ファインディング・ツボ かなり苦しいか
伊達 梶乃
 とある夕方、ロサンゼルス市内のとあるマンションで、ハンニバルはベッドに寝かされていた。彼の上には、まだ子供のような顔をしたアジア人が跨っている。
 反対側のベッドに座っているのは、フェイスマン。真剣な顔で、アジア青年の指先を見つめている。
「あー、そこそこ。うー。」
「だいぶ腰が凝ってますねえ。それと、肺と腎臓が弱っているようです。」
 青年が両手の親指でハンニバルの背中をぐぐっと押す。
「ぬはああぁぁぁぁ……。」
 神出鬼没で不可能を可能にする百戦錬磨のAチームのリーダーが、柄にもない気の抜けた声を上げる。
「ハンニバル、それは痛いの? 気持ちいいの?」
 フェイスマンがうずうずとした様子で尋ねる。
「気持っっちいいぃぃぃ。」
「……だと思った。マイケル、俺にはまだ?」
 順番待ちをしているわけなのだ、フェイスマンは。
「この調子だと、ハンニバルさんにはあと1時間ぐらいかかりますかねえ。」
「1時間?」
 眉尻がきゅっと下がる。
「ええ、しばらくお待ち下さい。」
 うつ伏せのハンニバルは、それを聞いて、人知れず「ぬふふ」と笑った。



「ったく、依頼人の話聞くんじゃなかったのかよ。」
 隣室で、コングがヘッドホンを外して、レコーダーの停止ボタンを押した。彼、隣の部屋での会話を録音しておくようにハンニバルに言いつけられたのだ。
 確かに、今回の仕事の依頼人、マイケル・リュウがフェイスマンに連れられてこのアジトにやって来て、一通り挨拶を済ませ、それから10分間ほどは、マイケルは依頼内容の前振りを語っていた。そしてコングはそれを録音していた。
 マイケル・リュウは中国系アメリカ人。生後すぐに高熱を出し、その後遺症で失明した。両親は、マイケルが幼い時にチャイニーズ・マフィアに連行され、それきり行方不明。身内は高齢の祖父1人。
 これらの情報を得た時点で、コングは仕事を受ける気になった。目尻に滲んだ涙をぐいっと拭って。
 ハンディキャップを持つマイケルだが、学業を非常に優秀な成績で終えた後、鍼灸・整体など東洋医学を学び、祖国中国で技術に磨きをかけた。そして、ここロサンゼルスで治療院を開業するに至ったのである。
 因みに、マイケル・リュウ氏、童顔でサラサラのストレートな黒髪、ツルツルのお肌だが、結構年行ってると思われる。アジア人の年齢は、欧米人にはわからないものだ。
 さて、雑居ビルの一室に治療院を開いたマイケル。開業資金は、祖父がこつこつと貯めた金と、マイケル自身がマッサージのアルバイトで貯めた金……ではなく、両親がテーブルの脚にこっそり隠していた大金。この謎の大金のおかげで、マイケルと祖父は今まで暮らしてこられたのだ。この金のおかげで、中国まで飛行機に乗って行けたし、伝統ある鍼灸学校に在学できたし。そして、この金のおかげで、Aチームに報酬も払えるのだ!
 それを聞いて、フェイスマンが仕事を受ける気になった。
 ところで、マイケルがどんな仕事をAチームに頼みたいのか、それが問題なのであるが、しかし、マイケルが「僕の治療院も、すぐにお客さんが来てくれるようになって、予約は連日一杯。持病の腰痛が治ったとか、仕事の疲れがすっかり消えたとか、膝の痛みが全くなくなったとか、ウエストが10インチ細くなったとかと、皆さん仰って下さって」と言ったのが間違いだった。彼の話を聞いていたハンニバルとフェイスマンの目がキラーンと光った。隣室で会話を録音していたコングにも、「キラーン」と音が聞こえたほどだ。
 そして今に至る。



「おい、モンキー。」
 床に座って静かに本を読んでいるマードックに、コングは声をかけた。
「キッチン行って牛乳持ってきてくれ。喉渇いちまったぃ。」
 だが、マードックは目を本に落としたまま、ふるふると頭を振った。それからパタンと本を閉じると、おもむろに立ち上がった。そうして、なじかは知らねど蛇拳のポーズ。
 コングの眉間に縦皺が。と、その時。
「ほあ〜〜〜〜っ、アキュッ!」
 手刀の先でコングの首筋を突ついた。ジャラジャラのネックレスの上の、髪の生え際辺りを。
「何しやがんでいっ!」
「アキュッ、アキュッ!」
 ガードするコングの腕を突つく。
「うむ?」
 コングは怪訝な顔をした。突つかれてはいるが、痛くはない。むしろ気持ちがいい。
「アキュッ、アキュアキュッ! アキュキュキュキュキュ!」
 腕を肩の方へと移動し、背中へと移っていく。
「お〜、こりゃ効くぜ。」
 ガードを下ろすコング。マードックが読んでいた本に目をやると、その表紙にはこう書かれていた――『TUBO(アキュパンクチャー・ポインツ)図解』、マイケル・リュウ著。



 それから2時間ほど経って、話は終わってないけれども腹も減ったので、Aチーム一同はアジトを後にし、マイケルの家にいた。そう大きくないテーブルを囲み、祖父コリン氏の手料理に舌鼓を打つAチームの皆さん。
「祖父ちゃんは、中華料理屋のコックなんです。」
 得意そうにマイケルは言い、目が見えないとは思えないほどの素早い正確な動きで、海老入り水晶餃子に箸を伸ばした。無言で頷く4人。何か言おうにも、口の中は餃子で一杯。コングは鉄鍋の中でジュウジュウと音を立てている、しっかりと味のついたニンニク入り餃子を抱え込んでいるし、フェイスマンは水餃子をチュルン、モグモグ、チュルン、モグモグとハイペースで食べているし、ハンニバルは手羽先餃子を右手で掴み左手には老酒の杯を握ってしるし、マードックが食べているのは変わり餃子。どう変わっているのか、中身が何なのかは、食べた本人にしかわからない。食べた本人にもわかってないかも。
 中華料理屋のコックの手料理にしては、餃子オンリー。良心的解釈をすれば、「餃子づくし」。デザートは、胡麻餡入り揚げ餃子と、米粉の皮で果物を包んで蒸したものに杏シロップをかけた冷たい一品。中に入っている果物がまちまちで、それが面白いと言えば面白いんだけど、中途半端に火の通ったスイカはどうかと思うフェイスマンであった。他のみんなのはリンゴやバナナだったので問題なし。



 食後、依然として食卓を囲むAチーム一同とマイケル。
「それで、皆さんにお願いしたいことなんですが。」
 と、マイケルが話を切り出した。待ってました、という顔のコング。
「商売敵を何とかしてほしいんです。」
 よくある依頼である。
「ズズッ、商売敵って?」
 中国茶を啜った後、尋ねるフェイスマン。
「僕の治療院があるビルの向かいに、先月、新築のビルが建ったんです。そこにエステティック&アロマティック・マッサージサロンができまして。僕のところに通ってきていたお客さんのほとんどが、そっちに移ってしまったんです。おかげで暇で暇で、餃子を包むしかない毎日ですよ。」
 明るい性格のマイケルが笑顔で言う。
「こいつはこうやって笑ってますけどね。」
 お茶のお代わりを注いで回りつつ、祖父コリンが口を開く。
「治療がこいつの生き甲斐なんですよ。他にこいつにできることって言ったら、餃子を包むことぐらい。」
「春巻も巻けるよ。焼売も包めるし。」
 と、マイケルが口を挟む。
「お前は黙っとれ。……身内のあたしが言うのも何ですが、恐らくこいつの鍼灸技術はアメリカ一でしょう。それでいて、治療代は安いもんです。そこいらのマッサージの半分くらいでしょうかね。それなのに、お客さんたちが何で別のとこに移っちまうのか、それが不思議で。」
 頷くハンニバルとフェイスマン。確かにマイケルのツボ刺激はよく効いた。その証拠に、あんなに餃子を食べたのに、胃がもたれたり、げっぷが出たりしていない! ビバ!
「皆さん、どうかマイケルを助けてやって下さい。」
 深々と頭を下げるコリン氏。その気配に気づいて、マイケルも頭を下げる。
「お願いします。このままでは僕も納得できません。」
「ええと、謝――
 謝礼はいかほどいただけるのか、と聞こうとしたフェイスマンだったが。
「わかった、引き受けよう。」
 と、ハンニバルが言い切った。深くこっくりと頷くコングと、短くコクコクと頷くマードック。
「ありがとうございます!」
 2人の明るい顔と、他3名の様子を見て、フェイスマンは溜息をついた。
 とりあえずフェイスマンは8人前の冷凍餃子をコリン氏から譲り受け、Aチームはリュウさん宅を後にした。



 その夜、Aチーム一同が作戦会議を行おうかどうしようかとしている最中、来客が訪れた。
 ピンポピンポピンポピンポピンポピンポーン!
『エンジェルだ!』
 4人はそう察知した。恐る恐るインターホンの受話器を取るフェイスマン。
「はい、どちらさま?」
「あたしよ!」
 ぴったしカンカン。
 フェイスマンがドアを開けると、エンジェルは「どーも」と笑顔を向け、ずんずんとリビングに向かっていった。
「ハ〜イ、みんな。元気?」
 ああ、とか、まあ、とか、曖昧な返事もちっとも耳に入っていない様子で、エンジェルがソファに腰を落ち着ける。今までフェイスマンが座っていた席に。
「はい、これお土産。台湾の凍頂烏龍茶。ヘイ・フィーバーも治まるスグレモノよ。煎れてくれる?」
 と、エンジェルの後からリビングに戻ってきたフェイスマンに渡す。茶袋を受け取り、何も言わずキッチンに向かうフェイスマン。マードックが小声で「ヘ〜イ、フィーバー♪」と歌っているのは、この際、無視していいでしょう。
「マイケルの依頼、受けてくれたんですってね。私からもお礼を言うわ。ありがとう。」
「何だ、エンジェル、奴と知り合いだったのか。」
 ハンニバルがロサンゼルス市内地図を眺めながら問う。
「何言ってんの、私が新聞記者のハードワークに耐えられてるのも、彼のおかげなのよ。なのに、私以外みんな、新しいマッサージサロンにあっさり乗り換えちゃって。今まで助けてくれたマイケルに申し訳ないと思わないのかしらね、全く。だからマイケルに、あなたたちに相談するよう勧めたの。」
「エンジェル絡みの依頼だったのか。」
 一介の鍼灸師がなぜAチームのことを知っているのかと、ちょっぴり怪しんでいたコングが、安心したように言う。
「そうよ。彼、私のこと言わなかった?」
「いんや、何も。」
 首を横に振るハンニバル。
「そう、まあいいわ、よろしくお願いするわね。失敗なんかしないように。それと、フェイス、ぼったくっちゃダメよ。」
 烏龍茶を煎れて持ってきたフェイスマンに、エンジェルが言う。言いついでに、カップを取る。
「んー、いい匂い。ほら、みんなも飲んで飲んで。」
 エンジェルに勧められて、各々カップを取る。
「ほう、こりゃ何ともいい匂いだ。」
「でしょでしょ。モンキー、本に夢中になってないで、ありがたくいただきなさい。」
「ほーい。」
 ツボ本から目を離さず、マードックもカップに手を伸ばす。
「……匂いの割に、味は何てことないね。」
 フェイスマンがシビアなことを言ったが、エンジェルには意識的に無視された。



 エンジェルが、来た時と同じぐらい唐突に「じゃあね」と言ってリビングを出ていった後、4人は凍頂烏龍茶を啜りながら作戦を練った。
 まずは、敵を探るところから。店の場所しかわかっていないのだから、探り甲斐がある。
「何が待ち受けてるかわからない。あたしが先陣切って乗り込みましょう。」
 ハンニバルがリーダーらしく言った。単にマッサージを受けたいだけなんだが。
「オイラも行く! ばっちりツボの位置覚えたから、ツボ刺激が上手いか下手か、すぐにわかるぜ!」
 と、マードックが元気に挙手。
「あ、俺も……。」
「定員2人。」
 フェイスマンが「俺もマッサージ受けたいなー」と思って口を開いたが、瞬時に却下された。
「フェイスは、コングと一緒に、ビルの持ち主を当たってみてくれ。俺たちは、敵さんとこに乗り込んで調査。その後、マッサージサロンのオーナーの名前を電話で連絡するから、オーナーについて調べてみてくれ。」
「ハンニバルたちは、連絡入れた後、どうすんの?」
「比較のために、マイケルの治療院に行く。」
 マッサージのハシゴとは羨ましい。
 不満はあれど、ハンニバルの決定には逆らえないので、これにて解散&就寝となった。
「そうそう、ハンニバル。餃子、摘み食いした?」
 席を立つハンニバルに、カップを片づけながらフェイスマンが尋ねた。
「餃子? 貰ってきた冷凍のやつか? 冷凍餃子を摘み食いするほど飢えちゃいませんよ。」
 あとの2名も、冷凍餃子を食べていないと言う。
「どうした? 冷凍餃子が消えたのか?」
「そう、消えちゃったんだ。冷凍庫に入れといたんだけど、さっき氷作っとこうと思って冷凍庫開けたら、餃子8人前、忽然と消えてた。」
 4人は腕組みをして、「う〜ん」と唸った。そして同時に結論に行き着いた。
「……エンジェルの仕業か……。」
 冷凍餃子の情報が、マイケル経由でエンジェルに漏れていたと思われる。



 翌日、午前10時。ハンニバルとマードックは、新築ビルの2階、エステティック&アロマティック・マッサージサロン『ポンデローサ』の前に立っていた。
「大佐……俺たち、ここに入んの……?」
 マードックでさえ躊躇している。
 彼らの目前には自動ドア。そのガラスには、金の縁取りでピンクの薔薇が描かれている。ドアだけでなく、壁面一面ピンクの薔薇。更に、そこここに、やけにリアルなロココ調のぷくぷくな天使(微妙に立体)が貼りつけられている。ドアの向こうには、シャンデリアが見えるが、その隣ではミラーボールが回っている。
 百戦錬磨のツワモノには、何だか場違いっぽい。
「入るしかあるまい。」
 意を決して、ハンニバルが自動ドアの前に立った。するするとドアが開く。
「いらっしゃいませ。」
 フロントの店員が静かに言った。
 店内は、外側ほどの装飾ではなかった。薄いピンクと薄いグリーンとでまとめられた店内は、トイレットペーパーを想起させないこともないが、シャンデリアとミラーボール以外は落ち着いて見える。立ち並ぶギリシア・ローマ神話風彫刻さえ気にしなければ。微かに和み系音楽が流れており、重ねてせせらぎの音も聞こえる。しっとりと適温の空気が心地好く、漂う柔らかい花の香りが精神をリラックスさせてくれる。
 ハンニバルはカウンターに足を進めた。
「マッサージ、お願いできるかな?」
「ご予約のお客様でしょうか?」
「いや、予約はしていない。今日が初めてだ。」
 カウンターの向こうの女性店員は、時計を見て、手元の表に目を落とした。
「30分コースでしたら、ご利用いただけます。」
「それじゃあ、30分頼む。2人な。」
「では、まず、そちらのティールームで問診表にご記入願います。」
 ソファとテーブルが設えられた一角で、2人は臭い湯(ハーブティー)を飲みながら問診表に答えを記入していった。氏名、住所、電話番号はでっち上げ。性別は正確に。年齢は適当に。職業は思いつくままに。
「『骨折経験はありますか?』……ある、よな……?」
「『現在、妊娠中ですか?』……違う、と思う……。」
 眉間に皺を寄せて考え込む2名。
「モンキー、俺は一体いつ、どこを骨折したかな?」
「大佐、オイラ妊婦?」
 マードックは妊娠していない。それは確かだ。しかし、それをマードックに告げてしまっては面白くないので、ハンニバルは答えないでおくことにした。
 難しい顔をしているツワモノたちの前に、2人の女性が姿を現した。2人とも真っ白な医療用白衣(丈の短いやつ)を着ているが、下はスウェットパンツ。1人は薄いピンク、もう1人は薄いグリーンの。そして2人とも、足元は素足に健康サンダル。ところで「スウェットパンツ」って死語? 今はジョッパーズって言うの? むしろ通販のパジャマの下?
「問診表はお書けになりましたか?」
 問われて、紙をずいっと突き出すハンニバルとマードック。
「えー、ソーンダイク様?」
 ハンニバルから問診表を受け取った女性が、ハンニバルの顔を見た。
「うむ。いかにも私がソーンダイクだ。」
「本日担当させていただきます、当サロン院長、フェリシア・ポンデローサです。」
 名刺を差し出され、ハンニバルはそれを受け取った。
 薄いピンクのパンツの方が、フェリシア。赤毛を引っ詰めにして、インテリっぽい眼鏡をかけている。
「スタドゥルメイヤ様?」
 もう1人の女性が、マードックから受け取った紙を読んだ。
「シュタットルマイアだ。」
「失礼しました、シュタットルマイア様。当サロン次長、ヴェロニカ・ポンデローサが担当させていただきます。」
 マードックも名刺を貰った。
 薄いグリーンのパンツの方が、ヴェロニカ。赤毛をボブにして、眼鏡はかけていない。
 フェリシアとヴェロニカに導かれるまま、Aチームの2人は別々に奥の部屋へと連れていかれたのであった。



 アジトに戻ってきたハンニバルとマードックを、フェイスマンとコングが冷たい視線で出迎えた。ソファに座ったまま。
「何で全く連絡くれなかったのさぁ? サロンのオーナーの名前、わかんなかったとかぁ?」
 フェイスマンが厭味ったらしく聞く。
「オーナーの名前ぐらい、わかりましたよ。名前だけじゃなく、経歴も、電話番号もね。」
 血行がよくなりお肌がベビーピンクのハンニバルが、パンフレットと呼ぶには分厚いブックレットをテーブルに投げた。
「サロンの院長、フェリシア・ポンデローサが店のオーナーを兼ねている。その冊子によるとな。」
「で、次長が、妹のヴェロニカ・ポンデローサ。」
 マードックはと言うと、妙にくったりしている。茹ですぎのうどんにも似た動きで、ソファに倒れ込む。
「どうした? マッサージのせいか?」
 と、コングが尋ねる。
「そ。すっごく気持ちよかった〜。ロミロミっていうハワイのマッサージだったんだけどさ〜。あ〜、また行きたい。」
 夢見るような表情で、マードックがたるたる語る。
「ハンニバルも、その何とかっていうマッサージ受けたの?」
「あたしが受けたのは、リフレックス何とかっていうイギリス式のやつで、足の裏をぐいぐいっとね。これがまた、痛いんだけど気持ちよくて。」
「あれ? ハンニバル、足の裏、悪かったっけ?」
「いやいやフェイス、人間ってのはな、体の全てが足の裏に繋がっててね。」
「そりゃ繋がってるでしょ。」
「そういう意味じゃなくて、何だ、その……ああ、この冊子を読め。」
 説明が面倒になって、ハンニバルはブックレットを指差した。それを手に取るフェイスマン。
「何々……英国式リフレクソロジー。足の裏や掌にある体の反射区を刺激することにより、各臓器に働きかけます。ご希望により、エッセンシャルオイルも使用いたします。……これだけじゃわかんないよ。何、反射区って?」
「後ろの方に反射区とは何ぞやって長々と書いてあるから、寝がけにでも読んどけ。ともかく、一言でマッサージと言っても、いろいろあるんだってことだ。フェリシアが専門としている英国式リフレックス何とかや、ヴェロニカが専門としているハワイのロミロミや、そしてマイケルの中国式指圧や鍼灸、と。まだまだあるんじゃないか?」
「あるといいねえ。ツボ刺激にこだわってたオイラ、井の中の蛙だったって思い知らされたよ。」
 ロミロミのおかげで、マードックの脳の調子はすこぶる平常人に近いようだ。
「それで、いくらだったの?」
 フェイスマンが、彼らしい問題を気にする。
「30分で1人25ドル、プラス消費税。詳しい料金制度は、やはりその冊子に書いてある。」
「格別安くも法外に高くもない、まあ妥当な値段だね。」
 ロサンゼルス市内のマッサージ店・施術院の料金をまとめたリストを出して比較するフェイスマン。ハンニバルから領収書とお釣を受け取りながら。事前に経費として100ドル渡してあったのだ。
「あのビルの持ち主は?」
 小銭をフェイスマンの掌に乗せつつ尋ねる。
「ええと、コングの調べによれば、あのビルの持ち主は、アントニオ・ポンデローサ。……ポンデローサって、ハンニバル、さっき言ったよね?」
 受け取った小銭をポケットに入れ、テーブルの上から適切な書類を取ってハンニバルに渡す。
「ああ、院長と次長がポンデローサ姉妹だ。店の名前からして『ポンデローサ』だしな。ってことは、そのアントニオとかいうのは、父親か祖父さんか夫か兄弟か親戚か何かか?」
「そこまではわかってない。」
「じゃあ、それを調べてこい。」
「言うと思った。で、マイケルの治療院の方はどうだった?」
 そうフェイスマンに問われて、ハンニバルとマードックは顔を見合わせた。
「モンキー、報告を。」
「えー、大佐言ってよ。」
 渋るマードック。上官に対してその態度はどうかと思うが。
「何? 何か言いたくないようなことでもあったの?」
「言いたくないわけじゃないんだが……マイケルのとこからポンデローサに客が流れても仕方ないかなって思いましたね、あたしは。」
「オイラも。」
「え? でも、マイケルのツボ刺激、あんなに気持ちよかったし(痛かったけど)、効果バツグンだったじゃん。」
「それはあたしも認めますよ。でもねえ、あれじゃあ……。」
 言葉を濁すハンニバル。顎に手をやってマンダムのポーズ。
「マイケルんとこの何がいけねえんでい?」
 冊子を読んでいたコングが、話を促す。
「強いて言わせてもらえば、インテリア、かねえ?」
「インテリア以前の問題っしょ、あれは。」
 具体的に言うと、だ。マイケルの治療院がある雑居ビルは、かなりの年代物で、エレベーターなんぞは当然ない。コンクリが欠けた暗い階段を登って2階が治療院であるが、2階に到着するまでに誰でも一度はクモの巣に捕らえられる。頭にかかったクモの巣を振り払いつつ、裸電球の光る廊下を進むと、怪しい接骨院や胡散臭いアクセサリー・ショップなどが軒を並べており、突き当たりに「リュウ治療院、ココ」と貼り紙がある。中国語で、それも毛筆書き(墨一色)。そして室内に入ると、コンクリ打ちっ放しではなく一応板張りではあるが、その板がまた年季の入ったもので、マットな質感で黒ずんでいる。毒か何かが塗り込んでありそうで、ちょっと触りたくない。床も、板張りそのまんま。そこに診療台が2つ。棚がいくつか。機械が数台。壁面には経穴・経絡相関図が貼ってあり、裸電球に照らされたその絵はかなり恐い。実質本位で、飾り気皆無。BGM皆無。清潔感すらない。マイケルは目が見えないから仕方がないのかもしれないが、誰か何か言ってやれよ。それにしても、そんな治療院に通ってるエンジェル、恐いもの知らず? って言うか、何も気にしてない?
「マイケルの方にも非はあると思うんだけどさあ、内装と外装を直したって、流れた客が戻ってくるってもんでもないし、どうすりゃいいんだろねえ……。」
 仰向けでソファにでれんと寝ているマードックが、天井を見詰めながら言う。退役軍人病院精神科、治療にロミロミを採り入れてみてはどうか。
「俺ァ、その話を聞いたからにゃ、マイケルんとこの改装、何が何でもやらせてもらうぜ。」
 と、前向きなコング。確かにそれは、コングの得意とするところ。
「じゃあ俺は、アントニオ・ポンデローサとポンデローサ姉妹との関係を調べた後に、治療院のPR活動かな。」
 と、フェイスマン。それもまたフェイスマンの得意分野。
「ポンデローサに流れた客はどうすんのよ?」
 何気なく核心(もしくは、痛いところ)を突いてくれるマードック。やはり、奇人変人にはロミロミか。
 今のところ、ポンデローサ側には何の悪意もないようだし、何の悪事も働いていない、と思われる。しかし、道路を挟んで両側のビルに、方向性は違えど大雑把に言えば同じマッサージ屋、というのはいただけない。いくら改装してPR活動が行われたとしても、分が悪いのはマイケルの治療院の方だ。いくらマイケルの技術があったとしても、いくらマイケルの治療院の方が時間当たりの料金が安くても。ポンデローサには女性客を引きつける要素がてんこ盛りだし、男性客を引きつけようという意図ではないのかもしれないが、店員は、院長・次長を始め美人揃い。インテリアは多少妙だが、そのくらい慣れてしまえば何てことない(はず)。実際、ハンニバルとマードックもリピートを希望しているぐらいだ。
「こんな卑劣な手段は使いたくないんだが、仕方あるまい。」
 そうハンニバルが重いトーンで言った。何事かと思い、リーダーの方に顔を向ける部下たち。
「客がポンデローサに行こうと思わないように仕組む。」
「どうやって? 卑劣な手段で?」
「ああ、卑劣な手段で、だ。俺とモンキーは面が割れているので、フェイスとコングにやってもらおうか。その間に、俺たちがアントニオ・ポンデローサについて調べる。マイケルの治療院の改装は、あとでみんなでやることにしよう。フェイスはPR活動な。」
「PR活動はいいけど、俺とコング、何すればいいわけ?」
 何をさせられるのか不安で一杯なフェイスマン。それはコングも同じこと。イヤ〜な予感に、顔を見合わせる。
「なあに、ポンデローサに行って、店の女の子たちとお喋りしてくればいいだけさ。」
 ハンニバルは、笑わずに葉巻に火を点けた。



 ポンデローサの自動ドアがするすると開いた。
「いらっしゃい……ませ。」
 フロントの店員が、一瞬言葉を詰まらせた。店に入ってきたのが、いかにも悪党じみた男2人だったからだ。1人は、黒いダブルのスーツに赤い派手な開襟シャツ(当然、シャツの襟はスーツの外)。胸元に光る金のネックレス、左手首には金のロレックス、右手首には金の喜平ブレスレット。靴はエナメル。髪をオールバックに撫でつけて、サングラス。もう1人は、同じくサングラスのマッチョな黒人。一応、彼も黒のスーツ姿ではあるが、袖は破き取ってある。ジャラジャラと重そうなネックレスとモヒカンカットが印象的。――言わずもがな、フェイスマンとコングである。
「フェリシアとヴェロニカのポンデローサ姉妹はいる?」
 フェイスマンが微妙に斜めな感じでカウンターに歩み寄り、作り声でフロントの店員に聞いた。
「ど、どういったご用件でしょうか?」
 震える声で店員が答える。その様子を、順番待ちの客が、雑誌を読んでいる振りをしながらも恐々と盗み見ている。
「いるかって聞いてんだ!」
 大声を出し、カウンターをバン! と叩くフェイスマン。その後ろでは、コングが口をヘの字にして、拳を握り締める。
「お、おります。で、で、ですが、今、施術中で……。」
「あっ、そう。」
 店の奥に進んでいこうとするフェイスマンの前に、店員が慌てて回り込んで、押し留める。
「お、お待ち下さい、ミスター。」
「親分に触んじゃねえ!」
 その途端、コングの怒声が飛んだ。びくっとして、店員が、フェイスマンの胸に触れていた手を放す。
「賢明だね、シニョリーナ。俺たちは、ただあの2人に用があるだけなんだ。でも……。」
 妙に優しく言い、フェイスマンは意味深な間を置いた。
「でも、俺たちの邪魔をする奴がいるとなれば、ハッ、どうなることか。」
 フェイスマンが楽しそうに笑う。コングも、わざとらしく歯を見せる。
「ま、今日のところは君の勇気に免じて、退散することにしよう。2人によろしく伝えてくれよ。また明日来た時に、彼女たちが例のブツもしくはそれなりの色好い返事を用意しておいてくれなかったとしたら……そう……。」
 と、客の方に顔を向ける。
「大切なお客さんに危害が及ぶかもしれない。そして……君にも。」
「……あ、あの……大変差し出がましいようですけど、一体、院長と次長にどういったご用件なんでしょうか?」
 なおも尋ねてくる勇敢な店員に向かって、ふるふると頭を横に振るフェイスマン。
「聞かない方がいい。知ってしまったら、君は、今夜にでもサンタモニカ湾の魚の餌になる運命だ。」
「で、ではせめて、お名前を。」
「フェデリコ、と女たちには呼ばれてる……。」
 それだけ言うと、フェイスマンは踵を返し、自動ドアに向かってゆっくりと、しかし異常なほどに肩を揺らして、歩いていった。その後について行くコング。
 自動ドアが閉まった後、店員はヘタリ、とその場に座り込んだ。そして、問題の客たちは――
「あ、ちょっと用事を思い出したんで。」
「今日は娘の授業参観日だったな。」
「アイロンのスイッチ切ったかしら?」
 とか何とか言いながら、店を出ていったのであった。



「これ、明日もやんの?」
 変装したままのフェイスマンが、アジトに戻るなりハンニバルに尋ねた。
「よく似合ってますよ。」
 全然答えになっていない返事をするハンニバル。
「言われた通り、何も壊さなかったぜ。フェイスも碌なこと言わなかったしな。」
 上着を脱ごうともぞもぞしながらコングが報告する。
「よろしい。アントニオ・ポンデローサは、案の定、フェリシアとヴェロニカの父親だった。最近、ニューヨークからこっちに越してきてる。」
「こっちに来て、あそこの土地買ってビル建てて? 随分羽振りいいね。」
「家も1軒買ってる。住所はここだ。」
 と、メモをフェイスマンに見せる。
「その家の表札によると、フェリシアとヴェロニカもそこに住んでる。あと、住んでるんだかどうか知らないけど、黒服のあんちゃんたちがじょわじょわいた。」
 H.M.茹ですぎうどん・マードック、相変わらずソファで伸びてはいるが、仕事はきちんとこなしている。
「もしかしてもしかすると、本物のマフィア?」
 偽物のマフィアが聞く。
「かもしれんし、違うかもしれん。ポンデローサ一家なんて聞いたことないしな。」
 ハンニバル、ニューヨークの全悪党組織図を網羅&記憶してんのか?
「新興勢力かもしれねえぜ。」
「単なる金持ちって可能性もあるよね?」
 自分に都合のいい方に考えたいフェイスマンであった。もし単なる金持ちだったら、フェリシアに近づこうかヴェロニカにしようか、それとも両方? なんて考えている。かのブックレットによれば、フェリシアはイギリスに留学してリフレクソロジーを学んだ心理学者かつハーバリスト、ヴェロニカはハワイでロミロミを学んだ異文化研究家かつアロマテラピスト。うーん、どっちも捨て難いなあ。写真でしか見てないけど、ルックスから言うとフェリシアの方が好みかな?
「それじゃ、マイケルの治療院の改装に行きますか。フェイス、何か熟考しているようだが、PRの方、任せたぞ。」
「あ、ああ、うん。」
 リーダーの言葉に、フェイスマンの取らぬ狸な妄想は、エスカレートしないうちに中断を余儀なくされた。



〈Aチームの作業テーマ曲、かかる。〉
 箒を振り回して階段のクモの巣を払うマードック。治療院の壁板を剥がすコング。代わりに白い壁紙を貼っていくハンニバル。何やら電話をかけまくっているフェイスマン。餃子を包むマイケル。英語で看板を書くマードック。サッシを取り替えるコング。床にカーペットを敷き詰めるハンニバル。刷り上がったチラシを満足げに眺めるフェイスマン。春巻を巻くマイケル。治療用の機械に繋がっているコードを両手に持って痺れているマードック。階段のコンクリを直すコング。各所の電気をつけ替えるハンニバル。ラジオ局でマイクに向かって何事か喋っているフェイスマン。階段の壁面にペンキを塗るマードック。治療院に有線放送のチューナーを設置するコング。餃子を食べるエンジェル。最新の診療台を運んできた業者に指示をするハンニバル。雑居ビルの小綺麗になった入口を写真に撮るフェイスマン。焼売を包むマイケル。真剣な顔で記事を書くエンジェル。診療台の上でぐったりしているマードック。治療院の窓に「リュウ治療院」と逆さ文字を貼っていくコング。綺麗になった廊下で一服するハンニバル。マイケルの写真を撮るフェイスマン。撮られているマイケル。治療院の入口にスリッパを並べるコリン氏。電気屋で空気清浄機を買ってリボンをかけてもらっているエンジェル。
〈Aチームの作業テーマ曲、終わる。〉



 改装作業開始から2日目の夜。コンクリはまだ十分に固まってはいないが、見違えるほど綺麗になったリュウ治療院に、マイケル、コリン氏、Aチーム&エンジェルの全員が集合していた。
「皆の者、ご苦労であった。」
 ニッカリとハンニバルが笑う。院内は禁煙のため、葉巻は咥えていない。
「明日のうちの新聞に、ここの紹介記事がデーンと載るから、期待してて。あ、因みに、その記事書いたの、私ね。」
 エンジェルが胸を張って言う。既にエンジェルからの改装記念プレゼント(空気清浄機)は稼働している。
「本当に、皆さん、ありがとうございました。」
 コリン氏が深々と頭を下げた。
「どうもありがとう。僕にはわからないけど、すごく綺麗になったみたいですね。」
 マイケルも頭を下げる。
「いやいや、礼は客が殺到してから言ってくれ。」
「絶対、殺到するって。チラシは撒いたし、ラジオで宣伝流したし、いろんな雑誌にこの治療院の記事を載せてくれるように頼んできたし、知り合いに電話かけまくって何気なくリュウ治療院はいいよ〜ってプッシュしまくったし。」
「(小声で)合間合間にポンデローサに顔出してきたしな。」
 そういうわけで、偽マフィアの装いのフェイスマンとコング。マイケルはさて置き、コリン氏もエンジェルも、この2人の変装に何も意見はないようだ。と言うか、むしろ変装だと思っていないのではなかろうか。
「マイケル、明日が楽しみだな。明日はあたしも手伝うよ。」
 コリン氏が孫の肩を抱いた。
「それじゃ、我々は帰って寝るとしますか。」
 実はAチーム、改装期間中、一睡もしていなかったのである。各々、マイケル(やマードック)にツボを押してもらったりはしていたが。



 アジトで熟睡していたはずのAチームが目を覚ましたのは、アジトのベッドの上ではなかった。ソファの上でもなかった。もちろん、ベッドの下とかソファの下とかでもない。見知らぬ家の床の上。毛足の長いふかふかのカーペットが心地好い。レースのカーテンを通して差し込む日差しも清々しい。
「おはよう、皆さん。随分ごゆっくりなお目覚めだな。」
 そう言ったのは、見知らぬ男。どこからどう見てもイタリアン。顔を見ただけでイタリアンとわかるほど。
「アントニオ・ポンデローサか。」
 床から身を起こして、ハンニバルが伸びをしながら言った。
「ご名答。なぜわかった?」
 ソファに座るイタリア男は、驚いた様子もなくそう尋ねた。
「あんたがポンデローサ姉妹にそっくりで、その上、この部屋のインテリアとポンデローサのそれには、かなりの共通点が見られる。」
 そう、このリビングルームの壁紙はピンクの薔薇模様(金の縁取り)。そして、ずらりと並べられた彫刻の数々。
「あとね、匂いがポンデローサっぽい。」
 床に伸びたままマードックが口を挟んだ。
「ラベンダーの香りだ、落ち着くだろう。薔薇の香りも至極よろしいんだが。」
 既にすっかり目覚めて床に胡座をかいて座っているコングと、未だ毛布を抱き締めているフェイスマンに目を向け、アントニオは眉を顰めた。
「君たち、うちの娘たちに何の用だったんだ?」
「ああ、その件で我々はここに連れてこられたのか。」
 なーんだ、という感じで、ハンニバル。
「こちらのお二方だけに用があったんだが、一緒にいたもんだから、ついでに君たちも連行させた。」
 お二方、即ちフェイスマンとコング。ついでの君たち、即ちハンニバルとマードック。
「こちらのお二方のせいで、うちの娘たちの店には閑古鳥が鳴いている有様だ。」
「それはそれは。」
 卑劣な手段が上手く行っていたのだとわかって、ハンニバルは満足げに頷いた。
「……もう、ごちゃごちゃうるさいよ……。」
 事態を把握せずに惰眠を貪っていたフェイスマンが、やっと目を覚ました。上半身を起こし、ゆっくりと辺りを見回す。そして、ぼんやりとした目でアントニオを見詰めた。
「……ドン・デ・ローザ?」
「そういう風にも呼ばれてるね。」
 アントニオは気障ったらしい動きで脚を組み替えた。本当は、ドン・ポンデローサなんだが、それがいつしかドン・デ・ローザに変わってしまったのだ。そして、ローザ一家と呼ばれてもいた。アントニオがピンクの薔薇マニアなので余計に。
「ドン・デ・ローザだと?」
 驚いたように尋ねるハンニバル。
「ブルックリンの一角を仕切っていたドン・デ・ローザか?」
「数年前まではね。」
「……確か、縄張り争いに敗れて、東部から追い出されたとか。裏切った部下が毎週10人ずつハドソン川に浮いたとか。」
 寝起きの頭をフル回転させるフェイスマン。
「それも昔のことだ。今じゃしがないビルのオーナーさ。」
 アントニオは哀しげに微笑んだ。
「しがないビルのオーナーにしては、やけに大勢、黒服のお兄さんを従えてるようで。」
 現に、このリビングにも黒服の男が数名。
「これは、うちの制服だ。彼は私の秘書、向こうの彼は会計士、あっちの彼は弁理士。それと、庭には庭師。コック、家政夫、みんな黒服なんだ。私としては、もっと派手な服がいいんだが、いくつか案を見せたら、みんなして黒服がいいって言い出してね。黒のスーツに黒のネクタイ、白のシャツなんて、地味でつまらないのにねえ。その上、誰が始めたんだか、黒のソフト帽とサングラスまで。」
 黒服の男たちが、こっくりと頷く。きっとアントニオが提案した制服のデザイン画は、とんでもない派手さだったのだろう。金で縁取りされたピンクの薔薇が一面にプリントされたシャツとか。ロココ調天使とオリエンタルな般若がプリントされたエプロンとか。
 と、その時。コンコン、とノックの音が響いた。
「例の男を連れてまいりました。」
「よし、入れ。」
 観音開きのドアが開いて現れたのは、ムシロを肩に担いだ黒服の男。その男がアントニオの前にムシロを置いてそれを開くと、中から現れたのは、猿轡を噛まされたマイケルだった。マイケルの猿轡を解く黒服の男。
「これで関係者全員が揃ったようだな。」
 エンジェルとコリン氏は除外されているらしい。
「では、話を戻そう。君たちは一体、うちの娘たちに何をしようとしていたんだ?」
 何も答えないAチームと、困惑している最中のマイケル。
「まあ、何を企んでいようと、この際、関係ない。営業妨害をしたのは事実だ。その罪を償ってもらおうじゃないか。」
 一暴れしますか、と、ハンニバルは部下たちに目で合図を送った。頷く部下一同。



〈Aチームのテーマ曲、かかる。〉
 会計士に飛びかかるフェイスマン、2人して床に倒れ込む。秘書に「アキュッ」と手刀を食らわせるマードック、秘書の慢性胃炎が楽になった! 逃げようとする弁理士の胸倉を掴むハンニバル、しかし弁理士も負けてはいず、ハンニバルの腹に膝キックをお見舞いする。アントニオに突進するコング。が、アントニオはするりとそれを避け、コングにデコピン。どこからともなく、わらわらと湧いてくる黒服たち。床に座ったまま、びくびくとしているマイケル、大きな音がするたび、そちらに顔を向ける。
〈Aチームのテーマ曲、終わる。〉



 アントニオが言った通り、肉弾戦向きでない黒服の男たちは、ハンニバル、フェイスマン、マードックの3人によってコテンパンに伸され、キャンプファイアよろしく床に積み上がっている。一方、コングは、するりひらりと身をかわし続けるアントニオに一撃も加えられないでいる。案外手強いアントニオ。伊達にブルックリンの一部を牛耳っていたわけではない。イライラとして鼻梁に皺を寄せるコング。まるで野生の獣のよう。
「こん畜生! のらりくらり逃げてねえで、男らしくかかって来いってんだ!」
 ファイティング・ポーズのコングが、熱い鼻息をブフゥッと吹く。対するアントニオ、ネッカチーフを後ろに弾いて、その手で「カモ〜ン」とコングを挑発する。それを固唾を飲んで見守る残りの面々。と、その時!
 バーン!
 リビングのドアが勢いよく開いた。
『エンジェルか?』
 とAチームの面々は思ったが、ハズレ。
「帰ったわよ、パパ!」(×2)
「おお、お帰り、娘たちよ!」
 早足でアントニオに近寄り、頬にキスをするフェリシアとヴェロニカ。フェリシアは、薄いピンクのスーツにライラックのブラウス。ヴェロニカは薄いグリーンのパンツスーツにクリーム色のブラウス。2人とも足元は素足に健康サンダル。
「今日は早かったな。」
「ええ、今日は2人してお休みを貰って、全米マッサージ協会主催の講演会に行ってきたんだけど……。」
 と、そこまでを姉が言い、妹が続ける。
「お目当ての鍼灸師が急遽欠席で、もう私たちがっかり。途中で帰ってきちゃったの。」
 鍼灸師……が、欠席……?
「その鍼灸師、すごい人なのよ。盲目の中国系アメリカ人で、まだそれほど年じゃないのに――私より少し年上だったかしら? なのに、信じられないぐらいの技術と知識を持っていて。私、彼の著書を毎日読んでるのよ。あんなに詳しくて正しい経穴・経絡相関図、他にないと思うわ。」
「私たちがマッサージの道に進んだのも、彼の影響なの。ロスに住もうって提案したのも、実は、彼がロスで開業してるって噂を聞いたからだし。今日、やっとお会いできると思って楽しみにしてたのに、どうなさったのかしら?」
 説明して下さる姉妹。Aチームの8つの瞳は、マイケルの方を向いている。マイケルは、眉間に皺を寄せ、口を半開きにして、ポンデローサ親子の方に顔を向けている。
「ほう、そんなにもお前たちに尊敬されている人物がいるとはな。その鍼灸師の名は何と言うんだい?」
「マイケル・リュウ様!」
 手をお祈りのポーズにして言い放つ姉妹(30代)。その語尾には明らかにハートマークがついていた。
「身長5フィート7インチ、黒髪、好物は海老入り水晶餃子。」
「まだ未婚で、特定の彼女もいないんですって。写真は見たことないけど、きっとストイックでステキな方だと思うわ。」
 盛り上がっている姉妹は、ムシロの上で体育座りしている男がおずおずと挙手しているのにも気づいてない。
「お父さん、お父さん。」
 ハンニバルがアントニオに声をかけた。
「そこの青年が何か発言したいようなんだが。」
 そう言われて、アントニオはムシロの上のアジア人(パジャマ姿)を見下ろした。
「坊や、何か言いたいことがあるのかい?」
「……僕ですか? ああ、はい。」
 一瞬、自分に向けられた言葉だとはわからなかったマイケルが、アントニオの声がする方向に顔を向けて答えた。
「あの、講演会に行けなくて済みませんでした。朝早くに寝ているところを襲われて、それからずっとムシロに巻かれて車のトランクに閉じ込められていたので。」
「……何言ってるの、この子は?」
 フェリシアとヴェロニカも、マイケルを見下ろす。
「あ、ごめんなさい、自己紹介が遅れまして。僕、マイケル・リュウです。」
「何ですってー!」
 姉妹が声を合わせて叫んだ。



 マイケルがマイケル・リュウ本人だとなかなか信じなかったポンデローサ姉妹だったが、実際にマイケルの指圧を受けて、遂に本人だと認めた。
 その間、Aチームとアントニオ(および黒服一同)は緊迫した空気の中、それぞれ勝手に寛いでいる振りをしていた。
「あ、そうだ、ドン・デ・ローザ、電話借りていい?」
 いきなりフェイスマンが言い出した。
「どうぞ。通話料は私が負担してあげよう。」
 アントニオの厭味に、嬉しそうな顔をするフェイスマン。リビングの電話の受話器を取り、ダイヤルを回す。
「何だって? ああ、やっぱり! うん、すぐ向かわせる。」
 電話を切ったフェイスマンが、マイケルの方に顔を向けた。
「マイケル、急いで治療院に行って! お客さんが詰めかけてきてて、コリンさんが半泣き状態だ!」
「そうだ、忘れてた! フェリシアとヴェロニカも手伝ってくれる? 今日、休み取ったって言ってたよね?」
「ええ、何だかわからないけど、いいわよ。あなたの頼みなら。」
 と、乙女の下心がありそうだけれども頼もしいフェリシア&ヴェロニカ。2人に導かれて去っていくマイケル。
「私にはまだ理解できんのだが、一体どういうことなんだ? お前たちと言い、あの年齢不明な鍼灸師と言い、うちの娘たちとどういう関係なんだ?」
 アントニオに尋ねられて、ハンニバルは部下たちの顔を見た。みんな、諦めたような表情で小さく頷いている。
「よろしい。全てお話しましょう。……と言っても、どこから話すべきか……。まず、俺たちはAチーム。ご存知かな?」
「Aチーム? 知ってる知ってる、よく知ってるよ。と言うことは、あなたがかの有名なジョン・ハンニバル・スミス?」
 アントニオの顔が輝いた。目もキラキラしている。2人称も「あなた」になってるし。こりゃあかなりのファンと見た。
「そうすると、あなたがコング、あなたがフェイスマン、そしてあなたがクレイジー・モンキー。うわあ本物だ、本物だ、本物のAチームだぁ〜。気づかなかったよ〜。」
 ハンニバルより少し年下のおじさんが、本物のAチームを前にして、子供のように喜んでいる。その後ろで、黒服の一人がこっそりとどこかに電話をかけていたが、それには誰も気をかけていなかった。
 アントニオを落ち着かせて、事情を説明するのに数十分しかかからなかったが、しかしその後、Aチームは過去の様々な活動をアントニオに披露せざるを得なくなっていた。
 ポンデローサ家のリビングは、オレンジ色の夕陽に染まっていた。遠くから聞こえてくるサイレンの音。それがだんだんと近づいてくる。窓に駆け寄り、道路の方を見るAチーム。
「ヤバい、デッカーだ!」
 我先にとドアに向かって駆け出すフェイスマン。
「ドン・デ・ローザ、話の続きはまた今度!」
 ハンニバルがチャッと手を挙げる。
「今度っていつだ?」
 寂しげに問うアントニオ。ねえ、今度っていつ?
「知るか、俺たちが無事MPから逃げおおせた後だ!」
 テーブルの上の茶菓子をガサッと掴むコング。
「ねえねえ、ヘリある?」
 そう聞くのはもちろんマードック。
「プールの脇にあるが……。」
「俺ァヘリになんか乗らねえぞ!」
 マードックの名案(ヘリでトンズラ)もコングによってあっさりと却下され、夕陽の中を全力疾走していくAチームであった。



 その後、ポンデローサ姉妹は店を畳み、大繁盛のリュウ治療院で施術師として働き始めた、というエンジェルからの報告である。そして、問題の報酬だが、今回、経費が著しくかかったにもかかわらず、珍しくも、請求通りに、全額間違いなく、めでたく支払われたのであった。アントニオ名義で。
【おしまい】
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