ファイティング・ニモ
鈴樹 瑞穂
 ニモはノースダコタ生まれのアメリカ人だ。家はレストランを経営している。3人兄弟の長男である彼が、将来はそのレストランを継ぐものと、両親も彼自身も信じて疑わなかった。ニモがロサンゼルスの調理師専門学校に行くまでは。
 調理師専門学校で、ニモは運命的な出会いをした。要するに、恋に落ちたのだ。
 相手は黒髪のおかっぱがいかにもそれらしい日本人娘。名前はカオリ。もちろん一重瞼。そして、彼女の実家もまた、喫茶店を経営しており、跡継ぎを必要としていた。
「うちは名古屋で3代続く老舗の喫茶店なのよ。」
 まことしやかにカオリに言い放たれ、ニモは決心した。ノースダコタのレストランを棄て、名古屋の喫茶店を継ぐことを! ノースダコタのレストランと、年老いた両親は、弟が何とかしてくれるだろう。多分。



 以上が依頼人、ニモ・フィッシャー氏の境遇である。ここまで聞き出すのに30分。ようやく本題に入るらしい。うとうとし始めていたフェイスマンは、隣に座るエンジェルの肘鉄を食らい、ソファの上でずり落ちかけた姿勢を直した。
「お話はよくわかりました。それで……喫茶店経営のニモさんが折り入ってAチームにご依頼とは、その……どういったご用件でしょう? 日本は極めて治安のよい国と聞いていますが。」
 営業スマイルをニモ青年に向けるエンジェル。
「そう、日本はいい国ですよ。でも、僕の手に負えないこともあるんです。それで、是非Aチームの皆さんのお力を貸していただきたくて、つてを頼ってここまで来たんです。」
 両の拳を握り締め、力説するニモ青年。依頼の内容はここでは説明しにくいので、とにかく一緒に来てほしいと言う。どこまで? 名古屋まで!
「依頼の内容を聞かないことには、受けるかどうかは……。」
 ここで再び、フェイスマンの脇腹にエンジェルの肘鉄がヒットした。キッと向けられた顔には「問答無用! 行ってらっしゃい」と書かれている。例によって窮乏生活を送るAチームは、先月の家賃と食費を彼女から借りていた。よって今、決定権は彼女にあるのである。
「わかりました。出発は明日ということで準備を進めますわ。」
 にこやかに依頼人に告げるエンジェル。その横で、フェイスマンは深い深い溜息をついた。準備とは、即ち、ハンニバルを説得し、マードックを病院から連れ出し、コングに睡眠薬を飲ませる作業である。ロサンゼルスから日本……睡眠薬はどのくらい用意すればいいだろうか。



 翌日。Aチームの面々――サングラスをかけ、サファリシャツを着たハンニバル、ベージュのスーツを着たフェイスマン、革ジャンのマードック、カートに括りつけられ夢の中のB.A.バラカス――はニモ青年と共に空港にいた。今回はついて行く気満々のエンジェルも長期休暇をもぎ取り、パンツスーツ姿で妙にでっかいスーツケースを引いている。
「そのスーツケース、何が入ってんの?」
 マードックが尋ねると、エンジェルはにっこりと微笑んだ。
「何も――ほとんど空よ。今はまだ、ね。」
――買い物か!
 フェイスマンは電撃のように悟った。今回の仕事をエンジェルが2つ返事で引き受けた理由を。飛行機代は依頼人持ち、しかも4人が依頼を片づけている間、彼女はフリーになる。
「さあ、日本に乗り込むわよ!」
 エンジェルは意気揚々とニモとAチームを引き連れ、ハイヒールの音も勇ましく搭乗ゲートへと向かった。



 更に1日経過。
 ロサンゼルスを発った時よりややくたびれた風情の一行は、新幹線名古屋駅に降り立った。既にコングも目を覚まし、自力で歩いているが、やはり成田から東京駅に出て、そこからまた新幹線の行程はきつい。
 因みにエンジェルは、東京駅に着いた時点で、「ここからは別行動にしましょ!」と言い放ち、呆気に取られる一同を置いて、迎えに来た日本女性と一緒に去っていった。予め、日本のプレスにいる知り合いに連絡をつけてあったらしい。
「車で来た方がよかったんじゃねえか?」
 新幹線の狭い座席からようやく解放されたコングが、伸びをしながら言った。
「いえ、日本の高速で渋滞に巻き込まれるくらいなら、電車を使った方がマシです。」
 ニモ青年は恐ろしいものを思い出したかのように青ざめ、ブルブルと首を横に振った。
「それはそうと……妻が迎えに来ているはずですが……。」
 きょろきょろと改札を見回すニモ青年。釣られてAチームの面々も辺りを見回す。一応、事前にカオリの写真はニモから見せられてはいるのだが、彼らの目には日本人女性は皆同じように見える。フェイスマンの眼力でも、モンキーの野生の勘をもってしても、不明なものは不明。
「ああ、いました。カオリ!」
 ニモが手を振って、1人の女性の方へと駆け寄った。
「カオリ……?」
 人を指差してはいけません。という注意をする前にもう、フェイスマンの手は震えていた。
 なぜなら。ニモ青年の愛妻、カオリ・フジワラ・フィッシャーは写真の面影とは程遠い女性へと成長(?)していたからである。写真では黒髪ストレートのおかっぱだった髪型は、国籍を疑うような茶髪のウルフカットになり、ほっそりとしていた面立ちはふっくらぱんぱんになっている。変わらないのは切れ長の一重の目だけで、それがまた妙な迫力を醸し出していた。おまけに、駅まで来るのにエプロンにサンダル履きっていうのはどうよ? まあ、車で来たんだろうけど。
「この人たちがAチームとやら? ホント〜に大丈夫なんでしょうねぇ?」
 値踏みするような眼差しでカオリに見られて、心底居心地の悪い気分を味わうAチーム。
「大丈夫! 何しろベトナム帰りのツワモノ揃いだからね。」
 爽やかに請け合うニモ青年。怖いぞ、この夫婦。
「あ〜、それで依頼の内容ってのをそろそろ聞かせちゃもらえないだろうか。」
 気を取り直して尋ねるハンニバル。すると、ニモとカオリは顔を見合わせて頷いた。
「それをこれからお話します。まずは僕たちの喫茶店へ行きましょう。」
 ぎゅうぎゅうとバンに押し込まれて、Aチームは連行された。途中、観光案内のつもりなのか、名古屋港とか、金のシャチホコとか見せられながら。



 フジワラ家が3代に亘って経営しているという喫茶店は、繁華街が終わりかけているという微妙な立地条件にあった。何でもこの辺りは栄と言うらしい。
「遠路はるばるお疲れでしょう。まずはコーヒーでも飲んで、ごゆっくり寛いで下さい。」
 そう言ってニモが運んできたのは、言葉通りコーヒー……と、ホットサンド、茹で卵、サラダ、果物、チョコレートやキャンディ。
「あの……俺たちあんまり腹は減ってないんだ。さっき新幹線の中で朝食代わりに駅弁食べたばっかりだし。」
 フェイスマンが指差す時計は10時半。重々しく頷くニモ。
「わかってます。僕も最初は驚きました。でもこれが、名古屋のコーヒーなんです。」
「何言ってんのー。コーヒー頼んだらコレくらいついてくるのは当たり前やないの。」
 カオリの方言がかなり怪しいのは置いといて。爆弾発言にフェイスマンの血が騒いだ。
「失礼ですが、このコーヒー、1杯おいくらで?」
 さっとメニューを取り上げ、検分する。
「コレじゃ赤字じゃないか!」
 頭を抱えるフェイスマン。
「そうかもしれませんねえ。」
 おっとりと答えるニモ青年。
「どうしてこれでやって行けるんだ!」
「そこが名古屋の七不思議やねー。」
 ころころと笑い飛ばすカオリ。
「別に不思議でも何でもありません。単に薄利多売。もしくは別メニューで稼ぐ。それだけですよ。」
 そう言って、ニモはどこからか取り出したソロバンをシャカシャカと振って見せた。
「この名古屋は、非常に喫茶店の競争が激しいんです。だから、これくらいのサービスはどこの店でもやっていますし、逆にこれが当たり前になってしまっている。もちろん、これだけじゃ他の店と同じですから、客を呼ぶためには更なる差別化が必要です。」
 ニモは丸暗記したようなセリフを滔々と喋った。飛行機の中で考えていたんだろうなぁ、ずっと。
「そこで! 皆さんに依頼したいのは、差別化のための方策です!」
「そうは言っても、あたしたちゃ、喫茶店に関してはシロウトなんだが。」
 溜息と共にハンニバルが葉巻を取り出す。
「ちょっとアンタ、ウチは基本は禁煙。吸うなら喫煙コーナーに行った行った。」
 ハンニバルを追い立てる、カオリおかみ強し。
「心配要りません。協力してほしいのは、新メニューの試食ですから。」
 喫煙コーナーを指し示しつつ、ニモが言い切った時、それまで黙っていたマードックが口を挟んだ。
「ちょっといい? コレ、何? 初めて食べる味なんだけど。」
「まったりとしてて、それでいて少しもしつこくねえ……。」
 複雑な表情でコングも口をもぐもぐさせている。おとなしいと思ったら、これまで2人して、出されたホットサンドを食べていたらしい。
「ああ、それはあんこサンドです。なかなかイケるでしょう。」
 にこやかにニモ青年が教えてくれる。
「あんこ?」
「アメリカではあまり食べませんね。アズキ・ビーンズを砂糖で煮たものですよ。」
「砂糖って……甘いのか?」
 興味津々で自分も手に取るフェイスマン。遠く喫煙コーナーから複雑な表情で見守るハンニバル。
「ホントだ……甘いけど、クリームみたいにしつこくない。」
 フェイスマンが言うと、カオリは満足げに頷いた。
「そうでしょ? そのあんこサンドや、あんこトーストは名古屋の喫茶店じゃ定番のメニューなんだから。」
「名古屋の喫茶店じゃ、ってことは、他の町じゃ違うのか?」
 冷静な質問をするのはコングである。
「ええ、まあ。名古屋の味覚ですね。あんこ自体はどこでも食べますが……普通は和菓子やお汁粉です。でも、名古屋人はあんこが好きですから! 僕が調べたところによると、一家に1缶は茹でアズキを常備してます。」
 ニモは力説した。カオリがそれを投げやりに補足する。
「そう言えば、スパゲッティの上にソースの代わりにあんこをかけた、あんかけスパゲッティっていうのもあったわね。」
 実際にまだあんこを口にしていないハンニバルを除いたAチームの3人の頭に、大きな疑問符が飛び交った。フェイスマンはハンニバルの物問いたげな視線に気づくと、喫煙コーナーまで歩いていき、手にしていた齧りかけのあんこサンドを無言でハンニバルに差し出した。
「そこで、です!」
 あんこサンドを口にしたハンニバルに発言する機会を与えずに、ニモは言い切った。
「他の喫茶店との差別化を図るには、あんこを使った画期的新メニューの開発しかない。皆さんには、その試食をしてもらいます。」
 わざわざロサンゼルスから来て、メニューの試食? しかも、未知の食べ物「あんこ」の。
 ハンニバルとフェイスマン、コングとマードックは、それぞれ顔を見合わせた。そして、一同を代表してハンニバルが口を開いた。
「話はわかったがね、そういうことなら現地の人の味覚で判断してもらった方がいいんじゃないかと思うが。」
「それも考えました。でも、それじゃダメなんです。」
 ニモは悲痛な表情で言い切った。
「なぜなら僕はアメリカ人です。だからアメリカ人の感性を活かしたあんこメニューを考えなくちゃならないんです。当然、試食もアメリカ人に限ります。それも、今まであんこを食べたことのないあなた方なら、きっと新しい感性が得られますよ。それに、この辺りの人を頼むと、すぐに他の店にメニューが漏れますからね。」
 最後の一言のみ、取ってつけたようにもっともらしいことを言い、それで全体をもっともらしく見せようという魂胆が見え見えだった。
「それに、ベトナム帰りの皆さんなら、お腹はそれなりに丈夫、でしょ。」
 にこにこと言い放つカオリ。
 しかし、Aチームとしても、はるばる名古屋くんだりまで来て、依頼を果たさず帰るわけにも行かない。そうしたいのは山々だが。そんなことをしたら、エンジェルに何と言われるかわからない。今現在、とても立場の弱いAチームである。
「……仕方ない。さっさと済ませるぞ。」
 リーダーは苦渋の決断を下し、部下たちは悲壮な面持ちで頷いた。マードックだけは、ちょっと嬉しそうだったりも。



〈Aチームのテーマ曲、流れる。〉
 調理場の作業台に粉を打つハンニバル。腕捲りしながら伸し棒を掲げるコング。大鍋にぐつぐつとアズキが煮えている。マードックが丁寧にアクを掬う。鍋に無造作に砂糖を流し込むニモと、塩を入れるカオリ。他の喫茶店のメニューを調べてきたらしいフェイスマンが、メモ帳を片手に駆け込んでくる。その報告を聞き、顔色を変えるニモ青年。繰り返される作戦会議。散乱する料理本。そして試作が繰り返される。
〈Aチームのテーマ曲、終わる。〉



「できた!」
 朝日の差し込む調理場で、ニモは高らかに宣言した。その出で立ちは、なぜかハッピに前かけ、捩りハチマキという戦闘服姿。まさにファイティング・ニモ。彼は3日3晩の戦いを終え、満身創痍だった。具体的には、目が赤く腫れ、指には絆創膏が貼られている。その横で、きっちりと睡眠を取ったカオリがツヤツヤの顔で満足げに頷き、言った。
「やったわね、ニモ! あなたならきっとやれると信じていたわ。」
 そしてカオリは、やはりくたびれきったAチームに向かって指を突きつけ、高らかに宣言した。
「それじゃ、試食をお願いするわ。」
 ゾンビのようなAチームは、言葉もなく頷いた。



 1皿目、あんこコロッケ。丸めたあんこに小麦粉、溶き卵、パン粉で衣をつけてフライにしたもの。
「ちっと油っぽくてしつこいな。胃に持たれそうだ。」(コング)
 2皿目、あんこ天ぷら。丸めたあんこに天ぷらの衣をつけて以下同文。
「あんこは揚げない方がいいと思うぜ。」(マードック)
 3皿目、あんこ餃子。丸めたあんこを餃子の皮で包んで焼いたもの。
「あんドーナツ、とかいうのに似てるかねぇ。食べられないことはないが、オリジナリティには欠けるな。」(ハンニバル)
 4皿目、あんこうどん。讃岐うどんにあんこをトッピング。
「あんこがつるつる落ちちゃうのが難だね。味のないうどんとただのあんこを食べてる感じ。」(フェイスマン)
 以下、5皿目、あんこピザ、6皿目、あんこ丼、7皿目、あんこカレー、8皿目、あんこ蕎麦、9皿目、あんこ入り味噌汁(赤味噌仕立て)、10皿目、あんこひつまぶし……と、延々とメニューの試食は続いた。
 そして、遂に23皿目。あんこカステラサンドは疲れきったAチームに大好評を博し、ニモの喫茶店の新メニューはめでたく決定した。因みに、この頃にはもう、日はとっぷりと暮れ、カオリは奥に引っ込んで高いびきだった。



「いや〜今回はいい仕事をしたねぇ。」
 新幹線で東京駅に降り立ちながら、満足気にマードックが言った。彼が手にしている包みは、お土産に貰った新メニュー、あんこカステラサンドである。
「大変だったのは確かだよ。」
 げっそりした表情のフェイスマン。Aチーム内では比較的デリケートな彼は、しばらくトイレの住人と化していたのだ。
「まあ、こいつで暴れる方が楽っちゃ楽だぜ。」
 指輪の並んだ拳を掲げてコングが白い歯を見せる。
「ま、仕事料が貰えただけでもよしとしましょ。それより、そろそろエンジェルとの待ち合わせの時間じゃないのか?」
 リーダーの号令一下、待ち合わせ場所(銀のすず)に向かうAチーム。
 待ち合わせに遅れること1時間半、ずっしりと重そうなスーツケーツを引き擦って現れたエンジェルは、上機嫌だった。
「とにかく、成田に向かいましょ!」
 エアポート・リムジンに乗り込むと、彼女は手に提げていた紙袋からごそごそと取り出したものを一同に配り始めた。
「も〜日本は本当に美味しいものが多くて! これ、バスの中で食べようと思って今買ってきたの。“シベリア”って言うお菓子。すごーく美味しいのよ。」
 配られたものを見る一同は無言だった。そんな彼らの様子を意にも介さず、エンジェルは豪快にビニールのパッケージを開き、カステラにあんこが挟まれた菓子を食べ始めた。
「あら、お腹空いてないの? ま、あとで食べてもいいけど。それはそうと、仕事の方はどんな内容だったの?」
 何も知らないエンジェルの一言に、我に返ったAチーム。彼らはそれぞれに乱暴にビニールをむしり、シベリアを齧った。そして、顔を見合わせる。
「同じじゃん!」
 マードックが言うと、コングが疲れを滲ませながら頷いた。
「全くだ。」
「……どうする?」
 恐る恐るフェイスマンが尋ねる。リーダーは苦悩に満ちた表情で額を押さえた。
「戻るべきか去るべきか、それが問題だ。」
「ちょっとー、一体何なのよ?」
 話の見えていないエンジェルの叫びを乗せて、エアポート・リムジンは成田を目指して走っていった。
【おしまい】
お題のリクにちっとも沿ってないことに、書いてから気づいた。ゴメンナサイ。
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