特攻野郎Aチーム 行方不明! 消えた花嫁 の巻
伊達 梶乃
 とある日の夕方、場所はロサンゼルス市内の高級マンション。今回はフェイスマンが騙くらかして借りているのではない。さる裕福なご夫人に気に入られ、正々堂々と貸してもらっているのだ。
 そのフェイスマンはと言うと、マンションの持ち主とは別のご夫人とのデート(費用全額向こう持ち)を目前に、夕食の支度も放っぽって――と思いきや、ダイニングテーブルの上には“チンして食べてね。サラダは冷蔵庫に入ってる。ビールは2缶まで。牛乳は1リットルまで”のメモと、一昼夜コトコトと煮込まれた具沢山のビーフシチュー(もちろん市販のルーなんか使わない。ドミグラス・ソース缶詰とトマト・ピューレは使ったけど)とコンソメで炊いたバターライス(パセリ振りかけ済み)が乗っている――まあともかく、念入りなおめかしの最中だった。
 部屋の中に赤ワインとシェリー酒の匂いが漂っているのだが(昨日からずっと)、彼には一向に気にならない様子。きっと、もう匂いが染みついている。ビーフシチューの香る優男、テンプルトン・ペック……何か嫌だな。
「髪形OK、お肌のツヤOK、歯磨きOK、下着はおニュー、靴はピカピカ、爪もカンペキ、スーツは埃1つシワ1つなし、ネクタイは……ちょっと曲がってるかな?」
 寝室に置かれた豪華な特大姿見の前で外出前の入念なチェックを入れていた彼の視野に、蒼い顔をしたハンニバルが入ってきた。
「あ、おかえり、ハンニバル。」
「ただいま……。」
 薄手のジャケットをベッドの上に放り投げ、ハンニバルは溜息1つつくと、ベッドサイドに腰を下ろし、額に手をやった。
「どうしたの、具合でも悪い?」
 鏡の中に向かって、フェイスマンが問いかける。
――どうやら、結婚せにゃならんようだ……。」
「ええっ!?」
 ハンニバルの重大発言に、フェイスマンは振り向きざま固まってしまった(故にデートはお流れ。みんなでシチューを食べたのであった。必ず余るメニューでよかったね)。



 翌日、Aチーム一同は撮影所にいた。
 屋内スタジオという名の掘っ建て小屋。その片隅に立てかけられた深緑色の着ぐるみ(ウレタン製)は、お馴染みアクアドラゴン。そしてその横には、一回り小さなアクアドラゴン――ただし色は純白(腹部はベビーピンクで瞳はアクアマリン)。正式名称、ミス・アクアドラゴン。
 その2頭のドラゴンに相対する4名の出で立ちは――新作D級映画の主役、深海発泡怪獣ソミニカ=ハンニバル(でも見た目は単なるザリガニ)、ソミニカの第一犠牲者となる神父=フェイスマン(眼鏡をかけたお馴染みの格好)、ソミニカの出現で逃げ惑う人々によって脚立を倒され頭からペンキをかぶる予定のペインター=精神病院を脱走中のマードック(いつものコットンパンツをオーバーオールにはき替えただけ)、ソミニカに銃を向けて立ち向かうが一撃で倒される警官=コング(ロサンゼルス市警の制服、帽子つき、おまけにナス型サングラスをかけているがレイバンではない)と、小遣い稼ぎに余念がない。
「……結婚って……これ、と、これ、の話?」
 神父が厳かな面持ちで新郎と新婦を指差した。本物の神父なら“汝と汝”と言いそうなところだが。
 重々しく頷くソミニカに、神父は“これだからもう、イヤんなっちゃうよ、ハンニバルったら。昨日のデート、どうしてくれるってわけ? 結構俺、真剣だったんだからね。最近財布も寒いし、金ヅルは何ぴとたりとも逃しちゃいけない状況、判ってんの?”という表情を向ける。
「で、俺たち集まって何するってんだ?」
 警官がむっとしながら聞く。なぜならば、衣装がきついから。グラサンのツルが顔の側面に食い込んでいるし。自慢の髪は隠されているし。
「やっぱ、みんな集まったからにはあれっきゃないでしょ。お・披・露・目。」
 お茶目な感じで刷毛を振ってペインター(左手にはペンキの缶)が言うが、ソミニカは頭部を激しく横に振った。その振動で、着ぐるみの各所から猛毒(という設定)の泡が発生する。一体どんな仕組みだ?
「こんな結婚は許さん。」
 あたかもお父さんな台詞を吐くソミニカ・ハンニバル。
「許さん……って、どういうこと?」
「アクアドラゴンは孤高の怪獣だ。寂しさを噛みしめつつも、独り気高く! 美しく!」
「スミスさーん、出番ですよー!」
 ハンニバルがフェイスマンの質問に答えるべく、赤い鋏形の手を振り上げ、アクアドラゴンの真の姿を熱く力説し始めたところでお呼びがかかった。
「……じゃ、戻るとしますか。」
 一気に鎮火したリーダーの指示に従い、ヴィレッジ・ピープルよりも珍妙なAチームは、ぞろぞろと屋内スタジオを後にした。



 アクアドラゴン・シリーズ第8作目『戦慄の教会! アクアドラゴンの結婚〜ミス・アクアドラゴン登場』のメガホンを握るのは、D級映画監督としてその道では名を馳せたロン・ランディーズ。“今度こそアクアドラゴンを世に広めてみせる”……これが彼の意気込みだった。前作までの監督は尽くそれに失敗してきたからだ。しかしながら、ちょっと志が低いとも言えなくもない。興行成績がどうのとか、賞がどうのとかいう高望みをしない辺り、自分をよく判っているとも言える。
 その彼に呼び出され、ハンニバルは柄にもなく気が重かった。こんなに乗り気でない映画も珍しい。
 仏頂面でドアを開けたハンニバルにいきなりコーヒー(撮影所特製、濃厚、極苦、紙コップ入り、なぜか粘性が高い)を突きつけ(勧めているに違いない)、ランディーズがにこやかに(明らかに裏がありそうに)口火を切る。
「どうだい、チェリー嬢の外側にはもう会ってきたかい?」
 チェリーというのは、彼がミス・アクアドラゴンにつけた愛称だ。どういう経緯でチェリーになったのかは、神のみぞ知る。それから、チェリーの“外側”とは、例の着ぐるみのことである。
「ああ、見たことは見たがね。」
「可愛いかったろう。」
 満足そうに頷くランディーズの美的感覚を到底理解できそうもないハンニバルは、コーヒーを一口啜って、きつい目つきで監督を睨めつけた。
「あんなものと結婚する気はない。別のストーリーを考えるか、俺でない役者にやらせるか、2つに1つだ。」
「ジョ〜ン、何てこと言うんだい。」
 大きく手を拡げ、ランディーズが眉をハの字に下げる。フェイスマンのハの字眉は4時37分くらいだが、監督の眉は只今3時42分くらいだから、大したことはない。
「ロジャーを任せられるのは君を置いて他にはいないんだってば。」
 アクアドラゴン(ランディーズ呼ぶところのロジャー)の着ぐるみを着たまま泥水の中に潜って、他出演者たちがNGを何回繰り返しても文句を言わないのは、ハンニバルだけなのである。ハンニバルはそのくらいアクアドラゴンを愛している。一心同体とも言えよう。ハンニバルがアクアドラゴンに入らなければ、他に“入ってもいい”なんて言う奇特な男優(志望者)はいない。少なくとも国内には。これは周知の事実である。だって、重労働なのに実入りが悪いんだもん。エキストラの方がギャラがよかったりする。無論、脇役の報酬は主役よりもいい。
「じゃ、脚本変えて。」
 あくまでもハンニバルの反応は冷たい。
「もうジョンったら、判ってるだろう――金がないんだ。」
 そう、金がないのだ。新たに脚本家に頼む金が。
「もっとも、君が書いてくれるってんなら別だが……。」
「期限は?」
 一瞬、書いてもいいのなら書いてみようか、という気になるハンニバル。
「明日。」
「明日?!」
「明後日から撮りに入るんだから、大筋は明日までにできてないと困るだろう。」
「そんな無茶な。いくら俺でも、初めて映画の脚本を書くのに1晩ってのは無理だ。」
「その通り、本を書き直すのは無理なんだよ。時間に余裕があるんなら、とっくに僕が書き直してる。それにチェリーの外側は、あの通り、もう完成してしまっている。あれに今回の製作費の大半を注ぎ込んでいるんだ。使わずにおくのは勿体ない。」
 ランディーズの言い分ももっともだった。互いに口を閉ざしたまま、数分が過ぎた。
「そうだ、ジョン。君、チェリーのオーディションの様子、まだ見てないだろう。」
 突然思いついたといった素振りで、ランディーズが膝を叩いて言った。
「ああ……オーディションなんかやったのか?」
 ハンニバルには金の無駄遣いのように思えたが、アクアドラゴンの中に入る役者を決めた時にもオーディションをしたような気がしないでもない……何せ昔のことなので。
「ビデオに撮ってあるから、見てみないか?」
 見てみないかも何も、彼は既にビデオデッキにテープを押し込み、モニターのスイッチをオンにしていた。仕方なくハンニバルは、手近なところからスツールを引き寄せ、腰を下ろした。
「オーディションには何人来た?」
「大漁だよ、3人も来た。」
 一体何を考えて3人もオーディションに来たのか、加えて一体いつどこで募集したのやら。ともあれ、画面に3人の女性が映った。
「中には女が入るのか?」
「チェリーはロジャーより一回り小さいし、君が男といちゃつくのは嫌かと思って、女性を募集したんだ。」
 ハンニバルはランディーズの言葉に、こくこくと頷いた。しかし、内心は以下のように思っておりました。
“こいつ、アクアドラゴンについて何も判っちゃいないな。惚れた女にあえて背を向けて去って行くのが似合うんだ。いちゃついたり結婚したりなんて、柄じゃない。相手が男であろうと、女であろうとな。”
 さて、画面に映ったオーディションは、結構ハードそうだった。ミス・アクアドラゴンを着て、歩く、走る、座る、立つなどの基本動作をさせられた後、踊る、潜る、泳ぐの他、花を摘んで首飾りを作る、キルトを縫い合わせる、セーターを編む、ケーキを作る、ピアノを弾く、犬を散歩させる、と、一連の女らしい動作を強要されていた。
 ハンニバルでさえ至難の業と思える動作をそつなくこなし、さらに“美”までを醸し出すチェリーが1頭いた。立ち姿からして、他の2頭とは違う。このチェリーは“生きて”いた。“アクアドラゴン界の美少女”という肩書も嘘ではなかった。一挙手一投足が、可憐な乙女のそれだったのだ。プールで泳ぐ姿には優雅さがあった。機械仕掛けの魚たちと戯れる姿は、本当にこの中に陸棲の人間が入っているのかと疑うほどだった。
「これ、ボンベ背負ってるのか?」
 思わずハンニバルはランディーズに尋ねた。
「いいや、素潜りだ。」
 アクアブルーの世界に白いドラゴンがキラキラと陽光を受け、あたかも水の精ウンディーネのようだ。ハンニバル、いやアクアドラゴンは、この妖精に心底惚れてしまった。
「ロン、脚本このままで行こう!」
「そう言うと思ったよ。」
 態度を一変させたハンニバルに、ランディーズはニヤリと笑って見せた。
「この素晴らしきチェリーの中身には、もう連絡をつけてある。何だったら、明日、リハ撮りしようか? 向こうさんもやる気だし。」
「そうしてくれ。」
 ハンニバルは不味いコーヒーを一気に飲み干した。



 翌日、ソミニカは上機嫌で撮影を進めていた。首らしき部分にタオルをかけて休憩中の蟹(ザリガニ)の化け物は、体節の隙間から葉巻をくわえている。
「急に“結婚するぞ”なんて言い出しちゃって、どういう心境の変化?」
 既に神父はソミニカに殺されてしまったため、彼の隣に配置して灰皿を捧げ持つのは、ただの付人のフェイスマン。
「いやあ、俺も長いこと生きてきたが、あんな魅力的なドラゴンにはお目にかかったことがないぞ。」
“普通、そんなのお目にかからないんじゃない?”という言葉を飲み込み、フェイスマンは無言で、ソミニカのあちらこちらから漏れ出す石鹸水を雑巾で拭った。
 次にはいよいよマードックが脚立から落ちるシーンを撮るのだが、その時、反射板(レフ板って言うのか?)の陰からランディーズがそーっと顔を覗かせた。それを見つけて、ソミニカの監督が起立する。何せ、D級映画監督の中では1級の有名人だから。
「ジョン、大変だ。」
 小声でハンニバルを手招きする。ハンニバルは鷹揚に鋏で手招きを返す。カモーンの応酬に屈したのはランディーズの方だった。
「どうした、ロン、製作費横領がバレたか?」
「そんなことはしてない。横領するほど残ってないからな。」
 手振りでソミニカの監督に座るよう指示した後、ランディーズはハンニバルの耳元辺り(有頭エビフライの衣が始まる付近)に囁いた。
「チェリーの中身に連絡がつかないんだ。昨晩から何度も電話したんだが……。他の子にでもいいか?」
「絶、対、嫌だ。」
「じゃあ、どうする?」
 ハンニバルは、青空を流れる真っ白な雲をぼんやりと目で追っているフェイスマンの方を体節の隙間からちらりと見て、おもむろに言った。
「俺たちが彼女を捜してこよう。」
「え? 俺“たち”? それって、俺も入るの?」
 突如視線をソミニカの頭部に向け、フェイスマンが苦情を申し立てようとしたので、ハンニバルは巨大な赤い鋏でそれを遮った。
「そうしてくれると有難いが、こっちの撮影はいいのか?」
 何だかイラついている風情の監督を見やり、ランディーズが尋ねる。
「ロン、あんた、この業界じゃ有力者なんだろ? あの若造に撮影をストップさせるぐらい、たやすいことなんじゃないかい?」
 同じ監督として撮影を中断させたくはなかったが、やはり自分の映画を優先させたい。ランディーズは妙な形の蟹(どう見てもザリガニ。くどい?)に向かって頷いた。
「判った、彼に命令しておく。……これが彼女のデータだ。君に渡しておこう。」
 脇に抱えたクリア・ファイルから、ランディーズは1枚の履歴書(写真つき)を引き出した。
「ウェンディ・ホイットマン、住所は……市内だな。フェイス、残り2人を呼んで車を回してくれ。」
「はいはい。」
 フェイスマンは灰皿と雑巾を手にしたまま、脚立の上でスタンバっているマードックに向かって渋々と足を進めた。
「それじゃ、よろしく頼むよ。撮影は明日からなんだからな。チェリーだけ後から撮るとしても、延びに延ばして……3日が限度だ。」
 ランディーズが指を3本立てた。瑞穂じゃないから、4本は立てない。
「最悪3日ね。覚えておこう。」
 ハンニバルも指を3本立てたつもりだったが、着ぐるみの鋏はチョキのままだった。
「3日してチェリーの中身が見つからないようだったら、別の中身にするからな。……この際、ペック君でもいいぞ。ジョンと息が合ってるだろうし……。おい、ペック君! ちょっと縦方向にきついかもしれないけど、君、チェリー役やってみない?」
 たらたらと歩いて行くフェイスマンの背に向かって、ランディーズが呼びかける。付人なら安く使える、という彼の思惑は甘い、甘過ぎる、チクロよりもサッカリンよりもアスパルテームよりも甘い。何と言っても、相手はあのフェイスマンなのだ。ソミニカの神父役だって、いくらで引き受けたのかランディーズは知らない。ソミニカの製作費とフェイスマンのギャラとフィルム代にほとんどの資金が費やされている――これが実情である。
「俺がミス・アクアドラゴン? やだよ〜。」
 後ろ向きに歩きつつ、困惑の混じった微笑みを浮かべ、フェイスマンが答える。
「あいつは高くつくから、やめといた方がいいぞ。」
 残念そうにしているランディーズに、ハンニバルがぼそっと呟いた。やけに実感がこもっているお言葉であった。



 市内は市内でも、それはそれは寂れた一角。どんな繁華街にも、どんな高級住宅地にも、そういう場所はある。言うなれば、ガード下のような雰囲気。一膳飯屋とか一杯飲み屋が似合う場所。フェイスマンにとっては、場違いな地域。そんな下水臭い空気の中に、紺地に赤いラインの入ったバンが停まった。
「ホントにここなの?」
「履歴書の住所に間違いがなければ、ここのはずだ。」
 1枚の紙を覗き込み、2人の男が眉間に皺を寄せる。目の前には、日本風に言うと長屋――それのアメリカ版が。
 2人の男とは、台詞から理解できるように、ハンニバルとフェイスマン。マードックとコングはどうしたのかと言いますと、ソミニカの監督が撮影スケジュールの都合でランディーズの命令を部分的に呑めなかったため、まだ撮影所にいるのでございます。主役の蟹(ザリガニ)の撮影を後回しにして、後日合成することになったのはいいけれど、それを後回しにするということは即ち、先にそれ以外のシーンを撮影することを意味するのであります。ご理解いただけましたでしょうか? 従って、マードックやコングのファンはもうしばらくお待ち下さい。……さて、話を元に戻しましょう。
 こんな古ぼけた小汚い建物に20代の女性が住んでいるとは、フェイスマンはとても信じられなかった。しかし、彼ら(特にハンニバル)が捜している女性の住まいは(住所を書き間違えていなければ)ここなのである。意を決して、2人は薄暗い廊下に足を踏み入れた。
 木造平屋建ての建造物に、ドアが4つ。それぞれのドアには、何か(コースターや名刺など)の裏に何か(ボールペンや鉛筆)で殴り書かれただけの表札が、何か(画鋲や釘)で貼ってある。
「ホントにここだ。」
 ウェンディ・ホイットマン(実際はWendy Whitman)と書かれた表札を見つけ、フェイスマンが驚いた顔をしてハンニバルを見た。奥から2番目の部屋のドアを、黒革の手袋をはめた手がノックする。……返事がない。山口さんちのツトム君状態。
「……ねえハンニバル、鍵が開いてるよ。」
 前にもこの台詞書いた気がする。どこだったっけか……前回だ。読み直さないようにね。
 ノブをゆっくりと回して、そっとドアを開ける。
「ウェンディ、いるのか? いないのか?」
 返事がないから、いないらしい。逆かな、いないから、返事がない。
 そして、ハンニバルとフェイスマンは、ドアの向こう側の世界を目にし、驚愕の念を覚えた――何と貧乏な生活よ! 冷蔵庫もTVもない。トイレとシャワーは共用(廊下の反対側)。ガスレンジもない。あるのはシンク(蛇口付随)とベッド代わりの寝袋のみ。いや、裸電球もある。フェイスマンが電気のスイッチを探したが見つからず、途方に暮れていると、ハンニバルが電球に手を伸ばした。手を上げれば届く位置、それどころか目の高さにある裸電球というのも奇妙かもしれない。お洒落な間接照明なら判るけど。
「微妙に緩んでる。」
 ハンニバルは念のために目をつぶって、きゅっと電球をソケットにねじ込んだ。その途端、100ワットの電球が煌々と輝く。
「何て原始的なスイッチ……。」
 それは便利で快適な生活に慣れた彼らにとって、感動でもあった。
 明かりの下でよくよく見てみると、荒らされているような気がしないでもない部屋だ。散らかっているだけなのかもしれないが、棚も引き出しも何もないから、何とも言えない。服は段ボール箱に入って、そして出ている。言うなれば、電子レンジで丼一杯(縁までぎりぎり一杯)の餅入り汁粉を温めた時のような状態だ(スライム状の餅が丼から脱走する)。それから、床の上にはゴミなのかそうでないのか紙が散らばり、本は少なくとも積まれてはいない。最低限の化粧品、それもフェイスマンが見たこともないような安物の化粧品や、害虫退治にも使えそうなヘアスプレー(メキシコ製)、中華料理の後の皿洗いに最適な洗顔料(グアテマラ製)、エンジン修理の後の機械油落としも楽々なメイク落とし(ホンジュラス製)といった怪し過ぎる品々が、ガラスの割れた窓の窓枠に並べられている。これら以外のその他諸々全てが床にあった。
 ハンニバルとフェイスマンは、言葉を失っていた。と、その時。
「ホールドアップするのよ!」
 2人の後ろ、ドアの方から女の声が響いた。まさかこんな事態になるとは思わなかった2人は、本日丸腰。言われるままに手を挙げ、そろ〜っと振り返るハンニバルとフェイスマン。見ると、女が1人、万能包丁を構えて戸口に立ち塞がっている。
 だが、残念なことに、ウェンディではないようだ。
「君、誰? 僕、テンプルトン・ペック。こちら、ジョン・スミス大佐。」
 にっこりと自己紹介するフェイスマンだが、それは余計にその女性の怒りを買っただけに終わった。
「あんたたち、ウェンディをどこにやったの?」
 刃先でフェイスマンの腰の辺りをチクチクする。
「お願いだから、スーツに穴開けないで。これ高かったんだから(貰い物だけど)。」
 フェイスマンに話させると、ストーリーが進まないような気がして。
「俺たちもウェンディを捜してるんだ。」
 ハンニバルが真面目な口調で言う。真剣度85%前後といったところか。
「ウェンディの直筆履歴書、持ってるんだから。」
 ホールドアップした手で、履歴書をピラピラと振るフェイスマン。
「……何者なの、あんたたち?」
 女が履歴書に目をやり、それが確かにウェンディの書いたものだと判ると、歩みを進め、2人の男の正面に回った。
「名前は先程申し上げた通り。職業は、俳優と付人。」
「俳優と、付人?」
 ハンニバルの言葉に、包丁の先で順に2人を指す。フェイスマンが“俳優”で、ハンニバルが“付人”。彼女の判断力、かなりいい線行ってるかも。でも、本当は反対。
「違う。俺が俳優で、こっちが付人。」
 ちょっと怒っているハンニバル。
「ウェンディからアクアドラゴンの話、聞かなかった?」
 片や、ちょっといい気になっているフェイスマンなのであった。
「……聞いたわ、映画の“ミス・アクアドラゴン”ね。あの関係の人?」
 険しかった彼女の顔に微笑が浮かんだ。
「あの関係も何も、アクアドラゴン本人だ。自ら花嫁を連れに来たんだが、一体ウェンディはどうしたんだ? それよりも、君は何者なんだい?」
「ああ、ごめんなさいね、脅したりして。私は隣に住んでるワンダ・ライト。ウェンディの親友、のつもり。」
 彼女ワンダは、包丁をシンクに置きながら続けた。
「せっかく来てくれたところ悪いけど、数日前からいないのよ、WW(ダブダブ)。あ、WWってのはウェンディのニックネームね。……だから私、あんたたちが彼女を誘拐でもしたのかと思って。だって、犯人は現場に戻るってよく言うでしょ?」
「誘拐犯は戻らないと思うけどね。」
 挙げた手を下ろしながら、話の腰をフェイスマンが折る。折るなよな、この野郎。
「君……ワンダだっけか、君、ウェンディの行き先、もしくは連れ去られ先に心当たりは?」
 ハンニバルも手を下ろして問いかける。
「それが特にないのよ。WWの通ってるダンス・スクールと演劇スクールとパントマイム・スクールにはもう問い合わせてみたけど、ここのところ休んでるって言われて。他に友達がいるって話も聞いたことないし、全く男っ気もないし。実家には縁を切られたって言ってたし。……もしかしたら借金の型に……。」
「借金があるのか?」
「……あるの?」
 口を揃えて聞く2人に、ワンダは黙って壁を指差した。そこには、ガムテープで何枚もの紙が重ねて貼られている。近寄って見てみると、それはいずれも請求書だった。雑貨屋、酒屋、ダイナー等々からのもので、それぞれの金額はわずかでも、これだけ溜まれば結構な金額になる。
「行きつけのダイナーで皿洗いさせられてる可能性があるわね。」
 思いついてポンと手を打ち、ワンダが言う。
「じゃあ君、見てきてよ。」
 フェイスマンが顎をしゃくって外を指すが、ワンダは人差指をチッチッチッと振った。
「私、これから学校に行かなきゃなんないから、あんたたちで見てきて。場所は請求書に書いてあるわ。」
「学生さんだったの?」
 女子大学生。貧乏だけど、大学生。年増のオバサンばかり相手にしているフェイスマンには新鮮に思えた。
「夜学で経営学を勉強してるの。私ね、将来フランチャイズ・チェーンのコンビニエンス・ストアの店長になるのが夢なのよ。」
 ああ、何というささやかな夢。庶民的と言うには小さ過ぎる夢。長屋に住んでいるだけはある。
「それじゃ、ダイナーの方は俺たちが当たってみるから、君は帰りがけに警察に行って、捜索願いを……。」
 言いかけたハンニバルの言葉に、ワンダがストップをかける。
「それも無理。学校が終わった後は、24時間営業のコーヒーショップでウェイトレスのバイト。帰りは明日の朝になるわ。だからいつもは、私がWWの分の朝ごはんも調達してきて、夕ごはんはWWが私の分も用意するの。WWがいないと夕ごはん抜きになっちゃって困るのよ。」
「そう。」
 あっさりと受け流し、フェイスマンが続ける。
「それなら明日の朝、警察へ行って……。」
「あんたたちが行けばいいじゃない。」
 どうしても警察には行きたい気分でないワンダ。
「いや、俺たちは……むにゃむにゃ……。」
 理由を濁しながらも、どうしても警察には行けないハンニバルとフェイスマン。
「じゃ、こうしましょう。私が警察に行ってあげるから、あんたたちは請求書の来ている店を全部当たってみる。これでどう?」
「いいだろう。」
 商談成立。学校へ向かうワンダ・ライトと請求書を手に取るハンニバル&フェイスマンであった。



 そしてさらに翌日。それも昼。寝ているところを叩き起こされたワンダは不機嫌そうにドアを開けた。不機嫌に輪をかけるように、戸口にはどれもこれも癖のある男が4人。
「ウェンディはまだ帰っていないようだが。」
 寝惚け眼を擦るワンダに、ハンニバルが言う。
「ええ、帰ってないわ。そっちの首尾はどうだった?」
「ウェンディが見つからなかったのみならず、借金を払わされた。皿洗いもした。」
 疲れた顔と口調と荒れた手で、フェイスマンがぼそぼそと報告する。
「警察は、いなくなってまだ日が浅いからって、取り合ってくれなかったわ。でも、とりあえず今のところ死んではいないみたい。モルグにもいなかったから。」
「事故にでも遭ったんじゃねえか?」
 大あくびをするワンダに、コングが聞いた。
「あんたとあんたは昨日いなかったわね?」
「昨日は撮影があったんでな。」
「ああ、あんたたちも俳優なの。……道理で。」
 何が“道理で”なのか。言わずもがなでもあるが。何せ、コングはいつものようにアクセサリージャラジャラだし、髪形はあれだし、常人とは程遠い。マードックはマードックで、昨日コングが着ていた警察の制服と制帽にオーバーオール、左手にペンキ缶、右手に刷毛といった装いなのだから。これを警官だと思う輩はおるまい。
「さっきの質問だけど、WWは事故に遭ってない……いえ、少なくとも入院はしてないわ。」
「どうして判る?」
「彼女、首に認識票をつけてるの。それにうちの電話番号が打ってあるから、入院したら私のところに連絡が入るはず。でも、そんな電話はまだないもの。」
 ワンダは部屋の中の電話を、頭を振って示した。貧乏長屋に似つかわしくない、最新鋭のファクシミリ&留守番機能つきコードレスホンだ。
「おお!」
 4人から歓声が上がった。あまりにも電話だけが浮いているために。
「うちにはこれがあって、WWのところには洗濯機があるのよ。」
 ということは、ワンダの家には洗濯機がない、のか? コインランドリー通いって手があるからいいけど。
「電話と洗濯機はさておき、一体ウェンディはどこへ行ったのやら……。」
「宇宙人に……。」
「却下。」
 マードックの意見は、マジになっているハンニバルによって、一瞬にして葬り去られた。
「何かの事件に巻き込まれたってえ可能性は?」
 建設的な意見を述べるのは、もちろんコング。フェイスマンの思考能力は、手荒れにより停止しているし。
「あり得るな。……よし、みんな、ここ数日の事件を思い出せ!」
 と言われても、そんなにすぐに思い出せるものではない。しばし無言の五人。
「ワンダ、新聞は?」
 ハンニバルが情報媒体に頼ることを提案する。
「そんなお金ないわよ。」
 素っ気ないな、ワンダ。
「フェイス、新聞をありったけ買って来い。」
「そんな金ないよ。」
 ポケットを裏返して見せるフェイスマン。
「むう。」
 一声唸り、ハンニバルは腕を組んだ。そしてしばらくした後に明るい顔を上げて言う。
「コング、モンキー、フェイス――古紙回収してこい!」
 命令を下された3人は、珍しく文句も言わずに行動を開始した。



 1時間後、ウェンディの部屋は大量の古新聞で埋め尽くされていた(ワンダは部屋に新聞を置くことを頑に拒んだのだった)。
「さて、ワンダ、彼女の特徴を教えてくれ。調査の参考にしたい。」
「特徴って言ってもねえ……演技が上手でしょう、踊りもかなりのもので、身が軽くて、すばしっこくて、高いところに平気で登ったりして、手先が器用で、ヘアピンで鍵を開けたりできて、喧嘩っ早くて、酒癖が悪くて、ハイスクールの時は射撃部だったから銃の腕は確かで、でも背は低くて、本当の年より10は小さく見えて、ジュニアハイスクールの女の子とかエレメンタリースクールの男の子と間違われたりして、あとそれから、いろんな声色が使えるってことぐらいしかないわ。」
 これだけあれば十分。
「何かさ、いかにも犯罪に利用されそうだよね。」
 フェイスマンが言い、みんな頷く。確かに、その通り。
「では、以上の特徴から、関係のありそうな事件を拾い出すとしましょう。皆の者、開始!」
 リーダーの号令で、Aチームと他1名は古新聞をばっと開いた。
「あ〜、どれもこれも関係ありそうだよー。」
 ばさっ、ばさっ、という音の合間に、フェイスマンの嘆きが入る。しかし、誰も反応しない。ハンニバルとコングとワンダは驚くべき集中力で関連記事を切り抜いているし、マードックも彼なりに新聞をスクラップしている。ただしそれは“ユキヒョウの赤ちゃん、オカピを平らげる”だの“海亀の卵を温める皇帝ペンギン”だの“失敗しないバタートーストの落とし方”だの“演歌とポルカの相違点”だの“硬い鯛を切る方法〜キッチン鋏の正しい使用法”だの、単に彼の興味が向いただけのものなのだが。
 天津甘栗をむいている時のように手が黒々としてきた。それを気にしているのは、フェイスマンだけ。あとの4人は、作業に熱中している。と、その時。
 ゴン……シュウウウウウ。
 既にガラスの割れている窓の、その穴から何かが投げ込まれた。
「催涙ガスだ! 催眠ガスかも!」
 新聞に飽き飽きしていたフェイスマンが叫んだ。
「何?!」
 集中のあまり、ハンニバルの動作が遅れた。換気扇を回そうと立ち上がったが、スイッチが見つからず、うろうろするハンニバル。それもそのはず、この部屋に換気扇はない。
 窓を開けようと、コングも立ち上がった。しかし、窓ガラスは部分的に割れているものの、窓自体はコングの力をもってしても動こうとはしなかった。
 ドアを開けようと、遅ればせながらフェイスマンも立ち上がる。だが、もうもうとした白煙の中で、どっちがドアだか判らない。彼もまたうろうろとし、ハンニバルとぶつかって跳ね飛ばされる。
 ワンダはその場を動かず、咳込んでいる。
 マードックはマトモにも、何とかしなくてはと立ち上がって一歩踏み出した。そして、グニャッとしたものを踏んだ。
「ぐえっ!」
 フェイスマンだった。バランスを崩したマードックが前のめりに倒れる――柔らかいものと共に。
「うわっ!」
 ハンニバルだった。柔らかかったのは腹部の辺り。
「うぉうっ!」
 マードックとハンニバルが倒れた先には、コングがいたようだ。3人揃って将棋倒しになる。だが幸運にも、白煙のお蔭で、3人が3人共、何が起こったかは判っていない。
 それでもって、催涙ガスではなくて、催眠ガスだったようです。隙を突かれるって、恐いですね。
 重なり合って眠る、下からコング、ハンニバル、マードックと、その足元にフェイスマン。ちょっと離れたところに、ぽつんとワンダ。



 5人が目覚めたのは、倉庫の中だった。かなり広くて、そして電気代を気にしていないのか妙に明るい。
「ここ……どこ?」
「ここは……どこなんだ?」
「ここって……何?」
「一体どこなんでい、ここは?」
「俺様……誰?」
 5人ははっきりしない頭を振って、口々に疑問文を発した。
「町外れの倉庫の中。」
 少し離れたところから女の声がして、5人が一斉に顔を向ける。
「WW!」
 ワンダが叫んだ。
「久し振り。夕ごはんの用意できなくてごめんね。」
 冷静な言葉を向けてくれるのは、みんなでずっと(と言っても、丸1日、延べ2日)捜していたウェンディ。
「で、WWU(ダブダブツー)、そっちの方々、紹介してくれる?」
 WWUというのは、ワンダの愛称。Wanda Writeだから。
「えーっと、白くて丸っこい感じのオジサンが、アクアドラゴンのジョン・スミス。一見ハンサムでその実、情けないだけなのが、付人という名の下僕、テンプルトン・ペック。あとの2人は本名知らないけど、黒いのがコングで、変なのがモンキー。」
 非常に失礼な紹介の仕方と思えるが、どうか。
「B.A.バラカス。」
「と、H.M.マードック。」
 本名を名乗ってみたりなんかする脇役たち。今回、本当に出番少ないな。
「初めまして、皆さん。ウェンディ・ホイットマンです。以後お見知りおきを。」
 スカートの端をほんの少し摘まんで、上品に挨拶しそうな台詞だが、ウェンディの両手は後ろ手に縛られ、足首も縛られ、さらに彼女はスカートでなくジーンズ姿だった。
「これはご丁寧に。やっと巡り逢えましたな、ミス・アクアドラゴン、我が妻となるべき姫よ。」
「運命の悪戯にも負けず、よく来てくれました。」
 すっと手を差し伸べる姫の御前に跪いて、その手に口づけそうな台詞だが、ハンニバルの両手両足もウェンディと同様。他の4人も、同様に捕らわれスタイル。
「ところでさあ、俺たちに何が起こったわけ?」
 これはフェイスマンの台詞か、マードックの台詞か。どっちでもいいや。
「さあ、知らないわ。何だか知らないけど、私は何日か前にここに連れ込まれただけ。食事も1日3回出してくれるのよ。トイレに行きたい時には、見張りの人を呼べば連れて行ってくれるし。退屈だけど、なかなかいい生活かも。」
 履歴書の写真に比べて、ウェンディは心なしか肌の色艶がよくなり、体重も増えているようだ。
「そっちは何があったの?」
 ウェンディがワンダに尋ねる。
「私があんたの心配をしてたら、この人たちがあんたを捜しに来て、一緒に捜したり調べたりしてたんだけど……。」
「そう、君の部屋で調べ物をしていたら、催眠ガスにやられて、今に至る。」
 ハンニバルがワンダの言葉を継いだ。
「それから、借金全部清算しといたよ。」
 後で払ってもらおうという魂胆のフェイスマン。
「しっかし、どこのどいつの仕業だ? 俺たちを閉じ込めて何しようってんだ?」
「俺たち売られるのかな?」
 どこに売られるってんだ、マードック。
「うむ……敵さんの正体も判らなければ、目的も皆目見当がつかん。」
「じゃあさ、こうしてるのも何だから、とりあえずここから逃げる?」
 考え込むハンニバルに、フェイスマンが片首傾げて提案する。
「見張りは扉の前に2人いるわ。」
「2人なら軽いな。」
 ウェンディが情報を与え、コングがニヤリとする。
「このロープはどうすんの?」
 マードックもフェイスマンを真似て首を傾げて可愛らしく振る舞ってみたが、コングに睨まれた。
「これなら、2人1組で解けば何とかなるだろう。」
 そうハンニバルが言い、指示するまでもなく自然と2人1組になって(ハンニバルとフェイスマン、コングとマードック、ウェンディとワンダ)ロープを解き始めようとしたまさにその時!
 ゴゴゴゴゴ……。
 重い音を立てて、倉庫の扉が開いた。慌ててペアを解散し、何事もなかったかのような振りをする6人。
 倉庫の中に入ってきたのは、精悍な顔立ちをした30代後半の男。服装(金のかかった悪者ルック)から判断すると、ボス的地位にいるらしい。
「手荒なことをして済まなかったね。」
 静かな、しかし威圧感のある声で、彼は言った。
「君たちに危害を加えるつもりはないから安心したまえ。」
「……サルバトーレ・ロペスか?」
 ハンニバルが、近づいてきた男を見上げて言った。名前から察するに、メキシコ系スペイン人か、さもなくばスペイン系メキシコ人。どっちも同じようなものだけど。
「ああ、ロペスだね。」
 フェイスマンも頷く。
「ロペスだな。」
 コングも確認して納得する。
「うん、ロペスロペス。そう、ロペスだよ。」
 マードックも、思い出したのが嬉しそう。
「誰よ、ロペスって?」
「ロペスロペスって、知り合いなの?」
 ウェンディとワンダは彼を知らない。
「このロペスはだな、お嬢さん方、有名なボスなんだ。お尋ね者のロペス。」
「違うって、黒幕ロペスはまだお尋ね者じゃないよ、ロペスは。」
「ロペスにゃ証拠がないもんな、ロペスだけは。」
「ロペスは、部下を犠牲に1人だけ逃げるロペスだもんね、そうでしょロペス?」
 ハンニバル、フェイスマン、コング、マードックの順にロペスロペスロペスロペスと言われ(もっと言った)、さらにウェンディとワンダにもロペスロペスと言われ、ロペスの拳が震える。
「……誰かと思えば、Aチームご一同様じゃないか。」
「えっ、Aチーム?」
「Aチームだったの?」
 WWとWWUが驚く。えーっ全然判んなかったあ、そう言やあの顔はそうよねー、と女同士の話は続くが、面倒だから書かない。
「ご名答、Aチームのリーダー、ジョン・ハンニバル・スミスだ。よろしく、ロペス。」
「Aチームの調達係(兼主夫)、フェイスマン。本名は今のところテンプルトン・ペック。会うのは初めてだよね、ロペス。」
「Aチームのメカ担当(兼運転手)、B.A.バラカス、通称コングだ。飛行機嫌いだってこと、覚えといてくれよな、ロペス。」
「Aチームのみそっかす、空飛ぶモンキーことマードックだよ〜ん。♪ロペス、ロペス、ロペス♪」
 『キサス・キサス・キサス』なんて、みんな知らないでしょ。
 と、オープニング縮小版が終わったところで、わなわなと震えが来ているロペスは、必死で冷静さを保ちながら言った。
「君たちAチームなら判っているだろう、私が何が嫌いかということを。」
「ウニ・イクラと世界三大珍味。」
「ソバ。」
「シイタケ。」
「ホヤ。」
 それは私たちの嫌いなものです。
「それらも確かに嫌いではあるが、私が何よりも嫌いなのはだな――ロペスと呼ばれることだ!」
 ロペスは切れた。素早く懐から銃を出し、ハンニバルに向ける。身じろぎもしない、勇敢な(態度のでかい)我らがリーダー、ハンニバル。
「ちょっと待ってよ、サルバトーレ。」
 ウェンディがワンダとの雑談をやめ、ロペスに声をかけた。
「あんたの嫌いなものと、あんたが悪い人だっていうのは判ったけど、何で私が拉致監禁されているのかはいまだに不明なのよね、教えてくれない?」
 ロペスはちらりとウェンディを見て、ハンニバルに向けた銃を下ろした。ほっと息をつくフェイスマン、そしてハンニバル本人、他2名。
「理由を知りたいと言うのかい、元気なお嬢さん。……知ったら最後、無事には帰れなくなるんだが。」
 ウェンディの方へコツコツと靴音高く歩を進めるロペス。
「知らないままだったら、みんな無事に帰れるの?」
「お嬢さん方お2人は無事に帰れる。……しかしAチームは私の苗字を連呼した。それ相応の対処をしなくてはね。」
「では、我々にその理由を聞かせてもらおうか。それ相応の対処をされるのなら、心残りなく対処されたい。」
 ハンニバルが胸を(ついでに腹も)張って言う。
「……よろしい。」
 鷹揚に頷いて、ロペスは外で待つ部下を呼んだ。2人の見張りの他にも、数名の男がいる。ぞろぞろ入ってくる男たちの身なりは、全員かっちりしたスーツ姿。黒服でなく。
「2人をトイレに閉じ込めておけ。」
 屈強な男の肩に担がれ、連れて行かれるウェンディとワンダ。“まだ諦めてないから、さよならなんて言わないわ”という気丈な表情が浮かんでいる。それに元気づけられるAチームであった。



「きっかけは、5年前の事件だ。」
 ロペスがAチーム4人に向かって話し始めた。
 彼の周囲では、部下たちが思い思いの銃を構えている。各自きちんとマガジンの残り銃弾数を確認し、初弾をチャンバーに送り込み、セーフティー・ロックを外して。ちょっと手強い相手かもしれない。
「5年前の事件と言うと?」
 ハンニバルがフェイスマンに聞く。
「それだけじゃ判んないよ。」
 コングとマードックも、ふるふると首を横に振っている。
「連続して、あるいは同時に、何件も事件が起こったろう。」
 ふるふるの4人。
「ジャンキーが幼稚園に立てこもり、人質の幼児十数人のうち半数を殺して、残り半数に重傷を負わせた事件が1つ。それと、市内数カ所の百貨店、スーパーマーケット、映画館、コンサート会場に高性能時限爆弾が仕掛けられ、その中のいくつかは解体処理に失敗して爆発、トータルで二十数名の死傷者を出した事件が2つ目。3つ目が、大手銀行数行に一斉に強盗が入り、現金を強奪した事件だ。被害総額は未発表だが、約5000万ドル。警察はいまだ犯人を見つけられないでいる。」
 4名は半ば口を開き、ああ、ああ、と頷いている。
「これら全て、私が指揮したものだ。」
「やるね。目的は5000万ドルで、他はダミーか?」
「その通り。流石はいい読みをしているな。」
 ハンニバルがニッカリと笑い、ロペスがニヤッと笑い返す。
「思い出したよ、マスコミは幼稚園の事件ばっかり取り上げてて、警察は軍の力を借りてまで爆弾処理にかかりっきり、それで銀行強盗の方は、1行当たりはそう沢山取られなかったこともあって、警察の反応も遅かったし、捜査も手抜きだったっていう、あれね。」
 一旦思い出すと、フェイスマンの情報量は多い。
「そう、あれだ。銀行強盗は1行1人でもできた。」
「てめえが黒幕だって噂はあったぜ。」
「私がやったという証拠はない。今、君たちがこの会話を録音でもしていない限りはね。」
 “ああ惜しい”という表情のコング。
「それとウェンディと、どういう関係があんの?」
 マードックがきょとんとして尋ねる。
「5000万ドルをあそこに隠したのか!」
 ハンニバルの発言に、ロペスが拍手をする。
「正解だよ、ハンニバル大佐。君が私の部下だったらよかったのにな。その明晰な頭脳、ぜひとも欲しい。」
「あげるわけにはいかんな。これは俺のもんだ。」
 その横では愕然としたフェイスマンがぶつぶつ呟いている。
「5000万ドルがウェンディの部屋に? 俺、いたのに? すぐ傍にあったってえの? 5000万ドルが? ホントに?」
「どこにどうやって隠したんだ?」
 コングの問いに、親切にロペスが答える。
「あの部屋の壁板と床板と天井板を剥がして、札束を並べて、元通り板を打ちつけただけだ。さぞかし防音効果があったろうな。」
 ロペス以外は誰も笑わなかった。思い返せば、あの部屋は外からの音が聞こえにくかったから。納得のAチーム。
「何でわざわざウェンディの部屋に隠したわけ?」
 マードックが質問する番。
「5年前は私の部下の部屋だったんだ。しかし私がうっかり彼を始末してしまって、回収しようと思った時には既に彼女が住んでいてね。堅気の彼女には手出ししたくなかったから、彼女が引っ越すのを待っていたんだが、待ちきれなくてこうした手段に出たというわけだ。……彼女をここに連れて来て、こちらが準備をしている間に、君たちが首を突っ込んできたことだけだよ、私の計算違いは。」
「待ちきれないということは、近々大口の取引でも?」
 ハンニバルに順番が戻ってきた。
「全く、大佐には恐れ入るね。明朝には故人だというのが勿体ないくらいだ。」
「ブツが何か当ててみせよう。……今ロスで手っ取り早くさばけて一番儲けられるものは……LSD……いや、この販売ルートは確立されているからな……新しいところで、ケタミンとエクスタシーか?」
「……お見事。なぜそこまで判るのか不思議でたまらないよ。だからこそ、貴重な存在ではあるが、君を消さなければならないんだな。」
 1人頷くロペス。
「私の話はこれで終わりだ。質問はあるかね?」
「ない。」
 はっきりきっぱりハンニバルが答える。
「では、部下たちの出番だ。私は下がっていよう。」
 ロペスが2、3歩後退し、代わりに彼の部下たちがAチームの頭部に照準を定めつつ進み出る。
 Aチーム、ピーンチ!!



 ワンダが思っていたより、トイレは広くて清潔だった。
「ほら、早くロープ解いて。」
 ウェンディが小声で急かす。
「あんた、繩抜けできるって言ってなかったっけ?」
「できてたら、とっくの昔にサーカスに就職してるわ。」
 だが、後ろ手でロープを解くのは難しい。
「もういい、ちょっと端に寄って。」
 ワンダを洋式便器の後方に押しやり、ウェンディは蓋を閉じた便器の上に腰を下ろした。体を丸めて手を思い切り伸ばし、後ろで縛られた両手に無理矢理尻と両足を通し、前に持ってくる。次には歯でロープを解く。これでウェンディの手は自由になった。
「そんなことできるんなら、1人で逃げてくればよかったでしょう?」
「こうすればいいって、今まで気がつかなかったのよ。」
 今度はウェンディがワンダのロープを解く。そして各々が足のロープを解く。
「これからどうする気?」
 手首をマッサージしながら、ワンダが尋ねる。
「Aチームを助けに行くに決まってるじゃない。」
「私たち2人で?」
「いいものがあるの。」
 ウェンディが胸元に手を突っ込んで取り出したものは――小型のスタンガン(当時スタンガンなんてあったか? あったことにしよう)。貧乏なのに、借金しているのに、結構高いものをよくも買ったものだ。金より命が大事だということか。
「そんなの持ってんなら、最初から使えば捕まらずに済んだんじゃないの?」
「これ持ってたこと、今まで忘れてたの。……じゃ、行くわよ!」
 ウェンディがトイレのドアを勢いよく開け、手始めに、見張りに立っていた男2人をスタンガン(最高出力)で気絶させた。
「ねえ、縛っといた方がいいんじゃないかな?」
 トイレの床に蛇のように落ちているロープに目をやって、ワンダが発案する。
「いい考えね。大学に行ってるだけあるわ。」
 ウェンディはそれに同意し、ロープを取りにトイレに戻った。そして、縛る、縛る、トイレに押し込める。一仕事終えた2人は、Aチームの待つ(待ってはいないか)メイン倉庫に向かって駆け出した。



「1つ頼みがある。」
 手前にいる部下たちを無視し、遠くのロペスを見据えてハンニバルが口を開いた。
「何だ?」
「最後に葉巻が吸いたい。」
 その言葉にAチームの残り3人は辺りを見回したが、どこにもガソリン等の可燃性物質は見当たらない。
「いいだろう。」
「胸ポケットに葉巻がある。」
 部下の1人(仮称部下@)がハンニバルに近づき、胸ポケットから葉巻を出すと、口にくわえさせた。
「贅沢を言わせてもらえれば、ライターはジッポーがいい。あのオイルの匂いが好きなんだ。」
 フェイスマンはピンと来た。本当は、ハンニバルはジッポーのオイルの匂いが大嫌いなのだ。
「丁度いい、俺のライターはジッポーだ。ハンニバル・スミスがジッポー愛好家だとは知らなかったな。」
 部下@がポケットからライターを出した。銀色のサテンブラッシュにジッポーのロゴのみ。
「なかなか渋くていいジッポーだな。」
「そうだろう。」
「葉巻に火がついた後も、しばらく匂いを嗅がせてもらえないか?」
「お安いご用だ。」
 手首のスナップで蓋を開け、手首を返す勢いで点火する。この男、かなりのジッポー通で、加えて汗っかきでも脂性でもないようである(汗っかきや脂性は、ライターを投げることになる)。
 オレンジ色の炎を葉巻に近づける。ハンニバルが大きく息を吸い込む。葉巻に火がついたのを確認し、部下@は着火したままのジッポーをハンニバルの鼻先に持ってきた。
「うーん、いいねえ、この匂い。これこそ男の匂いだな。」
「やはりそう思うか。」
 “同志よ!”といった風に見つめ合う部下@とハンニバル。
「なあ、フェイスもそう思うだろ?」
 ハンニバルが合図を出した。渾身の力を込めて、フェイスマンが部下@にタックルを食らわす。高校時代にフットボールをやっていただけあって、体格もよく上背もある部下@が一撃で倒れる。彼の手から火のついたままのジッポーが落ちた。その火で手を縛っているロープを燃やすハンニバル。
 いきなりのことで、他の部下たちは一瞬攻撃を躊躇した。そこへフェイスマンがぴょんぴょん飛び跳ねながらもタックルを繰り返す。部下たちの手から銃が落ちる。
 ブチブチブチという音と共に、コングが手首のロープを引きちぎり、これもまた足のロープを解かぬまま、ぴょんぴょんと部下たちに殴りかかった。
 その間に足のロープも解いたハンニバルが、手首の火傷も気にせず乱闘に加わる。ハンニバルと選手交代し、フェイスマンがライターの火を使って自由の身となる。マードックもそれに続き、手足がフリーになると、ライターを持ってコングの方へと駆け寄る。
「コングちゃん、足!」
「おうっ、頼むぜ。」
 コングが足を止めてボカスカ殴っているうちに、マードックがロープを燃やす。
「加勢するわ!」
 そこにスタンガンを振りかざしながら、ウェンディが駆け込んできた。ワンダも後ろからついてくる。
 次々とAチームに殴り倒され、電撃に気絶する部下たち。最後にウェンディがスタンガンをロペスに突きつけ、乱闘の幕は閉じたのだった。



 ロペスとその一味は、ウェンディによって5000万ドルと共に警察に引き渡された。“5000万ドル全部渡しちゃうの〜?”とフェイスマンが駄々をこねたことは、言うまでもない。



 そして撮影所。
「やっとアクアドラゴンだ……。」
 ソミニカの撮影をランディーズとの約束の残りの1日で終わらせ、アクアドラゴンの着ぐるみに身を包んだハンニバルが、故郷に帰り着いたような面持ちで呟いた。
「お嫁さんもいるしね。」
 向こうの方からミス・アクアドラゴンが駆け寄ってくるのを認め、フェイスマンが言う。
「ああ……可愛いなあ、あの走り方。」
 惚れ惚れと彼女を目で追うハンニバル。しかし、駆け寄ってきたチェリー(ウェンディ)は、ロジャー(ハンニバル)を無視してフェイスマンの前に止まった。手に封筒を握っている。
「はい、これ。」
 白く太いウレタンの手が、フェイスマンに封筒を差し出す。
「何?」
 受け取りながらも、疑問に思う。
「借金払ってくれたって言ってたでしょう? 警察から礼金って言うか賞金って言うか、お金を貰ったから返すわ。」
「あ、あれね。」
 突然の入金に、支出があったことを今の今まですっかり忘れていたフェイスマンは顔を綻ばせた。
「ちょっと多いんじゃない? 中を検めていい?」
 封筒の重さを確かめて、怪訝に思う。
「どうぞ。」
「……10ドルほど多いんだけど?」
「ハンドクリーム代。いい男は指先まで気を遣わないと駄目よ。ガサガサの手で触られたりしたら、ムードぶち壊しじゃない?」
 フェイスマンは自分の手を見つめた。あかぎれ、ヒビ、ついでに手首に軽傷の火傷。
「ありがとう。」
 ジーンと胸を熱くしたフェイスマンは、礼を言い、封筒をポケットにしまい込んだ。
「じゃあロジャー、また後で。」
 そう言って去っていくチェリーの後ろ姿を見つめる2人。
「……いい子だね。」
「そうだろう。あれが俺の嫁になるんだ。……羨ましいか?」
「ううん、別に。」
 フェイスマンはハンニバルと目を合わせないまま、言葉を続けた。
「ねえハンニバル、今回の仕事料、あんたのギャラから引いとくね。」
「何?!」
 ハンニバルが素早くフェイスマンの方に顔を向けた。
「だって、あんないい子に謝礼の請求なんてできないよ。それに、俺たちより生活苦しそうだし。」
「……仕方ないな……。」
 申し出を受諾したハンニバル。そこへランディーズがにこやかにやって来た。
「やあ、ジョン、ご苦労さま。やっぱりウェンディ入りのチェリーは最高に可愛いねえ。……ところでペック君、ソミニカでの君の仕事振りを見て思ったんだが、君、一仕事頼まれてくれないかな?」
 フェイスマンの手を取り、ぎゅっと握るランディーズ。
「結婚式には神父か牧師が必要だろう? ゾンビの神父が2人の式を執り行うことにしたいんだが……。」
「いいけど……ゾンビ……?」
“収入はいくらあってもいいけど、美観がちょっと……。”
 そんなフェイスマンの心配事を見抜いたかのように、ランディーズが説明する。
「大丈夫、死んで間もないことにするから、腐ってるのは目の辺りと内臓だけだよ。髪は抜け落ちてないし、服もちゃんと着る……多少湿ってはいるが。」
「ならいいや。」
「それじゃあ、早速メイク室に行ってくれ。ジョン、君は例の沼に行っててくれないか? 出逢いのシーンから撮るぞ。森で遊んでいて湖への帰り道が判らなくなり、沼のところで泣いているチェリーと、その声に沼から出てきたロジャーが出逢う、最も美しいシーンだ。逢った途端に一目惚れ。しかし、ロジャーは湖では生きられず、チェリーは沼には入れない。まるでロミオとジュリエットのように……。」
 話し続ける監督を尻目に、俳優と付人兼俳優はその場を離れ、沼へ、メイク室へと向かった。
 その頃、撮影所の片隅では、結婚式に列席するゾンビ役のコングとマードック(ひどく腐ったメイク済み)が、次回作でロジャーとチェリーの間に生まれる(とランディーズから聞いた)アクアドラゴン・ジュニアは何色になるのかについて、白熱した論議を戦わせていた。
 アクアドラゴン・シリーズ第9作『生命の神秘! ミス・アクアドラゴンの出産〜アクアドラゴン・ジュニア誕生』は、どうもドキュメンタリーものになりそうである。
【おしまい】
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