根気勝負! 幻のビールを探せ!
伊達 梶乃
 ハンニバルに連れられてやって来た、山小屋風インテリアのビアレストラン『ドナウ川のさざ波』で、フェイスマンはキョロキョロしていた。店内はそう広くはなく、長い木製のテーブルが1本だけ。その両側に配置された長椅子はほぼ満席。そして、客のほとんどが――ハンニバルに似ている。ハンニバルに似ていないのは、1人のウェイトレスと自分だけ。どこか異空間に来てしまったような気も。
「どうした、フェイス。ほら、お前さんも食べて食べて。」
 陶器のビアマグを片手に、もう片手にはフォークを構えて、かなりゴキゲンなハンニバル……多分、ハンニバル本人。斜め前に座っているおじさんも、隣に座っているおじさんも、反対の隣にいるおじさんも、もう1つ向こうのおじさんも、みんな、髪は白くて薄めで、満面の笑顔で、腹回りが、ええ、まあ何と言うか、フェイスマンの細腰と比べると、いや、比べなくても、言ってみれば、太い。アルコールが回ってピンクになった肌も、みんな同じ。違うところと言えば、眼鏡をかけているかどうか、吸っているのが葉巻か紙巻煙草かパイプか、あとは髪の薄さ、ってぐらいである。
 周囲に溶け込みまくっているハンニバルは、居心地いいかもしれない。だが、フェイスマンにとっては居心地悪いことこの上ない。『猿の惑星』を何となく思い出したりもして。
『こうなったらウェイトレスと恋に落ちるしかないかな。』
 などと思いつつ、皿に手を伸ばす。因みに、この店に入ってから、フェイスマンもハンニバルも何も注文していない。でもなぜか、目の前にはビールとツマミ。いや、ツマミと言うには豪勢なあれこれ。
 A.焦げ目のついた、三角形のスポンジのようなもの。B.クリーム色の畳んだハンケチのようなもの。C.薄茶色のソースに浸った、かすかにボコボコした四角いもの(白と赤の何かが乗っている)。D.焦げ茶色っぽい四角いグミのようなもの。E.周囲が茶色く、内側が白い筒の中に、キュウリが詰まっているもの。F.毛の生えた莢に入っている豆。
 決してハムやソーセージやチーズではない。ましてや、ピザでもない。見たこともない料理を、フェイスマンは恐る恐る口に運んでみた。ハンニバルはさっきからガツガツ食べているのだが。
 A.サクサクと軽く、焦げ目が香ばしい。さっとかけたソイソースの味によくマッチしている。B.フィッシュストックの風味の効いた淡い味のソースが、つるりとしたハンケチに絡みつき、口から鼻に抜ける香りがよい。ハンケチを噛むと、少しコリッとしていて、甘くふんわりとした味わいであった。C.四角いものをスプーンで割ってみると、中は白く、フェイスマンにも、それがトウフだとわかった。フライにしたトウフだ。上に乗っているのはホースラディッシュとレッドペッパーのようだが、その酸味と辛味のおかげでオイリーなフライもさっぱりといただける。D.グミのようだがグミよりも軟らかく、くにゅくにゅとした歯触りが楽しい。味は、甘くしたソイソースに、少しレッドペッパー。E.白い部分は、フィッシュダンプリングのようだが、もっと噛み応えがあり、もっと美味い。魚っぽい匂いになった口の中を、新鮮なキュウリが、さっと洗い流してくれる。F.莢を指で摘むと、つるりと豆が飛び出してきた。薄く塩味のついた豆は、噛めば噛むほどに甘く、いくらでも食べられそうだ。
 どれもこれも美味い。そして、どれもこれもビールに合う。特にフェイスマンが気に入ったのは、AとE。サクサク、グビグビ、ポリポリ、グビグビと、後を引いて止まらない。ビバ、美味いツマミ!
「お姉さん、お代わり!」
 ビアマグを掲げるフェイスマン。
「あたしにも!」
 機嫌が上向いてきたフェイスマンに、にこやかな目を向けつつ、ハンニバルもマグを振り上げる。
「はーい、ちょっと待ってね!」
 30代半ばと思しきウェイトレスは、両手一杯に持っていたビアマグをキッチンに通じるカウンターにでんと置くと、代わりに、ビールの注がれたビアマグをこれまた両手一杯に持って戻ってきた。
「お待たせ。こちらとこちらね。」
 ハンニバルとフェイスマンの間に、マグをででんと置く。
「あの、ビールの種類は選べないの? ペールエールとか。」
 ちょっと失礼かとも思ったが、フェイスマンは頭を仰け反らせて、後ろを行くウェイトレスに尋ねてみた。
「ごめんなさい、今日はライトピルスナーの日なの。」
 彼女の指し示した先には大きなカレンダーがかかっており、そこにはビールの種類が書き込まれていた。
「毎日、ブルワリーから『今が飲み頃!』っていうビールを1種類だけ運んできてもらってるのよ。残念だけど、ペールエールは、しばらくないわね。」
「おーい、エリカ! やっぱし若くてスマートな方がいいんかいのう?」
 ウェイトレスが足を止めてフェイスマンと話をしていると、そんな声が上がった。
「そうね、でっぷりとしたお腹よりは、ほっそりしたお腹の方が、健康にもいいと思うわ!」
 声のした方向に言い返すウェイトレス。笑いに包まれる店内。
「だってさ、ハンニバル。」
「その通りですともさ。」
 意味深な目つきでフェイスマンに言われたハンニバルだったが、周囲を見回して、こっくりと頷いた。周りの爺さんたちよりは自分の腹の方が引っ込んでいる、と判断したのだろう。どう見ても、どっこいどっこいなのだが。
 と、その時。
「おう、ハンニバル。早いな。まだ約束の時間にゃなっちゃいねえぜ。」
 ハンニバルの背後にコングが現れた。
「あー、ちょっち詰めてもらえっかな?」
 フェイスマンの背後にマードックまでもが現れた。
「え? 何? 仕事なの?」
 何も聞いていなかったフェイスマンは、横にずれながら、正面で同様に横ずれしようとしているハンニバルに尋ねた。
「最初に、仕事だって言いませんでしたっけかな?
「美味いビアレストランがある、ってことしか聞いてなかったけど?」
「ま、ともかく仕事なんだ。お姉さん! 牛乳とコーク!」
「はーい!」
 ペールエールはなくとも、牛乳とコークはあるビアレストランなのであった。



 夜11時、本日分のビールが底を突いたため、『ドナウ川のさざ波』は閉店した。
「ゴサクさん、片づけよろしくね。」
 キッチンに向かってそう言うと、ウェイトレスのエリカはハンニバルの隣に腰を下ろした。
「随分と待たせてしまってごめんなさい。」
「いやいや、ビールと料理を十分に堪能させてもらったよ、ゲフ、失礼。」
 呂律は回っているが、明らかに酔っ払った顔をしているハンニバル。その正面で、十二分に酔っ払って泥酔一歩手前のフェイスマンの頭がふらりふらりと揺れている。そんな2人に「仕方ねえなあ」という顔をして、珍しくコングが話を切り出す。
「で、俺たちに仕事を依頼してえって話だが、どんな仕事だ?」
「まず、私はエリカ・シュタイナー。この店のオーナーです。」
 亜麻色の髪を三つ編みにして、どことなくドイツっぽいエプロンを纏ったエリカは、頬から鼻にわたるソバカスのせいもあって、ドイツの山村で善良かつ平凡な暮らしを送っている元気一杯な女性にしか見えない。
「私の父、ハンスは、祖国ドイツでは腕の立つブラウマイスターで、ビール醸造技術を指導するためにアメリカに渡ってきました。いくつかのビール会社を経て、その間に帰化し、当時はまだビール自家醸造解禁よりだいぶ前のことでしたから、企業から独立し、空いた時間を活用してビール醸造のライセンスを取得、セコイア国有林の南にシュタイナー・ブルワリーを作って、ビール作りに勤しんでいました。」
「いました、ってこたぁ、親父さん……?」
「生きています。生きてはいるんですが、すっかりボケてしまって……。今では夫のイサクが、長年、父の助手を務めていたこともあって、ブルワリーを切り盛りしています。」
「そんで?」
 フェイスマンが役に立たない状態なので、代わりにマードックがスケッチブックにメモを取る。木炭で。
「あ、イサクの綴りはIssacではなくIsakuです。日系なもので。」
 スケッチブックを覗き込んで、エリカが訂正を促す。
「それで、ですね。父が以前、そう、5、6年ほど前でしたか、とても美味しいビールを作ったんです。ただ、趣味と研究のために作ったものなので、少ししかなく、商用にするつもりもなかったらしく、それきりになってしまいました。今となっては、そのビールをどうやって作ったのか、わからずじまいです。でも、そのビールをもう一度、再現したくて。これこそが父の作ったビール、というのを世に残したい、と言いますか、父がアメリカでドイツのビールを作っていた証を残したくて……。」
「よし、その仕事、上手く行くかどうかはわからねえが、ともかく引き受けたぜ!」
 この手の話に弱いコングが断言した。
「いいよな、ハンニバル。」
「当然。面白そうな仕事じゃないですか。その『途轍もなく美味いビール』っていうのも飲んでみたいしねえ。」
「大佐、『途轍もなく』じゃなくて『とても』。」
 メモを見て、マードックが言う。
「どっちも同じですって。フェイスもこの仕事に賛成だな?」
 そうハンニバルが訊いた時、たまたま偶然、フェイスマンの頭は縦に揺れていた。
「モンキーも、いいな?」
 フェイスマンの真似をして、頭を縦に揺らすマードック。
「というわけで、エリカさん、さらなるお話を伺おうか。」
「はい、ありがとうございます! あの、でも、お支払いはいかほど……?」
「ああ、そんなのは、そこの優男が何か言い出したら考えればいいさ。」
 エリカに向かって、ハンニバルとコング、マードックはニヤリといけない笑いを見せた。



 ロサンゼルスから車で5時間。深緑のセコイア国有林をバックに、シュタイナー・ブルワリーはあった。ステンレスのタンクが、陽光を受けてキラキラと輝いている。
 醸造所の駐車場に降り立ったAチーム一行は、バンの周りで各々大きく伸びをし、冷たく澄んだ空気を胸一杯に吸い込んだ。
「さて、事務所に向かいますか。」
 リーダーの言葉に、マードックがスケッチブックをバッと開いた。そこには、昨夜エリカが直々に描いた醸造所の案内図が。それに従い、石畳の道を進んでいく。道の脇には小川がサラサラと流れており、清流の中を小さな魚が泳いでいる。その向こうの木立からは、楽しげな鳥の囀りが聞こえてくる。
「いいとこだな。」
 ポツリを呟いたコングの声が、そよ風の中にすうっと溶け込んで広がっていく。
 ロッジ風の事務所に辿り着くと、入口入ってすぐの待合室で、既にエリカがスタンバイしていた。
「遠いところ、ご苦労さまです。」
「始めまして、Aチームの皆さん。シュタイナー・ブルワリー仮所長のイサク・シュタイナーです。」
 エリカの脇で、オリエンタルな顔立ちの、すらりとした男性がお辞儀をした。その細腰たるや、フェイスマンもびっくりだ。エリカよりも細い腰。しかし、肩幅はそれなりにあり、逆三角形の綺麗な体つきをしている。
「妻の申し出を受けて下さり、どうもありがとうございました。僕としても、あの最高に美味しいビールを是非とも再現したいと思います。僕にできることなら何でもお手伝いいたしますので、何なりとお申しつけ下さい。」
 イサクの丁寧な挨拶で、彼の人柄がすっかりわかった。
「では早速ですが、義父が使っていた部屋を見ていただけませんでしょうか。所長室という名目ですが、義父は現場に出ていない時、必ずと言っていいほど、その部屋に篭っていて、私室のようなものでした。何か手がかりがあるとすれば、そこにあるんじゃないかと、僕は思うんです。」
「よろしい、移動しましょうか。」
 偉そうにハンニバルが言い、Aチームとシュタイナー夫妻は事務所の奥へと入っていった。



 所長室は雑然としていたが、ソファもあり、なかなか居心地よさそうな場所だった。篭ってしまうのも、わかる気がする。Aチームが部屋の中を見回している間に、従業員が飲み物を持ってきた。コーヒー2つと、牛乳とコーク。エリカが前もって指示しておいたのだろう。
「義父は書類の整理が苦手だったので、この部屋のほとんどの書類を整理していたのは僕なんですが……。」
 そうイサクは言いながら、造りつけの棚の前にやって来た。その棚には、ファイルがずらりと並んでいる。
「ここからここまでは、うちで作ったビールを小売店等に卸す際の商取引に関する書類のはずです。そして、ここからここまでは、ビールの原料を仕入れる際の商取引に関する書類のはずです。ここは、それ以外の出納関係や、設備・不動産関係。つまり、こちら側の棚にあるのは、お金関係の書類のはずです。義父がごちゃごちゃにしていない限りは。」
「じゃあ、そこはフェイス、お前の担当だな。」
「わかった。ビールのレシピがないか探せばいいんだね?」
「レシピそのものじゃなくて、手がかりが隠れてるかもしれんから、それもよろしくな。」
「そんなの、わかんないって。」
「そして、こちら側の棚ですが。」
 タタッとイサクが部屋の反対側に移る。
「上から古い順に、ビールのレシピが並んでいます。」
「こんなにあるのか?」
 棚を上から下まで見て、コングが唸った。
「大麦、ホップ、酵母、水、それぞれの状態でレシピが違ってきますからね。1年分だけでも、最低、ピルスナー、ライトピルスナー、ペールエール、ケルシュ、デュンケル、アルトの6種類のファイルがあります。」
「その時その時の原料を見て、親父さんが配合を決めてたってわけか。」
 感心したように、ハンニバルが言う。
「配合だけでなく、温度や時間もです。経験と知識と勘で、義父はすべてを決めていました。本当に素晴らしい、才能に溢れた人です……でした。」
「それをずっと記録し続けてたあんたもすげーよ。」
 要点をスケッチブックにメモし続け、いささか疲れてきた(厭きてきた)マードックが、イサクを褒める。
「いえ、僕が記録したのは10年分もありません。この醸造所ができて、もう20年になりますが、僕がここに勤める前は、義母が義父の助手をしていました。」
「じゃあ、エリカさんのお母さんってのは、もう……。」
 Aチーム全員の目がエリカの方を向いた。
「え? 母ですか? 向こうで父に昼ご飯食べさせてますけど?」
 と、エリカは窓の外を指差した。見れば、小川を隔てた向こう側に1軒の家があり、そのテラスでは、エリカにそっくりな老婦人が老人の口元にスプーンを差し出している。
「……生きてるんだ。」
「ええ、元気です。全然ボケてもいないし、足腰も衰えていません。父がボケるまで、ロスの店は母がやっていて、私はただの手伝いだったんですよ。うちのビール、ビン詰めなら少し大きめの酒屋でも売っていますし、他のビアホールやビアレストランにも卸しているんですけど、一番美味しい飲み頃に飲めるのは、関係者だけだったんです。そこで、一般のお客様にもその味わいを楽しんでほしい、と、助手の仕事をイサクにバトンタッチした母が、ヘソクリとコネを駆使して、ロスのあの店を始めたんです。」
「その時、偶然にも、兄のゴサクが『ドナウ川のさざ波』のキッチンを任されましてね。お恥ずかしい話、シュタイナー・ブルワリーで働いていながら、兄に招待されて『ドナウ川のさざ波』に行くまで、エリカに会ったことがなかったんです。」
「ああ、そうか、あの料理、日本料理だ。」
 今更気がつくフェイスマン。
「最初は普通にドイツ料理を出していたんです。でも、ゴサクさんが作ってくれる賄い料理が美味しかったので、試しに出してみたら、お客さんが倍増して。ビールにも合うし、日本料理はヘルシーだからと、皆さん気兼ねなくビールを大量に飲んでくれるみたいです。」
「もう1つ偶然にも、ここの醸造所からロスの店にビールを運ぶタンク車の運転手が、弟のモサクだったんです。僕、人事にはノータッチだったもので、兄から電話で知らされて驚きました。」
「モサクも、ゴサクさんがキッチンにいるの知らなくて、驚いてたわよ。ゴサクさんも、もちろん驚いてたし。」
 そんな昔話を聞きながら、マードックは「これ!」と思う情報を書き出していた。ただし、彼なりの「これ!」だが。コングは既に、レシピのファイルに目を通し始め、フェイスマンも左手にファイルを持ち、右手でバシバシとページを捲っていっている。
「ところで。」
 ソファに腰を下ろしながら、ハンニバルが口を開く。
「親父さんがその『途轍もなく美味いビール』を作った頃、何か特別なことはなかったかな? 例えば、今まで興味のなかった絵を買ったとか、弁護士に相談に行ったとか。」
「絵は前から描いていました。ちょうどモンキーさんみたいに、スケッチブックに木炭で。でも、絵を飾ったり、鑑賞したりするのは好きじゃなかったようです。父の描いた絵は、全部、向こうの家に取ってありますよ。」
「絵に何か手がかりが残されてるかもしれん。モンキー、後で当たってみてくれ。」
「ラジャー。」
「弁護士さんや税理士さんには年数回、問題がないか見てもらっているので、それは別に特別なことではないと思います。……そうだ、アスファルトの道路を石畳にしたの、その頃じゃなかったかな?」
「それだったら、ビール直売店を作って、お客さん用のトイレを造ったのも、その頃よ。」
「よし、それはコング、お前に任せたぞ。」
「おう。……って、何すりゃいいんでい?」
「店の梁にレシピが書いてないか、便器裏にレシピが書いてないか、石畳の石にレシピが彫り込まれてないか、丹念にチェックしていけってことよ。」
 のほほんと言ってのけるマードック。彼に与えられたノルマは、目下のところ、スケッチブックを調べるってだけだから。絵が何枚あるのか、この時点ではわかってないし。毎週1枚、絵を描いて、1年で52枚。ハンス・シュタイナー氏が渡米して35年、その間に描かれた絵は、単純計算によれば1820枚。ま、ファイリングされた書類の数よりは少ないわな。
「それでは、申し訳ありませんが、私は店がありますのでロスに戻ります。あと、よろしくお願いいたします。」
「僕も仕事に戻ります。何かあったら、この内線で呼び出して下さい。」
 イサクはデスク上の機械を指差し、夫婦揃って部屋を出ていった。



〈Aチームの作業テーマ曲、かかる。〉
 脚立に跨って、すごいスピードで書類をチェックしていくフェイスマン。反対側の棚の前で、同様に脚立に跨り、結構じっくりとレシピをチェックしていくハンニバル。スケッチブックを出してきては、マードックの前に積み上げるミセス・シュタイナー(エリカの母)。それを見て、「こんなにあんの?」という表情をしているマードック。テラスでぼけらーと日光浴をしているハンス氏。ビール直売店脇の客用トイレを念入りに掃除しているコング。本日のビールを積み込んだタンク車のバルブを確認するイサク。タンク車の運転席で捩り鉢巻を締めるモサク。助手席にはエリカ。『ドナウ川のさざ波』のキッチンで、本日のツマミの下拵えに余念がないゴサク。
(因みに、イサク・モサク・ゴサクの三兄弟は、顔も背格好もそっくりなのだが、イサクは七三分け、モサクはパンチパーマ、ゴサクは角刈りなので、区別は難しくない。)
 未だ脚立に跨って、すごいスピードで書類をチェックし続けているフェイスマン。脚立に跨るのをやめ、ソファに寝転がってただ何となくレシピを眺めているとしか思えないハンニバル。スケッチブックに描かれた木炭画を丹念に眺めながらも、ミセス・シュタイナーが買い物に出ている間、ハンス氏の面倒を見るマードック。便器を様々な角度からまじまじと見つめるコング。糖化釜のもろみを一掬い取って、匂いと味を確かめる、厳しい顔のイサク。ドライアイになりそうなくらい慎重に、タンク車を運転するモサク。助手席のエリカは仮眠中。窓辺で栽培しているシソの葉を摘み取るゴサク。
 根を詰めすぎて、脚立から落ちそうになるフェイスマン。うつらうつらして、ソファから落ちそうになるハンニバル。真剣に古いスケッチブックを繰るマードックの横で、マードックのスケッチブックに風景画を描いているハンス氏。ボケているのに、なかなか見事な腕前。そんな2人を背後から眺めて微笑む、ミセス・シュタイナー。
〈Aチームの作業テーマ曲、終わる。〉



 シュタイナー・ブルワリーに雄鶏の声が響き渡った。ミセス・シュタイナーが飼っている鶏の声である。
 夜を徹して調査に身をやつしたAチームの面々。そう言えば、夕食も食べ損ねてしまった(マードック以外は)。依然として脚立に乗っていたフェイスマン、依然としてソファに転がっていたハンニバル、トイレの壁板を剥がしては戻し剥がしては戻ししていたコングは、あたかもゾンビのように、ベーコンの焼ける匂いの方によたよたと引き寄せられていった。
 約30分後、ミセス・シュタイナーに朝食を振る舞われたAチームは、持ち場へ戻り、調査再開。
 約6時間後、ミセス・シュタイナーに昼食を振る舞われたAチームは、持ち場へ戻り、調査再開。
 そして、さらに約6時間後。
「やった! 終わった!」
 脚立を椅子代わりにしていたフェイスマンが、最後のファイルを棚に戻して、大きく伸びをした。
「で、手がかりは見つかったのか?」
 チビた葉巻をガラスの灰皿で揉み消しつつ、ハンニバルが尋ねる。
「手がかり、なし。販売していないビールのデータなんてなかったし、それっぽいメモもなかった。ただ……。」
「ただ、何だ?」
「石畳を敷いたのが5年前なんだけど、その頃、ハンス・シュタイナー個人の名義で借金してて、それがまだ返済されてないみたいなんだ。」
 話しながら、本棚の、とあるセクションの最下段に手を伸ばすフェイスマン。そこだけは、一番下の棚板のすぐ上に、余った可動式棚板が重ねてある。2枚の板の間から薄っぺらい茶封筒を引き出す。どうやらそれは、ハンス氏が隠していたもののようだ。
「借金か。いくらだ?」
「10万ドル。」
 茶封筒の中から、1枚の書類を引き出した。借用書だ。
「ほう。ブルワリーのオーナーなら、払えない額じゃないんじゃないか?」
「それがさ、マイクロブルワリーじゃないから税率も高くて、あんまり儲かってないみたいなんだよね、ここ。原料にも拘ってるし。」
「うーむ。『ドナウ川のさざ波』も採算を度外視してるような状態だったしな。……親父さんがボケたってことで、どうにかならんのか?」
「借金した当時からボケてたんなら何とかなるかもしれないけど、ボケたのは最近じゃん、どうにもなんないよ。まあ、一家が夜逃げしたとか、破産したとなれば、返済義務は保証人に移るんじゃないかな。」
「誰が保証人になってるんだ?」
「タゴサク・コトヒラ。」
「誰だ、そりゃ?」
「知らない。でも、名前からすると、イサクに関係ありそうじゃん? ってだけじゃなくて、これ見て。」
 と、フェイスマンは、ちょうど背伸びをして手が届く高さの棚の一番端から、1冊の薄いファイルを取って開いた。中には、数枚のカタログと、白っぽい紙が何枚か。
「石のカタログか? 何々、サヌカイト?」
「日本のサヌキってとこでしか採れない珍しい石なんだって。叩くといい音がするって書いてある。その他にも、日本で採れる高価な石が出てるんだけどさ、こっちは納品書と領収書。親父さん、5年前に、ほぼ10万ドル分、サヌカイトを買ってる。」
「販売店は、有限会社コトヒラ・ストーン、か。保証人と同じ『コトヒラ』だな。……ふむ、こりゃあイサクに訊いてみるのが一番だろう。」
 ハンニバルは、よっこいしょ、とソファから立ち上がり、デスクの上の機械をごちゃごちゃと操作した。
「イサク、ちょっと来てくれ。」
『所長はただ今、倉庫にてホップの選定をしておりますが。』
 女性の声が機械から返ってきた。秘書か、はたまた助手か。
「呼んできてくれ。急ぎの用だ。」
『了解いたしました。』
 それから10分ほど後、所長室にイサクが駆け込んできた。
「どうしました? 何か見つかりましたか?」
「いや、これなんだがね。」
 借用書と石の領収書とをイサクに見せる。
「このタゴサク・コトヒラってのは誰だ?」
「父です。ビバリーヒルズでうどん屋をやっています。え、何ですか、これ。義父に借金があったんですか? その上、父が保証人になっていたんですか? いつの間に?」
「子供たちの知らないところで、父親同士、意気投合していたんでしょうな。ビール職人とうどん職人とが。」
 しみじみと言うハンニバル。まるで自分が誰かの父親であるかのように。
「じゃあイサク、このコトヒラ・ストーンっていうのは?」
 領収書の下のところに書いてある社名を指差すフェイスマン。
「それは叔父の会社です。日本産の石を扱っていて……って、サヌカイトを10万ドル分も買ったんですか?」
 イサクにとっては、驚きの連発。
「で、そのサヌカイトはどこに? 僕、義父がサヌカイトを叩いているのなんて、見たことも聞いたこともありませんよ。」
 因みにイサクはアメリカ生まれだが、父タゴサクの生まれ故郷サヌキ(サヌカイトの産地、うどんで有名)には、何度か行ったことがある。
「そのサヌカイトってのは、叩いて音を出す以外に、何か使い途はないのか?」
 と、ハンニバル。
「魔除けとして吊り下げて飾ったりもするようですけど、そんな大量のサヌカイトを飾ってあったら、僕だって気がつくはずです。」
「この石を買ったのって、日付からすると、石畳を敷く直前なんだけど?」
 ヒントを出すかのように、フェイスマンが言う。
「10万ドル分のサヌカイトが石畳に使われているって言うんですか? そんな、もったいない……。」
「ま、それはコングに調べさせるとして、だ。イサク、借金の取り立てが来たとか、催促の電話がかかってきたとか、覚えにないか?」
「ありません。義父が借金をしていたこと自体、今、知ったんですから。」
「ミセス・シュタイナーはこのこと知ってるのかな?」
「家に電話してみます。」
 フェイスマンの疑問に、イサクはデスクに駆け寄って、古めかしい電話の受話器を取った。
「もしもし、義母さん? イサクだけど、義父さんが借金してたの知ってる? うん、借金。僕の叔父の店から石を買うのに使ったみたい。金額? それが、10万ドルもなんだ。知らない? そうだよね。え、何?」
 イサクが送話口を押さえて振り返った。
「どこからお金を借りたのか、って、義母さんが。」
「ソレイユ金融って書いてある。」
 借用書を見ながら、フェイスマンが答える。
「ソレイユ金融。知らない。聞いたこともない。わかった、ありがとう。」
 イサクが受話器を置いた。
「義母さんも、借金があったことなんて知らないと言っていました。……そうだ、父さんと叔父さんにも電話して訊いてみますね。ええと、電話番号は……調べて、向こうでかけてきます。」
 廊下の方を指差してそう言うなり、イサクは小走りに部屋を出ていった。



 しばらくして所長室に入ってきたのは、イサクではなくマードックだった。
「そっち、どんな具合?」
「親父さんが借金していることがわかったぞ。」
 新しい葉巻に火を点けて、ハンニバルが答える。
「あー、それでか。さっきミセスが電話してたのって、そのこと?」
「そうだ。」
「そのせいで、あっちの家、めっちゃ険悪なムードでさ。」
 親指を立てて家屋の方を示し、言葉を続ける。
「親父さんがああだから、ミセス、物に当たり散らしてて。危ないから、俺っち、避難してきた。」
「んな、モンキー、あの2人、放っておいて大丈夫なの?」
「へーきへーき。も少ししたら、ミセスも落ち着くって。夕飯の支度の最中だったし。」
 調理中のものを投げたのかどうか、ちょっと気になるところ。
「で、モンキー、そっちの進展具合はどうだ?」
「スケッチブック、全部見終わった。最初は下手っぴだった親父さんも、段々と上手くなってきてねえ。」
「絵の上手下手はともかく、何か手がかりは見つかったのか?」
「手がかりかどうかちょっちわかんねんだけど、ずっと昔は親父さん、町の建物や道路を描いてて、ブルワリーができた頃からは、多分この辺の風景、木とか山とかタンクとか家とか鶏とか描いてたんよ。それが、5年前の日付のやつからずっと、そこの道んとこをいろんな方向から描いてんだよね。」
「石畳か。」
 ハンニバルとフェイスマンが声を揃え、嬉しそうな顔をした。
「やっぱ、手がかりだった?」
 マードックもまた、嬉しそうな顔になる。
「となれば、コングだな。」
 そう、現在コングは石畳を調査中。
 事務所入口の受付のところで、イサクが受話器を片手に、真剣な顔をして、Aチームにはわからない言葉を喋っていたが、話し中なので邪魔はしないでおいて、3人は外に出た。既に辺りは暗く、ところどころに立っている街路灯が何とか足元を照らしているだけである。
 そんな中、遠くに黄色い光がぼんやりと見える。コングだ。左手に懐中電灯を持ち、右手に刷毛を持ち、石畳に這いつくばって、石の表面を丹念に調べている。
「おーい、コング! 何かわかったか?」
 光の方に歩みを進めながら、ハンニバルが尋ねる。
「いんや、何もわかってねえ!」
 3人が間近まで来ると、コングは懐中電灯を消して立ち上がった。
「便所にゃ全く何も手がかりはなかったぜ。売店の方は、まだ見てねえ。駐車場からここまで、石にゃ特に何も彫られちゃいなかった。ってとこだ。」
「しかしながら、どうもこの石畳が怪しいようなんだがね。」
 ハンニバルはしゃがみ込んで、石の1つを爪で叩いてみた。
「別に、いい音はしないぞ?」
 フェイスマンの方を見上げるハンニバル。
「それ、サヌカイトじゃない普通の石なんじゃん? 叩き方が悪いとか。」
 そこへ、イサクが紙筒を掲げて走ってきた。
「父は借金のことを覚えてました。義父と一緒にソレイユ金融に行ったんだそうです。とても親切な会社で、利子率はたったの年4パーセント、返済期限は5年後としてくれた、と話していました。これ、父がファクシミリで送ってくれた借用書のコピーです。」
 丸まった紙を受け取るハンニバル。タゴサクの持っていた借用書は2ページに亘っており、2ページ目にはハンス氏の持っていた1ページ目にはない、細々とした事項が記されていた。恐らくハンス氏も同じものを持っていたのだろうが、紛失してしまったか、もしくはフェイスマンが探し出せなかったか。多分、前者。
「義父がボケてしまったことを、父は非常に残念がっていました。もし義父が借金を返済できない状態なら、父が支払うそうです。すぐにでも。」
「10万ドルを、すぐに?」
 声が裏返ってしまうフェイスマン。
「ええ、父のうどん屋、セレブ向けなもんで。」
 ソレイユ金融がハンス氏に10万ドルを貸した理由が、やっと納得できたフェイスマンであった。シュタイナー・ブルワリーの当時の経営状況を鑑みれば、1万ドル貸すのも考えものだ。しかし、ビバリーヒルズでセレブ向けのうどん屋を経営しているタゴサク氏が保証人になっていれば、話は別。
「それから。」
 と、イサクは作業用ツナギの胸ポケットからメモを取り出した。
「叔父の話によると、義父の買ったサヌカイトは、石畳に使えないこともないけれど、石畳に使うような馬鹿は未だかつていないそうです。もし石畳に使ったとしても、量からして、この道幅ですと、10ヤードの長さにも満たないとか。」
「10ヤードだと? この道ゃ100ヤードはあるだろ。」
 コングが石畳を見渡して言う。
「ってことは、この、どれもこれも同じに見える石のうち、いくつかがサヌカイトである可能性が高いんだな?」
「そういうことです、ハンニバルさん。叔父に見分け方を教わりました。道路に埋まっている状態でも、金槌で軽く叩くと、他の石とは違う音がするそうです。もっと専門的で確実な方法もあるそうですが、手近なもので調べるとなると、この方法が一番いいらしいです。はい、金槌。」
 用意周到なイサクは、金槌をポケットから取り出した。かの有名な猫型ロボットのポケットのようだ。
「おう、じゃ、早速やってみるぜ。」
 金槌を受け取ったコングは、再度這いつくばって、石を軽く叩いた。コンコンと音がする。隣の石も叩く。コンコン。その隣も。コンコン。
「同じ音だぜ。」
「もう少し続けてみろ。」
 コンコン。コンコン。コンコン。コンコン。コンコン。キンキン。
「おっ!」
「それだ!」
「確かに音違う!」
「俺っちも、それやりたい!」
「金槌、もっと探してきますね!」
 踵を返し、事務所の方に駆け出そうとしたイサクが、ふと足を止めた。
「あの、僕たち、サヌカイトを探してるんじゃなくて、ビールのレシピを探しているんですよね?」
「ああ、そうとも、その通りだ。だが、所長室にはその『途轍もなく美味いビール』のレシピは見つからなかった。直接の手がかりさえも見つからなかった。となると、親父さんがレシピをどこかに隠したと見た方がいいだろう。」
 ハンニバルの解説に、うんうん、と頷く部下3名と他1名。
「レシピを隠したのであれば、その隠し場所は部外者には知られてはならないが、親父さん以外にレシピを知る権利のある者、即ち助手であり義理の息子であるイサク、君とか、実の娘であるエリカとか、奥方とか、そういった人たちには見つけられる場所でなければならない。」
 さらに頷く4名。
「そこで親父さんはヒントを残した。それがこの石畳とサヌカイトだ。10万ドルもかかったがな。思うに、親父さんはわざと借金を返済しないでおいて、自分に何かあった場合にも5年後にはレシピを発見してもらおうと計画してたんじゃないか?」
「そうか、借金を返さないままにしておけば、5年後に借金の取り立てが来て、家族にバレる、と。」
「ってことは、オイラたち、必要なかったってわけ?」
「借金取りが来りゃあな。」
「なるほど、わかりました、ハンニバルさん。近々、借金取りが来るんですね。」
「ま、そういうことだな。フェイス、借用書の日付はいつだ?」
「ええとね、5年前の……。」
 と、フェイスマンは借用書に目を落とした後、腕時計を見て今日の日付を確認し、眉間に皺を寄せた。
「5年前の……ちょうど今日だ。」
「何?!」



「そう、あれはちょうど5年前の今日。」
 駐車場の方から声がした。グレーのスーツ姿の男3人がこちらにやって来る。
「ハンス・シュタイナー氏にお貸しした10万ドル、現在では利子を含めて、いくらだ?」
 先頭を歩いていた四十絡みの男が、右斜め後ろの若い男に尋ねる。
「はい、12万1665ドルと28セントです、社長。」
「ただし、それは昨日までの額。既に丸5年と1日目に突入した今日、返済期限も過ぎ、いくらになった?」
 社長と呼ばれた先頭の男が、左斜め後ろの若い男に尋ねる。
「利子率は我が社通常利率の月8.5パーセント、それに返済額10パーセントの違約金を含め、ええと、ちょっと待って下さい、おい、ジョルジュ、返済額ってどの時点のだ?」
「何だ、ロベール、計算してこなかったのか? 昨日の時点での利子を含めた額だ。俺の計算によると、合計、14万4173ドル34セント。」
「それです、社長。」
「ロベール、減俸。」
 Aチーム他1名の前に辿り着いたグレーの3人。地味なスーツ姿ではあるが、よくよく見ると、その生地はシルク特有の光沢を放っている。先頭の男の、綺麗に撫でつけた髪と細い眼鏡とが、インテリを気取っているようで、かてて加えて金のかかった身なりに、フランス訛のある偉そうな口振り、少し鼻にかかった高めの声。「不愉快極まりない人物」とAチームは判断した。
 先頭の男がハンニバルの前に、すっと手を伸ばす。その手の爪は、美しく整えられていた。
「こんばんは、ムッシュ・シュタイナー。お元気そうで何より。」
「人違いされてますな、ソレイユ金融の方。あたしはジョン・スミス。」
 作り笑いを浮かべ、ハンニバルはソレイユ金融社長に右手を差し出すと、その手で社長の鳩尾にきつい手刀をお見舞いした。
「うぐっ。」
 続けて、鳩尾を押さえて屈み込む社長のがら空きの項に、体重をかけたチョップを一発。ものの数秒で、ソレイユ金融社長は石畳に伸びた。
「社長!」
 駆け寄ろうとする部下2名は、フェイスマンとマードックの遠慮がちなパンチによって、社長の上に伸びた。
 蛇足ながら、コングはさっきからずっと、金槌で石を叩いている。
「な、何でいきなり……?」
 てっきり借金返済についての話し合いになるのかと思っていたイサクは、事態の急転に動揺を隠せない。そりゃまあ動揺するだろうな、善良な一般市民ならば。
「何でって、まあその、気に食わなかったから、かな。」
 さっぱりした顔でハンニバルが答える。
 その横で、気絶中の3名の懐を探っていたフェイスマンが、社長のネームカードを発見して読み上げる。
「ソレイユ金融社長、ギュスターヴ・モンブラン。会社の場所も自宅も書いてある。ラッキー。」
 必要なものを自分のポケットに入れる。それからフェイスマンは、社長の眼鏡を外してかけてみたが、かなり強い乱視矯正用で頭がクラクラしたため、社長の顔面にぶっすりと眼鏡を戻した。
「この借金、なかったことにしよう。」
 何事か考えているようだったハンニバルが、そう言い出した。
「できるな? フェイス。」
「オッケ。」
「モンキー、車からロープを出してきて、こいつらをふん縛っておけ。」
「了解っ。コングちゃん、車のキー貸して。」
「ほいよ。」
 コングが投げて寄越したキーをキャッチし、駐車場の方に走っていくマードック。」
「いいな、イサク。」
「は、はい?」
「これからあたしたちは、親父さんが借金したという証拠をすべて隠滅する。君の力も必要となるだろう。協力してくれ。」
「はい……。」
 それって違法なんじゃないか、と思いながらも、断れない雰囲気の中で、イサクは頷くしかなかった。
「大丈夫大丈夫、俺の言う通り動いてくれれば、そんな危ないことなんてさせないから。」
 不安げな表情のイサクの肩を、フェイスマンがポンポンと叩いた。
「10万ドルの、いやいや、14万4173ドル34セントの借金がなくなるんだよ? それって素晴らしいことじゃん? ね?」
 イサクに対して妙に優しげになったフェイスマンを見て、ハンニバルが鼻でフッと笑った。どうやらフェイスマンは、浮いた金を報酬に回してもらおうという魂胆らしいが、その魂胆は既にハンニバルにバレている。今回もAチーム、報酬なしですね。



〈Aチームの作業テーマ曲、再びかかる。〉
 真っ暗なソレイユ金融のオフィスで家捜ししているフェイスマンとハンニバル。隠し金庫から裏帳簿まで発見。ハンス氏の借金に関する書類を捜し出し、それに関係するデータを抹消。ついでに、明るみに出てはモンブランも困るだろうなあ、というデータを入手。
 ビバリーヒルズのタゴサクの家へ行くイサク。ま、実家だね。タゴサクに事の次第を説明する。こっくりと頷き、借用書のコピーを灰皿の上で燃やすタゴサク。
 ソレイユ金融の3人をロープで縛って、鶏小屋に押し込むマードック。夜の鶏は、とても静かにしている。
 石畳の石を依然として金槌で叩いているコング。見つけたサヌカイトは、チョークで白く塗っておく。
 モンブランの自宅で家捜ししているフェイスマンとハンニバル。
 ブルワリーに戻ってきたイサクが、ミセス・シュタイナーに事の次第を説明する。こっくりと頷くミセス。そして、割れた土鍋をイサクに見せるミセス。残念そうに首を横に振るイサク。肩を落とすミセス。
 手近な警察署に変装して乗り込むハンニバル(掃除婦)とフェイスマン(電気工事士)。ソレイユ金融の悪事を記したデータを、何気なくそこいらに置いて立ち去る。
 電話で連絡を受け、鶏小屋の3人をリリースするマードック。もう陽は高く昇っており、3人は鶏に突っつかれ、引き裂かれ、蹴られて、満身創痍。シルクのスーツも、ほぼ跡形なし。
 変装を解き、コルベットに乗ってブルワリーに戻るハンニバルとフェイスマン。途中の人気ない道端に車を停め、ハンス氏の借金に関する書類に火を点ける。燃え上がる書類。すっかりと灰になったのを確認し、車に戻る2人。
〈Aチームの作業テーマ曲、再び終わる。〉



 約20時間後。ハンニバルがブルワリーに戻ってきたのは、ちょうどコングがすべての石をチェックし終わった時だった。
「終わったぜ!」
「ご苦労、軍曹。」
 コングは伸びをしながら、ハンニバルは葉巻の煙を吸い込みながら、石畳を見た。チョークで印をつけたサヌカイトが、何か意味のある図形を作っているのかと予測していたが、何だがよくわからない。
「何だ、これは……文字……か?」
「いや、意味なんてねえんじゃねえか?」
「ヘリで空から見ればわかると思うんだけどなー。」
 印のついた石の上に手足をついて、ツイスターゲームみたいな姿勢になっていたマードックが、捩れた体勢のままハンニバルを見上げて言った。
「いや、そこまでする必要もあるまい。」
 その時、イサクを呼びに一足先に事務所に行っていたフェイスマンが、イサクと共にやって来た。
「あれ? 何か書いてありますね。」
 イサクが目を細めて石畳を見やる。Aチームの面々は、「え?」といった顔をイサクの方に向けた。
「何々、『うどんはうまい』と書いてあります。日本語で。平仮名で。」
 10万ドルかけて、そんなメッセージかい。
「ビールのレシピとは関係ないようだね。」
 がっかりと肩を落としてフェイスマンが言う。
「いや、そうでもないぞ。イサク、親父さんは日本語が達者だったのか?」
 何かを確信した瞳で、ハンニバルが尋ねる。
「いいえ、日本語は全くできませんでした。ドイツ語と英語で精一杯だと話していましたし。」
「ってことは親父さん、だいぶうどんに感動したようだな。」
 コングの腹がグーと鳴る。
「イサク、幻のビールのレシピだが、お前さんの実家は捜したのか?」
 再度尋ねるハンニバル。
「あ! 捜してません!」
 昨日まで、父親同士の交流が行われていたことさえ知らなかったのだから、仕方あるまい。
「父に電話してきます!」
 事務所に向かって駆け出していくイサク。
 ハンニバルの勘が当たっているのなら、もうここでこうしていても意味がない。Aチーム一同も事務所に向かっていった。



 4人が事務所に入ると、電話を終えたイサクが鼻息を荒くしていた。
「父が、義父からビールのレシピを預かっているそうです!」
「ほう、捜す手間が省けたな。」
「すぐにファクシミリで送ってくれるとのことです。」
 5人でじーっとファクシミリを見つめ、待つこと数分。機械が紙をブブブブブと吐き出し始めた。はやる心を抑え、固唾を飲んで、ただ待つ。遂に、機械がピーと鳴り、紙の排出が止まった。慎重に紙を破り取るイサク。端から端までじっくりと目を通す。
「……これこそ、そのレシピです。」
 イサクの言葉を聞き、小さくガッツポーズを取るコングとマードック、安心したように溜息をつくフェイスマン、ニッカリと笑うハンニバル。
「実際にビールを醸造してみないことには、本当にこれがあの幻のビールのレシピだと断言はできないんですけど、でも、こんな配合と条件のビール、他にはありません。」
「それじゃ、これにて我々の仕事は終了ってことでいいんだな?」
「はい、何から何まで、どうもありがとうございました。」
 深々と頭を下げる。
「して、そのビール、いつ飲ませてもらえるんかな?」
 今にも舌なめずりをしそうなハンニバルだが、百戦錬磨のツワモノどものリーダーは、舌なめずりなんかしてはいけない。
「ええと、原料は現在在庫のあるもので何とかなるんですが、かなり手間がかかる上、冷蔵庫を使ってはならないと注意書きがしてあります。となると、この冬のうちに間に合うかな? 上手く行けば今度の春になる前に飲めます。ああ、でも、僕、ここのところ仕事をサボりっ放しで、このビールにかかりっきりになっている時間あるかな……? もし時間が取れなければ、再来年の春前になってしまいます。」
「ビールって、そんなに時間かかるもんなの?」
 1日でチューッとできてしまうものかと思っていたフェイスマン。
「早くても2カ月はかかりますよ。それでも、ワイン作りに比べれば短いものです。」
 ワインにもビールにも興味のないコングとマードックは、待合室に展示してある『ビール製造工程』や『ビールの歴史』を眺めている。興味もないのに、なぜそんなものを眺めているのかと言えば、マードックは、ビール醸造を描いた古代エジプトの壁画(当然コピー)のポーズを真似るのに熱中しているし、コングは、ビール醸造に使われる各種メカの光沢に見惚れているのであった。
「それじゃあイサク、今度の春前に必ず飲めるようにしてくれ。あたしたちも手伝う。」
「かなり面倒な作業になると思うんですが、構いませんか?」
「ああ、構わないとも!」
 即答するリーダーを見る3人の部下、その眉は皆、ハの字形であった。



〈Aチームの作業テーマ曲、三たびかかる。〉
 白い無菌ズボンに白い無菌スモック、白いゴムブーツに白い手袋、マスクをして無菌帽(パーマを当てる時に被せられるような、キノコの笠っぽいアレ)という出で立ちのAチーム4名、事前にイサクに教わった通りの作業を行う。大麦の選定、川の水の濾過、大麦の洗浄と浸漬。全部、手作業で。大麦をコング手作りの発芽室に入れて、ハンス氏のレシピにある通りに温度と湿度を調節し、一旦解散。
 通常の仕事に戻り、チャキチャキと働いているイサク。すっかり忘れられていたために、不貞腐れているエリカ。エリカに割れた土鍋を見せるミセス・シュタイナー。残念そうに首を横に振るエリカ。マードックが忘れていったスケッチブックに絵を描いているハンス氏。ビールを積載したタンク車を運転するモサク。店のテーブルを磨くゴサク。額に汗してうどんを捏ねるタゴサク。
 ソレイユ金融に逃げ帰ったモンブランと部下2名、書類がだいぶなくなっているのに気づいて大慌て。そうこういているうちに、税務局や法務局の職員、警察官、マスコミが、続々と押しかけてくる。
 1週間後、ブルワリーに集合し、またもや無菌ルックのAチーム。今回の作業は、発芽した大麦の選別、ピンセットで根を除去、熱風で大麦を乾燥、すり鉢で粉砕。ここまでも、もちろん手作業。温めた水(濾過済み)に砕いた大麦を入れ、指定された時間だけ、指定された温度で温める。途中で、何度か温度を変更。イサクに状態を確認してもらい、加熱終了。もろみになった大麦を布袋に移して、コングが搾る。搾り汁を鍋に入れ、予め選定してあったホップを加えてグツグツ煮る。これをガーゼで濾過してポリタンクに入れ、冷めてから酵母を加え、タンクを思い切りシェイク。指定時間、放置した後、再度濾過し、ポリタンクを指定の場所(裏山の岩の窪み)に静置。またもや一旦、解散。ただし、日に1回は誰かがタンクの様子を見に行き、タンクが破裂しそうなほど膨らんでいたら、ガスを抜く。でないと、今までの苦労が水の泡。
 さらに1週間後、タンクを指定の場所(裏山の頂上に近い、風吹きすさぶ日陰)に移動。そのままタンクの破裂に気をつけながら、2カ月放置。
〈Aチームの作業テーマ曲、三たび終わる。〉



 ビバリーヒルズの高級住宅街に、ひっそりと建つうどん屋。大きな看板もなく、うっかりすると見逃してしまいそうな、隠れ家的な店。それが、タゴサクのうどん屋だった。ドアを開けると、シックな和風の造りの薄暗い店内に、BGMは川のせせらぎ。1卓もしくは2卓ごとに半ば個室のようになっており、これならばセレブも落ち着いてうどんを啜れることだろう。
 Aチームの4人は、キモノのウェイトレスに案内され、一番奥の個室に通された。その部屋の中には、エリカ、ハンス氏、ミセス・シュタイナー、イサクの4人の姿があった。そこにAチームの4人を加え、総勢8名。
「さあ、全員が揃ったところで、Aチームの皆さんのおかげで再現できた、あの幻のビールをお出ししましょう。」
 イサクがそう言い、パンパンと手を打つと、襖がすっと開き、ウェイトレスがえっちらおっちらとポリタンクを運んできた。もう1人のウェイトレスが、グラスを9個出す。
「ありがとう、おキヌさんとおヨネさん。父さんも呼んできて下さい。」
「わかりました、イサク坊っちゃま。」
 そう返事をして、ウェイトレス2人は個室を出ていった。
「イサク坊っちゃま?」
 エリカが声を引っ繰り返した。
「もう僕も30代半ばなんだから、『坊っちゃま』なんておかしいのにね。」
 イサクの返答に、エリカは「そういう問題じゃなくて」と言いたかったが、ポリタンクのコックから真剣にビールを注いでいるイサクを見て、口を閉じておくことにした。
 グラスに注がれたビールは、琥珀色に近い黄金色で、非常に澄み切っており、上層に浮かんだ泡はとても細かく濃密でマシマロのようだ。イサクがゆっくりと注いでいるのに、9杯目のグラスにビールを注ぎ終えた時にも、1杯目のグラスの泡は全く変化していなかった。
「ご無礼いたします。」
 そう言って入ってきたのは、ごま塩の髪を角刈りにした、精悍な風貌の男性だった。このうどん屋の主、タゴサクである。息子たちの中ではゴサクが一番似ているが、タゴサクはゴサクよりもシャープできりっとしていた。
「お久し振りです、タゴサクさん。」
 エリカとミセス・シュタイナーが挨拶する。
「よう、タゴサク。相変わらず男前だねえ。」
「お父さん?!」
 ボケ老人のはずのハンス氏が口を開き、エリカとミセス・シュタイナーは目をパチクリさせた。イサクも、Aチームも、目をパチクリ。
「何て顔してんだ、お前たち。ほら、タゴサクも座って。おっ、こりゃ例のビールだね。タゴサクにレシピ渡しといたやつ。」
「ハンス……あんたボケてたんじゃなかったのか?」
「ああ、ボケてたんだろう、さっきまでの記憶がないからな。気がついたら、目の前にお前がいて、ビールがあった。さ、俺がまたボケないうちに、ビールを飲もうじゃないか。これ、イサクが作ったのか?」
「いいえ、こちらのAチームの方々が作って下さったんです。」
 こちら、と4人の方を示すイサク。
「いやあ、どうも、これ、面倒だったでしょう、作るの。」
「初のビール作り、存分に楽しませてもらいましたよ。」
 いくらハンニバルだって、こんな場で「厭き厭きするほど面倒でした」とは言えない。部下3名も、笑顔で頷く。
「ともかく飲みましょうよ、お父さん。」
 ミセス・シュタイナーが目を涙で潤ませて言う。
「よし、それじゃ、俺のボケ回復を祝って、乾杯!」
「乾杯!」
 一斉に全員がグラスに口をつけた。普段ビールを飲まないマードックや、普段から酒は嗜まないコングも。このビールのために、3カ月間、ブルワリーに通ったのだから。
「美味いっ!」
 ハンニバルがパンと腿を叩いた。
「これよ、これ!」
 エリカとミセス・シュタイナーが口を揃えた。
「え、これ、ビール? ビールって言っていいの? うわ、何これ、うわ、はー。くはー。」
 上手く言葉にできないほど感動しているフェイスマン。
「これなら、いくらでも飲めるぜ。」
 一気にグラスを乾したコングも、口の上に白ヒゲをつけて嬉しそうに言う。
「コンソメスープのようなまろやかな口当たり、でもスープほど重くなくて、軽やかに喉に下りていく感じがする。苦いんだけど、苦くない。心地好い苦さ。どっしりとした麦の味、だけど、くどくなくて香ばしい。飲み込んだ後は、麦とホップの香りがほんの一呼吸だけあって、最後にはそれさえも消えていく。乾いた野原に、突然、霧雨が降ってきて、植物たちはその水を少しでも多く受け止めようと葉を広げる……。」
 マードックが目を閉じ、この味を言葉で表現しようと躍起になっている。
「ハンス、6年前だったか、初めてこのビールを飲ませてもらった時も思ったんだが、あんたと知り合えて本当によかったよ。」
 タゴサクが真顔で言う。
「美味いビールが飲めるから、か? 俺もお前と知り合って、うどんが美味いもんだってわかったもんな。」
 ケラケラとハンス氏が笑った。
「さすがです、お義父さん。」
 イサクが鼻から、ふう、と息をついた。
「とても僕には、こんな素晴らしいビール、考えつきません。」
「別に俺だって、このレシピ、いきなり考えついたわけじゃないぞ。ドイツにいた頃、家で隠れて作ってた方法で、それを試行錯誤して微調整してったってだけだ。50年かけて作ったレシピってわけだな。」
「ただ、このビール、大量生産はできませんね、面倒すぎて。」
「そうだなあ。俺がまた今度いつボケるかわからんが、それまで、このビールの味わいを残しつつ大量生産できる方法を考えるか。」
「ねえ、お父さん、これ見て。」
 エリカがスケッチブック(元マードックの私物)を取り出した。
「お父さん、ボケてた間も絵を描いてたのよ。ほら、これなんて、ビールのラベルにいいんじゃない?」
 ビールのタンクと工場、それと石畳。バックは森林。本当はこんな配置ではないのだが、実物を見ないで描いたものなので、小さな絵の中にシュタイナー・ブルワリーの特徴が上手く納まっている。
「おお、こりゃあいい。ボケた俺も捨てたもんじゃないな。」
「言わせてもらえれば、お父さん、ボケたあなたを捨てようと何度思ったことか……。」
 ミセス・シュタイナーが頭をふるふると振った。
「私たちの結婚祝いに貰った土鍋も割れてしまったし。」
 割ってしまった、の方が正しい。
「あのドイツから持ってきたやつか。」
「陶芸家の友人に訊いてみましょうか。奴なら割れた土鍋も直せるかもしれない。」
 タゴサクが助け舟を出す。
「まあ、是非ともお願いしますわ、タゴサクさん。」
 と、その時。
「失礼します。釜玉うどんをお持ちしました。」
 襖が開き、おキヌさんとおヨネさんと、さらにもう1人のウェイトレスが、丼を持って入ってきた。
「待ってました!」
 丼を受け取るハンス氏。誰よりも早く、ソイソースのボトルに手を伸ばし、うどんの上に、ちゃー、とかける。そして、小皿の上の茶色いヒラヒラ(鰹節)と緑色の物体(アサツキ)とを丼の中に放り込むと、箸でガーッと混ぜた。次の瞬間、「いただきます」も言わずに、ハンス氏はうどんをずぞーっと啜った。
「くはーっ、美味え!」
 Aチームのメンバーやエリカやミセス・シュタイナーも、ハンス氏に倣ってうどんを調味し、勢いよく啜る。イサクとタゴサクは、「おヨネさん、海苔ある?」だの、「白ごまを炒って軽く当たったのを持ってきてくれ」だの、自分なりの拘りをうどんに表現している。たかがうどん、されどうどん。
 タゴサクのうどん(茹でたのは店員だが)を初めて食べた面々は、無言のままにうどんを啜り続け、箸を止めたのはうどんが丼の中になくなってからだった。
「お父さんが正気に戻ったのも、わかる気がするわ。」
 肩で息をしながら、エリカが言う。口の周りを卵で黄色くして。
「この世にこんな食べ物があったなんて……。お父さんと結婚しておいてよかったわ。」
 ミセス・シュタイナーも、朦朧とした表情で言う。
「他でもうどんを食べたことはあったが、このうどんを食べた後じゃ、他のうどんなんぞ、ただの小麦粉の紐だな。」
 満足げに箸を置くハンニバル。
「ヤバいよ、俺、この店、通っちゃうかも。」
 うどんの美味さに笑いが込み上げながらも、このうどん屋に通い詰めて散財してしまうかも、という不安に、変な表情になってしまっているフェイスマン。
「うどんそのものも飛び切り美味えが、この溶いてソイソースを入れた生卵ってのも美味えもんだな。今まで卵は、焼いたり茹でたり、生を一気飲みしたりしてたが、だいぶ損しちまった気がするぜ。」
 丼に残った卵汁を、ずずーっと飲み干すコング。
「それだけじゃないぜ、コングちゃん。生卵に茹で立てのうどんを入れた時の、その温度が重要なんじゃねえかな。決して生じゃなく、かと言って火が通ってるわけでもなく、とろりとして……ああ、堪んねえ。」
 マードックも卵汁を啜る。
「そんなに珍しいですかね、釜玉うどん。僕、子供の頃から普通に食べてるんですけど。」
 イサクが言うが、それは当然のことだね。タゴサクの息子なんだから。
「タゴサク、お代わり貰えんか?」
 ハンス氏がおねだりするように小首を傾げる。
「よし、俺が直々に茹でてやろう。他にお代わりが欲しい者は?」
「はいっ!」
 グリーンベレーらしい素早さでもって挙手するAチームの4人であった。
【おしまい】
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