カリビアン・ジグソー
フル川 四万
 常夏のマイアミにも、サンタクロースはやって来る(はず)。


1st day : Xmas(eve)eve
「もうちょい右! 右だって!」
 砂浜にフェイスマンの声が響いている。
 絵のような青い空と、それに負けないくらい青い海。波と砂浜は純白だ。フロリダの先っちょ、かの有名なマイアミの海岸は、今日も今日とてピーカン晴れ。ビキニのお姉ちゃんたちや、ボード抱えた野郎どもが闊歩して、割と混んでいる。
「あ〜行きすぎ、ロビーもうちょっと左だ! でもってスイカ君! ……はもうちょっと右!」
 ロビー、と呼びかけられた少年は、車椅子に乗って目隠しをしていた。年の頃は10〜12歳くらいだろうか。ヤンキースのキャップを被り、膝の上には野球のバット。足が不自由らしく、細い両足は車椅子のフットレストの上でバンテージで一まとめに固定されている。ロビーは、フェイスマンの呼びかけに従って、慣れた手つきで車椅子を操り、ゆっくりと前に進んでいった。
 彼の狙いは目前の大きなスイカ。彼は今、浜辺の正式競技、2002年からはオリンピックの正式種目として認定されるという(噂の)「スイカ割り」にトライ中なのだ。
 しかしてその目標物である大玉スイカは、非常に不自然な形で砂浜に転がっていた。スイカの後ろ側には非常に逞しい頭がくっつき、その先には非常に逞しい首、そして非常に逞しい体が続いている。非常に逞しい首には非常に金銀ジャラジャラで……。
「何してんのスイカ君! 右だって!」
 フェイスマンの怒声が飛んだ。怒鳴られたスイカ君は、砂浜に腹這いになったまま、ガッと頭を上げ(頭の天辺に括りつけてあるスイカは当然地上50センチまで浮上)、声のした方に向かって憎々しげに中指を立てたが、何せ目隠しで顔の半分が隠れた状態、常の迫力の半分も出せやしない。
 なぜスイカ(しかも人間)が目隠しをしているかというと、この競技、スイカを割る人とスイカの人がそれぞれ目隠しをして30メートル離れて立ち、1人の指示者の声を頼りにいかに早く出会ってスイカを割るかのタイムを競うという、とても斬新な新しいゲーム。スイカ役は、頭に乗せたスイカの一部が地面から2秒以上離れてはいけないことになっているので、コン……スイカ君は指示通り右へもそもそと匍匐移動を始めた。
 そして遂に、ロビーの車椅子とスイカ君が一直線上に!
「そこだロビー! 行けっ!」
 フェイスマンの声に、ロビーは膝の上のバットを取り、慎重にバットを振り上げ……勢いよく振り下ろした。
 バコーン!
 バットは正確にスイカにクリーンヒットし、割れた果肉が周囲に飛び散った。バットはスイカ君の頭にまで達していたが、スイカ君の強固なモヒカン毛髪に当たったので、本体は無傷。
「やったあぁぁ!」
 周りから歓声と拍手が巻き起こる。目隠しを取り去り、誇らしげに観客に手を挙げてみせるロビーとスイカ君。



「クリスマス記念スイカ割りタイムトライアル、優勝は、0分40秒でロビー/バラカス組でした! おめでとうございます! 優勝したロビー/バラカス組には、賞金5000ドルが送られます! さあ皆さん、食事の用意ができてますよ! テーブルの周りに集まって!」
 司会のシスターの声がマイクを通して砂浜に響き渡り、観客がわらわらとヤシの木陰に設置された大テーブルへと移動を始めた。そう、これは、教会主宰のクリスマス・ビーチ・パーティー。福祉施設の子供たちを迎えて、車椅子でもできるビーチ競技と、ボランティアが持ち寄った手作り料理で盛り上がろう! という年中行事なのだ。本来ならボランティアはコング1人の趣味なのだが、今回の参加者は1人1品以上の手料理を持ち寄ることが義務とされたため、頼み込まれて参加したのが料理上手のフェイスマン。教会主宰だから、もちろんアルコールは抜きだけど、各種競技には賞金も出るって言うし、マイアミビーチはお姉ちゃんウォッチングだけでも目の保養だしってことで、フェイスマンにしては珍しく何の企みもなくコングについて来たってわけです。それでも、マイアミビーチに来るってもんだから、ギャルの目を意識して、さりげないお洒落は忘れていない。今日は、スカイブルーのシルクシャツにベージュの麻パンツ、黒ヌバックのスリップ・オンという出で立ちだった。もちろんシャツの胸元は広めに開けて、銀の鎖を覗かせるのを忘れちゃいない。



「お疲れ。」
 騒ぎから少し外れたビーチの片隅のシャワーでスイカ汁とスイカかすを洗い流していたスイカ君=B.A.バラカスに、フェイスマンがバドワイザーの缶を差し出した。その缶を見て顰めっ面をするコング。フェイスマンは肩を竦めてバドワイザーを呷った。
「ぷはー。」
 途端に、フェイスマンの口の周りに白いヒゲが生えた。……ヒゲ?
「よく冷えてるのに。中身は牛乳だし。」
「寄越しな。」
 奪い取るように缶を受け取ったコングは、一気にその缶入り牛乳を飲み干して一息ついた。もちろん左手は腰。牛乳の基本、左手は腰。
 そして今のコングはと言えば、スイカ柄(緑と黒の縞々)のワンピースの水着にアクセサリーのみといったステキなお姿。
「いかしてる、その格好。」
 フェイスマンがコングの股間の辺りに視線をさ迷わせながら言った。
「でも、もうすぐハンニバルが迎えに来るから、着替えてきてよ。」
「何? 何でハンニバルたちが迎えに来るんだ?」
 コングの眉間に縦皺が刻まれた。
「何って、仕事だよ、仕事!」
「クリスマスイブにか?」
「クリスマスだって何だって、困ってる人は大勢いるの。それに今日はイブじゃなくて、その前日! まだ世間様は働いてんの。」
 シャワーの支柱に凭れて腕を組んだフェイスマンが、「ね?」って感じで片眉を上げてみせた。コングは言葉に詰まった。確かに、年末にだってAチームの助けを必要としている人はいるだろう。そして困っている人がいる限り、助けてやらなきゃいけないんだろう、B.A.バラカス軍曹としては。……フェイスマンが夕べ徹夜して作ってくれたターキーとブッシュ・ド・ノエルが食いたくはあるが……。
 しょうがねえなあ、と諦めて溜息を1つつき、コングが言った。
「着替えてくるから待ってな。」
 と、その時……。
 ズギュ〜ン! ピシュウン!
 砂浜に銃声が響いた。因みに、後半のピシュウンは、弾丸が砂浜に刺さった音ね。
「何だ?」
 思わず振り向いた2人が目にしたモノは……海岸を駆けてくる女が1人と、波打ち際スレスレに彼女を追うモーターボート。
「助けて!」
 女が叫んだ。
「待て!」
 ボートの上で男が叫んだ。
 が、待てと言われて待ってるお人よしはなかなかいないぞ、とばかりに、追われる女は、すごいスピードでこちらに向かって走ってくる。追いかけるボートが勢いをつけて砂浜に突っ込み、船の切っ先から男が飛び降りた。
「助けて! ……アッ!」
 女が転倒した。コングとフェイスマンが駆け寄って助け起こす。
「おい、大丈夫か!」
「ええ、大丈夫よ!」
 助ける腕をも跳ね除ける勢いで立ち上がった女は、なぜかフェイスマンとコングの手を取って海と反対の方向に向かって走り出した。
 何で? いやさっぱりわからねえ、と、引きずられながら顔を見合わせる2人であったが……。
「は、速え。」
 女に右手を引っ張られて走りながら、フェイスマンが呟いた。
「何て脚力してやがるんだ、この女。」
 左手を引っ張られて走りながら、コングも言った。
 女は、そんな2人には全くお構いなしに、道路から海岸に降りる階段を2段抜かしで駆け上がっていく。
 振り返ると、女を追っていた男は、砂浜に足を取られて転倒していた。
 道路まで登り切った3人の目前に、待ち構えていたかのように1台のバンが滑り込む。紺色の車体にストライプ。この車は……。
「紺色のバン、これだわ!」
 女が叫んだ。途端、バンの後部ドアが開いた。
「乗んなって、早く!」
 車の中から聞き慣れた声(富山敬)がした。てことは、やっぱりこの車……?
「わかったわ!」
 女は叫ぶと、すごい跳躍力でバンに飛び乗った。遅れじと、フェイスマンとコングもバンに乗り込む。
「何でついて来るの?」
 女が叫んだ。
「何でって言われましても……。」
 フェイスマンが答えた。
「……これ、俺たちの車だし……手、握られちゃってるから……。」
「何ですって? 俺たちの車……って、じゃ、あなたたちもAチームなの?」
「……つーか、俺たちAチームでい。」
 その瞬間。
 ガッガッ!
 車体に銃弾がめり込む音が響いた。追っ手が追いついてきたのだ。バンが急発進した。
「畜生! ジョゼ、俺は諦めないからな!」
 追う男が叫んだ時には、Aチームと女の乗った紺色のバンは、猛スピードで遠ざかり、海岸線の向こうに消えていた。



「で、何で依頼人との待ち合わせをビーチにしたわけ?」
 フェイスマンが言った。
 ここはマイアミビーチから10キロ北上した場所にあるAチームのアジト。古い自動車の廃部品置き場の片隅の朽ち果てた掘っ建て小屋(ホタテの? ←大却下)の中はしかし冷暖房完備の簡素な事務所になっていた。ま、武器弾薬と各種部品がそこここに転がってるのが玉に瑕ではあるが。
「だって、彼女は海方面からのお客だし、お前たちもビーチでお楽しみって聞いていたから、じゃあ現地集合が都合いいんじゃないかと思いましてね。」
 事務用のソファにどっかりと腰を下ろしたハンニバル・スミスが、高級葉巻に火を点けながら言った。今日の彼氏は、白のジャケットにスラックス、ブルーのシルクシャツという、誰かさんとペアペア? というお姿。
 因みに、そのハンニバルの横には、なぜか軍服にベレー帽、パイプをくわえたマードックが、背筋をしゃっきりと伸ばして、難しい顔で座している。
「海方面って何だよ方面って。」
 フェイスマンが淹れ立ての紅茶を各自のカップに注いで回りながら言った。今日の紅茶はフォートナムのアールグレイ。正露丸とフマキラーの臭いのする高級紅茶らしい。〔フマキラーじゃなくてキンチョールだ。〕なぜそんなものが売れてるんだ?〔知らん。〕
「で、あんた、どこから来たんだ?」
 紅茶を一口飲んで顔を顰めたコングが、1人がけソファーに裸足の足を上げて丸まっている女に声をかけた。女は、手の中のカップに一口、口をつけると、顔を上げた。
「トリニダードよ、キューバの。これ、牛乳入れてくれないかしら。」
 女の言葉にコングは大きく頷くと、部屋の片隅に置かれた古い小型冷蔵庫から、まだ8割方入っている3.8牛乳の3リットルパックを取り出して彼女に渡した。女は、カップを左手に持ち、右手を伸ばしてパックを受け取ると、受け取った右手で器用にパックの口を開け、カップに並々と牛乳を注いだ。ついでに、パックから直接自分の口にも牛乳を流し込むと、口の端から垂れる牛乳を拭いもせずにコングにパックを返した。
「ありがと。3.8ね。」
「おう、今朝買った新鮮な牛乳だ。」
 戻ってきたパックは、半分くらいに減っていた。この女、やるじゃねえか、とコングは思った。
「さて。」
 とハンニバルが言った。
「依頼の内容は貰った手紙で大体把握しているが、彼らのためにもう一度説明してくれないか、ミス・メンドーサ。」
「わかったわ。何から話せばいいのかしら。」
 女は立ち上がった。別に座って話してくれていいのに。
「とりあえず下の名前から教えてよ。レディを苗字で呼ぶのは俺の趣味じゃないんだ。」
 フェイスマンが言った。
「私の名前はジョセファ。ジョセファ・メンドーサ……だったわ、一昨年まで。」
 立ち上がった彼女は、思ったよりずっと小さかった。紫のノースリーブのレオタードと同系色のパレオ、細く浅黒い体は筋肉質で、陸上選手のようだ。ウェーブのかかった黒髪を首の後ろでシニヨンにした様子は、バレエダンサーのようでもある。頬のこけた顔は、意志の強そうな、細い、しかし眉間でかすかに繋がっている濃い眉毛と、睫の濃い大きな目が印象的だ。年齢は20〜40代のどれかだろう。
「だった? じゃ、今はジョセファ・メンドーサじゃないってこと?」
 フェイスマンが聞いた。
「ええ、そうなの。今の私の名前は、ジョゼ・ゲバラ。」
「ゲバラだって? ゲバラってあの、革命家のゲバラか?」
 コングが叫んだ。
「そして俺様の心の師匠。」
 先ほどから黙り続けていたマードックが口を開いた。
「何かと思ったら、お前、今日の扮装、革命家だったの?」
 フェイスマンが混ぜっ返す。確かに、横っちょに被ったベレー帽は、革命家の象徴と言えないこともない。
「扮装とは失礼な! 俺様は立派な革命家である! つい昨日も大きな革命をやり遂げてきたばかりなのだ! 病院のあの人権を無視し、民主主義に反することこの上なかった夕食の時間“5時”を、より人間らしい夕食時間“5時15分”に改革することに成功した我々だった。しかし体制側のガードは固く、我々はこの作戦で羽枕のボブ、消火器のデイビッドなど4人の盟友を失い……。」
「ジョセファ、いいから続けて。」
 ハンニバルが呆れて言葉を失っている彼女に先を促した。
「ええ、続けるわ。私は去年までハバナの舞踊団にいたの。舞踊団と言っても、私と団長の2人だけの小さな団体だったけど。アルゼンチン・タンゴとキューバの伝統的な踊りをミックスして見せるのが私たちの流儀で、ハバナのスーベニールっていうキャバレーをホームステージにして興行を打っていたの。けど、アメリカの景気がよくなって、ハバナに観光客が増えるに連れて、店の希望と私たちのやりたいことが合わなくなっちゃって。つまり、その、店は、もっと体の露出度の高いエロティックなショーをやりたかったのね。で、あくまで本格的な踊りにこだわった私たちは、そこをクビになってしまったの。」
 ジョセファは、そこまで話すと、持っていたカップから紅茶を呷った。
「お代わり。紅茶じゃなくて、ミルクだけ。」
「おう。」
 コングがまたもや冷蔵庫へ。
「で、クビになってどうしたんだ? ショーを見せる店はもっと他にもあるだろう。」
 コングが牛乳を渡しながら言った。因みに彼氏、先ほど砂浜で着替えるキッカケを失ったもんで、未だにスイカ柄の水着姿。いかしてる。
「キューバにはダンスのチームは星の数ほどあるの。踊る場を失ったら、次の職場を見つけるのは難しいわ。」
 彼女は、牛乳パックと引き換えに空のカップをコングに渡すと、牛乳パックに直接口をつけた。
 あ〜、という声にならない声を上げるAチーム。その3リットル牛乳は、明後日まで持たすはずだったのに……と、これはフェイスマンの心の声。
「で、団長が他のダンスチームとの差別化を図るために一計を講じたの。かの革命の英雄、エルネスト・チェ・ゲバラの娘……っていうギミックをね。キューバでは、ゲバラの人気は絶対だから。」
「それで、ジョゼ・ゲバラになったのかい。」
 フェイスマンが言った。
「そう。ゲバラの人気は予想以上でね、それからすぐ、私たちの舞踊団は引っ張り凧になったわ。去年なんて、お休みが2日しかなかったくらい。」
「よかったじゃないか。」
「ええ、よかったのよ……。お客さんはみんな、私たちのギミック、処刑台の露と消えた革命家とボリビアの貧しい娘との間に生まれた娘が母親と革命家の悲恋の物語をダンスで表現する、っていう創作を楽しんでくれているんだと思っていたわ。……そう、アメリカのテレビ局が取材に来るまでは。」
「テレビ局が取材に? 何だい? ショウビズトゥデイか?」
「それがね……。」
 ジョゼファは溜息をついた。
「CBSドキュメントだったの……。どうやら、私がチェ・ゲバラの娘だっていうのが……マジに受け取られてたらしいわ。」
 アメリカ人ってこれだから、と彼女は肩を竦めた。
「それでどうしたんでい、もちろん本当のことを言って取材は断ったんだろうな。」
「それが、受けちゃったの、団長。」
「受けちゃいましたか。」
「ええ。謝礼があまりにもよかったもんだから。」
「だが、そんなことが嘘か本当かなんて、ちょっと裏取りゃ簡単にバレるだろう。」
「それが……バレなかったのよ。団長が悪ノリして、裏を揃えてしまったから。ボリビアの出生証明書から、ジョゼ・ゲバラの身分証明書、小さい時の写真や、チェ・ゲバラの筆跡を模した架空の女性へのラブレターまで。」
「すごいな、そりゃ。だが、カタギの人間にそんなことが容易にできるとは思えないぞ。」
 ハンニバルが言った。
「……カタギじゃない人に頼んだの。今世紀最高の文書偽造人と言われる男に。」
「誰だそいつは? そんな奴がよく見つかったな。」
 コングが言った。
「ええ。その人、ものすごく身近にいたもんだから。」
「身近って?」
「……私の父よ。」
「親父さん?」
「ガズバン・メンドーサって言うの。」
 ほう、とハンニバルが感嘆の声を漏らした。
「ガズバン・メンドーサ! 君は、あのガズバンの娘なのか。」
「ガズバン・メンドーサって誰? 革命戦士?」
 マードックが聞いた。
「彼女が言った通りだよ。今世紀最大の文書偽造人、特にアメリカと南米各国のパスポートと公文書を作らせたら右に出るものはいない。俺も昔何度かお世話になったよ。」
「先を続けていい?」
「ああ、続けて、ジョセファ。」
「父さんの仕事は完璧で、テレビ局もアメリカ人も、キューバの国民さえも、みんな騙された。私、いきなり時の人になっちゃって、ここ半年で20万ドル近く稼いだわ。」
「よかったじゃない、儲かって。」
 とにかく儲かるのはいいことだ、と、素直なフェイスマンは心からそう思う。
「よくないのよ。」
 ジョセファが顔を顰めた。
「そして引っ込みがつかなくなってしまったわけか。そうだよな、今更ニセモノでしたとは言いにくいですなあ。」
「言い出しにくいどころじゃなかった。でもね、団長とも相談して、もうこれ以上キューバの国民を騙すのは良心が咎めるからと、勇気を出して新聞記者に告白したの。私、ニセモノです、ごめんなさい、私は本当はジョセファ・メンドーサっていうトリニダード生まれのタダのダンサーです、って。そしたら……。」
「そしたら?」
「その新聞記者が調べたのよ、私の経歴を。そうしたら、どういうわけかわからないけど……私の記録がキューバから消えていたの。記録の上では、ジョセファ・メンドーサっていう女は存在しないことになっていたのよ。トリニダードの私の住所には……誰も住んでなかった……。」
「……で、ジョセファ、さっき海岸で君を追ってた男は誰なの? 今回の依頼には、あいつが絡んでるんだろ?」
 フェイスマンが聞いた。
「ええ。」
 と言いながら、ジョセファは空になった牛乳パックを床に投げ捨てた。この女、3リットル近い牛乳を小1時間で空けやがった。この行為を好ましく思ったのは、この部屋の中ではコング一人だったことをつけ加えておこう。
「あれは、キューバのテロリスト、カルデロンの部下よ。」
「テロリスト?」
「そう。カストロ政権の失脚を狙って、各地で悪質なテロを繰り返している男よ。」
「オレ知ってる。ハバナのショッピングモールを爆破した奴だろ。その他にも、無差別テロの余罪が数件。」
 マードックが言った。
「そのテロリストが、何で君を?」
「私を、と言うより、ゲバラの名前を狙ってる、と言った方がいいわね。もう1年近くなるかしら。ご存知の通り、カストロ将軍は国民に人気があるわ。そのカストロ政権を失脚させて、自分が政権を奪おうと思っているのよ、カルデロンは。でも、武器や弾薬がいくらあっても、奪えないものもあるでしょう?」
「国民の心、だな。」
 ハンニバルが言った。
「そう。民心を得るために、彼はゲバラの名前が欲しいのよ。つまり、チェ・ゲバラの娘婿として自分をアピールしたいわけ。キューバの国民にとってカストロ以上の英雄と言ったら、チェ・ゲバラしかいないわ。」
「で、君と結婚したがってるってわけか。」
「冗談でしょう。拉致・監禁して、無理矢理婚姻届にサインさせようと思っているだけ。夫婦になろうなんて、奴だって思っちゃいないわ。特にここ2カ月ぐらい、トリニダードの私の家に連日のように押しかけて、ガラス割ったり、近所の人に嫌がらせをしたり。本当に妻にしたい女には、そんなことしないわよね? で、ご近所は軒並み引っ越して、結局団長も失踪したわ。気の小さい人だったから、耐えられなかったんでしょうね。」
「大体話がわかってきたぜ。依頼ってのは、そのテロリスト野郎をぶっ飛ばして、二度とあんたの前に現れないようにすりゃあいいんだな?」
 コングが言った。話が長かった割には、Aチーム的には非常にスタンダードな依頼である。ぶっ飛ばす、そして懲らしめる、と。
「それもあるわ。それと……これは無理かもしれないんだけど、私をジョセファ・メンドーサに戻してほしいの。」
「それは簡単だ。身分証を偽造したのが君の親父さんだろう? もう一度作ればいいじゃないか、ジョセファ・メンドーサとしての書類を。」
「それはできないわ、多分。」
「どうしてだ? もしかして、親父さん、故人なのか? 確かまだ70歳くらいじゃないか?」
「まだ70前よ。生きてるわ。でもね、多分もう無理。父さん、私のことをチェ・ゲバラの娘だと思ってるから。」
「はあ? 何でそうなるの? 何で自分の娘を誰か他の奴の娘と思ってしまうわけ?」
 ジョセファは、悲しそうな、少々おかしそうな複雑な表情を浮かべて、そして言った。
「ボケてんのよ、あの親父。アルツハイマーなの。」



2nd day : Xmas eve
 夜明け前。
 船は波飛沫を上げて海上を進んでいた。国籍不明の旗を掲げたそのヨットは、10人乗り程度の大きさにも関わらず、ちょっとどうかと思うくらいのスピードで水を掻き分けて走っていく。エンジンはもちろん改造してあるし、武器・弾薬も山と積んであり、一見それとはわからない場所に砲台まで設えてあるAチーム・メカニック班(=全員)ご自慢の一隻だった。船の切っ先では、革命家(ニセ)が1人、パイプ片手に荒波を見つめていた。
 もうすぐ夜明け、そしてキューバ共和国サンタクララの港だ。
「とりあえず、どっから手をつける? ハンニバル。」
 舵を握るハンニバルの横でフェイスマンが言った。
「トリニダードの彼女の家だな。カルデロンの奴のアジトを突き止めなきゃならんし、かの有名なガズバン・メンドーサにも会っておきたい。」
「とっととカタをつけて帰ろうよね、明日はクリスマスなんだしさ。」
「何か作ったのか?」
「クリスマス・フルーツケーキ。」
「それじゃ是非とも帰らんとな。」
「少しにしてよね、太るから。」
「了解。」
 陸が近づいてきた。



 トリニダードは、色漆喰の壁と石畳の町並みが美しい歴史の街だ。
 だが、ジョセファがハンニバル、フェイスマン、そしてコングを案内したのは、中心街からかなり外れた、小さな田舎町だった。(マードックはカルデロンのアジトを探すため、別行動となった。)舗装されていない剥き出しの道路と崩れかけた家々が十数軒並んではいたが、その半数は空き家らしく、両開きの木の扉の蝶番が外れて、ドア板が風に揺れていたり、窓ガラスが割れていたり。ジョセファは、そのうちの一軒へと彼らを誘った。
「ただいま、父さん!」
 彼女は勢いよく扉を開けた。人気はない。そして……。
「どうしたんだ? こりゃ。」
 ハンニバルが呟いた。
「家捜しされた後……みたいだね。」
 フェイスマンが家の中を眺めながら言った。テーブルは引っ繰り返され、タンスの引き出しは尽く引き抜かれて荒らされている。
「カルデロンの野郎か!」
 コングが言った。
「違うわ。」
 ジョセファが落ち着いた声で答えた。
「じゃ、これやったのは誰なの? 相当ひどく荒らされてるけど……。」
 フェイスマンが言った。
 その時、ガタンと部屋の奥の扉から音がした。
「父さんなの?」
 ジョセファが叫んだ。
 しばらくして、ドアの陰から小柄な老人が現れた。
「……おお、ジョゼお嬢さん。お帰りなさい。」
「ガズバン! 久し振りだなあ。」
 ハンニバルが老人、ガズバン・メンドーサに歩み寄った。
「おお、客人か。どうぞどうぞ。ちょっと散らかっておりますが、ここがチェ・ゲバラの末娘、ジョゼ・ゲバラの家、私は……私は? ……はて、私は誰じゃった……かな?」
 老人は片手を頭の後ろに当て、空を睨んだ……まま動かなくなった。ハンニバルは溜息をついた。こりゃ本当にアルツハイマーらしい。
「あんたはガズバン。俺はスミス。覚えてるかい、爺さん。ジョン・スミスだ。」
「おお、思い出したぞ! クロゼットじゃ!」
 はあ? クロゼット? 何を唐突に……。
「何が?」
 その場にいた全員を代表して、フェイスマンが問うた。
「六甲颪に決まっておるだろう! 私は、昨日の夜からずっと六甲颪を探していたのに、どこにも見つからなかったんじゃ。そうじゃ、きっとクロゼットじゃ。」
 老人はイソイソと部屋の奥に消えて、クロゼットを引っ掻き回すバタンガタンという音が家中に響いた。ハンニバルはジョセファの方に向き直った。
「わかったよ。この惨状は……カルデロンではないね?」
「ええ、父さん本人がやったこと。父さん、最近、何でも探すのに凝ってて。とりあえず気になった単語があると、家中を探して回るの。今日は六甲颪だけど、昨日の朝は『村おこし』を探してたわ。」
「見つかったの?」
 我ながら愚問だな、と思いながらフェイスマンが言った。
「見つかるわけないでしょ? モノじゃないんだから。」
 ジョセファが呆れたように言った。
「だが爺さん、見つかるまで探すんだろ? どうやって収めるんだ?」
 コングが言った。
「見ててね、こうやるの。」
 ジョセファが大きく息を吸った。
「あったわ! あった! 見つけたわ、六甲颪!」
 ジョセファが手近にあった洗濯籠を持ち上げた。
「おお、どこじゃ、六甲颪!」
 ガズバン老人が走り出てきた。
「ほら、ここに!」
 ジョセファが洗濯籠の中から縦縞のトランクスを摘み上げた。
「おお、それこそ六甲颪!」
 ガズバン老人が叫んだ。
「この六甲颪、ちょっと汚れてるから、他の六甲颪と一緒に洗っておいてくれないかしら。」
 そう言って洗濯籠をガズバンに渡す。
「おお、いいとも。六甲颪はいつも清潔でなくてはな。予備の六甲颪も最低1週間分は必要じゃし、もしもの時のために通販で安い六甲颪を買っておくのもお勧めじゃ。では、これは私が洗っておこう。」
 老人は、洗濯籠を大事そうに抱えると、奥の扉から消えていった。しばらくして、洗濯機の回る音が聞こえ始めた。
「慣れたもんだね。いや、お見逸れしました。」
 ハンニバルが言った。
「コツがあるみたい。昨日は、はい、これ『村おこし』よ、ってガムテープを渡したら、黙って黒いセーターについた白いものを取っていたわ。」
 ジョセファが言った。
「だが、確かに、あれじゃ、もう偽造の仕事は無理みたいだな。」
「ええ……昔は父さんがそんな違法な仕事をしていることが嫌で堪らなかったけど……今となっては懐かしいわ。」
 ジョセファが目尻を拭った。



「大佐!」
 ドアを勢いよく蹴り開けて、マードックが走り込んできた。今回の彼氏は、軍服姿なので非常に機能的かつ動きにも無駄がない。いつもこの調子でやってくんないかな、とハンニバルは思った。
「大尉、カルデロンのアジトは見つかったのか?」
「ああ、見つかったぜ。ここから5キロほど行った海岸の近くだ。切り立った崖の下を利用して、ちょっとした要塞みたいになってる。正面(陸上)からじゃ無理だね。上(空)か、横(海)から行かないと。」
「人数は?」
「見たところ、100人くらいかな。」
「大層な人数だな。長期戦で少しずつ減らしていくか?」
「ダメだよハンニバル。明日はクリスマスだよ? 何としても今日中に仕事を終わらせてマイアミに帰るからね。」
 フェイスマンが主張した。
「……そうだったな。じゃ、短期決戦で行くか。」
「だが、相手はテロリスト100人だぜ? 正攻法じゃ勝ち目はねえだろ。」
 コングが言った。
「誰が正攻法で行くなんて言いましたか。ズルい手を使うんでしょ、ズルい手を。」
 その通りだ、ハンニバル。



 Aチームの作業曲流れる。
 ラジカセの前で、ボタンを押しては叫び、巻き戻しては叫び、を繰り返すフェイスマン。
 ベニヤ板を何枚も重ねて、電気ノコで切っているコング。
 三脚に乗ったカメラの前で、いろんなポーズを取るマードック。
 『チェ・ゲバラ伝記』の表紙(ゲバラの顔写真)をコピーに取るハンニバル。
 台所で煮込み料理の味を見るジョセファ。
 洗い上がった六甲颪に丁寧にアイロンを当てるガズバン。
 Aチームの作業曲終わる。



 その夜。
 真っ暗な海岸線に、細いサーチライトが飛び交っている。カルデロンのアジトの見張り塔から射す光だ。見張り塔は、海岸に向かう広場の中心に建っていた。
 Aチームの乗った船は、サーチライトを器用に避けながら音もなく水面を滑り、そっと砂浜に身を寄せた。迷彩服に身を包んだ人影が3つ、海岸に降り立った。人影は小さく頷き会うと、素早く二手に分かれた。
 15分後、右手の森の中に身を潜めていたコングとハンニバルが、そっとその場を離れた。



「わああああああ!」
 突然、大勢の叫び声が夜の静寂を突き破った。
「何だ?」
 見張り塔にいた若い兵士が声のする方へ双眼鏡を向ける。
 その瞬間。
 シュウッ……パンッ!
 海の上で花火が打ち上げられた。大きな枝垂れ柳だ。
 パン! パン!
 続けてあと2発。今度は、緑と赤のヤシの木と、それに続いて菊の花。続けざまに上がった花火の明かりに照らされて、森の中が少しだけ明らかになった。
 そして、彼の目に映ったものは。
「う、うわあ、敵だっ!」
 見張り兵が叫んだ。今、彼は森の中に確かに見たのだ。銃を構えた無数の兵士の姿を。今にもこちらに飛び出してきそうな勢いだった。
「わああああああ!」
 また叫び声が上がった。
 この叫び声とさっきの叫び声がメロディーから何から全て同じだったことに気づいた者は、この時点では1人もいなかった。これ、さっきフェイスマンが声の限りに叫んで吹き込んだカセットテープである。
 サイレンが鳴り響き、見張り兵が無線機を掴んで叫んだ。
「カルデロン隊長! 敵襲です! 推定人数100名以上! み、右の森から来ます!」
 叫ぶ彼の後ろを、花火のおまけ、おサルのパラシュートがフワフワと落下していった。
 カルデロンは、サイレンの音にコンマ1秒でベッドから飛び起きた。さすがテロリスト、寝ている時も油断はない。
「敵襲だと? 政府軍の報復か?」
 彼は、枕元の無線機を引っ掴むと、こう叫んだ。
「全員反撃開始だ! 目標は右手の森! 手柄を立てた者には褒美を取らせるぞ!」
 カルデロンの忠実な兵士たちは、手に手に銃を取り、次々に森へ向かって走り出した。
 そして……。
 どっか〜ん!
 コングの置いた地雷を踏んで、次々吹っ飛ぶ兵士40名。(もちろん死者は出ない。)
 どっか〜ん! どっか〜ん!
 船からも、アジトに向かってロケット砲が打ち込まれた。またもや吹っ飛ぶカルデロンの悲しき兵士40名。
 仲間が吹っ飛んで右往左往する兵士たちの間に、背後からコングが走り込んだ。次々に投げ飛ばされる兵士20名。
 さて、そろそろ出番かな……?
「カルデロン!」
 夜空に響き渡る拡声器声。
 カルデロンは兵舎を出た。倒れている兵士を踏み越え、アジトの中心の広場までゆっくりと歩を進めた。手にはオートマチックのピストルを構えている。
「俺がカルデロンだ。貴様、誰だ?」
「俺さ。」
 森の中から、ライフルを構えた人影がゆっくりと歩み出た。迷彩服に、斜めに被ったベレー帽。伸ばしっ放しの顎ヒゲ。憂いを帯びた瞳。こいつは……。
「お、お前、まさか、チェ・ゲバラ?」
 カルデロンが叫んだ。
「いかにも俺はチェ・ゲバラさ。」
 拡声器の声が響いた。
「バカな! ゲバラは30年前にボリビアで処刑されてる!」
「ところがどっこい、生きていたのさ。」
 また拡声器の声が響き、目の前の男が大袈裟に肩を竦めた。
「俺の大切な末娘に変な虫が寄ってきてるって聞いてね、おちおち死んでもいられなくてなあ。」
「何を言うんだ! あいつは……お前の娘なんかじゃないぞ! あいつはタダのトリニダードのダンサーだ!」
 カルデロンが叫んだ。
「証拠は?」
 拡声器の声が言った。チェ・ゲバラが無表情に、「グー!」って感じに親指を突き出しかけ、慌てて引っ込めて、代わりに人差し指をカルデロンに突きつけた。
「モンキー、あんまり近づきすぎるなよ……。」
 船の上から双眼鏡を覗いていたフェイスマンが呟いた。
 しかしカルデロンは気づいていない。目の前にいる男が喋っている声が、何で拡声器を通じて別の所から聞こえてくるのか、どうして表情が変わらないのにオーバーアクションなのか、そこんところをちょっと考えてみた方がいいのではないか。天下取りを目指すテロリストとしては。
「聞こえなかったのか? ジョゼが俺の娘じゃないっていう証拠はどこにあるのかって聞いているんだ。」
 拡声器の声が響いた。チェ・ゲバラが腕を組んで顎をしゃくってみせた。
「証拠は、ない。あの娘の出生記録と戸籍は、俺が盗み出して捨てさせた。」
「なぜそんなことをした?」
「なぜだか知らないが、あいつが持っていたジョゼ・ゲバラとしての記録は完璧だった。だから、俺がその完璧に磨きをかけてやろうと思ったのさ!」
「それで、彼女を妻にして、自分がチェ・ゲバラの血統を名乗ろうと企んだってわけか。」
 チェ・ゲバラがしばらく固まり、頭を抱えて座り込んだ。そして、いきなり立ち上がると、オーバーアクションで何かを始めた。……何を伝えたいのかよくわからない、「置いといて」と「妊娠して?」以外は。
「ああ〜モンキー、ジェスチャー始めちゃったよ……。」
 フェイスマンは呟き、船の拡声器のスイッチを入れて叫んだ。
「オッケー、ハンニバル、もういいんじゃない? チェ・ゲバラも限界みたいだし!」
「そうだな、結構楽しめたしな。」
 拡声器の声が答えた。
「何ィ?」
 カルデロンが海の方を見た。水面に1隻のヨットが揺れている。
 そして視線を戻した時……そこには、もうチェ・ゲバラはいなかった。そこにいたのは、チェ・ゲバラのお面を持った男と、その男の肩を抱いてにっかり笑っている葉巻を銜えた男、手には拡声器。そして……首筋に冷たい銃口を感じて、彼は観念した。



「ファンだったんだとさ。」
 トリニダードのジョセファの家で、トリニダード名物カスカドゥのカレー煮込みを戴きながらハンニバルが言った。
「誰の?」
 難しい顔でカスカドゥを頬張りながら、マードックが聞いた。
「美味いね、このカレー。」
 マードックが言う。
「でしょ? この魚はカスカドゥって言ってね、これを食べた人は、また必ずトリニダードに戻ってくる、って言われてるのよ。」
 ジョセファが言った。
 カスカドゥは小骨の多い魚だ。ほとんど骨ばかりと言っても過言ではない。ご飯と合わせるカレーなんぞには全く向かない。あえて言うなら、この魚は食べ物じゃない、とすら作者は考えるが、トリニダードの人は好んで食うらしい。そうアントンとフロエラが言ってた(@カリビアン・ライト)。
「カルデロンが誰のファンか、という問いの答えは、チェ・ゲバラ。彼に憧れて革命家を目指したらしい。」
「それで、カルデロンはどうしたの?」
 コングのグラスに並々と牛乳を注ぎながら、ジョセファが聞いた。
「キューバ政府軍の基地の前に縛っておいた。ま、軽く見積もっても10件のテロで数百年は食らうだろうから、もう君につきまとったりはしないよ。」
 フェイスマンが言った。
「ありがとう。本当に。」
 ジョセファが笑った。
「まだ礼は要らないよ。もう1つの方が解決しちゃいない。」
「何か手はあるの?」
「ない……こともない。うまく行くかどうかわからないが。ジョセファ、ジョゼ・ゲバラの身分証を持ってきてくれないか?」
「ええ、いいけど?」



「ドアストッパー! ドアストッパーがない!」
 ガズバン・メンドーサの声が家中に響き渡った。“探し物”を始めたのだ。
「父さん、どうしたの?」
 ジョセファが近寄る。
「おお、お嬢さん、私のドアストッパー知りませんかね。」
「ドアストッパー、ね。」
 ジョセファは、心配そうに見守っているAチームの方を振り返り、頷いた。4人も頷き返す。コングに至っては、「頑張れ!」の拳を握っている。
「ほら、ここにあるわよ、ドアストッパー。」
 彼女は、もったいぶってジョゼ・ゲバラの身分証を差し出した。しかし、その身分証は所々が切り取られている。
「このドアストッパー、私の友達のジョセファ・メンドーサって子のドアストッパーなんだけど、見ての通り壊れていて、ドアストッパーにならないのよ。」
「おお、ちょっと見せてみなさい。」
 ガズバンがジョゼの身分証を手に取った。
「これだこれだ。これが私が探しておったドアストッパーじゃ。よろしい、私が直して差し上げよう。なあに、すぐじゃ。2、3時間待ってくれれば、夜明けには立派なドアストッパーに戻っているよ。名前のスペルと生年月日を教えておくれ。実は私、ドアストッパー直しが得意でな。」
「ええ、ええ、教えるわ、教えますとも。」
 ガズバンは何かをブツブツ呟きながら別室へと消えていった。ジョセファは彼について部屋を出かけたが……振り返って戻ってきて、Aチームの前に立った。
「どうもありがとう、Aチーム。」
「ええと、こんなもんでよかったかな?」
 ハンニバルが言った。
「ええ、いいわ。充分。」
「親父さん、腕が落ちてて作れないかもしれないよ?」
 フェイスマンが言った。
「その時はその時。諦めて、英雄の娘として生きていくわ。でも、何だか父さん、できるような気がするの。」
「そうだな、俺もそう思うぜ。親父さんなら、きっとできるぜ。」
 コングが笑ってジョセファの肩を叩いた。ジョセファも、嬉しそうにコングの肩を叩き返した。
「じゃ、俺たちはアメリカに帰るとしますか。」
 ハンニバルが切り出した。
「そうだ、早く帰らないと、クリスマスになっちまう。」
 マードックが言った。
「もうクリスマスだぜ? 12時なんてとっくに回ってる。」
「いいんだよ、1日ってのは夜明けに始まるの!」



3rd day : Xmas day
 少しずつ明けてくる空を、Aチームの面々はヨットの上で眺めていた。マイアミビーチが遠くに揺れている。左から上がってくる太陽は、まだ顔を出してはいなかったが、夜明け前の仄かな明るさも、清々しくていいもんだ、とハンニバルは思った。
「……そろそろ行きますか?」
「ああ、そろそろじゃねえか?」
「じゃ、そういうことで……せーの。」
 声を揃える4人。
「……メリー! クリスマ……!」
「あが〜っ!」
 フェイスマンの叫びが調和を破った。
「あああああああ……。」
「どうした、フェイス。お前、メリークリスマスもちゃんと言えんのか?」
「あわわわ、忘れた、忘れたよ、ハンニバル!」
「忘れた? 忘れたって、何を?」
「報酬! 報酬貰ってくるの忘れた〜!」
 フェイスマンの叫びに、船の上に一瞬“無”が訪れた。
「……引き返すか。」
 ハンニバルの言葉に黙って頷く3名。何しろ、今回の報酬がなければ年も越せない予定のAチームなので……。
 ヨットは、顔を出した丸い太陽の光を浴びながら、ゆっくりとUターンした。
【おしまい】
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