エピソード2 〜激闘! スカイハイ!〜
フル川 四万
          1


「へっくしょーいクショーイわしょーいコンチクショウめ。」
 のっけから江戸っ子風な語尾つきのクシャミをなさったハンニバル・スミス氏である。
 ここは、ロサンゼルス市はハリウッドの端っこ、グリフィスパークにほど近いマウンテンバイク屋の地下室。先週解決した「日本製サドルだけ盗難事件」の依頼主の店であり、Aチーム目下のアジトである。
 レンガ張りの床に直接敷かれたラグの上にどっかと腰を下ろしたハンニバル・スミス氏は、綿のタオルケットを肩まで引き上げ、鼻を啜りつつ熱いコーヒーを啜っている。で、そのコーヒーを淹れた張本人であるテンプルトン・ペック氏はと言うと、スミス氏のオデコに手を当て、「あ〜」となぜか嬉しそう。
「何が『あ〜』だ。『あ〜』じゃわからんだろうが。」
「夏風邪みたいだね、ハンニバル。今日はもう薬飲んで寝たら?」
「寝たいのは山々だが、どうやら風邪が腹にも来てるようでね。バスルームの近くから離れ難い気分なんよ。」
「やだね、天下のAチームのリーダーともあろう人が、ひ弱になっちゃって。クーラーの使いすぎなんだよ、全く。えーと、薬あったっけ薬。」
 愚痴りつつも世話焼きなフェイスマン、道具箱の底をかき回して薬を探す。
「えーっと、薬、薬……ないなあ。あ、これいいじゃん。はい、これ。」
 と、フェイスマンが差し出したのは、薬の箱ではなく、何やらラクダ色の毛糸の塊。
「何ですか、これは。」
「腹巻じゃない?」
「腹巻。腹巻とは何ぞや?」
「知らない? お腹が冷えないようにするニット製の筒。主にオリエンタルな地方で使用される。」
「オリエンタルな地方とは?」
「日本とか。」
「遠いな。しかも、爺むさい。」
「日本を馬鹿にしたね。いつかジャパンマネーにしっぺ返しを食らうよ。」
「知ったこっちゃないね。」
 と、ラクダの腹巻をポイっと投げ捨てるハンニバル。投げ捨てられた腹巻は、今まさに部屋に入らんとしていた第3の人物の顔面に命中した。
「うぷっ、ちょおっとぉ、何すんのよ!」
 顔に張りついたラクダ色の物体を引っぺがして叫んだのは、エイミー・アマンダー・アレン女史、通称エンジェルだが、未だかつて名前通りの慈悲心を発揮したことはない、どちらかと言うと、癒さない系の新聞記者である。
「おや、エンジェル。どうしたんだ、今日は。」
「うん、ちょっとお願いがあって。それより、ねえ、何この茶色いもの。」
「腹巻。ハンニバルこの夏のニューモード。」
「そう、ステキね。似合うと思うわ。」
 きっぱりと言い切るエンジェル。着用したところを見たこともないのに。ハンニバルは不満気だ。
「似合う? このあたしに腹巻が似合うですって? 何を根拠にそんな戯言を。」
「あら、だってこれ、サムライ・ファッションでしょ? 確か団子屋の店先でミフネが着てるのを、チャンバラムービーで見たことあるもん。」
 と言いつつ、彼女の脳裏に浮かんでいる映像は、葛飾柴又。
「ほう。サムライ・ミフネとは、アクアドラゴンが師と仰ぐチャンバラムービーの英雄。そいつは光栄ですな。」
 サムライ・ミフネと聞いて少し興味が出たハンニバル。再び腹巻を手に取り、伸ばしたり裏返したり、ためつすがめつ検分し、終いには着用、しかも手裏剣を投げる真似まで。(大いに間違った三船像。)
「どうだ?」
「ちょっとウエストニッパー風になっちゃってるけど。」
「そこは勘弁してあげてよ。センスじゃなくてサイズの問題だし。」
 腹巻の上部からはみ出たハンニバルのお肉を指でつんつん突くフェイスマン。
「甘いわね、フェイス。そんなことじゃ、ここハリウッドでAチームがセレブの仲間入りなんかできっこないわよ。」
「セレブの仲間入り?」
 急に何を言い出すのか。
「何言ってるんだよ、エンジェル。そりゃ俺のつき合う女の子たちはセレブばっかりだし、俺も黙ってりゃ5回に1回はセレブリティに間違えられるゴージャスな男だけどさ、いくら何でもAチーム丸ごとセレブになろうなんていう大それたことは考えちゃいないぜ? だっておかしいじゃん、お尋ね者で、かつセレブなんて。」
 フェイスマン、お説ごもっとも。セレブは腹巻はしないし、モヒカンにもしない。そして何より、セレブは退役軍人精神病院に入院してない。
「甘いわね。セレブって人種はね、法律の壁なんてお金の力で楽々越えるのよ。今は風采の上がらないお尋ね者のあんたたちだって、セレブと呼ばれるようになった瞬間、全〜部チャラ、面目躍如の無罪放免、デッカーだって、今までの非礼を詫びながら泣いてひれ伏すんだからね! というわけで、今日はあんたたちをセレブにしてくれる、ありがたい依頼人を紹介するからよろしくね! あっ、それから、その人は私のヨガの先生なんだから、くれぐれも失礼のないように。以上!」
 と言ってエンジェルは、ピッと1枚の名刺を投げつけ、風のように去っていった。



          2


 ロデオドライブに面する洒落たレストランのテラス。
 いかにもロサンゼルス的リッチ・カジュアルに身を包み、妙に若作りをした中年男女が、アーティフィシャルに日焼けした肩を曝して寛いでいる。
 その中にあって、少々周りから浮き気味の影2つ。1つは、白のスーツにピンクのドレスシャツ、色男と言えないこともないけれど、黒のレイバンを鼻先までずり下ろしてキョロキョロと辺りを見回す挙動が、途轍もなく不審な青年。青年? ……青年(自分に言い聞かせる)。もう1人は、チェックの半袖シャツにベージュのチノパンと一見爽やかな農夫風なのに、胴周りに食い込むラクダ色の憎いヤツのおかげで、ちょっと寄りたくない雰囲気を醸し出してしまっている熟年。両名とも、流行りのレストランのテラスで浮くこと甚だし。
 そして、そんな浮き人2名を含めたテラスの風景に、もう1人、浮くこと必至な人影が参入した。白の全身タイツの上に、インドのサリー風派手布を巻いた銀髪のいかつい老人。深い皺が刻まれた額が、どことなくブロンソンを思わせるその男は、入口の辺りでしばらく放心した後、はっと我に返り、不安げに辺りを見回しながら、白スーツ男と腹巻男の間の席に腰を下ろした。
「貴様は何を注文しやがるんでい。」
 すかさず寄ってきたウェイターは、あり得ないほど猛烈に無礼だった。モヒカンだし、貴金属ジャラジャラだし、胸板分厚いし、「いらっしゃいませ」も言わないし、最近の若い者は全く……と思いつつ、差し出されたメニューを開くサリー男。しかしメニューを見た途端、男の顔がぱっと明るくなった。彼は、得心した面持ちで大きく頷くと、ウェイターに向かって高らかに注文を発した。
「特製ミルクシェイク、生ウニとイクラ乗せカスピ海風ダブル!」



          3


 目隠し+無駄に市内ぐるぐる走りの末に、アジトであるマウンテンバイク屋の地下室に落ち着いたハンニバル、フェイスマン、コングにエンジェル、そしてサリー男。
「紹介するわ。こちら、私のヨガの先生、ハンス・ビタクラフトさん。先生、この人がAチームのリーダー、ハンニバル・スミス。彼が力になってくれれば、もう安心だから。ね、気を落とさないで。」
「他ならぬエンジェルの頼みだ。俺たちでできることなら何でも協力するぞ。まずは話を聞こうじゃないか。」
 サリー男は、エンジェルの言葉にこっくりと頷くと、Aチーム一同(マイナス1)の顔を1人1人見つめながら、静かに話し始めた。
「わしは、ウエストハリウッドでヨガ教室を開いているハンス・ビタクラフト。出身は西ドイツ。今から40年ほど前にハリウッドで一山当てようと思い渡米した。それで映画のエキストラを始めたんじゃが、このいかつい容姿のせいか、強盗と用心棒しか役がつかなくて、面白くなくなって早々にやめちまったんじゃ。それから、いろんな仕事を転々としているうちに、ひょんなことから1人のインド人修験者に出会ってな。3年間みっちり彼にヨガを教わって、ここハリウッドに教室を開いたんだ。周りが映画会社や撮影所っていう立地がよかったんだろう、教室はすぐ成功してね、それから30年以上経つが、ずっと女優や映画関係者といったセレブリティ相手にヨガを教えているんじゃよ。ああ、ターゲットは、美容のためには出費を惜しまないタイプの女性たちだ。特に、3年前に考案したホットヨガが大当たり。最近ではハリウッドだけじゃなく、NYの女優やマスコミ関係者なんかもわざわざ、わしのレッスンを受けに来るようになっていたんだ。もちろん、金はあっと言う間に貯まり、わしは住宅街の一等地に自宅兼教室を構えるまでになった。」
「羽振りのいい話だな。で、ホットヨガとは?」
「ストーブを焚いて50度(摂氏換算)以上に暖めた部屋で行うヨガだ。普通のヨガより発汗効果が高く、ダイエットに最適なんじゃ。また、終わった後のビールの美味さでは、他の追随を許さん。あ、ビールはもちろんハイネケンでな。」
「すんごい効くのよ。1回のセッションでウエスト4センチも引き締まったんだから。ビール飲んだらすぐ戻ったけど。」
「ビール飲まない方がいいんじゃねえか? 牛乳にしとけ、そういう時は。」
 と、コング。でもカロリーは、あんまり変わらないよね、その2つだと。
「その選択肢は、ないわね。ヨガやらなくても、ビールは飲んじゃうし。ヨガやらないでビール飲むと、ウエストすごいことになるし。」
「自転車操業だな……済まん、続けてくれ。」
 茶々を入れたハンニバルだったが、エンジェルに凄い目で睨まれ、すごすごと退散。
「ウホン、それで、ホットヨガのおかげで、うちの教室は連日満員御礼、他のヨガ教室の顧客も次々とうちに乗り換えて、教室は、まるでセレブリティたちの社交サロンのような盛況っぷりじゃった。……奴らが現れるまでは。」
 そう言ってビタクラフトは溜息をついた。
「奴ら?」
「ああ、奴らだ。名前をティファールと言ってな、3兄弟だ。フランス人で、いつも赤・青・黄色の色違いのラコステを着て集団行動している。」
「わかりやすい配色だな。3つ子か?」
「いや、年子だと言っていたが、顔も背丈もそっくりでな。赤が長男で、青が次男、黄色が三男。何でも、死んだ母親の遺言なんだそうな。常に見分けやすい服装をしておくこと、というのが。」
「お袋さん、見分けるのに苦労したんだろうな。」
「そのティファール兄弟がうちの教室に現れたのが、半年前だ。もちろん生徒としてヨガを習いに来たんじゃが、3人とも筋がよくてね。3カ月で基本的な技はほとんど習得してしまったよ。特に長男のアンドレ(赤)は覚えがよかったから、わしのアシスタントとして、初心者クラスを手伝ってもらうようになったんじゃ。わしは、彼らと仲よくやれていると思っていた。両親を早くに亡くしていると言うし、わしも独身を通してこっちに身寄りもなかったし、まあ、今となっては馬鹿な話だが、彼らの親父のようなつもりですらいたんじゃよ。3人といるのが純粋に楽しくてな。それが、半年が過ぎた頃、ある日ぱったりと奴らは教室に来なくなった。おかしいな、とは思ったが、新しい仕事の準備をしていると言っていたし、まあ、忙しいなら無理することもあるまいと、放っておいたんじゃ。そうしたら、そうしたらだ。奴ら、あろうことか、それから一月もせんうちに、うちの教室の目の前に、『ティファール・ヨガ教室』を開業しやがったんじゃ。」
 そう言ってビタクラフトは、忌々しげにテーブルを叩いた。
「弟子が独立開業したってわけだね。よくあることなんじゃない? その、確かに、目の前っていう立地は酷いけどさ。」
「それだけなら、まだ100歩譲って許してやれないわけでもない。だが、奴らはそれだけじゃなく、うちの顧客であるセレブリティたちまで根こそぎ奪っていきよった。おかげで、うちの教室は今、閑古鳥が鳴いている。」
「奪って、って、無理矢理引っ張り込んだならまだしも、ここは自由の国アメリカだぞ、お客がそっちを選んだなら、仕方ないんじゃないのか?」
「それが正当な方法でならな。」
「ほほう、では、不正な方法を使ったと?」
「ああ、名簿じゃ。奴らは、うちの命とも言える、セレブリティの住所氏名職業年収まで載った名簿を、事務所から盗み出したんじゃ。わしが外出している間にな。合鍵を持っているのは奴らしかおらんから間違いない。そして盗んだ名簿で、セレブたちにDMを打った。結果、うちのお客がごっそり向こうに流れた。」
「そりゃ酷いな。だが、セレブたちも馬鹿じゃあるまい。あんたんところのホットヨガが効果的なら、そんなに簡単に教室を乗り換えたりはしないんじゃないか?」
「ふっ、甘いわね。」
 と、割り込むエンジェル。セレブのことならお任せ! てな口調。
「セレブリティってのはね、人一倍移り気で、新し物好きなのよ。新しい店ができて、しかも男前がやってるって言ったら、そっちに行くのが当然じゃない。」
 身も蓋もない真理を述べるエンジェル。
「確かに、わしは男前ではないかもしれんが(怒)。」
「あっ、ごめんね先生、そんなつもりじゃ。」
「しかし、あんたのところのホットヨガってのは、登録商標か何かにしてるんだろう? 勝手に真似できないんじゃないのか?」
「ホットヨガは真似できん。だが、奴らは、ホットヨガに替わる新しいヨガ、『アクアヨガ』を開発しやがったんじゃ。」
「アクアヨガ?」
「でかい水槽の中で、浮力を利用して楽にポーズを取るヨガだ。わしとて思いつかなかった、素晴らしいアイデアじゃ。これが、セレブたちに受けた。実に受けた。大受けじゃ。」
「それにティファール兄弟が、色違いのビキニ一丁で手取り足取り教えているっていうのも大きな勝因の1つだわ。セレブな奥様たちって、若い子の裸が大好きだもの。」
 エンジェル、セレブに憧れているのか、蔑んでいるのか、どっちなのか。ああ、妬んでいるのか?
「もう彼女たちは、うちのホットヨガには見向きもしてくれん。こないだまでは、先生、先生って、あんなに慕ってくれていたのに。わし、もう悔しくて悔しくて。」
 と、サリーの一部を口の端に咥えて古典的に悔しさを表現するビタ(以下略)。
「そりゃあ、灼熱地獄より、水中の方が気持ちがいいもんね。特に夏場は。」
「それは私も認めるわ。でも、泳いだ後のビールより、サウナの後のビールの方が絶対美味しいわよ。」
 エンジェル、ビタの肩を持つ理由はそこだけか。
「うーん、よくわからねえ。名簿云々よりも、純粋にビジネスで負けている気がしねえでもねえなあ。」
「ま、いい、コング。そこんとこは置いておくとしよう。で、あたしたちに頼みたいことって何だ? やっぱり、盗まれた名簿を取り戻せ、ってことか?」
「それもある。あの名簿は、わしと顧客の信頼関係の証じゃから、できれば取り戻してほしい。が、それよりわしは、是非、新しいヨガで奴らに勝ちたい。自分の力で、奴らに勝ちたいんじゃ。もう、アクアヨガに勝る、素晴らしいヨガも考案している。大ブーム間違いなしの新作じゃ。」
「ほう。して、その新しいヨガとは?」
 ビタは、空(この場合、地下室の天井。ダクトが走っている辺り)を指差した。
「空中ヨガじゃ。高度4000メートルまで飛行機で上がり、スカイダイビングで落ちながらポーズを取る。名づけて『スカイヨガ』! 空中でなら、体が固い年寄りでも、無理なくポーズが決められる。それに飛行機代がかかるから、何かと言うと金を使いたがるセレブの習性にもぴったりじゃ。スリルもあるしな。スリルと健康を同時に味わえるなんて、画期的なヨガじゃと思わんか?」
 飛行機と聞いた瞬間、コングが苦虫を噛み潰したような顔になった。飛行機が絡んだ依頼は、できることなら受けたくないと常日頃から切望しているバラカス氏である。
「うーん、確かに、斬新ではある。」
「じゃろう。実はもう、飛行機もアクロバット用の飛行場も押さえ、お披露目イベントの日時もマスコミに発表してある。あとは、デモンストレーションのジャンプを成功させるだけじゃ。」
「用意周到だな。で、そのスカイヨガに何か問題でも起きたのか?」
 ハンニバルの言葉に、ビタはがっくりと肩を落とした。
「ああ、ある……途轍もなく大きな問題が。この間、テスト飛行に出てみてわかったんじゃが。」
 急に遠い目になって虚空を仰ぐヨガの達人。
「わし、どうやら、高所恐怖症でな。スカイダイビングどころか、飛行機から下を見ただけで失神してしまい、どうにもならんのじゃ。」



          4


 退役軍人精神病院の前に、1台のトラックが停まった。荷台には、大量の観葉植物の鉢植え。運転席から降りてきたのは2人の男。1人は優男風、もう1人は、いかついモヒカン。彼らの着用するお揃いのツナギの胸には、『P&B グリーンサービス』の文字。背中には、大きなヒマワリにm&m風の顔がついた小憎らしいキャラクターがフィーチャーされている。
 優男風が、身振り手振りつき営業スマイルで守衛に何やら話しかけている。その間にもう1人の男は、有無をも言わさぬ迫力で観葉植物の鉢を下ろし、搬入用の台車に積み続ける。その後、優男となぜか守衛も手伝って、200鉢はあろうかという大量の観葉植物の鉢は、すべて病院の内部へと運び込まれた。
 30分後、病院から2人の男が台車を押して出てきた。台車の上には、人間の背丈ほどのソテツの鉢植えが十数鉢。どうやら病院内に置き切れなかったらしい。モヒカンが、「自分で乗りやがれ」と、1つのソテツに向かって不思議な悪態をつきながら、忌々しそうにその鉢植えたちをトラックの荷台に積み込んだ。すべての積み込みが終わり、優男が守衛に軽く会釈すると、2人はトラックに乗り込み、急発進で去っていった。



 トラックの荷台で、ガタガタと揺れる鉢植えのソテツたち。その中の1つが、急カーブの衝撃に、ゴトンと横倒しになった。
「いってえ。」
 ソテツは、そう言葉を発すると、むっくりと起き上がった。続いて、ベージュ色の幹からニョッと両手が生え、その両手が、今度は自分の生えている鉢から自らを引き抜きにかかる。ソテツ、それは自殺行為では? そして鉢から引き抜かれたのは、泥まみれの足が2本。そして次にソテツは、自分の上部についている葉の部分をスッポリと脱ぐと、はー、と安堵の声を漏らした。
 幹だけになったソテツ=H.M.マードックは、大きく伸びをしてから、運転席に向かって叫んだ。
「ちょっと、コングちゃん、もうちょっと優しく運転してよ〜。俺のご自慢の葉っぱに傷がつくじゃんかよー。」
「黙って乗ってやがれ、この椰子の木野郎!」
 間髪を入れずに返ってきたコングの怒声に肩を竦めると、マードックは、自らの胴から足首までを覆っていた10枚のラクダの腹巻を次々と脱ぎ始めた。(ラクダの腹巻を重ねて重ねて着用していくと、驚くほどソテツの幹にそっくりになるのです。お試しあれ。)最後の1枚だけ残して残り9枚の腹巻を脱ぎ捨てると、さっき脱いだ帽子(いつものキャップに大量のソテツの葉を貼りつけたもの)を大事そうに被り直し、脱いだ腹巻を丸めたり結んだりして、何やら生き物らしきシェイプを作り始めた。



          5


 その日の深夜。
 ここは、ハリウッド・ブールバードの1本裏にあるビルの屋上。グリーンサービス姿のコングと頭がソテツ状態、かつラクダ色のラクダの編みぐるみ(腹巻製。名前はホーメット)を懐に入れたマードックが、ビルの窓掃除用のゴンドラを下ろそうとしている。それを、ビルの真下から懐中電灯で照らすAチームの残り2名とヨガの達人。
「いいか、大佐、下ろすぜ!」
 屋上から下を見下ろしてコングが叫んだ。その姿を見て、ひええ、と震え上がるビタ。他人が下を見下ろしている気持ちを想像するだけでダメらしい。重症である。
「いいぞ! そのまま下ろしてくれ!」
 ハンニバルが叫んだ。するすると下ろされ、ゴッチンと地上に到着するゴンドラ。
「さあ、乗っちゃって。」
 と、フェイスマンがビタを促す。
「乗れって、わしがこれに乗るのか?」
「そう。」
「乗ったら上がるのに乗るのか?」
「そう。もちろん。」
 ビタは、ムリムリムリ、と顔の前で手を振る。
「絶対無理じゃ、あんな高いところ!」
「大丈夫だって。急にあの高さになるわけじゃないし、少なくとも今は地面についてるんだからさ。」
 いろんな部分で自分の首を絞めそうな考え方を披露するフェイスマンである。
「だから、大体、何でわしがゴンドラなんかに乗らなくちゃならないんだ?」
「なぜって、スカイヨガを成功させるために、だ。あんたはこのゴンドラに乗ってヨガをやり、高所恐怖症を克服する。高所恐怖症を克服しなきゃ、飛行機から飛び降りながらヨガなんてできるわけがないだろう。ゴンドラなら、安全だし、高さも調節できるし、我ながら名案だと思うね。」
 ハンニバルが、そう言ってにっこり笑った。フェイスマンも、「ね」とにこやかに同意する。
「ちょっとずつ上げていくからさ、どこまで行けるかやってみようよ。案外、平気なもんだよ。それに夜だし、下なんてそんなに見えないから。」
 と、ビタの腕を取り、ゴンドラへと誘うフェイスマン。
「だ、だって、こんな小さなゴンドラだぞ? 危ないじゃないか、うっかり転落するかもしれないし。」
 往生際の悪いビタ。既に腰が引け、飼い主と違う方向に進もうとするあまり座り込んだ犬のような姿勢になっている。
「あのね、これ掃除用のゴンドラなの。窓拭き業者の皆さんがいつも使ってるし、点検もしてるの。だから安全。完全に安全。」
「完全に安全な乗り物なんて、この世にあるものか。そ、それに、このワイヤー、かなり細いぞ? 途中で切れたらどうするんだ。」
「大丈夫。安全装置ついてるし。さ、とっとと乗っちゃって。朝までにはこのゴンドラ、返しておかなきゃいけないからさ。」
「ささ、どうぞどうぞ。」
 ハンニバルとフェイスマンは、両脇からビタを抱え、引きずるようにしてゴンドラに乗り込んだ。
「ひええ、高い。」
「まだ動いてない。地上50センチの高さに耐えられないなら、あんた今まで生きてこれてないよ?」
「わあん、神様、助けて。」
 フェイスマンの叱咤はごもっともだし、地上50センチでびびる男を助けなきゃいけない神様も大変ね。
「コーング! 上げてくれ!」
 ビタのヘタレな叫びを無視してハンニバルが叫んだ。ゆっくりと地上を離れるゴンドラ。ヨガの達人は、目を閉じて手摺にしがみついたまま震えている。
 そしてゴンドラは上がり、約10メートル、建物の3階の窓の高さで止まった。このくらいが、高所恐怖症の人にとっては最初の関門となる高さであろう。
「さ、ビタクラフトさん、目を開けて。大丈夫、暗くて見えないから。」
 フェイスマンの言葉に、ゆっくりと目を開けるビタ。視線は、斜め上、決して下を見ないようにしている。
「よし、いいぞ。ここで1つ、ポーズを取ってみろ。」
「手摺から手を離すのか?」
「大丈夫、俺たちが支えているから。」
 ビタは、恐る恐る手を離した。
「……じゃ、行くぞ。亀のポーズ。」
 上を見上げたまま、両手を上に上げるビタ。
「上手いぞ、その調子だ。」
「鷲のポーズ。」
 今度は、片足立ちになり、体を捻るビタ。もちろん、まだ視線は虚空。
「何だ、爺さん、できるじゃねえか。」
 コングが上から声をかけた。思わずコングの方を見るビタ。そして、一瞬にして、「高いところから下を見下ろす人の気持ち」に乗り移られ、思わず手摺を掴み、目を閉じて、呼吸を整える。
「頑張れ、もうちょっとだ。」
「頑張れ、わし。頑張れ、わし(ブツブツ)……。」
 ビタは勇気を振り絞って手摺を離した。少しよろけたが、何とかフェイスマンに掴まって足元を安定させることに成功した。この行為の成功は、ビタに一かけらの勇気を与えた。
「つ、次は、わしの得意なライオンのポーズじゃ!」
 そう言って、勇敢にもうつ伏せになろうとしたビタの視界に入ったのは、ゴンドラの床(メッシュ)から透けて見える10メートル下の地面……。
「ひっ!」
 ビタは、叫んで手摺にしがみついた。すると、手摺にしがみつく彼の頬を掠めて、何か茶色い動物のような物体が地上へと落ちていった。落ちていった物体は、地面に叩きつけられ、手足バラバラに分解。
「ノー! ホーメットぉぉぉ〜!」
 頭上から、友を失ったマードックの悲痛な叫びが響いた。
 その瞬間、ヨガの達人は静かに気を失った。



          6


 再び自転車屋の地下。
 意識を取り戻した後、めっさ落ち込んだビタクラフト。誰とも一言も口を利かず、ラグの上で瞑想に入ったまま微動だにしない。これが、ヨガの達人なりの自己防衛方法なのだろう。
 そしてAチームは、今後の対策を考えていた。
「どうする、ハンニバル。爺さんの高所恐怖症、この馬鹿のせいで、もっと重症になっちまったし。ありゃ、ちっとやそっとじゃ治んねえぜ。」
 と、コング。
「仕方ないだろ、ホーメットは悩み多きラクダなんだかんね。たまには投身でもしてリフレッシュしたい時だってあるからさぁ。まあ、さっきはちょっとタイミング悪かったけど。」
 室内なのにソテツ頭を被りっ放しのマードックが、ラクダのホーメットを作り直しながら言った。
「それに、大体不可能だぜ、飛行機から飛び降りながらのヨガなんてのは。絶対流行りっこねえから、今のうちに説得して止めさせちまおうぜ。」
 コング、飛行機関連の流行ものは、どうしても許せないらしい。
「まあ、あたしも、ヨガなんて、そうまでしてやるもんじゃないような気もしますがね。」
「かと言って、中止したら、ヨガ教室は、そのティファール3兄弟って奴らに、お客を取られて潰れちまうじゃん。」
「それも時代の流れじゃねえか。」
 今回、コングちゃんはとても冷たい。
「でも、せっかくエンジェルが取ってきてくれた仕事だぜ。それにあの爺さん、ホットヨガで相当儲けてるから、謝礼だって期待していいんじゃないの?」
 フェイスマンが声を潜めてそう言った。依頼人の懐具合を推測するのは、フェイスマンの得意技の1つ。外れることも多々あるけれど。
「しかし、爺さんの高所恐怖症が治らないことには、デモンストレーションの開催は無理だろう。フェイス、開催日はいつだっけ?」
「ええと。」
 と、ビタクラフトが持ってきたチラシを読むフェイスマン。
「げっ、明後日だ。」
「明後日?」
「明後日だと!」
「明後日って、明日の次の明後日?」
「……そう、明後日。どうする、ハンニバル? 本番が明後日じゃ、爺さんの高所恐怖症、治してる暇ないよ。」
 と、その時。
「大変よ!」
 鉄製のドアをバンッ! と開けて、やって来たのはエンジェル嬢。蹴り開けられた鉄扉が、壁にぶつかってウワンウワン鳴るほどのご入場、一体何があった?
「どうした、エンジェル。」
「これを見て!」
 差し出されたのは1枚のチラシ。
「ティファール・ヨガ教室がお得意様に配ったDMよ。」
「どれどれ。……何? 『スカイヨガ大会のお知らせ』……ティファール兄弟もスカイヨガを始めたのか?」
「続きを読んでみて。」
 エンジェルに促され、フェイスマンは続きを読み始めた。
「我々は、『アクアヨガ』に続く全く新しいヨガの形、『スカイヨガ』を開発いたしました。このヨガは、老舗ヨガ教室であり、我らの師匠であるハンス・ビタクラフト師範も、同時に開発を発表されておりますが、内容においては、我がティファール・ヨガ教室に勝るものではないと確信しております。つきましては、*月*日、氏の主宰するデモンストレーション大会にて、どちらの『スカイヨガ』が優れているか、雌雄を決したいと考えております。ヨガ界の老舗 vs. 若い力の対決、是非皆様の目で見届けていただき、どちらが優れたヨガ教室であるかを判断していただきたいと存じます。アンドレ・ティファール(赤)。」
「何じゃとおっ!」
 瞑想をしていたビタが、それを聞いていきなり立ち上がった。
「許さん。そんな無礼は許さんぞ、アンドレ! こうなったら、是が非でも我が『スカイヨガ』を成功させるのじゃ。無論、ティファール兄弟になんか足元にも及ばんような美しいヨガをな! ……ゼイゼイゼイ。」
 激昂のあまり肩で息をするビタ。
「そうは言っても、爺さん、あんたが飛べないんじゃ勝負にならないだろう。」
「ううむ。」
 ハンニバルの冷静な言葉に、ビタはしばし考え込んだ。そして、ポンと膝を打つ。
「いい考えがある! 誰か、わしの代わりに飛んでくれないか?」
「代わりに? 俺たちの誰かが『スカイヨガ』をやれって言うの?」
「そうじゃ、あんたたちの誰かが、わしに変装して飛ぶんじゃ。なーに、ヨガなら任せておけ。1晩あれば、わしがみっちり仕込んでやる。心配は要らんよ。どうせセレブの婆さんたち向けに開発したお手軽ヨガだ。あんたたちなら2時間もありゃ覚えられる。」
 ビタの提唱するスカイヨガって、そんな適当なものだったの?
「俺はゴメンだぜ。飛行機なんて、死んでも乗らねえからな。」
 と、真っ先にコングが言った。このセリフを発した場合の彼氏ってば、大概、数時間以内には飛行機に乗ってることが多いって言うか、ほぼ乗ってるんだけど、本人はそのことには気づいていないし、将来的にも気づかないような気がする。
「コングは無理だろう。遠目に見たってビタ爺さんじゃないことは丸わかりだ。かと言って、俺たち3人だって若すぎる。まあ、飛んでるところを下から見る分にはわからないかもしれないが、観客の目の前に着地したら、一発でバレちまうだろう。」
 と、ハンニバル。若すぎる3人の中には、もちろん自分も入ってるんだよなあ。
「替え玉作戦は、無理か……。」
 一同、諦めかけた瞬間、エンジェルが、すっくと立ち上がった。
「みんな、諦めるのはまだ早いわ。替え玉がバレない、いい方法があるじゃない?」
 エンジェルはそう言うと、ハンニバルの後ろに回り、ぽん、と両肩に手を置いた。
「替え玉になるのは、ハンニバル。いえ、アクアドラゴンよ。」
「アクアドラゴンだって?(だと?)(ですと?)(じゃと?)(?)」
 一斉に驚く5人。
「そう、アクアドラゴン。『スカイヨガ』の発表会が、アクアドラゴンの新作映画のプロモーションも兼ねてるってことにして、アクアドラゴンを飛ばせるの。もちろん、中にはビタクラフト先生が入っているって触れ込みで、実際に飛んでるのはハンニバル。」
「おお、それは名案じゃ!」
「しかし、アクアドラゴンの新作は、まだ脚本段階で、公開どころか、撮影のスケジュールも立ってないんだぞ。」
「じゃあ、新しい脚本で、空を飛ぶことにすればいいじゃない。それに、あれはシリーズ物だから、別にいつ宣伝してもおかしくないわけだし。」
「ふむ、一理ある。宣伝費も浮くしな。」
 と、急に乗り気になったハンニバル。
「そうと決まったら、まずはヨガの特訓じゃ!」



〈Aチームのテーマ曲、かかる。〉
 ビタクラフト・ヨガ教室。稽古場で、亀のポーズを練習するハンニバル。何度やっても両肘が耳の後ろに行かず、ビタクラフト師範に竹刀で背中を叩かれて倒れる。その横で、見事な亀のポーズを決めるエンジェル。亀のポーズを取らされ、両手が抜け落ちるラクダのホーメット。彼を叱咤激励しながら修理するマードック。木のポーズを取るも、片足立ちが5秒以上できず、よろめくハンニバル。その横で、見事な木のポーズを決めるエンジェル。木のポーズを取ろうとして、足が抜け落ちるホーメット。彼を慰めながら直すマードック。鰐のポーズで寝そべるハンニバル。「これは楽ちん」と笑顔。その横で、見事な鰐のポーズを決めるエンジェル。鰐のポーズで寝そべる、と言うか放り出されているホーメット。どこかが外れてるって言うより、もうバラバラ。そんなホーメットを、横に倒れて眺めるマードック。シャワーを浴びるエンジェル(肩から上のショット)、髪を拭き拭き冷蔵庫を漁り、缶ビールを取り出すと、プルトップをプシュリと開け、ごくりと一口。くはぁ、と唸る。同じく、一気に牛乳を呷り、コマーシャルよろしくカメラ目線でポーズを決めるコング。
〈Aチームのテーマ曲、終わる。〉



          7


 『スカイヨガ対決』当日。
 アクロバット飛行場の上空は、雲一つない快晴のスカイダイビング日和。
 開演1時間前。着地予定地点の真ん前に設置されたスタンドには、もうチラホラと観客(セレブ)の姿が見受けられる。
「楽しみね。アンドレ先生、さぞかし素晴らしいジャンプをなさるんでしょうね。」
「あら、あたくしは、トニー先生が楽しみだわ。あのサラサラの金髪が空に舞うなんて、さぞかしお美しいのではないかと期待してますのよ。」
「もちろん、ジャン先生のキュートさも見逃せませんことよ。」
 と、スタンドで見守るセレブの会話には、ビタクラフトは一度も出てこない。
「ところで、この『アクアドラゴン』って何かしら? 映画のプロモーションって書いてあるけれど、あなた、ご存知?」
「さあ。」
「さあ。」
 と、ハンニバルが聞いたら心がぽっきり折れそうな会話が繰り広げられつつ、対決の時間は刻一刻と迫っているのであった。



 ビタクラフト師範、エンジェル、そしてAチームの面々は、格納庫のヘリコプターの前でスタンバっていた。通常、スカイダイビングにはセスナ機を使用することが多いのだが、今回は、パイロットであるマードックの希望で、扱いやすい小型ヘリである。
 と、そこに現れる、3色の人影。
「やあ、先生、お久し振りです。」
 真っ赤なポロシャツ、オールバックの金髪にノーフレームのサングラスをかけた伊達男が、ビタクラフトの前に歩み出た。
「アンドレ、貴様、よくもいけしゃあしゃあと。」
 激昂するビタを、青いポロシャツ(+金髪マッシュルームヘアの美青年風)が宥めにかかる。
「あんまり怒ると血圧に響きますよ。先生、もうお年なんだから気をつけないと。」
「うるさい、トニー。わしはまだ老いぼれてなんかおらんわい!」
「本当かなー、もう、かなりヤバイと思うけどなー。」
 可愛く小首を傾げてみせるのは、黄色のポロシャツ(前髪だけ残して坊主頭。チャンスの女神の髪型)の少年風、末っ子のジャンである。
「ジャンまで。全く、どいつもこいつも恩を忘れおって!」
「忘れてなんかいませんよ。だからこうして、わざわざ対決しに来てるんでしょ。師匠を超えるのが、弟子ができる最高の恩返しですからね。じゃ、また後ほどお会いしましょう。」
 最後の憎まれ口は、もう一度アンドレ(赤)が引き受けて、ティファール3兄弟は、自分たちの飛行機が待つ第2格納庫へと戻っていった。
「ううむ、あやつらめ。覚えておれ。」
 怒るビタ。覚えておれったって、本人は何もしないのだが。あとは、ハンニバル(アクアドラゴン)の頑張り次第。
「よし、ティファール兄弟が現れたってことは、教室の方は裳抜けのカラのはずだ。コング、名簿の奪還、頼んだぞ。」
「おう、任しとけ。」
 そう言うと、紺色のバンに飛び乗り、脱兎の如く去ってゆくコングちゃん。1分1秒でも早く、飛行機の傍から離れたかったらしい。よかったね、コング。



 そうこうしているうちに、デモンストレーションの開始時間となった。観客席前では、司会者が競技の内容と審査方法を観客に説明している。
「ビタクラフト・ヨガ教室、ティファール・ヨガ教室、各1回のジャンプを行います。採点は、両者終了時に投票で行いますので、よろしくお願いいたします。さあ、それでは、皆様お待ちかね、ティファール兄弟のスカイヨガから、じっくりとご覧下さい!」
 司会者の声は、格納庫にいるハンニバルたちにも届いた。
「まずは、ティファール兄弟のジャンプからだな。一応、見ておくか。」
「うむ。どんな技を繰り出してくるかわからんからな。」
「お、飛行機が飛び立ったぞ。」
 それぞれに双眼鏡を構えて空を仰ぐハンニバル、フェイスマン、マードックにエンジェル。そしてビタクラフト。
 ティファール3兄弟を乗せたセスナは瞬く間に上昇、豆粒ほどの大きさになって安定飛行に入り、そして、黄色い人影がテイクオフした。続いて青、そして赤までも。
「何と! 奴ら、複合技で勝負するつもりだ!」
 ビタが叫んだ。
「複合技? ヨガに複合技なんかあるのか?」
「通常のヨガには、ペア技までしかない。だが、ティファール兄弟には必殺技があるんだ。あの、秘技『王家の墓石』、あれを空中で出すとは……!」
 (以下、ティファール3兄弟と共にテイクオフしたカメラマンの映像でお楽しみ下さい。)
 素早くテイクオフした赤・青・黄、空中で手を繋いで輪をつくる。その後、手を離し、向かい合ったままバッタのポーズから鷲のポーズへ。そして上下逆様となり、釣り針のポーズから魚のポーズへ。それから、傾いた兵士のポーズ、カピバラのポーズ(雌バージョン)、いかれた店員のポーズ、生まれたばかりの子馬のポーズ、プロポーズを断られて落ち込む男を「女は彼女だけじゃないさ」と慰めるポーズとスムースに移行し、最後に、3人でがっしと抱き合い、秘技・王家の墓石のポーズを決めた後、離散。それぞれパラシュートを開き、観客席の前に着地。観客、大拍手で迎える。
「今、生還しました。ティファール兄弟です! 素晴らしいヨガでした。今日という日に、ここハリウッドにヨガの新境地を拓いたと申しても過言ではないでしょう。皆様、もう一度大きな拍手をお贈り下さい!」
 司会者の煽りに、さらに大きくなる拍手の音。「アンコール」の声まで聞こえている。
 ティファール兄弟は、晴れやかな笑顔で観客の拍手に応えた。
「さて、次は老師、ハンス・ビタクラフトのジャンプです。この演技は、大人気映画シリーズ『アクアドラゴン』と提携、何と、ビタクラフト氏は、怪獣アクアドラゴンの格好で飛ぶとのこと。皆様、注目したままお待ち下さい。」



「では、行ってきますよ。」
 アクアドラゴンの衣装に身を包んだハンニバルが、にやりと笑ってマードックとフェイスマンの待つヘリへと乗り込んだ。着ぐるみの背中には、パラシュートの入ったリュックが縫いつけてあり、口にはいつものように葉巻が1本。
「頑張ってね、大佐。」
「1つ1つのポーズを丁寧にな。」
 口々に心配を口にする地上班(エンジェルとビタ)に、ハンニバルはグッと親指を突き出し、ヘリはゆっくりと離陸した。
「えーっと、落下地点には、あと5分で到着だよ。ハンニバル、準備はできてる?」
 急速にヘリコプターの高度を上げながら、マードックが問うた。
「ジャンプの準備は問題ないが、問題は演技だな。どうも順番を覚えている気がしないんですけど、今更かね。」
 と、なぜか笑顔のハンニバル。
「え、順番を覚えてないって、どういうこと?」
 カメラマンとして一緒に飛ぶフェイスマンが不安げに聞く。
「いやね、練習中は、ずっと爺さんが一緒だっただろ? 命令通りにポーズをこなすのに精一杯で、どれからやっていいか、よく覚えてないことに、今、気がついた。」
「今、気がついたって、そんな。」
「まあいいじゃないか。滞空時間は1分間ある。そして決めるべきポーズは5、6個だ。無線はついているから、わからなくなったら言うよ。そしたら、このメモを読んでくれ。」
 ハンニバルはそう言って、フェイスマンに手書きのメモを渡した。
「無理だって。俺、カメラ回すんだよ? それに何これ、きったない字。読めないよ、こんなんじゃ。」
「爺さんの字だ。少々読みにくいかもしれんが、勘で頼む、勘で。」
「ハンニバル、落下地点だ、いつでもオッケーだよ。」
「よし、じゃあ、行ってきますよ、はい、さい、なら。」
 近所に煙草を買いに行くような気楽さで、アクアドラゴンは、ヘリコプターからテイクオフした。
「ちょっと待って、ハンニバル! ……もう! 行ってきます!」
 そしてフェイスマンも、振り返ってマードックにそう叫ぶと、ハンニバルを追ってテイクオフした。
 (以下、フェイスマンの撮影によるアクアドラゴンの勇姿をお楽しみ下さい。)
「さて、始めるぞ」とアクアドラゴンは、フェイスマンの構えるカメラに向かって親指を突き出した。まずは亀のポーズ。「肘は耳の後ろ! 肘は耳の後ろ!」と、心の中で唱えつつ、彼なりに精一杯両腕を上げてみせるものの、傍目にはバンザイした怪獣にしか見えない。フェイスマンは、片手で、お手上げポーズを作ってみせる。落胆するアクアドラゴン。次は、木のポーズに果敢にチャレンジ。大の字になった怪獣が、ただ落ちていくのみ。フェイスマンは、「ダメダメ。全然ヨガになってない」と、顔の前で手を振って不満を伝えた。「よし、じゃあ次のポーズだ。次は、ええと、次は何だっけ?」
「フェイス、次のポーズ、何だっけ?」
 ハンニバルは、着ぐるみの中のマイクに向かって叫んだ。
「え、何か言った? 風の音がうるさくて聞こえないよ。」
「つ、ぎ、の!」
「へ?」
「ポーズっ!」
「何なに?」
「ダメだ、聞こえてない。えー、どうするか。」
 ハンニバルは、しばし(と言っても0.5秒程度)考え、彼なりに考えた、「悩んでいることを伝えるポーズ」を取ることにした。即ち、ロダン作『考える人』。いや、この場合は、考える怪獣か。腰を折り、膝を曲げ、その膝の上に片肘、そして、その手の甲を顎に当て、もう片手は前に伸ばす。
 ああ、確かに、考える人。最初からそう聞いていれば、あるいは理解したかもしれない。しかし、何の予備知識もなく、上下左右もよくわからないまま見せられる怪獣のそれは、考える人と言うより、体育館の片隅で膝を抱えている体育見学者。
 そして、ポーズに熱中するあまり、ハンニバルは大切なことを忘れていた。即ち、空中での膝丸めポーズは、落下を加速させるための姿勢だということを。
「う、わ!」
 案の定、くるくる回りながらすごい速度で落下し始めたアクアドラゴン。フェイスマンとの距離も、ぐんぐん離れていく。
「ダメだ、ハンニバル、体勢を立て直さないと!」
 と、言われても、急には元に戻れない不器用な怪獣1匹。しかも、左腕の高度計の金具が右膝の皮膚に引っかかって取れず、アクアドラゴンは、何だか妙にカッコいいポーズのまま、くるくると落ちていった。



「さすが、ハンニバル。すんごい前衛的なポーズじゃん、カッコイイ〜!」
 旋回しながら2人の落下を追っていたマードックは、そんな事故が起きているとは露知らず、地面へと一直線に落ちていくリーダーをのんびり眺めながらそう呟いた。
 そこに聞こえてきたのは、フェイスマンからの無線。
「モンキー、大変だ。ハンニバル、体のコントロールを失ってる!」
「何だって? そろそろパラシュート開かなきゃ危ない高度だぜ?」
「何とかして! 俺は、もう開くから!」
「了解! 任しとき。」
 マードックは、パラシュートを開いたフェイスマンが右後方に遠ざかっていくのを確認すると、ヘリのエンジンを切った。そして、機首を下げて、まるで普通の航空機のアクロバットのように、真っ逆様にアクアドラゴンに向かって落下していった。
 ハンニバルはハンニバルでもがいていた。こんなところで死ぬのはゴメンだ。アクアドラゴンの格好をしてるところは、ま、本望と言えなくもないけれど、膝と肘がくっついた、売れないアイドル歌手の歌い終わりの決めポーズみたいな格好で最後の姿を曝すのは、誇り高いAチームのリーダーとしていかがなものか。さっき鳴り始めた高度計のアラーム音から察するに、パラシュートを安全に開くまでの残り時間は10秒もあるまい。
「このあたしも、そろそろ年貢の納め時ってことかしら。フェイス、どうか先立つ不幸を……。」
「大佐ー!」
 ハンニバルが柄にもなく諦めの言葉を吐きそうになったその瞬間、急降下で追ってきたマードックのヘリが、アクアドラゴンの真上で体勢を立て直した。
「あらよっと!」
 操縦席のマードックが投げたのは、でかい鈎針つきのロープ。鈎針は、アクアドラゴンの背中にぐっさり突き刺さり、ドラゴンは背中を引っかけられたブラーンとした体勢で、間一髪、落下を止めた。
 時に、タイミングはギリのギリ。アクアドラゴンをぶら下げたヘリは、そのまま観客席の真ん前を超低空飛行で通過。その際、客席に向かってガッツポーズを決めるアクアドラゴンは、一瞬前まで死にかけていたことはもう海馬の彼方へ打っちゃっておける羨ましい性格。そして、得意げに客席の前で一周したヘリは、アクアドラゴンを引っかけたまま、また上空へと舞い上がっていった。
「ブラボー!」
 観客席のセレブたちから、歓声が上がった。
「すごいわ! 何てテクニックなの! ビタクラフト先生も、そしてパイロットも!」
「すごい決め技だった! あんな華麗なヨガは見たことがないわ!」
 口々にアクアドラゴンの演技を褒め称える観客たち。そして、割れんばかりの拍手。改めて投票を行うまでもなく、この勝負、ビタクラフト・ヨガ教室の勝利であった。



 ヘリコプターは、そのまま格納庫裏に着陸し、素早くアクアドラゴンの「中身」の入れ替えが行われた。ハンニバルが脱いだアクアドラゴンをビタクラフトが着て、さあ、客席の歓声に応えに出るか、と一歩を踏み出したその時、再び現れたるは3色の影。
「先生!」
 そう言って駆け寄ってきたのはアンドレ(赤)。
「何の用じゃ、もう勝負はついておろう!」
 一喝するビタクラフト。自分が飛んだわけでもないのに、ちょっと偉そう。
「先生、僕たちの完敗です。まさか空中で、あの秘技中の秘技『地球儀』が出るなんて。」
「やっぱり先生は凄いや、先生に比べたら、僕らなんてまだまだヒヨッコです。」
「先生、済みませんでした。もう一度先生の下で修行させて下さい! 飛べるようになりたいんです、『地球儀』を!」
「う、ううむ。」
 怯むビタクラフト。ティファール兄弟の方から折れてきたのは嬉しいが、スカイヨガなんか教えられるわけもない。ましてや、秘技『地球儀』との合体なんて。たじろぐビタに、ハンニバルが助け舟を出した。
「おいおい、お前たち、爺さんの大事な名簿を盗んでおいて、今更戻りたいなんて虫がよすぎないか?」
「め、名簿? 何のことだ。」
「とぼけるな、これだ。」
 と、1冊のノートを差し出すコングちゃん。
「お前たちの事務所で見つけたぜ。このノートが動かねえ証拠だ。」
「く、くそっ。」
 たじろぐティファール兄弟。
「まあ、よいわ。」
 と、ビタクラフトが笑った。
「わしも、お前たちが憎かったわけじゃない。また一緒にやってくれるなら、こんなに嬉しいことはないんじゃ。今度は、ちゃんと給料も払うから。」
 え? ビタ、給料払ってなかったの?
「いいのか、爺さん?」
 と、ハンニバル。言外に、「スカイダイビング、大丈夫?」の意味を込めて。
「いいんじゃ、わしも老いた。これからは、わしの技術をこいつらに伝えることに力を注ぐことにするよ。」
「先生!」(×3)
「あ、それから、秘技『地球儀』だがな、あの技は一子相伝。そして、わしはもう、ここにいるスミスさんに伝承してしまったのじゃ。だから、教わりたい場合は、彼に聞いてくれ。」
「おいおい、爺さん、そりゃ……。」
「先生! ありがとうございます!」
 抱き合って喜ぶ、ティファール3兄弟とビタクラフト。「そりゃ、無理な話」と続けようとしたハンニバルの言葉は、赤青黄の嬌声にかき消され、尻すぼんで消えた。



 と、その時。遠くから聞こえてくるパトカーのサイレン。
「あれ、もしかして。いや、まさかとは思うけど。」
 落ち着かない様子でフェイスマンが言った。
「だよな、今回俺たち、別に目立つことしてねえもんな。」
 と、コング。ヘリで超絶アクロバット飛行。充分目立ってるって。
「しかし、こんな飛行場に当局が出張ってくるってことは……。」
「あ、ごめん、このヘリ、盗んだやつだった。」
 マードックがしれっとそう言った。
「何を!(んだと!)(だって!)(ですって!)」
「そんな大事なこと、何で黙ってやがるんだ。」
「ごめんごめん、忘れてたわ。じゃ、さっさとズラかろうか。」
「そうだな、秘技『地球儀』は、また今度。チャンスがあったら教えてやらんでもない。ま、気長に待ってて下さいな。」
「あ、報酬は、エンジェルから口座聞いて振り込んどいてねー。」
 口々に勝手なことを口走りながら、ヘリに乗り込むAチーム。
 そしてヘリは発進し、瞬く間に遠くの空へと消えていった。
【おしまい】
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