摩天楼の血糖
フル川 四万
* 1 *
 ある年の冬。NY。午後3時。摩天楼を見上げる、古びた高級アパートメントの一室。
「ただいま〜。」
 大きな紙袋を抱えて部屋に帰ってきたのはフェイスマン。ベージュのムートンとベージュの紙袋がコーディネートされてお洒落な感じ。
「うー、外は寒いよお。俺、下で転んじゃったよ〜。」
 と、言いつつキッチンに荷物を運び、コートを脱いでリビングにやってくる。
「寒いのと、お前が転んだのと、どういう関係が?」
 ソファーにふんぞり返って新聞を読んでいたハンニバルが、「NY株価低迷続く」の記事が躍る新聞紙を翻して言った。何だかちょっと不機嫌そう。ハンニバル、株でもやってるのか?
「それはね、寒さで凍った水道管が破裂して、溢れた水がまた路上で凍って道がスケートリンクみたいになっちゃってるから。」
 濡れて色が濃くなったヌバックのスリップオンを脱ぎ捨てつつフェイスマンが答える。
「それでこの部屋のシャワーも出ないのか。いやはや何ともボロい街なのね。で、モンキーはいたか?」
「はいはい、いましたよ。予定通り、自由の女神の下で合唱の練習してた。」
「合唱?」
「そう。あれ、言ってなかったっけ? 今回モンキー様は、例の退役軍人病院の合唱団の一員としてNYに公演にいらしてます。で、今夜は自由の女神の前の特設広場でライブがありますので、ライブ終了後に脱走して加わる手筈になっています。そして、明日以降の公演は欠席の予定。」
「……その退役軍人合唱団ってのは何かしら?」
「知らない? “ベトナム帰還兵はここまで立ち直りました!”てのをアピールするために結成された合唱団! ホントだったらモンキーみたいな重度の患者は入れないんだけど、そこはそれ、世界的に有名な指揮者シュッカーマン氏の大抜擢を受けてってことで。」
「ふむ、奴に歌の才能があったとはな(←大きな誤解)。それで奴は今回別に来たってわけか。」
「そ。旅費が2人分浮いちゃって。その分、ゴージャスに食事でもしようと思って、買い物してきた。」
 2人分?
 ピシッと指差すキッチンには、クリスマス用のラッピングが施されたシャンペンのビン。
「おお、豪勢ですな。……ところで、コングはどうしたんだ?」
「奴も別便にしちゃった。もうすぐ来ると思うけど?」
 ピンポーン。
 タイミングよく玄関ベルの音。
「宅急便でーす!」
「来た来た。」
 フェイスマンは、揉み手をしながらドアを開けた。
「ハロルド・シュッカーマンさん?」
「はいはい、シュッカーマンです。」
 と、フェイスマン。マンだけ合ってる。
「じゃ、ここに受け取りのサイン。で、どこに置きます? 嵩張るんだけど。」
「その辺で。ああ、そこでいいや。ありがとう。」
「毎度〜。」
 宅急便が去った後、玄関に残されたのは1メートル四方の大きな段ボール。品名欄には「合唱団備品」の文字。
「ハンニバルー!」
 フェイスマンが叫んだ。
「ん?」
「コングのご到着だよ。」
 その途端に、段ボールがガタガタと揺れ始めた。
 ボスッ! ボスッ!
 中から壁面を殴る音。そして変形していく段ボール。
 ズボオッ!
 次の瞬間、段ボールを突き破って1本の腕が現れた……F**kin'ポーズを決めながら。

* 2 *
 同日同時刻。NY。摩天楼を見下ろすスネーク・スイート社ビル99階の応接室。
「そんな条件は飲めませんっ! マシマロ製造マシンを返して下さい!」
 ガンっと机を叩くと、マークは相手を睨みつけた。
「いいのかな、マーク・ホワイト。1万ドル出そうと言っているんだよ? たかだかマシマロの製造機に1万ドルだぞ?」
 広い応接室の中をゆっくりと巡回しながら、もう1人の男、スネーク・スイート社専務取締役、ジェリー・キャンディーロ(45)が言った。汚れたジャンプスーツ姿のマークと比し、アルマーニの胸ポケに棒つきキャンディを差したキャンディーロは、いかにも大企業の重役といった厭味なムードを醸し出している。ただ、足元がウサギのボアスリッパであるところが彼の個性であろうか。
「1万ドルでも100万ドルでも飲めないものは飲めないって言ってるだろう! 大体、僕はあのマシン自体を売るなんて言った覚えはないぞ。おたくの会社が、親父のマシマロを全国販売してやるって言うから、それなら売上げの一部をマージンとして支払ってもいい、って言ったんだ。あのマシンは、親父のものだ。返してもらおう!」
「そうはいかないね。あのマシンは、我がスネーク・スイート社が引き続き開発を行うことになってね。来週には、特許の申請もわが社から出すつもりだよ。大体、マシマロ・ホワイトのような小さな町の菓子屋が売るには、あのマシマロはもったいなさすぎる。あれこそがゴージャスかつエキセントリックかつスイート! まさに新世紀のマシマロと呼ぶにふさわしい……。あの逸品こそは、わが社のような大企業が独占的に世界展開するべき商材だ。」
 キャンディーロは、机の上のシガーボックスから、シガーチョコレートを1本取り出すと、皮を剥いた。
「君も1本どうかね?」
 差し出すキャンディーロの手を、マークはピシ、と叩いた。剥かれたチョコレート(そこはかとのう薬臭い)は毛足の長い絨毯に吸い込まれて見えなくなった。
「もったいないことをしてくれるじゃあないか。我が社の新製品、ガラナエキス&カフェイン入りシガーチョコを。」
「ガラナだかタガメだか知らないが、あれは親父が開発したマシマロ・ホワイトのオリジナル商品だ! マシンを返してもらおう。」
「ダメだと言っているだろう。」
「返せ!」
「ダメだ。」
「返せ!」
「ダメと言ったらダメだ! しつこい坊やだな。」
 キャンディーロは樫の一枚板でできた机の上にあるインターホンの受話器を取り上げた。
「おい、ホワイトさんがお帰りだ。丁重にお見送りしろ。」
 途端に、応接室のドアから屈強な男(しかし足元は熊のボアスリッパ)が2人現れ、マークの両腕をがっしり掴むと、瞬く間に部屋から引きずり出した。
「畜生、離せ! 僕は諦めないぞ! 必ずマシンを取り返してやるからな! こっちにはすんごい助っ人だっているんだからな! あとで吠え面かいても知らないぞ!」
 しかしマークの叫びは、分厚い扉に遮断され、キャンディーロには届かなかった。

* 3 *
 同日夜8時。自由の女神前。
 自由の女神前の特設ステージでは、今まさに「退役軍人合唱団」のライブが佳境を迎えていた。
 白いスモックを着込み、それぞれの考えでベレー帽を身につけ(被っているとは限らない)てしまった退役軍人病院精神科病棟の面々おおよそ見たところ50名強は、確かにメロディーはそれ、だった、かもしれない、ていう程度の音程で『星条旗よ永遠なれ』をがなっておる。そして、その中央にはマードックが、両手の指揮棒をぶん回しながら、以下のような歌詞で陶酔歌唱中である。
「♪ごーみぶーくーろーをー、ごーみぶーくーろーをー、すーみーやかーにー、ふくらーまーしーてーさ。」
 ごみ袋よ永遠なれ、か? 
 50名の合唱団員と同じ程度しかいない観客は、どう反応していいのかわからない。しかし、ベトナムで心の傷を負った人たちがここまで立ち直ったんだから、見てやらにゃあいけんでしょうアメリカ人として。でも、そろそろ帰りたい。だって、寒いし、歌は訳わかんねーし……といった様子で棒立ちになっていた。その中で、ただ1人、音楽に合わせて体を揺すっている男がいた。満足そうに目なんか閉じちゃって、眉間に皺寄せて。天才指揮者ハロルド・シュッカーマン、その人である。
「スーキーヤキーよー、永遠なーれー!」
(ごめん。『星条旗よ永遠なれ』ってどんな終わり方するんだか知らない。)
〔調べによれば「スーキーヤキーよー、えいえーんなーれー」です。〕
 マードックが一際高らかにラストを歌い上げ、合唱は終了した。



「いや〜、よかったよかった! 最高だったよ! ブラボー!」
 ハロルド・シュッカーマン=フェイスマンが、大袈裟に手を叩きながらステージに歩み寄る。観客は、明らかにホッとした表情で三々五々散っていく。
「すんばらしいよ君たち! この調子で明日からも頑張ってくれたまえ! 今日はこれにて、解散!」
 解散、と言われても、解散していいはずもないこの人たち。すかさず看護夫たちが走り寄り、両脇を抱えられながら待機していたバスへと乗り込んでいった。
「あ、そうそう、そこの君。背中に羽根つけてる君。」
 フェイスマンが慌ててマードックを呼び止める。
「♪おーよびーでーすーかーおーれさーまーのーことー。」
「そうそう君呼んでんの。君、今夜の……そう4曲目。」
「4曲目? グロリア?」
「そう、グロリア。音程取れてなかったね?」
「音程取れてないんじゃなくて、あーれーは、フェイク! わざとなのよー? ここでもう1回歌ってみようか? ぐぉーおおおおおーおおおおーおおおおおーりらー。」
 グロリラ? ゴリラ?
「ダはぁメだよ、期待してるんだから頑張ってくれなきゃあ。じゃ、君だけ今夜は特訓だ。てなことで、この患者は、僕が連れて帰るから。じゃ! ほら行くぞ!」

* 4 *
 翌日午後。サウスブロンクス。
「ここだぜ。」
 コングとハンニバルは、地図を片手にその店の前に立った。
「ここか……。」
 ハンニバルは、新しい葉巻を咥え直しながら見上げた。
『コンフェクショナリー・マシマロ・ホワイト』は、気をつけて探さなければ見落としてしまいそうな細い路地に位置している。しかも、周りは自動車修理場やら廃屋になったビルやらで、白くラブリーな菓子店は、その場の雰囲気にそぐわないこと甚だしい。
「繁盛して……ないな。」
 ハンニバルが言った。
「ああ、確かに、寂れてやがるぜ。」
 コングも同意した。
 店内には、小さなカウンターと、商品が全く飾られていないショーケース、そしてカウンターの後ろの棚には埃を被ったスナック菓子の袋が並べられている。
「誰かいねえのかー!」
 コングが叫んだ。すると、店の奥から、1人の若者がフラリと現れた。白のツナギを着用し、腰には大工道具を装着、顔は黒い油で汚れ、手にはスパナを持っている。
「……マシマロ屋……だよな?」
 ハンニバルが問うた。
「……はい……マシマロ・ホワイトです……。」
 青年は力なく答えた。
「特大のスペシャル・ヒュージ・ベリーとナッツ入りマシマロ・サンド・チョコレートコーティングを5個頼もうか。」
「あと、牛乳1ガロンもな。」
 コングが親指を立てて見せた。
 カラーン……。
 青年が落としたスパナの音が店内に響き渡った。
「ス、スミスさんですね? お、お待ちしておりましたぁ、う、ううっ……。」
 青年マーク・ホワイトは、ヨヨとその場に泣き崩れたのであった。



「マシマロ・ホワイトは、親父が開発したマシマロ・マシンで作った特大のソフト・マシマロと、そのマシマロとビスケットを使ったマシマロ・サンドが売り物のマシマロ屋でした。いつもじゃないけど、時には行列ができる時もあるほど。それで、評判を聞きつけてやってきたスネーク・スイート社の奴らが、これは是非コンフェクショナリー・マシマロ・ホワイトとスネーク・スイート社の提携商品にして全国販売にしよう、わが社は、何パーセントかのマージンを貰うけど、儲けのほとんどはおたくにあげるよ、と言ってきて……まぁ、今から思えば美味しすぎる話なんですけど。……親父も、すっかりその気になって、マシンを渡してしまったんです。それで、スネーク・スイート社にマシンの研究をしてもらって量産体制を敷くはずだったんですが……。奴ら、特に、専務のキャンディーロは、親父がマシマロ・マシンに特許申請をしていないことがわかると、急にあのマシンを返すのを渋り始めて……挙句の果てには、返さない、って。」
「キャンディーロとは、菓子屋らしい名前だな。」
「で、どうして親父さんはあのマシンの特許を取らなかったんだ?」
 ハンニバルの問いに、マークは溜息をついた。
「設計図がないんです。何か、偶然できちゃったらしく、本人も、中で何がどーなってあのマシマロができるのかさっぱりわからん、って言ってました。僕にもさっぱりわかりません。それに僕、お菓子作りには素人だし。」
 マークは肩を落とした。
「素人? マーク、君は菓子屋の息子だろ?」
「ええ。でも、この騒動で親父が心労で倒れるまでは、別の仕事をしてました。菓子屋を継ぐなんて、思ってもみなくて。」
「何をやってたんでい?」
「自動車修理工。」
「ほほう。そりゃ親に反抗した若者が就きそうな職だな。」
 と、ハンニバル。
「いえ、うちは代々自動車修理工なんです。で、親父だけがマシマロ屋。親父は、自動車より自分で妙な機械を作る方が好きだったみたいで。特に食品加工系の。」
「で、マシマロ・マシンを開発したってわけか。」
「開発したって言うか……。他にもいろいろ作ったんですが、どれもこれもモノにならなくって、成功したのがあの1台っきりだったもんで、必然的に。」
「マシマロ屋になったってわけか。」
「ええ、なってしまいました。」



「それで、奪われたマシンのありかはわかっているのかい?」
「いえ。スネーク・ビルのどこかにあることは確かなんですが、どこにあるかまでは……。僕、何回か夜に忍び込もうとしたんですが、セキュリティが厳しくて、建物に入ることすらできませんでした。」
「そんなに厳しいのか、菓子屋のくせに。」
「ええ、夜は最新鋭の電子セキュリティ・システムが作動して、社員ですらIDカードを通さないと入れません。社員は、お菓子業界は新製品の情報が他社に知られたらまずいとか何とか言ってましたね。どうでしょう、スミスさん、バラカスさん、親父のマシンを取り返してくれますでしょうか?」
 マークが縋るような視線で2人を見た。
「おう、もちろんだ。親父さんのために菓子屋を継ごうっていうお前の心意気が気に入ったぜ。」
 コングが言った。
「まーかせなさい。不可能を可能にするのがあたしらの仕事ですよ。むふふふふ。」
 ハンニバルが不敵に笑った。

* 5 *
 翌日。午前8時前。スネーク・スイート社ビルディング社員通用口。
 夜警を終えた警備員たちが次々に現れ、帰途に就いていく。夜間には20名の警備員を配するこのビルも、昼間は警備室にほんの数名が残るだけなのだ。夜勤を終えた者たちは、これから一杯やって家路に就くのだろう。
 そこへ、紺色のバンが滑り込むようにひっそりと現れた。ちょうど出口から現れた2人の警備員(筋肉質&中年太り)の前に回り、2人の人影が滑り出た。
「な、何だお前?」
 びびる夜警に「ビバ!」の一言。次の瞬間、ハンニバルのチョップとコングの正拳突きによって、2人の警備員は昏倒した。



 まんまと制服をゲットし、身分証明書の写真も貼り替えたコングとハンニバルは、堂々と社員通用口を通ってスネーク・スイート社ビル内に潜入し、エレベーターへと乗り込んだ。
「さて、上から行きますか。」
 ハンニバルはそう言うと、百階のボタンを押した。エレベーターはゆっくりと動き出した。



 100階は展望台兼グッズ売り場。平日の朝っぱらだけあって、人影は少ない。
 スネーク・スイート社の主力商品である「スネイカーズ(スニッカーズにドンパッチとうぐいす餡とアーティフィシャル・フレイバーのバブルガムを詰め込んで、クリームチーズ風味のチョコレートでコーティングしたもの)」のキャラクター、コブラのブラボー君のバカでっかいハリボテが鎌首もたげて見学者(主に株主の子弟)をお出迎えしている。その奥には、この冬の新製品である「動物たまごチョコ・日本の昆虫編」の昆虫たち(タガメ、アブラゼミ、チャバネなど)が人間サイズで一列に並んでお出迎え。どうしてなかなかユニークなギャラリーなのであった。
「どうしてこの菓子屋がこんなに繁盛してるんだろうなあ。」
 エレベーターのOPENのボタンを押したまま、籠から降りようともせずハンニバルが言った。
「食欲が減退してダイエットにいいんじゃねえのか? 俺は普通のマシマロ・サンドの方がいいけどな。」
 制服がきついために常にボンレスハム状態になっているコングが忌々しげに言った。
「俺の子供の頃は、お菓子って言えばもっと夢があったもんですけどねぇ。」
 溜息をつくハンニバル。
「じゃ、下りるか。」



 99階はマークが言っていた通り応接室。98階以下の階は、それぞれオフィスや食堂であり、特に変わったところはない。巡回警備の振りをして1階ずつ徘徊してみる2人であったが、やはり昼間のオフィスでは、マークの親父さんのマシマロ・マシンのありかを突き止めるのは難しいものがある。



 50階の調査を終えてエレベーターに乗り込んだ2人。次は49階……まだ49フロアもあるのか。
「やっぱり夜に来るべきだぜ。」
「ああ。だがこう階数があっちゃ、せめてどこの階にあるかくらい確認しておかにゃあ……あら?」
 49階のボタンを押していたハンニバルの手が止まった。
「ドアが開かないぞ?」
「開かねえだと?」
 コングが手を伸ばし、49階のボタンをガチャガチャと押す。確かに扉は開かない。
「開かないくせに、止まってるな。」
「ああ止まってるぜ。……てことは。」
 コングが、パネルの下にある小さな扉に目をつけた。10センチ四方で、鍵穴が開いている。ハンニバルは、尻ポケットから針金を取り出すと、鍵穴に差し込んだ。カチリ、と手応えがあり、扉は開いた。そこには、カードの読み取り機とテンキー。
「IDカードの上に、暗証番号がついてやがる。」
 ハンニバルは、警備員のIDカードを通した。そして、警備員の生年月日を入力してみる。反応は、ない。
「生年月日じゃなくて、IDナンバーかもしれないぜ。」
 コングが、タカタカと数字を入力する。反応は、ない。
「割と今日の日付かもな。」
 ハンニバルが、本日の日付を入力して、Enterを押した。すると……。
 ビーッ! ビーッ! ビーッ!
 突然、エレベーター内に電子音が響き渡った。
「不正アクセスがありました。連行します。」
 コンピュータ音声が穏やかな口調でそう告げた。
「何なんでい!」
 コングがうろたえる。
「連行されるみたいね。ほほう、敵もやるじゃないの。」
 ハンニバルが不敵な笑みを浮かべた。
 突如動き出したエレベーターは、1階に向かって急降下を始めた。



 急降下したエレベーターは、1階で止まり、ゆっくりと扉を開けた。銃を構えて待ち構えていた警備員達が一斉に空のエレベーターに躍り込む。……が、しかし……。
 エレベーターは空だった。

* 6 *
 同日夜。摩天楼を見上げる、古びた高級アパートメントの一室。
「てなわけで、エレベーターの天井ぶち破って事なきを得たわけだ。49階が臭いと睨んだね、あたしゃ。」
 ハンニバルが言った。
「マーク、君の考えは?」
「ええと、僕がいつも通されていたのは、99階の応接室で、最初に機械を持っていった時には……多分、もっと下の階だったと思いますけど。確かに、言われてみればキャンディーロもそんな風にしてエレベーターのドアを開けていたと思います。」
「だけどよ、どうするんでい、ハンニバル。あの警備じゃ、49階に忍び込むのは至難の業だぜ。」
「そうだな……。」
「外壁を登るってのはどう? んでもって俺様の美声で窓ガラスを割る。」
 マードック、超音波かい。
「無理だな、もうすぐクリスマスだ。あそこの通りは深夜でも人通りが多い。壁に張りついてたら、すぐに110番通報されちまうぜ。」
「じゃ……空から行くってのはどう? ささっと降りればさ。そして俺様の美声で(以下略)。」
「何寝惚けたこと言ってやがる、このすっとこどっこい! ちったあ真面目に考えやがれ!」
 コングの剣幕に、逃げ惑うマードックであった。
「いや、外から攻める、でいいかもしれないよ。」
 思案顔のフェイスマンが言った。
「何? 何か名案があるのか、フェイス。」
「……うん、ある。合唱団。」
「合唱団?」
「だって?」
「だと?」
 3人のお決まりの反応に、満足げに微笑むフェイスマンであった。



〈Aチームのテーマ、かかる。〉
 床に敷き詰められた白い布に、でかい文字や絵を描いていくマードック。何やら火花を散らして機械を作製するコング。スネーク・スイート社の受付で受付嬢を口説くフェイスマン。黙々と腹筋を鍛えるハンニバル。
〈Aチームのテーマ、終わる。〉

* 7 *
 翌日、夜12時。スネーク・スイート社ビル前広場特設ステージ。
 スネーク・スイート社ビルの屋上からは、でかい垂れ幕が下がっている。文面は、以下の通り。
『ベトナム帰りの大合唱団参上! 愛と感動のクリスマス深夜コンサート! 世界の子供たちにスネイカーズを!(←ここだけ字が綺麗)捨て猫・捨て犬に愛の手を! 俺たちに自由を! そして戦場を!』
 ぶっとい筆文字の周りには、不可思議な絵が添えられている。
 黒の燕尾服に身を包んだフェイスマンが、タクトを片手に颯爽と現れた。指揮壇に上ると、観客(超まばら)に向かって一礼し、合唱団に向き直った。深夜の街角に退役軍人合唱団の歌声が流れ始めた。1曲目は『ホワイト・クリスマス』。ビング・クロスビーが生きていたら絶対に許さないであろう音程で、合唱は続く。次の曲は『BAD MEDICINE』……それはボン・ジョビ。合唱団でボン・ジョビ?
 ジャンジャンジャジャンジャーン!
 疑問を差し挟む間もなく、大音響でイントロが流れ始めた。



 バラバラバラ……。
 どこからかへリコプターの音が聞こえてくる。操縦桿を握っているのはマードック。ヘリは無駄のない動きでスネーク・スイート社の屋上に近づくと、縄梯子をハラリと垂らした。黒い人影が3つ、屋上に降り立つ。人影は、素早くロープを括りつけ、ビルの端からするすると降りていった。3人の影は、合唱団の垂れ幕の裏に隠れて通行人からは見えない。
 3人は難なく49階に到達すると、小型のカッターマシンで窓ガラスを切り取り、社内に侵入した。
「マーク、この階に間違いないな?」
「ええ……多分ここです。あの奥の部屋だと思います。」
「よし、行くぞ!」
「おう。」
「は、はい!」
 3人は、『研究室』の表示がついた部屋へと勢いよく躍り込んでいった。



 研究室では、10名ほどの研究者が作業中であった。
「だ、誰だ、お前ら!」
 研究に励んでいた研究員Aが振り返りざまに叫んだ。さすが研究所は宵っ張り。夜中の12時といへども仕事の真っ最中。眼の下は真っ黒。髪はボサボサ。明らかに2日は寝ていない。
「ぼ、僕はマシマロ・ホワイトのマークです。」
 マークが言った。この際、自己紹介には何の意味もないが。
「俺はB.A.バラカスだ! 飛行機だけは勘弁な!」
 釣られて名乗るコングちゃん。余計な情報も織り交ぜつ。
「あたしゃハ……」
「マシマロ・ホワイト?」
 ハンニバルの自己紹介を遮り、研究員Bが叫んだ。
 あたしゃハンニバル……。ハンニバルが口の中でもごもご続けたが、誰も聞いちゃいない。プアアハンニバル……。
「さては、このマシンの持ち主だな?」
 研究員Cが叫んだ。
「ああそうだぜ、マシマロ・マシンを返してもらおう!」
 コングが胸を張る。
「お前たちの好きにはさせん!」
 気を取り直したハンニバルが、ぴっと人差し指を立てる。
「何をぅ?」
「やっちまえ!」
 口々にそう叫ぶと、殴りかかってくる研究員ABCDEF……。
(研究員は通常戦闘的な人種ではないとか、この際その辺りは脇に退けといて話を先に進めさせて下さい。もう眠いんです。)



 どすっ! ぼこっ! ばきっ!
 ハンニバル、殴る殴る。コング、殴る殴る。マーク、逃げ惑う逃げ惑う。右から左、左から右、下から上へと変なポーズで飛んでいく研究員ABCDEF……。宙を舞う研究器具多数、ティッシュボックス1個。ビーカー、フラスコ、袋麺。



「ひいい、返しますっ! 返しますっ!」
 一通り殴られた後、コングに襟首を掴まれて足が浮いちゃってる研究員Gが言った。
「か、返しますうっ!」
 ハンニバルにコーナーに追い詰められた研究員Aが腰を抜かして後ずさりながらそう叫ぶ。残りの研究員たちは、部屋の隅に投げつけられて山をなしていた。
「最初からそー言えば痛い思いをしなくて済んだのによ……。」
 コングが両手をパンパン叩きながら言った。



 と、その時……。
 バキューン!
 1発の銃声が響き、ハンニバルの脇腹の服地が破けて吹っ飛んだ。
「動くな! そう……そのまま後ろを向いているんだ。」
 声の主、悪の専務取締役ジェリー・キャンディーロが、出入口を塞ぐように仁王立ちに立っていた。右手には銃、足元はウサギのボアスリッパ(応接間でなくても履いているらしい)、胸には新製品内臓グミ(腸や心臓がその色までもリアルに再現してあるグミキャンディ)。
「お前がキャンディーロか。」
 ハンニバルが振り返らずに言った。
「そうだ。貴様たちがホワイトの助っ人か。」
「ま、そんなところだな。親玉の参上となると話は早い。マークの親父さんが作ったマシマロ・マシンを返してもらおうか。」
「ふふ、君は自分の状況がわかっていないみたいだな。……この状態で私に指図しようなんて、見上げた根性だよ。」
「てめえ、あのマシンはマークの親父さんが開発したんだ。特許の権利も親父さんのものだぜ。」
「わかってないね君たち。特許というのは、先に提出した方に権利が……。」



 と、その時……。
「そ、そこまでだ。はぁ、はぁ、はぁ……。」
 息切れ混じりの声にキャンディーロが動きを止める。彼の右耳の後ろには、いつの間にか冷たい銃口が当てられていた。
「う、動くと、耳、吹っ飛ぶよ。銃を……す、捨てろ。」
 なぜか額に玉の汗を浮かべたフェイスマンがそこにいた。キャンディーロは、観念して銃を落とした。



「フェイス、遅かったじゃないか。」
 リラックスして振り返ったハンニバルが言った。
「その言い方はないんじゃない? 49階まで縄梯子で登って助けにきたんだよ?」
 49階まで、梯子すか。
「モンキーはヘリで送ってくれなかったのか?」
「最後の1曲歌いたいから、って拒否された。俺は、垂れ幕の裏にコングが下ろしておいてくれた梯子をえっちらおっちら登ってきた。」
「そりゃあ大変でしたな。」
「大変だったとも!」



「さあキャンディーロさんよ、マシマロ・マシンを返してもらおうか。」
「……わかった。返そう。お前たち、あれを。」
 キャンディーロの指示に、研究員Aが動いた。研究室の奥から、何やら怪しく大きな装置を持ち出してきた。



「マーク、これが親父さんのマシンか?」
 ハンニバルの問いに、マークが首を傾げる。
「何か……形が違うみたいだけど……。」
「あの、実は。」
 研究員Bが一歩前に出た。
「分解してたら、よくわからなくなっちゃいまして、結果としてそんな形になっちゃったんですけど、マシマロ作ってる部分は元通りだと思います。」
「マシマロ作ってる部分だと?」
 コングが尋ねた。
「ええ。あのマシン、マシマロ作ってる部分は30センチ四方くらいで、あとは何か、音が出たり動いたりするだけの部品が沢山ついてて、何が本当に作動してるのか確かめるのにすごく時間がかかりました。車のエンジンまでついていたんですよ?」
「……親父もやっぱり修理工の息子だなあ。」
 マーク・ホワイトは、そう言って笑った。
「ところでキャンディーロ。」
 ハンニバルが、膝を抱えてがっくりとウサギのボアスリッパに話しかけているキャンディーロに言った。
「何だ?」
「1つ聞きたいことがある。」
「この際だ、何でも聞けよ。」
「マシマロ・ホワイトのマシマロ、お前さんとこの他の商品とはまるで方向性が違う。どうしてあのマシマロ・マシンに興味を持ったんだ?」
 キャンディーロは、大きな溜息をつき、そして言った。
「たまには美味い菓子も作ってみたくなったんだよ。食いもんだかオモチャだかわからん菓子にゃ飽き飽きしていてね。だが、ま、柄じゃなかったってことだろう。やはりスネーク・スイート社にはスネーク・スイート社の路線があるんだ……。さ、もういいだろ、帰ってくれ。」



 4人はエレベーターに乗り込み、堂々と正面玄関を通ってスネーク・スイート社ビルを出た。前の広場では、退役軍人病院合唱団の最後の曲『ジングル・ベル』のイントロが流れ始めていた。
【おしまい】
上へ
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