スモウ・レスラーをブっ飛ばせ!
フル川 四万
 果てしなく続くフリーウェイをひた走る紺色のバン。
 開け放った窓から、風に乗って流れ出す軽快なナンバー。と、褐色の太い腕。



「お送りしました曲は、『トリオ・ザ・ミルク』。この夏オイラ一押しのナンバーだよっ。リクエストをくれたのは、住所不定、職業不定、ラジオネーム・パパイヤ娘、本名テンプルトン・ペックちゃんでしたっ。さあて次の曲は、カリフォルニアのエイミー・アマンダー・アレンちゃんからのリクエスト、『アクアドラゴン哀愁のテーマ'87』……。」
「フェイスにエンジェルだとぉ!?」
 B.A.バラカスは、眉の間にぶっとい皺を刻むと、後部座席を振り返った。
「おいモンキー! 何でラジオからてめえの声が聞こえてきやがるんだ!」
 呼ばれたマードック、反応なし。本日の格好は、普段通りの革ジャン+チノ+帽子。
 あれ? 今回は彼氏、何にもかぶれてないの? と思うのは早合点ってもんで、頭にはしっかりヘッドフォンが装着されてるし(だからコングの声は聞こえない)、右手にはレディオマイクが握られてるし、膝の上には何だかツマミが一杯ついた黒い箱を抱えている。
「おい、聞こえねえのか、てめえ!」
 コングが振り返ってマードックのヘッドフォンをむしり取ろうと手を伸ばした。
「コング、前、前! 危ないって!」
 お留守になった運転をフォローすべく、助手席のフェイスマンが片手でハンドルを支えた。
 車は、一瞬微妙に蛇行した後、何とか通常の走行に戻った。
「え? 何? 何か言ったぁ?」
 やっと騒ぎに気づいたマードックが、顔を上げた。
「何でFM局からお前の声とコンコンチキな音楽が聞こえてくるんだって言ってるんだ。俺は、カントリー・ミュージックが聞きたかったのに!」
「コンコンチキとは失礼な! 仮にも、テネシー州ナンバーワンのディスクジョッキー、DJハリケーン様が最新のヒットナンバーをお届けしてんだぜ!」
「DJハリケーンだぁ? そりゃ誰だ、お前のことか! で、何でナッシュビルの地方局にそんなもんが流れてんだ。俺のジョン・デンバーはどこ行っちまったんでい。」
「しょうがないじゃん、ちょっと細工したら電波ジャックできちゃったんだもん。」
 と、黒い箱のツマミを回すマードック。
「電波ジャックだと!? てめえ、そんなことして当局にでも傍受されたらどうするつもりだ。でなくても最近キナ臭ぇ話が立て込んでるってのに……。」
「まあいいじゃないか、もうすぐ着くんだし、デッカーだってテネシーくんだりのローカル放送まではチェックしてないだろう。」
 という声と共に、バンの一番後ろの席で広げられていた新聞の上から、プカリと円形の煙が上がった。
「そんなことより、ご覧なさいよ、この新聞記事。」
 と、ハンニバル。差し出したのは、地元のスポーツ紙の3面。
「『TLPW興行にて、当団体のトップレスラー、サモアン・キング、ミラクル・チェリー組がタッグ王座防衛! なるか、前人未到の十連覇!』……依頼人、結構なスターらしいじゃありませんか。」
 新聞の写真では、腰の周りにぐるっとバナナをつけた身長2メートルはあろうかという巨漢のサモア人レスラーと、ピンクのロングタイツの金髪の美少年が、ベルトを掲げてにっこり微笑んでいる。
「ああ、地元じゃ結構な人気らしいぜ、ジョナサンとガズバン。」
「ジョナサン?」
「ジョナサン・ロイド。サモアン・キングの本名だ。」
「てことは、この人、サモア人じゃないの?」
 と、新聞を指差すフェイスマン。
「アイルランド人だ。」
「アイルランドの青年が、プロレスラーになりたくてアメリカに来たと。」
「ああ、しばらくNWAの前座でサーキットしててな、俺とはその時知り合ったんだ。センスはいいんだが、サモア人にしか見えないあの風貌から、メジャーで上行ける雰囲気じゃなくてな。そこで、同じくレスラーの卵だったガズバンの地元で一旗揚げようと、ナッシュビルで団体起こしたって話だ。……経営は上手く行ってるって聞いてたんだがなぁ。」
 そう言うと、コングは溜息をついた。
 旧友、ジョナサン・ロイド(サモアン・キング)と、その相棒のガズバン・レイジ(ミラクル・チェリー)から「助けてくれ」の手紙が届いたのが3日前。防衛して喜ぶ姿が載った新聞の日付は、その10日ほど前。数日の間に、一体何があったというのだろうか……。



「着いたぜ、ここだ。」
 数十分後、バンは、ナッシュビル郊外の野っ原に建つ、プレハブの建物の前に滑り込んだ。
 車を降りた4人。の前に、ぽっかり口を開けるドーム型の入口。入口の上には『TLPW(テネシー・レジェンド・プロレスリング)道場』のどでかい看板がかかっている。
 コングは、深呼吸を1つすると、建物の中に歩を進めた。



 広い道場の中には、リングが1つ。その周りに、ウェイトのマシーンやダンベル、マット。トレーニングに励む若者数名。いかにも、というプロレス団体の道場である。
 ウェイトをしていた若者が、ギロリ、とコングを見たが、コングに倍の眼力で睨み返されて、呆気なく目を逸らした。
「ジョナサン!」
 コングは叫んだ。
「ジョナサン! ガズバン! 来たぜ!」
 道場の高い天井に、コングの声が木霊する。
「留守なんじゃないか?」
 あとに続いたハンニバルが言う。
「買い物行ってるとか。」
 と、フェイスマン。
「昼寝の時間とか。」
 と、これはマードック。



 その時、道場の奥の扉がバタンと開いた。キュイン、と流れる不思議な電気音。
 キューン、カカカカカ……。
「バラカス!」
 でかい声と同時に、褐色の大男を乗せた1台の電動車椅子が現れた。
「遅かったな、バラカス! 待ってたんだぞ!」
 車椅子は、そのままキュイーンと突進してくると、Aチームの周りをクルッと1周し、更にクルンとターンを決めてキュイッと止まった。乗っていた大男は、「な?」という感じでちょっと得意げに笑うと、おもむろに立ち上がった。
「ジョナサン! 久し振りだな!」
「バラカス! 元気そうじゃないか!」
 抱き合う大男2人。非常に暑苦しく、かつ見苦しい光景である。
「その車椅子……どうしたんでい、怪我でもしたのか?」
「ああ、大腿骨骨折だ。松葉杖で歩けるんだが、大事を取れって、ガズに乗せられた(笑)。」
「お前ともあろう者が、何で骨折なんか。」
「先週の試合で、スモウ・レスラーにやられちまってね。」
「スモウ・レスラー!?」
「……だと?」
「……ですと?」
「……だって?」
 それぞれの反応を示すAチームに、ジョナサンは肩を落とした。
「スモウ・レスラーって、Tバック穿いてるニッポンの大男じゃなかたっけ?」
 と、マードック。一般のアメリカ人の相撲知識なんざ、そんなもんだろう。
「まさにそれだ。今回、バラカスを呼んだのも、そのスモウ・レスラーのことで……まあ、事情はゆっくり話そう。奥に来てくれ。」
 ジョナサンは車椅子にストンと腰かけると、キュインと向きを変えて、奥へと4人を誘った。



 道場の奥は、簡単な事務所になっていた。
 それぞれソファーに腰を下ろすと、ジョナサンは全員が見える位置に車椅子を移動させた。
「率直に用件を言おう。」
 ジョナサンは、そう切り出した。
「バラカス、俺の代わりに試合に出て、スモウ・レスラーと戦ってくれ。」
「ほう。」
 と、ハンニバル。
「試合の依頼ですか。」
「なぁんだ、じゃあ、俺たち大挙して来ることなかったんじゃないの? その……コングが1人で来ればよかったって話で。」
 と、フェイスマン。
 確かに、ただ試合をするだけなら、特殊技能を生業とするお尋ね者の4人組は必要ない。
「プロレスの試合をすりゃあいいのか? 簡単な話じゃないか。」
 と、コング。
「普通の試合なら、そうなんだがな。」
 ジョナサンは、そう言うと溜息をついた。
 と、その時。



「いらっしゃい……ま、せ……。」
 部屋に、消え入りそうな声が響いた。
「ガズ! 大丈夫か、お前、そんな重い物持って!」
 振り向きざまにジョナサンが叫んだ。
 ガズと呼ばれた青年(金髪碧眼、細身、かなりの美形)は、紅茶のカップ6つとポット2つ、それに砂糖とミルクの壷各1ケとスプーン6本、山盛りのアップル・アンバーが入った籠……が乗ったトレイを抱え、入口のへりに凭れてかろうじて立っていた。ピンクのTシャツから覗く両腕の筋肉はフルフル震え、手の指は白くなっている。
 それを見たジョナサン、折れた大腿骨を庇おうともせずに立ち上がり、ビッコを引きながら青年の元へ向かった。慌ててフェイスマンが後を追って立ち上がる。
 ジョナサンが青年からトレイを受け取った。フェイスマンは、一番重そうなポットと菓子の籠を取り上げて、テーブルの上に置いた。
「ふぅ……重かった……。」
 青年はそう言うと、その場にへたり込んだ。
「持てないと思ったら2回に分ける。」
「大丈夫だと思ったんだもん、これくらい……僕だって、プロレスラーなんだから。」
 ジョナサンの叱責に、青年は膨れっ面でそう答えた。
「……済まない、見苦しいところを。」
「いや、相変わらずだな、ガズバン。タッグ王者になったって聞いたから、少しは逞しくなったのかと思ってたんだぜ。」
 そう言ってコングが笑った。
「え、この人が、ミラクル・チェリー?」
 と、フェイスマン。
「はい。僕がミラクル・チェリーです。」
 青年、ガズバン・レイジは、薄い胸を張った。
「ほう。人は見かけによらないって言うか。……いや、とてもレスラーにゃ見えませんな、スリムで。フェイスの方が逞しいくらいだぞ。」
「悪かったね、最近太り気味で。」
 フェイスマンが呟いた。どうやら、2人の間でその件について幾許かのやり取りがあったようだが、その話題はまあ、追々ということで。
「レスラーは体力だけじゃないからな。コイツは、ココがいいんだよ。」
 と言って、ジョナサンはガズバンの頭を軽く小突いた。てへ、と照れ笑いをするガズバン(ミラクル・チェリー/タッグ王者)。
「どっちかって言うと、僕はリック・フレアーみたいな、クレバーなスタイルを目指してるから。」
 テキパキとカップを並べて紅茶を注ぎながら、ガズバンはそう言った。
「さ、召し上がって。これ、手作りなんです。ジョナサンの故郷の、アイルランドのお菓子。」
 勧められるまま、しばしミラクル・チェリーお手製のアップル・アンバーを頬張るAチームであった。



「で、事情ってのは、どういうことなんだ?」
 一通り食い終わったコングがそう尋ねた。
「ああ。聞いてくれるか。」
 そう言って、ジョナサンは話し始めた。
「来た時に会ったかもしれないが、うちの所属レスラーは、5人だ。サモアン・キング、即ち俺と、ミラクル・チェリー。ガズだな。それから、こっちに来てから入門してきた若手の3人。だから、興行を打つ時には、近所の州の団体からレスラーを借りて、何とか4、5試合を組んでやっているんだ。まあ、そんな状態でも、足掛け4年もやってると、地元での認知度も上がるし、経営はそこそこ安定していたんだよ。若手の収入のためにジムもやってるし。それで、去年くらいからはもう、テネシーのサーキットはTLPWで押さえたっていう既成事実を作った状態になってたんだ。それが先月、突然隣町に新しい団体ができて、勝手にうちとバッティングする日程で興行を打ち始めちまったんだ。」
「それがスモウ・レスラーなのか。」
「ああ。オール・アメリカン・スモウ・レスリング・アソシエーション。略してAASWA。」
「長いな。」
「長い。だから、通称はスモウ・ルームと呼ばれてる。」
「スモウ・ルーム? 何それ、相撲取りが一杯いるアパートか何か?」
 と、マードック。
「ニッポンでは、スモウ・レスラーが所属するプロモーションのことをルームと言うらしい。とにかく、アメリカ人のくせに、スモウ&ニッポンかぶれの連中なんだ。」
「で、そのスモウ・レスラーが、何でお前んとこのテリトリーを狙ってるんだ?」
「理由は俺にもわからん。先週、いきなり喧嘩を売られてな。何回か話し合いをしたんだが、埒が開かない。いくらスタイルが違うって言っても、狭いテネシー州に2つのプロレス団体は両立できないことくらい、ちょっとこの業界にいればわかる話だ。だったら、どっちがこの州にふさわしい団体か、試合で決着を着けようということになったのさ。」
「それで、試合をしたのか。」
「そうなんだ。まずはタッグで当たることになって、俺とガズが向こうのリングに出撃した。相手は、400ポンドを超える喧嘩ファイター、ダンプガイ・ジョー(四股名・浄ヶ島)と、辮髪を使ったラフ攻撃が得意なペドロ・ゴーメッツ(四股名・五目津)のタカサゴ・ルームスだった。」
「手強そうな相手だな。」
「ああ。確かに手強かった。だが、テクニックなら俺たちに一日の長がある。1本目を俺がサモアン・プレスでゴーメッツから取り、2本目は、ガズバンがダンプガイをスクール・ボーイで丸め込んだ。」
「2‐0か。勝ったんだな、おめでとう。」
「本当ならな。だが、話はそこで終わらなかったんだ。ガズがダンプガイを丸め込んでる瞬間、向こうのセコンドのスモウ・レスラーズが雪崩込んできて乱闘になった。で、乱闘のドサクサでレフェリーがカウントを取れず、2本目のフォールは認められなかったんだ。結局、そのまま収拾がつかなくなって、試合は無効試合。しかも、俺は乱闘で脚をやられちまったってわけだ。情けない話だが、全治2カ月の重症だ。」
「ひでえな。レフェリーは何を見てたんだ?」
「わからん。本当に見えなかったのかもしれないし、他の理由があったのかもしれん。」
「他の理由?」
 ハンニバルが問う。
「グルじゃないか、って思うんです。」
 と、ガズバン。
「NWAから来てるレフェリーってことだったんですけど、いつもうちに来てくれる人とは違ってて。反則のカウントもゆっくりだったし。……思い過ごしかもしれないけど。」
「あり得ないことじゃない。奴ら、日系人のスポンサーがついてるらしく、妙に羽振りがいいんだ。だから、レフェリーを買収した可能性だって全くないわけじゃない。」
「で? それからどうなったの?」
 と、フェイスマン。
「再戦が決まった。明後日だ。今度は、5対5のシングルマッチ5本勝負で、先に3本取った方が勝ち。5人揃わなきゃ、選手を出せない試合は不戦敗になっちまう契約だ。……だが大将の俺は、怪我をしていて試合に出られん。」
 ジョナサンは、悔しげに自分の太腿を叩いた。そんな彼の肩に、そっと手を置くガズバン。
「……だからバラカス、お願いだ。俺の代わりに試合に出てくれ。」
「そういうことならお安い御用だぜ。いくらスモウ・レスラーってったって、俺の右フックにゃあ敵うもんか。」
 と、コング。
「で、俺たちは何をすればいいんだね、ジョナサン。」
「スミスさんたちは、奴らが不正をしないように、セコンドについて監視しててほしい。」
「セコンドくらいなら、俺だってお安い御用さ、ね、ハンニバル。」
「ああ、よござんすとも。心して見守りましょう、その試合。」
「じゃ、俺様、リングアナウンサー兼実況ね。どうせなら、ナッシュビル中に放送しちまおうよ、その試合。観衆は多い方がいいでしょ。」
 と、マードック。
「ありがとう、恩に着ます。」
 ガズバンが頭を下げた。
 かくして、依頼は受託されたのであった。



 その夜。
 ダーン! ダーン!
 人気のない道場に響く不審な物音。
 ダーン! ダーン!
「……何の音だ?」
 道場に隣接した若手レスラーの合宿所の一室で、ハンニバルは目を覚ました。
「……工事……?」
 フェイスマンが眠い目を擦りながら言った。
 確かに、工事中みたいな音である。タイタンパーがゆっくり動いてる音と言うか。
「いや、何か声もするぜ。」
 と言って、コングも起き上がった。
 一足先に起きていたマードックが、そっと窓を開ける。
 暗闇に目を凝らし、耳を澄ます4人。
「ドスコーイ、ドスコーイ……。」
「ドス、コーイ、ドス、コーイ……。」
「ドッコーイ、ドッコーイ……。」
 ダーン! ダーン! ダーン!
「呪文……?」
 フェイスマンが呟いた。
「ドッコーイ! ドッコーイ!」
 ダーン! ダーン! ダーン!
「いや、呪文じゃない、あれは……。」
 ハンニバルが、オリエンタルな記憶を手繰る。
「あれは、スモウ・レスリングの掛け声だ。」



「バラカスさん!」
 その時、部屋に駆け込んできたのは、ガズバン・レイジ(ミラクル・チェリー)。
「大変だ、奴らの襲撃だ!」
「何だって!?」
「ジョナサンと、うちの選手が先に行った。僕らも加勢しなきゃ。早く!」
 4人とガズバンは、一斉に駆け出した。



 駆けつけたAチームが見たのは、暗い道場の外壁に一列に取りついたスモウ・レスラーズ。その数、ざっと見積もって10、いや、20匹。(匹?)
「ドスコーイ!」
「ドスコーイ!」
 威勢のいいスモウの掛け声と共に、道場の壁にツッパリを食らわす巨体の群れ。
 一斉に殴りつける度に、道場の外壁は、まるでビニールでできているかのように撓んで、プリンのようにプルプルと揺れた。
 止めようと駆け寄った3人の若手レスラーは、気づいたスモウ・レスラーズに掴まり、取り囲まれ……そして、肉の海に溺れて見えなくなった。
「デイビッド! リッキー! トミー!」
 ジョナサンが叫んだ。
 キュイン!
 車椅子が唸る。
「やめて、ジョナサン、危ない!」
 ガズバンの叫びも空しく、唸りを上げてスモウ・レスラーズに突進していくジョナサンの車椅子。そのまま群れに突っ込むと、飛びついてきた2匹をなぎ倒し、絡みついてきた2匹を宙に放り投げる。まさにメイン・イベンターにふさわしい勇姿である。
「やるな、ジョナサン。」
 コングが呟いた。
 だが、優勢も、ほんの一瞬。圧倒的に数で有利なスモウ・レスラーズ、仲間のピンチと見るや、次々とジョナサンに襲いかかる。抵抗空しく、ジョナサンも、すぐに肉の壁に揉まれて消えた。一瞬後、主を失った空の車椅子だけが、空高く放り出されて地面に叩きつけられた。
「ジョナサン!」
 ガズバンが叫んだ。
「行くぞ! ジョナサンを助けるんだ!」
「おう!」
 駆け出すAチーム。
 コングは、揉み合う肉の塊に突進し、まわしの後ろを掴んでは投げ、掴んでは投げる。ハンニバルは、殴りかかってくるスモウ・レスラーの掌底をかわし、鳩尾に拳を叩き込む。道場の外壁についている梯子を登って、上空から肉の海にジャンプするマードック。逃げ惑いながら、足なんぞ引っかけて転ばせてみるフェイスマン。実に、Aチームらしい戦いっぷりである。
「助けて!」
 ガズバンの声。
 見れば、一際でかいスモウ・レスラーに襟を掴まれ、逆ジャイアント・スイングの要領でブンブン振り回されているミラクル・チェリー(プロレスラー・27歳/くどいようだがタッグ王者)の姿。
「ガズバン!」
 Aチームの働きにより肉の海から脱出したジョナサンが、利かない足を庇いながらもガズバンを掴んでいる巨体に躍りかかった。
 その時……。



 メリメリメリ、バーン!!
 響き渡る轟音と土埃の噴煙を上げて、道場の壁が崩れ落ちた。壁に開いた大穴から、瞬く間に亀裂が走り、柱が倒れ、天井が落ちる。
 それを見るや、スモウ・レスラーズが一斉に逃げ出した。まさに脱兎のごときスピード、巨体のシルエットは見る見るうちに小さくなり、平原の彼方へと消えてゆく……。
 瓦礫の山と化した道場跡。倒れ伏すTLPWのレスラーたち。
 呆然と立ち尽くすしかないAチームであった。



 夜が明けた。
 崩れずに済んだ事務所部分で、ジョナサンは意気消沈していた。
 崩れずに済んだとは言え、屋根は既に落ち、頭の上にはぽっかりと朝の青空が広がっている。見渡せば、道場の外壁は完全に崩壊し、青空の下、瓦礫に埋もれたリングと、倒れたトレーニング器具が剥き出しになっていた。思えば、ナッシュビルに来て4年余、ガズバンと2人で一から作り上げたこの道場……。次々と蘇る思い出に、思わず涙ぐむジョナサン(サモアン・キング)である。
「ジョナサン。」
 怪我人の手当てをしていたガズバンが戻ってきた。ジョナサンは、ガズバンにわからないようにそっと涙を拭った。
「具合はどうだ?」
「リッキーは大丈夫。打ち身と擦り傷だけ。デイビッドとトミーは、ダメみたい。トミーは肋骨折れてるし、デイビッドはムチウチ。8時になって病院開いたら連れてくよ。」
「……そうか。お前は?」
「僕は大丈夫。ちょっと擦りむいたくらい。……でも、3人も負傷者がいたんじゃ、試合にならないよね。何とか延期してもらえないかな?」
「延期してくれる相手だと思うか? 奴ら、試合の前にこっちにダメージ与えるつもりで、道場を襲撃したんだぜ。」
 と、コング。
「でも、このままじゃ、不戦敗に……。」
「心配するなガズバン、ジョナサン。」
 と、ハンニバル。
「俺たちがいるじゃあないか。あたしゃこう見えても、ベトナムじゃ柔術の達人と言われてましてね。」
 と、誇らしげに腹を叩くハンニバル。その仕草の意味は不明。
「え、試合に出るつもりなの? ハンニバル。」
 フェイスマンが、不安気に言った。
「プロレスの試合なんてしたことないじゃない。」
「心配しなさんな、フェイス。いくら相手がスモウ・レスラーったって、こっちだって伊達に戦場でガチンコ勝負してきたわけじゃない。簡単に負ける道理がない。」
「そうかなあ……。」
「じゃあ、スミスさんに出てもらうとして、こっちは、バラカスさん、僕、スミスさん、リッキー……やっぱりあと1人足りない。」
「モンキーとフェイスの、どっちかが出るんだな。」
 と、コング。
「俺? 俺はダメじゃん、ほら、実況しなきゃいけないから。それに、フェイスより俺の方が目端が利くもん。レフェリーの不正だって見なきゃいけないし。」
「ちょっと待ってよ。俺にリングに上がれって? 無理無理、絶対無理……ほら、最近太り気味で体の切れ悪いし、風邪も引いてて喉が痛いし……。」
 ゴホゴホと咳をしてみせるフェイスマン。
「うん、でも君の方がいいと思う。」
 焦るフェイスマンに、ガズバンが追い討ちをかけた。
「デイビッドの代わりがスミスさんでしょ。ヘビー級同士で、ここはOK。となると、トミーの代わりのミドル級の選手が必要。ペックさんの体型なら、トミーのタイツがそのまま合いそうだし。見た目のバランスもいい感じ。」
 ガズバン、この期に及んで「見た目」を重視するとは侮れん奴。何気にハンニバルのことをヘビー級って言っちゃってる辺り、ご老体もいかがお考えかと……。
「じゃあ、決まりだ。試合に出るのは、俺と、コングと、フェイス。モンキーは、監視と実況。あとは、そうだな、セコンドの相撲取りたちの乱入をどう防ぐかだ。一応、ルール的には、試合が終わった選手からセコンドについていいことになっているんだが……。」
「はぁい、それについては、オイラに秘策がありまーす。」
 マードックが、元気よく手を挙げた。



〈Aチームのテーマ曲、かかる。〉
 リングの上で次々と受身を取るガズバン、リッキー、コング。受身を取ろうとして、ただ倒れて後頭部を打ち、のた打つフェイスマン。コーナーポストに座って葉巻を吹かすハンニバル。何やらホース類を持ち出して、穴を開けるフェイスマン。額に汗を光らせてダンベルを上げるコング。頭にヘッドフォン、片手にマイクで喋り続けるマードック。エプロン姿でアップルパイを焼くガズバン。でき上がったアップルパイを「あち、あち」と言いながら味見するジョナサン。食卓を囲み、アップルパイでお茶を飲む全員。口の周りにアップルパイの屑をつけたままウサギ跳びで神社の階段を上がっていく全員。を、階段に座ったまま激励するハンニバル。
〈Aチームのテーマ曲、終わる。〉



 翌々日。
 試合会場であるナッシュビル東体育館には、早くも観客が詰めかけていた。
『テネシーを獲るのはどっちだ!? TLPW vs. AASWA 5対5決着マッチ!』
 張りぼてのゲートには派手な煽り文句。
 ゲートから会場入口までの小道の両側には、金糸銀糸を凝らしたスモウ・ルームスのレスラーたちの幟が数十本はためいている。



 TLPWの控え室では、それぞれがコスチュームを着込み、決戦の時を待っていた。
「……ねえ、ねえ、これ、おかしくない?」
 白のショートタイツに、同じく白の透け透けレースのロングガウンを着込んだフェイスマンが両手を広げた。
「いいですね。ホワイト・スネーク、って感じです。」
 と、ガズバン。ホワイト・スネークとは、フェイスマンの今日のリングネームである。蛇のように執念深く敵を追い詰める、という意味らしい。
「あ、でも……これ、忘れてますね。」
 と、ガズバンが差し出した、1枚の白い布と、プラスチックの物体。
「何これ?」
「アンダータイツとファウルカップ。タイツの下に穿いて下さい。急所攻撃されるかもしれないから。……それに、そのままじゃ、女性のお客様、目のやり場に困ると思うんで。」
 思わずフェイスマンの股間に注目する残り3名であった。
「何だよ、見るなよ。見るなって!」
 フェイスマン(ホワイト・スネーク)は、ガズバンからブツを受け取ると、股間を押さえながら、更衣室へと消えていった。
「俺のリングネームは何だったっけな?」
 と、ハンニバル。出で立ちは、ジーンズに、フリンジのついたシャツ。
「アーバン・カウボーイ。アメリカっぽいギミックがいいかと思って。これ持ってって下さい。」
 と渡されたのは、ブル・ロープ。
「反則は、ファイブ・カウントまでならOKです。見せ場だと思ったら、どんどん使っちゃって下さい。」
「プロレスって、いろいろあるんだな。」
「まあな、拳で殴るんだって、本当は反則らしいからな。」
 そう言うコングのコスチュームは、ムエタイ用のブルーのパンツと、お揃いのヘアバンド。それと、いつものネックレス数十本。これは、「引っ張られると不利になるから、外した方がいいですよ」というガズバンの忠告も聞かずに死守した、彼の精神的命綱である。
 緑のショートタイツ+レガースつきブーツのシュート・スタイルのリッキー(クイック・キック・リッキー)と、ピンクのロングタイツ(お尻にサクランボが3つ)に、同じくピンクの革ベスト、耳の上に薔薇の花を差したガズバン(ミラクル・チェリー)という、必要以上にバラエティに富んだ面々が、決戦に挑むTLPWの布陣である。
「体重の軽い順に行くから、最初の試合はリッキー。それから、ガズ、ペックさん、スミスさん。メインは、バラカスだ。頼んだからな。」
 ジョナサンがコングに向き直って言った。
(「コングとハンニバルの順番はそれでいいのか?」という疑問は残るが、ハンニバルが、「じゃあ俺はセミだな」といけしゃあしゃあと言い張ったので、誰も咎められなかった。)
「ああ、任せとけ。ただ勝つだけじゃねえ、メイン・イベントにふさわしいKO劇を見せてやるぜ。」
 ガッチリと握手を交わす2人であった。



 場面変わって、こちら会場内。
 カンカンカンカン……!
 試合開始を告げるゴングが打ち鳴らされた。会場のざわめきが消え、リッキーのテーマ曲……ではない曲が鳴り始めた。
「TLPW対AASWA、テネシーの興行権を賭けた決戦の火蓋が、今まさに切って落とされようとしています。実況は、えー、私、DJハリケーンが、ゴキゲンな音楽と共にお送りしちゃいますよん。お送りしております最初の曲は、えー、B.A.バラカスさんからのリクエスト、『恋するあの娘はモーモー娘』……。」
 能天気なDJに乗って、クイック・キック・リッキー登場。トップロープを飛び越え、軽快にリングイン。
 音楽変わって、小林旭の『熱き心に』(『モーモー娘』に被せて、強引な大音響で鳴らされた)。登場するのは、AASWAジュニア・ヘビーの新鋭、スマイリー・アサシン(四股名・笑殺龍)。リングインするなり、笑顔でドスコーイ! と突っ張りのポーズ。
 リング中央で向かい合う2人。
 カーン!
 試合開始のゴングが鳴った。



 控え室で、じっとモニターに見入るAチーム。
「モンキー、聞こえるか? 首尾はどうだ?」
 ハンニバルが、無線のマイクに向かって問う。
『おう、聞こえてるよ! バッチリさ。乱入なんざアリンコ1匹許さないもんね。』
「よし、そのまま実況を続けてくれ。」
『OK。ねえ、次のリクエストは? またモーモー娘?』
「俺はモーモー娘なんかリクエストしてねえって言ってるだろうがぁ!」
 コングが忌々しげに叫んだ。
 試合は、危なげのない運びでリッキーの完勝。
(○クイック・キック・リッキー vs. スマイリー・アサシン× 6分25秒、ジャンピング・ニー → 片エビ固め。)
 とりあえず、緒戦はTLPWが取った。



「じゃ、行ってきます。」
 壁に向かって精神統一をしていたガズバンが顔を上げた。
「ああ、頼んだぞ。」
「うん、絶対勝ってくるからね。」
 ガッチリと(と言うか、この2人の場合は、ひし、と)手を握り合うジョナサンとガズバンである。



 会場に流れ出すのは、ビージーズの『青春のトラジディ』。ダッシュで花道を走り、トップロープとセカンドロープの間から、するりと前宙でリングインするミラクル・チェリー。クルリとターンして、髪に差した薔薇を会場に投げる。
「ミラクル・チェリー、華麗な入場であります!」
 マードック(DJハリケーン)が煽ると同時に、女性ファンの黄色い歓声が上がった。
 対するスモウ・レスラーズからは、ザ・プレシャス・マウンテン(四股名・貴乃山)、2メートルはあろうかという大男。リングインするなり、マーシャルアーツの要領で鋭いシャドウ・キックを放つ。相撲という競技にキックがあるかどうかは定かでないが。
 セコンドには、ルール通り、試合を終えたリッキーとスマイリー・アサシンがついている。



「おい。この試合、まだジュニア・ヘビーのはずだよな。あいつ、250ポンド超えてるんじゃないか?」
 モニターを見ていたコングが、心配そうに呟いた。
「ああ、どう見ても300ポンドはある。ガズバンとの体重差は100ポンド以上か。厳しいな。」
 と、ハンニバル。
 カーン!
 試合開始のゴングが鳴った。
「ガズ、頑張れ!」
 モニターに向かって拳を握り締める一同。



 試合は、オーソドックスな手四つから始まった。しかし力比べにあっさり負けて両腕を絞り上げられるミラクル・チェリー。チェリーの右腕を後ろ手に捻り上げ、おもむろにロープに飛ばすザ・プレシャス・マウンテン。跳ね返りざまスライディング・キックでプレシャス・マウンテンの足を掬うチェリー。そのままグラウンドへ持ち込み、素早くSTFを決める。
「いいぞ、ガズバン! そのままギブ取っちまえ!」
 フェイスマンが叫んだ。
「巧い戦法だ。確か相撲に寝技はないはずだし。」
 と、ジョナサン。
「ああ、この体格差だと、秒殺するしかガズバンに勝ち目はねえからな。」
 モニターを見つめながらコングも頷いた。
 綺麗に決まったSTF。顔面へのきつい絞り上げに、喚くザ・プレシャス・マウンテン。ミラクリ・チェリーの勝利は間近と思えた。ところが……。
 ザ・プレシャス・マウナテンが、怪力に任せ、腕立てで体を起こした。背中にチェリーを乗せて、足と顔を決められたまま、無理やり体を反転させ、チェリーを下にする。広い背中で押し潰されたチェリー、どうにも身動きが取れない。もがくチェリー。レフェリーが膝をついた。チェリーの両肩がマットに着いているのを確認し、カウントに入る。
「ワン、ツー、スリー!」
 無念のスリー・カウント。ミラクル・チェリー、まさかの敗北である。
 マットを叩いて悔しがるミラクル・チェリー。勝利の土俵入りを決めるザ・プレシャス・マウンテン。
(×ミラクル・チェリー vs. ザ・プレシャス・マウンテン○ 2分46秒。リバースSTF → 体固め。)



 ああ〜、と肩を落とす控え室の一同。
「これで1対1か。」
 と、コング。
「次は是が非でも取っておきたい。フェイス、準備はいいか?」
 と、ハンニバル。白いシースルーのガウンを纏ったフェイスマンは、不安気に頷いた。



「さあて、お次は第3試合っ。青コーナーから登場は、我らがセクスィ〜〜〜プリンス! ホワイトォォ・スネーイク! 音楽カモン!」
 マードックの軽快なコールに乗って流れ出したのは、プリンスの『パープル・レイン』。曲に合わせて妖しい紫のライトが花道を照らす。出てきたのは、何とも自信なさげなフェイスマン。ガウンの前を掻き合わせ、小走りでリングへと向かう。
「スネーク、リラックスして! もっと観客にアピールして下さい!」
 セコンドから、ミラクル・チェリーの声が飛ぶ。
 その声に、うん、と小さく頷いたフェイスマン(ホワイト・スネーク)。思い切って、ガウンをバッ! と脱ぎ捨てた。
 その瞬間、わあ、とも、きゃあ、ともつかぬどよめきが会場に轟いた。どよめきは、瞬く間に歓声に変わり、会場は女性客の歓声やら口笛でえらい騒ぎとなった。
「え……何これ? どうしたの?」
 突然の大歓声に戸惑うフェイスマン。戸惑いながらも、青コーナーのコーナーポストに登って両手を挙げてみる。アピールを受けた青コーナー側の女性客(と、一部の男性客)が歓声を上げた。
「俺って……もしかして、人気者? 行ける、この試合、行けるかもしれない!」
 手を広げて四方にアピールしながら、高揚する気持ちを抑え切れないフェイスマンであった。



「なあ、フェイスの股間、何か変じゃねえか?」
 モニターを見つめながらコングが言った。
「股間? ああ、そう言えば、妙に膨らんでるような、陰影が濃いような……。」
 と、ハンニバル。
「いかん。ペックさん、ファウルカップ、上下逆につけてる。」
 ジョナサンが呟いた。
 そう、格闘技になんか縁がなかったフェイスマン。ファウルカップの正しい着け方なんぞ知るわけもない。(普通は、丸みを帯びた部分で睾丸を包むように装着します。)
「どうする、ハンニバル。膨らんだ方を上に向けたって、大事なトコは守れてねえぞ。」
「どうするったって、そんなこと、あたしに聞かないで下さいよ。ま、いいじゃないの、女性ファンの受けはいいみたいだし。せいぜい急所攻撃されないように祈ってましょ。」
 葉巻を咥え、無責任に笑うハンニバルであった。



 さてリング上では、そんなことになってるとは露ほども思ってないフェイスマン、かなりイイ気になってアピール中。
 と、そこにすごい勢いで花道を駆けてくる相撲取り1匹。
「さて、赤コーナーからは、えーと、デビルズ・マスク(四股名・鬼面山)の登場です!」
 慌てて進行表を捲るマードック。そんなDJに構うことなく、入場の音楽もなしにリングに駆け込んできたデビルズ・マスクは、身長こそ6フィートそこそこしかないが、体は見事なアンコ型スーパー・ヘビー級。縮れ毛で無理やり結った大銀杏に銀のまわし、濃い剛毛に覆われた背中は筋肉で盛り上がり、既にテンパっているのか、目は血走り、鼻息は荒い。相撲取りと言うよりは、限りなく熊に近い風貌。



 カン!
 突然、試合開始のゴングが鳴らされた。しかし、コーナーポストに登ったまま自分に酔い痴れているフェイスマンは、そんなことには気づきもしない。
「スネーク、来ます! 気をつけてっ!」
「後ろっ!」
 チェリーとリッキーが叫ぶ。
「へっ!? えっ? 始まってるの!?」
 やっと気づいて振り返ったフェイスマンの視界に映ったのは、凄い形相で突進してくる1匹の熊、いや、スモウ・レスラー。
 逃げようとしたフェイスマンがコーナーポストから飛び降りるタイミングを測ったかのように、デビルズ・マスクの張り手が飛んだ。
「危ないっ!」
 チェリーが叫んだ。
 ガッ!!
 鈍い音を立てて、大男の掌がフェイスマンの顎にめり込んだ。ゆっくりと崩れ落ちるホワイト・スネーク。仰向けに倒れた股間派レスラーの上に、すかさずデビルズ・マスクの巨体が覆い被さる。
「ワン、ツー、スリー!」
 決着を告げるレフェリーの声が、無情にも会場に木霊した。
(×ホワイト・スネーク vs. デビルズ・マスク○ 7秒、スモウビンタ → 体固め。)

「どうする、ハンニバル! これで1対2、崖っ縁だぜ!」
 コングが叫んだ。
「ああ、次、負けたらこっちの負けだ。テネシー州のテリトリーはスモウ・ルームの物になっちまう。」
 ジョナサンの声にも焦りの色が見える。
「大丈夫。あと2試合取ればいいんだろ? 任せなさいって。あたしたちを誰だと思ってるんですか。天下のAチームですよ。」
 そのAチームの1人が、たった今7秒で負けたことは、すっかり頭から消えているハンニバス・スミス氏である。
「とにかく、次の試合を取ればいいんでしょ。そうすれば、イーブンでコングに繋げる。」
「そうだな、頼んだぜ、ハンニバル。」
「アーバン・カウボーイと呼んでちょうだい。ぬははは。」
 ハンニバルは、テンガロン・ハットをポンと頭に乗せると、ブル・ロープを振るって見せた。
 バシッ、バシッと壁に当たるブル・ロープは、結構本格的な響き。これは、行けるかも……。



 と、その時。
 Trrrrr Trrrrr...
 控え室の電話が鳴った。
「はい、ロイドです。……え? スミスさん?」
 あたし? と振り返るハンニバル。
「あんたに電話だ。アレンさんとかいう女の人。」
「エンジェル?」
 不審に思いながら受話器を受け取るハンニバル。
『ちょっと、ハンニバル? 聞いてる?』
 電話の声は、確かにエンジェルことエイミー・アマンダー・アレン女史。
「はい、聞いてますよ。何だい、こんなとこまで……。」
『モンキーがまた変なことしてるでしょ!』
「変なこと?」
『放送よ。FM局の電波ジャックして、プロレス中継なのか音楽番組なのかわかんない放送流してるでしょ。』
「ああ、プロレスの実況をやってるが、それがどうかしたのか?」
『デッカーの奴が嗅ぎつけたのよ。』
「何だって!? デッカーが?」
『ええ、こっちも無線傍受しただけだから詳しいことはわからないんだけど、ナッシュビルのFM局がAチームによってジャックされたってとこまで当局が掴んでるみたい。今、発信元を探してるとこだけど、まあ見つかるのは時間の問題ね。早く逃げた方がいいわ。』
「こんな田舎のFMまでチェックしてるとは、デッカーの奴、よっぽど暇なのか?」
『もう、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! とにかく急いで。お願いよ!』
「OK、わかった。ありがとう。……ああ、エンジェルも気をつけて。」
 ハンニバルは電話を切った。
「デッカーだと!?」
 と、コング。
「ああ、モンキーの放送が当局にバレたらしい。とっとと決着を着けてトンズラしないとヤバイみたいですよ。」
「くそっ、デッカーの野郎!」
「とにかく、あと2試合だ。とっとと獲りに行きますよ。」
 ハンニバルの表情が、キリリ! と引き締まった。流れ出すアーバン・カウボーイの入場テーマ。



「さあて、勝敗はただ今1対2! 追い詰められたTLPWに起死回生の一発が出るのか、それともAASWAがこのまま突っ走るのか! お送りしております曲は、『都会の郷愁〜アーバン・カウボーイのテーマ』、昨日アーバン・カウボーイ本人が徹夜して吹き込んだオリジナル・ソングです!」
 マカロニ・ウエスタンチックな音楽と、DJによる要らん情報に乗って、悠々と花道から入場するハンニバル(アーバン・カウボーイ)。よっこらしょっ、とトップロープをくぐり、とても爺むさいリングインを披露。若ぶっていても、寄る年波には勝てぬスミス氏である。
 音楽が変わった。ギュイイン! と鳴り響くギター。ヘビーメタルの旋律に乗って登場は、ペドロ・ゴーメッツ(四股名・五目津)。長く伸ばした辮髪を振り回しながらの入場である。



 カーン!
 試合が始まった。
 ブン、ブン、と辮髪を振り回しながら間合いを詰めるペドロ・ゴーメッツ。同じく、ブン、ブン、とブル・ロープを振り回して間合いを取るハンニバル(アーバン・カウボーイ)。しばらくそのまま睨み合いが続いた。
 このままでは埒が開かない、と踏んだハンニバルが、ブル・ロープを振り上げてゴーメッツに襲いかかる。ゴーメッツは、自慢の辮髪の一振りでブル・ロープを叩き落とすと、逆にハンニバルに掴みかかった。組み合った2人は、そのまま倒れて、ゴロゴロとリングの上を転がった。
「ハンニバル! しっかり!」
 フェイスマンが叫ぶ。
 絡み合ったハンニバルとゴーメッツは、そのままリング下へと転落。途端に、ワッと襲いかかるスモウのセコンド陣。抑えに行くリッキー、ガズ、フェイスマン。瞬く間に場外乱闘が広がっていく。
 ゴーメッツが、パイプ椅子でハンニバルに殴りかかった。背中を殴られて転がるハンニバル。お返しに、と、今度はフェイスマンが椅子でザ・プレシャス・マウンテンの頭を殴りつけた。額を割って倒れる貴乃山。ゴーメッツの後頭部にハイキックを決めるリッキー。ガズバンは、スマイリー・アサシンの腕を掴んで鉄柵に振ろうとしたが、逆に振られて鉄柵に背中を強打、アウ、と情けない悲鳴を上げた。
 何とか起き上がったハンニバル、しこたま打った腰を庇いつつリングへと生還。それに気づいたゴーメッツもリングへと駆け上がる。
 ガズバンを鉄柵に投げつけたスマイリー・アサシンが、2人を追って、リングに上がろうとエプロン(リングの端っこ)に手をかけた。
「そうは問屋が卸さねえっての! ほい、ポチっとな。」
 それを目敏く見つけたマードック、そう言って何かのスイッチを入れる。
 途端、リングの周りにぐるっと置かれていたホースが、何かの生き物のように身をくねらせた。一瞬後、ホースに開いた無数の穴から、プシュー! と透明の液体が噴出した。たちまちずぶ濡れになるエプロンサイドのレスラーたち。むわんと立ち込めるココナツの香り。
「うわっ、何これ、ぬるぬるしてるっ。」
 ガズバンが叫んだ。
「大丈夫、ただの日焼けオイル。」
 フェイスマンが答える。
 リングに上がろうしていたスマイリー・アサシンが、オイルに足を滑らせてリング下に転落。他のスモウ・レスラーズも、油に滑って次々と倒れた。起き上がろうともがいても、裸足の足の裏と日焼けオイルの相性はすこぶるよく、起き上がりかけては引っくり返り、起き上がりかけては引っくり返り、挙句には背中やお腹でツツーとリングサイドを滑っていく。
「ハンニバル! これ!」
 チェリーが、そう叫んでパイプ椅子をリングに投げ入れた。
 リング下のスモウ・レスラーに気を取られているレフェリーの死角を突いて、ハンニバルがゴーメッツの頭にパイプ椅子を振り下ろした。頭上に星とヒヨコの列を巡らせて倒れるゴーメッツ。素早く椅子を場外に投げ捨てたハンニバル、チョイチョイっとレフェリーの肩を叩いて注意を促すと、うつ伏せに倒れたゴーメッツの巨体を引っくり返してフォールに入った。
「ワン、ツー、スリー!」
 カウントが入った。
(○アーバン・カウボーイ vs. ペドロ・ゴーメッツ× 5分0秒、体固め。)



「やったぜ!」
「よし!」
 控え室でモニターを見ていたコングとジョナサンが快哉を上げた。
「これでイーブンだ。あとはバラカス、頼んだぞ! 俺もリングサイドで見てるからな。」
「ああ、任せといてくれ。俺のパンチでダンプガイ・ジョーをマットに這いつくばらせてやるぜ!」



 会場の照明が落とされた。厳かに流れ出すパーカッションの響き。花道に、1対、そしてまた1対とフットライトが灯った。
「さあ〜、2対2で迎えたメイン・イベントです! TLPWからは、負傷したサモアン・キングに代わってサモアから登場! (サモアから?) 全戦全勝のボクシング王、モヒカン・キングです!」
 パーカッションが、ポリネシアのリズムを刻む。スポットライトに照らされて、花道にコングが姿を現した。シャドウ・ボクシングで観客にアピールすると、小走りにリングイン。四方の歓声に手を挙げて応える。



 音楽変わり、流れ出す相撲甚句。
「お次は赤コーナー、AASWAの若大将、行く手を阻む者は象でもぶっ飛ばす! ダンプガ〜イ! ジョー!」
 コールと共に花道の奥に姿を現す小山のようなシルエット。飾りまわしの柄は『トラック野郎(菅原文太)』。顔には、歌舞伎のペインティングを施し、大銀杏に結った髪は7色に染められている。ダンプガイ・ジョー(四股名・浄ヶ島)は、ゆっくりと観客を見回し、余裕の表情で花道を歩いてくる。その姿を、最前列から悔しげに見上げるジョナサン。ダンプガイ・ジョーがリングインし、両雄が向かい合った。



「モンキー。」
 試合が終わったハンニバルが、そっと実況席に近づいた。
「ん? 何、ハンニバル。」
「デッカーがここを突き止めたらしい。」
「デッカーが!?」
「ああ、この放送が当局に傍受された。試合が終わり次第トンズラするから、準備しておけ。」
「オッケー、了解。」
 そっと実況席を離れたハンニバルが、フェイスマンの肩を叩いた。



 カーン!
 試合開始のゴングが鳴った。
「貴様が誰だか知らないが、怪我をしたくなかったら、とっととリングを降りて、おうちに帰るでごわす!」
 ダンプガイ・ジョーがコングに向かって言った。
「その台詞、そっくりお前さんに返すぜ。」
 と、コングも負けてはいない。
 ダンプガイが、殴りかかってきた。スウェイでかわしてボディにパンチを打ち込むコング。脇腹に1発、2発といいのが決まるが、ダンプガイ・ジョーの巨体はびくともしない。コングに殴られた脇腹を、まるで蚊か虻でも止まったかのようにさっと払い、不敵な笑みを浮かべて再度ファイティングポーズを取る。更に右、左とパンチを繰り出すコング。避けもせず全てをボディで受け止めて、重いパンチを返してくるダンプガイ。
 試合は、何時の間にやらボクシングマッチの様相を呈していた。お互い一歩も引かず、パンチを繰り出し合う2人。ダンプガイ・ジョーの腹はコングのパンチで赤く腫れ上がり、コングの片目も、1発食らった右ストレートでプックリと膨らんでいる。
「畜生、タフな野郎だぜ。」
 コングが額の汗を拭った。
「コング、ボディはダメだ、顎を狙え!」
 リングサイドのジョナサンが叫んだ。
 その言葉に気を取られたコングの顔面に、ダンプガイのフックが炸裂した。もんどり打って倒れるコング。
「バラカスさん!」
 悲鳴を上げるガズバン。
「コング、起きろ!」
「ワン、ツー、スリー、フォー……。」
 無情にもダウン・カウントが取られる。
「バラカス、立つんだ!」
「立って! バラカスさん!」
「ファイブ、シックス、セブン、エイト……。」
 両手を挙げて勝利をアピールするダンプガイ。
 カウント・ナイン!
 だが、そこで終わるコングではない。しばらく天井を見たまま息を整えたコング、おもむろに立ち上がり、観客に向かってアピールするダンプガイの肩を掴んだ。驚愕の表情で振り返るダンプガイ・ジョーの顎に、コング必殺の右ストレートが決まった。
 スローモーションのようにゆっくりと倒れるダンプガイ・ジョー。観客から大歓声が上がる。
「ワン、ツー、スリー、フォー、ファイブ……テン!」
 カンカンカンカンカン!
 勝利のゴングが打ち鳴らされた。
「やった!」
「やったぜ、コング!」
 リングに駆け上がるAチーム、と、ジョナサンとガズバン。そしてTLPWのみんな。
 しかし、喜ぶ彼らの耳に、無情にも聞こえてくるのは、忌々しいサイレンの音……。



「やべ、デッカーだ!」
 と、フェイスマン。
「お早いお出ましだな。じゃ、トンズラしますよ、皆の者。」
 これはハンニバル。
「ああ、逃げるしかねえな。ジョナサン、ガズバン、あとは任せたぜ!」
 スタコラサッサとリングを降り、観客に紛れて裏口に向かうAチーム。
「ハンニバル! こっちこっち!」
 滑り込んできたバンの運転席からマードックが叫んだ。
 砂埃を上げて発進した紺色のバンは、たちまち荒野の彼方に消えていったのであった。
【おしまい】
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