ミルク風呂の攻防
鈴樹 瑞穂
 しんしんと冷え込む空気に立ち昇る湯煙。どこか間の抜けた表情で寛ぐ人々。
 そう、冬と言えば温泉。お洒落に言えばスパである。
 Aチームは依頼を1つこなした後、謝礼としてクライアントの招待で、とあるスパに来ていた。郊外型大型スパと言えば聞こえはいいのだが、その実態は限りなく健康ランドである。
 とは言え、趣向を凝らした各種湯船に、サウナや岩盤浴、アカスリにマッサージにエステ、理容室、更には自然食レストランまで備えた施設は、近隣住民になかなか評判がよく、休日ともなれば朝から晩までゆったりと過ごす人々で混み合っている。
 もっとも、はるばる湯治に来るほどの名湯ではないため、遠方から泊りがけで来る観光客は少ない。一応、宿泊施設も完備しているのだが、現在泊まっているのは、Aチームとエンジェルだけであった。
「でもさ、コレをホテルっていうのは無理があるよなぁ。」
 フェイスマンが出てきたばかりの“客室”を振り返って溜息をつく。
「一体何回言ってやがんだ。」
 コングはすっかり呆れた口調だが、マードックは明らかにウキウキと言う。
「えーっ、俺っちは気に入ってんぜ、このホテル。」
「ホテルって言うな! 単なるキャンピングカーじゃないか。」
 フロントにコンシェルジュのいる豪華なホテルを期待していたフェイスマンは、駐車場の片隅に固定された“客室”にご不満を募らせていた。
「上等でしょうよ、どうせ寝るだけなんだから。」
 最後に“客室”から出てきたハンニバルが、葉巻に火を点けながら鷹揚に言った。因みに、このご時世、“客室”および温泉施設内は禁煙であるため、ハンニバルといえども葉巻は外で吸うしかない。
 ハンニバルの指摘はもっともで、食事も入浴も本館(つまり温泉施設)の中で済ませるため、“客室”とはまさに寝るだけの場所なのである。
 元々は施設内に客室も作る予定だったらしいが、当初の設計になかった岩盤浴と足裏デトックスのコーナーを無理矢理追加したのでスペースがなくなった、というのは、Aチームをここに招待した前回の依頼人、リュウ・カク・サン氏の言である。リュウは施設内の自然食レストラン「カンポオ」の経営者で、仕入先の有機栽培農家を荒らす農作物泥棒撃退をAチームに依頼したのだった。
「んー、ここのお風呂最高だから、寝る場所には少々妥協してもいいわ。ほら、見て。お肌ツヤピカ!」
 エンジェルはひどく満足気に素っぴんの頬を両手で撫で回している。朝食後に早速一風呂浴びる気か、手にはお風呂セットの入ったバッグを提げている。
「そう言えば、今日の特別風呂はミルク風呂だって、掲示板に出てたぜ。」
 昨日のうちに施設の隅々までチェックし尽くしたマードックの報告に、エンジェルが身を乗り出す。
「ソレ、いいわね。ますますお肌がツルツルになりそう。」
「俺ぁ牛乳は飲む方がいいぜ。」
 渋い表情のコングの背を、後ろに回ったマードックが押す。
「そいつもバッチリ。レストランの朝食バイキングじゃ、農家直送のフレッシュな牛乳が何と飲み放題! 1リットルでも2リットルでも、好きなだけ飲んでいいんだぜ、コングちゃん。」
「そんなに飲めるか、このスットコドッコイ! おい、コラ、押すんじゃねえ。」
 賑やかにレストランへと向かうAチーム一同だった。



 スパ「ヘルシア」の目玉は、何と言っても豊富な風呂である。源泉かけ流しの露天岩風呂を始め、壷風呂、樽風呂、寝湯が並び、サウナはミストサウナとフィンランド式の2種類、内湯には電気風呂、ジェットバス、足湯、打たせ湯、水風呂の他、日替わりの特別風呂が用意されている。
 昨日、Aチームが着いた時には、特別風呂は柚子湯だったが、今日はマードックの説明通り、ミルク風呂となっていた。
「ミルク風呂ってどうかと思ったけど、なかなかいい感じじゃない。」
 白い湯を掬っては肩にかけ、エンジェルはすっかりご満悦であった。その横で、一緒に湯船に浸かっていたキクが笑う。リュウの一人娘で12歳の彼女は、すっかりエンジェルに懐いて後について回っている。
「でしょ。日替わり風呂でも一番人気なのよ。」
「うん、わかるわ。ホントにお肌にいいみたいだもの。これって月イチくらいでやってるの?」
「前は。でも、今は2カ月に1回くらい……。」
「えーっ。人気があるならもっとやればいいのに。」
「それが無理なの。」
 キクは悲しげに俯いた。
「何か、訳があるのね?」
 思わず身を乗り出してエンジェルが尋ねると、キクがしょんぼりと頷いた。



「で、何だって?」
 朝風呂も終えた昼食時。テーブルに着いたAチームをガッチリ確保するや、エンジェルが一方的に話し始めたので、ハンニバルは眉間に皺を寄せて聞き返した。
 風呂上がりと言えば牛乳……ではなく、ビール。このレストランはランチバイキングでもビールも飲み放題なのだ。ハンニバル以下、腹ペコ野郎どもとしては、一刻も早く、ビール(と料理)を取りに行きたい。
「だから! ミルク風呂存続の危機なのよ!」
 バンバンとテーブルを叩いて力説するエンジェル(パック中)。
「ミルク風呂? あーアレけっこうよかったよね。」
 空気を読み切れず、へらっと発言したフェイスマンにエンジェルが詰め寄る。
「そう思うでしょ? だったら、存続のために協力は惜しまないわよね?」
「ねーねー、そのパック、乾いたら俺っちに剥がさせてくれよ!」
 興味津々、早くも手を伸ばすマードックを絶妙のタイミングでエンジェルが払い除けた。
「乾いたらね。で、ミルク風呂のことなんだけど。」
 エンジェルはキクから聞き出した話を、掻い摘んでAチームに説明した。
 スパ「ヘルシア」の特別風呂の中でも一番人気のミルク風呂、その秘密は契約農家が大切に飼育している牛の花子さんにあった。花子さんは気立てもよく、見た目の白黒斑も美しいホルスタインで、その乳はもちろん飲んでも美味しいのだが、大変美容効果が高い。「ヘルシア」のミルク風呂は、花子さんの乳だけを使うことで、驚異の美肌効果があるのだ。
 その花子さん、最近、乳の出が悪いと言う。別に年のせいではない。獣医にも診せたが、特に悪いところもないという診断だった。だが、現に花子さんの食欲は落ちているし、乳の量も減るばかり。
 その結果、かつては月イチだったミルク風呂が、今では2カ月に1度、ようやくできるかできないかという事態に陥っているのだった。



「話はわかった。」
 ハンニバルが咀嚼していたものをビールでごっくんと流し込み、重々しく頷いた。
 エンジェルの隙を見て、ようやくビール(ミルク)と料理を取りに行くことに成功したAチームは、がつがつと昼食を貪っている。
 因みに、マードックはエンジェルのパックを剥がさせてもらったので、すっかり満足気である。
「わかったんなら、何とかして。」
 にっこりと微笑んだエンジェルの直球に、フェイスマンがひくりと口端を引き攣らせる。こういう時のエンジェルは梃子でも引かない。経験上、嫌というほどにわかってはいるのだが、聞き返さずにはいられなかった。
「何とかって……俺たち、牛はちょっと専門外って言うか、別に獣医じゃないし。」
「そんなこと知ってるわ。もう獣医には診せたしね。」
「じゃあ、俺たちにできることなんてないんじゃ。」
「そんなことないでしょ。もうっ、やる前から諦めるなんてダメダメね!」
 びしっと指を突きつけられて、フェイスマンは思わずマードックの後ろに身を隠す。
「私が思うに、多分、花子さんは恋煩いよ。」
「「「「恋煩い〜?」」」」
 聞き返してしまうAチーム。
「一体、相手は誰なんでぃ。」
 恐る恐るコングが尋ねると、キクがエンジェルの後ろから顔を出した。
「きっと、太郎さんです。」
「太郎って誰?」
 マードックの質問に、キクが一所懸命説明する。
 太郎さんは、花子さんの隣の牧場で飼育されているジャージー種の美男牛である。2軒の牧草地は隣接しているため、放牧されている時は、2匹はすぐ近くに行くことができるのだ。
 そういうわけで、夏の間、大いに愛を育んだ2頭だったが、秋になって牧草が枯れ、互いに牧舎に入れられるようになると、全く会えなくなってしまった。
 花子さんの乳の出が悪くなったのは、その頃からだというのだ。
「それなら、太郎とやらを花子に会わせてやりゃいいんじゃねえのか?」
 行き着いた解決策は至極単純なものに思えたため、コングは腕組みをし、首を傾げた。マードックもフェイスマンもそうだそうだとばかりに頷いている。
「ところがそう簡単には行かないの。」
 エンジェルが両手を挙げて溜息をつく。
 太郎さんのオーナー――名はサム・ゲタンは、隣町のスパ「アクシア」にやはりミルク風呂用のミルクを卸している、言わば商売敵なのだ。「アクシア」は「ヘルシア」と同様、設備の充実を売り物としているスパだが、ミルク風呂の評判は「ヘルシア」の方がよい。
 それだけに、花子さんのため、ひいては「ヘルシア」のミルク風呂のために太郎さんを貸してくれるとは思えなかった。
 実際、キクや花子さんのオーナーが何度も頼んだにも関わらず、取り合ってもらえなかったのだ。
「そりゃあ、少々厄介だな。」
 ハンニバルはさんざん飲み食いした結果、膨れた腹部を両手で摩りながら、顔だけはやや深刻に考え込んだ。



〈Aチームのテーマ曲、始まる。〉
 ハリボテの牛を作るコング、嬉々として色を塗るマードック。白黒く塗り分けられたハリボテを見て、コングが首を横に振る。図鑑らしき本を広げて、キクが中を指差す。
 「ヘルシア」の露天風呂で寛ぐハンニバル。風呂上りにビールを1杯。摘みはフライドチキンとポテト。
 白衣に眼鏡という出で立ちで、黒い大きな革鞄を片手に車から降り立つフェイスマン。とある家のチャイムを鳴らし、応対に出た若者に何やら声をかける。慌てて中に引っ込む若者。鞄を足元に置いて白衣の襟を両指で直し、咳払いをするフェイスマン。次に出てきた中年男と話し込み、遂に牛舎に案内させることに成功する。
 アカスリに身を委ねるハンニバル。擦られるたびに腹の肉が揺れる。
 コングとマードックの元にフェイスマンが戻ってくる。鞄の中から何やら機材を引っ張り出し、取り出したメモリをコングに渡す。ヘッドフォンを耳に当てたコングが、親指を立ててニヤリと笑う。
 休憩室のカウチに寝そべるハンニバル。その横にはトロピカル・カクテル。
 牛のハリボテを運ぶコングとマードック。いつの間にか、そのボディは茶色に塗り替えられている。
 ハンニバルを引っ張っていくフェイスマン。引かれていくハンニバルは、なぜか右手で腹を押さえている。
〈Aチームのテーマ曲、終わる。〉



 Aチームとキクは、花子さんの牛舎に顔を揃えていた。場所は、「ヘルシア」から徒歩5分、要するに温泉の裏手である。
 花子さんの隣の柵には、コングとマードックの作った茶色い牛のハリボテが入れられており、花子さんはその新入りに興味があるのか、しきりと鼻をひくつかせながら顔を寄せてくる。
 すると、新入りが一声鳴いた。
 その声を聞いた花子さんはぶももっ、という鼻息と共に、前足で敷き藁を掻き始めた。
「あ、喜んでます!」
 キクの説明に、Aチームとエンジェルは顔を見合わせる。ぶるぶると頭を振る花子さんが本当に喜んでいるかどうかは定かではないが、少なくとも興奮しているのは確かである。
「太郎の声がわかるのかな。」
 保健所の職員を騙って、太郎の声を録音してきたフェイスマンが首を傾げる。少なくとも、フェイスマンには牛の声は皆、似たり寄ったりに聞こえる。
「そりゃわかるだろう。」
 胃を押さえながらハンニバルが言う。御大は作戦を部下たちに指示した後、ずっと温泉で寛いでは飲み食いを繰り返していたため、すっかり胃もたれしているのだった。
 一方、食欲低下気味だった花子さんは、ハリボテ太郎の存在で元気が出たのか、猛然と餌箱に鼻を突っ込んで食事を開始する。
 その様子を見て、コングがぽりぽりと頭を掻いた。
「まあ、一時凌ぎくらいにゃなるかもな。」
 一方、マードックはキクにリモコンを渡して得意気に説明する。
「このボタンが太郎の声の再生で、それからこっちがオプションだ。」
「オプション?」
「そ。モーツァルトが流れるようになってっから、コレで牛さんたちのストレス緩和もバッチリってわけよ。」
「ふーん。」
「そんでもってコレを押すと……。」
「どうなるの?」
 ピカーン。
 暗くなり始めた牛舎の中で、突如、ハリボテ太郎の目が光った。
「どーだ、イカスだろ?」
 得意満面のマードックに、キクが引き攣った表情になる。
「こ、怖いよー。」
「全然ダメ。花子さん驚いてるでしょ!」
 エンジェルの容赦ないツッコミに、マードックは鳩尾を押さえて蹲り、フェイスマンは肩を竦めた。



 数日後。
「いやーやっぱりミルク風呂はいいね〜。」
 「ヘルシア」の特別風呂で、フェイスマンはしみじみと呟いた。ハンニバル、コング、マードックも一緒に湯船に浸かっている。
 大の男が4人一緒に入るには、浴槽は少々狭かった。だが、花子さんの乳の出がよくなったから、と招待されたからには、犇き合ってでもこの風呂に浸からねばなるまい。
「そういや、キクが言ってたぜ。花子のオーナーは、このミルク風呂の売り上げで太郎を買うことにしたんだってな。何でも破格の安値で売ってもらえたらしい。」
 コングの説明に、フェイスマンが澄ました表情で告げる。
「そうそう、サムにはこの牛が遺伝的な病気の恐れがあるから検査するって言っといたから。」
「ひょ〜。やるじゃん、フェイス。」
「本物の太郎を買い入れたら、ハリボテ太郎はお役御免だな。」
「あ、そうか。じゃ、オイラが貰って帰ろうかな。」
「やめとけ、部屋が狭くなるだろうが、スットコドッコイ。」
「ほら、夜中トイレ行く時にピカーンってやったら便利じゃん?」
「一遍その脳味噌洗い直して来い。」
 コングがマードックの頭を掴んで、ミルクの湯船に沈める。盛大に上がった飛沫を避けるフェイスとハンニバル。バシャバシャと暴れるマードック。
「暴力はんたーい!」
「わっ、狭いんだから暴れんなって。」
「はっはっはっ。さーて俺はサウナに入ってくるかな。」
「ちょっとー、あなたたち何騒いでるの、うるさいわよ!」
 壁を隔てた女湯からエンジェルに怒鳴られるまで、ミルク風呂の攻防は続いたのだった。
【おしまい】
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