神秘の熱帯モンスーン
伊達 梶乃
 Aチームのテーマ曲が景気よく流れる中、ハンニバル、フェイスマン、コングの3人は必死の形相で逃げていた。
 ここはアルゼンチンの大草原、パンパからグランチャコに移った辺り。後ろからアルゼンチン人たちの乗った車数台が追ってくる。
 湿地に車輪を取られながらもひた走るオンボロトラック、そのハンドルを握るのはコング。助手席の窓から身を乗り出して、神父姿のフェイスマンが後ろに向かってオートライフルを乱射している。そうされてはアルヘンティーノたちも黙っていない。ちょっと怪しげな銃でバンバン撃ってくる。
「♪メー・リ……さん・の……ヒッツッジー……ヒッツッジー……ヒッ・ツッジー……メー・リ……さん・の……ヒッツッジー……かわ・いー・い……なー。」
 緊迫した雰囲気の中、フェイスマンとコングの間からたどたどしくものどかな歌声と金属的リードの音が響く。因みに、マードックは今いません。
「よし、わかってきたぞ。♪キラ・キラ・ひか・るー、おそ・らの・ほし・よー? ありゃ違った。」
 つけヒゲ&カツラ(落ちぶれた老ミュージシャン仕様)のハンニバルが膝の上のコンセルティーナを見つめ、首を捻る。
「♪おそ・らの・ほし・よー。なるほど。」
 開くべきところを閉じてしまった、ということに気づき、満足そうに頷く。
 正確に言おう、必死の形相で逃げているのはフェイスマンとコングの2人。ハンニバルは必死の形相でコンセルティーナの練習をしている。



 今回の仕事は“幻の白銀”と呼ばれるコンセルティーナを探し、奪ってくることだった。依頼人はアメリカ在住のタンゴ・マニア、報酬は経費込みで1万ドル。金額を聞いてフェイスマンが受諾し、依頼人の「タンゴ・ダンサーだった母の死に目に“幻の白銀”で『ラ・クンパルシータ』を演奏してやりたい」という話(思うにでっち上げ)に涙したコングが同意し、ハンニバルは“暇潰しには持ってこいかな”と思った。そして退役軍人病院からマードックを連れ出した後(フェイスマンとマードックがタンゴを踊りながら病院を抜け出すシーンは見ものだった!)、Aチームはその象牙と絹と銀とで作られ、大粒のダイヤモンドと純白のパールとで装飾されていると言われる年代物のコンセルティーナのありかを探し当て、アルゼンチンまで行き、それを発見し、騙して奪って逃げている最中であった。この先、マードックが飛行機で迎えに来て、ハンニバルとマードックとコンセルティーナは飛行機でロサンゼルスに飛び、フェイスマンとコングはそのままリオデジャネイロまでトラックで行き、そこから船でゆっくり帰る、という筋書きになっている――表向きは。



「フェイス、あの馬鹿とのランデブーの場所は?!」
「♪パフ、ザマージック……ドラー・ゴン、リヴド・バイザ……シー。」
「地図に書いてあるから自分で見てよ! 俺、今、手え放せないんだから!!」
 右手でハンドルを操りながら、コングが片手で地図を開く。
「このまんま行くとパラグアイとの国境だぜ、どうすんだ?!」
「♪エン・フロリク・トィン・ディ・オー・タム……ミスト、イナラン・コールト・ハ・ナー……リー。」
「突破すんに決まってんでしょ! 向こう側で待っててって約束なんだぜ!!」
 車が大きく揺れ、荷台でドラム缶同士がぶつかる鈍い音がいくつも響いた。
「気をつけてよ、コング! 積み荷、軽油とケロシンなんだから、引っ繰り返ったらやばいだろ!!」
「♪リルージャッキー・ペーイ・パー……ラヴダッ・ラス・カル・パフ。」
「悪ィ。にしても、こんな国境以外何の目印もねえような所で、本当にあの馬鹿と落ち合えんのか?!」
「♪エン・ブローティム・ストリング・スェン・シー・リン……ワックス、エン・ア・ザー・ファン・シー・スタッフ。」
「モンキー先に来て待ってるはずだし、飛行機ぐらいすぐ見つかるって、あんだけの大きさあるんだから! でも、こんな状況じゃ、ゆっくり給油できないし、乗り込むのだって大丈夫かどうか怪しいもんだね、ハハッ! ……ギャーッ!!」
「♪オー、パフ、ザマージック・ドラー……ゴン、リヴド・バイザ……シー。」
「どうしたフェイス、撃たれたか?!」
「♪エン・フロリク・トィン・ディ・オー……タム・ミスト、イナラン・コールト・ハ……ナー・リー。」
「いや! マガジン丸々1本落とした。残り少ないのに!!」
 安堵の息をついたコングが、前方と地図とサイドミラーをちらちらと見る。
「後ろの奴ら、減るどころか逆にさっきより増えてるじゃねえか! ちゃんと撃ってんのか?!」
「♪パフ、ザマージック・ドラー・ゴン、リヴド・バイザ・シー。」
「撃ってるよ! もう車10台くらいオシャカにしてやったんだぜ!! これでも!!」
「♪エン・フロリク・トィン・ディ・オー・タム・ミスト、イナラン・コールト・ハ・ナー・リー。」
「シロアリみてえに湧いてきやがる……。」



 中略。トラックが走り続ける中、弾丸が減る一方、アルヘンティーノが増える。ハンニバルが弾き語っているのと、コングが運転しているのと、フェイスマンがオートライフルのトリガーを引いているのは変わりなし。



「♪ホエア・ハ・ボー・ザ・フラ・ワーズ・ゴーン、ローング・タイム・パ・アッ・シーン。」
「国境だぜ!」
 コングが呟くように叫んだ。目の前には有刺鉄線の柵、後ろには“幻の白銀”を取り返そうとするアルヘンティーノがじょわじょわ。オートライフルの弾丸の残りは少ない。
「♪ホエア・ハ・ボー・ザ・フラ・ワーズ・ゴーン、ローング・タイム・ア・ゴー。」
 問題のコンセルティーナを膝に、ハンニバルは葉巻も吸わず一心不乱に弾き語っている。周りで何が起こっているか、把握できていない様子。もしかすると、このリーダーは自分の部下を信頼し、任せ切っているのかもしれない。
「本当に強行突破しちまっていいんだな?」
 撃つのをやめて助手席のシートに腰を落ち着けたフェイスマンにコングが尋ねると、彼はこくこくと頷いて、手ではシートベルトを探していたが、どうもこのトラックにはそれが備わっていないということがわかり、仕方なく突入の衝撃から顔を守るべくダッシュボードにしがみついた。
「♪ホエア・ハ・ボー・ザ・フラ・ワーズ・ゴーン、ヤンガールズ・ピッ・クト・ゼム・エ・ヴリー・ワーン。」
「行くぜ!」
 踏みっ放しのアクセルを更に深く踏み込む。
「♪ホエン・ウィル・ゼイ・エ――
 ガショーン!!
――ヴァー・ラーン。ホエン・ウィル・ゼイ・エー・エ・ヴァ・ア・ラーン♪」
 鼻先にバラ線を引っかけたまま走るトラック。ずるずると引きずっていたそれも、遂にはぶちりと切れ、国境突破終了。
「♪ホエア・ハ・ボー・ザ・ヤン・ガールズ・ゴーン、ローング・タイム・パ・アッ・シーン。」
 国境を越えたというのに、アルヘンティーノたちは未だしつこく追ってくる。最早、サイドミラーに映る後方の様子は“中国人の自転車による通勤風景”さながら。ヤクザなアルヘンティーノたちを騙して、裏世界では国宝級の“幻の白銀”を奪ったのだから仕様がないのかもしれないが、それにしても半端でない人数。
「♪ホエア・ハ・ボー・ザ・ヤン・ガールズ・ゴーン、ローング・タイム・ア・ゴー。」
「さて、飛行機は……。」
 とフェイスマンが目を凝らす。しかし、ランデブー予定の地点まで、まだ地図上で1インチもあるのだから、いくら飛行機が大きいとは言え、見えるはずがない。
「ぼんやりしてねえで、後ろの連中、何とかしろよ。」
「♪ホエア・ハ・ボー・ザ・ヤン・ガールズ・ゴーン、ゴーントゥ・ヤン・メン・エ・ヴリー・ワーン。」
「だって、弾ほとんどないし、撃ったって何も改善されないんなら、撃たない方がいいかと思って。今後のためにも。弾なくなっちゃったら、いざって時やばいでしょ。」
「……むう……それもそうだな。」
「♪ホエン・ウィル・ゼイ・エ・ヴァー・ラーン。ホエン・ウィル・ゼイ・エー・エ・ヴァ・ア・ラーン。」
「きっと、モンキーが何とかしてくれるよ。」
「そりゃ絶対あり得ねえな。」
「♪ホエア・ハ・ボー・ザ・ヤン・メーン・ゴーン、ローング・タイム・パ・アッ・シーン。」



 しばらくすると、銀色の機体が見えてきた。
「♪ホエア・ハ・ボー・ザ・ソル・ジャーズ・ゴーン、ゴーントゥ・グレイ・ヴャーズ・エ・ヴリー・ワーン。」
 更にしばらくすると、マードックの姿も見えてきた。
「♪ホエア・ハ・ボー・ザ・グレイ・ヴャーズ・ゴーン、ゴーントゥ・フラ・ワーズ・エ・ヴリー・ワーン。」
「あの腐れ冬瓜、何やってんだ、アイドリングもしねえで。」
「♪ホエン・ウィル・ゼイ・エ・ヴァー・ラーン。ホエン・ウィル・ゼイ・エー・エ・ヴァ・ア・ラーン。」(面倒なので、これ以降は歌詞を省略させていただく。)
「アイドリングしながら給油すんの危ないからね。この辺、気温高いし。」
 マードックが“早くこっちへ!”という風に大きく手招きしている。コングは飛行機の尾翼の下にトラックを滑り込ませた。
 その途端、後方でアルヘンティーノらの乗る車が数台吹き飛んだ。一列横隊した地雷が車の下で爆発したのだ。続いて、そのすぐ後ろの車も2列目の地雷で吹き飛ぶ。
「コングちゃん、交代!」
 起爆装置を手にマードックが叫んだ。彼の前には何本ものカラフルな導線が並んでいる。
 コングは運転席から飛び出し、マードックの許に駆け寄った。起爆装置と1枚の紙を手渡される。
「地雷の場所はこの紙に書いてある!」
 受け取った紙を見る――地雷の位置が×印で示され、色とりどりのマーカーで囲んである。そして足元の導線には、それと同じ色が塗られている。実にわかりやすい。
「じゃ、よろしく!」
 手始めに、コングは3列目の地雷につながっているであろう茶色の導線を起爆装置に接続し、ハンドルを押した。思った通りの位置で爆発が起こり、車が吹き飛ぶ。
 一方マードックは飛行機の所へ走り寄り、トラックの運転席に移動したフェイスマンが荷台を給油口の方へ向けている間に、脚立に登って給油口の蓋を開けた。方向転換を終えたフェイスマンが最後のマガジンを差し込んだオートライフルを肩に荷台に駆け登り、吸い上げポンプつきパイプの一端をケロシンのドラム缶の中へ突っ込み、他端をマードックへ投げる。そして給油口へパイプを差し入れたマードックは脚立から飛び降り、操縦席へと戻るべく駆け出した。
 懐からハンディートーキーを出し、フェイスマンが聞く。
「モンキー、オートライフルの弾、そっちにある?!」
『モチのロンよ。他にも色々と取り揃えておりまするぜ〜。』
 飛行機の中と外とだが、近距離なので雑音が少ない。
「持ってきてよ!」
『俺が? そしたら誰が燃料ゲージ見りゃいーの? 大佐はどーしたんよ?』
「……歌ってる。」
『歌ってる〜? ああ、もう、こういう時に限って大佐は!』
「俺だって“ああ、もう”って言いたいよ!」
『……いいこと考えた。大佐にゲージ見ててもらって、その間、自由に歌ってもらう。で、俺が弾持ってく。』
「その線で行こう!」
 フェイスマンはハンディートーキーをオフにして、荷台の上から運転席に向かって叫んだ。
「ハンニバル! 歌うんなら飛行機に乗ってからにして!!」
 もぞもぞとトラックから出てきたハンニバルが『悲惨な戦争』を歌いながら飛行機に乗り込んでいく。流石に歩きながらではコンセルティーナは弾けない。
 機内ではマードックがハンニバルを待ち構えていた。
「大佐、歌っててもいいから燃料ゲージ見てて。満タンになったら、このトーキーで教えてちょ。」
 ハンニバルが歌いつつ頷き、ハンディートーキーを横に操縦席に座る。マードックは自分用のオートライフルとマガジンを一抱え持って機外に出た。
 飛行機の外では、アルヘンティーノたちとの銃撃戦が行われていた。と言っても、Aチーム側はオートライフルが1梃しかなかったのと既にそれも弾切れのため、一方的に撃たれているだけである。
 引っ繰り返った車を楯にして撃ってくるアルヘンティーノたちに向けて威嚇射撃をしながら、マードックがフェイスマンにマガジンを投げて寄越す。
「モンキー、俺にも銃!」
 地雷を使い果たしたコングがマードックに向かって叫んだ。
「コングちゃん、丸腰だったん?! 中にあるから、自分で取ってくる! まだ飛んでねっから平気!!」
 平気!! と言われても、そんなに平気ではないコングは、飛行機の搭乗口まで勢いよく走っていったものの、タラップの前で立ち止まり、階段を恐る恐る登っていった。眼前のシートの上にオートライフル他を見つけ、安心して手を伸ばす。横にハンニバルがいるのに気づき、より安心感を増大させる。
「よ、ハンニバル。もう歌うのはやめたのか?」
「今だけ。」
 言うが早いか、ハンニバルはコンセルティーナの陰に隠し持っていた注射器をコングの首筋に突き立てた。ちゅ〜っとピストンを押す。
 ドタッ!
 重量感のある音と共に機体が揺らいだ。
「燃料満タン、コングはお休みだ。」
 ハンニバルはハンディートーキーに向かってそう言い、手近なシートに座って『風に吹かれて』の弾き語りを再開した。
 連絡を受けたフェイスマンは吸い上げポンプのスイッチを切り、荷台から降りて脚立に登った。給油口からパイプを外し、蓋を閉めながらマードックに向かって叫ぶ。
「給油終了! モンキー、アイドリングに何分かかる?!」
 フェイスマンの声を聞いて、マードックがトラックの陰から姿を現す。
「最低5分! 持ち堪えられる?!」
「1人じゃ辛いよ!」
「じゃ4分! そしたら搭乗許可してやる。」
「わかった!」
 脚立から飛び降りたフェイスマンがマードックからオートライフルを受け取り、2梃を腋に挟んで撃ちつつトラックの陰に走り込む。すぐに飛行機のエンジンが轟音を立て始めた。
 そして3分後、フェイスマンはトラックの運転席に着き、エンジンをかけた。アルヘンティーノたちに向けて車を走らせ、途中で飛び降りる。
 アルヘンティーノたちは一斉に銃口をトラックに向けた。蜂の巣になるトラック。荷台では残ったケロシンがこの暑さで十分に蒸発している(軽油があるというのは嘘)。当然、爆発、炎上。逃げ惑うアルヘンティーノたち。
 その隙に、フェイスマンは飛行機のタラップを駆け上がり、ドア(タラップつき)を閉めた。きっかり4分。
「モンキー、離陸!」
 操縦席に向かってフェイスマンが叫ぶ。
「やっぱ4分じゃ無理みたいだわ。あと1分、我慢して。」
「我慢してって言われても……。」
 マードックの返事に、肩で息をしてシートに倒れ込むように座ったフェイスマンは、片手では十字を切っておいて、もう一方の手ではロザリオを握り、1粒1粒繰っていった。前方の席では眠ったコングがロープでシートに括りつけられ、その斜め後ろの席ではハンニバルが朗々と『悲しみのジェット・プレイン』を弾き語っている。この事態にぴったりのタイトルだが、歌詞の内容はあまり関係ない。
“ああ、もう、いい加減歌うのやめて……。”
 後ろの方でカン、カン、と機体に弾が当たる音がする以外は特に何事もなく1分が過ぎ、飛行機は滑走を始めた。
「皆様、大変長らくお待たせいたしました。只今よりクレイジー・モンキー航空第2便、ロサンゼルスに向けて離陸いた……おりょっ?!」
 アナウンスの最中、機体が妙な揺れを生じた。足元が不安定ですよ、という感じに。マードックがマイクを投げ捨て、慌てて両手で操縦桿を握る。
「何だか揺れるんで、とにかく離陸いたします!」
 前方を見据えたままマードックが叫び、操縦桿を引いた。機体がふわっと浮き上がり、それと共に揺れが収まる。一安心するAチーム一同(コングは安眠)であった。
 乗客4人(操縦士込み)にとって豪華すぎる飛行機は、ロサンゼルスに向けて快適な空の旅を続けていた。現在、ハンニバルは『500マイルも離れて』を弾き語っている。
「ロサンゼルスって、左だよね?」
 マードックのマイクを通した声に、うとうととしていたフェイスマンは覚醒し、席を立つと操縦席に歩み寄った。
「離陸地点から見れば確かに西寄りだけど、何で?」
「気のせいかもしんねーけど、やや右に寄ってんだよな。指示器じゃちゃんと左行ってるはずなんだけどさ。」
 方位指示器をコンコンと指先で叩く。その途端、南北の位置がぐるりと反転する。
「ありゃりゃ……。」
 磁気コンパスが樹海の中にいるかのように、くるくると回っている。
「あのさ、モンキー……言いたくないんだけど、これ、壊れてんじゃない?」
 気圧高度計によると現在この機は地中にいることになっているが、電波高度計によれば大気圏外に出ているようだ。
「俺も、言われたくなかった。さっきからそんな気はしてたんだよね、うっすらとさ。」
 水平儀を信じれば、この飛行機は背面飛行中のはずである。しかし窓から見える風景は、低空飛行中なので、上が空、下がジャングル。他には山も海も見えないが、少なくとも逆さまではない。
「最近、俺、壊れてない飛行機、操縦してねーなー。」
 マードックの呟きをよそに、フェイスマンが燃料ゲージを指差して恐る恐る尋ねる。
「……モンキー、燃料計、E指してる。これも壊れてんだよ……ね?」
「どーだか。俺っちの勘じゃ、それだけは壊れてねーんじゃねーかなー。機体、妙に軽くなってる感じするし。操縦桿、軽くなんのが早いんだよ、普通にガス食ってる以上に。」
 珍しく真面目な表情で操縦桿を握るマードック。計器が壊れている以上、彼の勘と視力と操縦テクに4人の命(特に自分の命)が懸かっているとなれば当然である。
「もしかして、アルゼンチン人に燃料タンク撃たれて、オイル漏れしてるとか言うわけ?」
「言わねーけど、多分そーなんじゃねーの? 俺、後ろ見えねーから知らね。」
「じゃあどうすんのさ?!」
 手をぶんぶんと振りつつ、狭いコクピットの中をうろうろするフェイスマン。邪魔である。
「さっさと降りられるとこ見つけて、不時着するしかねーよ。……不時着できりゃの話。」
「不時着できりゃ、って? お前ともあろう者が、できないっての?! 何で?!」
 声が平静時より1オクターブ半は上がっている。
「離陸ん時、車輪外れちまった……と、思う。見えなかったからよくわかんねーけど、ありゃー手応えからして80%の確率で外れたな。」
「車輪外れたってわかってたら離陸すんなよ!」
 フェイスマン、じたばたじたばたどたばたどたばた。
「離陸した瞬間は外れてなかったの! それに不時着するなんて予定に入ってなかったっしょ! ガス欠になるってことも! 燃料に余裕があって、ちゃんとした場所に降りるんなら、俺だって無事胴体着陸させる自信くらいあるさ。でも、燃料はもしかすると空っぽ、下は行けども行けどもジャングル、他の計器は故障してて、乗ってる奴は歌ってんのと眠ったまんまなのとパニック起こしてんのと狂ってんのなんだぜ。いくら俺様でも、こんな状況じゃ胴体着陸なんてちょっち自信ないね。」
 自信持ってそう言うマードック。フェイスマンは無理矢理パニックを抑え込んで、生き延び得る方法を考えた。
「パラシュートは?」
「この高度から? 落下傘開く前に地面に激突するか木にぶつかるぜ。木の天辺にぶっ刺さるかもな。」
「高度上げてよ。」
「燃料がどんだけ残ってるかわかんねーんだ、んな無茶できっかよ。」
 そう言われて、最後の手段、とフェイスマンが通信機のマイクを手に取り、スイッチを入れる。しかし、通信機は微かな雑音さえ出さない。
「それ、思いっ切り壊れてる。さっき俺もやってみたんだけどさ。冷凍マグロと同じぐらい死んでる。」
 いろいろといじくってみようとしたフェイスマンに、マードックがのほほんと告げた。掌の上のマイクをかなぐり捨てる意欲もなく、フックにそっと戻す。
「……あーあ……お前の同業者って奴信じて何もチェックしなかった俺も馬鹿だったけどよー、あんな奴に調達任すお前も結構なもんだぜ。」
 あまりの非常事態にシリアス度全開のマードック。口調が自分のものでなくなっている。
「裏世界闇物資調達係組合南米支部のナンバーワンなんて、そんなもんなのかもね……南米だもんね……。」
 泣きそうな表情で窓の外を見つめる裏世界闇物資調達係組合北米支部のナンバーワン、テンプルトン・ペック。この飛行機は、アルゼンチンでは言葉もままならず、土地勘もなく、自力で調達することが難しいと悟ったフェイスマンが、裏世界闇物資調達係組合南米支部のナンバーワン、ラウル・ドミンゲスに調達を依頼し、マードックが受け取りに行ったものなのだ。注文の品は“アルゼンチンからロサンゼルスまで途中給油せずに飛べる4人乗り以上の飛行機(機種問わず)と火器4人分+付属品たっぷり”――このルートだと高くつくので、何とか調達できそうな燃料は頼まなかった。
“確かに、俺、壊れてない飛行機、とは言わなかったもんなあ……。”
 交渉価格が思いの外安かったのも頷ける(それとて更に値引きさせたのだが)。
“帰ったらスイス銀行に代金振り込まなきゃ。……帰れなかったら払わなくてもいいんだよね……。”
 先刻のパニックもどこへやら、諦念のフェイスマン。マードックの真剣な横顔が、それに拍車をかける。
 何を夢見ているのか幸せそうに眠っているコング。ピーター・ポール&マリーの曲を歌い尽くし、今は『アマポーラ』なんぞ弾いているハンニバル(歌うのはやめた)。2人の方を一瞥し、フェイスマンはフッと鼻で笑って頭を横に振った。



「……あ、あそこ……!」
 マードックが声を上げた。フェイスマンも窓の外を見る。緑のジャングルの中、一部分だけぽっかりと木が生えていない。飛行機が悠々停まれて、なお余った場所でアメリカン・フットボールとサッカーと野球が一度にできそうな広さだ。
「あそこなら降りられるかもしんねー!」
 一縷の望みを見出したマードックの瞳が輝く。
「……それでも、降りられる、じゃなくって、降りられるかもしれない、なのね……。」
 テンションが下がったままのフェイスマンは、小さく呟き、シートに戻っただけだった。この神父はもう祈ることさえしようとしない。ただ、不時着時に乗客が取るべき例の姿勢を取るのみ。
 次第に茶色い土肌が見えてきた。
「着陸しまあああああす!!」
 マードックの叫びが機内に響き渡る。
 地面に激突か! 絶体絶命、Aチーム!!



 ぼよ〜ん……よんよんよん……。
 あまりに気の抜けた衝撃とも呼べない衝撃に、現状を把握していたはずのマードックとフェイスマンは、死んだのかと思って自分の頬をつねってみた。紛うことなく痛い。
「生きてる!」
 客席とコクピットとで同時に叫ぶ。
「やったぜ、モンキー、お前サイコーのパイロットだよ!」
 狂喜乱舞してフェイスマンがドアに駆け寄った。何となく今までの事態を把握していたハンニバル(大佐の階級は伊達ではない)もコンセルティーナを抱えたままドアに寄る。マードックも通路を走ってくる。
 胴体着陸したのだからと、ドアに付随するタラップを下ろすのももどかしく、中途半端に開いたドアの隙間からフェイスマンが喜び勇んで、と言うか先陣を切って、地上に飛び降り――そして彼の姿は消えた。言葉にならない叫びと共に。
「フェイス?!」
 フェイスマンの姿が見当たらず、アマゾンの蒸し暑い空気の中、ハンニバルとマードックが首を傾げた。よくよく見ると、タラップつきドアの先端が茶色い地面の中に潜り込んで引っかかっている。土肌にしては質感も違う。
 地表だと思っていた茶色い面は、地面ではなかったのだ! そしてフェイスマンは、その面の下に落ちたのだ――多分、本物の地面の所まで。



「……いってえ……。」
 足から落ちたが、咄嗟に膝を曲げ手をついて転がったので、そう大事には至らなかった。掌と膝、肘を多少擦り剥き、心持ち足首が痛む程度。
 自分の状態を確認した後、フェイスマンは服についた汚れを払い落とし、上を見上げた。踏み抜いた穴の向こうに空が見える。穴から本物の地表まで、およそ8フィート。そう高くはない。しかし、暗い。飛行機の扉の先端がこちら側に入り込んでいるのが、微かな明かりの中、どうにか見える。
「おーい、フェイス! どうなってるんだ、こりゃ?」
 穴の向こうからハンニバルの声がした。
「地面、そっから更に8フィート下なんだ! タラップ完全に下ろして! それから懐中電灯ある?!」
「ちょっと待ってろ!」
 ドアの上で誰か(恐らくマードック)が飛び跳ねる音がし、それから折り畳まれていたタラップも下ろされる。そして、懐中電灯とコンセルティーナを持ったハンニバルが、その後ろからマードックが、階段を降りてきた。カチッという音と共に懐中電灯に明かりが灯り、辺り一帯が照らし出される。
「これ……。」
 3人は周囲の様子を見て、しばし絶句した。
「でっかい……キノコ?」
 最初に口を開いたのはマードックだった。
「……キノコに見えるけど……柄が8フィートもあるキノコなんて……あったっけ?」
 柄の長さアバウト8フィート、即ち高さ約8フィート、柄の直径ほぼ2フィート、傘の直径15フィート前後の巨大キノコが、傘を重ね合うように群生している。
 そしてこれらのキノコが胴体着陸の際にショック・アブソーバーとして働き、Aチームの命を救ったのだ! 神の悪戯としか思えないメルヒェンな(しかし色は地味な)巨大キノコに感謝しなければならないAチームだが、あまりの驚きにそれどころではない。
「熱帯じゃあどんな生き物も大きくなるという話だ。従って、キノコがこれだけ大きくなっても不思議はあるまい。それに、森林伐採や放射線の影響ということも考えられるな。」
 ハンニバルがいかにももっともらしく言う。自分を納得させるように。
「じゃあ大佐、このキノコがこんだけでかくなったの、オゾンホールの拡大や地球温暖化やエルニーニョ現象や捕鯨禁止運動も影響してる?」
 マードックが言ったうちの半分くらいは、キノコの異常成長と関係ないと思うが。
「恐らく影響しているに違いない。各種様々な要因が渾然一体となってこの巨大キノコを創り出したのだろう。」
 いい加減なことでもハンニバルが言うと妙に説得力があり、部下2名は大きく頷いた。頷くしかなかった。
 飛行機は飛行不可能――不可能を可能にするAチームでも、計器が燃料ゲージ以外ことごとく故障し、車輪がなく、燃料が空っぽの飛行機を、この見渡す限りキノコしかない状況で飛ばすことはできない。工具も溶接道具もなしでは、ハンニバルの妙案も、コングの技術も、宝の持ち腐れである。無論、フェイスマンも口先も、マードックの奇行も。
 彼らの手元にあるのは、オートライフルと拳銃4梃ずつ、それらの弾丸(マガジン込み)1山、破片手榴弾2ダース、発煙手榴弾6個、照明弾1ダース、機関銃1梃、ロケットランチャー1梃(ただしロケット弾なし)、中折れ式グレネードランチャー1梃、グレネード弾1ケース、ハンディートーキー2台、未使用のパラシュート4つ、懐中電灯1個、それから各人が身につけているもの。あと、コンセルティーナ1台。戦うための装備としてはなかなかのものであるが、残念なことに、ここには戦うべきゲリラも軍隊もいない。
 今、彼らの役に立っているものは懐中電灯ただ1つ。彼らが心から欲している移動手段に関するもの(足以外)は、何一つとしてないし、それを作り出すこともできずにいる。
 なのに、ああそれなのに、ロサンゼルスはまだまだ遠い。ロサンゼルスは遠きにありて思うものではないはずなのに。
 なす術を見出せない3人は、とりあえずコングを降ろしてきて、地表に投げ出した。それからコングを縛っていたロープをタラップに括りつけ、勢いよくドア+タラップを押し上げる。これで、飛行機の姿はキノコの傘に隠れて見えない。目を覚ましたコングに殴り倒される可能性のパーセンテージがぐっと減少した。ロープがキノコ天井からてれっと垂れ下がっているのが不審と言えば不審ではあるが。
「オイラ、腹ペコなんで、何か食べ物探してくる。」
 懐から気つけ薬を出したハンニバルに、マードックが言う。コングが目覚めた時に自分がいない方が暴れられずに済むという心遣いと、その方が殴られずに済むという自己防御からではあるが、本当に空腹でもあった。
「俺の分もよろしく。……あ、キノコは要らないよ。」
 フェイスマンに見送られ、マードックは闇の中へと消えていった。ハンニバルが気つけ薬のアンプルを折り、コングの鼻先に翳す。
「……んむうううううう……。」
 低い唸り声と共にコングの瞼がひくつき、次の瞬間、眼がカッと見開かれた。ゆっくりと上体を起こし、眉間に皺を寄せて頭を振る。ハンニバルはアンプルの掌の中に隠した。
「大丈夫か、コング。」
「ここは……? 俺は……?」
 懐中電灯の明かりに照らされたキノコの森を見回す。
「こりゃあ……でっけえキノコだな。」
 キノコのサイズに感銘を受けたコングは、立ち上がってそれをじっと見つめた。石突きから柄を撫で回す。
「見事なもんだ……。」
 せっかく対コング用“今までのストーリー”を考えておいたのに、それを告げる必要もなく、ハンニバルは少し寂しそう。「お前は銃を取ろうとしたところで、アルゼンチン人の麻酔銃にやられて眠ってしまった。飛行機はアルゼンチン人に爆破された。俺たちはほうほうの態でトラックに乗ってこの近くまで逃げてきたが、トラックがガス欠になり、ここまでお前を引きずって歩いてきて力尽きた」――これがハンニバル作“今までのストーリー”であった。自信作だったのに。
「で、これからどうすんの、俺たち。」
 ハンニバルが思案顔をしているように見え、フェイスマンが聞いた。
「……光を入れよう。」
 思いつきで、しかしかなり建設的な意見を発するハンニバル。このままでは懐中電灯の電池が切れてしまう。太陽が出ているうちは、できるだけ太陽光を利用し、電気を消したいものである。
「コング、ナイフかナタかノコギリか何か持ってるか?」
「十徳ナイフならあるぜ。」
 コングがポケットからアーミーナイフを出した。コルク・オープナー、栓抜き、缶切り、マイナス・ドライバー、ナイフ大小のついた、スイスの国旗入りアレだ。
「それで……そうだな……あの辺りのキノコを2、3本切り倒してくれ。」
 ハンニバルは飛行機からかなり離れた辺りを指さした。
「しばらくかかりそうだが……やってみるぜ。」
 ナイフ大をパチンと立て、コングが示された方へ進み、手頃なキノコの柄を、石突きの上辺りで切り始める。
「俺は?」
 手持ち無沙汰なフェイスマンがハンニバルに問う。
「お前は偵察に行ってこい。モンキーとは逆の方向に。」
「わかった。どうしようもなくお腹空いたら戻ってくるよ。」
 先刻のごく軽傷をすっかり忘れたフェイスマンは、決して軽いとは言えないがそう重くもない足取りで、マードックが消えたのとは逆の闇の中へ消えていった。
 一仕事終えたような気になり、大きく息をついたハンニバルは、地べたに座り込み、キノコに凭れて、中断していたコンセルティーナの練習を再開した。



 空腹を訴えながらフェイスマンが早々に戻ってきた。ハンニバルは、コングがやっとの思いで1本切り倒したキノコの傘に座って、のんびりと『マイ・ショール』を弾いている。
「ああ、お腹ペコペコ。モンキー、まだ帰ってきてないの?」
「まだのようだ。で、何かあったか? 誰かいたか?」
「人間は見かけなかったし、人間がいる形跡も気配もなかったよ。動物は多少いたけどね。あっちの方は、1マイルくらい先までキノコ天井で、その先は密林。食べられそうなもん、何もなかった。はー、疲れた。喉も渇いたし。」
 キノコ・ソファのハンニバルの隣にぽふっと腰を下ろす。
 と、その時……。
「た〜だいま〜……。」
「モンキー!」
 ボロボロのヨレヨレになって帰ってきたマードック。帽子は頭頂部が失われて単なるサンバイザーになっているし、革のジャンパーは無事だったものの、その下のネルシャツとTシャツは前身頃が引き裂かれ、コットンパンツは膝から下が千切れて臀部が破け、コンバースは靴紐が片方なくなっている。しかし、何か大変な、散々な目に遭ったとしか思えない彼は、それでも腕一杯に美味しそうなトロピカル・フルーツを抱えていた。
 駆け寄る3人。果物を暗黙の了解の分配率で分ける――と言うか、自分の好みのものをどんどん奪い取る。
「よくやったぞ、大尉。」
 マードックを褒めるハンニバルの目は果物に釘づけになっており、只今どれから食べようか思案中。
「……疲れた〜……死にそ〜……も〜駄目〜……。」
 地面の上にへたばりながらも、これは、というフルーツは手放さないマードック。
 先程から空腹を訴えていたフェイスマンは、普段の彼らしくもなく、何も言わずに食べ物に武者振りついている。
「しっかし、お前、そのナリどうしたんでい?」
 バナナのようなものを頬張りながら、コングが尋ねた。
「よくぞ聞いてくれました〜。」
 パパイヤのようなものを齧りながら、マードックが答える。
「いたのよね、いろんなのが。ジャガーとかオセロットとか、アナコンダとかボアとか、カピバラとかバクとか、コアリクイとかミツユビナマケモノとか各種サルが。」
「ジャガーやアナコンダにやられたのか?」
 メロンのようなものにかぶりついて歯を折りそうになりながらも、ハンニバルが聞く。
「ネコ系とヘビ系には木の上からじーっと見られてただけ。俺をこんなにしたのは、主にナマケモノとサル。俺、ポルトガル語できないから言葉通じないし、あいつら乱暴でまいっちゃったよ。果物採ろうとすると必ず攻撃してくんの。そんで、こんな有様。」
 パパイヤのようなものの種をププププと吹き飛ばす。
「風通しよくて、ワイルドで、いいんじゃないですか。」
「結構似合うぜ。」
「……人ごとだと思って……。」
 真剣味に欠ける欠食野郎Aチーム、しばらく無言のブランチ・タイム。



「何か物足りないなあ……もっとあるといいのに……。」
 自分の取り分を食べ終えてしまったフェイスマンが、指を舐め舐めマードックの方をちらりと見て口を開いた。
「俺ぁもう行ってやんねーぜ。もっと欲しけりゃ自分で採ってきな。ちゃんと道わかるようにしといたから。」
 マードックはマンゴーのようなものの種をしゃぶっている。
「どうやって? パン屑でも撒いたとか?」
「じゃ〜ん!」
 種を放り投げ、革ジャンのポケットから、左5本右5本、計10本のマーカーを出す。それは、かつて地雷の導線に色を塗ったもの。
「ご紹介しましょう。左からロザンナ(赤)、ベリンダ(青)、イボンヌ(黄)、ジュリエット(緑)、ブリジット(黒)、右手に移りまして、オリビア(橙)、パメラ(紫)、バーバラ(茶)、パトリシア(桃)、イルマ(藍)。この10人のお嬢さん方にご協力いただきまして――
「書いてあんのね、道順が、キノコとかに、それはもうカラフルに。」
 マードックの言葉を遮って、ハンニバルがぼそぼそと言う。
「……ピンポ〜ン……。」
 覇気のない正解音と共に、残念そうにマーカーをポケットにしまう。
「……俺、行ってこようかな。」
 水っぽい果物ばかり食べていたせいで満腹感が得られていないフェイスマンは、このまま座っていようか、立ち上がって果物を採りに行こうか決心がつかず、中途半端にしゃがんだ姿勢で言った。
「いいのか、フェイス。サルにズタボロにされちまうぜ。」
「こっちには銃ってもんがあります。フフン。」
 チャッ、と脇に置いてあったオートライフルを構える。
「……お前、野生動物を撃つってえのか?」
 その途端、コングに非難の眼差しを向けられた。そして、マードックからも。
「あの可愛いおサルさんたちを撃つう? 信じらんねー! フェイス、お前、何考えてんだよ!? ……ま、ナマケモノはいいけどさ、別に。」
「……モンキー、お前、あれだけやられといて、よくそんなこと言えるな。」
「俺、心広いから。ガールフレンド10人もいるし、おサルさんは一応お仲間だし。」
「とにかく、動物を撃つってえのは感心しねえぜ。」
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ!」
 フェイスマンお得意の両手を拡げ訴えかけるポーズ。ただし、しゃがんでいる上に、片手にはオートライフル。
「俺みてーにズタボロになるしかねーって。」
 マードックの言葉に、コングも頷いた。ハンニバルは食事に夢中で、何も言ってくれない。フェイスマンは機嫌を損ねたようにフンと言い、銃を置いて立ち上がった。その辺りをぶらぶらと歩き回る。まるで、いじけた子供である。
 しかし、フェイスマンはいじけていたわけではなかった。キノコの陰に隠れ、ポケットの中を探ってビーフジャーキーの袋(空)を引きずり出す。捨てるのを忘れていたものだ。そして彼は、ニヤリ、といけない笑いを浮かべた。



「……さてと、残りのキノコ切りやるか、陽が落ちねえうちにな。」
 コングが立ち上がって、尻についた土を叩いた。元いた場所に戻り、アーミーナイフでキノコの柄を切り始める。全く気が遠くなるような作業なのに、コングは不平一つ言わない。
「あたしゃもう少し芸術に親しむとしましょうかねえ。」
 誰もハンニバルに“もう十分親しんだろうが”と言えないのが辛い。何も文句を言われないのをいいことに、彼はキノコのソファに腰を下ろしてコンセルティーナを弾き始めた。曲は『奥様お手をどうぞ』。
「じゃ、俺っちは……。」
 立ち上がりかけたマードックの所に、にこやかな表情のフェイスマンが近寄ってきた。
「モンキー、あ〜んして。」
 マードックは条件反射で、あ〜んと口を開けた。ぽいっと何かを放り込まれる。怪訝な顔をするマードックに、フェイスマンはビーフジャーキーの袋を掲げて見せた。
「1カケだけ残ってたんだ。フルーツ採ってきてくれたお礼って言うか、その……。」
 照れた感じで口籠もってみせる。
「……アルゼンチンで買ったやつだから、あんまり美味かないけど。」
 片方の肩をちょっと竦めてみたりなんかして。
「あんがと。お取っときの食料だったんじゃねーの?」
 くちゃくちゃ噛み始めたマードックに薄く微笑み、“いいんだよ”とでも言うかのように頭を横に振るフェイスマン。
「んな、言うほど不味かねーよ。」
 よーく噛んだ後、ごくんと飲み込む。
「俺の特殊な味蕾のせいか、モーモーちゃんの味じゃなくって、シイタキーの味だったけど…………シイタキー……?」
 シイタケ味ということは……ビーフジャーキーじゃなくて……キノコ……?
 マードックは巨大キノコの傘を指さして、疑いの眼差しをフェイスマンに向けた。フェイスマンは、自分が踏み抜いたキノコの破片を指さして頷いた。そして、ニヤリ。
「げーっ! ひでーよ、フェイス、毒キノコかもしんねーのにー!!」
 無理矢理吐き出そうとするが、もう胃に入ってしまったキノコの破片は、そう簡単には出てこない。これ以上無理をするとせっかく食べた果物まで一緒に吐き出しそうで勿体なく、マードックは吐き出すのを諦めた。
 顔を赤くして涙目でゼイゼイしているマードックに、フェイスマンがビッと指を3本立てて突き出す。
「3時間だ。」
「はい?」
「食中毒は遅くとも3時間。」
 で発症する、と巷では言われている。
「3時間以内にお前が腹痛を起こしたら、あるいは今より変になったら、俺はズタボロになろうとも、野生動物を撃って鬼だ悪魔だと言われようとも、フルーツを採りに行く。3時間経った後もまだお前が元気なようなら、俺はこのキノコで腹を満たす。」
 フェイスマンにしては決意の籠もった口調だった。



 ようやくのことで、コングの手によってキノコ合計3本が切り倒された。薄闇の中に一条の光が差し込む。輝く太陽、青い空、Aチームのきらきらしい笑顔。
 しかしながら、その空がにわかに掻き曇り、あれよあれよと言う間にドシャーッと雨が降ってきた。タイミング非常に悪し。暗い方へと移動するAチーム一同。暗ければ暗いほど、雨漏りは少ない。
 スコールが早々にやんだ後も、薄暗がりの中、キノコのソファ(濡れないように引きずってきた)に座ったままぼんやりとしている4人。再び光が差し込んできているのに、明るい場所は即ちぬかるみ。
「あ、ヘビだ。」
 闇に目が慣れてきたマードックが遠くを指差す。
「ヘビい? どこでい?」
 コングが尋ねる。危害を与えるようなヘビなら、追い払わなくてはならない。
「あそこにちっちゃいキノコあるだろ。」
 ちっちゃい、と言っても、高さ3フィートはある。彼らの上にそびえる巨大キノコと色合いは似ているが、まだ傘は開き切っていない。
「……ああ、見える。」
「その下。」
 いた。まだ子供のヘビだ。ボアなのかアナコンダなのか見分けはつかないが、どうも迷子になってしまったかのように見て取れる。白い土の上に一筋のヘビ。白い……土……?
 ヘビのくねりが止まった。見る見るうちに白い衣がヘビを包んでいく。
「何なの、あれ?!」
 気持ちの悪い光景に、フェイスマンが嫌そうな顔をする。
「……菌糸か。」
 ハンニバルがコンセルティーナを弾く手を止めて呟いた。
「じゃあ、あの地面の白いのはキノコの胞子か?」
 コングが指差して、ハンニバルの方を振り向く。
「きっと、そうだろう。……あのヘビも可哀相にな。」
 次第に菌糸が厚くヘビを覆い、それを養分としてキノコ型を形成していく。その成長速度の速いこと速いこと。
「……俺たちもいつかああなっちゃうのかなあ……。」
 フェイスマンが溜息混じりに呟いた。
 そして4人が4人共、はっと気づいたようにキノコのソファから立ち上がり、自分の体に胞子がついていないか確かめ、念のため、と言うか気分的に、服や髪を叩く。散々バフバフバタバタした後、このキノコは傘が開き切っている、それに十分成長し切っている、従って胞子は出さない、と各々が結論づけ、誰からともなく再びソファに腰を沈めた。このキノコ地帯に野生動物が棲息しないのもわかったような気がする。
 ふと見ると、ヘビには1インチほどのキノコがびっしりと生えていた。
 3時間が経過した。陽も落ちて、どこもかしこも暗い。月明かりなんぞ、キノコの下では何の役にも立っていない。今後何日ここで暮らさなければならないのかわからない彼らは、節電のために懐中電灯を点けずにいる。この近辺で電池を売っている店も知らないし。
 先刻、ライターがあるのだから焚き火をして、それを明かり代わりにしよう、という案がコングから出た。夜になると、夜行性の大型ネコ科動物等のうち、キノコの胞子を怖がらない輩が襲いに来るかもしれないし、チスイコウモリが飛んでくるかもしれないからだ。しかし、実験の後、その案は却下された。熱帯モンスーン気候では、あらゆるものが湿り気を帯びていて、火が点かなかったのである。唯一火が点いたのは、ハンニバルが後生大事に持っている葉巻だけだった。
 真っ暗闇の中、コンセルティーナの音が寂しげに響く。曲は『夜のタンゴ』。



「モンキー、腹、大丈夫?」
 フェイスマンが腕時計(文字盤は夜行塗料入り)を見て、闇の中の、マードックがいるであろう大体の方向に聞く。
「大丈夫みてーよ。多少腹ヘリだけど。」
 少し離れた思いがけない所からマードックの声が聞こえた。その他にキュッキュッという音も。
「何やってんの、モンキー。」
「お絵描き。」
「キノコに、か? この真っ暗な中で?」
「そ。闇夜のデートとも言いますかな、俺の場合。――さて、ここで問題です。俺は今、誰とおデート中でしょうか?」
「キノコの柄に描いているんなら……色合いからして……バーバラかオリビア?」
 なぜかマーカーの名前を覚えているフェイスマン。全部女性の名前だから、彼には覚えやすいのかもしれない。
「ブーッ。パメラでした。」
 紫のマーカーで、マードックは一体何を描いているのだろうか。神のみぞ知る。朝になればわかるか。
「……ま、このキノコに毒がないってことはわかったから、この先、食料に困ることはないね。サルにやられずに、サルをやりもせずに済むし。あとの問題は水か……。さっきの雨水、溜めときゃよかった……。」
 フェイスマンの思考は既に“どうすればロサンゼルスに帰れるか”ではなく“どうすればここで生き延びられるか”の方向に向いている。それにしても、マードックを実験台にしたところで、巨大キノコが有毒か無毒かというのはわからないのではないだろうか。常人とはだいぶ違うのだから、彼。
「果物で水分補給する……のは駄目らしいから……川か何かあるといいんだけど……。」
「川なら、アマゾン川ってでっけえのがあるだろ。」
 どこからかコングの声がそう言った。
「それは俺だって知ってるよ、地図上ではね。でも、それ、どこにあんだよ?」
 コングの声がした方にフェイスマンが言い返す。
「果物の向こう。」
 コンセルティーナの音がやみ、ハンニバルの声が聞こえた。
「何だって?」
「何でそんなことわかんの、ハンニバル。」
 と、コング&フェイスマン。
「それはだな……。」
 コンセルティーナの中の空気がフシューと抜ける音。
「フェイスが偵察に行った方には、ろくに動物がいなかった。モンキーが行った方には、いろいろな動物がいた。これは、果物の有無ということもあるだろうが、動物たちだって俺たちと同じように水が必要だ。必然的に、水の近くに多くの動物が棲むようになる。それに、決定的証拠となるのがカピバラとバクの存在だ。こいつらは水辺に棲息する動物じゃないか。」
 じゃないか、と言われても、フェイスマンには初耳だった。カピバラやバクを気にしたことなど、生まれてこの方なかったのだから。いや、バクについて考えたことは過去に一度だけあった。孤児院時代、バクは悪い夢を食べる動物だと聞き、悪夢退治で一山儲けようと企んだ経験があったのだ。しかし、動物園でバクの姿を見て、あまりの格好悪さにパートナーにするのを断念した。仕事のパートナーはスマートでエレガントで女性ならダイナマイト・ボディで、ともあれ格好よくなければ、というのが彼の信念だった……はずなのに……。
「そう言やそうだな。」
 動物にまあまあ詳しいコングは、ハンニバルの説明に納得が行ったようだ。
「でもさ、ハンニバル、アマゾン川って言ったら、ピラニアとかワニとかいて危ないんだろ? 水汲みに行って命落とすなんてご免だよ。行く途中に凶暴なサルもいるし。」
 水を汲むくらいでは、ピラニアもワニ(メガネカイマン)も攻撃してこないと思う……特別な空腹時あるいは立腹時でない限りは。同じワニでも、もし運悪くナイルワニがいたとしたら、こいつは獰猛なので危険極まりないが。
「確かに、飲み水と引き換えに、というのなら比較的危険度が高いかもしれん。しかし、このジャングルから抜け出す、というのだったら?」
 ライターの火が灯り、ハンニバルの得意気な顔が闇に浮かび上がる。
「そうか! 川を下ってけば、川の途中や河口のとこには町って言うか村があるはずだ、きっと!」
 巨大蛍の光のような(それにしては赤い)葉巻の先の火に向かって、フェイスマンが意気込んだ。
「そりゃー名案だとは思うけどさ、大佐、どうやって川下んの? アーミーナイフで木切って筏作ってたりしたら、オイラたち……えっと、ここで何回バースデイ・パーティー開きゃいいんだ? ……それよか、手榴弾で爆破すりゃ速いか。」
 マードックの声が割合近くから聞こえる。
「そんな悠長なことや手荒なことしなくても、筏ならあるでしょが。天然の、よく浮きそうなのが。」
 ハンニバルが言い、葉巻の煙の匂いが漂った。シイタケの香りと混じって……思いの外、合う。
「どこに?」
 3人が声を揃えて尋ねる。
「ここ。」
 ハンニバルはニッカリと笑って、尻の下を指差した――が、暗闇の中、誰もわかってはくれなかった。
 朝がやってきた。スズメのチュンチュンという鳴き声の代わりに、名も知らぬ姿も見えぬ多分極彩色の鳥がゲーゲーギャーギャーギチョッギチョッと鳴いている。けたたましい南国の朝。
 このキノコは無毒だ、と信じたAチームは、ソファにしていたキノコで空腹を紛らわし、手近な場所から採ってきた木の根を齧って喉の渇きを癒し、今、彼らは各自の作業をしていた。
 Aチームのテーマ曲アレンジ・ヴァージョン、いわゆる作業中の曲、名づけて『レッツ・ワーク』が流れる。
 巨大キノコの中でも特に大きなキノコの柄をちまちまちまちま切っているコング、そのキノコの柄には既に落書きが施されている。コングに見つからないように、飛行機からありったけの火器その他とパラシュートを下ろしてくるフェイスマン。木の上でだらしなく眠っているジャガー。機内に何か使えそうなものはないかと隅から隅まで探し、レンチもペンチもスパナもニッパーもドライバーもなく素手で分解を試みて、赤くなった指先に息を吹きかけ諦めるマードック。うっとりとコンセルティーナを弾いているハンニバル。普通サイズのキノコ(まるでシイタケ)を生やしているヘビの死骸。特大キノコの柄をまだまだ切り続けているコング、額に大粒の汗。パラシュートを開いてしまって、どうしようもなくなり、キャノピーに包まれて暴れるフェイスマン。キノコの柄に絵を描いているマードック、完成した絵を見て満足そうに頷く。やっとのことで特大キノコを4本切り倒したコング、額の汗を拭う。密林で遊ぶサル各種、なぜかマードックも混じっている。オートライフルにパラシュートのキャノピーを括りつけ、帆となるパーツを製作中のフェイスマン。コンセルティーナを弾いて熱唱しているハンニバル、楽器を持ち間違えたピノ・ダニエレに見える。木にぶら下がって、鼻水と涎を垂らしながら眠っているミツユビナマケモノと、その隣に同様のマードック。オートライフルのストックの中に入っていた工具を用いてロケットランチャーを分解し、その部品を使い回して機関銃とグレネードランチャーを修理しているコング。ハンディートーキーを2つとも耳に当て、全速力で走っているフェイスマン。タンゴのステップを踏むハンニバル、パートナーはコンセルティーナ。空になったパラシュートのバックパックに各種手榴弾、オートライフル用マガジン(弾入り)、拳銃用マガジン(弾入り)を詰めるマードック、色を塗ろうとしてコングに止められる。ロープを巻き取ろうとして一緒にヘビまで巻いてしまい、慌てふためくフェイスマン。蟻塚にアタックするコアリクイ。ベルトに拳銃を挟むAチーム一同。
 曲が終わり、各自パラシュート・ストラップをつけ、弾等の入ったバックパックを背負い、筏(特大キノコ)と帆(オートライフルにキャノピーが巻きついている)とその他[※]を持って、互いの装備を確認し、こっくりと頷き合った。
※ H……コンセルティーナ、トーキー、ライター、葉巻
  BA……アーミーナイフ、機関銃、ベルト状機関銃用弾丸
  F……グレネードランチャー、グレネード弾(箱)、トーキー、ロザリオ
  M……ロープ、懐中電灯、マーカー



 果物を採らない限り、サルもナマケモノも攻撃してこなかった。夜行性の動物も、今は木の上で眠っている。そんなジャングルの中、Aチームはずんずんと川に向かって歩いていた。キノコさえ持っていなければ、それなりに見える一行も、特大キノコを担いでいる故に、チンドン屋にしか見えない。
 特大キノコはそう重くはなかった。ただ、嵩張って仕方がない。木の枝に引っかかったり、ツタに絡まったりする度に、行軍は一時ストップとならざるを得なかった。
 そして遂に、川の前に立ったAチーム。これが本当にアマゾン川なのか、それともその支流であるタパジョス川なのか(中略。各自地図参照のこと)ネグロ川なのかはどうでもよかった。誰もそこまで川の名前に詳しくないし。
 この川はかなりの上流らしく、見覚えのあるアマゾン川とは違って水が澄んでいた。ピラニアの姿は見えない。そしてワニは遠くにしかいない。とりあえず、4人は喉を潤した。ついでに顔や手を洗う。勢い余って約1名、装備を外して泳いでいる。
 さて、身綺麗になった水っ腹のAチームは、まずロープで四つのキノコをつないだ。一蓮托生、死なば諸共――ではなくて、行方不明にならないように。特に、フェイスマンに行方不明になられると、町だか村だかに着いた後、それからどうしたらいいか困ってしまう一文なしのAチームであった。
“アマゾン川に滝はない”――それはハンニバルの自信たっぷりの言葉だった。しかし、その後にまだ言葉が続く。“昔、地理の時間に習ったような気がする”――これはちょっと聞きたくなかった。何せ、ハンニバルが地理の授業を受けたのは半世紀ほど前のことだろうし、そんな昔の情報なら、今頃アマゾン川に滝やダムができていてもおかしくない。だが、よく考えた末にコングが言った――“アマゾン盆地ってからにゃ高低差はそうねえはずだ。”ああ、何と頼もしい台詞だろう。高低差がなければ、滝ができるはずもなく、川の流れも緩やかだ。
 一安心したAチームは、ロープでつないだキノコを逆さま(傘を下)にし、柄の傘に近い所にオートライフルの銃口を突き刺した。パラシュートのサスペンション・ラインでしっかりと結わえつける。キャノピーをほぐして、一端を石突きの辺りに縛りつける。筏と言うよりもヨットに近い乗り物のできあがり(安定悪そう)。
 それを川に浮かべ、4人は傘の上に乗った。結構、乗り心地がいい。バランスを取りながら、帆を左右に操ってみる。先頭のコングが機関銃の先端で川底を押し、川の中程へと進み出た。ロープに引かれ、後続のキノコ3艘も岸を離れる。
 そうして4人と彼らを乗せた4つのキノコは、ふらふらゆらゆらと、無事、川を下っていったのだった。



 途中、ハンニバルが水中に葉巻を落としたり、コングがナイルワニに機関銃を投げつけたり、ピラニアがわんさかいる場所でマードックが引っ繰り返って大変な目に遭ったり、フェイスマンのキノコが浸水してグレネード弾が使いものにならなくなったりしたが、何とか彼らはアマゾン川中流のほとりにあるマナウスの町に出た。そこで乗ってきたキノコと武器弾薬を売りさばき、金を手に入れ、マードックは服を買ってもらい、人間らしい飲み食いをし、コングは牛乳(水牛の乳)に睡眠薬を盛られて眠り、3人と1体は飛行機に乗って(驚くべきことに、マナウスには飛行場があるのだ!)ロサンゼルスに帰ってきた――コンセルティーナも忘れずに。
「いやあ、大変な2日間だった……。」
 アジトにしていた高級住宅(現在空き家の賃貸住宅に潜り込んだ)に帰り着き、フェイスマンは革張りのトリプル・ソファにどさりと身を横たえた。既にキノコのソファが懐かしく思える。
 未だ眠ったままのコングをベッドに寝かせてきたハンニバルとマードックが、リビングルームに入ってきた。コングには“夢だったんだろう”で終わらせる予定である。
「オイラ、病院に戻る前にシャワー借りてっていい? なーんかピラニア臭くって。」
 アロハシャツにバミューダパンツ、頭には小粋なカンカン帽、そしていつもの革ジャンという格好のマードックが言い、フェイスマンは無言でバスルームの方を指し示した。体の匂いを嗅ぎながら、マードックが示された方に去っていく。
「今回の作戦はかなりの出費だったようだが、元は取れるのか?」
 シングル・ソファに腰を下ろしたハンニバルが、相変わらず膝の上にコンセルティーナを乗せて、珍しく経費を気にした。作戦の前半は慎ましやかだったが、後半に意味なく金がかかりすぎたように感じたのだ。それに、直接フェイスマンが調達してきたものではないということも、ハンニバルは知っている。
「大丈夫だって。ほら、これ見て。」
 フェイスマンは懐からぐしゃぐしゃになった請求書兼契約書兼納品書を取り出した。
「長距離用飛行機、4人乗り以上、燃料少量入り、パラシュート4個つき、1500ドル。お任せ火器、オートライフルとオートの拳銃は必需、1000ドル分。弾薬、手榴弾、地雷、1000ドル分。ハンディートーキー2台、懐中電灯1台、起爆装置1台、25ドル。ロープ1巻、導線2巻、50ドル。……合計3575ドル。それを値切って2000ドルちょっきり。今回の報酬は1万ドルだし、他に使ったものは全部タダだし、経費20%なんて普通だよ。」
「……ちょっと、それ見せてみろ。」
 フェイスマンはハンニバルにその紙を渡した。コンピュータ印刷されたそれを、じっと見る。
「……ハンディートーキー2台と懐中電灯1台と起爆装置1台で25ドルなのに、何でロープ1巻と導線2巻で50ドルなんだ? それに、この飛行機と火器とハンディートーキー他の所に書いてある“R”ってのは何の印だ?」
「どれ?」
 ハンニバルから紙を引ったくり、表裏をじっくりと読む。
 読み終わったフェイスマンの顔には、愕然とした表情が刻まれていた。
「……Rって、レンタルの“R”みたい……1週間分の……。期間内に返却できない場合には、延滞料金が加算されるか、買い取り扱いになるって……。……道理で安いと思った……飛行機壊れてるにしても……。」
「どうするんだ、フェイス。手元に何一つとして残ってないんだぞ?」
「……調達するしかない……タダで。……飛行機回収してこなきゃ……。」
 買い取り価格のことを考えると、意地でも、命を張ってでも、返却しなければなるまい。少なく見積もっても500万ドル、通常なら1000万ドル、吹っかけられれば5000万ドルくらい請求されるかもしれない。何せ相手はラテン民族だ。
 フェイスマンは青い顔をしてふらりと立ち上がった。
「……懐中電灯とハンディートーキーはそこら辺で何とかするとして……火器類はあそこら辺行って偽名使って交渉してトンズラして……不渡りの小切手って手もあるかな……ああ、でもその業界じゃ俺の面割れてるからなあ……あの飛行機どうやって回収してこよう……? 似たような飛行機とか銃器じゃ駄目かな……。とりあえず電話して聞いてみよう……ラウル・ドミンゲスだったっけ……ボリビアの国番号って何番だ? 時差は何時間かな……4時間くらい……?」
 ぶつぶつ言いながら電話に向かうが、受話器を手にして、電話が通じていないことを思い出す。賃貸契約前の家だから、電気・水道・ガスは勝手に使えても、電話は電話局と契約をしないとつながらない。電話機はあるのに、だ。
「……電話、電話……俺の携帯電話……ハンニバル、俺の携帯電話、どこにやったか知らない?」
 フェイスマンはあちこちを探し歩き、ハンニバルに尋ねた。
「いや、知らん。」
「そうだよね、俺、寝室の方見てくる。……それから俺、しばらくこっちの方で忙しいから、依頼人にそのアコーディオン渡して、代わりに成功報酬貰ってくるの、ハンニバルやっといて。帰りがけにその金で葉巻買っちゃ駄目だよ。ビールも。絶対にね。」
 そわそわしているフェイスマン。意識は既にリビングルームから出て、寝室に携帯電話を探しに行っている。
「そんなことはしやしませんて。……因みにフェイス。」
 落ち着かないフェイスマンにハンニバルが呑気に答え、更に、部屋から出ていこうとするのを呼び止めた。
「ん?」
「これはアコーディオンじゃなくて、コンセルティーナ。」
「ああ、もう、そんなことはどうでもいいでしょ!」
 フェイスマンは苛ついたようにそう言い、リビングルームを出ていった。
 ハンニバルは微かに笑うと、依頼人に連絡をつけるのは明日にして、コンセルティーナを弾くことにした。2日間の練習で、かなりものになってきたという実感がある。教則本もなしで、なかなかのものじゃないか、と自分を褒めてやる。これを手放すのは惜しいが、依頼の品なのだから仕方ない。報酬を受け取ったらその足で楽器店へ行き、自分専用のコンセルティーナを買おう、と決心する。コンセルティーナは葉巻でもビールでもないから、フェイスマンは怒らないはずだ。
 タンゴの真髄『ラ・クンパルシータ』を弾くにはまだ早い、とハンニバルは思った。まだコンセルティーナ歴2日の初心者なのだから。そこで彼は『エル・チョクロ』を選曲した。英題『キッス・オブ・ファイア』。英語の歌詞は知っているから弾き語りができるし、この曲ならフェイスマンの作業にも勢いがつくだろう。
 さあ弾こう、と構えたハンニバルは手を止めた。
「何だ、これは……?」
 白絹の蛇腹の表面に、茶色い粒々が無数についている。
「はー、いいお湯だった。」
 マードックが腰にタオルを巻いただけの姿でリビングルームに現れた。手招きするハンニバル。
「これ、何に見える?」
 差し出されたコンセルティーナの蛇腹をマードックはじっと見つめていたが、徐に視線をハンニバルの顔に向けて、おっかなびっくり尋ねるような口調で言った。
「……キノコ?」
 その答えを聞き、ハンニバルが溜息をつく。
「……お前もそう見えるか……。」
 寝室の方からフェイスマンの声が響いた。
「モンキー、お風呂出たの?! もう一仕事あるから、お前、帰っちゃ駄目だぞ!」
「もう一仕事って……?」
 マードックがハンニバルに尋ねる。
「あの飛行機、回収してくるんだとさ。」
 新生児キノコを爪で一部分掻き取り、それをソファになすりつけたハンニバルは、コンセルティーナからマードックへと目を移した。彼は俯いて固まっているところだった。そして、いきなり狂人モードに切り替わる。
「……俺、帰る〜! 病院に帰る〜! ロザンナとベリンダとイボンヌとジュリエットとブリジットとオリビアとパメラとバーバラとパトリシアとイルマと一緒に帰るう〜! そんで、病院の固いベッドで注射一杯打ってもらうんだあ〜!」
 床に引っ繰り返ってダダをこね出すマードック。タオルが思い切り捲れているのも気にせずに。
「うるさい! 黙れ、モンキー! これが見えないのか!!」
 その声にハンニバルが振り向くと、ドアの所にフェイスマンが仁王立ちしていた。2日間着続けてきた神父の服装ではなく、こざっぱりとしたソフトスーツに身を包み、片手に携帯電話を、もう片手にはマードック所有の10本のマーカーを握っている。バスルームの脱衣籠から取ってきたのだろう。
「このお嬢さん方を無事に返してほしかったら、素直に俺の言うことを聞くんだな!」
 跳ね起きてマーカーに駆け寄るマードック。それを足蹴にするフェイスマン。再びタオルが捲れ上がる。
「……この鬼! 悪魔!」
 横座りになり、よよと泣き崩れる。でも、タオルが……。
「フフン、何とでもおっしゃい。」
 鼻で笑うフェイスマン、胸を張り、髪を掻き上げる。
「それじゃちょっと言わせてもらうけどね、フェイス。」
 学芸会のような気分のフェイスマン(マードックは本気)を、ハンニバルが現実に引き戻した。
「依頼の品であるこのコンセルティーナにキノコが生えてんですわ。どういたしましょうね?」
「キノコ? ……キノコって、あの?」
 恐る恐るフェイスマンがコンセルティーナに近寄る。床に座ったままのマードックが、マーカーの移動に従って体の向きを変える。ハンニバルは蛇腹を開き、現物を見せてやった。
「これ、このまま依頼人に渡したら、やばいよね?」
「蛇腹を開かなければ目に入らんが。」
「キノコ、これ以上大きくなるかな?」
「乾燥した涼しい所に置いておけば、成長は食い止められるかもしれん。」
「じゃ、簡単じゃない。乾燥剤と一緒にビニール袋に密封して、冷蔵庫に入れとけばいいよ。で、依頼人に渡したら、とっとと貰うもの貰って帰ってくる。万事OKじゃん。こんぐらいの問題、屁でもないさ……あの問題に比べれば。」
 しっかりと取り仕切った後、フェイスマンが遠い目をする。リーダーの座は彼に移ってしまったのだろうか。
「さ、モンキー、みっともないものしまって、服着て。いろいろ手伝ってもらうから覚悟しとけよ。……じゃ、ハンニバル、あとよろしく。ビニール袋と乾燥剤はキッチンの引き出しの中に入ってる……はず。探してみて。」
 気を取り直したフェイスマンは、携帯電話をポケットに突っ込み、空いた手でマードックの腕を掴むと、嫌がるマードックを引きずってリビングを後にした。
「おねげーですだ、お代官様あああああ〜!」
 マードックの悲鳴が家中に響き渡る。しかしそれも次第にフェイド・アウトしていき、静寂が戻ってきた。
 最後に『エル・チョクロ』を練習して、それでこの“幻の白銀”ともお別れしようと思い、ハンニバルはボタンを押して蛇腹を開いた――が、音がしない。キノコのせいか、アマゾン川の水のせいか、リードがいかれてしまったようだ。こうなってはもう、コンセルティーナ型の置物でしかない。音の出ないコンセルティーナに興味はなく、ハンニバルはそれを抱えてキッチンへと向かった。
 このコンセルティーナに未練はない。明日になれば、自分のコンセルティーナが手に入るのだから!



 夏が終わり、秋になった頃、依頼人の家はキノコで一杯になっていることだろう。
【おしまい】
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