アフロヘアはトロピカル・フルーツの香り
フル川 四万
 ニューヨーク。夏、そして早朝。
 午前4時。まだ暗い倉庫街を、1台のママチャリが疾走している。紫ラメの派手なフレーム、前後の荷台には、大きなバスケットが各1つずつ。
「ワッタフィーリン!」
『フラッシュダンス』のテーマを高らかに歌いながら自転車を漕ぐジェリーは、最近、イーストビレッジ界隈で評判のジューススタンド、トロピカル・ステップのオーナーだ。
 夢のために祖国を出て2年。ミュージカルスターへの道は遠いけれど、とりあえず今はこのジューススタンドがある。これさえあれば日々の暮らしには困らないし、国の家族に幾許かの送金だってできる。
 ジェリーの自転車は、鼻歌と共に角を曲がり、少し奥まった場所にあるトロピカル・フルーツの輸入販売会社、アフロ商会を目指した。ジェリーは、ここでジュースの材料となる冷凍果物を仕入れているのだ。アパートに大きな冷凍庫を持たないジェリーは、買った果物をそのままアフロ商会の事務所にある古い冷凍庫に置かせてもらい、こうして必要になるたびに取りに来ることにしていた。
 いつも寝坊のジェリーだが、今日はなぜかとても早起き。早起きと言うより、徹夜明け。夕べ、エイドリアン・ライン監督作品のオールナイトを見に行ったら興奮して眠れなくなってしまい、一睡もせずにそのまま仕入れに来たのだ。
「『フォクシーレディ』も、『ナインハーフ』もステキだった。(ミッキー・ローク! 彼こそアタシの王子様かもしれない!)それでも、それでも……ああ、やっぱり『フラッシュダンス』がナンバーワン! ワッタフィーリン♪」
 浮かれたジェリーが両手を離したせいで、自転車は右へ左へと蛇行し、狭い通路の両側に積んであった段ボールの山に突っ込んで止まった。
 ジェリーは、何事もなかったかのように段ボールの海から立ち上がると、倒れた自転車を放ったらかして倉庫街へと歩を進める。
 レンガ造りの古い倉庫街。その中ほど、倉庫を改装した事務所がアフロ商会だ。ただの顧客(それも小口の)であるジェリーは、もちろん会社の合鍵など預かっていない。が、裏口の脇の植木鉢の裏にバールのようなものが隠してあり、営業時間外に品物を取りに来る際には、それでドアを抉じ開けて中に入るのだった。
 相当迷惑な行為だし、見つかると毎回こっぴどく怒られるのだが、ジェリーの辞書に反省の文字はなかった。
「だって仕方ないよ、開いてないんだから!」
 というのがジェリーの言い分で、またそれは、奴の性格の根本の部分を示す台詞でもある。



 さて、今日も例によってバールで侵入するか、と思ったジェリーの頭上に、不意に浮ぶハテナマーク。
『あれ? アフロ商会の小窓に明かりがついてる。誰か来てるんだ。……社長かな?』
 そう思ったジェリーは、そっと扉に手をかけた。開いている。素早く中に入り、事務所の片隅の冷凍庫から冷凍果実の段ボール箱を取り出した。
 じゃあ用事も済んだから、社長に挨拶くらいしていくかと、ジェリーは、躊躇なく社長室の扉を開けた。
「オハヨウゴザイマース! ジェリーでーす。……あれ?」
 ダークスーツの男たちが、一斉にこちらを振り返った。テーブルの上には、あからさまに怪しい白い粉と、銀色のアタッシェケース。何だかヤバげな雰囲気。
「ああ……ごめんなさい。」
 ジェリーは、そう言うと、クルリと踵を返し、足早にその場を立ち去った。入ってきた裏口を出て、自転車の籠に荷物を突っ込み、路地を抜けて走り出す。
『あれ……麻薬……かしら。まさかね、あの社長、そんな悪いコトでお金儲けできるような、機転の利く人じゃないヨ。』
 ジェリーは頭を振った。考えるのはやめよう。考えたって仕方ないし、それにアタシの暮らしには何の関係もないもん。
「マイペンライ(関係ない)。」
 ジェリーは、そう呟いた。
 そして、夕べ見たミッキー・ロークの笑顔と引き換えに、今見たことの全てを一瞬にして忘れた。


          *


 同日、午前9時。
 イーストビレッジの古いロフトを改装したアパートメントで、Aチームの皆さんがへばっている。それぞれに、思い思いの格好で、存分にへばっている。
 ハンニバルは、2つある寝室の1つ、メイン・ベッドルームのキングサイズのベッドに仰向けに倒れ、頭の後ろで手を組んで天井を見上げている。表情はまあ、割とゴキゲンな感じ? あの、笑ったまま固まったようなお顔で、口の端っこには葉巻を銜えて。しかしよくよく拝見すれば、靴は片方脱げているし、チノパンの膝は出てるし、靴下は片方ないし。しかも靴下がないのは、靴を履いている方の足だという不思議。
 そのままベッドの下に視線を移動してみれば、そこに倒れているのは、かの優男、テンプルトン・ペック氏その人。こっちはうつ伏せ。ブルーのパイル地のガウンを着て、髪は濡れたままで、足は素足。顔の横にパタリと落ちた右手で弄んでいるのは、それ、ハンニバルのソックスじゃないか? しかも、相当年期の入ったやつ。そんなものをクリクリといじり回しながら、開かれた視点の定まらない瞳の先を辿ると、ベッドの下を通り過ぎ廊下へと続いている。
 その廊下で、座ったミニチュアダックス並に低い視点でフェイスマンと見詰め合っているのが、ハウリング・マッド・マードック氏だ。こっちは横倒し状態で、身につけているのは、えー、黄色サテンのブカブカのトランクスと、ラメのヘアバンドと、腕にも何か結んであるな。で、両手にはボクシンググローブ。……今のヒズブームはムエタイなのだろうか。
 で、そのままマードックの爪先のラインを辿ってリビングまで辿り着くと、ソファに転がるB.A.バラカス氏のモヒカンのラインと一致することになる。足元には、空の牛乳壜が散乱し、空ろに見上げる天井ではシーリングファンがパタパタと回っている。
 そう、Aチームの皆様、ただ今絶賛お疲れ中なのだ。この時点で2晩完徹。先週ロサンゼルスを出て、ニューヨークまで3件の依頼をこなしながら移動して、この2日間は、悪名高きニューヨークの地下下水道の中でマフィアとヤクザと当局が複雑に絡み合う大捕り物をやってのけ、それなりの報酬を得て一息ついたのが4時間前。それから各自一休みして、さて、これからアカプルコで夏のバカンスを……と思っていたのだが、4人、どうにも体が動かない。
 それもそのはず、今は7月のニューヨーク。しかも、さっきまで働いていた場所は、空調の利かない地下。そしてみんな、そんなに若くない〜♪(←エキセントリック少年ボウイのメロディで。)
 てなわけで、ベトナムで鳴らした百戦錬磨のAチーム、目下全員夏バテ中の朝であった。情けないぞ、みんな。



「ハンニバル、生きてる?」
 フェイスマンが言った。
「ええ、生きてますよ、何とか。……お前さんは?」
「腰が痛くて死にそう。」
「そりゃ、床で寝るから。」
「あんたが落としたんでしょ。」
「覚えがないね。」
「落としたんだよ。」
「仕方がないじゃないか、ベッドが狭いんだから。」
 都合により、2ベッドルームのロフトにいるAチームです。
「腹が減った。でも、何も食べたくない。食べたら吐きそう。」
 と、廊下で倒れたままのマードック。
「同感だぜ。こんな時に限って牛乳が切れてるしな。」
 と、コング。
「近所のダイナーにでも食事に行きたいのは山々だが、まだこの辺りでは当局の奴らが俺たちを捜しているかもしれないし、遠出はまずいだろうな。」
「ああ、ここも引き払った方がいい。早いとこズラかっちまおうぜ。」
「それはそうだけど、俺、やっぱり腹減って動けない。て言うか、手も挙がらない。」
 と、マードックが、でかいグローブを微かに持ち上げた。重いなら外せばいいのに。
「あ、いいとこがあるじゃん。」
 と、いきなり起き上がるフェイスマン。
「いいとこ?」
「このビルの前の通りを200メートルくらい行ったところに、ほら、ジューススタンド。」
「ジュース? ああ、ジェリーとかいう子がやってるところか。」
「うん、あそこの生ジュースなら、手っ取り早くビタミン摂れて、今の俺たちの体調に打ってつけじゃない? 確か、メニュー貰ってたはずだけど。」
「メニューって、これか?」
 と、コングが、冷蔵庫のドアにマグネットで留めてあった紙を剥がした。
「マンゴー、パイナップル、メロン、グァバ、ドラゴンフルーツ、ピターヤ、スターフルーツ、タマリンド……何だこりゃ、わけがわからねえな。」
「メキシコとかタイとかの果物だって。俺、この前マンゴー飲んだけど、美味しかったよ、濃厚で。」
「じゃ、オイラ、パイナップル。」
 と、マードック。
「…………メロン、牛乳で割ってな。」
 と、熟考の末にコング。
「あたしはスターフルーツにしますかね。じゃ、フェイス、頼んだよ。」
「あ、ちょっと待ってよ、俺が買いに行くの?」
「そりゃそうだろ、言い出しっぺなんだから。」
「えー、誰か一緒に行こうよ〜。」
 フェイスマンの女子高生のような提案は、他3名様にあっさり却下され、渋々服を着替えて、1人買い物に出るテンプルトン・ペック氏でありました。


          *


「もー、ハンニバルったら人遣いが荒いんだから……。」
 お決まりの台詞をブツブツ言いながら通りを渡ったフェイスマンの今日の出で立ち、水色のスーツに開襟白シャツ、それから黒サングラスと白のスリッポン(靴下なし)。ニューヨークにそぐわない西海岸ぽさである。
 ジェリーのジューススタンド、トロピカル・ステップは、いつもの場所で営業していた。そして、空いていた。時刻は朝の9時過ぎ。出勤時のラッシュが終わって、一段落の時間だ。
「ハーイ、ジェリー!」
 にこやかに近づくフェイスマン。
「あらペック先生!」
 赤のレオタードの上にエプロンという独特のスタイルのジェリーがスタンドの後ろから手を振った。黒いショートヘアに一筋入った金のメッシュが眩しい。
「今日、何がある?」
「今日はね、定番のパイナップルとメロンに、チェリモヤとドラゴンフルーツ、ライチもあるよ。」
「じゃ、それ適当に4つ(オイ)。持って帰るから袋に入れてね。」
「オッケー。全部で8ドルね。」
 ジェリーは、フェイスマンから小銭を受け取ると、ガガーッとジューサーを回し始めた。
「ねえ、レッスンにはいつ連れていってくれるの?」
 でき上がったジュースをプラスチックのカップに注ぎながらジェリーが言った。
「レッスン?」
「うんもう、忘れたの? 先生、フロリダ大学の演劇科の教授だったよね? キム・ベイシンガーも教え子だったって、この間言ってたじゃない。」
「あ、ああ、キムね。そうそう、彼女はねえ、学生時代から優秀でねえ。美人だったしねえ。」
「そうよね、とってもキレイ……。ねえ、アタシも彼女みたいに眉毛、脱色しようかな。」
 いや、ベイシンガーの眉毛は脱色じゃないけどな。
「いや、君は……そうねえ、やめといたら? 黒い眉毛、似合ってるよ?」
 ジェリーの顔をまじまじと見ながらフェイスマンが言った。黒髪に、眉毛なしはちょっとなあ。それにジェリーの眉毛、繋がってるし。
 と、その時。
 キキキーッ!
 とブレーキの音けたたましく、1台の保冷車がスタンドの前に滑り込んだ。そしてわらわらと降りてくるダークスーツの男たち。その数、4名。素早い動作で、ジェリーを捕えにかかる。
「キャーッ、何するの!」
 男に両腕を抱えられてジェリーが叫んだ。
「ジェリー! 何するんだ、ジェリーを放せ! ……わっ、わわっ、お、俺も放せ!」
 迷わず男たちに飛びかかるまでは雄々しいフェイスマンではあったが、多勢に無勢、かつ非力。すぐに捕まり、ジェリーと一緒に保冷車の荷台に放り込まれてしまった。
 バタン、ブオオオオ……。
 砂埃を上げて走り去る保冷車。あとには、無人のトロピカル・ステップと、フェイスマンのスリッポン(右)だけが残されていた。



「開けなさい! 開けなさいよ!」
 保冷車の中で、ジェリーが叫んでいる。運転席の後ろの壁をガンガン叩きながら。
 フェイスマンは、とりあえず現状を把握しようと、真っ暗な保冷車の中を手探りで探ってみた。しかし、彼らの他に荷物は積まれていない。
「開けろー! 開けろってば! 開けんか、ゴルァ!」
「ジェリー。」
 フェイスマンが言った。
「ジェリー、落ち着いて。」
「落ち着けるもんか。だって、営業中なのよ! スタンドを放ったらかしにしてたら、お釣りの小銭が盗まれちゃう!」
「……でも落ち着いて。叫んでも、開けてくれないだろうし。……ねえジェリー、奴らに心当たりは?」
「心当たり? ないわ!」
 即答するジェリー。
「あなたが狙われたんじゃないの?」
「だって、奴らが最初に捕まえようとしたのって、君だよ?」
「知らないわよ、アタシ捕まるような悪いこと、なぁんにもしてないもん。」
「……そうだよねえ。ジューススタンドの売り子が捕まるっていうより、俺が捕まるって方が理に適ってるもんねえ。」
 フェイスマンがボソリと呟いた。
 まさか当局が保冷車なんか使うわけないし、じゃあ、マフィア? ……かもなあ。ハンニバルゥ、早く気づいて助けに来てよ……。
 ジェリーが壁を叩き続けるドンドンという音を聞きながら、フェイスマンは溜息をついた。


          *


「遅い。」
 腕組みをしたハンニバルが言った。時間は、12時ジャスト。
「ああ、確かに遅いぜ。」
 と、コング。
「フェイスが出かけてから、もう2時間半も経ってるよ? ジューススタンド、出てないのかな。」
「出てなかったら、諦めて帰ってくるだろ。」
「スタンドはあったんだけど、そのスタンド、近づくと逃げるとか?」
「蜃気楼みたいなスタンドだな、そりゃ。」
「フェイスの野郎、そのジェリーって娘と、どっか時化込んでるんじゃねえか?」
「ああん、フェイスならあり得るねえ。あん畜生、若い女の子には滅法弱いからねえ。」
「いや、それはない。」
 と、ヤケにきっぱり、ハンニバル。
「何で?」
「残念ながら、ジェリーは『若い女』じゃない。若いことは若いが、タイ人のオカマだ。そして、あたしの知る限り、フェイスにそっちの趣味はなかったはずだ。」
 場に一瞬流れる沈黙。『タイ人のオカマ』が、それぞれの脳裏を横切る。しかしその時コングの頭に浮かんでいたのは、チャイナドレスの辮髪男で、マードックのそれは、白塗りのムエタイ選手であった。どっちも、掠っているような、いないような。
「てことは、まずいんじゃねえのか。」
 沈黙を破ってコングが口を開いた。
「ああ、まずい。かなりまずいな。」
「フェイスに何かあったってことだよね。」
「間違いない。コング、モンキー、支度しろ、フェイスを探しに行くぞ。」


          *


 3人が駆けつけた時、既に遅し。えー、2時間くらい遅し。
 トロピカル・ステップは、主を失い無人のまま道端に佇んでいた。
「ハンニバル、これ。」
 マードックが、白い靴(右)を拾い上げた。
「フェイスの靴だ。」
「ああ。確かに、フェイスは何者かに攫われたらしいな。」
「オカマちゃんもいないね。」
「逃げたか、それとも、とばっちりを食らって一緒に連れ去られたかだな。」
「俺、ちょっと聞き込み行ってくる。」
「ああ、頼む。コングは、向こうの通りだ。」
 二手にバラける部下たちを見送ると、ハンニバルは、手がかりを求めてジューススタンドを漁り始めた。



 30分後、戻ってきたコングとマードックにより、事件発生当時の状況が告げられた。
「午前9時半頃、ここにでかい車が停まって、ジェリーと、もう1人、男が拉致されたらしい。アイスクリーム屋の車みたいな白い車だったと。」
「で、その車には、AFR何とかって書いてあったって。」
「何とかじゃわかんねえだろ。もっと詳しく聞いてこい、このスットコドッコイ。」
「だって、角のタバコ屋の婆ちゃん、それしか覚えてないって言うんだもん。」
「いや、わかるぞ。」
 と、ハンニバル。
「そりゃ、きっとアフロ商会だ。」
「アフロ商会?」
「ああ、これを見てくれ。スタンドの中に積んであったんだ。」
 と言って、空っぽの段ボールを掲げるハンニバル。

 トロピカル・フルーツのご用命は! 
 安さ一番、アフロ商会!

「これ、ただの果物屋じゃない? 何で果物屋がフェイスを攫うのさ。」
「わからん。だが他に手がかりもない以上、ここを当たってみるしかないだろう。」


          *


 保冷車は、まだ走っており、そして、徐々に冷えている。運転席から保冷装置のスイッチを入れたらしい。
「寒い。」
 と、ジェリー。それもそのはず、彼の服装は、レオタードとエプロンだけだ。
「とにかく、今は逃げることだけを考えよう。」
 と、言いながらフェイスマンは、自分のジャケットを脱いでジェリーの肩にかけた。
「ありがとう。先生、優しいね。」
「どういたしまして。」
 これが女の子なら肩の一つも抱くとこだけど、と、フェイスマンは思った。男の子の肩を抱くのも何だし。ハンニバルはよく俺の肩を抱くけど、それとこれとは違うし。



「どこまで走るのかな?」
「わかんないな。でも、ずっと走りっ放しってこともないだろうから、停まってドアが開けば、逃げるチャンスもあるんじゃない?」
「そうね。チャンスは、いつだってあるもんね。」
「楽天的に構えなきゃ、ね?」
 暗闇の中、2人は笑い合った。
「そういうの、アタシの国では、『マイペンライ』って言うよ。」
「マイペンライ?」
「そう。問題ない、とか、大丈夫、とか、関係ない、とかいう意味。いろいろ使えて便利でしょう?」
「マイペンライ、か。覚えておくよ。」



 その時、車が停まった。運転席から人が降りる気配がする。
 フェイスマンは、ジェリーを手招きして、保冷車の扉のすぐ側にしゃがみ込んだ。
「ドアが開いたら、相手に体当たりを食らわせて走るんだ。」
「わかった!」
 扉の向こうに人の気配。そして、扉の留め金を外す金属音。
「今だ!」
 少しだけ開きかけたドアに、2人は突進した。ドアを開けた男を突き飛ばして道路に転がり落ちる。
「逃がすな! 追え!」
 男の1人が叫んだ。



「ペック先生、こっちよ!」
 いち早く体勢を立て直したジェリーが、フェイスマンを抱え起こして走り始めた。その走りは、まるで陸上選手のように力強い。フェイスマンも、あたふたと体勢を立て直し、ジェリーに遅れまいと走る。
「ハァハァ、ここは、どこなんだ?」
 赤茶けたレンガの建物の間を走りながらフェイスマンが言った。
「マンハッタン島の外れの倉庫街。アタシ、ここならよく知ってるわ。」
 ジェリーは、フェイスマンの手を掴んでグイグイ走る。
「ちょっと待って、この先って海じゃないの?」
「大丈夫! この先にアタシがお世話になってる会社があるの。そこに行けば助けてもらえるはずよ!」
 そして2人は走った。アフロ商会へと向かって。
 大丈夫じゃないだろ、それ。



 さて、息を切らせて駆け込んだアフロ商会の事務所。出払っているらしく、ドアは開かない。
「誰もいないみたいだよ。」
「任せて。」
 ジェリーは、ドアの横の植木鉢からバールのようなものを取り出し、慣れた手つきでドアノブを抉じ開ける。
「ねえ、いいの? その入り方。」
「マイペンライ。」
 呆れるフェイスマンを手招きし、ジェリーは室内へと入っていった。


          *


 場面変わって、こちらはAチームの残りの3人。一旦ロフトに引き上げた3人の前に、白い紙がウニョウニョと伸びている。
「これがテレファクシミリ、てやつか。すげえな。」
 と、コング。
「ああ、ソニーの新製品だ。ここのオーナー、家電に凝っててな。」
「終わったみたいだよ。」
 と、マードックが感熱紙を引き千切った。
 1980年代の最新機器、テレファクシミリの送信者は、エイミー・アマンダー・アレン女史。敏腕新聞記者・兼・Aチームの最大の協力者である。発信場所はロサンゼルス。
「すごいな、電話で文字が送れるんだな。えー、読むよ。」
 と、マードック。以下、マードック朗読によるエンジェル嬢のファックス。
「『ハーイ! あたしよ! いつの間にニューヨークになんて行ってたのよ! 教えてくれれば一緒に行ったのに。あのね、帰ってくる時にね、買ってきてほしい物があるの。5番街のベリーズっていう店のマッサージジェル! これ、すっごくウエストが細くなるんだって! それから、にがり水ソーダも! 毎朝飲むと足の浮腫みが取れるって評判なのよ! あとね、ビレッジ41番地の、マミー・スイーツのブロックチョコレートのマロン味と、エレンズ・スペシャル・チーズケーキのベイクドチーズケーキ! クリーミーですっごく美味しいの! それから……。』」
「エンジェルの欲望のベクトルは、何でこう、いつも真反対に伸びるんだ?」
 と、ハンニバル。
「どっかでこう、みょーんとバランスを取ってるんだろうねえ。」
「そんなとこはいいから、肝心のとこを読まねえか。」
 コングに急かされて、マードックが続きを読み始める。
「えーっと、何の話だっけ。あ、アフロ商会ね。」
 と、ファックスの紙をガサガサと巻き取るマードック。どうやら、お土産リストはとても長いらしい。
「……あったあった、アフロ商会。えーと、何々、『設立は77年。主にメキシコから珍しい果物を輸入販売してる中堅企業。社長はベルワッツっていう退役軍人なんだけど、麻薬の取引で2度、有罪懲役食らってる。アフロ商会も、メキシコからのドラッグ密輸のための隠れ蓑っていう噂もあるみたいよ。』……だって。」
「臭いな。嫌なニオイがプンプンする。」
「嫌なニオイって、ドリアンみたいな?」
「ああ。ドリアンか、八丈島のクサヤかってくらい臭うな。」
 一応、つき合ってあげる優しいハンニバルである。
「だが、何でそのアフロ商会にフェイスが攫われるんだ?」
「それはわからん。だが、今までに得た情報を総合すると、アフロ商会が臭いと見るのが順当だろう。」


          *


 その頃、アフロ商会の薄暗い事務所の片隅で、ジェリーとフェイスマンは縛り上げられていた。彼らを囲むのは、5人のダークスーツ。
「ねえ、何? 何よこの展開? 何で捕まっちゃったの、俺たち。」
 と、フェイスマン。
「知らないわよ。どうしてここがわかったのかしら。」
「それはな。」
 と、1人の男がズズイと前に進み出た。年の頃40代半ば。ガッチリした体格のアングロサクソン。美男と言えなくもない。が、惜しいことにスダレハゲである。
「お前が、私の秘密を知りすぎたからだ!」
 ビシッ! とジェリーに人差し指を突きつけるスダレハゲ。
「あ、アタシ?」
 驚愕するジェリー。
「何でアタシなのよっ、あんたなんか知らないわよっ!」
 叫ぶジェリーに、男は意外そうな顔をした。
「知らない……わけがないじゃないか。よく会ってるし、今朝も会っただろう。」
「今朝?」
「ん? わっはっは、そうか、この頭のせいか。忘れていたぞ。おい、アレを。」
 いきなり笑い出した男が、側にいた男から何か黒いモジャモジャした物を受け取り、素早く自分のハゲ頭に乗せた。
「あっ、社長! あなた、アフロ商会のベルワッツ社長じゃない! なーんだ、アフロじゃないから気がつかなかったよ!」
「……私の印象は、アフロだけだったのか、ジェリー。」
 ちょっとショックなベルワッツ(44)、頭髪の話題に敏感なお年頃である。
「嘘……ショックだよ、社長、社長が……。」
「済まないな、ジェリー。そういうことなんだ。君は、知らなくてもいいことを知りすぎた。」
 ベルワッツが、ニヒルな笑みを浮かべてそう告げた。ジェリーが、自分の膝を抱えて突っ伏した。
「社長のアフロがヅラだったなんて! 信じられない! ハゲてたなんて! 偽アフロだったなんて! アーッハハハ、ハゲ! しかもスダレハゲ!」
 笑い崩れるジェリー、ベルワッツの話なんて聞いちゃいません。
「えー、話が見えないんだけど。」
 と、フェイスマン。
「知られちゃいけないアンタの秘密って、アフロがヅラだったってことなの?」
「なわけあるか。」
「……だよね。」
「コイツは、今朝、取引の現場に侵入して、バッチリ全てを見て逃げやがったんだ。」
「取引って……えー、ここ、果物屋だよね? ピターヤとか、タマリンドとか。」
「じゃかあっしい! そんな取引見られたって痛くも痒くもないわ。ヘロインだよ、ヘ・ロ・イ・ン!」
「だってさ、ジェリー、心当たり、ある?」
「ああ、そう言えば。」
 と、笑いすぎて泣いていたジェリーが顔を上げた。
「今朝そんなこともあったような気がするよ。ミッキー・ロークに夢中ですっかり忘れてたけど。」
「忘れんなよー、そんな大事なこと。」
 その瞬間、フェイスマンの八の字眉毛の八の字度が、20%アップしたのは言うまでもない。
「あんたも巻き添え食らってアンラッキーだったが、こうなっちゃあ仕方ない。可哀相だが、ジェリーと一緒に死んでもらうことになる。オイ、こいつらを倉庫に引っ立てイ!」
 男たちに両脇を取られて引っ立てられるジェリーとフェイスマン。



 2人が連れていかれたのは、アフロ商会所有のだだっ広い保冷倉庫だった。メキシコで買いつけた南国フルーツを新鮮なままに冷凍保存するための保冷倉庫だけあって、室内の気温は−30度と、とても寒い。さらに室内は詰まれた荷箱や段ボール箱で迷路のようになっており、奥まで連れていかれる頃には、フェイスマンもジェリーも、出口の方向すらわからなくなっていた。
「痛い、放して、放してよ!」
「ちょおっと寒いんだけど。」
 口々に不満を述べる2人の両手首に、スーツの上にちゃっかりダウンジャケットを着込んだ男たちが手際よく鎖を繋ぐ。その鎖の先は天井から吊るされたフックに繋がっており、2人は両手を高く挙げたままフックの真下にある空のプールへと突き落とされた。幅10m四方、深さ2mのコンクリートの箱の底である。
「何をするつもりだ?」
 辛うじて爪先だけ地面についたハーフぶら下がり状態で、フェイスマンが問うた。
「ふふふ。ここが君たちの棺桶だよ。いや、ここは美しく、氷の棺、とでも言い直そうか。君たちは、ここで凍死するのだ。おい、やれ!」
 ベルワッツの掛け声を合図に、男たちがプールサイドに積み上げた樽の栓を抜く。黄色とピンクの液体が、勢いよくプールの中に流れ込み、2人の足元に溜まり始めた。
「これは……パイナップルジュースに、グァバジュースね! ああ、もったいない、スタンドで売ったら何杯分かしら。」
 ジェリーが嘆く。
「そんなことより、ヤバいんじゃないの? この状況。」
 濡れ始めた自分の足を見下ろしながら、フェイスマンが言った。
「状況がよくわかっているようだな。」
 と、ベルワッツ(アフロ)。
「この部屋は零下30度。今は液体のこのジュースも、じきに固まり始めるだろう。お前たちは、このパイナップルとグァバのジュースの中で固められてアイスキャンディになるのだ。」
「ア、アイスキャンディって、もうちょっと小分けして作った方がよくない? ねえ、こんなに大きいアイス食べたら、子供たちお腹壊しちゃうよ。」
「ふふふ、わかってないようだな。固まってから、切り分けるのだよ。(売る気かい。)では、さらばだ、ジェリー、さらばだ、ええっと。」
「名乗ってなかったっけ、えーと、ペック。」
「ペック君。それでは、観念して美味しいアイスになり給へ!」
 そう言って踵を返すベルワッツ(アフロ)。部下たちも、彼に続いて保冷庫を出ていく。
 そして、重たい音を立てて保冷庫のドアが閉まった。


          *


 1時間後、すっかり溜まりきった薄オレンジ色の液体の中で、フェイスマンとジェリーは漂っていた。胸まで迫り上がってきたジュースのせいで浮力がつき、鎖に繋がれた手首にはそれほど負担がかからない。それはいいんだけど、とにかく寒いし、末端が痛いし。
「冷たいわ、ペック先生、何とかして。」
「何とかして、って言われても、俺にもどうしていいか。」
「アタシ、こんなところで死ぬのは嫌よ。」
「俺もやだよ。ヤバい、表面が固まってきてる。」
 2人の胸の辺りの水面は氷になり始めており、動くとパリパリと割れる。
「でも、どうせ死ぬんだったら、早い方がいいかも、苦しまなくて……。」
「何言ってるんだ、ジェリー。大丈夫さ、もうすぐ俺の仲間が助けに来てくれる。」
「仲間? 仲間って、大学の教授仲間?」
「いや、違うんだけど、えーと、映画関係の友達、かな?」
 確かに、うっすら嘘ではないわね、うち1名アクアドラゴンだし。
「ステキ! で、その人たち、先生が攫われたってこと知ってるの?」
「さっきスタンドで襲われた時に、靴を片方落としてきたんだ。俺が戻らなかったら、きっと友達が探しに来て、何かあったってわかってくれてるはずだ。」
「先生、アッタマいい。さすが大学教授。」
「いや、それほどでも。」
「そうと決まれば、先生、泳ごう!」
「泳ぐ?」
「うん、こうやって(と、立ち泳ぎの足使い)足を回してれば、氷が固まるのが遅くなるよ!」
「そうか、よし、泳ごう。」
 2人は、立ち泳ぎで泳ぎ始めた。手が頭上で固定さてれいるので、泳いでも場所の移動はないルームランナー状態だが、表面に張った薄い氷は、どんどん砕けて融けていく。
「いいぞ、その調子だ。」
「先生、もっと腿を上げて!」
 肌色の失せた紫色の唇の2人がカエル泳ぎを続ける様は異様ではある。だが、今はこれしか手段がないのだ。泳げ、ジェリー! 泳げ、フェイスマン!



 30分後。
 2人が泳いで混ぜ続けたおかげで、ジュースは滑らかなシャーベットと化していた。シェイクって言うか、スムージーって言うか、そんな状態。
 そんな中で、息も絶え絶えに泳ぎ続ける2人。
「先生、アタシ、もうダメかも。眠くなってきたわ。」
 痙攣によく似た力ないカエル泳ぎのジェリーが言った。
「寝るな、ジェリー、寝たら死ぬぞ。何でもいいから、喋るんだ。」
 壊れた首振り扇風機みたいになってるフェイスマンが呟く。
「何でもいいって……わかったわ。じゃあ、アタシの夢を聞いてくれる?」
「夢でも現実でも何でもいいから、喋り続けてくれ。」
「じゃあ、言うね。アタシの夢は、ジェニファー・ビールスみたいな女優になること。」
「女優って、君、男の子だよね? ウゴッ!」
 ジェリーのキックが、的確にフェイスマンの股間を捕らえた。冷たい上に痛い。いや、痛い上に冷たい。悶絶するフェイスマンを無視してジェリーは話を続ける。
「女優になった時の芸名は、ジェリー・ビールスよ。」
「ジェリーって、本名じゃなかったのか。」
「うん。本名はランクーン・パットチャイ。あだ名がレモン。」
「あだ名?」
「うん、タイではね、子供が生まれたら、すぐに名前とあだ名をつけるのよ。アタシは生まれた時に、黄色くて頭が尖ってたからレモン。」
 そんな理由であだ名をつける親もどうかと思うが。
「でも、ジェリー・ビールスって、紛らわしすぎない? ジェニファー・ビールスと間違われるだろう。」
「そこがいいのよ。ほら、ジェニファーに役をオファーしようと思ったキャスティング・ディレクターが、電話帳でJ・ビールスって見て、間違えてアタシのところに電話をかけてくるかもしれないじゃない。」
「普通、オファーは個人じゃなくてエージェントにするけどね。」
「じゃあ、ほら、ジェニファーが断った役が、同じビールスだからジェリーに、って回ってくるかもしれないし。」
 ジェリーの頭の中には、かなり都合のよい世界が広がっているらしい。まあ、それはそれでいいよな、本人が幸せなら……と、フェイスマンは思う。
「ねえ、先生の夢は?」
「え?」
 いきなり振られて焦るフェイスマン。
 夢? 俺の夢って、何だろう?
「そ、そりゃあ、夢っつったら、アカプルコの白い砂浜、ビキニの美女を侍らせて、手にはよく冷えたカンパリソーダ。視線の先には、自慢の豪華ヨット、銀行預金は百万ドル……って、そんな暮らしかな?」
「つまんないのね。」
 フェイスマンの夢を一言で切り捨てたジェリーは、唐突に歌を歌い始めた。
「♪ああー、果てなくー、広がるぅ未来に、たったー1つー輝いたー夢ぇー……。」
 それは、アイリーン・キャラ歌うところの『フラッシュ・ダンス』のテーマであった。
『あ、ヤバい、意識が……。』
 沈みかける自らを奮い立たせるため、フェイスマンも、小声でコーラスに加わり始める。少しでも体を温めるために、2人は懸命に歌い続けた。
♪What a feeling, What a feeling! Bein's believin', Pictures come alive, You can dance right through your life...♪
 零下30度の世界に、蚊の鳴くような『ホワット・ア・フィーリング』が響いている……。


          *


 お馴染みの紺色のバンが、埠頭の道をひた走っている。
 運転はコング、助手席にハンニバル、で、後部座席、ムエタイ姿のマードックは、シャドーボクシングに余念がなかったりして。
「住所はこの辺りだな。」
 エンジェルからのファックスを眺めながら、ハンニバルが言った。
「セントラル海運、株式会社NYツナ加工……あった、あそこだぜ、『トロピカル・フルーツ専門 アフロ商会』!」
 古ぼけた倉庫に白い看板を見つけたコングが叫んだ。
「よし、乗り込むぞ!」



〈Aチームのテーマ曲、かかる。〉
 ババーン!
 ドアを蹴散らして事務所に雪崩れ込むAチーム(除フェイスマン)。
「何だ、てめえはっ!」
 事務所の奥から飛び出してくるベルワッツ(アフロ)と部下4人。
「フェイスマンとジェリーを返してもらおう!」
 ハンニバルがビシッと人差し指を突き立ててベルワッツ(アフロ)に迫る。
「フェイスマン? 知らないな、そんな奴。」
「知らないってんなら、体に聞いてやるぜ!」
 コングが、ベルワッツに殴りかかった。それを合図に一斉に飛びかかってくる部下1〜4。
 部下1、2を一遍に投げ飛ばすコング。
 部下3に目潰しを食らわせ、怯んだところで足を踏み、さらに屈んだところで後頭部に肘を入れてみたりして、駄目押しに顔面に膝を入れて倒すマードック。
 逃げようとする部下4を、笑顔で宥めすかして押し戻し、コングにパスするハンニバル。
 その部下4を、頭上高く持ち上げ、ベルワッツ(アフロ)に投げつけるコング。
 で、あっと言う間に伸びる部下1〜4。
〈Aチームのテーマ曲、終わる。〉


 Aチームの3人は、膝に失神した部下4を乗せて尻餅をついているベルワッツ(スダレハゲ。アフロのカツラが取れたので)に向き直った。
「さて、教えてもらおうか、フェイスの行方を。」
「ち、ちょっと待ってくれ、フェイスマンってあれか、ペックとかいう男のことか。」
「そうだ、そのペックと、ジューススタンドのジェリーだ。」
「もう遅い。奴らなら今頃、保冷庫の中で氷になってる。」
「何だと?」
「埠頭の保冷倉庫の中だ。」
 そう言うと、ベルワッツは立ち上がり、脱兎の如く逃げ出した。
「野郎、待たねえか!」
 後を追おうとするコングを、ハンニバルが引き止める。
「待てコング、今はフェイスたちの救出が先だ。」



 ガチャリ。
 保冷庫の扉を開けた。途端に噴出してくる白い冷気。
「うわ、さっむいなあ。」
 マードックが言った。そりゃ、ムエタイ姿で零下30度は寒いよね。
「これを着ろ。」
 入口の壁にかけてあったダウンジャケットとダウンベストを2人に投げて渡し、自分も着込むハンニバル。モコモコときつめのダウンジャケットを着込むコング。マードックは、両手にボクシンググローブがついてる関係上、長袖の服は袖が通らないので、仕方なくベスト着用。その代わりと言っては何だが、ウサギのイヤーマッフルまで装着し、耳を寒さから守っている。
 そして、3人は歩き始めた。が、想像以上に中は広い。そして、入り組んでいる。
「フェーイス!」
 ハンニバルが叫んだ。
「フェーイス! いたら返事しろ、ジェリー!」
「畜生、これじゃ、こっちが迷っちまいそうだぜ。」
「こんなところで迷ったら、こっちが一巻のおしまいだ。迷路の鉄則通りに行くぞ。」
「ああ。」
 3人は、左壁に手をつき、一列になって暗い通路を歩き始めた。



 そして歩くこと10分。
「おい、何か聞こえねえか?」
 立ち止まったコングが言った。
「え? 何も聞こえないけど?」
 と、マードック with イヤーマッフル。そりゃあ聞こえないって。
「しっ! 確かに聞こえるぞ。これは……『ホワット・ア・フィーリング』だ!」
 と、ハンニバル。
 耳を澄ませば、聞こえてくる微かな歌声。力ない歌声は、よく聞けばフェイスマンの声にも聞こえて。
「急ごう、あっちだ!」
 3人は駆け出した。



「♪きーらめー……くは、マージック……は、はぁずむー、ジャンパンすて、ップ……。」
「♪あーつくー。もーえるー……ラァブ、あンド……。」
 水面から、辛うじて顔だけ出して歌い続けるフェイスマンとジェリー。
 と、そこへ……。
「フェイス! ジェリー!」
 おお、駆け寄るは、懐かしき面々。
「ハ、ハンニバル……待って……た、んだよ……。」
 力なく微笑むフェイスマン。シャーベットの海に漂うジェリーは、もう言葉もない。
「待ってな、今出してやる。」
 コングが、でかいペンチを持ってシャーベットのプールに飛び込み、素早く2人の手首の鎖を切断した。
 引き上げられる2人。だが、体は冷え切り、手足は硬直している。
「温めるんだ。」
 ハンニバルがそう言って、ダウンジャケットを脱いでフェイスマンに着せかけ、その体を腕に抱えて青くなった両手をゴシゴシと擦る。コングも、同じようにダウンを脱いでジェリーを温める。マードックだけは、ダウンを脱がず(何しろ下は裸なもんで)、フェイスマンの膝をカキコキと屈伸させて、血行促進のお手伝い。



 5分後、何とか息を吹き返したフェイスマンとジェリー。頬と唇にも、うっすらと色が戻ってきている。
「ふう、生き返った。」
「アイスになっちゃうかと思ったわ。おじさん、ありがとう。」
「礼は後だ。早くここから出るぞ。」
「おう。」
 Aチーム+ジェリーの5人は立ち上がり、出口へ向かって歩き始めた。



 と、その時。
「待ちな!」
 銃を構えて暗い通路から姿を現したのは、銃を構えたベルワッツ(アフロ。被り直した)とその一味。
「お前たち、まだ懲りてなかったのか。」
 ハンニバルが呆れたように言った。
「ふふふ、さっきは丸腰だから歯が立たなかったがな、これならどうだ。腕っ節が自慢のお前たちでも、飛び道具には勝てはしま……。」
 バキュンバキューン!
 響く2発の銃声。と、同時に、ベルワッツと部下1の銃が弾け飛んだ。
「何をっ!?」
 驚くベルワッツ。
「へへーん、こっちだって飛び道具くらい持ってるもんね。」
 得意げに胸を張るマードックの両手の赤いグローブの先には、黒い穴が2つ。そして、たなびく煙。
「モンキー、それ、仕込みグローブだったのか。」
「そ、一石二鳥でしょ? 撃ってもよし、ぶってもよし。」
「お見事。」
「畜生、野郎ども、やっちまえ!」
 ベルワッツの掛け声と共に、またもや飛びかかってくる部下1〜4。
「キエーっ!」
 奇声を上げながらジェリーが部下1に殴りかかる。その動きは俊敏で、まさにムエタイボクサーそのものだ。美しいスピンキックで、瞬く間に部下1、KO。
「お、兄ちゃんやるねえ。じゃ、僕ちゃんも。キーック!」
 ムエタイボクサーその2のキックが、部下2の顔面を捕らえた。
「あれは何かの流行りか、ハンニバル。」
 そう言いながら、タックルしてきた部下3を捌いてバックを取り、真後ろに投げ捨てるコング。
「さあねえ。局地的な流行じゃないかしら。」
 ハンニバルは、逃げようとする部下4の首根っこを捕まえて、壁に打ちつけ、失神させた。
 瞬く間に、伸びて山となる部下たちに、またもや逃げようとするベルワッツ(ズレアフロ)。
「あっ、ダメだよ、帰っちゃ。」
 そのベルワッツの足を引っかけて転ばせるフェイスマン。この時点でアフロは完全に外れ、ベルワッツ、スダレハゲに戻る。
「せっかくの夏物スーツがすっかりグァバ臭くなっちゃったよ。でも、なかなか美味しいシャーベットができたから、味見してみてよ、ねっコング。」
「ああ、味わってもらわねえとな。」
 そう言うと、コングは軽々とベルワッツ(スダレハゲ)を担ぎ上げ、シャーベットのプールの中にザブンと投げ入れた。


          *


 翌日。イーストビレッジのロフトの一室。
 ハンニバル、コング、マードックの3名は、昨日の氷点下が堪えたらしく、それぞれに微熱を出してぐったりしている。
「ただいまー。ジュースと新聞、買ってきたよ。」
 お遣いに行っていたフェイスマンが帰ってきた。アイスキャンディにされそうになった彼氏はと言えば、逆療法が効いたのか、不思議なことに至って元気。
「おう、載ってるか、ベルワッツ。」
「うん、麻薬密輸業者、匿名の通報により逮捕。フルーツに隠してメキシコから麻薬を持ち込んでいた疑い、って。再犯もいいとこだからね、当分出てこられないよ。」
「そりゃあ結構。で、ジェリーはどうしてた?」
「うん、今在庫がある分だけ売り切ったら、店畳んでロサンゼルスに行くってさ。」
「ロスに? どうしてでい、ブロードウェイのスターを目指すんじゃなかったのか?」
「宗旨変えしたみたい。今度は、ハリウッドでアクションスターを目指すんだと。昨日の乱闘がよっぽど楽しかったらしいよ。」
「ああ、確かに、奴のムエタイ、サマになってたもんねえ。で、フェイス、ジュースくれる?」
「はいはい。」
 と、フェイスマンがジュースを配る。
「いただきます!」
 と、ストローに吸いつく3人。しかし、見る見る顔が赤くなる。
「プハーッ、何だか……吸いにくいな、これ。」
「ああ、吸っても吸っても出てきやしねえ。」
「くあーっ、窒息する。何よ、この硬さ。」
 苦しむ3人に、フェイスマンが笑って商品解説。
「これね、パイン&グァバシェイク。プールのシャーベットの味が、殊の外気に入ったんだってさ。ま、俺は要らないけどね。さ、さっさと飲んだら帰り支度してね。アカプルコでバカンスが待ってるんだから。」
 と言って、その場を去ろうとするフェイスマン。
「ちょっと待て。こんなジュース飲めるか。窒息するぜ、こりゃ。」
 なおも抗議をするコングに、フェイスマンは言い放った。
「マイペンライ。」
 そして、帰り支度をするべく自室に去っていった。
【おしまい】
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