1枚の写真から
鈴樹 瑞穂
 古びた扉を開くと、中は暖かく、独特な蒸気の匂いに満たされていた。
 青年は手をかけている扉に目をやる。擦りガラスに色褪せた金色の飾り文字――リー・クリーニング店。青年は小さな溜息をついて扉を閉めた。
 カウンターの向こうで、小さな丸眼鏡をかけた老人がプレスしている。のんびりとしたものだ。
 青年がゆっくりとカウンターに歩み寄ると、老人が顔を上げてしわがれ声で言った。
「今日の分のズボンのプレスはまだできとらんよ。」
「あ……ズボンを取りにきたわけじゃないんだ。」
「それじゃシャツのクリーニングかね。済まんが明日からクリスマス休暇に入るで、今週は受けつけとらんのじゃよ。」
「いえ、シャツのクリーニングでもなくて、僕が頼みたいのは、その……“ここに来れば、Aチームに仕事が頼める”って人づてに聞いて……。」
「ああ、何じゃと? 最近ちいっと耳が遠くなっての。」
 老人は鼻からずり落ちかけた丸眼鏡をかけ直しながら、青年の前に来た。
「店を間違えたみたいだ。」
 がっくりと肩を落とした青年に、老人がウインクを投げた。
「Aチームに仕事を頼みたいんだろう。」
 老人の声と口調が変わっている。驚く青年の前で、丸めていた姿勢をしゃんと伸ばし白い顎ヒゲを剥がしながら、老人に変装していた男は言った。
「ジョン・スミスだ。話を聞こう。」
 呆気に取られていた青年は、人形のようにこくこくと頷き、差し出された手を握った。



「なあ、コング、いいだろ? 痛くも痒くもねえぜ。3秒で終わるんだからさ。」
 マードックがB.A.バラカスの前に回り込む。手にしているのは“写るんです・24枚撮り”。
「うるせえ、嫌なもんは嫌なんだ。フェイスでも撮ってろ、このコンコンチキ!」
「もう撮ってもらったよ。23枚も!」
 うんざりした調子でフェイスマンが言う。彼はテーブルの上に新聞を広げて、『今日の株式』欄に赤鉛筆でチェックを入れているところだ。
「フェイスは確かにいいモデルだったよ。」
 マードックがしみじみと語る。
「けど、あいつ1人じゃこの芸術家の腕が納得しないんだ。カメラだって泣いちまう。だから最後の1枚はコングを撮ることにしたんじゃないか。」
 マードックは“写るんです”を目に当て、ファインダー越しにコングを見上げた。どうやらクレイジー・モンキー氏は現在、俄カメラマンになりきっているようである。
「断る!」
 コングがレンズを手で押し返す。
「何でだよ、ケチ!」
“写るんです”を下ろして、マードックが口を尖らせた。
「考えてもみろよ、芸術家の撮る写真だぞ。どんどん価値が上がり、遂にはロス、いんやニューヨークのアートギャラリーに並ぶかもしれない。その時になって撮ってくれって泣いても、撮ってやらないからな。」
「そんなオモチャで何言ってやがる、バカ。」
 撮らせる撮らせないで2人が喧々囂々とやり合っていると、依頼人に会いに行っていたハンニバルが戻ってきた。
「お帰り。どうだった?」
 日課の喧嘩を繰り広げる2人を完全に無視して、フェイスマンが尋ねる。
「すぐに出発するぞ。コーング、バンの準備。」
 リーダーの一喝に、2人はぴたりと喧嘩をやめて、きびきびと準備に動き出した。



 ロサンゼルスから車でひた走ること6時間。とある田舎町にAチームは到着していた。
 依頼人はこの小さな町に1軒しかない小さなアートギャラリーのオーナー、ボブ・メイフィールド。と言っても、アートギャラリーは家業を継いだ言わばサイドビジネスで、本業は動物写真家である。野生の子鹿を撮った一連の作品『子鹿のポッキー』が認められて、ようやくぽつぽつと売れ出した新進カメラマンなのであった。



「で、そのカメラマンがAチームに何を頼みたいって?」
 アートギャラリー『メイフィールド』。展示コーナーと衝立で仕切られたテーブルに着いて、フェイスマンが恐る恐る口を開いた。
 フェイスマンの隣では、マードックが直筆サイン入り写真集『子鹿のポッキー』を捲って感涙に咽ぶんでいる。ボブの写真に芸術家魂を刺激されているらしい。
 写真にチラリと視線をやったB.A.バラカスがマードックに、
「写真っていうのはこういう風に撮るもんだ。」
 と、ぼそりと言った。つまり、コングもボブの写真が気に入ったらしい。
 ハンニバルはゆったりと葉巻を吹かしながら、ふむふむと頷いている。
 ボブ・メイフィールドは優しげな、早く言えば気弱な感じがするおとなしい青年であった。一同の視線を受けて、言葉を探すようにしていたが、意を決したかのように口を開く。
「それです。」
 ボブは写真集を指差した。
「子鹿のポッキーを……野生の鹿たちを守ってほしいんです。」
 彼の話によると、写真集『子鹿のポッキー』が評価され、新聞などに批評が載るようになったことから、町の有力者マックスウェルが目をつけたのだと言う。マックスウェルは野生の鹿が住む山を開発し、鹿を捕獲してレジャー施設を造ろうと考えた。
 山はこの町に住む数人の地主の土地で、メイフィールド家もその1人である。だが、マックスウェルの強引な買収によって、他の地主たちは皆、土地を手放してしまった。メイフィールド家に対するマックスウェル側の圧力は日に日に増している。ギャラリーに石を投げられてガラスを割られたり、写真のパネルを壊されたりする暴力沙汰も過去数回。
「でも、僕が一番怖いのは……。」
 ボブは顔を上げてきっぱりと言った。
「マックスウェルが鹿に被害を与えることです。奴は僕くらいどうとでもなると思っています。だから、僕が土地を売ると言わなくても、鹿の捕獲を始めるかもしれません。……どうかお願いします、鹿たちを守って下さい。」
「そうは言ってもねえ。」
 フェイスマンが難しい表情で腕を組む。
「そのマックスウェルって奴、山のほとんどの土地を買収したんだろ。いくら俺たちでも、自分の土地で鹿を捕まえようとしてる奴をどうこうするのは……。」
「土地は僕が全部買い戻すつもりです。マックスウェルに交渉したんですが、取り上げてもらえませんでした。でも、奴が首を縦に振るまで、交渉し続けるつもりです。」
「よし。」
 ハンニバルがぽん、と手を叩く。
「それじゃ我々があんたに代わって、その交渉をしようじゃないか。」
「そりゃいいや。」
 すぐにB.A.バラカスが同意した。フェイスマンとマードックも頷いて、賛成の意を示している。
「お願いします!」
 ボブがハンニバルの手を握り締めた。



 一同はボブの案内で山に入っていた。夕日は沈みかかっているが、まだ自然光が残っていて辺りは明るい。
「うっひょ〜。来る来る、インスピレーションが! 傑作が撮れる予感がするぞお。」
 マードックはフィルムが1枚だけ残った“写るんです”をしっかりと胸に抱き締めて辺りを見回す。
「そんなオモチャで夜間撮影ができるか、アホ。」
 コングの言葉も、興奮状態のマードックには届かない。
「何で山なのさ。マックスウェルのとこに行くんじゃなかったの?」
 靴の汚れを気にしながら、フェイスマンが言う。バーゲンを歩き回ってようやく新調した下ろし立ての靴なのだ。
「ここで待ってれば、必ず向こうさんからやって来てくれます。フェイス、どうもお前さん、最近気が短くっていけないねえ。」
 悠然と返すハンニバルに、“こんなことなら古い靴を捨てずに履いてくればよかった”と、フェイスマンは内心密かにぼやいた。
「ここです。」
 先頭を歩いていたボブが振り返った。声を潜め、口の前に指を立てて、静かに、と注意を促す。
『子鹿のポッキー』の撮影ポイントだった。
 ボブの指差した先で、鹿が数匹、木の葉や草を食べている。
「あれがポッキーです。」
 一番若い鹿を指して、ボブが囁く。
 マードックが“写るんです”を構え、シャッターチャンスを狙った、その瞬間――甲高い鹿の声が響き渡った。1匹の鹿が不自然な体勢でもがいている。
「罠だ!」
 コングが叫んで飛び出した。
 途端に地面に埋められていた網が上がり、コングは宙に吊り上げられた。
「畜生! 下ろせ!」
 怒り沸騰のコングを、ぞろぞろと出てきた一同が見上げる。
「あーあ、コングまで罠にかかっちゃって。」
 マードックは呟きながら“写るんです”を目に当てた。それをハンニバルが押し止める。何か考えついたようで、ジョン・スミス大佐は腕組みをしてコングを見上げた。その瞳は、それは楽しげに輝いていた。



 既に日はとっぷりと暮れている。
 真っ暗な山の中、ライトを掲げて近づいてくる一団は遠目にも目立った。田舎町の有力者、と言えばあまり紳士であることは期待できないマックスウェル氏ご一行様である。ライトの数から見て、総勢5、6人といったところであろうか。
「おお、かかっとる、かかっとる。」
 マックスウェルは宙吊りの網を見つけて、弾んだ声を上げた。ライトに下から照らし出される二重顎は、なかなかの迫力だ。
「鹿にしちゃでかくないですか?」
 デニムのベストにチェックのネルシャツといった出で立ちの男が言う。
「どれ。」
 マックスウェルはライトを掲げて網の傍に寄り――
「うがあ!」
 その途端、網の中からコングが飛び出した。先刻吊り上げられたまま、ハンニバルの指示通り、じっと耐えていたのだ。
「ひゃあっ。」
 マックスウェルが腰を抜かした瞬間、ストロボが光る。
 同時に周囲の木々に設置されていたライトが灯り、辺りを町中のように明るく照らした。マックスウェルたちは眩しさに顔の前に手を翳す。
「ばっちり撮らしてもらったぜ!」
 木の枝から“写るんです”を手にしたマードックが得意気に叫ぶ。
「鹿じゃなくて残念だったな。」
 網を切り裂いたナイフを投げ捨てて、B.A.バラカスがマックスウェルを睨みつけた。
「何だ、お前らは!」
 腰を抜かしたマックスウェルに代わって、デニムベストの男が言う。その隙に他の男たちがボスを助け起こした。
「この山は野生の鹿のものだ。その権利はボブ・メイフィールドと、このAチームが守る。」
 木々の間から進み出てきたハンニバルが、堂々と言う。その脇からフェイスマンがひょいと顔を出し、にんまりと人の悪い笑みを浮かべる。
「腰抜け写真を公表されたくなかったら、買収した土地をボブに売ってもらおうか、マックスウェルさん。」
「何だと! おい、そのカメラを寄越せ。」
 気色ばむマックスウェルに、マードックがあかんべをしてみせる。
「くそっ、やっちまえ!」
 マックスウェルは悪役然として叫んだ。それが、乱闘の幕開けになった。
 2人の男が真ん中にいたコングに向かおうとしたが、相手の隆々とした筋肉に気づいて方向転換しかける。コングは左右の手でそいつらの襟首を掴んで、互いに頭を打ちつけてやった。
 フェイスマンは飛びかかってきた男の足を掬い、新しい靴の裏キックを見舞った。それでもくっきりと泥の足跡がついて、顔を顰める。
 マードックは“写るんです”を奪おうと突進してきた男と揉み合いになり、押さえ込まれたと見せかけて、相手の腹を思い切り蹴り上げた。
 そして、ハンニバルはデニムベストの男の強烈なパンチをかわし、背中に肘を入れて倒す。
 残ったマックスウェルは再び腰を抜かし、コングに胸倉を掴まれて慌てた。
「待ってくれ! 買収した土地はメイフィールドに売る! 買い値で売るから!」
「そこをもう一声、勉強してくれないかなあ。」
 電卓を片手に余裕の笑みを浮かべるフェイスマンに、マックスウェルは必死で頷く。
「あ、それから、今まで壊したギャラリーの修理代もそっちに回しとくから。」
 弾いた電卓を目の前に突きつけられて、マックスウェルは力なく肩を落とした。



「どうもありがとうございました。これで鹿たちも安心して暮らせます。」
 ギャラリーの前で見送るボブの肩を、コングが力強く叩いた。
「よかったな。」
 ハンニバルが葉巻を持ち替えながら、天下無敵の笑顔で言う。
「これからも頑張ってな。」
「また何かあったら呼んでくれよ。」
 バンに乗り込んだマードックが、窓から乗り出して手を振る。
「ああ、そうだ。君がもっと有名になる前に、サイン貰っとこうかな。」
 フェイスマンがごそごそとペンを取り出し、一同は笑いの渦に包まれた。



 帰り道。マードックのポケットから出てきた新しい“写るんです”を見て、フェイスマンが呆れたように言う。
「何だ、モンキー。まだ写真家になるつもりなのか。よせよせ、お前にゃ芸術は向いてないよ。」
「ああ、どうもそんな気がしてね。今度は違う道を目指すことにしたんだわ。」
「違う道?」
 フェイスマンの問いに、マードックは得意気に胸を張って言う。
「報道写真家。」
――バカが。」
 運転席のコングが、すかさず呟いた。
【おしまい】
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