疾駆! 墓参! 激寒の大平原
伊達 梶乃
 自動車修理屋の1階では、修理工たちが慌しく働いていた。自動車の下に潜っている者、バンパーをつけ替えている者、凹んだドアを叩き出している者。ロサンゼルスでも肌寒く感じられるようになってきたこの季節、修理工場だけは未だ熱気に溢れていた。
 その2階と言うかロフトの事務所。唯一のデスクに向かって、ハンニバルはのんびりと新聞を読んでいた。コングは、その後ろのビニール張りソファに座って、食い入るように14インチのTVを見つめていた。「むう」とか「こりゃすげえ」とかと呟きながら。テーブルに置いたア・グラス・オブ・ミルクにも口をつけずに。
 1階のやる気総量と2階のやる気総量は、コング1人の集中力により、何となくイコールに見えなくもなかった。
「うおぉ……っ!」
 珍しくコングが感嘆の声を上げ、ハンニバルは葉巻を銜えたまま首だけ振り返った。
 TV画面には、広々とした草原。と言っても、草丈は低い。そして、牛・馬・羊の群れ。特にコングが感嘆の声を上げそうなものは映っていない。
 その時、ナレーターが言った。
『青々とした草を十分に食べた牛の搾り立ての乳は、それは濃厚で甘く、非常に美味しかった。ここモンゴルではこの時季、家畜たちから取った乳製品が主な食料となる。馬の乳を発酵させた馬乳酒は、酒と言ってもわずかなアルコール分しかなく、この地で暮らす人々にとっては飲料水代わりとなっている。』
 日焼けした老人が、革袋を呷り、袖口で口を拭い、明るく爽やかな笑顔を見せた。
「ぐうぅ……。」
 コングが唸り、ハンニバルは納得して視線を新聞紙の上に戻した。
 その時、顔に真っ黒な機械油をこってりとつけたフェイスマンが、休憩を取りに事務所に上がってきた。
「2人とも、何、寛いでんの? 俺がこんなに働いてるのに!」
「あたしゃ電話番ですよ、ほら、この通り。」
 と、ハンニバルは新聞を退かして、電話とその前に置かれたメモ用紙を見せた。
「……ま、それはいいとして、コング、休憩だって言って、もう1時間も経ってるよ?」
 掛け時計を指して、フェイスマンは不平を申し立てた。そう、フェイスマンの知り合いが経営するこの自動車修理屋に、Aチームは住み込みで働かせてもらっているのである。もとい、労働を条件に住まわせてもらっているのである。なので、狭い事務所には寝袋が3つ転がっている。
「悪ィ。」
 コングは画面を見つめたまま、短く答えた。
「……どうしたの、あれ。バスケやアメフトの試合中継でもないのに。」
 あまりにもTVに熱中しているコングを見て、フェイスマンは小声でハンニバルに聞いた。
「牛乳関係の番組らしい。」
「あ、なるほどね。じゃ仕方ないか。」
 そう答えるハンニバルもハンニバルだが、それでOKなフェイスマンもフェイスマンだ。
「ときに、フェイス。」
 ハンニバルが顔を上げ、葉巻を灰皿に置いた。
「墓参りに行くんで、ちょっと用意しといてもらいたいもんがあるんだが。」
「墓参り? うん、いいよ、ちょっとなら。そこにメモしといて。」
 メモ用紙を顎で指して、フェイスマンはコーヒーサーバーに向かった。煮詰まったコーヒーを飲みに。これがいい感じにエスプレッソ風なんだ。
 さらさらとメモ用紙にペンを走らせるハンニバル。が、なかなか調達リストは終わらない。
「墓参りって、誰の?」
 珍しいイベントに、カップ片手のフェイスマンは好奇心一杯で尋ねた。葬式に参列することはあれど、その後のことはほぼノータッチのAチーム。
「昔、まだあたしが士官学校に入ったばっかりの頃、あたしに特別よくしてくれたお方がいましてね。不義理して今まで墓参りに行ってなかったのを思い出したんですよ。」
 話す間も、メモの手は止まらない。
「あの頃はあたしにも苦手がありましてね。その苦手教科をクリアできたのも、その恩師のおかげで。」
「へえ、ハンニバルにも苦手なんてあったんだ。」
「今じゃむしろ得意になりましたよ。はい、これ、よろしく。」
 ピッと渡されたメモに目を落とし、フェイスマンの眉間に皺が寄った。墓参り用品(花束とか故人の好きだった酒とか)が書かれているのかと思えば、さにあらず。『防寒コート、防寒手袋、防寒シャツ、防寒帽子、防寒ズボン、防寒ブーツ、方位磁針、世界地図、モンキー』……モンキー? それって、H.M.マードックのことか?
「これ、モンキーはともかく、現地調達じゃいけないわけ?」
「ああ、現地じゃ手に入らないかもしれないんでね。」
「……で、どこまで墓参りに行く気なの? 近場じゃないよね?」
 近場に行くのに、世界地図は必要ない。道中の暇潰し用でもない限りは。
「生まれ故郷に埋葬されたって話なんで、その故郷まで。」
「それ、どこ? カナダ? 北の方だよね、防寒着が必要ってんなら。」
「ああ、まあ、そんなとこだ。お前も行くか?」
「だから、どこなのよ、それ?」
「ん? モンゴル。コング、お前もモンゴル行くか?」
「何をっ!」
 いきなりコングが立ち上がった。モンゴルと言えば、今、TV番組で言っていたように、美味い牛乳があり、乳製品飲み食いし放題の国(コングのTVから得た知識によれば)。牛乳愛好家のコングとしては、モンゴルの牛乳を飲まずして牛乳は語れまい、という気分になっている今この時。しかし。モンゴルに行くには飛行機に乗らなくてはならないだろう。船で行く、というチョイスは与えてくれまい、ハンニバルのことだから。心の葛藤が続く。コングはドスンとソファに腰を下ろし、頭を抱えた。
「悩んでる悩んでる。」
 ハンニバルがクククと笑った。釣られてフェイスマンも口角を上げる。
「なあ、コング、モンゴルの牛乳は我が国に輸入されてないだろうなあ。」
「ああ、聞いたこともねえ。」
「殺菌も調整もされていない、搾り立ての牛乳なんだろうなあ。」
「ああ、牛の乳、そのまんまだ。」
「さぞかし美味しいんでしょうねえ、モンゴルの牛乳。」
「ああ、美味そうだったぜ。」
「モンゴルに行く機会なんて、そうそうありませんよ。」
「……よし、俺も行くぜ!」
 それを聞いて、ハンニバルがニッカリと笑った。
「ただし、あのイカレポンチが操縦する飛行機にゃあ、絶っっ対に乗んねえからな。」
「同行するぐらいならいいんじゃないかな? 奴さん、最近、牛が大好きなようでねえ。」
「おう、そんぐらいなら許してやろうじゃねえか。」
「というわけで、フェイス、人数分の防寒着をよろしく。あと、モンキーご本人も。」
「はいはい。じゃ早速、調達に行ってくるんで、仕事の続き頼んだよ、コング。」
 微妙な表情のまま、コングがコクリと頷いた。まだ心に迷いがあるようだ。そして、ハンニバルの方には、ひとかけらの迷いもない。それでこそハンニバル。いつの間にかフェイスマンのコーヒーを飲んでるけど。



 チャンチャカチャカチャカ、チャンチャカチャカチャカ、チャンチャカチャカチャカチャーン、ジャーン! チャンチャカチャカチャカ、チャンチャカチャカチャカ、チャンチャカチャンチャカチャーン、ジャーン!
 ビゼー作曲『カルメン/序曲』が鳴り響くここは、陸軍退役軍人病院精神科の一室。どこで手に入れたんだか、きらびやかな闘牛士の服(本物)を着たマードックが、赤い布を片手に、ひらりひらりと飛び跳ねている。もう片手には、新聞紙を丸めた棒。刃物は院内持ち込み禁止なもので。
 対する闘牛は、天井からぶらんと吊り下げられている。牛の形はしているものの、それはどう見てもピニャータ。ラテン系の人々の間で、祭の時にぶっ叩かれているやつだ。上手くピニャータを割った者は、中に入っている菓子類や果物・玩具を貰うことができる。
 ベシッ。闘牛を新聞紙でぶっ叩く闘牛士。しかし、闘牛は大きく揺れるのみで、割れる気配などない。ベシッ。バイーン。ベシッ。バイーン。たまに闘牛の反撃を受けることもあるが、その攻撃を軽やかにかわす闘牛士。が、ベッドのパイプに脛を打ちつけたりもして、なかなかに危険だ。
 一方、病院の受付には、物腰の柔らかい青年(?)を先頭に、子供たちがワイワイガヤガヤと集っていた。
「ええ? 聞いていないんですか? 困ったなあ……。」
 青年は、各地の病院を回り、慰安として子供たちの劇を見せているのだと言う。今日はここの病院で劇を演じるはずだったのに、病院側にはその連絡が入っていない、という状況である。
 その時、パントマイムホースならぬパントマイム子牛が、子供たちの群れから離れて走り出した。階段を登り、どこかへと。
「こらこら! どこ行くんだ!」
 子供たちを統率している青年も、その後を追って走り出した。小さな被りものの牛(2人1組)とエプロン姿の青年の追いかけっこに、精神科の患者たちは思い思いの反応を示していた。一緒になって走る者、拝む者、死んだ振りをする者、泣き喚く者、ゴミ袋の中に閉じ篭もる者、すべての反応を停止する者、一言で言えば「病状悪化」である。
「待ちなさーい!」
 このどさくさに紛れて、青年が一室の鍵を針金で開けた。躍り出てくる闘牛士。小脇にピニャータを抱えて。反対の小脇には小型カセットデッキを抱えて。
 大音響で響きまくる『カルメン/序曲』。逃げ回るパントマイム子牛。その後を追う闘牛士。更にその後を追う子守りの青年。その後に続く精神病患者たち。と、患者を追う医師たち。
 その一行は病院の玄関から出て、今や庭を走り回っていた。一行からするりと外れ、闘牛士と子守りの青年は正門脇に停まっていた紺色のバンに乗り込んだ。子供たちを置いて発車するバン。
「ガキども、あのまんまでいいのか?」
 運転席からコングが尋ねた。
「いいのいいの。現地解散って言ってあるから。みんな近所の子だし、自力で帰れるでしょ。」
 近辺で遊んでいた子供たちをチロルチョコ1個ずつでスカウトした子守りが、エプロンを外しながら答えた。
「今日はどんなお仕事?」
 カセットデッキの停止ボタンを押し、闘牛士はピニャータを膝に乗せた。
「仕事じゃなくて、墓参り。」
 助手席のハンニバルが、闘牛士に地図と方位磁針を投げて寄越した。
「調べによれば、目的地は北緯46.5度、東経110.5度辺りだそうだ。」
 ジョン・スミス大佐、律義にも電話で軍に墓の位置を問い合わせたのだ。
「ハンニバル、そんな数字じゃなくて、住所とか……あるわけないよね、ははっ。」
 マードックが開いた世界地図を覗き込んだフェイスマンは、殺風景でざっくばらんなページを目にして、後悔し始めていた。地図に文字が少なすぎるのだ。編集者が手を抜いたとしか思えない。
「えー、ともかく、トーキョー経由でウランバートル、そこから電車で最寄の駅まで行って、そこから車か馬で。」
 ロサンゼルスの位置から、空路を表す青線を辿り、鉄道を表す赤線を辿り、フェイスマンが大雑把なプランを告げる。
「飛行機で行っていいわけ? コングちゃん、大丈夫?」
「今回は民間飛行機で行くからな。モンキー、お前ェの出番はねえぜ。ハンニバル、できるだけ揺れない飛行機で頼むぜ。」
「ああ、できるだけ揺れないやつを選びましょう。モンキー旅客会社っていう、ね。」
「何っ?」
 コングがブレーキを踏んだ。それと同時に、フェイスマンがコングの項に睡眠薬の注射器を突き立てた。チュ〜。コングは拳を振り上げ……そのポーズのまま眠ってしまった。
 ハンニバルはコングの腕をぐいっと下ろすと、ニカッと笑った。
「じゃ、モンキー、現地直行ってことで。」
「了解っ!」
 闘牛士は、ピニャータの牛の前足を掲げて敬礼した。



 現地直行とは言え、あまりにも適当な場所に着陸して迷子になる可能性もあったので、ロサンゼルスの小規模飛行場で飛行機を拝借したAチームは、ウランバートル近郊に無断で降り立った。食料も揃えておきたいし、墓に供える花束や故人の好物も買っておきたいし。
 巨大なピニャータを引き摺った一行は、換金の後、ウランバートル市街地で途方に暮れた。1980年代のウランバートルは経済の自由化前。店は国営のものばかりだ。店頭にはろくに品がなく、店全体が何だか薄暗い。そして、町に人影はまばらで、英語は通じず、その上、気温は低い。現在の気温、零下12度(摂氏換算)。
 しかし、難攻不落の、いや違った、神出鬼没の不可能を可能にするAチームには、そのくらい屁でもなかった。防寒着はバッチリ着込んでるし。それも、できるだけオシャレなものを選んだし。
 そんなわけで、彩度・明度ともに低いウランバートルの町で、Aチームはやけに目立っていた。ピニャータになってしまっている爆睡中のコングちゃん(with カラフルなクレープペーパーとカラフルなリボン)だけでも派手派手で十分に目立っているのに加え、残り3名の防寒着たるや、メタリックな原色。……それって、オシャレか?
「フェイス、これじゃ埒が開かん。通訳を1人、調達してきてくれ。」
 メタリックレッドのコートと赤い手袋に黄色いマフラーを巻いたハンニバルが、メタリックブルーのコートと青い手袋に赤いマフラーを巻いたフェイスマンに命令した。
「オッケ、できるだけ可愛い子がいいよね。」
 いや、英語ができれば誰でもいいですよ、という言葉を飲み込む、優しい上官ハンニバル。
「地図によると、こっから鉄道でウンドルハンに出るか、サインシャンダに出るかなんだけど、大佐、どっちがいいと思う? オイラの目測じゃ、ちょうど間ぐらいなんよね。」
 メタリックイエローのコートと黄色い手袋に青いマフラーを巻き、赤い布をマント風に巻いて、牛のピニャータとカセットデッキを抱えたマードックが、しゃがんで、地面に置いた地図を見つめながら言った。
「通訳が来れば、どっちがいいか教えてくれるでしょ。」



 知らない国で困った時には、アメリカ大使館に行けばいい。フェイスマンはそんなアバウトな信条を持っていた。だが、知らない国で大使館まで行き着くのは、結構大変だ。前もって調べてあった場合を除き。
「英語できる人、いませんかー?」
 人通りの多めな道で、フェイスマンはそう呼びかけた。
「多少ならできるぞ。」
 すぐに返事があった。声の方を振り返るフェイスマン。男の声だったので、全く期待せずに。案の定、呼びかけに応えてくれたのは、浅黒い肌をした中年男であった。
「英語の通訳を探してるんですけど。できれば可愛い女の子で。でなければ、アメリカ大使館の場所を教えて下さい。」
「大使館の場所は知らないなあ。だけど、私が言うのも何だが、うちの娘、可愛いぞ。英語も達者だ。」
「是非、紹介して下さい、お父さん!」
「じゃあ早速、我が家に招待しよう。私は今、仕事中なんだが、今日は早退することにするよ。」
 モンゴルの人たちは、とにかく親切なのである。



 親切な中年男、ホルホイ氏の家に招待されたAチーム一行は、温かいお茶でもてなされていた。暖かい部屋に、温かいお茶。ほっと休まる一時。冷え切っていた顔や指先が痒い。
「こんにちは、アメリカからお越しの皆さん。」
 そう言ってリビングに入ってきたのは、ホルホイの娘、オドンチメグ。可愛いかどうか判断の難しいアジア系。父親に似て浅黒く艶やかな頬、ぱっちりとした黒い瞳、濃い睫毛。……恐らく美人なのだろう。しかし、小柄な上に、体の凹凸にも乏しい。
「あの、お父さん、失礼ですが、お嬢さんはおいくつで?」
「あー、お前いくつになったっけか?」
「15歳よ。」
 こりゃいくら可愛かったとしても、美人だったとしても、手を出してはまずい年齢だ。
「そんな小さな子を通訳として雇うのは……。」
 フェイスマンがモゴモゴと言った。
「雇うんじゃなくて、お手伝いをするだけよ。お金なんていらないわ。それに、皆さんと一緒にいれば、私の英語の勉強にもなるし。ちょうど学校も休みに入って暇だったところなの。」
 オドンチメグが流暢な英語で言う。
「でも僕たち、これからずっと東の方に行く予定なんで、君を連れていくわけには……。ねえ、お父さん?」
「ああ、別に構わんよ。君たちは、娘をかどわかしてどうこうするような悪人には見えないしね。少し変わっているようには見えるが……(小声)。2、3日で帰ってこられるんだろう? どこに行く予定なんだい?」
「ここ。」
 と、マードックが地図をテーブルの上に広げ、目的地の辺りを指差した。
「その辺りなら知ってる。弟がその辺りで遊牧してるんだ。ゲルに泊めてもらうのもいいかもしれん。お前も知ってるだろ、ノホイフー叔父さん。」
「ええ、牛と馬と羊を一杯飼ってる叔父さんよね。」
「牛!」
 マードックが目をキラキラとさせた。コングが起きていたら、コングもまた目をキラキラさせていたことだろう。
「よし、決まった。」
 今まで黙って茶を啜っていたハンニバルが口を開いた。
「お嬢さんには我々に同行してもらうとしよう。しかし、雇用法と労働基準法により、お嬢さんを通訳として雇って賃金を渡すわけにはいかんので、そうだな、通訳のお礼として、そのピニャータ(小)とカセットデッキを差し上げよう。いいな、モンキー。」
 頷くマードック。本物の牛がいるならピニャータの牛は必要ないし、カセットデッキがなくても自分で歌えばいいんだし。
 頷くオドンチメグ。アメリカ製のカセットデッキなんてステキだわ。あの牛っぽい派手な人形はいらないけど。
「そして、ホルホイさん、あんたにはそれ相当の紹介料をお支払いしよう。いいな、フェイス。」
 不承不承頷くフェイスマンと、ほくほくと頷くホルホイ。
「ただし、我々をきっちりと目的地まで連れていってくれ。頼んだぞ。」
 親子に向かって偉そうに言い放つハンニバル。頷く親子。商談成立。



 それから何時間もの後、花束と角砂糖を携えたAチームおよびホルホイの子オドンチメグは、目的地の最寄駅に降り立ち、貸し馬に乗って目的地に向かった。まだ起きないコングは、馬に括りつけてある。
「その恩師さんって変わってるね。角砂糖が好物だったの?」
 レンタル料の高い白馬に跨り、王子様の気分でフェイスマンが尋ねる。白馬の足がちょいと短いのが気にかかるが。
「ああ、角砂糖は大の好物だった。角砂糖のおかげで、あたしゃ奴さんに好かれたようなもんさ。考えてみれば、あたしよりも角砂糖が目当てだったんでしょうねえ……。」
 ハンニバルは遠い目をしながらも、器用に手綱を操った。
 そしてフェイスマンの脳内では、若かりし頃のハンニバル(20歳ぐらい?)とくだんの恩師(モンゴル生まれ)の妙な関係を怪しんでいた。2人の間を取り持つのは、角砂糖。うーん、謎は深まるばかり。
 しばらく行くと、白いゲルが見えた。ゲルとは、移動式のテントのようなものである。その周りに、寒そうにしている家畜の群れも見える。
「あれが叔父さんのゲルです。」
 民族衣装に身を包んだオドンチメグが、ゲルを指差した。
 ほどなくして、一行はノホイフー叔父さんのゲルに到着し、馬から下りた。心持ち、股関節がだるい。
「サインバイノー!」
 オドンチメグは馬から下りるなり、家畜の群れの間に叔父の姿を見つけ、駆け寄っていった。
「バイノーバイノー!」
 叔父も、オドンチメグの姿を見つけ、駆け寄ってくる。
 そんな2人の方を温かい眼差しで見つめる、Aチームの起きている3名。ちょっと目を離した隙に、コングが馬から落ち、目を覚ました。



 ゲルの中は、思ったよりも広く、暖かかった。再び温かいお茶でもてなされるAチーム一行。
「牛乳はどうした?」
 コングが唸った。それが目的なのだから。
「牛乳が飲めるのは夏の間だけよ。今の季節は無理。食べる草がないから、牛のお乳が出ないの。でも、夏の間に搾った牛乳で作ったチーズがあるわ。」
「……………………仕方ねえ、チーズを貰うぜ。」
 口では「仕方ない」と言ったコングだったが、その顔は決して「仕方ない」とは思っていない表情だった。口はヘの字だし、血管は浮きまくりだし、歯を食い縛っているし、眉間から鼻にかけては皺だらけだし、目には怒りと哀しみが渦巻いているし、目尻には涙が浮かんでいるし。
「夏に、また来ればいいわ。すごく美味しいのよ、搾り立ての牛乳。」
「ああ、すんげえ美味えって聞いたぜ。だーかーら、来たんだ。」
「そうだったの、ごめんなさいね。はい、チーズ。これも美味しいわよ。」
 コングは差し出された軟らかな塊を、期待もせずに口に入れた。が……。
「う……美味ェ……。こ、こりゃ……本当にチーズなのか?」
「ええ、まだ早い時期だから、チーズとしては若いけど、ミルキーでしょ。」
 クリームほど油っこくなく、ヨーグルトのように酸っぱくもなく、乳の旨味が濃縮されたような味わいだ。かと言って、コンデンスミルクのように甘すぎるわけでもない。一番近いのは、カッテージチーズにエバミルクを混ぜたものかもしれない。インド料理のパニールにも少し似ている。
「もっとくれ。」
 手を差し出すコングに、オドンチメグは大人びた笑みを見せ、チーズを器ごと渡した。
 他3名は、ノホイフー叔父さんに無言で渡された酒を味わった。オドンチメグによれば、牛乳を発酵させたものを何度も蒸留した酒だそうだ。かなりアルコール度数が高いのだが、ツンとした味ではなく、ほんわりとまろやかな口当たりと香りである。体が芯から温まる。
「ところでオドンチメグ、早速で悪いんだが、この近くにアリオンゲレルの墓ってのがないか、叔父さんに聞いてくれ。」
 空になった杯を返しながら、ハンニバルが言う。
「わかったわ。」
 オドンチメグはモンゴル語で叔父に尋ね、叔父は考え込むようにしながらも、それに答えた。
「墓ってほどのものじゃないけど、アリオンゲレルって掘ってある石碑みたいなのがあるって。ここから30分ぐらい早足で行ったとこだそうよ。あ、馬でね。」
 馬の早足で30分と言うと、結構遠い。でも、ある、とわかったのだし、場所もわかるのだから、これ幸いと行くしかない。
 更に、ノホイフー叔父が何事か発言した。
「叔父さんが案内してくれるって。すぐに出発する?」
「ああ、頼む。」
 早くしないと、日が暮れてしまうし、花束も萎れてしまうしな。



 コングとマードックを家畜番に残し、ハンニバルとフェイスマンそして墓の場所を知っているノホイフー叔父と通訳のオドンチメグは、墓参りに旅立った。
 馬を駆ること30分弱、石碑と言うには地味な石1つの前に、4人は到着した。
 厳かな面持ちでハンニバルは墓に花を供え、角砂糖を置き、黙祷した。少し離れた場所からそれを見つめる他3名。
「誰のお墓なの?」
「ハンニバルの恩師の墓なんだって。」
 オドンチメグが叔父に「恩師の墓だそうだ」とモンゴル語で伝えた。黙って頷く叔父。モンゴル相撲の恩師の墓なのだろうと誤解されてしまったが、まあハンニバルの体形からすれば、ゲフンゲフン。
 短い墓参りを終え、神妙な顔つきでハンニバルが3人に合流した。
「済まんな、こんな個人的な墓参りにつき合ってもらって。」
 珍しく殊勝なことを言うハンニバル。
「ところでハンニバル、何の恩師だったの、その人?」
 気になっていたことを遂に聞いたフェイスマン。
「人、じゃないんだがね。」
「人じゃない?」
 フェイスマンとオドンチメグが声を揃えた。
「馬なんだ、アリオンゲレル号って言う。……当時、あたしゃ乗馬なんざからっきしだったんだが、アリオンゲレル号がそれを克服させてくれましてねえ。あたしがとりあえずアリオンゲレル号にしがみついていれば、障害物でも何でも勝手にクリアしてくれて。おかげで今じゃどんな馬でも自由自在に乗れるようになったんですわ。ブリティッシュ・ウエスタン式も、モンゴル式も。ホントに感謝してますよ。リンチの奴に噛みついたり、鼻水をなすりつけたり、蹴り飛ばしたり、そんな楽しいこともしてくれましたっけ……。」
 しみじみとハンニバルが昔話をしている間、彼らの乗ってきた4頭の馬が墓に供えた角砂糖を貪っていたけれど、それに最初に気づいたのがノホイフー叔父1人だったため、他3名がそれを知る頃には、墓の前には角砂糖どころか花束までもなくなっていた。
「どうすんの、ハンニバル? 何もなくなっちゃったよ?」
「……ま、要は気持ちの問題ですよ。ありがとう、っていう、ね……。」
 貸し馬の首を撫でながら遠くを見つめるハンニバルを見て、フェイスマンは目頭を熱くした。自分もいつか、ハンニバルの墓の前に立ち、ありがとうと思うのだろうか、と。いや、あんまり思わないかもしれないな、と。



 4人がゲルのところに戻ってきた時、ノホイフー叔父のゲルと家畜は、大変なことになっていた。ゲルの皮がなくなっていて、骨組みだけが残り、家畜は散り散りばらばら。コングとマードックの姿も見えない。ノホイフー叔父はその惨状を見て、何事か唸り、悔しそうな素振りを見せた。
「フンビシとエネビシの仕業、ですって? それ、誰?(モンゴル語)」
 オドンチメグに事情を説明するノホイフー。その間、ハンニバルとフェイスマンは群れから離れていった家畜を、馬に乗ったまま集めていた。
「大佐〜っ!」
 ギャロップでこちらに向かってくる馬の上から、マードックが叫んだ。後ろに牛・馬・羊の群れを引き連れて。
「大変大変大変!」
「わかってる、大尉。落ち着いて事態を報告しろ。」
「えーと、イージーライダーが来て、家畜を蹴散らして、ゲルの皮を剥いでった。んで、コングちゃんが馬で追っかけて、オイラは家畜を集めてた。」
「……イージーライダー?」
 その単語の意味するところが咄嗟にはわからず、ハンニバルが尋ねる。
「そ、イージーライダーみたいなロングフォークのバイクに乗ってたんよ、奴ら。」
「ピーター・フォンダとデニス・ホッパーみたいに?」
 するっと主演俳優を挙げるフェイスマン。リバイバル上映かビデオで見たんだろうか。初映の時はベトナムにいたはずだ。
「そう、それそれ。民族衣装着てたけど。」
 モンゴルの民族衣装デールは、袖と裾が長く、立ち襟で、裏地に毛皮をつけることができ、厳寒で風吹きすさぶこの地に向いている。悪びれた若者たちが着ていてもおかしくはないが、バイクには向いてないんじゃないかなあ。
 因みに、現在の気温、零下18度(摂氏換算)。ゲルの皮なしの現状で、雪が降っていないのは幸いであるものの、この後、日が落ちれば更に気温は下がる。ゲルの皮を取り返さないことには、凍死する危険性もある。
「犯人が明らかになったわ。」
 オドンチメグが馬に乗ってやって来た。
「党の有力者、ムングバイヤーの息子、フンビシとエネビシの仕業なんですって。以前から、この一帯で、家畜を追い散らしたりゲルの皮を盗んだりしてるんで、無線で注意報が出ていたそうよ。」
「一体何でそんなことを?」
 と、フェイスマン。
「単に、遊びでやってるみたい。ほら、この国ってあまり娯楽がないから。有力者の息子だってことで、罰されることもないだろうし。」
 ふう、と溜息をつくオドンチメグ。
「あなたたちの国が羨ましいわ。」
 小さな声で彼女は言った。と、その時。
「済まねえ、見失った!」
 コングが戻ってきた。書き忘れていたが、コングは最早ピニャータの姿ではなく、上から下まで黒づくめの防寒着姿である。念のため。
「見失ったってえか、どう足掻いても追いつけねえってくらいに引き離されちまった。」
「バイクと馬じゃあねえ。それに、馬も競走馬じゃないし。」
 フェイスマンが、短足の白馬を見下ろして呟いた。
「ここの地形もさ、ロングフォーク向きじゃん? 曲がり角少なくて。」
 確かに、マードックの言う通り、曲がり角は少ない。と言うか、曲がり角なんてない。道自体ないんだから。
「オドンチメグ、叔父さんは奴らの居所を知ってるのか?」
 ハンニバルが尋ねた。
「ええ、知ってるみたいよ。『あいつらのゲル』がどうのこうの言ってたから。本宅はウランバートルだそうだけど。」
 ゲルは移動もできるが、そうしばしばは移動させない。ノホイフー叔父の知っている場所に、今も奴らがいることだろう。
「なら、奴らのバイクを超えるスピードは必要ない。そうじゃないか?」
 Aチームのリーダーは、部下の顔を見渡した。
「ゲルの皮を取り返しに行って、そいつらをとっちめてやることにしましょう。」
 そう言って、ハンニバルは馬に跨ったまま、葉巻に火を点けた。が、次の瞬間。火に驚いたフェイスマンの白馬が突然走り出し、フェイスマンはどこかへ行ってしまいましたとさ。



〈Aチームの作業テーマ曲、流れる。〉
 大岩を持ち上げるコング。よろよろとそれを運んでいく。
 枯れ木を集めるハンニバル。時折、顔を上げ、沈み行く太陽と夕陽に照らされた山々を見つめる。
 未だ群れに戻っていない家畜を集めるオドンチメグ。15歳とは思えぬ華麗な手綱捌きで、きびきびと馬を操って。
 群れに戻っておとなしくしている牛に対して赤い布を振る、闘牛士ルックのマードック。が、牛たちは赤い布に興奮することもなく、マードックを無視して体を寄せ合い、寒さに震えている。
 紙切れに、フンビシとエネビシのゲルへの地図を描くノホイフー。しかし、目印になるものがなさすぎて、困り果てる。腕組みをしてゲルの中を歩き回り、心を落ち着けるべく馬頭琴を弾く。
 髪を振り乱して、必死の思いで戻ってきたフェイスマン。馬から下りて、へたりと座り込む。
 どこからか鉄板を持ってきて、それを溶接するコング。アセチレントーチなんて、どこにあったんだ?
 どこからか車輪を持ってきて、車軸に嵌め込むハンニバル。車軸? 何の車軸?
 どこからか中華鍋を調達してきて、リストに消し線を引くフェイスマン。リスト? そんなの、いつ、どこで、誰が書いたんだ?
 戦闘用の馬具を選りすぐりの4頭の馬につけるマードック。ちょっと待て、そんな馬いたか? どう見てもそりゃサラブレッドだろ。
 泡風呂にゆったりと浸かりながらホーミーを歌うオドンチメグ。猫足の浴槽に、大理石のタイル。って、そりゃどこの家だ?
 逃げた家畜がすべて戻ってきたのを確認し、丸々と太った黒豚に餌をやるノホイフー。え? 黒豚? そんなん飼ってないだろ。
 投石器を積んだ4頭立てのチャリオットが完成し、額の汗を拭うAチームの面々。彼らの服装は、ロサンゼルス仕様。月明かりの下、バーベキュー大会が始まる。なぜか、ハンニバルの手には缶ビール(それもバドワイザー)が、コングの手にはア・グラス・オブ・ミルクが、フェイスマンの手にはドンペリが、マードックの手にはコークが握られている。
〈Aチームの作業テーマ曲、終わる。〉



 ダガダッ、ダガダッ、ダガダッ、ダガダッ!
 尋常ならぬ馬の足音に、フンビシとエネビシはゲルの外に飛び出した。
 と、その時、ブンッと風を切る音が聞こえ、飛んできた大石にゲルが潰された。
「な、何だっ?(モンゴル語、以下“モ”と略す。)」
 辺りを見回す暇もなく、ゲルが炎上し、兄弟2人は横っ飛びに逃げた。ゲル内のストーブの火が、骨組みと皮に燃え移ったのだ。非常に乾燥しているこの季節、火の回りは早い。2人は、ゲルのすぐ横に停めてあったバイクに跨り、エンジンをかけた。バイクにまで火が移ったら、大変なことになる。父親の金と権力にモノを言わせて、アメリカから取り寄せたハーレーなのに。
 だがしかし、再度、ブンッという音がしたかと思うと、大石がバイクのロングフォークを2台分とも押し潰した。バイクをスタートさせた直後の出来事だった。
「うわーっ!(モ)」
 前輪を失い、引っ繰り返る2台の大型バイク。それでも後輪は動き続けているので、たまったもんじゃない。ほうほうの態で逃げ惑うフンビシとエネビシ。
「そこまでだ、フンビシとエネビシ!(英語。以下“英”と略す。)」
「そこまでだ、フンビシとエネビシ!(モ)」
 チャリオットの上からハンニバルが言い、その横の馬上からオドンチメグが通訳する。
「これに懲りたら、家畜を追い散らしたり、ゲルの皮を盗んだりするのをやめ、即刻、ゲルの皮を返し、被害者に謝罪して回るんだな。(英)」
「同上(モ)」
「何だと? てめえら何モンだ!(モ)」
「同上(英)」
「俺たちは、強きを助け、弱きを挫く、(英)」
「ハンニバルさん、逆です、逆。(英・小声)」
「俺たちは、弱きを挫き、強きを助く、(英)」
「そうじゃなくって。(英・小声)」
「俺たちは、弱きを助け、強きを挫く、(英)」
「同上(モ)」
「神出鬼没で百鬼夜行のキワモノ、(英)」
「……何か違うと思います、2箇所ぐらい。(英・小声)」
「神出鬼没で百戦練磨のツワモノ、(英)」
「同上(モ)」
「人呼んで、特攻野郎Aチーム!(英)」
「同上(モ)」
「それがどうした?(モ)」
「同上(英)」
「あ、知らない?(英)」
「ええ、知りませんけど、何なんです?(英)」
 Aチームが何なのか、説明するハンニバル。それを聞きつつ、フンビシとエネビシに通訳してやるオドンチメグ。彼女の説明を、結構真面目に聞く兄弟。ハンニバルは、オドンチメグやフンビシとエネビシに促されて、Aチームのベトナムでの戦歴や、隠密行動(?)に出るようになってからの作戦の数々を語る羽目になってしまった。それも、兄弟のゲルの残骸で作った焚き火に当たりながら。
 その間に、炎上したゲルの裏手に隠してあった盗品(ゲルの皮)数枚を発見したAチーム部下一同は、皮を引き摺りつつ馬に乗ってノホイフー叔父のところへ戻り、叔父のゲルに皮を被せるのを手伝うと、叔父と共に、残りの皮を元の持ち主のところへ配って回ったのだった。



 すっかりと話を終えたハンニバル。これでフンビシとエネビシも反省しておとなしく縛につくかと思いきや。
「なかなか面白い話だったが、無敵のAチームとやらも、人質を取られては手も足も出せまい!(モ)」
 フンビシがオドンチメグを片腕で抱き寄せ、残る手で焚き火から燃え盛る木切れを取った。炎をオドンチメグの顔に近づける。それでも彼女は、気丈にも通訳を続けるのであった。叫び声一つ上げることなく。
「Aチームと言っても、今、お前は1人っきりで、仲間の姿も見えやしねえ。さあ、どうするよ?(モ)」
 エネビシは火の点いていない木片を構え、焚き火を飛び越すと、ハンニバルに一撃食らわそうと大きく振り被った。だが、素人の攻撃を素直に食らうハンニバルではない。がら空きのボディに防寒ブーツキック。しかし、モコモコのブーツにモコモコの民族衣装では、ダメージが少ない。
「おっと、余計な真似はしない方が、この子のためだぜ。(モ)」
 ジリジリと炎をオドンチメグの顔に近づけていくフンビシ。髪がチリチリと焼け、嫌な臭いがハンニバルの鼻にも届いた。構えた手を下ろすハンニバル。ニヤリと笑って、木片を振り上げるエネビシ。
 と、その時。
 ヒュンッとロープが飛んできてエネビシの腕を捕らえると、そのロープに引かれたエネビシは地面に倒れ、そのまま闇の中に引き摺られていった。「うわーっ!(モ)」という声が、次第に消えていく。
「何だっ?(モ)」
 気を取られたフンビシの手に、回し蹴りを決めるハンニバル。炎を上げる木切れは、フンビシの手から弾き飛ばされ、地面に転がった。その隙に、オドンチメグはフンビシの顎に頭突きを食らわすと、顔面に裏拳をお見舞いし、するりと逃げ出した。
 そこへ、再びロープがヒュンッと飛んできて、フンビシの体を拘束する。
「うわーっ!(モ)」
 フンビシは、エネビシ同様、地面に引き倒され、闇の中へと引き摺られていった。
「大丈夫か?」
 ハンニバルは、くず折れたオドンチメグの脇に跪き、肩に手をかけた。
「大丈夫、少し髪が焼けただけ。」
 立ち上がるオドンチメグに、ハンニバルは手を貸した。ふらりとよろけ、ハンニバルの胸(と腹)にポスンと倒れ込むオドンチメグ。
「……頭突きって、痛いものなのね。」
 そう言って、彼女は頭頂を摩りながら、15歳らしくエヘヘと笑った。
「おーい、ハンニバルーっ!」
「遅くなってゴメーン!」
「俺様の投げ縄、見てくれたー?」
 部下3名の声と馬の足音が近づいてきて、焚き火の明かりの中にAチーム全員が集合した。彼らの後ろには、引き摺り回されてぐったりとしているフンビシとエネビシの姿も見える。
「どうする、これ?」
 後ろを見遣って、フェイスマンがハンニバルに尋ねた。
「どうしてやろうかしらねえ……。そうだ、モンキー。お前に任せるとしましょ。」
「オイラに?」
 一瞬、怪訝な表情を見せたマードックだったが、ハンニバルのニッカリと笑った顔を見て、その意を解し、彼もまたニッカリと笑った。オドンチメグだけは、ハンニバルとマードックの何か企んでいるに違いない笑顔を見て、不思議そうにしていた。



 翌朝、ウランバートル中心部にある党本部前には、2本の街路樹の間に特大のピニャータが吊り下げられていた。その街路樹の1本には、ピニャータについての説明をモンゴル語で記した看板まで括りつけられている。
『メキシコなどラテン系の国では、祭事にこのピニャータが欠かせません。ピニャータは悪魔の化身であり、それを棒で叩くことによって、悪を退け幸を願うのです。1人3回だけ棒を振るうことができ、見事ピニャータを割った人は、中に入っているお菓子・玩具・果物を得ることができます。また、イタリアなど欧州の国々では、復活祭の前に、土鍋の中に贈り物を入れて隣人に渡す風習があり、その土鍋を割ることから、ピニャータが生まれたとも言われています。』
 当然、派手にデコレートされたピニャータの周りには、人だかりができていた。人々はその説明を読み、誰からともなくピニャータを棒で叩き始めた。ちゃんと順番に、1人3打ずつ。
 そして、人々の歓声の中、見事ピニャータは割れ、中からドタッと落ちてきたのは、菓子類などではなく、ロープで縛られ猿轡を噛まされたフンビシとエネビシだった。遅れて、ヒラリと1枚の紙が舞い落ちる。その紙には、モンゴル語で大きくこう書かれていた。
『家畜を追い散らし、ゲルの皮を盗んで回る常習犯、ムングバイヤーの子フンビシとエネビシ。』
 ピニャータの周りに集まっていた人々は、それを読み、2人の若者と党本部の建物とを交互に見るのだった。



 ウランバートル発トーキョー行きの飛行機の中では、徹夜でピニャータを作ったマードックが、ぐーすか爆睡中。その横の座席には、コング大のピニャータが。
 通路を隔てた席では、フェイスマンが、ノホイフー叔父さんからお礼にと貰った大量の羊毛をどうやって高値で売り捌くかを算段中。ニマニマと電卓を叩いて、獲らぬ狸の皮算用に余念がない。その隣の席では、久し振りに馬に乗ったことによる筋肉痛が今頃現れてきたハンニバルが、無言で痛みを押し隠しながら、アリオンゲレル号の思い出に浸っている振りをしていた。
【おしまい】
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