偽りの親子をぶっとばせ!
フル川 四万
 11月の終わり。
 ハンニバルは悩んでいた。その証拠に、先程からダイニングテーブルに広げた新聞のページが一向に変わっていない。そして、咥えた葉巻はほぼ灰になり、あと2センチで唇に達するが、本人は気づいていない。
 ロデオドライブのブティックの2階。例によってフェイスマンが調達してきたひと時の隠れ家である。
『今年もあと1カ月ちょっとだというのに、片づけるべき依頼があと5件。果たして今年中に終わるんだろか?』
 ハンニバルの脳裏には、アメリカ地図が浮かんでいた。
『アトランタ、シカゴ、ネブラスカ、サンディエゴ、オリンピック・ブールバード……。やっぱりこの順番で、東からやっつけて戻ってくるか。……いや待てよ? 近場から片づけて、クリスマスはNY辺りでパーッと、てのも捨て難いですなぁ。……やっぱ、オリンピック・ブールバードの件が急いでるみたいだったから、ちょっくら話を聞きに行ってみますかね。天気もいいし、近いし。』
 フェイスマンは固まっていた。店番(2階を借りる代わりに、ブティックの店番を頼まれている)の交代時間になったので戻ってみると、御大は新聞を見つめて難しい顔をしていらっしゃる。何だか、相当悩み深い様子。しかし服装はと言えば、黒の革ベストに雷柄のスパッツ、頭には緑のロングヘアのヅラを乗っけて。そう、1階は、当世流行のパンク・ロック・ファッションの店であった。
「ハンニバル、交代。」
 思い切って声をかけると、ハンニバルは「おお、済まん」と一言呟き、1階へと下りていった。
 フェイスマンは、紫の羽つきヘアバンドを己の頭からむしり取り、G短から伸びた生足を投げ出してハンニバルが元いた椅子に腰かけた。
「あー、疲れた。この年になってこんな靴(金のピンヒールブーツ)履くもんじゃないなあ。……しかしハンニバル、何真剣な顔して読んでたんだろ?」
 と、広げてあった新聞を手に取るフェイスマン。
「何々、尋ね人のページ? 結構いるなあ。行方不明人@ジュリー・マルロウ、16歳、去年の夏休みにムーアヘッドから女優になると言って家出――こりゃ売ってるか死んでるかだな。次、行方不明人Aチャン・ウー、チャイナタウンから『我察危険困惑莫大海底嫌悪!』と言い残し失踪――こりゃ沈んでるか消されてるかだな(←どっちも死んでます)。(中略)行方不明人M……え?」
 フェイスマンは次の尋ね人に目を留めた。
「行方不明人M……ジョン・スミス。18年前、サンディエゴの自宅から、母と私を残し失踪。職業・軍人。葉巻が似合い、ロマンス・グレイに笑顔がステキな父でした……。」
 フェイスマンは、新聞をがっと掴むと立ち上がった。
「このジョン・スミスって、まさかハンニバル!? はは、まさかね。ハンニバルに限ってそんなスマートじゃないことするわけない……よね? 待てよ、じゃあ何で、さっきあんなに真剣に尋ね人ページ読んでたわけ? やっぱこの尋ね人、ハンニバルじゃないの!?」
 フェイスマンは天を仰いだ。



 さて、ここは1階のパンク・ファッション・ブティック。ハンニバル、鋭意接客中なり。今日は休日、お客も多い。あっちの兄ちゃんにクロネコのTシャツを売りつけ、トサカ頭の姉ちゃんに鋲打ちの首輪と、死神の指輪。そして、このガタイのいいお兄さんには……。
「お客さんだと、この辺の、ほれ、シルベスター・スタローン風のニッカーボッカーなんて無茶お似合いだけど、どう?」
 と、ハンニバル。
「スタローンだと?(怒)」
 と、どっかで聞いたような声。しかも無茶機嫌ワル。
「そう、スタロ……って、何だコングかい。」
「何だじゃねえだろ。店番の手が足りねえって言うから来てやったのによ。」
「ああ、そうなの。あたしゃ、ちょっとオリンピック通りまで出かけなきゃいけなくてね。2時間ばかし店番代わってちょうだい。着替えは……いらんようだな。そのまんまで店にピッタシよ。やっぱコングはナウだねえ(溜息)。……じゃ頼むわ。」
「おう、任しときな。」
 こうしてコングは店番に入り、ハンニバルは出かけていった。



 10分後、鋭意接客中のコング。あっちの野郎にジューダス・プリーストのTシャツを売りつけ、トサカ頭の姉ちゃんに鋲打ちの鞭と、ナチス・マークの指輪。そして、このひょろっとした優男にはピンクのフリフリブラウスを……て、フェイスマンか。
「何でいフェイス、いたのか。あんまり静かなんで気がつかなかったぜ。暇なら手伝いな。こちとら忙しくって牛乳飲む暇もねえぜ。」
「コング……。」
 フェイスマンがコングを見た。その目は赤く腫れ上がっており、頬には涙の跡が残っている。コングの眉間に太い皺が寄る。
「どうしたんでい。……女にでも騙されたか? それとも、またモンキーが変な買い物でもして、資金繰りが怪しくなったとかか?」
「そんなんじゃないんだ、コング……聞いてくれる?(涙声)」
「ああん?」
 こうして、フェイスマンは事の次第をコングに語った。
「赫赫然然。」
「ふむ、そりゃハンニバルの隠し子に間違いねえな。」
 根拠なく言い切るバラカス氏。
「やっぱりそう思う? ……ハンニバル、さっきの様子だと、かなり悩んでるみたいだったし。」
「そりゃそうだろう、娘を18年も放っておいたんだ。今更、父親でございたぁ言い出しにくいぜ。」
「そうだよね……。ねえコング……俺、どうしたらいいと思う?」
「そうだなあ……。ハンニバルが気後れして実の娘に連絡を取れないでいるんなら、俺たちがお膳立てして、親子感動の再会ってのを演出してやるべきじゃねえか?」
「やっぱそれだよね。それが仲間ってことだよね。ちょっと悲しいけど。」
 と、拳で涙を拭くフェイスマン。なぜ悲しむ?
「泣くんじゃねえ。お前は辛いかもしれねえが、ハンニバル親子には、これが一番いい方法だぜ。ほら、これで涙を拭きな。」
 コングがフェイスマンに髑髏モノグラムのバンダナ(売り物)を差し出した。
「ありがとう……コングこそ本当の友達だよ……。よかった、コングに相談して。」
 本当にそうなのか?


                 *


 1週間後。
 フェイスマンは困っていた。B.A.バラカスも困っていた。H.M.マードックはヘッド・バンキングしていた。パンク・ロックに合わせて、ぶんぶんと。そして、ハンニバル・スミスは怒っていた。
 場所は、ロデオドライブのブティック2階。手には1通の封筒。と、便箋、と、1枚の紙。そして紙には、太い横倍角の電子タイプ文字で、こう書いてある。
請 求 書
 請求主は、シュガー・フィップス。請求先は、ジョン・スミス様。消印はサンディエゴ。
「……よって私、シュガー・フィップスおよびその養父ジョン・フィップスは、シュガーの実父であるジョン・スミス氏に、18年分の養育費、16万7000ドルを請求いたします、か……。」
 ハンニバルが手紙を読み上げた。
 そう。フェイスマンとコングの奔走の結果、先週めでたく発覚(?)したハンニバルの隠し子より、本日めでたく『養育費の請求書』が送られてきたのである。
「どういうことか説明してもらいましょうかね、フェイス君?」
「だって、ハンニバル、あんなに真剣に新聞の尋ね人欄読んでたじゃないか! 誤解するなって方が無理な話さ!」
「本当に心当たりはねえんだろうな、ハンニバル。話を聞いた限りじゃ、そのお嬢さんの父親って奴は、限りなくハンニバルに近いんだぜ?」
「ないです(どきっぱり)。」
 言い切るハンニバル。
「確かに19年前、もちろんあたしゃ軍人でしたから、全土の基地を転々としていましたよ。でもって、サンディエゴにも行きましたさ。だが、彼女の母親には心当たりないし、子供ができたと言ってきたガールフレンドもいない。従って、シュガー・フィップスはあたしの子供じゃ、ない。」
「だって、今現在のハンニバルの写真まで送って確認したんだよ? そしたら、この人に間違いありません、って!」
「だから間違いですったら。」
 見つめ合うハンニバルとフェイスマン。気まずい空気が流れ出す。



「それは、あれかもしれないよ?」
 と、不意にマードックが言った。本日は、下の店で調達したサイケ柄の全身タイツに、シルク・シフォンのスカーフ。そして、チノパンに革ジャン+キャップを被った人体模型(理科室にある、筋とか管とか丸見えのやつ)、その名もドッペルMを、背中合わせに背負っていらっしゃる。
「ドッペルゲンガー! そいつはドッペルゲンガーの仕業だよ!」
 また頓狂なことを……。
「知ってる? 人間には、世界中に3人の同じ顔をしたドッペルゲンガーがいるんだぜ。普段そのドッペルゲンガーたちは、社会の中に巧妙に溶け込み、何食わぬ顔で普通の生活を送ってるんだ。」
「何寝言言ってやがるんだ、こんな時によ。」
「でもって、人間は自分のドッペルゲンガーに会うと、死んじまうのさ。」
 コングの顰めっ面を気にもかけないマードック氏。
「でも、普通はドッペルたちの方でうまく本人を避けて会わないようにしてるんだけどね。中には、ドッペルゲンガーと意気投合して親友になっちまう奴もいるんだ。俺とこのドッペルMみたいに。ドッペルMは、先週、俺を訪ねてアルゼンチンから密航を……その無理が祟ってこんな姿に……ううっ(泣)。」
「何が言いてえんだ、要点を言いやがれ。」
「(立ち直って)つまりそれは、ハンニバルのドッペルゲンガーの仕業だっていうことさ。そして、ハンニバルの知らないところで、その子の母親と恋仲になって、子供が生まれた、と。」
「ドッペルもいません(どきっぱり)。」
 言い切るハンニバル。ネタにつき合うこともできないくらいお怒りの様子。
「とにかく、向こうは、父親に間違いないって言ってんだろ? 一遍、会いに行ってみちゃどうだ、ハンニバル。」
 と、コング。
「そうだよ、ハンニバル。誤解なら誤解でいいけどさ、その誤解を解かないことには、この請求書も取り下げてもらえないし、もちろん16万ドルなんて払えっこないし。それにほら、今、ちょうどサンディエゴの依頼あるじゃない。ついでにそっちも片づけちゃえば。」
 というわけで、ハンニバルの隠し子に会いに(&依頼を片づけに)、Aチームのサンディエゴ行きが決定したのであった。


               *


 ここはサンディエゴ郊外。の、田舎。かなーり寂れた雰囲気の街角に、砂埃を上げて急停車する紺色のバン。車から降り立つ、AチームとドッペルM。因みに服装は普段の通り。ドッペルMだけがサイケ柄の全身タイツと、シルク・シフォンの頬被りに身を包んでいる。



「ここか。」
 メヒコに近いこの街の鄙びた通りでハンニバルが見上げたのは、1軒のさらに鄙びたレストラン。
 Chinese Cuisine Phipps' Diner
「チャイニーズ・キュイジーヌ……中華料理屋か?」
「にしては、ウェスタンな感じじゃない? ほら、こことか。」
 フェイスマンが指差した店の扉は、確かにウェスタン仕様の両開きのバタンバタン。
「こりゃきっと、ガンマンが経営してる中華料理屋だね。ドッペルMもそう言ってる。」
「……まあ、いろいろ事情もあるんだろうさ。じゃ、行くか。さっさとあたしの誤解を解いて、依頼人のとこに行きますよ。」
 と、ハンニバル。一行は、店の扉を潜った。



「頼もう!」
 ハンニバルが叫んだ。
「誰かいねえか!」
 コングも叫んだ。が、返事はない。
「留守かな。」
「留守ってことはないでしょ。OPEN札出てたし。」
「じゃ、ちょっと待つとするか。」
 4人は、店中央の一番広いテーブル席に陣取った。条件反射でメニューを手に取る。
「どれどれ……前菜、冷菜3品盛り合わせ、クラゲのサラダ、チキンとキュウリのビネガーソース。……何だ本格的な中華料理屋じゃないですか。」
「畜生、腹が減ってきたぜ。」
「俺、チリ・シュリンプとエッグスープ。ドッペルMにはホットサワーヌードル。」
「じゃあ僕、フライドライスにビーフとピメントの炒め物。」
 と、それぞれに希望を述べ合うAチーム。そういう趣旨の訪問ではないのだが……。
 と、その時。



「パパ! パパなの!? 会いに来てくれたのね!」
 奥の扉から駆け出してきたのは、コック姿のうら若き乙女。
「パパ! 会いたかった!」
 そう叫ぶと、乙女=シュガー・フィップスは、一直線にハンニバルへと駆け寄り、抱きついた。
「うわっ!」
 椅子ごと真後ろに倒れるハンニバル。その上に馬乗りになり、腹にパンチを繰り出すシュガーさん(19)。
「バカ! バカ! パパのバカ! ママと私を棄てて出ていくなんて……。おかげで私とママがどんなに苦労したと思って!? うわァ〜ン。」
 あとは言葉にならなかった。
 ハンニバルの腹(通常は胸)を叩いて泣きじゃくるシュガーに、フェイスマン、コング、マードックの3人は、思わず貰い泣きをしてしまう。それほどに、シュガーの泣きっぷりは真に迫っていた……。しかし当のハンニバルはと言いますれば、倒れた拍子に頭を強か打ち、目の前にヒヨコが回っていたので、状況は把握できておりません。
「ジョン・スミスさんですね?」
 背後から響く冷静な声。振り返ると、そこには、ギャルソン姿の銀髪の紳士=シュガーの養父、ジョン・フィップス氏が佇んでいた。


               *


 5分後。
 立ち直ったハンニバルを中心に、円卓を囲むAチーム。と、シュガーおよび養父ジョン・フィップス。
「では、あなたは、シュガーの父親ではないと仰るんですね。」
「ああ、身に覚えはないからね。」
「そんなはずはないわ。だって、あなた、ジョン・スミスだし。それに、パパの写真にそっくり。ママが言ってた特徴にもピッタリ一致するわ。」
「ああ。私が聞いていたジョン・スミス像にも、あなたはピッタリ合致する。」
「そういうあんたは?」
 と、ハンニバル。既に相当不機嫌。
「私はジョン・フィップス。シュガーの養父だ。去年、彼女の母親と再婚して、この店を任された。もっとも、2人で頑張っていこうと誓ったジュリーは、半年前にあっさり癌で死んでしまったがね。」
「それで、義理の娘と2人でレストランをやってるってわけか。」
「ああ。それで、ジュリーの荷物を整理していたら、これが出てきてね。」
 と、2枚の写真を差し出すジョン・フィップス。
 古びた白黒のその写真には、@赤ん坊を抱く男の後ろ頭と、A食卓に向かう妙齢の女性、画面に背を向けて座る銀髪の男の肩から上が映っている。確かに、その男はハンニバルに見えないこともない。



「あ、これ、ハンニバルじゃん?」
 と、マードック。
「違いますったら。」
 否定するハンニバル。
「いや、この後ろ頭はハンニバルに違いないぜ。」
 コングも追い討ちをかける。後ろ頭だけでわかるのか?
「うん、確かにこの、髪の流れとつむじの位置、ハンニバルっぽいや。」
 と、フェイスマン。つむじの位置まで把握しているのは、やっぱり愛のなせる業でしょうか。
「どう? やっぱり、この人が私のパパでしょ?」
 涙を拭いてシュガーが言った。
「あたしじゃないったら。」
 ハンニバルは、そう言うと、不機嫌そうに黙り込んだ。その場に気まずい空気が流れる。



「だからそれは、ドッペルゲンガーの仕業だって。」
 と、マードック。
「ドッペルゲンガー?」
 とシュガー。興味を持ってもらえたと判断したマードックが身を乗り出す。
「だからね! 世界には、本人の他に3人のドッペルゲンガーがいて、そ知らぬ振りで暮らしているんだよ! だから、きっと君の父親は、ハンニバルのドッペルゲンガーなんだ!」
「3人の……ドッペルゲンガー……?」
 シュガーが呟いた。そして、しばし空を見つめて固まった。一同、シュガーに注目。
「その説は、却下だわ。」
 シュガーが言った。
「え? どうして?」
 と、マードック。
「だって、考えてもみなさいよ。本人の他に3人もドッペルゲンガーがいるってことは、実質的な地球の人口は、今の4分の1ってことじゃない! そんなの非常識よね。よって却下!」
 シュガーのあまりに説得力のある反論に、一同は思わず拍手した。



「……でも、パパが困惑する気持ちもわかるわ。18年間も忘れてたんでしょう? 今更娘です、って言われても、パパも困っちゃうわよね……。」
 シュガーは、そう言うとエプロンで涙を拭った。
「シュガー、しっかりするんだ。」
 養父ジョンがシュガーの背中を叩く。
「うん……ありがとう、お父さん……。パパ、私も、今更一緒に暮らしてほしいとか、面倒を見てほしいとか言うつもりはないの。パパにはパパの、今の生活があるってことぐらい、もう子供じゃないからわかってるつもりよ。……でも、パパがいなくなった後、ママがどんなに苦労して私を女手一つで育ててくれたかを考えると……せめて養育費でも払ってもらわなきゃ、ママが可哀相すぎる……ううぅ。」
 シュガーは、そう言うと、テーブルに顔を伏せて啜り泣き始めた。
「……というわけです。ジョン・スミスさん。シュガーも私も、別に無理なお願いをしているとは思いません。18年分の親子の時間の償いが、たった16万7000ドルで済むなら、お安いもんだと思いませんか?」
 ジョン・フィップスは、優しい微笑みを浮かべてそう言った。
「たった、って言われても16万ドルは大金だ。それに、心当たりがないものは、ない。確かに彼女は気の毒だとは思う。しかし、こんな、後ろ頭だけの写真と、ジョン・スミスっていうどこにでもある名前だけで父親にされちゃ、こっちもたまりません。」
「では、払えないと?」
「ああ、払えないね。」
 仕方ありませんね、と。ジョン・フィップス。
「では、不本意ながら、法的な手段に訴えることになりますが、それでもよろしいですか?」
「何だって?」
 声を揃えるAチーム。法的手段って……まずいじゃん、お尋ね者だし! 危うし、Aチーム!
 と、その時……。



「邪魔するぜ!」
「コラァ! 邪魔するぜ!」
「オラァ! 邪魔するぜ!」
 けたたましい声と共に、3人の男がなだれ込んできた。3人とも、ガタイのいい、カウボーイ・スタイルの野郎どもである。
「げっ、ゴロワーズ!」
 ジョン・フィップスが椅子から飛び退いた。
「おう、フィップス。貸した金、返してもらいに来たぜ。」
「か、金は近いうちに返すって言ってるだろ。」
「近いうちっていつだよ? そう言って、もう半年も待たされてるんだぜ?」
 ゴロワーズと呼ばれた男、一際大柄で、総ヒゲ、300ポンドはあろうかという巨漢が、ジョンに詰め寄る。
「コラァ、兄貴の言う通りじゃ! 今日という今日は、貸した17万ドル、耳を揃えて返してもらおうかぁ!」
 と、子分のペリン。
「じゅ、17万ドル! 先月は16万ドルだったじゃないか!」
「オラァ! 利子っちゅうのはなあ、放っておくと刻々と増えるんじゃ、このボケェ!」
 これはもう1人の子分、パリン。どうも双子らしい。そしてこの3人、職業・高利貸し。



「ハンニバル……話が急展開してない?」
 フェイスマンが囁いた。
「17万ドルの借金か……。臭えな。」
 とコング。
「先月16万ドルで今月17万ドル? 何か、すごい利子だよね……。」
「ああ、これは何か裏がありそうですよ……。」
 頷き合うAチーム。



「やめて!」
 叫ぶシュガー。
「ゴロワーズさんもお父さんもやめて! 冷静に話し合いましょう……そう、ご飯でも食べながら……。」
 ……ご飯?
「まあ……そう言うことなら、考えてやらんでもねえわな。」
 と、ゴロワーズ。
 は、何で? ご飯で?
「コラァ! 最初からそう言わんかぁ!」
「オラァ! 兄貴はなぁ、ここの中華料理が大好きなんじゃあ!」



 20分後、ゴロワーズ、パリン、ペリン、シュガー、ジョン、そしてAチームの、不思議な晩餐が始まった。
 メニューは、もちろん、フィップス・ダイナーの特選中華。数々の料理が円卓に並び、紹興酒が振る舞われた。料理は、そりゃもう絶品。シュガーは、コックとしては超一流であった。
 一通りの食事が済み、人心地着いた一同は、食後のジャスミン茶を啜り、本題に入った。
「というわけじゃ、フィップス。こっちだって慈善事業で金貸しやってるんじゃねえぞ。今日という今日は、耳を揃えて17万ドル返してもらおうか。」
 と、ゴロワーズ。
「今日は返せません。」
 と、シュガー。
「もちろん母が借りたお金はお返しします。まとまったお金が入るアテはあるんです!」
 アテって、ハンニバルのことか? それは由々しき問題であった。



 でも、それより……。
「何か気になるよな、あれ……。」
 フェイスマンが気にしていたのは、ゴマ団子のことだった。
 ゴマ団子が1つ、ゴロワーズの皿に残っているのだ。
 自分の皿に取り分けたのに、食べてないなんて。こんなに美味しいゴマ団子なのに……。もしかして、奴は甘いものが嫌い?



「ほう、返すアテってのは?」
「それは……この人です!」
 シュガーがハンニバルの手を取った。
「お、おい、嬢ちゃん。」
「誰だ? そいつ。」
「私の、実の父です! 父が17万ドル払ってくれます! だから、今日のところは勘弁して下さい! この店を取り上げられたら、私、どうして生きていったらいいのか……。」
 シュガーが頭を下げた。フィップスも頭を下げた。ハンニバルは、ぶんぶんと首を横に振った。
「……まあ、俺も悪魔じゃねえんだ。本当は、こんな美味い中華料理屋を潰すのは忍びねえんだぜ。払ってくれるってんなら、もう1週間かそこらは待ってやってもいい。何しろ、こんな美味いゴマ団子を出す店なんて、アメリカ中どこ探しても、な……。」
 ゴロワーズは、自分の皿に目をやった。……ない。
「な、ない! 俺のゴマ団子がない! おいてめえら、俺のゴマ団子どこへやりやがった!」
 ゴロワーズが叫んだ。パリンとペリンは、慌ててフェイスマンを指差した。指差されたフェイスマンは、口一杯に頬張ったゴマ団子を咀嚼しながら、肩を竦めて見せた。
 その目は、「ごめん、食っちゃった」と言っている。
「……食っ……たのか。……てめえ、俺が最後の楽しみに取っておいたゴマ団子ォォォ、ちゃんと一番大きいのを取っておいたのに、それを食いやがったのかあ!」
 ゴロワーズが立ち上がった。その勢いで円卓がひっくり返り、皿や茶碗が盛大に滑り落ちて割れた。
「ごめんごめん、もう食べないのかと思ってさ。そう言えば、好きなものを最後に取っておく奴っているんだよね。そこまで気が回らなかったわ、ごめん。」
 フェイスマン、「食べ残し」と「取ってある」の区別がつかなかったらしい。妙なところで鈍い男である。
「シュガー、ゴマ団子、お代わりだ!」
「ごめんなさい、もうないわ、ゴマ団子。」
「貴様、貴様らぁ! 許さん! 絶対に許さん! フィップス! 借金は待ってやると言ったが、あの言葉は取り消しだ! 明日までに17万2000ドル! 耳揃えて払わねえと、この店は潰してやる! 俺にゴマ団子食わせなかった罰だ! ああ潰してやるとも! いいな! パリン、ペリン帰るぞ!」
「オラァ! 明日までだ!」
「コラァ! キャッシュでだぞ!」
 そう言い残すと、ゴロワーズ一党は疾風の如く去っていった。食い物の恨みって、怖い。


               *


「……お父さん、どうしよう……。」
 散乱する皿の破片の中で、呆然とシュガーが言った。
「待ってもらえそうだったのに! 君が奴のゴマ団子を食うからこんなことに! こうなったら利子の分も含めて、18万ドル! 払ってもらおうじゃないか、ジョン・スミス!」
「ちょっと待て、どうしてあたしたちがあんたたちの借金を払わなくちゃいけない?」
 と、ハンニバル。
「どうしてって……。それはあなたが、ジョン・スミス、私の父親だからよ!」
 シュガーが、ぴしっ! とハニバルを指差した。
「結局はそこに戻るのか。だから違うって!」
「待って!」
 シュガーが叫んだ。
「もう1枚写真があったはずだわ! 確かあれには全身が映ってる! 待ってて! 持ってくるわ!」
 シュガーが店の奥へと走っていった。
「あったわ! これよ!」
 シュガーが、1枚の写真を翳しながら駈け戻ってきた。


               *


 写真が、ゆっくりと皆の前に置かれる。そこには、1人の男の後ろ姿が映っていた。銀髪、軍服。でっぷりした腹。手には葉巻を持っている。……それは、どこからどう見ても、ハンニバルその人であった。



「確かに……ハンニバルだな、こいつぁ。」
 と、コング。
「ああ、ハンニバルだね。もしくは、ハンニバルのドッペル。」
 と、マードック。
「だろう? やっぱりあなたがシュガーの本当の父親なんだ。」
 と、得意げなジョン・フィップス。ドッペル説は黙殺。ハンニバル、年貢の納め時か。
「お願い、認めて、パパ!」
 と、シュガー。
「……確かにハンニバルだよ、これ。」
 と、フェイスマンまでも。
「おい、違うって、フェイス。お前までわからんのか、これが俺かどうか……。」
 一同に沈黙が流れる。この勝負(?)フィップスの勝ちなのか? ハンニバル(そしてAチーム)は、18万ドルを払わねばならんのか?



 そして、フェイスマンが、静かに口を開いた。
「……確かにハンニバルにそっくりだよ、この写真の人。でも、ハンニバルじゃない。」
「ハンニバルじゃない?」
 声を揃える一同。
「みんな、気がつかない? この写真の変な所。」
「変って?」
「このお腹だよ!」
 フェイスがビシッと言い放った。
「この、でっぷりしたお腹!」
 でっぷりした……。その言葉がハンニバルの心にぐっさり突き刺さる。
「ほら! この出っ腹! 確かにハンニバルの腹もこれくらい出てるさ! でも、ハンニバルがデブったのって、この数年じゃん? 俺が、腹気にしてダイエット食品とか買い出したのって、そうでしょ? 19年前は、いくら何でもここまで、みっともないほどデブじゃなかったでしょ?」
「確かに、あたしがデブったのはここ数年……悪うござんしたね、デブって。19年前は、そりゃあスリムなもんだったさ。」
「そう言や、この写真の男、今のハンニバルだよね。」
「そう言われてみりゃそうだな、この出腹は、今のハンニバルだ。」
 と、コングも納得。
 全員に腹を指差して肥満を指摘されたハンニバルは、不機嫌。
「て、ことだ。この写真の人物、ひいては君の父親は、あたしじゃない。その当時デブってた、他の誰かだ。」
「そ、そんな……パパじゃないなんて……。」
 シュガーは、よろよろとくず折れた。
「じゃあ、店は……店はどうなるんですか……? 明日までに18万ドル払わないと、店は潰されてしまいます。」
 と、フィップス。
「何でそんな大金借りたんだ?」
「借りたのは2万ドルでした……。この界隈が急速に寂れて客が減り、運転資金が危なくなってしまい、つい高利貸しから……。それで、シュガーの実の父親ならと思い、新聞の広告を出したんです。」
「それで、実の父親探しが始まったってわけか。」
「利子だけで16万ドルとは、高利にもほどがあるね。」
「ああ、そいつぁ相当の悪党だぜ。」
「スミスさん、皆さん、私たち、どうしたらいいんでしょう。」
「本当なら、助ける義理もないけどさ、そんな悪党、見逃しちゃおけないんじゃない?」
 と、マードック。
「やっちまうか、ハンニバル。」
 これはコング。
「そうだな、元はと言えば、フェイスとコングが早とちりしたのが悪いんだしな。」
「済いませんね、じゃ謝礼はなしということで。」
 と、フェイスマン。
「あ、ありがとうございます……。」



〈Aチームのテーマ、流れる。〉
 床の皿を片づけるコング。
 ドッペルMにコック帽を被せてポーズを取るマードック。
 シュガーの肩を抱いて慰めるフェイスマン。
 鏡の前で目一杯腹を引っ込めてみるハンニバル。
〈Aチームのテーマ、終わる。〉


               *


 ガガーン!
 でかい爆発音と共に観音開きのドアが吹き飛んだ。ここはゴロワーズの事務所。
 煙の向こうには、バズーカを構えるマードック。躍り込んでくるハンニバル、コング、フェイスマン。
「き、貴様はっ、俺のゴマ団子食った奴!」
 食い物の件には、とてもしつこいゴロワーズである。
「てめえら、やっちまいな!」
「オラァ!」
「コラァ!」
 飛びかかってくるペリンとパリン。
 投げ飛ばすコング。
 右から左へ飛んでいくパリン。
 フェイスマンのカニ挟みで倒れるペリン。
 ハンニバルのアッパーをまともに食らうゴロワーズ。



 2分後。
 床に積み重なって伸びている高利貸しを踏みつけながら、フィップスの借用書に葉巻で火を点けるハンニバル。燃えて、灰になって飛んでいく借用書。
 かくして、借金はチャラになった。



「……ありがとうございました。」
「ご迷惑をおかけしました。」
 頭を下げるシュガー&ジョン・フィップス。
「いいってことよ。」
 と、コング。
「うん。ハンニバルの誤解も解けたしね。」
 と、最初は一番誤解していたフェイスマン。
「この写真は預かる。軍の知り合いを辿って探してみるよ、君の本当のお父さん。」
 ハンニバルは、そう言ってポケットに写真をしまった。
「では、行きますか。今年も最後の5件だ。」



 かくして、誤解の解けたAチームは今年最後の5件の仕事を片づけるべく、旅立ったのであった。
【おしまい】
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