偽りのオークションを叩け!
フル川 四万
          1


 突き当たりは日干し煉瓦の美しい教会で、そこに向かって伸びる道路の両脇には、50年代に建ったかと思われる古めかしい住宅が点在している。道の中ほどの小さなブッシュの茂みの奥、黄土色の建売住宅には、常識人の(と本人が言っている)リングウォルドが住み、その斜向かいには、変人のハーノイバートが住んでいる。ここは、カリフォルニア州モントレー郊外の小さな村。



 常識人のリングウォルドは名前をグレンと言い、職業は古本屋である。特徴は、気が小さくてマザコン。彼が「ママンに似ていたから」という理由で結婚した妻、ミア・バーチは、1978年から4年間、男女男女と立て続けに出産し、1年飛んで5人目のリングウォルドをつつがなく世に送り出した後、夫の頼りなさとマザコン具合に愛想を尽かして5人の子供と共に彼の元を去った。後日、常識人のリングウォルドは釣り仲間にこう言って嘆いたものだ。
「僕の失敗だった。彼女は、容姿はママンに似ているのに、中身はちっとも似てなかったんだもの。」
 期せずして一人身となったリングウォルドは、亡き父の後を継いだ古本屋稼業に精を出した。とは言え、田舎の小さな古本屋がそれほど忙しいわけもなく、彼の日常は主に趣味の海釣りと詩とに費やされていた。



 彼の母、アガッサ・リンダ・リングウォルドは、古本屋を営む夫に若くして先立たれた後、海辺の観光カフェのウェイトレスで生計を立てながら一人息子のグレンを育て上げ、今は新しい恋人である変人のハーノイバートと共に、息子の向かいに暮らしている。



 変人のハーノイバートは、フルネームを、トレビスタ・フノゼネイア・ジャン・ポール・ハーノイバートと言うが、彼のフルネームを知る者は恋人のアガッサ以外にはなく、村人はみんな、常識人のリングウォルドと同様に、彼を「変人のハーノイバート」と呼んでいた。彼の恋人であるアガッサ・リンダ・リングウォルドだけが彼を、「ハニー」もしくは「トビー」と呼んだ。
 変人のハーノイバートの経歴は謎である。ある日、バックパック1つ背負い、カリフォルニア・サイクリング・ロードを通ってふらりとこの町にやって来たこの初老の男性は、たまたま立ち寄ったカフェでアガッサに一目惚れし、バックパックを投げ捨て、あまつさえ、その上でコサックダンスを踊りすらして、乗ってきた自転車のサドルを外して海に放り投げ、その日のうちに彼女の家に転がり込んで同棲を始めてしまったのだ。職業は不詳。それどころか、この街に越して以来、何かしら労働らしきことを行っているところを目撃されたことは一度たりともなく、口さがない町内会のご婦人連中などは、彼のことを「アガッサのヒモ」と呼び、眉を顰めていた。そしてそのことは、常識人かつマザコンのリングウォルドにとって常につきまとう頭痛の種であり、平凡な常識人である自分の身に降りかかった理不尽な不幸であると考えていた。また、最愛の母の寵愛が自分から変人のハーノイバートへと一気にシフトしたことも、彼が変人のハーノイバートを嫌う大きな材料となった。
 とは言え、変人のハーノイバートにとって、この頼りない恋人の息子は、習慣として朝晩の食事を一緒に摂るものの、朝食に出てくる種なしプルーンほどの存在ですらなかったので、彼は彼なりに、天気がいい日にはアガッサと海辺を散歩したり、書斎に篭って書物を眺めたり書き物をしたりする世捨て人のような生活を楽しく営んでいる。
――これが、リングウォルドとその周辺人物の現状である。



「ママン!」
 常識人のリングウォルドが彼の母、アガッサと変人のハーノイバートの家に駆け込んできたのは、アガッサが恋人と自分のために英国式紅茶の支度を始めた午前7時過ぎであった。
「グレン、まあどうしたのこんな時間に。」
 アガッサは、悠長にお茶っ葉をポットに振り入れながら息子に微笑んだ。
「どうしたの、じゃないよ。」
 と、常識人のリングウォルドは声を荒げ、母親に向かって1枚の紙を突き出した。アガッサは、鼻先に突き出された手紙を仰け反りながら受け取ると、胸に下げていたペンダント型のルーペを翳してその手紙を読んだ。
「オークションの件……? まあ、何のことかしら?」
「何のって、ガレージだよ、ガレージ! 母さん、この夏にダディの蔵書を整理して、貸しガレージに預けただろう。」
「……ああ、思い出したわ、あなたのお父さんが納屋に押し込んでいた本の束ね。」
「それだよ、それが賃料延滞で差し押さえられて、来週オークションにかけられるっていう通知が来たんだ。母さん、賃料払ってなかったのかい?」
 息子の剣幕に、母はにっこり微笑んだ。
「そう言えば忘れていたわ。でもいいじゃないの。どうせ、もういらない本ばかりなんだし。誰かに貰っていただけるなら、本も本望でしょうに。」
「本も本望だって? 冗談じゃない、あの蔵書の中には、稀少本が眠っていたんだよ!」
「稀少本?」
「そうさ、僕が尊敬するあの幻の詩人、ノア・リートの初版本だよ! ダディの宝物だったのに!」
「ノア・リート? ……いいのよ、あれなら、もう。」
 アガッサは、ニッコリと微笑んだ。
「よくないよ、売れば5万ドルは下らないんだぜ? もちろん、5万ドルだって売る気はないけどさ。」
「それはそうかもしれないけれど……仕方ないじゃないの。本っていうのは、本来旅するものなんだし。」
「母さん!」



 常識人のリングウォルドの怒気を含んだ声は、風に乗って書斎にいた変人のハーノイバートに届いた。何を言っているのかは不明だが、あの甘ったれな息子が、またアガッサを困らせているであろうことは想像に難くない。
 ハーノイバートは、溜息をついて窓の外を見やった。窓の遠くには、海が広がっている。明るい色の凪いだ海だ。モントレー半島の外れにあるこの町は、かつてはのどかな漁村であり、今はさびれた漁村である。巨匠スタインベックの故郷である隣町モントレーは、ここ数年、観光で栄え、町並みも海辺の景色もぐっと現代的になっている。しかし、その繁栄がこの村に恩恵をもたらすことはなかった。
 しかし、だからこそ美しいのだ、と、変人のハーノイバートは呟いた。美しい海と、美しい人。こここそが、私にとっての楽園なのだ――。そして、本棚から無造作に取り出した古い詩集のページに目を落とし、小声で朗読を始めた。



  おお、紺碧の大海原をゆくつばめよ
  私の魂を薔薇に変えてお前に託そう
  大海原をゆくつばめよ
  私の魂を薔薇に変えて愛しいあの方の元へ運んでおくれ
  そしてあの方の靴の上に散らしておくれ
  まだ見ぬ、美しい人の靴の上に――



「陳腐な詩だ。修行が足らんな。」
 変人のハーノイバートは、そう一人ごちると、そっと詩集を閉じた。


          2


「おお〜紺碧の大海原をゆくスリッパーよ
 私の魂をお前に託そう
 病院の階段を1人で駆け下りるスリッパーよ
 今日のお昼のおかずは何か見てきておくれ
 そして、ベリーのジェリーを皿の上に山盛りにしておくれ
 もしジェリーがミントだったら、
 それはいらないとマイケルに言っておくれ――

 ここは退役軍人精神病院の個室。何やら怪しげな詩を朗じているのは、お馴染みハウリング・マッド・マードック氏。また何かやらかしたらしく、本日は地味ながらも清冽な美しさを放つ、純白の拘束衣姿である。毎度のことながら、これがまた実にお似合い。



「素晴らしいっ!」
 マードックの個室の前で、1人の男が叫んだ。黒の徳利セーター+白衣に、怪しいセルロイドの眼鏡をかけた、下がり眉毛の金髪オールバックのその男は、感に堪えないといった様子でもう1人の白衣の青年の両手をがっしりと握り締める。
「彼こそが私が求めていた人材だ! 実に素晴らしいよ、ええっと……。」
「ホワイト。研修医のドクター・マイケル・ホワイトです。」
 医者らしい真面目そうな若者が、困惑しつつ答える。
「マイケル! 僕は感動したよ。さあ、早く彼を出したまえ。」
「ちょっと待って下さい。急に出せって言われたって、マードックは、この病院では有名な重症患者です。許可なく出すわけには行きません。」
「何を言ってるんだ! 君、僕のことは聞いているだろう!」
「いや、それが……。」
 何も聞いていないマイケルが口篭もる。
「なぁんだよ、連絡行ってるはずだよ、今日の予定。」
 下がり眉毛の言葉に、慌ててスケジュール帳を捲る青年医師マイケル。
「ええっと、今日の予定はアニマル・セラピーの先生が来るってことしか聞いてないんですけど。」
「アニマル・セラピー? あああ、何てこった。」
 怪しい下がり眉毛は、大袈裟に額に手を当てた。
「アニマル・セラピーじゃない、僕がやってるのは、マッドマン・セラピーだ。ったく、ステファニーの馬鹿が、伝言を間違えたんだな。済まないね、秘書が無能で。さ、時間がないから、鍵開けて。」
「マッドマン・セラピー、ですか?」
 気圧されたマイケルは、ガチャガチャと病室の鍵を開けながら問うた。
「そ、マッドマン。君、マッドマン・セラピー知らないの? 遅れてるね。」
「す、済みません。アニマル・セラピーのことなら付け焼刃で勉強したんですけど。」
「まさにそれだよ! マッドマン・セラピーはアニマル・セラピーの応用なんだ。アニマル・セラピーは、動物の純真でピュアーな(一緒です)魂が、傷ついた心を癒すんだろ? マッドマン・セラピーも、それと一緒さ。」
「はあ、仰る意味がよくわかりません。」
「マッドマン、即ち、狂人。その狂人の狂人ゆえの純粋無垢な魂でもって、病人の心と体を癒すのさ。」
「病人……『を』? あの、うちの患者は……癒される方じゃないんですか?」
「そう、『を』で正解! 現に、この療法が開発されたニューヨーク州立病院では、アルツハイマー患者の驚異的な回復が報告されているんだ。狂人と触れ合う緊張感が、眠っていた脳細胞を活性化させるんだな。何て言ったっけ、あの、神経の……。」
「ニューロン?」
「そう、ニューロン! 君、なかなか見込みあるね。そのニューロンを活発にするために、ここの患者さんたちの力を借りようっていうことさ。特にあの拘束衣の彼! 彼は全く素晴らしい! あの重力に逆らわない転がりっぷり、あの詩的センス、刺激的、かつ独創的ですらある! 彼のような人材に巡り会えたことは、僕の研究に大きな成果をもたらすだろう。と、いうわけで、この患者、しばらく借りるからね。行き先は近くの老人ホームだから、心配しないでね。あ、時間は何時までだっけ?」
「ええと、アニマル・セラピ……済みません、マッドマン・セラピーは、3時までです。」
「そう、3時。じゃ、3時にまた!」
 怪しい下がり眉毛の医者は、そう言い残すと、マードック氏を伴って足早にエレベーターに向かった。その数秒後、やって来たエレベーターから降りてきた白衣のご婦人(犬猫多頭連れ。多分アニマル・セラピスト)に軽く会釈をし、代わりにエレベーターに乗り込む2人。かくしてマードック氏、今回もめでたく自主退院と相成ったのでありました。


          3


 海沿いの道をひた走る紺色のバン。乗っているのはAチームの4人。
「ったく、冗談じゃねえ、何で天下のAチームが荷物の差し押さえを食らわなきゃならねえんだ!」
 そう言って不機嫌そうにハンドルを握るのは、B.A.バラカス氏。
「仕方ないだろ? 俺だってそんなに早く差し押さえられるなんて思いもしなかったもん。しかも、オークションにかけられるなんて。」
 フェイスマンは、先ほどの怪しい白衣姿のままである。
「まあ、契約書を確認しなかったフェイスが悪いな。」
 と、助手席のハンニバル・スミスが葉巻を銜えて言った。
「俺だけのせいにしないでよ、ちゃんと契約書見せただろ? 連帯責任だかんね。」
「あたしはここ数カ月、アクアドラゴンの新作の撮影で忙しかったんですから。倉庫の契約書なんて、じっくり読んでられませんって。ましてやこんな、5ポイントの活字でぎっしり100ページ以上ある契約書なんて。」
 と言って分厚い冊子を後部座席に放り投げるハンニバル。確かに、アメリカは高度の契約社会ではあるが、ガレージ1個の契約書としては破格の厚さと細かさである。
「そうだよね、アクアドラゴンのシナリオなんて、ペラ1枚だもんね。到底この厚さの文字なんか読めないよね。」
 フェイスマンが嫌味ったらしく言った。
「何を仰いますか。あのね、あたしのアクアドラゴンは、既に前衛芸術の域に達しているの。だから、ありふれた脚本なんざ必要なあい。あたしのインスピレーションのままに演じ、そして演出するんですから。」
 と、ちょっとムッとしつつも余裕の笑顔のハンニバル。しかしアクアドラゴン、いつから香港映画になったのか。
「ま、安い買い物にゃ落とし穴があるってこったな。」
 バラカスの言葉は、激しく核心を突いていた。



 今回、Aチームが大急ぎで向かっている先は、カリフォルニア州モントレーの貸しガレージである。1年ほど前にフェイスマンが見つけてきた賃料格安のガレージで、そこに今年の依頼で余った物品や使わなくなった個人の荷物をごっちゃに詰め込んで保管してあったのだが、仕事が立て込んでフェイスマンがうっかり賃貸料を入金し忘れた結果、差し押さえに遭い、契約書に則ってオークションに出されることになってしまったのだ。
「しかし、ガレージ丸ごとオークションにかけるたあ、荒っぽい業者だぜ。」
 と、コング。
「最近流行ってるらしいよ、ガレージ・オークション。だからそれを見込んで、ちょっとでも賃料の支払いが遅れたらオークションに出しますっていう契約にする業者が増えてるんだって。世知辛い世の中だよね。」
「普通のオークションとどう違うんだ?」
「クリスティーズとかの普通のオークションは、何を買うかわかってから入札するでしょ。ガレージ・オークションはね、中を見せないで、ガレージごと入札させるわけ。」
「中を見せないで、って、それでオークションになるのか?」
「全く見せないわけじゃないよ。一応、ガレージの中まで入ることはできるの。ただし、中身に触っちゃダメ。」
 倉庫の契約書の『第3章オークション』を読みながら、フェイスマンが説明する。
「てことは、入札する方は、ガレージに詰め込んである箱とか段ボールとかを見て判断するわけだな。」
「そう。ワインの木箱があれば、中に年代物のワインが入ってるかもしれないし、船旅用のクロゼットがあれば、中に高級なミンクのコートがかかったままになってるかもしれない。ってことを想像して入札するわけよ。中にはビンテージカーなんかが置きっ放しになってて一目瞭然なのもあるけど、ほとんどはわかんないから、落札してから開けてびっくりってわけ。シャトー・マルローだと思ったら、酸化したブーンズ・ストロベリー・ワインだったりすることもあるだろうし。ま、一種のギャンブルだよね。」
「俺は、ブーンズの方が断然いいけどなあ。アーティフィッシャルに甘くてさ、実にいいワインじゃん?」
 と、話に割って入ったのはマードック。アーティフィッシャルに甘いワインを評価する人間は、世界広しといえど、彼だけかもしれない。【私もだ。by 梶乃】
「で、俺たちの倉庫には、何が入ってたんでい。」
「ええと。」
 と、リストを取り出すフェイスマン。
「ロケットランチャー×3、その弾薬多数。マシンガン×4、その弾薬多数。各種小銃、その弾薬多数。今年前半の依頼の収支に関する書類5通。ヘリの部品。変装セット(禿ヅラ、眼鏡、白衣、化粧品)、ハシゴ、パンダのゴミ箱、ハンニバルのシェイプアップ器具(スタイリー)。ニンテンドー1台、マードックの水槽、などなど。」
「……そりゃ開けてびっくりだ。」
「武器関係だけでも1万〜2万ドル相当だよ。」
 あまりの金額に項垂れて首を振るフェイスマンである。
「しかしフェイス、本当に問題なのは金じゃなくて書類だ。あの書類が人手に渡れば、俺たちの最近の事情が当局にバレバレだし、依頼人にも捜査の手が伸びるかもしれん。俺たちを信じて頼ってくれた人たちに迷惑をかけるようなことだけは、何があっても阻止しなけりゃならん。」
 ハンニバルの言うことは、時として、いちいちお説ごもっともである。
「あと、クラビーノとハラペーニョの救出!」
 と、マードックが後ろの座席から身を乗り出した。
「クラビーノ?」
「カニだよ、カニ! タカアシガニ! 先月まで水槽で飼ってたんだ。病院に連れてくとマイケルがゼリーにして食べちゃうかもしれないから、フェイスに預けたんだ。」
 タカアシガニのゼリー。そりゃまた高級そうな料理である。
「水槽? 生きてるカニなのか?」
 訝しげに振り返るコングに、フェイスマンがそっと「剥製だ」と耳打ちした。


          4


 モントレーに到着したAチームの面々、まずはガレージを返してもらうべく、滞納した600ドルを握って管理会社に交渉に行くことにした。電話での交渉は早々に決裂していたので望みは薄かったが、滞納金に少し色をつければ何とかなるのではないかと考えたのである。
 目指す「レイモンド・ガレージ」は、モントレー郊外の山林を切り開いて、20坪ほどの中型ガレージを100個並べて管理しているなかなか大きなガレージ会社のようだ。
「頼もう!」
 そう言って事務所のドアを豪快に開けるマードック。仕事中であった社員数名が、一斉にこちらを見た。
「ああ、済みません、ガレージを借りてるペックですけれども。」
 登場時の威勢のよさとは裏腹の腰の低さで、フェイスマンが窓口へ進み出る。
「ああん? 何の用だ?」
 ピンクのスーツを着た黒髪の男がぶっきらぼうに言った。
「ええと、うちのガレージがオークションに出されるという話を聞いて、その、何とか取りやめていただけないかと思いまして。」
 そう言うフェイスマンに、男は、またか、と溜息をついた。
「ガレージ番号は?」
「えっと……Gの15番。」
「G15ね。」
 ピンクの男は、分厚い台帳を捲る。
「G15のオークションは明日の10時から。参加したいなら、9時半までに参加費用の200ドルを持ってガレージ前に来い。」
「えっと、そうじゃなくて、自分の荷物をね……。」
 言い募るフェイスマンの言葉を、黄色い男が遮った。
「契約上、既にあんたの倉庫の荷物の所有権はわが社にある。取り戻したい場合は、オークションに参加して買い戻すんだな。」
 男は、それだけ喋ると、くるりと踵を返してフェイスマンの前から去っていった。



 交渉があっさりと決裂したAチーム、バンに戻って作戦会議を開始。
「どうする、ハンニバル。明日まで待つ?」
「それとも、今夜中に強奪するとか。」
「まあ待て。強奪も名案だとは思うが、元はと言えば料金を滞納した我々の落ち度だし、できることなら穏便に済ませたい。明日のオークションに参加して買い戻すのが良案だろう。フェイス、金はあるよな?」
 ハンニバルの言葉に、フェイスマンは溜息をついた。金は、ある。だがそれは、今年1年、銃弾に身を曝しつつの危険な綱渡りに挑んだり、同じ話をエンドレスでなさる資産家の老婦人の話し相手を務めたり、いけ好かないファッション・デザイナー(ホモ)を騙して住居費を浮かせたり、砂浜でプルプルンのキュッのボン! の女の子と戯れたり、マードックの無駄使いを戒めたりしてやっと貯めたお金なのだ。できることなら出したくない。だが、元はと言えば自分の落ち度、ここでしみったれたところを見せて、ハンニバルたちに軽蔑されるような無様な真似はしたくない、しかし金は惜しい。まさに揺れる男心。
「……あるよ。キャッシュで20万ドル。」
 目くるめく心の葛藤の後、消え入りそうな声でフェイスマンはそう言った。20万ドルと言った瞬間、残り3人の唇から漏れた溜息と口笛の意味は以下の通りである。
「ほおお。」(20万ドルあれば、新作映画にリズ・テイラーをキャスティングできるぞ。クレオパトラならぬクレオドラゴンの役で、アクアドラゴンと熱烈な恋に落ちるなんて、いいですな。あ、実にいいですな。)
「ううむ。」(20万ドルありゃ、孤児院に新しいプールとバスケットコートを買ってやれるじゃねえか。)
「ひゅ〜♪」(20万ドルあれば、クラビーノとハラペーニョの写真集に俺様のポエムを添えた本を出版して、その印税でクラビーノとハラペーニョに豪邸を建ててやって、残りのお金でグレープとクランベリーのゼリーを腹一杯食って、ミントのゼリーはマイケルに返して……。)
 夢見がちに空を見つめる3人の頭上にもやもやと広がる空想の雲。これではいかんとフェイスマン、パン! と手を打って、みんなを現実に引き戻した。
「とにかく、オークションに参加するのは明日だけど、とりあえず今日はオークションっていうのがどんなもんなのか見学に行こう。」
「そうだな、何も20万ドル全部使うわけじゃないからな。できるだけ安く落札できるように、敵陣視察は抜かりなく、ってのが作戦の定石だわな。」
 ハンニバルの言葉に、力強く頷くコングとマードックの心にあるのは、カニとプールであったりして。
 そして4人は、オークション会場であるガレージへと向かった。



 ガレージ前は、黒山の人だかりである。今日オークションにかかるガレージは、シャッターにオークション開始時間が書かれた紙を貼られており、1人ずつ警備員が立っている。
「随分物々しいな。」
「それに何て言うの? 参加者が恐い系の人、多くない?」
「恐い系?」
「ほら、あの緑の背広の奴とか……。」
 と、フェイスマンが指差す先の男は、なるほど頬に傷あるコワモテ風。身長7フィート近い大男だ。ライバルはなかなかにして侮れんらしい。



 カランカラ〜ン♪
 オークション開始を告げる鐘の音と共に、警備員が1つ目のガレージのシャッターを開けた。
 わらわらとそちらに起動する参加者たち。Aチームの面々もそちらへ移動し、目立たずよく見えるよう、斜め後方に陣取る。
 と、そこに、ピンクの三つ揃いをスカッと着こなしたオークション・マスター(以下OMP=オークション・マスター・イン・ピンク。さっき事務所で会った男)が登場、颯爽と雛壇代わりのミカン箱に駆け上がり、マイクを掴んだ。
「さーて皆さん! 午後のオークションの始まりです。今日の出物は、このガレージ! ハリウッドの映画関係者からの出物だ! お宝満載かもしれませんよ! 参加される方は、まず200ドルを係員に渡して、ゼッケンを受け取って下さい。ゼッケンのない方からの入札は無効になりますので注意してね! さあ、それじゃあみんな、中を見てみよう!」
 そう言うとOMPは、参加者たちを引き連れ、踊るような足取りでガレージの中へ。



「はーい、触らないでね、触っちゃダメですよ。あ、そこのお兄さん、空けちゃダメ〜。はい、終了!」
 ものの2分程度の下見時間の後、OMPは参加者をガレージから追い出し、再びミカン箱の上へと陣取った。
「では、オークションを始めます! 単位は50ドル。では、スタート!」
「100ドル!」
「150ドル。」
「250だ!」
「500!」
「550!」
「750!」
「ええい、1000ドル!」
「1500!」
「いや、こっちは2000でどうだ!」
 入札金額は、瞬く間に高騰した。
「すごい盛り上がりだな。」
「ああ、何が入ってるかわからねえもんに……もう5000ドルになってるぜ。」
 呆気に取られてオークションを眺めるハンニバルとコング。
 と、その時、オークションの喧騒の中から聞き慣れた声。
「1万ペソ!」
 振り向くコング。するとそこには、お手製のゼッケンらしきものをつけたマードックの姿が。
「げっ、モンキー、何やってんだ?」
「参加料払ったのか?」
「いや、あのゼッケン、拘束衣の袖だろ。」
「1万1000!」
「1万1500!」
「1万2000!」
「2万ウォン!」
「2万5000!」
「3万!」
「モンキーのせいで入札単位が大雑把になってる気がするんだが。」
「て言うか、みんな何で釣られてるのさ、ペソとかウォンに。」
「5万ドル!」
 その時、一際大きな声が会場(?)に響いた。振り返る参加者たち。するとそこには、左手を、ぱあっと広げた緑のスーツの男が、眉間に雄々しく決意を滲ませて仁王立ちしているのであった。
「5万! もう一声ないか!」
 OMPが更なる入札を促す。が、5万の大台に呼応するものはない。
「決まり! そこの緑の紳士! 拍手!」
 バラバラと響く拍手の音。Aチームの4人も釣られて拍手喝采。かくして、ハリウッドの誰かさんの持ち物であったガレージは、緑の男に5万ドルで落札されたのであった。



「いやあ、すごかったな。」
 車に戻りがてら、ハンニバルが言った。
「ああ、スゲエ熱気だった。」
「オイラ惜しかったよね、もう一歩で落札できるとこだったのに。明日は頑張ろうっと。」
「他人のガレージ落札してどうするんだよ、モンキー。」
 みんな、明らかにオークションの熱気にやられてしまっている。マードックに至っては、既に目的すら見失っている感あり。ここは少しクールダウンして、冷たい物でも飲むに限る。
「じゃ、モントレー市街に出て、シャンパンにロブスターでも食いましょうかね。」
「やっほー、エビ、エビ。」
 あっさりとエビに釣られ、車に乗り込もうとするマードックに、近づく人影が。



「あのう……。」
 見れば、1人の気弱そうな青年である。茶系のシャツ+ツイードの上着、茶系のズボンとくたびれたヌバックの靴。そしてショルダーバッグ。古本屋か何かかな、と、フェイスマンは思った。
「え、俺? 俺に何か用?」
「済みません、僕、グレン・リングウォルドと言います。さっきのオークションの入札っぷり、お見事でした。」
「いやあ、落とせなかったのが残念だけどね。ほら、世間にリラとミョンという美しい単位の存在をアッピールできたかなって。」
 誉められて満更でもないマードック。威張ってみるのはいいが、さっきペソって言ってなかったか? そして、ミョンという不思議な単位の誕生。1ミョン=5セントくらいでしょうか。しかし男は、そんな矛盾点などものともせず、マードックを尊敬の眼差しで見ている。
「あの、不躾なお願いで申し訳ないんですが、僕を……僕を助けてはもらえないでしょうか。明日、どうしても落としたい物件があるのですが、今日のを見たら、何だか自信がなくなっちゃって……。もちろん、お礼はいたします。」
 お礼、という言葉にピクリと反応したフェイスマン、そっと男の背後に回り込み、肩に手をかけた。
「そんな深刻な顔して、どうしたのかな? 場合によっちゃ、俺たちが助けてやってもいいぜ?」
「馬鹿野郎、今はそんな場合じゃないだろう、フェイス。」
「まあ待ちなさい、コング。どんな時でも困っている人には手を差し伸べるのが俺たちの信条てもんよ。リングウォルドさんだっけ。聞こうじゃないか、話を。」
 翻訳=転んでもタダでは起きないのがAチーム。不要な出費が嵩んでることだし、ここで仕事ができて小銭が入れば一石二鳥、しめしめ。
「あ、ありがとうございます。ここでは何なので、是非僕の家で話を聞いて下さい。」
 というわけで、Aチームの一行は、リングウォルドの家に招かれることとなった。



 1時間後、リングウォルド家の居間。
「……というわけで、ママンが、死んだダディの蔵書をガレージに入れてしまったのです。でも、その中にはダディが大事にしていた貴重な本も入っていて。ママン、きっと変人のハーノイバートにそそのかされてやったに違いないんだ。だから、ダディの大切な蔵書をガレージなんかに……。」
 リングウォルドは、悔しげに拳を握り締めた。
「変人の話は置いておくとして、俺たちはその、本の入ったガレージをお前の代わりに落札すればいいんだな。」
 と、コング。
「そうなんです。是非、お願いします。」
 リングウォルドは、冷めてしまった紅茶を一気に飲み干すと、Aチームの反応を窺った。
「落札するだけなら、代わりにやってやってもいいが、そのノア・リートって詩人の本は、そんなに高価なのか?」
「ええ、そりゃあもう。ノア・リートは、50年代にほんの一時期だけ文壇に現れた天才詩人なんです。活動期間は、ほんの4、5年。その間に、処女詩集『航海』を含む3冊の詩集を出版して、その後、忽然と姿を消したんです。知ってるでしょう、有名な『つばめ』っていう詩。」
「ああ、あれね、うん。あれは、すごい作品だよね、何て言うかこう、哀愁がある。」
 と、フェイスマンが知ったかぶる。
「おお、紺碧の大海原をゆくつばめよ、私の魂をスリッパーに変えてお前に託そう。」
 マードックが、詩の一説を口ずさんだ。残りの3人が、驚嘆を込めた視線を送る。
「ああ、ご存知なんですね。でも、何でスリッパ?」
「つばめより確実な感じしない? スリッパの方が。つまりその、大海原を駆けるって意味で。」
「何と、見事な本歌取り。あなたこそ本当の詩人だ!」
 リングウォルドは、そう言うと立ち上がり、マードックの両手を握ってブンブンと振った。


          5


 翌朝、午前9時半。
 Aチームの面々とリングウォルドは、手持ちの現金を握り締めてオークション会場へと赴いた。リングウォルドの予算は5000ドル。Aチームの予算は20万ドルである。しかし両者とも、1ドルでも安く落札できることを望んでやまない。
「さて、まずはリングウォルドからだな。モンキー、頼んだぞ。」
「アイアイサー!」



 そうこうしているうちに、昨日と同じOMP登場。
「さて、今朝1発目のガレージは、何と古本屋の書庫だ。稀少本が眠っているかもしれないぞ。さあ、始めよう!」
 OMPの掛け声と共に、リングウォルドのガレージのシャッターが上がった。中身は、見るまでもなく本棚と段ボール箱である。OMPの先導で、ガレージの中に入る参加者たち。ぐるりと一回りして出てくると、リングウォルドが「あれ?」と呟いた。
「どうした、グレン。」
「おかしいな。あるはずの本棚に、詩集がない。」
「何だって? で、どうするんだ?」
「落札して下さい。きっと僕の思い違いでしょう。」



「さて、入札単位は50ドル。さあ、スタートだ!」
「100ドル!」
 と、マードックが口火を切った。
「150!」
「200!」
「300元!」
「350ドル!」
「400ドル!」
「1000ドル!」
「2000ペソ!」
「2200!」
「2300!」
「3000バーツ!」
 マードックの3000バーツの掛け声で入札が止まった。
「3000、さあ、3100ないか! どうだどうだ!」
 参加者をぐるりと見回してOMPが叫ぶ。
「3000! そこの帽子のご主人、3000で落札!」
「やった!」
 リングウォルドが叫んだ。喜び合うAチーム。
「モンキーに入札の才能があるとは思わなかったな。」
「ああ。ポイントは、急に値段を吊り上げるところじゃねえかな。他の客が一瞬ひるんで入札が止まる。」
「この調子でこっちのガレージも取り返すぞ!」
 盛んに意気が上がるAチームである。



「さあ、お次のガレージは、何とロスの投資家のだ。年収50万ドル、ビバリーヒルズに邸宅を構える彼のガレージは、例え不用品であってもゴージャス間違いなし!」
 OMPが叫んだ。
「おい、次は俺たちのガレージの番じゃないのか? 年収50万ドルの投資家? って、誰のことだ?」
 ハンニバルの言葉に、フェイスマンがひっそりと手を挙げた。
「申込書に職業と年収欄があったから、豪勢な方がいいかと思ってそう書いちゃったんだよ。」
「ゴージャスなリッチマンは格安ガレージなんか借りねえだろ。」
 コングちゃん、お説ごもっとも。更に言うと、ゴージャスなリッチマンは、その格安ガレージの料金を滞納したりしない。
 そうこう言ううちにガレージのシャッターが開き、OMPの先導で中に入っていく参加者たち。ガレージの中は、実にAチームらしい混沌である。
「げっ、ランチャー、先っぽ見えてる。」
 フェイスマンが小声で囁く。
「あーあ、弾薬の箱も、ラベルつけっ放しだぜ。」
「ヘリの配線コードも部品も剥き出しだな。」
「今、思い出したよ。スタイリーだけじゃなくて、スカイウォーカーも買ってたんだね、ハンニバル。一体いくらシェイプアップグッズに注ぎ込んできたかと思うと、俺、目頭が熱くなるよ。」
 と、言いつつ、ハンニバルのお腹をチラリと見やるフェイスマン。
「放っとけ。」
「あっ、クラビーノとハラペーニョ!」
 ぐるりと一回りする間に、自分の荷物との再会を懐かしむ4人であった。



「さて、このガレージはちょっと高級そうだ。スタートは1000ドル! さあ、オークション、スタート!」
「1500!」
「2000!」
「いや5000でどうだ!」
 初っ端から沸騰するオークション。
「5万ドン!」
 マードックが声を上げた。
「いきなり5万って高すぎない?」
「いや、しかしドンだしな。」
「そういう問題じゃないでしょ。俺たちの予算、20万しかないんだよ?」
 しかし、フェイスマンの心配をよそに、オークションは5万でパッタリと止まった。
「5万! さあないか、5万!」
 みんながマードックの勝利を確信しかけた、その時……。
「10万!」
 後ろから野太い声が響いた。振り返る4人。そこには、緑のスーツの男が、額に決意を滲ませて指を1本突き出して仁王立ちしているではないか!
「12万!」
 負けじとマードックが叫ぶ。
「15万!」
 緑の男が応戦する。試合(?)は、この2人の一騎打ちだ! しかも万単位の。
「17万!」
「マードック、飛ばしすぎだよ。」
 フェイスマンがそう言ってマードックのジャンパーの裾を引っ張る。しかし、エキサイトしているマードック、フェイスマンの言うことなんか聞いちゃいなかった。
「18万!」
「19万バーツ!」
「20万!」
 緑の男が叫んだ。一瞬ひるむマードック。そりゃそうだ、こっちの予算は20万……。しかし! そんなことで挫けるマードックではない。
「なんの! 25万だ!」
 勢いづいて叫ぶマードック。
「馬鹿! モンキーの馬鹿! 予算オーバーじゃん!」
 フェイスマンが叫ぶ。
「フェイス、金はあるのか?」
 冷静にハンニバルが問うた。
「ない! 20万きっかりしか持ってきてない!」
「ふむ、それじゃ月賦にしてもらいましょうかね……。」
 ハンニバルが、そう言いかけた時、背後から声が響いた。
「30万!」
 一瞬、静まり返る場内。30万。このガレージに、30万ドル?
「30万だ、30万! はい、決定! そこの緑色の紳士が、30万ドルでご落札!」



 その夜、リングウォルド亭の客間(旧子供部屋。2段ベッド×2と、勉強机代わりの大きなダイニングテーブルが置かれている)。ガレージを取り返した『お礼』として、一宿一飯の恩義に与っているAチームである。もう少しステキなお礼(例えば、金銭的な)を想像していた彼ら、自分たちのオークションの失敗も相俟ってテンションは低い。
「どうする、ハンニバル。荷物は諦めるのか?」
 と、コング。
「ふむ。荷物はまあ、諦めるのもやむなしとするが、書類だけは取り戻さねばなるまい。」
「あと、俺のカニちゃんたちもね。」
「しかしあの緑野郎、昨日も何か落札してたな。」
「よほど羽振りがいいんだろうね。あんな倉庫に30万なんて。」
 羽振りのよくないフェイスマンが羨ましそうに言った。
「昨日の落札と合わせて35万か。羽振りがいいの限度を超えてるような気もするぞ。」
「金持ちの考えることは、俺たち庶民にゃわからねえってこったろ。」
「まあいい。俺たちは書類さえ取り返せればいいんだ。荷物が運び出される前に、ちょっと行って、いただいてくるとしましょう。」
「賛成。」(×3)
 そう言ってAチームの面々が席を立ったところへ、廊下を走る足音が。



 ばんっ! と勢いよくドアが開き、駆け込んできたのは、グレン・リングウォルド。
「ない! ないんです!」
「ないって、何が?」
「詩集です! ノア・リートの詩集が、ない!」
「何だって? よく探したのか?」
「段ボール全部開けて探したのに、どこにもないんです!」
 泣きそうな顔で叫ぶリングウォルド。
「ってことは、オークションの前に抜かれてる可能性があるね。」
「あの会社、胡散臭いと思ってたが、そんなズルまでしてやがったのか。」
「ちょうどいい。俺たち、これからガレージに行くんだ。取り返してきてやる。」
「お願いします! あの詩集は、父の形見なんです!」


          6


 というわけで、夜中のオークション会場に乗りつける紺色のバン。目立たぬところに車を停め、まずは自分たちの倉庫に潜入……と、思いきや、何と、G15の倉庫の前には、既に2トントラックが停まっている。荷物の運び出しを終えたところらしい。
「しまった! 一足遅かったか!」
「いや、まだ間に合う。あのトラックを追うぞ!」
 バンに駆け戻る4人。トラックは、暗がりに潜む紺色のバンに気づくことなく、彼らの前を通り過ぎていった。運転席には、落札者の緑の男の姿が見て取れる。
「よし、行くぞ。」
「おう。」
 コングは、アクセルを踏み込んだ。



 夜のフリーウェイを、南に向かってひた走るトラック。その後ろを、車間距離を取って追尾するAチームのバン。
 走ること1時間。トラックは、幹線道路を逸れて、湾岸の倉庫街へと進んでいった。
「どこに行くんだ? この辺は、金持ちの住む辺りじゃねえぜ。」
「さしずめ自分の倉庫にでも入れておくんだろう。」
 ハンニバルの予想通り、トラックは、ある倉庫へと入っていった。



 バンを降り、そっと倉庫に近づくAチーム。
「あ!」
 マードックが素っ頓狂な声を上げた。
「どうした、モンキー。」
「見てよ、この倉庫のシャッター。レイモンド・ガレージって書いてある。」
「何だって?」
 夜目に目を凝らすハンニバル(ちょっと老眼)。
「ふむ、確かにレイモンド・ガレージだ。」
「ここだけじゃねえ。この辺りのガレージ、全部レイモンドだぜ。」
「どういうことだ? 落札されたガレージを、また自分の会社のガレージに移してどうするんだ?」
「臭いね。詐欺のニオイがする。」
「あの緑の落札者、もしかしてダミーか?」
「とにかく、中に入ってみよう。」
 4人は、裏口に回り、そっと倉庫内に侵入した。
 倉庫の中では、数人の作業員によりトラックから荷物を下ろす作業が絶賛進行中である。そして、その作業を監督しているピンクの男は、何と、オークション・マスター・イン・ピンク、略してOMPではないか。
「今回も上手く行ったな、グリーン。」
 昼間とは打って変わって邪悪な笑みを浮かべながらOMPが言った。
「ええ、今回は盛況でしたからね。参加費用200ドル×100人で、2万ドルは儲かりました。」
 グリーンと呼ばれた長身の男は、昼間のオークションでマードックと死闘を繰り広げた緑のスーツ男だ。
「ここでまたオークションを開催すれば、また参加費用が入る。ここが終わったら、サンフランシスコのガレージへ運んで、もう一儲けだ。シスコでいい入札があれば、売ってしまっても構わんしな。」
「くっくっくっ、さすがですなあ、レイモンド社長の悪知恵は。」
 OMP=レイモンド・ガレージの社長、であることを初めて知るAチームである。
「世辞はいいから、とっとと荷を下ろせ。」
「はい。しかし何でしょう、この倉庫。武器に弾薬、かと思うと、縫いぐるみやらカニの殻やら。投資家がテロリストの支援でもしてたんですかね。」
「昨日やって来た男は、とてもそんな骨のあるタイプには見えなかったぞ。さしずめひ弱な金持ちのボンボンで、軍事オタクか何かだろう。」
『ひ弱な金持ちのボンボン……。』
 物陰で話を聞いていたフェイスマンが、怒りに拳を握り締める。ハンニバルは、心中でレイモンドたちに一部同意しつつも、まあまあ、とフェイスマンを慰める。
「奴ら、やっぱり詐欺だったんだな。許せないよ、俺。」
「しかも、参加料詐欺だってさ。セコいにもほどがある。俺のクージョとモンタージョを危ない目に遭わせやがって。」
 憤慨するマードックであるが、カニの名前、いつの間にか変わっていないだろうか。
「どうする、ハンニバル。」
「うむ。リングウォルドの詩集のこともあるし、やっちまうしかないでしょう。ほんじゃ、皆の者、行きますよ。」



〈Aチームのテーマ曲、かかる。〉
 倉庫の片隅を漁って武器らしきものを拾い集める面々(支度しようにも物資は敵の手の中なのだ)。錆びた鉄パイプで素振りするハンニバル。バール以外の何ならば「バールのようなもの」と呼べるのかを考えるフェイスマン(手にしたのは本物のバール)。拳をバキバキ鳴らすコング。なぜか釣り竿の手入れを始めるマードック。
〈Aチームのテーマ曲、終了。〉



「そこまでだ!」
 颯爽とOMP(レイモンド)と緑の男の前に歩み出すAチーム。
「何だ、お前ら。」
 積み下ろし作業がかなり腰に来ているレイモンド・ガレージの社員たちは、これ幸いと作業の手を休め、思い思いに腰を伸ばす。ダンボールは辛いよね。特に中が本とかだと。
 その彼らに「そのまま続けろ」と指示を出すと、レイモンドはハンニバルに向き合った。
「話は聞いた。お前たちのやってることは詐欺だ。俺たちの荷物を返してもらおう。」
「リングウォルドの荷物から抜き取ったノア・リートの詩集もな!」
 突然の敵登場に、ひるむレイモンド。
「お前たち、今朝のオークションに来てた奴らだな。ええい、しゃらくせえ、バレたんなら仕方あるまい。お前ら、生きて帰れると思うなよ! グリーン! 手下ども! やっちまえ!」
 レイモンドの号令と共に開始される大乱闘。やる気満々でマードックに掴みかかるグリーン。やる気はないものの、業務命令とあって仕方なくノロノロと殴りかかってくる社員たち。その社員たちを掴んでは投げ、掴んでは投げるコング。投げられた社員たちにぶつかってコケるフェイスマン。グリーンに襟元を捕まれて足をバタつかせるマードック。そのグリーンに後ろから殴りかかるハンニバル。何とか起き上がって、倒れた社員に1発蹴りを入れ、どんなもんだい、と肩を竦めるフェイスマン。乱闘の形勢は、すぐに決した。疲れてへばり込む社員たち。1人粘っていたグリーンも、ハンニバルとコング2人がかりで何とか押さえ込んだ。
 形勢不利と見るや否や、社員を置いて逃げようとするレイモンドであったが、裏口のドア前にマードックが張っておいた釣り糸に足を取られて転倒。あえなく御用となったのであった。



「さあ、俺たちの荷物を返してもらおうか。」
 釣り糸でぐるぐる巻きにされたレイモンドとグリーンを見下ろして仁王立ちのハンニバル。
「……俺の負けだ。持っていけ。」
 レイモンドが、転がったまま悔しげにそう言った。
「持っていけったって、これまたトラックに積むの? 俺たちが?」
 フェイスマンが、悲しげにそう問うた。
「……わかった。積み込みもこっちでやろう。おい、お前ら、トラックに荷を積み直すんだ。」
 レイモンドの言葉に、床に座って休んでいた社員たちはノロノロと立ち上がった。いつの時代も、下っ端というのは悲しいものである。
「さっさとしろ!」
 レイモンドの怒声にも、社員の士気は上がらない。
「お前も大変だな、鈍臭い部下を持って。」
「放っといてくれ。ガレージ業界も人材難なんだよ。」
 すっかり観念したレイモンド社長は、既にリラックスモードである。
「あとは詩集だぜ。」
 と、コング。
「詩集? 何のことだ?」
「ノア・リートの詩集だよ。お前らがリングウォルドの荷物から抜き取った。」
「リングウォルド? ああ、あの古紙ばかりのガレージか。あんなガレージで3000も儲かって、あれは美味しいオークションだったな。だが、俺たちは何も抜いてないぞ? グリーン、お前、何か抜いたか?」
「はあ、『ペントハウス』を数冊。」
 グリーンは頬を赤らめた。お目当てはセクシーグラビアか。
「『ペントハウス』はどうでもいい。詩集だ、詩集。」
「そんな高尚なもの、俺たちに見分けがつくと思うか? それに、盗むくらいなら、空入札をしてガレージごと落としてる。」
「ふむ、そう言われてみれば、確かに。」
「ハラペーニョ! マリータ! 会いたかった!」
 倉庫内に響くマードックの声。一同が振り返ると、でかいタカアシガニの殻を2匹分、背負ったり被ったりして踊っている男の姿が。
「お前んとこも人材難のようだな。」
 レイモンドが呟いた。
「同情せんでいい。ああ見えて、いいオークションビッダーなんだ。」
 ハンニバルは、葉巻に火を点けながらそう答えた。


          7


 翌朝、リングウォルド家の朝食の席に招かれたAチームである。
 食卓を囲むメンバーは、グレンとアガッサ親子に、変人のハーノイバート、それにAチームを加えた7人。もちろん、グレンとハーノイバートの間に会話はなく、2人の間の椅子2つ分の空間には、マードックの友人であるカニが2匹、鎮座ましましている。
「それじゃあ、詩集を盗んだのは、奴らじゃなかったって言うんですか?」
「ああ。嘘を言っているようには思えんしな。」
「そんな……。」
 ハンニバルの言葉に、がっくりと肩を落とすグレン・リングウォルド。
「まあ、そんなに気を落とさないで。紅茶のお代わりはどう?」
 と、アガッサが息子に、熱いポットの紅茶を勧めた。
「気を落とさずにはいられないよ、ママン。だって、ダディの大切にしていた詩集が見つからないんだ。」
 グレンは、紅茶のお代わりにミルクをどぶどぶと注ぎ入れながら嘆く。
「詩集って、あの、ノア・リートのこと?」
「そうだよ。あれは稀少本なのに。」
「あの本なら、トビーが持ってるわよ。」
 アガッサは、さらっと言った。驚く一同。
「何だって? ハーノイバートが?」
「ええ、トビーの手元にあるわ。だってあれは……トビーの詩集だもの。」
 アガッサの意外な言葉に、一同の視線がハーノイバートに集まる。
 黙々とパンケーキを食んでいたハーノイバートは、みんなの注視に気づくと、仕方なくナイフとフォークを置き、ナプキンで口を拭った。
「ハーノイバートさん、ノア・リートの詩集、あなたが持ってるって本当ですか?」
 と、ハンニバルが居を正して訊ねる。
「ああ、『つばめ』の初版本のことか? あれなら私が持っているぞ。」
「どうして! どうしてダディの大切な本を、あなたが!」
「済まん済まん。そんなに貴重な本だとは思いもしなかったものでな。」
 ハーノイバートはしれっとそう言うと、紅茶のお代わりを求めてカップを突き出した。
「いくら文学に疎いからって、ノア・リートくらい知っているでしょうに!」
 リングウォルドは、ハーノイバートの手からカップを乱暴に奪い取り、彼に詰め寄る。
「まあ、知ってる、と言えば知ってはいるが、奴はそんな大した詩人ではない。ましてや、『つばめ』なんざ、若い頃に書き殴った習作だ。大した詩ではないよ。それより、アガッサ、紅茶を。」
「はい、あなた。」
 アガッサが、怒る息子の手からカップを取り上げ、熱い紅茶を注いでハーノイバートに差し出した。ハーノイバートは、その紅茶をズズ、と啜ると、はあ、と呑気に溜息をついた。
「貴様、泥棒の分際で、ノア・リートまで馬鹿にするつもりかっ!」
「グレン、落ち着いて。」
 立ち上がったリングウォルドを、フェイスマンが押し留める。
「あら、『つばめ』はステキな詩よ。だってハニー、あなたが書いたんですもの。」
 アガッサは、そう言うと、ハーノイバートの肩にそっと手を置いた。
「どんな美しい詩を書いたとしても、君の美しさの前では虚しいばかりじゃよ、ベイビー。」
 ハーノイバートが、その手にそっと自分の手を重ねてそう答える。
「まあ嬉しいわ、ハニー。」
 一瞬にして2人の世界を作るアガッサとハーノイバート。取り残された一同は、ぽかんと口を開けてその光景を見つめた。
「あの……話が見えないのですが。」
 と、フェイスマン。
「まだわからないの? グレン。ノア・リートっていうのは、トビーの若い頃のペンネームなのよ。」
「何だって?」
 驚くグレン・リングウォルド。
「ハーノイバートさんよ、それは本当なのかい。」
 牛乳で口の周りを白く染めたコングが問うた。
「まあな、若い頃の話じゃよ。」
 と、遠い目になるハーノイバート。
「……しかしあなたがノア・リートなら、どうして僕のママンと?」
「どうして、と言われても困るのだが、あの頃、わしは詩作の旅の途中でな。まあ出会ってしまったのだよ。男と女なんて、そういうもんじゃろう。」
「しかし、しかし、あなたが本物のノア・リートなら、どうして何十年も新しい作品を発表しなかったんですか! ファンはずっと待っていたのに。」
「どうしてどうしてって、うるさい男だな、お前は。詩作なんていうのはな、若気の至りさ、グレン。ペンで生み出した架空の美女より、現実の美女と暮らす方がなんぼかハッピーじゃないか。わしはアガッサと出会って、その事に気づいたのだよ。だから、詩を書くのをやめた。ま、そのことで『伝説の詩人』扱いされて、印税ががっぽり入ったんで、働く必要もなくなったしな。ふぉっふぉっふぉっ。」
 ハーノイバートはそう言って笑うと、茶目っ気たっぷりにウィンクをした。
「詩人ってのは、案外俗な生き物なんだな。ま、よかったじゃないか、グレン。本が見つかって。」
 ハンニバルの言葉に、がっくりと項垂れるリングウォルドであった。



 ロスに向かうフリーウェイをひた走る1台のバン。結局リングウォルドからの報酬は得られなかったが、失うことを覚悟していた20万ドルを使わずに済んだことで、何だか得した気分のAチームである。
「なあ、フェイス。浮いた20万ドルのことなんだか、実はアクアドラゴンの……。」
「浮いてない。」
 ハンニバルの言葉を遮ってフェイスマンがピシャリと言った。
「ダメだぜ、ハンニバル。せっかくの20万ドルをあんな下らねえ映画に使おうなんざ。実は孤児院に……。」
「プールはいらない。あそこの孤児院は、横が海なんだから。」
 これまたピシャリとコングを叩き落とす。
「カニの写真集も作らなくていいから。」
 何かを言いかけていたマードックは、そのままアワアワとカニのように退散した。
「じゃ、何に使うつもりなんだ、20万ドルも! まさか独り占めする気ではあるまいな?」
「そうだぜ、フェイス。チャリティにも金を使わないなんて、お前、守銭奴にもほどがあるぜ。」
「ああもう、何でみんな使うことばっかり考えるの! あのね、新しく借りるガレージ代だって馬鹿にならないんだから! クリスマス休暇にいくらか使ったら、残りは貯金!」
「フェイスゥ〜。」(×3)
 と、各自精一杯の媚びた視線をフェイスに向ける一同。
「媚びてもダメっ!」
「フェイス〜。」(×3)
「ああああ、もう、わかったよっ、今年のクリスマスは、豪華にやろう! でも、半分の10万ドルは、絶対貯金だからねっ!」
 というわけで、根負けしたフェイスマンの英断により、今年は豪華なクリスマスを迎えられそうなAチームでありましたとさ。
【おしまい】
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