真夏の決戦
鈴樹 瑞穂
 アトランタ郊外、とあるマンションの角部屋。広いバルコニーにテーブルとディレクターチェアを持ち出して、バーベキューを楽しむ一団がいた。
 オリンピック見物にやって来たAチーム一行である。そして、フェイスマンにビールを注がせるエンジェルの姿もある。今回、飛行機のチケットから滞在先のマンション、もちろん一番肝心なオリンピックスタジアムのチケットまで、新聞記者という地位をフル活用して手配したのは彼女なので、フェイスマンはちょっと腰が低くなっている。
「いやー、眺めはいいし、明後日からオリンピックが生で見れるし、生きててよかったなあ。な、サンドラ。」
 マードックが隣の椅子に立てかけた箒に向かって言った。何のおまじないだか、逆さに立てられた箒には手拭いが被されている。ある時は掃き掃除に、またある時はダンスの相手に、背中が痒い時には柄の先で掻くとなかなか都合がいい。まだ試したことはないが、悪党の後頭部を叩いたり、顔面を掃いたりするにも、きっと効果があるだろう。現在のマードックのお気に入りだ。彼はどこに行くにもサンドラを連れていったが、周囲の反応は冷たかった。
「けっ。」
 B.A.バラカスが言い捨て、肉にかぶりついた。
「雨露しのげて食べ物が出るだけでも有難いねえ。フェイスが依頼人から礼金を受け取り忘れた時はどうしようかと思ったがね。」
 リーダーはやんわりと厭味を言うことも忘れない。
「それはその、はは、あはは……。」
 慌ててハンニバルの皿に肉の串を取るフェイスマン。彼らはその礼金でハワイにバカンスに行くことになっていたのだった。依頼人が“そっち”の気のあるオヤジで、迫られて逃げたとはとても言えない。しかし、すぐにエンジェルに泣きついて、代わりのバカンスを用意した機転だけは褒めてほしいものだ。
「たまにはこういうのもなくちゃね。」
 胸を張るエンジェルの皿には、野菜の串を置く。ダイエット中の女性に肉を勧めてはいけない。
 その時、軽やかな電子音が響いた。携帯電話の呼び出し音である。フェイスマンが慌ててポケットから取り出した電話は鳴っていない。
「あ、私だわ。」
 エンジェルが椅子の下に置いたハンドバッグの中から、メタリックピンクの携帯電話を取り出した。
「はい……ええ、そうですけど……そう。」
 彼女は話しながら、意味ありげに一同の顔を見る。マードックはサンドラにオリンピックの何たるかを説明するのに忙しく、コングは一際大きな肉の塊を噛み切ろうと奮戦中、ハンニバルはくーっとビールをあおっていたが、フェイスマンは何だか嫌な予感がした。タダ働きの予感、とでも言うのだろうか。
「判りました。すぐにこちらから連絡します。それじゃ。」
 通話を終えたエンジェルが一同に向き直って言う。
「投書が来たそうよ。どうやらAチームに応援を求めているみたい。」
「えー、もうオリンピックが始まっちゃうよ?」
 フェイスマンは一応言ってみたが、エンジェルはにっこりと笑って脚を組んだ。
「大丈夫よ、ちょうどこのすぐ近くだから。明後日までに片づければ、オリンピックは見られるわ。」
 マードックが手を挙げて質問する。
「明後日までに片づかなかったら?」
「片づけるのよ!」
 腕まで組んで、きっぱりと言い切るエンジェル。断れるわけなどなかった。今回、彼女の立場は非常に強い。
 フェイスマンは恐る恐る仲間達の顔色を窺った。
「それじゃ、取りあえず様子を見に行きましょうかね。」
 ハンニバルが鷹揚に言う。
 マードックはサンドラを椅子から取り上げ、コングはビデオをセットした後、ハンニバルとバンを準備しに行った。その間、フェイスマンはエンジェルの指示の下、バーベキューの後始末に追われたのであった。



「そこを左に曲がって。」
 ハンドルを握るコングに助手席のエンジェルが指示を出す。新聞社から投書の内容をFAXで送ってもらった彼女は早速、カーナビシステムで道を割り出したのである。因みに、このカーナビは某メーカーの新製品だが、エンジェルがモニターの名目で借り受け、コングがバンに取りつけた代物であった。
 後部座席ではハンニバルが悠々と葉巻をふかしている。その前ではマードックがサンドラを愛しげに膝に乗せていた。
「窮屈だけど、ちっと我慢してくれよ、サンドラ。降りたらちゃんと縦にしてやるからな。」
 マードックは膝の上で真横になっている箒に向かってそう言った。というのも、サンドラはバンの中で立ったり、斜めになって入れる程コンパクトなサイズではなかったのである。当然、隣に座るフェイスマンも膝にサンドラ(しかも頭部)を乗せる羽目になり、はなはだ面白くない体勢だった。
 車はオリンピック公園の方に向かっている。
「えーと、この辺だと思うんだけど……。」
「誰か立ってるけど、あれじゃないのかい?」
 エンジェルの言葉に身を乗り出したフェイスマンが指差す。確かにそこにはくたびれた感じの中年がぽつんと立っていた。そして、その足元に何やら小さい影。
「よし、行ってみよう。」
 ハンニバルの言葉に、バンを停めて一行が降りていくと、その貧相な中年がおずおずと近寄ってきた。
「マスターソンさん? 新聞社に投書をした。」
「あの、アレンさんっちゅうのは……?」
「私よ。そして彼らが――。」
 Aチーム、と言おうとしてエンジェルが振り向いた時、シュッと黒い影が横切り、彼女の首に張りついた。
「ひゃっ!?」
 思わず奇声を上げて飛び上がるエンジェル。その首にしがみついているものは、リスザルであった。
「これ、サントラ!」
「サントラ?」
 一同は顔を見合わせる。どこかで聞いたような名前である。
 マスターソン氏が慌てて引き剥がそうとしたが、サルはエンジェルの首の周りを身軽にくるくると回って見せた。終いに、マードックが差し出した箒の柄に、身軽に飛び移る。
「済んません、こいつは若い別嬪さんが好きで……。」
 ぺこぺこと頭を下げるマスターソン。
「別嬪ですって!?」
 エンジェルの機嫌が目に見えて上昇する。彼女は、ほほ、と笑いながら、箒の柄にしがみついているサルの頭を撫でた。
「可愛いおサルさんだわ。えーと、サントラちゃん?」
 サルのサントラは箒のサンドラからエンジェルに飛び移り、肩の上を駆け抜けた挙げ句、再びサンドラに飛びついた。どうやらエンジェルとサンドラを同レベルで気に入った様子。
 フェイスマンが咳払いをして、口を開いた。
「で、マスターソンさん、我々に頼みたい件とはどういったことでしょう?」
「あんたさんは?」
「Aチームだ。困っていることがあれば、相談に乗ろう。」
 横から進み出たハンニバルがマスターソン氏に手を差し出した。フェイスマンとコングも頷いて見せる。しかし、マードックだけはサントラを脅かすのに必死だった。サルのサントラは、箒のサンドラの頭髪をむしろうとしていたのである。



 マスターソン氏は、アトランタ郊外に小さな畑を持っている農夫である。家族はなく、リスザルのサントラと暮らしている。普段は畑に出ているが、夏には公園で焼きトウモロコシを売るのが貴重な収入源なのであった。マスターソン氏はこの通りの朴訥な人柄であるが、サントラは客引きが上手く、サルのトウモロコシ屋さんとして、地元の人々からは親しまれているらしい。
 今年はアトランタでオリンピックが開催されるとあって、観光客が大勢来る。この夏は稼ぎ時だと、マスターソン氏はオリンピック公園に店を出すことにした。オリンピックはまだ始まっていないが、実際、これまでの売れ行きは上々で、既にいつもの年を上回る売り上げが出ている。
 しかし、そこで問題が起こった。オリンピック公園で焼きトウモロコシ屋を出しているもう1軒の店が、マスターソン氏に立ち退きを迫ってきたのである。その店は地元の有力者ベイカーが若い者を使って出しているのだが、マスターソン氏の店に比べると、評判は今一つだった。というのも、焼きトウモロコシが儲かるという噂を聞いて、牛の飼料用に作っていたトウモロコシを横流しして経営しているらしいのだ。
 ベイカーの雇っている若い者達がマスターソン氏の店にやって来て、さんざん脅した挙げ句、屋台を壊していったのは2日前のことである。
「この界隈じゃ、表立ってベイカーに逆らえるもんはおらんです。」
 マスターソン氏は力なく項垂れて呟いた。
「けんど、折角サントラの顔を見に来てくれるお馴染みさんもおるで、できれば立ち退きたくないです。」
 貧相なオヤジが肩に乗せたサルを撫でながらぽそぽそ話す様子は哀れを誘った。
「ひどい話だわ!」
 エンジェルが拳を握ってAチームの面々を振り返った。
「それじゃあオリンピックが始まるまでに何とかしなけりゃなあ。」
 マードックが手を伸ばすサントラから箒をかばいながら言う。
「何とかしてやりてえな。」
 コングがリーダーの顔を見る。
「で、謝礼の話なんですけど。」
 言いかけたフェイスマンの口をむぎゅっと塞いで、ハンニバルがマスターソン氏に手を差し出した。
「やりましょう。安心して店の準備をしてくれ、マスターソンさん。」
「有難うございますっ。」
 しかし、感涙にむせぶマスターソン氏より一瞬早くハンニバルの手を握ったのは、肩に乗っていたサントラであった。



 サマータイムのアトランタは、遅くまで明るい。オリンピックの開幕を2日後に控えた今、人々がぞろぞろと公園にやって来るのは、午後の暑さが一段落した夕刻からである。
 オリンピック公園の広場には、焼きトウモロコシの香ばしい匂いが漂っていた。
 一際目立っているのは、いやに大きくてネオンがピカピカ輝くベイカーの店である。とことんオリンピック人気にあやかるつもりらしく、看板にはオリンピックマスコット、スピーカーから大音量で流れているのもオリンピックをテーマにした曲である。各種スポーツ選手の格好をした呼び込みの声も賑やかだ。
 一方、マスターソン氏の小さな屋台はつぎはぎだらけだった。コングを先頭にAチーム総出で修理を手伝ったのだが、相当ボコボコに壊されていたので、一応使用できるようにするのがやっとだったのである。しかし、その惨状が一同の新たな怒りを誘ったことは言うまでもない。
「ねえ、何かいい匂いしない?」
「焼きトウモロコシだ。」
「美味しそう。」
 そんな会話を交わすカップルの周りに、わさわさとユニフォーム軍団が現れた。
「うちのトウモロコシは美味しいですよ!」
「こっちこっち。」
「今ならサービスしときますぜ。」
「え? えっ!?」
 半強制的にカップルが引っ張っていかれそうになった時。
 シュッ。
 小さな影が飛び出した。言わずと知れたサントラである。商売というものをよく心得たサルは、首を傾げてカップルを見上げ、女性のスカートを引っ張って見せた。
「まあ、可愛い!」
「トウモロコシなら、ちょうどよく焼けてますよ!」
「今が食べ頃! 味は請け合い!」
 ミニスカート姿のエンジェルと、ストライプシャツのフェイスマンがすかさず進み出て声をかける。
「どうする?」
「こっちにしましょうよ。おサルさんの客引きも可愛いし。」
 カップルは顔を見合わせて、決めたようだ。
「そう来なくちゃ。さあ、こっちです。」
「コーング、トウモロコシ2本! おっきいのサービスしてあげて。」
「おう!」
 カップルを屋台に案内したフェイスマンがそう言い、トウモロコシを回していたコングが返事をする。
 こうなると収まらないのは、ベイカー側の客引き連中である。
「おい、商売の邪魔をするんじゃねえ!」
 彼らはフェイスマンの前に立ちはだかって凄んだ。スポーツ選手のユニフォームなど着ているだけあって、一様に体格は立派、おまけに少々人相がよろしくない。
「何だ、てめえらは。マスターソンの野郎に手を貸そうってのか?」
 サッカーのユニフォームを着たスキンヘッドの大男が、フェイスマンの襟首を掴み上げる。
「あは、は、やだな、そんな恐い顔しちゃって。穏便に話し合おうよ。」
 フェイスマンが手を振って見せるが、彼らは一向に請け合わなかった。
「マスターソンにゃ、ここで商売するならベイカーさんに挨拶しなって、よーく説明しといたはずだぜ。痛い目見なきゃ判んねえのか?」
 スキンヘッドが拳を振り回したのを、フェイスマンはのけ反るようにして避ける。ついでに相手の腹を蹴り上げ、逆上がりの要領でくるんと回って着地した。
 予想外の衝撃に思わずうずくまったスキンヘッドの男に、周囲の仲間達が色めき立つ。
「どうしやす、ベイカーさん。」
 彼らは一斉に、一番後ろにいた小男を振り返った。犬の耳のように、頭の両側に長めの髪を垂らした男で、真ん中はハゲている。どうやら彼がベイカー本人らしい。ベイカーはビール腹を撫でながら口を開いた。
「殺さん程度に痛めつけてやれ。」
「判りやした。」
 男達は一斉にフェイスマンに掴みかかろうとするが、その時にはもう彼は安全圏に退却済みであった。代わりに進み出てきたのはコングである。黒人レスラー張りのコングに、一瞬ユニフォーム軍団がたじろぐ。
「その辺にしてもらおうか。」
 屋台の後ろから葉巻片手にハンニバル登場。
「我々はマスターソンさんに頼まれた用心棒だ。これ以上こっちの邪魔をしないのなら見逃してやるがね。」
「何だと!?」
 復活したスキンヘッドのサッカーマンが凄味を利かせて怒鳴る。どうやら彼が、ベイカー配下ユニフォーム軍団のリーダーらしい。
「どうやら話して判る脳味噌の持ち主じゃなさそうだな。」
 ハンニバルは、やれやれという風に肩をすくめ、葉巻の火を消した。
「やっちまえ!」
 サッカーマンの号令に、わらわらとユニフォーム集団が突っ込んでくる。
「ひゃっほーい!」
 マードックが箒のサンドラで陸上マンを叩きのめす。コングはサッカーマンと殴り合いになり、何度か殴られた末に相手に強烈なアッパーカットをお見舞いする。ハンニバルは、水泳、レスリング、バレーボールマンをまとめて殴り倒し、フェイスマンはバスケットマンと追いかけっこをした挙げ句、足を引っかけて転ばすことに成功した。顔面を強打したバスケットマンの背中の上では、飛び乗ったサントラが手を叩いている。
 最後にこそこそと逃げようとしていたベイカーをエンジェルが脱いだサンダルのヒールで殴りつけ、コングがマスターソンの前まで引きずっていった。
「さあ、もうマスターソンさんの商売の邪魔はしないと約束してもらおうか。」
 腕組みしたハンニバルの言葉に、ベイカーは震えながら頷く。
「あ、壊した屋台の修理代と、営業できなかった2日分の補償もしてもらうよ。」
 電卓片手にフェイスマンがにんまりと笑う。突きつけたその額の中には、実はAチームの報酬分まで入っていたりした。



 スタジアムでは華やかな入場行進が行われている。Aチームの一同はのんびりとそれを見ていた。エンジェルの用意してくれた席は申し分のない、よいポジションだ。彼女自身はプレス席に行ってしまって、ここにはいない。
「オリンピックまでに片づいてよかったよ。」
 しみじみとフェイスマンが呟く。
「フェイス、お前タダ働きは嫌だっていつも大騒ぎする割に、今回はいやに機嫌がいいな。」
 疑うようなハンニバルの視線に、フェイスマンは慌てて両手を振って見せる。
「だって、ほら、何だかんだ言っても、人助けした後って気分いいだろ?」
「焼きトウモロコシも食い放題だしな。」
 と、トウモロコシを片手にコングがにやりと笑う。
「んー、このトウモロコシ、まったりとしていて、それでいて少しもしつこくない。な、サンドラ。」
 マードックが焼きトウモロコシにかぶりついてから、隣の席を振り返る。そこには手拭いを被せた箒が、ひっそりと立っていた。
【おしまい】
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