湖畔の奮闘 ケーキ屋を救え!
伊達 梶乃
「さーあ、マードックスさん、解答者は遂にあなた1人となってしまいました! 次が最後の問題です! これまで全問正解で来たあなたには、この最後の問題に挑戦しなくても、スポンサーから素晴らしい賞品が贈られます。しかし、最後の問題に挑戦し、見事正解すれば!」
 ジャジャーン。音楽が鳴り、スポットライトがカーテンに当たったかと思うと、そのカーテンがシャッと開いた。果たして、その向こうには。
『?』と書かれた箱が1つ。
「ああっ、これはーっ!」
 司会兼進行役が絶叫した。
「今回の賞品はシークレット・ボックスです! ご存知ですか、マードックスさん?」
 解答席に1人だけ残った、ブレザーに蝶ネクタイ姿のマードックス(微妙に偽名)は、一瞬、宙を見つめて、それから真剣な眼差しで口を開いた。
「ええ、知っています。この番組が始まって5年になりますが、過去に2回だけシークレット・ボックスが登場しました。」
「その時の賞品が何だったか、覚えていらっしゃいますか?」
「確か……そう、1回目はフロリダの別荘、土地つき。そして、2回目はハリウッド映画に脇役として出演する権利、でしたか。」
 目を細めてそう言うと、マードックス氏(念のため、本名H.M.マードック)は蝶ネクタイに手をやった。別に、この蝶ネクタイに小細工がしてあるわけではない。ただ何となく気分を落ち着かせるために。
「その通りです、マードックスさん。何という記憶力でしょう。今回、第3回目のシークレット・ボックスですが、以前と同様、最後の問題にマードックスさんが正解しない限り、賞品が何だかはわかりません。私にも知らされておりません。しかし、第1回目、第2回目の賞品を考えれば、それに匹敵するものだろうと予測できます。今回は飛行機に関する特集ですしね。」
 クイズ番組の観客席がざわつく。
「しかし、最後の問題に挑戦し、不正解だった場合には、スポンサーからの素晴らしい賞品を受け取る権利さえ失い、番組スタッフから、そんなに素晴らしくはない賞品が贈られます。……マードックスさん、最後の問題に挑戦しますか? それとも、ここで引き下がりますか?」
「挑戦します。」
 おおっ、という声が上がる。
「よろしい。……では、最後の問題!」
 司会者がオーバーアクションを見せると、機械的な女性の声が響いた。
「ファイナル・クエスチョン。ライト兄弟は数々の特許を持っていますが、特許番号1523989は何に関する特許でしょうか。」
 マードックス氏は困った表情を見せた。まるで、飛行機そのもののことは知っているけど、特許のことまでは知らないよ、といった風な。
「どうでしょう、マードックスさん?」
「……はっきり言って、自信はありませんね。1906年の『飛行機械、構造とデザイン』は特許番号が821393ですから、1523989となるとかなり後期のものではないかと見当がつくんですが……。」
 観客席から、おおー、と声が上がる。
「それをご存知なだけでも、大したものです。……さあ、ではマードックスさん、お答えをっ、どうぞー!」
 会場が静寂に包まれた。
「……『飛行機、分離フラップ』?」
 一瞬の間があった。そして。
 ブー。
 非情なブザーが鳴った。不正解だったようだ。観客席の気落ち具合に負けないくらいに肩を落とした司会者が解説をする。
「残念です、マードックスさん。正解は『玩具』。『物体を空中に飛ばし、揺れる棒に当てて引っかけるタイプの玩具』です。」
 項垂れていたマードックスは、哀しそうな微笑を浮かべた顔を上げた。
「すっかり失念していました。」
 その清々しく潔い姿に、観客席から拍手が湧いた。
「本当に残念です、マードックスさん。会場の皆さん、マードックスさんに一際大きな拍手を。……では、また来週!」



「……というわけなんよ。」
 ビデオデッキからテープを抜き取り、マードックはソファにふんぞり返っている2名、ハンニバルとコングの顔を見た。2人の間のローテーブルには、クイズ番組のスタッフからの、そんなに素晴らしくはない賞品、板チョコ1年分が積まれている。その板チョコの数や、365枚。1日1枚計算だ。そして、その板チョコは、1枚半パウンズ。トータルで182.5パウンズ。大の大人1人分の体重ぐらい。これがGディバのチョコなら「素晴らしい賞品」かもしれない。しかし、ごくプレーンなミルクチョコ。それも、非常に甘いことで有名なやつ。まさに「そんなに素晴らしくない賞品」。決して「素晴らしくない賞品」ではないのだが。
「俺っちだけじゃこんなに食えないから、大佐とコングちゃんも手伝って。」
 そりゃ、1人でこれ全部食ったら体壊すわ。1年かけて食べたとしても。
「そう言われてもねえ、あたしゃ甘いもんは得意じゃなくて。」
 続けてハンニバルは「腹も出るし」と小声で呟いたが、2名の部下は聞かなかった振りをした。
「こんなもん、孤児院の奴らに配ってくりゃいいだろ。大喜びされるぜ。」
 ここんとこ孤児院にも顔出してなかったしな、と思って、ボランティアー・コングは提案した。この地区の孤児院にゃまだ行ったことがねえし、一丁、挨拶しておくのもいいか、と。
 他に意見があるわけもなく、コングとマードック、早速孤児院へ。板チョコ365枚を持って。



 その頃、フェイスマンはと言えば、お買い物の真っ最中。いや、目的の買い物は終えた。コルベットのオープンカーに茶色い紙袋を乗せて、低速で帰途に就いていたところ。
『大特価! 大安売り!』という文字を見つけ、フェイスマンはブレーキを踏んだ。見逃してはならないフレーズだ。問題は、何が、だ。それから、いくら、というのも、もちろん大事である。路肩に車を停め、フェイスマンは「何が」と「いくら」を確かめに車を降りた。
 大特価で大安売りだったもの、それはチョコレート。20パウンズ(約9キログラム)の焦茶の塊は、あまりチョコレートには見えなかったが、その横には白い塊や茶色い塊もあり、そう思って見てみれば、チョコレートに見えなくもなかった。
 20パウンズのチョコレート、それが何と、2ドルである。……食べられるチョコの値段じゃないぞ、それ。
 畳みかけるように大書された『お1人様1点限り』。加えて、『本日限り』。別に、今とても欲しいわけじゃないけど(むしろ不要)、もし今、買わなかったら、明日、後悔するかもしれない。たった2ドルだ。今日、既にスーパーマーケットでクーポン券を使って6ドル強も浮かせたのだから、予定外の出費が2ドルあってもいいはずだ。それに、ハンニバルは甘いものが苦手だけど、甘さを抑えたクラシックショコラは好きだったはず。コングも、牛乳ばっかりじゃなく、たまにはミルクたっぷりのアイスココアを飲んでもいいだろう。フェイスマンの目の裏に、2人の笑顔が浮かぶ。
「済いませーん、これ、1つ。」
 寂れた店の奥に、高らかに呼びかけるフェイスマンであった。



「ほら、これ見て! すっごいチョコだよね、これで2ドルだよ、安いと思わない? ベネズエラ製の高級品なんだって。」
 アジト(なぜか空き家だった一軒家)に帰り着くなり、フェイスマンは戦利品(?)を見せびらかした。が、ハンニバルは困ったような怒ったような微妙な表情。
「確かに安いがなあ……。」
 葉巻を捏ねくるハンニバルの視線の先に目をやると、リビングのソファに打ちひしがれるコングとマードックの姿が。2人して、がっくりと肩を落としている。その2人の間には、360枚の板チョコの山。
「何、あれ?」
「素っ気ない板チョコ1年分、弱。モンキーがクイズ番組で獲ってきた。」
「孤児院の子に配ってあげれば喜ばれるんじゃない?」
 そう言うフェイスマンを、ハンニバルは「シッ」と人差し指を立てて制した。
「今、それを言っちゃいかん。」



〈回想シーン、始まる。〉
 リヤカーに板チョコ1年分を乗せて、えっちらおっちらと孤児院の前までやって来たコングとマードック。この後、子供たちがチョコレートに群がってきて、満面の笑顔でチョコレートを頬張って……というのを期待していたのだが。
「せっかく持ってきていただいたのに、済みません。」
 孤児院の院長は、心から申し訳なさそうに言ったのだった。
「『子供たちを肥満から守ろう』という動きがありまして、おやつの量を厳しく管理されているんですよ。三度の食事も、栄養バランスの取れた理想的なものであれ、と。おやつを含めた献立すべてを市に提出しないことには、補助金が下りなくなりましてね……。」
 そう言われて周りを見てみれば、子供たちの血色が何となくいいような。しかし、職員の目の下には隈ができているような。
「ですから、お気持ちだけ、ありがたくいただいておきます。」
 そういう事情であれば、無理を言ってチョコレートを押しつけるわけにも行かず、職員用にとチョコレートを5枚だけ置いて、コングとマードックは来た道を戻ったのであった。
〈回想シーン、終わる。〉



「というわけで、今、我々にチョコレートは不要だ。それは店に返してこい。」
 仕方なくフェイスマンは、20パウンズのチョコレート塊を抱えて車に戻った。
 コルベットのシートに着き、チョコを助手席に乗せ、エンジンをかけたその時、電話が鳴った。
「はい?」
『フェイス? あたしよ、あたし。』
 エンジェル、本名エイミー・アマンダー・アレンである。彼女は先日、アリゾナに嫁いでいき、今もまだアリゾナにいるはずなのに……?
『今ちょっといい?』
 よくなくても話し始めるのである。それがエンジェルというものだ。
『あたしの昔からの知り合いで、セシリアってのがいるんだけど、彼女から貰った手紙によると、今、彼女、困ったことになってるみたいなのよ。余裕があったら、手を貸してあげてくれないかしら?』
「場所は?」
『そんなに遠くないわ。バーバンクとサンフェルナンドの間にある、サンランドってとこ。』
 フェイスマンは膝の上に地図を開いた。
「フットヒル・フリーウェイをサンランド通りのとこで曲がればいい?」
『そう。で、サンランドの交叉点は通り越して、マウント・グリーソン通りを北上。』
「川と平行してるね。」
『その川と平行する手前に湖があって、その湖の北側にセシリアのケーキ屋があるわ。場所、わかった?』
「OK、わかった。でも、報酬、貰えそう?」
『多分、あんたたちが期待するような額は貰えないと思う。あたしが自腹切ろうにも、今は何かと物入りで余裕ないし。』
「それじゃあ、いくら近場って言っても請け負えないなあ。俺たち、慈善事業やってるわけじゃないんだし。」
『でもね、セシリア、プラチナブロンドよ。端役だったけど女優だったって話も聞いたことあるし。それに、今は独りぽっちで寂しい、なんて手紙に書いてあったわ。となれば、行くしかないんじゃない? フェイスとしては。』
「あのね、エンジェル。俺だって、趣味と仕事はちゃーんと分けて考えてんだからね。」
『はいはい。じゃあ行ってくれるのね?』
「考えときます。」
 受話器を置いたフェイスマンは、助手席のチョコレート塊をちらりと見た。ケーキ屋ならば、あり余ったチョコレートを相場の値段で買い取ってくれるかもしれない。もし相談に乗ってあげれば、相場にちょっと色をつけた値段で買い取ってくれるかもしれない。
 エンジンを止め、チョコレート塊を抱えて、アジトに戻っていくフェイスマンであった。



 くだんの湖の周りの車道をぐるりと回り、唯一のケーキ屋の前に降り立った、ハンニバル、フェイスマン、コング、マードック、そしてチョコレート合計200パウンズ。
 自然の木を活かしたカントリー調の店。店の前には鉢植えが並んでおり、ガラス窓の向こうにはケーキの冷蔵ケースといくつかのテーブル席が見える。Aチーム一同は、木枠にアンティークなガラスが嵌ったドアを開いた。カラン、とカウベルが来客を告げる。
「いらっしゃいませ。」
 冷蔵ケースの奥から、老婦人がにこやかに言った。
 店内を見回す一同。テーブル席に着いているのは、母子連れ1組と、地元の学生らしきカップル、それから買い物帰りの主婦らしき女性が1人。いずれもケーキを食べている。老婦人以外の店員の姿は見えない。
「エイミー・アマンダー・アレンに頼まれて来たんだが、セシリアという方はいらっしゃるかな?」
 ハンニバルが老婦人に向かって尋ねた。
「セシリアは私ですが……エイミーがあなたたちを?」
 目を丸くする老婦人=セシリア。確かに彼女の髪は、プラチナブロンドであった。白髪とも言うが。
 その瞬間、3人の仲間たちから力の籠もった本気の肘鉄を受け、フェイスマンは腹を押さえてセシリアの視界からフェイドアウトした。



「ええ、確かにエイミーには手紙を書きました。あの子、結婚したんですってね。そのお知らせの葉書が来たんですよ。その返事に近況を書いたんですが……。」
 セシリアはAチームに席を勧め、4人の前にお冷を置いた。
「ホットコーヒーとアイスコーヒーと牛乳とルートビア。」
 ハンニバルがメニューを見ずに注文する。
「ルートビアはないのよ、ごめんなさい。ソーダ水でいいかしら?」
「ソーダ水? アイス乗せてくれる?」
「ええ、もちろん。」
 店の奥にセシリアが引っ込むと、すぐにケーキを買い求める客が来て、セシリアはその対応に追われた。その後も、母子連れがオーダーを追加したりして、結構忙しそうだ。
「お婆ちゃん大変そうだから、オイラ、手伝いしてくる。」
 ただ座っているのにも退屈したマードックが席を立ち、店の奥に入っていった。
 ほどなくして、トレイの上にホットコーヒーとアイスコーヒーとクリームソーダと牛乳を乗せて、マードックが戻ってきた……が、口がもぐもぐしている。
「何食ってんだ、てめえ?」
「お婆ちゃんからブラウニーの端っこ貰った。美味いよ〜。」
「手伝い賃がブラウニーか。母親みたいだな。」
 ハンニバルがコーヒーを啜って、顔を綻ばせた。
「コーヒーも、心なしか懐かしい味だ。」
「そんな、ハンニバル、コーヒーに懐かしいも何もないって。気のせい気のせい。」
 ハンニバルを馬鹿にしながらもアイスコーヒーを一口啜ったフェイスマン、はっとした顔をして、もう一口啜り、目を閉じた。
「これ……ハイスクールん時に学校のカフェテリアで飲んだ味だ……。懐かしいなあ……。コニーとダイナが、どっちが俺に相応しいかって、取っ組み合いの喧嘩してたっけ……。」
「ほーら見なさい。」
 勝ち誇ったような顔をするハンニバル。
「あー、このクリームソーダ、5歳の夏、航空ショーの帰りにドライブインで飲んだわ……。」
 マードックも目を閉じて、嘘か本当か、記憶を思い起こす。
 コングも、牛乳のグラスを握って、目を閉じていた。
「その牛乳も懐かしい味だったか?」
 ハンニバルが尋ねると、コングは目をカッと開いて、首を横に振った。
「いんや。懐かしかぁねえ。ガキん時にゃ、こんな美味え牛乳、飲んだことなかったんでな。」
 グラスに残った牛乳を、クーッと口に含み、もぐもぐするコング。そして、ゴクンと飲み込む。濃くて、甘くて、それでいて生クリームのようなくどさはない。飲み込んだ後も、舌にえぐみや酸味は一切残らない。ふうっと吐いた鼻息に、太陽を一杯に浴びた子牛の匂いを感じる。
「いやあ、マジ美味えぜ。」
 コングはガタッと席を立った。
「おい、婆さん、もう1杯牛乳くれ!」
 こうして話は全然進んでいないのであった。



 日が落ちた後、閉店した店の中で、やっと落ち着いて腰を下ろしたセシリアがAチームの面々に事情を話していた。
 セシリア・ボイジーは、女学校を出てすぐには女優を目指し、いくつかのサイレント映画に端役として出演もしたが、彼女の美貌と快活な性格に惚れた実業家と結婚し、女優活動を断念した。その後、早くに夫を事故で亡くし、夫がよく釣りに来ていたこの湖のほとりに転居した。そして、かねてからの趣味であった菓子作りを活かして、この店を出した。
 エイミー(エンジェル)は、父親が釣り好きで、昔はよく家族でこの湖を訪れ、父親が釣りをしている間、この店で菓子を貪っていたのであったそうな。大人になってからも、彼女はしばしばセシリアの店の菓子を食べるために、この地へ足を運んでいたとのこと。
 因みに、セシリアの親戚は酪農業を営んでおり、牛乳はそこから届けてもらうものだとか。
 乳製品の美味さもさることながら、ケーキや焼き菓子も古きよきアメリカの素朴な味で、リピーターも多く、釣りもしないのにわざわざこの店にケーキを買いに来るエンジェルのような客も少なくない。
「で、困ったことってのは何なんだ?」
 依然としてコーヒー(何杯目?)を前にして、ハンニバルがセシリアに尋ねた。
「まず1つ目は、見ての通り、私1人で切り盛りしている状況だということです。少し前までは手伝ってくれるお嬢さんがいたんですが、急に来なくなってしまって。」
「じゃあ、アルバイト募集の張り紙をしておこう。頼んだぞ、フェイス。」
「え? まだ仕事を受けるかどうかも決めてないのに?」
 壁に飾ってあるセシリアの20代の頃の写真に見惚れていたフェイスマンが、顔をハンニバルの方に戻して訊いた。蛇足ながら、彼女は当時、ダークブロンドだったようだ。白黒写真なので、はっきりとは言えないが。
「張り紙ぐらい、仕事の依頼とは関係なく、ちゃちゃっとやっておしまいなさい。」
「はいはい。」
 渋々と手帳を開き、メモを取るフェイスマン。
「それで、2つ目は?」
「チョコレートシロップのことなんですの。製菓用チョコレートを10パウンズ注文したのに、チョコレートシロップ1000ガロンが届いてしまって。」
「1000ガロンも? そりゃまたどうして?」
 ハンニバルでさえも、目を丸くしてしまう。わかりやすい単位で言うと、10パウンズは4.5キログラム、1000ガロンは約3800リットル。
「わかりません。電話で問屋に問い合わせたんですが、間違いなくチョコレートシロップ1000ガロンの注文があった、と言って聞かないんです。」
 不満一杯といった表情で、セシリアが言う。
「電話で、口頭で注文したの?」
 フェイスマンが割って入った。この辺は、彼の割と得意な分野だ。金銭がかかわっていることだし。
「いいえ、毎月、製菓用食材卸の配達の方がカタログと用紙を持ってきてくれるので、その用紙に必要なものを書き込んで、次の配達の時に、その配達の方に渡すんです。」
「それじゃあ、その用紙を見れば……。」
「これです。食材卸の側のミスではない証拠として、配達の方がコピーを持ってきてくれました。」
 と、ファイルの間からセシリアは1枚の紙を取り出した。それを受け取り、端から端までじっくり読むフェイスマン。
「ちゃんと書いてある。チョコレートシロップ1000ガロン、1万5000ドルって。それに、商品到着時においての品質劣化以外、返品・交換は利かないっていうことも明記してある。」
「お恥ずかしい話、私、老眼がひどくて、細かい文字がよく見えないんです。日常生活にさほど支障はないんですけどね。」
 言われなくても、そうであることがわかる眼鏡の厚さ。それさえなければ、年は取っているにせよ、今でも十分美人なのに。華奢な体つきに、分厚いレンズのせいで目だけがやけに大きく見えて、まるで出目金のようだ。
 先刻、セシリアが見せてくれたエンジェルからの葉書が、葉書と呼ぶにはやけに大きく、尋常ならぬ大きさの文字で書かれていたのも、老眼を気遣ってのこと。エンジェルも、やろうと思えば、こういう細やかな心配りができるのである。普段はやろうとしないだけ。
「それじゃあ、この注文用紙を書いたのは?」
「ローラです。手伝いに来てくれていたお嬢さん。いつもカタログを読んでくれて、その中から私が、薄力粉を何パウンズと言って、書いてもらっていたんです。今までミス1つなくやっていたのに……。もちろん、私が間違ってチョコレートシロップ1000ガロンなんて言うはずもないし、私がチョコレート10パウンズと言ったのをローラが聞き間違えてチョコレートシロップ1000ガロンなんて書くはずもないし……。」
「じゃ、そのローラって子は、チョコレートシロップ1000ガロンが届いたことに責任を感じて辞めたわけ?」
「ローラが来なくなったのは、チョコレートシロップが届く前でしたわ。注文した後、届く前。」
「ってことは、ローラはわざとチョコレートシロップ1000ガロンって書いたのか?」
 冷蔵ケースの掃除をしながらコングが訊いた。
「何のために? お婆ちゃんを陥れるため?」
 床掃除をしながらマードックが尋ねる。
「ローラが? 私を?」
 セシリアが声を引っ繰り返した。
「それこそ、何のために? あの子、私のこと恨んでたのかしら……?」
「恨まれるようなことをしたのか?」
 訊くのも失礼なことを、さらりと訊くハンニバル。
「いいえ、全然。とても仲よくやっていて、私、子供がいないもんですから、彼女を娘のように思っていたくらいです。」
「ローラの住所、電話番号は?」
 尋ねるハンニバルに、セシリアはファイルから1枚の紙を取り出して渡した。
「ローラがうちに来た時の履歴書です。ケーキ作りが趣味なので、雇ってほしいって。」
 確かに、志望動機の欄にもそう書いてあるし、最終学歴もロサンゼルスの製菓学校になっている。
「ローラが来なくなった最初の日に、そこに書いてある番号を虫眼鏡で読んで、電話をかけてみたんですが、この電話番号は現在使われておりません、ということでした。」
「コング、掃除が終わったら、この住所、当たってみてくれ。」
「おし、わかった。」
「フェイス、お前は履歴書の顔写真を持って、聞き込みだ。」
「オッケ。」
「モンキー、お前はセシリアの手伝いだ。」
「任しとき!」
「十中八九、このローラってのが鍵を握ってる……。」
 真剣な顔でハンニバルが言い、部下3名も真剣な顔で頷いた。



〈Aチームの作業テーマ曲、かかる。〉
 メモを手に、朽ちかけた建物を見上げるコング。辺りは薄暗くなってきているというのに、窓に明かりは灯っていない。
 写真を手に、聞き込みをするフェイスマン。〈『太陽にほえろ!』のテーマ曲、被る。〉しかし、近隣は空き家ばかりで、仕方なく車に乗ってサンランドの町まで足を伸ばす。
 明日のためにケーキの仕込みをするマードック。一遍にいくつものケーキを並行して作っているので、どれが何かわからなくなり、夕飯を作っているセシリアと交代する。
 なじかは知らねど、湖の周りをジョギングするハンニバル。
〈Aチームの作業テーマ曲、終わる。〉



 数時間後、とっぷりと日も暮れ、Aチーム一同はケーキ屋の裏、セシリアの家のテラスで夕飯をご馳走になっていた。
「あり合わせのものでごめんなさい。それに、量も足りないかもしれないわ。」
 手作りパンが籠に山と盛られているが、既にコングがかなりのハイペースでバターを塗っては口に放り込んでいるので、山がなくなるのも時間の問題であろう。
「そのパンの生地、オイラが捏ねたんよ。ふかふかでしょ。それね、イースト入ってなくてね……。」
「やかましいぜ、アホンダラ。美味けりゃ何だっていいだろが。ごちゃごちゃ言うんじゃねえ。」
 その横では、フェイスマンが豆とチーズと茹で野菜のサラダを黙々と食べていた。何を思い出しているのか、目が微かに潤んでいる。
「欠食児童の皆様方、報告は?」
 チキンの腿肉を片手にハンニバルが言うと、コングとフェイスマンは、はっとして手を止めた。が、まだ口は動いている。
「ローラの書いた住所、空き地だったぜ。建物すらなかった。」
 まずは、パンをうっくんと飲み込んだコングが報告。
「まあ……。」
 セシリアが、冷製トマトスープを口許まで運んで、そのまま固まった。
「何であの子、嘘の住所なんて……。」
「住所も電話番号もでっち上げってことは、名前も本名とは限らんな。」
 ハンニバルがガブリとチキンに齧りつく。チキンからピュッと飛んだ肉汁がフェイスマンの顔にかかったが、ハンニバルはそれに気づいていないようだったので、フェイスマンはムッとした顔で頬をナプキンで拭いつつ、口を開いた。
「この近辺とサンランドの町で聞き込みしたところ、この写真の女性、一応『ローラ』ってことにしとくけど、ここのケーキ屋で働いていたって証言しか得られなかった。その他には全く証言なし。ってことは、この界隈の住民じゃないってことじゃない? 明日、もう少し範囲を広げて調べてみる。」
「念のため、電話でいいから、製菓学校にも当たってみてくれ。」
「了解。」
「で、セシリア、あれがチョコレートシロップか?」
 テラス脇に積み上げてある段ボール箱をチキンで指して、ハンニバルが尋ねる。
「ええ。10ガロンのタンクが100個。こんな場所に置いておくのも気が引けるけど、他に置いておく場所もなくて。」
「シロップなら融ける心配なくていいじゃん。」
 そう、Aチーム所有のチョコレート200パウンズは、融けかけていたので、セシリアに頼んで業務用冷蔵庫に入れさせてもらっている。
「でも、カビるかもしれないわ。早く使ってしまわないと。」
「その問題もあったか。何か手っ取り早くチョコシロップを消費する方法を考えんとな。」
「ね、セシリア。」
 フェイスマンがセシリアに顔を向ける。老婦人であっても名前で呼びかけるところが、フェイスマンのフェイスマンたる所以……ではないか。
「チョコレートシロップの代金、1万5000ドル、どうすんの?」
「払うしかないのよねえ。今月末、引き落としだし。」
 彼女は溜息をついた。
「払えるわけ?」
「払えることは払えるわ。遺産にはまだほとんど手をつけてないから。でも、払いたくないのよね……。」
 それはそうである。使うあてもないチョコレートシロップ1000ガロンの代金なんて。それも、1万5000ドルなんて。私ゃ払えん。
「全部ココアにして売ったら、利益はいくらぐらい出るかしら?」
「ビーチまで遠征して、この夏中ずっとココア売りに徹しても、元が取れるかどうかさえ怪しいと思うよ。」
「シロップを全部消費できるかすら怪しいな。」
 ハンニバルとフェイスマンとセシリアがアイスココア売りの話に集中している時、食事を終えたコングは牛乳を飲んで食休みしていた。そして、マードックはと言えば、庭の草むらで鳴いている虫を捕まえようと、月明かりに照らされた庭をびよんびよん跳び回っていた。何分、薄暗いのでよく見えないが、この庭、どういう造りになっているのかわからないにせよ、結構広そうである。
「コオロギ発見!」
 赤外線スコープでも内蔵しているのか、マードック。
「カマドウマじゃねえのか?」
 テラスからコングがのほほんと言う。
「いーや、ありゃコオロギだって。ほら、コロコロリーって鳴いてるし。」
 コオロギを追いかけて、びよーんと跳ぶマードック。コオロギも、捕まえられてなるものかと、ピョーンと跳ぶ。びよーん、ピョーン、びよーん、ピョーン。びよーん、バッシャーン!
 派手な水音が。ハンニバルもチキンを置き、フェイスマンも電卓をポケットにしまい、コングも牛乳のグラスをテーブルに置いて、立ち上がった。
「モンキー?」
 音がした方へと足を進める3人。
「池があるので、気をつけて下さいね。」
 セシリアがそう言った瞬間、一番前を歩いていたコングが足を滑らせた。
「うおっ!」
 ガッ! ドポーン! バシャーン!
 コングは滑らせたその足で、池の中で何とか立ち上がったマードックに蹴りを入れ、その上で足から池に落ちた。そして、蹴られたマードックは、手にコオロギを握ったまま、池の中に再度引っ繰り返った。



 下半身ずぶ濡れのコングと全身ずぶ濡れのマードックは、深さ5フィート弱、水深2フィートほどの池から、ハンニバルとフェイスマンの手を借りて這い上がった。
「こんなとこに池があるたぁ思わなかったぜ。」
「オイラも。蹴られるなんて思わなかったし。」
 セシリアが懐中電灯を持ってやって来た。
「早くシャワー浴びた方がいいわ。」
 懐中電灯をハンニバルに渡すと、セシリアはコングとマードックを促して、家屋の方へ向かった。
「おいフェイス、これを見てみろ。」
 ハンニバルは懐中電灯で足元を照らした。
「何? カエルでもいた?」
「いや、草だ。」
 池の周辺をぐるっと照らしてみる。
「草の生え方、変じゃないか?」
「言われてみれば、池の周りには草が生えてないね。」
 よくよく見れば、池の周辺に草が生えていないだけでなく、池の北側の壁面に水の湧き出している箇所があり、そこから北へ向かう帯状の一帯には雑草が茂っていない。多少は生えているが、その他の場所ほどではない。池の南側にも、同様に雑草の少ない箇所があり、それは湖の方へと向かっている。そして、池の水の中には、生物の気配がない。
「こりゃあ、池の水の水質検査をしてみる必要がありますよ。」
 ハンニバルがそう言うと、フェイスマンは少し嫌そうな顔をした。なぜなら、水質検査キットは今回持ってきていないので。



 フェイスマンはコングのバンに、コングとマードックの着替えを取りに行った。ハンニバルは、テラスで片づけをしているセシリアを手伝いながら、彼女に話を聞いていた。
「池の周りに草が生えていないんだが、あれはいつ頃からだ? 昔っからじゃないだろう?」
「そう、数年前ね。向こうにゴルフ場ができて、しばらくしてからだったかしら。」
「湖の方には、何か変わりは?」
「あったわ。大ありよ。湖の魚が減って、釣りに来る人たちが激減して、湖の周りにぐるっとあったペンションやレストランがみんな潰れたわ。うちの両隣もイタリアンレストランとハワイアンレストランだったんだけど、今じゃ空き家。残っているのは、元々この土地に住んでいた人たちぐらい。」
 皿を抱えてキッチンに向かうセシリアの後に、スプーンやフォークやナイフを突っ込んだボウルを抱えたハンニバルはついて行った。
「エイミーがお父様とここに来ていた頃は、店の前に列までできて、エイミーはよくテラスに移動してたものだったわ。テラスにある椅子とテーブルを店の前に出して、そこにお客さんを座らせればいい、って提案までしてくれてね。機転の利く、頭のいい子だったわ。自分はテラスの床に座って、足を投げ出して。」
「今も、そんな感じだ。」
「……ここでもう40年近くこうやっているけど、お隣の人もいない、お手伝いをしてくれる人もいないとなると、寂しいものね。夫が死んだ直後は、会社のことや遺産のことで周りに人がいるのが鬱陶しくなって、ここに引っ越してきたっていうのに。」
「それでも人と接していたかったから、ケーキ屋を開いたんだろう?」
「……ええ、そう、その通りよ。……あなたと30年前に会っていればよかったような気がするわ。」
「そして、あたしがあと20年、早く生まれてればね。」
「あら、私、そんなにお婆ちゃんだったかしら?」
「そうお見受けしますが?」
「失敬な。」
 皿洗いをしながら笑い合う2人。
 そんな2人の後ろ姿をキッチンの入口から見つめていたフェイスマンは、踵を返すと、寂しそうにテラスに向かった。



 翌朝、ヨレヨレ姿のフェイスマンは、コーヒー1杯だけ飲むと、車で町に向かった。どうやらテラスで夜明かししてしまったようだ。コングとマードックは、店の準備やケーキ作りのために早くから起き出して、セシリアの手伝いをしている。
 リビングのソファで目を覚ましたハンニバルは、大あくびをしつつキッチンに向かった。
「おっはよー、大佐。」
 ハンニバルが起きてきたのに気づいたマードックが、カスタードプディングをオーブンに入れてタイマーをセットすると、キッチンから出てきた。
「まずはシャワー浴びて、ヒゲ剃って、髪を整えて。タオルは洗面所に出してあっから。着替えも用意してある。その間に、朝ご飯作っとく。」
「おお、済まんな。」
「で、お婆ちゃんの話じゃ、今日、大佐にはウェイターをやってもらうって。」
「は? ウェイター? あたしが? フェイスでなく?」
「そ、大佐が。お婆ちゃん直々のご指名。オイラはキッチンで裏方。コングちゃんは何すればいい?」
「あー、コングはだな、池と湖の水質検査をしてから、ゴルフ場を調べてもらおう。本当はあたしもゴルフ場に行きたいんですけどねえ。……フェイスはどうした?」
「町行った。いろんなもん仕入れてこなきゃって。あと、聞き込みの続きしてくるって。」
「フェイスにゃもうちょい頼みたいことがあるんだが、戻ってきてからでいいか。」
「いいんじゃん?」
 無責任に言うと、マードックはキッチンに戻っていった。ふと庭を見ると、コングが洗濯物を干しているところだった。



 そこそこ本格的な水質検査キットを手に入れたフェイスマンは、ついでに聞き込みもして、アルバイト募集のポスターを書かなきゃ、と思いながら、ケーキ屋に戻ってきた。
「ただいまー。」
 ケーキ屋のドアを開けると、店の中は大混雑していた。この界隈のおばさんたち全員がここにいるんじゃないか、というような混雑振り。その中で、ウェイターのハンニバルは、フェイスマンにとっては実に思いがけないことに、モテモテだった。ここはホストクラブか? と思うほどのチップをソムリエエプロンにねじ込まれ、ビシバシとウィンクを受けながら、オーダーを取ったり、ケーキや飲み物を配って回ったり。それも、このウェイターは積極的にオーダーを取っているのである。「マダム、ココアのお代わりはいかがですか?」とか「お美しいあなたには、チョコレートシフォンケーキなどいかがでしょうか?」とか、とにかくチョコレートシロップ消費を促している。
「やるなあ、ハンニバル。」
 フェイスマンはそう呟くと、店を出て、脇道から奥に進み、裏口から屋内に入った。
「コングー? モンキー?」
「はいよー!」
 呼びかけると、キッチンの方から返事があった。そちらに歩を進める。
 キッチンでは、マードックが切り分けたシフォンケーキを皿に盛って、チョコレートシロップと生クリームとで飾りつけをしているところだった。コングはミキサーに牛乳とチョコレートシロップとを入れ、ガウーンと回している。
「水質検査係は誰?」
「俺だ。」
 コングが手を挙げる。
「ちょい待ってろ。」
 ミキサーの中のココアを氷の入ったグラスに注ぎ、ホイップクリームで飾り、仕上げにココアパウダーを振り、チョコスティックを差す。あっと言う間に、アイスココア6杯が出来上がった。それをハンニバルに渡す。
「上手いもんだね。」
 それには答えず、コングは水質検査キットをフェイスマンからもぎ取ると、庭の方へ出ていった。
「ハンニバルに報告は……しばらくできそうにないね。」
 と、フェイスマンは放冷中のサンフロランタンを摘み食いした。



 昼休みを貰って、売れっ子ウェイター、ハンニバルは奥に引っ込んだ。それと共に、店内に犇いていた客もあっさりと帰っていった。
 テラスで顔を揃えるAチーム一同。サンドイッチを食べながら。具は、チョコシロップ、もしくは、生クリーム、あるいはその両方。
「水質検査の結果はどうだった?」
 ハンニバルに問われて、コングがメモを取り出した。
「除草剤と殺虫剤と殺菌剤が、かーなーり検出されたぜ。池にも、湖にもな。池の方がだいぶ濃かったが。」
「思った通りだ。フェイス、衛生局を当たってみてくれ。湖の水質調査はしてるはずだからな。」
 店のドアに「closed」の札をかけてきたセシリアも席に着いた。
「セシリア、衛生局はあの池の水質検査に来たりしてるか?」
「いいえ。あそこに池があることすら知らないかもしれないわ。あの池は、私がここに越してきてからできたんですもの。……できた、と言うのも語弊があるかもしれないわね。越してきてすぐの頃、生ゴミを埋めてしまおうかと思って、穴を掘ってもらったら、ゴミを捨てる前に池になってたの。」
「地下水が滲み出してきて、池になったのか。」
「そういうことね。ちょうど地下水の通り道だったみたい。」
「で、その地下水がどこから来てるかって言うと、」
「ゴルフ場だな。」
 ハンニバルの台詞を、コングが引き継ぐ。
「そう。そして、湖に流れ込んでる、と。」
「ああ、何か見えてきたぞ。」
 フェイスマンはニヤッと口角を上げ、言葉を続けた。
「ローラの居場所がわかったんだ。どこだと思う?」
「ゴルフ場か?」
 ハンニバルがあっさりと答える。
「ご名答。2年前にできたパーラー・カントリークラブでキャディをしていたって証言が、タハンガまで行ったら複数取れた。で、さらに調べたところ、本名、フローレット・ウィンガー。履歴書通り、製菓学校を卒業して、しばらくはあちこちの町でケーキ職人として働いてたけど、結婚して退職。その後の足取りは不明。でも今はキャディをやってる。」
「繋がってきたな。よし、コング、お前はモンキーから聞いてると思うが、ゴルフ場を調べてみてくれ。農薬の散布状況についてと、ローラ、いや、フローレットが本当にキャディをやっているかどうかの確認だ。」
「おし。」
「モンキーは引き続き、セシリアの手伝い。フェイスはさっき言ったように、衛生局。」
「あと、アルバイト募集のポスター書きもね。」
「ケーキ作りの経験者がいいわ。」
 セシリアの言葉に、フェイスマンは頷き、手帳に「経験者優遇」と記した。



〈Aチームの作業テーマ曲、再びかかる。〉
 パーラー・カントリークラブの受付で門前払いを食らい、悔しそうにしているコング。ココアとチョコレートケーキを乗せたトレイを片手に、店内でステキな笑顔を振り撒くハンニバル。そんなハンニバルに、うっとりと目を細めるおばさん方。リビングでポスターを書くフェイスマン。書き上がったポスターを持ち上げ、満足そうだが、テーブルにインクが滲み込んでいる。卵黄と卵白を分けて、それぞれ別にビーターで泡立てるマードック。ちょっと目を離した隙に、卵白がそらもう泡立って溢れ出す。ケーキを箱に詰め、レジを打つセシリア。伝票には、どでかい字が。
 カントリークラブのフェンスの外から、双眼鏡で中を見つめるコング。アイスココアとチョコレートシフォンケーキを乗せたトレイを片手に、店内で光り輝く笑顔を振り撒くハンニバル。そんなハンニバルに、おばさん1名、失神。衛生局の受付で受付嬢と楽しく語らっている、スーツ+眼鏡姿のフェイスマン。目的の課まで、受付嬢に案内してもらう。大きなボウルに泡立てた卵白を加えて、さっくり混ぜるマードック。溢れた卵白も、残さずボウルの中へ。キッチンでチョコレートを削ってスティック状にするセシリア。そのチョコレートはフェイスマン所有のものでは?
 双眼鏡を覗きながら、嬉しそうに頷くコング。何か発見したようだ。ココアとチョコレートケーキを乗せたトレイを右手に、アイスココアとチョコレートシフォンケーキを乗せたトレイを左手に、ポーズを取らされているハンニバル。その周りでは、おばさん方がカメラのフラッシュを光らせている。書類の束を抱えて、衛生局から出てくるフェイスマン。ファイルを頭上で振りつつ女性職員が走り出てきて、フェイスマンにそれを渡しながらも、しんなりとしなだれかかる。大きなオーブンの扉を閉め、額の汗を拭うマードック、厨房服を着てはいるが、頭には捩り鉢巻。その鉢巻には、誕生日ケーキ用のロウソクが差してある。火は点いていないが。チョコレートロールケーキを器用に巻くセシリア。中のクリームも、当然、チョコレートクリーム。しかし、チョコレートシロップの箱は、依然としてテラスに山と積まれたまま、ほとんど減っていない。
〈Aチームの作業テーマ曲、再び終わる。〉



 リビングのローテーブル(ポスターと同じ文面入り)の周りに集まったAチーム一同とセシリア。全員が漏れなくぐったりしている。ソファに並んで座っているハンニバルとセシリアも、疲れた体をクッションに預け、棺桶で足湯に浸かっている状態。フェイスマンは1人がけソファの両側に書類を積み上げ、その上に両腕をだらりと乗せている。マードックは、床に大の字に引っ繰り返っている。それも、うつ伏せで。その腹の下辺りでは、コオロギがのどかに鳴いている。コングは床に座って、ぼりぼりと腕や首を掻いている。調査中に盛大に蚊に刺されたようだが、黒くて見えない。
「この辺りのご婦人方は何考えてんでしょうかねえ、あたしなんかに夢中になっちゃって。」
「娯楽がないんですよ。人も少ないし。」
 それだけの理由でアレかい、と突っ込む元気もないハンニバル。
「衛生局での収穫、掻い摘んで話すよ。」
 天井を見つめたまま、フェイスマンが口を開いた。早く言っておかないと忘れてしまいそうで。
「パーカー・カントリークラブ、所有者アーチボルド・パーカー、その影響で湖に殺虫剤MEPと殺菌剤TPNおよび除草剤MCPPが検出されはしたものの、安全基準値以下の濃度であった、と。詳しいデータは、こっちの山。」
 右側の手をぶらぶらさせる。
「カントリークラブができた年から、2か月に1回、定期的に測定されてる。かなり厳密に。」
「どら?」
 コングが手を伸ばしてきたので、フェイスマンは最新データのファイルをコングの手の上に乗せた。ファイルを開き、午前中に測定したデータのメモをポケットから出し、2つを見比べるコング。
「何だと? いくらこっちのが簡易測定キットだからって、この違いはおかしいぜ!」
 ファイルを手の甲でバシンと叩き、鼻息荒く憤る。
「そう、おかしいんだ。」
 平然とフェイスマンは言った。
「衛生局のデータ、捏造されてるっぽいよね。だって現に、湖に奇形の魚がいるの見たもん。流しちゃいけないものがたっぷり流れてきてるの、ばっちり明らかなのにさ、大した量じゃないってことになってる。こっちの山は、地下水の水質を監視するために、カントリークラブの近くに掘られた観測井のデータ。こっちも絶対、捏造されてる。」
 今度は左手をぶらぶらさせる。
 コングは、湖の最新データと観測井の最新データ、それから自分で測定したデータとを照らし合わせて唸った。
「よくできてやがるぜ。いかにも本当に測定したみてえに見える数値だ。」
「本当に測定してるんだと思うよ。調査員や測定者の名前も書いてあるし。彼らと会って話を聞いてみたけど、怪しいところは全くなし。みんな、ただの下っ端で、与えられた仕事をこなしてるだけって感じ。でも、水を採取する係と採取されたサンプルを測定する係が別々だから、誰も、どこの水が汚染されているのかはわかってなかった。どこかの水が汚染されているってことは、測定者にはわかってもね。」
「じゃあ何でこんなデータなんだ、どれもこれも!」
 コングはファイルを片っ端から捲って見ている。安全基準値を超過している数値が、何一つとしてない。
「最終チェックをした人物のサインがあるだろ? 一番下に。」
「おう。……どれもこれも、同一人物だな。」
「そう、その人物、多分、責任者だと思うけど、その名前は?」
「アーネスト・ウィンガー。……ウィンガー? 何か聞いたな、最近。」
「ローラことフローレットと同じ苗字だ。」
 助け舟を出すハンニバル。
「ってこたぁ、この男とローラは夫婦ってことか?」
「もしくは兄妹か。続柄は不明だけど、何か関係はありそうだよね。」
 アーネスト・ウィンガーの隠し撮り写真をピラピラと振るフェイスマン。
「こいつにも話聞いてみたよ。真面目な堅物で、特に怪しい点はなし。特筆すべきことは、すごい甘党だってこと。コーヒーに砂糖たっぷり入れてたし、お茶菓子として勧められたの、ここのサンフロランタンだったし。本当に美味そうな顔して、大事そうに食ってたなあ。」
「そう言えば、よくスーツ姿のお嬢さんが車でお菓子を買いに来るわ。」
 そうセシリアは言い、フェイスマンの手からアーネストの写真を取った。
「こんなお兄さんは来たことないけど。……ちょっと待って、ゴルフ場のオーナー、アーチーの写真はある?」
「アーチー? ああ、アーチボルド・パーカーね。写真あるはずだよ、どっかに。」
 フェイスマンはファイルを漁って、アーチボルドの写真を探し出すと、セシリアに渡した。2枚の写真を見比べるセシリア。
「あらまあ、やっぱりこれ、アーニーだわ。2人ともすっかり大きくなっちゃって。」
 Aチーム一同(マードックは熟睡中なので除く)は眉間に皺を寄せて、セシリアの方を見た。
「ええと、どこからお話したらいいかしら。……この2人、兄弟なのよ。アーニーがお兄さんで、アーチーが弟。パーカーさん、この2人のお父様ね、彼は昔、湖の北側一帯の土地を持っている地主さんだったの。私もパーカーさんからこの土地を買い取ったのよ。結局、買った土地が広すぎて、道路に面したところをほとんど借地にしてしまったけど。そのご縁もあって、アーチーとアーニーは小さい頃、よくうちの店に来ていたの。エイミーが来るより前の話ね。アーニーは物静かな子で、いつも本を読んでいたわ。アーチーは行動的な悪戯っ子。アーチーが何か仕出かすと、いつもアーニーが他の子に責任をなすりつけていたみたい。タチの悪い兄弟よね。」
「ということは、セシリア、この2人は池のことも?」
「もちろん知ってるわ。2人が来るようになったのは池ができた後だし、よくアーチーが池に物を投げ込んでいたもの。」
 セシリアは遠くを見つめた。
「あの頃は、近所の子供たちやお客さんの子供たちが、テラスに集まったり、庭で遊んだりしていたわねえ……。アーチーが他の子の玩具を取って池に投げ込んで、その子が玩具を取りに行ったり、アーチーと喧嘩したりしている隙に、アーニーがその子の分のケーキまで食べてしまって……見事な役割分担だったわ。」
 いや、それ、褒められないって。それに、見てたんなら止めろよ。
「パーカーさんが亡くなった後、アーチーがパーカー家の土地にゴルフ場を作ったのは知っていたけど、アーニーはどうしたのかと思っていたのよ。衛生局にお勤めしていたのねえ。……でも、どうしてアーニーは苗字を変えたのかしら?」
「その方が、アーチーの悪事を隠滅するのに都合がいいからじゃないか? 実際、あんたが2人の関係を思い出してくれなかったら、あたしたちだけじゃ、2人を1本の線で結びつけるのに、もうしばらくかかったでしょうからねえ。……で、コング、ゴルフ場の方はどうだった?」
「会員制だってんで中にゃ入れちゃくれなかったが、外から見てみたら、確かにローラがキャディやってたぜ。間違いねえ。それと、農薬散布のこたぁわからなかったが、小せえヘリがあったな。」
「ヘリ?」
 その言葉に反応して、ガバッと起き上がるマードック。その途端、コオロギの声がやんだ。
「ふむ、ヘリか。」
「ヘリのことよりハンニバル、俺、まだわかんないんだよね。何でローラことフローレット・ウィンガーがカントリークラブでキャディをやってんのか。それと、何で彼女がチョコレートシロップ1000ガロンを注文したのか。……あ、まだあるわ、ローラと兄弟の関係。」
 フェイスマンが頭だけをぐりっとハンニバルの方へ向けて訊いた。
「そりゃ決まってるだろう、池だよ池。すべてはあの池に繋がってる。」
 と、ハンニバルは池の方向を親指で示した。
「いくら湖の汚染をアーネストが隠したところで、もっと汚染された地下水が滲み出している池は、セシリアの土地にあるものだから、衛生局の管轄じゃあない。もしセシリアが池の汚染について公にしてしまったら、そしたらもうアーネストが揉み消せるようなもんでもなくなってしまう。となると、湖と観測井のデータに手を加え続けてきたアーネストと、水質汚染の根源であるアーチボルドは窮地に立たされる。そうならないためには、どうすればいいか。セシリアが池のあるこの土地を手放せばいい。パーカー家が池の辺りを買い取ってもいいんだが、一旦売った土地を買い戻すのは、あまりにも不自然だ。だから、セシリアが自分から土地を手放すように仕向けた。金がなくなれば、余っている土地を売るだろう。セシリアの金をなくすには、どうすればいいか。そこで、ローラの登場だ。なあ、セシリア、ローラがケーキ屋に勤め始めたのは、ゴルフ場ができる前だったかな?」
「いいえ、ゴルフ場ができて、しばらく経ってからよ。池の周りに草が生えなくなった後。」
「だろうな。ケーキ屋にローラを送り込み、散財させる機会を窺っていたわけだ。セシリアから信頼を得た頃を見計らって、大量の材料を注文する。奴らの誤算は、セシリアがエンジェルの知り合いだったってことと、セシリアには旦那の遺産が残ってたってことだな。」
「じゃあ何かい、ローラは婆さんから身を隠すために、ゴルフ場でキャディやってんのか?」
 コングがティッシュを持ってきて、床を拭きながら訊く。床の何を拭いているのかは、ご想像にお任せする。
「そうだ、会員制のクラブだから会員以外は入り込めないし、住み込みで働いていれば町に出てこなくてもクラブハウスで生活していける。セシリアが土地を手放してどこかに引っ越すまで、隠れているつもりなんじゃないか?」
「ハンニバルの推測通りなら、ローラとアーネストは夫婦と見るのが無難だね。」
 そう言ったのはフェイスマン。
「どこかのケーキ屋でローラが働いている時に出会ったんでしょうねえ、甘いものに目がないアーネストと。」
 ここでハンニバルはソファに凭れていた体を起こし、一同の顔を見渡した。
「さて、皆の者、どうしましょかね?」
「ローラを責める気は全くないわ。できれば、今すぐにでもこの店に戻ってきてほしいぐらい。アーチーには農薬の量を加減してもらいたいわね。それと、アーニーが嘘の報告をしているのをやめさせないと。あと、もしも可能なら、この一帯の地下水と湖とうちの池の水をキレイにしてほしいわ。」
「ということでいいかな、諸君?」
 セシリアの希望を聞いて、フェイスマンはこっくりと頷き、コングは右拳を左拳に打ち当てた。寝ていたんで事情がわからないマードックは、左右をキョロキョロしていた。
「でも、その前に。」
 意気込むAチームの腰を折る、セシリアの一声。
「夕飯にしましょうよ。お腹が空きすぎて気持ちが悪いわ。」
 全員がそれぞれあまりにも多忙だったため、食事の準備をしていなかった本日、Aチーム+セシリアの5人は、近場のレストランに出向いての夕食と相成った。それも、支払いはフェイスマン持ち。彼以外の誰一人として、財布を持ってきていなかったために。



〈Aチームの作業テーマ曲、三たびかかる。〉
 どこからかタンク車を調達してきたフェイスマン、運転席からひらりと飛び下りる。鉄板を両脇に抱えて姿を現すコングと、巨大なホースを引き摺ってくるハンニバル。ハンニバルがフェイスマンの肩を叩いて、ニッカリと笑う。外の様子が気になっているマードック、気もそぞろにキッチンでマドレーヌ型にバターを塗っている。改造車の設計図をリビングのテーブルに見つけ、それを手に表に出ていくセシリア、ハンニバルに文句をつける。設計図の中の「チョコシロップ」と書いてあるところを、「池の水」に変更。よしよし、と頷くセシリア。肩を竦めて苦笑いするハンニバル。
 鉄板を溶接するコング。ボルトをぎゅっと締めるハンニバル。ホースを針金でぐるぐる巻きにしているフェイスマン、伸ばした針金の先が尻を突つき、驚いて振り返る。シフォン型に小麦粉を振るマードック。すごい速さでクッキーを絞り出していくセシリア。
 装甲タンク車を裏に回し、池の水をタンクに溜めるハンニバルとコング。運転席でメーターを見ていたフェイスマンが窓から手を振って、満タンになったことを知らせる。レバーを引くハンニバル。巨大ホースを引き上げるコング。池の水は、タンク一杯吸い込んだはずなのに、こんこんと湧き出してきており、まだまだ潤沢だ。キッチンのドア越しに見える庭の様子を気にしながらも、ケーキにデコレーションするマードック。手元を全く見ていないが、プロ級の仕上がりになっている。アイスボックスクッキーを冷凍庫から出して切り、天板に並べるセシリア。クッキーの模様は、コングの顔。
 夜明けの湖を見つめ、額の汗を拭う、フェイスマン、コング、ハンニバル。踵を返し、3人並んでザッザッと屋内に入っていき、リビングの適当な場所で眠りに就く。キッチンの流しでボウルを洗うマードック。焼き上がったアイスボックスクッキーを見て、プッと吹き出すセシリア。マードックもクッキーを見て、抱腹絶倒。激しくソフトフォーカスのかかったコングの寝顔のアップが映し出される。
〈Aチームの作業テーマ曲、三たび終わる。〉



 正午少し前。パーカー・カントリークラブに向かう坂道を走っていく装甲タンク車1台。そして、両側に駐車場のあるドライブウェイを真っ直ぐ進み、何かをなぎ倒すこともなく、タンク車はクラブハウスの正面玄関に到着した。
「アーチボルド・パーカーに告ぐ! 速やかに、農薬垂れ流しの事実を認めたまえ!」
 拡声器を通したハンニバルの声が響き、何事かと思った職員たちがクラブハウスから姿を現した。
「コング、やっておしまい。」
 リーダーの指示を受け、コングはホースをクラブハウスに向け、先端のトリガーを引いた。
 ブシュウッ!
 細いノズルから高圧で水が噴射された。それはあたかも巨大で強力な水鉄砲のよう。クラブハウス入口のガラスの自動ドアは、この1発で砕け散った。受付ロビーも、ガラスや水やゴミやゴミ袋や造花や紙や袋麺や何やかやで、ぐっちゃぐちゃになっている。逃げ惑うブレザー姿の職員たち。
 と、その時。どこからかゴルフボールが飛んできて、タンクにダーンと打ち当たった。その衝撃で凹むタンク。ボールの飛んできた方を見ると、遠くにゴルファーたちの姿が見えた。どうやら彼らも、パーカー・カントリークラブの職員のようだ。揃いのポロシャツに揃いのスラックスという出で立ち。スカートにポロシャツという女性職員の姿も見える(フェイスマン談)。
 次々と飛んでくるゴルフボール。彼らの腕はなかなかのもので、タンク車が見る見るうちにボコボコになっていく。前面にしか装甲板をつけていなかったタンク車の側面はヤワだ。左からの攻撃だけかと思っていたら、右側からもゴルフボールの雨あられ。堪らず、運転席やタンク車の下に逃げ込むAチーム。フロントガラスも割られ、運転席すら危険な場所になっている。
「標的が分散すれば、奴らもやりにくかろう。」
 助手席で身を縮こめ、ハンニバルが言う。
「幸い、敵さんたちは肉弾戦が得意じゃなさそうだからな。接近戦で叩いてしまえ。」
「おう!」×3
 タンク車から走り出て、ゴルフボールによる攻撃を寸でのところで躱しつつ、思い思いの方向へ走っていくツワモノども。ただし、丸腰で。銃火器はバンのところに置いてきてしまったので。
 とは言え、ゴルフ場は広い。そしてAチーム側は地形を把握していない。一方、職員側は地形を完全に把握しており、奴らには武器がある。危険極まりない殺人的ゴルフボールという飛び道具が。
 小さな穴を目掛けてボールを打つ訓練に日夜明け暮れているポロシャツ軍団、人にゴルフボールを直撃させようと思えば、百発百中とは言わないまでも、かなりの確率で当てられるのだ。それも、的はどんどんと近づいてきている。
 だが、Aチームも馬鹿ではない。ゴミ箱の蓋を片手に握って、飛んでくるゴルフボールから身を守るハンニバル。もう片方の手には、拡声器を持ったまま。コングは、いつもは首に下げているジャラジャラを外して、ぶんぶんと振り回している。そんなものでゴルフボールを防げるのかと言うと、結構防げているようである。マードックはオーブンの天板を両手に持って、飛んでくるゴルフボールをガイン! ガイン! と叩き落としている。早々とゴルフコースに出たフェイスマンは、速く動いているものは撃ちにくい、という経験から、ゴルフカーに乗り込んだ。ブイイイーンと発進するゴルフカー。しかし、走った方が速いかもしれない。
「アーチボルド・パーカー! 姿を現せ!」
 そうハンニバルは叫ぶが、そう言われて出てくるものでもない。クラブハウスの中に駆け込み、廊下を進んでいくハンニバル。さすが頭いいね、オーナーはコースよりも社長室とかにいるもんだ。それに、屋内ならゴルフボールが飛んでくる心配も、あまりない。パットの練習で大失敗しない限りは。
 クラブハウス1階の一般客立入禁止区域を進むと、一番奥が社長室だった。その扉を蹴り開けるハンニバル。すると、窓が開いており、逃げていく男の後ろ姿が見えた。そう、彼こそがアーチボルド・パーカー。
「待てーい、アーチボルド!」
 ハンニバルも窓枠を越えて、外へと躍り出す。遥か前方に、アーチボルドがゴルフカーに乗り込む姿が見える。
「ううむ、小癪な真似を。」
 Aチームを追いかけるリンチ大佐の気持ちがちょっとわかっちゃったハンニバルであった。だいぶ遅れてゴルフカーに乗り込み、アーチボルドを追う。
 その頃、カントリークラブの奥まった場所で、マードックは物置小屋の中にヘリを発見し、小躍りしていた。そんな呑気なマードックに、物陰から飛び出してきた男がタックルをかます。が、天板の側面による一撃により、その男、気絶。そんな男のことは放置して、ヘリに乗り込むマードック。カトンボのようなヘリが、プロペラを回し、プィィィィという軽い音と共に前進。マードックが操縦桿を引くと、カトンボ号は上昇していった。
 その頃、コングは、ポロシャツ軍団の至近距離まで前進していた。肉弾戦となれば相手は素人、こちらに分がある。素人じゃなくったって、分は大概コングにある。が、しかし、コングはゴルフクラブの存在を忘れていた。「倶楽部」ではなくて、ウッドとかアイアンとかパターとかあるアレの方のクラブだ。コングの間合いよりも離れた場所から、コングに向かってクラブを振り下ろすポロシャツ男。そのクラブをコングは腕でガードしたが、元々クラブは降り回しやすいように作られている上、ヘッドの重みでインパクトが強烈だ。加えて、打ち当たる面積が狭い分、エネルギーが凝縮されている。骨折するほどではないが、思いがけない痛みに、コングが一瞬ひるんだ。その隙を狙って、クラブによる連打が。いつの間にかポロシャツ軍団がわさわさと集まってきており、コングったら取り囲まれてしまっている。こりゃあ堪らない。虐められているとしか思えない状況のコング。と、そこへ。
「退いた退いたーっ!」
 時代劇でよく聞く台詞と共に、ゴルフカーに乗ったフェイスマン登場。数人のポロシャツ男が、撥ねられまいと横っ飛びにジャンプ。すかさず、引っ繰り返ったポロシャツ男どもからゴルフクラブを奪い取り、1本をフェイスマンに投げて寄越すコング。2人、背中合わせになり、クラブを構える。その周りをぐるりと取り巻くポロシャツ軍団も、クラブを構えている。まるで剣劇のようだ。
「こんなとこでぐだぐだやってる暇ぁねえ。さっさとやっちまおうぜ。」
 コングの言葉に頷くフェイスマン。2人同時にザッと踏み出し、ゴルフクラブを煌かせる。ガキーン! 次の瞬間、ポーズを決めた2人の周りには、倒れて微動だにしないポロシャツ軍団の姿があった。
「安心しろ、峰打ちでい。」
 クラブの峰ってどこ? と疑問を差し挟む間もなく、2人はゴルフカーに颯爽と乗り込み、ハンニバルと合流しに向かった。
 アーチボルドの乗ったゴルフカーは、ハンニバルの乗ったゴルフカーに追いかけられ、あっちこっちへと走り回っていた。綺麗に整備された芝も、もうメタメタ。
「一体、何なんだ、お前ら?」
 叫ぶアーチボルド。
「我々こそ、Aチーム!」
 答えるハンニバル。拡声器を使って。
「いい加減に観念して、お縄につけ!」
 そうハンニバルが叫んだ時、横の林を越えてヘリが姿を現した。
「うわああっ!」
 急にハンドルを切るアーチボルド。横転するゴルフカー。その下から必死に這い出たアーチボルドは、ゴルフカーとヘリの両方に追われ、引っ繰り返ったゴルフカーを捨てて林の奥へと逃げ込んだ。
 一方、ヘリが奇抜な動きで飛んでいるのを目にしたコング&フェイスマン組は、ヘリの方へとゴルフカーを進めていた。しかし、ゴルフコースを外れた彼らの取ったルートの先には、無駄なほどにどでかい噴水があり、ゴルフカーに乗って先に進むことはできなかった。まあ、コングがゴルフカーを持ち上げて、噴水の向こうに下ろして、そこから改めてゴルフカーに乗っていってもいいのだが、そこまでするほどのゴルフカーでなし。ということで、ゴルフクラブを手に車から降りる2名。周りに気をつけながら、慎重に歩みを進めると、物置小屋があり、男が1人気絶していた。そう、ここは先刻マードックがヘリを手に入れた場所である。
 さて、暗闇でコオロギを発見できるマードックにとって、昼間、上空から林の中を逃げていく人影を見つけることなど雑作もないことだった。それに、上空と言っても、木の梢に引っかからない程度の高度だ。ヘリの方を振り返り振り返り逃げていくアーチボルドの姿を、ゲーム感覚で楽しく追っていく。
 しかし、アーチボルドも元はと言えば悪戯っ子。逃げたり隠れたりするのは初体験ではない。昔取った杵柄で、ヘリから見つからないように潅木の密な茂みの下に潜り込む。
 だが、マードックの方が一枚上手である。病院でも隠れんぼは日常茶飯事だし。潅木の茂みが不審に揺れる方へとヘリを操縦する。
「くそっ、しつこい奴らだ。」
 そう呟いたアーチボルドは、茂みを抜けて立ち上がった。
「わっ!」
 上空にばかり気を取られていたアーチボルドは、正面に人がいたのに気づかなかった。彼の正面にいた人、それはフェイスマン。
 フェイスマンもフェイスマンで、茂みの下からいきなり人が出てくるとは思わなかったので、かなり驚いた。驚きはしたが、冷静に判断する。ポロシャツは着ていないし、内勤職員の制服(ブレザー)も着ていない。開襟シャツ男は、敵? 味方? そんなフェイスマンの後ろで、コングが叫んだ。
「フェイス、そいつがアーチボルドだ!」
 アーチボルド=敵。それも親玉。ラスボス。そんなテロップがフェイスマンの頭に流れている間に、アーチボルドはフェイスマンの顔面に強烈な右ストレート。不意打ちを食らって、後ろに倒れるフェイスマン。
「フェイスっ!」
 助太刀しようと思ったコングだが、そこへ思わぬハプニング。
「コングちゃん、退いて退いて退いて退いてーっ!」
 マードックの悲痛な叫び声が。ヘリの燃料が切れたのだ。そしてヘリは、ちょうど振り返ったコングの真正面に。一瞬、コングは間違ったことを考えた。ヘリは非常に小さい1人乗り、マードックも大した体重じゃない。これは受け止められるかもしれない。
「さあ来い、こん畜生!」
 コングは関取のようなポーズを取った。そんなことしてないで、数歩脇に退けばいいだけのことなのに。落ちてゆくヘリの操縦席で目をぎゅっと瞑り、両手の人差し指と中指をクロスさせるマードック。そんなことしてないで、ヘリから飛び降りればいいのに。もしくはローターの角度を変えるとか。
「あ、そっか。」
 飛び降りればいいことに今更気づいたマードック。高度10フィートを切った辺りで、ひらりと外に飛び降りた。そして、その反動でヘリの落下軌道がずれた。どっせい、という姿勢のコングの真横に落ちて、ぐしゃりとひしゃげるヘリ。ありがとう、そしてさようなら。
 コングの助太刀がない状態のフェイスマンは、今やアーチボルドに組み敷かれていた。もう1発、顔面にお見舞いされそうなところを、巴投げの要領で投げ飛ばす。だが、しかし、それは、やっと追いついたハンニバルがアーチボルドをフェイスマンから引き離そうとした、まさにその瞬間だったのである。まさかハンニバルがいるとは思わなかったフェイスマン、渾身の力を足に込め、「こいつ、案外重いな」と感じながらもアーチボルドを投げた。ハンニバルと共に。2人、宙に舞い、地面に落下する。
 コングはと言えば、茂みの中に落下したはずのマードックを捜索中。
 と、その時、気絶していたはずの男が意識を取り戻した。この男、パーカー・カントリークラブの芝管理係であり、すぐ横の物置小屋は、農薬類と散布用ヘリの倉庫だったのである。手近なところに武器となりそうなものがないと見るや、芝管理係は小屋に駆け込み、茶色いガロン壜を手に走り出てきた。小屋の前では、ちょうどオーナーが賊に組み伏せられているところだ。
 ボグシャーッ!
 ポリのガロン壜は賊(ハンニバル)の後頭部にヒットし、割れた壜から振り撒かれた中身が、賊の全身を濡らした。
「ハンニバル!」
 起き上がったフェイスマンは、芝管理係を回し蹴り1発で鮮やかに倒すと、ハンニバルに駆け寄った。ハンニバルの下から這い出たアーチボルドは、マードックを回収し終えたコングによって、羽交い絞めにされた。
「う、ううむ……。」
 後頭部を摩りながら立ち上がるハンニバル。少しふらつくようだったので、フェイスマンは手を貸してやった。そして、ふと足元を見ると、ハンニバルの頭に当たって割れたポリ壜が。その壜のラベルには、こう書いてあった。『殺菌剤・レンテミン原液』。それを見た瞬間、フェイスマンの頭部から、さーっと血の気が引いていった。フェイスマンは、衛生局を嗅ぎ回っている間に、いかに殺菌剤や殺虫剤が危険かということを学んでいた。ほんの少しの量でも、湖の魚の背骨がぐねぐねになってしまうぐらいだ。その原液が頭から大量に降りかかったら……。それに、この液体、やけに変な臭いだし……。
 フェイスマンはハンニバルの手を引いて走った。噴水に向かって。
「お、おい、フェイス、どうした、何事だ?」
 当事者は何が起こっているのかわかっていない。でも、フェイスマンには長々と説明している暇がない。
「ともかく、こっち!」
 噴水の手前で、フェイスマンは一瞬躊躇した。ハンニバルを噴水に放り込んで平気だろうか。あとで怒られたりしないだろうか。上官反逆罪に問われたりしないだろうか。……でも、頭から農薬がかかっちゃったんだから、一刻も早く洗い流さなきゃ命にかかわる! 迷ってる場合じゃない!
 覚悟を決めたフェイスマン、腕を引っ張る遠心力を利用し、ハンニバルを投げ込むようにして噴水に突き落とした。
 バッシャーン!
「早く洗って! 早くしないと、ハンニバル、死んじゃうって!」
「何だと?」
「さっきの、農薬だよ! 農薬の原液! 早く洗って!」
 そう言われては、洗うしかない。百戦錬磨のツワモノどものリーダーが農薬にやられて命を落とすというのも、何だか不本意だし。
 素直に頭や体をザブザブと洗っているハンニバルを見て、一安心のフェイスマン。怒ってるようでもないし、体調も別に悪くなさそうだし、でも後で念のため病院に行って検査してもらっておくかな、とか思いつつ。
「ハンニバル、目に沁みたりしてない?」
「いや、平気ですよ。これ、本当に農薬なのか?」
「本当に本当の農薬だよ。殺菌剤って書いてあった。」
 と、割れたポリ壜を拾いに戻る。
「うん、殺菌剤、レンテミン。シンビジウムやトマト等のモザイク病感染防除には、原液から10倍希釈液を使用。芝の根部育成促進には500倍に希釈して使用。シイタケ菌糸体抽出物。手指・器具の消毒は原液に浸漬……。」
 フェイスマンの足が止まった。……どうしよう……。そう彼は思った。この薬液は別に体にかかっても大丈夫なようだ。
「ハンニバル、よかったね! この農薬、人体にはそう影響なさそうだよ。」
 意を決して、笑顔を向けてみた。
「ほう、そりゃよかった。じゃあ、もう洗わなくていいな。」
 ハンニバルも笑顔で、そう言ってくれた。
「ちょっと手を貸してくれ。この噴水、案外深くてな。」
 手を差し出すハンニバル。うん、と手を差し伸べるフェイスマン。しかし。
 バッシャーン!
 当然とも言えることだが、フェイスマンは次の瞬間、噴水の中に引き込まれていた。
「これでおあいこ。」
 ハンニバルはずぶ濡れのフェイスマンを見て、ニッカリと笑った。



 アーチボルドと芝管理係を拘束して引き連れたAチームが正面玄関に戻ると、思いがけない事態になっていた。アーネストとフローレット(ローラ)とが装甲タンク車を占拠し、アーネストがセシリアにノズルの先を向けているのだった。
「お前たち、アーチーから手を離せ。」
 ノズルの先端をセシリアに向けたまま言うアーネスト。Aチームは仕方なくアーチボルドの縄を解いた。あの水圧をセシリアに向けたら、全身骨折はまず間違いない。水も汚染されていることだし。
「サンキュ、兄さん。でも、何でここに?」
 解放され、タンク車に向かうアーチボルド。
「フローレットが電話で『すぐに来てくれ』って言ってきたんでね。それでなくても、昨日、変な奴が湖のことを嗅ぎ回ってたんで、ここには来なくちゃと思ってたんだ。……そこのスーツのずぶ濡れの人、君だろ? 昨日、局に来てたの。」
「え? 俺? えーと、うん、そうかもね。」
 フェイスマンは全員の注目を浴びて、ヘラヘラと笑った。
「で、何かわかった?」
 不敵な笑みを湛えて、半休を取ったアーネストが訊く。
「ああ、わかったぞ。アーチボルドが有害な農薬で、ここいらの地下水を汚染して、セシリアのとこの池やその先の湖に多大な影響を及ぼしてるっていうことがな。そして、アーネスト、お前はその水質測定データに手を加えて、農薬はさほど検出されなかった、ということにしてしまっている。文書偽造罪だな。」
 すらすらとハンニバルが言い放つ。拡声器はどこかに置いてきてしまったようだ。
「何だって?」
 素っ頓狂な声を上げたのは、思いがけないことに、アーチボルドだった。
「うちのゴルフ場、水質汚染してたのか? 聞いてないぞ、そんなこと。」
 芝管理係も、オーナーの言葉にこくこくと頷いている。
「アーチー、お前、わざと危険な農薬を過剰散布してたんじゃなかったのか? 僕はてっきり、またお前があくどいことやってるな、と思って、データの数値を書き替えてたのに。」
「いや、衛生局から毎回『問題なし』って言われてるから、いつもの通りでいいのかと思ってたんだ。そんな、俺だって、生まれ育ったこの土地を汚染しようだなんて思わないさ! できりゃあ、昔のまんまであってほしいよ。セシリアおばさんの店みたいにね。」
「何だ、そうだったのか。そんならそうと言ってくれよ。お前んとこの農薬、ひどいぞ? 湖の魚、死んでるか奇形か、どっちかだ。」
「あ、それでここんとこ釣り人がいないのか。うわ、まずいわ、これ。」
「僕の方なんて、まずいなんてもんじゃなくて、やばいよ。バレたら、クビどころの騒ぎじゃ済まないだろうな。」
 兄弟2人の思いがけない告白に、黙って見ているしかないAチームその他であった。どうやらハンニバルの推理、大外れ。
「どうしたらいいと思う?」×2
 Aチームの方に意見を求めるパーカー兄弟。
「農薬の種類と散布量の見直しをすべきだね、まず。」
 と、フェイスマン。
「よし、その辺は任せたぞ。既にこの一帯の地下水が汚染されてるって前提でな。それでいて、芝の質は落とさないようにしろよ。」
 アーチボルドが芝管理係に言うと、やり甲斐のある仕事に、彼は胸を張って頷いた。専門家の腕の見せどころだ。
「衛生局の方は、このまま捏造を続けていた方がいいかもしれんな。」
 そう言ったのは、ハンニバル。
「いいんですか? 僕、こうなったら自白する覚悟もできてます。」
 悲壮な面持ちながらきっぱりと宣言するアーネストに、心配そうに寄り添うフローレット。
「この男(芝管理係)がいい仕事をしてくれれば、そのうちデータも捏造する必要がなくなるだろうしな。」
「そうだ、兄さん。兄さんなら既に汚染されてしまった水を元通りにする方法も何かしら知ってるだろう?」
「ああ、地下水は難しいが、湖の水を浄化する方法はいくつかある。でも、金かかるぞ。」
「パーカー家の金、ただ眠らせておくだけじゃもったいないだろ。湖やこの土地をキレイにするために使うんだったら、天国の親父も文句言わないさ。」
「じゃあ、こうしたら?」
 フェイスマンが挙手。
「測定データ、今ギリギリで安全基準値を下回ってるようになってるから、それを次回からギリギリ上回るデータに捏造する。そうすれば、衛生局から指導が入るし、浄化費用も市から出してもらえる。ね? それ、よくない?」
「いい! それで行こう!」×2
 これで一件は落着。Aチームとしては今一つ釈然としないが。
「で、ローラの件はどうすんだ?」
 コングが建設的に発語。そう、そんな問題もあったのだ。
「ローラ?」
 首を捻るパーカー兄弟。
「あ、あたし……。」
 と挙手をするフローレット。その横でぽかんとしているアーネスト。
「あたし、前までケーキ屋でバイトしてたじゃない? あれ、あなたには黙っていたけど、セシリアおばさんの店で働いてたの。……だってあなた、『セシリアおばさんのお菓子は世界一だ』って、いつも言ってるじゃない?」
「ああ、疑いようもなく世界一だからな。」
 断言するアーネスト、別にデブではない。むしろスマート。いくら甘いものを食べても太らない、羨ましい体質。
「だから、あたしがセシリアおばさんのレシピを覚えれば、いつでもあなたに美味しいお菓子を作ってあげられるかと思って……。でも、あなたをびっくりさせたくて、黙ってたの。何かあってあなたに知られてしまうのも嫌だったから、偽名を使って、嘘の住所と電話番号を書いて……ごめんなさい、おばさん。あたし、本当はフローレット・ウィンガーって言うんです。アーニーの妻なんです。」
「そんな、ローラ、いえ、フローレット、嘘つかなくても、『アーニーには秘密ね』って言ってくれれば、それでよかったのに。」
「済みませんね、おばさん。こいつ、頭弱いもんで。」
 アーネストがフローレットの頭をぽんぽんと叩く。コングもマードックの頭をぽんぽんと叩いた。その頭は、弱いのではなく、変なだけなのだが。
「あと、それから……。」
 フローレットは、言い出しにくそうにしていた。
「チョコレートシロップのこと?」
 フェイスマンが優しくそう訊くと、フローレットはこくんと頷いた。
「間違えてしまって、ごめんなさい。あの時、ぼんやりしていて、おばさんの言うこと、ちゃんと聞いてなくて。チョコの何かだとは覚えていたんですけど……チョコレートシロップの残りが少なかったな、と思って、チョコレートシロップって書いてしまったんです。」
 すごく申し訳なさそうに告白するフローレット。
「あ、あの、フローレット、問題はそこじゃなくてね、何で1000ガロンなんて書いたのかってことで。」
 そう、フェイスマンの言う通り、チョコレートシロップを注文しても、それが1ガロンなら大した問題でもない。
「ええ、そうですね、すごい量ですよね。カタログを見たら、シロップの単位、ガロンって書いてあったんですけど、どのぐらいの量かわからなくて、割と長持ちするみたいなことが書いてあったから、今月の特売の印もついてたんで、ちょっと多めにと思って1000ガロンって書いたんです。だけど、あとでアーニーに1ガロンってどのぐらいの量なのか訊いたら、牛乳のガロン壜1本分だってわかって、それで申し訳なくて、チョコレートシロップ1000ガロンの代金は私が払わなきゃ、って思って……それでアーチーにお願いして、時給がうんと高いキャディのバイトをさせてもらってたんです。日が落ちてからは、クラブハウスで調理場のお手伝いもして。」
「あのね、フローレット、チョコレートシロップ1000ガロンの代金、いくらか知ってるよね? そんじょそこらのバイトで貯められる額じゃないよ?」
「えっ、そうなんですか? いくらなんです?」
「って、君、注文用紙に値段書いたでしょ?」
「いいえ、私、計算に弱いもんで、値段の欄は空欄のまま、配達係の人に注文用紙を渡してました。値段はいつも、配達係の人があとで書き込んでおいてくれてたんです。」
 その横では、アーネストが「さもありなん」という顔で頭をふるふるしていた。ウィンガー家の家計簿は、アーネストがつけているのである。彼、数字には滅法強いから。
「で、いくらなんです?」
「1万5000ドル。」
 フェイスマンがぽつりと伝えると、フローレットは眉間に皺を寄せ、アーネストを見上げた。その数字、彼女の理解力を超えていた様子。
「君の時給が、多く見積もって10ドルだとして、1日8時間働いたとすると、1万5000ドル貯めるのに、ええと、188日かかる。半年強だね。」
 へなへなと崩れるフローレットをアーネストが支える。
「……半月ぐらいでどうにかなるかと思ってたわ……。」
「そういうことだったのか。義姉さんがここで住み込みで働きたいなんて、いきなり言ってきたから、どうしたのかと思ったよ。兄さんと大喧嘩して、行くとこないのかな、とか。」
「喧嘩なんてしてないさ。僕も、こいつがいきなりお前んとこで住み込みで働くなんて言い出したから、どうしたのかと思ってたんだ。僕の誕生日も近いことだし、何か豪勢なものをプレゼントしてくれるのかな、とか。」
 アーネスト、意外と幸せな脳をお持ちで。
「それに、アーチー、僕とこいつが喧嘩したら、出ていかなきゃならないのは僕の方だろ?」
「ああ、そう言やそうだな。」
 蛇足ながら、アーネストはフローレットの両親と同居しているのである。パサデナで。フローレットが1人っ子なもんで。
「ねえ、フローレット。そのチョコレートシロップの代金、僕が払うから、家に帰っておいで。義父さんも義母さんもすごく心配してるよ。」
「じゃ兄さん、俺、半分出すよ。公務員の給料じゃ1万5000ドルも払うの、大変だろ? 兄さんにはデータ捏造なんてことまでさせちゃったしね。」
「それは助かるなあ、アーチー。ついでに全額負担しないか?」
「いや、そこまでは。」
 ははは、と笑い合う兄弟。いいなあ、金持ちの弟って。
「これで1万5000ドルの件は片がついた、と。あとは何だ?」
 ハンニバルが面白くなさそうに言う。
「ええと、フローレットがセシリアに連絡寄越さなかった件について。」
 びちゃびちゃの手帳を開いてフェイスマンが答えると、セシリアがこっくりと頷いた。
「連絡……? あ……!」
 アーネストに凭れかかっていたフローレットが、今気がついたかのように、口に手をやった。
「ごめんなさい、おばさん。気が動転していて、連絡するの忘れてました。」
 ふう、とセシリアが溜息をついた。
「仕方がないわね。じゃあローラ、いえ、フローレット。申し訳ないと思っているのなら、明日からまた私の手伝いをしてちょうだい。それと、アーチーとアーニー、1万5000ドルのことはいいわ、私が払うから。その代わり、払う気になっていた1万5000ドルで、この人たちが滅茶苦茶にした芝や植え込みやそこのガラスを、黙って修繕しちゃって。」
「おやすいご用です、セシリアおばさん。」×2
「これでいいわね、Aチームの皆さん。」
 4人の方を見て、セシリアが言った。
「……知ってたの? 俺たちがAチームだって。」
 恐る恐るフェイスマンが尋ねる。
「ええ、さっきエイミーが電話してきて、そう言ってたもの。軍のお尋ね者で莫大な報酬を取る人たちだけど、頼りにはなるはず、って。だから、アーチーに対してやりすぎやしないかと思って、心配になって見に来たの。そしたら案の定、玄関が滅茶苦茶になっていて、あらまあ、と思っていたら、なぜだかアーニーにホールドアップさせられて。」
「済みません、おばさん。別におばさんにこれを向ける気はなかったんですけど、人質を取っておいた方がいいかと思って。」
「さすが兄さん、いい判断だったよ。おかげで助かった。」
 アーチボルドがタンク車に上がり、アーネストの肩を抱いた。
「トリガーを引かなかったのも、いい判断だったぜ。」
 ニヤリと笑って、コングが言う。
「え? トリガー?」
 依然としてノズルを抱えていたアーネストが、トリガーを引いた。その途端、先端から高圧の水が噴出し……。
 ブシュシュシュシューッ!
「うわあああああっ!」
 タンクを背にしていなかったアーネストはノズルと共に後方に吹き飛ばされ、水の当たった窓ガラスが次々と割れていった。割れた窓ガラスの数、約16枚。その部屋の中は大変なことになっているだろうと思われる。ガラスの割れた窓の奥から聞こえる、人々の慌てふためく声。
 あちゃー、というように額に手をやるアーチボルド。吹っ飛んでいったアーネストに駆け寄るフローレット。楽しそうに笑うAチーム。
「アーニー、アーチー、今のは1万5000ドルに含めないでね。」
 セシリアはくすくすと笑いながら、そう言った。



 その夜、Aチーム一同およびパーカー兄弟は、セシリアの家のテラスに集まっていた。
「懐かしいなあ、このテラス。このテーブル、こんなに小さかったっけ?」
「俺たちが大きくなったんだよ、兄さん。庭も、もっと広くて、ジャングルみたいだと思ってたもんなあ。」
 テーブルに手を伸ばしてうつ伏せるアーネストと、テラスの段から庭へと思いっきりジャンプするアーチボルド。はしゃぐ大人2人を横目に、チョコレートシロップの残り箱数を数えるAチーム。
「ケーキができたわよー!」
 大きなデコレーションケーキを抱えて、フローレットがテラスに出てきた。テーブルの真ん中に、でん、とケーキを置く。その上には『ご苦労さま、Aチーム。もうすぐお誕生日おめでとう、アーニー。頑張れ、アーチー。ウェルカムバック、フローレット(ローラ)。魚一杯の湖が戻ってくることを願って。フロム・セシリア』とチョコレートシロップで書かれている。無論、どでかい字で。
「おばさんのスペシャルケーキだ!」
 すっごく嬉しそうなアーネスト。もう、ビバ! ビバすぎ! ビバこの上なし! って感じ。
「頑張れって、俺、いつも頑張ってるけどなあ。もっと頑張れってことか?」
 漠然としたメッセージに苦笑するアーチボルド。
「コング、モンキーも手伝って!」
 キッチンからセシリアの声がして、うおーい、と室内に上がる2名。そして、テラスに戻ってきた2人の手には、ホットドッグとハンバーガーの山。ぷーんといい匂いが漂ってくる。
「おお、いかにもアメリカの味、ですな。」
 ハンブルクやウィーンの味ではないのですな。
「……思い出すなあ、アメフトの試合……。チアリーダーのサマンサとサブリーダーのシェリーが、どっちが俺に相応しいかって静かに張り合ってたっけ……。」
 匂いに引かれて、ハンニバルとフェイスマンも席に着く。そこに、ボウル一杯のサラダを抱えたセシリアが現れた。
「皆さん、お飲み物は?」
「僕、クリームソーダ!」
「兄さん、それはデザートにしときなよ。」
「じゃ、クリームなしソーダ!」
 衛生局課長、味覚は子供時代のままです。
「俺っちもソーダ!」
「俺ァ当然、牛乳だな。」
「お、いいね、牛乳。俺も牛乳!」
 視線を合わせるコングとアーチボルド。2人してグッと親指を立てる。
「こっちはアイスコーヒーを貰おうか。2つ、な。」
 自分とフェイスマンとを指して、ハンニバルがオーダーする。
「ソーダ水2、牛乳3、アイスコーヒー3、ですね。」
 そう言ってフローレットが屋内に入っていった。数、合ってないと思いきや、彼女とセシリアの分も含まれているのである。
 そして全員が飲み物を手に席に着いた。
「ちょっと報告。」
 と口を開くフェイスマン。
「チョコレートシロップのことなんだけど、アーチーのクラブハウスで10箱引き取ってくれるって。残りは、これからフローレットと俺とでケーキ屋や喫茶店を回って売り捌く予定。もう既に15箱は引き取り手がついた。ついでに板チョコ360枚も買い取ってもらうつもり。」
「ああ、そうそう、あのベネズエラのチョコ、譲ってもらっていいかしら? 200ドルでどう? それでよければ、あとで小切手を切るわ。」
 セシリアがフェイスマンの方を見て尋ねた。
「200ドル? も、もちろんいいですとも!」
 2ドルが200ドルに変身し、ほくほく顔のフェイスマン。本当は300ドルくらいの価値があるのだが、そこまではフェイスマンにはわからない。
 フェイスマンの話が一段落したようなので、ハンニバルがアイスコーヒーのグラスを持って立ち上がった。
「あー、それじゃあ何だな、我々Aチームの仕事も終わったことだし、あ、フェイス、表のアルバイト募集の張り紙、剥がしとけよ、パーカー兄弟にも色好い返答を貰ったことだし、フローレットも戻ってきたことだし、あとは湖と池の水を何とかしてだな、この周辺を昔通りの活気のある町に戻してだ、」
「アーニー、もうすぐお誕生日おめでとう! 乾杯!」
 ハンニバルが言い終えないうちに、フローレットが割って入った。
「乾杯!」
 グラスを掲げる一同。ハンニバルは一瞬むっとしたが、すぐに「まあいいでしょう」という表情で、アイスコーヒーのグラスを掲げた。



 デザートはデコレーションケーキだけではなかった。セシリアとフローレットとによって腹八分男たちの前に出されたもの、それはチョコフォンデュであった。ただし、チョコレートシロップを使用しているので、フルーツ等にチョコを絡めた後、チョコが固まらないのが難点。それでも大盛況。バナナにどっぷりとチョコをつけて食べるコング。チェリーをチョコに浸して食べるフェイスマン。スイカをチョコに浸して食べてみて、納得できない表情をしているマードック。チョコをつけずにメロンを掻き込んでいるハンニバル。サンフロランタンを特別に出してもらって、それにチョコをつけて、あまりの美味しさに足を踏み鳴らしているアーネスト。ナッツを出してもらい、しかしチョコ沼の中で次々と行方不明になるナッツに首を捻るアーチボルド。あっと言う間に、土鍋の中のチョコシロップが減っていく。
「シロップ足しますねー。」
 10ガロンのボトルを、よいしょっ、と持ち上げるフローレット。1辺1フット強の立方体とほぼ同じ体積なので、満杯でなければ女手でも持ち上げられないことはない。透けて見えるポリ壜の中身も残り少なくなっていたので、周りの男衆も「手を貸してやらなくても大丈夫かな」と思って、手出しはせず、ただ土鍋から少し身を引いただけだった。ドブドブと土鍋に注がれていくチョコレートシロップ。それを見ながら、アーネストは舌舐めずりすらしていた。と、その時。
「きゃっ!」
 ボトルを持ち上げていたフローレットの手が滑った。それもそのはず、先刻までその手でハンバーガーやホットドッグを食べていたのだから、油でぬめぬめしていて当然だ。って言うか、手拭けよ。
 彼女の手から落ちたボトルは、土鍋の縁に当たった。その衝撃で、土鍋が引っ繰り返った。でも大丈夫、みんな身を引いていたから。テーブルの上にはチョコレートシロップが撒き散らされたが、それはテーブルの上だけ……ではなかった。1人、チョコレートシロップのことなど気にせず、土鍋から身を引くこともなく、メロンに没頭していた御仁がいた。誰あろう、ハンニバルだ。メロンの皮ギリギリまでスプーンでほじっては口に運んでいたハンニバル、チョコレートシロップまみれに。
 それを見て動転したフェイスマン。彼はつい先日、どこぞの美人さんと一緒にオイルフォンデュを食べに行ったのだった。先月は別の美人さんと一緒にチーズフォンデュを食べたし。それにより、フェイスマンの脳味噌には、「フォンデュ=熱い」という等式が確立していた。今さっき、熱くも何ともないチョコをチェリーにつけて食べていたにもかかわらず。
 フォンデュ→熱い→ハンニバル、大火傷。そんなフローチャートが頭に浮かび、フェイスマンはハンニバルの腕を引いて立たせ、ハンニバルを引き摺るようにして庭を走った。事実、ハンニバルは引き摺られていた。そして、ハンニバルを池に突き落とすフェイスマン。いや、投げ込むと言った方が正しいか。火事場の馬鹿力ってやつである。
 バッシャーン!
「大丈夫、ハンニバル? 火傷してない? ねえ、平気?」
 投げ込まれて全身ずぶ濡れ(本日2回目)のハンニバル。その額には怒ってるマークが浮かんでいる。でも、フェイスマンには、暗くて見えない。
「ああ、大丈夫ですともさ。火傷なんかしてませんて。」
 ハンニバルの声が冷静にそう言ったので、フェイスマンは安心した。
「フェイス、ちょっと手を貸してくれやしませんかね?」
 そう言われて、眼下のハンニバルに素直に手を差し出すフェイスマン。この池から自力では上がれないことを、コングたちの例から知っているので。
 と、その時、フェイスマンは自分の手にチョコレートシロップがついていることに気づいた。先刻、土鍋が引っ繰り返った時に飛んだものだ。……熱くない。全然、熱くなんかない。
 フェイスマンの頭部から、さーっと血の気が引いていき(本日2回目)、慌てて手を引っ込めたが、遅かった。池の中から伸ばされたハンニバルの手が、がっしりとフェイスマンの手を掴んでおり、次の瞬間、フェイスマンは池の中に引き落とされた。
 バッシャーン!
 引き込まれて全身ずぶ濡れ(本日2回目)のフェイスマン。恐る恐るハンニバルの顔色を窺ったが、月明かりの中、リーダーは別段怒った風もなく、楽しげな笑顔を見せていた。ポケットの中の葉巻がまたもや濡れてしまったのに気がつくまでの間だけは。
【おしまい】
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