牛驚くばかりなり
フル川 四万
 1人の青年が廃ビルの暗い階段を、靴音をコツコツ響かせながらやって来る。1970年代には既に廃屋であったろうそのビルは、住む人はおろか電気ガスの設備すらなく、さらに市街地から外れているのでヤクの売人すら訪れないという辺鄙な場所である。
「こんな所に、本当に店があるのかなあ……。」
 青年は呟きながらも額の汗を拭い、階段を登り続けた。
 遂に最上階に到達して辺りを見回すと、左右に伸びる細い廊下の右奥の部屋から明かりが漏れているのが見て取れた。
“きっと、あれがそうだ。”
 深呼吸を一つして、青年は光源の方向へと歩調を速めた。
 そこは、予想に反して牛乳屋だった(予想が何だったかというと定かでないのだが)。開け放たれたドアの中にはカウンターが1つと、紅白のチェックのテーブルクロスをかけた4人がけのテーブルが2つ。片方のテーブルでは、老婆が2人、シェイクを飲みながら談笑していた。カウンターの上には《B.A.'s FRESH MILK》の看板。
“こんな所に本当にミルクスタンドがあるなんて……。これが本当の‘隠れた名店’てやつ?”
 青年はとても素直な性格だった。
 カウンターの向こうには牛……じゃないや、牛驚くばかりの人間が1人、白いコックさんスタイルで仁王立ちしていた。
「らっしゃい!!」
 その男は吠え……訂正、言った。
「……あの、ハンニバル・スミスさんて人とここで待ち合わせているんですけど……。」
 青年はおずおずとカウンターの男に問うた。
「ハンニバル・スミスだあ? 知らねえな。」
 カウンターの男が答えた。やけに横柄な態度だ。きっと店長なのだろう、と青年は思った。
「でも、ここで9時に待ち合わせなんです。……ええと、待たせてもらっていいですか?」
「おう、注文さえしてくれりゃ、何日でも待ってて構わねえぜ。さあ、何にするんだ?!」
「えっと……。」
 青年は辺りを見回した。白と赤を基調にした店内は明るく、パリの街角といった風情である。カウンターの後ろの壁には、所狭しとメニューが貼られていた。
 生牛乳は牛の品種に応じて6種類。アトピーの方向けに、山羊の乳も置いてある。アイスクリームは15種類。シェイクは1杯6ドルと激高だが、7種類もある。しかも、各メニューにはそれぞれお洒落な名前がつけられていた。
 青年は、ふと思い出したようにポケットから手帳を取り出して読み上げた。
「“あなたとサンフランシスコ湾の夕陽を”を1つと“シベリアの朝日を1人で”をお願いします。」
「おう、バターミルクのシェイクにチェリーソースを加えたやつ1つ。フローズン・カマンベール・チーズケーキのトマトシャーベット添えを1つ、しかもビッグサイズでだな。ハンニバル! 確かなようだぜ。」
 カウンターの男が叫んだ。
「スティーヴ・マッケンナだね?」
 背後から声がした。青年が振り返ると、老婆が1人、カツラを外すところだった。


「困るんだよね、いくら精神病患者だからって、こんなになるまで放っとかれちゃあ。」
 鳶色の髪に同じ色のメタルフレームの眼鏡をかけた一見ハンサムな医師が、カルテ片手に若手医師に説教を垂れている。
「いくらコパトーンがないと患者が暴れ出すからって、こんなに大量のコパトーンの使用を放任しておいたらどうなるか位、君にも判りそうなもんだろ?」
「はあ……。でも、コパトーンさえ与えておけば静かになるもので……。」
「見てよ、もう人種すら判らないじゃないか。」
 医師は診療台の患者にかけられたシーツを少しめくって見せた。シーツの間から覗く腕は黒光りする程焼け、ミイラと見まごう程干からびており、これがH.M.マードックの腕かと思うと、まだ着任5日目であるその若い医師は、自分の失敗の大きさに目眩を禁じ得なかった。暴れる患者に10ダースのコパトーンを買い与えただけなのに、それがこんなことになるなんて……。
「じゃ、この患者は国立病院の皮膚科に移すから。……ああ、退院じゃないから書類は必要ないんだ。早く手当しないと大変なことになるからね。……彼の皮膚が元に戻らなかったら君の責任問題だよ、判ってるね?」
 そう言い捨てると、ハンサム風ニセ医師は有無を言わさず、移動ベッドを押して去っていった。
 若い医師が事の真相に気づくのは、約1時間後と推測される。



「ぷはー!」
 マードックがシーツから這い出したのは、ご存知Aチーム所有の紺のバンの後部座席であった。10秒後、褐色の鰹節が1本、窓から捨てられた。
「もー何だよ今度は!」
 助手席のフェイスマンが叫んだ。
「どーしてコパトーンなんかに凝るんだよ、モンキー。臭くって仕方ないじゃないか。」
「判ってないね、フェイス。褐色の肌は男の憧れよ。俺様もいつかコングちゃんに負けない位日焼けして、夏の終わりには兄弟を名乗るけんね。」
「ふざけるな、このコンコンチキ!」
 運転席から叱咤の声が飛んだ。
 バンの中にはAチームの4人+今回の依頼人であるスティーヴ・マッケンナの5人が詰め込まれている上、コパトーンの匂いが充満していて、大変息苦しい。
「おい、ハンニバル。どうでもいいが、この道まっすぐ行くとアジトとは反対方向だぜ。一体どこ行くつもりなんでい。」
 コングが叫んだ。
「あれ、ちょっと道間違えたみたいね。コング、停まってよ、地図で確認するから。」
 フェイスマンが楽しげにそう言うと、地図を拡げた。
「ええと……この道まっすぐ行くとね……あー、こりゃいいや、渡りに船ってやつ。」
「何言ってやがる、この道まっすぐ行くとどこに着くってんだ、ちょっと地図見せてみろ。」
 コングが急ブレーキを踏み、助手席に体を乗り出した。フェイスマンが地図を見せる。
「ほら、今ここ。それでね……。」
 ドサッ。
 いきなりコングが前のめりに倒れた。首筋には細い注射器が刺さっている。
「……まっすぐ行くとね、空港だったんだけど、聞いてないよね、もう。」



 ミシシッピ州の州都ジャクソンから車で14時間余りの所に、今回の依頼人、スティーヴ・マッケンナとその家族の牧場はあった。しかし、14時間というのは普通のセダンだのRVだのといった車で走ってのことで、マッケンナ家所有の15年物の牛運搬用トラックだと約18時間かかる。まさに牛の歩み。
 運転席にはもちろんスティーヴ、助手席ハンニバル。他の3人は荷台で藁まみれになっての旅であった。
「……それでスティーヴ、詳しい話を聞こうじゃないか。確か、ルビーが盗まれたとか言っていたね。」
「はい、家は牛の涎ながらも代々酪農を営んでいまして、特に肉牛についてはヘレフォードの原種を日本の但馬牛と交配して改良し、日本向けの輸出にも耐える上質な牛肉を生産していました。……ところがここ10年来の健康ブームとやらで、牛肉はコレステロールを上げる元凶のように言われ、めっきり需要が減ってきたんです。」
“それとルビーと何か関係あるのかしら。”
 ハンニバルはふと疑問に思ったが、黙って最後まで聞いてみることにした。
「……そこで我がマッケンナ牧場はいち早く方向転換し、今度は牛肉だけでなく牛乳の生産にも力を入れることにしました。ヘレフォードの飼育を断念し、肉牛でもあるが牛乳も取れるシンメンタール種に但馬牛をかけ合わせて、牛乳の取れる高級牛を開発しようとしたんですが、どうも牛乳の味が納得できず、今度はその交配種にホルスタインをかけ合わせて、牛乳も牛肉も美味しい品種を生産する実験を始めたんです。」
「それで、盗まれたルビーとその牛ちゃんと、どういう関係があるんだ?」
 我慢できずにハンニバルが問う。
「……盗まれたルビー号は、その新しい品種の実験成功第1号なんです。」
「ルビーって、牛の名前か!」
 ハンニバルは叫んだ。
「何だと思いました? え、本物のルビー? やだなあ、うち、宝石なんか買うお金ありませんよ。」
 ハンニバルは、やっぱりね……と思いつつ、シートに体を沈めた。



 スティーヴの話によると、彼の愛牛ルビー号を誘拐したのは、ミシシッピ川を挟んだ向こう岸にあるカンピーナ牧場の主人カンピーナとその部下達であると言う。
「カンピーナは国内向けの肉牛を生産する農家なんですが、アメリカ人の味覚音痴をいいことに、安くて大量に肉が取れるアメリカ・バイソンを食用として生産していたんです。もちろん牛乳なんか出ません。バイソンは牛とは言っても野牛属ですから、基本的には食用にすら向かないんです。だから、あまり業績は上がっていなかったと思います。元々私の所のことは気に入らなかったようで、再三嫌がらせを受けていたんですが……まさかルビーを誘拐するなんて……。」
 スティーヴは声を詰まらせた。
「お願いです、どうかルビーを助けて下さい。」



 結局、マッケンナ牧場に到着したのは翌日の午後だった。
 早速スティーヴの案内で牧場を見学する4人。まるで小学校の社会科見学のように、白の割烹着を着せられている。牛舎は日本式の清潔な鉄筋造りで、牛乳の生産もオートメーション化されている。牧場は果てしなく思える程広く、そこここに放牧中の牛が点在している。
「どうぞ、これが今うちで取れる最高の牛乳です。」
 スティーヴの差し出した牛乳を飲み干す4人。
「う、うめえぜ……。」
 コングが呟いた。
「うーん、これは……。濃厚なのに脂肪分が少なく、しかも甘味がある。牛乳が苦手な人でもこれなら飲めるよ。」
 フェイスマンが言った。
「さっぱりしているから、カクテルにもいいんじゃないか。」
 普段はそれ程牛乳を飲まないハンニバルも、この牛乳には感服したようだ。
「お代わり。」
 マードックがグラスを差し出した。
「そうでしょう、そうでしょう。私が5年かけて開発した新種ですから。……しかし、この品種ですらルビーには敵いません。」
 スティーヴが胸を張った。
「てことは、これよりうめえ牛乳があるってことかい!」
 コングちゃん、真剣。
「ええ、理論上では。」
「理論上?」
「ルビーは種牛なので、牛乳は出さないんですよ。けれど将来的にはルビーの娘達がより高度な牛乳を生産できるはずです。さ、こちらのステーキも召し上がれ。」
 差し出されたステーキも、想像以上の出来であった。薄い霜降りの肉質のくせに歯応えがあり、日本人にもアメリカ人にもOKといったところか。胃袋は正直なもので、すっかり懐柔されたAチームは、ルビー奪回を胸に誓って、その日は眠りに就いたのであった。



 翌朝2時……は酪農家にとっては朝でも、一般人にとっては朝じゃない。牛掴むばかりの暗がりの中、Aチームの4人はゆっくりとミシシッピ川に船を下ろした。目指すカンピーナ牧場は、川を15キロ程遡った対岸の岩場の上にあると言う。牧場の朝は早い。たとえ悪人とて牧場を経営している以上、4時には活動を開始してしまうであろうから、その前に奇襲をかけてルビー号を奪回する作戦だった。
 大きなカヌー型の船の舵を取るのはB.A.バラカス軍曹。船中央には腕組みをして葉巻をくわえた御大がどっしりと構えて……こっくりこっくりと船を漕いでいる。見れば、コング以外は皆同様の状態である。全く、都会人はなっちゃいないっす。
「……着いたようだぜ。」
 コングの声に3人は目を覚ました。
「ここどこ……?」
 眠い目をこすりながらマードックが問う。
「カンピーナ牧場の前だ。」
 そう言ってコングが指差す先にそびえ立つのは、50メートルはあろうかという一枚岩の断崖絶壁。とても人間が登れる代物ではない。辺りの森林とは明らかに違った空気が漂っている。
「何かここ臭くない? 牛の匂いがするような……。」
 マードックが鼻をひくつかせた。
「俺にはてめえのコパトーンの匂いしかしねえぜ。」
 コングはコパトーン臭が苦手である。
「……ここ本当に牧場なの? 何だか悪の組織の要塞みたいだよ。俺、まだ夢見てんのかな。」
 フェイスマンが不安げに言った。
「いんや、牧場だ。あれを見てみなさい。」
 ハンニバルに促されて、3人は崖の上を見た。暗闇の中に、無数の青白い光が浮いている。
「ホタル?」
 マードックが恐る恐る問いかける。
「ホタルって……2匹ずつ対になったっけ?」
「いや、ならない。もっとちゃんと見てみるんだ。」
 4人はじっと目を凝らした。
「バイソンだー……。」
「うわー、でけー。」
 崖の上から彼らを見下ろしていたのは、無数のアメリカ・バイソンの群れ。ホタルだと思われたものは、青く光る奴らの両目だった。
 ズギューンン!
 夜の静寂に、1発の銃声が響いた。
「伏せろ!」
 ハンニバルが叫んだ。船底に身を隠すAチーム。
 バキューン!
 そして、もう1発銃声が。
「どっちから撃ってやがる!」
「このシチュエーションなら、上か横に決まってるでしょ。」
「ひゃー、俺様こんな所でワニの餌になりたくなーい!」
 マードックが声を張り上げた。
「ワニ!?」
「何だって!?」
「んだとおっ!」
 3人は一瞬銃声を忘れて叫んだ。
「あれ、気がつかなかったの、みんな? さっきからこの辺、ワニだらけだよ。」
 マードックの言葉に辺りを見回せば、水面のシルエットが奇妙にボコボコしている。確かにワニだ。20頭はいるだろう。さらに言うと、船は完全に囲まれている。もしかして、ピンチ?
「コング、武器は?」
「持ってきてねえぜ。」
「なあんだって?! どーして持ってこないのよ!」
「ハンニバルが、牛飼いごときに火器はいらねえって言うからよ。」
「ハンニバルー(泣)!」
「ごめーん(涙)。」
 素直に謝るリーダーに冷やかな視線を投げかける3人。
「仕方ない。済んだことは忘れて、次の対策を考えましょ。」
 だが、すぐに復活するのが彼のいい所。リーダーらしく、発言だけはいつも強気。
「どこが済んだことなの。こういうの、真っ最中って言うんじゃない?」
 ズギューン!
 フェイスマンの真横の水面に銃弾が当たってピシャリと跳ねた。
「やっぱ、真っ最中だわ。」
「観念するんだな、お前達!」
 その時、崖の上からでかい声がした。
「どうせマッケンナの回し者だろうが!」
「カンピーナか?!」
 ハンニバルが応答する。
「おう、その通り、わしが世界一の畜産王(予定)のジャンニ・カンピーナだ。」
 声と共に崖の上の牛影がささっと左右に開き、1つの人影が進み出た。途端に、彼にスポットライトが照射される。真っ黒なダブルスーツに身を包み、シャツは黄色地に赤のダリア模様、白のエナメル靴にオールバックのその男は、アメリカ・バイソンに勝るとも劣らない体躯(ちょっと嘘)の40男、しかもイタリアン、カンピーナ牧場の経営者、ジャンニ・カンピーナその人であった。
「カンピーナ、俺達は別にお前さんと一戦交えようっていうつもりじゃないんだ。ただ、マッケンナの所から不当な手段で持っていった牛を返して……。」
 ズギューン!
 ハンニバルの語尾は、銃声に掻き消された。
「無駄だね。お前達はもう牛の子袋だ……もとい、袋の子牛だ。野郎共、こいつらを取っ捕まえろ!」
 カンピーナの号令と同時に、強力なサーチライトがAチームの船を照らした。両岸には、屈強なイタリア男が数十名、手に手にライフルを持って、Aチームに狙いを定めている。もちろん、シャツの襟は開襟である。
「あらら、ホントにドジったみたいね。」
 フェイスマンの言葉に頷かざるを得ない、悲しい定めのAチーム。そして彼らは簡単に拉致されてしまったのだった。
 危うし、Aチーム!



 2日後。マッケンナ牧場。
「遅いなあ、ハンニバルさん達……。」
 妻サラの作った絶品の朝食をつつきながら、スティーヴが呟いた。彼らがミシシッピ川に船を出してから、50時間余りが経過している。当初のブリーフィングでは、往復に2時間、作戦に速ければ10分、長くとも2時間でケリをつけて帰ってくる予定だったのに、46時間オーバーとはAチームらしくないではないか。
「何か手違いがあったんじゃないの?」
 サラが牛乳に蜂蜜を垂らし入れながら言った。
「僕も今それを考えていたところだ。」
「捜しに行ってあげなくていいの? カンピーナ達のことだから、きっとひどい仕打ちをしてるわよ。」
「行きたいのは山々だが、船は一隻しかないし、助けを呼ぶにも彼らお尋ね者だって言ってたから無闇にシェリフを呼ぶのもどうかと思う。……ヘリコプターでもあれば、上空から助けに行けるんだけど……。」
「ヘリねえ……。」
 溜息をつくスティーヴ、考え込むサラ。しばしの沈黙。
「あ!」
 いきなりサラが叫んだ。
「何?」
「あるじゃない、ほら、いつも使ってるのが!」
「あれ? あれは駄目だよ。人間が乗るもんじゃない。」
「何言ってるのよ。あれだって、20キロ位までなら積めるでしょう。ほら、馬に乗るまでは牛に乗れって言うじゃないの。」
「僕は牛に乗れれば馬はいらないよ。」
「何もあなたに乗れなんて言ってないわよ。とにかく! 何もしないでいるよりはましでしょ!!」



 その頃、Aチームの4人はカンピーナの屋敷の特別室に監禁されていた。監禁とは言っても、別に縛られているとか猿轡を噛まされているわけではなく、ただ単に部屋から一歩も出られないだけである。ベッドも誂えたようにダブルが2つ、食事すら供されて、決して待遇は悪くない。給仕の態度も丁寧だ。しかし、出してくれないし帰してくれない。部屋には窓があるが、真下は断崖絶壁、落ちたら終わりなシチュエーションである。
「ふあー、俺様お腹一杯。ちょっと昼寝していい?」
 マードックが窓際のベッドに飛び込んで、既に寝る態勢に入っている。
「てめえ、あんな不味い飯、よく3度も食いやがったな。」
 コングが苛立たしげに言い捨てた。
「確かに不味い食事だよね。いつも出る肉って、マトン?」
「バイソンだろ。」
「そっか。あれじゃスティーヴのとこの肉には負けるよね。」
「それに牛乳だって、濃厚なだけで飲めたもんじゃねえぞ。」
「……ねえハンニバル、何とかならないの?」
「何とかしたいが、ここから出られないことには話にならない。だが……しっ、誰か来るぞ。」
 4人は息を潜めた。高らかな靴音が近づいてきて、彼らの部屋の前で止まった。
「お待たせしたね、皆さん。」
「カンピーナか!」
「長らく足止めして悪かったが、明日か明後日には、マッケンナの牛と一緒に解放しようと思っている。」
「ほう、いきなりどうしたんだ。心を入れ替えたわけでもあるまい。」
「大体のメドはついたのでね。後はあの牛が……。」
「ルビーがどうした? 奴は無事なのか?!」
「はっはっはっ、無事も無事、とても元気だよ。実にあの牛は飼い主に似て……おっと、喋りすぎたようだね。それでは失礼するよ、諸君。」
 カンピーナはそこまで言うとくるりと踵を返し、また靴音高く遠ざかっていった。
「何を考えてるんだか、さっぱり判らん。」
「でもハンニバル、明後日にはルビーも返してくれるって言うし、このまま待ってれば作戦成功ってことじゃない? 一旦ルビーをスティーヴに送り届けてから、改めてカンピーナにお礼してあげれば?」
 さすがフェイスマン、消極的な発案をさせたら右に出る者はいない。
「でもオイラ、なーんか引っかかるんだよね。奴、見るからに悪党なのに、あっさり戦利品を返してくれると思う?」
「罠かもしれねえぜ。」
(このコングの発言は間抜けすぎたと、作者反省。既に捕らえた相手を罠にかける奴はいないなあ。)
「俺も何か裏があるような気がするが、今は打つ手もなし、取りあえず、ここから出られるまで待ってみましょう。」



 カンピーナ牧場は、ミシシッピ岸の崖っ縁に位置する中規模の牧場である。崖っ縁には住居である洋館(ここにAチームが監禁されている)、その周りにはバイソンの放牧場と牛舎、そして牛舎の真横には《実験牧場》の看板を掲げたカンピーナの研究所があった。ああ見えてもカンピーナは、アテナイ農芸大学の畜産科を卒業した修士様であった。その実験牧場は、常時白衣姿の研究員達が研究に勤しんでいる結構本格的な研究施設である。放牧場には常時500頭のアメリカ・バイソンが放牧され、最低限の農薬量で育てられた牧草を食みながら健やかに育っている。
「諸君、実験は順調かね。」
 例の派手なシャツの上に白衣を羽織ったカンピーナが実験室に入ってきた。2、3人の研究員は実験の手を止めて彼に向き直った。
「はい、順調です。」
 金髪をコンパクトなシニヨンにまとめた小麦色の肌の女性研究員が言った。
「ドナテッラの卵子が今朝無事受精しましたので、後は安定を待って再度彼女の体内に注入すればOKです。」
「そうか、ふふふ……。」
 カンピーナは嬉しくてたまらない、といった様子で笑った。
「これで後は子牛の誕生を待つだけだ。」



「今、何か聞こえなかった?」
 退屈で仕様がないので床クロールで部屋をグルグル泳ぎ回っていたマードックが、突然バタ足をやめて、そう言い出す。
「え、何も聞こえないけどなあ?」
 ソファに寝転がってイタリアン・ヴォーグを眺めていたフェイスマンがだるそうに答える。
「聞こえるよ、ほら、あれヘリの音だよ!」
「ヘリだと?」
「だって?」
 残りの3人は、マードックに促されて窓の外を見た。外は相変わらずの断崖絶壁、そして荒波である。ヘリコプターの姿など、どこにも見えない。
「……何も聞こえんな。」
「気のせいじゃない?」
「あんまり退屈だから、幻聴でも聞いたんじゃねえか?」
 口々に反論する3人。
「そんなことないぜ、絶対あれヘリの音だよ。ちょっと非力ではあるけど、プロペラが1個回ってる音をオイラが聞き間違えるはずないって! ……ほら、まだ聞こえてるじゃん。」
 なおも力説するマードック。3人は窓から身を乗り出した。
 パラパラパラパラ……。
 微かにそれらしい音はする。
「あ、ホントだ。何か聞こえるね。」
「だけど、ヘリにしちゃ妙に頼りねえ音だな。姿は見えねえし。」
「見えない位ずっと上空にいるんだろ。」
「軍のヘリかな。俺達を捜しに来たとか。」
「それはないだろう。スティーヴが俺達のことを喋るとも思えないし、何せここはミシシッピくんだりだしな……。」
 ハンニバルが空を見上げながら言った。
 と、その時である。それは、崖の下から突然出現した。
「こんにちはー。おじさん達、Aチームの人達だよね。」
「うわっ、何だ君!」
 驚いて窓際から飛び退くAチーム。見れば、模型かと思われるような小型のヘリコプターが宙に浮いている。乗っているのは、6、7歳の少年だ。
 パラパラパラ……。
 消えそうなプロペラ音に相応しく、貧弱な機体にはドアすらなく、辛うじてプロペラの下にエンジンと簡単な荷台がついているだけである。
「僕、お父さんの言いつけ(遠隔操作つき)で、おじさん達に道具を届けに来たんだ。」
 不安定な機体は、今にも墜落しそうにグラグラ揺れている。
「君は……スティーヴの息子か。いやあ、お父さんにそっくりだな。」
 ハンニバルが言った。
「うん、僕、四男のマイケル。」
「四男!? スティーヴってそんなに子沢山だったんだ。」
 フェイスマンが信じられない、といった口調で言った。
「うん、これ、農薬散布用のジャイロだから、お兄ちゃん達は重くて乗れないし、妹達は小さすぎて危ないからって僕が乗ってきたの。」
「妹達?」
「うん、双子のミンディとサンディ。今年1つになる。」
 スティーヴは本当に子沢山だった。
「君がこれ操縦してんの? いいな、俺にもやらしてよ。」
「ううん、操縦はお父さんがしてる。ほら。」
 マイケルが川の向こうを指差した。
「スティーヴ!」
 向こう岸で操縦機を握ったスティーヴが手を振っている。思わず手を振り返す4人。
「はい、これ。お父さんから。」
 マイケルが小さな袋をハンニバルに手渡した。
「それじゃあね。おじさん達、うまくやってね。」
 そう言い残すと、小さなマイケルを乗せたジャイロは向こう岸へと去っていくのだった。そして託された袋の中には、大工道具が一式とカウベルが1個入っていた。
「よし、これで脱出できるぞ。さっさとルビーを取り戻して、ついでにカンピーナにも不味いものを食わせてくれたお礼と行きましょうか。」
 ハンニバルの言葉に、3人が力強く頷いた。



(Aチームの音楽かかる。何やら働いている4人。ドア開けるだけだから別にやることもないんだが、一応CM前の決まり事ということで……CMへ。)



 その日の深夜、ドアがオープン可能な状態になって1時間後、深夜の見回りに来た見張りを失神させてから縛り上げ、いかにもハンニバル・スミスお休みです、といった状態でベッドに押し込み、Aチームの4人は滑るように廊下に出た。
「二手に分かれよう。マードックとコングは牛舎に行ってルビーを救出してくれ。俺とフェイスはカンピーナを捜す。」
「OK。」
「任せとけ!」
 マードックとコングが走り去り、ハンニバルとフェイスマンもそれとは反対方向に歩き出した。



「あれが牛舎だな。」
 見張りの目をかいくぐって母屋を抜け出し、コングが言う。
「大きいな、ルビー見つかるかな。俺、牛の個性まで見分けられないよ。」
「ああ、夜だしな。」
 2人は干し草の山の陰に隠れて牛舎に近づき、そっと扉を開け、懐中電灯で中を照らした。
「うわ、すげー……。」
「ああ、すげえ数だ。」
 2人は言葉を失い、しばらく牛舎の中を見つめていた。真っ黒なバイソンが500頭余り、黒光りする波のようにぎっしりとそこにいる。
「ルビーだ……。」
 マードックは呟いた。見つけるも何も、黒の中の薄茶色、目立って仕様がないルビーであった。
 そして彼はまた、牛舎のアイドルと化していた。バイソンの中でたった1頭だけきらめく茶髪をなびかせた美男子である彼は、バイソンの若いメス及びホモっ気のあるオス達に異様にもててしまったのだ。そんな環境で約1カ月余り。マードックとコングがバイソンをかき分けて、やっとの思いで彼の許に辿り着いた時、熱い視線の中、困ったように立ち尽くす彼は、心なしかげっそりやつれて見えた。



 その頃、ハンニバルとフェイスマンは実験牧場に潜入していた。実験器具が所狭しと並べられている。
「……ここ、何だろう? たかだか牧場にこんな大がかりな施設が必要なのかな。……遺伝子操作とか、すごいバイオなことでもやってんのかな。」
 フェイスマンの問いに、ハンニバルが辺りを懐中電灯で照らしながら答えた。
「……ここでやってるのは人工受精による品種改良の実験だ。奴ら、スティーヴが開発した新種のホルスタインであるルビーとアメリカ・バイソンをかけ合わせて、新しい品種を作ろうとしていたんだ。」
「……すごいじゃん、ハンニバル。どうしてそんなこと判るのさ。」
「これを見てみろ。奴の脳味噌、単純すぎて涙が出る。」
 そう言ってハンニバルが指差して見せた試験管には、ルビーとドナテッラという2つの名前で相合い傘が書いてあった。
「危ないところだったが、この試験管がまだここにあるってことは、この人工受精はまだ完了していないということだ。よかったなスティーヴ、すんでのところだったが、ルビーの童貞(?)は守れたようだぞ。」
「ねえ、これって、そういう依頼じゃなかったんじゃ……。」
 フェイスマンの呟きは、ご満悦な様子の御大には聞こえませんでした。
「よしフェイス、カンピーナには悪いが、俺達を監禁し、飛び切り不味いものを食わせてくれたお礼だ。この研究室、燃やしてしまいましょう。」
「ほいきた。」
 そして研究室は炎上した。



 船は河口へと流れている。子牛を乗〜せ〜て〜。向こう岸ではスティーヴとその一家(スティーヴ、妻のサラ、長男ジョン、次男ヴァル、三男クリート、四男マイケル、長女マルシア、次女三女ミンディ&サンディ)が、ルビーの帰りを目に涙を溜めて待っている。
「いいことしたな、ハンニバル。最初は下らねえ仕事だと思ったけどよ、あの子供達の顔見たら、やってよかったって気になってきたぜ。」
 コングが言った。
「ああ、何とかルビーの遺伝子がカンピーナの手に渡るのも阻止できたしね……。」
 フェイスマンが川岸に手を振りながら言った。
「それに、あの調子だったらルビー二世の誕生も近いかもしれないね。」
 マードックがルビーの首にカウベルをつけながら言った。
「ほう、そりゃよかった……って、何!?」
「何だってえ!?」
 ハンニバルとフェイスマンが、ほぼ同時に叫んだ。開いた口が塞がらない、っていうのはこういう顔を言うんだな。
「何って……ルビーとアメリカ・バイソンの子供が生まれそうだ、って言ってるんだけど? ほら、こいつハンサムじゃん? モテモテだったんだぜ、牛舎の中で。」
「ああ、子牛ができるどころか、尻処女まで危ういところだったけどよ。ま、いいじゃねえか、無事にスティーヴの所に帰れたんだし。一生に一遍くらい、メチャメチャもてる時期があってもな。ほら、よく言うだろ、鶏口となるも牛後となるなかれ、ってな。」
「おっ、コングちゃん、冴えてるねー。」
 それは違う。違いすぎるぞ、コング。
 すっかり表情の消えたハンニバルとフェイスマン。それに引き換え、楽しそうなコングとマードック。
 船は川岸に近づいていく。子牛を乗〜せ〜て〜。
【おしまい】
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