地中海の東の果てから
伊達 梶乃
 4階建てでワンフロアに3世帯入っている核家族向けマンション。小洒落たパティオと小さなトレーニングジムつき。その1世帯分(1階の真ん中の部屋)をAチームは今回のアジトとしていた。
 フェイスマンの調べによれば、この家の持主は、この年末年始、一家揃ってハワイへ旅行中。中流階級市民のちょっと奮発した長期休暇といったところ。そのお父さんの同僚を装い、Aチームはのうのうと一般市民ライフを満喫していた。
「ハンニバル、TV見てないで手伝ってよ!」
 フェイスマンは現在、パティオの掃除中。マンションの奥さんたちに掃除を頼まれて、断れなかったのである。
 リビングのソファにどっしりと腰を落ち着けて、ハンニバルはちらりとパティオの方を見た。ツナギを着て頭に三角巾を被ったフェイスマンが、箒を振り上げ喚いている。その向こうでは、同様な装いのコングが、しゃがみ込んで雑草を引き抜いている。「パティオ掃除要員」として退役軍人病院から連れ出されてきたマードックは、何がどうしてそうなったのか、このマンションの住人全員分の洗濯物を干している。シーツからレースびらびらのブラジャーまでを黙々と洗濯ロープに干していっているマードックの顔に、最早表情はない。
 ハンニバルは満足そうに、うん、と頷いて、再びTVに目をやった。TVでは、化粧の派手な老女が腰痛を和らげる運動を繰り返している。
「ハンニバルったら!」
 フェイスマンが叫んだその時、TVの画像が乱れた。仕方なく、ハンニバルはソファから立ち上がって、TVセットをばしばしと叩いた。ようやく落ち着いてきたTVの画面には、何と……ストックウェル……。
「やあ、久し振りだね、Aチームの諸君。」
 相変わらずの胡散臭い笑顔で彼は言った。
「ああ、あんまり久し振りなもんで、あんたが誰だったか一瞬思い出せなかったよ。」
 ここで喋ったって向こうには聞こえまい、と思いつつも、ハンニバルはTVセットに向かって言った。
「済まん済まん、君たちに依頼すべき仕事がなくってね。どこもかしこも不景気でいけない。で、しっかりと思い出してくれたかね、私のことを。」
 話が通じている。一体どんな仕掛けなんだ?
「思い出せたともさ。そこまで耄碌してるわけじゃない。あんたと違ってな。」
 ストックウェルは、それを聞いて、口の端を横に引き、わざとらしい作り笑いをした。しかし眼光は依然として冷たい。色つきナス型眼鏡をつっと上げて、デスクの上で両手を組む。
「さて、本題に入ろうか。」
「嫌だ。」
 瞬時にハンニバルが答える。
「君は断れない。なぜなら……。」
 画面の横の方に向かって、ストックウェルは指先だけでチョイチョイと招いた。後ろ手に手錠をかけられたフランキーが、にこやかな美人秘書に連れられて姿を現す。
「ダディ〜。」
「えーと、誰だったっけ?」
「ひでえよ、俺だよ俺、フランキーだよお!」
 半べそをかきつつ、フランキーが訴える。
「わかってるさ、冗談だ。落ち着け、えー、フランキー?」
 語尾上がりの口調を聞いて、フランキーが悲しそうな顔をする。
「それで将軍、フランキー? を人質に取ってまでして、俺たちに何をさせたいんだ?」
「いやあ、大したことじゃない。ちょっと中東まで飛んでもらって、ある人物をこちらに連れてきてもらいたいだけだ。」
「中東? そいつぁキナ臭いな。」
「そう、だから君たちに打ってつけだと思ってね。」
「ハンニバル! TV相手に何喋ってんの? 遂にボケちゃった?」
 パティオからフェイスマンが失礼なことを言う。
「失敬な、ボケちゃいませんよ。ストックウェルから仕事の話だ。お前も聞くか?」
「ストックウェル? ……ハンニバル、聞いといて。こっち忙しいから。」
 フェイスマンにとっては、政府が依頼してきた仕事よりも、パティオの掃除の方が大事。
「というわけなんで、話は手短に頼むよ。」
「よし、すぐに資料を届けさせよう。」
 次の句を口にしようとストックウェルが人差し指を立て、口を開いて息を吸ったその時、ドアチャイムが鳴り、新聞受けに何かが投入される音がした。それを取りに行くハンニバル。封筒の中に、写真と地図と、タイプ打ちの資料が。その他、偽造パスポートと偽造ビザと航空チケット等々。
「それらを見てくれれば、仕事の内容はわかってもらえると思う。」
「ふむ。この何とかという男を彼の荷物と共に、こっちに連れてくればいいんだな。」
「そう、その通り。多少の妨害は入ると思うが、君たちにとっては他愛もないことだろう。言っておくが、我々は彼を誘拐するのではない。向こうに拉致・監禁されているのを救出するのが、今回の任務だ。」
 ストックウェルが念を押す。そう言われると余計に怪しい気がするのはなぜだろう。
「それと、私から1つプレゼントだ。」
「プレゼントだって?」
 ハンニバルは資料に向けていた目を上げた。
 ヒュ〜〜〜〜〜…………ゴンッ!
 鈍い音がして、コングが前のめりに倒れた。その頭の脇には、今まで存在していなかったレンガが1個、転がっている。
「どうも。」
 コングからTVに視線を戻し、ハンニバルは短く言った。



 Aチームは、書類の指示通り、ロサンゼルス国際空港に向かっている。コングは既に気を失っているため、バンのハンドルを握るのはマードック。その装いと言ったら……いつもの革ジャンの上にシーツをまとい、いつものキャップの上には真っ赤なブラを装着。首の周りにはタオルを幾重にも巻いていて、キャップのつばには色とりどりの洗濯ばさみ。そして実は、今は見えないけれども、胴体にはいくつものブラを装備しているし、キャップの下には何枚ものパンティを被っている。かなり変態めいた姿であることよ。
「白いシーツを棚引かせ〜、真っ赤なブラジャ〜正義の証。自在に伸び〜る物干し竿で、憎き敵を打ちのめせ〜。シュルルンルンルン洗濯ロープに、パチパチパチンと洗濯ばさみ、陰干しネットで救出だ〜。キャプテン・ランドリーは、今日も〜行〜く〜。あ、ゴー。あ、ゴー。あ、ゴーゴーゴー。」
「で、このヨセフ・ゲルトシュタインって人を連れてくればいいわけ?」
 マードックの歌を無視して、フェイスマンが白黒写真を手にハンニバルに聞いた。
「そうらしいんだが、この男が何者か、どこにも書いてない。」
「んー……科学者っぽくない?」
 写真の中の紳士は、きっちりと撫でつけた白髪と鋭い顎が、真面目だが偏屈という印象を与えている。
「科学者か……あり得るな。」
 ハンニバルはそう呟いて、地図に目を落とした。地中海沿岸の何となく物騒な地域。どことは敢えて言わんが、某マイムマイム国よりも北。
「こりゃ、ちょいと気を引き締めんといかんかもしれん。」
 リーダーの珍しく険しい面持ちに、フェイスマンは無言で頷いた。



 ロサンゼルスからNYを経由し、さらにパリを経由し、指定の空港に無事到着したAチームは、既に疲れていた。地球を約半周したようなものなのだから。
「連絡員はどこだ?」
 不機嫌にハンニバルが、誰にともなく聞く。書類には「現地連絡員の接触を待て」と書いてあるのだが。
「わかんないよ。連絡員がどこの誰なんだかわかんないんだし。」
 車椅子に乗ったコング(未だ気絶中)に凭れて、フェイスマンが正しいことを呟く。
「言葉もさっぱりわかんないし、コングがいつ起きるかもわかんないし……はー……。」
 深い深い溜息をつくフェイスマン。
「それより、さっき俺っち気づいたんだけどさ、これ……。」
 と、未だキャプテン・ランドリーなマードックがコングの頭部を指差す。
「ここ、ここんとこ。凹んでる? それとも、ジャスト・ア・気のせい?」
 ハンニバルとフェイスマンは、マードックの示す場所を見た。モヒカンのちょっと横。
「うむ、凹んでるな。」
「最初っから凹んでたんじゃない?」
 引き攣った笑顔で顔を見合わせる3人。その表情は、「気づかなかったことにしておこう」と言っていた。
「さあて。」
 ハンニバルが背を伸ばして口を開く。
「待とうじゃないか、連絡員を。」
 そして、ベンチの方をびしっと指した。



 空港のベンチで、Aチームはひたすらに連絡員を待っている。と言っても、両替しに行ったり、買い物しに行ったりと、うろちょろはしているのだが。
「キャプテン・ランドリー第25話、キャプテン・ランドリーと謎の染み。……キャーッ、助けて、キャプテン・ランドリー! 午前10時の住宅街に女性の悲鳴がこだまする。むむっ、この声の主は、トビー君のママだな。行くぞ、相棒ソフター・アーンド・ハイター! ばびゅーん。どうしたんだい、マシュー君のママ。ああ、来てくれたのね、キャプテン・ランドリー。この染みが落ちないの……落ちないのよー! よよと泣き崩れるママ。どれどれ、見せてごらん。こ、この染みは……! キャプテン・ランドリーの脳裏にドクター・エンザイムの姿が過った。」
 マードックは延々とキャプテン・ランドリーのストーリーを語っている。
「ドクター・エンザイムって誰?」
 フェイスマンがハンニバルに問う。
「初出キャラにつき、敵なんだか見方なんだかわからん。」
「ソフターとハイターって、どっちがどっちだっけ?」
「ええと、白に茶のブチなのがソフターで、茶に白のブチがハイターだっけかな。」
 結構キャプテン・ランドリーを楽しんでいる2人なのであった。因みにソフターとハイターは犬、らしい。
 と、その時。
「Aチームですか?」
 ステキな口ヒゲを蓄えた40男が、英語で彼らに声をかけてきた。
「そうだが。」
 平然と何の感情もなく答えるハンニバル。
「遅くなってごめんなさいです。私、連絡員のムハンマド・ハーミドゥ言います。」
 Aチームの3人は、ムハンマドが喋り終える前に腰を上げ、「さあ、とっとと行きましょう」モードに入った。何しろ4時間以上も待たされたのだから。
「ごめんなさいです。許しておくれなさいです。」
「怒っているわけじゃないさ、ムハンマド。俺たちはただ、早く任務を終わらせたいだけだ。」
 縋りつくムハンマドを引き剥がし、ハンニバルが言う。
「それに、俺たち、ちょっと疲れてるんだ。ずっと飛行機に乗りっ放しだったんでね。」
 スーツを掴んでいるムハンマドの手をむしり取り、寄ってしまった皺を伸ばしつつ、努めて穏やかに言うフェイスマン。
「ムハンマド、我々と共に戦ってくれる君に、勇者の証を授けよう。」
 キャプテン・ランドリーの姿に気後れしながらも、マードックの一挙手一投足を見守るムハンマド。恭しく、実に恭しく、マードックはムハンマドの開襟シャツの胸ポケットに洗濯ばさみをつけた。
「あ、ありがとうございますです!」
 本当に喜んでいるムハンマドを見て、ハンニバルとフェイスマンは口を半ば開けたまま固まった。
「これは洗濯ばさみですね。でも木じゃないです、プラスチックです。とても画期的です。濡れても腐ることがないです。素晴らしい技術です。私、これを大事にするです。恐らく、私の妻は、これを見て涎を流すでしょう。」
「あ、そう。じゃあ、もっとあげる。」
 マードックはキャップのつばに装着していた洗濯ばさみをパチパチと外して、両手一杯のそれをムハンマドに渡した。
「奥さんにもプレゼント。サイズ、合うといいんだけど。」
 もぞもぞとブラをいくつか外し、丸めて渡す。
「こ……これは……! むふふふ、私の涎が垂れるです。」
 にやけているムハンマドに、ハンニバルが冷たく尋ねた。
「で、連絡員。我々はこれから何をすればいいのかな?」



 所変わって、ムハンマドの家のリビング。Aチームは床に座って、低いテーブルを囲んでいた。薬臭い濁ったコーヒーは飲み放題、干しナツメは食べ放題。でも、あんまり嬉しくないAチームであった。
「コングさん、治りましたです。」
 ムハンマドがコングを引き連れてリビングに入ってきた。ムハンマドの弟、ムスターファには医学の心得があるということで、コングの凹んだ頭を診てもらっていたのである。
「どうやって治したの? こんなにすぐに。」
 不思議そうにフェイスマンが尋ねる。
「骨の凹みは治してないです。アンモニアを嗅がせて無理矢理起こしましたです。」
 それ、ちっとも治ってない……。
「大丈夫か、軍曹?」
「畜生、まだふらふらしやがる。つぅ……。」
 頭の凹んでいる辺りを押さえて、コングが訴える。
「痛み止めを持ってくるです。」
 ムハンマドが別の部屋に姿を消した。
「一体、誰がやりやがった?」
 床に腰を下ろして、コングが問う。
「ストックウェルだ。」
 正直にハンニバルが答える。
「ストックウェルの野郎か。……じゃ仕方ねえな。」
 そう言って、コングは干しナツメをむしゃむしゃと食べ始めた。
「痛み止めと牛乳です。」
 壷に波々と注がれた牛乳とグラスと鎮痛剤を乗せたトレイを手に、ムハンマドが戻ってきた。
「おう、ありがてえ。」
 早速コングは鎮痛剤を口に放り込み、牛乳を壷から直接飲んだ。
「ぷふう、美味え。」
 そんなコングを見て、ムハンマドは満足そうに微笑み、テーブルの上に地図を広げた。
「では、仕事の話するです。よいですか?」
「願ったりだ。」
 ハンニバルが大きく頷く。
 ムハンマドの要領を得ない説明を要約すると――ヨセフ・ゲルトシュタインは図1の建物に監禁されており、その建物の見取図は図2、ムハンマドの家からその建物までの地図が図3である。ゲルトシュタインが監禁されている部屋および彼の持ち物が置かれている部屋(図2参照)と、そこに至るまでの敵側人員配置は、図4の通りである。重火器をムハンマドが入手することは諸般の理由により不可能なため、もし万が一必要な場合は、図5に記された基地に忍び込んで盗んでこなくてはならない。ゲルトシュタインと彼の荷物を奪回した後、何らかの手段によってアメリカへ戻る。期限は、今年中(必着)。
「つかぬことを聞くが、ムハンマド、今日は何日だ?」
「12月29日です。」
 それも、既に夜。これから作戦を練って、帰りのプランも考えて、作戦を実行して、連れて帰って、となると、時差を考慮に入れても、締切間近と言って間違いない。マードックがキャプテン・ランドリーに興じる暇もない。
「よし、まずは下見だ。フェイスとコングはゲルトシュタインが監禁されていると思われる建物を、俺とモンキーは基地を。いいな?」
 部下3名は、リーダーの言葉に、行動を開始した。



 数時間後。
「基地の警備状況は、ゲイト以外はどうってことない。どこからでも潜り込めそうだ。」
 地図の上に書き込みをしながら、ハンニバルが言う。
「暗くて見えなかったけど、何種類かヘリの音がしてたぜ。」
「ヘリで攻撃するほどのことではあるまい。帰りも、正攻法で空港から帰るのが一番手っ取り早いだろう。」
 納得の行くリーダーの意見に、マードックも多少不満は残るが異論はなかった。
「ゲルトシュタインが監禁されてるの、その地図にある建物に間違いないと思う。本人を確認したわけじゃないけど、番犬にスーツ食い千切られた。」
「あの犬さえおとなしくさせときゃあ、あとの警備は決して厳重じゃねえ。むしろ問題は、俺たちが外国人だってことが見た目でバレちまうことと、言葉が通じねえってことだ。言葉が通じなけりゃ、必要なもんの調達もできねえし、敵を騙くらかすわけにもいかねえ。」
「その辺は、ムハンマドに協力してもらうさ。」
 ハンニバルは冷めた濃いコーヒーをちびりと飲み、ニヤリと笑った。
「奴さん、忙しくなるぞ。」



〈Aチームの作業テーマ曲、かかる。〉
 朝、テーブルの上に置かれた紙(注文リスト)を見て愕然とするムハンマド。慌てて受話器を取る。
 すやすやと眠っているハンニバル。なぜか口元は笑っている。
 肉屋で肉を買うムハンマド。白熱した値段交渉。
 困った顔で眠っているフェイスマン。時折、哀しげに口が開く。
 中古車販売店で値段交渉をしているムハンマド。かなりオーバーアクション。
 大の字になって眠っているコング。だいぶ涎が垂れている。
 弟に薬品を分けてもらうムハンマド。
 洗濯ロープに絡まって眠るマードック。端から見れば、絞殺死体。
 怪しげな地下室で、偽造書類と拳銃、銃弾、手榴弾を受け取るムハンマド。当然、値段交渉が始まる。
〈Aチームの作業テーマ曲、終わる。〉



 30日、夜。
「おはようございますです、皆さん。よくお休みできましたですか?」
 ムハンマドがリビングに入ってきた時、Aチームは既に爽快な表情でテーブルを囲んでいた。
「ああ、旅の疲れがすっかり取れたよ。」
「食事も、奥さんに出してもらったしね。」
「それはよかったです。」
 彼は表情なくそう言い、抱えていた袋をテーブルの上にどさりと置いた。
「私、もうお金ないです。」
「すぐにストックウェルが送金してくれるさ。」
 ハンニバルは早速、袋の中を覗き込んだ。
「犬用の肉、速効性睡眠薬、ゲルトシュタインのパスポートとビザ、明日の飛行機のチケット5枚、車は?」
「家の裏に停めてあるです。鉄板や溶接トーチなどは倉庫に置いてあるです。」
「銃は?」
「それも全部倉庫にあるです。」
「ご苦労。……さてと、準備にかかりますかな。」
 Aチームは腰を上げ、代わりにムハンマドがヘタリと床に座り込んだ。



〈Aチームの作業テーマ曲、再びかかる。〉
 中古の自家用車に鉄板を取りつけ、装甲車に仕立てるコングとハンニバル。実に真剣に、黙々と。
 ムハンマドの奥さんからマントとベールを借りるフェイスマン。何ら邪な態度もなく、生真面目に。
 肉を手頃な大きさに切り、睡眠薬をまぶすマードック。微々たる遊び心も押さえ込み、着実に。
 武器をチェックしながら、ツギハギ装甲車に積み込むAチーム。約2割は不良品。
 領収書を繰りながら電卓を叩いて溜息をつくムハンマド。一文なしで、明日からどうやって生きていけばいいのだろう? そうか、しばらくムスターファの世話になればいいのか。何だ、そうか、ははははは。
〈Aチームの作業テーマ曲、再び終わる。〉



 準備も整い、一眠りしたAチームと、開き直ったムハンマド。清々しい大晦日の夜明けである。
「気をつけて行ってらっしゃいです。作戦の成功をお祈りしますです。」
 いざ出陣、といった態のAチームに、ムハンマドは明るい顔で言った。
「何言ってるんだい。あんたも来るの。」
「え?」
 戸惑うムハンマド、容赦なく車に押し込められ、Aチームと共に戦いに赴くのであった。頑張れムハンマド! 負けるなムハンマド!



「ムハンマドが揃えてくれた武器弾薬だけで十分だと思うが、もしゲルトシュタイン奪回後に敵の追っ手が甚だしつこいようなら、基地に潜り込んで備品を補充し、攪乱かつ撃退することにしよう。その際には、ヘリを利用するかもしれん。わかってるな、モンキー?」
 助手席のハンニバルが、後ろを振り返る。
「ラジャー。お任せあれ。」
「ヘリを使わずに済んでも、駄々捏ねるなよ。フェイス、変装はどんな感じだ? 上手く行ってるか?」
「うん、美人になってるよ、俺。」
 マントとベールを被って、唯一表に現れている目元に入念なメイクを施している最中のフェイスマン。
「ムハンマド、君はフェイスと一緒に、ゲルトシュタインが囚われている建物の入口の辺りで、敵の気を引きつけていてくれ。その間に、俺とコングがゲルトシュタインを掻っ攫ってくる。もちろん、彼の荷物もな。」
「は、はいです。それぐらいのことならお手伝いできますでしょう。フェイスさん、綺麗ですし。」
「ホント? 俺、綺麗?」
「私の妻より綺麗です。」
「それはいいとして、ムハンマド、このゲルトシュタインってのは何者なんだ?」
「知らないですか? ゲルトシュタインは世界的に有名なバイオリニストです。某マイムマイム国出身で、アメリカで大活躍していたです。彼の乗っていた飛行機がこの国に不時着してしまって、テロリストに捕らえられたです。」
「バイオリニスト? バイオロジストじゃなくて?」
 バイオリニストのバはv、バイオロジストのバはb。ムハンマドの発音だと区別できない。
「ってことは、そいつの荷物ってなぁ、バイオリンか?」
「そうです、バイオリンです。とても高いものです。」
「なるほど、国家間の微妙なバランスを保つために、秘密裏にゲルトシュタインを救出しようと、アメリカ政府は俺たちに依頼してきたってわけか。」
「その通りです、ハンニバルさん。世界的芸術家の救出に、私の国もアメリカやマイムマイム国に加担したいのは山々です。でも、そうしてしまうですと、周りの仲間の国々に申し訳が立ちませんです。かと言って、放っておけば、アメリカやマイムマイム国が私の国を攻撃しますです。とても困りましたです。だから、私の国、こっそりアメリカと話し合って、あなた方にお願いしたです。」
 そういうことは最初に言え、とハンニバルは思ったが、黙っていた。今更ムハンマドやストックウェルに文句を言ってもどうしようもない。
 ともあれ、非常にデリケートな事件なのである。失敗するわけにはいかない。
「でも、何で期限つきなの? 体調が芳しくないとか?」
 被救出者が病気なのであれば、それなりの対策を取らなければならない。
「それも知らないですか? ゲルトシュタインは正月にNYで開かれるニューイヤー・コンサートに出演するです。このコンサートにゲルトシュタインが出ないとなると、アメリカ政府は恥をかきますです。それは、アメリカの大統領が他の国の偉い人たちをこのコンサートに招待しているからです。なので、ゲルトシュタインは今年中にNYに到着している必要があるです。テロリストも、このコンサートのことを知っていて、だからこそ彼を監禁しているです。でも、大丈夫です。彼は病気や怪我をしていませんです。そのことを調べてきた仲間、死にましたですけど。」
「そうだったのか。地図も見取図も、よく調べてあったぜ。」
「地図と見取図を作ったのは別の仲間です。5人くらい殺されて、10人くらい捕まって行方不明です。恐らく、みんな今頃は死んでいますです。」
 4人の眉間に皺が寄った。そんなに手強い相手なのか?
 そうこうするうちに、ゲルトシュタインが囚われている建物の近くまで来てしまった。もう後戻りできない。締切もあることだし。
「調査員の皆さんの死を無駄にしないためにも、やるしかないでしょう。」
 悲愴な面持ちで頷く一同。作戦開始である。



「あのー、済みません。」
 建物の門前に立っている男に、ムハンマドが声をかけた。
「うちの奴が飼ってる猫が逃げちまいまして、この中に入っていったって話を聞いたんですが、ちょっと庭を調べさせてもらえませんでしょうかね?」
 ムハンマドの背に隠れるようにしていたフェイスマン(女装)が、ちらりと目元を覗かせる。因みに、意外かもしれないが、ムハンマドはフェイスマンよりだいぶ背が高い。
「猫だと?」
 一瞬、隠し持った銃を構えようとした見張りの男だったが、その手を戻した。
「どんな猫だ?」
「結構でかくて、色は黒だったっけか?」
 フェイスマンが、ムハンマドの耳元に口を寄せ、ごく小声で何事か囁く。見張りには聞こえないくらいの声で。
「黒と白のブチ。」
 と、ムハンマドが訂正する。そして、フェイスマンは訴えかけるような視線を見張りの男に向けた。
「白黒の猫か。この辺にゃ猫多いんだけどよ、ここの庭にゃ猫も寄りつきゃしねえ。」
「どうしてです?」
「番犬がいるんでね。もしかしたら、おたくの猫、何も知らずにここの庭に入ってきて、犬に食われちまったかもな。」
 ムハンマドは素早く小声でフェイスマンに「泣き真似するです」と伝えた。フェイスマンは理由も聞かず、マントで覆われた両手で目元を隠し、肩を震わせ、ムハンマドの背に倒れかかったかと思うと、ずるずるとくず折れた。
「お、おい、奥さん……。」
 そこまで泣かれると予測していなかった見張りの男は、跪いてフェイスマンの肩に手をかけているムハンマドの隣にしゃがみ込んだ。
「な、何も、あんたの猫が確実に犬に食われたって言ったわけじゃねえんだからよ。そんなに泣くなって。」
 一方、建物の裏手では、既に睡眠薬つき肉が塀の内側に投げ込まれ、凶暴な番犬3頭はぐっすりとお休み中。銃と洗濯ロープとシーツその他を持ったコングとハンニバルが、装甲車のルーフに登って塀を越え、敷地内に入る。
 門の前では。未だフェイスマンは泣き真似を続けていた。見張りの男だけでなく、建物内にいた男たちが、何事かと思ってぞろぞろと姿を現す。いちいち猫の説明を繰り返すムハンマド。さらにムハンマドは、彼の妻がいかにその猫を可愛がっていたかを熱く語った。そして、夫である自分が、今までいかにその猫に無関心でいたかを、反省を込めて詩的に語った。ムハンマドのでっち上げた物語は、語り口も相俟って、集まった男たちを魅了していった。
 ムハンマドのお蔭で、建物内にはすっかり人気なし。1階の窓から難なく建物内部に潜入したコングとハンニバルは、2階に上がり、ゲルトシュタインを発見。鍵をこっそりと壊し、扉を開ける。ゲルトシュタインは手錠でガス管につながれていたが、こんなこともあろうかと持ってきていた針金でコングが手錠の鍵を開けている間に、ハンニバルが隣の部屋に忍び込む。火器や重火器や爆弾の材料などがそこここに置かれた部屋に、場違いなバイオリンがあった。バイオリンケースは見当たらなかったが。弓も探し出し、バイオリンと弓とをシーツにまとめて包み、背に担ぐ。隣の部屋に戻ると、コングがちょうど手錠の鍵を開けたところだった。2階の窓を静かに開けて、洗濯ロープを塀の外に投げる。実は、この洗濯ロープ、ワイヤー入りなのである。それを塀の外で待機していたマードックが受け取って、装甲車に結わえつける。強化洗濯ロープを伝って、3人と荷物は無事、建物の外へ。
「ゲルトシュタインが逃げたぞ!」
 門の前でムハンマドの話に聞き入っていた男たちが、建物の中に駆け込んでいく。入れ替わりに、装甲車が門の前に回り込んできて、ムハンマドとフェイスマンを回収する。
 それに気づいた男たちが装甲車に向かって銃を撃ってきたが、短銃の弾などものともせず、積載量オーバーの装甲車は精一杯の速さで空港に向かって走り去っていった。
 飛行機の搭乗手続き時間ギリギリぴったりに、一行は空港に駆け込んだ。装甲車の中でマントとベールを脱いだフェイスマンは、それらをムハンマドに返し、ムハンマドは一人、装甲車を即刻処分するために、装甲車に乗って空港を離れた。「ご苦労さま」も「さようなら」も言わずに。バイオリンと弓だけを抱えたゲルトシュタインと、ほとんど手ぶら(パスポート等のみ所持)のハンニバル、コング、フェイスマン、そしてキャプテン・ランドリーとしての装備もほとんど失ったマードックは、怪しく見えない程度の早足で機内に逃げ込み、飛行機に爆弾が仕掛けられないように、飛行機が撃ち落とされないように、テロリストたちが追いついてこないように、飛行機が定時に離陸してくれるように、機内食がまともなものであるように祈りつつ、コングは自ら睡眠薬を飲んだ。
 みんなで祈ったからか、作戦が上手く行ったからか、飛行機は定時に問題なく離陸し、撃ち落とされもせず、爆発もせず、乗っ取られもせず、乱気流に巻き込まれもせず、しかし機内食は出なかった。イスタンブールでパリ行きに乗り換え、パリでNY行きに乗り換え、ケネディ空港に到着したのは、現地時間12月31日の23時58分。
 空港で待機していた政府の輩が、ゲルトシュタインを歓迎し、Aチーム一同も共にリムジンに押し込まれた。
「コンサートは0時0分に開演です。」
 ぴしっとスーツを着た銀縁眼鏡の男が静かに言った。
「そして今現在、0時15分です。」
 世界的バイオリニストのゲルトシュタインは、恥も外聞もなく、リムジンの中で着替えを余儀なくされている。
「コンディションはいかがですか?」
「私は大丈夫だ。ただ空腹なだけで。それよりバイオリンと弓の方が問題だ。ステージに上がる前に、5分ほど時間をいただけるかな?」
「5分程度ならば問題ないでしょう。」
 5分でどうにかなるのか?
「それと、松脂を貸していただきたい。」
「承知いたしました。」
「あ。」
 燕尾服を着終えたゲルトシュタインが絶句した。
「どうしました?」
「……私のミュートが……。」
「ミュート?」
 政府の男とAチーム全員が口を揃えて聞いた。
「ああ、弱音器だ。特別製のな。プラスチックの黒いクリップのようなものを見なかったかね?」
「黒いプラスチックのクリップ? それならあったぞ。爆弾の部品じゃなかったのか。あんたの持ち物だとは思わなかったんで、きっとまだあの建物の中にあるだろう。」
 ハンニバルが答え、ゲルトシュタインは額に手を当てて天を仰いだ。
「あれがなければ、今日の演奏は……。」
「市販のミュートではいけないんですか?」
「市販のものでは、音が消えすぎてしまう!」
「あのさ……これ、どうかな?」
 マードックが洗濯ばさみを差し出した。
「どれ? 洗濯ばさみか……。」
 ゲルトシュタインは洗濯ばさみを受け取って、材質、挟み具合などを確かめた。
「試してみる価値はある。」
 リムジンがホール前に到着し、ゲルトシュタインとAチーム一同、そして政府役人は、一団となってコンサートホールに駆け込んだ。ゲルトシュタイン用の楽屋に雪崩れ込み、早速ゲルトシュタインは、用意されていた松脂を弓に塗り、バイオリンの試奏を始めた。4つの洗濯ばさみで各々の弦を挟み、洗濯ばさみを駒に添わせる。それと共に、調弦を行う。
「うん、なかなかいい。これを使おう。」
「ミスター・ゲルトシュタイン、そろそろ出番です。」
 インターホンからお呼びがかかった。
「ありがとう。君の名は?」
 ゲルトシュタインはマードックの手を取って尋ねた。
「キャプテン・ランドリー。」
「本当にありがとう、キャプテン・ランドリー。そして部下の皆さん。」
 そう言って、ゲルトシュタインは颯爽とステージへと向かっていった。
「……誤解されたな。」
「オイラのせいじゃないぜ。」
「それにしても、元気な爺さんだ。」
「あっ、俺、メイク落とし忘れてた……。」
 Aチーム一同はぐったりとして、楽屋のモニターでゲルトシュタインの演奏を聞いていた。クラシック音楽はよくわからない彼らだが、ゲルトシュタインのバイオリンの音は、疲れた体と心に優しく染み渡った。
 カメラが陶然となっている客席をパンしていく。
「あれ、ストックウェルとフランキーだ。」
 フェイスマンが客席の2人を発見し、モニターを指差した。
「奴ら、グルだったのか……?」
 コングが忌々しそうに言い、頭の凹みを撫でる。
「いや、きっとフランキーがコンサートに連れてけってうるさく言ったんだろう。そういう奴だ。」
 ハンニバルは葉巻に火を点け、煙を長々と吐き出した。
「案外、ストックウェルも甘いな。」
 今や、ムハンマドのことなど、とうに忘れているAチームであった。
【おしまい】
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