誘拐、痛快、奇々怪々
鈴樹 瑞穂
 ガンガンガン!
 耳障りな音が響き渡る。昼食の合図だ。
 どこの動物園かと思うような光景だが、ここは某高級マンションの一室。
 お玉でフライパンを叩いているのは、エプロン姿も勇ましいフェイスマンである。
 合図に応えて、方々からこの部屋の住民たちがキッチンへと集まってきた。
 ルーフバルコニーにデッキチェアを出して、台本読みという名目の昼寝に勤しんでいたハンニバルも、リビングの片隅でダンベル体操に余念がなかったコングも。
「もう昼飯か? 暑くて食欲がないんだけどねえ。食事よりもこう、冷たいビールをきゅっと……。」
「はいはい、晩飯の時にね。」
「俺ぁ腹ぺこでい。」
「わかってる。大盛りにしといたから。」
 食堂のおばちゃんよろしく、彼らをさばくフェイスマン。
 彼らはテーブルに着き、各々の前に置かれた皿から、山盛りにされたベトナム風炒飯を掻き込み始めた。
「ん?」
 お玉でぴっぴっと1人ずつ確認し、フェイスマンは首を傾げた。
 1人足りない。
 真っ先に来るはずの、ベトナム風炒飯大好き野郎が。
「ちょっと、モンキーはどうしちゃったの?」
「知らん。」
 なぜか胸を張る御大。
「朝飯の後から見とらんぞ。」
「またトイレに篭もってんじゃねぇのか?」
 どうでもよさそうに、炒飯を掻き込むコング。
 ここのところ、マードックは主にトイレに潜んで生息し、他の面々に嫌がられていた。家中で一番涼しいのがあの小部屋だと、彼は主張している。だからと言って、27階にある部屋を出て、いちいち1階のホールにある共用トイレまで行かなければならない生活に、彼らは全くうんざりしていた。
「もうっ、仕様がないなぁ。」
 フェイスマンは大袈裟に肩を竦め、エプロンを外すとレストルームに向かった。



 1分後。
「大変だー!」
 息を切らして駆け戻ってきたフェイスマンが、膝に手をついて体を2つに折りながら訴える。
「おう、ちょうどいいとこに来たな。お代わりくれ。」
「こっちもだ。」
 喜々として皿を差し出す2人に、フェイスマンは、ばん! とテーブルを叩いて抗議する。
「それどころじゃないよ! 大変だって言ってるだろ!」
「はいはい、大変大変。大盛りにしてくれ。」
 受け流そうとするハンニバルの目の前に、フェイスマンは1枚の紙を突きつけた。
 顔を寄せるようにして、その紙を覗き込むハンニバルとコング。
「何、卵1パックで12セント? 安いのか、そんなに。」
「牛乳1本20セントも底値だぜ。」
「?」
 近所のスーパーの折り込みチラシだった!
「違う、こっちだ。」
 慌てて紙を引っ繰り返すフェイスマン。
 すると、そこには。
『H.M.マードックは預かった。連絡を待て。』
 新聞から切り抜いた文字を1文字ずつ貼りつけた、涙ぐましいハンドメイドな脅迫状(?)が。文字がガタガタと斜めに貼ってあるのはお約束だ。
「何だ、それは?」
「何って、読みゃわかるだろ。」
「フェイス。」
 ハンニバルはやれやれといった表情で、部下の肩に手をかける。
「質問の意図はこうだ。つまり、なぜ、ここにそんなものがあるのか。」
「こっちが聞きたいよ。モンキーを呼びに行ったら、奴さん、影も形もなくて、トイレの壁にこれが貼ってあったんだ。」
 フェイスマンが震えているのは、この超高級賃貸マンションが壁の損傷を固く禁じているからだろう。故に、フェイスマンはこれまでトイレの壁にカレンダーも貼れないという不自由に耐えてきたのだ。その忍耐も、脅迫状(?)1枚でぶち壊し。
「ほほう、なるほどねぇ。」
 腕を組むハンニバル。
「馬鹿馬鹿しい。あのコンコンチキの新手の遊びに決まってるぜ。」
「やっぱりそう思う!?」
 コングの言葉に、フェイスマンは身を乗り出した。
「ま、十中八九、そうだろう。外部からの侵入者が、キッチンやリビングにいた我々に気づかれずに、トイレからモンキーを拉致していったとは考えにくい。」
 うむうむと頷くハンニバル。
「でも、万一、本当に誘拐だったら?」
 ちょっとだけ(当社比)、心配そうなフェイスマン。
「だとしたら、連絡が来るだろう。よって今、我々がなすべきは、腹ごしらえだ!」
 ハンニバルは厳かに宣言し、晴れやかな笑顔で、空の皿をフェイスマンに突きつけた。



 一方、その頃。
 魅惑の小部屋に閉じ篭もり、快適なマンションライフを満喫していたところを連れ出され、モンキーことマードック氏はご機嫌斜めだった。
 Aチームの一員である彼としたことが、油断したものだ。いくらマンション内だったからとは言え、いくら「『猿の惑星リメイク版のヒミツ』をあなたにだけ教えてあげる」と囁かれたとは言え、うかうかとトイレのドアを開けてしまうなんて!
 因みに、マードックは自分を拉致し、簀巻きにして連れ出した相手を一応知っていた。背の高い方がマン・ドリル、丸顔の七三分けがオラ・ウー・タン。どちらも、精神病院の患者仲間である。
 2人は自称、退役軍人病院精神科病棟の主で、確かに古株ではあった。マードックと同程度に、だ。彼らはマードックと親しくつき合いたいと思っているようだが、マードックの方はそうではなかった。「顔見知り? まあ、友達じゃないし、知り合いかな」、あくまでその程度の認識なのである。したがって、顔を合わせるたびに親しげに声をかけられても、適当に返事をしていた。彼らにとってみれば、折りに触れ、友達(フェイスマンのことらしい)があの手この手で迎えに来て、遊びに出かけるマードックが羨ましくて仕方がない。できれば仲良くなって、自分たちも一緒に連れていってほしいのだが、もちろん、マードックはそんなことには全く気づいていなかった。
 そこで、今回、ドリル&タンコンビは強行手段に出ることにした。つまり、何とかかんとか自分たちも精神病院を脱出し、マードックに接触、誘拐作戦で仲良くなりつつ、マードックの仲間にも自分たちの存在をアピールしようというのである。自分たちで脱出できたのなら、好きに遊べばいいじゃないか、と読者諸兄はお思いかもしれないが、思い込んだらどこまでも目的にまっしぐらという性質故に、彼らは精神病院に収容されていたりする。
「ふっふっふっ驚いたかね、マードック君。」
 胸を張るドリル。誉めて誉めて、と顔に書いてある辺り、ボールを取ってきた子犬と大差ない。しかし、椅子に縛りつけられているマードックの返事は素っ気なかった。
「別に。」
「ち、ちょっとは驚いたろ?」
「全く。」
「無理しなくてもいいんだぜ。」
「全っ然。」
 むきーと胸を掻きむしるドリル氏を押し退けて、タン氏が進み出た。
「とにかく、これから、あんたの仲間に連絡させてもらうぜ。」
「何の連絡だよ。」
「んなこと決まってら。マードックを無事に返してほしければ……。」
「金なんてないぜ。」
 マードックがぴしりと言う。
「先月の仕事料は、おいらが遊戯王カードを箱買いして使い込んじまった。」
 いわゆるオトナ買いっていうヤツである。
「何でそんなことを……。」
 あんぐりと口を開けるタン氏に、モンキーは滔々と語った。
「そいだけ買や、ちっとはレアカードが出ると思うだろ。とっころがところがぎっちょんちょん。開けても開けても開けても開けてもロクなカードが出やしねえ。」
 大仰に首を振るマードック。身を乗り出して尋ねるタン。
「そっ、それでどうしたんだ。」
「仕様がねえから、ちょいとヘリを飛ばして、空からバラ撒いてやったぜ。」
「ひょえー。」
 両手を上に挙げるタン氏。それは降参のポーズである。そんな彼を押し退けたは、ドリル氏だった。
「違う!! 俺らの目的は金じゃねえ。」
「違うの? じゃ何だってんだよ。」
「スリルさ。」
 どこからか取り出した帽子を斜めに被り、その辺の椅子に片足を上げて、ポーズを取るドリル。ただし、あんまり決まっていない。
「要するに、あんたの仲間への挨拶代わりってわけだ。」
「挨拶ねえ。」
 モンキーはしかつめらしく溜息をつき、立ち上がった。いつの間にか、縄抜けをしている。
「な、何だ一体!?」
 思わず抱き合うタンとドリル。その2人に向かって、マードックはとても悪い笑みを浮かべ、こう言った。
「そんなにスリルが味わいたきゃ、ついて来な。」



 数時間後。
 通り中にパトカーのサイレンが響き渡っている。
 マードック率いるオラ・ウー・タンとマン・ドリルは、ピザ屋での無銭飲食に始まり、おもちゃ屋の遊戯王カードを全て開封して散らかし、果物屋の店先のバナナを食べ、本屋に平積みされているジャンプから袋綴じ付録のカードを抜き取るという、サルの限りを尽くして追われていた。
「ひょースリル満点!」
 ご機嫌なマードックの後ろで、タンとドリルはひそひそと囁いている。
「ど、どうするよ、こんな大事になっちまって。」
「どうって、全部こいつがやったんじゃねえか。」
「そ、そりゃそうだけどよ。」
「こいつが何とか始末つけんだろ。」
「どうやって?」
「そんなこた、こっちが聞きてえよ。」
 その時、一際大きなサイレンと共に、派手なドリフトで乗りつけた車が1台。車体に燦然と輝く「MP」の文字。窓が開いて、前髪が後退しかけた男が血管を浮かび上がらせて叫ぶ。
「今日という今日は逃がさんぞ、Aチーム!」
「いよっ、待ってました、デッカー!」
 ブリキのごみバケツの上に飛び乗って拍手するマードック。
「ううぬ、マードック! 他の仲間はどこにいる!?」
「あっち、あっち。」
 マードックが指差したのは、タンとドリルが隠れている路地の方角。ひょいと身軽にごみバケツから飛び降り、マードックは路地に駆け込む。
「待てい!」
 デッカー率いるMP部隊が後を追う。
「なっ、何だ!?」
 状況を把握できていないタンとドリルに、マードックがニコニコと手を振る。
「これでそこそこのスリルが味わえるぜ。そんじゃな。」
 あっと言う間に姿を消したマードックを、呆然と見送る2人。
「待てい、逃がさんぞ!」
 待てと言われて待つ奴はいない。押し寄せるMPに、慌ててタンとドリルは逃げ出した。
「観念しろ、Aチーム!」
「俺たちゃ、そんなんじゃねえよう。」
「そんな言い訳が通ると思うか!」
「ひょえーっ。」



 夕焼けがフロリダの空を染め、カラスがねぐらに帰っていく。
「今日の晩飯は何だ、フェイス。」
 ようやく昼寝に厭きたらしく、ルーフバルコニーから撤退してきたハンニバルが尋ねる。キッチンから顔を出したエプロン姿のフェイスマンが、フライ返しを片手に答える。
「ハンバーグ。つけ合わせはマッシュルームとポテト。」
「何だ、また挽肉料理か。」
「文句言わないの、モンキーがヘンなカード買って、家計を使い込んじゃったんだから。」
「そう言やぁ、あのコンコンチキ、帰ってこねぇな。」
 エキスパンダーを使った筋トレに勤しみながら、コングが思い出したように言った。
「あれ、そう言えばそうだね。何の連絡もなかったし。」
「それはつまらんな。」
 腕を組むリーダー。
 その時、ドアが勢いよく開いて、マードックが帰ってきた。
「ただいまー。あーもう俺っち腹ペコだぜ。おっ、今日はハンバーグか。つけ合わせがマッシュルームとポテトたぁ、泣かせるね。」
「こらっ、摘み食いすんじゃない。」
 フェイスマンがフライ返しの柄でゴインとマードックを殴る。
「どこ行ってたんだよ。」
「へへ。ちょっと遊びに。」
「昼飯いらないならちゃんと言って行けっていつも言ってるだろ!?」
「まあまあ、モンキーも帰ってきたことだし、飯にしよう。」
 一見、取りなすようなハンニバルの言動は、早く食事にしたいだけ。
 そこで、和やかな夕食が始まった。
「今日はやけに外がうるせぇな。」
「そう言えば、さっきからパトカーのサイレンがやけに騒がしいね。……あ、このサイレン、MPも出てるんじゃない?」
「デッカーの旦那も大変だねえ。」
 のんびりとそんな会話を交わすAチームの面々。その傍らで、マードックは素知らぬ顔でハンバーグを掻き込んでいた。
【おしまい】
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