熱力学第2法則に背いて
伊達 梶乃
 豪華なマンションの白い壁が、南向きに大きく取られた窓が、バルコニーに置かれた鉢植えの葉が、真夏の太陽を受けてキラキラと輝いている。すぐ目の前には青と緑色の太平洋。穏やかな波が寄せては引いていく。水面を乱反射した光が、マンションの部屋の天井まで差し込んできて、ミラーボールが描く光のモザイクよりも一層複雑な模様を作っている。
 このマンションの地上部分は、今回残念ながら関係ない。
 その建物の地下駐車場の脇、空調室にAチームの面々はいた(無断で)。一筋の太陽光も入ってこないじめじめとした部屋には、裸電球が1つ、寂しげに輝いている。ぐねぐねと部屋中に渡されたパイプからは、結露した水滴がぽたりぽたりと滴っている。半ばカビに覆われたパイプが集まる所には、セントラルエアコンの巨大な本体機械が轟音を鳴り響かせている。機械もパイプもないほんのちょっとした隙間に、Aチームは住み着いていた(無料で)。
 コンクリート打ちっ放しの壁に貼りつけられた“今月の標語”は『初心忘れるべからず』。そしてもう1枚、紙(スーパーマーケットから貰ってきたチラシの裏面使用)が貼られている――ハンニバルの書いた“今月の標語”よりも大きな字で『倹約!!』と。別に、Aチームが金に困っているというわけではない。逆にここのところ財政に余裕があったため、何となく優雅な日々を送ってしまい、危うく退廃的な日々になるところだったから――コングまでが空調の利いた豪奢な部屋で古代ローマ調の食事用寝椅子(レクタス・トリクリニアリス)に寝そべり、シルクのランニング+短パン姿で怠惰に葡萄を摘み食むということをしていたのだ。
 それが今は、ゴミ捨て場から拾ってきたスプリングの飛び出したソファと、木箱の上に置かれた質流れ品のTVだけの生活をしている。もちろん空調室に空調は入っていない。無論、蒸し暑い。だがAチームの面々は、こんな生活も結構好きかもしれない、と心の底では思っていた。葉巻の灰を床に落としても、何も文句を言われない。スイカの種をそこいらに吹き飛ばしても、何も文句を言われない。
 そう、スイカを食べているのだ、彼らは。回転楕円体のウォーターメロン。暑くてたまらない時はスイカに限る――室温華氏100度、湿度70%の部屋に住み始めて2時間目にハンニバルがそう言い放ってからというもの、朝昼晩3食スイカの日が続いている。コングもフェイスマンも暑さに分別が耳から融け出しており、なぜか納得の上でリーダーの食生活につき合っている。1日に3回、フェイスマンはスーパーマーケットに出向いて、冷えたスイカ1個と牛乳1本を買ってくるのであった。
 アメリカン・フットボールの中継(再放送)が終わり、チラチラと画像が乱れる古いTVのチャンネルを替えようと、コングがスイカ(ハーフ)を抱えてソファから立ち上がり、ペンチを掴んで回した。因みに、このTVのチャンネル切り替えはボタンではなくてダイヤル、それもツマミが取れているためラジオペンチを突っ込んで回すしかない。25年くらい前の代物だろう。青白くぼやけた画面にスイカが大写しになり、コングはラジオペンチを回す手を止め、ソファに戻った。
 画面は暑苦しそうにスーツを着込んだ年若いレポーターのバストショットに変わり、彼は営業用の笑顔で話し始めた。
『こんにちは、皆さん。今日は私、全米スイカ品評会の会場にお邪魔しております。ご覧下さい、この素晴らしいスイカを。今さっき審査結果が下り、案の定この巨大なスイカは満場一致でグランプリを取りました。』
 カメラが次第に引かれ、グランプリを取ったスイカと並ぶレポーターがロングで映る。スカンジナビアの森林を思わせる濃い緑色とベルベットのような艶を持つ黒が不規則ながらも美しい縞模様を描く球形のスイカは、何と彼の腰辺りまで高さがある。
『驚くなかれ、半径20インチのスイカです。』
「……あれ本物? 張りぼてじゃないの?」
 スイカ(クォーター)の種をビールの空き缶の中に吹き出して、フェイスマンがソファの肘かけの上で尻をもぞもぞと動かした。どうもダニがいるようだ。
「すげえでかさだな。本物だったとしても、中身スカスカじゃねえのか?」
 ハーフスイカを白い部分と赤い部分のギリギリの線まで食べ終えたコングが、スプーン片手に、舟型の皮をハンニバルに渡す。これが、これから夕食までの灰皿になる。
「丸スイカ、いいな。楕円スイカでなく、丸スイカ。」
 右手に食べかけのクォータースイカ、左手にハーフスイカの皮を持ったハンニバルが画面を見つめ、独り言のように呟いた。
「丸スイカ、高いんだからね。」
 ハンニバルの意図が判って、フェイスマンが却下する。
「俺もそろそろ違うスイカ食いてえと思ってたとこだ。」
 よく舐めたスプーンをビニール袋に入れて、TVの上に置き、コングもそう言う。
「いくら倹約って言ったって、丸スイカくらい買えないわけじゃないだろう。」
 訴えるハンニバルの目は、画面の丸スイカに釘づけになっている。
「でも、丸スイカは贅沢品なの! ちゃんと俺、青果売場で計算したんだからね。丸スイカは同重量の楕円スイカより2割も高いの!」
 ムキになって口答えしているフェイスマンも、TVから発信される丸スイカの情報に“丸スイカ食べたい”の方向に流されつつある。
「そりゃあフェイス、丸スイカは身が密に詰まって甘くてしっとりと瑞々しくって美味いからじゃん。俺様、丸スイカのためならサンボのことだって裏切っちゃうもんね。」
「サンボって誰よ?」
 とフェイスマンが声のした方を振り返る。不快指数90ゆえに何だか反応がおかしい。
「こいつ、サンボ。俺の相棒。」
 左の二の腕にダッコちゃんをつけたマードックが、ソファの背もたれに片尻を乗せて、そこにいた。
「あれ、モンキー? 何でいるの? いつからいたの?」
 今更ながらフェイスマンが聞き、コングとハンニバルも振り返る。コングは眉間に皺を寄せて。
「2、3分前からかな。病院の昼ゴハンのデザートが気に入らなくってさ、逃げ出してきちまった。」
「デザートの何が気に入らなかったの? あの病院なら、デザートが出ただけでも儲けもんと思うべきじゃない?」
 本来ならデザートでしかないはずのスイカをランチのメイン・ディッシュとしている3人は、マードックの発言に少しむっとせざるを得なかった(好きでそうしているのに)。フェイスマンの言葉も気のせいか刺々しい。何せ彼はクォータースイカの左3分の1を前菜、中3分の1をメイン・ディッシュ、右3分の1をデザートだと思い込もうとしているのだから。
「あんなデザートなら、何もない方がマシってもんよ。」
 羨望の混じった3人の視線などものともしないマードック。
「ドリアンでも出た?」
「渋柿か?」
「漬け込んでねえ真っ青な梅の実だろ?」
「いやいや、そんな程度のもんなら、俺っちガタガタ文句言わねってば。」
 漬け込んでいない青いままの梅の実をデザートとして食べたら、文句を言う前に他界してると思う。
「じゃ何?」
 フェイスマンが聞き、手に持ったスイカ(デザート部分)をお行儀悪く大口を開けて齧る。
「室温よりあったかい楕円スイカのこーんな薄切り1枚。種より薄いんだぜ、信じられるう?」
 大袈裟な身振りでマードックが訴えると、彼に対する3人の態度が一変した。コングだけでなく、あとの2人も眉間に皺を寄せて、同情と哀愁の表情で“オー、ノー”と首を横に振る。そんなに薄いスイカを出すなんて! それも室温以上の温度だなんて! 温かい薄切りスイカほど哀しいものなど他にない。それも、マードックの身振り手振りに誇張や記憶違いがなければ、その厚さ、いや薄さたるやアバウト10分の1インチ。スイカをその薄さに切る病院側もかなりのテクだが、それを出された方はたまったもんじゃない。
「スイカってのはだね、こう豪快にガブッ、ザクッ、ジュジュッと食べなきゃ。」
 半月形のスイカにかぶりつく仕種を交えて、マードックが本当のスイカの戴き方をジェスチャーする。
「あ、もとい。食べる前に、あれかけなきゃね。全体にパラパラっと。」
「モンキー、お前、塩かけ派なのか?」
 塩かけない派のハンニバルが嫌そうに尋ねた。
「塩? まさか。塩なんてかけるわきゃないっしょ。」
 マードックが“あーら、やだ奥さん”の手つきをする。
「じゃあ、そのパラパラってのは何なんでい?」
「砂糖?」
「馬鹿言うなよ、フェイス、どーしてスイカに砂糖かけんのさ。決まってんじゃん、ガラムマサラに。な、サンボ。」
 サンボの頭に手をやり、無理矢理頷かせるマードック。
「……ガラムマサラはいいとして。」
 ハンニバルが、TVに依然として映っている巨大な丸スイカに目を戻す。ガラムマサラはあんまりよくないのだが。
「いつか、あんなスイカを丸々食ってみたいもんだな……。」
 全員がTVの方を向き、うっとりとした夢見る表情で腰高の丸スイカをじっと見つめる。
「……夕飯、丸スイカにしようか。」
 呟くフェイスマンに、ハンニバルとコングが無言で頷いた。



 水っぽい昼食後、Aチームは勤勉にもお仕事をするのであった。ついでだからマードックも一緒に。
「今回の仕事は何なんだ?」
 右手に葉巻、左手にハーフスイカの皮を持ったハンニバルが、公衆電話をかけにいっていたフェイスマンに問いかける。今回の依頼はたまたま目にした新聞の3行広告に『Aチームへ。お願いがあります。連絡お待ちしております』と出ていたもので、そこに書いてあった電話番号にフェイスマンが電話をかけてきたというわけだ。しかし、虚ろな目つきのフェイスマンはハンニバルの質問にも答えず、上の空。
「どうした、フェイス?」
 ハンニバルがソファ越しにフェイスマンの腕を取る。そうしてやっと彼は我に返った。
「……あ、ああ、ごめん。自分の世界に入ってた。」
 それからフェイスマンは3人に、彼らしくもない自然な微笑みを向けて言った。
「巨大丸スイカ食べられるかもしれないよ、1人1個。」
 その言葉で、Aチームは依頼が何であれ受ける気になった。MPの罠でも構わない、飛行機に乗らなければ行けない場所でも構わない、報酬がいくらでも構わない、依頼人が美しい女性でなくても構わない、巨大丸スイカさえ食べられれば。
 依頼人はフェイスマンが電話で伝えた待ち合わせ時間に、約束の場所にいた。電話連絡から約1時間後、先週ネズミに齧られて倒れたパームツリーがあった場所から1ヤード南下した公衆電話の前(マンションから徒歩5分)。指定された通り、小脇に使いかけのボックスティッシュ1個を抱えて。
「結構いいでしょ、依頼人にティッシュボックス抱えさせんの。」
 バンの中から依頼人を認め、フェイスマンが得意気に言う。
「どこの家にもあるもんで、それでもって普通は持ち歩かなくて、あってもそう邪魔にならないものって、他にある?」
 他にも色々とあるかもしれないが、取り敢えずフェイスマン以外の3人は思いつかなかったので、曖昧な表情を浮かべるだけにしておいた。そしてハンニバルが指示を出す。
「コング、彼の前に停めろ。」
 公衆電話の前にバンが急停車するなり、ドアが開き、車の中から腕が伸びて依頼人を捕らえる。呆気に取られた彼は、叫び声を上げる間もなく一瞬のうちに車の中に引き込まれ、目隠しをされた。
 後部座席に依頼人を座らせ、バンが発進する。
「君、ミスター・ヤマダ?」
「その声は、さっき電話くれた人ですね。そうです、ピョートル・ヤマダです。」
 依頼人、ピョートル・ヤマダは相手がAチームだと判って安心したのか、シートにゆったりと背をもたせかけた。1組のパルプ製品をはみ出させた箱を抱えたまま。
「ピョートル・ヤマダってからにはロシア系日本人?」
 補助席のマードックが首を捻った。しかし彼の肌は先住民系の薄い褐色をしているし、木炭色の髪は天然パンチに見える。それでもって、瞳の色は鮮やかな緑。
「いいえ、ちゃんとアメリカ国籍持ってます。祖父は日本人ですけど。」
 言葉には微かにヒスパニックな訛りがある。どうもよく判らない血の混じり方をしているようだ。
 30分ほど市内のあちこちをドライブし、地下アジトの場所を確定できないようにしてから、彼らは例の蒸し暑い一室に戻ってきた。そこで初めて、依頼人の目隠しを取る。
 ドライブ中にヤマダから聞いた話を次に挙げよう。
 ピョートル・ヤマダはロサンゼルスのすぐ近隣パサデナにあるカリフォルニア工科大学のドクターコース在学中のマスターで、専攻は生物学、それもバイオテクノロジー(現在、学校は夏期休暇中だが、院生は研究室に自由登校)。住まいはキャンパス内の学生寮(個室、電話・バス・トイレつき)。生家はサンディエゴ郊外の国境近くにあり、楕円スイカがポピュラーなアメリカでは珍しい丸スイカを生産している。何でも、彼の祖父が日本から丸スイカの苗を密輸入したらしい。彼自身は大学院で種なし楕円スイカの研究をしているのだが、家から送ってもらった丸スイカを使って遊び半分で体細胞融合の実験をして、調子に乗って39倍体を作ってみたら思いの外上手く行って、カルスも順調に生育し、半年足らずで巨大スイカがゴロゴロとできてしまったのだ。全米スイカ品評会でグランプリを取ったスイカも、家のスイカ園の名前で出品したが、実際作ったのは彼なのである。葉も茎も根も花も、並みのスイカの3倍体の大きさで、それほど扱いにくいわけではないのに、実だけは39倍(体積比)で、害虫もつかず、種もなく、何と言っても味がいい。普通なら大きく立派なスイカを作るため、1本の茎から1個のスイカができるように花を間引くところを、遊びだということで好き勝手に成長させておいて、間引きもしなかったのに、いくつもの巨大スイカが結実し、一番大きかったのが例の半径20インチのスイカで、15インチ級や10インチ級のものは彼の手に余るほどできてしまった。
「それで、君はAチームに何を頼みたいのかなあ?」
 肝心な依頼内容にいつまで経っても辿り着かないヤマダの話に、いい加減イライラしてきたフェイスマンが、それでも優しい口調で問う。
「もう少し前置きがあるんで。でも、皆さんがあのニュースをご覧になってたから話が早くてよかったですよ。あれじゃスイカ品評会が今日あったみたいに思えますよね。あの映像、一昨日のものなんです。TV見てて判りました?」
 ソファに腰を落ち着けたヤマダが、ティッシュボックスを脇に置く。
「へえ、一昨日のなんだ。判んなかったよ。」
 額に血管が浮き出しそうになるのを堪えて、フェイスマンが口の端をヒクつかせている。
「あのスイカ、愛称ケーテって言うんですけどね、グランプリ取ったのはケーテ1号なんです。ケーテってのは僕の母の名前を貰って――。」
「質問。」
 マードックが挙手する。
「あんたのお袋さんって、どこの人?」
「ドイツ系アメリカ人です。出身はボルチモア。」
 彼の人種がどんどん判らなくなってくるマードックだった。
「はい、話の続き。ケーテがどうしたって?」
 ハンニバルが話の核心に出会いたく、ヤマダを促す。
「何だっけ……そうそう、ケーテは大学の実験農園で秘密裡に作ってたのに、品評会の前から、どこから漏れたのかケーテの噂が飛び交っていたんです。噂では家のスイカ園で巨大スイカを作ってるって話になってて、大振りのスイカが盗まれたり、割られたりしたらしくて。僕、最近家に帰ってないんで詳しいことは知らないんですけどね。だけど、僕の方にも矛先が向いてきたのか、この間、遂に研究室に泥棒が入って、僕の実験ノートとデータのファイルとフロッピーが盗まれたんです。他には何も、金目のものも薬品も他の人のノートも取られてないのに。多分、ケーテのデータが目当てなんじゃないかと思うんです。でも、あれ冗談のつもりだったから、データなんて最初っからないわけですよ。警備員が夜中に実験農園で怪しい人影を見たっていう事件もあったし。ああ、実験農園って、温室で鍵かかってて、関係者以外立入禁止なんです。まあ、その時には温室から何も取られなかったみたいで。ケーテたちは盗むにも重いですしね。半径から計算すると、ケーテ1号は大体1200ポンドありますから。」
「1200ポンド!」
 Aチーム揃って驚きの声を上げる。1200ポンドと言えば、約コング5.5人分。よく自重で潰れないもんだ――皮が頑丈と見た。
「転がしてけば割と楽なんですけど、ちょっとやそっとじゃ持ち上がりません。」
 ヤマダは楽しそうに微笑みながらも、首を横に振る。
「ちょっと待てよ……。」
 話を脱線させる気は全くないのだが、金の話が出てしまってはフェイスマンの辞書に我慢という文字はない。麻のシャツのポケットから計算機(古称、電卓)を取り出す。
「30ポンドくらいの楕円スイカが特売で約5ドルだろ、丸スイカで1200ポンドとなると……希少価値とか付加価値を考慮に入れなくても約200ドル、それを入れたら……。」
「3、400ドルにはなりますね。」
 フェイスマンの眉がくっと上がり、瞳が輝いた。
「スイカ1個売って3、400ドル……。それに、そんなスイカ作りの技術があるんだったら特許取って、黙ってても手に入る特許料が――。」
「特許は無理です。」
 きっぱりとヤマダが言い、フェイスマンが上がってしまっていた肩を落とす。
「何でよ?」
「特許申請しても許可が下りないからです。」
「どうして?」
 飽くまでも食い下がるフェイスマン。特許を軽く考える一般人には、特許料という美味しい響きしか知られていない。
「結局ケーテは倍数体でしかないからです。スイカの倍数体の製法はもう既に確立されているものだから特許は取れないし、もし仮に何かの間違いで特許が取れたとしてもケーテは商売につながらないから特許料は期待できません。」
「商売につながらないなんてはずないでしょ?」
 真剣に抗議するフェイスマンを、ハンニバルとコングが困った顔で見ている。マードックはヤマダの家系図についてサンボと話し合っている。
「あの大きさじゃ売るにも場所を取るし、3、400ドル出してケーテを丸々1個買ってく人がいると思いますか? 切り売りしたら意味ないでしょう? 1200ポンドじゃ流通過程に支障を来すし、量産できなきゃ特許取っても無駄なことです。それに、特許申請すること自体すごく面倒だし、申請しても許可が下りるまで何年もかかるし、挙げ句に許可が下りなかったりするんですからね。」
「……そうなんだ……。」
 がっくりと項垂れ、フェイスマンがすごすごと陰に隠れる。
「日本人なのは親父さん方の祖父ちゃん? 親父さん方の祖母ちゃんは? お袋さん方の祖父ちゃんと祖母ちゃんは?」
「父方の祖父が日本人で、父方の祖母はメキシコ人で、母方の祖父がドイツ人で、母方の祖母はイラク人です。」
「で、俺たちに何を頼みたいんでいっ!?」
 待てど暮らせど依頼の本質に触れず、堪忍袋の緒が切れたコングがTVの乗っている木箱を叩き潰した。TVが転落し、ブラウン管が割れる。TVの上に乗っていたスイカ用スプーンがコンクリートの床に落ち、涼しい音を立てる。
「……というわけで、近いうちにケーテが狙われると思うんです。1号は品評会の会場で食用に供されたんでもうありませんけど、2号以下が実験農園にあるんで……。」
「それを護ってほしい、と。」
 おシャカになってしまったTVに十字を切り、ハンニバルが口を開いた。
「ええ、それもあります。でもどっちかって言うと僕は、犯人を捕まえて、何でケーテを狙うのか、狙ってどうするのかを聞いてほしいんです。それから是非ともノートとファイルとフロッピーを返してもらいたいですね。あと、家のスイカ畑を荒らしたのも同一の犯人だったら、被害に遭ったスイカの代金を払ってもらいたいです。ケーテは、結局スイカですから、誰かの口に入るってことなら僕はどうこう言いません。叩き潰されて捨てられるのはもったいないですけど。」
「そんなこたあ警察に頼みゃいいだろ、俺たちじゃなくってよお。」
 壊れた木箱とTVを片づけながら、コングが言う。
「僕、警察のこと信用してないんです。嫌いですし。」
 ヤマダにも若気の至りの時期があったのだろう。その言葉にしみじみと頷くAチーム一同。
「それに、この事件の犯人は全ス連の誰かか、全ス会の誰かか、産業スパイだと思うんで、どうも身内の恥って気がしてならなくって……。」
「産業スパイは判るが、全ス連とか全ス会ってのは?」
 ハンニバルが葉巻の煙に目を細めて問う。
「全米スイカ生産者連合、略称全ス連。全米スイカ愛好会、略称全ス会。」
 世の中にはわけの判らない団体が多すぎる。Aチームにとって、全ス連とか全ス会というのは初めて聞く名前だった。しかし、あってもおかしくない団体である。
「今回のこと、上手く片がついたら、お礼にお好きなケーテを1個ずつ差し上げます。僕、皆さんにお支払いできるほどお金持ってなくって申し訳ないんですけど、それでいいでしょうか?」
 ケーテ4個ということは、1200〜1600ドル相当。黙っているAチームを不安そうに見回して、承諾してくれないのでは、と思ったヤマダは言葉をつけ足した。
「ケーテ1個ずつじゃなくって、全部差し上げます。それから、ヤマダスイカ園のスイカ、一夏限り食べ放題もつけます。これで受けてもらえますよね?」
 ケーテ1個ずつでも受けるつもりでいたAチームは、棚からボタ餅な申し出に、溢れ出しそうな笑顔をぐっと堪えて、神妙な顔つきで頷いた。
「ありがとうございます!」



 早速その夜、Aチームはヤマダの手引きでカリフォルニア工科大学に潜り込んだ。学部生は夏休みだが、院生が研究室に泊り込んで実験をしていたり、帰省しない寮生が教室に集まって酒盛りをしていたりと、校内はそれなりに人気がある。
 この時季、警備員は普段以上に忙しい。高価な機器や危険な薬品を盗まれないようにするだけでなく、泥酔した学生を介抱したり、酒の勢いで備品を壊されないようにする役目まで担っているからだ。だが、Aチームがそんなことまで知っているわけはない。
 警備員室に押し入り、常備している睡眠薬で警備員を眠らせ、制服を奪う。そして、下着姿で眠る警備員をロープで縛り、ロッカーに押し込む。
 きっと明朝、学校内は大変乱雑な状態になっていることだろう。廊下が酸味を帯びた刺激臭を発するエタノール含有量の多い咀嚼済みの混合物で汚染されていたり、窓ガラスが強制的にクラックを生じさせられていたり、アルデヒドを酸化する能力に劣った肝臓の所有者が重力に屈していたり、と。しかし、そうなったところで、Aチームには関係ない。
「さてと、行きますか。」
 警備員の制服(ちょっときつい)に身を包んだハンニバルが制帽のつばをぐいっと引き下げる。
「待ってよ、まだネクタイ結んでないんだから。」
 フェイスマンが鏡を覗き込んでネクタイを結ぶ。
「ネクタイなんかしなくたっていいだろが。」
 ぴっちぴちの制服を無理矢理着たコングは、第1ボタンどころか第2ボタンすらはめられない。ネクタイなんてもっての外だ。
「大佐とフェイスはそういうの似合うんだけどさ、何かコングちゃんにはぴったし来ないんだよねえ……。」
 そう言うマードックの出で立ちは、と言えば、警備員が3人しかいないことは事前に判っていたため、茶色の全身タイツ、頭には梢(蛸ではないので注意)を模った被りもの、両手は枝。左腕のサンボは、木の実に変装済み。黙ってじっと立っていれば、夜目遠目には立派な樹木に見える……はず。
「お待たせ、準備OK。」
 腰のベルトにトランシーバーを差し、フェイスマンが髪形を気にしながら制帽を被る。
 警備員室のドアを開けようとしたマードックがノブを掴めずにいる(彼の手は現在枝でしかない)と、コングが馬鹿にしたような表情でノブを回した。警備員室からぞろぞろと出てくる3人の警備員と1本の樹木。3人は散開して校内を徘徊し始め、マードックは真っ直ぐ実験農園に向かった。
 実験農園の前では、温室の鍵を持ったヤマダがマードックが来るのを待っていた。樹木フル装備のマードックを初めて目にして、言葉を失うヤマダ。まあ普通、こんなもん何度も目にするわけはないが。震える手で鍵を開けて、中に入る。
「ケーテはあそこです。」
 平静を装ってヤマダが小声で言い、温室の片隅を指差した。大きな球体が月明かりに照らされ、ただゴロゴロと転がっているように見える。しかし、よく見ると各々の球体は細いツルでつながっており、ツルの根元の方にはゴミ用ポリペール。
「ゴミ箱で栽培してんの?」
「最初は植木鉢だったんですけど、根が育っちゃって。実験用の畑に根づかせるわけにも行かないし……。」
 ゴミ箱の横に整列する14個の球体。マードックにとってさえ、かなり珍奇な光景である。噂が飛び交っても仕方ない。
「この辺でいいかな。」
 びっしりと半端でない数の実をつけたレモンの木の横にマードックは立った。ここからならケーテ一同がよく見えるし、このレモンの木は彼と背格好がよく似ている。マードックには実が1個しかついていないが。
「あー、テステス、本日は晴天なり。ちゃんと入ってる?」
 被りものに貼りつけたマイクに向かってマードックが言い、ヤマダはフェイスマンから渡されていたトランシーバーのレシーバーに耳を当てた。
「感度良好。ばっちりです。」
 それ、直接耳に聞こえたのと違う?
「ほんじゃ、何かあったら呼ぶから。」
「はい。僕は打ち合わせ通り、研究室で待機してます。」
 ヤマダが温室から出て、元通り鍵をかける。マードックは1人、最も樹木らしく見えそうなポーズを取り、一連のケーテを見つめていた。



 午前3時。
「ヤマダ、来たぜ、お客さんだ。」
 研究室で1人うとうとしていたヤマダは、トランシーバーから聞こえるマードックの声で目を覚ました。慌てて他の3人にも連絡を入れる。
「皆さん、今の連絡、聞こえましたか?」
「ああ、聞こえた。」
 3人の声が一斉にレシーバーから聞こえた。
 ヤマダが温室の前に駆けつけた時、他3人は既に物陰で待機しているところだった。
「鍵……開いてますね。」
 温室のドアノブに手をかけて言うヤマダに、3人が無言で頷く。きっと3人が3人共、ノブを回してみたのだろう。
 2分後、温室に潜入した賊はコングに羽交い締めにされていた。ハンニバルが懐中電灯で犯人の顔を照らす。脇には鋏と台車。
「ケーテは全部無事です。」
 スイカのツルを確認して、ヤマダが報告した。
「誰だ、お前は? 目的はあのスイカか?」
 ケーテの方に顎を振り、ハンニバルが聞く。犯人は抵抗する様子もなく、つるつると口を割った。
「僕の名前はテッド・ホール、この学校の機械工学専攻の学部生です。アリゾナ出身で、学生寮に住んでます。」
「そう言えば、食堂で見かけたことがあるような気も……。」
 同じ寮に住んでいるヤマダが口を挟む。
「何でスイカを狙ったんだ?」
 テッドの耳元でコングがボソリと尋ねた。
「頼まれたんです、名前も知らない人から。僕、田舎から送ってもらった学費を使い込んじゃって、周りのみんなにいいバイトの口ないかって聞いて回ってたら、ある日、校門の所で知らない人に“バイトの口を探しているテッド・ホール君だね”って声かけられて、200ドルくれるって言うから、悪いことだって判ってたけど、この仕事を引き受けたんです。」
「僕のデータ盗んだのも君?」
「いいえ、違います。データなんて盗んでません。温室から巨大スイカを盗んでこいって言われただけだから、農学系の研究室から鍵を盗んだけど、他のものは何も盗ってません。」
「ヤマダスイカ園を荒らしたのは?」
 手持ち無沙汰なフェイスマンが質問する。
「ヤマダスイカ園? 知りません、どこにあるんですか?」
 わざととぼけているようには見えなかった。
「接触してきた男はどんな奴だった?」
 懐中電灯を持っているのが面倒になって、それをフェイスマンに渡し、ハンニバルが問う。
「普通の人です。あんまり覚えてません。巨大スイカをありったけ運んでくれば、その場で200ドルくれるって言ってたんで、相手の顔を覚えなくてもいいかと思って。」
「ランデブーの時間と場所は?」
 これもハンニバルの質問。
「今日の朝4時半に、温室裏の公道脇です。」
「コング、テッドを離してやれ。……4時半か。あと1時間は優にあるな。」
 フェイスマンの翳す懐中電灯の明かりに腕時計を照らし、ハンニバルがニカッと笑う。
「相手はどこの誰だか判らんが、ケーテを渡すわけには行かん。そこで――名づけて『スイカ張りぼて作戦』。テッド、お前も手伝え。もちろんヤマダもだ。」
 あまりにもストレートなネーミングに、フェイスマンはハンニバルが何をするつもりなのか、全部理解できてしまった。



 機械工学科の実験室。Aチームのテーマ曲が流れる。普段の服装に着替えたAチームと、ヤマダとテッド。
 フェイスマンがどこからか入手してきたパンチング・バルーンをポンプにはめてケーテ大に膨らますヤマダ。その表面に、有機溶剤で薄く溶いた樹脂系接着剤に浸した紙を貼っていくテッドとマードックとコング。それをドライヤーで乾かすハンニバルとフェイスマン。乾いたものの上に更に紙を貼り、乾かす。その手順を何度となく繰り返す。出来上がった凹凸のある球にグラインダーをかけ、表面を滑らかにするコング。その表面にスイカ模様を描くフェイスマンとマードック。模様が描かれた球体に無色透明のニスを塗るテッドとヤマダ。それをドライヤーで乾かすハンニバル。
 テーマ曲、終わる。
 彼らの前には、大きさも重さもケーテそっくりの巨大張りぼてスイカが5個並んでいた。



 午前4時半。指定の場所に張りぼてスイカと共に立っていたのは、テッドではなくフェイスマンだった。Aチームのメンバーの中で一番テッドに近い風体なのが彼だということで、嫌々ながらもハンニバルに命令され、フェイスマンはテッドの服を着て(Tシャツ+ジーンズ+スニーカー+キャップ)実験農園裏を通る公道の脇にぼんやりと立っていた。後ろの茂みの陰では、ハンニバル、マードック、コング、ヤマダの4人がフェイスマンを見守っている。テッドは寮に帰って寝ていることだろう。
 リフトつきのトラックがフェイスマンの眼前に停まった。運転席の男が窓を開けて顔を覗かせる。
「テッド・ホールだな。スイカを積み込め。」
 男の態度は気に食わなかったが、フェイスマンは彼の指示に従った。上手く行けば200ドルちょろまかせるかもしれないというだけの理由で。
 1200ポンドの張りぼてを転がして台車に上げ、トラックのリフトに乗せる。昇降ボタンを操作して荷台まで上がり、スイカを奥に転がす。やはり1200ポンドは泣きたくなるほど重いと実感するフェイスマンであった。
 5個の張りぼてスイカを荷台に積み終え、勢いよく扉を閉めると、フェイスマンは運転席に歩み寄った。タラップに足をかけて運転席を覗き込み、無言で男に上向きの掌を見せる。
「ほら、200ドルだ。」
 懐から皺くちゃの札を出して渡し、男はトラックのエンジンをかけた。札を受け取ったフェイスマンが、礼も言わずにトラックに背を向ける。
 その途端、彼の背後で微かなプシュッという音が聞こえ、フェイスマンの体は前のめりに倒れた。転倒の際に脱げた帽子が風に飛ばされる。
 トラックが走り去るのを待って、茂みの陰から4人が飛び出してきた。ハンニバルが倒れたままのフェイスマンに駆け寄り、動かない体を抱き起こす。
「フェイス! 大丈夫か?!」


〔CM入る。〕


 まさか銃で撃たれるとは、誰も思ってもみなかった。
「……結構痛い……。」
 ハンニバルの腕の中でフェイスマンがゆっくりと目を開けて、顔を顰めて小さく呟いた。
 コングが回してきたバンに運び込まれ、フェイスマンはもぞもぞとTシャツを脱ごうとしている(読者サービス)。銃で撃たれたにしては元気そうな彼。Tシャツの下から防弾チョッキが現れた。
「そんなもん着てたのか、お前。余計な心配させるなよ。」
 助手席のハンニバルが振り返って安堵の息をつく。
「俺だって撃たれるなんて思っちゃいなかったさ。防弾チョッキ着てたのは単なる偶然だよ。俺よりテッドの方が体格いいんで、下に何か着た方が体型が似るかと思って……。」
 フェイスマンは防弾チョッキを外し、撃たれた背中の部分――ちょうど心臓の後ろ側――から弾頭をほじくり出した。
「……何だ22口径か。38口径かと思ったのに。あの距離だと、サイレンサーつきの22でもショックでかいもんだね。ケブラーも半分くらい通ってるし。」
 ハンニバルに0.22インチの小さな弾を放る。
「22でサイレンサーつきだったら、ウッズマンかルガーマークワン辺りだな。何はともあれ、44じゃなくてよかったじゃないか。」
「マグナムだったら死んでたかもね。……ねえ、モンキー、背中どうなってる?」
 フェイスマンがマードックに背中を見せる。
「ちょっち痣んなってる。今、湿布貼ってやるよ。」
 後部座席の更に後ろの棚から、マードックが救急箱を出す。それを一旦横に置き、シートの下からアタッシェケースを出して膝に乗せると、その蓋を開けた。中には着せ替え人形の服がどっさり。看護婦の制服を探し出して、サンボに着せる。
「サンボって、女の子だったの?」
「いや、水陸両用。」
「それ言うなら、男女兼用じゃない?」
 フェイスマンが言ったのも本当は正しくない。正確には両性具有か? ……ダッコちゃんは女だな。違ったっけ?
 看護婦姿のサンボを左腕に装着し、アタッシェケースを脇に退かしたマードックが、今度は膝の上に救急箱を乗せて湿布を取り出した。フェイスマンの背中に湿布を貼り終えると、救急箱を元の場所に戻し、サンボの看護婦服を脱がせてアタッシェケースに収納する。
「これだけのために、着せ替えしたわけ?」
「何事にもけじめが肝心。」
「……実は俺、倒れた時に肘と膝と腕擦りむいたんだけど、またサンボに着替えさせんの悪いから、自分でやるよ。」
 真面目腐った顔で頷くマードックと救急箱に手を伸ばすフェイスマンを呆れ顔で見ていたヤマダが、ハンニバルに話しかけた。
「発信器、動いてますか?」
「ああ、ピコンピコン点滅してるぞ。」
 張りぼてスイカには発信器が取りつけてあったのだった。念には念を入れて、トラックの荷台にもフェイスマンの手によって発信器がぺたりと貼りつけてある。
「あのトラックの運転手、どこかで見た気がするんですよね、僕。」
 記憶の引き出しを探ろうと宙に目を向けたヤマダの視野に、フロントガラス越しの風景が映った。小麦畑とレタス畑の間の直線コース、その向こうには荒れ地に挟まれたぐねぐねと曲がった道、更にその向こうには山と言うには低く丘と言うには高い地球の突起。その中腹に、アンダルシア風の豪邸。
「思い出した! マーシャルさんのとこのアンガスだ! あの家、マーシャルさんちですよ!」
「マーシャルさんって誰だ?」
 すぐ背後ではしゃいだように叫ばれ、ハンニバルがヤマダの方を振り返った。
「全ス会の会長、スチュアート・マーシャルさんです。品評会で僕、何度か会ったことあるんですよ。あのトラックの運転手は、マーシャルさんの右腕兼運転手のアンガスに間違いありません。僕、記憶力には多少自信があるんです。」
「……スイカ好きの道楽爺さんってとこか。敵は決まったも同然。そいつだ。」
 ハンニバルは発信器のレシーバーを後部座席に投げて寄越すと、腕組みをして深く葉巻の煙を吸い込み、おもむろに右手(黒革グラブ着用)の人差指で白亜の豪邸を指し、力強く言い放った。
「行け、コング。敵は目前だ。」



 背丈の揃った青々とした芝生の上でグレート・デーンとチワワが戯れている。犬小屋の中ではコッカー・スパニエルとクランバー・スパニエルがだらしなく寝ている。餌場ではチャウチャウがいつまでも朝食を食んでいる。アフガン・ハウンドが塀に沿ってぐるぐると走り回っている。そんな犬たちを幸せそうに見つめ、テラスで生スイカジュースを飲む老人、スチュアート・マーシャル。全米スイカ愛好会会長。隠居前は世間の表側と裏側で財を築き、隠居後は犬とスイカに命を懸ける男。赤地に黒く細かいドットの入ったスラックスに緑の開襟シャツといった姿、および犬の趣味を見るからに、常人とは一味違った感覚の持ち主である。
 犬たちの耳がピクリと動き、惰眠を貪るスパニエルら以外の鼻先が裏門の方を向く。しばらくするとトラックのエンジン音が人間の耳にも聞こえてきた。
 庭の芝生の上に、台車に乗せられた巨大なスイカが次々と運ばれ、テラスの前に整列したスイカを眺めるマーシャル老人の顔に微笑みが浮かぶ。象牙の杖を手に取り、犬たちの見守る中、老人はガーデンチェアから腰を上げた。スイカに歩み寄り、その艶やかな表面にそっと手を触れる。途端に彼の表情が曇った。
「アンガス!」
「何でしょう、会長。」
 バラのアーチをくぐってアンガスが姿を現した。
「何だ、これは!?」
「巨大スイカ……ですが……?」
「お前には違いが判らんかもしれんが、私には判る。これはスイカではない!」
 いつも温厚なマーシャルに怒鳴られ、アンガスは恐る恐る巨大スイカに手を触れた。だが、特にスイカが好きなわけではない彼には、手触りと言い模様と言い、スイカとしか思えない。
「……スイカ……じゃないんでしょうか、これ。」
 マーシャルは鈍く光る灰色の瞳でアンガスをきつく睨み、ゆっくりと頭を振った。
「精巧にスイカを模した張りぼてだ。お前のような若造にこれを見分ける眼力を期待しても無駄なようだな。」
 若造、と言われても、アンガスは今年40になる。家庭もあり、彼に似ず出来のいい娘は奨学金を獲得し、ハーバード大学で経済学を学んでいる。妻も出来た女性で、彼の多少は後ろ暗い部分もありそうな仕事に何も口出しせず、今朝も午前4時に“気をつけてね”と言って彼を送り出してくれたのだ。地元のハイスクールに通う息子は、悪い学友に感化されることもなく、日夜バスケットボールの練習に精を出している。ともかく、アンガスは立派なお父さんなのだ。それが、つい先刻、張りぼてスイカのために人を撃ってしまった。良心の呵責が重くのしかかる。
「……どうした、お前たち?」
 俯くアンガスを無視して、マーシャルが落ち着かない様子の犬たちに向かって言葉をかけた。未だ熟睡しているスパニエル2匹は別として、グレート・デーンとアフガン・ハウンドは牙を剥き、チワワは狂ったように走り回り、チャウチャウは興奮のあまり食べたばかりの朝食を戻している。
 轟くエンジン音、表門が壊れる音、銃声。そして、バラのアーチを踏み倒し、紺色のバンがマーシャルとアンガスの前に登場した。
「お気に召しましたかな、そのスイカは。」
 オートライフルを構え、葉巻を口の端に咥えて、ハンニバルがバンから降り立つ。
「この張りぼては、お前たちの仕業か?」
 毅然とした態度でマーシャルはハンニバルに対峙した。アンガスが懐から銃を出すと、フェイスマン、コング、マードックの3人も手に手にM16を持って車から降りてくる。
「あ、犬が一杯だあ。ほーら、おいでおいで。」
 犬の存在に気づき、オートライフルを肩にかけ、犬たちに手を差し伸べるマードック。一瞬にして、グレート・デーンとアフガン・ハウンドが牙をしまい、マードックの前にお座りをする。チワワも少し遅れてやって来て、グレート・デーンの横に、ちょっと崩れたお座りをした。スパニエルズは依然として眠っており、チャウチャウは引き続き吐いている。
 ところでヤマダは、危なそうなのでバンの中に隠れている。
「答えたまえ、この巨大なスイカの張りぼてはお前たちが作ったのか!?」
 手を一振りしてアンガスの銃を下げさせたマーシャル老は、自分に向けられた銃口などものともせず、偉そうな態度でずいっとハンニバルに近寄った。
「あ、ああ……いかにも。」
「素晴らしいっ!」
「は?」
「見事としか言いようがない。金ならいくらでも出す、ぜひ私にこれらを譲ってくれ!」
 やにわに緊張が解け、ハンニバルがフェイスマンを振り返る。振り返りざまにハンニバルが見たものは、犬と遊んでいるマードックとコングの姿だった。グレート・デーンとアフガン・ハウンドに“取ってこい”をせがまれ、コングが嬉しそうな困った顔でボールを投げている。それを果敢にチワワが追いかける。2匹の大型犬はチワワに対する手加減を心得ているらしい。マードックはいい度胸のスパニエル2匹を無理矢理起こそうと揺り動かし、クランバー・スパニエルに唸られている。計算機を片手にフェイスマンとマーシャルが値段交渉をしているのを眺めていたハンニバルの足の甲に、チャウチャウがお手をした。
 1個400ドルで商談は成立したようだ。張りぼては5個あるから、全部で2000ドル。30分ほど前の銃撃騒ぎで、アンガスから受け取った200ドルなど、フェイスマン以外の全員が忘れていることも手伝って、フェイスマンは有頂天だった。アンガスに撃たれたことも、許してあげていいと思っている。
「先程は申し訳ありませんでした。」
 そんな矢先、フェイスマンの着ているTシャツで先刻撃ってしまった人だと判ったアンガスが、両手にオートライフルと計算機を持ったフェイスマンに深々と頭を下げた。
「お怪我の方は……?」
「大丈夫、気にしないで。防弾チョッキ着てたから。少し擦りむいて、撃たれたとこが痣になっただけだし。」
“防弾チョッキを着ていたとは言え、自分を撃った相手のことをこうもあっさりと許すなんて、何て心の広い人なんだろう。……いや、それだけで片づけられるもんじゃない、まるで神のようなお方だ!”
 アンガスはすっかりフェイスマンのことを尊敬してしまった。大地に跪き、スニーカーに口づける。
「ち、ちょっと、何すんの、やめなよ。」
「……私はあなたのしもべです……!」
 嫌がるフェイスマンを追いかけるアンガス。その浅黒い頬は感涙に濡れ、朝日を受けてテラテラと光っている。
 そんな2人を余所に、ハンニバルとマーシャルはガーデンチェアに座って話し合っていた。いつの間にかバンから降りてきたヤマダも、話に加わっている。
「そうか、ケーテと言うのか、あのワンダフルでマーヴェラスな巨大スイカは。」
「ええ。言って下されば、こんな手荒なことをするまでもなく、お譲りしましたのに。」
「今からでも譲ってもらえんだろうか? 品評会で食べさせてもらったが、ケーテは実に美味かった。全ス会会長として、もう一度あれを食べてみたいのだ。それも、丸々1個。」
 ハンニバルは今まで話を聞いていて、この老人のスイカに対する愛情はバイカル湖よりも深いことが判った。それに、フェイスマンを撃った件については、彼の指示でなくアンガスの先走りだということも聞いた。
「……でも、ケーテを全部、Aチームの皆さんに譲るっていう約束をしてしまったんで……。」
 ヤマダがちらりとハンニバルに目を向ける。
「俺たちは1人1個貰えれば、それでいい。ヤマダ、ケーテはあと何個あるんだ?」
「あと14個です。」
「それではマーシャルさん、あんたに10個お売りしましょう。そちらの言い値は?」
「一個500ドルでどうだろうか。」
 ヤマダが何か言おうとする前に、ハンニバルはこっくりと頷いて見せた。
「よろしい。またもや商談成立ですな。」
 満面の笑顔で頷き合うハンニバルとマーシャル。そんなハンニバルの袖をヤマダがくいくいと引く。
「僕のノートとファイルとフロッピーは?」
「そうだった。マーシャルさん、この坊やのノートとファイルとフロッピーについて、何かご存知ありませんかね?」
「それがどうかしたのかね?」
「僕、大学でスイカ関係の研究してるんですけど、僕の実験ノートと研究データのファイルとフロッピーが盗まれたんです。」
「私を疑うのはお門違いというものだ。私はスイカを愛し食べるだけで、作る方は全て全ス連に任せてある。よって、私がスイカの研究データを持っていても何にもならん。悪いが、その件に関して私は何もお前さんたちの力にはなれん。」
「それじゃ、ついでに、ヤマダスイカ園が荒らされたことについては?」
 ハンニバルが生スイカジュースを口に含み、嘔吐感を催す。
「坊主の所のスイカ園か?」
「そうです。僕の両親と兄夫婦がスイカ作ってます。」
「君がヤマダスイカ園の息子さんとはな。確か、サンディエゴ郊外だったな。丸スイカ専門で、毎年いい仕事をしている。ケーテがなくとも、私はあそこのスイカをかなり高く評価しとるよ。」
「ありがとうございます。」
「それで、マーシャルさん、ヤマダスイカ園荒らしの黒幕はあんたなんじゃないかと思ってたんだが……。」
「まさか、ハンニバルさん、馬鹿なことを言いなさんな。私は食べるためにスイカを盗むことはあっても、決して割って捨てていくようなことはせん。そんな全く許し難いスイカに失礼な行為を私がするわけなかろう。」
「それじゃ、一体、誰が……?」
 ヤマダは悲しそうな顔をして生スイカジュースをちびちびと飲んだ。
「敵は……全ス連……か?」
 ジュースを放棄したハンニバルが、あらぬ方向にカメラ目線を送る。
「全ス連の奴らならやりかねん。スイカを作っているくせにスイカを大事にしない輩もおるからな。」
 マーシャルが今日3杯目の生スイカジュースのグラスを握り締めた。
「あの……僕も一応、全ス連のメンバーなんですけど……。」
「坊主は特別だ。」
 ヤマダの肩に、水滴のついたマーシャルの手が置かれる。
「マーシャルさん、あんた、誰が一番怪しいと思う?」
「全ス連会長のサム・モーガン。あやつが一番スイカを愛しておらん。モーガンスイカ園のスイカ生産量は国内トップだというのに……。」
 溜息をつきながら、マーシャルが首をふるふると横に振る。
「よし、サム・モーガンにご挨拶だ!」
 ガタッと勢いよくハンニバルが立ち上がった。
 犬たちと遊んでいるマードックとコングを呼び、アンガスに追いかけられて逃げ惑っているフェイスマンを回収し、ハンニバルはバンの助手席に腰を落ち着けた。バンの外に立ち、ヤマダがハンニバルに尋ねる。
「僕、ここに残ってていいですか? マーシャルさんから、もっといろんなお話を伺いたいんで。」
「ああ。その方がいいだろう。サム・モーガンの所で危ない目に遭うかもしれんからな。」
「じゃあ、あとで連絡します。戴いた名刺の電話番号って、その車内電話のナンバーですよね?」
「そう。マーシャルさんに、後日小切手の郵送先と請求書送るからって伝えといて。」
 後部座席からフェイスマンが言う。
 そうしてヤマダを残し、Aチームはマーシャル老に教えてもらったサム・モーガンの家に向かうのであった。
 現在、まだ6時前。



 マーシャル老のように早起きな人もいれば、アンガスのように早起きを強いられた人もいるし、ヤマダやAチームのように昨晩から起き続けている人もいる。
 午前6時に電気が煌々と点いているここは、スイカ種苗会社ヴェルデ・イ・ネグロ附属研究所のオフィス。この部屋にいる4人の男は、昨晩どころか、もっと前から起き続けている。窓が填め殺しになったエアコンもない狭い部屋にヘビースモーカー4人が閉じ籠もり、蒸し暑いだけでなく紫煙が目に沁みる。空腹と眠気を感じる神経も、今となってはもう麻痺してしまっていた。
「巨大スイカになんか、一っ言も触れてないじゃないか!」
 研究所所長(と言っても研究所員は所長含め4人)のシモン・マルティネスがノートを机に叩きつけた。そのノートの表紙には“ピョートル・ヤマダ”と名前が書いてある。シモンの机の上には、ヤマダのサイン入りノートが20冊以上積み上げられ、今にも雪崩れが起きそうな気配。彼は2泊3日かけて、やっと今、全部のノートを見終わったのだ。
「こっちにもないようですね。」
 脇の机では研究員のペドロが、各種の分析機器から打ち出された膨大な量のデータを見ている。数字とグラフばかりのデータ表から第三者が内容を把握かつ理解するのは大変なことだ。それも、特大のファイルに7冊もある。
「種なし楕円スイカのデータしかありませんよ。」
「それも、どうも成功してないようですし。」
 コンピュータに向かってヤマダのフロッピーの中身を見ているのは、同じく研究員のホルヘとアルフォンソ。1枚のフロッピー・ディスクの内容を端から端まで見るだけでも一苦労だというのに、ヤマダのフロッピーはNo.1からNo.30まである。
 山盛りになった灰皿の吸殻を流しの脇のバケツに捨てに行き、戻ってきたシモンが灰皿を振りながら研究員たちに向かって怒鳴った。
「噂に釣られてコソ泥まで働いておいて、3日間一睡もしないで、結局収穫なしか!? 巨大スイカの苗を大量生産して一儲けしようだなんて言い出したのは、一体どこのどいつだ!?」
「所長。」
 3人の研究員が口を揃えて言う。
「大学にデータを盗みに行こうって言ったのも、所長。」
 ペドロがぼそりと言葉を続ける。
「巨大スイカの実物も盗んじまおうって言ったのも、所長。」
 その後をホルヘが引き継ぐ。
「スイカが重くて持ち上がらなくて、ノートとファイルとフロッピーだけ盗んで、帰りがけに階段から落ちて、自分は無傷で、下にいた俺の足を折ったのも、所長。」
 アルフォンソがギプスで固定された右足を、コンピュータデスクの下から出す。
「判ったよ、判った、俺が悪かった。」
 シモンは不貞腐れたように、自分の席にドシンと座った。研究所所長からしてこうなのだから、この研究所のレベルがどれほどのものなのか、判ろうものである。
「で、所長、これどうします?」
 ペドロがノートとファイルとフロッピーを見渡した。
「うーん……このままでは俺たち本当の悪人になってしまうな……。」
 夜中にこっそり忍び込んだ場所から、他人のものを無断で借用したら、もう十分に悪人なのでは?
「よし、返してこよう。」
 平然と言い放つシモンから顔を背け、ペドロが眉間に皺を寄せる。ホルヘも、ディスプレイを真剣に見つめる振りをする。負傷しているアルフォンソだけがニンマリと笑っていた。
「ペドロとホルヘで返してこい。……その間、アルフォンソは部屋の片づけだ。」
 ペドロやホルヘよりも一層愕然とするアルフォンソ。
「あの……所長は?」
 恐る恐るペドロが尋ねる。
「帰って寝る。今日明日、俺、有給取るからな。お前たちはちゃんと仕事するんだぞ。やるべきことは判ってるな?」
 3人の研究員はがっくりと項垂れたのだが、シモンはそれを頷いたのだと受け取り、サンダルを靴に履き替え、白衣を脱いでドアに向かった。
「じゃ、あとよろしく。」
 シモンがそう言い残してドアの向こうに消えると、ペドロ、ホルヘ、アルフォンソは深く長い溜息をついた。



 マーシャル邸を出て3時間後。国内のスイカのことなら生産者の住所まで全部知っているマーシャル老が教えてくれたサム・モーガンの家は、ちょっとばかり遠かった。
 北米大陸で最も広大なスイカ畑(しかし楕円スイカのみ)の向こうに、モーガン邸が見える。これだけ広いスイカ畑を持っていれば、普通そう儲かりはしないスイカ栽培業も、塵も積もれば山となるのだから、かなりのものだ。流石に全米スイカ生産者連合の会長をやっているだけある。
 そこでAチームの4人は、敵の敷地内に入る前に作戦を練ろうということで、スイカ畑の手前にあるオレンジ畑にいた。オレンジ畑に人気がないのをいいことに、納屋の陰にバンを停め、双眼鏡でモーガン邸を眺めるハンニバルとコング。今一つ出来のよろしくないオレンジを収穫して(盗んで)は食むフェイスマンとマードック。
 モーガン邸はマーシャル邸とは違って、飾り気のない質素で実質的・現実的・実用的な建物ではあるが、広壮な大邸宅だった。それはハンニバルが思っていたよりも遠くにあるようで、双眼鏡をもってしても細かい部分までは判らない。元米国陸軍大佐の遠近感を狂わせるほど、スイカ畑は広く、家は大きい。建物の縦横の比率から、平屋建てだと思っていたのに、双眼鏡で見ると窓が縦に3つ以上並んでいる。裸眼だと、スイカ畑で働く農夫たちが、やや手前の辺りでは豆粒大、もう少し向こうでは胡麻粒大、更に向こうの建物の近くではただの点に見える。望遠鏡を持ってくればよかったと思うハンニバルであった。
「……兵隊の数は多そうだな。」
「兵隊じゃなくて、ただの農夫じゃねえのか?」
「かもしれん。何しろ黒ポツにしか見えんから――いや違った、こりゃレンズのカビだ。」
 双眼鏡はどうだか知らないが、顕微鏡ではよくある現象。レンズの掃除は小まめに、ケースの中には乾燥剤を入れること(夏場は特に要注意)。接眼レンズを覗きながら鏡筒を下げないこと。割れたカバーガラスは流しに捨てないこと。
「おや、こんな季節にトンボなんて珍しい。」
「ありゃあ農薬散布のヘリだ。」
「……よし。」
 遠すぎて敵の状況把握もできないというのに、ハンニバルが明るい顔をして双眼鏡を下ろした。
「何かいい案思いついたようだな。」
 コングも双眼鏡を目から外し、いつにも増して自信たっぷりのハンニバルを見て、珍しく歯を見せて微笑んだ。長年のつき合いで、このリーダーが普段はろくでもない作戦を強要させるのに、どうしようもない切羽詰まった戦局では結構まともな作戦を立てるということを、コングはよく承知していた。只今、彼ら、切羽詰まってはいないが、どうしようもない状態に置かれていることは間違いない。
「その農薬散布用のヘリかっぱらって、空からスイカ爆弾お見舞いするとか?」
 マードックが皮ごと頬張ったオレンジをぐちゃぐちゃ噛みながら言う。確かにそれは、以前にやったことがある。
「スイカ爆弾とかスイカ砲なんて、もったいないこと言わないでよね、ハンニバル。」
 オレンジの汁が目に飛んだフェイスマンが、目を瞬かせてそう言った。
「一体どうしようってつもりなんでい、もったい振ってねえで早く教えろ。」
 うずうずとした様子で、コングがせっつく。
「軍曹、我々の火器装備は?」
 モーガン邸に背を向け、2、3歩足を進めたハンニバルがゆったりと尋ねた。
「オートライフルと拳銃――弾はちょいと少ねえがな。……そんだけだ。」
 バン後部の武器庫を開けて、コングが答える。
「中尉、何か調達できるかな? 何でもいいぞ。」
 手をハンケチで拭った後、バンから懐中電灯を持ってきて、歪んだ壁板の隙間から納屋の中を覗き込み、フェイスマンが答える。
「高枝切り鋏、刈り込み鋏、果実採取器、レーキ、鎌、噴霧器、手押し車、スプリンクラー、ホース、脚立、軍手、割烹着、手拭い、ゴーグル、防毒マスク、農薬、以上。」
 それを聞いたハンニバルは何度か頷き、風の向きを探るように顔を上げて辺りを見回した。
「大尉、敵の敷地内に入らずにヘリを我々のものにすることは可能だろうか?」
 目を細めて太陽を見上げたまま双眼鏡をマードックの方に差し出し、ハンニバルが問う。
「どれどれ?」
 双眼鏡を受け取り、スイカ畑の上空を見やるマードック。倍率を最大にし、飛び回る蚊トンボを観察する。1人乗りのごく小さなヘリコプター。無線機はついてなさそうだ。積載している農薬の量も少ない。恐らく今日のところは、こちらの方まで農薬散布をする気はないらしい。
「あー……多分無理だね。」
 マードックはそう答えて、双眼鏡をハンニバルに返した。
「そうか。」
 もう一度、双眼鏡でモーガン邸をじっくりと眺め、それから命令を待つ部下たちの方をおもむろに振り返ったリーダーは、胸を張って言い放った。
「作戦名『テンプラ食いたしスシもなし、ヤマトナデシコ足蹴にし、ゲイシャ恋しや、フジヤマ登れ、行くぞカミカゼ特攻隊』。全員、銃を取り、乗車! 敵地に向けて突撃!」
 やけに楽しそうにバンに乗り込むリーダーを目で追い、残り3人は“それだけ?”という表情を隠せなかった。



 スイカ畑とスイカ畑の間の真っ直ぐな道を、紺色のバンが土煙を上げて猛烈な勢いで走ってくる。スイカ畑で働く農夫(および農婦)が作業の手を止め、驚きの表情で顔を上げる。時速80マイルでモーガン邸に突撃するAチーム。速度を落とさないまま、木製の分厚い門に向かって。
 しかし、門は開いていた。そのまま突っ走り、豪邸の扉の手前で急ブレーキをかける。停車するなりバンのドアが開き、銃を手にした4人が降り立つ。突然の闖入者に、屋敷の人々(住み込みの雇われ農夫とその家族、使用人、他大勢)が集まってきたが、武装した姿に恐れをなし、遠巻きに見つめるのみ。
「サム・モーガンに用がある! 出てこい!」
 ハンニバルが天に向けてオートライフルを連射して叫ぶ。危険を察知した女子供が、クモの子を散らすように逃げていく。残った男たちの中の数人が、前に進み出てきた。いずれも筋骨隆々とした人相の悪い男だ。手に手に、鍬やフォークやライフルを持っている。
「お前たちは何者だ!? モーガンさんに何の用だ!?」
 中でもリーダー格らしき男が、勇敢にも口を開いた。
「俺たちはAチーム! 悪党共を懲らしめに参上した!!」
 ハンニバルが険しい表情で答える。
「……うるさいな、一体何の騒ぎだ?」
 表玄関の扉をバンの鼻先にぶち当て、完全には開かないドアの隙間から、せり出た腹をつかえさせながら、初老の男が姿を現した。でっぷりとした体つき、たるんだ二重顎、薄くなりかけた白髪、太陽と酒に焼けて赤らんだ肌、口の端に咥えた高級葉巻、穏やかな顔つきの中で鋭く冷たい光を放つ瞳、いかにも自分からは手を下さず、部下に悪の限りを尽くさせるタイプの悪党だ(ハンニバルのことではない)。
「お前が全ス連会長のサム・モーガンか?」
 似た者同士が向かい合った。モーガンに比べれば、ハンニバルはスリムと言えよう。
「仰せの通り、私がサム・モーガンだが、あんたは?」
「Aチームのリーダー、ハンニバル・スミス。」
 モーガンは怪訝そうに眉を顰め、何か考えているようだったが、ややあって彼は微笑を浮かべて口を開いた。
「悪いがスミスさん、私はアポのない客とは会わんことにしとるんだ。」
「ごたごた言うねい!」
 コングがモーガンの足下に銃口を向け、威嚇射撃をした。階段の御影石が一部分抉れる。モーガンはそれに怯んだ様子はなかったが、仕方ないという風に肩を竦めて、開きかけていた口を閉じた。それに乗じて、ハンニバルが話を進める。
「ピョートル・ヤマダから奪ったスイカ研究データの返却、およびヤマダスイカ園を荒らした損害賠償金、加えて我々への手数料を要求する!」
「おい、待ってくれ。何の話だか、私にはさっぱり判らん。」
「しらばっくれるんじゃねえ!」
 銃で威嚇するのもまだるっこしく、腕力で訴えようと、コングはオートライフルをかなぐり捨て、モーガンに向かって一歩踏み出した。
 その途端、M16とは明らかに異なる銃声がし、マードックの左腕にしがみついていたサンボの頭がゆっくりと垂れ、次第に絡まっていた手の力が抜け、遂には乾いた地面にぽそりと落ちた。
「……サンボー!」
 がくりと跪き、今となっては穴の開いたビニールでしかないサンボにそっと手を触れるマードックの目から、はらはらと涙が零れる。
「……てめえ、よくも……!」
 何を勘違いしたのか、鼻息を荒らげたコングが方向転換し、発砲したと思われる男の方に素手で突進していった。
 ――そして、大乱闘。



 マーシャル老とスイカ談義に花を咲かせ、生スイカジュースだけではなく朝食まで御馳走になったヤマダは、アンガスに送ってもらい、大学に戻ってきていた。寮に戻ってシャワーを浴び、やっと人心地つく。今日もまたスイカの研究をすべく研究室に向かおうとした矢先、寮の郵便受けに自分宛ての葉書を見つけた。田舎でスイカを作っている兄のマクシーンからだ。キャンパス内を研究室へと歩きながら、彼は兄の細かい字に目を落とした。
『ここんとこやたらと暑いけど元気にしてるかい? 俺も親父もお袋もジュヌビエーブも元気に働いてるよ。』
 ジュヌビエーブとはマクシーンの妻(フランス系スイス人)であり、春先に貰った葉書にはめでたく懐妊したとあった。
『ケーテがグランプリを取って、当然って気もするけど、やっぱり嬉しいもんだな。これでヤマダスイカ園の名も上がって、うちのスイカも高く買ってもらえることだろう。本当にお前には感謝してるよ。ところで、うちの畑を荒らした犯人が判った。近所の悪ガキ共の仕業だったんだ。悪ガキって言ってもハイスクールの生徒だ、全く大人げないよな。別件で警察に捕まっていて、自白ついでに、うちの畑を何度も荒らしたことまで白状したそうだ。割ったスイカと盗んで食べたスイカの代金は親御さんたちが払ってくれた(それも割増料金で!)。大きなスイカばっかり被害に遭ってたから、てっきりケーテの噂が引き起こしたんじゃないかって思い込んでたけど、考えてみりゃ誰だってどうせ盗むなら小さいスイカより大きいスイカを狙うよな。割るんだって、大きいスイカの方が割り甲斐があるし。お前にまで心配させて済まなかったな、悪い悪い、ハハハ……。研究とかで忙しいのかもしれないが、あんまり無理するんじゃないぞ。たまには家に戻って顔を見せてくれよ。俺がお前の顔を忘れちまう前にな。まあ、こっちに帰って来たら、親父に畑仕事の手伝いをさせられそうだって気は判らないでもないが。マクシーンより。』
 ちょうど葉書を読み終えた時、研究室に辿り着いた。扉を開けるなり、マスターコースの院生に声をかけられる。
「ヤマダさん、荷物が届いてますよ。」
 床に置かれた段ボール箱を開けてみると、中には盗まれたノートとファイルとフロッピーが全て揃っていた。欠けているものは何一つない。それと、一番上に封筒が1枚。これは彼の所有物ではなかった。早速、封を切り、便箋を拡げる。
『拝啓、極暑の候ますます御清祥のこととお喜び申し上げます。さて、何はともあれ、申し訳ありませんでした。ごめんなさい。無断でお借りしていたノート等をお届けいたします。当方、本当は巨大スイカの製法をご教授戴きたかったんですが、我々一同この中からは見つけられなかったため、一切コピーなどせずにお返しします。情報漏れの可能性はないと思って下さい。ご心配なく。それから、無事ドクターコースを修了なさった暁には、ぜひ我が研究所へおいで下さい。優遇いたします。敬具。スイカ種苗会社ヴェルデ・イ・ネグロ附属研究室(所長/シモン・マルティネス)研究員ペドロ・コルテス、ホルヘ・ロドリゲス、アルフォンソ・ペレス。追記、この件につきましては内密にお願いします。警察には特に。』
 タイプで打たれたものなので筆跡は判らないが、統一感のないところから、3人の研究員が頭を寄せ合って書いたということが偲ばれる文面である。優遇されるとしても、こんな研究所に就職したくはない。名前から察するに全員がヒスパニック、それでもって盗品を返却はしてくれたが一応泥棒。
 さて、これでノート等は戻ってきた。スイカ畑を荒らした犯人も捕まった。
“それじゃあ、サム・モーガンは……? 殴り込みに行ったAチームは……?”
 ヤマダは生まれて初めて、血の気がさっと引いていく感覚を味わった。慌てて研究室の電話に手を伸ばし、名刺に印刷された電話番号をプッシュしている途中で、他の院生もいるこの場からAチームに連絡を取るわけにはいかないと気づき、受話器を置く。そして彼は、公衆電話に向かって走り出した。葉書と便箋と名刺と小銭を持って。



 午前9時のモーガン邸ウォークウェイは大変な騒ぎになっていた。
 モーガンの手下共2、3人に飛びかかるコング〔ローアングル〕。相手のライフルの銃身をM16の台尻で払い退け、腹部を蹴り飛ばしたはいいが、振り向きざまに別の男にフォークでの一撃を加えられそうになり、鉄の爪をストックで受けている間に、更に別の男に後ろから羽交い締めにされ、足をバタつかせているフェイスマン。サンボをポケットに突っ込むと、泣き喚きながらバンのルーフによじ登って乱闘の渦の中へと飛び込み、上方不注意な男2人ばかりに見事フライング・ボディアタックを決めるマードック〔ハイアングル〕、だがその後タコ殴りにされる。家の中に逃げ込もうとするモーガンに駆け寄り、ハンニバルは相手の襟首を捕らえはしたものの、モーガンも案外やるもので、襟を握るハンニバルの腕を両手で掴んで背負い投げた。腰から落ちたハンニバルも負けてはいない。即座に立ち上がり、モーガンにタックルを食らわせる。
 この騒ぎに、屋敷前の異常に気づいた農夫たちが、わらわらと畑から戻ってきた。倒れている男たちに恐れおののき逃げ惑う農婦。誰が味方で誰が敵なのか判らなくなっている乱闘に奮って参加する農夫。Aチームの面々が善戦しているのかどうかも、もうもうと上がる土煙で判別できない。ただ、老体2人が階段上の玄関扉前でくんずほぐれつの戦いを繰り広げているのだけが明確に見て取れる。だが、そのどちらが優勢かは今のところまだ決まっていない。
 その時、バンの中から電話の呼び出し音が響いた。
「フェイス、電話だ! 出てくれ!」
 モーガンにパイル・ドライバーをお見舞いしようと躍起になっているハンニバルが叫ぶと、土煙の中からケホケホ言いながらフェイスマンがよろよろと現れた。バンの中に倒れ込むようにして受話器を取る。
「ハロー、Aチームのフェイスマンです。」
『ヤマダです。もうサム・モーガンの所に着いちゃいましたか?』
「ああ、もうとっくに。今、ハンニバルはモーガンとプロレスしてるし、コングとモンキーはモーガンの手下と肉弾戦してる。サンボは先程撃たれて他界いたしました。で、何?」
『モーガンは何も関係ないんですよ。全くの無関係。』
「はい? どういうこと?」
『僕のノートを盗んだのは、スイカ種苗会社附属研究所の人たちで、でも返してもらいました。だから、それはもうOKです。それから、実家のスイカ園を荒らした犯人は近所の悪ガキだった、って兄から手紙が来たんです。だから、それももうOKなんです。』
「じゃ何? 自然に解決しちゃったってわけ?」
『そうです。』
「ホントに? サム・モーガン、無実なの?」
『どうもそうらしいですね。』
 フェイスマンは受話器を構えたまま、周囲の様子を窺った。未だ乱闘とプロレス&ジュードーは続いている。
“大変だ……。”
 サム・モーガンが何も悪事を働いていない(少なくともヤマダ一族に対して)とすれば、今Aチームがやっていることって、一体……。
「悪いけど、あとでこっちから電話する。じゃ、また。」
 電話を切り、顔面蒼白なフェイスマンは急いでバンのシートから飛び降りた。
「みんなストーップ!」
 フェイスマンが声の限り叫ぶ。しかし、ハンニバルとモーガンを含め、頭に血が昇っている男たち(もちろんコングとマードックも含む)は、誰もフェイスマンの声に耳を貸そうとしなかった。もしかしたら、殴り合う音がうるさくて聞こえないだけかもしれない。
「ストーップってったらストオオオオップ!!」
 誰一人としてフェイスマンに顔も向けてくれない。仕方なく、彼は落ちていたオートライフルを拾い上げて、セレクターをフルオートに切り替えると、人気ない方向に向かってトリガーを引いた。もったいないけれど、弾が尽きるまで。
 ダダダダ……!!
 高木の葉が舞い、モルタルの外塀に傷がつき、跳弾が灌木の枝を落とし、木の門に弾がめり込む。
「ストップ! やめ! 中止! 終了!」
 ここまでやると、流石に全員が動きを止める。土煙が引いていき、何がどうなってそういう状況になったのか、コングがマードックの胸倉を掴んで高く掲げていた。静まり返った中、誰も身動きもしないで固まっている。フェイスマンは満足げに頷き、ハンニバルの方に向かった。
「ヤマダからの電話だったんだけど……。」
 ハンニバルに耳打ちするフェイスマン。ヤマダから聞いた事情を全て説明する。
「そりゃ本当か?」
「嘘言ってどうすんの。」
「まあ、そうだが……ちと困りましたねえ……。」
 顔を顰め、ハンニバルは視線を宙に漂わせた。
「何だ、もう降参か、このならず者め!」
 モーガンはまだまだやる気でいる。今でこそ畑仕事の現場を退き、肉襦袢を着込んでいるとは言え、若かりし頃はスイカ作りで体を鍛え、また学生時代はアマレス部に所属し、全米学生アマレスラーランキング258位にまで行った男だ。趣味で護身術を習ったこともあり、ジュードー、ケンドー、カラテも幼少のみぎりに一通り齧り、TVでのプロレス鑑賞、ボクシング鑑賞も欠かさない。最近はマーシャル・アーツに凝っている。一言で言えば、格闘技マニアなのだ。
「降参などするはずがなかろう、俺の方が押してたんだからな。」
 モーガンより一回り小さいハンニバルが食ってかかる。
「ああもう、それどころじゃないでしょ。」
 フェイスマンが2人の老体を引き離した。
「どうしたんでい、フェイス。」
「暗い顔して、腹でも下した?」
 真剣に困っているフェイスマンを見て、コングとマードックも喧嘩をやめ、玄関の所にぽてぽてとやって来る。
「実はね……。」
 と、フェイスマンがコングに耳打ちし、全てを話す。その後、コングがマードックに耳打ちするのを嫌がったので、フェイスマンはマードックの耳元でも同じ話を繰り返した。同じ話を3度も繰り返すと、いい加減嫌になってくる。
 この間ハンニバルは、モーガンとガンの飛ばし合いをしていたのだった。今回ハンニバル、役に立ってない。
「じゃ何かい、俺あ無実の奴を殴っちまったってのか?」
「サンボの死は何だったっての?」
 マードックがぺらぺらと平面状のサンボを振る。
 そう、事実、サンボは撃たれたのだ。もしかしたら、銃を撃った男はマードックを撃つつもりだったのかもしれない。フェイスマンは一筋の光を見出した。それに、モーガンの手下共(正しくは従業員)は銃を持っている。不法所持の可能性もあるし、スイカ栽培に携わっているはずの人間がこんなに大勢銃を持っているのもおかしい。Aチームが間違って善良な一般市民を襲撃したわけではないという方向に話を持っていけば、モーガンから慰謝料を請求されることも、警察やMPに突き出されることもなくなるだろう。どちらかと言えば、フェイスマンが一番恐れているのは、金で決着をつけることの方だった。
 モーガンだって、スイカ生産者でしかないはずなのに、こんな豪邸を構えているのだし、面構えからして悪いことは何一つしていないとは言い切れないだろう。全ス連会長は表の顔で、裏では別の顔を持っているのかもしれない。例えば、マーシャル老のように。
 コホンと咳払いをして、フェイスマンはモーガンに紳士的態度をもって穏やかに問いかけた。
「モーガンさん、今まで俺たち、おたくがスイカ研究データを盗んでヤマダスイカ園を荒らした黒幕じゃないかと思ってたんだ。だけど今し方連絡が入って、その件については俺たちの読みが外れたことが判った。でもね、他の件ではやっぱり臭いような気がするんだなあ……。おたく、裏で結構悪いことやってんじゃない?」
 ポーズと口振りはジェントルでも、前半で正直に話しておいて後半で鎌をかけるなど、言っている内容は少しも紳士的でない。
「貴様、私を愚弄する気か!?」
 モーガンが、ハンニバルに体を向けてファイティングポーズを取りながらも、首から上をフェイスマンに向ける。
「私は悪いことなど何もしておらん……いや、子供の頃に一度、隣のオレンジ畑で小用を足したことはあったが……それだけだ!」
 それは確かに悪いことかもしれないが、人生のうちで犯した過ちの中には普通入れない。ここはシンガポールではないから。
「それじゃあ何で、揃いも揃ってあんな人相の悪い奴らが大勢いるのかな?」
 フェイスマンが顎先で使用人たちを指した。
「失礼なこと言うんじゃない。彼らだって、好きであんな顔をしているわけではあるまい。私にとっては、皆、大切な奴らだ。よく働いてくれるし、重労働をお願いしても、嫌な顔一つしないのだからな。」
 うっかりとかもしらんが、モーガンも使用人の人相が悪いと思ってはいたらしいことを暴露する。しかし、慕っている雇用主に褒めてもらえたことが嬉しかったのか、彼らの中の誰一人としてモーガンの失言を指摘しなかった。
「じゃあさ、そんなにいい人たちが、何で銃なんか持ってんの?」
「スイカ泥棒と、スイカに害をなす鳥を嚇すために決まっておろう。これだけ畑が広いと、1梃や2梃の銃では間に合わんのでな。」
「ちゃんと許可貰ってる?」
「もちろんだとも。携帯許可書を取る他、警察に頼んで、定期的に講習と実地訓練を受けさせておる。間違って人様に危害を加えないよう、泥棒を追い払うにも注意は怠らん。それに、余程のことがない限り発砲しないように言ってある。更に、銃を撃った時には、どのような状況で誰が何発撃って、その結果どうなったかということも警察に報告している。」
 そこまで徹底している奴も滅多にいない。市民の鑑と言えよう。
「そんなら何で無抵抗なサンボ撃ったんだよ、この人殺し!」
 マードックが黒いビニールを握り締めて訴える。モーガンは眉を顰め、使用人たちを振り返った。
「一体誰がこのビニール人形を撃ったんだ?」
「私です、旦那様。」
 とても素直に、1人の男(推定年齢26歳)が一歩前へ踏み出して言った。畑仕事で真っ黒に日焼けした肌、黒く短い巻毛、濃い睫毛に囲まれたオニキスの瞳、破けたシャツの間から覗く胸毛、典型的なラテン男だ。垂れた鼻血が赤黒く固まっていて、瞼と唇は笑えるほど腫れている。
「フェルディナンドか……。なぜ撃ったりしたんだ?」
「こいつらが旦那様に何かよからぬことをするんじゃないかと思って……。それを実行させないよう、威嚇の意味で撃ちました。」
「銃の腕が確かなお前のことだから、最初から人形を狙ったということは判っているが、念のため聞いておこう。どこを狙ったんだね?」
「人形の背です。そこを狙えば、他の何も傷つけずに弾が飛ぶような状態だったからです。……本当は、旦那様に殴りかかりそうだったその黒人に銃を向けたかったんですが、人や車や家を傷つけずに撃つのは無理だと判断したので……。」
「うむ……フェルディナンド、お前が私のことを思ってそうしてくれたのは大変に有難いのだが、この方をご覧。余程大切なものだったようだよ。」
 モーガンにそう言われ、フェルディナンドと呼ばれた青年は、サンボだったビニールを抱き締めているマードックの前までやって来て、深く頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。」
「……いいよ、もう。起こっちゃったことは仕様がないもんな。」
 クレイジー・モンキーとて、低頭に謝られているというのに駄々をこね続けるような大人げない真似はしない(はず)。マードックはバツが悪そうに頭(実は帽子)を掻きながら口を尖らせ、サンボをポケットの中に押し込んだ。
「友達や相棒が撃たれて死ぬぐらい……よくあることさ……。……ボギー……。」
 独り言を呟き、熊の縫いぐるみの壮絶な最期を思い出す。あれに比べれば、サンボはまだマシな死にざまだ。穴を塞いで空気を吹き込めば、生き返るだろうから、多分。
 そしてまた、自分の言った言葉尻を捕らえて、彼はトム・ジョーンズのことを思い出した。『IT'S NOT UNUSUAL(よくあることさ)』は実にいい歌だ。しかし、サビの振りはどうにかならないものなのだろうか。『DELILAH』の指先の動きと『WHAT'S NEW PUSSYCAT?』の揺れは見事なものだが。
 目を閉じてごく微かにトム・ジョーンズの物真似を始めるマードック(トムが降臨しているのかもしれない……まだ死んでないけど)。1曲目はやはり『LOVE ME TONIGHT』でしょう。『GREEN GREEN GRASS OF HOME』でも可。
 眼前の精神病患者に何が起こっているのか判らないまま青年は顔を上げ、モーガンの方をちらりと窺った。その視線に気づき、モーガンが優しい微笑を浮かべて頷く。
「マーシャル爺さんの言ってた“スイカを愛してない”ってのは? スイカを愛さずにスイカ作りに専念できるもんなのか?」
 すっかりやる気をなくしたハンニバルが、妙な腰の動きをしているマードックを無視して、葉巻を出そうとポケットを探る。だが、取り出した葉巻は真っ二つに折れてしまっていた。それでも、折れていない方を口に咥え、折れた断面に火を点ける。
「そりゃあ確かに私はスイカが好きではない。あの青臭いところが駄目なのだ。ウリ系のものは全て、キュウリもメロンもカボチャも食べられん。しかし、だからと言って、スイカ栽培をしてはいけないという法はなかろう? 世の中にはスイカ好きが大勢いることも承知しているし、私が柑橘類を好むように彼らもスイカが好きなのだということもちゃんと理解しておる。」
「ま、全てのナマコ採りがナマコ好きとは限らんからな。」
 ハンニバルは何だかちょっと違うような例を挙げて、場を静まらせた。その中に、マードックの抑えに抑えた歌声が微妙に聞こえる。それが余計に不気味でもある。
「ホントにホントに悪いこと何もしてないわけ? 全米スイカ品評会の票操作とかも? 他のスイカ業者のトラックを襲って出荷の邪魔をしたとか、市場の値を意図的に吊り上げたとか、他の畑に撒く農薬に変なもん混ぜたりとか……。」
 どうしてもモーガンを悪役に仕立て上げたいフェイスマンが悪足掻きしてみる。
「そんなことは一切しとらん。私は正々堂々とスイカを作っておる。品評会の成績など、どうでもいいことだ。大事なのは、消費者が喜んでくれるかどうかという一点に尽きる。」
 真っ当な論を、胸を張って言い切ってくれるモーガン。彼はフェイスマンの一番苦手なタイプの男だった。曲がったことが嫌いで、使用人を信用していて、使用人からは信頼されていて、加えて心身共に健康で、金持ちで、男。これが、金持ちでも女なら、好きになれたかもしれないのに。
「……じゃ、俺たち、これで……。」
 早々に退散したくてたまらないフェイスマンは、残り3人の意思など考慮せずに、踵を返し、手を挙げた。
「ちょっと待て。」
 フェイスマンに倣ってバンに向かおうとするAチームに、モーガンが声をかける。
“うわー、ヤバいかも……。”
 恐る恐ると渋々が入り混じった調子で、それでも引きつった微笑みを忘れずに、フェイスマンは振り返った。
「……何でしょう?」
「散々暴れて、人を罪人呼ばわりしておいて、そのまま帰るつもりか?」
「……あのー、えーと……ごめんなさい。」
 口で謝るのは金がかからないから、全然平気。
「ほら、みんなも。」
 リーダー然として、フェイスマンが3人に指図する。
「……悪かったな。」
「……相済まない。」
 コングとハンニバルが、揃って頭を下げた。
「I'm sorry, so sorry. That I was such a fool I didn't know...♪」
 いつの間にか、トム・ジョーンズにブレンダ・リーが混ざってしまっている。
「それだけなのか?」
「え……他に何か?」
 飽くまでもとぼけて事なきを得ようとするフェイスマンに、モーガンはゆっくりと近づいてきた。
「確かAチームというのはお尋ね者だったと記憶しているが、どうだったかねえ……。」
「……仰る通りです、はい。」
 弱みを握られた、という感じで、フェイスマンは俯いた。
「MPに通報しようってのか?」
 コングが緊張の面持ちで尋ねる。
「いやいや、そんな真似をするつもりはない。本当の悪人が野放しになっているというのなら、私もためらうことなく警察に通報するだろうが、どうも君たちは違うようだ。ただ、私の使用人たちが怪我を負わされたというのを黙って見過ごすわけには行かない。君たちも自らの先走った行動に後悔はしているようだが、こちらにもそれなりの誠意を見せて戴きたいのだ。」
「……して、いかほどご入り用で?」
 フェイスマンが敢えて聞かずにおいたことを、ハンニバルがさらりと言ってのける。先刻謝ったばかりだというのに、流石にハンニバルだけあって、その態度は大きい。
「金の問題じゃない。金がほしいとは別に思わん。」
 モーガンの言葉に、フェイスマンはほっと胸を撫で下ろした。それにしても、こんな台詞、一度は言ってみたいものだ。
「じゃあ何なんだ?」
 訝しげにハンニバルが問う。それに対し、モーガンはAチームとの乱闘でズタボロの使用人たちを見渡して口を開いた。
「君たちのせいで、畑仕事ができなくなった者が何人かいるようだ。従って、その者たちの代わりに畑に出てほしい。」
「……判った。引き受けよう。」
 喜ぶべきか悲しむべきか渾然一体となった表情のフェイスマンを見て、ハンニバルが答えた。マードックは未だに陶然として口パクで歌っているし、コングはなぜか畑仕事がやりたそうな顔をして頷いている(彼の性格からすれば当然とも言えよう)。
「期限はいつまでだ?」
「取り敢えず、彼らが病院に行って、帰ってくるまでだ。その後のことは、治療の結果を聞いてから考えよう。では早速、無傷の者からやり方を聞いて取りかかってくれたまえ。……特に、逞しい体の君には期待しているよ。」
 モーガンがコングの肩をポンと叩き、コングはそれに応えて“やったるぜえ”という風に拳を握った。
 結局Aチームの4人は、その日丸1日、真夏の太陽に照らされ、スイカ畑で農作業に携わったのだった。



 例のアジトで、コング以外筋肉痛に悩むAチームは、ケーテ2号を囲んでいた。部屋の隅には、ケーテ3号、4号、5号が転がっている。
 レジャーシートを敷いた床の上に円陣を組んで座り込み、その中央には、更に新聞紙を敷いた上にケーテ2号が鎮座している。コングが鉈でケーテの上部を切り落とした。そして、鉈を脇に置いてお玉に持ち替える。既に他の3人は手に手にすくう器具(ハンニバルはスイカ用スプーン、フェイスマンは普通のスプーン、マードックはレンゲ)を持ってスタンバイしている。
「いただきます!」
 4人が口を揃えて言い、ケーテの上に頭を寄せ合った。4本の器具がスイカの赤い部分に突き刺さる。
「馬鹿野郎、ガラムマサラかけんじゃねえ。」
「フェイス、リキュールなんかかけないでよ。」
「ハンニバル、何かけてんの!?」
「コショウとカルダモン。おい、コング、牛乳注ぐなんて、お前正気か?」
 3人分の湿布から漂うメントールの香りに包まれた不快指数90の部屋に、機械の轟音と、スイカを食べる音と、4人の声が響く。
 ケーテ2号を食べ尽くすのに、百戦錬磨の強者Aチームをもってしてでも約12時間を要した。ケーテはあと3個残っている。
「スイカなんて、もう見るのも嫌……。」
 スイカの汁に塗れてべとついた手で、マーシャル老から送ってもらった7000ドルの小切手を撫でつつフェイスマンが呟いた。
【今回の収入……スイカの張りぼて1個400ドル×5個+ケーテ6〜15号1個500ドル×10個=7000ドル、それとフェイスマンが着服した(テッドが貰うはずだった)200ドル。いずれも支払人はスチュアート・マーシャル。】
 ヤマダスイカ園のスイカ、一夏食べ放題の約束は、反故になりそうな気配である。
【おしまい】
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