The Bodyguards
フル川 四万
Scene1:
 ジャック・カクタスは私立探偵。夏でも脱がないトレンチコート、部屋でも取らないソフト帽。左手の中指と人差指には常に高級葉巻が1本、危なっかしく挟まれており、靴は手入れの行き届いたプレーントゥ。まさに二昔前の私立探偵を地で行く哀愁漂うナイスガイだ。
 ハウリング・マッドも私立探偵。夏でも脱がないトレンチコート、部屋でも取らないソフト帽。左手の中指と人差指には電動式チュッパチャップス回転バーが危なっかしく挟まれており、足元が手入れの行き届かないコンバースのスニーカーであることと、トレンチコートの下が某精神病院の指定パジャマであることと、トレンチコートの上にはくたびれた革ジャンを羽織っていることと、ソフト帽の下に野球帽も被っていることを除いたら、十分二昔前の私立探偵を地で行くナイスガイと言えば言えなくもないかもしれない。もしかして。無理すれば。あるいは。見方を変えれば。
「しかし、その格好のまま機上の人っていうのはいかがなものかと思うよ? 探偵さん。」
 ハンニバルが言った。
 窓の外では、ニューヨークの夜景が角度を変えながら近づいている。Aチームと、探偵ジャック・カクタスを乗せた飛行機は、あと20分かそこらでジョン・F・ケネディ空港に着陸するはずだった。
「ジャックがあの姿勢を崩さない以上、俺もこのトレンチ脱がないもんね。」
 ビジネス・クラスの居心地のいい座席から身を乗り出して、前の席のハンニバルに人差指を突きつけながらマードックが言った。
「じゃあさ、キャップと革ジャン脱いだら? その格好じゃ、お前絶対、空港警備員に呼び止められるよ。」
 ハンニバルの隣の席のフェイスマンが振り返ってマードックの帽子に手を伸ばした。
「嫌だよ。革ジャン、俺様のトレードマークだもん。」
「じゃあトレンチ脱げ。」
「や・だ!」
「脱げったら。」
「やだったら!」
「どこだここはー!?」
 いきなり目を覚ましたコングが叫んだ。
「飛行機じゃねえのか、こりゃ、畜生、騙しやがったな、降ろせ、降ろせー!」
「トレンチ脱がないなら、帽子くらい取れ!」
「や、だー! 帽子もトレードマークだってばー!」
「降・ろ・せー!」
 立ち上がってマードックの帽子を引っぺがそうとするフェイスマン、応戦するマードック。図らずも予定より早く覚醒してしまったコングは、自分の体を固定している拘束具を外そうともがいている。ドタバタ暴れ始めた3人に、ハンニバルは溜息をついた。
 全く……。毎度のことだが、ここは一発、リーダーである俺が出なきゃ収まりがつかん……。
「おい3人とも、いい加減に――
「静かにしねえか!!」
 言いかけたハンニバルの言葉を遮るように、男の怒声が響いた。バリトンの、実にイイ声。4人は、思わず後ろを振り返った。
「うるせえ小バエどもだな。静かにしねえと、他のお客さんに迷惑だぜ。」
 斜め後ろの席で脚を組み、深く被ったソフト帽の窪みに右手を当て、葉巻を摘んだ左手をこちらに差し出しながら、実にイイ声でAチームを窘めたのは――私立探偵ジャック・カクタスその人だった。ジャックは、「……だぜ」の“ぜ”を言った後、おおよそ10秒ほどその姿勢をキープし、周りの乗客からまばらな拍手(迷惑な乗客を諌めてくれたお礼)が起こると、ゆっくりと脚を組み直し、満足げに葉巻を一服喫んだ。そんな仕種も決まっている。
「お客様、もうすぐ着陸ですので、お煙草はお控え下さい。」
 しかし、スチュワーデスにあっさり喫煙を注意された彼は、渋々葉巻を揉み消した。



「小バエって俺たちのこと? ハンニバル、俺、悔しい!」
 マードックが叫んだ。
「俺も!」
 フェイスマンも悲痛な叫びを上げた。
 ハンニバルは、「俺だって……」と言いたいところをグッと堪え、取り出した注射器を手早くコングの腕に突き刺した。コングはガックリと項垂れて、再度の眠りに落ちていった。
「まあ、そんなにカリカリしなさんな。これから一緒に仕事をするかもしれない相手なんだし。」
 注射器を片づけながらハンニバルが言った。
「そこが問題なんだよ!」
 フェイスマンが口を尖らせた。
「今度の依頼人のクレマは、俺のガールフレンドだよ? その彼女がどうして、俺だけじゃ不安だから、もう1人探偵を雇ったわ、なんて手紙を寄越すのさ。」
「お前が頼りなく見えたからじゃないか? 大体、今回の依頼は、お前が個人で受けたものだろう。どうしてAチームが出動することになるのかな?」
「……1人じゃ不安だから。俺、ボディガードなんてやったことないし。それに、そういう時こその仲間じゃない? ちゃんと依頼料は山分けにするからさ。」
「当たり前だ。で、依頼人には、お前、何て自己紹介したんだっけ?」
「……VIP専門のボディガード会社“ペック・ガード”を経営してる、元グリーンベレーの将校。」
「それじゃ、それらしく活躍してもらいましょうか、グリーンベレーの将校さん。」
 ハンニバルの言葉に、フェイスマンはがっくりと頭を垂れて座席に沈み込んだ。マードックも、後席の探偵ジャックにガン飛ばしてみたが見事に無視され、これもまた無言で座席に腰を下ろした。そして、機内は静寂を取り戻した。



 そうなのだ、今回の依頼人、クレマ・ショコラッテ(NY在住28歳)は、今回Aチームではなく、テンプルトン・ペック個人にボディガードの依頼をしてきたのだ。そして、さらに嫌なことに、その依頼を受けたのはテンプルトンだけではなかった。イケ好かないキザ野郎、私立探偵ジャック・カクタスにも同様の依頼が飛んでいて、Aチームと探偵は、依頼人から送られた航空チケットにより、同じ飛行機で依頼人の待つニューヨークに向かうことになったのだ。
 VIP専門超スペシャル級ボディガードであるフェイスマン1人だけでは不安な案件とは、一体いかに危険な依頼なのかは行ってみないとわからないとしても、天下のAチームの実力を見くびられた、という思いと(相手はAチームだと知らないとしてもだ)、これから数日、いやもしかしたら数週間、一緒に仕事をしていく相手がこのイケ好かないハードボイルド野郎だという2点が、Aチームの面々の内面に暗い影を落としていた。……大袈裟か?
「皆様、お待たせしました。この飛行機は、ジョン・F・ケネディ空港に着陸いたします。」
 アテンダントのアナウンスを聞きながら、Aチームの3人は、それぞれに重い溜息をついた。Aチームのもう1人のメンバーは、未だ夢の中だった。



Scene2:
"♪New York, New York is everything they say..."
 マードックの口笛により各々の頭の中にヒューイ・ルイス&ザ・ニュースが流れるここは、マンハッタン島の高層マンションの最上階の一室。部屋の調度品はモノトーンのアール・デコ風に統一され、窓下の眺望は100万ドルの夜景。賃貸だとしたら、月1万ドルは下らないだろう。
 そんなステキな部屋にいるのは、名ボディガード、テンプルトン・ペックと彼が経営するボディガード会社の社員の3名(=Aチーム)、私立探偵ジャック・カクタス、そして、タキシードを着た痩せた長身の老人が1人。長めの銀髪をきっちり後ろに撫でつけている様は、どっかの交響楽団の指揮者のようでもある。
「テンプルトン・ペック様、ジャック・カクタス様、他の皆様、ようこそお出で下さいました。私は、クレマ・ショコラッテ様にお仕えする執事のシェラザッドと申します。」
 老人が言った。Aチームの扱いは“他の皆様”らしい。
 探偵が、一歩歩み出た。
「俺が探偵、ジャック・カクタスだ。クレマの一大事と聞いて、他の仕事を全て投げ打って飛んできたぜ。」
 シュッ、と前に突き出した葉巻に合わせて、シェラザッドが慌てて灰皿を差し出した。
「カクタス様ですね。お嬢様がロスのカレッジにいらした時、懇意にしていただいたとか。お嬢様は、その頃あなた様にいただいた尻の形の帽子、まだ愛用していらっしゃいますよ。」
「尻の帽子だって。だっせー。俺様だったら、せめてボインの形の帽子にするね。」
 相変わらず似非探偵ルックのマードックが小声で呟いた。本物の探偵は、ギロッと偽探偵を睨みつけた。
「ドナルド・ダックの尻の帽子だな。あれは、俺たちがディズニー・ワールドでデートした時に、お揃いで買ったんだ。」
「そう伺っております。」
 執事シェラザッドは満足げに頷き、今度はフェイスマンに向き直った。
「テンプルトン・ぺック様。あなた様は、去年お嬢様がロスに旅行に行かれた時に、引ったくりに遭ったのを助けて下さったのでしたね。」
「ああ、あれは確かサンタモニカのオープン・カフェの前だった。」
 正確には、引ったくりに遭ったのを助けた、のではない。
 通りかかった店で、ぽん、とフェンディのバゲッドの新作75パターンを全部現金で買っているのを見て、こりゃ金になるかも、と踏んで、一芝居打ったのだ。まず、近くにいたホームレスの少年を買収して、彼女の鞄を引ったくらせた。そして、フェイスマンが追いつくようにちらちら後ろを振り返りながら逃げるサクラの少年に全力疾走でやっと追いつくと、彼女の鞄を取り戻し、「弟が病気で」と涙ながらに訴える少年に大袈裟に同情して警察沙汰にはしないことを約束し、小銭を恵んでやりすらして、まんまと大富豪クレマ・ショコラッテ嬢のハートを射止めることに成功したのだった。
「お嬢様は、あなた様が引ったくりの少年に見せた、心優しい温情に大変感動なさっています。それから、ロス滞在中、毎日送って下さったバラの花も、全て押し花にしてお持ちです。」
 送ったバラは、最高級のブルーローズだった。決して安くはない。とは言え、その日以降のデート代や、デートのためにフェイスマンのスーツや靴は全て新調されたし、その全てが彼女持ちだったことを思えば、生花代なんざタダ同然、と。
「このように。」
 と、執事は2人に向き直った。
「お嬢様が信頼するお二方をニューヨークまでお呼びしたのは、他でもありません。今、クレマお嬢様の身には、大変な危険が迫っておいでなのです。……おお、いらしたようです。詳しいことは、後ほどご本人の口から伺って下さい。」
 タタタ……と小走り音がして、バンッ、と両開きのドアが開いた。開いたドアを両手で押さえながら、信じられない、といった顔でこちらを見つめているのは、今回のヒロイン、クレマ・ショコラッテ。28歳という年齢が逆年齢詐欺に見えるような童顔、金髪の巻毛と、フリルとレースが山盛りの純白のワンピース、銀のバレエ・シューズ。
「クレマ!」
「クレマ!」
 ジャック・カクタスとフェイスマンが同時に叫んだ。そして、2人とも、同じようなポーズ――両手を拡げてハグの準備をし、口には笑顔、眉毛は下がって――で、クレマに歩み寄っていく。クレマも同じポーズでこちらに近寄ってくる。2人とクレマの間の距離は、あと1メートル……。
「クレマ、会いたかった!」
 フェイスマンが叫んだ。
「クレマ、会いたかったぜ!」
 ジャック・カクタスも叫んだ。
「ジャック!」
 クレマが叫んで、飛びついた――ジャックに。
「ああ、クレマ……。」
「ジャック、会いたかった……。」
 抱擁する2人の傍らで行き場を失ったフェイスマンは、プレ・ハグのポーズのままUターンし、同情の目を向ける仲間の元へ歩み寄ると、そのままハンニバルに抱きついた。よしよし、と背中を撫でてやるハンニバル。コングとマードックも、ポンポンとフェイスマンの肩を叩いて慰めてやる。一頻りそうしていると、長い抱擁を終えたクレマ・ショコラッテがこちらに向き直った。
「テンプルトン! 来てくれたのね。」
「ああ、クレマ!」
 フェイスマンは、抱き締めるハンニバルの腕を邪険に振り解くと、駆け寄るクレマをしっかりと抱き締めた。振り解かれたハンニバルは、両脇のコングとマードックを交互に見つめ、“何で?”と眼差しで訴えた。訴えられた2人が、慰めるようにハンニバルの肩を叩く。
「……来てくれないんじゃないかと思っていたの……。」
「そんなことあるはずないじゃないか、クレマ。君のピンチにこの僕が駆けつけないだなんて、どうしてそんなことを思ったんだい?」
「だってあなた、今年の今頃はヒラリー・クリントンの警備でワシントンだって言ってたから……。」
「え? あああ、そうだっけ、そうだ。そうだったんだよ。ヒラリーから、ぜひ僕に、っていうご指名がかかってね。……でもねクレマ、君をヒラリーなんかと比べることは、僕にはどうしてもできなかったのさ。……だから断った。」
「本当? 大丈夫なの? そんな大切なお仕事を断ったりして……。」
「平気さ。僕はホワイトハウスに信頼されてるからね。大切な人のピンチなんだ、って言ったらわかってくれたよ。」
「嬉しい!」
 2人は、再度、ガシッと抱き合った。
「けっ、何がヒラリーの警備だ。この夏てめえが取ってきた仕事といったら、例によって近所のプールの監視員とスイカ割りのジャッジだけだったくせによ。」
 コングの呟きは、幸いなことに、誰にも聞かれることはなかった。



Scene3:
 夜景の見える居間から場所を移動して、ここは食堂。Aチームの4人と探偵ジャックは、豪華なディナーを摂りながら、クレマから今回の依頼について話を聞いていた。
「今回の依頼は、私のボディガードです。期間は、2週間。」
 クレマが語り始めた。
「2週間? 2週間で事が済むわけ?」
 フェイスマンが問う。
「そう、2週間。……私の結婚式までの2週間の間、お2人にボディガードしてほしいの。」
「結婚!?」
 フェイスマンが叫んだ。
「結婚だって!?」
 探偵も叫んだ。
「ええ、そうなの。私、結婚するの。」
 クレマが微笑んだ。
「そいつは……おめでとう。」
 ハンニバルが言った。
「ええ、ありがとう。」
「相手は誰なんだ?」
 ジャックがあからさまに不機嫌な声で尋ねた。
「フランコ・ブロッカー。」
 彼女が答えた。
「ブロッカーって言や、あの大富豪の宝石商かい。5番街にでっかい店構えてる。」
 骨つきラムを手掴みで齧りながらコングが言った。
「そう、そのブロッカー。」
「って、もういい年じゃなかったっけ?」
 と、フェイスマン。
「56歳。私の父が死んだ時の年齢。」
 56歳ではダブルカウントだ、とハンニバルは思った。そんな無体が許されるなら、俺にだってまだチャンスはあるのでは、と不埒なことまで考えてしまって。
「えーと、つかぬこと聞くけど、恋愛?」
「恋愛に決まっているでしょ、テンプルトン。」
 クレマが強い口調で言った。
「ええと、3カ月前にとあるパーティで出会ってね、1週間後にプロポーズされたわ。で、先月婚約を発表して……2週間後にスイスで挙式よ。」
「まさに電撃結婚、だね。」
「ええ。」
「で、何でまたボディガードがいるの?」
「それはね。」
 クレマは、一拍置いて赤ワインを啜った。
「結婚前に、私が殺されそうだから。」



 クレマの話はこうだった。
 クレマの父、ダーク・ショコラッテ氏はフランス系スイス人。武器商として財を成したが、8年前、56歳で亡くなった。妻にはとっくに先立たれていたので、彼の全財産は、一人娘のクレマが相続した。総額で2億ドル近いらしい。彼女は、兵器会社の経営をダーク氏の異母兄弟ブラン・ショコラッテ氏に任せ、彼女は1人ロサンゼルスの美術カレッジに入学し、その後ニューヨークに移ってジュエリー・デザイナーとなった。彼女の財産は、彼女が死んだら全額ブラン氏に渡ることになっている――今のところ。だが、もし彼女が結婚すると、財産の相続権はもちろん夫であるフランコ・ブロッカー氏に渡ってしまう。
「実を言うと、私、叔父さんとあまり上手く行っていないの。……それに、婚約を発表してからずっと、私の周りに変なことが続けて起きているのよ。車のブレーキは壊れるし、横断歩道でいきなり車道に突き飛ばされたこともあったわ。それに、道を歩いていたら上から植木鉢が落ちてきた、ってことは1回や2回じゃないわ。もう、天気予報に“本日、植木鉢注意”って出してほしいくらい植木鉢が降るの。」
 食後酒のコーヒー・リキュールを飲みながらクレマが言った。
「それが全部、叔父さんのせいだと?」
 ハンニバルが問う。
「……わからないわ。叔父じゃないかもしれない。けど、私が死んで得をするのって、叔父だけだし。私、ジュエリー・デザイナーって言っても、有閑マダム向けに個人営業で細々やっているだけだから、仕事で怨まれているっていうこともないと思うの。……だから、やっぱり……叔父さんかな、って。血のつながった人のことそんな風に思うのって、悲しいから嫌なんだけど……。」
 クレマは、ふっと寂しそうな顔をした。
「それに叔父も、私が結婚すれば、財産のこと諦めてくれると思うし。」
「そんなに邪険にしないで、叔父さんにも財産を分与してやったらどうなの? どうせ結婚する相手は大金持ちでしょ?」
「それはね、できないのよ。」
 クレマがにっこり笑った。
「何で?」
 と、その場にいた全員が思った。少しくらいのお金で、命が買えるなら。
「私、ブラン叔父さんが大嫌いなの。だから、困ればいい、と思いこそすれ、彼の得になることなんて、何一つしたくないの。つまり、財産、1セントもあげたくないのよね。」
 それでは仕方ない……と、その場にいる全員が納得した。か弱そうに見えるこのお嬢さん、なかなかどうして、クセ者かもしれない。
「皆さん、グラスを取って。」
 唐突にクレマが言った。全員がグラスを持ち上げた。
「乾杯しましょう。明日からの、私の独身最後の2週間に!」



Scene4:
 その夜、クレマが用意してくれたのは、マンハッタンの高級ホテルのスイートルーム。ただし、またもや探偵ジャックが隣の部屋という嬉しくないオマケつきだったが、4人で4ベッドルームの部屋は悪くない。
 そのスイートのリビングルームで、Aチームの4人は早速、作戦会議に入っていた。
「今回の依頼について、クレマからつけられた条件は1つだけだ。彼女について歩けるのは1日1人。この役目は、探偵ジャック・カクタスとフェイスマンが1日交代で担当する。一緒に歩かない方は、周りに気づかれないように、遠くからそっと彼女の動向を見守り、いざとなったら飛び出して彼女を助ける。」
 ハンニバルが、作戦の骨子について説明しながら、ソファや床の毛皮の絨毯の上でダレている3人にスケジュール表を配った。
「従って、俺とコング、モンキーの3人は、毎日、周りに気づかれないように変装して、クレマ嬢の後を追うことになる。これが彼女の2週間のスケジュールだ。」
「何々、彼女の明日のスケジュールは……9時にマンハッタンのオフィスに出社して昼までデスクワーク、昼食はクライアントであるエグゼクティブの婦人数名とビジネス・ランチ。午後は来週の展示会の打ち合わせ。夜は、ボディガードとディナー。かー、優雅だねえ。」
 絨毯に仰向けに寝転がったマードックが言った。
「ねえ、このスケジュール、2週間ほとんど夜は“ボディガードとディナー”だね。」
 フェイスマンが楽しげに言った。
「やったね、2日に一度はクレマとデートか。」
「何言ってやがんだ、フェイス、相手は婚約者のいる身だぜ。それに、毒見でもさせるつもりじゃねえのか?」
 コングが厭味ったらしく答えた。
「そうかもしれないけどね、ほら、やっぱり美女とデートってのは、俺としちゃ捨て難いし。」
 今回、美味しい役回りを仰せつかったフェイスマンはゴキゲンである。
「明日は探偵さんがクレマのお供をする日だ。各々目立たない格好を工夫しておくように。明日は7時起床。時間厳守のこと。以上、解散!」
 ハンニバルの一言に、3人はノロノロとそれぞれの寝室に下がっていった。



Scene5:
 午前8時30分。ウォールストリートを颯爽と歩く金髪美人と、ハードボイルド男。朝の通勤ラッシュの中、金髪美人、クレマ・ショコラッテのフリルのドレスと、探偵ジャック・カクタスのソフト帽は、かなり浮いていた。しかも、その2人が腕を組んで仲睦まじく歩いているのだから尚更だ。人込みの中を、2人はかなりのスピードで歩いていく。
 そして、彼らの10メートル後ろには、もう1つ、人目を引かずにおれない、怪しい集団が蠢いていた。1人は、チェックの半袖シャツにチノパン、足元は山歩き用のブーツ。LAなら何てこたあない格好だが、ここは天下のウォールストリート。ダークスーツとイエローネクタイの中に入ると、浮くことこの上ない。もう1人は、白のノースリーブにアーミーパンツ、金銀財宝ジャラジャラさせて、頭はモヒカン。その後ろの1人は、白のスーツに白のエナメル靴、半径1メートル以内に入るとシャネルのエゴイストの匂いに鼻が曲がりそうになる。最後の1人は、トレンチコートの上に革の……もういいや、この辺でやめておこう。
 即ち、Aチームは、誰1人として“変装”しちゃいないのである。昨夜それぞれ自室に帰って考えはしたのだが、結局、“大都会で浮かない服”というカードは誰も持っていなかったのだ。
 というわけで、依頼人と、探偵と、ボディガーズは、かなり人目を引きつけながら、クレマのオフィスに到着したのであった。いや、これだけ目立ってると、腕利きの殺し屋だって、そう易々とは狙えないかもしれない。



 クレマのオフィスは、ウォールストリートを1本奥に入った路地のビルの8階にあった。かなり古い建物だが、20年代の古きよきアメリカを彷彿させるデザインが芸術家に受け、1階から8階まで、ほとんどが芸術関係のアトリエや事務所で埋められていた。
 クレマと探偵ジャックは、腕を組んで旧式のエレベーターに乗り込んだ。口づけせんばかりに顔を近づけて笑い合っている。フェイスマンはムッとする気持ちを抑えて、1回深呼吸をした。どんなに仲睦まじかろうと、クレマは再来週には人妻なのだ。
「コング、フェイス、お前たちは1階で見張っていろ。正面玄関と裏口に分かれて張るんだ。モンキーと俺は、オフィスのある8階で張る。」
 ハンニバルが指示を出す。
「了解。」
「オッケ。」
 コングとフェイスマンが二手に分かれた。
「さ、行くぞ、モンキー。」
 ハンニバルがマードックを促し、2人は戻ってきたエレベーターに乗り込んだ。



 クレマのオフィスの前で、ハンニバルとマードックは“空気成分調査”を装って警備についていた。と言っても、いつもの服の上から白衣を羽織って、適当な機械を持って歩いているだけなのだが。マードックに至っては、全て着込んだ上から更に白衣という格好なので、暑苦しいことこの上ない。
「エレベーターは1台。廊下は1本。ワンフロアに部屋は2つ、クレマのジュエリー・デザイン事務所“ショコラッテ”と、お向かいのネイル・サロン“パンサー”。……殺し屋が直接狙うとすると、このエレベーターから来るしかないな。」
 ハンニバルが廊下を見回しながら言った。
「それか、窓越しに狙撃するかだね。向かいのビルの屋上からなら狙えるだろ。」
 マードックが言った。
「そうだな。室内についてはジャックに任せるしかないから、お前は向かいのビルを調べてみて――
 と、ハンニバルが言いかけたその時……。
“ガシャーン!”
 盛大にガラスが割れる音。クレマのオフィスからだ。
「ハンニバル!」
「行くぞ!」
「おうっ!」
 2人は、勢いをつけてクレマのオフィスに飛び込んだ。
「クレマ、ジャック、大丈夫か!?」



「……大丈夫だ……お嬢さんは……俺が守った……。」
 ジャックはうつ伏せに床に倒れていた。帽子が飛んで、後頭部から血が流れている。それでも、右手には微妙な力加減で葉巻が引っかけられており……その手は若干床から浮いてすらいた。
「ジャック!」
 クレマが駆け寄った。
「何があったんだ、クレマ!」
「……窓から……植木鉢が飛び込んできて……ジャックに当たったの……。」
 クレマが震えながら指さす床の上(ジャックの頭部から20センチほど右上)には、粉々に割れた植木鉢と、無惨に飛び散ったパンジーの苗が散乱していた。



 10分後、クレマのオフィスに集合したハンニバル、マードック、フェイスマンの3人は、割れた窓ガラスを取り去った窓から外を覗いていた。
「ロープの先に植木鉢をつけて、屋上からそのロープを垂らす。んでもって、揺らして勢いをつけた後に、窓にぶっつけたんだね。」
 マードックが、上から垂れているロープの端を摘んで言った。
「勢いつけて?」
 フェイスマンが聞く。
「そりゃそうさ。垂直に垂らしただけじゃ、部屋の中に放り込むことはできないだろ? 何回かロープをぶらんぶらんさせてからぶつけなきゃ。」
「そうだってさ、探偵さん。この植木鉢、飛び込んでくる前に、窓の外でしばらく揺れてたみたいなんだけど、君、全然気づかなかったの?」
「……気づくわけねえだろう。ハードボイルドの世界には、窓からパンジー投げ込む悪党なんか出てこねえぜ。……っ畜生め……。」
 後頭部に濡れタオルを当てた探偵は、応接セットのソファに横になったまま、憮然とした口調で言った。
「あーあ、探偵さん、ボディガード失格じゃないの?」
 フェイスマンが殊更イジワルな口調でそう告げる。
「何言ってやがる、俺はこれでも身を挺してクレマを守ったんだぜ!」
「って言ってるけど、クレマ、本当?」
「いいえ。」
 クレマは即答した。その場にいた全員がズッコケる。
「植木鉢は、窓に背中を向けて立っていたジャックの頭を直撃したの。私は、こっち側のデスクにいたから、全く平気だったわ。」
 クレマは、窓から少し離れたデスクを指さした。



「ハンニバル! 戻ったぜ。」
 コングが入ってきた。
「どうだった? 不審な人物は通ったかい?」
 フェイスマンが問う。
「いや、全くダメだ。このビルに出入りするのは着飾った姉ちゃんばっかで、誰が不審だかなんて俺にゃ見当もつかねえ。……取り敢えず、写真だけは撮ってきたけどよ。」
 コングが小型カメラを持ち上げて見せた。
「……手がかりは、その写真だけ、か。」
 ハンニバルが腕組みをして呟いた。



 その夜――
 ブロードウェイの小洒落たレストランに、頭に包帯をグルグル巻きにした探偵と、クレマ・ショコラッテの姿があった。
「君の瞳に乾杯。」
 探偵が言った。
「そして、私たちの再会にもね。」
「ああ、もちろんだ。」
 2人はシャンパンのグラスを合わせた。
 ボディガード計画の1日目が、終了しようとしていた。



Scene6:
 一夜明けて2日目の今日は、フェイスマンがクレマのお供をする番だ。通勤を何事もなく終え、現在クレマとフェイスマンは、ウォールストリートの彼女のオフィスで2人きり。
 クレマは、デスクに向かってデザイン画を描いている。フェイスマンは、そんな彼女に紅茶を淹れたりしながら、窓の外を警戒していた。ハンニバル、コング、マードックの3人は、昨日に引き続きオフィスの外とビルの前で張り込み中。そして、ぐるぐる巻きの包帯の上に無理矢理ソフト帽を被って少々痛そうな探偵は、向かいのビルの一室から嫉妬の眼差しでクレマのオフィスを見つめていた。
「ねえ、この中で知った顔はいる?」
 しばらく後、応接セットのローテーブルの上には、昨日コングが撮った写真が所狭しと並べられていた。只今クレマ・ショコラッテとフェイスマンは、ソファに並んで腰かけて、写真を眺めている。
「う〜ん、このビルの人全員顔見知りってわけじゃないから……。あ、でも、この人はお向かいのネイル・サロンの人。それと、この人も、朝よくエレベーターで会うわ。あと、こっちの人は4階のブティックの経営者で、この人は1階の画廊の受付嬢。……知ってる人って、それくらいだわ。」
 クレマが写真を吟味しながら言った。
「そうだよね……いちいちご近所の顔なんて覚えてないもんね。」
 フェイスマンは、写真を“知り合い”と“知らない人”の山に分けながら言った。知らない人の山は、知っている人の5倍以上ある。果たして、この中に植木鉢投げ込み犯がいるのだろうか。
「ごめんなさいね、テンプルトン。変なことに巻き込んでしまって。」
 クレマが言った。
「なあに言ってるんだよ、クレマ。僕はボディガードだよ? クライアントのことは命に替えても守ってみせるさ。」
 フェイスマンが言った。脚を組み換えて、ちょっとカッコイイ・ポーズを演出しながらも。クレマが、意味ありげに口の端を上げて笑った。
「でも……もしあなたが昨日のジャックみたいな目に遭ったらと思うと、私不安で……。」
「心配ご無用さ、クレマ。僕はプロだよ? あの探偵みたいなヘマはやらかさないさ。僕がついている限り、君は大船に乗った気持ちでドーンと構えてればいいんだよ。」
「テンプルトン……。」
 クレマが、そっとフェイスマンの胸に凭れかかった。
「クレマ……。」
 フェイスマンも、彼女の肩にそっと手を回す。
 向かいのビルの窓の中で、双眼鏡を構えた私立探偵が地団駄を踏んでいたことは、誰にも気づかれていなかった。



 何事もなく仕事を終えたその夜、クレマとフェイスマンは予定通りに夕食に出た。今夜のレストランは、オフィスの近くの奥まった路地にあるメキシコ料理店。2人は夕闇の裏道を、腕を組んで歩いていた。そう、まるで恋人同士のように。
「ステキな夜ね、テンプルトン……。」
「ああ、本当に。こんな夜には、きっと殺し屋たちも恋人と甘い一夜を過ごしてて、君のことなんて忘れてるさ。」
「あ、猫。」
 クレマがそう言い、急に駆け出した。
「え、何?」
 フェイスマンも後を追って駆け出す。
 その時……。
“ガッシャーン!”
 2人の真後ろで破壊音がした。この音は、どこかで聞き覚えのある……それも最近……。そう思いつつ振り返った2人が見たものは、路上に散乱するシネラリアの花と、砕け散った植木鉢、そして、道の真ん中にうつ伏せに倒れる私立探偵ジャック・カクタスの姿だった。



「で、探偵さんは、ディナーに出た俺たちをつけて歩いてたんだね?」
 ディナーを中止して戻ったホテルの部屋で、フェイスマンが聞いた。
「ああ……。」
 ジャックが小さく呻いた。ハードボイルドが売りの私立探偵は、前日とほぼ同様な姿でソファに倒れ込んでいた。違うのは、本日は後頭部ではなく、頭の天辺にガーゼが当てられているってこと。
「ハンニバルたちは?」
「俺たちは、この通り変装して、車で探偵さんの後を追ってた。」
 この通り、と両手を開いて見せるハンニバルが着用しているのは、ニューヨーク市のゴミ収集員の制服だ。コングも、同じブルーのツナギとキャップを着用している。マードックも、同じ格好をして……いるんだが、下に白衣と革ジャンとトレンチと頭に……もういい、以下略。
「道理でいつも視界にゴミ収集車が入ると思っていたわ。あんまりいい気持ちじゃなくてよ、ゴミについてこられるの。」
 クレマが言った。
「悪かったな、今度からクレープか何かの屋台で行くことにしよう。で、そろそろ状況を思い出してみようか。」
 ハンニバルが言った。
「ええと、俺たちは最初ゆっくり歩いてたんだけど、クレマが道路の先に子猫を見つけて駆け出したんだ。」
 記憶を辿るように部屋の中を歩き回りながら、フェイスマンが言った。
「そう、グレーの子猫だったから、もしかしてロシアン・ブルーじゃないかと思って。」
「で、俺も釣られて走り出した。」
「俺もだ……。」
 ソファに突っ伏したままで、探偵ジャックが言った。
「お前たちが急に駆け出すから、見失っちゃあならねえと思って、後を追って駆け出した……ら、上からあのクソ忌ま忌ましい物体が落ちてきやがったんだ。」
「ってことは、もしクレマが猫を見つけて走り出さなかったら、あの植木鉢はクレマかフェイスに当たってたってわけ?」
 着膨れしたマードックが言った。空調の効いた部屋で5枚の重ね着は苦しいらしく、全面的に前をはだけて胸毛を晒している。
「クレマに、だろうね、位置的に。」
「昨日と同じ野郎だぜ。」
 これはコング。今回、ジャックと口調が被ってわかり難いのでお気をつけあれ。
「誰か、事件直後に上を見た者は?」
「はい、俺っち。」
 と、マードック。
「よくは見えなかったけど、屋上から誰かが下を見下ろしてて、俺が見上げたらすぐ引っ込んだ。」
「そいつの特徴は?」
「暗くてよく見えなかったけど……金髪で、女の人だったような気がする。」
「女?」
「うん、髪の毛が下に向かって垂れてたから、多分。」
「そいつは、この中にいる?」
 フェイスマンが、昨日の写真の束を取り出した。マードックが素早く写真を捲り、チェックする。
「あ、こいつ。」
 マードックが1枚の写真を抜き出した。それは、白いコートを着た、金髪ロングヘアの女だった。大きな黒のサングラスをかけ、足早にオフィス・ビルから立ち去る姿を、斜め後ろからコングの写真に撮られていた。
「クレマ、知ってる?」
 フェイスマンが、クレマに写真を見せる。
「……知らないわ。」
「全然?」
「ええ。……私のオフィスの近くでは、こんな人、見たことない。」
「殺し屋、か? あのブランだかフランだか言うあんたの叔父さんが雇ったんじゃねえのか?」
 コングが言った。
「そうかも……しれないわ……。私、本当に殺されそうなのね……。どうしよう、私、恐い……。」
 クレマは、まるで、たった今その恐怖を実感したかのように身震いした。
「クレマ……。」
 フェイスマンが、そっと彼女を抱き寄せる。
「ベイビー、安心しな。俺がついてるぜ。」
 背後から聞こえた重傷の探偵の言葉は、その場にいた全員から、ごくあっさりと無視された。



Scene7:
 あれから10日余り、クレマ・ショコラッテと5人のボディガーズは、相変わらずの日々を過ごしていた。
 狡猾な殺し屋は、あれから数回、同様な手口でクレマを狙ってきたが、大事を取って外に出る時は全員必ず安全帽(とは言え、お洒落なクレマは、その上からエニグラム柄の革を張って、安全帽をまるでヴィトンの新作のように見せていた)を被っていたので、実害はほとんどなかった。その代わり、毎度風のようにどこかに消えてしまう犯人は、一向に捕まえることができなかったが。現場を押さえようと、犯人がいるであろうビルの階段を駆け登ったマードックが転んで捻挫をしたことと、「上、危ない!」と言われて思わず上を見てしまったために何のガードもない顔面に直撃を受け、満身っちゅうか首から上創痍の私立探偵が、更に包帯ぐるぐる巻きのミイラ状態になっていったりはしたのだが、ともかく、守るべき人――クレマ・ショコラッテは今のところかすり傷1つなく、無事であった。
 そして、その間も、依頼人と2人のボディガードは、毎晩交代でクレマと2人きりのディナーを楽しんだのであった。



 そしてボディガード開始から13日目。クレマが挙式のためスイスに旅立つ日まで残すところあと1日の本日は、私立探偵ジャック・カクタスの最終日である。
「ジャック、本当に大丈夫なの? 病院に行った方がいいんじゃない?」
 ジャックと腕を組んで真昼の5番街を歩きながら、クレマが心配そうに言った。
「フッ、このくらいの傷、どうってことねえよ。」
 ジャックが笑った。しかし、その表情は包帯に隠れて、クレマにはよくわからなかった。どうってことなくはないだろう。少なくともCTスキャンは受けておくべきだと思う。
「でも、頭のコブ、すごくない? 安全帽に頭収まってないわよ。」
 探偵ジャック・カクタスは、ソフト帽の下に安全帽を被っている。が、コブのせいで安全帽に頭は収まらず、従って、ソフト帽も浮いていた。
「……言うな。で、今日はこれからどこに行くんだ?」
「新作のデザインをブロッカー宝石店に届けに。」
「婚約者の所か?」
 ジャックの声に険が混じる。
 クレマはもうすぐ結婚する――わかってはいるのだが。ジャックとクレマが恋人同士だったのは、もう7年も前のことなのだ。もうクレマのことは忘れたはずだった。……それなのに……7年振りに彼女に呼び出されて、デート(?)を重ねるうちに、年甲斐もなくときめいてしまった自分が、何だか悔しくもある私立探偵であった。
「彼は、先月から出張でスイスに行っているからいないわよ。でも、私のデザインを商品化するっていう話が進んでいるの。本当だったら、ブロッカー宝石店でデザイン画が採用されるなんて、余程名の通ったデザイナーじゃないと無理なんだけど、それは身内の利ということでね。」
 クレマは嬉しそうである。
「へえ、よかったな、得な奴と結婚できて。」
 つい厭味な口調になってしまうのは、やはり嫉妬か。
「よして、そんな言い方!」
 クレマが声を荒らげた。
「得だから結婚するなんて、そんな言い方しないで!」
「あ、済まない、そういう意味じゃ……。」
「彼はね。」
 と、彼女はジャックに向き直った。
「私を見てくれたのよ。私の、お金や兵器製造会社のオーナーとしての地位じゃなくて、1人の女の子として、私自身をね。……だから、私は彼と結婚するの!」



「言い争ってるようだぜ、2人。」
 クレープ屋台を装ったバンの運転席で、コングが言った。
「放っておきましょ、痴話喧嘩でしょ。」
 後部座席からフェイスマンが言った。Aチーム4人の乗ったバンは、ゆっくりと2人の後をつけていた。
「痴話喧嘩って、それじゃ何か? 2人はまだ、そういう関係だってことか?」
「……そういう関係じゃあないだろうね。クレマは来週結婚するんだし。でも、あの分じゃ、ジャックの奴、まだクレマに惚れてるね。」
 フェイスマンが言った。
「で、お前はどうなんだ、フェイス。」
 それは気になるよね、ハンニバル。
「俺は……ほら、金目当ての似非フェミニストですから。……まあ、クレマみたいな美人に懐かれりゃ悪い気はしないけどね。」
「ほほう。お前がわざと偽悪的な物言いするってことは、あれだな。」
 ハンニバルが葉巻を咥えたまま、ニッと笑った。
「お前さん、割とマジかもしれませんねえ。本人、自覚ないかもしれないけどな。」



「ハンニバル!」
 助手席のマードックが叫んだ。
「どうした、マードック。」
「見てよ、あの黒いスーツの男。さっきから、クレマの背中にぴったりくっついて歩いてる。」
 どうでもいいことかもしれないが、今日のマードックの出で立ちは、諸々の上からクレープ屋のロゴ入りエプロン(レースつき)。裸エプロンの方がまだマシかもしんない。
「痴漢じゃねえか?」
 と、コング。
「かもしれんが、殺し屋、と見た方が正しいんだろうな、この際。行くぞ!」
「ああもう、何やってるんだよ、ジャック!」
 フェイスマンが叫ぶ。
「野郎、単なるデートのつもりじゃねえのか?」
「役立たね〜。ハードボイルドって、所詮あの程度なの? 俺様やめよっかな、ハードボイルド。」
 だから、あんたのハードボイルドは、元々堅茹で程度の意味しかないだろう。
 ともあれ、4人は道路の端に車を停め、クレマとジャックに向かって駆け出していった。



 クレマとジャックは、交差点に差しかかった。正面の信号は、赤。2人は信号待ちの群れの最前列に立っていた。
 そして、後ろから駆け寄るフェイスマンが2人に追いつく前に……黒服の男がクレマの背中を押した。
「危ない!」
 フェイスマンが叫んだ。
 クレマの体は、背中を激しく突かれて、躍るように車道に飛び出していった。
「クレマ!」
 ジャックが彼女の腕を掴もうと手を伸ばした。が、あと数ミリのところでクレマの指先はジャックの手を擦り抜け……彼女は急ブレーキの音を軋ませながら突っ込んでくる小型車の前にもんどり打って倒れ込んだ。通行人から悲鳴が上がった。その場にいた誰もが、これから起きるであろう大惨事を予測して息を飲んだ。
“ガツン!”
 路上に鈍い音が響いた。倒れたクレマの体は、そのまま2、3回転し、道の真ん中で止まった。彼女に向かってきた小型車は……彼女の体の20センチ前でしっかりと停まっていた。そして、車とクレマの間には、コングがいた。両足を踏ん張り、しっかり両手で車のバンパーを押さえて、素手で自動車1台停めてしまったのだ、この男。
 小型車の運転手は、口をぽかんと開けてコングを見つめている。これは夢か? さもなくば、どっきりか?
「コング!」
 フェイスマンが叫んだ。
「大丈夫か!?」
「おう、俺は平気だせ。……ちょっと靴の裏減っちまったけどな。それより、お嬢さんは?」
「クレマなら大丈夫だ。」
 クレマを抱き起こしながら、ジャックが言った。
「探偵さん、あんた、ちょっと情けないんじゃないの? コングが停めなきゃ、クレマは危なかったんだぞ?」
 ハンニバルが言った。
「す……済まねえ、つい話に夢中になっちまって。」
 探偵は唇を噛んだ。
「ハンニバル〜!」
 マードックの声。振り返る一同。
「捕まえたよ、ほれ、殺し屋さん。」
 マードックは肩を押さえてうずくまる黒服の男を、一同の前に投げ出した。
「お前、1人でこいつ捕まえたのか?」
「うんにゃ。こいつ、逃げながら車道に飛び出して、撥ねられた。そんなに酷くないと思うけど、脱臼くらいしてるかもしんない。ばっかだねえ〜。」
 ばっかだね〜な黒服の殺し屋は、しかし金髪でも女でもなかった。



 そんなわけで、殺し屋を捕らえたボディガーズは、病院には行かず――クレマが、脱臼くらいならシェラザッドが治せると言うので――マンハッタンの彼女の自宅に戻っていた。
 殺し屋は、右肩が抜けたまんまの非常に苦しい格好で縛り上げられ、床に転がされていた。額には脂汗が滲んでいる。
「さ、吐いてもらおうか。誰に雇われた? ブラン・ショコラッテか?」
 私立探偵ジャック・カクタスが、火の点いた葉巻を殺し屋の目の前に突きつけながら言った。
「ジャック……それはちょっと酷いんじゃない? 先に脱臼を治した方が彼のためじゃないかしら?」
 クレマが心配そうに言った。
「クレマ、ちょっと黙っていてくれないか? この場所には“泥を吐かせる”なんて芸当ができるのは俺しかいないんだぜ? ボディガードさんたちは、普段そんなことしねえだろうから。……待ってな、すぐに俺が黒幕を吐かせてやるぜ。」
「ハンニバル、いいの? やらせておいて。」
 フェイスマンがハンニバルの袖を引っ張りながら、小声で問うた。
「いいさ。怪我人が頑張ってるんだ。やらせてあげなさい。」
 ハンニバルの頭の中では、私立探偵ジャック・カクタスは、最早“可哀相なケガ人”としてしか認識されていなかった。……そりゃそうか、彼、何の手柄も挙げてないもんな。
「それもそうだね。……あ、シェラザッドさん。」
「皆様、お待たせしました。お茶が入りましたぞ。」
 執事シェラザッドが銀のトレイに紅茶とクッキーを乗せて運んできた。
「ありがとう、シェラザッド。そこに置いておいて。」
 クレマが応接セットのローテーブルを指さした。
「かしこまりました。」
 老執事は恭しく一礼して、トレイをテーブルに下ろし、ふと、床に転がっている黒服の男に目を留めた。一瞬後、シェラザッドの温和な目が険しく顰められた。
「ダミヤン? お前、ダミヤンではないか?」
 シェラザッドが言った。黒服の男が振り返る。チッ、と小さく舌打ちの音がした。
「知っているの? シェラザッド!」
「ええ、この男は……ブラン様の下男で、今は確かニュージャージーの別荘の管理をしている、ダミヤン・ロードです。お嬢様はブラン様とあまり行き来がなかったのでご存知ないかもしれませんが、ブラン様の子飼いの中では古株のうちでしょう。」
「……やっぱり……私を殺そうとしていたのは叔父さんだったのね……。」
 クレマはその場にがっくりと膝をついた。



Scene8:
 その翌日。ボディガードも最終日となった今日。殺し屋を捕まえてしまったので、本来なら昨日で解散、でも構わないのだが、まあ2週間という約束でもあるし、何よりフェイスマンにとってもクレマと過ごす日々は結構楽しいものであったので、いつも通りのフォーメーションでボディガーズは最後の警備についていた。



「こうして君と腕を組んで歩くのも、今日が最後だね。」
 42番街をフェイスマンとクレマは腕を組んで歩いていた。今日は、クレマが旅行に持っていく細々としたものの買い出しにつきあっているのだった。
「楽しかったわ。……恐かったけど、うん、楽しかった。」
 クレマが言った。
「何だかね、テンプルトンとこうしていると、去年の私に戻ったみたい。フランコに会う前の、いろんなことが不安で堪らなかった私に。」
「僕と会った頃、君は不安だったの?」
 フェイスマンが優しく問いかけた。今日のフェイスマンは、取っておきのライトブルーのスーツに白のエナメル靴。ネクタイは黄色だった。
「ええ、出会う人出会う人、みんな私のお金だけが目的で近づいてきたから……もう私には普通の恋愛はできないんじゃないかと思ってたの。」
 クレマは寂しそうにフェイスマンを見上げた。
「そぉんなことないよ、少なくとも僕は……。」
「そうね、あなたは違うと思ってた。引ったくりから助けてもらった時、この人は違うって思って、本当に嬉しかった。……でも、嘘だった……。」
「嘘? ぼ、僕がいつ君に嘘ついたって?」
 心にやましい所がありすぎるフェイスマン。声が震えている。
「全部嘘だったじゃない。教えてくれた住所も、仕事も、何もかも。」
 例によって例の如く。やっぱりバレてたのね、フェイスマン。
「問い合わせたのよ、全米ボディガード協会に。……そうしたら、ペック・ガードなんていう会社はなかったし、政府が使っている警備会社にもそんな名前はなかった。」
「そ、それは……。」
「でも、いいの、テンプルトン。あなたと過ごしたあの1カ月、本当に楽しかったから。騙されていたとしても、後悔なんかしていないわ。」
 許されて、少々ホッとするフェイスマン。情けないったら。
「ジャックはどうなんだい? 彼も、君のこと騙してたの?」
「……彼とは、私がカレッジに入ったばかりの頃に知り合って、すぐにつき合うようになったわ。でも、私にはジュエリー・デザイナーになるっていう夢があったし、彼には私立探偵……わかるでしょ? ペーパーバックに出てくるような私立探偵になるっていう夢があって……。2人の夢が噛み合わなかったのね。それで、もう私たちダメかなって思い始めた頃、彼が言ったの。“クレマ、僕はきっと立派な私立探偵になって、君を迎えに来る。だから、開業資金を貸してくれないか”って。結局、彼もお金目当てだったってことね。」
 クレマは笑って言った。
「で、君は貸したの?」
「ええ、10万ドル。」
「じゅ、10万ドル〜!? それで彼は、あんなに無能なのに私立探偵の事務所を開いて何とか7年やって来られた、ってことか。」
「そう。それで結局、こっちから連絡するまで、迎えにすら来なかった。騙された……って言えば、そうなのかもしれないわね。」
 クレマは笑った。今度は本当に楽しそうに。
「でもいいの。そういうダメ男たちとばっかり関わって辛い思いをしてきたから、神様が、可哀相にってフランコに会わせてくれたんだと思うことにしたから。今となっては、あなたもジャックも、いい思い出。……でも、もういらないわ。やっぱり私、フランコがいい。この2週間で、本当に自分の選択は間違っていなかったんだって心から思えるようになったの。」
「それって結局、マリッジ・ブルーってやつだったんじゃないの?」
「そうかもしれないわね。ごめんなさい、マリッジ・ブルーにつき合わせちゃって。」
 クレマはペロッと舌を出した。フェイスマンも笑った。2人の間に、一瞬柔らかい空気が流れた。
 と、その時……。
「危ないっ!!」
 そう叫んで飛び出してきたのは、私立探偵ジャック・カクタスその人であった。彼は車道とクレマの間に走り込み……次の瞬間、ドサリ、と倒れた。
 彼の後頭部には、クロッカスの植木鉢がめり込んでいた。
「ちっ、しくじったわ!」
 真っ赤なオープンカーが急発進した。ハンドルを握っているのは、金髪にサングラスの女。あの、写真の女。屋上から見下ろしていた金髪の女。
「コング、追うぞ!」
 クレープ屋のバンの中でハンニバルが叫んだ。彼らは、フェイスマンとクレマの10メートル後ろをノロノロ運転で尾行していたのだ。
「フェイス、乗れ!」
 ハンニバルがバンのドアを開けた。
「オッケー!」
 フェイスマンがバンに飛び乗った。
「コング、頼んだぞ!」
「任せとけ!」
 コングが、アクセルを踏み込んだ。
「こういうのも効くんじゃない?」
 言いながらマードックが取り出したのは、緊急車両用のサイレン。サイレン鳴らして走るクレープ屋のバンって、覆面パトカーにも程があるって感じだが、取り敢えず前を走っている車両は避けてくれた。
 コングのスムースなハンドルさばきが、瞬く間に小型のオープンカーを捕らえた。右側に追い込み、軽く脇腹をぶつける。それだけで、軽いオープンカーはコントロールを失い、道脇の新聞スタンドに突っ込んで、新聞スタンドを土台ごと持ち上げ、更に50メートルほど横滑りして、やっと停まった。運転席の女は、懲りずに尚もエンジンをかけ直そうともがいている。
「はい、そこまで。」
 踊るような足取りでフェイスマンが近づいていく。遂にAチームの4人に囲まれ、女は、観念したわ、というように肩を竦めた。
「クレマに植木鉢を投げつけていたのは君だね。何でそんなことをしたんだ。」
 ハンニバルが問う。
「悔しかったのよ。」
 女が言った。静かな口調だった。
「あたしのこと愛してるって言ったのに、あの女と結婚するだなんて。」
 女は泣き崩れた。
「君は……もしかして、フランコ・ブロッカーの愛人?」
 フェイスマンが聞いた。
「愛人じゃないわ、恋人よ、コイビト! あの金持ち女が現れるまではね……。」
「フランコは、お金のためにクレマを選んだわけじゃないだろ? あの2人はね、本っ当に愛し合って結婚するんだぜ?」
 女は顔を上げた。マスカラが涙で溶けて、両頬を黒い線になって流れている。
「何言ってんの、アンタ?」
 女がしゃくり上げながら笑った。
「フランコ・ブロッカーが武器製造事業に興味を持ってるってこと、業界じゃ昔から有名よ? あのパーティだって、ショコラッテ家に近づくためにブロッカーが仕組んだものなのよ? それが純愛ですって? ばっかみたい。」



Scene9:
 ジョン・F・ケネディ空港、出国ロビー。午前8時。
 クレマ・ショコラッテと執事のシェラザッドは、今日スイスに旅立つ。クレマと、フランコ・ブロッカーの結婚式のために。
「皆さん、本当にありがとう。」
 クレマが言った。
「お蔭で、こうして無事に結婚式に向かうことができるわ。」
「よかったな、クレマ。」
 ハンニバルが言った。
「ええ、叔父さんと、それからフランコに横恋慕した女に命を狙われて大変だったけど、みんなが守ってくれたから……。ジャックも命に別状はないって言うし、もう何も気にしないでフランコの胸に飛び込んでいけるわ。」
「ああ、そうするといいよ。結婚式の写真、できたら送ってね。それと……入院してるジャックにも送ってやってよね。」
 フェイスマンが言った。
「ええ、そうするわ。」
「お嬢様、そろそろ参りませんと……。」
 シェラザッドが控え目に言った。出国ロビーでは、ジュネーブ行き136便への搭乗を促すアナウンスが始まっていた。
「じゃあ、クレマ、元気で。」
「ええ、テンプルトン、皆さんもお元気で。」
 爽やかに手を振って、クレマ・ショコラッテは機上の人と
なった。



Scene10:
 ロサンゼルス行きの飛行機が、静かに離陸した。Aチームの4人は、クレマが予約してくれたビジネス・クラスのシートに、静かに座っている。並び順は、前の席にハンニバル、フェイスマン。その後ろに、コング(眠)とマードック。マードックはすっかりハードボイルドに飽きたらしく、今の服装は、いつもの革ジャンとキャップに、安全帽とエプロンという、至って軽装である。
「フェイス、いいのか? クレマに本当のこと言わなくて。」
 機内サービスのコーヒーを飲みながら、ハンニバルが問う。
「いいんだよ。……言えないだろ? だって、どうやったら言えるのさ。君が信じた人も、やっぱり君の財産が目当てでした、なんて。それに、俺は信じてるよ。クレマとフランコ・ブロッカーの愛が本物だって。ま、ブロッカーには会ったことないけどさ。クレマみたいな頭のいい娘が、それを見抜けてないわけないじゃない。……一応、シェラザッドさんにはちょこっと言っといたけどね。」
「彼、何だって?」
「全部存じております、ってさ。」
 いつの間にか No Smoking のマークが消えていた。
「大丈夫だろ、それなら。」
 ハンニバルは、そう言って、新しい葉巻に火を点けた。



「ところでお前、報酬の明細貰ったんだろ?」
 しばらくしてハンニバルが言った。
「ああ、ちょっと待ってね。どれどれ……。」
 フェイスマンが尻ポケットから封筒を取り出して封を切る。
「ええと、何々……報酬5万ドル。……まあまあ、かな?」
「いいとこだろう。食住交通費向こう持ちだったんだしな。」
「ええと、それから、あれ? 控除?」
「控除? 控除って、何か差っ引かれてるのか? 見せてみろ。」
 ハンニバルがフェイスマンの手から明細書を取り上げた。
「スーツ(アルマーニ)4700ドル×5着=23500ドル。靴(バリー)1000ドル×4足=4000ドル。……何だこりゃあ?」
「あ、それ、去年俺がクレマに買ってもらったもんだわ。」
 フェイスマンが言った。
「買ってもらった、んじゃないだろう。こうやって引かれてるんだから!」
「その時は、買ってくれるって言ったんだよ。いやあ、クレマ、俺が嘘ついてたのよっぽど怒ってたんだなあ。」
 フェイスマンは頭を掻いた。
「笑い事じゃないぞ、フェイス。まだまだ控除項目が続いてる……。この分じゃ報酬残らんぞ。また俺たちタダ働きか!? どうする、お前。返すか?」
「どうするって言われましても、俺、今そんな金ないし。」
「だろうな……。じゃ、お前、帰ったら即刻バイトだ。全額返し終わるまで、夜遊び禁止、デート禁止、合コンも禁止! もちろん、夏休みも返上だ!」
「そんなあ……。」
 フェイスマンの垂れ眉が、また5度ばかり下がった。



 かくしてフェイスマンの受難は、ここから始まることとなった。
【おしまい】
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