覗き込む。
「フェイス、依頼人との約束はキャンセルだ。」
「ええっ、どうしてよ?」
「忘れ物を思い出した。取りに戻る。」
「……忘れ物って、どこに?」
「ベトナムだ。」
「ベトナムぅ!? ちょっと待ってよハンニバル。ベトナムって言ったら、デッカーがつい最近サイゴンに向かったって情報があったばかりじゃないか! そんな飛んで火に入るような所にどうして今更!」
「……その件なんだ、フェイス。わかったんだよ、どうして今頃になって奴がベトナムに興味を示してるのか。……俺は大事な物をあそこに忘れてきちまったんだ……。」
 ハンニバルは遠い目をした。



*3*

 ハノイ市街、クムン・スーの酒場。
「さて本日は、俺様がどれ程金持ちかってのをご披露しちゃうからね〜。まず、これが噂のアメリカ$。そんでもってこっちがイギリスの£。そしてこいつがニッポンの¥、強いんだぜ〜こいつ!!」
 マードックは、コインをマジシャンのように服の袖口やポケットから入れたり出したりしている。別にマジックを覚えたのではなくて、体の至る所に万国の紙幣(ニセ)とコイン(28カ国セット60ドル、パリのノミ市にて購入)を仕込んでいるので出し入れ自由なだけのこと。しかし、発展途上国の人々にとって、外貨は宝。インチキ富豪マードック、垂涎の的である。
「で、どこにあるんでい、そのハンニバルの大事な忘れ物ってのは。」
 新大久保の“らあめん仁”のような造りの店内の、やたら低いカウンターの前に腰かけてコングが言った。彼、スリーピング空の旅から目覚めたばかりなので、今ちょっと不機嫌。
「大事な旅の思い出に。記念写真は1枚30アメリカドルです。」
 店の主人が古びたカメラを片手に、コングに語りかける。片言しか英語を解さないせいで、意思の疎通が変だ。
「そして日本円なら1万円です。」
 しかし、両替の仕組みはよく解していた。
「それがわからないんだ。ハンニバル、それについては何も教えてくれなかったから。わかってるのは、相当ヤバイものらしいってことだけ。」
 麦藁帽と開襟シャツという現地流行最新スタイル、だが足元はリザードのローファー(しかもピンク)のフェイスマンが言った。
「ヤバイったって、ハンニバルは既にお尋ね者だぜ。これ以上何がヤバイってんだ。」
 酒場の牛乳がココナツミルクであったため、コングの不機嫌には拍車がかかっている。
「ホント、そりゃそうなんだけどね。この件に関して、ハンニバル、ちょっと理性を失ってる感じがして心配なんだ。今朝も1人で出かけちゃったし……。」


「いやはや待たせたわね、諸君。」
 背後から声がした。振り返る3人の見たものは、店のウェスタン扉を思い切り開いて、朝日を背に浮かび上がるシルエット。
 それはグレーのワンピースにピンクのフードを被った1人の老婆。左手には野菜の入った籠、右手には杖。しかし、でっかい。……でっかい?
「……ハンニバル……?」
 フェイスマンが控え目に問う。多分、彼だと思うけど、違ったらご婦人に失礼だし。
「そうだ、よくわかったな、フェイス。」
 老婆がフードを取った。Aチームのリーダー、ハンニバル・スミス大佐その人である。
「どうしたの、そのステキなステッキ(シャレ)。本物のマジシャンみたいじゃん。」
 マードックが言う。
「失礼な。これこそ老婆スタイルの王道なのに。」
 ハンニバルは低いスツールに大儀そうに腰かけると、カウンターに野菜の籠を置き、ゆっくりと葉巻に火を点けた。変装がすぐバレたので、こちらも不機嫌なり。
「どこ行ってたんでい、朝っぱらから。」
「……ちょっとAチームを探しにね。」
「はあ〜? Aチ〜ム〜?」
 声を揃える3人。
「……説明しようか。」
 ハンニバルがもったいぶって言った。
「俺たちはサイゴンに向かわねばならない。しかしサイゴンでは、デッカーたちが待ち受けている。ここまでの話は了解しているな?」
「うん、そこまでは。」
 フェイスマンが答えた。
「そこで、だ。“Aチームの皆さん”に、俺たちの囮になっていただくことにした。」
「はー?」
 呆れるフェイスマン。
「何寝惚けてやがる、俺たちがAチームじゃねえか。」
「失礼ですけど、大金持ちの俺様には、仰る意味が、わ、か、り、ま、せ〜ん。」
 ハンニバルは混乱する3人を面白そうに眺めると、一呼吸置いてこう言った。
「じゃあ紹介しよう。“Aチームの皆さん”、どうぞ!!」



*4*

 ホーチミン市街。とあるホテル。
 デッカーはウキウキしながら報告を待っていた。とうとう長年の宿敵であるハンニバル・スミスの尻尾を掴んだのだ。そしてそれは、ここホーチミン市のどこかに隠されていると言う……。
 ロサンゼルスの公園で傷害致死罪で逮捕されたベトナム帰還兵がハンニバル・スミスのネタで司法取引を申し込んできたのは、3カ月前の話だった。彼は1970年のサイゴンでスミスと知り合った。そして、その時手に入れた1枚の写真によって、彼は罪を逃れたのだ。グレゴリオ聖歌を歌いながらホームレスの司祭の頭を聖書の角で死ぬまで殴ったという罪を。
「ミスター・デッカー?」
 いつの間にか、戸口にホテルのボーイがやって来ていた。
「何だ。」
「あの……夕食にご注文いただいたフライド・フィッシュの材料のメバルが手に入らなくて……メバルモドキでもよろしいでしょうか……?」
 ボーイの英語は、ベトナム人にしては滑らかだった。
「どう違うんだ?」
「ええと、メバルは骨離れよく大変美味しい魚です。メバルモドキは骨と身が少し仲よしです。……パサパサもします。」
“それは、不味いと言っているのかな。”
 とデッカーは思ったが、気分のいい日でもあったので、メバルモドキに同意することにした。
「ありがとうございます。失礼しました。」
 立ち去るボーイの後ろ姿はまだ若く、どこか西洋風の骨格をしているのを彼は見て取った。年は17、8だろうか……。
 アメリカ人の血が入っているのだろう、とデッカーは推測した。あの年代には多い、アメリカの残滓。まるで悪い夢の後のようだ……。
 さて、と彼は手元の写真に目を落とした。裏を見る。『我が息子ジョン』と、走り書きだが確かにそう読み取ることができる。
 もう一度、表に返す。そこには、若き日のジョン・スミスと美しいベトナムの少女、そして1人の赤ん坊が写っていた。白い寝巻に包まれ、スミスの腕に抱かれて眠っている。まるで家族の記念写真のように。
「それにしても、あのジョン・ハンニバル・スミスに隠し子がいたとはな……。」
 デッカーは呟いた。



*5*

“Aチームの皆さん”は派手なジープでホーチミンに向かっていた。
 つい最近できたばかりの高速道路は、線路と平行に伸びている。ハノイとホーチミンを繋ぐ線路は、窓や入口から溢れんばかりの乗客を乗せた汽車を重そうに前に促しながら、熱暑の中で熱を蓄え、ぐったりと横たわっていた。そして、その列車の1等車の個室に4人はいた。
「……ねえ、ハンニバル。本当に大丈夫なんだろうね、“Aチームの皆さん”は。」
 農夫姿のフェイスマンがシートに凭れて言った。額には玉の汗が光っている。個室には一応冷房が入っているはずなのだが、送風口から送り出されるのは、外と寸分違わぬ熱風である。
「大丈夫だって。俺が地元の芸能エージェントを片っ端から当たって集めた俺たちのそっくりさんよ。」
「……ベトナム人だってことを除けばな。」
「それを言うな、コング。“マードックさん”なかなかどーして、かなりいい線行ってましたよ。」
「……オデコの広さがだろう。」
「いーや、『サティスファクション』の歌詞は全部覚えさせたから、彼はOKよ。俺、友達になってもらったもんね。」
 自慢するマードックは修道士の格好。嬉しいか、自分のそっくりさんと友達になれて。
「教えるんなら、ヘリの操縦教えときやがれ。」
 コングが不機嫌なのは、アクセサリーを全部取り上げられコック服を着せられているためだけではなく、ハンニバルの選んだ“バラカスさん”が単に派手好きなデブにしか見えなかったからだ。
 因みに“テンプルトンさん”は頭髪を鳶色に染めたモヤシっ子。それに引き替え“ハンニバルさん”は渋味走ったナイスミドルであったので、みんなの失笑とブーイングを買ったのは言うまでもなし。
 窓の外の風景は、のどかな田園地帯。
「で、これからどうするの、ハンニバル。」
 暑さを堪えて建設的な発言を行うのは、やはりフェイスマンの仕事なり。
「……シンシアという女性を捜す。デッカーより先にだ。そしてホーチミンから脱出させる。しかしホーチミンは狭い。まともにやったら、どこかで奴とご対面するハメになっちまう。そこで俺たちは変装をして彼女を捜し、その間“Aチームの皆さん”に派手に暴れてデッカーの注意を引いてもらおうという作戦だ。」
「……そのシンシアって、どういう人なの?」
 マードックが問う。フェイスマンが聞きにくい事柄はマードックの役目である。コンビネーションってヤツだね。
「……ちょっとした縁でね……。」
 ハンニバルはまた遠い目をした。次の台詞を待つ3人であったが、当たり前のようにハンニバルはそれきり黙ってしまった。
 フェイスマンが、何か知らないの? と言いたげにマードックとコングを見やる。2人は小さく首を振り、否定の意を表した。長く一緒にいたって、知らないことだってあるさ。



*6*

 2日後、ホーチミン市。
 デッカーの部隊は目指すものを未だ見つけられずにいた。即ち、ハンニバル・スミスの隠し妻子を。
 拠点としたホテルのジャグジーに浸かりながら、いい加減フライド・フィッシュにも厭きたからホテルを変えるか、とデッカーは思っていた。メバルモドキはどこから見ても肺魚だし。本物のメバルはホーチミンには永遠にないらしいし。それに肺魚は食べるより保護する方がなんぼか人様のためになる。
「大佐っ!」
 部下のコリンズ軍曹が部屋に飛び込んできた。
「何だ、軍曹。妻子が見つかったのか?」
「いえ、妻子じゃありません。ハンニバル・スミス自身が来ているらしいんです。Aチームと一緒に。」
「何?!」
 デッカーはジャグジーから飛び出した。
「どういうことだ、説明しろ!」
 態度は偉そうなデッカーだが、タオルで前を隠しただけの格好である。
「ケナワランの本屋で店主を脅して金を巻き上げようとした奴が、B.A.バラカスらしき男に川に投げ込まれて死にかけたそうです。それから、金持ちの未亡人が鳶色の髪の色男に下着を盗まれたと、地元の警察に被害届が出ています。これはフェイスマンとかいう奴に違いありません。それから、地元の高利貸が白髪で葉巻を銜えた男に説教をされたそうです。その際、横で革ジャンパーにキャップ姿の男がメロディーの怪しい『サティスファクション』を歌っていたということですが……歌詞は完璧だったそうです。」
「……ハンニバル・スミスとマードックだな。」
「だと思われます。」
“Aチームの皆さん”は一体どんな演技指導を受けたのだろうか……。
「……さては我々の作戦を嗅ぎつけて阻止するつもりだな。しかし! ここで会ったが100年目、飛んで火に入る何とやらとは貴様のことだぞ、スミス……。捕まえてやる捕まえてやる捕まえてやるぞ今度こそ……待ってろ、スミス。ふっ、ふふふふふ……。」
 デッカーさん、裸でエキサイト。恐い。
「コリンズ軍曹、作戦変更だ。『ハンニバル・スミス妻子捕獲作戦』は、今から『ご本人様ご一行捕獲作戦』とする。とにかく奴らを捕らえるんだ……。いいな!」
「はいっ!!」
コリンズは部屋を飛び出していった。デッカーは1つ、くしゃみをした。



*7*

 ハンニバル・スミスはホーチミンの裏通りを奥へ奥へと進んでいた。20年近くも前の記憶を手繰りながら、思い出の地を捜して。
“確か、この先の角を右に折れて、もう一度右に折れた手前の3軒目が、Ruly's Bar ……。俺がシンシアと出会った店だ。”
 彼は老婆姿のワンピースのポケットから、1枚の写真を取り出した。セピアに色褪せたその写真は、つい2日前までベッドサイドの写真立ての内側に大切にしまわれていたものだった。
 因みに、表はアクアドラゴンFXの勇姿である。
 裏を返して見る。『私の大切なゴッドファーザー、ジョンへ』――拙いアルファベットは彼女が必死に覚えたものだ。
 当時、彼女は Ruly's Bar のウェイトレス、後にハンニバル・スミスの密偵を兼務することとなったのだが……。
 そして彼女の赤ん坊、ジョンは、生きていれば今年20歳になる。
 ハンニバルは1軒のさびれた店の前で足を止めた。都市の近代化が急ピッチで進むこの辺りには珍しく、その店はまだ営業を行っているようだった。
 木造の大きな扉、扉の前に置かれたバーボンの大樽。そして、樽の腹にペンキで書き殴った女の名前、ルーリー。しかし……。
「ナポレオン・パブ……。」
 ハンニバルは店の名を読み上げた。店の名前が、変わっている。ルーリーの名前は茶色のペンキで丁寧に消され、代わりにフランスの英雄の名が書き込まれていた。



*8*

「ふむ、話はわかった。そうと聞いては捨ててはおけぬ。コング、やっておしまいなさい!」
「おうっ、あたぼうよ、任せとけっ!」
“ハンニバルさん”の号令で“バラカスさん”は悪党ども(と言ってもたかだか屋台の食い逃げ容疑者3名)に向かって椅子を投げつけた。
 屋台の主人と客大勢、やんややんやの大喝采。そこここから賞讃の声が沸き起こる。Aチーム、株上がってる……。心ならずも……。
「何か、人気者みたいよ、俺たち。」
 屋台の陰から一騒動を見守っていたコング、マードック、フェイスマン。心配になって“Aチームの皆さん”の様子を見に来ているのだ。マードックは人気者な“皆さん”が少し羨ましい。
「いいんだ、これで。この人たちが目立ってくれないことには、ハンニバルの人捜しが捗らないからね……。」
 今回、放っておかれた子供状態のフェイスマンが寂しげに呟く。
「さ、次は“マードックさん”だ。」


“マードックさん”は、街角で群衆に囲まれて芸を披露していた。こちらも人だかりができており、なかなかの盛況のようである。
 虎柄の革ジャンにストーンウォッシュのデニム姿の“マードックさん”は、ミカン箱の上でなぜか懐中電灯を手に歌を歌っている。
「『サティスファクション』だな。」
 コングが呟いた。
「ああ、でも、何で懐中電灯をチカチカさせてるの? モンキー、変なこと教えた?」
「いや、別に。軽く俺様のパブリック・イメージをレクチャーしただけさ。懐中電灯は、彼の演劇的解釈ってヤツじゃない? ……なかなかいいとこついてるとは思うんだけど、今日びストーンウォッシュはやめてほしかったよな。」
「確かに。あれならバニーちゃんの方がまだマシかもね……。あれ、歌の合間に何か喋ってるじゃん、行ってみよう。」
「おう。」
 3人は野次馬をかき分けて最前列へと進み出た。“マードックさん”は歌っている。
「ちゃっちゃ〜ん、ちゃらら〜んらちゃらちゃら(リピート3回)、あーいきゃーんとげーっのー E=mc2 さーてーすはーくしょー。」
 チカッ。
 懐中電灯が煌めいた。“マードックさん”がキャップを取り、オデコに光を当てたのだ。
「『サティスファクション』に数式入ってたっけか?」
 フェイスマンが問う。
「いや、ミック・ジャガーにそんな頭があってたまるか。このバカが何か教えやがったか、もしくはあいつが元々ああなのかのどっちかだぜ。」
 コングが忌ま忌ましそうに呻いた。
「あーいきゃーんとげーっのー f=Gm12/r2 さーてーすへーくしょー。」
 チカッ。
 観客もリアクションの取りようのない芸に戸惑っているのか、段々静かになっていく。
「てめえ、あの三文役者に何教えやがった?!」
「別に変なことは教えてないぜ。……弾ける芸の合間に俺様特有の知性の閃きが窺えるようなら合格だ、とは言ったけど……。」
 マードックは口籠もった。3人はしばし考える。知性の閃き……。
「フラッシュ・オブ・インテリジェンス、か……。」
 コングが遠い目をした。
「彼、文字通り解釈しちゃったんだね……。」
 オブとアンドは間違えてるけどね……。
「さ、“テンプルトンさん”を拝見しに行こうか。」
 3人はそっとその場を立ち去った。


“テンプルトンさん”はなかなか見つからなかった。元々、金持ちの未亡人だのパツキン美人などが対象の芸風、ストリートで見つけようってのが無理な話で。
 3人は街角のカフェに背中合わせに座った。やっぱり農民とコックと神父様が一緒にお茶してたら、Aチーム以上に目立つことこの上なしだから。
「お前“テンプルトンさん”には何を教えたんだ?」
 先ほどの“マードックさん”ショックから抜け切れないコングが、注文したミルクを啜りながら言った。
「……女性に優しく、稼ぎ時を見極め、飽くまでもダンディに。」
 コングがミルクのコップを地面に叩きつけた。またもやココナツミルクであったらしい。
「汝、いかなる演劇的解釈で演じられるなりや。」
 なぜか演劇青年口調となるマードック。あんたは神父さんなんだってば。
「とりあえず外にはいないようだし、あんまし派手な行動はしてないんじゃないの?」
 トロピカルドリンクを呷って、フェイスマンが言った。
「ハンニバルのことでやきもきしてたのが、彼らを見てたら何だかどうでもいいような気分になっちゃったよ。おねーさん、マイタイお代わり。」
 フェイスマンが被っていた菅笠を脱ぎ、店員に向かって手を挙げた。若いウェイトレスは怪訝そうな顔でこちらを見ると、店の奥に引っ込んでしまった。
「感じ悪いなあ。アジア人って、どうしてもう少し愛嬌よくできないかなあ。」
 フェイスマンが呟き、3人はしばし黙ってホーチミンの町を観察することにした。カラッと晴れ上がった青い空、砂埃を上げて往来する無数の2、3輪車。そして暑い。
「ああーっ!」
 マードックが素っ頓狂な声を上げた。
「どうした、モンキー。」
「“テンプルトンさん”でもいた?」
 2人が問いかける。
「あれ見てよ、あれ!」
 マードックが指差す先は……壁。
「壁だけど、珍しい?」
「何呑気なこと言ってんだよ、フェイス!」
「お前に呑気と言われるとは思わなかったよ。で、何?」
「ポスター、見てよ!」
「ポスターだって?」
「……だと?」
 フェイスマンとコングの2人は、マードックの指差す先を見た。茶店の壁に貼られていたのは、何とフェイスマンの顔写真。しかも、どアップで。んでもって、『WANTED!』のキャプションつき。
「あれ“テンプルトンさん”じゃないよね……。」
「ああ、確かに本物のお前だ。」
 キキーッ!
 その時、タイヤの軋む音がして、3人は一斉に振り返った。大通りの角を曲がってこちらに爆走してくるのは、ベトナムにはまだ珍しい4輪ジープ。
「……見たことあるぞ、あいつ。何てったっけか、デッカーの所の……!」
 3人は一斉に立ち上がると、店のテーブルと椅子を路上に引き倒し、走り出した。
「コリンズだ!」
 コングが叫んだ。
「しかし、何仕出かしたんだろう、俺。」
 走りながら頭を抱えるフェイスマン。
「ポスターには下着泥棒って書いてあったよ。」
「まさか! そんなこと教えてないぞ!」
「元々、奴の、趣味……だったん……じゃ、ないか……やめようぜ、走りながら話すと余計消耗する。」
 走り続けた3人は十字路に出た。
「よし、ここからバラバラに逃げよう!」
「おうっ。」
 別々の方向に走り去っていく。コングは右、マードックは左、そしてフェイスマンは直進と。
 しばらくしてやって来たコリンズ軍曹のジープは、直進方向を選んだ。危うし、フェイスマン!



*9*

 ハンニバルは扉の前でしばし躊躇っていた。扉を開けてそのバーに入っていくのは、少し怖いような気もした。怖さが何のためなのかは、本人にも定かでない。
 この店がすっかり変わってしまい、思い出の拠り所が消えたことを確認するのが嫌なのか、それとも忘れかけていたあの頃が、現実の色を纏い、また再び自分の精神の一部に腰を据え直すことが煩わしいのか……。
“仕方ない。”
 とハンニバルは思った。
“店はきっと変わっているだろう。20年経てば、人間だって変わるんだ。戦場の英雄も、今じゃお尋ね者だ……。”
 扉を開けて、店に足を踏み入れる。何も期待していなかった。ただ、懐かしみたいと思った。
 ここに戻れば彼女に会えると勝手に思い込んでいた自分を、ハンニバルは少し恥じた。
 店は薄暗かった。昼間のためか、客は少ない。あの頃の熱気とは格段の差だ。暗所に目を慣らすために、彼はしばし目を閉じた。
「スミス!」
 その時、店の奥から声がした。



*10*

“俺ってやっぱり運動向いてない……。”
 走りながらフェイスマンは思った。
 追手の車は真っ直ぐに彼の後を追ったが、裏道に逃げ込んだので一安心かと思いきや、今度は2、3人が車を降りて徒歩で追いかけてくる。それも、わざとフェイスマンに聞こえるように、お互いの名前を呼び、位置を確認し合いながら。
 だからもう覚えてしまった。リーダー格がコリンズ軍曹、それからカーターとレーガン。本名かニックネームかはわからないけれど。
 奴らは時々視界に入る。熱暑の中で長袖オレンジ色のレンジャースーツはとっても目立つ。
“俺も目立ってるな。何てったって色男だから……って自惚れてる場合じゃないや、俺ってトロいから格好の標的。もうダメかも。”
 フェイスマンはさらに道の奥へと進んでいった。
「いたぞ!」
 カーターの声がした。道は袋小路。
“ホントにもうダメかも……。”
 フェイスマンが諦めかけたその時、不意に誰かに腕を掴まれた。
「こっちよ!」
 長屋の扉の隙間から、褐色の手が伸びていた。扉の隙間からは2つの目が覗いている。
「早く入って。」
 フェイスマンの腕を掴んだ女は、彼を家の中に引き入れると鍵を閉めた。家の前を、足音が駆け抜けていく。
「もう大丈夫よ……。」
「……ありがとう、君のおかげで助かったよ。」
 フェイスマンは女を見た。年の頃35、6。質素な木綿のワンピースを着てはいるが、体のラインは崩れていない。
“まだイケる年齢だな……。”
「それで、教えてほしいんだけど。」
 邪な考えを遮るように、女が口を開いた。
「え?」
 フェイスマンは顔を上げた。
「あなたたち、ここで何をしているの? ……そして、どうしてジョンは戻ってきたの?」
「ジョンって、ハンニバルのこと!?」
「そう、ハンニバル・スミス。Aチームのリーダー、だったわね?」
「……それじゃ、君が……?」
 2人の間に沈黙が流れた。
「……シンシアよ。そう言えばわかると思うわ。あなたは、下着泥棒のフェイスマンよね?」



*11*

 カウンターに凭れかかる2人の老婆。1人は、ハンニバル・スミス。もう1人は?
「……久し振りだね、ルーリー。老けたね、やっぱり。」
「あんたほどじゃないさね、スミス。」
 旧 Ruly's Bar、現ナポレオン・パブのオーナーは、金歯を見せてニッと笑った。
「いや、君の方が老けたって! ヅラだろ、それ。」
 彼女は当時から金髪のヅラだったので、別にヅラが老けた理由にはならないのだが。
「カーッカッカッカッ、あんたの腹には負けるね!」
 ルーリーは豪快に笑った。その笑顔は、どことなくハンニバルに似ている。
 20年近く前、ハンニバルはこのバーを彼の密偵たちとの連絡場所にしていた。その頃からこの店を1人で仕切っているのがこのばあさん、当時ばあさん、今ももちろんばあさんの、ルーリー・スーチである。
「で、どうしてまた舞い戻ってくることになったんだい。それも随分派手に暴れてるようじゃないか、Aチーム。」
「うむ、それなんだが……。」
 バーン! いきなり店の扉が開いた。
「ハンニバル!!」
 飛び込んできたのはフェイスマンである。
「フェイス! よくここがわかったな。」
「……ああ、ちょっとイザコザがあってね、このご婦人が案内してくれたんだ。」
「ご婦人?」
 店内の暗さのせいで、女性の姿はよく見えない。ハンニバルは目を細めた。暗がりから、小柄なシルエットがゆっくりと浮かび上がる。
「久し振りね、ジョン。」
「……シンシア……。」
 ハンニバルがゆっくりと立ち上がり、彼女に歩み寄った。
「ね、ねえハンニバル、20年振りの再会なんでしょ、フードくらい取ったら……うっ。」
 言いかけたフェイスマンは、ルーリーの肘を鳩尾に食らって、画面からフェイドアウトした。
「野暮なことするんじゃないよ。」
 ルーリーが呟いた。
「20年振りの再会だってのにさ……。」


 コングとマードックは何とか追手を振り切り、振り出しのカフェで再会した。もちろん2人とも前とは違う変装である。コングは地元の警官の制服、マードックはアロハに短パンのヤンキールックである。
「フェイスの奴、遅えな。」
 コングが呟いた。
「うん、ちょっとね。もうそろそろ戻ってもいい頃だよね。」
 マードックが腕時計を見た。
「まさか、捕まっちまったんじゃ……。」
“逃げたら振り出しに戻る”がAチームの鉄則だから。
「まさか。奴に限って……そうかもしれねえ。おいミルク! 牛の乳だぞ、本物の!」
 コングがウェイトレスに叫んだ。
「仕方ねえ、もう少し待ってみるか。……おい、モンキー!」
 コングが再び叫んだ。
「何?」
「……見ろよ、あのポスター。」
「へっ?」
 先ほど彼らが見た『WANTED!』のフェイスマンのポスター。何と、その上に『棚卸し済み。ご協力ありがとうございました』というシールが貼られているではないか!
「……ヤベェ、フェイスの奴、デッカーに捕まっちまった!」
 2人は顔を見合わせた。



*12*

 所変わって、Aチーム(本物)の滞在するビエンホアのホテル。
「……20年間、連絡しなくて悪かった……。」
 ワンピースを脱ぎ捨て、いつものネルシャツとチノに着替えたハンニバルが、シャンパングラスを2つ持ってバルコニーに出てきた。
 シンシアはバルコニーから川を眺めていた。
「いいのよ、別に。」
 彼女は、背を向けたまま薄く笑った。
「……ジョンは元気か?」
「ええ、最近すっかりアメリカ人っぽくなっちゃって。」
 彼女は振り返った。ハンニバルが彼女にグラスを渡す。
「……今、彼は何してる。父親の写真は見せたのかい?」
 ハンニバルが控え目に問うた。シンシアはゆっくり首を横に振った。
「ホテルに勤めてるわ。立派なホテルマンになってアメリカに行くのが夢だって。……生きてるって言ってるのよ、あの子には……。パパは生きてアメリカにいるって……。」
「そうか……。」
「アメリカで大活躍だから、忙しくて家に帰ってこられないって……。」
「大活躍?」
「そう。」
 彼女は白い歯を見せて笑った。
「……あなたのパパは……Aチームのハンニバル・スミスだって。」
何だとー!?
 ハンニバルが叫んだ。


“2人で何話してるのかな……。”
 1人、部屋に残されたフェイスマンは、2人の話が気になって仕方がない。だって、ハンニバルの過去のことだもの。
“さり気なく割り込んでみようかな……。”
 フェイスマンは座っていたソファから立ち上がり、バルコニーに近づいてみる。
“ああ、でもやっぱり入っていけない……。”
 そう思いつつもカーテン越しに耳を澄ますフェイスマン。性格やのう。
 途切れ途切れに2人の会話が聞こえてくる。
「……息子が……今年20に……。」
「あなたの写真を肌身離さず……。」
“息……子?”
 フェイスマンは、信じられない、といった表情で、首を小さくプルプルしながら後ずさった。
“ハンニバルに、こともあろうか隠し子がいたなんて……(涙)いたなんて〜(号泣)!”


「ハンニバル! 大変だっ!!」
 コングとマードックが飛び込んできた。
「フェイスがデッカーに捕まっ……あれ、何でフェイス、ここにいるの? しかも涙目で。」
 マードックが拍子抜けしたように言った。
「どうした、お前たち。」
 ハンニバルとシンシアが戻ってきた。
「いや、どうもこうもねえぜ。フェイスがデッカーに……。あれ、その人は?」
「シンシアだ。」
「シンシア、ってことは見つかったんだな!?」
「ああ。フェイスが見つけてきてくれたんだ。な?」
 ハンニバルがフェイスマンを見やる。フェイスマンは涙を拭い、小さく頷いた。
「ところでどうしたんだ、そんなに慌てて。フェイスが何とかって言っていたが。」
「そうなんでい、フェイスマンの奴がデッカーに捕まっちまったみたいだったんで……。お前、デッカーんとこから逃げてきたのか?」
「何? 俺はちゃんと逃げ切って無事だったけど?」
「てことは……。」
 マードックが呟いた。
「てことは?」
 声を揃える1、2……4人か。
「うわあヤバイよ、ハンニバル! 捕まったのは“テンプルトンさん”の方だ!!」
「何だって!?」
 危うし“テンプルトンさん”! フェイスマンと違って、本当に危ないぞ!?



*13*

「だから何をやっているんだ、お前たちはっ!」
 プールサイドにデッカーの怒声が響き渡る。
「あそこに吊るしてるあれは何だ!」
 デッカーの指差す先には、飛び込み台。そしてその先には、荒縄で縛られた“テンプルトンさん”が吊るされている。
「……フェイスマン……です……。」
 コリンズ軍曹が消え入りそうな声で言った。
ち、がーう!
 デッカーが叫んだ。
「絶対違うぞ、あれは! どこから見てもベトナム人じゃないか!」
「はあ、でも本人がフェイスマンを名乗っていたもので、つい……。」
「人種くらい見分けろ! 色盲か、お前は!」
「はあ、色弱です……。」
「でも、フェイスマンを名乗っているからには、何かハンニバル・スミスと関係があるんじゃありませんか?」
 背後から声がした。ボーイである。
「……ジョンか。何だ、別にメバルモドキでもいいぞ。もう、どうにでもしてくれ。」
「ありがとうございます、デッカーさん。でも、今日は本物のメバルがあるんです。」
 ボーイ――ジョンはにこやかに言った。
「最高のディナーをご用意いたしますよ。」



*14*

「……ということで、シンシア、俺は今、懸賞首なんだ。」
 シンシアを囲むAチーム(本物)マイナス1人。マードックはデッカーの居場所を探りに出かけている。ハンニバルは事の顛末を彼女に説明した。
「デッカーの奴は君とジョンを捕まえて、Aチームをおびき出す囮にするつもりだ。……生憎、手掛かりは20年前の写真1枚だけだったから、今はまだ奴ら、君を見つけ損ねている。だが、写真ってヤツは強力な手掛かりだから、いつか必ず足がつく。だから、ホーチミンを離れてほしい。君も、ジョンもだ。」
「嫌よ。」
 シンシアは即答した。
「ジョンはいいわ。アメリカに行きたがっているし。あの子の将来にとっても、いいことだと思う。でも私は、ホーチミンを離れる気はないの。」
「しかし……。」
「しかしはいいの。」
 彼女はピシャリと言い放った。その場を沈黙が支配する。
「……私はいいのよ。ここで生まれて、ここで育って、ここ以外の場所は知らないから……他でやって行ける自信なんかないわ。……それにここには夫のお墓もあるし……。」
「夫?」
 フェイスマンが問う。
「夫って、あなたの?」
「そりゃそうよ。他に誰の夫がいるっていうの、ジョンの?」
「えっ、でもシンシアさんってハンニバルと……。」
 フェイスマンがハンニバルを見る。
「俺と彼女が何だって?」
「だって、ジョンってハンニバルの子供なんだろ!? さっきバルコニーでそう言ってたじゃない!」
 フェイスマンが叫んだ。立ち聞きしてたって、自分でバラしてどうするか、こいつは。
 ハンニバルが、仕方ないな、といった様子で溜息をついた。
「……何か誤解してないか、フェイス。俺はジョンの名づけ親、つまりゴッドファーザーであって、ファーザーではないぞ。奴はシンシアと、昔同僚だったケン・パトリック大尉との間にできた子供だ。」
「ケン・パトリックって誰だ? どっかで聞いたことある名前だぜ。」
 コングが考える。しばらくして彼は叫んだ。
「……あの裏切り者のケンか!」
「あのケンよ。」
 シンシアが言葉を続けた。
「私と出会った時には、まだ“あのケン”じゃなかったけどね。」
「……でも、ジョンには言ってないんだろう。どうして俺が父親だってことになった? なぜ本当のことを教えてやらないんだ?」
 ハンニバルがシンシアに詰め寄る。
「……言えなかったのよ……。あなたのお父さんは元アメリカ兵で、ベトナム民族軍に寝返って同僚に処刑されただなんて……。」
 シンシアの瞳から、涙が零れた。
「……気持ちはわかるが、シンシア。」
 ハンニバルが優しく言った。
「今だけでいい、ホーチミンを離れてくれ。せめて、デッカーが諦めるまで。」
「わかったわ……。どうせ私に選択の余地はないんでしょ、言う通りにするわ。その代わり、ジョンを助けてあげて。本当の父親じゃなくても、あなたはジョンの心の支えなのよ、ハンニバル。」
「……わかった。それで今、彼はどこにいる?」
「仕事に行ってるわ。マナティ・ホテル。」


「ハンニバル!」
 マードックが部屋に飛び込んできた。
「デッカーのアジトがわかった。西町にあるマナティ・ホテルってとこだ。」
「何だって!」
「……だと!?」
「……ですって!?」
 驚く3人。本当にご都合主義で済まない。ちょっと自己嫌悪に陥る作者である。
「よし、コング、フェイス、『ジョンと“テンプルトンさん”救出作戦』開始だ。どうせなら派手に決めるとしましょう。コング、“Aチームの皆さん”を集めろ。」
「おうっ!」
「モンキー、お前はシンシアを脱出させてくれ。」
「よし来た!」
「ジョン……。」
 シンシアがハンニバルを見た。
「ジョンのことは俺たちに任せて、モンキーと一緒に行くんだ。きっと連れていくから。」
「……わかったわ。あなたも、どうか気をつけて。」
 シンシアはマードックに手を引かれて出ていった。
「ねえハンニバルぅ、ご婦人のエスコート役が何でモンキーなのさ?」
 フェイスマンが不満気に問う。
「お前は今回、一緒に救出作戦するの! そもそも“テンプルトンさん”が捕まったのだって、役に没頭するあまりのことでしょ。責任ありますよ、テンプルトンさん?」


(Aチームのメインテーマかかる。)←久し振りだな、この展開。〔フル川はVol.8でやったのが最後だから2年半振りですね。因みに私はVol.12でやりました。by伊達〕
 銃を積み上げるハンニバル。一心不乱にミシンに向かって縫い物をするフェイスマン。なぜか芸能エージェントを回るコング。



*15*

 その夜。マナティ・ホテルのプールサイドでは、豪華な晩餐が繰り広げられていた。1週間振りに入荷した本物のメバルで、ジョンが腕を振るったのだ。
 純白のテーブルクロスをかけられた長テーブルには、デッカーとその部下十数名が畏まって着席している。
 飛び込み台から吊るされた“テンプルトンさん”は既に暴れる気力もなく、カーアクセサリーのように夜風に揺れているのみである。
「……なかなか美味いじゃないか、ジョン。」
 デッカーが言った。
「ありがとうございます。」
 ジョンが恭しく頭を下げた。と、その時……。
 バキューン……。
 食卓に銃声が響いた。
「誰だ!」
 一斉に立ち上がる兵士たち。もちろん口元はナプキンで拭いてから。
「いやはや待たせたわね、デッカー君。」
 プールサイドの拡声器からハンニバルの声が響いた。
「ス、スミス!」
 デッカーが叫んだ。部下たちが一斉に胸元のナプキンをはぎ取り、銃を構えた。
 プールサイドはパームツリーの森に囲まれている。どこから襲撃されてもおかしくない……。
「気をつけろ。奴ら、どこから来るかわからんからな。上空も、プールの中も気を抜くんじゃないぞ!」
 上空は当然としても、プールの中は大丈夫かと思うのだが。デッカー、ちょっと神経症かも。
 森が、微かに動いた。
「あそこだ!」
 デッカーが叫んだ。
 ダダダダダ……。
 一斉に発砲する隊員たち。
「あー、もう、そこじゃないよ、お兄さんたち。」
 フェイスマンの声が響く。
「……フェイスマン……。」
 コリンズが悔しげに呟く。
「……どこかこの近くにいるはずだ……捜せ!」
「はいっ!」
「捜す必要はねえぜ、クソッタレども。こっちから出てってやるぜ!」
 コングの声がした。
「バラカスか! ふっ、いい度胸だな。たった4人で俺様に真っ向勝負を挑むとは!」
「ところがどっこい、4人じゃないのよ。おーい“皆さん”、お仕事の時間です!」
 ピーッ!
 ホイッスルの音と同時に、周りの森が揺れた。
「な、何だ!?」
 パームツリーの陰から機関銃を手に現れたのは、ハンニバル・スミスその人。……そして、その後ろにもハンニバル。その後ろの、そのまた後ろにもハンニバル・スミスが続いている。
「ス、スミスが……。」
 絶句するデッカー。そして、もう一方の森からはフェイスマンが30人あまり。約50名のB.A.バラカスは、プールに飛び込んでこちらに向かって泳いでくる。水面は、まるでペンギンの大移動のように黒々としている。
「な、何だ、こいつらは!」
 ひるむデッカー隊。と、その時……。
 チャッチャ〜ン、チャララ〜ンラチャラチャラ……。
 プールサイドに大音響で『サティスファクション』のイントロが鳴り響いた。
「アーイキャーントゲーッノー、サーテースファークショーオン。」
 ボーカルは、なぜか大合唱である。
「何が出てくるのか、わかっちゃったんですけど……。」
 コリンズが言った。
「俺もだ……。」
 呟いて振り返るデッカーの目に映ったのは……30余名のマードックが、その他の方々(マイケル・ジャクソンのそっくりさん15名、マドンナ4名、プリンス2名、美空ひばり1名等々)と共に駆けてくる姿であった。もちろん全員機関銃を構えている。
 デッカー隊は瞬く間に“Aチームの皆さん”に包囲されてしまった。
「銃を捨てなさいな、デッカー君。」
 ハンニバルの満足気な声が響いた。
 デッカーたちは銃を捨てた。いつの間にか、飛び込み台から“テンプルトンさん”の姿が消えていた。
「うっ……。」
 隊員の1人がしゃがみ込んだ。
「レーガン!」
 デッカーが叫ぶ。
「丸腰の人間に発砲するとは卑怯だぞ、スミス!」
「あれ、誰か発砲した? 発砲した人、手、挙げて。」
 フェイスマンが問う。誰も手を挙げない。
「違うんです、大佐……お、お腹が痛くて……。」
「何をぅ! こんな時に貴様たるんどるぞ……うっ、何か俺も腹が……。」
 デッカーが腹を押さえて座り込んだ。
「俺も……。」
「僕もちょっと下してるって感じ?」
 隊員たちは次々に体の不調を訴えて座り込んでしまった。中には気を失っている者すらいる。
「おいおい、どうしたデッカー、悪いもんでも食ったか?」
 ハンニバルが問う。
「食わせたんだよ!」
 包囲網の外から声がした。
「僕が食わせたんだよ! メバルと偽ってフグを! もちろんフグ調理師免状なんて持ってないけどね、父さん!」
 ボーイのジョンが誇らしげに叫ぶ。
「何……だとお……。」
 デッカーが薄れゆく意識の中でジョンを見た。
「……貴様が、スミスの息子かあっ……。」
「……ジョンか!」
 ハンニバルが叫ぶ。
「やらしい作戦は親父譲りだぜ。」
「……ホントに……。」
 バラバラバラ……。ヘリの音が近づいてくる。
「ハンニバル!」
 マードックだ。
「いらっしゃい、モンキー。今度は失敗せずに回収してくれよ!」
 ハンニバルが言った。
「俺様がいつ失敗したって!?」
 マードックが縄梯子を下ろしながら、口を尖らせた。
“ああ、あれは夢の話だっけか。”
 とハンニバルは思った。



*16*

 結局シンシアは、一時的にハノイに移ることになった。ジョンが戻ったら、今度こそ本当の父親のことを話すと約束して。
 そしてジョンは、カリフォルニアのホテルマン養成スクールに留学することとなり、今ハンニバルたちと共に機上の人である。ハンニバルとフェイスマンの3つ前の席で、マードックと“腹を下しやすい食べ物古今東西”に興じている。
 そしてコングは、彼らの間で、寝た振りをして気を失っていた。
「フェイス。」
 今まで黙りこくっていたハンニバルが口を開いた。
「ん?」
 フェイスマンが彼を見た。
「……隠し事をして済まなかった。」
「……いいって、俺の方が悪かったよ。あんたの過去にまで立ち入ろうとしちゃって。」
 フェイスマンの返事にハンニバルは微笑み、彼の肩に腕を回した。
「いやはや、素直なお返事ですねえ。帰ったらご褒美あげましょう。」
「えっ、何かくれるの?」
 フェイスマンが顔を輝かせる。
「そう、ご褒美――基礎トレーニング3週間と、尾行を撒く練習1週間。」
「ええっ、何よそれ?」
「お前、シンシアがいなかったら、本当にデッカーに捕まってたそうだな。逃げるのに、ただひたすら真っ直ぐ行く奴がどこにいる。もう一度訓練し直しだ。」
「ひっでえ。誰のおかげでシンシアに会えたと思ってるのさ。」
 フェイスマンは首に回された腕を振り解いた。ハンニバルが愉快そうに笑った。
【おしまい】
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