危険? 新鮮? 冷凍果実の罠!
伊達 梶乃
 本日のロサンゼルスは、最高気温32度、最低気温19度(摂氏温度に換算済み)。赤道直下や太平洋西岸部や砂漠地帯に比べればかなり涼しいが、それでもロサンゼルスの地下に潜伏して長いこと経つ特攻野郎たちには十分暑かった。
 テンプルトン・ペック氏の旧友であるロッド・何とか氏(苗字は既に失念しているペック君)が、ロング・バケーションをお楽しみになるとかで、彼の住むマンションは現在Aチームの溜まり場、もとい、アジトと化していた。無論、バス・トイレつき、駐車場つき、エアコン完備、食料入り冷蔵庫完備、ダブルベッドとソファ2脚完備、洗濯機と乾燥機と食器乾燥機と電子レンジも完備だ! これ以上、何を望むと言うのだ、Aチームよ。
「うーん……。」
 と、テンプルトン氏が首を捻った。氏の周囲には、涼しい部屋で寛ぎまくっている他3名。
「いいのかなあ……こんなとこタダで借りちゃって。」
「貸してくれたんなら、いいんだろ。」
 言い切るコングは、最早裸足でドスドス歩いている。キッチンに姿を消すや否や、彼の声が響く。
「やったぜ、牛乳だ!」
 そりゃ人の家には牛乳ぐらいあるだろうて。問題は、その消費期限。
「……MPの罠っぽくない? ねえ、ハンニバル?」
 あまりにもAチームにおあつらえ向きの部屋で落ち着かないフェイスマンが、ソファにでろんと横になっているリーダーに尋ねる。しどけないその姿は、ゾウアザラシを想起させないこともない。
「考えすぎだぞ、フェイス。」
 リーダーの言葉は、それだけでフェイスマンを安心させた。
「MPが仕組んだ罠なら、灰皿ぐらい用意しといてくれるだろ。」
 言われてみれば、ローテーブルに灰皿がない。ロッド・何とか氏は喫煙者ではないから、当然と言えば当然。だがしかし、スミス氏の口には葉巻。では、灰はどこへ?
 フェイスマンは恐る恐る床を見た。
「ハァンニバルッッ! 掃除は自分でやってよね!」
 カーペットの上に舞い散った灰を指差し、もう片方の手は腰に当て、膨れっ面で文句を言うフェイスマンに、ハンニバルは肩を竦めて見せた。



 それから約1週間が経ったが、MPは現れなかった。気配すらなかった。仕事の依頼もなかった。
 ぐーたら過ごすAチームの皆さん。あれからずっと、マードックもここにいる。
 ここ数日のマードックのお気に入りは、プチおシャレ。いつもの服装に少しだけプラス・アルファをするのが、彼流のプチおシャレ。例えば、ネッカチーフを巻いてみたり、サングラスをかけてみたり(彼の場合、巻いたりかけたりする場所が常軌を逸していても、それは「彼らしさ」と表現される)。まあ、端から見れば特にどうということもないのだが、ちょっとはあるかもしれないが、マードック式プチおシャレは、アクセサリーやその類を非常にしばしば取り替えるのである。それが、彼なりのこだわり。なので、彼は外出時には常に「おシャレケース」を携えている。しかし、そのおシャレケースも、コングに言わせれば、「ガラクタを詰め込んだアタッシェケース」でしかない。
 そして今、このプチおシャレさんは、彼のおシャレコレクションを充実させるべく、各部屋を漁って回っている。帽子の上から包帯を巻いて(彼流おシャレ)。



 ピンポーン。
 常識的にドアチャイムが鳴った。エンジェルの登場ではない。
「はーい。」
 昼の連続ドラマを見ていたフェイスマンが、玄関に向かい、ドアを開ける。
「ロッド・何とか様方テンプルトン・ペック様?」
 宅配便配達係だった。
「そうだけど?」
「リア・サウザンド様からお届け物です。冷凍食品なので、すぐに冷凍庫に入れて下さい。」
「あ、どーも。」
 発泡スチロールの箱をずいっと渡されて、伝票にサインするフェイスマン。
「毎度あり。」
「ご苦労さま。」
 一連のやり取りの後、振り返ったフェイスマンは、後ろで静かに待機していたマードック(包帯なし、イヤーカフつき)に驚いた。
「気配消して後ろに立つなよ。」
「それ、何? また果物?」
「ま・た・果物だよ。えー、今日は冷凍マンゴスチン。」
 と、フェイスマンは伝票を読んだ。
「ぅやっほーい、オイラ、マンゴスチン大好き! ちょーだいちょーだい!」
 フェイスマンの周りをビョンビョン跳ぶマードック。
「ちょっと待てよ。キッチン行って箱開けてからだって。」
 説明しよう。今回テンプルトン・ペック氏に熱を上げているのは、知る人ぞ知る果物専門小売店サウザンド・フルーツの社長令嬢、リア・サウザンドさん。彼女は健気にも、愛するテンプルトンとその仲間たちのために、毎日毎日フルーツを送ってくれているのだ。おかげでAチームの4人は、毎日毎日フルーツを食べ続けなければいけない羽目に。世の男性は一般的にフルーツをそう召し上がらないものなのだが。
「何でい、今日はバナナじゃねえのかい。」
 ダンベルを上げ下げしつつ、コングもキッチンを覗き込む。
「バナナはこないだ嫌ってほど食ったろ?」
 バナナ1日当たり4人で6房。決して食べられない量ではない。特にコングがいる場合。しかし、それが連日続いたらどうだろう? フィリピンバナナの次の日は、エクアドルバナナ。その次の日は台湾バナナ。そして最後にモンキーバナナ。モンキーバナナは小さいから、12房。生食用バナナしか送ってこないところ、果物専門店の意地か。
「まだ冷凍してあるの残ってるけど、食べる?」
「バナナミルクにしてくれ。」
「はいはい。」
「アボカドも残ってたら入れてくれ。」
「アボカドは残ってないよ。全部モンキーが投げちゃったじゃん。」
「俺、アボカドなんて投げてないよ。俺が投げたのはね、手榴弾。」
「アホウ、アボカドにゃピンもレバーもついてねえだろが。」
 アボカドと手榴弾の違いを細かく述べるコングと、手榴弾がキッチンにあるといかに危険かを細かく述べるマードック。お互いに、相手の話をちっとも聞いてません。そんな2人を横目に、そういう問題じゃないだろ、とでも言いたげにフェイスマンは溜息をついた。
 さて、と、発泡スチロールの箱からテープを剥ぎ取り、蓋を開けるフェイスマン。箱の中には、白い氷煙を微かに上げる、エビ茶紫色の冷凍マンゴスチンがゴロゴロ。
「うっひょ〜っ、豪勢豪勢!」
 その数を見て、マードックが声を裏返す。
「マンゴスチンたぁ懐かしいな。ベトナムで生のやつ食って以来だ。」
「ベトナムじゃ安かったし、市場で普通に売ってたもんね〜。中に何房入ってるか賭けしたりもしたし。」
「ハンニバル、冷凍マンゴスチン食べる?」
 コングとマードックの話を無視しつつも、ちょーだい、の手の上に冷凍マンゴスチンを一つずつ乗せながら、フェイスマンはリビングルームのハンニバルに声をかけた。
「ああ、いただきますよ。」
 それを聞いて、フェイスマンは皿の上に冷凍マンゴスチンを2つ乗せ、デザートフォークを添えた。もう1つマンゴスチンを出し、デザートフォークももう1本。そしてフェイスマンは残ったマンゴスチンをゴロゴロとビニール袋に移し、冷凍庫の中に押し込んだ。
 リビングルームの方へ去るフェイスマン。キッチンに残った2人は、ニヤリと笑った。フェイスマンがキッチンにいなければ、マンゴスチン食べ放題。なくなるまでは。
「コングちゃん、賭けない?」
「おう、いいぜ。じゃ、俺のこのマンゴスチンに何房入ってるか、だ。」
「ちょっとヘタ見せて。……んー、5房に帽子!」
「俺は、6房にダンベルだ!」
 果たして結果は。横に一周貼ってあるテープをピリリリと剥がし、コングがカパッとマンゴスチンを開けた。
「4房か〜。」
「お流れだな。」
「じゃ、次、オイラのね。7房に帽子!」
「もう1回、6房にダンベルだ!」
 今度はマードックがマンゴスチンを開ける。
「8房か〜。」
「よし、もう1個だ!」
 コングは冷凍庫のドアに手をかけた。……それより、食えよ、マンゴスチン。
 一方、リビングルームのソファに座って、ハンニバルとフェイスマンはTVで延々と流れるお茶の間ショッピングに、いい感じに茶々を入れつつも、マンゴスチンを開けていた。そして、フォークでお上品に小房を口に運ぶ。
「ん〜、甘〜い。」
 フェイスマンがうっとりとした表情で、ふるふると首を振った。
「うん、甘い。しかし、フェイス。」
「何? 果糖は砂糖よりもお腹の出っ張りには影響しないよ? それに、マンゴスチンにはコレステロール値を下げる効果もあって、ダイエットには最適なんだ!」
「そんなこたどうでもいい。それより、このマンゴスチン、味がマンゴスチンじゃなくないか?」
「え? 何言ってんの、ハンニバル。たとえ腐っていたとしても、マンゴスチンはマンゴスチンの味だろ? 厳密に言うなら、腐ってたら腐ったマンゴスチンの味だけど、それは腐ったライチの味でも腐ったランブータンの味でもなくて、あくまでもマンゴスチンの味だよ。」
「それはわかってるが、どーも俺の口にはシャービックっぽく感じるんだ。冷凍マンゴスチンにしてはジョリジョリしてるしな。」
 アメリカにシャービックがあったかどうか、定かではない。多分なかっただろう。そしてシャービックって今、日本にあるのか?
「ええ? どれ?」
 もう1房食べるフェイスマン。
「……ホントだ。これ、マンゴスチンじゃない。色は白いけど、匂いが……何だろ、これ、ピーチ?」
「アーモンドエッセンスとピーチエッセンスとローズエッセンスを混ぜたような匂いだな。」
「……ハンニバル、鼻いいね。」
「伊達にAチームのリーダーを務めてるわけじゃないんでね。」
 そこに、マンゴスチンの皮を両手に握り締めて駆け込んでくるコング&マードック。
「これ、マンゴスチンじゃねーじゃんよ!」
「こりゃ、マンゴスチンじゃねえぜ!」
 声を合わせる2名。
「外側はマンゴスチンだがな。」
「内側は偽物。俺たち、まんまと騙されたってわけさ、ハハハッ。」
 寂しく笑うフェイスマン。騙すはずの男が、騙されるはずの女に騙されちゃ、みっともないね。
「リア……誠実そうな可愛い子だったのに、まさか俺を騙すなんて……。」
「フェイス、お前さんだけが騙されたんじゃないかもしれませんよ。」
「わかってるよ、ハンニバル……わかってるさ! ……慰めてくれなくてもいいよ。俺たちみんな騙されたんだ……リアに……。俺のせいで……。」
 フェイスマンはフォークを床に落とし、頭を抱えた。
 何も冷凍マンゴスチンごときでこんなにシリアスにならんでも、という気もしないコングとマードック。マンゴスチンじゃないみたいだけど、これはこれで美味いし。
「ちょっとちょっと、落ち着きなさいな、フェイス。あたしが言いたいのはそういうことじゃなくて。」
「じゃあ、どういうことなのさ! あんただって思ってるだろ。俺のこと、詐欺師のくせにカモに騙されるなんて、ってさ……。」
「リアちゃん、カモだったの? あたしゃまた、お前さん、リアちゃんに本気で惚れてんのかと思ってたんだが。」
 フェイスマンが、ガバッと顔を上げた。
「や、やだなあ、ハンニバル。お、俺が、そ、そんな、あ、あ、あんな子にほほほほ本気になななな、なるだなんて。」
「お前ねえ……。」
 ハンニバルは溜息をついて、言葉を続けた。
「たまにゃあたしのことも騙してみなさいよ。」
 床にしゃがんでマンゴスチンのようなものを食べながら、コングとマードックが「そりゃ無理だって」という身振りをする。
「しかし、あたしゃ、お前さんがどん〜なにお嬢さん方に惚れ込んでも、安心してられるんですよ。」
「……ハンニバル……。」
 頬と耳を真っ赤にしたフェイスマンが、雨の中を拾われた子犬のような目でハンニバルを見る。
「お前さん、とことん甲斐性なしだから。」
 笑っていいのかどうか困ってしまう、コングとマードック。とりあえずマンゴスチンのようなものを食べ続けてみる。
「さて、茶番はおしまいにして、このふざけたマンゴスチンを何とかしないとな。」
 ハンニバルがソファに座ったまま、背を伸ばした。
「コング、モンキー。まともなマンゴスチンはあったか?」
「いんや、今んとこどれもこれも偽物だ。」
「じゃあ、あたしにもあと10個ほどおくれ。全部が全部偽物なのか、確かめにゃならん。」
 フェイスマンが「ちょいと待ちなはれ」の手をする。恐らくこの偽物は、砂糖・ブドウ糖たっぷりであろうから、ハンニバルの出っ張った腹にはあまりよろしくない。
 しかし、あっさり無視する野郎ども。マードックがマンゴスチンを10個ほど、ハンニバルに渡す。



 そして1時間後、すべての冷凍マンゴスチンを食べ尽くしたAチーム。
「あー、冷えた冷えた。フェイス、温かいコーヒーを頼む。」
「俺っち、味噌汁!」
「ホットミルク、砂糖抜きでな!」
「はいはい。」
 先刻のテンションの上がり下がりもどこへやら、フェイスマンがいつものようにキッチンに向かった。
 銘々に自分の飲み物を持ち、夕方のリビングルームで、Aチームの面々は作戦会議。
「あたしが思うに、リアちゃんは本物の冷凍マンゴスチンをお前に送ったつもりになってるんじゃないかな。」
「ああ、わざわざこんな偽物の冷凍マンゴスチンを、サウザンド・フルーツの社長令嬢が送って寄越すわけねえもんな。」
「美味かったけどね。」
 マードック(いつもの帽子の上からコサック帽)はそれなりに満足そう。
「ちょっとフェイス、その辺、リアちゃんに確認してみてくれ。電話するのにいい時間だしな。」
「……電話するのはいいけど、でも、さっきからハンニバル、何でリアのこと親しげに『リアちゃん』なんて呼んでんのさ? 面識あったっけ?」
「言わなかったっけか? サウザンド・フルーツの社長、ナイジェル・サウザンドは、あたしの部下だったんですよ。お前たちがまだ子供だった頃にね。」
「聞いてないよ!」
 現在の部下3名は、しばらく開いた口が塞がらなかった。


          *


 サウザンド・フルーツの社長室に、Aチームの面々は座っていた。Aチームと、そして社長と秘書=リア。
 リアは20代後半なのだが、大きなくりくりとした瞳が彼女を20歳程度に見せていた。薄茶の巻毛をリボンで束ね、夏らしい生成のタイトなスーツに身を包んでいる。キャビネットからファイルをいくつか選び出し、社長(父)の前にドサリと置いた。
「マンゴスチン関連の苦情レポートと、下請け会社のリスト、それと売上げデータと仕入れデータです。」
「ああ、ありがとう。お前も座ったらどうだ?」
「いえ、椅子がありませんので、結構です。」
 娘に冷たく言われて、父は部屋の中を見回した。娘の言う通り、ソファには客人4人が座っていて、自分は社長チェアに座っている。そして、それ以外に椅子はない。
「リア。」
 フェイスマンが立ち上がり、彼女を呼んだ。そして、社長の方を見る。社長は満足げに頷いた。
 それを見て、リアがソファに座る。フェイスマンは、そのソファの肘掛けに尻を乗せた。
 その一連の行動を見て、ハンニバルがなぜか嬉しそうに微笑んだ。
「娘がペックさんに贈ったうちの冷凍マンゴスチンがすべて偽物だったという話は、娘から聞きました。大変失礼いたしました、ペックさん、スミス大佐、それにバラカス軍曹とマードック大尉。」
 社長、ナイジェル・サウザンド氏が1人1人の顔を見た。マードックの耳に下がっているイカのイヤリング(イカ全長4インチ)が、非常に気になっているご様子。
 因みに、自己紹介は割愛させていただきましたが、かなり緊迫したものがありました。特に、リアがフェイスマンを父親に紹介した直後に、フェイスマンがハンニバルを社長に紹介した辺りで。目の中に入れても痛くも痒くもない、可愛い可愛い一人娘についた虫(もしくは馬の骨)が、尊敬していた元上官の養子だなんて!(誤解あり。)
「実は我が社でも、この偽物の冷凍マンゴスチンには手を焼いておりましてね。お客様からも苦情殺到中で。昨年から約1割の冷凍マンゴスチンが偽物にすり替えられています。」
「1割だと? 俺たちが食ったのは10割だったぜ。」
「言ってみれば、コンプリート?」
「平均すると、約1割でして。中には偽物の冷凍マンゴスチンを掴まされずに済んだお客様もいらっしゃるはずです。」
「ごめんなさいね、テンプルトン。」
 リアがフェイスマンを見上げて、小声で囁いた。
「いいんだよ、リア。毎日果物を送ってくれてありがとう。君みたいに優しくて可愛い子に出会えて、僕は幸せだよ。」
 小声で返すフェイスマン。
「この事態を何とかせねば、と思ってはいるんですが、何分、マレーシア、タイ、インドネシア、ベトナムと4カ国から輸入している上、うちの店に入るまで数多くの下請け会社を経てきていますもんで、どこで偽物にすり替えられているんだか見当もつかず、調査に乗り出す人的余裕も時間的余裕もなく、今に至っているというわけです。」
 フェイスマンは、ピンと来てハンニバルの方を見たが、ハンニバルはただ楽しそうに葉巻を吹かしているだけだった。なるほど、社長にまで話を通したのは、こういう魂胆だったのか!



 サウザンド・フルーツ臨時社員4名は、本部社員食堂で夕飯を食べながら、打ち合わせをすることにした。
「社員としての月給を日割りで、ってかなり安くない?」
 ハンニバルの決定(提案したのは社長だが)に不平を垂れるフェイスマン。本日のパスタ(キャベツとアンチョビのオリーブオイル風味)を掻き回しながら。
「どの役職の社員かっていうのも問題だよね? オイラ、社長か取締役がいいなあ。」
 いきなり核心を突くマードック。本日のサンドイッチ(トマトとレタスとチーズ)を右手に、本日のハンバーガー(テリヤキソース)を左手に。そして首には涎かけ。
「そうか、代表取締役レベルの月給を貰えばいいんだ! 契約書類にはその件について何も書いてなかったから、こっちから言い出せば……。」
「何とかなるかもしれねえが、取らぬ狸の皮算用はやめとけよ、フェイス。」
 大盛りライスと本日のチャイニーズ・ディッシュ(エビのチリソース)を前にしたコングに諭されるフェイスマン。
「成功報酬制じゃないんだから、解決しなくてもいいわけだし、急がなければ急がないほど、金が貰える。何となくだらだらやってりゃ、それでいいんだ。あのマンションで何もしてないよりゃあ、よくないかい?」
 ハンニバルが、日替わり定食のチキンソテーをギシギシ切りながら言う。
「俺たちらしくないけど、ま、いいか。社食も安いし。って言うか、タダだしね。」
 そう、事件(?)解決まで食べ放題なのだ。ビバ!
「で、これからどうすんだ、ハンニバル?」
 エビの殻を噛み砕きつつコングが尋ねる。マードックも何かを噛み砕いているが、それが何なのか、本人にさえ不明。
「フェイス、必要なリストは貰ってきたか?」
「下請け会社のリストと、マンゴスチンが産地からここの店に入るまでの物流の詳細ね。」
 フェイスマンは、一旦フォークを置いて、席の横に立ててあったアタッシェケースを持ち上げ、ポンポンと叩いた。
「それと、4人分の社員証と契約書は貰った。他に何か必要だったら、リアに頼んどくけど?」
「とりあえず、それだけありゃ十分だ。……いや……。」
 何か思い当たったように、ハンニバルは眉を顰めて宙を見据えた。
「検疫の結果が見たい。税関で発行された書類も。」
「わかった。食べ終わったら、内線でリアに電話しとく。まだ社内にいるはずだから。」
 フェイスマンは、パスタ(サラダつき)を食べ終えた後、どこかへ内線電話をかけに行き、戻りついでにコーヒー2杯を持ってきた。もちろん、自分の分と、ハンニバルの分。
「書類、コピーしてここまで持ってきてくれるって。」
「それまで食休みだな。」
 コーヒーを啜るハンニバルとフェイスマン。食堂内禁煙なのがハンニバルには辛い。
 コングとマードックは、静かに杏仁豆腐を食べている。マードックは3杯目、コングは5杯目。
 しばらくして、黒いファイルを抱えたリアが社食に姿を現した。
「お待たせ、テンプルトン。これが、頼まれていた書類よ。どの書類も、社員証以外は、絶対に誰にも見せないでね。特に、外部の手に渡るようなら燃やしてしまって。」
「ありがとう。わかってるよ。君が揃えてくれたこの書類、他の奴になんか渡さないさ。」
「あなたが渡さなくても、取られることだってあるでしょう。盗まれることとか。そういう時には、命を懸けてでも、相手の目に触れる前に焼き捨てて。お願いね。」
 結構シビアである。
「大佐も、よろしくお願いします。冷凍マンゴスチンの1割が偽物にすり替えられることよりも、我が社の流通ルートが外部に漏れることの方が深刻なんです。」
「わかった。俺たちに任せとけ。」
 と返事をしたのはコング。ハンニバルは、食後の葉巻が吸えないため、ぶすっとしている。それが、どっしりと構えたリーダーっぽくて、渋いイイ味を出している。
「それから。」
 リアが4人の顔を見渡して言う。
「ここ本社に出勤していただく必要はありませんが、午前9時から午後6時の間に、1日2回以上、電話でいいですから状況報告を入れて下さい。私の名刺を差し上げます。」
 4人に、問答無用で名刺を渡す。
「ここにあります電話番号もしくはファクシミリに、どなたかが必ず連絡を入れて下さい。全く連絡がなければ、その日の日当はお支払いしません。連絡が1日に1回だけだった場合は、半休扱いになります。よろしいですか?」
「……はい。」
 フェイスマンがしおしおとして頷いた。他3名も、うむ、と頷く。
 リアって、こんな子だったんだ……。もっと頼りない、おっとりした子だと思ってた……。
「それと、こちらの書類にサインをお願いします。皆さん方の給与についてですが、特別に課長クラスの基本月給を4週×6日×8時間、つまり192で割った額を時給とし、1日8時間労働のパートタイマーとして扱わせていただきます。」
「取締役じゃないの?」
 マードックが尋ねる。
「取締役は我が社では月給制でないもので。」
 出された書類を、フェイスマンがじっくりと読む。
「うん、そんなに悪くない条件だと思うよ。」
 と、ハンニバルに回す。しかし、ハンニバルはそれを身振りで断った。
「お前が『悪くない』と思うんなら、それでいい。」
 フェイスマンは頷いて、書類2枚にサインし、リアに渡した。
「では、こちらが控えになります。」
 そのうちの1枚にリアがサインし、フェイスマンに返す。
「この契約書にもありますように、経費はレシートと報告書を提出して下されば、来月の月末にお返しいたします。ただし、経理の者が納得するようなものでなければ、お支払いできません。例えば、調査にかかる交通費やガソリン代はお出ししますが、接待費、食費、交際費、娯楽費はお出しできません。」
「当然だ。」
 大きく頷くコング。
「当たりきだよね。」
 マードックも頷く。頷いていいのか?
「ま、仕方ないでしょう。」
 フェイスマンも頷いた。レシートと報告書はでっち上げるつもりでいるので。
「1つ質問がある。」
 ハンニバルがリアを見上げた。
「何でしょう?」
「葉巻を吸いたいんだが、この建物の中ではどこでなら吸っていいんだ?」
 ああ、とリアが微笑んだ。
「喫煙所は各階の非常階段のところにあります。あとは社長室だけですね。」
「じゃあ俺はそこへ移動する。あとは任せた。」
 ガタンと席を立ち、早足で社員食堂を出ていくハンニバル。
「他にご質問は?」
 別段驚いた風もないリアが、残る3人を見た。
「はいっ。」
 挙手するフェイスマン。
「今日は何時に会える? 会社の外で、ってことだけど。」
「あら、あなた方、この後、作戦会議するんじゃなくて?」
 しらっとリアが言う。トホホなフェイスマン。鼻でフフンと笑うコング。まだ杏仁豆腐を食べているマードック。
「1日8時間労働とは言ったけど、それは1日何時間働いても8時間までしかお給与は出ないって意味だから、誤解しないでね。」
 リアはウインクをして、社員食堂を出ていった。
「はー、ごっそさん!」
 やっとマードックがレンゲを置いた。



 ハンニバルを迎えに非常階段に寄ってから、Aチーム一同はバンに乗り込んだ。
「1日8時間以下働けばいいのか!」
 ハッと気づいて、フェイスマンが嬉しそうに言った。
「ろくすっぽ働かないで、さも働いたかのように1日2回、電話報告すればいいんじゃん?」
 マードックが涎かけを外し、トリコロールのリストバンドをはめる。案外、マードック、ズルい奴である。
「ぐだぐだ言ってねえで、さっさと作戦立てて、とっとと悪党どもをふん縛ってやりゃいいんだろ?」
 優等生のコング。荒っぽいけど。
「短期で解決したら、報償金出るかな?」
「解決した暁には、退職金出んのかな?」
 フェイスマンとマードックは、小ズルい方向へと突き進む。
 書類を眺めていたハンニバルが、手痛い発見をした。
「この社員証、本名が書いてある上に、顔写真までついてるが、こりゃヤバいでしょうなあ。」
 どうやらサウザンド親子、Aチームがお尋ね者だということを知らなかったらしい。



 ロッド・何とか氏(いい加減に表札を見たらどうだろう)宅に帰り着くなり、4人は自分の社員証を何とかし始めた。
〈Aチームの作業テーマ曲、流れる。〉
 名前を少し変えるハンニバル、コング、フェイスマン。
 名前を大幅に変えるマードック。
〈Aチームの作業テーマ曲、もう終わる。〉
 この程度の偽造(?)なら、Aチームには朝飯前。夕食後は朝飯前と言っていいのか?
「おい、モンキー。『日.V.マンドゥーキー』ってどこの国の名前だよ?」
 マードックの社員証を覗き見て、フェイスマンが笑いながら怒っている。
「てめェ、MPに指名手配されてねえんだから、社員証そのまんまで使ったって問題ねえだろが。」
「だって楽しかったんだもん、文字変形させんの。」
 口を尖らせるマードック。帽子の代わりに手拭いを被って。
「別にいいじゃありませんか、マンドゥーキー。レアな大型のサルみたいな名前で。」
 ハンニバルは楽しそうに笑っている。葉巻、思う存分に吸ってるしね。
「ってえか、『日』ってジャパニーズ・カンジだろ。何の略だってんだ?」
「『日本』! フルネームは、『ニッポン・ヴァーサス・マンドゥーキー』。」
「マンドゥーキーって国名か? そりゃ何かの試合か? もっと普通の名前でっち上げろってんだ、このスカポンタンが!」
 因みに、他3名の社員証は次のようになっております。
 ハンニバル=ジョン・スマイズ
 フェイスマン=テンプルトン・ペッカー
 コング=R.A.バラカソン
「で、ジョン・スマイズ課長、作戦は?」
 ダイニングテーブルに散らばった書類を整理しながら、フェイスマンが尋ねる。
「作戦名、『恋は素早く、ビジネスは慎重に』だ。」
 リーダーは重厚に言い放った。
「それで?」
 動じないコングちゃん。あと2名も動じてないけど。
「我々4名は、あくまでもサウザンド・フルーツ社員ってことで、地道にじわじわと調査する。もちろん、マンゴスチンの中身をすり替える悪党を突き止めた際には、それなりに成敗してやる。」
「うん、それはわかってるけどさ。具体的にはどうすんの?」
「二手に分かれる。フェイスとコングは、サウザウンド・フルーツ店頭の1つ前の段階、冷凍倉庫から攻めていく。流通ルートを遡るわけだな。あたしとモンキーは、税関に何やら悪い輩が動いてないか調べた後、お前たちとは逆のルートで攻める。」
「国外もあんだろ? 俺様の飛行機でビビュンと行く?」
「いや、国外は今のところ除外していいだろう。書類によると、検疫で何一つとして引っかかってないんでな。国外から国内に入る時点で1割も偽マンゴスチンが混ざってたら、いくら抜き取り検査だからって、ちょっとぐらいは何かしらの検査に引っかかるんじゃありませんかね。」
 なるほどね、と頷く部下3名。
「そういうわけで、フェイス、このリストの倉庫を明日朝イチで回ってみてくれ。ここから、こう、な。」
 と、ハンニバルはA4判の紙にびっしり書かれた冷凍倉庫のリストを、上から下に指でなぞった。
「上から順番でいいの?」
「ああ、進展具合を報告しやすいように、順番にな。倉庫の中のマンゴスチンを見せてもらって、不審な点がないか調べるんだ。それと、そこの社員に不穏な動きがないかどうかも調べる。いいか?」
「そこまでやるとなると、1日に1社が限度かもなあ。」
 本当は1日に5社ぐらい回れそうだけど。
「そのペースで構わないぞ。じっくり調べるんだ。向こうが痺れを切らせて尻尾を出すぐらいにな。」
 尻尾出したって、所詮は偽マンゴスチンのシャービック。
「はーい、大佐、質問。」
「何だ、マンドゥーキー課長。」
「偽マンゴスチンと本物のマンゴスチンはどうやって区別すんの?」
「食ってみりゃわかるだろ。」
 と、コングが口出し。
「じゃあ俺たち、偽マンゴスチンを見つけるまで、マンゴスチン食べ続けなきゃいけないわけ?」
 フェイスマンが、冷凍マンゴスチンを1日中食べ続ける己の姿を想像して、身震いをした。
「倉庫にある冷凍マンゴスチンを10個ランダムに取って食べてみても、その中に1つ偽物があるかどうかだからな。無論、1個丸々食べる必要はないが。」
 あまり果物を沢山食べる方ではないハンニバルは、腕組みをして、むう、と唸った。
「だから、10個ぐらい食やいいだろ。なあ、フェイス。1日にマンゴスチン10個ぐらい、食えるよな? 俺とてめェで10個ずつ食や、1個ぐらい当たりが出るだろ。」
 それ、「当たり」じゃなくて、むしろ「外れ」だろ。
「あ、うん、1日に10個なら平気かも。」
 マードックが「食べなくても融かせばわかるんじゃん?」と呟いたが、誰も聞いてくれなかった。
 そう、融かせば偽物マンゴスチンはシャービック汁が切れ目から流れ出てくる。本物マンゴスチンは、融かしても中身が流れ出ない。でも、それじゃもったいないね。再冷凍しても売り物にはならないだろうし。温まった解凍マンゴスチンは美味くないだろうし。
 ともあれ、フェイスマンとコング、冷凍マンゴスチン食べ放題の旅が明日から始まるのであった。
 今日はこれにて解散。TV見るもよし、眠るもよし、シャワー浴びるもよし。冷凍庫のバナナを齧るもよし。


          *


 ピピッ、ピピッ、ピピッ、バシッ!
 翌朝、ベッドルームに3秒流れた電子音は、ハンニバルの一叩きによって儚くも消えた。
 その音を察知して目を覚ましたのは、鬼人奇人恋人変人マードック。のそのそと起き出し、エプロン(奥さんが腰に巻くやつ)を肩に羽織って首の前で紐をキュッと結ぶと、シルバーのリングを指にはめ、颯爽とベランダに出た。そうして、飛び降りるのかと思いきや、隣の家のベランダに侵入。
「キャーッ!」
 隣の奥さんの悲鳴が聞こえ、その声でコングが目を覚まし、ジョギングに出かける。
 そんな、Aチームの朝の日常風景。



「ほい、コングちゃん、生焼けベーコン。」
「おうっ。」
 差し出された皿に、マードックがフライパンの中のベーコンの大半を乗せ、再度フライパンを火にかける。
「ほい、大佐、普通焼けベーコン。」
「お、済まんな。」
 差し出された皿に、残りのベーコンの半量を乗せ、またもやフライパンを火にかける。
「ほい、フェイス、カリカリベーコン。」
 返事がない。皿も差し出されない。フライパンの上で、ベーコンが余熱によってどんどんとカリカリ度を増し、次第に炭化していっている。そして次には冷えて、脂が固まっていく。
「あれ? フェイスは?」
 テーブルの上のトーストにも手がついていない。コーヒーすらそのまま。
「まだ起きてきてないぞ。」
 ハンニバルが寝室の方を振り返って言う。
「大佐、起こしてきてよ。オイラ、目玉焼き焼かなきゃ。」
 何の疑問も持たず、ハンニバルはフェイスマンを起こしに席を立った。
「目玉焼きだと? ならベーコンエッグにしてくれりゃよかったじゃねえか!」
「牛乳のお代わりは?」
「くれ。」
 ジョッキに牛乳をボトルからドボドボと注ぐマードック。フライパンの上のベーコン(ほぼ炭)をフェイスマンの皿に乗せる。
「コングちゃんには特別にベーコンエッグにしてやるよ。」
「目玉3のベーコン5な。」
 指を4本立てるコング。平均値出してどうする。
「フェイス、起きないぞ。」
 髪の乱れを直しつつ、ハンニバル着席。
(念のために書いておくと、フェイスマンを起こそうとしたハンニバルは、寝惚けたフェイスマンにヘッドロックをかけられたのであった。以上。)
「きっちり起こしてこいよ。リーダーだろ?」
 フェイスマンと組んで動く予定のコングは、彼に早く起きてもらいたいこと、この上ない。出遅れるのは嫌だし。それでなくともフェイスマンは、朝の身支度に時間がかかるのだから。
「あたしはもうお手上げ。コング、頼む。」
 寝室の方を指差すハンニバル。
「仕様がねえなあ。」
 今度はコングが席を立ち、寝室に消えると、すぐにフェイスマンを抱えて、もとい、肩に担いで戻ってきた。フェイスマンを椅子に座らせる。が、全然起きていないフェイスマン、座っていられるわけもなく、椅子から倒れ落ちそうになる。
「ハンニバル、ベルト貸してくれ。」
「ベルト? お前のは?」
 と聞いたハンニバル、馬鹿でした。コングが今穿いているのはオーバーオール。ベルトなんて当然しちゃいません。納得して、自分のベルトを引き抜き、コングに渡す。
 そのベルトで、コングはフェイスマンを椅子に固定した。
「これでゆっくり飯が食えるぜ。」
「ほい、コングちゃん、3-5ベーコンエッグ。」
「おうっ。」
「大佐は目玉、1?」
「フェイスが寝てるから、3、行っちゃおうか。」
 コレステロール値の問題です。
「OK、3ね。」
「ところでコング、この眠り姫さん、こうして固定したところで何か事態は改善されたのかな?」
「いんや、ベッドで寝てようがここで寝てようが、同じだ。」
「だよなあ……。」
 熟睡しているフェイスマンを見ながら、ハンニバルとコングは、もぐもぐと口を動かした。
「フェイス、ベーコンなくなっちゃったから、オイラ、卵4個貰うよ。で、フェイスは目玉焼きなし。いいね?」
 キッチンからマードックが言う。フェイスマンが起きていないことを知りながら。
「いいと思いますよ。」
 ハンニバルが答え、コングが頷いた。



「はっ、今何時?」
 椅子に括りつけられたフェイスマンが、突然目を覚ました。
「8時55分。出勤の時間だ。」
 ネクタイを締めながら、ハンニバルが時計を見て言った。グレーのスーツにホワイトシャツ、ネクタイはダークグレー地にダークブルーのダイヤ模様、靴は黒のプレーントゥ、そして銀縁の伊達眼鏡。とても真面目な堅物小父さんに見える。
「何これ? 何で俺、縛られてんの?」
 慌てるフェイスマン、胸に回されているベルトを外す。
「ベルト返して。ズボン落っこっちゃう。」
 素直にベルトをハンニバルに返す。そのベルトをシュルッと締めるハンニバル。
「お前が寝坊したのがいけないんだぞ。何度も起こしたのに、コングが折角ここまで連れてきてくれたのに、お前ったら座ったまま寝てるから。」
「ゴメン、ともかく俺、顔洗ってヒゲ剃って歯磨いて、シャワー浴びないと。」
 冷めきったコーヒーを一気飲みして、バスルームに駆け込む。
「やっと起きたようだな。」
 いつもの格好(ノースリーブのシャツ、ジーンズのオーバーオール、ナイキのスニーカー、鎖ジャラジャラ)のコングが、社員証とリアの名刺と回らなければいけない冷凍倉庫のリストを手に、呆れたように言った。
「午前の連絡は、こっちでやっておく。午後はお前たちに任せる。」
「おう、合点でい。」
「大佐、見て見て。ロッド・何とかって人の服、サイズぴったり。」
 ウキウキとして出てきたマードックの装いはと言えば、ベージュのチノパン(自前)にブルーのボタンダウンシャツ、黄色地にピンクのストライプのネクタイ、紺のブレザー。カジュアルデーの平社員のよう。でも、足元は相変わらず黒のコンバース(ハイカット)、靴下は白。そして、プチおシャレとして、ブレザーの胸ポケットに竹輪。
「どうせなら靴も借りとけ。そのコーディネートからしたら、茶のローファーかな。」
 本来ならフェイスマンが指示する分野のことだが、彼、バスルームで鼻歌フフフン状態なので、代わりにハンニバルが見立てる。
「ローファーって靴擦れするんだよなァ……。コングちゃんはその格好でいいん?」
 普段よりいくらかはフォーマルな服装を強要されたマードックが、コングの服装を見咎める。
「他にどんな格好しろってんだ? 言っとくが、スーツはオーダーメイドじゃなきゃ入んねえぞ。」
 それでも多少は気を遣ったのか、スニーカーは黒の地味なものだし、ノースリーブシャツもグレーのリブ編み・柄なし。ジャラジャラも普段の半分くらい。ピアスに至っては皆無。
「コングはそれでいいことにしときましょ。時にモンキー?」
「ん?」
「その竹輪、人に会う前には食べ切っとけよ。」
「了解。乾いて硬くなる前に食べちゃわなきゃね。誰かに取られんのもヤだし。」
 コングは肩を竦めて、首を横に振った。


          *


「はー、間に合った。」
 やっとこさフェイスマンが身支度を終えてリビングルームに姿を現した。
「間に合ってねえ。」
 そう呟いて、壁押し運動をしていたコングは時計を指し示した。現在、9時45分を過ぎた辺り。ほぼ10時。45分以上前に、ハンニバルとマードックは出勤済み。
「さ、行こっか。」
 時計を見なかった振りをして、コングの呟きも聞かなかった振りをして、爽やかなブルーのスーツに身を包んだフェイスマンは、アタッシェケースを手に踵を返した。



 10時半、港の倉庫街で、白いコルベットから降り立つ優男とモヒカン・マッチョ。因みに、コングのバンは「絶対にマードックには運転させない」という条件つきで、ハンニバルに貸しました。
 フェイスマンはリストを手に、辺りを見回した。目的地の看板を見つけ、歩を進める。そうして2人の前に立ちはだかる、冷凍倉庫リスト第1番、エヴァリー・カンパニー、の、冷凍倉庫。その横にちんまりと、プレハブの本部。裏庭の物置にさも似たり。
「おはようございまーす。」
 にこやかにフェイスマンが本部のドアを開けた。
「何だ、てめェ?」
 いきなりギロリと睨む、強面アニキ。スチールのデスクに着いてはいるが、どう見てもチンピラ。
「始めまして、サウザンド・フルーツのテンプルトン・ペッカーと申します。」
 強面アニキに跳びかかろうとしている背後のコングを片手で押し留め、フェイスマンは飽くまでもにこやかに、社員証をチラリと見せた。
「こりゃ失礼しやした、サウザンド・フルーツの方でらっしゃいやしたか。いつもお世話んなっとりやす。」
 強面アニキもにこやかな表情になり、席を立ち握手をしに近寄ってきた。
「お初にお目にかかりやす、あっしゃエヴァリー・カンパニーの事務と経理を担当しとりやす、ガイ・エヴァリーと申しやす。以後、お見知り置きを。」
 右手で固い握手をしつつ、左手はフェイスマンの肩に。
「ん、よろしく。こっちはバラカソン。」
 肩に乗せられた熱い手は無視することにして、フェイスマンは空いた手で後ろのコングを差した。軽く会釈し合うコングとガイ。火花がバチッと散る。
「朝早くっから、ご苦労さんです。で、どういったご用件で?」
「ちょっと、抜き撃ち検査をね。」
「抜き撃ち検査?」
 ガイの表情が一転して険しくなった。
「うん、マンゴスチンの。」
「……ちょいとお待ち下せえ。あっしにゃあ倉庫を開ける権限がありゃあせんので、上の者に許可を取らしていただきやす。」
 さっと身を翻して、ガイはデスクの上の電話に向かった。そして、声を潜めて何事か話している。いかにも、非常事態到来、という雰囲気である。言ってみれば、この後、後ろを振り返ると、手に手に凶器を持った屈強な男たちが大勢犇めいているかのような。
「何かさあ……。」
 フェイスマンは後ろのコングを振り返って、小声で言った。
「いきなりビンゴって感じ?」
「願ったりだ。」
 コングはニヤリと笑って見せた。
 しかし、受話器を置いたガイは、奥のデスクの引き出しから鍵束を取り出し、再度にこやかに2人に近づいてきた。
「お待たせしやした。さ、行きやしょう。」
 2人を促し、本部の外に出る。そして彼はプレハブのドアに南京錠をかけた。
「済いやせんね。今、あっし1人しかいねえもんで。」
 冷凍倉庫の方へと向かいながら、ガイはヘヘッと笑った。
「普段は兄貴、失敬、社長がお客人を倉庫にご案内いたしやすが、今日はちっと野暮用で出てやして。社長に、大事なお客人に粗相のねえようにって言われやしたんで、精一杯やらしていただきやすが、ご無礼ありやしたら遠慮なく仰って下せえ。」
 と、照れ臭そうに頭を掻く。
「ええと、ルイ・エヴァリー社長っていうの、君のお兄さん?」
 リストに書かれた名前を見て、フェイスマンが尋ねる。
「左様でさあ。兄弟2人でやっとりやす。あと1人、ケイってのが兄弟におりやすが、こいつはあっしらとは違ってインテリで。」
 にこにこと話すガイ。かなりのブラコンと思われる。
『どうもビンゴじゃなかったみたい。』
『そうだな。』
 目と目で会話するフェイスマンとコング。
「ここがうちの倉庫でさあ。」
 手に持った鍵束の中から1本を選び出し、ガチャリと錠を外し、ドアを開ける。電気が点くと、左右には段ボール箱が積まれており、正面にもう1つ、重厚な扉が。ガイは別の鍵を選り出し、正面の扉にかかった錠を外した。そして、大きな懐中電灯を扉の脇から取り、スイッチをオンにする。
「中、電灯がありやせんので、これ持ってって下せえ。」
 と、フェイスマンに懐中電灯を渡す。
「じゃ、開けやす。」
 ギギギギギ、と重い音を立てて、分厚い扉が開く。ふわぁっと冷気が3人を包んだ。
「マンゴスチンは、左奥の白いケースに入っとりやす。存分にお調べ下せえ。」
 ガイに言われて倉庫の左奥を懐中電灯で照らすと、確かに白いプラスチックケースが山と積んである。その他にも、各色のプラスチックケースが倉庫内にびっしりと並んでいる。
「これ持ってたら、調べらんないよ。」
 フェイスマンは、手に持った懐中電灯を掲げてガイに言った。
「それ、足ついとりやすんで、足伸ばして下に置いても使えやす。」
「あ、ホントだ。」
 畳んであった懐中電灯の足を伸ばし、フェイスマンは「へえ、便利なもんがあるんだな」と呟いた。Aチームにも1つ欲しいところ。
「ケース下ろすの手伝いやすよ。結構重いっスからね。」
 脚立を肩に、ガイが言う。結構いい奴かも。
「社長ならフォークリフトを扱えやすが、あっしにゃ全然。」
 ハタハタと手を振るガイ。
「コン……バラカソン君、ここで待っててくれる? 俺が中入って調べてくるからさ。」
「おう、わかったぜ。」
「この扉、しっかり閉めておくんなせえ。」
 扉の外にコングを残し、2人は冷凍倉庫の中に入っていった。コングは扉をぎゅっと押して閉じ、しかし閂は開けたままにして、扉の外でじっと待っていた。



 10分もした頃だろうか、冷凍倉庫の中で大きな音がして、扉が中から開かれた。
「てえへんだ、ペッカーさんが!」
 扉の隙間から顔を出したガイが、コングの方に叫んだ。
「どうしたィ?」
「マンゴスチンとケースの下敷になっちまって……!」
「何だとォ?」
 中を見ると、懐中電灯に照らされて、ケースが引っ繰り返り、マンゴスチンが散らばっている。マンゴスチンの山の下にフェイスマンが埋もれている模様。
「大丈夫かっ!」
 コングが冷凍倉庫の中へと駆け出し、マンゴスチンの山を掻き分ける。
 その間に、ガイは扉の外に出て、そっと扉を閉め、閂をかけると、錠までカチンとかけた。



 冷凍倉庫の中の2人が「閉じ込められた」とわかったのは、それから5分後、フェイスマンをマンゴスチンの山の下から救出した後のことであった。
「やっぱりビンゴだったみたいだね……。」
 特に怪我もなく、冷え切っただけのフェイスマン。冷凍マンゴスチンがゴチゴチ当たって痛かったにせよ、コブ1つなし。さすがは百戦錬磨の元グリーンベレー、丈夫にできている。
「別件かもしれねえぜ。……で、偽マンゴスチンはあったのか?」
「まだわかんない。ケース下ろしてただけだし。」
 懐中電灯に照らされる、白いケースとマンゴスチン。
「おい、フェイス。あの灰色のケースん中もマンゴスチンじゃねえか?」
 白いケース群の横に積み上げられた灰色のケースに、フェイスマンは懐中電灯を向けた。ケースの隙間から見える丸いエビ茶紫は、明らかにマンゴスチン。
 2人は灰色のケースのところへ行き、中からマンゴスチンを1つ取り出した。テープを剥がし、代表でコングが中身を齧ってみる。
「こりゃ、あのシャービックだぜ!」
 齧った偽マンゴスチンをフェイスマンに渡し、白いケースの方のマンゴスチンも齧ってみる。
「こっちは本物のマンゴスチンだ。」
「やった、マジにビンゴじゃん。」
 嬉しそうなフェイスマン。
「でも、ここからどうやって出よう?」
 1箇所しかない扉は、どうやっても開かない。押しても引いても蹴っても体当たりしても開かない。もちろん、窓もない。天窓すらない。そして、彼らの装備は、書類の入ったアタッシェケースと懐中電灯のみ。倉庫内温度は、寒暖計によれば零下32度(摂氏温度に換算済み)。野菜や果物を一番美味しく冷凍保存できる温度だ……と思われる。その辺、ちょっとうろ覚えだが。
「ここまで丸腰じゃ、何もできねえ。ま、そのうちハンニバルが助けに来てくれるだろうよ。」
「午後6時過ぎてからになると思うけどね。」
 そう、午後の連絡が入らなかったということがリアにわかるのが、午後6時過ぎ。その後、ハンニバルとマードックがアジトに帰りつき、フェイスマンとコングが帰ってこないとわかるのは、恐らく午後8時頃になるだろう、早くとも。遅くとも、明日の朝には必ず。
「今、何時だ?」
「午前11時前。この寒さで多少遅れてるかもしれないけど。」
「あと7時間もこんなとこにいたら死んじまわあ。」
「こっちは、あと1時間もしないうちに死にそうだよ。」
 こうやって喋ってはいるが、既にフェイスマンもコングもブルブルガチガチで歯の根が合っていない。
「こんなことになるとわかってりゃ、厚着してくるんだったぜ。」
「俺も、ウール着てくるんだった。……あれ、あれれ?」
 悪いことは重なるもので、懐中電灯の明かりがだんだんと暗くなっていく。
「電池切れか!」
「嘘っ!」
 どうすることもできず、2人はフェイドアウトしていく懐中電灯を見つめているしかなかった。
「……暗いね。」
 真っ暗闇の中、至極当然のことをフェイスマンは言ったが、コングは鼻息でフッと返しただけだった。



 一方、税関係員の調査を終えたハンニバルとマードック(竹輪なし)は、リアに報告を済ませ、調査中に意気投合した女性検疫官2名と、ランチはどこで食べようかなどと談笑していた。
 空港のレストランに、ランチの美味しい店があるそうな。そこのビーフ・ストロガノフは最高だそうな。でも、ランチにストロガノフっていうのも変かもね。それじゃあランチは別の店にして、ディナーはそのストロガノフの美味しい店で食べることにしようか。そうね、それはいい考えだわ。以下略。
 フェイスマンとコングが冷凍倉庫の中で冷え切っていることなど露知らず。



「うー……さぶぅ……。」
 冷凍倉庫の中で、フェイスマンとコングはお互いに体をマッサージし合っていた。コングは首からジャラジャラを外して。金属は比熱が小さいから、温まりやすく冷めやすい。即ち、コングの体温を実に効率よく奪ってくれるのだ。
「鞄の中に何かねえのか?」
「え? 書類しか入ってないよ。……こんな時、ハンニバルがいればマッチかライター持ってるんだけど。」
「いねえもんは仕様がねえだろ。書類でも、何もないよりゃマシだ。寄越せ。」
「どうすんの、書類。」
「服ん中に入れる。多少は防寒できるだろ。」
 2人はマッサージの手を止めた。フェイスマンが手探りでアタッシェケースを探し出し、カチリと開く。その途端、アタッシェケースがボワンと勝手に開いた。
「うわっ!」
「どうした?」
「……これ……。」
 アタッシェケースの中を、と言うか、その近辺をゴソゴソと触るフェイスマン。
「これ、俺の書類ケースじゃなくて……モンキーのおシャレケースだ!」
「何だと?」
 すっごく嫌そうな声でコングが言う。
「出かける時に、モンキーったら、俺の鞄、間違えて持ってっちゃったんだ。……でも……何か暖かそうなの入ってる。」
「どら。」
 コングもフェイスマンの隣に来て、おシャレケースの辺りを触りまくる。
「こりゃコサック帽だな。」
 と、頭に被せるコング。モヒカンじゃ滅法寒かろうて。
「これはマフラーかな。」
 と、フワフワの長いものを首に巻くフェイスマン。
「シャツがあったぜ。」
 コングは、無理を承知で、そのシャツらしいものに腕を通した。
「手袋発見。」
 フェイスマンは、それを手にはめた。
「もう1丁、手袋あったぜ。」
「ズボン、もう1枚穿いてもいいかな。」
 といった具合に、暖かそうなものに触れるや否や、2人はそれを身につけていった。



 竹輪を食べ切ってしまった後、ハンニバルに銀縁伊達眼鏡を借りていたマードックは、眼鏡をハンニバルに返し、新たなるおシャレをしようと、おシャレケースを開いた。コングのバンの中での出来事である。
「おりょ?」
 膝の上のおシャレケースの中には、ちっともおシャレでない書類が入っていた。書類の他に入っているものと言えば、用箋1綴りとペンと名刺ケースと電卓。
「どうした、マンドゥーキー?」
「これ、フェイスのだよね?」
 ケースをハンニバルに見せる。
「ああ、フェイスのだ。何だ、お前、おシャレケースと間違えたのか?」
「そうみたい。シール貼っときゃよかった。この辺にペタンとおシャレに。」
 上部表面の下端を撫でるマードック、甚だしく不満そうな表情。
 助手席に座るハンニバルは、目の前のグローブボックスを開けた。中を漁り、埃まみれのバンダナ(赤地にペイズリー)を発見。埃を払って、運転席のマードックに渡す。
「これで当座は凌げるんじゃないかな?」
「サンキュ、大佐。」
 マードックはそのバンダナを三角に折って鼻と口を覆い、頭の後ろで端を縛った。
「これでオッケー!」
 ゴキゲンなマードック。車のキーを回す。気分は砂塵の中のジョン・ウェイン。行き当たりばったり強盗にしか見えないのは、本人、気づいていません。
「ランチの後、フェイスにケース替えてもらいに行こ。いいっしょ?」
 一応、リーダーに確認を取る。
「ああ、構わんぞ。奴さん、どこにいるんだかわからんけどな。」
 フェイスマンたちが回っている冷凍倉庫のリストは、フェイスマンしか持っていない。なので、ハンニバルたちにはフェイスマンとコングがどこにいるのか、さっぱりわからない。ただ1つわかっていることと言えば、リストの一番上に書いてある冷凍倉庫でマンゴスチンを食べているんじゃなかろうか、ということ。
「リアちゃんに聞いてみればわかるんじゃん?」
「あ、なるほどね。」
 ハンニバルは、ポン、と手を打った。


          *


 ギギギギギ……。
 重苦しい音を立てて扉が開き、外の光が冷凍倉庫の中にサアッと差し込んできた。太陽はほぼ天頂に位置しているので、それほど強い光ではなかったが、暗闇に目が慣れたフェイスマンとコングは、眩しさに目を細めた。
 丸っぽいシルエットの何かが、後光を背負ってのったりと近づいてくる。
『パンダか?』
『……巨大ヒヨコ?』
 寒さに機能低下した頭で、コングとフェイスマンはそう思ったが、そんなものが冷凍倉庫にわざわざ入ってくるわけないね。巨大ヒヨコなんてあり得ないし。巨大ヒヨコの着ぐるみならまだしも。
 扉のところで、カッと電灯が灯った。目をシパシパさせる2人。
「お前たちは……ぶっ、がはははははは!」
 冷凍倉庫に入ってきたのは、パンダでも巨大ヒヨコでもなく、でっぷりと太った背の低い男(爆笑中)だった。やっとのことで見えるようになってきた目で、2人はそれを確認した。そして、扉のところでは、ガイがサーチライトのような大きな電灯の横に立っている。口を押さえながら。
『何笑ってんの?』
『笑われてんの、俺たちか?』
 と、2人は顔を見合わせた。
「何て格好してんだ、フェイス!」
「コングこそ、何それ?」
 暗闇の中では、そこそこまともな格好をしていると思い込んでいた2人だが、実際はそうでもなかった。さあ、2人の姿を明るいところで見てみましょう。
 コング;アフロのカツラを被り、サイケデリックな色柄のサテンのシャツ(長袖だけど腋は破れてるし、無理矢理留めた前のボタンは弾け飛びそう)に、手には薄汚れた足袋ックスをはめ、腹には黄色い涎かけを乗せて、オーバーオールの上からハンニバルのズボン下とマードックの革ジャンを穿いている。
 フェイスマン;薄紫のフェイクファーの長い長いボアをセクスィ〜に纏い、両手には魚を模したミトン型の鍋掴みをはめ、頭に薄ピンクのエプロンをボンネットのように被り、トラウザーズの上に紫色のニッカボッカ、ふくらはぎには金色のリボンをぐるぐると巻き、足元は元々白のエナメル。
 想像できたかな?



 4人、一頻り笑い終え、何とか息も治まった。
「で、お前たちは何者なんだ?」
 でっぷりとした男が聞いた。
「サウザンド・フルーツのペッカーとバラカソンだけど?」
 笑ったのでかなり体が温まったフェイスマンが何気なく答える。
「てめェが社長のルイ・エヴァリーか。」
 変な格好だとわかってはいるものの、寒いのでそのままの服装の2人。
「その通り。」
「兄弟なのに似てないねー。」
 弟のガイは長身痩躯のチンピラ顔、兄のルイはパンダか巨大ヒヨコな体躯に福々しい顔つき。口調も兄弟全く異なっている。
「よく言われるよ。俺は母親似で、ガイは父親似なんでね。」
「もう1人のケイってのは、どっちに似てるの?」
 フェイスマンの蛇足っぽい質問に、兄弟は口を閉ざした。重い沈黙。
「……その話はよしやしょうや。」
 沈黙を破って、ガイがボソリと言った。いろいろあったようである、エヴァリー家には。
「サウザンド・フルーツに電話して聞いてみやしたが、あんたさん方の名前、社員一覧の中にゃ入ってねェって話でしたぜ。」
 あ、とフェイスマンは口を開いた。サウザンド・フルーツの社員として登録されている名前はペックとバラカスであって、ペッカーとバラカソンではないのだ。何たる失態!
「あー、ええと、その、会社で使ってる名前と本名とは違って、いや、違う、会社で使ってる名前が本名で、ペッカーとかバラカソンってのは通り名、じゃなくて、あだ名、でもなくて、コードネーム、ってわけでもなくて、えー、その、俺たちいくつか名前があって、何て言うか、ああ、何て言やいいんだ?」
 しどろもどろのフェイスマンがコングの方を見たが、コングは「知らねえよ」という素振りを見せただけだった。
「そ、そう、俺たち、シークレット・エージェントだから!」
 口から出任せ。フェイスマンの言葉にしては、近来稀に見る信憑性のなさ。根拠も何もない。
「やっぱりな!」
 だが、ルイはそれを信じた。と言うか、フェイスマンが言う前から、そう信じていたようだ。
「だから言ったろ、ガイ。こいつら、偽マンゴスチンなんてチャチなことじゃなくて、ケイのニラを狙ってきやがったんだ。」
「さすが兄貴、冴えてやすね。」
 サーチライトのようなものを引きずって、ガイがこちらにやって来た。
「眩しいから、ガイ、それ、どうにかしてよ。」
 顔を背けて、フェイスマンが言う。
「フェイス、ガイの奴、銃持ってやがる。」
 コングも顔を背けて、そっとフェイスマンに囁いた。
「うん、俺も見た。ヤバい感じ。」
 フェイスマンもコングに囁き返す。
「これは眩しくていいのさ。なあ、ガイ。こいつらわかってないようだから、説明して差し上げろ。俺はちょっと上着着てくる。」
 ルイが小走りで姿を消した。案外速い。
「あんたさん方がどこに頼まれて来たのか、どこまでニラのことを知ってんのか、全部吐くまで、このライトは消えやせんぜ。」
「ニラ?」
「さっきもデブが『ケイのニラ』って言ってたよな。」
 そう言うフェイスマンとコング。フェイスマンはエプロンを丸めて目を覆っているし、コングは涎かけを顔に巻いている。
「ニラについて知ってることって言えば、うーん、そうだな、エイジアン・ディッシュに使われる緑色の野菜ってことぐらいかな。」
「餃子に入ってるよな。食うと精がつくって話だ。夏バテに効くらしいぜ。」
「でも、買うと結構高いんだよね。アジアの方じゃ安いんだろうけど。こっちじゃ作ってないのかな?」
「聞いたことねえな、国産ニラなんて。全部輸入品なんじゃねえか?」
「だから高いのか。葉ものはそうそう冷凍できないしね、解凍した時にべちゃべちゃになっちゃってさ。茹でた後に冷凍されてるのもあるけど、使い途が限定されちゃうんだよねえ。」
「フリーズドライって方法があるだろ、ありゃどうだ?」
 真剣にニラについて討論している2人。周りの様子が見えないので、ガイが何か言ってくれない限り、話を止めるきっかけが掴めない。
 だが、ドタドタという足音が聞こえて、2人は話を中断することができた。
「お前もこれを着ろ。」
「へいっ。」
 という会話から、着込んできたルイが弟にも上着を持ってきたのだとわかる。見ていなくてもわかる。結構仲よし兄弟。
「兄貴、こいつらフリーズドライのことまで突き止めたようですぜ。」
「何だと? ニラをフリーズドライにしてアジア諸国から激安価格で輸入するってとこまで知られちまったのか! フリーズドライのニラを戻したのが、アジアの現地で食べるニラと同じぐらいに美味いってことまで知られちまったのか!」
「ってこたぁ、ニラをフリーズドライする時の条件まで知られちまったのかも……。」
「ケイはそれで特許を取ろうとしているのに! 何て奴らだ!」
「特許じゃありやせんぜ、兄貴、実用新案とか何とか言うんだったと……。」
「実用新案でいいんだよ。」
 口を挟むフェイスマン。儲け話には目がない彼。
「ケイって人がニラをフリーズドライにする研究をしてて、フリーズドライしたニラが美味しいから、その製法で実用新案を取って儲けようって話だね? さらに、アジアでニラを安く買ってフリーズドライにして、輸入してこっちで売って、もっと儲けようって話でもあるね?」
「仕事柄、アジア各国の加工工場には顔も利くしな。ケイの話じゃ、フリーズドライにするには特別なマシーンが必要なんだそうだが、それもマンゴスチンのおかげで、もうしばらくすれば導入できそうだ。」
「マンゴスチンの中身をすり替えて……。」
「そう、マンゴスチンの中身だけを知り合いの缶詰工場に回すんだ。残った皮の中には合成香料たっぷりの砂糖水を入れてな。」
「すり替えたのは灰色のケースに入れて、知らん顔して出荷、と。」
「よく知ってるな……じゃなーい!」
 フェイスマンの話に乗せられて、言ってはいけないことまで喋ってしまったルイ。
「まあ、そこまで知ってしまったからには、生きて倉庫を出られないと思ってくれ。」
「もう半分ぐらい死んでるよ、寒くて。」
 先刻よりも、サーチライトのような電灯が発する熱の分、暖かいんだが、それでも寒いことに変わりはない。
「死んでしまう前に、是非とも君たちがどこまでこの事実を雇い主に報告したのか、雇い主が一体どこの会社なのか、吐いてもらわんとな。……ガイ、やれ。」
「へいっ。兄貴、銃を頼んます。」
 フェイスマンとコングには見えないんだが、多分、ガイがルイに銃を渡した様子。なもんで、相変わらず2人とも動けない。この近距離で小銃ということは、2人のうちのどちらか片方しか狙えないはずだが、2人のうちのどっちを狙っているのか、目隠しのせいで見えないし。目隠し取ると、眩しくて見えないし。いずれにせよ、見えないんだよな。
「な、何しやがんでい!」
 いきなりコングが叫んだ。ガイがコングを後ろ手にロープで縛り上げたからだ。フェイスマンには見えないんだが、ガイはコングの足も縛り、さらに足と手とをロープで括った。したがって、コングはシャチホコのごとき体勢。目隠しの涎かけはそのまま。
 そしてガイは、フェイスマンの手も後ろ手に縛った。足をも縛る。その縄使いの巧いこと。最後にガイは、フェイスマンの目隠しを取った。
「眩しいってば〜。」
 薄目で見上げたガイは、用意周到にもサングラスをかけていた。
 動けないフェイスマンをうつ伏せにし、腰の辺りに跨り、顎に腕をかけて顔を持ち上げる。逆エビ反り姿勢のフェイスマン、目の前には煌々と明るいサーチライトのようなもの。
「さ、ペッカーさん、早いとこ吐いちまって下せえ。雇い主と、どこまで報告したのかを。」
 寒くはなくなったが、腰が痛いし眩しいし、腹が減って仕方がない。そう、フェイスマンは朝食を食べていなかったのだ! フェイスマン、ピーンチ!
「早く言わんと、こっちのイカしたブラザーが凍っちまうぞ。」
 ガイがフェイスマンの顔をコングの方に向かせると、首の骨がゴキッと鳴ったのはいいとして、ルイがコングの上からバケツの中の液体をちろちろと注いでいるのが見えた。
「つべ、つべ、つべてぇっ!」
 恐らく、その液体は、色から察するに、偽マンゴスチンの中に詰まるはずだったシャービック原液であろう。凍ったら凍ったで冷たいし、凍らなかったとしてもベタベタだ。そのまま外に出たりなんかしたら、蟻にたかられること請け合い。コング、ピーンチ!


          *


 と、その時。
「あのー、こちらにサウザンド・フルーツの者、2名、来てやしませんかね?」
 扉のところから声がした。
『ハンニバルの声だ!』
 フェイスマンとコング、そう判断するや否や、口を揃えて叫んだ。
「助けて、ハンニバル!」
「助けろ、ハンニバル!」
「何? 仲間か?」
 ルイが銃口をハンニバルに向けて撃った。が、その弾丸は重厚な扉に跳ね返されただけだった。
「モンキー、銃を!」
 倉庫の外に向かって叫ぶハンニバル。バンのところで待機していたマードックが、慌ててオートライフルを探す。まさかこんな事態になるとは思っていなかったので。
 ハンニバルは万が一の事態に備えて、腰にコルト・ガバメントを挟んでいた。神出鬼没のAチームのリーダーを務めているだけある。ルイの足元に威嚇射撃をしつつ、冷凍倉庫の中に駆け込む。
〈Aチームのテーマ曲、かかる。〉
 ルイに体当たりを食らわせるハンニバル。しかし、ルイの方が重かった。ボヨ〜ンと弾き返されるハンニバル。
 フェイスマンの首を締め上げるガイ。だが、ダウンジャケットが災いした。力一杯締め上げても、フェイスマンの首は締まらない。腰が痛くなるのみ。
 シャチホコのポーズのまま、腹を下にして、バインバイン跳ねるコング。何の解決にもなっていない。偽マンゴスチン汁が周囲に撒き散らされるのみ。
 オートライフル2挺を手に、やっとのことで倉庫に駆け込んでくるマードック。ローファーのせいで靴擦れになったため、ツーステップで。
 ルイと足を止めて殴り合いをしているハンニバル。お互いに「腹を殴っても無効」と理解したようだ。
 ルイが取り落とした小銃を拾うガイ。おかげでフェイスマンはフリーになった。立ち上がってピョンピョン跳ね、ガイにタックル。倒れたガイはそれでも銃をフェイスマンに向けたが、既に弾はなく、頭突きをかまそうとしたフェイスマンの顔面に、銃のグリップでカウンターパンチを食らわせる。
 マードックが投げて寄越したオートライフルを取り、ハンニバルはルイの頭部に台尻で一撃を食らわせた。ばったりと倒れるルイ。
 フェイスマンを投げ捨てて立ち上がろうとしていたガイも、マードックにオートライフルの銃口を突きつけられ、観念したように両手を挙げた。
〈Aチームのテーマ曲、終わる。〉



 今や、エヴァリー兄弟は、ハンニバルにオートライフルを突きつけられ、おとなしく倉庫の床に座っていた。ハンニバルはルイが着ていた上着を奪って着込んでいるし、マードックもガイが着ていたジャケットを着ている。
 やっとの思いで、マードックはフェイスマンとコングのロープを解いた。そして今度は、そのロープを使ってルイとガイを縛り上げるのである。ご苦労さまです。
「ひどい顔だな、フェイス。」
 顔面を腫らせたフェイスマンを見て、フッと笑ったハンニバルだったが、その後、フェイスマンの全身を見て、その短い笑いは継続的な笑いに変わった。
「何だ、フェイス、その格好は?」
「寒いんだから仕方ないだろ!」
 そう言ったフェイスマンは、殴られた時に歯が折れたらしく、口から血を垂らしている。
「早くこっから出ようぜ、ハンニバル。」
 コングもハンニバルのところにやって来た。
「く、来るな、コング!」
 遂にハンニバルは、オートライフルを取り落とし、腹を抱えて床にうずくまった。
「……何だ、ハンニバル、腹イタか?」
「いや、ハンニバル、本気で笑ってんだよ、これ。」
「そんな可笑しいか? 俺たちの格好。」
「うん、可笑しいよ。もう慣れたけどね。」
 ルイとガイとを縛り終えたマードックも、3人に合流。
「お待っとさん。フェイスはこの後、病院行って、コングは家でシャワーかな。」
 フェイスマンの顔とコングの服を見て、マードックが何気なく言う。
「てめェは俺たちの格好見て笑わねえのか?」
「笑う? 何でさ? いいセンスしてんじゃん。コングちゃんなんて、普段よりその格好の方が絶対いいって。涎かけとズボン下と俺の革ジャンはともかく。で、フェイスは、そのボア、最っ高〜に似合ってる。」
 フェイスマンとコングは、笑われる方がマシなことも世の中にはある、ということを知ったのであった。



 エヴァリー・カンパニー本部の電話で、笑いが治まったハンニバルが、リアに電話連絡を入れ、マンゴスチンすり替え犯人がエヴァリー兄弟であったことを告げた。
 暖かいところに出てきたフェイスマンは、血行がよくなったせいで顔の腫れがよりひどくなり、今や喋れる状態ではなくなっていた。袋入り冷凍ブルーベリーを頬に当て、口からタラタラと血を流し、陰鬱な表情をしている。
 片やコングは、案の定、蟻にたかられている。
 兄弟を冷凍倉庫に閉じ込め、不要になった銃を片づけて、マードックはコングのバンの運転席に着いた。
「何だ、てめェが運転すんのか?」
 蟻に纏わりつかれたまま、コングは自分のバンに駆け寄ると、運転席の窓からマードックのバンダナを掴んだ。マードックの所有するところのバンダナではないが。
「だってコングちゃん、ベタベタじゃんよ。それで運転したら、シートがベタベタになるだろ? だから、代わりに俺が運転してあげんの。」
「じゃあハンニバルが運転すりゃいいだろ。」
 と、ハンニバルの方を振り返る。
「あたしはこれから、こっちの車でこいつを病院に連れてかにゃ。」
 コルベットとフェイスマンとを指すハンニバル。フェイスマンはと言えば、コルベットの助手席に座って、じっとしている。
 葉巻に火を点けて、ハンニバルは煙をふうと吐いた。
「お、そうだ、コング、いい案がある。」
 何か思いついたようにハンニバルが言い、埠頭の方へと歩いていく。
「ほら、コング、こっちゃ来んさい。モンキーに聞かれちゃまずいからな。」
「おうっ。」
 嬉しそうに、コングはハンニバルの後について行った。
 そして、埠頭の端に立つハンニバルとコング。潮風も心地好く、沖には白いヨットも見える。
「どんな案だ、ハンニバル?」
「それはだな……。」
 と、ハンニバルはコングに耳打ちするように身を寄せたかと思うと、コングを海の方へと蹴り出した。
 大きな水音と共に、高い水飛沫が上がる。
「そのベタベタを洗い流せばいいんだ。」
 ハンニバルは葉巻を銜えたまま、ニッカリと笑った。


          *


「ただいまー。」
 病院に行っていたハンニバルがアジトに戻ってくると、さっぱりと風呂上がりのコングがマンゴーを食べている最中だった。
「さっきはよくも海に蹴り落としてくれたな。」
「しかし、ベタベタは取れただろう?」
「偽マンゴスチン汁は落ちたし、蟻も溺れ死んだがよ、ずぶ濡れで結局運転できなかったぜ。」
「タオルは車に積み込んでなかったのか?」
「養生シートしかなかったんで、その上でベタベタのあんたのズボン下とあのアホウのジャンパーと一緒に座ってたんだぜ。ここに着くまで、ずっとな。」
「あのズボン下は俺のか!」
「そう聞いたな。」
「モンキー!」
「あいよ? 大佐もマンゴー食べる?」
 キッチンで振り返るマードック。コングに遅い昼食を出した後の片づけをしている最中。
「ああ、いただこう。そのマンゴー、リアちゃんからのか?」
「そう、ちょうどオイラたちが帰ってきた時に届いたんよ。食べ頃で美味そうだよ〜。」
「それはそれ、コングが穿いてベタベタにしたのは、ありゃあたしのズボン下だったのか?」
「ん、大佐のだよ。さっきコングの服と一緒に洗濯して、今、干してある。」
「洗ってくれたんなら問題ない。」
 ベランダを見ると、ズボン下とオーバーオールとノースリーブシャツと靴下とパンツが吊り下げてあった。さらに革ジャンまで。その横には、エプロン、涎かけ、ボア、足袋ックス、鍋掴み、ニッカボッカ、サイケシャツ、そしてアフロのカツラ。全部一緒に洗濯機で洗ったのか、確認するのが恐い。
「大佐、フェイスは?」
 マンゴーをテーブルに置いて、マードックが尋ねる。
「腫れが引いてから処置するらしくて、入院だそうだ。」
「お腹空いてるってのに歯腫らしちゃって、可哀相に。」
「言われてみれば、奴の腹、盛大に鳴ってたな。ま、食欲があるのは元気な証拠だ。」
「歯ァ以外元気だからこそ、腹減って困んじゃねえか?」
「子曰く、あいつの腹はあいつの腹、俺の腹は俺の腹。って、洗濯屋のリーさんが言ってたぞ。おお、そうだ、モンキー、ディナーの約束、何時だったっけかな?」
「7時に空港ロビー。だから俺っち、これからコングちゃん用の夕飯作っとかないと。」
「何だ、そりゃ? 俺たちが冷凍倉庫で冷えてる間、上手いことやってたのか?」
 まだ約束の時間まで間があることだし、ハンニバルはそれまでの経緯をコングに話した。ランチは空港のスモーガスボードだったこととか、ローストビーフが美味かったこととか、すっかり満腹になってからアタッシェケースを取り替えに出向いたこととか。「ご婦人方とランチをご一緒したことは、フェイスには内密にな」と言おうとした矢先。
 プルルルル、プルルルル。
 電話が鳴り、ハンニバルは受話器を取った。
「ハロー。」
「リアです。ハンニバルさんですね?」
「ああ、その通り。フェ……テンプルトン・ペックだったら、今、入院中よ。」
「入院? 怪我なさったんですか?」
「そう、怪我なさっちゃってねえ。入院してんのは、イングルウッドの病院、マンチェスター通りの北側のね。ひどい顔になっちゃったから、見に行って、笑ってやって。」
「はい、あとでお見舞いに行きます。それで、お仕事の話なんですけど、本日分の日当、小切手でお渡ししたいと思いますが、月末締めの翌月払いになりますんで、ご承知置き下さい。あと、エヴァリー・カンパニーの件ですが、兄弟を警察に引き渡しました。皆さんのお名前は、事情聴取の時にも一切出しませんでしたし、社員名簿からも既に抹消いたしました。ですから、お渡しした社員証は即刻破棄して下さい。以上、よろしいですか?」
「はいはい、OKですよ。小切手については、あたしにゃよくわからんので、ペックに話してやってちょうだい。喋れないけど筆談はできるから。」
「了解いたしました。このたびは、調査にご協力下さいまして、ありがとうございました。」
「どういたしまして。ああ、マンゴー、どうもありがとう。美味しくいただいてるよ。」
「こちらこそ、どういたしまして。では、失礼いたします。」
 受話器を置いて、ハンニバルは溜息をついた。
「どうしたんでい、ハンニバル? 何かまずいことでもあったのか?」
「まずいと言えば、まずい。」
 ハンニバルは深刻な顔でマンゴーを頬張った。
「ズボン下、あれ1枚だけしかなかった?」
 ロッド・何とか氏のシャツで手を拭きながら、マードックが問う。
「いや、ズボン下はまだストックがある。」
「じゃあ何だ?」
 ハンニバルの悩みは、ズボン下関連か否か、それしか選択肢はないのだろうか。
「1カ月ぐらいかけて調査する予定だったのに、我々があまりにも有能であるゆえ、1日で解決してしまった。……つまり、1日分しか給料が貰えん。」
 それを聞いて、コングとマードックは安心したように息をついた。
「そんなことかい。住むとこもあんだし、食うもん(マンゴー)もあんだし、別にいいじゃねえか。」
「そうだよ、大佐。フェイスの治療費だって、サウザンド・フルーツが出してくれるんだしょ?」
「……ま、そうだな。そのうちまた仕事の依頼も来るだろうしな。」
 浮上するハンニバル。やはりハンニバルは、どっかり構えて悠然としているのがいい。心配事はフェイスマンに任せておけばいいのだ。
 と、その時。
 プルルルル、プルルルル。
 再び電話が鳴った。「またリアかな?」と思い、ハンニバルが受話器を取る。
「ハロー。」
「俺、ロッド・ヴァンバルベルゲノフって、そこの家の持ち主。テンプルトン・ペックはいる?」
「いや、ペックは今、入院中だ。」
「入院中? 参ったな……。悪いんだけど、急な仕事が入っちゃってさ。これからそっちに帰るんで、今日中に出てってくれないかな?」
「今日中に? ……ああ、多分OKだ。」
「済まないね、予定変更になっちゃって。明日の早朝に着く便で帰るんで、6時には明け渡してほしい。鍵はテンプルトンに渡しておいてくれ。」
「わかった。」
「じゃ、よろしく。」
 ハンニバルは受話器を置き、再び溜息をつくと、マンゴーを食べ切ってから言った。
「皆の者、明日午前5時を目標に、この家を出るぞ!」
「まだ先の話だな。でも、ま、掃除しとくか。」
 よっこら、と腰を上げるコング。
「じゃあ、夕飯作って、ディナー食べに行って、帰ってきてから洗濯物取り込んで、それから病院に帰るんでも間に合うね。」
 この家から追い出されても、帰る場所のあるマードック。
 2人とも、余裕しゃくしゃくである。そこでリーダーも、「フェイスに明け渡しについて報告せにゃあなあ」と思いつつも、心に余裕を持って言い放った。
「モンキー、マンゴー2つ追加!」
【おしまい】
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