夏バテには肉? 魚? それとも野菜?
鈴樹 瑞穂
 開け放した窓から、爽やかな風が入ってくる。8月のマイアミ、午後2時過ぎ。外は猛暑の真っ盛りだが、マンション15階にあるこの部屋は、エアコンが不要なほどに涼しい。三方が窓という開放感溢れるリビングは、風通しも抜群なのだ。広いバルコニーには大きな鉢がいくつも並び、ちょっとした庭園の様相を呈している。
 明るい日差しが降り注ぐ室内の調度は、白を基調としたナチュラル・テイストに纏められていて、そこはかとなく少女趣味を漂わせていた。生成りのソファに身を沈めたAチームの面々――ハンニバル、フェイス、コング、マードックは有体に言って、この部屋においては異質で、すっかり浮いてしまっていた。ハンニバルの横に座ったエンジェルだけが、辛うじて溶け込んでいる。
 そのエンジェルの向かい、1人掛けのソファにちょこんと座った可憐な女性が、部屋の主にして、今回の依頼人である。亜麻色の髪を2つの緩い三つ編みにして垂らし、たっぷりとフリルを取った木綿のワンピースを着ている。サクランボ柄をあしらったピンクのワンピースに、鈎針編みのボレロという格好を、野暮ったくならずに着こなしている彼女は、TVレポーターのデイジー・グリーン。若い女性向けのショッピング情報から、グルメ番組、旅番組まで幅広くこなすデイジーは、お茶の間受けがよく、子供から老人まで幅広いファンを持つ人気レポーターなのである。ティーンの頃に、ダイエットで抵抗力が落ちたところに化粧品でひどいかぶれに悩まさせた経験から、彼女はマクロビオティックと自然派スキンケアを実践しており、1カ月のゴミがサッカーボール1個分という暮らしぶりはロハスの象徴としてマスコミに取り上げられていた。そんな彼女がグルメ番組で食べて見せたものは、美味しいだけでなく健康や美容によく、地球にも優しいというイメージが先行し、大ヒットするというのがTV業界の定説となっている。
「で、デイジーさん。」
 ハーブティのカップを置いて、フェイスマンが慎重に口を開いた。エンジェルとデイジーは、ハイスクール時代の同級生であったらしい。顔を合わせるや否や、"女3人寄れば姦しい"を2人で実現するほどのパワーでお喋りに花を咲かせ、合間に大量のクッキーとハーブティを消費していた。
 エンジェルに連れてこられたAチームはと言うと、その間、きょろきょろと部屋を見回し、バルコニーを覗き、牛乳が出ないことについての不満を胸に秘め、居眠りをしながらも待った。そうして、ようやく話の切れ目を見極めたフェイスマンが口を挟むことに成功したのである。
「何よ、今いーとこなのよ?」
 エンジェルが妙に座った目つきでフェイスマンを見上げた。たとえハーブティでも女2人寄れば酔っ払いと同じ……なのか?
「え、いや、その。ご依頼というのは、どういった内容でしょう?」
 思わず揉み手をしながら、営業用スマイルをデイジーに向けるフェイスマン。
「あら、やだ。私ったら。ついお喋りに夢中になってしまって。わざわざいらしていただいたのに、ごめんなさいね。」
 殊勝に謝るデイジー、その表情はちっとも悪いと思ってなさそう。
「そうそう、アナタたちを呼び出したのは、他でもないわ。」
 エンジェルが得意げに人差し指を立てて、胸を張った。
「このコ、今度ドラマに出ることになったのよー。」
「ドラマ?」
「そ。いよいよ女優デビューよ!」
 腰に手を当てるエンジェルは、妙に清々しい。
「そんな、女優だなんて……ほんのちょっとだけなのよ。だけど、演技なんて初めてだからどうしようかって。そしたら、エイミーが知り合いの俳優を紹介してくれるって言うから、演技指導をお願いしようと思ったんです。」
 デイジーはもじもじとソファの肘掛けに"の"の字を書く。
 フェイスマンはコングと顔を見合わせた。これは――Aチームへの依頼ではないのでは?
 一方、それまではうつらうつらと居眠りしていたハンニバルは、両目をパッチリと開き、身を乗り出した。
「ほう。どんな役で?」
「ヒロインの親友で、グルメレポーターの役なんです。」
 どこから取り出したのか、満面の笑顔で台本を手渡すデイジー。フェイスマンは再びコングと顔を見合わせた。それ……演技指導要らないのでは?
「ほほお。これは……台詞は少ないが、重要な役どころだな。」
 ハンニバルはぱらぱらと台本を捲って、何度も頷いている。
「デイジーだったな。俺の指導は厳しいが、ついて来られるか?」
「ハイ、頑張ります!」
「やったわね。ハンニバルに指導してもらえれば、どんな演技もバッチリよ。アタシも応援するわ、デイジー。」
「俺も! 俺っちも応援するぜ! そんでロケ弁食う!」
 エンジェルはともかく、いつの間にか、マードックまでもが乗り気になっている。
 コングが無言で首を横に振った。こうなると、もう駄目だ。アクアドラゴンことハンニバル・スミスの役者魂に火が点いてしまった。



 1週間後。ロス郊外、最近評判の一軒屋レストラン。本日のロケ地である。
「えーっ。ロケ弁って、レストランの賄い料理なの?」
 スプーンを片手に、しょっぱい表情のマードック。因みに本日の賄いは、夏野菜のカレーとゴーヤサラダ。なぜならここは長寿の島・沖縄をコンセプトにした自然食レストランだから。因みにその内実は、食材にゴーヤを使っているだけのイタリアンレストランである。
「贅沢言わないのよ。大体アタシたちスタッフでもないのに、ご好意でこうして一緒にゴハンいただいてるんじゃないの!」
 母親もかくやとばかりに、びしっとエンジェルが叱りつける。Aチーム(とデイジーのロケ)につき合っているエンジェルの本業は新聞記者だったはずだが、自分の仕事の方はいいのだろうか。
「とにかく、話したでしょ! 表向きはデイジーの演技指導のために同行してることになってるけど、アンタたちにこの仕事頼んだのは、あくまであのコを護衛するためよ。」
「もちろん、わかってるよ。」
 両手を立てたフェイスマンが言う。本日の出で立ちはパステルイエローの縦ストライプシャツに、パステルミントのブレザー。ここではモデルクラブの敏腕マネージャーという役割の詐欺師である。タレントのマネージャーたるもの、パステルカラーの似合う爽やか系でないといけない。と、本人は思っているのだ。パステルカラーを身に着けるところまでは誰にでも可能だが、似合うとか爽やかとかいうのは別次元の問題と思われる。因みにハンニバルは演技指導、マードックはスタイリスト、コングは運転手という名目でデイジーに同行していた。
 デイジーは先ほどからレストランの窓際のテーブルでカメラテストを行っており、手の空いたスタッフは交代で別のテーブルで昼食を摂っている。
 彼女が女優デビューの助っ人としてAチームを指名した理由は、もちろん、演技指導ではない。このところ、デイジーの元には脅迫めいたメールや電話が頻繁に入っており、夜道で後をつけられたり、控え室が荒らされたりといった事件が相次いだため、不安になったデイジーが旧友のエンジェルに相談したのだった。というわけで、今回のAチームの仕事は、ドラマの撮影が終わるまで、デイジーを護衛することなのだ。そして、合間には演技指導もするのだとはハンニバル談。
「それにしてもさあ、もう1週間、彼女の護衛をしてるけど、特に怪しい奴も見かけないな。」
 フォークの先でゴーヤを選り分けながら、フェイスマンが溜息をついた。その袖をマードックが引っ張る。顔を向けたフェイスマンの前で、マードックが皿を両手に載せて差し出し、期待に満ちた表情で見つめていた。どうやらゴーヤが気に入ったらしい。フェイスマンは肩を竦め、自分の皿のゴーヤをごっそりマードックの皿に移してやった。
「ああ、ロケでも移動中も、尾行の気配は一切ねえな。」
 コングは鼻に皺を寄せながら、ゴーヤを口に放り込んだ。それを見たマードックが残念そうな顔をしている。
「そりゃあ、これだけぞろぞろ引き連れてたらね。」
 居るだけでも効果が出てんのよ、とエンジェルは満足そうだ。
「だが、犯人捕まえなきゃ意味ねえだろうが。俺たちもずっとデイジーについてるってワケにもいかねえ。」
 確かに、Aチームがデイジーの周囲を張り出してから、初日こそ脅迫らしき電話が入ったものの、マードックがクレイジートークで応対した結果、それからパタリと止んでしまった。次にかかってきたら逆探知しようと準備万端整えていたAチームは肩透かしを食った形になっており、当のデイジーにも全く心当たりがないという時点で、犯人探しは行き詰ったままだ。
 コングの指摘はもっともだったので、エンジェルは考え深げに首を傾げた。
「そうなんだけど、ドラマの撮影は絶対成功させなくちゃいけないし、デイジーを危険な目にも遭わせられないわ。どうしたもんかしらねー。」
「それなら、考えがある。」
 いきなり後ろから声を掛けられて、エンジェルが飛び上がる。台本片手に近くでデイジーの演技を見ていたハンニバルが戻ってきたのだ。
「あ、おかえりー大佐。カメラテスト終わったの?」
 2.5人分(コングが振り返った隙に掠め取った)のゴーヤを平らげたマードックが上機嫌で尋ねる。
「ああ、30分の休憩を挟んで本番だそうだ。」
「あら、今日は順調ね。このまま行くと暗くなる前に撮影終わるんじゃないかしら。」
 腕時計を覗き込んで、エンジェルが言う。
「NG出さなきゃ行けそうよ。」
 ハンニバルの後ろから、デイジーがひょこんと顔を出した。
「お疲れさま。腹減っただろ。」
 曲がりなりにもマネージャー役のフェイスマンが立ち上がり、甲斐甲斐しく椅子を引き、デイジーの分のランチを取りにいく。
「ありがとう。ここの夏野菜のカレー、本当に美味しくて、身体にも優しいのよね〜。ね、この1皿にナス1本とズッキーニ半分が入っているそうよ。それでこれだけ野菜の甘みが出てるのかしら。」
 にこにこしながらデイジーがスプーンを口に運ぶ。もしもTVでこの様子が放映されれば、このレストランのカレーの売れ行きは一気に上がるだろう。ドラマで彼女が食べるのはカレーではなく渡り蟹のパスタだが、元々メニューになかったそれも、放映後はここで食べられるようになると言う話だ。おまけに雑誌の取材か何かで、ロケ弁として食べたカレーが最高でした、などというコメントが載ろうものなら、完璧である。それほど、デイジーのグルメレポートは影響力があるのだ。単なる食いしん坊なのだと学生時代からの旧友は語るが、そういうエンジェルも、デイジーがレポートした食べ物は必ずチェックして食べに行っていることは内緒である。
「ハンニバルも昼メシ食うだろ?」
 いそいそとカレーを取りに行こうとするフェイスマンを、ハンニバルが制止した。
「いや、後でいい。」
「えー、このカレー、マジで美味いよ? ハンニバルが食わないんなら、俺っち代わりに食ってやっても……。」
 スプーンを装備したマードックはやる気満々だ。その首根っこを、ハンニバルがたしっと押さえつけた。
「それより、本番が始まる前に今後の予定について確認するぞ。」
 リーダーの言葉に、Aチームのメンバーの表情がぴしっと引き締まる。そして、何やら額を集めて話し合う男たちの横で、デイジーは実に幸せそうにカレーを食べ、エンジェルはデザートのブランマンジェ黄桃ソースをぺろりと平らげたのだった。



〈Aチームのテーマ曲、始まる。〉
 リストを片手に買い物に回るフェイスマン。後ろからはコングとマードック。みんなしてスーパーの袋を抱え、なかなかの大荷物だ。
 レストランの厨房でシェフと交渉するフェイスマン。最初は何やら渋い表情をしていたシェフも、終いにはあくまでにこやかかつオーバーアクションな詐欺師に丸め込まれたのか、やれやれといった感じで両手を挙げ、降参のポーズを取る。
 レストラン窓際のテーブルで美味しそうに渡り蟹のパスタを食べるデイジー。ADの合図と共にカメラが回り出す。後ろからその様子を見守るハンニバル。その手には丸めた台本が。
 石釜から焼き上がったものを出すコング。丸いそれは一見してピザ状だが、チーズもピザソースも載っていない。
 フェイスマンがシンクでイカをさばく。まな板の上に大量に積み上がったイカ、イカ、イカ。そして足元にはクーラーボックスからはみださんばかりの未処理のイカ。
 大きなボウルを氷水に浸けながら、泡立て器を動かすマードック。だが、その手つきはかなり怪しい。泡立て器を3回回しては、なぜか自分が体ごとくるっと1回転する動きを繰り返している。それでも、ボウルの中の白いものは順調に体積を増し、角が立つようになってきた。
 レストランの空きテーブルで午後のティータイムを楽しむエンジェル。彼女の前には3段のアフターヌーンティーセット。バリスタがアートを施したと思われるカフェオレには、ハートマークが浮かび上がっている。
 夕日に染まるレストランのバルコニー。シェフの扮装をしたヒロイン役の女優に、グルメレポーター役のデイジーが駄目出しをする。
――全くこの店の料理はなっちゃいないわ。サラダのドレッシングは塩がきついし、ピザは焦げすぎ。
 悔しげに唇を噛み、俯くヒロイン。だが、デイジーがその肩に手を置き、そっと言葉を継ぐ。
――でもね、あのパスタ、渡り蟹のソースは悪くなかったわ。あなたはまだ未熟だけど、頑張ればきっと一流のシェフになれる。そうしたらまた食べに来るわ。楽しみに待ってるから。
 手を取り合う2人。麗しき女の友情である。
 それを見ながら、うんうんと満足気に頷く監督とハンニバル。
 エンジェルはまだレストラン内で座っており、空になった皿とカップを睨んで、お代わりをしようかどうかを真剣に悩んでいる。
 厨房ではコングとマードックとフェイスマンが一仕事終えて、額の汗を拭いていた。彼らの前、調理台の上にずらりと並ぶのは、どうやらクリームをてんこ盛りにしたパイのようだ。因みにさばかれたイカはバットに山積みにされたまま、特に調理された様子もない。
 そろそろ厨房を明け渡してくれと顔を覗かせたシェフに、フェイスマンがお礼代わりにとそのイカを押しつける。
 その頃、すっかり夕日も沈み、空には星が瞬き出していた。
〈Aチームのテーマ曲、終わる。〉



 三日月に雲がかかっては流れていく。空の上はかなり風が強いらしい。が、アスファルトに覆われた街中では、生温い風がわずかに動くばかりで、日が暮れてもあまり涼しさは感じられなかった。
 ようやく長い撮影を終えたデイジーは、エンジェルの運転するオープンタイプのスポーツカーで帰宅する途中だった。
「ああ、今、お腹が鳴ったわ。」
 女同士、旧友の気安さからか、デイジーが腹部を押さえて情けない声を出す。
「結局、夕食食べる暇もなかったもの。女優ってホント、ハードなのねえ。」
 ハンドルを握るエンジェルは心底感心したように言ったが、彼女の方はアフターヌーンティと称してサンドイッチやケーキを山ほど平らげた上、しっかりと晩のロケ弁――ポークジンジャーだった――も食べていた。
「見た目よりはね。レポーターも似たようなもんだけど。もうお腹と背中がくっつきそうよ。帰ったらまずビールを飲むわ。それに、枝豆と冷や奴!」
 肉、とか言い出さない辺りは、一応、マクロビオティックを実践しているからだろう。
「ハイハイ、つき合うわよ。その代わり、今晩泊めて――。」
 ふとエンジェルが言葉を止めた。
「どうしたの、エイミー?」
「しっ。来たわよ。伏せて、デイジー!」
 言うなり、エンジェルはブレーキを踏み込んだ。赤いスポーツカーが急停車するのと、その前に軽トラックが横づけになるのはほとんど同時だった。
「ちょっと! 何よ、危ないじゃない!」
 エンジェルが怒鳴ると、軽トラックのドアが開いて、男が降りてきた。スポーツカーのヘッドライトに浮かび上がったのは、あまり似合っていない縦ストライプのスーツを着た、スキンヘッドの小男だった。スーツの上からでもはっきりくっきりわかる洋梨体形である。そして、荷台からもばらばらと飛び下りてくる、夜なのにサングラスをかけた集団。あからさまに怪しい。
「アナタは――!」
 スキンヘッドの男を見て、デイジーが声を上げる。
「え、何? 知ってる人?」
 振り返ったエンジェルの眼前で、デイジーはおっとりと首を傾げた。
「えーと、誰だったかしら? ごめんなさいね、その顔には見覚えがあるような気がするんだけど。」
 その台詞に小男はがっくりと肩を落とした。
「2週間前に会っただろーが! キムだ。Jo-Jo苑のオーナーの!」
「えーっ、Jo-Jo苑って、あの焼肉チェーンの?」
 エンジェルがキムと名乗った男を指差して叫ぶ。いささか行儀は悪いが、キムはエンジェルがJo-Jo苑の名に反応したため、満足そうに頷いた。
「いかにも。」
「へえ〜っ。アナタがねえ。で、そのJo-Jo苑のオーナーさんが、デイジーに何の用なの?」
 ずずいっとエンジェルがデイジーを庇うように、キムの前に立ちはだかる。
「なんだ、オマエ。新しいマネージャーか?」
「代理よ!」
 ばーんと胸を張るエンジェルに、キムとサングラス集団も思わずたじたじである。が、キムが気を取り直したように、せいぜい自分も胸を張った。
「そりゃちょうどいい。俺はな、そこのレポーターにウチの焼肉屋をレポートしてくれって頼みに来たんだよ。」
「じゃ本人に頼めば?」
「とっくに頼んだわ! 2週間前に!」
 青筋を立てて怒鳴るキム。エンジェルはデイジーを振り返った。
「頼まれたの?」
「そう言えば……2週間前に。」
 デイジーはにっこりと微笑んだ。今の今まですっかり忘れていたといった風情だ。
「でも断ったわ。私、肉は食べないもの。」
「そう言えばそうね。だそうよ、オーナーさん。」
「そこを何とか説得すんのがマネージャーの役目だろうが!」
 ふるふると肩を震わせたキムが、深呼吸をしてから言った。
「ギャラは弾むぜ。ウチの新メニュー『生ラムジンギスカン』をレポートしちゃくれねえか。」
「へぇ。ラムなら確かにヘルシーね。でも、匂いがあるんじゃないの?」
 意外や下手に出てきたキムに、エンジェルも身を乗り出す。
「いいや、ウチは生後8カ月以内のラム肉だけを使ってるから、臭みはほとんどねえ。匂いがキツイのは生後2年以上経ったマトンの方だ。そこんとこ、誤解されがちでよ。だからTVでバーンと広めてほしいのよ。」
 そして意外に苦労しているらしいJo-Jo苑オーナー。今一つ認知度が低い『生ラムジンギスカン』を臭みのないヘルシーメニューとして是が非でも流行らせたいらしい。グルメレポーターとして絶大な影響力を持つデイジーに白羽の矢を立てたのも、悪くない選択である。彼女が肉を食べないことを除いては。
「まあ、事情はわかったけど。それにしても、肉は肉よねえ……。」
 エンジェルが再びデイジーに視線を戻すと、彼女は無理無理、というようにぷるぷると首を横に振った。それを見たエンジェルはキムとサングラス集団に向き直り、あっさりキッパリはっきりと言い放った。
「無理よ。それに、断ったからって脅迫紛いの電話やメールを送りつけるやり口も気に入らないわ。」
「何だとぉ。」
 せっかく下手に出たものを2度までも断られ、キムは茹でダコのように赤くなった。それに追い討ちをかけるように、エンジェルがビシッと指を突きつける。洋梨体形のキムの腹部に向けて。
「そんな奴はメタボってしまえ!」
 この暴言に、サングラス集団の間から悲鳴にも似た呻き声が上がった。
「ひょえ〜っ。」
「何てことを!」
「本人気にしてるのにっ。」
「だからヘルシーメニューを開拓したのにっ。」
 聞くも涙、語るも涙の物語である。当のキムはそんな部下たちを一喝し、ついでに一番近くにいた奴を蹴り飛ばした。
「うるせえんだよ、おめえら! おめえらも、女だと思って我慢してりゃつけ上がりやがって!」
 キムがエンジェルの肩を掴もうとした途端、後ろからサッとヘッドライトが差した。



「伏せろ、エンジェル!」
 フェイスマンの声に、エンジェルが素早くデイジーの肩を押して、姿勢を低くする。
 その頭上を何かがヒュッと飛び越え、眩しさに硬直していたキムの顔にぶつかった。
「……。」
 言葉も無く立ち尽くすキム。その顔からずるり、ボタリと落ちたのはクリームたっぷりのパイ。そう、パイ投げである。しかも、白いパイが落ちた後のキムの顔は、鼻を中心としてなぜか黒く染まっている。
「どうだい、特製イカ墨パイは?」
 紺色のバンの前で、即席のパイ投擲器に手をかけ、マードックが得意げに親指を立てる。その横にはパイ載せ役のフェイスマン(エプロンとゴム手袋装備)、もう1台の投擲器のレバーを握るコング、そして彼らを従えたハンニバルの姿があった。
「な、なんだ、てめえら!」
 顔からようやくクリームとイカ墨をこそげ落としたキムが怒鳴る。その隙に、エンジェルはそそくさとデイジーの手を引き、Aチームのバンの中へと避難した。
「か弱い女性を脅すとは見過ごせんな。」
 か弱い女性――少なくとも、エンジェルにはその表現は当て嵌まらないだろう。その場に居た全員が(発言したハンニバル含む)そう思った。そして、そのエンジェルともう10年以上も親友をやってるデイジーまた然り。だが、ここは建前上、そう言っておかなければなるまい。
「そんな奴には特製パイだ!」
 ハンニバルの合図で、今度はコングがパイを投げる。その後はすかさずマードックが。
「うわーっ。」
「ひー!」
「ぎゃっ。」
 Aチームは右往左往するキムとサングラスたちに的確にパイを投げ続けた。それはもう容赦なく、楽しげに。
「わーはっはっはっ。」
「なかなか当たんねえな。」
 バンの窓を開けてエンジェルが叱咤激励する。
「ちゃんと狙うのよ!」
「まあ、楽しそう。」
 デイジーは手を叩いて喜んでいる。これではどちらが悪役かわからない。
「もういいだろう。」
 ハンニバルが頷いた頃には、用意した10個のパイはすべて投げられた後であり、キム一味は1人残らず、軽トラックに至るまでクリームとイカ墨にまみれ、すっかり戦意を喪失してへたり込んでいた。
 キムたちにとってはそれが正解だったと言えるだろう。殴り合いになればもっと痛い思いと怪我をすることは必至だ。そして、実はクリームまみれには参加したくなかったAチームにとっても、密かにラッキーだった。ただ1人、マードックだけが本気で残念がっていたが。



 夏も盛りに差し掛かった日曜日。久し振りの休日で、自宅で妻と2人、ゆっくりとTVなぞ見ながらブランチを楽しんでいたデッカーはフォークを取り落とした。
 TVのグルメ番組では、人気レポーターのデイジーが焼肉チェーンJo-Jo苑の新メニューをレポートしている。と言っても、彼女は肉を食べない。代わりの試食役として、生ラムジンギスカンを貪り食っているのは……。
 葉巻片手の妙に貫禄のある男、モヒカンの黒人男性、パステルカラーのジャケットを着込んだブロンドの男、食事中も野球帽を脱がない男――デッカーには見覚えがありすぎる連中だった。微妙なカメラワークで1人として顔ははっきり映っていないが、見間違えるわけもない。
「あら珍しい、デイジーのレポートで焼肉を取り上げるなんて。でも、これならヘルシーそうね。それにとっても美味しそう。あの人たちの食べっぷりのせいかしらねぇ。あなた、一度行ってみませんこと? あら、あなた、どうかしましたの?」
 妻ののんびりとした問いに、デッカーはテーブルをばんと叩いて立ち上がった。
「奴らだ! こうしちゃいられん!」
「まあ、お出かけならせめてお食事を済ませてからにすればいいのに。全く慌しい人。」
 駆け出していった夫を見送り、デッカー夫人は食後のコーヒーを淹れ始めた。
「待ってろよ〜。今度こそブチ込んでやる!」
 張り切ってJo-Jo苑へと向かうデッカーはまだ気づいていない。今の番組が生放送ではなく、収録されたものだということに。しかも、本放送は数日前にされており、再放送だったりすることにも。
 そして、Jo-Jo苑のオーナーおよび従業員たちに彼らについて尋ねた途端、全員が貝のように押し黙ってしまうこともまた、この時のデッカーは予想していなかった。



 その頃。明るい日差しと爽やかな風が入るマンション15階、デイジーの部屋。Aチームはリビングの大画面TVでグルメ番組の再放送を見ながら、寛いでいた。脅迫事件解決のお礼として、ひと夏、この部屋に居候させてもらえることになったのだ。もちろん食事つき。
「あ、これ再放送してるんだ。」
 冷たい飲み物を運んできたフェイスマンがTVを見て言った。
「ええ、なかなか好評だったみたいよ。おかげで新メニューの売り上げも順調だって、キムさんからお礼を言われたわ。」
 デイジーがハーブティーを取り上げて言う。
「そりゃよかったな。」
 コングが牛乳を取りながら安心したように頷いた。
「でもさ、俺たちこんなに大々的にTVに出ちゃってよかったの? デッカー辺りに見られたら、マズイんじゃない?」
 ハンニバルとマードック、そして自分の分のアイスコーヒーをローテーブルに置いて、フェイスマンがソファに腰を下ろす。
「まあ大丈夫だろ。あの御仁がグルメ番組を見るとは思えん。」
 新聞を広げながら、いささか無責任な発言をするハンニバル。フェイスマンは肩を竦め、ソファの後ろで床に座り込んでいるマードックに声をかけた。
「モンキー、コーヒーここ置くぞ。」
「あ、あんがと。それにしてもこの雑誌、すごい量だぜ、デイジー。」
 暇を持て余したマードックは、デイジーに頼まれて、溜め込んだ雑誌のスクラップ作業を買って出たのだった。
「そうなのよ、自分のレポートが載った雑誌ってどうにも捨て難くって。あ、できれば日付順じゃなくって、紹介している食材のカテゴリで分類してもらえる?」
「OK。」
 集中している時のマードックの事務処理能力はなかなかのものなのだ。これで長年気にかかっていた古雑誌の整理ができる、とデイジーが胸を撫で下ろした時。
「大変よ!」
 チャイムも鳴らさず、エンジェルがドアを開けて飛び込んできた。
「デッカーがキムのところに乗り込んだそうよ! グルメ番組のレポートで来た4人組は何者だ、って。キムは知らぬ存ぜぬで通したそうだけど、そうなると次はデイジーのとこに来るわ!」
「あちゃー。」
 フェイスマンが額に手を当てる。せっかく居心地最高のひと夏の居候先を確保したというのに。
「ほう。グルメ番組までチェックするとは侮れんな。」
 腕組みをし、顎をさするハンニバル。
「ま、こうなった以上は。」
 ハンニバルが言うと、部下たちは迅速に対応した。すなわち――あっと言う間にマンションを出て、バンに乗り込み逃走したのである。
「あーっ、この雑誌の片づけどうするのよう。」
 元通りどころか、スクラップのために広げに広げた状態のまま放置された雑誌の山を呆然と見つめ、デイジーは恐る恐るエンジェルを振り返った。
 そんな彼女に、親友は黙って両手を挙げ、首を横に振っただけだった。
【おしまい】
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