西瓜はボルシチの具にあらず
フル川 四万
 毎度お馴染み紺色のバンが田舎道をひた走っている。8月の第2週、昼間の熱気が夕風に飛ばされて現在午後6時。気温24度の快適な夏の夕暮れである。ルート112の両側には青々とした麦畑が続く。
「で、依頼人の家はどこなんでい。」
 ハンドルを握るコングが言った。もう3時間も同じ風景の中を走っている。
「……そろそろだと思うよ……ちょっと待って、フェイスが依頼人からの手紙持ってるから。」
 助手席のマードックが後部座席を振り返った。後ろではハンニバルとフェイスマンが肩を寄せ合って何かを読んでいる。2人の額にはなぜか早くも縦皺(困ってるマーク)が浮かんでおり、手にしているのは花柄の便箋。
「フェイス、地図。」
 マードックが手を伸ばした。フェイスマンが無言で便箋の一番後ろのページを差し出した。
「サンキュ。ええと、ルート112を北に200キロ走ると、西瓜畑とビーツ畑が交互に現れます……だって。コング、ビーツってどんなんだっけ?」
「知るか。」
 コングが即答した。
「目印にゃ西瓜畑だけで十分だ。」



 後部座席では依然2人が便箋と格闘している。
「……どうも依頼の要点が掴めんな。」
 ハンニバルが呟いた。
「もう一度読んでみよう。何か見落としがあるのかもしれない。」
『前略、ハンニバル・スミス様。突然のお手紙失礼いたします。私は、ニュージャージー郊外で西瓜の栽培をしているレイン・オースティンと申します。私と夫のスレッドは、15年前から西瓜の生産を始め、その10年後には年間1万個出荷できるようになりました。私もスレッドもリンリン・ファンファン・ロコロコも、私たちの農場が西瓜の普及に一役買っていると自負しておりました。』
「まずそこから判らんな。リンリンファンファンロコロコとは何だ?」
「子供か……使用人じゃない? 自負してるくらいだから、身内でしょ。」
『ところが5年前の洪水により、その年の西瓜は全滅。私たちは10万ドルの負債を抱え、銀行と種苗会社への借金返済のために土地を半分手放すことになりました。その土地につけ込んだのがビーツだったのです。』
「ビーツが漬け込んであるって?」
『手放した土地を買い取ったのはウズベキスタン人でした。ニュージャージーの肥沃な土地と温暖な気候でビーツがどこまで育つのかお手並み拝見ね、と思っていたのですが、やはり育ちが悪いらしく、ろくに収穫もありません。その腹いせにか、ウロルとトロジミールはうちの窓ガラスを割るなどして嫌がらせをするようになったのです。嫌がらせはますますエスカレートし、先々月は鶏小屋が、先月は納屋が不審火で燃えました。思い過ごしかもしれませんが、どうも裏にはウズベク・マフィアが絡んでいるような気がするのです。』
「そこまではいい。この手紙がそこで終わっていれば、敵は明確だ。ウロルとトロジミールとウズベク・マフィアだ。」
「よかないけどね。」
「何で?」
「だって存在しないもん、ウズベク・マフィアなんて。」
「なーる。しかし問題はその次からだ。」
「うん。」
 2人は再び便箋に目を落とした。
『その頃からです。夫のスレッドに悪霊が取り憑いたのは。』
 手紙は、やな方向に展開していた。
『スレッドは元々熱心なクリスチャンで、結婚以来先月8日まで20年近く日曜礼拝を欠かしたことがありませんでした。西瓜の収穫も神の恵み、と収入の5%を教会に寄附もしていたのです。そのスレッドの態度が急変したのは、先月の15日のことでした。それからはもう悪夢の連続で……。Aチームの皆さん、どうか私たちを助けて下さい。お願いします。8月13日、レイン・オースティン。』
 2人が手紙を読み終え、溜息をついた。
「今一つ判らん手紙だな。一体俺たちが退治するのはマフィアなのか? それとも悪霊か?」
 手紙を畳みながらハンニバルが呟いた。
「マフィアだったらいいけどね。悪霊だったらお門違いだよね。」
 そう言うフェイスマンは、未だ神父姿。
「おい、この辺から西瓜だぜ。」
 コングが振り返った。窓の外には確かに青々とした西瓜畑。しかし西瓜畑の向こう側には、見たこともない草が植わった一帯が広がっていた。
「あのへなちょこな草がビーツか?」
「思い出したぞ!」
 マードックが素っ頓狂な声を上げた。
「ビーツってボルシチに入ってるやつだ! 俺んちじゃ週に1度は夕食ボルシチだから間違いないって! イヤッホー!」
 窓の外のビーツ畑に向かって帽子を振るマードック。その行動に特に意味なし。
「……お前んちってどこだ、この野郎、いい加減なこと抜かすんじゃねえぞ。」
 と、コング。しかし、この場合の“俺の家”が精神病院を指すことは明白であろう。病院食にしては割といい食事出てるかも。
 因みに今回の脱出作戦は、悪魔が取り憑いた入院患者(マードック)を悪魔祓い専門の神父(フェイスマン)が教会で取り憑いた悪魔を祓うからと言って連れ出してきたのであった。もちろん着想は今回の依頼人の手紙である。
「西瓜畑に入ったら、右手に小高い丘があって……その上にオースティン邸があるはずだが……。」
 と窓の外に目をやる4人。右手に小高い丘が見えてきた。と、その時……。
「ねえ、あそこ!」
 フェイスマンが窓の外を指差した。
「何?」
「何だ?」
「どうした、フェイス。」
「あれが依頼人じゃない?」



「うりゃああああああ!!」
 広大な西瓜畑に男の叫び声が響き渡った。
「やめてえええええっ!」
 女の悲鳴がそれに続く。
「うるせえっ、西瓜なんてこうしてくれるわ! どおっりゃー!!」
「やめてーっ!」
 金髪で人相の悪い中年男が鍬を振り上げ、次々と西瓜を叩き割っている。後ろから男の足に縋るようにして体を投げ出している女は、男の動きに翻弄されて畑を転げ回っていた。
「間違いない、あれがレインだ。」
「ということは、あの暴れてる奴が……。」
「ビーツ畑のウロルかトロジミールだろう。急ごう、西瓜が全滅しちまう。」
 バンを降りたAチームの面々は、畑に向かって駆け出した。



「だあーっ!」
 男が鍬を振り上げた。
「やめねえか、馬鹿野郎!」
 間一髪滑り込んだコングが、男の顔面に強烈なパンチをお見舞いした。
「うげっ。」
 男は膝から崩れ落ち、その場に気を失った。
「大丈夫ですか、お嬢さん。」
 フェイスマンがすかさず女を抱き起こす。こういう場面ではもちろん抜かりのない彼だが、40過ぎの女を捕まえてお嬢さんはないだろうと思う(しかも神父ルック)。
「……あなた方は……もしや……エ、Aチーム……。」
「そうですとも。」
 ハンニバルが胸を張った。
「そして神父さんまで来てくれたのですね……。」
 レインが潤んだ目でフェイスマンを見上げた。
「え……ええ、そうです、神父です、はい。」
「しかも悪魔祓い専門のね。」
 マードックがまたいらんことを言う。
「……ありがとうございます。……本当に……私どうしていいのか途方に暮れていました……。」
 レイン・オースティンは体の泥を払いながら立ち上がった。
「みっともないところ見せてしまってごめんなさい。家にご案内します。」
「みっともなくなんてないさ。誰だって、自分の畑が目茶苦茶にされそうになったら、体を張って守ろうとするもんだ。」
 ハンニバルが優しくレインの肩に手をかけた。
「こいつはどうするんでい。ウロルかトロジミールか知らねえが、もうちょっと痛めつけといた方がいいんじゃねえか?」
 コングが倒れている男の襟首を掴んで引きずり上げた。
「家に連れてきて下さい。」
 レインが先に立って歩きながら、振り返りもせずに言った。
「ウロルでもトロジミールでもありません。それはスレッド……私の夫です。」



 オースティン邸に招かれた4人は、気を失ったスレッドを居間のソファに寝かせ、紅茶を淹れにキッチンに立つレインを見送った。
「どうなってるんだ?」
 4人は改めて室内を見回した。
「この惨状は……。」
 部屋はまさに“この惨状”と言うに相応しい状態だった。家具や調度品は、荒れ果てていた。カーテンは引き千切られてフリンジ状になっている。家具調度品には細かい傷がぎっしりで、特にテーブルの脚はひどい。ソファも所々中身が出ている。窓ガラスは割れた部分をガムテープで補修してあり、割れていないものは明らかに新しい。
「ねえ、ハンニバル……これ……全部スレッドがやったのかな?」
「いや、ウズベク人かもしれねえぞ。窓は投石によるものだろうしな。」
 コングがカーテンの隙間から窓の外を覗いた。西瓜畑の向こうに広がる荒れ地にトラクターが1台走っているのが見える。
 その頃、今回おとなしいと思ったマードックは、気を失っているスレッドの頭にスリッパを乗せてみたりして、ひっそりと自己主張を行っていた。



「ひどいでしょ?」
 6人分の紅茶と山盛りのクッキーをトレイに乗せてレインが運んできた。
「……これは誰の仕業だ? スレッドか? それともウズベク・マフィアか?」
 ハンニバルが問う。
「スレッド5%、ウロルとトロジミール25%、あとはリンリンファンファンロコロコなので、お気になさらないで。」
 またリンリンファンファンロコロコだ……。
 そんな4人の思惑をよそに、レインはトレイをテーブルに置いてクッキーを一かけら摘まみ上げ、ソファで眠っている(?)夫の口に押し込んだ。
「おい、起こして大丈夫なのか?」
 ハンニバルが言った。
「また暴れ出したりしないだろうね。」
 レインはフェイスマンの問いには答えず、スレッドの横に腰を下ろした。言いながら優しく夫の頬を叩く。
「ほら、スレッド起きて。Aチームが来てくれたのよ。」
「……う……うーん……。」
 スレッドが苦しそうに身じろいだ。ソファの周りに集結する4人。
「スレッド、スレッド! 起きて、ほら、スレッド!」
 レインがスレッドを揺り起こした。



 10分後、すっかり意識を取り戻したスレッド、レイン、Aチームの面々は、改めてテーブルを囲んでいた。
「さっきはみっともないところを見せてしまって済みませんでした。」
 本当に済まなそうにスレッドが言った。大柄で三白眼なので人相が悪く見えたが、身を竦めて謝っている姿を見ると、悪い人物ではないらしい。彼の左眼の周りには、先程コングに殴られたパンダ柄がくっきりと残っていた。
「それじゃあ、ああいう状態になるようになったのは、1カ月前からだというんだね?」
 ハンニバルが言った。
「ええ、その頃からウロルとトロジミールの嫌がらせも激しくなってきたのです……。」
「ちょうど同じ時期?」
「ええ、ほとんど同じ頃。」
 レインが答えた。
「最初に彼が西瓜を目茶苦茶にしたのが先月の15日、納屋が焼かれたのが17日、それからウロルとトロジミールは毎日のように石を投げたり、中傷のビラを撒いたり……とにかくありとあらゆる嫌がらせを私たちの農場に仕掛けてくるのです。」
 レインはエプロンでそっと涙を拭った。
「ウズベク人たちの嫌がらせは判らねえでもねえが、一体スレッドはどうしちまったんだ。」
 コングがクッキーをバリバリ食いながら言った。
「俺にも判りません。ただ畑に出ると体が勝手に動いて……気がつくと西瓜を叩き壊して暴れているのです。本当に、自分でも悪霊が取り憑いてしまったとしか……ううっ。ズルッ。」
 スレッドはシャツの袖で鼻水を拭った。
「……俺たちに何を期待しているのか知らないけど、悪霊退治だったらお門違いだよ。神父のカッコはしてても、これ単なるコスプレだし。」
 フェイスマンがおずおずと本当のことを言ってみる。2人の顔が途端に曇った。
「そんなこと言わないで下さい、神父さん。あなたはちょっと恥ずかしがり屋だけど、悪魔祓いにかけてはアメリカ一の神父さんだとマードックさんから伺いました。……確かにスレッドに取り憑いた悪霊は恐ろしくレベルの高い悪魔で、この戦いが神父さんの命をも脅かすものだということは判っています。……けれど、もうあなたにお縋りするしか私たちに生きる道はないのです。……お願いします、私たちに力を貸して下さい……。できる限りのお礼はいたします……。」
 レインとスレッドは顔を上げ、縋るような目でフェイスマンを見た。レインがフェイスマンの手を握り締めている。
「…………………………任せて下さい……奥さん。」
 女性に頼まれると嫌と言えないのが彼のいいところ。レインの手を握り返し、いつの間にか力強く頷いている自分に気づくフェイスマンであった。
“モンキーの奴……! 帰ったらただじゃ置かないぞ……。”
 心の奥で、マードックへの呪詛の言葉を唱えながら……。
「よし、決まった! コング、俺たちはウロルとトロジミールのウズベク・マフィアを退治に行くぞ。フェイスが悪霊を祓っている間にだ!」
 ハンニバルが雄々しく宣言した。
「え、俺は?」
 マードックが問う。
「モンキー、お前はフェイスと一緒に悪魔祓い。」
「えーっ、何で何で!?」
 マードックが口を尖らせた。
「ま、いわゆる連帯責任ってやつだ。それに、本当に悪霊のせいだった場合、フェイスよりは太刀打ちできそうだしな。」
 言えてる。



 次の朝、早速作戦行動に……入りたいAチーム。ハンニバルとコングは何のためらいもなくビーツ畑の偵察に出動した。レイン・オースティンは農作業に出勤し(何しろスレッドは諸事情により出勤できないため)、オースティン邸に残されたのはスレッド・オースティン、マードック、イヤソーニ神父(命名マードック)の、実体のある3人。それからもしかしたらスレッドに取り憑いた悪霊も一緒にいるかもしれない。それを数に入れるなら4人である。なお、昨日から名前だけ出ているリンリンファンファンロコロコについては所在も実体も数も不明なので数えないことにする。
「……ああもう、悪魔祓いって言ったって、何から始めていいのか判んないよ。」
 無理矢理神父服を着せられたフェイスマンが頭を抱えた。その横で、少年合唱団姿のマードックが目を閉じて小声で賛美歌を歌っている。
「ねえ、スレッド、全然心当たりとかないの?」
「悪霊にですか? ないですよ。俺、敬虔なクリスチャンなんですから。」
 スレッドが心外そうに答えた。
「そういう神様に近い人ほど取り憑かれやすいのかもよ。悪魔にとっちゃクリスチャンは目障りだろうし。」
 マードックがしたり顔で言う。その額にはロウソクが2本、三角鉢巻で留められている。
「そうでしょうか……。そうだとしたら、これは神が俺に与えた試練かもしれないな……。」
 スレッドはそう言うと、胸で十字を切った。因みに悪霊は神の管轄下にはないので、多分神が与えた試練ではない。
「……ねえ、まだ悪霊と決まったわけじゃないじゃない。問題を整理してみようよ。スレッド、畑に行くと暴れるようになったのは、確か先月だったよね?」
「はい。」
「その前に何か変わったことは起きなかったかい? ショックなことがあったとか……ストレスが溜まってたとか……。」
「……確かに土地を手放した時にはかなりストレスはありましたが……先月は別に……。それに俺、暴れてる時の記憶がないんで、ストレス解消にはなってませんよ。」
「じゃあ、やっぱり何かに取り憑かれてるんじゃないの? よくあるんだよねー、そういうの。俺なんて四六時中いろんなのが取り憑いてくれちゃって、体がいくつあっても足りないよ……。まず靴下のソッキーでしょ、スニーカーのメルセデスでしょ……。」
「それは取り憑かれてるんじゃなくて、お前が自分で履いてるの! ああもう、全然話が進展しないんだから。」
 フェイスマンが言った。黙り込む2人。しかし、その沈黙を破ったのは、またもやフェイスマンだった。
「いいことを思いついたぞ、スレッド!」
「何?」
「何ですか?」
 フェイスマンはしばらくもったいつけた後、こう言った。
「精神病院行ってみない?」
 うーん、建設的!



 その頃、ビーツ班のハンニバルとコングは、ウロルとトロジミールのビーツ畑の端っこに立っていた。青々として所々赤い西瓜畑とは対照的に、ビーツエリアはひどい有様だった。本来ならば1メートル程度の高さになるはずのビーツの茎は、よくて80センチ、ひどい所は20センチにも満たない。
「あれで収穫があるのか? このビーツ畑。」
 双眼鏡を目に当ててコングが言った。
「素人だな、こりゃ。」
 ハンニバルも呟く。
「素人で当然だろう、奴らが本当にマフィアなら。」
 そりゃそーだ。いくら兼業農家が当たり前のご時世でも、あまりマフィアは兼ねない。また、マフィアが資金源として農業を選ぶという話も聞いたことはない。それではあまりにも地道すぎる。
「奴らのアジトはどこだ? 建物は見えないが。」
「……あの外れにある小屋じゃねえか?」
 コングが畑の外れを指差す。
「あれは納屋だろう。」
「にしちゃ大きいぜ。」
「だが人家にしてはお粗末だ。」
 ハンニバルは西瓜畑を振り返った。畑の向こうのなだらかな丘の上に、オースティン邸が建っている。2階建ての西欧の城をコンパクトにしたようなデザインは、豪邸とは言えないまでも、ニューヨークのベッドタウンであるこの辺りに溶け込む程度の門構えではある。それに比べ、今議論の対象になっている木造の建物は……やはり“納屋”と呼ぶのが適切かもしれない。
「だが他に建物はなし。行ってみるだろう、やはり。コング、ビーツに隠れて右から近づけ。」
「おう、それであんたは左か?」
「いや、真正面から行きましょう。敵さんのお手並み拝見、ってやつよ。」
「判った。」
 コングは、ささっと(気持ちだけ。実際にはどすどすっと)右手に消えた。ハンニバルはゆっくりと深呼吸をすると、目指す小屋に向かって堂々と歩き始めた。



 ハンニバルとコングがそれぞれ小屋まであと20メートルの地点まで近づいたその時……。
 バキューン!
 ビーツ畑に銃声が鳴り響いた。ハンニバルの足下から煙が上がっている。
 バキューン!
 ビーツ畑を匍匐前進していたコングの右20センチの土も深く抉られた。明らかに小屋からの発砲である。
「近づかない!」
 小屋から声がした。
「それ以上近づくは殺すを意味する! お前死ぬ!」
 たどたどしい英語であるが、言いたいことは通じている。ハンニバルはゆっくりと両手を挙げた。居場所がバレてしまっては隠れている意味がないコングも立ち上がった。
 バキューン!
 コングの足下に、もう1発弾丸が弾けた。
「息をしろ! ……違った、動くな!」
「どうすりゃいいんだよ。」
 コングが両手を挙げながら呟いた。
 小屋の扉がゆっくりと開き、戸口に現れた声の主は身長2メートルはあるであろう大男であった。黒髪、黒い眼、30絡みの美丈夫だが、額には大きな傷痕があり、銃を構える腕の袖口からは蛇のタトゥーが覗いている。そして、銃の腕は確か。これは手強いかもしれない。
「ここは俺たちの畑だ。お前たちは出ていく。もし出ていかない、お前たちは明日ビーツの肥やしでしょうから。」
 そして、やっぱり英語は下手。
「初めまして、ウロル……トロジミールか?」
 ハンニバルは、外人への挨拶はまずハウドゥユドゥから始める主義であった。
「ウロルだ。」
 男が言った。
「そして僕がトロジミール。」
 背後から声がし、コングは背中に冷たいものが押し当てられるのを感じた。銃口だ。
「僕たちのことを知っている即ち君たちは多分あの西瓜栽培農家と関係がある人物である。」
 トロジミールの方が語学の面では優秀なようだ。
「おう、その通りだ。」
 コングは答えた。
 トロジミールは銃口をコングに向けたままゆっくりと回り込み、ウロルの横に立った。これで2対2、向かい合った格好だが、こちらは丸腰、分が悪いのは目に見えている。しかし、正面から向き合ったトロジミールは、意外なほど華奢な男だった。鳶色の髪に茶色の眼、20歳は過ぎているのだろうが、夜目で見たら10代の少年で通りそうな容姿。
「ウロル、トロジミール、俺たちは別にお前たちのビーツ畑をどうこうしようとは思っていない。お前たちがオースティン家の西瓜畑に行っている悪行について直ちに中止し、オースティン夫妻に対する謝罪、弁償を求める。」
 ハンニバルが偉そうに言い放った。
「難しい言葉を使うな!」
 ウロルが叫んだ。
「ウロル、奴らは“ごめんなさいと言ってお金を払え”と言っているんだ。」
 トロジミールが通訳をする。
「それは俺の嫌なことだ!」
 ズギューン!
 トロジミールが発砲した。弾丸は明後日の方向へ飛んでいった。
「ウロルは断ると言ってる。僕の意見も一緒だ。」
「……それくらい判る。」
 ハンニバルは溜息をついた。
「僕たちの土地から出ていけ。そして二度と僕たちに近づくな。オースティン家の悪魔たちにもそのように伝達しておけ。」
「……判った。今日のところは退散するとしよう。しかし今後、お前たちがオースティン家への嫌がらせをやめないなら、俺たちも手加減はしないので覚えておくように。」
 ハンニバルがにかっと笑った。
「お前たちは帰る。悪魔の手下め。」
 ウロルが呟いた。
「行け。背中から撃つような真似はしない。」
 トロジミールの言葉に、ハンニバルとコングは回れ右すると、ビーツ畑を後にした。これ、いわゆる“敗走”ってやつか?
「なあ、ハンニバル……。」
「何だ?」
「奴ら、確か“オースティン家の悪魔たち”って言ってたよな。……“たち”って、誰だ?」
 ハンニバルはポケットから葉巻を取り出して火を点けた。
「……俺もそれを考えていたところだ。オースティン家には、まだ会っていない人物が推定3人いる。」



 所変わって、ここはNYのとあるメンタル・クリニック。フェイスマンとスレッドの2人は診療室で不安げに医師を待っていた。今回の遠征にマードックは欠席である。
「待たせたわね。」
 ウェイティングルームの扉をばーんと開けて、派手な女が診療室に入ってきた。精神科医、ノーマ・B。マードックの知り合いかと思いきや、ここの女医はフェイスマンのガールフレンドの1人なのであった。
「久し振りにテンプルトンから電話してくれたと思ったら、仕事の話なの?」
 ピンクの白衣に赤いセルロイドフレームの眼鏡をかけた女医は、嫌そう(かつ嬉しそう)に言った。
「……ああ、ごめんよノーマ。僕だってできれば仕事がない時に君に会いたいさ。でもね、ほら、僕ってお人好しだろ? 友達が困ってると放っておけなくてさ。」
 フェイスマンはさり気なく診察台(スレッドが寝ている)から立ち上がり、ノーマの肩を抱きに行った。
「今日だって本当はこんな奴につき合ってないで、君とマキシムにランチに行きたいんだよ?」
「そうね、いい考えだわ。」
「でもさ、ほら、この後も予定が詰まっていてさ……実は2時間しかないんだ。……悪いけど、約束はこの次ということで、さっさとこいつの診療をしちゃくれないか。」
 腰は低いが言いたいことは言うフェイスマンである。何でこんな男がモテるのだろう。
「……判ったわ。」
 ノーマは微笑んだ。
「でも、もし私が2時間以内で診療を終えたら、残りの時間は私とランチに行ってくれるのかしら?」
「もちろんだとも! もし君がスレッドの病気を治してくれたら、ランチに真珠のネックレスをつけよう。ジャクリーンタイプ(3連)でもOKさ!」
 フェイスマンは言った。もちろん98%は嘘っぱちである。2%は真実を混ぜるのが正しい嘘のつき方とすると、正しい2パーセントは、ジャクリーンの名前が合致していることくらいか。
 診察台では、スレッドが冷やかな目でこの茶番を見つめていた。
「取り敢えず経過を話して頂戴。」
「実は(以下略)というわけなんだ。」
 フェイスマンとスレッドは、これまでの経緯を彼女に説明した。
「じゃ診断するわ。」
 一通り話を聞いた女医が言った。彼女に視線が集まる。
「この人はね……。」
「スレッドは?」
「精神病でもストレス過多でもないわ!」
「じゃ、やっぱり俺は悪霊に取り憑かれて……。」
 スレッドが不安げな声を出した。
「馬鹿ね、悪霊なんているわけないでしょ。」
 ノーマが鼻で笑った。さすが科学者。
「この人はね、催眠術にかかってるの。」
「催眠術!?」
 驚く2人。
「そ、催眠術。誰がかけたかは判らないけれど、西瓜畑を見たら暴れ出すようにインプットされてるのね。」
「誰が俺にそんなことを……。」
 唖然とするスレッド。
「知らないわ。だけど催眠術なんだから、かけた人に解いてもらいなさいね。さ、テンプルトン。」
 ノーマがフェイスマンに向き直った。
「あと1時間57分あるわ。ランチと、それからもう少し楽しめるわね?」



「どうする、ハンニバル。リンリンファンファンロコロコが何者であれ、ウロルとトロジミールが嫌がらせをしていることは確かだぜ。」
 オースティン家の西瓜畑をオースティン邸に向かって突っ切りながらコングが言った。
「ああ、しかし奴らは武装している。こちらも装備を整えて、今夜突っ込むか。」
 コングに負けず劣らず大きなスライドで、ハンニバルもずんずん歩いていく。
 向こうの畑の中で、レインが1人で収穫作業に勤しんでいる。
「……大変だな、彼女も。この広さを1人でだ。」
「おう、戻ってシャワーを浴びたら、俺も手伝いに行くぜ。」
 コングちゃん、やっぱりいい奴。
「そう言えば、フェイスの奴、悪魔祓いの首尾はどんなもんですかね。」
「……きっと何も進んじゃいねえさ。」
「そうでしょうねえ。ま、期待はしていませんけどね。」
 言いつつ2人はオースティン邸に到着した。
「戻ったぜ!」
 玄関ホールでコングが叫んだ。返答はない。
「フェーイス!」
 ハンニバルも叫んだ。
「……返事がねえな。」
「ああ、やけに静かだな。出かけたのか?」
「本物の神父んとこ行ったのかもしれねえな。」
 2人は玄関ホールを突っ切り、居間へと向かった。
「スレッド!」
 呼びつつ居間の扉を開けた2人が見たものは……血の惨劇だった。
 テーブルは脚が折れて傾いていた。ソファは後ろに引っ繰り返り、カーテンは全てレールから外れて床に落ちていた。シャンデリアは崩れてパーツが飛び散っている。
「ひどいな、こりゃ。」
 ハンニバルが言った。
「ああ、何てこった。」
 更には、床と言わず壁と言わず至る所に血痕が残り、居間はさながら殺人現場のようにすら見えたのだった……殺人?
「フェイスたちはどこだ?」
 ハンニバルが気がついたように言った。その声には、柄にもなく恐れの色が滲んでいる。
「いねえのか、それともやられちまったのか……。」
 2人は改めて室内を見渡した。
「おい、ハンニバル!」
 コングは叫ぶなり、いきなり走り出した。ハンニバルも後を追う。
 倒れたソファを飛び越えた向こう側に2人が見たのは、散乱するフォークやナイフ、割れた食器の海に気を失って横たわるH.M.マードックの姿だった。
「モンキー!」
 駆け寄る2人。
「おい、しっかりしろ!」
 コングがマードックを抱き起こした。
「……デ、デビル……。」
 マードックが呟いた。
「デビル!?」



「帰ったわよ!」
 玄関から声がした。レインだ。
「レイン!」
 ハンニバルが叫んだ。
「レイン、大変だ、早く来てくれ!」
「どうしたの!? 何があったの?!」
 レインが居間に駆け込んできた。
「まあ! ……これは……。」
 部屋の様子を見て絶句するレイン。
「ウズベク人の所から帰ってきたらこの有様だ。しかも、スレッドとフェイスがいない。」
 ハンニバルが深刻な表情で言った。
「ああ、それでこの野郎が気を失って倒れていたんだ。」
 コングがマードックを抱え上げながら言った。
「私にも……一体何があったのか……。」
 言葉を濁らすレインは、明らかに何かを知っていそうな匂いがした。
「……だから悪魔の仕業だって。」
 抱え起こされて意識を取り戻したマードックは、まだ足下がふらつくらしく、コングに掴まって立ち上がった。
「……悪魔って、スレッドか?」
「違うよ、スレッドとフェイスはマンハッタンの精神科医んとこ行った。スレッドを見てもらうんだって。」
「じゃあ悪魔ってのは……。」
「悪魔は悪魔だよ。いやー、すごい悪魔だった。奴ら10分足らずでここをこんなに目茶苦茶にして、おまけに冷蔵庫開けてトマジューと牛乳飲んでった。」
「牛乳? 悪魔がか?」
 コングが訝しげに尋ねた。
「レイン。」
 ハンニバルが呼びかけた。
「聞きたいことがある。」
「判ってます。」
 レインが答えた。ハンニバルたちの顔を見ないように、わざと背を向けながら、割れた食器類を拾い集めている。
「……紹介しなかったのは悪かったと思っています。……でも、あの子たちは今回の件には何の関係もないんです。」
「……あの子たちって……リンリンファンファンロコロコのことだね? 奴ら一体何なんだ? どうして姿を見せない。」
「きっと、そこらで満腹になって寝ています。檻はまた破ったようだし。」
 レインはテキパキとテーブルを片づけ、椅子を並べ直した。
「さ、座って。リンリンファンファンロコロコを紹介するわ。」
“悪魔を……紹介するって……?”
 不審な思いを抱きながら、3人は席に着いた。
「じゃ、呼ぶわね。」
 レインが思い切ったように言った。手にはアルマイトの洗面器とお玉を持っている。
「リンリンファンファンロコロコ! ご飯よ!」
 お玉で洗面器をガンガン叩きながら叫んだ。
「リンリンファンファンロコロコ!」
 ダダダダダダダダ……!
 家の奥から何かの群れが全速力で走ってくる音がする。
“悪魔が来る……。”
 身構えるコング。
『ぶいひー!』
『がふー!』
『ばうふー!』
 ドッカーン!
 ドアを蹴破る勢いで3つの物体が部屋に躍り込んできた。真っ黒い獣だ。確かに悪魔(の使い)と言ってもいいかもしれない。
 ドカドカドカドカ!
 獣たちは意味もなく部屋を五周ほど走ると、レインの足下までやって来て、椅子の脚をがりがり齧り始めた。
『ずびー(甘えている)。』
『ぐなー(甘えている)。』
『げふっ(噎せている)。』
 と妙な声を上げながら一心不乱に椅子の脚を噛む3頭を、呆気に取られて見守る3人。
「……レイン、この黒いのは何かな?」
「……ご覧の通りよ。」
「ご覧の通りと言われても、見当もつかないんだが……小熊か?」
「デビルだよ。」
 マードックが言った。
「いいから黙ってとけ、この野郎。」
 コングが言った。
「当たってるわ、デビルよ。」
 レインが言った。
「デビルだって!?」
「……だと!?」
 声を揃えるハンニバルとコング。
「正式にはタスマニアン・デビル。雑食で、結構獰猛なため黒い悪魔と呼ばれている……だよね?」
 マードックがレインに問うた。レインが無言で頷く。
「でもこいつら、オーストラリアの保護動物じゃなかったっけ? 何でこんなアメリカの西瓜農場にいるの?」
「……済みません……数年前オーストラリアに旅行に行った時、この子たちに会って……あまりの可愛さに、密輸しました……。あの時はまだ子供だったので、こんなに凶暴になるとは思ってもみなくて……。」
 レインは遠い目をした。
「何で今まで俺たちに黙っていたんだ?」
「済みません……もし動物保護協会にでも連絡されたら、この子たちが連れて行かれてしまうんじゃないかと思って……。」
 レインの目には涙が浮かんでいた。
「少し乱暴ですが、もう我が子同然なんです。この子たちと別れたら……私もスレッドも生きて行けません……。」
「連絡なんてしないさ。もし最初から会っていても、こいつらがそんな大層な動物だなんて気づきやしない。」
 ハンニバルが言った。
「そうだとも、珍種の犬だとでも言っておいてくれたら信じたのによ。」
 それはどうだろう、コング。
「ただいまー。」
 と、その時、玄関から声がした。
「スレッドだわ。」
 レインが言った。
『ぐぴー(喜んでいる)。』
『にゅーん(喜んでいる)。』
『ぶひー(喜んでいる)。』
 帰ってきたスレッドに、3匹が飛びついていった。
「やあ、ただいま、子供たち。元気にしてたかい?」
 スレッドが3匹の体を擦ってやる。
「何、そいつら? ……それにすごいね、部屋どうしたの?」
 フェイスマンが3匹を避けながら言った。
「紹介しよう、フェイス。」
 ハンニバルが言った。
「これが噂の、リンリンファンファンロコロコのお三方だ。」



 その夜、何とか片づけを終えたオースティン家の居間では、Aチームとオースティン夫妻による会議が開かれていた。
「問題を整理しよう。」
 ハンニバルが言った。
「まず、ウロルとトロジミールだ。奴らがオースティン家に相当な反感を持っているのは確かなようだ。嫌がらせと中傷も奴らの仕業であることは間違いない。」
「ええ、それは判っています。ですから、何とかして戴きたいと皆さんをお呼びしたのです。」
 何が言いたいんだ、という顔でスレッドが言った。
「が、問題は動機なんだ。」
「動機?」
「ああ、奴ら、一見したところ、特に西瓜には恨みや反感はないらしい。それよりも、あんたたちのことを悪魔扱いして恐れているようだったな。」
 コングが言った。
「悪魔?」
「……悪魔ってのは、暴れてるスレッドのことも指すんだろうが……。どうだろう、レイン、奴らはリンリンファンファンロコロコのことを知っているのか?」
「……知らないと思いますが、あの子たちは昼間脱走していることが多いので、会っているかもしれませんね。」
 スレッドが答えた。
「で、タスマニアン・デビルっていうのは、ビーツも食べるのかな?」
「雑食ですから、当然食べるでしょう。」
 ハンニバルとコングは顔を見合わせて溜息をついた。
「スレッド、レイン、どうやら問題の根源はそこら辺にありそうだ。」
「と、仰いますと?」
「ウロルとトロジミールはマフィアじゃないよ。ウロルはどう見ても兵隊上がりだ。トロジミールは学者タイプ。……さしずめ政治亡命者だろう。アメリカへ来て心機一転農業を始めました、ってところじゃないか。」
「その亡命者が、どうして私たちの西瓜畑に嫌がらせを?」
「残念だがな、最初に嫌がらせをしたのは奴らじゃねえと思うぜ。」
 コングが言った。
「……うちの子たちのことですか?」
「ああ、いくら可愛くても自分の飼い主にすらあれな熊だろう。しかもビーツを食うとなりゃ、ウロルとトロジミールの畑を襲ってねえと考える方が不自然だぜ。」
 熊じゃないけどな、コング。
「そこに来て、スレッドの悪魔つきだ。奴らだって、相当怖かったんじゃないか?」
 フェイスマンが言った。
「スレッド! そうでしたわ、スレッドの方はどうだったんです!?」
「ああ、スレッドね、催眠術にかかってるらしいよ。」
「催眠術!?」



 明け方、Aチームの4人はウロルとトロジミールの小屋を急襲し、難なく2人を捕らえた。
 踏み込んだ小さな小屋の中は、ベッドが1つとキッチン、簡単な文机が置いてあるだけの質素なものだった。
 ウロルとトロジミールの2人は、パジャマのまま椅子に縛りつけられている。
「……確かに、お前たちの言う通り、僕は政治亡命者だ。そうなったのは偶然のことだが、後悔はしていない。」
 トロジミールはきっぱりと言った。
「偶然に亡命した?」
「ああ、僕はウズベキスタン出身だが、ロシアの党本部で、工作員が集めてきた西欧諸国の軍事関係書類の翻訳兼通訳をしていた。……その関係で外国に行くことも度々あったのだが、ある時、党の幹部が渡米するのに同行してね……その党幹部がアメリカに着くなり突然亡命を表明、その時通訳をしていたんだが、一人称を間違えて“we”と言ってしまってね。で、成り行きで一緒に亡命。」
 トロジミールは自嘲的に笑った。
「……大変だったんだな。」
「どういたしまして。」
「で、そっちのでっかいのも政治亡命者か?」
 コングがウロルを指差した。ウロルは悔しそうに身じろいだ。
「……こいつはウズベクの兵士だった。どこで会ったかは覚えていないんだが、どこかで会っていたらしくてね、亡命して、僕を頼ってアメリカまで来た。」
「一目惚れだった!」
 吠えるようにウロルが言った。実際のところ何の説明にもなっていないにもかかわらず、嫌に説得力のある一言だとハンニバルは思った。特に、部屋の隅に1台しかないベッドを確認した後では。
「で、オースティン家へ嫌がらせをしていたことは認めるんだな。」
「認めるよ。」
「悪魔がビーツ壊したから! 黒い鼻の悪魔が!」
 ウロルが叫んだ。
「オースティン家のタスマニアン・デビルだな?」
「ああ、奴らのせいでうちのビーツは半壊状態だ。」
「……ビーツが育っていないのは、土地や気候のせいじゃないのか?」
「……最初の3、4年は僕たちが農業に慣れていなかったせいだ。だが、元々ビーツは寒暖のあるこういう気候の場所で育つ強い植物だ。今年は上手く行っていたのに、育った端からあの悪魔共が壊していく。西瓜畑の農場主には悪魔が憑いているし……自分たちの畑を守るためには邪悪なものは出ていってもらうしかないと思い、実行に移した。」
 Aチームはそれぞれ溜息をついた。これではこいつら、悪くないじゃないか。
「オースティン家と話し合ってみようとは思わなかったのかい?」
 フェイスマンが尋ねた。
「僕はロシア正教徒だ。悪魔と取引する気は、ない。」
 トロジミールはきっぱりと言った。
「トロジミール、気持ちは判るが、あれは悪魔じゃないんだ。」
「悪魔じゃなければ何だって言うんだ。」
「あの動物は名前は悪魔だが、実体はただの熊だ。それにスレッドも悪魔憑きじゃない、彼は催眠術にかかっていたんだ。まだどこでかかったのかは判らないけどね。だから、どうか妥協点を見つけて和解してほしい。」
「……僕たちは、謝るのか?」
 トロジミールが悔しそうに言った。
「トロジミール悪くない謝るない!」
 ウロルが叫んだ。



 その日の朝、ビーツ畑から帰還したAチームの面々は、オースティン夫妻に事の次第を説明した。
「……というわけなんだ。怒りは治まらないかもしれないが、元はと言えばこちらが悪いんだ。ウズベク人と和解してほしい。」
 ハンニバルが言った。
「判りました。」
 拍子抜けするほどあっさりとスレッドが答えた。
「……実は昨日1晩寝ずに2人で考えたんですが……私たち、この農場、やめることにしたんです。」
「何だって!」
 驚く4人。
「……考えていたんです。どこで俺が催眠術にかかったのか……。」
「心当たりがあったのか?」
 コングが聞いた。
「ありました。」
 スレッドがきっぱりと答えた。
「そりゃ一体どこで?」
「テレビです。」
「テレビだって?!」
「だと!?」
「ええ、先月放送した催眠術のテレビ番組の中で、オーストラリアの催眠術師が、こういう催眠術をかけていたのを思い出したんです。……即ち、今一番好きなものが、耐えられないくらい嫌いなものになる……。」
「ジェームス・マーチンか。」
 ハンニバルが、有名な催眠術師の名前を口にした。
「それが、西瓜だった、と。」
 マードックが言った。
「そう。そして、その時はかからなかったと思って途中でチャンネルを替えてしまったので……。」
「かかったっきり、解いてもらえなかったわけだ。」
「そう。」
「それで、農場やめるのとはどうつながるの?」
「催眠術は……。」
 レインが言った。
「かけた本人が解かなければなりません。ということは、私たちは一度オーストラリアに行かなければならないのです。」
「うん……まあそうかもしれねえな。」
「旅行中、リンリンファンファンロコロコを置いていくわけには行きません。かと言って、連れて行って、無事に連れて帰れる自信もありません。見つかったが最後、あの子たちはオーストラリアに連れて行かれてしまうでしょう。……だから私たち、オーストラリアに住むことにしました。」
「ええ、この農場売って、リンリンファンファンロコロコの故郷に、西瓜畑を作って暮らそうと思います。」
 スレッドも言った。
「そうか……。」
 ハンニバルは言った。
「うん、いい考えだと思うよ。オーストラリア人も西瓜食べるだろうし、こっちよりはタスマニアン・デビルの生態に理解がありそうだし。俺も行っちゃおうかな。」
 マードックが言った。



 かくしてオースティン家の悪魔たちはオーストラリアに旅立ち、Aチームは報酬として西瓜畑の一部を貰った。田舎の土地なんて二束三文だ、とごねるフェイスマンを諌めたハンニバルが言った言葉“ま、老後の収入源ができたと思えば”は、その他3人によって却下され、フェイスマンが貰った土地をウロルとトロジミールに売りつけるという任務を渋々(どうせウズベク人、金持ってないしぃ)実行した結果、いくらかの収入を得た。
「さて、これで今夜は御馳走食いましょうかね。」
 紺色のバンに乗り込みながら、ハンニバルが言った。
「俺、ボルシチ作ろうっと。」
 呟くマードックの両手には、西瓜とビーツが握られていた。
 なお、その後のウロルとトロジミールは、愛と努力の末、結構な大農園を作り上げたそうである。
【おしまい】
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