奇人! 変人? アルプスの少女?
フル川 四万
「ない。」
 ハンニバルは呟いた。
 季節は晩秋、11月。そろそろ晩ご飯という午後8時。場所は、Aチームの目下の隠れ家であるロングビーチの豪華コテージ(休暇で欧州旅行中の脚本家の家を無断で拝借中)。
 ダイニング・テーブルに座って俯くハンニバルの視線の先には、1通の預金通帳。
「何がないんでい、ハンニバル。」
 向かいに座って静かに晩飯を待っていた男がそう問うた。
「預金。」
 短い言葉の中に無念さを滲ませつつ御大が答える。
「預金? 預金って、銀行に置いてあるカネのことか?」
 当たり前である。牛乳は銀行に預けられないし、小魚も無理。
「10万ドルくらいあったんじゃなかったか? 今年のクリスマスは豪勢に過ごせるぜ、って言ったよな、確か。」
「確かに先月、この通帳には10万2045ドル入っていた。」
「で、今は?」
「1045ドル。」
「何だと!」
 晩飯を待つ男ことコングが身を乗り出した。
「お待たせー! 今日の夕食はステーキと、ブロッコリーのキャセロール・ア・ラ・シノワーズ。肉はハンニバルがレア、コングはウェルダンでよかったよね?」
 そこに不用意に割って入ってきた優男。いそいそとテーブルに料理を並べ始めたはいいが、ハンニバルの手元の通帳に眼を止めるや否や、凍りつく。
『ハッ、それはもしや、預金通帳……。』
 チャリーン。
 フェイスマンの手からナイフとフォークが零れ、床で跳ねてハンニバルの足元に飛び散った。
「ほう。この件について何かご存知のようですな、フェイス。」
 と、笑顔でナイフを拾い上げるハンニバル。
「ご、ご存知なんて、そんな(汗)。」
 額によくない汗を光らせて焦るフェイスマン。
「ご謙遜めさるな。その額の照りっぷり、私が10万1000ドルの行方を存知ております、っていうサインじゃないのか?」
「し、知らないって、1000ドルなんて、ホントに。またモンキーが変な楽器でも買ったんじゃないの? シタールとか、チャランゴとか、琵琶とか……。とにかく俺は知らない。知らないからね。」
「1000ドルは知らない、とな。よろしい。」
 鷹揚に頷くハンニバル。
「てことはよ、10万ドルは知ってるってことなのか、フェイス。」
 コングが追い討ちをかける。フェイスマンは溜息をついた。
「やっぱり隠しても仕様がないね、話すよ。別に悪いことしてるわけじゃないし、いや、どっちかって言うとみんなのためになることだし。」
「よろしい。じゃ、食事しながら話を聞こうか。冷めたステーキは食いたくないんでね。」
「ああ。」
 3人は、黙って食卓を囲んだ。



「事の始まりは、先月ザ・パレスであった映画関係者のパーティ。この家の持ち主の脚本家宛に招待状が来たんで、美味しい話でも落ちてないかなー、と思って行ってみたわけ。そこで偶然1人の女性に出会って、その夜、つい、そういうことに。」
 ガッ!
 ハンニバルが、皿も割れんばかりの勢いでステーキを突き刺した。それは敢えて見なかったことにして、フェイスマンは話を続けた。
「で、彼女……ロッテって言うんだけど、彼女すっごい有能な実業家でね、リゾート開発の会社を経営してるんだ。それで今、ロス郊外にスキー場とホテルの複合施設を作ってるんだって。」
「ロス郊外? そんな暖かいところで作らなくても、もうちょっと奥に行けばいいスキー場があるだろう。」
「ロスから交通の便がいい、ってとこがミソなんだ。この辺からスキーに行こうとなると、近くてもビッグ・ベア・リゾートで、車で3時間くらいかかっちゃうでしょ。その点、俺たちの施設は、ここから1時間半で行ける。」
 俺たち、というのが、フェイスマンと彼女を指していることがわかり、ハンニバル、ますます不機嫌になる。
「だがよ、そんなに近くっちゃあ雪なんかねえんじゃねえか?」
「雪なんて、人工降雪機でどうにでもなるさ。大事なのは、イメージ。観光地ロサンゼルスにスキー場がある、っていうイメージが大事なんだ。それに、その施設の目玉はスキーだけじゃない。もう1個、取って置きのネタがあるの。コング、『アルプスの少女ハイジ』って知ってる?」
「知らねえ。」
「遅れてるなあ、もう。あのね、『アルプスの少女ハイジ』っていうのは、スイスの小説でね、アルプスの山で山羊や爺さんと暮らす赤ら顔の少女が猛犬を駆って悪い奴をぶっ飛ばしたり、儚いロマンスに身をやつしたり、素朴なグルメに舌鼓を打ったりする、すっごく感動的な物語なんだ。そのハイジが日本でカートゥーンになってて、大人にも子供にも大人気なんだって。俺たちのホテルは、そいつをテーマに、スイス気分が味わえて、雪山も楽しめて、あまつさえ物語の主人公にもなった気分も味わえる、一石三鳥の素晴らしい施設なわけよ!」
 口からブロッコリー入りの泡を飛ばしつつ熱弁を振るうフェイスマン。これは相当ロッテって女にいかれてるらしい。
「概要はわかった。だが、日本で人気のスイスの小説を、どうしてロサンゼルスに作る必要があるんだ?」
「そこだよ、ハンニバル。」
 と、得意げなフェイスマン。
「わが国の経済が低迷期に入ってることは、経済に疎いハンニバルも知ってるよね?」
「それくらいは知ってますとも。株も為替も暴落中、それに伴い報酬の金額も下がってきてる。Aチームの家計が苦しい原因はその辺にもある。」
 その辺じゃないところにもある。増え続ける楽器とか、コケ続ける怪獣映画とか。【前者は私のことか? by 梶乃】
「滅びる国あれば、栄える国あり。太陽は東から昇り、西に沈む。西洋文明が低迷期に入った現在、彼の国のサムライは、空腹でも豪快に笑ってるし、オンセン・ゲイシャ・ガールズはフジヤマの天辺で踊ってる。」
「何だそりゃあ? モンキーにでも乗り移られたのか?」
「今、時代はジャパン・マネーってこと! この不景気のご時世、国内にばかり目を向けてないで、世界で一番金持ちの国からぶん取らなきゃ、立派な投資家とは言えないよ? 今こそ日本人向けの観光ソースに投資するべき時代だね。これはイケるよ! ロッテ、先見の明があると思わない? だから俺は投資したの! 10万ドルを!」
「俺たちの10万ドルをな。」
 ハンニバルが不機嫌に言い被せた。フェイスマンは、わかってないなあ、と首を振る。
「どおってことないじゃないか、たかが10万ドルだよ? そんな金額、ホテルがオープンすればすぐに還ってくるさ。しかも10倍になって!」
 早くもフェイスマンの脳内では、取らぬ狸が駆けずり回っている。
「しかしなあ、フェイス、あの10万ドルがないと、働かずにクリスマスを迎えることは不可能だし、たとえ次の依頼を受けたにしても、経費が出せん。」
「ああ、そうだぜ。子供たちへのクリスマス・プレゼントも買えねえし、サンタの衣装も新調できねえ。俺のサンタ服、もう白いとこがグレーを超えて深緑になっててよ、サンタなのか、太った中国人なのかわかんねえ状態なんだぜ。」
「大丈夫、そんなに待たせはしないから。実は来週、現地に行くことになってるんだ。ホテルの開業パーティがあるからね。そしたら、配当の時期もメドが……。」
「よし! じゃあその時、金を返してもらってこい。」
「はぁ? ちょっと待ってよ、俺、共同経営者だよ? そんな簡単にはいかな……。」
「経営者なら、10万ドル程度はどうにでもなるだろう。その女に借りるとか。とにかく、クリスマスの買い物に出かける2週間後までに、10万ドル、耳を揃えて返してもらおうじゃないですか。以上、作戦会議、終了。」
 きっぱりと言い切るハンニバルに言葉を失うフェイスマンであった。


          *


 翌週。山へと向かうフリーウェイをひた走る1台のムスタング。金髪と下がり眉毛を風になびかせ、いかしたサングラスに煌く陽光を反射させながらハンドルを握るのは、テンプルトン・ペックその人である。
 以下、氏の独り言。
「ったく、ハンニバルもコングも、何もわかってないんだから。大体、あの10万ドルの預金だって、元はと言えばサンディエゴの愛犬家誘拐事件で現物支給されたチワワ20頭に俺が芸を仕込んで売りさばいた分と、フランス海軍激怒事件で偶然海底から上がっちゃった財宝を足がつかないよう何回も何回もロンダリングしてやっと現金化した分を、孤児院に寄付する、って言って持ち出そうとするコングと、兵船を建造して海賊になる、って言って持ち出そうとするモンキーと、アクアドラゴンの新作に注ぎ込む、って言って持ち出そうとするハンニバルの魔の手を掻い潜って掻い潜って! そしてやっと銀行まで辿り着いた金よ? 言わば俺の手柄で手に入れた預金じゃないか! それをハンニバルもコングも全然覚えてな……あ、ここだ。」
 急ハンドルを切って右折するムスタング。
 道の入り口には、『ロスに誕生した常冬の国! アルプス王国スキー・リゾートへようこそ!』の、大きな立て看板。大口を開けた少年少女が、遠くに雪山を抱く草原で、アホみたいな表情で駆けずり回っているペンキ絵つき。
 フェイスマンは、その看板に向かって満足げに頷いた。
 そのまま15分も走ると、景色はのどかな農村の風景へと変わり、突き当たりには、この辺りにはよくある山並みが広がっている。
「あれ? まだ雪、入れてないのかなあ……。」
 フェイスマンは不安げに呟いた。
 目指す辺りの山肌からは木がごっそりと伐採されていて、黒々とした地肌がばっちり露出中。その横に点々と続く等間隔の棒は、リフトの支柱だろう。予定なら、先週末には雪を入れ終え、リフトの試運転も終えているはず。何か手違いでもあったんだろうか……。
「でも、ま、土木工事に遅れはつきものだよね。」
 そう自分に言い聞かせると、フェイスマンはロッテの待つ山へとアクセルを踏んだ。



 深い森を抜けた先に、そのホテルはあった。地上10階建て、スイスの城を模したと思われる白亜の豪邸である。
 駐車場らしき泥地に車を突っ込むと、フェイスマンは駆け足でホテルのロビーへと向かった。
 ロビーは騒然としていた。手に手にスキー板やストックや風呂桶やパイナップルや缶詰や『ときめきメモ○アル』等を携えた人々がフロントに殺到している。
「どういうことなんだ、これは! 近場でスキーができるって言うから来てみたら、まだ雪もないじゃないか!」
「その上、温泉だって湧いてない! 風呂場にはワニがいたぞ!」
「部屋のベッドの中は藁だし、ウェルカム・フルーツ用のナイフも置いてない! どうやって食えってんだ、このパイナップルとサバ缶!」
「ビデオゲームの端子だってないぞ!」
 アルプス王国、多難な滑り出しのようである。



「ロッテ!」
 人混みの先にある(はずの)フロント・デスクに向かってフェイスマンは叫んだ。
「ロッテ! 俺だよ! ロッテ!」
「テンプルトン? テンプルトンなの?」
 人混みを掻き分けて駆け寄る女は、家庭教師風のお堅いドレスに鼻眼鏡を引っかけた妙齢の女性。あれ? フェイスの趣味ってこんなんだったっけ? ま、いっか。
「ロッテ! どうしたの、この状態? オープンは今日のはずだろ?」
「それが、ちょっと問題が……。ここでは話しづらいわ、こっちへ。」
 ロッテに促されてオフィスに移動するフェイスマン。



「まあ、座って。」
 言われるままにソファに腰を下ろすフェイスマン。ロッテも、膨らんだスカートの裾を丸めて持ち上げると、向かいのソファにどっかと腰を下ろした。
「どうもこうもないのよ……前途多難で、もう死にそう。」
「工事が遅れてるの? 工事業者とトラブルでもあったとか? なら、俺が交渉に行ってあげるけど……。」
「工事業者は来てるわ、山の下まではね。」
「下まで? 何で上がってこないの?」
「農民よ。ええい、憎らしい、アルプルのロマンを解せぬあの百姓どもが!」
 眼鏡の奥のロッテの瞳が、禍々しく光った。
「農民?」
「そう、山麓の農家が、アルプス王国の建設中止を叫んで、こぞって反対運動してやがるのよ! だから工事機器は麓で足止め! 洪水がどうとか、環境破壊がどうとか、しゃら臭えったらありゃしない。見せてあげるわ、こっちよ。」
 ロッテが窓際に立った。裕次郎ばりの手つきでブラインドを開き、顎でしゃくってゲレンデを指す。フェイスマンは窓の向こうを覗いた。
 黒々とした泥の坂の下には、重機が数台、ダンプが2台。その周りで、ダンガリーシャツの男たちと寅壱の作業着ルック(黄色)の男たちが、何やら揉み合っている。
「あ〜ららぁ、大変だよ、こりゃ。」
 どっかの婆さんのような口調でフェイスマンが呟いた。
「でしょう? いっそ爆破してやりたいけど、相手が一般人じゃそういうわけにもいかないし、もう、ほとほと困ってるのよね。」
「オープン、遅れそうだね。て言うか、もう遅れてるんだよね。」
 フェイスマンが溜息をついた。
『これじゃ、俺の配当はどうなるんだろう……? 2週間以内に金を持って帰らなくっちゃ、ハンニバルたちに逆さ吊りにされちゃう(?)っていうのに。でも、困ってるロッテにいきなり金のことを持ち出すわけにも行かないし……(しばし黙考)……そうか、ここは1つ、俺の株を上げてからってことで……。』
 フェイスマンは、ロッテに向き直った。
「ロッテ、ここは俺に任せてくれ!」
「テンプルトン?」
「反対派の農民に手を引かせればいいんだろ?」
「ええ、でも、彼ら買収には応じないし、手荒な真似にも程度があるし(←やったんかい)。かなり強敵よ? 一介の映画脚本家であるひ弱なあなたに、果たしてそんな真似ができるのかしら? あ、果たしてぇ、できるのぉ、かしらぁ?」
 意味不明な見栄を切るロッテに、思わずひるむフェイスマン。だが、ここで弱気になってちゃ男がすたるってもんで。
「大丈夫! 俺に任せとけば、心配ないって! (どんっ!) ゲホッグホッ!」
 勢いつけて薄い胸を叩いたはいいが、咳込むフェイスマン。慣れぬことは、せぬがよいのに。
「ありがとう、テンプルトン!」
「ロッテ!」
 フェイスマンの胸に飛び込むロッテ。ガシ、と抱き合う2人。ブラインドの隙間から差し込む夕陽が2人を染める。なんて美しいラブシーン。
 と、思いきや……。
 ロッテが、フェイスマンの肩越しに、ニヤリと笑ってどこかに目配せをした。
 視線の先では、半開きのドアから顔を覗かせた男(なぜか喉に小さな樽をつけている)が、これまたニヤリと笑っていた。危うし(なのか?)フェイスマン。


          *


 数日後。とある療養所の一室。
 トントン。
 病室の扉がノックされた。
「はい?」
 ベッドで本を読んでいた金髪の少女が顔を上げた。
「クララ、来たぜ。」
 花束と牛乳の1ガロン壜を提げてやって来たのは、B.A.バラカスその人である。
「調子はどうだい、クララ。ちったあ食欲出たかい。」
「バラカスさん、来てくれたのね。」
 本を布団の上に伏せて、コングの方に両手を伸ばすクララ。コングは、そのクララに恭しく花束を抱かせると、ベッドの端に腰を下ろした。
「わあ、いいニオイ。いつもありがとう、いろいろしていただいて。」
「気にすんなって。それより、脚の具合はどうなんでい?」
 クララの表情が曇った。
「それが、今朝も検査だったんだけど……。」
「検査、どうだったんだ?」
「あまりよくなってないみたいなの。来月から、もう少し強いお薬にするから、って先生が。でも、そうなると、副作用が酷くなって、もう何カ月か退院が延びるかも、って。あたし、少なくとも春まではここを出られないみたい……。」
 クララは、レースのハンケチでそっと涙を拭った。
「弱音を吐くんじゃねえよ。俺がついてるぜ。」
「バラカスさん……。」
「それに、副作用が強いってことは、効き目もスゲエんだろ? 他に手がねえんなら、頑張ってやってみるしかねえじゃねえか。な?」
 クララの肩に手をかけて慰めるコング。クララは黙って頷いた。



 クララとコングが知り合ったのは、先月行われた『小児ガン撲滅チャリティ・コンサート』の会場であった。車椅子で奏でるクララのバイオリンの調べに感動したコング(会場警備員として参加)が、後日病院を見舞いに訪れ、懇意になり、そして交際(?)が続いているのだ。
「でも、今年のクリスマスこそは、スイスに帰れると思っていたのに。」
「スイス? ああ、お前さんの生まれ故郷だっけな。」
「ええ、生まれ故郷。なのにあたし、スイスの記憶がないんです。生まれてすぐにママとカリフォルニアに越してきたので。それどころか、雪も見たことがない……。スイス生まれなのに、おかしいでしょ?」
「病気が治れば、どこだって行けるさ。スイスだって、チベットだって、ナゴヤだって、パプアニューギニアだって。」
「あたし、治るんでしょうか……。」
 クララは、暗い目で遠くを見た。



 バンッ!
 その時、勢いよくドアが開いた。
「クララ、来たよっ!」
 駆け込んできたのは、1人の青年。ボロボロの服を着て、頭の上に緑色のフカフカしたクッションを乗せている。
「ペーター! ユキちゃんも!」
 クララが叫んだ。
「誰だ、てめえは?」
 コングが言った。
「お前こそ誰だよ!」
 いきなり「てめえ」扱いされてムッとした青年が胸を突き出した。勢いづいたコングも、青年の襟首を掴む。病室がいきなり剣呑な雰囲気になる。
「やめて、ペーター、バラカスさんも、乱暴はしないで!」
 クララの声に、ハッと我に返る2人。
「済まなかったな、小僧、つい。」
 青年の襟首を離してコングが言った。青年も、「いいってことよ」と服を直すと、クララに向き直った。
「クララ、こいつは誰?」
「バラカスさん。ボランティアの人で、時々お見舞いに来て下さるの。バラカスさん、彼はペーター。私のお友達よ。」
 お友達、と言われたペーターが、えっへん、と胸を張った。
「バラカスだ。よろしくな、ペーター。」
 手を差し出すコング。ペーターもガッチリと握り返す。
「俺はピー……じゃなかった、ペーター。この近所の爬虫類ショップで働いてるんだ。で、こいつが、ユキ。」
 と言って、頭の上の緑色のクッションを下ろすペーター。下ろされたクッションは、コングに向かって「ンゲコ」と鳴いた。思わず飛び退くコング。
「何でえ、このカビた座布団みたいな物体は!」
「そのコは山羊のユキちゃんよ。ユキちゃん、おいで!」
 と、クララ。山羊? 山羊って山の羊だよね? 緑色だったっけ? 真ん丸かったっけ? ンゲコって鳴いたっけ?
「俺のペット、山羊のユキ。な、クララ?」
 コングの疑念を打ち消すかのように、ペーターが言い切った。クララが、うん、と頷いた。
「山羊じゃねえよな、どう見ても。」
「いいんだよ、山羊で。クララが山羊って言うんだから……(小声で)本当はゴライアスガエルだけど。」
(*ゴライアスガエル=アカガエル科。カメルーンなど赤道直下が原産の、世界最大級のカエル。体長25〜40cm。丸々して緑色。)
「お前も、若いのに大変だなあ……。」
 コングが呟いた。
「いいんだよ、クララがそれでいいんなら。だって……。」
 ペーターは、そこで言い淀んだ。そして、ユキをクララの膝の上に下ろすと、コングの腕を取って病室の外へと引っ張り出した。そのまま、ずんずんと廊下を進んでいく。



「お前、クララの病気のこと、どこまで知ってるんだ?」
 廊下の端までコングを引っ張っていったペーターが、壁にコングを押さえつけ、真剣な目でコングに問うた。
「どこって……骨肉腫が進行中で、歩けない状態だってことは本人から聞いてる。」
 ペーターは、悔しげに頭を振った。
「歩けないどころか、アイツ……生きて年を越せるかどうかわかんないんだぜ。」
「何だって?!」
 驚くコングを前に、ペーターは溜息をついた。
「先週、アイツの親父さんから電話があったんだ。」
「クララの? チューリッヒにいるっていう実業家の親父さんか。」
「うん。で、スイスに連れて帰りたいけど、今のクララの状態じゃ、長時間の飛行機に耐えられないから……治る確率は低くても、次の治療に賭けるしかないって。」
「それはその通りだ。飛行機なんか、健康な人間でも耐えられるもんじゃねえ。」
 だから、それはコングちゃんだけだけどな。
「だから俺、少しでもクララにスイスの気分を味わってほしくてさ。名前も、本当はピーターだけどペーターって呼んでもらってるし、ユキだって、カエルだけど山羊なんだ。だから、協力してくれよ、バラカスさん。」
 ペーターの真剣な眼差しに、コングはいたく心を打たれた。
「ああ、お前の気持ちはわかったぜ、ペーター。クララに、せめて気分だけでもスイスを味わってもらわねえとな。」
「ありがとう! って言っても、俺のできることなんて高が知れてるけどね。せめて、クリスマスに雪くらい見せてやりたいと思って、今、毎晩冷凍庫で氷作って溜めてるんだ。ほら、クラッシュ・アイスなら冷たいし、雪っぽく見えるだろ?」
「そうだなあ、雪、雪か。いっそのこと人工降雪機を借りるってのはどうだ?」
「人工降雪機?」
「ほら、あるだろ、スキー場とかに……。」
 言いかけたコング、何かを思い出してハタと止まる。
 スキー場? って、最近どこかで聞いた気が。10万ドルを持ち逃げした男の行く先は、スキー場ではなかったか。更に言うと、スイス風でもなかったか。
「ああ、あるじゃねえか、スキー場!」
 しばしの沈黙の後、コングが叫んだ。
「バラカスさん?」
「おいペーター、行けるぞ、スイス!」
「でも飛行機が……。」
「飛行機乗らねえで行けるスイスがあるんだよ! クララを連れて行けるスイスが! フェイスの奴、たまにゃ役に立つことしてくれるじゃねえか、畜生!」
 かくして、コング(と、クララとペーターとユキちゃん)も山へ向かうこととなったのであった。――揉めてて、雪なくて、大変なことになってる山に。


          *


 そのまた数日後、Aチームのアジト。
「ヨーロレイヒー♪」
 ボーッ(アルペンホルンの音)。
 静かな居間に、調子っ外れのヨーデルが漂っている。
「ヨロレイヨロレイヨロレイヨロレイヨーロレイヒー♪」
 ブーッ(アルペンホルンの音)。
 ハンニバルは、面白くなかった。甚だ面白くなかった。フェイスマンに続き、コングまでもが何だかわけのわからないことを言い出して山に行ってしまった。でもって、1人じゃつまらないからと思い、牧師の変装までしてマードックをお家(退役軍人精神病院)から連れてきたら、そのマードック、クリスマス資金にと思って下ろしておいた1000ドルを無断で持ち出して、バカ高いアルペンホルンを買いやがった。あと、脹脛の真ん中までのズボンとか、刺繍のついた緑色のベストとか、頭に羽のついた帽子とか。先月までは海賊だったくせに、今のマイブームはチロリアンらしい。そこんところも、ハンニバルにとっては癪の種で。
「どいつもこいつも、スイススイスって言いやがって。」
 というわけで、現在アジトには、不機嫌なハンニバル・スミスと、チロリアン衣装に革ジャン姿のマードックが、向かい合うでも避け合うでもない微妙な位置で師走のひと時を過ごしているのであった。
「ユーレイヒー♪」
 ブー(アルペンホルンの音)。
「あれ? やっぱり上手く行かないなあ、壊れてるんじゃないかなあ、このホルン。」
 マードックが、アルペンホルンの上の方(吹き口がついてるとこ)をソファに立てかけて、いそいそと部屋の向こう端に向かう。そう、このアルペンホルン、結構長いのだ。
 床に這いつくばって、ホルンの先っぽを覗き込むマードックに、とうとうハンニバルが痺れを切らした。
「マードック、いい加減にしろ!」
 読んでいた手紙を床に投げ捨て、ハンニバルが苛立たしげに言った。
「えー、いいじゃん、どうせ暇なんだから。せっかく出てきたのに、仕事ないって言うし、お気に入りだった海賊セットは一式病院に置いてきちゃったから、一からキャラ作んなきゃなんなくて大変なんだよ。ホルン吹き語りって、難しいよー、端から見るより。」
 マードックが口を尖らせた。
 ところでアルペンホルン吹き語りって、そんなのどこで見た、モンキー。
「キャラなんか作らんでいい。それに、仕事の依頼なら、来たぞ、ほら。」
 と、床の上の手紙を指差すハンニバル。
「仕事? 何? 受けるつもり? コングちゃんもフェイスもいないのに?」
「受けますよー、受けまするとも! 幸せなクリスマスを過ごすために! あんな薄情な奴らは当てにしないで、2人で一稼ぎしてこようじゃないの。どうよ、モンキー?」
「うーん、あんまり気が乗らないなあ。」
「気が乗らなくてもダメ。このままじゃツリーの飾りも買えないんだから。さ、行きますよ。」
「えー?(超語尾上がり)」
 ということで、妙に乗り気のハンニバルと、全然乗り気じゃないマードック、即ちAチームの2分の1は、今年最後の収入を得るべく仕事に向かうのであった。


          *


 のどかな麦畑の端に立つ、いかにも「農家!」という佇まいの平屋のダイニングで、ハンニバルとマードックは、ダンガリーシャツの老人たちに囲まれて何やら思案顔である。
 ここは、今回の依頼人である、「ウォルナット地区農業発展振興組合(以下、組合)」組合長のリチャードさん(68)宅。待っているのはリチャードさんだけかと思って行ったAチーム2分の1は、大人数(組合の皆様8名)のお出迎えに少々面食らっている。
「では、依頼内容を伺おうか。」
 と、気を取り直してハンニバル。
「単刀直入に申し上げましょう。隣の山でやっているスキー場開発をやめさせてほしいんじゃ。」
 と、リチャードさんが言った。
「スキー場? こんな郊外の農村地帯で?」
 のっけから嫌な予感を頭の端っこに感じつつ、ハンニバルが問うた。
「うむ。何でも、アルプス王国とかいうホテルが、目玉施設として人工雪のスキー場を作るとか言って、去年から山林の伐採を始めたんじゃ。」
「その伐採が違法なわけだな。」
「それがなぜか、伐採許可が下りておる。山も正規の手続きで買っておるし。」
「ほう。じゃ、何が問題なんだね?」
「洪水じゃ。」
「洪水?」
「この100年、この地区を流れている川は、1回の氾濫も洪水もなかったんじゃ。それが、今年に入って2回も連続で大洪水が起きてしまいましてのう。それも、大した雨じゃあなかったのに。わしら、伐採で山の保水力が落ちたことが原因じゃないかと疑っているんじゃが……。」
「役所に調査を依頼しなかったのか?」
「しましたともさ。じゃが、ホテル側から金が回ってるんじゃろう、一向に取り合ってはくれん。じゃから、こうなったら実力行使に出るしかないと、有志で工事現場に座り込みに行ったり、工事業者にビラを撒いたりして、反抗を続けておったわけじゃ。」
「結構、上手く行ってると思ってたんだ、先週までは。」
 と、1人の組合員が口を挟んだ。
「先週までとな?」
 と、ハンニバル。
「ああ。工事を請け負ってる会社に事情を説明して説得し、もう少しで工事を断ってくれるかも、ってところまで持っていってたのに、先週、ホテル側にやけに口の上手い男が現れて、あれよあれよという間に建設会社を丸め込み、元の木阿弥だ。」
「口の上手い、男。」
 ハンニバル、嫌な予感、倍増。
「その上、数人の組合員までが向こうに寝返りおった。観光客の誘致は地域発展の要だ、とか言い出しおってな。先週までは、鉄壁のチームワークを誇っておったのに。」
 リチャードさんは、悲しげに首を振った。
「で、俺たちにそのスキー場をぶっ壊してほしいってわけね。ヨロレイ?」
 いろんな情報を限界まで単純化した意見を吐くのはマードックである。
「壊す必要はないだろう。まだできてないんだから。」
 ハンニバル、お説ごもっとも。
「と言うわけで、スミスさん、何とかしてスキー場建設をやめさせて下さい。お願いします。」
「お願いします!」(×8)
「ちょっとヤな予感はするけども、まーかせなさいっ。」
 ハンニバルは、力強く頷いた。


          *


「ゲレンデができてねえだと!」
 ダンッ!
 ローテーブルの上にミルクの飛沫が飛んだ。ここは、アルプス王国ホテルの一室、数日振りに向かい合うAチームの残り2分の1、フェイスマンとコングである。
「まあまあ、落ち着いてよ、コング。その問題については、徐々に解決されつつあるからさ。今ね、反対運動してる農家を1軒1軒説得して回ってるとこなんだ。だから、数日中には工事も再開できると思う。人工降雪機さえ上に上げちゃえば、とりあえず雪景色はできるんだし……雪があれば、お嬢さんもオッケーなんでしょ?」
「何が、雪さえあれば、だ。クララはなあ、命に関わる重病なんだぞ! そんで元気なうちにどーしてもスイスに行きたいって言うから、病身を押してまでここに連れてきたんだ。それを何でい、雪はねえ、部屋にはシャンプーも歯ブラシもねえ、ツナ缶には缶切りすらねえ!」
「ツナ缶はパッカンだから缶切りは要らないの! それに、仕様がないじゃん、こっちだって一杯一杯なんだから。ねえ、それより、コングも協力してよ。」
「協力?」
「うん、反対派にリチャードとかいう手強い爺さんがいるんだよ。そいつがダンプカーの前に体を投げ出さんばかりの勢いでさ、こっちは辟易してんのよ。」
「反対派がいるってことは、このホテルの方に何か問題があるんじゃねえのか?」
「そぉーんなことないって! ちゃんと山林の伐採許可も、リフトの建設許可も取ってるし、正月には日本人団体客の予約も入ってるんだから! 客さえ入るようになれば、俺の10万ドルだってすぐ取り返せるって、夕べロッテにも確認済みだし。だからさぁ、ね、コング、頼むよぉ、コング!」
 と、手を合わせるフェイスマン。コングは、仁王立ちのままフン、と鼻息を吐いた。
「仕方ねえなあ。クララは今年中には病院に戻らなきゃなんねえし、俺もクリスマスにはサンタにならなきゃなんねえ。何だか気は進まねえが、手伝ってやるぜ。反対派の爺さん1人をぶっ飛ばしゃあいいんだろ?」
「そう来なくっちゃ!」


          *


 その頃、同ホテル、別の一室。
 ほとんどの客室にはまだアメニティも揃ってないのに、なぜかこの部屋には、天蓋つきで中身が藁じゃないダブルベッドと、豪華応接セットが鎮座ましましている。その上、ドイツ製のホームバーまでついてたり、アルフレックスの豪華な革張りのソファが揃ってたり。そして、その豪華なソファには、薄いシルクのガウンを身にまとい、ブルネットの巻き髪を背中まで垂らした美女が、優雅に紅茶を飲んでいたり。
「やっと来たわね、もう1匹が。」
 紅茶のカップをテーブルに下ろした美女――ロッテが呟いた。
「ああ、あれはB.A.バラカス。Aチームの、機械と腕力担当だ。」
 同じくシルクのガウン姿の男が言った。男の喉で、小さな樽がチャポン、と揺れた。
「あとは何人だったかしら?」
 ロッテは、ホームバーの椅子に腰かけてブランデーを舐めている金髪の少女に問うた。
「ええっと。」
 少女は、ポン、と椅子を蹴って立ち上がった。
「2人よ、お母様。ハンニバル・スミスに、H.M.マードック。」
 メモ帳を見ながら、少女――クララが言った。
「2人、か。」
 男が呟いた。
「フェイスマンとバラカスを引っ張ってくれば、あとの2人も当然ついて来ると思ったのに、来なかったのは誤算だったな。」
「そうね。私たち、Aチームのチームワークを買い被りすぎていたのかもしれないわ。」
 と、ロッテ。
「Aチームなんて、所詮ベトナム帰りのならず者。あたしたち家族の団結力には逆立ちしたって敵いっこないのよ。どうしましょう、お父様。あの2人だけでも先に当局に突き出す?」
「いや、待て待て、クララ。お尋ね者の懸賞金は、リーダーのハンニバル・スミスが一番高額なんだ。当局に引き渡すのは、せめてスミスを捕らえてからにしたい。」
「それに。」
 と、ロッテが続けた。
「反対派のクズどもの掃除が残ってるわ。あの2人には、もう少し働いてもらわないと。」
 3人はニヤリと笑い合った。


          *


 翌日。
「イメージ・キャラクター?」
 コングは顔を顰めた。ここはホテルのロビー。目の前では、ペーターが、車椅子のクララをぐるぐる回して踊っている。
「そう、イメージ・キャラクター! ロッテさんがね、僕たちに宣伝パンフレット用のイメージ・キャラクターになってくれないか、って。」
「あたしたち、『アルプスの少女ハイジ』の登場人物と名前が一緒なんですって! ステキでしょう? バラカスさん!」
「ンゲコ。」
 ぐるぐる回るペーターの頭の上でユキちゃんが鳴いた。
「オイオイ、そいつはいいけど、クララ、体の方は大丈夫なのかよ。」
「ええ、こっちに来てから、だいぶ調子がいいみたいです。やっぱり空気がいいからかしら。」
 そんなわけない。ロスから1時間半のところだし。
「まあ、病は気から、って言うからな、そいつはよかった。」
 若干割り切れぬものを感じながらも、クララが元気になってるなら、まあ、それでいいか、と、コングは自分を納得させる。
「でもね、バラカスさん。ちょっと困ったことがあるんだ。」
 と、ペーター。
「何でい、ペーター。言ってみろ。俺にできることなら何でもやってやるぜ。」
「キャラが足りないんだ。」
「足りねえ?」
「うん、あと2人。ハイジとオンジ。ハイジはね、赤いほっぺの元気な女の子で、オンジは、白いおヒゲの太目のお爺さん。」
「女の子と、爺さんか。」
「あ、ハイジはいいの、ハイジは!」
 と、クララが叫んだ。
「クララ?」
 驚いたペーターが、クララの車椅子を止めた。
「ハイジはいいの。ハイジは、バラカスさんにやっていただくから。」
「何だって?」
「何だとう!」
 驚愕する2人。口笛はなぜ遠くまで聞こえるの?
「だってほら、ぴったりじゃない。ほっぺは赤いし、髪は黒いし、健康的だし、ミルク好きだし。」
「そう言われてみれば、そうかも……いや、そうでもないかも……。」
 クララの影響を非常に受けやすいペーターである。恋は盲目ってやつ?
「やめてくれ! 俺ぁ、スカートなんか死んだって穿かねえぜ!」
 ブンブンと首を振って拒否するコング。そんなコングに、クララが「お願い」ポーズで向き直る。
「クララのお願いでも、ダメ?」
「う……ダ、ダメだ。」
「一生のお願いでも?」
 クララは、目に涙を溜めてウルウルとコングを見上げる。その眼からは、あからさまな「美少女光線」が発射され、コングの額を射抜いている。
 クララ → 美少女 → 病弱って言うか命短し → 可哀相 → 俺、コング、可哀相な子供の味方……。
 そんな言葉が輪になって脳内をスキップし始め、コングは一歩退いた。あの雲はなぜ私を待ってるの?
「わ、わかった。やるぜ、やってやるぜ、ハイジ。やりゃあいいんだろ。」
 あーあ、言っちゃった。
「ありがとう! バラカスさん、大好き!」
 クララが車椅子から飛び上がり、慌てて座り直した。
「そしたら、あとはオンジね。白いおヒゲが似合う、白人の太目のお爺様。バラカスさんの知り合いに、そういうお爺様、いらっしゃらないかしら? 太目の、白人の、お爺様。」
 容姿の特徴をキッチリとリピートするクララ。
「いねえこともねえけどよ……。わかった、そいつと連絡取ってみるぜ。」
 眉間に深い皺を刻んだコングがその時考えていた言葉は、「一蓮托生」もしくは「死なば諸共」だったことは言うまでもなかった。



 その夜。
「ぎゃははははは!」
 フェイスマンの高笑いが響いた。
「ひーひー、はー、あー、おかしい。それで、コング、『アルプスの少女ハイジ』になるって約束しちゃったの?」
「笑い事じゃねえぜ、フェイス。」
 渡されたハイジ衣装を苛立たしげに投げ捨てると、コングが言った。
「で、ハンニバルをオンジにしようって? ぎゃははは、いい、それ、いい。」
「ああ、ハンニバルのオンジはピッタリだろ? 頭の白さと言い、腹の出っ張り具合と言い。」
「頑固ジジイなところもね。」
「耄碌し始めてるところもな。」
 その場に本人がいないのをいいことに、リーダーに対して酷いこと言ってる2人である。
「それで、ハンニバルには連絡ついたの?」
「いや、出かけてるみてえで、電話しても出ねえんだ。」
「うーん、仕事の依頼でもあったのかな?」
「かもしれねえ。そうだったらマズイな、俺たちも行かねえと。」
「そう? いいじゃん、たまにはさ。俺たちには、こっちの仕事があるんだし。それより明日辺り、また反対派の爺さんが来るかもしれないから、よろしく頼むよ、コング。」
「そっちの頑固爺さんの件な。ああ、任せとけ。」


          *


 更に翌日。
 1台のトラックがアルプス王国ホテルの敷地へと滑り込んだ。ゲレンデ予定地では、工事を再開すべく、関係者が準備を開始している。ハンニバルは、口の端に葉巻を咥えたいつもの格好でトラックを降りた。トラックの荷台からは、リチャードさん以下組合有志の皆様が手に手に鍬や鋤を持って飛び降りる。そして最後に、チロリアン・スタイルのマードックが、長いアルペンホルンを携えて登場。
「行きますよ、皆の者。」
「おう!」
 ブオー(アルペンホルンの音)。
 伴奏つきの勇ましいかけ声と共に、一斉に歩き出す一同であった。



「奴らが来たわ、テンプルトン!」
 オフィスの窓からゲレンデを監視していたロッテが叫んだ。
「よし、コング、行くぞ!」
「おう!」
 フェイスマンとコングは、ゲレンデに向かって飛び出した。そこに待つのがAチーム(の2分の1)であることも知らずに。



 工事現場で向かい合う、組合有志の野郎どもと、ゲレンデ工事の皆さん。水色のダンガリーシャツと、黄色の寅壱の戦いである。寅壱の中には寝返ったダンガリー組も混じっているので、色彩的にはホテル側の方が綺麗。人数的にもかなり分が悪い組合側である。
「今日という今日は、本気で工事を中止してもらおうか。」
 一歩進み出たリチャードさんが、ビシッと指を突き出して言った。
「そっちこそ、今日こそは諦めて帰ってもらおう!」
 工事責任者の男が胸を突き出す。
「まあまあ、落ち着きなさい。」
 と、割って入るハンニバル。
「工事の皆さんに非がないのはわかってる。悪いようにはしない。俺たちがホテルに話をつけるから、今日のところは工事を中止して帰ってくれないか。」
「そんなこと言われても、こっちだって納期が迫ってるし、ここの工事の遅れのせいで他の現場にまで皺寄せが行って大変なんだ。俺の首だってかかってる。今日という今日は、何としても工事を再開するからな。」
 工事責任者は、飽くまで強気である。組合 vs. 寅壱も、双方腕捲りなどして臨戦態勢、各々やる気満々。
「手荒な真似はしたくなかったが、仕方ない。皆、やっておしまいなさい!」
 ハンニバルが言った。普段なら、ここで真っ先に飛び出していくのはコングの役割だが、コング不在の今、行くのは1人しかいない。
「え、俺?」
 と、マードックが自らを指差した、その時――



「待ちな!」
 ハンニバルとマードックの耳に飛び込んできたのは、何だか聞き慣れた声。
「コングちゃん?」
 マードックが叫んだ。そして、寅壱の集団を掻き分けてズズイと前に進み出てきたのは、マードック仰る通りのコング。そしてフェイスマン。
「はいはいはい、反対派の皆さん、今日も無駄足ご苦労様です……って、あーっ!」
 ハンニバルとマードックを指差して、フェイスマンが叫んだ。
「フェイス!」
「コングちゃん!」
「ハンニバル! それに、モンキーも!」
「何しに来たんだ、ハンニバル!」
「いや、何しにって、仕事だ。リチャードさんと組合に頼まれて、スキー場建設をぶち壊しにな。そうか、やっぱりここがフェイスの言ってたホテルの山だったのか。」
「ええっ? てことはハンニバルたち、今、反対派の味方なの?」
「そういうことになるな。」
「俺、推進派よ? だって、ホテル側の人間だから。」
 と、フェイスマン。
「うむ。それは見ればわかる。で、コングは?」
「俺も、一応、フェイスの味方だ。で、モンキーは?」
「俺? 俺は見ての通りのチロリアン。」
「てことは俺たちの味方か?」
 と、コング。ギロリ、とマードックを睨むハンニバル。
「そう……じゃないみたい。うん。えーと、どっちだ?」
「反対派!」
 と、ハンニバル。
「そうそう、反対派、反対派。スキー場反対! ホントよ、チロリアン、嘘つかない、ヨロレイヒ。」
 プハー(アルペンホルン、失敗の音)。
 一通りのやり取りの後、互いの状況を確認し合って頭を抱えるAチームであった。



「スミスさん、何しとるんじゃ、さっさとやっつけておくれ。」
 硬直した場に業を煮やしたリチャードさんが、ハンニバルを突ついた。
「済まん、リチャードさん、ちょっと待っててくれないか。内輪の話で調整が必要でね。」
「ハンニバル、ここじゃ何だから、一旦ホテルへ。」
「ああ。」
 一触即発の組合 vs. 寅壱を後に残し、Aチームの4人はホテルへと向かうのであった。



 深刻な面持ちの4人がロビーに着くなり、1台の車椅子がシャーっと、そして1人の青年がパタパタと走り寄ってきた。そして、やおらハンニバルの両手を取ると、その場でクルクルと回り始める。
「オンジ! あなたはアルムオンジね?」
「本当だ、オンジだ! クララ、よかったね、オンジが来てくれたんだ!」
「な、何ですか急に、あ、あたしが、誰だって?」
 行きがかり上、少年少女と輪になって踊りながら、ハンニバルが困惑して問う。
「アルムオンジ。ね、バラカスさん、この人があなたが連れて来てくれたオンジでしょう?」
 クララとペーターが満面の笑顔でコングに問いかけた。
「お、おう、そうだとも! こいつが、オンジだぜ! どうだい、オンジらしいだろ?」
 思わずそう答えるコング。
「間違いないわ、彼こそが私のオンジよ!」
「ちょっと待てコング、何の話をしてるんだ?」
 ぐるぐる回りながらハンニバルが問うた。
「『アルプスの少女ハイジ』だ、ハンニバル。この際、嫌とは言わせないぜ。俺だって恥を忍んでハイジになるんだからな!」
「何ですと!」
「いいねいいね、楽しそうな企画! じゃ、BGMは、この牧場のチロリアンに任しとき!」
「いい、いい、乗らなくていい、モンキー。だから何でそうなるんだ、フェイス。一体何なんだこの状況は! あたしがアルムの何だって? スキー場工事の件は?」
「うん……だから、だからね、ああもう、どっから説明して、どっから解決していいか、俺にもよくわかんなくなっちゃった……。」



 そんなスラップスティックな風景を、柱の陰からじっと見詰める男女。
「来たわ、来たわよ、ハンニバル・スミス! 最高の賞金首が! まんまとイメージ・キャラクター作戦に嵌ったのね!」
 鼻息荒くロッテが言った。いや、そういうわけじゃないんだけどね……。
「まあ待て、もう一働きしてもらってからでも遅くない。まずはAチームの力を借りて反対派を粉砕するんだ。通報は、それからだ。行くぞ、ロッテ!」
 今一つ状況が見えていない2人であるが、気合いだけは入っている模様。



「まあ、これはこれは、アルプス王国によくいらっしゃいました!」
 背筋を伸ばして柱の陰から歩み出るロッテ。
「テンプルトンとバラカスさんのお友達ね。私はオーナーのロッテ、こちらは支配人のヨーゼフ、どうぞよろしく。」
「いらっしゃいませ。」
 喉に樽をつけた男――この期に及んで、引っ張ってた意味が全然ないことに気づいてしまった作者なのでサッサと説明するが、支配人のヨーゼフ、が、恭しく頭を下げた。
「ロッテ、えーと、この人たちは俺の友達のハンニバルとモンキー。遊びに来たって言うより現在のところ敵なんだけど、とりあえずイメージ・キャラクターにはなるみたい。ハンニバル、こちら、ロッテと支配人。」
 思わず「どうぞよろしく」と言いかけて、いきなり本来の目的を思い出すハンニバル。
「ほう、あんたがこのホテルのオーナーか。あんた方、地元の意向を無視して、随分強引にスキー場建設を進めてるみたいじゃないか。」
「はい?」
 意外な展開に、片眉を吊り上げるロッテ。ハンニバル・スミスは何を言っているの?
「あんたたちのやってることは、深刻な環境破壊を引き起こしてる。スキー場建設は即刻中止してもらお……。」
「ちょ、ちょっと待ってよ、ハンニバル!」
 慌てて割って入るフェイスマン。
「ごめん、ロッテ、ちょっと誤解があるみたいなんだ、はは、ちょっと俺たちだけで話をする時間をくれない?」
「え、ええ、よろしくてよ。私はイメージ・フォト撮影の準備があるし。じゃ、オンジの衣装は部屋に届けさせるから、着替えたら広場に来てくれるかしら。」
「ああ、そうするよ。さ、行こっか。」
 なおも何か言い募ろうとするハンニバルの腕を引っ張ってフェイスマン、そしてAチーム退場。そうこうしている間にも、ゲレンデでは組合 vs. 寅壱の視殺戦が繰り広げられていることは、すっかり忘却の彼方な皆の者であった。



 ホテルの一室で、改めて顔を突き合わせるAチームの面々である。
「説明してもらおうか。何でお前たちがこのインチキホテルに加担してて、俺がアルムジジイとかいうキャラクターになってるんだ?」
「インチキホテルじゃなくて、アルプス王国。これはちゃんとした事業で、言いがかりじみた地元の反対に困ってるのはこっちなんだからね。」
「それにアルムジジイじゃねえぜ。オンジ、だ、ハンニバル。『アルプスの少女ハイジ』のメインキャラで、ハイジを育てる重要な、大切な、主役級の大役だ。」
 「主役級の大役」という言葉に、ピクリと反応するご老体の哀しい性。
「因みにハイジは誰だ?」
 と、ハンニバル。
「俺だ。」
 と、コングが手を挙げる。
「すっごい斬新な配役。畏れ入ったわ、それ。」
 マードックは感心しきり。
「ふむ、オンジの方はわかった。あたしの演技力を見込んで推薦してくれたなら、プロの俳優としてはやらねばならんだろう。しかし、スキー場建設はダメだ。毎年洪水を起こすようなスキー場なんて、断じて認めるわけにはいかない。」
「じゃ、10万ドルが返ってこなくてもいいんだね?」
 と、フェイスマン。
「それとこれとは話が別。とにかくスキー場はノー、10万ドルは、お前が何とかすること!」
「じゃ、交渉は決裂だ。」
 硬い口調でそう言うと、フェイスマンが立ち上がった。
「俺は、スキー場を作って、このホテルを成功させなきゃいけない。そうしなきゃ俺たちの10万ドルは取り戻せないし、男としてロッテの期待も裏切れない。それに、いくら仕事だからって、ちゃんと認可を取ってる事業をぶち壊すなんておかしいよ。」
 珍しくキッチリと自己主張をなさるフェイスマンである。
「そうか。そうまで言うなら仕方あるまい。こっちだって仕事は仕事だ。当面、お前たちとは敵味方になるしかないな。」
「うっそお、何でそうなるのさ? ねえコング、コングはこっちの味方だよね?」
「済まねえな、モンキー。クララに雪を見せられるのは、このゲレンデしかねえんだ。」
「……決まったな。」
「仕方ないね。」
 かくして、鉄壁のチームワークを誇っていたAチームは決裂したのであった。



 その頃、隣の部屋には、悪事企む一家あり。
「まずいことになったわ。なぜだかわからないけど、ハンニバル・スミスが反対派に味方してるみたい。」
 聴診器を壁に当てて隣の部屋のAチームの会話を盗聴していたロッテが言った。
「こうなったら仕方ない。組合の奴らのことはひとまず置いておくとして、Aチームの懸賞金だけでも先に頂戴するか。」
「そうね、お父様。そこで入ったお金を、反対派の買収に回した方が話は早いかもしれないわ。」
 イライラと室内を歩き回りながらクララが言った。
「それじゃあ、奴らに逃げられないうちに当局に連絡を入れるから、お前たちは、奴らを足止めしておいてくれ。」
 ヨーゼフはそう言って、電話を取り、おもむろにダイヤルを回し始めた。
 危うし、Aチーム! 仲間割れしてる場合じゃないぞ!


          *


「はーい、ハイジとクララ、こっち向いて笑って!」
 大きな写真機を片手に、ベレー帽の写真家が叫んだ。その声に合わせて、赤いドレスにエプロン姿のコング(赤いほっぺの化粧と、寝癖つきショートボブのヅラ装着)と、車椅子に乗って膝にゴライアスガエルを抱えたクララが、ニカ! と笑う。
 現在ホテルの前の広場で繰り広げられているのは、いかにも面妖な撮影会。
「はい、いいねいいねー、もう1枚、今度はハイジだけ、スカートの裾を摘んでくるっと回ってみようか。」
 コング、渋々クルっと回る。カシャ、とシャッター音が走る。
「はい、もう1枚〜。」
 カシャ。
「振り返ってニッコリ!」
 カシャ。
「今度は、そう、ちょっと拗ねた様子で体育座り! いいねいいね〜!」
 カシャ。
「いつまで続くんだ、この撮影会。」
 と、白いおヒゲをつけたハンニバルが言った。
「オンジの出番はまだなのか? さっきから、ハイジとクララばっかり何百枚も撮ってるぞ。」
「何百枚も撮った中から、一番いい写真を選ぶんじゃないかな。」
 と、ペーター。
「それにしても、さっきからもう1時間も経ってる。いい加減オンジは疲れてきたぞ。」
 ハンニバルが、そう言って伸びをしかけた、ちょうどその時、遠くから聞こえてくる、何やら懐かしい音。これは……サイレン?



「どうしたの、ハンニバル……あ。」
 急に動きを止めたハンニバルの視線の先に気づいたフェイスマンが、「やべ」と呟いた。
「フェイス、コング、見て見て、あれ!」
 ホテルに向かってくる車の群れを指差して、マードックが叫んだ。
「あれは……デッカーの車だ。」
「デッカーだと!」
「だね!」
「何でデッカーがここに?」
「何でかは知らんが、とりあえず逃げますよ、みんな! あとでリチャードさんちの裏の牛小屋で落ち合おう!」
 ハンニバルが叫んだ。そして脱兎のごとく走り出す4人。



「ハンニバル・スミス! もう逃げられないぞ! おとなしく縛につけ!」
 拡声器を通したデッカーの大声が広場に響き渡り、手に手に棒やら縄やらを持ったデッカーの部下たちがわらわらと走り寄る。その部下たちを擦り抜けて逃げ惑うAチーム。
「テンプルトン! 待って! 行かないで!」
 その時、ロッテがそう叫び、フェイスマンの腰にタックルした。
「え、えっと、離してくれ、ロッテ。これには事情があるんだ、あとで説明するから……。」
「バラカスさん! 何で逃げるの? バラカスさんは正義の味方よね?」
 車椅子のクララが、コングの前に回り込んで両手を広げる。
「済まない、クララ、通してくれ!」
「イヤ! オンジ、クララを置いてかないで!」
「コング、フェイス、遅れるな!」
 デッカーと部下たちを掻い潜り、山の中へと走り込みながら、ハンニバルが叫んだ。
 後方では、女たちの妨害のせいでデッカーたちに取り囲まれたフェイスマンとコングが、身動きの取れない状態になりつつあった。
「フェイス!」
 そう叫んで戻ろうとするハンニバルの腕を、マードックが掴んだ。
「ハンニバル、ヤバい、戻ったら俺たちまで捕まっちゃうよ!」
「くそ、仕方ない、ここは一旦引くか。」
 フェイスマンとコングを諦め、またAチームの2分の1になった2人は、足早に山林の中へと消えていった。


          *


 30分後、アルプス王国ホテルのロビー。
 フェイスマンとコングは、背中合わせに椅子に縛りつけられている。その周りをぐるっと囲むのは、デッカーとその部下A〜G、ロッテ、ヨーゼフ、クララ、そして、事態を全く把握できずオロオロするだけのペーターと、いつも平常心、山羊のユキちゃん。
「とうとう捕まえたぞ、フェイスマンにB.A.バラカス。」
 デッカーが満足げに言った。
「あとの2人を逃したのは惜しいが、奴らのことだ、待っていれば絶対にお前たちを奪い返しに来る。そうなったら、こっちのもの。Aチーム、一網打尽にしてやる。」
「そんなに上手く行かないと思うよ。」
 と、フェイスマン。
「何だと?」
「だって俺たち2人と、あとの2人、仲違いしてるんだもん。」
「ああそうだぜ、俺たちがスキー場建設推進派で、向こうが反対派。ハンニバルたち、俺たちを助けるより先に、この機に乗じて、反対派を束ねて工事を止めにかかるんじゃねえか。何せ、受けた依頼は必ずやり遂げるのがAチームだからな。」
「はーっはっはっは。仲間割れか! お前たちでも仲間割れをすることがあるんだな。そいつは愉快だ。」
 デッカーは、さも嬉しそうに笑った。いつもAチームのチームワークにしてやられっ放しのデッカーにとって、この状況はなかなか愉快。
「で、ロッテ、1つ聞いていい?」
 と、フェイスマン。無理やり首を捻ってロッテの方を見る。
「俺、君に売られた、ってことだよね? ……どうしてなのかな?」
 ロッテは、ニッコリと笑って、フェイスマンの顎に手をかけた。
「ごめんなさいね、テンプルトン。でも、お尋ね者を見つけたら通報するのが善良な市民の義務ってものでしょ?」
 いけしゃあしゃあとほざくロッテに、フェイスマンは、がっくりと項垂れた。
「なあ、クララ、俺は……。」
 次に言いかけたコングの前に、クララの車椅子がキュルっと回り込む。
「バラカスさん、悪い人だったのね。クララ、がっかり。」
 がっくりと項垂れる男、その2。因みにコングちゃん、まだハイジの格好。アルプスの少女、がっくり。
「ごめんね、ハンニバル、俺たちが悪かったよ……。」
 フェイスマンの殊勝な呟きは、ハンニバルに届いたのだろうか。(きっと届いてない。)


          *


 その頃、山狩りの手を逃れて所定の場所で落ち合ったハンニバルとマードック。リチャードさん宅は追っ手が回っている可能性が高いので戻れない。仕方なく、そこら辺にあったピックアップ・トラックでロサンゼルス市街のアジトへと舞い戻ったのは、もう日も暮れようかという頃であった。
「どうしよう、ハンニバル。早くしないとコングちゃんとフェイス、留置所に移送されちゃうよ。」
「まあ待て、モンキー。そうすぐには移送はしないだろう。デッカーのことだ、このチャンスに俺たちを一網打尽にしようと目論んでいるに違いない。それより、俺たちは誰に通報されたんだと思う?」
「そりゃあ、ホテルの奴らだろうね。」
「普通のホテル経営者が、Aチームを知っていると?」
「いや〜、知らないねえ、一般の人は。」
「その通り。なら、アイツらは一般人じゃないってことになる。それなら奴らは誰なのよ、ってことで。」
 と、ハンニバルが取り出したのは、先程の撮影会で使っていたカメラ。乱闘に巻き込まれたカメラマンが取り落としたのを、ドサクサに紛れて拾ってきたのだ。



 数時間後。
「ハロー、ハンニバル、モンキー、来たわよ!」
 ドカーンとドアを蹴り開けて、相変わらずの元気っぷりでエイミー・アマンダー・アレン女史登場。
「早かったな、エンジェル。で、どうだった?」
「どうだったも何も、ねえ、何、この写真。女装に変装に南米のカエル?」
「その辺りのことは聞かんでくれ。」
「いやーん、聞く(笑)……ってのは後にして、まずはこの写真に写ってる奴らね。」
 と、現像したばかりの写真をテーブルに並べるエンジェル。
「この喉に樽つけた男は、ヨーゼフ・アーハイヴ。正真正銘のスイス人よ。通称、ヨーゼフ・ザ・キラー・ドッグ。表の職業はバウンティ・ハンターだけど、殺し屋だっていう専らの噂。それと、女の方は、ロッテ・アーハイヴ。前科6犯の詐欺師で、ヨーゼフとは2年前に結婚してる。この美少女は、ロッテの連れ子のクララ。ホテルが建ってるあの山の権利はロッテのものだけど、前の所有者は、ロッテに山とホテルの権利を譲った直後に変死してるわ。それから、山林の伐採許可証がこれ。上手く作ってはあるけど、偽造だわね。そもそも崩落が起きやすい地質で、伐採許可なんか出るわけないのよ、あの山。」
「てことは、スキー場建設は違法なんだな。」
「違法も違法。大いに違法。あとは出資法違反もありそう。美味しいことばっかり言って、日本企業からかなり資金を集めてるみたいだから。」
「てことは、10万ドルは戻ってくるのか。」
「裁判起こせばね。」
「無理か。」
 ハンニバルは溜息をついた。裁判、起こせないもんね、お尋ね者だから。
「ま、それはそれ、これでフェイスも懲りただろ。今回は高い授業料だったと思って諦めましょ。じゃ、そろそろ、あたしたちの仲間を奪還に行くとしましょうか。」
「そう来なくっちゃ!」



〈Aチームのテーマ、流れる。〉
 複雑そうな機械を組み立てるマードック。何やら不思議な色の液体を調合するハンニバル。アルペンホルンを磨くマードック。『アルプスの少女ハイジ』を読んで、そっと涙を拭うハンニバル。写真を見ながら、涙を流して大笑いするエンジェル。
〈Aチームのテーマ、終わる。〉



 夜中。静まり返ったアルプス王国ホテル。ロビーにだけ煌煌と明かりが灯り、デッカーの部下たちが、ハンニバルたちの襲撃に備えてホテルの入口で警戒している。
 縛られたままのフェイスマンとコングは、ぐったりとして動かない。
「ねえ……クララ。フェイスマンさんとバラカスさん、いつまで縛っておくの?」
 ペーターが、おずおずとそう切り出した。
「さあ、どうでしょう。この人たちは悪い人だったのよ。犯罪者を拘束するのは当たり前じゃないかしら。」
 クララが、膝の上のユキちゃんを撫でながらそう答える。
「でも、バラカスさん、いい人だぜ? クララのことを思って、ここまで連れてきてくれたんだろ? たとえ前に犯罪を犯していたとしても、今のバラカスさんは……。」
「うるさいわね、あんたも縛られたいの?」
 クララは、ピシャリとそう言い放つと、苛立たしげに立ち上がった。車椅子を蹴り上げて、ロッテの傍らに立つ。いきなり放り投げられたユキが、ンゲコ、と鳴いた。
「立った! クララが立った!」
 ペーターが叫ぶ。
「上手だったでしょ? 私の娘の、歩けない振り。」
 ロッテが、そう言って笑った。
「え、クララ……クララの病気って……嘘だったの?」
 驚きのあまり、両手で顔を挟んで口を縦に開けた姿でよろめくペーター(『叫び』by ムンク)。



 と、その時、
 ブォ〜、ブゥオ〜!
 夜の静寂をつん裂くアルペンホルンの音。
「来たぞ、奴らだ!」
 一斉に外へと駆け出したデッカーとその部下が見たものは、ホテルの玄関先で1人無心にアルペンホルンを吹くH.M.マードックその人であった。
「いたぞ、捕まえろっ!」
「はい、ポチっとな。」
 一斉に飛びかろうとするデッカーの部下たちに、ニカ、と笑いかけると、マードックは、ホルンについている怪しいキーを押した。途端に、ホルンの先から緑色の煙が大量に噴き出す。
「うわ、何だこれ!」
「く、苦しい!」
「て言うか、眠い……。」
 次々に気を失って倒れていくデッカーの部下たち。
「お、おのれ、Aチーム……。」
 そして遂にはデッカーも倒れ、むくつけき男どもは、ひと時の安らかな眠りに就いたのであった。



「フェイス、コング、待たせたな。」
「お待たせー。」
 緑色の煙ですっかり視界の悪くなったロビーにガスマスクを装着した2人が姿を現した時は既に遅く、ヨーゼフ、ロッテ、クララ、ペーターのみならず、フェイスマンもコングも、すっかり眠りに落ち、安らかな寝息を立てていた。
 静まり返る深夜のロビーで、ゴライアスガエルのユキが、ンゲコ、と鳴いた。


          *


 クリスマス・イブ、Aチームのアジト。
 居間には大きなツリーが運び込まれ、例によってマードックが飾りつけを行っている。星や月、靴下にブラジャー、イカリングとか桃缶とか、相も変わらず不思議な取り合わせの上に、今年はペーターも加わっているため、本物のヘビやトカゲ(生きているから、もちろん動く)まで登場してツリーを賑わせている。
「じゃ、行ってくるぜい。」
 衣装を新調したサンタ姿のコングが、でかい袋を背負って戸口に立った。
「行ってらっしゃい。今夜はクリスマス・ディナーだからね。」
 エプロン姿のフェイスマンは、出かけんとするコングにそう声をかけた。それから満足げにコングの後姿を見送ると、ハンニバルの方へと向き直った。
「で、ハンニバル、結局あの一家はどうなったんだっけ?」
 ソファで新聞を読んでいたハンニバルが顔を上げた。
「森林管理局に出した書類の偽造がバレて御用、スキー場建設は中止。ついでに、山の前の持ち主の変死事件にも疑義が及んで、ロッテとヨーゼフは拘留中。クララは逃亡。」
「ふうん。」
「で、あたしらは、リチャードさんと農業振興組合の皆さんから報酬の5万ドルを受け取って、こうしてつつがなくクリスマス休暇を過ごしているってわけだ。」
「一件落着ってことだね。」
 と、フェイスマン。
「いや、まだ終わってないぞ、フェイス。お前が持ち出した10万ドルの件だ。」
「え、あれってチャラなんじゃないの?」
「チャラなもんですか。ま、今回報酬で得た5万ドルを差っ引いてやったとしても、あと5万ドルの貸しがある。働いてもらいますよ、来年は。」
 ハンニバルはそう言ってニヤリと笑うと、葉巻に火を点けた。
「あ、ターキー焦げてるかも。」
 敢えてそれは聞かなかったことにして、そそくさと台所に去るフェイスマン。
 Aチームの1年が、また暮れようとしていた。
【おしまい】
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