ショータイムはイカスミの香り
フル川 四万
*1*

 夕方に降り始めた雨は、夜半には豪雨となっていた。かつては盛況を誇った葉巻工場の跡地は、今や埃っぽい空き地となって人影もなく、半壊したビルの残骸と動きを止めて久しいベルトコンベアが、叩きつける水に洗い流されて黒く沈んでいるのみである。
 そこに、静かに滑り込んでくる1台のセンチュリー。車は工場の中央まで来ると、まるで荷物か何かを放り出すように、1人の人間を放り出した。ミニドレス姿の肩や足の華奢さから、かなり若い女であることが見て取れる。放り出した男の腕を離れた女は、そのまま泥の中に倒れた。車は、急いでドアを閉め、一瞬動き出したが、またすぐに停まった。リアウィンドウが下りて、薄く開いた窓の隙間から、持ち主を追うように投げ出されたのは、金色のピンヒール。その片足の踵が折れた靴は、倒れている女の顔に次々と当たり、片方は投げ出された手の横に転がって止まり、もう片方はベルトコンベアの下に転がって消えていった。車は、その様子を確かめると、今度は迷いなく急発進し、タイヤを軋ませて工場を出て、街の明かりの方向へと去っていった。
 泥水の中に倒れたままの女は、うつ伏せのまま動かない。生きているのか死んでいるのか、それすら定かではなかった。コバルトグリーンに金の混じるドレスは、裾に凝った刺繍が施され、どこかのショーの衣装のようにも見える。しかしそれも降り続ける雨と泥水で、見る見る色を失っていった。豊かだった金髪の巻き毛が、濡れてボリュームをなくし、伸びて露出した根元の黒髪を際立たせている。端正な横顔を飾っていた派手な口紅や、上下につけた睫は、1時間もしないうちに洗い流され、飾りを失った血の気のない素顔は、少女ではなく、少年のそれだった。



*2*

「はーいはいはいはい、ズンチャッチャッ、ズンチャチャチャチャ、のチャチャチャチャんとこもう1回!」
 白木の明るいフロアに、ダンス教師の声が響く。ここは、フロリダ州タンパの中心街にあるダンス教室。道に面した壁はガラス張りで、その向かいの壁が全部ミラーという、道路側から見たら迷惑極まりない造りの教室で、さらに踊っているのが平均年齢70オーバーの爺婆ばかりという人員構成が、見た目的な迷惑極まりなさに拍車をかけている。
「何よもう! 遅いじゃない! トロットトロット! テンポよくね!」
 ダンス教師が、長い竹物差し(今時ない。普通ない。でもスパルタ式バレエ教室とかダンス教室にはなぜかあるやつ)を振り回しながら叫んだ。音楽は、小粋なチャチャチャ。リズムに合わせて踊る中高年かなり高年寄りの面々の総数は、およそ50人。紫のベルボトム式スパッツにヘソくらいまで胸の開いた純白のフリルシャツ、腰には真っ赤な腰巻(って言うの?)という出で立ちの、胸毛は濃いが頭は薄めで少々オカマ口調の講師は、踊る爺婆の間をひらひらと飛び回りながら、1人1人に厳しい指導を行っている。時に竹物差しの一撃が飛ぶ厳しい指導にも、生徒さんたちは、皆、真剣かつ楽しそうである。やはり人生の黄昏時、たとえスパルタ講師の指導の下であっても、異性との接触は潤いをもたらすものなのだろうか。
 と、そこに、おずおずと教室のガラス扉を開け、1人の中年男が顔を出した。古びた胸当てつきジーンズにチェックのネルシャツ、足元は黒のゴム長靴のその姿は、どこから見ても田舎の農家の親父もしくは漁師。門番よろしく入口前の受付にどっかと腰を下ろし、踊る中高年の一部に苦々しい視線を送っていたモヒカンのマッチョが、彼に気づいて腰を上げた。
「何の用だ。入会か? 入会なら間に合ってるぜ。」
 何だろう、間に合ってるって。定員オーバーってことか?
「いえ、約束があって。」
「約束?」
 モヒカン男の眼がギロリと光った。
「約束なら、あすこで教えてるクソッタレに聞いてみな。」
「クソッタレ?」
「紫のズボンのイカレポンチのこった。」
 モヒカンの言葉に目指す人物を特定した中年男は、おずおずを通り越してオドオドまで行った様子で、踊る講師の背中に歩み寄った。
「あんた何っ!」
 中年男が声をかけようとした一瞬前に、彼の気配に気づいた講師が振り返りざまにそう叫んだ。素晴らしい察知力である。
「え、あの、ス、スミスさんを……。」
「スミスゥ? ああ、あんたかい、ミズ・スミスの新しいダンスパートナーっていうのは。遅いじゃないか。リンダ、待ちくたびれて他の男と踊っちゃってるわよっ。」
「いや、わしの約束しているスミスさんは男性のはず……。」
「ヘイ! リンダ!」
 男の訴えを完全に無視して、講師は1人の女性を呼んだ。広いフロアの奥の方で、細腰の優男と、小競り合いにしか見えないチャチャチャを踊っていた大柄な老女が、呼ばれているのに全く急ぐでもないゆっくりした大股歩きで講師の方へとやって来た。やって来る途中でロングスカートに足が縺れて躓きかけたのは、老齢のせいか。
「あたしのこと呼びましたかね。」
 女はそう言うと、胸ポケットから葉巻を取り出してゆっくりと口に銜えた。
「あんたのパートナーがやっとお出でんなったのよ。さ、威勢のいいのをかけるから、息の合ったところを見してちょうだい。コングちゃんカモン!」
 講師の言葉に、モヒカン男がラジカセを止め、カセットを入れ替えてスイッチを押した。流れてきたのは『剣の舞い』(運動会のあの曲です)。リンダは、戸惑う中年男の腕を取ると、見事なステップで彼をフロアの中央まで連れ出し、音楽に合わせてダンス(と言うか小競り合い、もしくは取り組み)を始めた。いきなり音楽が止まって戸惑っていた生徒さんたちも、再び鳴り始めた音楽に気を取り直して再び踊り始める。25組の爺婆が、汗を飛ばして踊る剣の舞……今、地球上で一番天国に近い島はここかもしれない。島じゃないけど。
「ちょっと待ってくれ、はぁっ、はぁっ、俺は、あんた……じゃなくてスミスさん……男の、スミスさんに……。」
 ほぼ1曲踊り切って息も絶え絶えにそう訴えた男の頭を、リンダが、ぐいっと引き寄せた。ひいっ、食い殺される、と身を竦めた男の耳元に聞こえてきたのは、確実に男性の声。
「だから、あたしがスミスだって言ってるでしょ。言ってごらんさい、聞くわよ、何なりと。」
 リンダ・スミスは、そう言うと、葉巻を銜えた顔で、んむふふと笑った。



*3*

 ダンス教室の2階。長髪のヅラを脱いでソファにどっかと腰を下ろしたハンニバル・スミスと、ダンス講師の格好のままのマードック、これまたダンス衣装のままのフェイスマンに、いつものコングは、依頼人である中年男、マシュー・ヒックスと向き合っていた。
「で、息子さんの容態は?」
 問いかけるハンニバルに、ヒックスは力なく頭を振った。
「まだ意識は戻らない。医者の話だと、このままずっと戻らないってこともあり得るらしい。」
「何があったんだ、ハンニバル。俺たちにわかるように説明してくれないか?」
「あたしにもよくわからん。さっき踊りながら聞いただけだから。ヒックスさん、さっきの話、もう一度詳しく話してくれないか。」
「詳しくも何も、さっき話したので全部だ、スミスさん。18歳になる息子のアンドリューが、去年の冬に家出しちまった。切っかけは、どこにでもある親子の衝突、うちのイカ釣り漁船(漁師でした)を継ぐだの継がんだのいう話だ。それで、半年間音信不通で、先週、やっと見つかったんだ。この町の廃工場で、意識不明で。」
「そりゃひでえ話だな。」
 ヒックスは、同情ありがとう、という風にコングに頷きかけると、話を続けた。
「警察は、薬物の過剰摂取が原因ということで事件を片づけやがった。今のご時世、死にでもしなけりゃ真剣に捜査なんかしてくれんらしい。」
「アンドリューは、薬をやっていたの?」
 と、フェイスマン。
「いや、やっていない……と、思う。親の欲目かもしれんが、アンドリューは曲がったことが大嫌いな子だ。部活でダンスをやっていたから、体には気をつけていて、風邪薬も滅多に飲まなかったくらいだ。それに、病院の話では、どんな種類の麻薬の反応も出なかったというし。だが、その代わり……。」
 ヒックスは言い澱んだ。
「その代わり、何だい?」
 ハンニバルが先を促す。
「……ホルモン剤だ。息子には、大量の女性ホルモンが投与されていた。」
「女性ホルモン? って、頭髪の薬だろ? アンドリュー、頭気にしてた人?」
「ハゲの薬とは限らねえだろうが、このスットコドッコイ。」
「誰がハゲだい失敬な。増毛剤って言ってよね。だって俺っちも通販で買ったもん。」
「続きを聞こうか。ヒックスさん。」
 マードックの増毛剤のくだり、拾ってやらんのかハンニバル。
「見つかった時、アンドリューはドレスを着ていた。髪も染めて化粧も。完全な女装だ。そして……体毛が、全然なかった。」
「体毛が? タイモウって、脛毛とか、腋毛とか?」
「ああ。脛毛も何もかもつるっつるだった。女性ホルモンの影響らしい。それで見つけた警官も、最初は女の子かと思ったそうだ。」
「息子が、娘になっていたってわけか。アンドリューには、元々そっちの趣味があったのか?」
「わからん。いや、アンドリューに限ってそんなことはないと思う……やっぱりわからん。わからんが、とにかく!」
 ヒックスは、混乱した思考を振り払うように語気を強めた。
「アンドリューがあんな風になっちまった原因を突き止めてほしい。そして、それが誰かの仕業なら、そいつを捕まえてわしの前に連れてきてくれ。息子にされたことと同じことをして返してやる。」
 ヒックスは、震える拳を握り締めてそう言った。



*4*

 ガンガン、と、乱暴にバンのドアがノックされた。ハンニバルが、後部ドアを開けると、黒装束のコングとフェイスマンが素早く車に乗り込んできた。
 ここは、アンドリューが意識不明で発見された工場跡地の外れ。現場には未だ警察の黄色いテープが残り、土地の値段が下がることを懸念した土地所有者の計らいで夜間は警備員が見回りを行っている。そういうわけで大人数で近づくわけにも行かず、車は少し離れた場所に停め、1/2部隊の出動となったのだ。
「お疲れさん、何かあったか?」
 そう問うハンニバルに、コングが泥まみれの靴を片方差し出した。
「これ、工場の機械の下に入り込んでたんだが、アンドリューの靴じゃねえか?」
「ちょっと見して。」
 マードックが横から手を伸ばした。踵の折れた靴の裏を引っ繰り返して見る。
「ああこれ、ダンス用の靴じゃん。」
「ダンス用?」
「そう。底の革が厚いし、ヒールに滑り止めついてる。金色だし。金色の靴なんて、ダンサーか売れないマジシャンくらいしか履かないもんね。」
「ふむ、ダンス用か。ところで、何でお前、最近ダンスに詳しいんだ?」
「病院のリハビリでダンス療法やってんの。ジャズダンスと社交ダンス、週替わりで。来月にはダンスパーティあるから、よろしく。」
 よろしくの意味が不気味に不明だが、その辺はスルーで。因みに、引き続きマードックはダンス教師スタイルである。しかし、足元は金のダンスシューズではなく、くたびれたコンバース。
「俺も拝見。ああ、これはアンドリューのだね。9と1/2って、女の子のサイズじゃない。」
 さすが女体に詳しいフェイスマン、て言うか、26.5センチは、巨躯の多いアメリカでも、なかなかないサイズだもんね。
「ってことは、アンドリューは、どこかでダンサーとして働いてたってことか。」
「あり得るね。女装した男がショーをやってる店を当たってみよう。」
「当たってみようってお前、心当たりでもあるのか?」
「心当たりはないけど、心当たりのありそうなコの心当たりならある。」
「何だそりゃ。……ああ、あるな、そういう奴の心当たり。」
「でしょ?」
 というわけで、収穫に満足したAチームは、早々に撤収した。



*5*

「来たわよ!」
 バーンとドアを蹴り開けて、エンジェル登場。エイミー・アマンダー・アレン女史の今回の役回りは、『女装した男がショーをやってる店に心当たりがありそうなコ』です。
「早いな、さすがエンジェル。」
「調べたわよ、この辺でショーがある店。5軒あったわ。で、ビンゴはこれ。」
 そう言ってエンジェルが差し出したのは、1枚のチラシ。そこには、『ショーステージ フロリダ・パンサー・サルーン』の文字と、煌びやかなショーの写真。
「ビンゴ? ビンゴってどうしてわかるんだ?」
「ふふふ、それはね。」
 エンジェルが含みのある笑顔を見せた。
「まさか、行ったのか?」
「行ったの! 全部! だってほら、他ならぬAチームの頼みじゃない!」
 後ろめたさを隠すように高らかに言い放ったエンジェルに、冷ややかな視線を送る4人。
「何よ、その目。別に、男の子の女装見たってそんなに嬉しくないわよ。あたしはどっちかって言うと逆三角体型のイケメンショーの方が……まあ、それは置いとくとして、ええと、最初から行くわよ、最初の2軒は、ショーはあるけどコミックショーで、本格的なダンスなし、アンドリューの写真にも反応なし。次の1軒は、ショーって言うより、バーテンのカクテル・パフォーマンスね。ほら、空中高くボトルとかグラスとか投げたりするやつ。で、その次は、女装じゃなくって、ただのメンズショーだった。顔はなかなかのメンズが揃ってたけど、ちょっと年が行ってたわね。ビキニの上にお腹の肉が乗ってて興ざめだったわ。ま、この2軒でもアンドリューの写真に反応なし。」
 そこここに自分の意見を挟むエンジェルである。
「ふむ。」
「で、最後の『フロリダ・パンサー・サルーン』。ここはショーパブの中では本格的ね。客席が300もあって、お値段も相当なもの。友達と2人で行って500ドルもしたわ。お触りもチップ捻じ込みもなしでこの値段って暴利よね。取材費で落とすからいいんだけど。女装の男の子もいたけど、普通の女性のダンサーの方が多いかしら。オーディション形式で、常にダンサーが入れ代わってるから、粒は揃ってるし、結構ダンサー同士の競争は熾烈そうね。で、アンドリューなんだけど、従業員はノーコメント。お店のことは喋っちゃいけないって教育されてるみたい。ってことは、裏を返せばアンドリューはここにいたってことじゃない? で、臭いと思って、たまたま席が隣になった常連さんに写真見せたら、覚えてたわ。確かに先月までここで踊ってたコだって。」
「うむ、ご苦労。大収穫だな。」
「どういたしまして。ところで、話はそこで終わらないのよ。」
「終わらないだって? どういうことだ?」
「聞き込みしてるうちに変な噂を聞いたのよ。あのね、ダンサーが、消えるんだって。」
「ダンサーが?」
「消える?」
 声を揃えるハンニバルとフェイスマンに、エンジェルが重々しく頷いた。
「そうなのよ。新しいダンサーのコが入るじゃない。で、しばらく経ってそこそこ人気が出ると、消えちゃうんだって。」
「消えるって、店を辞めただけじゃないのか?」
「そうかもしれないんだけど……ちょっと変なの。店の説明だと、別の店に引き抜かれて辞めていったっていうことなんだけど、それっきり友達も連絡が取れないコが何人もいるんですって。でもって、そういうコに限って、身寄りがなかったり、家出してたりするから、家族からの捜索願いも出なくって、そのままフェイドアウト。行方は杳として知れず、ってわけ。」
「ふむ、臭いな。」
「店のダンサーは、基本的にお客さんとの接触は禁止。営業が終わるのを待ってみたけど、みんな会社の寮に住んでるみたいで、バスに分乗してさっさとどっか行っちゃった。車に乗る時も、強面の従業員か用心棒が周りを固めてて近寄れなかったから、話は聞けなかったわ。」
「ふむ。少々引っかかるな。ギャングが絡んでるのか?」
「経営は、一応地元の興行主になってるけど、裏ではどこと繋がってるかわからないわね。で、ダンサーから情報取れなかった代わりと言っては何だけど、このチラシ貰ってきたの。裏にこういうのが載ってたから。」
 エンジェルは、ここまで一気に喋ると、先ほどのチラシを裏返した。そこには、『ダンサー募集中! 来たれ、明日のブロードウェイ・スター!』の文字が。
「ふむ、オーディションか。いいかもしれませんな。」
 ハンニバルが腕組みをして言った。
「敵を知るには、まず懐に入ってみるのも手かもしれませんよ。エンジェルは、引き続き『フロリダ・パンサー・サルーン』の経営を調べてくれ。モンキー、コング、フェイス、お前たちは、店に潜入だ。」
「潜入だと? どうやって潜入するってんだ。」
「だから、これですよ、これ。」
 怪訝な表情のコングに、ハンニバルはオーディションのチラシをピッ! と突きつけた。
「オーディションだって!?」
「オーディションだと!?」
「とうとうオイラもブロードウェイ・デビューか……。」
 驚く2人を尻目に、マードックが、未だかつて見たことがないキリリとした顔で呟いた。



*6*

 ジャァァァン!
 ドラの音が鳴り響き、メインステージの中央にスポットライトが当たった。燕尾服とシルクハットに身を固めた男が、客席から巻き起こる拍手が収まるのを待つと、大袈裟な身振りでこう告げる。
「さあ皆さん、フロリダ・パンサー・サルーン恒例の、新人ダンサーによるポールダンスショーです。初々しい新人のダンスを存分にお楽しみ下さい!」
 男の台詞の末尾に被るタイミングで舞台の明かりが落ち、代わりに3本のスポットライトが舞台の手前にある3つの丸いステージを照らし出した。天井まで登り棒が伸びた、ポールダンス用のステージである。ステージは、それぞれメインの舞台と放射状に伸びる細い花道で繋がっており、ステージと花道の間には、ぎっしりと客席が設けられている。
 音楽が始まった。平日だというのに8割方埋まった客席から、期待に満ちた歓声が上がる。左のステージの上から、スルリ、と1人の女性がポールを伝って下りてきた。バド・ガール衣装に銀のハイヒール姿の、金髪美女である。美女その1は、猫のようなしなやかさで素早く着地し、ポーズを決めて止まった。右のポールからも、同じ衣装のブルネットの美女が、今度は消防士のようにくるくる回りながら下りてきた。美女その2も、華麗に着地を決め、同様にポーズを取って止まる。そして……真ん中のポールの上空からも、1人の金髪美……び、美女? 3番目の美女(暫定)は、なぜか頭を下にし、バッタかカエルのように足でヘコヘコ漕ぐ不思議な下降方法を採用している。そして、下まで下りてくると、目測を誤ったのか、最後の一漕ぎで床に頭をゴンっとぶつけ、変な角度に首を捻って止まった。彼女(?)は、一瞬"やべっ、首やったっ"という仕草を見せたが、気を取り直して頭頂で倒立を決め、頭でくるんと回って客席に向き直った。満面の笑みのそのダンサーは、美女その3ではなく、ハウリング・マッド・マードックさん。もちろん衣装はバド・ガール、しかし足元はコンバースのままで。しかも、倒立くるりんのせいで、金髪のヅラの前後が180度ズレて、エクソシスト、もしくは首が回転する箱マジックの途中経過のような首だけ後ろ向きテイスト。ある意味、怖い。怖すぎる。
「何やってんだ、あの野郎。」
 客席の片隅で牛乳片手に舞台を見ていたコングが、忌々しそうに言った。
「いや、なかなか斬新な演出じゃないですか。」
 と、横で見ていたハンニバル。
 音楽が始まり、踊り出す3人のバド・ガール、訂正、2人のバド・ガールと、前後不詳のバド・マッド・マードック。激しいドラムのリズムに合わせ、ポールにまとわりつき腰をくねらせる3人の踊り子さんたち。
 音楽が興に乗るにつれ、益々セクシーなダンスを披露するバド・ガールズに負けじと、両手でポールを掴み、大車輪よろしく回りながら、奇声を上げるマードックである。
「うひょーい、みんなゴキゲンいかが〜? 俺っちサイコーっ!」
「チクショウ、あん馬鹿、今度会ったら捻り潰してやる。」
 コングが、牛乳の入ったグラスを叩き割る勢いでテーブルにダンっと置いた。と、そこに。
「牛乳のミルク割り、お待たせしました〜。」
 ボーイ姿で現れたのは、フェイスマン。牛乳のグラスを取り替える振りをしてハンニバルの足元に膝をつく。
「フェイス、モンキーに言っとけ。もうちょっと大衆受けのする出し物をやれって。で、何かわかったか。」
「まだ何も。それより大変だよ、この仕事。一晩中立ちっ放しで、夜中まで掃除と片づけだろ。俺もう嫌。ダンサーの方がまだマシだったかも。……そうそう、モンキーの奴は、昨日からダンサー寮に入ってるはずなんだけど、寮は従業員も立ち入り禁止で、まだ話せてない。でも、この店、やっぱり臭いよ。地下の変な部屋の前にはどう見てもカタギじゃない奴らが出入りしてるし。」
「そうか、引き続き調べを続けてくれ。」
「オッケー。」
 フェイスマンは、ボーイらしく軽く会釈すると狭い通路を器用に縫って去っていった。ステージでは、マードックが金髪のヅラを鏡獅子のように振り回すポールダンスが続いている。悪夢でも見ているような表情でステージを見つめる観客たち。
「俺ァ、オーディション落ちてよかったぜ。」
 マードックのステージを見つめながらコングが呟いた。因みにオーディションを受けたのは、フェイスマン、コング、マードックの3名。マードックはダンスへの情熱をウザイほどに語ったおかげで無理矢理、合格。フェイスマンは、落ちたけど食い下がってボーイで採用。コングは、まるでオーディションにいなかったかのように書類ごと黙殺されて落ちました。
「全くだ。あれもひどいが、お前のポールダンスはあれ以上に見たくない。」
 ハンニバルの意見は、全くもってお説ごもっとも。さあみんな、想像してみよう。コングのポールダンス。衣装はバド・ガールで。



*7*

 控え室に通じる重たいドアを閉めると、耳が痛いほどの客席の歓声は微かに余韻が耳朶に残る程度になった。まだ営業時間も半ば、ドリンクのオーダーもこれからが盛り上がる本番というこの時間に、ボーイ姿のフェイスマンは、劇場の地下にある控え室前の長い廊下に立っていた。左右には、出し物別のダンサーの控え室、衣裳部屋、メイク室、化粧室と続き、廊下の一番奥、裏口へと登る非常階段の手前に、ただならぬ雰囲気の部屋がある。従業員からは「応接室」と呼ばれていた。が、来客を迎える部屋ならば、ロビーの横に立派なものがあるし、オーナーの執務室は、劇場の2階の事務室に並んで作られているのを確認している。では、この屈強な男が2人護衛に立っているこの地下の部屋は何なのか。
「怪しすぎるよね、やっぱり。」
 フェイスマンは、そう1人呟いた。
 控え室からは、出番を待つ踊り子たちの話し声がざわざわと聞こえてくる。作業中のため開け放たれた衣裳部屋のドアの陰に隠れ、フェイスマンは、謎の部屋と護衛の男たちをしげしげと眺めた。ダークスーツの胸部分が不自然に膨らんでいるのは、防弾チョッキを着けているのかもしれない。それはショーパブの用心棒にしては、少々いかつすぎる装備だった。
 と、その時、護衛が動いた。非常階段に素早く駆け寄ると、ドアを開け、両側に直立する。開け放った非常階段のドアから辛うじて半分覗く裏道の路面に滑り込んできたのは、高そうな黒のリンカーン。護衛その1が素早く駆け上がり、車のドアを開ける。後部座席から降りてきたのは、黒のスーツにソフト帽を被った、初老の男性だった。フェイスマンは、急いで胸ポケットから1本のペンを取り出し、男の方へ向けた。
 カシャッ。
 小さなシャッター音が響いた。フェイスマンが、ペン型小型カメラを胸ポケットにしまったのと、護衛の男が彼に気づいたのが、ほぼ同時だった。
「おい、お前、何をしている。」
 護衛が、フェイスマンに向かってつかつかと歩み寄る。
「うわ、やべっ。」
 フェイスマンは、くるりと背を向け、衣装室へと身を滑り込ませた。
「おい、そこのボーイ! ちょっと待て! 待てと言ったら……けっ、お取り込み中かよ。」
 激昂していたはずの護衛だが、衣装室を覗いた途端に、なぜかトーンダウン。忌々しそうな口調でそう言い捨てると、踵を返して元の任務へと戻っていった。
 衣装室では、フェイスマンが、咄嗟に捕まえた衣装さん(推定22歳。地味。恋愛経験なし)を胸に掻き抱き、熱烈なラブシーンの真っ最中。
「うががが、離しなさいよっ。」
 首をロックされて身動き取れない衣装さんが叫んだ。フェイスマンは、声を出さずにゴメンゴメンと言いつつ、横目で護衛が去るのを確認すると、彼女の体を離した。
「ホントにゴメン、でも、君があんまり綺麗で可愛いかったから、我慢できなくて、つい。」
「なっ、何言ってるのよ、あなた。私たち初対面じゃない。」
「恋に時間なんて関係ないさ。君、衣装のコだろ? 入店した時から気になってたんだ。ねえ、名前は何て言うの?」
「……メリッサ。」
 彼女の手を握ったまま、にっこり微笑んでそう問うたフェイスマンに、思わず答える衣装さん。
「メリッサか、可愛い名前だね。清楚なキミにぴったりだ。今度ぜひ食事でも。約束だよ? じゃね。」
 そう言って彼女の頬と手の甲にチュチュッと音を立ててキスをすると、フェイスマンは呆然と立ち尽くすメリッサを後に、鼻歌交じりで衣裳部屋を出て行った。



*8*

 その日の深夜。ダンス教室の2階に集まったAチーム。店の寮を抜け出してきたマードックは、黄色のタンクトップに白のタイツというレッスン着姿のまま、指導用の長物差しをポールに見立てて軽くステップを踏んでいるところが微妙にイラっと来る。
「モンキー、よく抜け出してこられたな。あの店のダンサー寮って門限あるんじゃなかったっけ?」
 慣れないボーイ業で凝った首をゴキゴキ言わせながらフェスマンが言う。
「あるにはあるけど、ま、病院抜け出してくるのに比べたら100倍簡単よ。お茶の子サイサイってもんさ。」
 そりゃそうだ。ダンサーの寮には普通、鉄格子も拘束具もないもんね。
「みんな見て。」
 と、言いつつエンジェル登場。入って来るなり、現像し立ての写真を机の上に広げた。
「フェイスが撮ってきた写真だな。」
「ええ。ここに写ってるのは、ズーニー・ダマスケス。マイアミを拠点とするマフィアのボスよ。護衛の2人は、ゴメツとフェルナンデス。一応、劇場の雑用係兼用心棒ってことになってるけど、ズーニーの一味と考えて間違いないわ。」
 エンジェルが、引き伸ばした写真に写る男を、ペンの後ろでカツカツと叩きながら言った。
「ズーニー・ダマスケスなら知ってるぞ。殺しも躊躇わないえげつないやり方でライバルとの抗争に勝ち続け、今じゃマイアミで1、2を争うマフィアだ。そのマフィアが、何でタンパくんだりでショーパブを?」
「それが謎なのよね。ここ数年、西海岸だけで5軒同じような店に出資してるんだけど、どれも表立って経営に関わってはいないわ。社長は、地元の実業家にやらせてる。」
「そして、どこの町でも、ダンサーが消えてる……ってか?」
「ビンゴ。さすがハンニバル。そうなの、新聞で調べたら、どの町でも何人かずつ行方不明者が出てるのよ。噂じゃ、変わった趣味のお金持ちに、奴隷として売り飛ばしてるとか、いないとか。あくまで噂だけどね。」
「ズーニーは、金になれば何でもやる奴だ。ただの噂ではないかもしれん。フェイス、モンキー、引き続き潜入捜査を頼む。俺たちは、客の方から調べてみる。」



*9*

 明け方。寝静まった寮のベランダの手摺に、1本の鉤つきロープが投げられた。マードックは、手摺に絡まったロープの強度を何度か引っ張って確かめると、腰につけた滑車のモーターを作動させた。ウィーン、と微かなモーター音と共に、彼の体は2階のベランダへと一気に引き上げられる。
「うんしょ、っと。」
 ベランダを乗り越え、鍵の開いている引き戸をそろそろと開け、ルームメイトを起こさぬように物音に注意しつつ、彼は真っ暗な部屋の中に滑り込んだ。と、その時。
「マードックちゃんっ、待ってたのよっ!」
 闇を劈く美声、もとい、オカマ声。
「うわ、びっくりしたっ!」
 マードックが一歩飛び退く。
「ペトラか。何だまだ起きてたの。」
「起きてたんじゃなくて、起きたの。だってもう朝よ。それより、ねえ聞いてよ、マードックっ。」
 ペトラと呼ばれたオカマもとい青年は、ペトラ・ウォン。マードックと相部屋の先輩ダンサーである。本名不詳、出身不詳。黒髪に緑の瞳が愛らしい自称19歳。
「アタシ、選ばれたのよ。」
「選ばれたって、何に?」
「スペシャルステージ! ほら、毎月やってる、ショービズ関係のお客だけを招待するスペシャルショー。」
「へえ、スペシャルショーなんてのがあるんだ。」
「もう、マードックったら、何にも知らないのね。ほら、アタシと仲がよかったココ・B、コロンビアからの移民の子。先月のショーで舞台監督に認められて、ブロードウェイに引き抜かれたじゃない!」
「そうなんだ。で、その子は、もう向こうで舞台に立ってるの?」
「ううん、まだレッスン中みたいで、連絡がないんだけど、初舞台には必ず呼んでくれるって約束したから、すぐ電話か手紙が来ると思うわ。」
「んん?」
 マードックの眉が顰められる。さっきのズーニーの話を思い出す。消えるダンサー。
「……それ、大丈夫なの?」
「何が?」
「そのさあ、まずいんじゃない? こんな場末のショーパブから、急にブロードウェイとか、ありなのかな。俺っち、何かヤな予感すんだけど。」
「もう! マードックったら、自分が選ばれなかったからって、そんな言い方ってない! 友達だったら素直に喜んでよね! 大丈夫、あんたも、もっと上手くなればスペシャルショーに呼んでもらえるから! あ、そうだ。これ、あげる。」
 と、1壜の錠剤を差し出すペトラ。
「フェルナンデスさんに貰ったの。美容の薬。あのね、ムダ毛が薄くなって、お肌も艶々になるわよ。アタシ飲み始めて1週間だけど、もう脱毛しなくていいくらいだし、胸も、ちょっと大きくなったみたい。飲みなよ。あんたも、ちょっとでも見目よくならないと、いつまで経っても前座のままだよ?」
 ペトラは、そう言うとマードックの手に壜を握らせ、こうつけ加えた。
「それにこれ、育毛作用もバッチリだし!」



*10*

 会場のざわめきが収まり、低いドラムロールが響き始める。メインステージの端にスポットライトが当たり、燕尾服の男が恭しく現れる。
「みなさん、今夜のステージは、総勢40名の踊り子によるラインダンスでスタートです! さ、拍手でお迎え下さい!」
 男の紹介が終わると同時に、カウボーイ姿(ただし腰から下はレオタード)+金色のピンヒール、カウボーイハットで顔を隠した総勢40名のダンサーが、小走りで舞台に登場。斜め整列(ダークダックス・スタイルと言っても、若い世代には通じまい)で、音楽を待つ。

「モンキーの奴、どこにいるんでい。」
 今日も牛乳のミルク割りで粘るつもりのコングが、オペラグラスを覗きながら言った。
「いないな。この出し物には出ないのかもしれん。」
 と、ハンニバル。音楽が始まった。バンジョーとフィドルの愉快なコットン・アイ・ジョーに合わせて、軽快なラインダンスが動き出す。
「でも、曲の趣味としては、マードック系よね……あ、いた。」
 エンジェルが列の左端を指差した。ハンニバルが、コングからオペラグラスを取り上げて見た。
「あー。あれだな、あの足の上がらなさっぷりと、膝の伸びなさっぷりは確かにモンキーだ。」
「だが、奴にしちゃあ、足が綺麗すぎないか? 脛毛が1本もないぜ。」
「剃ったのかもしれん。凝り性だからな。」
 ハンニバルが、コングにオペラグラスを返しつつそう言った。
「何だか、胸まででかくなってる気がするんだが……気のせいか?」
「気のせいだろ。もしくは、衣装のせい。」
「ねえねえ、何だか知らないけど、モンキーだけ、妙に腹筋使ってるわよね。何かに膝蹴り食らわしてるみたいなあの動き、シェイプアップによさそう。今度教えてもらおうっと。」
 いついかなる時も美容を忘れない天晴れなエンジェルである。



 終演後、舞台袖の片隅で、そっと落ち合ったフェイスマンとマードックである。
「スペシャルショー?」
「そう、俺っちの推理が正しければ、金持ちのスケベオヤジたちが、そのスペシャルショーで踊り子の品定めをして、ズーニーから買い取って連れて帰ってるんじゃないかな。あとは、焼くなり煮るなりどうにでも。」
「そうか。何かの拍子にその秘密を知ったアンドリューが、ここから逃げ出そうとしてやられた、っていうのが筋書きかもな。」
「んー、ありそうな話だねえ。」
「わかった。俺は、客に聞き込みしてみる。モンキーは証拠を探してみてよ。俺、顔バレしてるから、地下の応接室には近づきにくいんだ。」
「了解。」
「モンキー。」
 立ち去ろうとしたマードックを、フェイスマンが呼び止めた。
「何かさ、頭髪、増えてない?」
 フェイスマンの指摘に、マードックはぐふふと笑い、「ヒ・ミ・ツ(はぁと)」とつけ加えた。全くもって胸糞悪いこと山の如しだ。



*11*

 客も捌けた深夜。人気のない地下通路を、抜き足差し足で進む人影あり。忍び込むなら、もうちょっと他の格好もあろうにといった趣の、ラインダンス姿+泥棒ほっかむりの上に洞窟探検用のヘルメットを被ったマードックである。難なく辿り着いた応接室の前に人影はなく、マードックは、風呂敷包みから細いヤスリを取り出し、素早く鍵を開けた。
「お邪魔しま〜す。」
 左右に人がいないことを確かめると、そっと部屋に滑り込み鍵を閉める。頭につけた懐中電灯のスイッチを入れ、室内を見回す。手前に豪華な応接セット、その奥にデスクとプレジデントチェア。左側には酒壜が並んだバーカウンター、右手には3段引き出しのローキャビネットが並び、その奥は、小さなデスクに電話が1台乗っているだけの簡単な執務スペースになっている。
「さて、それじゃキャビネットから始めるとしようかな。」
 マードックは、ダンス衣装の胸の谷間(?)に挟んでいた細い工具でちょちょいとキャビネットを開錠すると、上段の引き出しを開けた。引き出しの中には、ファイルが何冊か、乱雑に放り込んである。1冊を手に取って見る。固定資産の管理帳のようだ。次の1冊は、仕入先の連絡ファイルで、特に不審なところはない。気を取り直して、次の段に手をかける。
「履歴書、か。」
 フォルダーラックが組み込まれた2段目の引き出しには、ダンサーたちの履歴書がアルファベット順に整理されていた。マードックは、Hの項目を探し出した。
「ハザウェイ、ハイド……ヒックス、あった、アンドリューのだ。」
 薄いクリアフォルダーを引き出して、アンドリューの履歴書を見る。
「20歳、ミネソタ出身、家族構成・なし。……本名を名乗ってたのに、経歴は偽ってたんだな。あれ、この印、何だろう?」
 履歴書の右上に、赤ペンで"S"が走り書かれている。マードックは、引き出しの履歴書をごっそり抜き出し、同じ場所をチェックしてみる。次々と同じSマークのついた履歴書が見つかった。
「これって、もしかしてスペシャルショーの出演者じゃん?」
 マードックは、メモ帳にSマーク対象者の名前を書き留めた。その時、廊下に響く数人の足音。
「やべっ。」
 懐中電灯の明かりを消し、キャビネットの裏に回り込む。そっと息を潜めていると、ガチャリと鍵の開く音がして、ズーニー・ダマスケスと2人の男たちが部屋に入ってきた。
「フェルナンデス、今度のスペシャルショーの出演者は決まったのか?」
 ズーニーは、プレジデントチェアにふんぞり返って、いきなりそう言った。
"お、いきなり本題じゃん。"
 マードックは、こっそりと風呂敷を下ろすと、中から小さなテープレコーダーを取り出し、録音のスイッチを入れた。
「ええ、クライアントご希望の東洋系を中心に、女4人にオカマ1人の計5人。」
 フェルナンデスが、手帳を捲りながらそう言った。
「ちゃんと身寄りのない奴を選んだだろうな? 捜索願いを出されると事だからな。」
「何せ今回のクライアントは、ちょっと手荒な趣味の持ち主ばかりですから。ねえ、ズーニーさん。」
 言いながら、ズーニーにブランデーを手渡すのは、側近のゴメツだ。
「どんな趣味でも構わん、売っちまった奴らのことだ、生かそうが殺そうが知ったこっちゃない。こっちは代金さえしっかり払ってもらえりゃ、未成年だろうがオカマだろうが何だって用意するさ。」
"お、証拠バッチリ。あとはここ抜け出して、ハンニバルに報告だ……。"
 と、マードックがテープレコーダーを止めたその瞬間、いきなり鳴り出すデスクの電話。
"やべっ!"
 慌てて隠れるところを探すも、キャビネットの他には小さなデスクしかない。
「おい、電話だ、出ろ。」
「へい。」
 フェルナンデスが、電話に出るためにキャビネットのこちら側に回り込んだ瞬間、マードックが飛び出した。フェルナンデスに体当たりを食らわせ、倒れた隙にドアにダッシュする。
「おい、誰だお前っ!」
 ゴメツが叫んでマードックに駆け寄る。マードックは、ドアの隙間に身を滑り込ませ、一瞬逃げおおせたかに見えたが、背中の風呂敷の横幅がドアの隙間より明らかに大きかったため、引っかかった衝撃でもんどり打って後ろに倒れた。
「今の話、聞いてやがったのか。」
 仰向けに倒れたマードックを見下ろして、ゴメツが言った。
「チクショウ、こいつすごい力だぜ。」
 起き上がってきたフェルナンデスが、マードックの襟首を掴んで引き起こした。
「ごめんなさいね、アタシちょっとお腹痛くなっちゃって、ソファで休ませてもらおうと。」
「誰だ、お前?」
 と、ゴメツ。人の話を聞いちゃいないタイプです。
「ダンサー。この前のオーディションで無理矢理入店した奴だ。おいお前、何が目的だ?」
 フェルナンデスが凄みを効かせた声でそう問う。
「目的? アタシたち踊り子の目的っつったら、ブロードウェイで一山当てるっきゃないじゃんよ。ぐふっ!」
 話し途中で後から来たズーニーに腹を蹴り上げられ、マードックは噎せた。2つ折りになった体を、下から再度蹴り上げられ、バランスを崩してフェルナンデスの腕の中に倒れ込む。
「まあいい、この店の秘密を知られたからには、生かしちゃあおけん。ゴメツ、フェルナンデス、こいつを始末しろ。アンドリューの時のようにしくじるなよ。そうだな、海にでも沈めておけ。」
「へい。」
「わかりやした。鮫の餌にしてやりますぜ。」
 ゴメツは、咳込み続けるマードックの襟首を掴むと、部屋の外へと引っ立てた。フェルナンデスがマードックの背中を後ろから抱えながらそれに続く。しかし部屋を出た瞬間、体勢を立て直したマードックが動いた。一瞬の隙を突き、2人の手を振り解いて走り出す。
 と、そこへ、控え室から使用済みの衣装を山のように抱え、前の見えない状態でヨタヨタと衣裳部屋へと戻ってきたのは、衣装のメリッサ。2人はぶつかって、絡み合うように転倒した。廊下中に衣装が散らばる。
「あ、ごめんなさいっ、私、前が見えなくて……。」
 謝りつつ衣装を掻き集めるメリッサ。その拍子に、楽々追いついたゴメツとフェルナンデスに再度掴まるマードック。
「手間かけさせやがって! ほら、行くぞ!」
 両腕を掴まれ、非常階段へと引っ立てられるマードックが、メリッサを振り返り、素早くウィンクをした。メリッサは、非常階段を登って消えていく3人を怪訝な顔で見送った後、はっとしたように自分の右手を見る。そこには、いつの間にか握らされていたテープレコーダーと1枚のメモ。メモには、ミミズののた打つような悪筆で、こう書いてあった。
『ボーイのペックに渡してね。』
 そして車が急発進する不穏な音が、深夜の廊下に響いた。



 メリッサが、掃除中のフェイスマンを見つけて言伝を届けていたちょうどその時刻、ダンス衣装のままぐるぐるに縛り上げられたマードックは、ご丁寧にダンベル2個を腰にぶら下げられて、崖から海中に投げ捨てられていたのであった。



*12*

「ハンニバル、大変だ! モンキーが敵に捕まった!」
 ダンス教室2階のアジトに駆け込んでくるフェイスマン。ボーイ姿のままである。
「何だと!? あの馬鹿が、ドジりやがったのか!」
 コングが立ち上がった。
「ズーニーの部下にどっかに連れて行かれたらしい。それで、メリッサがこれを。あ、メリッサって、最近仲よくなった衣装のコなんだけど。」
 フェイスマンは、要らん情報を混ぜつつメモをコングに渡し、同時にテープを再生する。
「ハンニバル、このメモに書かれてる名前、行方不明のダンサーたちだぜ。あいつら、やっぱり奴隷商売してやがったんだ。」
 じっと聞き入っていたハンニバルが、うむ、と頷いた。
「これで証拠は十分揃ったな。コング、フェイス、ズーニーを叩くぞ。」
「了解。」
「モンキーはどうするんでい。」
「それだってズーニーに当たらなきゃ手がかりもないじゃありませんか。ま、奴のことだ。ちょっとやそっとじゃ死にはしませんよ。」
 錘つきで海中って、ちょっとやそっとに分類していいのかどうかという問題はぶん投げつつ、Aチームのテーマをちょっとだけ鳴らします。



*13*

 夜の海上に、人魂のような青白い火が無数に揺れている。夜中から操業して明け方に港に帰る、イカ釣り漁船の群れである。船上では、屈強な漁師たちが、仕かけた網をモーターで巻き上げる作業に余念がない。網が巻き上がるたびに、白く光るイカがビチビチと甲板に投げ出され、甲板中央に作られた生簀に掃き落とされていく。今日も大漁だ。誰もが、そう思ったその時。
「船長! 来てくれ! モーターが止まっちまった!」
 漁師の1人が、そう叫んだ。見れば、漁師の手元にある1台の巻き上げ機が、完全に停止している。
「何? 故障か? 手動に切り替えろ。」
 そう言いながら上がった網の束の上を飛び越え飛び越えやって来たのは、アンドリューの親父のヒックスである。
「ああ、こりゃ何か絡まったな。みんな、力を貸してくれ。この網を引き上げるぞ!」
 ヒックス船長の言葉に、すぐに5、6人の海の男たちが巻き上げ機の周りに集まってくる。モーターから網を外し、左右に分かれた6人が、綱引きの要領で網を引き上げる。
「こりゃ、結構重いな。鮫でもかかったか。」
「ああ、鮫かもしれん、上がったらすぐ噛んでくるからな、ハンマー用意しとけ。」
「おう。」
 口々に言い合いながら、エンヤコラ、と力を合わせて網を引く漁師たち。ビチビチと上がり続ける大量のイカ。そして、最後にずるりと上がった大物。
「鮫だ! 殴りつけろ!」
「おう!」
 1人の漁師が、ハンマーを振り上げる。その時、ゆらりと鮫が上体を起こした。
「うわっ、鮫じゃねえ。海坊主だっ!」
「海坊主じゃない、水死体じゃないか!?」
「水死体が立つかよ!」
「てことは、幽……霊? うわああっ!」
 一瞬にしてパニックになる漁師たち。
「ちょっと待て! 鮫でも海坊主でも幽霊でもない、これは、この人はっ!」
 ヒックスが叫んだ。
「この人は、ダンスの先生だ!」



 ゆらりと立ち上がったマードックは、ずぶ濡れの衣装の胸部分からパッドを引き抜いた。と同時に、スカスカになった胸の谷間から、ボロボロと零れ落ちるイカたち。そして、少しフサフサしていた頭髪も、ベリリ、と引き剥がした(ヅラでした)。さっきダンベルが括りつけられた腰の辺りにも、今ではイカが5杯くらいずつぶら下がっている。
 マードックは、両手に1杯ずつのイカを持ち、きりりとした表情でヒックスの方を振り返った。
「サンキュー親父さん、イカに命を救われたぜ。」
 うん、言いたいことはわかるが、正確には「イカ釣り漁船」に命を救われただけで、別にイカが救ったわけじゃない。
「ダンスの先生、ここで一体、何を……?」
「だまらっしゃい! 俺ァ、もうダンスの先生じゃない!」
 ヒックスの言葉に被せるようにマードックが叫んだ。
「生まれ変わったんだぜ。今日から俺は、そう俺は。」
 びしっ! とイカを持った両手を真上に挙げ、ポーズを決める。
「イカから生まれた、スクイドマン!」
 そう言った瞬間、2匹のイカが一斉にマードックの顔目がけてスミを吐いた。マードックは、イカスミまみれの真っ黒い顔のまま、カッ! と見栄を切った。



*14*

 劇場の表玄関に堂々と乗りつけた紺色のバン。Aチームマイナス1名は、颯爽と車を降りると、正面玄関を突っ切り、階段をぐるぐると地下まで下り、廊下をずんずん進んで、応接室の前に立った。
「フェイス、裏口の方が近かったぞ?」
「ゴメン。とりあえず謝っとくわ。あらよっと。」
 そう言いつつ、応接室のドアをドカンと蹴破るフェイスマン。
「何だ、てめえらは!」
 ズーニーのデスクの前で今夜の首尾を報告していたフェルナンデスが振り返って叫んだ。バーコーナーでグラスを拭いていたゴメツも、銃を抜いて向き直る。が、マシンガンを構えたコングを見るや否や、一瞬、表情が怯んだのをハンニバルは見逃さなかった。
「やあ、皆の衆。何だと聞かれたから返事してみようかなと。あたしゃアンドリュー・ヒックスの代理の者でね。」
 ハンニバルが、葉巻を銜えた笑顔でそう言った。
「何をっ!」
「まあ待て。」
 殴りかかろうとするフェルナンデスを制して、ズーニー・ダマスケスが言った。
「アンドリュー・ヒックス? さあ、知らんな。それは誰かな。」
「ここで働いていたダンサーだ。あんたの悪事を知って、殺されかけた。」
「殺されただと? 人聞きの悪いことを。うちは、健全なショーが売り物の劇場だ。妙な言いがかりはやめてもらおうか。そっちの新入りも、妙なこと抜かすとクビにするぞ。」
 ズーニーが、ゆっくりと椅子から立ち上がりつつフェイスマンにそう凄んだ。そして机を回り込んでハンニバルに向き合う。
「野郎、証拠は上がってるんだ。これを聞きやがれ。」
 コングが例のテープを再生した。それを、目を閉じて聞いていたズーニーは、急に笑い出した。
「はっはっはっ、そうか、わかったぞ。お前たち、さっきのネズミの仲間か。仲よしグループでアンドリューの仇を取りに来たってわけだな。」
「まあそういうところだ。もう言い逃れはできん、神妙にお縄につけ。でもって、うちの部下も返してもらおうか。」
「残念だな、あのオカマ野郎なら、今頃海底で魚の餌になっているはずだ。そして俺はこんなところで捕まるわけにはいかんのだ。皆の者、やっちまえ!」
 ズーニーの号令と共に、フェルナンデスとゴメツが殴りかかってくる。応戦する3人。皆の者と言っても2名だし、2対3なら負ける要素もない、とAチームが楽勝ムードに入りかけた瞬間、大挙して部屋になだれ込んできたのは、ズーニーの部下のギャングたち。その数、十数名。応接室と廊下は、たちまち乱闘の渦となった。
 ギャング数名をまとめて投げ捨てるコング。2人の頭を掴んでガッチンコさせるハンニバル。衣裳部屋から怯えた視線を送るメリッサに投げキッスを贈る間に横顔を張られ、ムカついて股間に蹴りを入れるフェイスマン。後ろから組みついてくるギャングを投げ飛ばして別の1人にぶち当てるコング。小道具の花瓶で、ギャングの脛をしたたかに打ちつけるメリッサ(すごく楽しそう)。
 そしてその乱闘の最中、当のズーニー・ダマスケスは、フェルナンデス、ゴメツに守られながら乱闘の輪を抜け出していた。Aチームの3名が乱戦を強いられ足止めを食らっているの尻目に、非常階段を駆け上がり、裏口のドアからリンカーン目指して外に飛び出した。



 その時。パシャッ! パシャッ! 闇夜が、一斉に昼間の明るさとなった。
「うっ、眩しいっ。」
 顔を背けるズーニー、目を押さえるフェルナンデス。一足遅れて飛び出したゴメツが見たのは、裏口と彼らの車を取り囲む、無数の男たち。皆、胸まであるゴム長を履き、頭にハチマキを巻いている。そう、アンドリューの父、ヒックス船長と、仲間の漁師たちである。因みに明かりは、イカ釣り船の白熱灯をそのまま引っこ抜いてきたので、マジで視力がやばいくらい明るいです。
「ズーニー、アンドリューの仇だ。大人しく刑務所に行ってもらおう。」
 ヒックスは、極力感情を抑えた口調でズーニーにそう告げた。そして、目を閉じて、こう続けた。
「先生、やっちまって下さい……アンドリューの、アンドリューの仇……。」
「スクイドマン!」
 華々しくスポットライトを浴びて、スクイドマン登場。せっかくヒックス親父が渋く決めようとしたのに、語尾、被ってるし。
「お前は、さっきのオカマ!」
 ゴメツ、大概失礼だなお前。
「無礼者! 俺はオカマではなーい! 海のミルク、じゃない、海の精霊スクイドマンだ。食らえ! インクショット!」
 マードックは、イカの口をズーニーに向けてそう叫んだ。因みに、海のミルクは牡蠣の栄養を表した言葉です。イカ、ナイスタイミングでイカスミ発射。マードックは、イカスミを吐いてぐったりしたイカを投げ捨てた。横の漁師が次のイカを手渡す(イカ、1回スミ吐いたらとりあえず本日は終了だから)。
「インクショット! インクショット!」
 次々にイカのお代わりを受け取りながら、イカスミを放ち続けるマードック。
「うわ、目に入ったぞ!」
「臭っ! 生臭っ!」
 たちまち真っ黒になっていく3名の悪党。
「インクショットインクショットインクショット!」
 調子に乗ってイカスミを放ち続けるスクイドマン。そこに、乱闘を終えてズーニーを追ってきたハンニバル、コング、フェイスマン登場。
「あれ、モンキー、生きてたんだ。そこのオジサンが"今頃は魚の餌だ"(←馬鹿にした感じのしゃくれたモノマネで)とか言うから、ちょっと心配しちゃったよ。」
「生きて帰ってきたと思ったら、また変なオモチャ見つけやがって。食いモンを粗末にしたらタダじゃおかねえぞ。」
 コングも、口調とは裏腹に嬉しそうである。
 そしてイカスミにまみれてすっかり戦闘意欲を失ったズーニー・ダマスケス一派は、あっさりとお縄になったのであった。



*15*

「はーいはいはいはい、ウンパパパ、ウンパッパのウンパッパんとこもう1回!」
 白木の明るいフロアに、ダンス教師の声が響く。ただし、教師はマードックではなく、ペトラ・ウォン君(本当は30歳)。『フロリダ・パンサー・サルーン』の営業停止を受け、すっかりダンスに興味を失ったマードックの代わりに、ここで教師の職を得たのだ。
 ズーニー・ダマスケスとその一派は、匿名の告発文書と証拠品と共に、イカ釣り漁船に括りつけられた姿で警察に発見された。
 そしてAチームの4人はと言えば、ヒックスから貰った報酬『生イカ1000杯』を腐る前に消費すべくレシピの研究に打ち込んだ結果、マードックとコングが苦し紛れに作ったイカスミ・ミルクシェイクが、ビーチのカフェ(イカ釣り漁船組合経営)でちょっとしたブームになったりして、ささやかな夏を満喫していた。そして、その後、奇跡的に意識を取り戻したアンドリュー・ヒックスは、ダンサーの道を諦めて親父の後を継ぎ、歌って踊れるイカ釣り漁師としてほんの一部で人気者になったと言う。
【おしまい】
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