間諜? 陰謀? 差し替え写真の謎を暴け!
伊達 梶乃
 ある日の昼下がり、ハンニバルはワークショップ『ゴメラの喜怒哀楽』に参加しようとしていた。ゴメラとは、ニッポンの有名な着ぐるみ怪獣であり、ゴメラが主役の映画は何十本も製作されたという話だ。アクアドラゴンの中身として、外せないワークショップであろう。それも、参加費9ドル80セント。実際にゴメラの中身だったことのあるニッポン人がゲストだというのに、その安さは破格と言ってもいい。その値段を聞いたフェイスマンが、参加費を払うのに瞬時にして同意したぐらいだ。場所は、市民センターの一室。主催はカリフォルニア州内各大学着ぐるみ同好会連合(カ着連)。協賛は他州の各大学の着ぐるみ同好会連合。タイトルは期待できるワークショップなのに、場所と主催と協賛からすると、あまり期待しすぎても、後で辛いだけだろう。
 だが、あろうことか、このワークショップ、かなりの盛況であった。カ着連の会員たちはもちろん、ニッポン映画のファンや、着ぐるみを着る職業の人々から、果てはマイナーな映画監督や現職の俳優(ただし無名)までが押しかけ、会場は市民センターの“一室”ではなく“大会議室”に変更になっていた。それでも参加費は、やはり9ドル80セント。
 受付と書かれたテーブルに歩み寄り、ハンニバルはドアの向こう側のざわめきを気にしつつ、口を開いた。
「当日券はまだあるかな?」
「ええ、ございます。お1人様でよろしいでしょうか?」
 テーブルの奥で、パイプ椅子に座った赤毛の青年がにこやかに応対する。
「ああ、1人だ。」
「9ドル80セントになります。」
 10ドル札を出すハンニバルに、青年は20セントと当日券の半券を渡した。
「あの、失礼ですが、このワークショップに参加しようと思った切っ掛けを教えていただけませんか? 今後の参考にしようと思いまして。」
 グリーンの瞳で柔らかく微笑みながら、青年はそう尋ねた。
「タイトルが興味深かったのと、参加費が安かったからだ。」
 非常に正直にハンニバルが答える。それを青年はノートに書き取った。
「それとだな。」
 書き終わるのを待ってから、言葉を続ける。
「自分の演技の参考になるかと思ってな。」
 ポイントは“仕事の”ではなく“演技の”ということ。演技の参考になったとしても、それが仕事に繋がるわけでなし。
「俳優さんでいらっしゃいましたか。」
 青年の言葉に驚きは感じられなかった。それもそのはず、ここはハリウッドからそう遠くもなく、俳優を名乗る輩なぞごまんといる。もしかしたら、この可愛い顔をした青年だって、今はカリフォルニア州内で大学に通っている(と思われる)が、十数年前はそこそこ有名な子役俳優だったかもしれないのだ(違うけど)。
「俳優、と言うか、そうだな、俳優志望って程度かな。アクアドラゴンという着ぐるみを動かしてる。ご存知かな、アクアドラゴン。」
 ハンニバルは、下手に出るしかなかった。普段だったら自信たっぷりに、むしろ「アクアドラゴンを知らないとな?」と相手を責めてしまうぐらいだが、世界的に有名な外国の着ぐるみ怪獣ゴメラの前では、アクアドラゴンは国内でもそれほど有名でない国産着ぐるみ怪獣でしかないのだ。いくつかは映画もあるけど、フィルムが輸出されたって話は聞かないし。
 だが、青年はガタンと立ち上がった。
「アクアドラゴン?!」



 それから約10分後、ワークショップが始まった。
 まず、司会者であるカ着連会長の挨拶。
 続いて、ゴメラ映画からのショットに、その道のオーソリティがコメントしていく。無論、最新の技術なんてものはゴメラには組み込まれていないので、着ぐるみ怪獣の表情が変わるということはない。しかし、仕草だけで、ゴメラの喜怒哀楽がきちんと表現されている、ということを、彼は1つ1つ丁寧に、しかし熱く語っていった。2時間ぐらい。
 次は、ゴメラを着たことのあるニッポン人のインタビュー。通訳はニッポン語ネイティヴの大学生、もちろんカ着連の一員。ニッポン人は、蒸し暑くて大変だったということ、それほど演技をしたつもりはないということ、もしゴメラの喜怒哀楽が感じられるなら、それはカメラワークと編集によるものだということなどを語った。10分ぐらい。
 このインタビューの後、司会者が、ニッポンの美であるところの“謙遜”および“ワビサビ”について述べた。これが20分程度。
 さらに、ニッポンに留学していた経験のあるカ着連の会員が、ニッポンの着ぐるみ事情についてスライドを用いて報告した。何とニッポンには、かの有名な着ぐるみネズミの王国の支店と、さらに同様な着ぐるみネコの王国まであるらしい。加えて、ニッポンのとある子供向け番組では、着ぐるみの怪獣の子供と着ぐるみの雪男の子供が大人気らしい。この報告が1時間ほど続いた。
 そして本日のメインイベント、“着ぐるみ演技法”。会場に、いくつかの着ぐるみが運ばれてきた。パステルピンクのウサギや、シルクハットを被ったペンギン、耳のほつれかけたクマさん、たてがみが薄くなってきているライオン、等々。いずれも、街頭でチラシを配ったり、遊園地で風船を配ったりしているやつだ。ここだけの話、カ着連としては、かの有名なネズミ王国の着ぐるみも借りたかったのだが、ネズミ王国に問い合わせたところ、「着ぐるみなんてありません!」と否定されたそうな。また、フットボール(無論、アメリカン・フットボールのこと)やベースボールの試合の時に活躍しているマスコットの着ぐるみも並べたかったらしいが、賃貸料が半端でなかったので断念したそうな。さて、話を会場に戻すと、希望者がくたびれた着ぐるみの中に入り、スタンバイした。そこに再度登場するゴメラの中の人。残念ながら、ゴメラ本体は持ってこられなかったということだ。しかし、次の瞬間、会場が「おお〜っ!」という声に包まれた。大会議室の観音開きのドアを、ででごいーんと蹴破って(壊してはいない)アクアドラゴンが登場したからだ。それも、ドアを蹴破った後、アクアドラゴンは頭をぶつけないように、ちょっと屈んでドアを通り抜けてから、雄々しく歩を進め、舞台に登ったのだ。そして、尻尾の位置を気にしつつ、ポーズ。細やかな動きに、盛大な拍手を受けるアクアドラゴン。
 因みにドアの陰には、髪が乱れて肩で息をしているフェイスマン。急にハンニバルに呼び出されて、仕事(駆け出しモデルの売り込み)を途中でブッチして、スタジオからアクアドラゴンを持ち出し、ここまでトラックで運んできたのだ。眉毛はハの字になっているけど、フラッシュを浴びるアクアドラゴン(ハンニバル)を見つめ、何だか幸せそう。
 それから30分弱、ゴメラの中の人とアクアドラゴンとが、着ぐるみを着た参加者たちに演技指導を行った。これで終わりかと(ゴメラの中の人とハンニバルとが)思いきや、着ぐるみの中身が交代し、さらに30分弱、演技指導を行わされた。全部で6ターン。約3時間。着ぐるみ演技を指導されていた側は「着ぐるみを着て、真剣に動けるのは30分が限度ですよ」とか言っていたが、ハンニバルは3時間、アクアドラゴンを着て、真剣に演技指導していたのだ。それも、アクアドラゴンは喋れないので、身振り手振り手取り足取りのみ。まあ、撮影や野外での仕事で半日以上アクアドラゴンに入っていなければならないこともしばしばあるので、ハンニバルには3時間ぐらい大したことないのかもしれないが。
 最後に、司会者が終わりの挨拶をして、ワークショップが終わった。9ドル80セントにしては、なかなかに盛り沢山なワークショップだった。



 市民センターの駐車場で、アクアドラゴンを着たままトラックに凭れかかって葉巻を吹かしていたハンニバルのところへ、パステルピンクのウサギ(着ぐるみ)が駆け寄ってきて、アクアドラゴンの前まで辿り着くと、頭をズボッと脱いだ。その中に入っていたのは、あの受付の青年だった。
「本当にどうもありがとうございました。急なお願いを受けて下さって。スミスさんのおかげで、後半、すっごく盛り上がって、僕も勉強になりました。」
 そして、斜めにかけたポシェットから封筒を取り出す。
「これ、少ないですけど、ご協力下さったお礼です。」
「いやいや、そんな、礼には及ばんよ。」
 ハンニバルは額から玉の汗をだらだらと流しながらも、笑顔でお断りした。
「アクアドラゴンの勇姿を見て、みんなが喜んでくれただけで、あたしは満足ですって。」
 宣伝にもなったし、という言葉を飲み込むハンニバル。
「さすがです! 着ぐるみ俳優の鑑と言っても過言じゃありません! 僕、感動しました!」
 青年はウサギの頭をトラックの荷台に置くと、アクアドラゴンをがしっと抱き締めた。と、その時。
「もう、葉巻の火でウサギさん燃えちゃうよ?」
 アクアドラゴンの手から(それでもハンニバルは葉巻を持った手を高く掲げたつもりではあったんだが)葉巻を取り上げるフェイスマン。今の今まで、ブッチした仕事のフォローの電話や何やらで忙しかったのだ。
「えーと、ウサギさん?」
 ハグを解いた青年に顔を向ける。
「ティモシー・バーベリーです。ティムって呼んで下さい。」
 前半をフェイスマンに向かって言い、後半をハンニバルに向かって言う。
「OK、ティム。そのパステルピンクのウサギ、よく似合ってるじゃない。俺はテンプルトン・ペック。このジョン・スミスのマネージャーね。以後よろしく。」
「よろしく、ペックさん。あなたのそのパステルブルーのスーツもステキにお似合いですね。」
 険悪なムードの握手を交わす、ウサギと優男。
「ちょっとお前さん、葉巻返しなさいな。」
 優男の手から葉巻を奪い返すアクアドラゴン。
「その謝礼、ギャラだとかトラックのレンタル料だとか言って取り上げちゃダメですよ。」
 と、先手を打つ。
「ティム、その封筒の中身は、次回のワークショップのために使うといい。あたしも、スケジュールが空いていれば、また手伝ってやるしな。」
「はいっ! ありがとうございます!」
 滅茶苦茶嬉しそうなティムに、じっとりした視線を向けるフェイスマンであった。
 と、そこへ、紺色に赤線の入ったバンが滑り込んできた。スモークウィンドウがすすーいと開き、ぶっといハム(茶色)が現れる。
「おい、ハンニバル、なーに縫いぐるみん中入ってやがんだ。飯食う約束だったろ。」
 運転席のハム、いや、コングが不機嫌そうに言った。そう言われて、フェイスマンの左手を引っ張るハンニバル。シックではあるが高級そうな腕時計によれば、現在ちょうど午後7時。記憶を遡り、午後7時に市民センターの駐車場で落ち合い、夕飯を食べに行く約束をしていたことを思い出す。
「そうそう、そうでしたな。じゃ、フェイス、あたしはコングと飯食いに行くんで、お前、これ(アクアドラゴン)返してきて。」
「ええ? やだよ、俺だって腹減ってんだから。」
「どうでもいいから早くしやがれ。こちとら2時からこの方ずっと腹減ってんでい。」
 離れていても聞こえる、コングの盛大な腹の虫の鳴き声。
「おやつ食べなよ。キャンディやチョコ買う金ぐらいあんだろ?」
「そんな金あったら、とっくに何か食ってるぜ。」
 どうやらコング、素寒貧らしい。
「♪うちにおいでよ私のおうちへ、あなたにあげましょキャンディ。」
 突然、植え込みの向こうから聞こえてきた歌声。コングの眉間に深い皺が寄った。歌声がだんだんと近づいてくる。
「♪うちにおいでよ私のおうちへ、あなたにあげましょ天丼カツ丼大盛り牛丼!」
 と木々を掻き分けて姿を現したのは、案の定、マードック。
「どーしててめェがここにいるんでい?」
「え? ゴハン食べに行くんっしょ? 7時に市民センターの駐車場に来いって矢文に書いてあったから、俺っち5時に晩ゴハン食べて、お代わりして、片づけて、慌てて抜け出してきたんだぜ。」
「済まないねえ、コング。食事するなら大勢の方が楽しいかと思って。」
 不機嫌なコングを見て、ニヤニヤ笑いのハンニバル。
「俺は? 俺、誘われてないよ?」
 マードックまで誘われているのに自分だけが誘われてないとなると、俄然、悔しいフェイスマン。
「お前は、モデルの何とかちゃんと夕飯食べるって言ってなかったっけか?」
「あー、そう言やそうだった。ええと、今7時だから、今から電話すれば何とかなるかも。レストランの予約もキャンセルしなきゃ。ちょっと待っててよ、俺置いて行かないでよ。」
 公衆電話の方へ駆け出していく。
「あの、何でしたら僕の家で夕食を召し上がりませんか?」
 コングやマードックの登場に面食らっていたティムが、ハンニバルに提案した。
「いや、しかし、急に4人もお邪魔しちゃ迷惑じゃないか?」
 ティムは少し考えているような顔をしていたが、すぐに笑顔に戻った。
「大丈夫だと思います。電話して父に伝えておきますね。」



 アクアドラゴンを荷台に乗せたトラック(運転席にフェイスマン、助手席にマードック)と紺色のバン(運転席にコング、助手席にハンニバル、後部座席にティムとウサギの着ぐるみ)は、小さな床屋の前に到着した。正確に言えば、車を停めたのは床屋の横。周囲は畑。床屋の裏には家屋。閑散とした一角だというのに、道路を隔てた向こうには、煌びやかで巨大な美容院と、その奥に、小規模ながらもショッピングセンター。その隣の区画もショッピングセンターの続きなのだろうが、ネオンサインも華やかなレストラン群やゲームセンターが建ち並んでいる。
「ねえ、ハンニバル、あの向こうのビューティーサロン・バーベリーズって、ハリウッドになかったっけ?」
 トラックから下りて駆け寄ってくるなり、フェイスマンが尋ねる。
「そう言えば、あったな。フォラ・ファーセットやトリビア・ニュージョン・トンご用達の店だとか何とか。」
「ハリウッドの店を畳んで、去年、こっちに移転したんです。ご贔屓にして下さっていた方たちみんな、今はここに通ってきてますよ。」
 ウサギの頭にウサギの胴体を詰めたものを抱えて、ティムが説明する。
「父さん、ただいま!」
「おう、ティム、お帰り。こっちだこっち。」
 家屋の裏から声がして、ティムは小走りでそちらへ向かっていった。ハンニバル他3名も、その後を追う。
 野菜畑の真ん中に屋外用のテーブルが設えてあり、2フィート四方ほどのブロックで囲まれた中では炭火が静かに燃えていた。その脇で長いトングを手にした男、彼こそがティムの父。中肉中背で赤毛。ティムを30歳ほど老けさせたら、まさにこれ、という容姿。
「スミスさん、これが僕の父です。表の床屋をやっている、スゴ腕の理髪師です。父さん、さっき電話でも話したけど、こちらがスミスさん。」
「今日は息子によくして下さったそうで、どうもありがとうございます。」
 手に嵌めていた軍手を外して、右手を差し出す父。
「いやいや、そんな滅相もない。あたしはティム君の手伝いをちょろっとしただけですよ。」
 父の手をぐっと握るハンニバル。
「あたしの後ろにいるのは、マネージャーのペック、通称フェイスマン。それと裏方のバラカス、通称コング。パイロットとかエキストラとかのマードック、通称モンキー。」
 3人が順々に進み出て、床屋のオヤジと握手をする。
「こんな蚊の多いところで申し訳ないんですが、皆さん、存分に召し上がっていって下さい。あとそうですね、1時間もしないうちに妻と娘が帰ってくると思います。それまで男手だけで何かとご不自由があるかもしれませんが、まあ逆に男だけってことで、くつろいでいて下さい。ほら、ティム、ウサちゃんはしまって、皆さんにビールをお出しして。」
 どうやらウサギの着ぐるみは、ティムの私物らしい。
「いや、オヤジさん、俺にゃあ牛乳をくれねえか? 車の運転があるんでな。」
「オイラも。コークかペプシかソーダちょうだい。」
 全く遠慮なく、コングとマードックが注文を告げる。
「ビールと牛乳とコークですね。」
 そう確認すると、ティムはにこやかなまま、ウサギの頭を小脇に抱えて、家の中に入っていった。



 畑から直接もいでキュウリとトマトとレタスとラディッシュを食べていた野郎ども。そこへ、向かいのショッピングセンターから、肉屋のおじさんが肉とタレとシーズニングを抱えてやって来て、仲間に加わった。次に、スーパーマーケットの野菜部門のおじさんがタマネギやピーマンやトウモロコシや枝豆を抱えてやって来て、仲間に加わった。続いて、スーパーマーケットの鮮魚部門のおじさんが魚介類を抱えてやって来て、仲間に加わった。さらに、パン屋のおじさんがパンやサンドイッチや牛乳(追加)を抱えてやって来て、仲間に加わった。その上、酒屋のおじさんがビール(追加)やコーク(追加)やワインを抱えてやって来て、仲間に加わった。炭火で焼かれては食われる肉、野菜、魚介類。
 ティムの父に呼ばれたのはここまでだったが、噂を聞きつけて、向かいのショッピングセンター(レストラン街を含む)から、手の空いたおじさんたちが食材やら料理やらを持ってやって来た。まだ営業している真っ最中の店もあるというのに。自分の店を放り出してやって来たシェフたちは、代わる代わる台所に行って料理を作ったりも。それも、その辺に放り出してある生肉や生魚を使って。
 そんなわけで、テーブルの上は既に一杯。スズキのカルパッチョやホタテのコキールを乗せた紙皿が、地面に直接置いてあるような、そんな状態。そして、おじさんたちは、みんなそこそこ酔っ払い。
「すごい盛り上がりじゃない。今日は独立記念日だったかしら?」
 その言葉に、おじさんたちみんなが「おー!」と声を上げた。
「私たちが働いている間に、男性独立記念日が今日だって制定されたのよ。」
 さらに上がる、「おー!」という声。
 でっぷりと太ったご婦人と、その後ろに小ダヌキのようなお嬢さん。2人とも服装は非常にオシャレ。髪型もオシャレ。顔立ちも、ぷっくりしていることを除けば、悪くない。美人の範疇に入る。
「お疲れさま、母さん、姉さん。」
 ティムが飛んでいって、2人にハグする。
「お疲れさん。」
 ティムの父も、軍手とエプロンを取って肉屋のおじさんに渡してから、2人にハグする。
「スミスさん、ご紹介します。僕の母、ビューティーサロン・バーベリーズのオーナーにして最高の美容師、バーバラ・バーベリーです。それと、姉のティナ。母の手伝いをしていて、母同様にすごくセンスがあるんです。母さん、姉さん、こちらが今日のイベントを盛り上げて下さった、アクアドラゴンのジョン・スミスさんです。」
 ティムの紹介に、ハンニバルとでっぷりママが握手をする。
「はじめまして、ミセス・バーベリー。あの有名な美容院のオーナーさんと、こうしてお知り合いになれるとは、思ってもみませんでしたな。」
 ハリウッドの著名人たちと肩を並べたようで、かなり嬉しいハンニバル。
「私はいつでも一介の美容師、そんな特別な人間じゃありませんわ。それに、家に帰れば、ティムとティナの母であり、バリーの妻でしかない、ただの1人の女性です。」
 ティム父の名はバリーと言うらしいことが、ここで判明。それにしても、ルックスと性格にギャップがあるなあ、バーベリー夫人。その謙虚さも美容院繁盛の要因か。
「ところで、あなた……。」
 と、バーバラがハンニバルを見つめた。
「あとで相談に乗って下さらないかしら?」
 歩を進め、場所を娘に譲りつつも、すれ違いざまに小声で囁きかける。
「はじめまして、スミスさん。ティムの姉のティナです。ティムが家に知り合いを連れてくるの、初めてなんですよ。と言っても、私、パリやニューヨークで修行していたんで、その間のティムのことはあまり知らないんですけど。でも、ティムってあんまり友達がいないみたいで、私としては心配なんです。将来は映画関係の仕事に就きたいって芸術系の大学に行ってるのに、家にいる時は勉強もしないで、いっつもウサギちゃん被って、ダディの店の客引きをしてるし(以下略)。」
 よく喋る小ダヌキに右手を取られながらも、ハンニバルはフェイスマンの方に挨拶に向かったバーバラのことが気になっていた。



 ショッピングセンターのおじさん連中は、三々五々、自分の店へと帰っていった。ティムの父、バリーは、炭火の片づけ中。ティムはテーブルや食器を片づけ中。Aチームの面々とバーバラ&ティナは、バーベリー家の食卓を囲んでいた。因みに、食卓用の椅子は4脚しかないため、コングとマードックは床に体育座りしている。
「先ほどスミスさんにはお願いしたんですが、相談に乗っていただきたいことがあるんです。」
 バーバラがそう切り出し、ティナが頷く。
「で、でも、俺はマネージャーだし、こっちのスミスは着ぐるみ俳優だし、なのに、何で?」
 すっとぼけるフェイスマン。コーヒーカップを持つ手が微妙に震えているけど。
「まだ私の店がハリウッドにあった頃、軍人さんたちが“こいつらを見たことはないか”と手配書を持って店に来たことがあったんです。指名手配中のAチーム、リーダーのジョン・ハンニバル・スミス大佐、フェイスマンことテンプルトン・ペック中尉、コングことB.A.バラカス軍曹。仕事柄、髪型を覚えるのは得意ですので。」
 慌てて頭に手をやる3名。フェイスマンの髪はともかく、ハンニバルの白髪とコングのモヒカンには特徴ありあり。
「間違いありませんね? Aチームの皆さん。」
 頷くしかない、ハンニバル、フェイスマン、コング。マードックはちょっと不服そう。
「何でも、Aチームは困っている人たちを助けて下さるとか。そこで、困っている私たちを助けていただきたいんです。」
「その前にだ、あんたらがMPと関係ねえって証拠を見せちゃくんねえか? 俺たちだって、とっ捕まりたかあねえからな。」
 その辺、用心深いコングが尋ねる。
「証拠はありません。でも、軍隊とは関係ありません。バリーも兵役に就いていたことはありますが、散髪以外したことがなかったそうです。」
「それ、全然証拠にも理由にもならないけど、OK、俺が後で調べとくよ。」
 妙に乗り気なフェイスマン。だってビューティーサロン・バーベリーズは、有名女優やセレブご用達の店ですもの。
「して、どんなことでお困りなのかな?」
 ハンニバルも乗り気。だってバーバラに恩を売っておけば、アクアドラゴンシリーズに有名女優を出演させることができるかもしれないから。
「ええ、実は……。」
 と、バーバラは語り出した。
 要約すると。
 ビューティーサロン・バーベリーズには、ここ30年くらいのファッション雑誌が揃っていて(単にバーバラが雑誌を捨てられない性格だというだけ)、その中の1冊が、世界に1冊しか残っていないレアものだということなのだ。そのことをバーバラは知らなかったのだが、店に「その雑誌はヴェリィ・レアなので、是非とも譲ってほしい」という旨の手紙が数通届いた。それらの手紙からの情報によれば、それは、既に倒産した出版社が出していた雑誌の付録で、発売日寸前に、間違った写真を載せていたことが判明して差し替えになったのだが、定期購読していたビューティーサロン・バーベリーズには、差し替えになる前の版が届いてしまったのだ。それまで火の車ながら何とかやってきた出版社は、この件で倒産し、ミスがあった方の雑誌の原版も写真そのものもなく、20年前のものなのでビューティーサロン・バーベリーズにある1冊しか確認されていないということだ。「譲ってほしい」という手紙が1通だけなら、その差出人に譲ってもよかったんだが、複数通の申し出があることから、バーバラはいずれの差出人にも「しばらく考えさせて下さい」と返事を出した。手放すのが惜しい、という理由もある。
 その後すぐに、ビューティーサロン・バーベリーズに泥棒が入った。幸い、店の売上金は毎日バーバラかティナが自宅に持ち帰っており、店に現金や金目のものを置いていなかったので、盗難の被害はなかったものの、雑誌の本棚が荒らされていた。例の雑誌は、たまたまその夜、バーバラが自室に置いていたのだが、恐らく、この雑誌を狙っての犯行だと思われる。さらに数日後、店でバーバラがティナに「あの本、金庫に入れておいた方がいいわよね」と言ったその夜、店の金庫が荒らされた。この日の夜も、結局、バーバラが例の雑誌を金庫に入れるのを忘れて、自室に置いたままにしていたため、被害はなし。
 というわけで、食卓の上に、くだんの雑誌と手紙とが並べられた。
 手紙を手に取るフェイスマン。
「何々……ああ、これはレアな雑誌のコレクターだね。ヒュー(口笛)、1000ドルつけてる。こっちは……差し替え前の写真に写ってるモデルのファンだ。ヒュー(口笛)、5000ドルも。ファンとかコレクターってのは太っ腹だね。で、これは? これで最後? 3通だけ? え……何これ、“とある人物の代理”? 理由も何もなしで……1万ドル!」
「1万ドルだと? この薄っぺらい冊子にか?」
 コングの言う通り、くだんの雑誌は“雑誌”と言うのもおこがましい、“冊子”的な薄さ。付録だし。
「ふむ。1000ドルと5000ドルの方は納得が行くな。こいつらはただのマニアだ。泥棒ぐらいはやるかもしれんから、“他の希望者に譲ります”とでも連絡しておけばいいだろう。問題は、その1万ドルだ。」
 冊子に目を通し終えたハンニバルが、手紙にもざっと目を通して言う。
「その“とある人物”が何でこの冊子を1万ドルも積んでまで欲しがっているのか、理由がわからん。差し替えになった写真ってのはどれだ?」
 首を横に振る一同。バーバラとティナも、頭をふるふる。
「この5000ドルのやつの手紙に、差し替えになった写真に写ってるモデルのファン、とはあるけど、どの写真の誰のファンなのかって大事なとこが書いてないからなあ。それに、これ、みんな子供じゃん。それも20年前の写真だし。」
 ぶつぶつ言ってるフェイスマン。でも、彼の言う通り。どのページにもミドルティーンズ以下の女の子が写っているだけだ。髪型や服装や小物は当時の最先端だったのかもしれないが、やはり今になって見ると古臭い。
「差し替えられた正しい方のはねえのか?」
「うちにはありません。」
 再度、首を横に振るバーバラ。
「図書館にあるんじゃん? 明日、当たってみるよ。」
 そう提案したのはフェイスマン。彼の頭の中では、今回の依頼の報酬は1万ドルであり、「ビバ、1万ドル!」ということになっている。まあ、前向きなのはいいことです。夢と現実とは区別した方がいいですが。
「よし、じゃあ今夜はこれで解散だ。フェイス、朝一で身元確認と図書館、頼んだぞ。」
「オッケ。」
「モンキー……モーンキー!」
「んあ〜?」
 不貞腐れていたのかと思ってたら、寝てました。病院だったら、もうとっくに消灯時間だし。
「モンキー、お前はアクアドラゴンをスタジオに返して、その辺でヘリを調達して、手紙の住所を当たってみてくれ。」
「調達はフェイスに任せた方がいいんじゃねえの?」
 本人の言う通り、マードックに調達を任せて、まともなものを調達できたことはない。と思う。
「それもそうだな。それじゃフェイス、計画変更だ。お前とモンキーとで、アクアドラゴンをスタジオに返して、ヘリを調達。モンキーはヘリに乗って、手紙の住所を当たる。フェイスはヘリ調達後、身元確認と図書館。いいな?」
「了解。合間に寝させてもらうけどね。」
「ラジャー。」
「コング、お前はビューティーサロン・バーベリーズに行って、盗聴器を探してみてくれ。」
「おう、わかったぜ。で、ハンニバル、あんたは?」
「念のため、ここに隠しマイクなんかがないか、探してみますわ。ほんじゃ、解散。」
「よろしくお願いします。」
 腰を上げた4人に、バーバラとティナは縋るような目を向けて言った。
「うちの男連中は、こういったことでは頼りにならなくて……。」
「私たち女2人で、心細かったんです……。」
 微妙に、バーバラの視線はフェイスマンの方に向けられ、ティナの視線はコングの方に向いている。
「ま、あたしたちにお任せ下さいな。ここはドーンと、大船に乗ったつもりで。」
「ありがとうございます!」
 声を揃える2人。しかし、2人の目は微妙に、発言者ハンニバルの方を向いてない。
 危うしコング! ティナは未婚で、彼氏もいないぞ!



 翌朝。
 未だビューティーサロン・バーベリーズで盗聴器を探し出しては引っこ抜いているコングのところへ、ティナがやって来た。
「バラカスさ〜ん、朝ご飯よ〜。」
「おう、わかった。けど、あと10分かそこらで全部終わりそうなんでな、先食っててくれ。」
 ティナの方に顔を向けないようにして、椅子の陰に這いつくばったまま答えるコング。
「早く来ないと、席なくなっちゃうわよ〜。」
 それだけで、ティナは去ってくれた。コングは身を起こし、手の甲で額の冷や汗を拭って、ふう、と息をついた。
 バーベリー家の食卓では、ハンニバルが大黒柱よろしく朝刊を片手にコーヒーを飲んでいる。その向かいの席では、本当は大黒柱であるはずのバリーが、サンドイッチ(ベーコンエッグトマトレタスサンド)を両手で持ってガプッと食いついた低い姿勢のまま、ハンニバルの持っている新聞の裏側を上目遣いで読んでいる。
「スミスさん、オレンジ召し上がる?」
 キッチンからバーバラが尋ねる。
「ああ、いただきましょう。」
「スミスさん、バラカスさんはあと10分ぐらいで来るそうです。」
 ビューティーサロン・バーベリーズから戻ってきたティナが席に着く。
「マム、私のサンドイッチは?」
 食卓の上を見渡すティナ。
「ダディ、それ、どこにあった?」
 ティナの問いかけに、皿を顎先で示すバリー氏。
「マーム! ダディが私のサンドイッチ食べちゃった!」
「ふまんふまん。」
「今もう1つ作ってるから待ってなさい。ティムは?」
「まだ寝てんじゃない? 起こしてくるわ。」
「ティナ、これスミスさんにお出しして。」
「はーい。マム、私にもオレンジちょうだい。ヨーグルトかけて。」
「はいはい。」
「スミスさん、どーぞ。」
「お、済まないねえ。」
 皮を剥いた状態で出された瑞々しいオレンジを頬張りながら、ハンニバルは、娘の家に泊まりに来ている“お祖父ちゃん”の気分だった。
「そうだ、スミスさん。」
 サンドイッチをごくんと飲み込んで、バリー氏が口を開いた。
「ん? 何だ?」
「あとで髪を切って差し上げますよ。」
「ほう、そりゃありがたいな。今、ちょうど髪が中途半端に伸びて、切りに行こうかどうしようかと迷ってたところだ。」
「カットの腕は、バリーが一番ですのよ。」
 ティナの席にサンドイッチとオレンジのヨーグルトがけを置いて、バーバラが得意げに言う。
「ロッド巻くのは下手だけどな。」
「それは私がやりますから、ご心配なく。」
 その時、ドタドタドタという音と共にティムが2階から駆け下りてきて、挨拶もなく表に飛び出していった。その後、ティナが“やれやれ”といった表情で食卓に就く。
「今日、試験なんですって。」
 大きく口を開けてオレンジをパクンと食べ、「美味し〜」という顔をする。
「試験? あいつ、昨日、勉強してたか?」
 眉間に皺を寄せ、心配そうなお父さん。
「してないと思うわ。でも、映画史と映画製作論の筆記試験だって言ってたし、その先生たちとは仲がいいって聞いてるから、大丈夫なんじゃない? 間に合いさえすれば。」
「映画の勉強をしたり、着ぐるみに入ったり、あいつは何をやりたいのかねえ? 床屋を継いでほしいとは全く思わんが。」
「え、ダディ聞いてないの? ティムは映画業界に入れれば、仕事は何でもいいのよ。それで俳優さんたちにうちの店とダディの店を紹介するんだって。“僕は不器用だから宣伝係に徹するよ”って言ってたわ。」
 と、そこに、盗聴器をごっそりと両腕に抱えたコング、ご帰還。
「ティムが血相変えて飛んでってたぜ。」
「ああ、試験なんだと。」
「大学生ってな大変だな。で、ハンニバル、こんだけ収穫があったぜ。」
「ご苦労。バンに乗せといて。」
「おう。そっちはどうだったい?」
「この家には盗聴器なし。床屋の方にも、なしだ。」
「そりゃよかったぜ。昨日の話まで相手に筒抜けだったら、打つ手もねえもんな。」
 そう苦笑しながら表に出ていくコング。
「さあて、僕はそろそろ店の準備でもするかな。」
 この場で1人だけ話に入れない気がして、バリーが席を立つ。サンドイッチも食べ終わったし。
 バリーが店に向かうや否や、ティナがテーブルの上のパン屑を払い、冷たい牛乳と出来立てのサンドイッチを置く。
 盗聴器をバンに押し込んで戻ってきたコングは、洗面所で手を洗うようにティナに言われ、ついでに顔も洗って、ピンクのタオルを肩にかけて食卓に就いた。
「いただくぜ。」
 牛乳をくーっと飲み、サンドイッチにかぶりつく。サクサクのトーストの間に、シャキシャキのレタス、濃厚な甘味と旨味の薄切りトマト、それに絶妙な焼き加減のベーコンと目玉焼き。ベーコンは固すぎず、しかし脂にはしっかりと火が通っており、スモーキーな香りがサンドイッチ全体に隈なく広がっている。目玉焼きは当然、半熟で、トロリとした黄身に行き当たった瞬間、緊張と共に喜びが打ち寄せる。味つけは塩コショウのみ。
「こいつぁ美味えな。」
 一気に食べ尽くしたコングが、ふうっと息をついてから、そう言った。
「モンキーの奴に作り方を教えてやっちゃあくんねえか?」
 大盛りのオレンジを持ってキッチンから出てきたバーバラにお願いする。
「作り方は、見ての通りよ。トーストの間に、塩コショウを振ったベーコンエッグとレタスとトマトを挟むだけ。ただ、レタスとトマトはバリーが丹精込めて作ったものだし、卵は数ブロック先のジャクソンさんのところの鶏が今朝産んだもの、ベーコンは反対に数ブロック行ったところのカーティスさんが燻したもの。普通にスーパーで売っているベーコンや卵では、この味は出せないわ。」
「うちの朝食は、いつもこれ。私も作れるわよ。」
 にっこりとティナが言う。それがプロポーズなのか、ただの事実を言っただけなのか、言った本人にしか、その真意はわからなかった。



 10時少し前に、バーバラとティナはビューティーサロン・バーベリーズに向かっていった。通勤時間、車の通行量が多くなければ30秒ぐらい、車が多い時には3分ぐらい。近くていいね。
 フェイスマンとマードックが戻ってくるまで、ハンニバルとコングはバリーに髪を切ってもらっていた。コングはモヒカンを低くすると言うか、頭を剃ると言うか、ヒゲを整えついでに全体をあたると言うか。
 11時、フェイスマンが戻ってきた時、ハンニバルもコングもこざっぱりしていた。男前度、普段より20%アップという感じだ。ハンニバルの髪は、何となく増えているように見えるし、コングの表情も、妙にキリリとして見える。
「へーえ、カットだけでこんなに変わっちゃうんだ。……俺も、お願いできるかな?」
 というわけで、床屋の椅子に座って、フェイスマン、報告。
 アクアドラゴンは無事返却済み。トラック(無断レンタル)も元あった場所に返却済み。モデルのマネージャーの仕事の方は、しばらく休み。バーベリー家とMPとの関係は皆無。例の雑誌の差し替え済みバージョンは、茶封筒の中。本当は帯出禁止なんだけど、持ってきちゃった。
 と、報告している間に、散髪終了。
「おお、若返ったな、フェイス。」
「ああ、十数年前を思い出すぜ。」
 別に、髪型が古臭いとか、髪が短くて子供っぽいとか、そういうわけではなく、全体から若々しさが迸っている。細かい皺もだいぶ減ったように見え、顔色が明るい。
「いやあ、困っちゃうなあ、俺、さらにモテちゃうじゃん。」
 そう言うフェイスマンは、ちっとも困っているようには見えなかった。当たり前だけど。
「さ、それじゃあ雑誌を見てみるか。」
 と、3人は食卓に移動した。
 差し替え前の雑誌と、差し替え済みの雑誌とを並べ、1ページずつ繰っていく。すぐに問題のページは見つかった。
 差し替え前の幻のページには、ミドルティーンの女の子が、雨上がりの公園の植え込みの前で、傘を片手に「あら、雨、やんだのかしら」というポーズを取っていた。当時はまだ珍しかった、無色のビニールにポップな模様が入った傘だ。
「この写真の何がまずかったってんだ?」
 首を傾げるコング。
「スカートが短いってことかな? じゃなかったら、うーん、服装が可愛い感じなのに、モデルの子が大人びた顔立ちで、イメージが合わなかったとか?」
 それにしても綺麗な脚だよなあ、とか何とか呟き続けるフェイスマン。
「差し替え済みの写真は、雨とは全く関係ないな。他にも雨天の写真はない。発行日は……夏だな。西海岸じゃ夏に雨はほとんど降らないからじゃないか?」
 雨にこだわるハンニバル。
「でも、これ、全国誌だよ。そんなこと言ったら、アリゾナ州とネヴァダ州じゃ誰も『雨に唄えば』を知らないことに――
「これじゃねえか?」
 フェイスマンの言葉を遮って、まあ遮っても全く支障のない台詞なんだが、コングが写真を指差した。その指先に注目するハンニバル&フェイスマン。
 植え込みの木々の隙間に、2人の人間の姿らしきぼんやりとしたものが見える。幽霊とかそういった類のものではない。ピントが合っていないだけだ。
「こっちの奴がこっちの奴に、何か渡してるように見えねえか?」
「あ、見える見える。2人とも男だね。スーツ姿じゃなくて、カジュアルな格好? 学生かな?」
 目を凝らしても、それ以上の細部はわからない。
「時代背景を考えてみよう。」
 と、ハンニバルが再び奥付を見る。
「1965年8月だ。この頃、何があった?」
「ベトナム戦争中。陸軍が参加したのって、その頃だっけ?」
「公民権法ができて、キング牧師がノーベル賞貰った後だな。」
「ジョンソン大統領の頃か。」
 しばし3人は口を閉じて考え、そして声を揃えた。
「トンキン湾事件!?」(×3)
 説明せねばなるまい(けど、別に無理して読まなくていい)。
 1964年8月2日に北ベトナムのトンキン湾で、北ベトナム軍の魚雷艇が米海軍駆逐艦を攻撃し、駆逐艦は反撃をした。そして4日、米海軍駆逐艦は北ベトナム軍が魚雷で攻撃してきたことをレーダーで察知し、レーダー目標に対して発砲。5日には、2日と4日の報復として、米海軍は北ベトナム軍の魚雷艇基地に対してガンガン攻撃した。この2日と4日に米海軍が攻撃されたというのがトンキン湾事件なのだが、この事件を切っ掛けにして米軍は本腰を上げてベトナム戦争に参加することとなり、翌65年2月よりトンキン湾事件の報復として(もう8月5日に報復したじゃん、というのは置いておいて)、ハノイ市などに爆撃を開始。これがかの有名な“北爆”である。
 さて、8月2日の事件の方は、北ベトナム軍も認めた事実。どうも、南ベトナム側の船と間違えちゃったらしい。だが、4日の事件は、アメリカがベトナム戦争に本格的に足を突っ込むために、アメリカ側がでっち上げたものだったと、71年、ペンタゴン・ペーパーズ(ベトナム戦争に関する極秘報告書)がマスコミに漏れてしまった際に暴露された。
 このトンキン湾事件(の4日の分)がアメリカの自作自演だったということが、もし、問題の写真が撮影された65年8月以前に軍外部に漏れていたとなったら、「じゃあ何で71年まで公表されなかったのか」ということになる。もちろん、機密事項の漏洩が発覚して、軍部の手により緘口令が布かれたり、関係者一同が抹殺された可能性もあるだろう。しかし、こんな大スクープをメディア関係者が逃すわけもあるまい。報道関係者は、スクープのためなら自分の命さえ投げ出す輩だというのに。さらに言えば、当時は冷戦の真っ最中。ソ連がこの事実を知ったら、アメリカを叩くのに好都合だ。もう一丁言えば、当時、アメリカは経済的な衰退に向かっており、経済上昇中の西ドイツがこの事実を掲げれば、アメリカの国際的信用を落とすこともできただろう。それにアメリカ国内でも、この情報は反戦運動のブースターとなって然るべきものだ。
「ここで渡されていたものが、トンキン湾事件の事実を記した手記と証拠物件だったとしたら……。」
「すげえことだな。この写真に1万ドルってのも頷けるぜ。」
「となると、1万ドル支払おうとしてるのって、この人物のうちのどちらか? でも何でさ? この写真見たって、誰なんだか特定できないのに。」
「わかる奴にはわかる特徴が写ってるんじゃないか?」
「しかしよお、ハンニバル、今更“こいつが極秘情報を流した”ってわかったって、もうとっくに極秘じゃあなくなってんだから問題ねえだろ?」
「……あれから20年、ここに写ってる人物も、今じゃ生きていれば結構高い地位に就いてるかもしれませんしねえ。何せ、盗聴器を一抱えも設置できるぐらいだ、相当な御仁と見ましたね。」
「そうか、政治家になっているかもしれないし、軍の上層部にいるかもしれない。それがこんなスパイみたいな真似をしてたとなったら……。」
「ヤベえだろうな。もう時効だとしたって、地位も仕事も全部パーだ。」
 重苦しい話題になってきたところに、ヘリの音。それから数分後、マードック、ご帰還。
「手紙の主、当たってきたぜ。あ、ヘリは向こうの空き地に停めてきたから、フェイス、あとで返しに行こ。」
 空き地からダッシュしてきたらしく、息が切れている。
「まず、1000ドルの人。元雑誌編集長のお爺ちゃん。引退後に趣味で変わった雑誌や本を集めてる人。写真差し替えのことは、その当時に知ってたんだって。付録冊子を差し替えただけで出版社が潰れたってのは、業界内じゃ結構有名な話だって言ってた。んで、あの雑誌に1万ドルつけてる人もいるって話したら、とてもそんなにゃ出せん、って辞退してくれた。」
 と、メモを片手に報告するマードック。
「そんで、わざわざ来てくれて済まんのう、って、お婆ちゃんの焼いたクッキーくれた。」
 トン、とテーブルの上に紙袋を置く。いきなり漂うバターの香り。
「次、5000ドルの人。差し替え前の写真のモデルって、シビル・テリアなんだって。」
「ええっ?」
 レアな方の雑誌を手に取るフェイスマン。シビル・テリアは、今じゃ有名な女優さん。
「本当だ、この目と鼻、シビル・テリアだ……。」
「ほう?」
 ハンニバルはあまり興味なさげ。
「子役モデル時代のシビル・テリアの写真が載ってるって、ビューティーサロン・バーベリーズでこの雑誌を見た人に聞いて、それでその雑誌を何とか入手したんだけど、それが差し替え後のやつで、差し替え前のはどうしても見つからなくて、ビューティーサロン・バーベリーズに手紙を出したんだって。」
 クッキーを1つ、ボリボリ食べる。
「この人にも、1万ドル出すって人がいる、って話したら、そのページのコピーでもいいって。モノクロだったら100ドル、カラーで500ドル。ただし、折り曲げずに郵送すること。」
「オッケ。じゃ、カラーで紙焼きしてもらうよ。」
 と、フェイスマン即答。1985年当時、カラーコピーは一般的ではありませんでした。
「1万ドルの人のリターンアドレスんとこも行ったんだけどさ、これが1万ドルとはほど遠いアパートで。」
「代理だって書いてあんだろ。そいつが1万ドル出すわけじゃねえ。」
「そりゃわかってっけどよお、コングちゃん、留守だったから諦めて帰ってきた。」
「あのね、モンキー。そういう時には隣近所に聞き込みするの。」
 子供に諭すように言うフェイスマン。
「そんならフェイス、聞き込みしてきてよ。車で行ける距離だし。オイラもう疲れた。夜間に無許可でヘリ飛ばすのって大変なんだぜ〜。住宅地に空き地見つけて着陸すんのだって冷や汗モンだし。すぐに警官がわらわら集まってくるし。」
「よし、フェイス。聞き込みとコピー、よろしくな。」
「よろしくなって、ハンニバル、俺1人で? みんなはどうすんの?」
「バーバラに報告して、家(アジト)帰って寝る。いいな、コング、モンキー。」
「おっし!」
「了解っ!」
 力強く返事をする睡眠不足野郎2名。
「じゃコング、ビューティーサロン・バーベリーズに報告に行くとしましょう。その間にモンキーは、バリーさんに髪切ってもらえ。」
「へ?」
 鳩が豆鉄砲食らったようなマードックを置いて、ハンニバルとコングは表に出ていった。
「髪切るって? 何で?」
 不機嫌な顔で雑誌を茶封筒に詰めているフェイスマンに、マードックが尋ねる。
「みんな髪切ってもらったから。」
 床屋に続くドアを指して、さらっとフェイスマンは言ったが、マードックはそれでもまだ納得していないようで、口を尖らせて耳横の髪を引っ張っていた。



〈Aチームの作業テーマ曲、かかる。〉
 印刷屋でカラーの紙焼きを頼んでいるフェイスマン。神妙な顔つきで床屋の椅子に座るマードック。客の髪をセットしているバーバラに報告をするハンニバル。煌びやかな美容院内で居心地悪そうにそわそわしているコング。
 ひと気ない路地のオンボロアパートの前にコルベットで乗りつけるフェイスマン、颯爽と下り立ち、歩を進め、ドアをノックする。櫛で丁寧に前髪を下ろされているマードック、案外前髪は長いが、それ以上に額が長い。ビューティーサロン・バーベリーズで洗濯機にタオルを突っ込むハンニバル、洗剤のボトルをじっくり読み、洗剤をキャップで量り取る。客の髪にロッドを巻いているティナの斜め後ろでロッドや輪ゴムを渡すコング、うつらうつらしている。
 聞き込みをしているフェイスマン。バリーに髪を洗われているマードック。アジトのベッドに倒れ込むハンニバルとコング。
〈Aチームの作業テーマ曲、終わる。〉



「あー、もうこんな時間?」
 コルベットのドアに寄りかかってメモを取っていたフェイスマンは、腕時計に目をやった。紙焼きを頼んだ印刷屋に、原稿(例の雑誌)と出来上がりの紙焼きを取りに行かなければならない。
「もうちょっと聞き込みしたかったけど、ま、いいや。」
 独り言を呟いて、手帳をパタンと閉じ、内ポケットに入れる。
 と、その時。
 目の前が急に暗くなり、前屈させられたと思った瞬間、両手を封じられた。どうやら紙袋を被せられ、後ろ手に手錠をかけられたようだ。蹴りを放とうにも、ぐるぐると回転させられ、相手の位置がわからないどころか、平衡感覚も怪しい。だが、屈強そうな人物が2名、ということが、自分に触れている手の数からわかる。そしてフェイスマンは、ふらふらした状態のまま、コルベットではない別の車の後部座席に押し込まれた。ほどなく車が発進する。
「てめェ、何を聞き回ってんだ?」
 耳元で野太い声がそう尋ねた。
「な、何を、って? え? いや、その、別に。」
 フェイスマンがしどろもどろしているうちにも、ジャケットの内ポケットから手帳が奪われる。
 それからしばらくの間、相手が何も聞いてこなかったので、フェイスマンは自分の置かれた状況を把握してみようとした。まず、自分は車の後部座席に、脚を折り曲げ、ほぼ仰向けに引っ繰り返っている。手にはプラスチック製のおもちゃの手錠が嵌められていて、おもちゃのくせに強度抜群、とても引き千切れるような代物ではない。頭に被せられている紙袋は、特に何の匂いもしない。先ほど失っていた平衡感覚は戻ってきた。上には相手の男が圧しかかっていると思われるが、幸い、密着されているわけではない。恐らく、上にいる男の方が、体勢としてはフェイスマンより苦しい。
「てめェはゲイル・ギブソンのことを調べてんのか?」
 手帳を見たのだろう、男がそう尋ねる。ゲイル・ギブソンというのが、例の雑誌に1万ドルをつけた人物の代理人の名前だ。
「ああ、まあ、そうかな。」
「サツなのか?」
「警察の者じゃないよ、少なくとも。」
「じゃ探偵か何かか?」
「うーん、似たようなものかな。」
「そうか。」
「お宅、ゲイル・ギブソンさん?」
「いんや、違う。」
 それで会話は終わりになり、手帳はポケットに戻され、手錠を外されたフェイスマンは依然として紙袋を被せられたまま、歩道に押し出された。強かに頭を打ちつけたが、車は停まっていたので、惨事になることはなかった。
 紙袋を取って立ち上がった時、既に車は角を曲がって姿を消していた。
「何だったんだよ……?」
 呆然として立ち尽くすフェイスマンであった。



 最近のAチームのアジトは、フェイスマンがモデル事務所兼用として借りているマンションの一室。繁華街の中にあり、交通の便もよく、駐車場つきで、家賃は結構高いが、引っかけたモデル志望の女の子たちから貰ったモデル登録料で礼金敷金と1カ月分の家賃は完済しており、あと半月は堂々と住める場所である。女の子たちから苦情さえ出なければ。
 さて、タクシーを拾ってコルベットを停めた場所まで戻ったフェイスマンは、印刷所に寄った後、このアジトに帰ってきた。
「ご苦労さん。」
 リビング兼応接室で、ハンニバルはTVを見ていた。
「モデルの子から電話があったぞ。それと、お前んとこのモデルを使いたいって話も数件。ほれ。」
 と、ハンニバルはメモをフェイスマンに手渡した。
「それより聞いてよ、ハンニバル。」
 フェイスマンはハンニバルの向かいの席に着くと、今さっきあった出来事を語った。
「ほう、そりゃまた大変でしたなあ。で、1万ドルの御仁の方の収穫は?」
 拉致された、と言うか、拉致されかけた件については、スルー。
「1万ドルを出す本人については、さっぱりわからないまま。代理人は、確かにこの住所に住んでいて、名前もゲイル・ギブソンで間違いない。男性、1人暮らし、職業不定、年は40代ぐらい。家賃はきちんと払っていて、ご近所の人と会うとちゃんと挨拶もしてるし、アパートの他の住人とトラブルを起こしたこともない。でも留守がち。以上。」
「何もわかってないに等しいな。」
「うん。本人に会ってみないことにはね。で、これ、紙焼きね。」
 ローテーブルの上に置いた茶封筒を指す。
「うむ。もうすぐコングがジムから戻ってくるだろうから、そうしたら2人でもう一度、この代理人、当たってみてくれ。こっちは、この代理人に“1万ドルで例の雑誌を売る”と手紙を出すように、バーバラに伝えておく。」
「ん、わかった。モンキーは何してんの?」
「ついさっきまでここで寝てたんだが、ビューティーサロン・バーベリーズにボディガードしに行かせた。」
「モンキーがボディガード? 人選ミスっぽくない?」
「いやいや、奴ならヘリでひとっ飛びだしな。」
「ヘリで?」
「ヘリで。」
 と、上を指差すハンニバル。どうやらマードックは、このマンションの屋上およびバーベリー家近くの空き地をヘリポートとしてしまっているようだ。
 そう言えば、ヘリを返しに行ってなかったな、とフェイスマンは思い出した。



 その夜、聞き込みを続けていたフェイスマンは、再び紙袋を被せられた。無論、おもちゃの手錠も。しかし、今回は慌てる必要もない。
「コーング! やっちゃって!」
「おうっ!」
 コルベットの助手席に置いてあったパステルピンクのウサギちゃんが突如として動き出し、ダンッとドアを飛び越えて駆け寄ってきた。
〈Aチームのテーマ曲、かかる。〉
 ウサギちゃんの出現に怯み、立ち竦む黒スーツ男のがら空きの腹にボディブロー。屈んだところに顔面へ右フック。これで1人撃沈。
 2人目の方へ素早いステップで移動したウサギちゃんだったが、フェイスマンを盾にされ、構えていた拳を下ろした。安心した男の顔面に、フェイスマンが後頭部で一撃を加える。緩んだ手からフェイスマンがするりと抜け出し、そこにウサギちゃんが体重を乗せた右ストレート。鼻を押さえていた男のその手の上への一撃だったが、強烈なパンチに、男はそのまま後ろに倒れて動かなくなった。
〈Aチームのテーマ曲、早くも終わる。〉
 ウサギちゃんの頭をズボッと脱いだコングは、倒れた2人の男を見下ろした。
「やりすぎちまったな。」
 その横で、下を向いて頭を振り、紙袋を自力で落とすフェイスマン。
「コング、これ。」
 と、フェイスマンが後ろ手にかけられた手錠を見せると、コングはウサギちゃんの頭を車の助手席に投げ、手錠の鎖(プラスチック製)をバキリと引き千切った。両手が自由になったフェイスマンは、黒服の男のポケットを探って手錠の鍵を見つけ出し、既に手錠とは言えない手錠を外すと、さらにポケットを探った。
 彼らの持ち物から察するに、1人はゲイル・ギブソンと同じアパートの住人、そしてもう1人はその同僚。もちろん、両者とも、ゲイル・ギブソンではない。職業は、不動産会社の社員。恐らく、目当ての土地の住民に立ち退きを迫る際に有効活用されている人員なのであろう。
「こいつら、今回の仕事と何か関係あんのか?」
 ウサギちゃんを脱ぎながら(後ろのファスナーはフェイスマンに下ろしてもらった)、コングが尋ねる。
「うーん、多分、関係ないと思う。家の周りをうろうろされて嫌だったってだけじゃないかな。」
「そんじゃ、このまんま放っといていいか。」
「端っこに除けとこうよ、じゃないと邪魔じゃん。」
 フェイスマンの提案に従い、コングは気絶している2人の体を壁際に寄せ、そうして気絶していない2人はアジトへと戻っていった。



 それから3日後の夜。
 とりあえずヘリは返却し、しかし依然としてゲイル・ギブソンと接触できずにいたAチームだったが、早くも“1万ドルさん”(いつの間にか、みんなそう呼んでいた)と会えることとなった。
 3日前の昼に早急にバーバラが書いた手紙に対するゲイル・ギブソンからの返信には、受け渡しの場所と時刻とが指定されていた。それが今日の23時だ。「バーバラ・バーベリー1人で来ること」と条件も出されていた。そして、ご丁寧にも、追記として「指定の時刻に指定の場所にお出でいただけなかった場合には、追って別の日時をお知らせいたします」と記されている。しかし、バーバラは「今日の23時でいいわよ」ということだったので、追記は無視。
 そんなわけで、バーバラは茶封筒に入れた例の雑誌を携え、指定の場所、グリフィスパーク南西のとあるドライブウェイの突き当たりに車で向かった。グリフィスパークは閉まっている時間、その辺りには街灯も住宅も少なく、その上、ドライブウェイの突き当たりにある家は廃屋で、こんなことでもなければ決して足を踏み入れたくない場所だった。
 23時少し前に指定の場所に車を停めたバーバラは、車内でしばらく待った。すると、23時ちょうどに車が来て、ヘッドライトを点滅させた。車2台分の幅はない道だったので、バーバラは恐る恐る車を下りて、懐中電灯を片手に、もう片手には封筒を持って、後ろの車に近づいた。フロントガラスの向こうに、いかにも運転手という風情の男が見えた。しかし、後部座席に誰がいるのかは、運転手の後ろにある半透明の仕切りのせいで、前からははっきりと見えない。その上、サイドウィンドウにはスモークがかかっていて、後部座席にいる人物の姿は横からも見えない。
 後部座席の窓がわずかに開き、その隙間から封筒がぬっと出てきた。バーバラは、それを受け取り、代わりに雑誌の入った封筒を隙間に差し入れた。車の中からガザゴソと音が聞こえ、車内の人物が雑誌を確認しているのだということがわかる。バーバラも封筒を開け、懐中電灯で中身を照らした。新聞紙を紙幣サイズに切ったもの、ではなく、とりあえず紙幣だ。枚数はわからないし、本物の紙幣かどうかもわからないけれど。開いた窓ガラスの隙間から中を覗こうとしたバーバラだったが、ガラスのすぐ向こうには、用心深いことに、黒い布が垂らしてあった。
 車内の人物は雑誌に納得したようで、窓を閉め、車は無理矢理なUターンをしてドライブウェイを戻っていった。
「バーバラ。」
 茂みの奥から彼女を呼ぶ声がして、バーバラは驚愕のあまり「ヒッ」と一声上げるや否や、ドタッと地面に倒れてしまった。
「あー済まん済まん。」
 ガサゴソと出てきたのは、全身黒づくめの人物。黒い靴に黒いズボン、黒いタートルネックシャツ、そして黒いタコ帽子。その黒づくめ野郎は、タコ帽子をよいしょ、と脱ぐと、どこから取り出したのか、葉巻を銜えて火を点けた。
「あたしたちが隠れてること、前もって話しとくの、忘れてたわ。」
 ハンニバルの声を聞きつけて、むっちりがっちりな黒づくめと、ひょろ長い黒づくめも、茂みの中から姿を現した。さらに、道の向こうから紺色のバンが最徐行でやって来た。
「コング、発信機ちゃんと動いてるよ、1つはね。もう1つがウンともスンとも言わないんだけど。」
 バンから下りて駆け寄ってきたフェイスマンの手には、黒いプラスチックの箱が2つ。
「ああ、それでいいんだ。」
 と、コングがタコ帽子を取り、フェイスマンから受信機を受け取った。
「こっちのやつぁ10秒間隔、こっちのは10分間隔で発信するんだ。」
 コングは詳しく説明しなかったが、10秒間隔でパルスを出す発信機は、追跡しやすいが、発見されやすい。一方、10分間隔でしかパルスを発信しない方は、10分に1度しか出ないパルスを探知しない限りは発信機の有無がわからないし、敵(?)がそのパルスを探知しても、そのパルスがどこから発信されたのか、つまりどこに発信機があるのかを探るには非常に時間がかかる。
「へー、なるほど〜。こりゃ考えたね、コングちゃん。だから2つつけたわけね、発信機。」
 受信機を覗き込んで、マードックがタコ帽子を取った。
「……てめェ……顔短くなったか?」
 不思議そうにコングが尋ねる。
「そう? やっぱそう思う? エヘヘヘ。」
 マードックは実に嬉しそうに笑った。これもバリーのカットによるものだ。髪をカットするだけで顔、特に額を短く見せるなど、神技と言っても過言ではあるまい。
「う、う〜ん。」
 地面の上に放置されていたバーバラが、むくりと上半身を起こし、手を頭にやる。
「大丈夫ですかな、マダム。」
 バーバラが立ち上がるのに手を貸すハンニバル。一応、紳士。
「それじゃ、追跡行きますか。」
「おうっ。」
 リーダーの号令一下、部下どもは車に乗り込んだ。



 バンの中で、フェイスマンはバーバラに渡された紙幣を数えていた。バーバラの車を運転するのはマードック。バンのマードックの席にはバーバラ。
「うん、ぴったり1万ドルある。偽札も混じってない。」
「……でも、あの雑誌を渡してしまったのは、何だか惜しい気がしますわ。」
 気落ちしたように俯いて、バーバラが言う。
「捨てられなくて取ってあっただけの雑誌で、それほど読み返していたわけではなかったにしても……20年も一緒にいたんですから、我が子同然のような、いえ、私の一部であるかのような気がして……。」
「それなら、ご心配なく。」
 ポン、とフェイスマンはバーバラの膝の上に茶封筒を投げた。その封筒の中からバーバラが取り出したものは……例の雑誌そのものだった。
「まあ!」
「それがオリジナル。“1万ドルさん”に渡したのは、この間作った紙焼き。両面ズレないように、オリジナルと同じ紙に焼いてもらったから、結構時間とコストがかかっちゃったけどね。」
「20年ものらしく汚すのも大変だったしな。」
 助手席で、ハンニバルが葉巻を銜えたまま、モゴモゴと言う。
「何から何まで、ありがとうございます。」
「いやいや何の何の。コング、そこ右ね。」
 バーバラの礼を軽く受け流すと、受信機を持ったハンニバルはコングに方向を指示した。



 しばらくしてAチーム一同が到着したのは、予想していたよりも庶民的ではあるが豪勢な、しかし、この界隈ではごく普通の一軒家の前だった。受信機によれば、その家のガレージの中に発信機のついた車があるようだけれど、シャッターが下りているので、よくわからない。
「雑誌に1万ドル出すにしては質素な家だね。」
 フェイスマンが率直な意見を言う。
「貯蓄があるんじゃないですか?」
 実はほとんど貯蓄のないバーバラ。収入はあるけど、店は賃貸だし、娘は留学してたし、息子は大学生だし、ファッション雑誌の定期購読もバカにならない額だし。
「発信機は動いてるか、ハンニバル。」
「ああ、両方とも生きてる。同じ場所で、だ。」
「ってこたぁ、途中で発信機を見つけて捨てたって線はあり得ねえな。」
「“1万ドルさん”が別の車に乗り換えた可能性は?」
 ちょっと気になって聞いてみるフェイスマン。
「あり得る。だが、少なくとも、あの家に運転手がいる。……運転手の家なのかもな。そいつに聞き出せばいい。」
「じゃ、乗り込むか。」
 ニヤリとコングが笑った。
「行きましょうかね。奥さんは1万ドルと雑誌を持って、家に帰ってて。」
「はい。」
 バーバラは心配そうな面持ちで頷いた。
〈Aチームのテーマ曲、再びかかる。〉
 バンから下りるハンニバル、コング、フェイスマン。バーバラもバンから下り、後ろに停めてあった自分の車に乗って去っていく。バンの後部ドアを開けるコング。フェイスマンとマードックにオートライフルを投げ渡す。拳銃のマガジンを出して、弾丸を込めるハンニバル。
 道路を横切って、目標の家に向かって横一列で進んでいくAチーム一同。いつの間にか、ハンニバルもコングもマードックもいつもの服装に戻っている。
〈Aチームのテーマ曲、再び終わる。〉



 ででごぃーん!
 コングがドアを蹴破った。内側に向かって倒れていく扉、仁王立ちのコング。その左右から、オートライフルを構えたフェイスマンとマードックがするりと入り込み、内部の様子を窺う。
 せっかくカッコよく入ってきたのに、玄関ホールには誰もいなかった。
「モンキー、左へ。ガレージで車を確認しろ。運転手がいたら捕縛。フェイスとコングは右だ。」
 マードックが左側にスタタタと移動し、ガレージに続くのであろう扉を蹴破り、ドアの向こうに姿を消す。残り3名は右側にある観音開きのドアの前に立った。
「コング、やれ。」
 ででごぃーん!
 再度、扉が蹴破られ、拳銃を構えたハンニバルとオートライフルを構えたフェイスマンが内部に侵入。
「誰ですか、あなたたちはっ!」
「スミスさん?!」
「え、誰?」
「ティム?」
「何で?」
 そこには、ティムと、その他に大学生らしき若者が数名、それと真面目そうな老紳士、およびその助手っぽい眼鏡青年がいた。犯罪とはほど遠い雰囲気に気づき、拳銃をしまうハンニバルと、銃口を下ろすフェイスマン。
 だが、明らかに、眼鏡青年の手には、見覚えのあるサイズの茶封筒が。ちょうど、眼鏡青年は老紳士に封筒を渡そうとしているところ。恐らく、車の後部座席に乗っていたのは、この眼鏡君。
「あー、夜分畏れ入ります。あたしはジョン・スミスってもんですけど、あなたさんはどちら様で?」
 封筒を受け取る老紳士に向かって、ハンニバルが尋ねる。
「ビリー・ドメスティッカー。元映画監督で、今は大学で映画製作論を教えておる。」
 突然の闖入者にも取り乱さず、老紳士は毅然として言い放った。
「あ……あの有名なドメスティッカー監督……ですか?」
 ハンニバルの目が丸くなる。ドメスティッカー監督と言えば、アカデミー監督賞を何度も受賞した世界的超有名人。ハンニバルにとっては、雲の上のお人だ。神様と言ってもいい。
「では、ここは監督のお宅で……?」
「まあ、別宅だな。本宅は仰々しくて、こうして大学の学生たちとゆっくり語らう場ではないんでのう。」
 そう言いつつも、封筒の中から雑誌を取り出し、ページを繰る。
「それで、なぜあなた方はドアを蹴破って侵入し、我々に銃を向けたのでしょうか?」
 責めるような口振りで、眼鏡君が問う。
「失礼、わたくし、ドメスティッカー先生の助手兼秘書を務めております、アート・ヘンダースと申します。大学では映画史を教えております。」
 そう言って、眼鏡君は眼鏡をつっと押さえた。
「それ、その雑誌。」
 と、フェイスマンが老紳士の膝の上の雑誌を指差す。
「その雑誌に1万ドルも値をつけたのが怪しくて、それを調べに来たわけさ。」
「トンキン湾事件と関係があるんじゃねえかって思ってな。てめェら、スパイか?」
「トンキン湾事件? スパイ?」
 ドメスティッカーとヘンダースが声を揃えた。
「トンキン湾事件とは何の関係もないぞ。わしゃあただ、この雑誌にシビル・テリアの10代半ばの写真が出てると、バーベリー君から聞いてな。おお、これじゃこれじゃ、この写真じゃ。……お恥ずかしい話、こんな老いぼれじゃが、わしゃ彼女のファンでのう。監督業引退宣言なんぞするんじゃなかった、と思うこともあるぐらいだわい。」
「そうなんです、スミスさん。」
 と、ティムが口を開いた。
「ドメスティッカー先生はうちの大学の着ぐるみ同好会の名誉顧問をして下さっているんですけど、先生とこうやってお話しているうちに、先生がシビル・テリアの大ファンだって知って、僕が先生に、この雑誌のことを教えたんです。母の店で偶然この雑誌を見て、シビル・テリアの若い頃の写真を見つけたもので。そうしたらヘンダース先生が調べてくれて、とても珍しい雑誌だってわかって……。」
「それで1万ドルか?」
「1点ものなら、そんなもんじゃろう? それにシビル・テリアは今や天下の大女優じゃしな。カッカッカ。」
 高らかに笑うドメスティッカー老。
 ハンニバルは思い出した。ビリー・ドメスティッカー元監督の趣味は、美術品の蒐集なのであった。何万ドル、何十万ドルもする美術品を集めているのであれば、雑誌1冊に1万ドルつけてもおかしくない。
「1万ドルの件はわかっ、りました。理由もわかっ、りました、です、はい。それじゃあ何で、なぜゆえに、ビューティーサロン・バーベリーズに盗聴器を山ほどつけたんだ、ですか?」
 尊敬する監督に対し、言葉が変になってしまっているハンニバル。
「盗聴器をつけさせたのは、わたくしです。」
 ヘンダースが人差し指を上げた。
「この雑誌について調査するため、バーベリー君のお母様のお店に、盗聴器を設置させていただきました。町の電気屋に頼みましたので、手際が悪く、まるで泥棒が入ったかのように思われてしまいましたが、おかげで多くの情報を得ることができました。これについては、バーベリー君にも話してありますが。」
「あ……ごめんなさい、ヘンダース先生。僕、母にそのことを伝えるの、すっかり忘れてました。着ぐるみイベントのことで忙しくて……試験もあったし……。」
 しゅんとして頭を下げるティム。
「じゃあ2度目の泥棒は? 金庫が荒らされたそうだけど。」
 静かになってしまった場で、フェイスマンが尋ねる。
「この場合、電気屋とその一味による金銭目当ての犯行と見た方がいいだろうな。」
 と答えたハンニバルは、一呼吸置いて、ヘンダースの方に顔を向けた。
「ヘンダースさん、電気屋に雑誌のことは話したのか? シビル・テリアの写真のことも。」
「ええ、簡単にですが、話しました。」
「それなら1回目に泥棒が入った時に本棚が荒らされていたのも頷ける。」
 ふむふむ、と頷くハンニバル。ビューティーサロン・バーベリーズの奥にある、まるで図書館のような本棚群の中から、例の雑誌1冊を見つけるのは至難の業だ、と常々思っていたことだし。
「もう入っていい?」
 扉の陰からマードックがひょこっと顔を出した。
「ああ、いいぞ。」
 ハンニバルの返事に、マードックが運転手を引きずって部屋に入ってきた。運転手の頭の上では、星とヒヨコが輪になって回っている。
「ほい、コングちゃん、発信機2個。」
 運転手を床に置き、回収した発信機をコングに渡す。
「お、済まねえな。」
「大佐、この運転手がゲイル・ギブソン。謎の代理人さんね。」
 マードック、賢明にも、名前を聞いた後に叩きのめしたようです。
「なるほどなるほど。監督、あなたの名前は世に知れ渡っているので、表に出したくなかった、と。」
「そうじゃ。シビル・テリアの写真目当てだと知れたら恥ずかしい上に、彼女の小さい頃の写真じゃ。幼女趣味などとマスコミに騒がれたくないんでのう。」
「わたくしも、元監督ほど高名ではありませんが、大学で教鞭を執る身ですし、著書もありますもので、取引に運転手の名を使うことにいたしました。」
 ドメスティッカーとヘンダースの話を聞き、しばらくハンニバルは黙って考えているようだった。
「あと1つだけ疑問点が残ってる。なぜシビル・テリアの写真が差し替えられたのか、だ。」
 おもむろに口を開き、誰に問うでもなく疑問を投げかけるハンニバル。
「それでしたら、存じております。」
 物知りヘンダース先生が、またもや人差し指を立てた。
「何でも、モデル・プロダクションとカメラマンに十分な支払いを行う金銭的余裕が出版社になく、シビル・テリアの写真を使う権利は最初から出版社にはなかった。そのことが編集者全員には知れ渡っておらず、編集長には伝わっていたものの付録冊子の原稿のチェックを怠り、使用権利のない写真を使った原稿が印刷所に送られてしまった。印刷が終わり、冊子の挟み込みも終わり、発売になる直前になって、やっと、使ってはいけない写真が載っていることに気がついた。――との証言が当事者から得られております。」
 つるつると説明するヘンダース先生。この調子で、映画史もつるつると語られているのだろう。
「……よし、全部繋がったぞ。モンキー、運転手を起こして謝っておけ。フェイス、ヘンダースさんから電気屋の場所と請け負った電気屋の人相を聞いて、調査の後、警察に垂れ込め。コング、早急にドアを直すこと。ティムとその仲間たち、もう遅いから帰宅するように。」
 ハンニバルの指示にこっくりと頷く部下3名と、大学生たち。
「ティム、帰ったらバーバラさんに洗いざらい話すんだ。わかったな?」
「はい、わかりました、スミスさん。」
 そうして、大学生たちはドメスティッカーとヘンダースに挨拶をして、早々に帰っていった。各自、自転車で。
 マードックはゲイル・ギブソンに平謝りしている。フェイスマンはヘンダースに電気屋のことを聞いている。コングは蹴破ったドアの壊れ具合をチェックしている。
「さて、監督。」
 ずずい、とハンニバルはドメスティッカーに詰め寄った。
「何じゃね?」
「この度は当方の思い違いにより大変ご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございませんでした。」
 床に座って手をつき、頭を下げるハンニバル。
「おお、ドゲーザじゃな。クロサーワの映画で見たぞ。」
「私も、もちろん見ました。クロサーワ、偉大な映画監督です。しかし私は、ドメスティッカー監督、あなたの映画が一番だと思っております。」
「おだてても何も出んぞ。」
 さっと雑誌(のコピー)を隠すドメスティッカー。割とお茶目。
「いえ、おだてなどではなく、私の本心です。監督が引退宣言をなさった時には、一晩中、涙で枕を濡らしたほどです。ところで――
 と、ハンニバルは一旦、言葉を切り、ズボンの尻ポケットからネームカードを取り出すと、それをドメスティッカーに渡した。
「私はアクアドラゴンという着ぐるみ怪獣を動かしておりまして、できれば怪獣の中身でなく俳優として映画に出たいのですが……。」
 未だかつて見たこともないほど下手に出ているリーダーを、部下3名は眉毛をハの字にして見つめていた。



 翌朝。と言っても、かなり昼に近い。
――ってわけで、電気屋の件は警察に匿名で通報済み。コングはドア直しにドメスティッカーさんちに行ってる。モンキーは病院に送り届けておいた。……ふあ〜あ。ここんとこずっと寝不足だよ〜。目の下のクマ、すごくない?」
 バーベリー家の横に停めたコルベットから下り立ち、伸び&大あくびをするフェイスマン。
「いや別に大したことないぞ。気になるんだったら、ドーラン塗って差し上げましょう。」
 昨夜、あれから長いことドメスティッカーと映画について語り合っていたハンニバルは、多少眠そうではあるが上機嫌で助手席から下りた。
 そうして2人は道路を渡り、ビューティーサロン・バーベリーズの前へ。自動ドアがススイと開き、涼しい風が店内から流れてくる。
「いらっしゃいませ。」
 従業員が2人の前に立った。ティナは黒髪の女性の髪を切っている最中、バーバラは金髪の女性の髪をブローしている最中。
「ミセス・バーベリーに話があるんだが。」
 そうハンニバルが告げると、受付の従業員はバーバラのところへ小走りで向かった。そして、すぐに戻ってくる。
「5分ほどお待ち下さい。」
 ハンニバルとフェイスマンは、ソファにどっこらしょ、と腰を下ろした。
「ティナが髪切ってるの、リズ・アシュリーじゃない?」
「バーバラがドライヤーかけてるのは、キャンディ・バーゲンだな。」
 他にも、女優や歌手の顔が見える。客を観察して、5分程度はすぐに潰れた。
「お待たせしました。」
 手の空いたバーバラに呼ばれ、2人は従業員控え室に入った。キャンディ・バーゲンとすれ違って。
「話はティムから聞きました。“1万ドルさん”はドメスティッカー元監督だったんですってね。元監督のお宅に度々伺っている話や、泥棒の話、盗聴器の話も聞きました。」
 控え室にある白いテーブルに就き、バーバラが正面に座る2人に昨夜のことを報告した。
「泥棒に入った電気屋とその一味は、そろそろ警察に捕まると思いますよ。」
 ハンニバルは胸ポケットから葉巻を出したが、灰皿が見当たらないため、火の点いていない葉巻を弄ぶのみ。
「せっかく骨を折って下さったのに、大した問題じゃなくて済みません。ティムのせいで……。」
「大した問題じゃなかった、とわかっただけ、いいじゃないですか。雑誌を手放すことなく1万ドルも手に入ったことだし。」
 ドメスティッカーに渡した雑誌、コピーだとバレなかったらしい。
「5000ドルの人から、500ドルも貰ったしね。」
 金の話になったので口を挟むフェイスマン。そう、例の雑誌に5000ドルをつけた人物のところに、マードックが再度ヘリで訪ねていって、カラーの紙焼きを手渡して、その場で500ドル貰ったのだ。その500ドルは既にフェイスマンのポケットに。
「ただし、紙焼きに全部で550ドルかかったんで、その500ドルは経費としていただきます。あと、差額の50ドルに加えて、人件費が……。」
 商談に入ろうとしているフェイスマンの前に、バーバラがスッと封筒を出した。
「お礼です。Aチームにお支払いする報酬としては少ないかもしれませんが。」
 封筒の大きさと厚さからして、多分これは例の1万ドル。嬉々として封筒に手を伸ばしかけたフェイスマンだったが、それより早く、ハンニバルが封筒をバーバラの方に押し戻した。
「今回は経費もそれほどかからなかったし、大して危険な目にも遭わなかった。いろいろとご馳走にもなったし。それに、一生使い続けてもまだ余るぐらいの盗聴器が手に入った。ってことで、これは必要ないよな、フェイス。」
 ぐりっと顔をフェイスマンの方に向ける。作り笑顔で。
「そ、そんな、ハンニバル……。」
「必要な・い・な?」
「……はい、必要ありません……。」
 フェイスマンの目尻には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「そんなわけで、ミセス、これは本棚の増築にでもお役立て下さいな。」
「あ、ありがとうございます……!」
 嬉し泣きしそうなところを、ぐっと堪えるバーバラ。今泣いたら、アイラインとマスカラが流れてタヌキかパンダになっちゃうから。
「その代わりと言っちゃ何ですけど、ちょっとお願いがありましてね。」
 小声で囁くハンニバル。
「美容院に来る女優さんに、アクアドラゴンシリーズに出演しないかって持ちかけていただきたいんですわ。ギャラはそう多くはない、いや、かなり少ない、と言うかその、ほとんどノーギャラで、ええ。できれば無料奉仕という形で。」
 嫌な話を持ちかけられ、眉を顰めるバーバラ。
 と、その時。
「スミスさん!」
 ノックもなく控え室の扉をバンッと開けて入ってきたのは、パステルピンクのウサギちゃん、即ちティム。手には『驚異のカットで満足度100%! バーベリー理髪店、コチラ』と書かれたプラカード。
「皆さん、指名手配中のAチームなんですって?」
「あ、ああ、まあそうだが。」
「ドメスティッカー先生の家に昨日一緒にいた先輩が、今朝、昨日あったことを家の人に話したら、その先輩のお父さん、元陸軍の人なんですけど、“Aチームかもしれない”ってさっきMPに電話したそうです。」
 と、先輩から電話連絡があったようです。
「何だって!」
 ハンニバルとフェイスマンが勢いよく立ち上がり、椅子が後ろに引っ繰り返った。遠くからMPカーのサイレンが聞こえる。
「フェイス、車をこっちに回しとけ。」
「わかった!」
 駆け出していくフェイスマン。
「ティム、これからあたしたちは、ドメスティッカー監督の家でドアを直してるコングを拾いに行ってから逃げる。ここでできるだけMPを足止めしといてほしいんだが、できるかな?」
「はい、やってみます。」
「監督にも電話で事情を説明しておいてくれ。」
「わかりました。」
 そして、ハンニバルはウサギちゃんの両肩に手を置いた。
「同じ着ぐるみ俳優として、君のことは忘れない。」
「僕もです。あなたのことは決して忘れません。」
 がしっと抱き合う2人。
「それじゃ、いつか、また会おう!」
 そう言うなり、劇的な感じで、ハンニバルは控え室を飛び出していった。
 サイレンの音は、もうだいぶ近づいてきており、サイレンだけでなく拡声器を通した怒声まで聞こえてくる。
「どこだ、スミスーっ! 今日という今日こそ、とっ捕まえてやるぞーっ!」
【おしまい】
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